自己変容を伴う不登校生徒のキャリア形成

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文部科学省 平成 24 年度生徒指導・進路指導総合推進事業

自己変容を伴う不登校生徒のキャリア形成 -「学びの森」の実践を通して-

京都府教育委員会認定フリースクール

アウラ学びの森 知誠館


自己変容を伴う不登校生徒のキャリア形成

-「学びの森」の実践を通して-

はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第1章 不登校というメッセージ・・・・・・・・・・・・・・・・・3 1. 孤独なリストカッター 2. 見立てのズレ 3. 相互変容 4. 巣立ち 5. 不登校というメッセージ

第2章 学びの森・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19 1. 新しい能力 ・90 年代の社会の渦の中で ・新しい能力 2. 学びの森の基本フレーム ・自律的で能動的な学習者 ・学習者の数だけカリキュラムがある ・環境とは何か 3. 三つの理論を軸として ・自律学習理論 ・正統的周辺参加論 ・アフォーダンス理論

第3章 たった一人の子どもから・・・・・・・・・・・・・・・・・31 1. 森へと迷い込んだサトル 2. 計画された偶然性 ―Planned Happenstance ― 3. ヘレンケラーのように 4. 不登校だったからこそ 5. サトルが手にしたもの


第4章 コトバが生まれる時・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53 1. 教室に入れない少女 2. 二年前の私に言ってやりたい 3. メイクの中の私 4. もう一つの進路 5. それぞれの物語

第5章 キャリアの中の物語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・82 1. 小 3 からの不登校 2. コミュニケーション・コンプレックス 3. 卒業 ―アウラをあとに― 4. 職場の中で 5. キャリアの中の物語 6. 最後のシゴト

第6章 社会への回帰・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・108 1. フリースクール認定制度 2. チーム絆 3. ラウンドテーブル 4. テーマを通じて 5. もう一つのラウンドテーブル 6. リアリティの中で

第 7 章 キャリア再考への序章・・・・・・・・・・・・・・・・・・123 1. 不登校への俯瞰的視座 2. 認知的個性 ―Cognitive Individuality ― 3. 物語とキーコンピテンシー 4. キャリア再考

おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・131


自己変容を伴う 不登校生徒のキャリア形成 -「学びの森」の実践を通して-

はじめに 本稿は、 「学校」でもない「学習塾」でも

カンニングは、その正解を答案に写すとい

ない、能動的で自律的な学習者主体の学び

う意味では、同じことをしているのではな

の場である「アウラ学びの森」 (以下「アウ

いか?」と思い始めたのです。しかも、暗

ラの森」 )において、不登校の子どもたちが

記が得意だった私は大変高い評価を受け、

自己変容を遂げ、やがて自分たちのキャリ

カンニングをしたその子は最低の評価とな

アを形成していく実践の過程をエピソード

ってしまう。そうなると今度は、 「評価」そ

やインタビューを通して描き出し、その理

のものの意味さえ不透明なものに思えてき

論化を試みようとするものです。

たのです。

アウラの森は、学びそのものを再定義し

やがて、私は次第に学ぶということの意

ようという私自身の思いの中から誕生しま

味を見失っていきました。今まで持ってい

した。そして、そのきっかけは、私の高校

た「学び=暗記」という公式が崩れていっ

時代に遡ります。たまたま暗記することが

たのです。そして、一旦暗記を否定してし

得意だった私は、そのほとんどの学生たち

まうと、何をしていいのかさえわからなく

がそうであったように、テスト前に大量の

なっていきました。振り返ってみると、そ

情報を覚えこみ、それを答案に写し出すと

んなところから、私の学びに対する模索が

いう作業を繰り返していました。そんなこ

始まったように思います。

とを続けていると、ある事件が起こります。 それは高校 1 年の時の定期テストの場面で

大学時代に私は、アメリカのオルタナテ

した。たまたま私の隣の席の生徒が、テス

ィブ教育(従来の学校教育に代わるもう一

ト中にカンニングをして、それが見つかっ

つの教育)を初めて日本に紹介した、当時

たのです。その子は、机の中のカンニング

北海道新聞の記者だった大沼安史さんが書

ペーパーの内容を答案に写していたのです。

いた『教育に強制はいらない』1という本に

「コラ、何してる!」という教師の怒声が

出会い、大変感銘を受けました。そして、

教室に響き渡った瞬間、私はふと「暗記と

1 大沼安史 1982『教育に強制はいらない』一光社

1


卒業と同時にオルタナティブな教育をめざ

は、森という場を通じて、様々な学びが展

した学習塾を開き 15 年間運営することに

開し、様々な相互的な変容が繰り広げられ

なりました。しかし、やがて 90 年代の社会

ることになっているのかもしれません。そ

の影響を大きく受け、子どもたちの生活の

して、自己変容を遂げた子どもたちは、や

様子にも変化が見られるようになっていき

がてアウラの森を巣立っていくことになり

ました。高度な消費化と情報化の流れの中

ます。そこには、新しい学校の環境があり、

で、子どもたちの主体的な営みがますます

新しい就労の場があります。彼らは、今ま

失われていくように思えました。そんな中

での経験を足掛かりにしながら、一歩一歩、

で私は、これまでの教師主体の教育モデル

自分自身のキャリアを形成していくのです。

ではなく、学習者主体の学びのモデルとし てアウラの森を 2000 年にスタートさせた のです。

私は本稿を通して、様々な子どもたちの 変容を、彼らの物語を通して示していこう と思います。彼らが、懸命に自分たちの辛

その後私たちは、開校 4 年目に一人の学

い過去を書き換えながら、そしてたくまし

校へ行っていない子どもと出会います。不

くそのキャリアを形成していこうとする姿

登校の子どもとの出会いは、私たちにとっ

に、みなさんが、何かを見出していただけ

て、大変刺激的なものでした。それは何よ

れば幸いです。

りも、アウラの森に通い出してからの彼ら の変化が、とても大きかったからです。そ れはまるで、生まれ変わるかのような変化 であり、家族や仲間をも巻き込むような大 きな影響力を持つ変化でした。そしてその 変化の過程で、たいてい彼らの固有のコト バや彼らの語り出す物語が生まれました。 彼らは、自分たちのコトバや物語を使って、 一旦否定した過去に向き合い、その意味を 肯定的なものへと書き換えていったのです。 それから、アウラの森には、不登校の子ど もたちが集まり始めるようになっていきま した。 アウラの森は、 「学び」という営みを通し て、学習者自身が変容を遂げていくことに その特徴があります。ここでは、子どもた ちだけではなく、私たちも、そして親たち もまた学習者なのです。そういった意味で 2


第1章

不登校というメッセージ

不登校の子どもたちの生活は、学校に通

た、学校へ行くのは嫌だけど、他のところ

う他の多くの子どもたちの生活とは少し異

へはどこでも出かけていける子がいる一方

なっています。

で、家からほとんど外へ出ていくことのな い、ひきこもり傾向の強い子どもいるので

彼らの中には、午前中は調子が悪い、お

す。こんな風に、不登校の子どもの状況は

腹が痛い、頭が痛い、身体がだるい、熱が

実に多様です。そしてこの多様性が、実は

ある…、さまざまな症状が出る者もいます。

不登校支援の難しさを作り出し、しかもそ

そのため、だいたい午前中はベッドから出

の多様化の傾向はどんどん大きくなってい

てこないわけです。そしてお昼をまわると

ることが報告されているのです。

ようやく起きてきて、遅い食事をとってゲ ームをやりだすか、あるいはパソコンをさ

子どもたちが不登校になってしまうきっ

わり始めます。最近では、オンラインゲー

かけもまた、さまざまなものがあります。

ムにはまってしまう子どもも増えています。

友達関係のもつれ、先生から投げかけられ

何人かのオンライン上の参加者でグループ

た一言、身体の調子を崩した、クラブのこ

を構成して、さまざまな冒険に挑んでいく。

と…。しかし、そのきっかけは単にきっか

それはゲームという仮想の空間とオンライ

けにすぎないといったところもあって、そ

ン上で実際につながっている実在の空間と

れが直接的な不登校の原因となっている場

の狭間に浮かび上がる世界なわけです。彼

合は、経験上少ないように思います。私自

らは、そんな世界に没頭しながら、その合

身は、不登校の原因として、本人の発達課

間にまた食事をとり、入浴して、朝方まで

題やパーソナリティの課題が、家族の課題、

ゲームをやり続けるのです。

学校が抱える課題、あるいは社会全体の課 題とのあいだに何らかの葛藤状況を生み出

もちろん不登校の子どもたちが、みんな

しておこるものだと理解しています。そう

そんな生活を送っているわけではありませ

いう意味では、不登校という現象を個人の

ん。朝はちゃんと起きている子もいれば、

問題として処理してしまうのではなく、そ

完全に昼夜逆転状態の子どももいます。ま

れを媒介にして本人、家族、学校あるいは 3


社会そのものが、自らを振り返りそのあり

憧れをもって入学した高校、そこでアッ

方を改めて問い直すという省察的な姿勢が

コが見たものは、学校という環境の中に蠢

とても大切だと思います。このことは不登

く大人たちの本音と建前の世界でした。繊

校という現象が、私たちの生活する社会そ

細な感受性を持った彼女は、その矛盾に敏

のものの問題を象徴したものであるという

感に反応し、次第に学校生活から逸脱し始

考え方に基づくものです。だから、私たち

めます。そしてやがて、同年代の人間関係、

の取り組みそのものも、不登校の子どもた

さらには家族関係までもがこじれていく中

ちと向き合い、一方で彼らの中に内在する

で、自傷行為をエスカレートさせていきま

課題を見つめつつも、もう一方では私たち

す。その後、彼女は不登校となっていくわ

自身の中、あるいは社会の中に内在する課

けですが、その生活はますます荒れ始め、

題を見つめていくことが必要だと考えてい

極端な行動化も見られるようになり、とう

るのです。そして、それぞれが相互的に変

とうそこに医療が介入し精神病棟への入院

容するその動きの中で、不登校の子どもた

も示唆されるようになっていったのです。

ちは自己変容に向かっていくように思いま

しかし、その段階で彼女はある決断をしま

す。

す。それは、今の高校を辞め、それに代わ ってアウラの森で学び直すという決断でし

この章では、自傷行為を繰り返し、やが

た。そしてそれから約 1 年余り、彼女は見

て不登校になっていったある高校生の事例

事に変容を遂げていきました。通信制高校

を紹介します。そしてこの事例を通して、

に在籍し、残りの単位を取得し、アルバイ

不登校という一つの社会現象が、いかにさ

トをしながら大学の学費を蓄えはじめ、や

まざまな問題を私たちに向かって投げかけ

がて自身の志望する大学へと進学していっ

ているかということを明らかにしたいと思

たのです。

います。 「実は昨日、アッコがまた手首を切っ たんです」 突然、お母さんから私の元へと電話があ りました。アッコは、当時高校 1 年生。昨 年、かなり頑張って勉強し、自分の念願の 第一志望の高校へ入学しました。そして、 高校に行っても勉強を続けたいという希望 があって、引き続きアウラの森の塾生とし て学んでいる女の子です。

1. 孤独なリストカッター

「何かあったんですか?」 「学校の家庭科の時間に先生と言い合 4


いになって、急に学校を飛び出してド

「別に…」

ラッグストアーで剃刀を買ってトイレ で切ったんです。でも少し深く切れ過

アッコは下を向いたまま、携帯をいじっ

ぎて血が止まらなくなって、お店の人

ています。ただ左手に巻かれた包帯が痛々

が救急車を呼んで、病院へ運ばれたん

しさを物語ります。

です」 「そんなことがあったんですか…。つ

「この前、私に電話してきたやん。あ

い 2、3 日前に、アッコちゃんから“今

れからアッコのことは心配してたんや。

日休む”って電話があったんです。何

そんな矢先に、お母さんから電話があ

かしんどそうだったんで、 “大丈夫?”

って…。あの日は、どんなことがあっ

って聞いたら、 “大丈夫じゃない。先生、

たん?」

今度、相談に乗ってくれる?”って言 うんで、 “いいよ、いつでも”って答え たところなんです」

私の問いかけに、アッコは少しずつ重い 口を開き始めました。

「そうですか…」 「で、アッコちゃんの傷は大丈夫です

「T、ムカつくねん」

か?」

「Tって?」

「それは、大丈夫なんですけど…」

「家庭科の教師。あいつほんまにムカ

「不安定なんですね」

つくねん。女の教師。40 くらいで独身

「はい」

…」

「じゃあ次の火曜日、アッコちゃんが

「その先生が、どうムカつくの?」

アウラの森に来た時に少し話を聞くこ

「とにかく、えこひいき。人によって

とにしましょう。アッコちゃんには、

対応が全然違う。この間なんてあいつ

“塾長が心配していた”って言ってお

が“うっとうしい”と思う生徒に、ど

いてください」

んなひどいこと言ってたか…。もうほ

「わかりました。ありがとうございま

とんど人権無視…」

す」

「それって、どんなこと?」 「“消えろ”って、“おまえなんて消え

翌週の火曜日にアッコは、アウラの森に

ろ”って…。ひどいやろ、塾長。それ

やってきました。私はゼミの終了後に彼女

でもって、あいつ親やら、教頭とかの

を応接室に呼び、じっくり話を聞くことに

前では、いい子になりよる。これどう

しました。アッコは大きなソファーに遠慮

思う?」

がちに腰をおろし、私の用意したお茶にも

「どう思うって…、まあそんなもんや

手をつけず、携帯を触っていました。

ろ。大人だって、教師だって、もとも とそんなもんや。ただ学校は、建前上

「この間、学校で大変やったんやなあ」

「善良」を装わなくちゃいけない。 「み 5


んな仲良く」ってことを主張しながら、

「それでその日は、どうなったん?

そこで働く教師は、本音と建前の中を

学校を飛び出した日」

生きなくちゃいけない。まあ、そんな

「あの日は、うちにムカつくことしよ

もんや」

ったんや」

「そうなんや…」

「何?」

「残念ながら、そうなんや。それが今

「うちが家庭科の授業中にガム噛んで

の社会。いつでも、本音と建前が交錯

たんや。それを見つけて“出せ”って

している。そんな社会の中で多くの人

言いよった。それで床に出したら、そ

は、社会に魂を売ってしまうのかもし

れをうちの顔につけよったんや。それ

れん。そうなると、本音と建前を平然

で、カッとなって学校を飛び出して、

と使い分けられるようになってしまう。

あとは気がついたらドラッグストアー

でも、どうも私はできなかった。いつ

にいて、手首を切ってた…」

までも、大人になりそこなったのかも

「衝動的にな」

しれんな。だからアウラは、どっちか

「そう、衝動的に…」

と言うと本音の世界なんや。本音しか

「アッコは自分がしんどくなった時に、

ない、かなり純粋な世界かもしれん。

衝動的に行動に出てしまう。アッコだ

でも、知っといてほしいのは、そんな

けじゃない。リストカッターはみんな、

世界は珍しいということ。学校は、ア

切ろうと思って切ってない。気がつけ

ウラとは違うんや」

ば切ってしまっている。脳にそういう

「じゃあどうしたら、いい?」

ロジックが出来上がってしまっている

「どうしたらって、これは難しい質問

んや。そして、一旦できあがったロジ

や。どう生きるかは、自分で答えを出

ックは、そう簡単に消せない。そんな

すしかない。人間が生きていけるのは、

時は、新しいロジックを作るしかない。

白の世界でも黒の世界でもない。その

衝動的になった時には、必ず私の顔を

間の灰色の世界なんや。それは覚えて

思い出してみるとか…」

おいた方がいい。0 か 100 かを追い求

「まあ、やってみるわ」

めると、とてもしんどくなる。その先 生も、きっと自分の魂を売ってしまっ

こうしてその日の話は終わりました。し

たんかもしれんね。どこにでもある話

かし彼女が帰った後、私は複雑な思いに駆

だけどね。アッコが、それにいちいち

られていました。

ムカついていたらきりがないかもね」 「そうかもなあ」

このエピソードには、アッコの教師への 反抗的な態度、授業中での問題行動、そし

少しずつアッコの顔がいつもの顔に戻っ てきました。

てリストカットという逸脱的な行動へと至 る一連の文脈がありました。いわば表の顔 の部分です。ここがどうしても目立ってし 6


まう。しかし、私が引っかかったのは、そ

れてるんや」

の裏の顔の部分。すなわちこのエピソード

「まあ、やり方はさておいて…、でも

の背景にあるものでした。それは、思春期

ええ奴らやなぁ」

真っ只中にいる子どもの純粋さが、建前の

「ほんまに、そう思う」

世界で生きざるを得ない大人たちを告発す る姿なのです。アッコはその純粋さ故に、

そんな不安定になっていった彼女を支え

あるいは彼女の繊細さゆえに、T先生の大

たのは、いわゆる不良グループと呼ばれる

人としてのずるさを見抜いてしまう。そし

女の子たちだったといいます。アッコは、

て学校という組織の中で作られていく「み

彼女たちの世界に何を見出してきたのでし

んな仲良く」 「正直に」などというメッセー

ょうか。その仲間への思いと彼女の学校へ

ジが、いかに偽善的なものであるかを感じ

の思いは相関的な関係にありました。いや、

取ってしまったのです。これは G.ベイトソ

もっと言うと、彼女のリストカットと学校

ンのいう〈ダブルバインド〉2に近いものか

への思いもやはり相関関係にあったのです。

もしれません。そこには二重のメッセージ

つまり、まだ適切なコトバを持ちえないア

性があります。つまりアッコからすれば、

ッコにとっては、学校と自分との矛盾を抱

「みんな仲良く」 「正直に」と声をかける教

えた関係をうまく整理することができなか

師自身が、自分に正直に生きていないとい

ったのです。だから自分たちの仲間のこと

うわけです。ベイトソンが例示した統合失

であれば身体を張って挑んでいくような彼

調症患者の母子関係に見出だしたコミュニ

女たちとの純粋な関係が必要だったのかも

ケーションパターン、一方で愛情のメッセ

しれません。しかし、学校はそんな彼女た

ージを伝えながら、一方で突き放すといっ

ちの存在そのものを否定しようとしました。

た行為が思いだされます。そこにおかれた

このことはアッコからすれば、せっかく校

子どもは混乱し、大変ストレスのかかった

内で見つけた信頼できる場所が壊されよう

状態となってしまうのです。それと同じよ

としているようなものです。こうなるとア

うな状況にアッコも追いやられていたので

ッコは、さらに追い詰められるしかなくな

はないでしょうか。

っていきます。そして、最終的にリストカ ットという表現様式をとったのではないで

「うち、あの子らおらへんかったら、

しょうか。アッコにとっては、その選択し

もうアカンかったわ。でも今、その子

かなかったのかもしれません。あこがれの

らうちのことで、教師に食ってかかっ

学校-矛盾を抱えた学校-居場所としての

て…」

仲間-学校の仲間への否定。ここにも二重

「どういうこと?」

の否定が存在します。つまり自分が否定し

「 “どう落とし前つけるんや” 、 “Tを飛

たものに否定されていく構図です。しかも、

ばせ”って…、うちのことで動いてく

学校という組織には権力が介在するのです。

2 Bateson, G. 1972 Steps to an Ecology of Mind. (G.

ベイトソン 佐藤良明(訳) 2000 『精神の生態学』新思 索社)

このエピソードを書きながらは、私はM. 7


エンデの著作、 『モモ』の世界を想起してい

2. 見立てのズレ

ました。時間泥棒に時間を明け渡してしま った大人たち。近代化の大きな流れの中、

その後、2 年生になったアッコは、次第

私たちの見失ったものは何かと問いかける

に学校から足が遠ざかっていくようになり、

モモ。そのモモの姿が、どこかでアッコの

やがて不登校になっていきました。そして、

姿と重なってしまいます。彼女は本当に問

彼女のことをかばってくれた友達たちと過

題の子どもなのでしょうか。彼女に問題児

ごす時間が増えていきました。しかしアッ

というラベルを貼ることは、簡単なことで

コを取り巻く彼らもまた、友達関係で躓い

す。しかし、それでいったい何が解決され

ていたり、家庭が複雑であったり、すでに

るのでしょうか。そこにアッコの意識と学

学校をやめてしまっていたりと、それぞれ

校の意識とのズレがあったように思います。

に事情を抱えていました。そんな彼女たち

アッコをリストカットに向かわせるものは

もまた学校の外で群れ、互いに依存的な関

いったい何なのか。それを一旦彼女の視点

係性の中でそれぞれの傷を癒そうとしてい

で捉え直さないと、そのズレが消えること

たのかもしれません。

はありません。教育とは、共同的な営みで はなかったのでしょうか。問題の所在を彼

しかし、アッコ自身はこの人間関係の中

女に張り付けられたラベルに帰結させるこ

でその傷を癒すことはできませんでした。

とは、あまりにも安易な結末なのではない

彼女にとって、この濃密で依存的な関係そ

でしょうか。アッコは、これからもリスト

のものが、今度は次第に息苦しいものにな

カットを続けなくてはならないのでしょう

っていったからです。やがて彼女は、この

か。学校への期待と希望が現実に打ち消さ

グループから抜け出そうとします。ところ

れていった時、大人になることは、そうい

が、グループというのはそう簡単に抜け出

う現実を受け入れることだと彼女に伝えな

せるものではありません。彼女はそのこと

くてはならないのでしょうか。私の頭の中

をめぐって、ドロドロした人間関係の中に

をいくつもの問いが駆け抜けていきました。

ますます埋没するようになっていきました。 そして、今度はそのストレスを処理するた めに、異性に依存しようとします。しかし これもまたその相手には補導歴があったり 保護観察がついていたりと、何らかの事情 がついて回りました。 グループから異性へと、アッコは依存の 対象を移していったのですが、今度は母親 がそこに介入していきます。彼女の付き合 っている彼氏のアルバイト先に「娘が○○ につきまとわれて迷惑しているのでやめさ 8


せてくれ」と電話をしたり、その子の親に

心理的に追い詰められていったアッコの

文句を言いはじめたり、かなり行き過ぎた

母親は、学校、保健所、児童相談所、そし

行動も見られるようになっていきました。

て精神科のクリニックや警察とあらゆると

そして、結果的にあまりに極端な母親の行

ころに相談の電話をかけます。そして相談

動に彼氏は彼女のもとを去っていくことに

先のそれぞれがまた動きだし、とても複雑

なりました。

な状況が生じていくことになっていきまし た。幸いアッコの通っている学校と児童相

アッコは、次第に彼氏との関係を引き裂

談所とは、アウラの森とつながりがあった

いた自分の親を憎むようになっていきまし

ので、私はその担当者と話をしてアウラの

た。自分の部屋をロックアウトして親が立

森での彼女の様子をタイムリーに伝えるこ

ち入れないようにし、口を利かないどころ

とができました。そして保健所の担当の精

か母親の作る食事さえまったく口にしなく

神保健衛生士(PSW)を児童相談所のケース

なりました。そして、気に入らないことが

ワーカーから紹介いただくことができ、さ

あると親に向かって物を投げつけるような

らには精神保健衛生士から警察にも連絡を

こともありました。やがてアッコの家庭そ

入れていただくことができ、全体として複

のものが揺らいでいきました。受験期を迎

雑な状況をだんだん整理することができた

えた彼女の弟も不安定になり、さらに母親

のです。あとは医療です。実はこれが少し

もまた、心理的に追い詰められていったの

厄介なことになっていきました。

です。ただ、教師をしていた彼女の父親だ けは、まるでこの家族の危機を他人事のよ

ある日、アッコが家に戻ってみると知ら

うに捉え、シゴトの中へと逃避していきま

ないおじさんが家にいて、 “あなたは精神的

した。

にかなりきつい状況なので、ことによって は入院した方がいい”と突然言われたそう

「あの時は、ほんまに将来が見えへん

です。後でわかったことですが、この方は

かった。なんも先が見えへん状態やっ

母親の知り合いの精神科医で、アッコの極

た。なんて言ったらいいんやろう、高

端な行動化について相談したところ、入院

校はどうなるとかも考えずに…、別に

することも視野に入れて治療した方がいい

失うものもなかったし、死んだ方が楽

という判断をされていたとのことでした。

やったかもしれんし…」

私はその事実をアッコから聞かされ、とっ さに“入院はまずい”と思いました。

当時のアッコは、自分自身のことをそう 振り返ります。実際、この頃の彼女の腕の

確かに当時のアッコの様子には、精神病

傷が一番ひどかったように思います。カッ

理の兆候を読み取ることはできたのかもし

ターの傷の跡が生々しかったことを記憶し

れません。アッコは、時々何かが憑依した

ています。

かのような表現をすることもありましたし、 母親に対する極端に攻撃的な行動や自傷行 9


為も日常化していました。しかし、その一

リングの場を設定してもらう。さらには夫

方でアッコ自身のパーソナリティの特性、

婦の関係について保健所で定期的なフォロ

不安と依存の相互関係も見えていました。

ーを行うといったサポートのグランドデザ

あるいは、その一方で家族の脆弱性の課題、

インを描きました。これは決してアッコだ

母親の同じく極端な行動、不安、そして父

けに問題の原因を集約させるのではなく、

親の不在化が見られたわけです。さらには、

家族、あるいは学校、さらに私たちの社会

思春期という発達上の課題、巣立ちの動向

そのものにも同時にその原因を見出し、そ

と母子カプセルとの間に生じる葛藤も大き

こに複数のフレームや複数の階層を設定し

なことのように思いました。つまりこの段

て一旦複雑になった状況を整理しようとす

階で私たちは、アッコの問題行動の背景に

る課題の分離だったのです。

病理性、パーソナリティ、家族構造、発達 上の課題と大きく 4 つの異なる層を見てい

ただこの段階で、精神科医との見立ての

たのです。そしてこれらが、どんな優先順

ズレが明らかになっていました。アッコ自

位の中に存在するのかを確かめていたので

身の行動だけを観察すると、この精神科医

す。もちろん、アッコは時間軸の中で生活

が言われるように何らかの精神病理の存在

しているわけですから、この優先順位は厳

を疑える状況をとらえることができるのだ

密にいうと時間の制約を受けることになり

と思います。ただ、そこには他の要素との

ます。時間軸に沿って優先順位が変わって

優先関係や時間軸の中の動きが欠落してい

いくというダイナミズムがあるわけです。

ます。彼女のある状況の断面を捉えること

私たちは、彼女とある生活場面を共有しな

ができても、その全体性、あるいは立体的

がら、そのダイナミズムを見つめているわ

な動きが捉えられない。私はここに専門性

けです。私は、この視点こそが相互変容的

の限界があるように思うのです。

な「生活者としての視点」だと思うのです。 専門性は、科学的な実証法によってその 私たちは保健所の精神保健衛生士と連携

真意が評価されます。実証に耐えうるデー

体制をとりながら、アッコの今の状態を支

タあるいはエビデンスが求められるわけで

える課題の階層として、思春期の発達上の

す。そしてそのデータは多くの場合、数値

親子関係の課題、彼女のパーソナリティの

化されます。数値化のためには、あるフレ

課題、家族構造の課題、そして最後に病理

ームの中で現実の状況を捉える必要があり

性の課題という優先順位で捉えました。そ

ます。現実は極めて多くの変数を含んでい

して、アッコ自身は今までのドロドロした

るからです。その変数をフレームによって

人間関係をリセットしてもらうため、今の

制限してやらないと、数値化できないわけ

学校を辞め、アウラの森と連携する通信制

です。だからある断面として捉えざるを得

高校に転校して高校卒業に必要な単位を取

なくなるわけです。すると現実の状況を正

得してもらうことにしました。お母さんに

確に捉えられなくなるリスクが高くなるの

は、ご自身の不安について新たにカウンセ

で、その断面図をできるだけたくさん取り 10


ながら、それを立体図にしていく。ちょう

ーマは「自立」や。アッコは自立する

ど CT の画像処理のように。ところがそこ

ために学ぶんや。そのためには、アッ

にも問題が生じます。精神科医にそこまで

コ自身がやっぱりもっともっと強くな

の時間的余裕がないことです。多くのクリ

らなあかん。要するに、依存して生き

ニックは、患者さんであふれているのです。

るんじゃなくて、自分の足でちゃんと

だからどうしても単層的なフレームで診断

立てるようにならなあかん」

を下すことになってしまい、生活場面にお

「うん」

けるダイナミズムが見落とされてしまうの

「そのためには、今の人間関係が重す

かもしれません。

ぎるので、それを一旦整理してリセッ トしないといけない。だから、アッコ

アッコの件については、たまたまこの精

が言っていたように学校を辞めてアウ

神科医と保健所につながりがあったことも

ラに来て毎日ちゃんと学ぶことにする。

あり、私たちの見立てと方針をうまく伝え

それと地味なアルバイトを始めてもら

てもらうことができました。こうして、不

うことにする。スーパーなんかいいか

登校となっていたアッコは学校をやめ、新

もしれない。とにかく毎日決まった時

しくアウラの森で学び始めるという生活が

間に寝て、決まった時間に起きて行動

スタートしたのです。アッコの生活は再び

する習慣とコツコツと生きていくよう

新しいステージを迎えることになっていっ

なことを手に入れなかったらいけない

たのです。

と思うんや」 そんなやり取りを経て、アッコはアウラ の森で学びはじめるようになっていったの です。それは、エクステがつけられた金髪 の髪と長いつけまつげの派手な女の子から のスタートでしたが、そんな子が感じのい い高校生へと変身するのに、そんなに長い 時間はかかりませんでした。 アッコは毎日 10 時半にアウラの森にや ってきて 4 時まで学びます。そしてその後

3. 相互変容

自転車でスーパーへと向かい、そこで制服 に着替えて、8 時の閉店までレジで働きま

「アッコのお兄ちゃんやお姉ちゃんが

した。来る日も来る日も、そんな生活が彼

そうだったように、アッコ自身も高校

女を支えたのです。彼女は、どこかの段階

卒業したら自立したいって言っていた。

で自分自身が変わり始めていることに気が

だから、これからのアッコの人生のテ

ついていきました。そしてさらにそれが、 11


彼女にとってのかけがえのない自信へとつ ながっていき、そこを足掛かりとして、さ らに前へと進んでいったのです。

アッコは自分自身の状態を棘にたとえ、 その棘が環境との相関関係によって変化し ていくことを表現しています。そしてその

当時の彼女は、自分の変容の様子を私と

変化は、彼女の視界(パースペクティブ)

のやり取りの中で、次のように語っていま

に及び、同じ経験が違ったものとしてとら

した。

えられていくと主張するのです。それはJ. メジローの言う〈パースペクティブ変容〉3

「棘に例えたら分かりやすいねん。最

という概念を思い出させます。メジローは

初はけっこう攻撃的で棘があったんや

〈変容学習〉Transformative Learning と

んか。でもおばあちゃんち行ったりお

いう概念を作り出し、学習者の変容をその

母さんと仲直りしたりしたことで、棘

学習対象に限定した〈スキーマ変容〉と学

のとがってるところがポキッて折れて

習者自身の生き方にまで広く影響を及ぼし

ん。それでアウラに来たら、イクちゃ

うる〈パースペクティブ変容〉に分類した

んとかモエちゃんとかヨシエちゃんと

のです。

かいっぱいいたやんか。うち高校生活 が悲惨で、楽しい高校生活っていうの

「よく分かる。高校のときに家庭科の

が全くなかったから、それをアウラで

先生の事件があったやんか。それから

やり直せた。それで、棘がやすりで削

ドラッグストアーに行ってリストカッ

れていく感じがしててん。で、スーパ

トをするっていう事件もあった。私の

ーでバイトして、そこがまたいい環境

記憶の中ではそれくらいから、このド

やったんやんか。そこで頑張れて、ま

ラマがスタートするわけ。でも結局、

たどんどん棘が削れていってるわけや

思うんや。高校のときのアッコの友達

ねん」

関係もややこしかった。でもそれと同

「なるほど」

じくらいアッコの中にある依存性って

「うち、自分自身も考え方がほんまに

言うのか…、依存性って裏返したら弱

変わってんねん。レジも最初はいやや

さなんや。自分で立てないから依存す

ってんか。でも今レジがほんまにやり

るわけで、あるいは人にどう思われて

がいがあって、就職する勢いで頑張っ

いるかっていうことばかりを気にして

てるんやんか。アルバイトの立場でや

しまう弱さ。そういう弱さがあるから、

らんでいいことも“したい”って思う

逆に言ったら家が複雑だったり、傷つ

ようになるねん。だからしてるねん。

いた友達ばかりを呼び寄せるわけ。そ

ほんまに働くことが好きになったし、

れは要するに、アッコの弱さとセット

通信のレポートも最初はいいかげんや

になってるんや。だからどうしないと

ったけど、あれやってたら楽しいって いうか…」

3 Mezirow, J. 1991 Transformative Dimensions of

Adult Learning.

Jossey Bass Inc., Publishers

12


いけないかというと…」

な友達が出てきたりとか、そんな風に

「そのセットを切り離さなあかんかっ

なってきている。そういう風に、ここ

たんやろ?」

アウラの中では、けっこうイニシアテ

「そうや。そうしないと、いくらでも

ィブをとることができ始めている。こ

厄介なのが来るわけよ。何故かってい

ういう人間関係の持ち方みたいなのも、

うと、アッコ自身が変わってないから」

アッコ自身が変わってきたことによっ

「うん」

て生まれてきたんだと思う」

「結局私がしたかったことは、これを 一旦リセットしてアッコを強くするこ

ここで私は、アッコの今までの歩みを振

とだったのかもしれないな。アッコが

り返ります。それは、今の彼女が自分自身

自分の足で立って生きていくというこ

に対してある一定以上の自信を持ち始めた

と。だからそれは、自分の将来に向か

からこそできる作業です。この作業を通じ

って地味なことをやっていくというこ

て、彼女は一層新しい自分に意識を向けら

ととつながってくる。アルバイトをす

れることになります。そしてさらに、彼女

ることでも、レポートだってそう…。

の変容は、アウラの森全体に対しても意味

多分アッコは、前の高校生のときより

を持ちます。彼女のことを目標にする子ど

ずっと勉強してると思う、今は。そう

もたちが現れるのです。それは憧れに似た

いう地味なことをやる。そうすること

ような感じなのかもしれません。アッコ自

で、アッコ自身が少しずつ一人で立て

身が一つのモデルとして、アウラの森全体

るようになってくる。そうすると、ま

に意味を構成していき、その意味を構成し

わりの人間関係も変わってくる」

ていくという過程の中で、彼女自身も集団

「うん」

に対しての自分の存在の意味を認識してい

「だって、ここで例えばイクちゃんが

くのです。つまり、この過程は個別のカウ

変わったの、アッコの影響がけっこう

ンセリング場面ではあまり補いきれない、

大きい。何故かっていうと、彼女、も

〈個人―社会〉という関係性の中で人が変

ともとアッコのような生活パターンや

容していくという経験であり、その経験を

ったやろ。だから、アッコが一つのモ

通した学びに他ならないように思うのです。

デルになったわけや。 “アッコみたいに 自分も生きていったら道が切り開かれ

「アウラに来て自分自身が変わってか

るかもわからんな”っていう…。今ま

ら、人付き合いがよくなった。アウラ

では、そんな人間関係の作り方ではな

の子たちとの関係もめちゃくちゃ大好

かったやろ。だってアッコは、いつも

きや」

依存する側やったから…」

「そうなんや。ここで作ったこういう

「うん」

人間関係っていうのが、一つのモデル

「でも今は違う。アッコ自身が立ち始

になって、またアッコがいろんな世界

めたことで、 “アッコを目標に”みたい

で人間関係を作っていく時のベースに 13


なっていくのかもしれない。人間って そういうものやと思うね」 「そうそう」 「だから前の学校の一番最初の人間関 係がベースになりながら…」 「そうやったら、もうひどいことにな っていたと思う」 「そう。その人間関係はすごく危うい から、崩れるわけや。崩れる時にまた お互い傷つけあうとかそういうことが 起こって。そうなったらアッコは孤立

4. 巣立ち

するから寂しいし、今度は自傷行為に 依存するわけや」

教育の世界では、必ずそこには子どもた

「うん。それから男の子…。でも私ほ

ちとの「出会い」があり「別れ」がありま

んとに、人間関係の付き合い方が変わ

す。私たちは、限られた時間軸の中で彼ら

ったと思う。バイト先の先輩ともめっ

に出会って互いに影響を及ぼし合っていく

ちゃ仲いいけど、なんか人間同士の爽

わけです。

やかな付き合い方ができる。楽しくて …。それって自分が変わって、完全に

そんな中、私たちは、たまたまやってき

はまだ自立できてないけど、そのため

た一人の不登校の子どもとの出会いによっ

のベースはできてきてると思えるねん。

て、不登校やひきこもりの子どもたちある

ほんとに変わった。付き合っていく友

いはその家族、学校や教育委員会、その他

達も厳選されていくし…」

のさまざまな関係機関とのつながりを持つ ことができました。今となっては、この 8

こんな風にアッコは不登校になり、学校

年間の時間の流れの中で培われていったこ

を辞めてから、約半年間で自分自身の新し

のつながりが大きな財産となっているよう

い生活を作り、新しい人間関係の在り方を

に思います。

作り、そして自分自身の変容を自分自身の コトバで語りだすことができるようになり

私たちが不登校やひきこもりの子どもた

ました。この彼女の語る物語は、やがてア

ちを対象にすることを始めるにあたって、

ウラの仲間たちのも伝わり、スタッフにも

アウラの森を「居場所」にしようとは決し

伝わり、そして家族にも伝わることで、そ

て思いませんでした。ここが居場所という

の周りの人たちの変容を促しているように

ターミナル(終着点)になってはいけない

思います。まさにそれは、アッコの葛藤が

と強く思ったからです。私は、教育という

ドラマとなり、物語となっていく瞬間です。

枠組みの中で、 「学び」という活動領域を通 して彼らに出会っていきたいと思ったので 14


す。そのためには、この流れの中にターミ

「そこがめっちゃ環境がよかったから

ナルとしての居場所を作ってはいけないと

いろんなことを学べているねん」

いうこと。居場所ではなくて、そこにかか

「よかったよね」

わる人たちやその関係性が絶えず循環しな

「よかったよ。アルバイトはしんどい

がら更新されていくそんな「場」を作らな

いけど、職場がいやなわけではないね

いといけないという思いがあったのです。

ん」

そしてそんな私たちの思いは、やがて少し

「だから「場」がアッコを育てた部分

ずつ子どもたちにも伝わっていったのかも

もあるし、アッコ自身がそういう場を

しれません。私は再び、アッコとの対話を

作ってきた部分もあるのかもしれんな

試みました。この対話の中から「場」とい

あ…。アッコにとってアウラっていう

うものが持つ大きな意味が見えてくるよう

のはどういう場なの? そういう変化

に思います。

の中におけるアウラっていうのはどう いう場やったわけ?」

「私が一番最初のリストカットの事件

「うーん、アウラは学校とかよりリア

が起こった辺りから一つ考えていたの

ルな世界」

は、いろんなことが絡み合っていてや

「リアルってどういうこと?」

やこしかったから、それを一旦整理し

「学校は、なんて言ったらいいんやろ

ないといけないと思ったこと。だから

う。先生たちも生徒たちも悪いことが

アッコをここに預かるっていうのも一

あるっていうのは知ってるんやけど、

つはそういう意図の中のことやった。

それは言わんと…」

要するに、家のこともすごくいろいろ

「悪いことってどういうこと?」

絡み合っていた。だって男友達の関係

「どう言ったらいいんやろう…裏側?

にもお母さんがいつも介入していたか

先生達も悪いことしてるやんか。でも

らな。それもややこしかった。だから

それを表向きだけで生きてる。社会に

そこも整理したかったんや」

向けてだけ生きてるっていうか…」

「そこは整理されたで、もう」

「授業中に学校を飛び出したのもそん

「一旦ごちゃごちゃになっているもの

なことやったな。アッコはある程度裏

をリセットするために肝心なことは何

を見てしまってる部分があった、きっ

かというと、強くなるっていうこと。

と…」

以前は絡まりすぎていて強くなれるよ

「うーん。なんか会社みたいな感じ?」

うな環境ではなかったかもしれない。

「ああ、なるほど。本音と建前みたい

もう振り回されるだけで、それで結局

な」

自分で傷ついて…。それではだめだろ

「そう。それがすっごくはっきりして

うと思ったんで、とりあえずそこを紐

いたから勉強する場でもなかったし、

解いて、それでスーパーのアルバイト

友達と仲良くする場でもなかったし、

も奨めた…」

何を学ぶ場所でもなかった感じがする 15


ねん。ただ世間体のために学校行って

も頑張れるみたいな。 “あれ、なんで朝

るっていうだけやってん。学校行って

しんどかったんやっけ?なんで昨日病

るっていうことを履歴書に書きたいた

んでたんやったっけ?”みたいな。 “あ

めに行ってるみたいな感じやねん。で

ほらしいわ、頑張ったらいい話やん”

も、アウラは履歴書に書くことはない

って思えるようになった。アウラに来

けど裏表がないやん。というか、裏が

始めてまだ今までの悪いことが抜け切

表やん、うちにとったら…」

れてなかったときに、そういうことを

「なるほど、もう一つの学校が、アッ

めっちゃ思ってた。イクゃんとかモエ

コの本当の学校…」

ちゃんとかヨシエちゃんとか会うとめ

「だから、こっちに来てた方が生きて

っちゃ嬉しいねんうち。ほんまに嬉し

る感じがある。頑張っている感じがあ

いねん。テンションめっちゃ上がって

る。ちゃんと人間として生活してる感

しまうねん」

じがある」

「よかったなあ」

「なるほど」

「モエちゃんが、卒業のときにメール

「ここの人間関係もすごいうちは好き

くれてんか。 “辛いことがあってもアッ

やからなあ。で、小牧先生も、卒業式

コちゃんはアウラには笑って来てくれ

のときに“女子から嫌われてる”みた

る”みたいな。そうやって、うちの心

いなことをちゃんと言わはるやん。そ

までもわかってくれる友達がいるって

れを言わずにいる高校の関係がいやや

いうこと…」

ねん。言ってくれたらこっちもちゃん

「うんうん」

と“知ってたんや”って思うから今は。

「そのときにくれたメールが、年下な

こっちの方がなんていうか…」

んやけど、見透かされてて、うちのこ

「リアリティがある?」

とわかってくれてたみたいな感じがし

「現実味がある感じがする」

てん。だからなあ…、とってもとって

「そうやなあ」

も嬉しいわ」

「前みたいに今は依存するとか、落ち

「ここでの人間関係っていうのは、そ

たら落ちっぱなしとかいうことはない

ういう風に本当にわかってくれる、そ

けど、たまにしんどいと思うときがあ

ういう意味ではリアルなんやな。でも

るやん。そんな時は“アウラ行きたく

学校とかいくら仲良くたってそうじゃ

ないわ”って思うけど、アウラ行った

なかったんや?」

ら、みんな賑やかやった。それで、行

「けっこう表面的な部分があった。気

ったらもうめっちゃ嬉しくなってしま

が合わないやつとは、仲良くしたくな

うねん。元気になってしまうねん。嬉

いけど仲良くしないと友達いないみた

しくてしようがないねん。だから、 “外

いに思われる、みたいな…」

出るのいややわ”って思ってもアウラ

「ああ、わかる気がする」

来たら嬉しくなってしまうからバイト

「自分が仲間はずれにされている人間 16


とは思われたくないから、仲良くして

ていくのです。

いるようにその場にいる、みたいな。 ほんまにしんどいで、あの生活は…」 「だからそういう意味では、ここは認 められる場なわけや」 「うん、うちの弱さもちゃんと分かっ てくれる安心できる場なのかもしれん …」 アッコはアウラの森のことを、 「リアルな 世界」と表現します。これは、最初学校と の対比の中で語られるのですが、単に学校 というフレームの中に限定されるのではな

5. 不登校というメッセージ

く、社会全体との対比の中で語られていっ たのかもしれません。結局、アッコは学校、

アッコの事例が私たちに投げかけたもの、

家族、友達…というさまざまな集団におい

それは一体何だったのでしょう?私には彼

て、そこに所属しながら、何かリアルなも

女が最後に語ろうとした「リアリティ」と

のを求めていたのかもしれません。しかし

いうコトバが脳裏から離れません。

残念なことにそのリアルなものを見つけら れなかったのでしょう。そして自分自身も、

今回の一連の彼女の行動は、学校を衝動

どこかで繕わざるを得なくなり、それが大

的に飛び出し、ドラッグストアーのトイレ

きなストレスになっていったのかもしれま

で手首を切ったということから始まりまし

せん。だから、彼女にとってアウラの森は、

た。そこからどんどん彼女の物語が展開す

初めて出会ったリアルな世界だったのかも

るわけですが、その展開を通して見えてき

しれません。そこには本音の世界が広がっ

たもの、それは学校の抱える矛盾であった

ていたのかもしれません。

り、依存的な友達関係であったり、家族そ のものの脆弱さであったり、彼女自身のも

アウラの森は、一つの場にすぎません。

ろさであったりしました。しかし、アッコ

たまたまそこで私たちは彼女たちに、ある

は学校を辞めることでその展開に終止符を

期間だけ出会っていくのです。ただ、場に

打ち、仕切り直しの意味を込めてアウラの

は力が宿ります。そこに集う人たちの思い

森で再出発をします。そして、これまでの

が、ある安心感を提供してくれます。それ

自分自身を俯瞰的に振り返り、彼女が本当

が場に埋め込まれた意味なのかもしれませ

に求めようとしていたリアルな世界を自ら

ん。彼らは、ここで自分たちの傷ついた心

が作り出したのかもしれません。

を癒し、それを誰かと共有しながら、やが て自信を手に入れここアウラの森を巣立っ

リアルな世界とは、彼女自身が主人公で 17


ある世界です。彼女自身がその場に影響を 与え、その場に対して責任を負う世界、つ まり彼女自身が当事者となって成立する世 界のことです。そこでは、彼女の行動がす なわち自分に返ってくる世界が繰り広げら れていくのです。言い換えれば「リアリテ ィ」とは、依存から主体へと世界が移り変 わるその地平にこそ存在する感覚なのかも しれません。 不登校という一つの現象。それを子ども 自身の問題として捉えることは、その前提 に私たちの社会が「正しい」という考え方 があるように思います。 「自分たちは正しく て、相手が間違っている」という考え方に 立つ限り、不登校という現象はさまざまな 形態をとって再現され続けるのだと思いま す。大事なことは、不登校という現象がい ったい何を私たちに主張しようとしている のか。そのメッセージを正確に読み取って いくことのように思えるのです。

18


第2章

学びの森

私がアウラの森を始めたのは、2000 年の ことでした。当初、ここは私塾として機能

アウラの森の教育は、 「自律的な学び」と

していて、放課後に小学生から高校生まで

いうことを主軸に据えていきます。いかに

が通っていました。私がこの学びの場に

教えるかではなく、いかに学ぶかというこ

「森」というコトバをつけたのは、森に対

とです。学習者主体のモデル。そこでは教

するあるこだわりがあったからです。

師自らも学習者でなくてはなりません。学 びということを通して、その場に関わる人

森は、生きています。そこでは、日々同

たちが繋がっていくといった有機的な組織

じことが繰り返されるのではなく、いつも

を森の姿に重ねようと考えたのです。そし

新しいことが起こり、何かが更新され続け

てやがてこの教育モデルは、90 年代以降の

ています。それはとどまることのない循環

新しい能力観や教育観に裏付けられていく

であり生態なのです。私はそんな森の姿を

ことになります。近代教育のモデルからポ

学びの現場に重ねてみようと思いました。

スト近代の教育モデルへとどうすれば移行

それは決まりきった答えに収束していくよ

できるのかという問いが、私自身の中にあ

うな学びではなく、新しい問いが生まれる

ったからです。

ような学びであり、答えがどんどん更新さ れていくような学びの世界なのです。もち

私はアウラの森を、私たちの生活世界の

ろん子どもたちは、ここで学校の教科を学

すぐそばに置くことを前提としました。決

びます。それは数学だったり、英語だった

して人里離れた山奥にあるコミューンでは

り、国語だったりします。でも彼らは、そ

なく、私たちの暮らしの横に隣接してあり、

れらの教科をただ普通に学んでいるわけで

その扉をあければ誰でも違和感なく入って

はありません。それらを自律的に学ぶこと

いけるそんな学び場をめざしたのです。最

によって自分と向き合い自分自身を変容さ

終的にアウラの森は、京都のベッドタウン

せていくのです。そしてそんな彼らの変容

である亀岡市の新興住宅地の真ん中に作ら

が、この森という環境の中で繰り広げられ

れることになりました。それは私にとって

ていくわけです。

は、ひとつの実験でもありました。新しい 19


学びのかたち、スタイル、考え方がはたし てこの地域に受け入れられていくのだろう か?

1. 新しい能力

子どもたちや親たちは、それをどの

ように理解し、変容していくのだろうか?

90 年代の社会の渦の中で

だからこのアウラの森は、ワークショップ としてのプロジェクトでもあったわけです。

90 年代、それは私たちの生活が大きな渦 に巻き込まれた時代でもありました。その

ただ、私たちはあくまでも民間組織です

前半はバブル期。まさに怖いもの知らずの

のでマネージメントとして成立させること

日本経済を謳歌できた時代でもありました。

が必須条件となるわけです。だから地域の

そしてその象徴が時代の寵児と呼ばれたI

マーケットの中に受け入れられないと話に

T関連の企業家たちでした。彼らの生活は、

なりません。単なる大学の社会的な実験で

マスコミを通じて派手に紹介され、多くの

はないのです。アウラの森自体が、生産的

若者たちはそんな彼らに羨望のまなざしを

な経済活動をおこない、私たちスタッフの

向けていました。しかしやがてバブルが弾

生活の基盤とならなくてはならないからで

けることになり、それまでの経済成長を前

す。幸いアウラの森は、少しずつ地域に根

提とした私たちの価値観がその方向性を見

差し、それなりの成長を遂げることができ

失い始める時がきたのです。

ました。そして今日、その開校から 13 年が たち、その間に森はどんどん育っていきま

もともと日本の教育の近代化は、富国強

した。様々な新しい出会いに影響されなが

兵政策の一環として位置づけられていまし

らも、その一方で揺るがない一貫した自律

た。ある一定以上の質を持った労働者が、

に向かう学びの文脈を育ててきたのです。

日本の将来には必要不可欠だったのです。 そして身分制度を廃止し、 「貧しい家の出身

この章の中では、そんなアウラの森の基

であっても教育を受けることによって立派

本の構造を、その誕生の背景から振り返り

な人物になれる」ということを美談として

ながら説明してみたいと思います。

語り継ぎ、国民の上昇志向を育ててきたの です。だから経済の成長が停滞する、もし くは低減するということは、その根底が覆 されてしまうことになるのです。つまり努 力して学んでも、生活の豊かさが保障され ないという状況を引き受けなければならな くなってしまったのです。 日本の近代教育というシステムは、経済 のプラス成長ということを前提にしてデザ インされてきました。途中、戦争というイ 20


レギュラーな事態はあったものの、そこか

の喪失感、そこから派生するニヒリズムや

ら復興できるということが暗黙に了解され

価値の多様化などがありました。それはま

ていたのかもしれません。しかしバブル崩

さに社会全体が大きなモラトリアムの渦の

壊後は、その前提そのものが崩れ去ってい

中に巻き込まれていくといった状況があり

ったのです。

ました。

大学を卒業しても就職に苦戦しなければ

社会学者の宮台真司はこのようなモラト

ならない。一旦就職しても、そこで安定し

リアムな現代社会ことを〈二重の再帰性が

た生活が送れるかどうかの保証もない。そ

交差する社会〉と呼んでいます。4二重の再

ればかりか、消費化の渦に巻き込まれた子

帰性というのは、個人のシステムと社会の

どもたちは、与えられることに慣れ過ぎて

システムの再帰性のことです。消費化と情

しまい、自分から何かを切り拓いていくよ

報化が十分に浸透したポスト近代の社会に

うな生活に適応しにくくなってしまいまし

おいては、個人が絶えず自分というアイデ

た。だから彼らの就職状況の困難さは、社

ンティティ(システム)を更新する必要性

会そのものの抱える状況と学生たちの抱え

があり、社会もまたそんな多様な個人を管

る状況との重なりの中で生じていったと考

理するための多様なシステムが求められる

えることができるのです。

ようになっていったと言うのです。そして 社会のシステムの多様化は、ますます個人

大学を卒業してもその一方で就職に苦労

にとって社会をつかみどころのないものと

してしまうという状況は「勉強なんか、ど

し、さらに社会そのものの不透明感が個人

うせやっても無駄」というニヒリズムに容

のアイデンティティの確立を阻害していく

易に結びついてしまいます。それまでの「苦

という再帰的なループがそこに生じていく

労を重ねれば、いずれは幸せが訪れる」と

というわけです。だから 90 年代前半は、再

いった公式が機能しなくなったことで、子

帰的なシステムが複雑に機能しながら、社

どもたちの価値観そのものが迷走し始めた

会全体がモラトリアムな渦の中へと落ちて

のかもしれません。そしてそんな状況の下

いくようなイメージだったのです。

で、彼らは「ダルイ」 、「ウザイ」、「メンド しかし、その後の 90 年代後半に私たちは

クサイ」を連発するようになっていったの です。

かつてない大きな災害を経験します。95 年 の阪神淡路大震災です。まさに社会全体が

このようにバブル経済の崩壊は、成長を

大きなモラトリアムな渦の中にあったその

続けることを前提とした近代社会の基盤を

時に、この震災はおこったのです。震災は、

決定的に揺るがすことになりました。そし

私たち一人ひとりが何らかの形で自分自身

てその背景には、高度な消費化と高度な情

の生活やこれからの生き方を振り返って考

報化の進行による個人の脆弱性、さらには 成長路線が危ぶまれたことによる社会価値

4 宮台真司 2007 『サブカルチャー神話解体』ちくま文

21


えるきっかけを与えてくれました。 「たとえ

して機能していました。それらは共に近代

モラトリアムな価値観の渦の中にあっても、

型のシステムとして機能していたので、ど

そこから本来の自分たちの歩む道を見出し

こかに理想のモデルへと向かう「正解」が

ていかなければならないんだ」という意識

設定されていて、その正解にどの程度近づ

を呼び戻してくれたのかもしれません。そ

けられるかということで評価のシステムが

してやがて私たちは一方でまだまだ大きな

作られていたわけです。だから学校という

不安を抱えながらも、また一方では微かな

システムの中で優秀と評価されたものは、

希望を抱いて新しい 21 世紀を迎えること

比較的容易に社会というシステムの中でも

になったのです。

優秀だとされる地位を手に入れられたわけ です。そしてこの二つのシステムの整合性

21 世紀を前にして起こった阪神大震災、 それは、まさに近代からポスト近代へとい

こそが、学歴神話を支えてきたと考えられ るのです。

う社会全体のパラダイムがシフトしていく その狭間に生じた出来事であり、この出来

ところが、90 年代以降の高度消費化、高

事を通して「私たちは、これからどこへ向

度情報化、知識経済、そしてグローバリゼ

かえばいいのか?」そんな問題提起をそれ

ーションの流れは、近代型の社会そのもの

ぞれが突きつけられる結果となりました。

をポスト近代型の社会へと大きく移行させ

そしてそれは同時に、新しい学びのモデル

ていきました。ポスト近代型の社会とは、

の模索の始まりでもありました。

さまざまな活動を支えるシステムそのもの

「私たちはどこへ向かえばいいのか?」

が更新されていく社会で、ある定型化され

その問いの答えを私は、私なりに見出そう

たシステムに基づいて機能する近代社会と

と動き始めたのです。

は区別されます。つまり今の理想モデルが 今後も理想モデルでありつづける保証がな くなってしまうのです。だから常に、何が 理想なのか、何が正解なのかを模索しなく てはならなくなります。 たとえば、日本の家電メーカーを例にと ってみると、それぞれの企業が競い合って 液晶パネルのための工場を建て増産体制に 入ったのが、2000 年代初頭。その投資額は 数千億単位と言われていました。もちろん

新しい能力

当初は順調に売り上げを伸ばしてきたので すが、その後、3~4 年で急速に液晶単価が

バブルが崩壊する 90 年代以前は、学校シ

下がり始め、生産しても利益を取れない状

ステムと社会システムが同質のシステムと

況に陥ってしまったのです。そしてとうと 22


う生産すれば生産するほど赤字が膨らみ、

ーでは、社会の多様性や異質性を前提にし

最終的には減産もしくは工場閉鎖に追い込

て、相互交流の力や自律性という視点から、

まれていくような状況がおとずれました。

学習者自ら目的をもって学ぶ力が強調され

大きな投資を行い、テレビをはじめとした

るようになっていったのです。それは、言

液晶の量産体制へと経営の舵を切る前にな

い換えれば、学習者がコトバやコンピュー

ぜ、このような状況を想定できなかったの

タなどのツールを介して、その対象世界と

でしょうか? その理由は明確です。誰も

自由に対話し、異質な他者と関わりを持ち、

が、こんな短期間に世界のマーケットが供

やがて自分をより大きい時空間の中におき

給過剰状態に陥るとは思わなかったからで

ながら人生の物語を編んでいく能力だとい

す。予想のできない速さで、予想のできな

えるのかもしれません。

い状況がおとずれ、今までの「正解」を更 新していったのです。

さらに、キーコンピテンシーに似た能力 観として、同じく OECD がまとめた PISA

そしてこのような社会状況のめまぐるし

で用いられている〈リテラシー〉Literacy

い変化は、必然的に世界中の労働者の能力

があります。リテラシーは、キーコンピテ

に新しい価値を求める動きへとつながって

ンシーの中の「ツールを相互作用的に用い

いきました。アメリカの経営領域では、こ

る能力」をより焦点化させ、それをテスト

の能力は〈コンピテンシー〉Competency

によって数値化しようとするもので、読解

と呼ばれ、高い業績を示す社員の行動特性

リテラシー、数学リテラシー、そして科学

からある能力概念を抽出したものとしてま

リテラシーの 3 領域に分けられています。

とめられました。コンピテンシーには、戦

ただ、これらのリテラシーは、本来どれも

略性、創造性、関係構築性、コミュニケー

キーコンピテンシー全体と相互関連してい

ション力、人材育成能力、実行力や誠実さ、

るのですが、PISA がその知名度を上げるに

成熟性などが含まれており、それらは、従

つれて、日本やその他の国々においては、

来の学校で求められていた能力よりもはる

それを〈PISA 型学力〉として、キーコンピ

かに広い能力概念を含むものでした。

テンシーから切り離した形で学校に浸透さ せようとする傾向がうかがえます。これで

また OECD(経済協力開発機構)の

は本来相互作用の中で育成されるべきコン

DeSeCo プロジェクト(コンピテンシーの

ピテンシーを、近代型の学力観として捉え

定義と選択に関するプロジェクト)では、

ることになり、結果として期待されている

「人生の成功と正常に機能する社会の実現

新しい能力、コンピテンシーへの到達が難

を、高いレベルで達成する個人の特性」と

しいものとなってしまいます。

して〈キーコンピテンシー〉 Key

Competencies をまとめました。これまでの

その他、学校と社会のギャップの中で生

コンピテンシー概念からさらに教育的な要

まれた新しい能力概念としては、文科省の

素をキーとして抽出したキーコンピテンシ

〈生きる力〉、経産省の〈社会人基礎力〉 、 23


厚労省の〈就職基礎能力〉などがあります。

そこでこのパラドックスをどういった形

これらは、そのどれもがポスト近代型の能

でひも解いていくのか、その理論をどう組

力を求めていると考えられます。

み合わせ、具体的な実践としてどう形作る のかという思いが、アウラの森を立ち上げ

そしてさらに、学校の求める能力観と社

る前の段階にはありました。そして私自身

会の求める能力観を橋渡しするプログラム

がたどり着いた一つの仮説は、学びの場そ

として、文科省は〈キャリア教育〉を提唱

のものを相互変容的なコミュニティとして

しました。このキャリア教育の提唱は、学

作り直すということでした。子どもたちは、

校と社会の能力観の違いを前提として生ま

そこで自律的な学びを獲得し、自分とは異

れたものです。しかしこのキャリア教育を

なる他者と出会い、そして自己変容を遂げ

画一化されたプログラムとして描こうとす

自らの物語を描いていく。まさに DeSeCo

るならば、先の PISA 型学力同様に、これ

の提唱するキーコンピテンシーを満たす活

もまたポスト近代型の新しい能力へ到達す

動をおこなうことで、現代社会の変容の渦

ることが大変困難になってしまうように思

とのギャップをより小さくしていこうとす

います。定型的なプログラムでは、変容的

る試みなのです。では、これから学びの森

なゴールをめざすことができないように思

を支えているいくつかの基本フレームにつ

います。これは、G.ベイトソンの〈論理階

いて触れてみたいと思います。

型の学習理論〉5で示されているように、そ こに変容へと向かう階層の飛躍が生じない

自律的で能動的な学習者

からです。ここには大きなパラドックスが あったのです。

アウラの森では、自律的に学ぶことが前 提となります。それは教師の指示に従って 学ぶ学習ではなく、自分の意志に従って学 ぶ能動的な学習です。ところが子どもたち の多くは、ほとんど自律的に学んだ経験が ありません。何をどう学べばいいのか、そ の術がわからないばかりか、自分自身で学 ぶことへの自信もあまりありません。そん な受動的な学習者を能動的な学習者へと変 容させていくことが、すなわちアウラの森 の第一義的な役割と考えました。だからア ウラの森の教師たちは、従来の学校の教師

2. 学びの森の基本フレーム

たちとは、その役割が必然的に違ってくる のです。

5 Bateson, G. 1972 Steps to an Ecology of Mind. (G.

ベイトソン 佐藤良明(訳) 2000 『精神の生態学』新思 索社)

アウラの森の教師たちに要求される最大 24


の資質は、観察者としての能力です。教師

アウラの森では、学校とは違った環境を想

は、学習者である生徒一人ひとりの理解の

定する必要がありました。

状況、行動の状況、心の状況、友達関係、 家族関係等、可能な限りの情報を手に入れ

「環境とは何か」、「学びと環境との関係

る努力をしなければなりません。そしてそ

とは」、「環境の中で構成される磁場とは何

の生徒を取り巻く全体像を一旦理解した上

か」、様々な問いを立てながら、私たちはア

で、彼らの学びをサポートしていくのです。

ウラの森の環境作りに取り掛かり始めたの

具体的には、学習計画を立てたり、その目

です。

的を明確にしたり、理解の程度を確認した り、寄り添いながらその学びを応援してい

環境とは何か

くのですが、それは単に学習内容の理解と いうことを超え、その学びを通して学習者

学校の教室は、あらかじめ用意された情

自身の成長を促していくことになるのです。

報を多くの学習者に効率よく伝達すること

つまりアウラの森では、 「学び」と「育ち」

を目的に構成された環境です。そこには、

が同じ次元の活動として位置づけられてい

唯一の正解を、無知であることを前提にし

るのです。

た学習者に伝えるといった近代教育のモデ ルが想定されています。だから教室に入っ

学習者の数だけカリキュラムがある

た生徒たちは、教師からの指示を待って行 動するわけです。そこには受動的な学びの

学校では様々な状況の生徒であっても学

形がその環境に意味として埋め込まれてい

校の用意した一つのカリキュラムを学習し

るわけです。そしてこの意味のことを、J.

なければいけないわけですが、アウラの森

ギブソンは〈アフォーダンス〉Affordance

では、一人ひとりの状況に合わせてカリキ

6と呼びました。

ュラムを立てていくので生徒の数だけカリ キュラムがあります。ただそんな生徒が、

アフォーダンスは、環境を媒介としてそ

バラバラに学んでいくのではなく、開放さ

こに埋め込まれた意味を個人に伝えます。

れた場で共同的に学んでいきます。つまり、

それは主に身体を介して、あるいは感覚を

アウラの森では、みんなが同じことを同じ

通して個人にその意味を伝えるわけです。

ように学ぶといった均質的な学びではなく、

だから学校の持つ従順で受身な生徒を期待

それぞれがそれぞれのカリキュラムに基づ

するアフォーダンスは、自律的な学びの実

いた学びを展開する多層的な学びの構造を

現を目指そうとするアウラの森のコンセプ

持たせるように考えられています。

トには適さないというわけです。だから私 たちは自律的な学びに適した環境を、一か

そんな自律的で多層的な学びの展開は、 学校のような機能的にデザインされた学習

ら作り出さないといけないということにな ったわけです。

空間ではなかなか実現できません。そこで、 6 佐々木正人 1994 『新しい認知の理論』岩波書店

25


渉を大変重視したのです。 アウラの森は、 「学習者のための森」です。 そこにはたくさんの緑の植物が並べられ、

ギブソンの〈アフォーダンス〉 、ユクスキ

大きな窓からは陽の光が差し込みます。大

ュルの〈環世界〉 、それらは共にアウラの森

胆にデザインされた吹き抜けの空間は開放

の環境を語る上ではなくてはならない概念

感を表現し、様々な形の机と長時間の学習

なのです。

にも疲れない快適な椅子が用意されていま す。教室には、ホワイトボードがありませ ん。先生の怒鳴り声もありません。流れて いるのは静かなクラシック。窓辺には、大 きな水槽に優雅な熱帯魚たちが泳いでいま す。学びの森は、そんな環境を備えた場で す。定員は、学校のクラスとほぼ同じ 30 名 あまり、それはあえて学校でも再現できる サイズを想定してあります。 アウラの森の環境は、モノだけで構成さ れているわけはありません。様々な学年の

3. 三つの理論を軸として

生徒たちが、それぞれのカリキュラムを静 かに集中して学んでいく姿は、新しい生徒

アウラの森の構想を組み立てることにお

たちに大変新鮮な感覚をもたらします。集

いて、私は三つの学習理論を活用しました。

中した空間の中では、時間さえもが早く過

それは、M.ノールズによる〈自律学習理論〉

ぎ去ってしまう感覚をたいていの生徒が経

8、J.レイブと

験するのです。

周辺参加理論〉9、そして J.ギブソンによる

E.ウェンガーによる〈正統的

〈アフォーダンス理論〉です。ここでは、 環境というものは、自分自身とそこの場 との関係であると言ってもいいと思います。

これら三つの理論について順に見ていくこ とにします。

ドイツの生物学者、J.ユクスキュルは、そ れぞれの動物が知覚し作用する世界の総体

自律学習理論

を、その動物にとっての環境であるとし、 それを〈環世界〉と名づけました。7そして 動物主体と環世界との意味を持った相互交

7 Uexkull J. / Kriszat G. 1934

Streifzuge durch die Umwelten von Tieren und Menschen. (J.ユクスキュル / G.クリサート 日高敏隆(訳) 2005 『生物から見た 世界』岩波文庫)

〈自律学習理論〉Self -Directed Learning 8 Knowles, M. 1975 Self-Directed Learning. (M.ノール

ズ 渡邊洋子(訳) 2005 『自己主導型学習ガイド』 明 石書店) 9 Lave, J. / Wenger, E. 1991 Situated Learning:

Legitimate Peripheral Participation. Cambridge University Press. (J.レイブ/E.ウェンガー 佐伯胖(訳) 1993 『状況に埋め込まれた学習:正統的周辺参加』産 業図書)

26


は、M.ノールズによって 1970 年代に提唱

ころも気になりました。しかし、学習者が

された学習理論です。ノールズはもともと

学習課題を自分の問題として捉えられるよ

成人教育の実践家であり、成人教育を子ど

うなること、一斉の授業形式ではなくそれ

ものための教育の延長上に捉えることに無

ぞれの学習者がそれぞれのペースで学び始

理を感じていました。そこで子どもための

めるようなスタイル「学習リテラシー」を

教育である〈ペダゴジー〉Pedagogy とは別

作りだせること、教師がインストラクター

に、大人が学習することを援助する技術と

という役割ではなく観察者となり支援者と

科学を新しい概念として〈アンドラゴジー〉

なっていくことが可能となること、これら

Andraogy と名付け、それを体系化していっ

の変化を私は自律学習理論に期待すると共

たのです。そしてこのアンドラゴジーの中

にこの理論をアウラの森の教育の柱の一つ

心課題におかれていることこそが、学習者

に据えることにしたのです。

自身がいかに自己主導的な学習者になれる かということであり、どのようにすればそ

正統的周辺参加論

れを援助できるかということでした。 多くの学校現場で採用されている習熟度 ノールズの自律学習理論においては、ま

別クラス、私はこれに対して批判的な立場

ず学習者は「学習契約」という手続きを踏

をとっています。教育学者の佐藤学も『習

むことによって自らの学習に対して主体的

熟度別指導の何が問題か』10を発表し、習

に関わる取り決めをおこないます。

熟度別指導が競争原理に基づいたものであ

そしてその学習プロセスとしては、

ること、そしてそれが必ずしも学力向上に

1. 雰囲気の創出

寄与しているという根拠がなくなっている

2. 参加的学習計画のための組織構造の確立

こと、さらにはそれに代わるものとして協

3. 学習ニーズ診断

同的な学びの必要性を主張しています。

4. 学習目標の方向性の設定 5. 学習活動計画の開発

佐藤はその著作の中で、競争よりも協力

6. 学習活動の実施

原理のほうがはるかに生産的であり有効性

7. 学習ニーズの再評価

が高いことを立証していくのですが、彼の

といったかなりシステマティックに順序だ

主張の根拠には、L.ヴィゴツキーの〈発達

てられた流れに従うことになります。

の最近接領域〉11の理論があり、共同的な 学びの場における学習者同士あるいは教師

以上がノールズの自律学習理論の概略で

と学習者との関係によって、一人で学んだ

すが、学びの森の構想おいては、それをそ

時以上の能力を有効に引き出しうると考え

のまま採用したわけではありません。学習

ていたわけです。ヴィゴツキーはこのよう

者が大人と子どもという違いもありますし、 ノールズの提案する学習プロセスがシステ

10 佐藤学 2004『習熟度別指導の何が問題か』岩波書店

マティックにパターン化され過ぎていると

11 柴田義松 2006 『ヴィゴツキー入門』子どもの未来社

27


な誰かとの関係によって引き出せうる能力

めいめいに違った教科を学び合う。しかも

と個人が一人で引き出しうる能力との差を

彼らは自律的に学ぶのです。そんな状況は、

発達の最近接領域と呼び、共同的なやり取

自ずと私に従来の教室とは違った学びの場

りの有用性を指摘したのです。

を想起させました。そうそれはまるで図書 館のような空間。学習者が主体となり、そ

この佐藤の指摘は非常に重要です。近代

れぞれの学びが層のように積み重なってい

からポスト近代へと社会が移行していく中

く空間なのです。そしてそんな私のイメー

で、個人はどうしてもその生活世界におい

ジを実現に向かわせるための理論、それが

て孤立する傾向にあります。様々なコミュ

J. レイブと & E. ウェンガーによって提

ニティにおける有機的関係が失われていく

唱された〈正統的周辺参加理論〉Legitimate

中で、個人の孤立は進行していくのです。

Peripheral Participation でした。それは、

そしてそこには、消費化と情報化によって、

徒弟的な関係性を根底に持つヨーロッパの

個人が他者と繋がらないままにモノと情報

伝統的な職人教育をヒントに構築された理

を手に入れられるようになったことがある

論で、従来の伝統的な教育理論に対して、

ということはすでに取り上げてきましたが、

学びの過程を共同体への参加の過程と位置

さらにはこのような個人の生活あるいは行

づけたものでした。

動様式の変化が、学習の機能化と交差する といった背景があるのです。

正統的周辺参加理論の重要なキーワード は、 〈実践共同体〉、 〈徒弟的構造〉そして〈参

唯一の正解にいかに効率よく到達するか

加〉です。そしてある特定の意図で構成さ

をどこまでも追求しようとした学習の機能

れた実践共同体には、多層的で有機的な人

化は、どうしても理解に向かう文脈を軽視

間同士の繋がりがあり、新参者たちは、次

します。学習の機能化は、情報の分断化に

第にこの繋がりの中に巻き込まれるような

つながり、知の解体を意味しています。大

形で参加し、ある特定の知識や技術を獲得

事なことは、学習者の生活を支える社会そ

していくというのがこの理論の基本のスキ

のものが、こういった傾向の中にあるとい

ームです。そして私はこの理論を学びの領

うことです。だからこそ、佐藤のいうよう

域に活用してその現実化を試みたのです。

にあえて共同的な学びが必要となってくる というわけです。

アウラの森の究極の意図は、誰もが到達 し得ない学びの本質体験にあります。この

アウラの森の立ち上げに先立ち、私は思

実践共同体に参加する生徒、教師、そして

い切ったイメージを描き始めていました。

塾長である私の誰もが、学びの本質をめざ

それは習熟度別クラスを不採用にするどこ

してここに集まっています。ところが、新

ろか、学年の枠組み、あるいは教科の枠組

参者である生徒たちの学びは極めて受動的

みまでも取り払おうとする大胆なイメージ

で機能的なものです。そんな彼らが、いか

でした。学年も能力も違う学習者たちが、

に学びの本質の存在を感じとり、そこに価 28


値を見出せるのか。そこが私たちの仕事な

してギブソンは、この環境の中に埋め込ま

のです。そのためには、彼らの中にいくら

れている情報がその中にいる人間に与えて

かの変容が生じなければなりません。機能

いる価値のことを〈アフォーダンス〉と呼

的な学習の世界から学びの本質を感じ取る

んだのです。このアフォーダンスというコ

世界への飛躍は、パースペクティブそのも

トバは、ギブソンによる造語であり、これ

のが変化しないと不可能なのです。だから、

はもともと英語のアフォード afford(~を

共同体の内部の有機的な人間関係、その共

与える)に由来しているものです。認知科

同的なつながりが成員たちの変容を促すこ

学の専門家でありギブソンの研究者でもあ

とになっていくのです。だから、そこには

る佐々木正人は、その著書『アフォーダン

異質なものが層のように混在している必要

ス-新しい認知の理論』12の中で次のよう

性があるのです。単層の中では変容が生じ

に書いています。

にくいからです。これが、私が学年も能力 も違う学習者たちが、それぞれに違った教

アフォーダンスは事物の物理的な性

科を学び合う状況をアウラの森にイメージ

質ではない。それは「動物にとっての

した理由なのです。

環境の性質」である。アフォーダンス は、知覚者の主観が構成するものでも

アフォーダンス理論

ない。それは環境の中に実在する、知 覚者にとって価値のある情報である。

〈 ア フ ォ ー ダ ン ス 理 論 〉 Affordance

(中略)アフォーダンスをピックアッ

Theory は、J.ギブソンによって提唱された

プすることは、ほとんど自覚なしに行

理論です。ギブソンが長年かかって確立し

われる。したがって、環境の中にある

た理論は、まとめて〈生態学的認識論〉と

ものが無限のアフォーダンスを内包し

呼ばれており、初期の認知科学理論である

ていることに普通は気づかない。しか

〈情報処理モデル〉と真っ向から対立する

し、環境は潜在的な可能性の「海」で

ものでした。情報処理モデルでは、人間は

あり、私たちはそこに価値を発見し続

環境から刺激を受け取り、その内部で意味

ける。

を持った情報が作られると考えられていま したが、生態学認識論では意味を持った情

佐々木は、ここで環境に埋め込まれてい

報は環境の中に備わっており、私たちの認

る情報は無限であると言い切ります。そし

知とは、その情報を探索することであると

てその情報を探索しそれにアクセスしよう

考えたのです。

とする私たちの知覚システムも生涯変化し 続けるものであり、その情報の数に対応す

ギブソンによると、私たちを取り囲む環

るように無限に分化できる可能性を持って

境には、すでに多くの情報が埋め込まれて

いると考えます。だから、知識を蓄えるの

おり、私たちにイメージを与えたり動作を

ではなく身体のふるまいをより複雑に洗練

促したりしていると考えられています。そ 12 佐々木正人 1994 『新しい認知の理論』岩波書店

29


されたものにしていくことが発達すること の意味であると述べているのです。 この佐々木の指摘は実に興味深いもので す。環境の持つ無限の情報に自由にアクセ スできるようになるためには、知識を蓄え るのではなく、身体のふるまいを洗練させ なさいと言っているのです。つまり環境に 埋め込まれた無限の情報は、身体を媒介に して私たちの知覚システムと繋がり、そこ にアフォーダンスという価値が生まれると いうことを主張しているのです。 私はアウラの森を立ち上げるにおいて、 このアフォーダンス理論を「子どもたちの 主体性をいかに取り戻すか」というテーマ に利用しようと考えました。主体性という ものは、他人によって与えられるものでは ないからです。つまり私がいくら子どもた ちに「主体的に取り組みなさい」といって も子どもたちは、ますます受身になるだけ です。だから「主体的に学ぶ」という情報 を、私はアウラの森の環境の中に埋め込む ことを考えたのです。そしてその情報に子 どもたちが身体を媒介にしてアクセスして いくというアフォーダンスモデルを想定し たのです。

30


第3章

たった一人の子どもから

アウラの森は、学習者のための学びの場

それは全くの偶然からのスタートでした。

です。それは、従来の学校のように「いか

たまたま出会った不登校の中学 3 年生の男

に教えるか」という目的のもとにデザイン

の子が、まるで水を得た魚のように学び始

された場ではなく、 「いかに学ぶか」という

め、みるみる学力を取り戻し、それと同時

目的のもとに根本的に教育の場を再構成す

に行動力や社会性を回復し、そして生まれ

ることで生まれた学びの場なのです。そし

変わったかのようにたくましく成長してい

てそこは、学校でもない学習塾でもない新

く姿を、私たちは目の当たりにしたわけで

しいカテゴリーとして「学びの森」と名づ

す。

けられました。アウラの森では、学習者た ちの能動的で自律的な学びが展開し、教師 たちはその学びをサポートしているのです。

やがて彼は進学を希望するようになって いきました。ところが不登校だった彼に成 績はありませんでした。指導要録上の評価

当初、アウラの森に学ぶ学習者たちは、

はオール 1。当時、彼の進路を何とか確保

小学生から高校生まで、通常の学校に通う

しようと私たちは学校や教育委員会に掛け

子どもたちを想定していました。だから彼

合いましたが、ほとんど門前払い状態でし

らは学校が終わった放課後にアウラへとや

た。そしてすっかり手を焼いていたところ、

って来て、学校教科の内容を媒介にして自

府教委から不登校支援のための円卓会議が

律的な学習方法を身につけていたのです。

あるので出席しませんかという誘いがあり、

ところが開校から4年がたった 2004 年、ま

会場から私たちの抱えていた状況をお伝え

るでアウラの森に迷い込んできたかのよう

したのです。そのことがきっかけとなって、

に一人の不登校の男の子がお母さんに連れ

私たちは不登校支援に関する府教委の研究

られてやってきました。そしてこの出会い

事業に参画することとなりました。ちょう

がきっかけとなって、私たちは不登校の子

ど 2005 年のことでした。そして、それが一

どもの学びに深くかかわるようになってい

つの契機となって、京都府青少年課、文科

ったのです。

省と他のさまざまな協働的な事業にも参加 するようになっていったのです。つまり、 31


たまたま森に迷い込んできた一人の不登校

さまざまなことが起こってくるのです。も

の子どもとの出会いが、行政をも巻き込む

ちろん、当時は予想もできませんでした。

形で不登校の子どもたちに関する新しい支

ただ「目の前の子どもをどうするか?」と

援のあり方の模索へとつながり、やがてそ

いうアウラの森のミッションが、私たちを

こから新たな制度も生まれることになって

サトルに向き合わせたのです。

いったのです。 サトルは、その後アウラの森でメキメキ と力をつけていきました。まず、国語の力 が目を見張るように伸びてきました。 「家で 何もやることがなかったので本ばかり読ん でいました」といっていたサトルだけあっ て、その読解力はたいしたものでした。ア ウラでは、自律的に子どもたちが学んでい くようなシステムを取っているので、読解 力のある子どもにとっては有利に働きます。 国語でペースをつかみ、数学と英語の学習

1. 森へと迷い込んだサトル

をそれに加え、最初の 1、2 ヶ月はこの 3 教科で、アウラの森でのサトルの学びの生

2004 年の夏休みに、中学 3 年生になるサ

活を組み立てていったように思います。そ

トルがお母さんに連れられて、アウラの森

して、そんな生活がすっかり定着するよう

へとやってきました。サトルは、どことな

になった頃、私たちは、サトルの身体の緊

く覇気のない表情で、決して私に視線を合

張が少しずつ取れ始めてきたことに気づき

わそうとはしませんでした。中学校に通っ

ます。またそれに伴って、彼のコミュニケ

たのは、入学時からわずか 1 ヶ月。あとは

ーションも豊かになっていったのです。学

3 年生になるまで、ほとんどの時間を自宅

習を通して得た彼の自信が、その緊張を解

で過ごしていました。最近では、外に出る

いていったように思いました。

こともめったにないということでした。 1 年遅れて、サトルは高校に入学しまし 「人前に出るととても緊張するんです」

た。確かその頃の彼の模試の偏差値は、平

とサトルの母は話してくれました。実際、

均して 60 を超えていたように記憶してい

目の前のサトルは、身体もその表情もこわ

ます。学力的にも十分回復した状態で、高

ばっていました。私が何か尋ねても「まあ、

校へと進学していったのです。そして高校

だいたい…」そんな返事しか返ってきませ

では、生徒会に所属し、中学校では味わえ

んでした。こんなサトルこそが、私たちの

なかった学校生活を謳歌したようです。そ

最初に出会った不登校の子どもでした。そ

の後、彼は大学へ特待生として入学し、社

してそこから、さまざま繋がりが生まれ、

会学を専攻。そして研究者を目指して大学 32


院へと進学していったのです。ちなみにサ

「そうです」

トルの学部時代の卒業論文のテーマは『現

「クリニックに行って…」

代日本の再帰的不安と管理社会化』という

「その辺がちょっとあやふやなんです

タイトルでした。サトルは、この論文を通

けどね」

して自分自身を対象化させ、見つめ直して

「クリニックに行って、どうしてそれ

きたのかもしれません。そしてやがてその

がアウラとつながるわけ?」

テーマが、彼のキャリアをも作り出してい

「確かその辺で、前に向けて動いてい

くことになっていくのです。

こう的な話を…」 「ちょっと前向きに…。じゃあどうし て、そのクリニックに行ったの?」 「何でしたかね…評判がよかったと か」 「じゃあ、そこに行って何をしていた の?」 「もう普通にカウンセリングという か」 「ああ、カウンセリング。薬は飲んで いたわけではないの?」 「確か飲んでいましたね」

2. 計画された偶然性 ――Planned Happenstance

「ふうん。どういう種類の薬だった の?」 「名前は忘れましたけど…」

そんなサトルに対して、私はかつてイン タビューをおこなったことがあります。そ

「抗不安剤とか?」 「みたいなもの、でしたね、確か」

こから、学校へ行かない彼がどんな生活を おくり、どのようにしてこのアウラの森に たどり着いたのかを見出すことができます。

サトルはアウラの森にやってくる前に、 クリニックに通院していました。何か「得 体のしれない不安」に彼は囚われていった

「まず、サトルがアウラに来たのはい

ようです。そして誰かに聞かれても、それ

つだったかな?」

がどうしてなのか説明できないという事実

「確か…ぼくが中 3 の夏頃でした」

が、彼をますます苦しめるようになってい

「夏やった?それ何がきっかけだっ

たようです。

た?」 「多分、一番最初はカウンセリングに

「ということは、クリニックに行く背

行ったことがきっかけで…」

景があったわけで。それは何やった

「クリニックに行ってたんやな?」

の?」 33


「うーん…、いろいろとあったんやと

なことを言われたような気が…」

思いますけど…。多分まあ勧められて

「ああ…“どうしているの?”とか聞

ですね。親から…」

かれるのも嫌やったわけや。それはな

「外に出て行ったりすることが不安?

んかサボっているって、思われるのが

あんまり外に出てなかったよね?」

嫌っていうこと?」

「そうですね…学校に行かなくなった

「…も、あったでしょうし…」

最初の方は出れたんですけどね、半年

「説明するっていうことがものすごく

ぐらいで…」

億劫やった?」

「いつ頃?」

「そうですね…、多分自分では説明で

「だいたい行かなくなったのが、中 1

きなかったと思うんで」

の 5 月頃だったんですけど。でもまあ

「なぜ行けないのかもよくわからない、

外に出れなくなったのは…。普通に家

言語化できなかったっていうこと?」

の前とかも、秋ごろまでは出ていまし

「そうです」

たし…」 「そうか、中学 1 年の 5 月から学校へ

サトルは、中学に入学するや否や不登校

行かないようになって、そこから秋ぐ

になります。まともに中学校へ通学したの

らいまでは、学校は行かないけど、外

は、一ヶ月に満たなかったと言います。彼

は出られていたと…」

は「どうして自分が学校へ行けないのかわ

「そうです」

からなかった」と言います。これはサトル

「ところが秋くらいから、ぼつぼつ外

に限らず、多くの不登校の子どもたちに見

にも出れないように…」

られることですが、彼らは自分自身の痛み

「なかなか出なくなりましたね。その

や苦しみをこの段階では、うまく言語化で

…買い物くらいにしか…」

きないでいることが往々にしてあります。

「どうして、出れなかったわけ?」 「なんですかね…、多分周りの目です

「それで、1 年の秋からほとんど引き

かね」

こもり状態になるの?」

「ああ、なんか“あいつ学校行ってへ

「そうですね、家の中で…」

んやつや”みたいに思われたらどうし

「ずっと家の中で…どんな生活送って

ようとか?」

いたの?」

「確かそうですね」

「うーん、確か…、その頃はまずゲー

「周りの目とか、ものすごく気になっ

ムをやっていましたし、あとテレビ見

た? 近所の目…」

てたのと…」

「確かその頃に、どっかで同級生と会

「ゲーム、ファミコン?何や、その頃

ったことがあって…」

あったのは?」

「ああ」

「その頃あったのは…プレステですか

「そこで“なんで行ってないの?”的

ね」 34


「ああ、プレステ。で、ずっとプレス

てインターネットの世界は、身近なもので

テをやるわけ?」

はなかったように思います。当時の不登校

「プレステと、確か 64 もあった気がし

の子どもたちは、ひたすらゲームをやるか、

ますけど…」

録画していたビデオを見るか、そんなこと

「ああ、ニンテンドー64 っていうやつ

をして家での時間を過ごしていたのです。

を?」

ただ、大概の場合、そんな単調な家での生

「そうです」

活にも飽きて、次第にやること自体がなく

「それをずっとやっているわけ?」

なっていくような状況に陥っていました。

「いつからか、パソコンを買ったこと があって、そこからインターネットも

「サトルが来た時のことで、私が覚え

始まりました」

ているのは、 “学校からいつも春に教科

「それを、ずっとやっているわけ?」

書を紐でくくって先生が持ってくるけ

「だいたいその頃は…。昼はすごい頭

ど、その紐をほどくことなく押し入れ

痛がしていたんですよ」

にしまっていた”とか…、なんかそん

「だから昼間は、寝ていて?」

なことを言っていたのが、私の記憶に

「だいたいバファリンとか飲んで、眠

あるのだけど、それはそうだった?」

気が来るんで寝て…」

「最初の頃は“勉強でもしてみたら”

「それで、起きたらそれをやる?」

っていうので、机に向かったこともあ

「それぐらいしかやることがなかった

ったんですけど、その時点でもう頭痛

んで…」

がしていたんですよね」

「昼夜逆転になっていたわけ?」

「 “勉強しよう”と思うと頭痛が来る…。

「そこまででもないですね。でも一番

それでもう結局、一切やらなくなった。

遅くても、2 時には寝ていましたし…」

そういう風に先生が持ってきても、一

「なるほど」

切教科書を開けることなく、ただひた

「その頃、ものすごく怖がりやったん

すらゲームをやっていたわけ?」

で、単純に夜遅く起きているのが…」

「だいたいゲームか、まあ後々はイン

「怖かったわけや?

ターネットか…」

そうか、そした

らまあ 2 時くらいには寝て。でも起き

「ゲームかインターネットか。家族と

るのは、10 時とか?」

の間でのやり取りは?」

「だいたいそのくらい」

「交流はありましたね。多分けっこう」

「そういうパターンか。で、昼間はだ

「“いいかげん行ったら?”みたいなそ

いたいゲームして…」

んな話もあるわけ?」

「だいたいそうですね」

「その辺はあんまりなかった気が…、 どうでしたかね。母が言うには、予感

サトルが学校へ行かなくなったのは、 2002 年頃ですから、まだ子どもたちにとっ

はあったらしいんですよ、小学校 6 年 生頃から…」 35


「ふうん。どういうことなの?」

かったと振り返ります。不登校の子どもた

「確かに思い出すと、6 年の 3 学期あ

ちの中には頭痛、腹痛、微熱程度の発熱な

たりから、ちょいちょい休むようにな

どの身体症状を訴えるものが、少なくあり

っていた気もします。その辺の原因は

ません。ますます理由のわからない状況が

ちょっとわからないですけど」

サトルを苦しめ、最終的には学校へ登校す

「なるほど。それで、1 年のあいだは

るという選択肢が、彼の意識の外へと追い

そんな感じだったわけ。多少まあ外に

やられていったのです。

も出れていたみたいだけれど、1 年の 秋くらいから、完全に家にずっといる

「アウラに来たのが、 3 年の夏なので、

っていう生活に。それで、その生活が

それまでの間に何かほかに起こったこ

そのまま 2 年の間も…。それから、3

ととか、ちょっと変化があったことと

年の夏くらいまで、けっこう続いてい

かってあるの?」

くわけや」

「変化…?」

「そうですね、確か」

「要するに、完全ひきこもり状態が 1

「学校の先生とかも、普段は来られる

年の秋から始まるわけでしょ。ほとん

わけ? 週に一度とか…」

どどこへも出ない。まあたまにお母さ

「1年の時の担任の先生は、まあ週 1

んと一緒に買い物行くぐらいの生活

で…」

…」

「来て、それで先生にも会ったりして

「あとは…そうですね、たまに週 1 く

いたわけ?」

らいの頻度でゲーム屋とか本屋とかに

「そうですね。2 年の担任の先生は、

行ってたりもしましたね」

月に 1 回程度でしたけど…」

「一人で行くわけ?」

「それも、会っていたわけ?」

「いや、それも連れてってもらって」

「来られたら、会うようにはしていま

「親に連れてってもらう、みたいな。

した」

…週に 1 回くらい?」

「学校に足を向けようと、思っていた

「そう。そのくらいの頻度で行ってい

わけ?向けたいけれど、向けられな

た気がします」

い?」

「へえ。新しいゲームを仕入れないと

「うーん、多分その辺の事は考えてな

やることがなくなるので?」

かったですね。端からというか。そう

「いや、別に買いもせずに…」

いう考えが出てこないようにしていた

「ただ見に行くだけ?」

気はしますね」

「そう、見に行くだけ」 「なんで?

サトルは、何かをしようとすると頭痛が

それは行きたかったの?

親に勧められて行くわけ?」

していたといいます。どうしてかわからな

「いや、単純に行きたかったんやと思

いけれど、頭痛で思うようなことができな

います」 36


「行きたかった?」

いんですけど…」

「なぜ行きたかったかのどうかも…、

「ただいてるだけ、家から出るだけや

けっこうそういうのが多いらしいです

ったら、そういうとこは嫌やな、って

ね。引きこもっている時は、やたら本

思ったわけや?」

屋とか行きたがるっていう…」

「なんか、あんまりよくないんやろな、

「ああそう?本屋とかゲームソフト売

というのはありましたね」

っているところ?」

「あの…図書館でやっている適応指導

「ただ見に行くだけ、みたいな」

教室は、別に知ってる人がいなければ

「それくらい?

そこでもよかったわけ?」

だいたいアウラに来

るまでに行っていたところは…」

「…多分。どうでしょう?

かなり最

「あと…アウラ以外のスペース…って

初の頃やったんで、それは…」

言うんですかね、2 軒くらい見に行っ

「もうでも、知っている人がいた段階

た気がしますね」

で無理やった?」

「どこを見に行ったの?」

「その当時は、そうでしたね」

「一つは、市立図書館がやっていると ころ」

家にひきこもってしまう生活が続いた後、

「ああ、適応指導教室っていうのか

中学 3 年になって、サトルは自分の将来に

な?」

対して不安を覚えるようになっていきます。

「そうです」

そこで、自分でも学べる場を求めて市の適

「そこはどうやったの?」

応支援教室や京都市内の居場所を訪れるよ

「そこは…確か知っている人がいたん

うになります。彼の中で、前向きに何かが

でやめたような気が…」

動き始めようとしていたのかもしれません。

「もう一つは?」 「もう一つは、京都駅の近くやったか

「それでお母さんが…新聞に確か私の

どこか…」

記事が載ったんだ思う。それを見て訪

「そこはどうしたの?」

ねて来られて…。その頃は、まだここ

「何て言うんですかね…そこは単純に

には、フリースクールという部門がな

いるだけというか…」

かったので。夕方からしかなかったよ

「ああ、居場所、みたいな?」

うに思う。夕方からやっただろ、最初

「悪く言えば吹き溜まりみたいな感じ

は?」

がしますね。ただそこにいても、家の

「はい」

中にいたのがこの場所に代わるだけな

「そうだった。それでサトルがやって

ので…」

きた。私が理解しているのは、とりあ

「そういうところは嫌だったわけや?

えず、サトルはもう中学 3 年になって

…勉強したかったの?」

いて、中 1 の 4 月くらいしか、まとも

「なんというか…そういうわけでもな

に学校へ行ってなくて、ほとんど勉強 37


もしないまま今になったと…。でも中

こうしてサトルは、とうとうアウラの森

学はとりあえず、このままで卒業って

へとたどり着くことができたのです。私た

いうことになるけど、そこから先が何

ちにとっても、これが不登校の子どもとの

もないと…。それで、卒業も近づいて

最初の出会いでした。そしてすべてはこの

きたんでちょっと不安だったと…。な

出会いから始まったのです。しかし、この

んかそんなようなことを言っていたよ

出会いこそが、サトル自身、そしてアウラ

うな気がする、私の理解では…。それ

の森自体のこれからの将来を決定づけるも

で、 “自分の将来、要するに中学卒業し

のになっていくことになろうとは、誰ひと

てからの進路のために来たい”ってい

りとして想像もできませんでした。それは

う風なことを言っていた。でもそんな

まさに、J.クランボルツの言う〈計画され

ことを当時のサトルは自分ではしゃべ

た偶然性〉Planned Happenstance

れなかったんだと思う」

たのかもしれません。

13だっ

「しゃべれてなかったですね」 「コミュニケーションが 3 パターンく らいしかなくって、私が“○○なの?” って聞いたら“まあまあ”とか“はい” とかしか、その返答がなかった、多分。 “はい”か“いいえ”か“まあまあ” そのくらいだったんじゃない?それで コミュニケーションしていたような…。 そのことも私は、ものすごく印象に残 っている。サトルはどんな印象だった、 最初の頃?」 「もうその時は、単純に流れで連れて

3. ヘレンケラーのように

ってこられたような気が…」 「ああ、親の…」

こうして、アウラの森に通い始めたサト

「そんな感じでしたね、あの頃は。そ

ル。彼はここで 1 年余りの期間を過ごし、

んな自分で考えて何かしようとか、関

やがて巣立っていきます。この限られた時

係ない、みたいな」

間の中で、サトル自身の中に何が生まれ、

「なるほど、まあお母さんがなんとか

そして私たちの中に何が生じていくのかが、

しないとだめやなと思っていたわけだ

私たちの関わりの質を証明するものだと思

な。それでここに来て、どういう印象

っています。サトルへのインタビューは続

やったわけ?」

きます。

「うーん。わりと居心地はいいように 感じましたね」

13 John D. Krumboltz クランボルツ J.D. / レヴィン

A.S. 花田光世(訳) 2005 『その幸運は偶然ではないん です!』ダイヤモンド社)

38


「それでまあ初回の面接が終わって、

それで、わりと勉強は黙々とやってい

わりとすぐに通い始めるようになった。

た」

週に 2 回くらいだったかな?」

「そうですね」

「確かそうですね。週に 2 回。夕方か

「なんかよく勉強していた印象があっ

ら来ていましたね」

て。それと、かなり自律的に勉強して

「しばらくしてお昼から、みたいな形

いたと思うな。けっこうプリントとか

になっていった」

を、たくさんここではやることになっ

「はい」

ていて、そのプリントの量も積み上げ

「それで、ヒロシが途中で入ってきた。

ると、1 メートルくらいの高さになっ

彼は昼夜逆転の状態でやってきた」

ていたもんなあ。いっぱいやったと思

「そうそう」

う」

「ヒロシが昼夜逆転やったので、アウ ラは朝から開くようにしたんや。 “なん

不登校の子どもたちの多くは、自己肯定

とかしないとあかんなあ”と思って…」

感とか自尊感情がことごとく壊れた状態で

「そう、それから朝から通うようにな

やってきます。だから彼らにとっては、ま

った」

ずアウラの森自体が、安心できる場である

「それで、とりあえず英語と国語と数

ことが大事になってきます。最初は、無理

学、みたいな。その 3 科目くらいやっ

せずに彼らのペースで、週 1~2 回からまず

たんじゃないかな」

は顔を出すことから始めるのです。そして

「そうですね。最初はその 3 つでした」

少しずつ場に対して慣れてきた段階で、日

「で、英語で、ぼくが覚えてるのは…

数を増やし、学ぶ量も増やしていきます。

アルファベットが書けるか書けないか くらいのところで止まっていたので、

アウラの森は、学ぶということを通して

まず、それをやろうと…。それから国

自信を獲得する場です。ここでの媒介物は

語は、小学校の課題のところをやった

「自律的な学習」なのです。自分の力で学

んじゃないかな」

びとったものは、効率よく自信へと変換さ

「ああ、なんかシール貼っていた気が

れると考えているからです。

しますね」 「そうやろ?

ただ、サトルは本を読

サトルは本当によく学んだ生徒でした。

むのがわりと好きやったんやな?」

ひたすら、黙々と学び続けていきました。

「はい」

そして学んだプリントの量に比例するかの

「で、国語は、すごくよくできた気が

ように、彼は大きな自信をつけていきまし

する」

た。でもいくら自信を身につけても、サト

「それは、覚えています」

ルの抱える大きな不安そのものは、なくな

「で、数学も多分、中 1 の最初からや

らなかったのかもしれません。ただ不安が

ったと思う。正負の数から勉強して…

あっても大丈夫と思えたり、不安があって 39


も行動できる自分自身を作り上げていくた

分の何か…“自分はこれくらい成長し

めにも、その自信は必要だったのです。積

ているんだ”ということをどっかで確

み上げられたプリントの量は、彼の自信の

認できる。そういう取り組みだったと

象徴的な表現だったのかもしれません。

思う。それでお母さんとの面談のエピ ソードを思い出すんだけれど、 “本屋と

「あとお母さんに、 “どうですか?”っ

かに行ったときに、サトルの手が動く

て私が尋ねたら、 “ずいぶん緊張がとれ

ようになりました”って言われた。と

たように思います”と言われていたの

いうことは、それまでは人前に出ると

が印象的だった。そうそう、人前での

手が動かなかったということ…」

緊張を取るために裏のスーパーへ買い

「はい」

物に行かせたりもさせていたような気

「要するに緊張してしまって、多分人

がする」

がいるところに出ると、恐ろしい緊張

「最初の頃、そうですね」

があって、その緊張が最初のうちは、

「要するに、いろんな人とやり取りを

ぎこちない動きとなって…右手右足が

するっていうことだった。当時のサト

同時に動くみたいな、ロボットみたい

ルは、対人関係にものすごい緊張があ

な動き方になっていた。それが“最近

って、けっこうガチガチやったと思う、

は、ようやく普通に自然と手が動くよ

最初はなあ。それがスーパーで買い物

うになりました”ってお母さんが言っ

やって、別に普通に買って、 “ありがと

ていたのを聞いて、 “ああよかったな”

うございました” 、 “はい”ってなんか

って私は思ったんやけど…そんな記憶

言うだけなんだけれど、そんなことも

はある?」

サトルにとっては大きな自信になって

「“なんか手が動いてないよ”って言わ

いったんじゃないかなあ」

れたのは覚えています」

「覚えています」

「あ、本当? それで、手が動くよう

「最初は、そんなこともあったよね。

になってからお父さんと一緒に映画に

だからアウラへやってきて、まず学習

行ったりとか…」

というところで自分がこうやって課題

「あー、行きましたね」

を乗り越えていくっていうこと。それ

「そんなことも、今までだったら考え

から、アウラの中での私たちとのやり

られないって…」

とり。それから同じ子ども同士のやり

「それ覚えてますね。観に行きたいの

取りもあって、あとはスーパーへ買い

が観れなくて、別のやつに土壇場で変

物に行ったりとか。今まで家の中だけ

えたっていうのがありましたね、そう

で…しかもゲームしかない、あるいは

いえば…」

インターネットしかないっていう生活 から、生活の内容にバリエーションが

身体の緊張。これもまたサトルの特徴で

できて、しかもそのやったことが、自

した。とにかく動きそのものが、ぎこちな 40


い。コミュニケーションもぎこちない。サ

度獲得されていって。ほんとにもうヘ

トルと接していると、とにかく彼の強い緊

レンケラーみたいな、いろんなことが

張が、いつも伝わってきていたように思い

少しずつ蘇って、少しずつサトルの世

ます。しかし、そんな彼の身体も学び始め

界が広がっていって、そんなことがア

ていくうちに、次第になめらかな動きへと

ウラにいる中で起こってきたのかなと

変わっていきました。私たちは、サトルに

…。それでな、私はサトルについては、

対して特別な訓練をやったわけではありま

この子は学習ということを軸に置きな

せん。ただ自分で学び、そこから「ぼくも

がら、この子の成長を見ていこうって

できるんだ!」という自信を手に入れるこ

いう、そういう思いがあって…。とい

とで彼の身体の緊張が緩んできたのです。

うのは、わりと勉強好きやったよね?」 「嫌いではなかったです」

「だから、ヘレンケラーみたいなもの

「それで、中学卒業の時、多分 3 年の

や、多分。サトルの小学生の時がどん

夏から来たので、3 年が終わる頃には

な状況だったか、今ひとつよくわかっ

中学 2 年の頭とか。なんかそんなペー

てないんやけど、きっと小学校のとき

スで学べていたように思う。学校は、

は、いろいろ機能してた何かがあった。

当然のように“春からは高校へ行った

友達たちと遊んだりとか、当然授業に

ら?”っていう風に進路指導をした。

も出たり、体育やったり、運動会で走

要するに浪人なんて出したくないので。

ったりとか、いろんなことがわりと自

でも私は、ちゃんとやった方がいいと

由にできていたのに、何らかの拍子で

思ったんや。だから“1 年浪人したら?”

学校に行けないっていうことがあって、

って、私が勧めたと思う、多分。それ

周りの目をすごく意識するようになっ

で、1 年浪人をして、受験前には模試

て、それで、だんだん外に出れないよ

とかの偏差値もけっこう 60 くらい…」

うになって、そのうちいろんなことが

「ありましたね」

ずいぶん失われていくわけよ、大事な

「できるようになっていった。当時学

ことが…。それが要するに、もう一度

校の成績はオール 1 だったから、 “どっ

回復されていくっていうのか、失われ

かの私立高校の特進に行ったら?”っ

たものがだんだん蘇ってくるっていう

て私は勧めたと思う」

のか。まさにその手が最初は動かなく

「説明会に行った覚えはあります」

て、それがだんだんロボットのように

「勧めたんやけど、サトルからしたら、

動き始めて、とうとう自然に動くよう

“行って続かなかったらショックや”

になっていく。あるいは、それまでは

と。やっぱり私立はお金かかるから、

ほんまに家と本屋さんっていうそこだ

まあ行ってずっと行けるんやったらい

けしか世界がなかったのに…」

いけど、また行って 1 ヶ月しか行けな

「確かにそうですね…」

かったというのもいやだしっていうの

「なんか失われていたものが、もう一

もあって、それで定時制の方がいいっ 41


てそういう風に言ったと思う」

見ぬ世界に対して、不安を抱き続けるとい

「見に行った時に定時制高校の感触が

う悪循環に苛まれていくことになっていっ

よかったこともある」

たのかもしれません。

「でもその時にサトルの学力というの は、中学生としては優秀なレベルにあ

サトルは、少しずつこのアウラの森で、

ったと思うよ。要するにアウラを卒業

かつての自分自身を思い出していくのです。

する段階では、そこいらの中学 3 年よ

つらかった過去を清算し、もう一度その過

りはずっとできる状態には、なってた

去を再構成していくという作業を、彼はア

んじゃないかなあ?

ウラの森で成し遂げようとしていたのかも

自信もあった?

勉強に対しては…」

しれません。

「まあ定時制のテストもずいぶん簡単 だった」 「そうでしょ?

それで、定時制に行

くわけやけど。高校の学習で困ったこ とは多分なかったんじゃない?」 「そうですね。特に問題はなかったと …」 「ヘレンケラーのように…」という表現 を私は使いました。不登校の子どもたちの 回復、その変容を見ていると私はいつも「ヘ レンケラー」を思い出すのです。生まれた

4. 不登校だったからこそ

ころの赤ちゃんに「不安」という感情はあ りません。ましてや外の社会に対して怖れ

こうしてアウラの森を巣立っていったサ

を抱いたり、自ら関わりを閉ざしてしまう

トルはその後、定時制高校へと進み、さら

ようなこともないでしょう。つまり彼らも

に大学で社会学を学び、大学院へと進学し

私たちと同じように、社会との関係性の中

ていきます。サトル自身の中では、不登校

で自らを成長させていったのです。その社

に苦しんだ中学時代を彼なりのコトバで再

会とは、最初は母子、やがて家族、親戚、

構成し、さらにそこに理論を活用させなが

友達、学校、地域…という広がりの中に存

ら相対化していく必要があったのかもしれ

在していたのです。しかし、その広がりの

ません。そのこだわりが、彼を研究生活へ

どこかの段階で躓きがあり、どこかの段階

と向かわせたのかもしれません。まじめで

でつらい思いを持つ経験がある時、彼らは

ひたむきなサトルの生き方が、私の胸を打

そこからさらに前へと進むことができなく

ちます。インタビューは続きます。

なっていくのかもしれません。そして前へ と進んでいけない自分自身を否定し、まだ

「どうなの?高校生活を振り返ってみ 42


て。私のあんまり知らない世界なんだ

ぼくと 1 年生 3 人っていう状況で…」

けど。高校生活っていうのはけっこう

「けっこう大変やったわけやな」

よかったの? 満足できた?」

「で、 “もう君しかないよ”みたいな感

「まあ最後の 2 年間は、なかなかよか

じになって。で、やるはめに、って感

ったですね」

じですね」

「どういう点がよかったの?」

「高校生活っていうのは、サトルにと

「普通に友達もできましたし…、まあ

ってどういう場だったの?」

いろいろ、生徒会とかも入って」

「うーん。なんでしょうね…まあ楽し

「そうやったなあ。生徒会もやってた

かったですね、あれは…」

よなあ」

「どういうことが、楽しかったの?」

「あとはバイトも始めましたし」

「普通の学校生活もそうですけど、あ

「本屋さんで?」

とは、行事もけっこう楽しめましたし

「いや、その頃はスーパー」

…」

「アルバイトもできて。友達ができた

「まあそれなりに、高校時代を謳歌す

っていうのも大きいわけ?」

ることはできたわけや?」

「それは 1 年の頃から、いたことはい

「まあまあ、そうですね」

たんですけど。最初はやっぱぎこちな い感じが」

アウラの森で培った自信は、やがて彼の

「ぎこちなかった?」

高校生活やアルバイト生活でも活かされる

「最初のうちは」

ことになっていきました。それは、私たち

「それがだんだん緊張せずに、別に普

の遺伝子に埋め込まれた学びのプロセスな

通に友達に…。それからまあ生徒会。

のかもしれません。ある社会の中で手に入

それもやり始めて…。それもまあ友達

れた社会との相互作用を、より大きな社会

から誘われて、っていう」

の中で活用しようとし、そこでのエラーを

「ああ、なるほど。そんなことも起こ

修正しながら、より柔軟的な相互作用に置

るわけやな」

換していこうとするのです。サトルは、様々

「生徒会は、しんどくなる部分もあり

な社会の中で自律的に生きていく力を身に

ましたけど。会長をやってたんですけ

つけていったのかもしれません。

ど」 「生徒会長やったの?」

「その後大学を特待生かなんかで行っ

「やむを得ず、ですけれど…」

たんだよな?」

「やむを得ず…」

「入った後に、成績で…」

「3 年の時に入ったんですけど、最初

「ああ、大学の成績がよかったのでそ

は全学年合わせて 10 人くらいいたん

れで特待生になったと?」

ですよ。それがまあ、だんだん人が抜

「そうですね」

けていって。 4 年生が卒業する時には、

「それで、授業料も免除された?」 43


「まあ半分」

とかそういう日常的なやつやったんで

「そう言えば、ジャーナリズムかなん

すけど。たまたま、ぼくが書いた内容

かに興味がすごくあるって言ってなか

が社会学っぽいやつだったりして…」

ったけ?」

「それで、大学のゼミに入った時は 4

「最初は、メディア系に興味あって」

回生?」

「そうだったなあ。それが途中から社

「いや、3 回ですね」

会学系に変わるわけや?」

「4 回になってから卒論のテーマをだ

「そうですね。多分 3 回生あたりから」

いたい決めたの?」

「それは、ゼミの先生との出会いが大

「テーマが決まったのは、だいたい 3

きかったの?」

回生の終わり頃」

「1 年の頃の、日本語リテラシーとい

「何だったっけ、テーマ?」

う授業があったんですけど」

「『再帰的不安をもとにした管理社会

「日本語リテラシー?」

化』」

「その時の先生に、影響を受けて」

「『再帰的不安をもとにした管理社会

「そういう出会いがあって、社会学領

化』?」

域と急接近するわけや」

「はい。あれはもともと『犯罪のセキ

「社会学というか、その人は哲学やっ

ュリティー強化からくる管理社会化』

たんですけど。たまたま哲学っぽいも

っていう本があったんですよ。それを

のをみたら、それが社会学系やったと

もとにして、その不安の内容を幅広く

いう」

した感じで」

「へえ」

「まあでも、社会病理学的よな」

「どういう哲学をやっておられた

「そうですね」

の?」

「へえ。そこには自分の人生っていう

「何でしたかね…?いろいろ」

のはどっか重ねられてるわけ?」

「じゃあ、授業の日本語リテラシーっ

「ああ…ありますね。不登校やった頃

ていうのはどういう内容やったの?」

に、いわゆる不登校関連の事件があっ

「簡単に言うと、作文指導みたいな感

たんですよ。バスジャックとか。その

じですね」

辺から、自分も不安やけど、周りも“こ

「作文指導?

それは社会学とどうつ

いつ何やるんやろう?”みたいな、そ

ながるわけ?」

ういう感じがあったんですよ」

「テーマがなんか、社会学っぽい」

「そうそう。で、それに対して社会自

「ああ、そういう意味か!」

体はそういう人らを監視しなあかんと

「そういうテーマで書いたような覚え

か。管理強化をせなあかんとか」

があります」

「監視しなあかんとか、あと矯正とか

「なるほど」

ですね」

「テーマは、普通におすすめの何か、

「性犯罪者とか…」 44


「あともっと遡ると、小学校の事故も あると思いますね、自分の中では」

サトルは、大学で社会学を専攻します。

「焼却炉で子どもが焼け死んだ事件ね

もともと本が好きだったサトルですから、

…」

在学中にかなりの本を読んだことがうかが

「そうですね、あれ」

い知れます。そして、かなりしっかりした

「サトルの友達やった子…一緒の登校

論文を学部時代に書き上げました。この論

班の子だったかな?」

文も彼の過去に対する再構築のプロセスか

「っていうか、はす向かいに住んでた

もしれません。コトバというものを通じて、

子ですね」

彼は自分の過去を語り直し、その意味を置

「家の?」

き換えようとしているのです。コトバを持

「うん」

った人類であるからこそ、なしうることな

「家のはす向かいに住んでいた同級の

のかもしれません。

1 年の…。よく遊んでいたの?」 「周りにその子くらいしか遊ぶ相手が

話の中で彼の近所の同級生が、焼却炉の

いなかったんで、よく遊んでいました」

中で焼死したという痛ましい事件のことが

「よく遊んでいたその子が焼却炉で焼

でてきます。これは、サトルの「得体のし

け死ぬということになった…」

れない恐怖や不安」と直接結びついている

「それは、ショッキングなことだった

ようにも思えます。それは「トラウマ」と

んですけど、その後の報道のショック

呼べるのかもしれませんし、彼の状況を

の方がでかかった気がしますね」

「PTSD」というコトバで表現することも

「すごかったよね、あれね。全国のニ

できるのかもしれません。精神医療の範囲

ュースになったからね」

でいえば、それは病理であり治療対象であ

「ぼくは下校した時に…校門の前やっ

り、投薬により不安を低減させるといった

たかな、なんかインタビューやってた。

治療方針で処理されるものなのかもしれま

で、明らかに相手のインタビュアーの

せん。しかしサトルは、20 年近い時間の中

人が喜んでたんですね。 “同じクラスメ

でそれを少しずつ消化し、一つ一つ丁寧に

イトを見つけた”みたいな感じで。そ

紐解きながら、新しいコトバで物語を作ろ

れがけっこう、ショックやったのは覚

うとしているのです。

えています」 「どうショック?」

「私は、サトルがここの生徒やった時

「なんか…“なんでこの人こんな喜ん

に、 “その焼却炉の事件がけっこうフラ

でるんや”みたいな」

ッシュバックすることがあって、それ

「ああ…同じクラスの子を見つけて喜

をものすご不安に思う時がある”とい

んでると…」

うようなことを言っていた記憶があ

「単純にそれは、ニュースバリューが

る」

でかいから…」

「ああ、ありましたね」 45


「ある種の一つのトラウマ的なものと

た論文とかぶるところもあったし、参

して、楔のように刺さっていて…それ

考文献とかも偶然かぶっていた。でも

がなんかの時にフラッシュバックして

私が一番驚いたのは、サトルの卒論が

“けっこう不安や”とかそんなことを

けっこう力強かったんや。まだしゃべ

言ってた記憶があるんやけど」

っていると、 “なんか頼りないな”と思

「確かあれは…高校の頃ですね」

うんだけど、それとは裏腹にあの文章

「高校の頃? そしたら、サトルは高校

の力っていうか。けっこうサトルは力

に入ってアウラには来てなかったけど、

強くなっていた。それであの時に大阪

時々相談に来たりとか?」

の就労支援プログラムに参加して、一

「そうですね」

般企業に半年インターンみたいな感じ

「その時に言ってたの、そしたら?」

で。働くっていうことだったけど、ま

「高校の時ですね」

あその後どうするか。そういうサトル

「あの事件っていうのは、けっこう大

自身のキャリア形成っていう課題があ

きかった、自分の中で?」

って…。でも私はあの論文を読んで力

「多分…、何がどう影響したかはわか

強いなと思ったので…」

らないですけど、けっこうあったと思

「文章は、大学の頃かなり書いてまし

います」

たね」

「そのことも卒論の中に反映されてい

「それで、マスコミとかの就職ってい

くわけ?」

う、まあ雑誌社とか、新聞とかに行き

「うーん…まあ、そうですね。なんと

たいみたいなことを、昔言ってたこと

なくそういう感じ…」

もあったし…」

「だからいわゆる管理化、社会の管理

「昔言ってましたね」

化っていうところにそれは重ねられて

「それプラス、まあ、あのテーマ…い

いくわけや。…なるほどな。いや、あ

わゆる再帰的な社会と、それに対して

れをサトルが持ってきてくれた、大学

社会がある意味管理的に動くというこ

を卒業して、まあ一応卒業した報告だ

とに対して…。そこにサトル自身が当

ったかな?」

事者であるという、あるいは当事者で

「あと、去年行っていた大阪の仕事が

あったという視点。そこには、普通の

決まったっていう、その報告と」

研究者とはちょっと違う視点があるか

「そうだな。まあそれは、ある意味就

もしれないし、それはアドバンテージ

労支援のプログラムだったから、パー

になるんじゃないかなって思った。た

マネントではなかったので…なんかそ

だ、研究者なんて、なかなかそう簡単

んなのだったよね?」

になれないし、厳しい道だからある程

「はい、半年間の」

度覚悟がいるので…。まあちょっと覚

「それで、サトルのペーパーを読ませ

悟をしないといけないということと、

てもらって。たまたま私がかつて書い

そこらあたりを総合的に判断して、 “大 46


学院に行くっていうのはどう?

研究

に力強いものがあったのです。コトバに説

ただちょっ

得力があり、質量感がとても感じられまし

と覚悟はいるよ”と、多分そんな話を

た。そして思わず「大学院に行って、本格

あの時にしたんだと思う」

的に研究を始めたら?」と提案したことが、

「そんな感じだったと思います」

やがて現実になっていったのです。

者になってみたらどう?

「実際、就労支援の中でも、自己分析 講座とかもあったんですけど、受けて

「ところで、アウラに実際にサトルが

いても“研究系の素質がありますよ”

通った時期っていうのは、今の話で言

的なことはよく言われました」

うと約 1 年余りやな?」

「まあ、そういう適性があるのかもわ

「そうですね」

からないけれど、けっこうハードな道

「高校に入るまでの 1 年半。でもその

なので…。私の一番決め手になったの

後もポイントポイントで来ているよね、

は、あのサトルの論文の質量感ってい

相談をしに」

うかな、力強さだった。でもサトルと

「そうですね」

しゃべっていたら、今一つふわふわっ

「それで今回大学院のきっかけになっ

てしているような感じもするし…。だ

たのも、多分その卒論持ってきた、っ

って大学で研究するって言ったって、

ていうのがけっこうきっかけになって

研究だけするわけじゃなくて、学生指

るような気もしていて…。でも、生徒

導しないとだめなので…。そうすると、

としてビシッとアウラに通っていたの

説得力とかも必要になる。それは磨い

は 1 年余りっていう限られた期間なん

ていかないといけない…」

やけど。ただ私は、この期間っていう

「そうですね。それはもう…」

のは、サトルにとってけっこう大きか

「そうでしょ?

でもまあ、中学生と

った気がする。さっきヘレンケラーの

か相手にするよりは、大学生の方がや

話をしたけど、失われてきたものがも

りやすいかもな」

う一回再構成されていって、それが次

「いやあ、最近の大学生はけっこう…」

の方向性を作ってくれるって言うのか、 見させてくれるって言うのか。多分そ

サトルは、アウラの森を卒業してからも、

ういうことが起こってきたような気が

生活場面が移り変わるその節目、節目でや

するんだけど…、どうですか?」

ってきては、何かと話をしていきました。

「そうですね。個人的な感じとしては、

大学を卒業し、自分の書いた卒業論文を持

ここでは土台作りをさせてもらった気

ってやって来たことも、そんな流れの中の

がしますね」

出来事でした。しかし、その論文に目を通

「土台作りってどういうこと?」

しながら、私は正直驚いてしまいました。

「その…いわゆる学校とかに行くうえ

まだまだ話す時は、少し緊張感が感じられ

での基礎というか。そういう部分を…」

るサトルでしたが、彼の書いた論文は本当

「さっきの話で言うと、いわゆる教科 47


的な学習。それからやっぱり、いわゆ

さんにしか行けなかったのに、映画館

る対人不安っていうのがものすごくあ

にまで行けるようになったりというこ

ったんで、そういうコミュニケーショ

とが起こってくる。で、そのことがや

ンのことが大きかったのかもわからん。

がて、高校に入って友達を作るってい

でも私は、実はそれより大きかったの

うことにまで発展していったりとか。

は、ヘレンケラーのメタファーをぼく

何かこう、次へ次へって発展する方向

は取り出すわけだけど、ヘレンケラー

に…。アウラに来るまでは、次へ次へ

の話っていうのは、彼女がサリバン先

ってつながっていかなかった君の人生

生と会って、最初の一言、 “water”っ

が、次へ次へってつながるようになっ

ていう言葉を発するわけだけど、その

ていった。今「土台」って言ったけど、

water という言葉が出たということ自

これはどういうことなのかっていうと、

体はそんな大きいことではなくて、実

ただその学習のスキルを身につけると

は、それを発するということがあった

か、知識を身につけるとか、コミュニ

がために、それまでは自分がやったこ

ケーションスキルを身につけるとか、

とが積み上がっていくというか…。人

そういうコトバで表現しきれないもの

生をこう、拓いていこうと思うと、こ

なんや、これはね。すごく抽象的にし

れまで自分の経験したことがいくつも

か表現できないのが、歯がゆいけれど、

積み上がっていく。積み上がってだん

そういうことなんだ。だからヘレンケ

だん形になっていくというのか…。も

ラーっていうそういうメタファーで、

う少し俗っぽく言うと、それまでは何

何かこう自分の経験することが次々と

をやっても…どちらかというと方向性

つながって、また次を作っていくみた

がマイナスへ行っていた、あるいはバ

いな。きっとそんなことが、この 2 年

ラバラの、拡散する方向に行っていた

足らずの間に生じて、ベクトルが変わ

ので、なかなか次が作れなかった。当

ったというか。そういう新しい方向性

然、生きているのでいろんな経験はし

を得たんじゃないかなと、そんな気が

ているわけだけど、なんか毎日ゲーム

する。それで、なぜサトルが私のとこ

やったりとか、本屋にたまに行ったり

ろに継続的に来たかっていうと、いつ

とかやっていても、それは次を生まな

も私に何か聞きたいことがあって来る

い。でもここに来て、何か自分がずっ

でしょ。あるいは聞いてほしいことと

と学び続けることで蓄積されているも

か。なんか私に働きかける。 “ちょっと

の…、気が付けばこれだけやったとか、

聞いてもらっていいですか”って忘れ

プリントも 1 メートルくらいの高さに

た頃にやってくる。そんな年に何回も

なったとか、なんかそういうことを。

何回もっていうことではないんだけど、

あるいは手が動かなかったのが、ロボ

でも忘れた頃に電話がかかってきて、

ットみたいな動きになって、やがて普

その時は君なりに悩んでいるんや、な

通に動けるようになって、今まで本屋

んかな…」 48


「そうですね」

「うーん、じゃなくて大学院一般です

「それでなんか、その問いに対して私

ね」

が何かを言うとか。そこで起こってる

「ああ、そうなんや」

ことは何かというと、まあ中学の時に

「卒業前に相談した時には、あんまり

ここで自律的に学んだ経験があるんで、

勧められなかったですね。 “やめた方が

自分の中でいろんなことを組み立てる

いい”と。で、卒業式の後に相談した

ことができるっていうのか、そういう

時には、 “あれだけ書けるんだったら行

風な感覚がサトルの中であるので、私

くのもありかな”って言ってましたね」

のところにやってきて何かと聞くこと

「まあ、それだけ厳しいっていうこと

を自分なりに組み立てて、次の道につ

や」

なげていったのかもわからない。そん

「そうですね」

な感じがありませんか?」

「もう一つは、その就労に果たしてど

「そうですね。当時は多分そこまで考

こまでつながるのかはよくわからない

えてはいなかったと思うんですけど…、

にしても、例えばあの卒業論文ってい

今振り返ってみるとそんな気がしま

うのをサトルが書いたことによって、

す」

さっきも言っていたように、自分の人

「私は、そういう風なことがあるよう

生をそこに重ねてきたというところが

な気がするんやけどね。今回、特にそ

ある。自分の人生なんて、なかなか簡

う思った。あの論文を書いて私のとこ

単に言語化できないんやけど、でも論

ろに来た時にも、そういう道へ進もう

文って言語化されたものなので、あれ

かな、という思いはあったの?」

を通して自分の人生をコトバとして読

「もともと興味はあったんですけど、

み解くみたいな…。不登校になった時

自分がどこまでやれるのかというのが

…、なんで友達と会うのが嫌やったか

さっぱりわかっていなかったんで。大

って聞かれてもようわからんと…。こ

学でも周りにそういうのをやってる人、

れってすごい言語化しにくい要素がい

全然いなかったんで…」

っぱいあると思う、きっとな。でもそ

「先生にも相談したんだっけ、その

れを、言語化していかないといけない

話? 」

ような気がするんや、私の中では。何

「一応先生には相談しました」

かコトバにした段階で、当然コトバっ

「先生は、何て言ってた?」

てやっぱり近似値なので、ズレが生じ

「もともとあんまり乗り気じゃないっ

るかもわからないけれど、やっぱりコ

て、進学に関しては…大学院に関して

トバに置き換える必要があるような気

はあんまり行かない方がいいやろう的

がしていて…。今度は修士論文書くこ

な…」

とになるので、その時はもっとクリア

「ああ、進学って自分とこの大学院っ

ーになるかもしれないね。まあ大学院

ていうこと?」

決まればね」 49


「はい、決まれば」

感じで総括できたかな」

「やっぱりボリュームも大きくなるし、 それからまあクオリティも当然高くな

こうして私のサトルへのインタビューは

るだろうし。あるいは日本の文献だけ

終わりました。私が初めて出会った不登校

じゃなくて海外の文献も読まされるか

の子どもであったサトル。その偶然の出会

もわからないし…。だから、そういう

いから、アウラの森の不登校の子どもたち

風なことがある中で、もう一回自分の

への取り組みは始まったのです。私たちは

人生を言語化していくということは、

その取り組みの中でサトルを見つめ、彼の

直接研究職としての就労がどうなるか

学びと育ちに寄り添いながらも、私たち自

は横に置いても、サトル自身にとって

らを見つめなおし、学び直しをおこなって

はものすごく意味があるかなっていう

その関わり方を模索していったように思い

気はする。だからそういうこともあっ

ます。つまり、サトルという一人の不登校

て、それがいいんじゃないかなあとい

の子どもとの出会いは、相互的な学びの機

う風に思って…。つまり、ある意味、

会を提供するものであり、その相互変容の

自分の人生の責任をちゃんと自分のコ

ダイナミズムの中で、彼自身が自らのキャ

トバとして表現するということで置き

リアを形成していったのだと思っています。

換えていくというか。そういうことっ てすごく大事な気がする」 「そうですね」 「まあだからサトルにとっては、アウ ラでの生活っていうのは、今の人生の けっこう土台に…」 「なってますね」 「で、その土台になったものっていう のは、そこにはいろんなものがあるわ けやけど。でもやっぱり一つの転換点 っていうのか。それまではいろんなこ とがバラバラにしかならなかったのに、

5. サトルが手にしたもの

つながりを持って形作られていくよう な。そういう風に流れの方向性が変わ

学びの森という場で、サトルは確実に何

るような、そういう転換点やったかも

かを手に入れ変容を遂げました。それは限

わからないね。わずか 1 年余りの間く

定された時間軸の中のことでしたが、その

らいやけど、そういうものを得られた

変容は彼の高校、そして大学での生活場面

っていうのはよかったかな、と。私も

でも維持され続け、やがて彼自身のキャリ

そういうところに立ち会えたのがよか

ア形成へとつながっていきました。ではサ

ったかな、と。…まあざっと、そんな

トルが、アウラの森で彼が手にしたものと 50


は、いったい何なのでしょう? ここでは、

のコミュニケーション力を高めることへと

そのことを第2章で取り上げた DeSeCo の

つながっていきます。

キーコンピテンシーに照らしあわせて考え てみたいと思います。

サトルと初めて出会ったとき、彼はクリ ニックに通い、対人不安ということで薬を

キーコンピテンシーでは、その能力を次

服用していました。彼の返答は、そのバリ

の3つのカテゴリーに分けています。 「ツー

エーションがかなり乏しかったように記憶

ルを相互作用的に用いる能力」 、 「社会的に

しています。そんなサトルでしたが、まず

異質な集団での交流」 、そして「自律的に行

私たちとの関係が生まれ、次に同世代の仲

動する能力」です。

間たちとの関係が生まれていくうちに、だ んだん見ず知らずの世界へと飛び込んでい

サトルの場合、彼がたまたま学校に行か

くことができるようになっていました。そ

ないとき持て余した時間を消化するために、

して、この彼のコミュニケーションや対人

読書ばかりしていたということがあったの

関係の広がりは、彼の学習と無関係ではな

で、まずは国語を中心に学び直しをおこな

かったように思います。学習を通して得た

いました。比較的慣れ親しんだ国語という

自信が、彼の対人関係を広げていったと考

教科を通して、まずは学習リテラシー(自

える方が自然なような気がします。つまり

律的な学びの型)を手に入れるためです。

大事なことは、 「ツールを相互作用的に用い

自分で読んで、調べて、考え、そして振り

る能力」と「社会的に異質な集団での交流」

返るという当たり前の一連の流れが、しっ

とは無関係ではなく、互いに連動し合って

かり身につかないとダメだと私たちは考え

いるということ、そしてこれらは、サトル

ています。ある意味で「面倒な作業」を当

自身がアウラの森のコミュニティへと参加

然のようにこなしていく力と姿勢が必要な

する過程を媒介にしながら獲得されたもの

のです。

であって、決してコミュニケーション力や 対人関係力を向上させるプログラムによっ

サトルは、黙々と学び続けました。決し

て培われたものではないということです。

て派手ではありませんでしたが、粘り強く

「社会的に異質な集団での交流」は、高校

学び続けました。学習は、得意だった国語

に入学してからも続きます。彼は生徒会へ

から始まり、ある程度の学びの型とリズム

参加し生徒会長になり、また本屋でアルバ

を手に入れた段階で、英語や数学の再学習

イトをし、売り場を任せられるまでになり

もはじめ、気がつけば相当の量のプリント

ました。そして大学では、人一倍本を読ん

をやり終えていたのです。この過程が、 「ツ

で教授をうならせるような論文を書き上げ

ールを相互作用的に用いる能力」 、つまりリ

ます。まさにこの2つのコンピテンシーの

テラシーの獲得だったと思います。そして

連動の中で、彼は変容を続けていたのです。

サトルの場合、このリテラシーの獲得が彼 の自信を育てることにつながり、それが彼

そして最後の「自律的に行動する能力」、 51


これはまさに、サトルのキャリア形成の過 程とつながり合うように思います。サトル は、今まで彼の生活が変化する節目で私に 話しに来たように思います。忘れた頃にや ってくるのがサトルだったのです。彼は私 との対話の中で自分自身を振り返り、整理 しようとしていたのかもしれません。キャ リア形成の過程には、省察的な過程がどう しても必要になってくるからです。未来に 対してのビジョンを構築するためには、過 去に対する意味づけが必要となるわけです。 こうしてサトルは、私たちとともに時間 を共有した1年余りの間に、いくらかのキ ーコンピテンシーを手に入れたのだと思い ます。それが彼にとって十分なものであっ たかどうかはわかりませんが、その経験が 土台となって彼は、研究者への道を選択す るようになったのだと思います。彼がこれ からもどんなふうに変わっていくのか、私 にはそれが楽しみに思えて仕方がないので す。

52


第4章

コトバが生まれる時

「ボクは、病人として生きていたいわけじ

は確実に力をつけてきたように思います。

ゃない」 そう私たちに話してくれたのは、中学 3

ある日、医療センターに行ってきたタク

年生のタクヤでした。タクヤは、小学校に

ヤが顔を赤らめて私たちのもとへとやって

入学したころから地域の医療センターにか

きました。そしてこう言ったのです。

かり、ドクターの指導の下に薬を服用して

「ボクは、病人として生きていたいわけじ

いました。彼は、学校の騒がしさに耐えき

ゃない」と…。

れないという理由で、少しずつ中学校を休 むようになっていき、とうとう 2 年生から

ドクターは、タクヤがストレスを抱える

は、ほとんど学校へ行かなくなっていきま

と不安定さが大きくなるので、なるべく生

した。

活にストレスがかからないことを指示され たそうです。だから志望校も決して無理せ

そんなタクヤがアウラを訪ねたのが中学

ず、身の丈以下の学校を薦めるのです。で

2 年の冬でした。そしてそれから 1 年が過

もタクヤには、どうしてもチャレンジした

ぎ、彼もとうとう高校受験を間近に控える

い学校があったのです。そこで生まれたの

ようになっていました。この 1 年の間、幾

がこのコトバだったのです。

度となくタクヤは不安定な状態を乗り越え てきました。ある時は、このままアウラを

「ボクは、病人として生きていたいわけ

続けることが危ぶまれた時もありましたが、

じゃない」そう私たちに話してくれたコト

何とかそれを乗り越えてきました。そして

バの後に続く彼の思いは、 「もっと勉強もし

夏頃からは急にたくましくなって、大変安

たいし、もっと友達も欲しいし、もっとク

定した状態が続き、それにともなって学力

ラブ活動もしたいし、普通の高校生として

も急に伸びてきたのです。いや、あるいは

生きていきたい」というごくあたりまえの

学力が伸びてきたことで自信を獲得し、精

願いだったのです。そしてこのあたりまえ

神的に安定してきたのかもしれません。と

の願いをタクヤ自身が、コトバで表現しそ

にかく、紆余曲折はあったものの、タクヤ

れを口にしたことは大きな意味がありまし 53


た。それを語ることで、彼は自分自身を「発

います。そんなキヨシが、私たちに自分が

達課題を抱えた不登校」というラベルが張

ひきこもっていた時のことを話し出すよう

られた中学生から、 「受験生」へと自身を変

になったのは、アウラの森に来てようやく

容させていったのかもしれません。

半年ほどたった時のことでした。キヨシも やはり、自分のつらかった過去を物語るた

不登校の子どもたちに日々接していると、

めには時間が必要だったのです。

彼らが大きく変容するポイントがあること がわかります。私たちから見て「もう大丈

この章の中では、不登校の子どもたちが

夫」と思える瞬間がやってくるのです。こ

自分の物語を自分のコトバで語りだすとい

の変化は、非連続の変化です。何かの階層

うことの意味を彼らへのインタビューを通

が変わるようなものなのかもしれません。

して問いたいと思います。彼らはアウラの

そして、この変容のポイントを迎えるにあ

森で誰かと出会い、その出会いを通して自

たって、子どもたちは自分の苦しかったこ

分のコトバを獲得しその物語を語り始める

れまでを振り返りそれをコトバにするので

のです。そしてさらに、その物語が媒介と

す。最初はどうして苦しいのか、そのこと

なって、彼らを取り巻く家族や友達、学校

をほとんどの子どもは表現できません。逆

の教師たちが彼らをあらためて理解し、彼

説的にいうと、表現できないから苦しいの

ら自身もまた変わり始めるのです。

かもしれません。でもやがてこのような状 態から子どもたち自身が何らかのコトバを 持ち始めます。それはまるで、P.フレイレ の〈識字教育〉14における対話の世界のよ うに、コトバを持った彼らは自身の物語を 語りだすようになっていくのです。そして その物語は、ある種の感動を伴って他者へ と伝わり、子どもたちの思いが共有されて いくのです。 「ひきこもりは、3 年すれば飽きる」 これは高校を 1 年で辞め、その後不登校と

1. 教室に入れなかった少女

なり、やがて自宅で 3 年間ひきこもるよう になっていったキヨシのコトバです。彼は

「過敏性腸症候群(IBS)」に苦しむ子どもた

「1 年目はまだよかった。でも 2 年目から

ちを、私たちは今まで何人も見てきました。

はやることがなくなって苦しくなって、3

彼ら彼女らの多くは、腹痛や吐き気のため

年目はほとんど気が狂いそうだった」と言

教室に入ることができません。教室に入る こと自体が、大きな不安を作り出すのです。

14 Freire, P. 1970

Pedagogia do Oprimido. (P.フレイ レ 1979 『被抑圧者の教育学』 亜紀書房)

「またトイレに行きたくなったらどうしよ 54


う…」そんな思いが、幾度も頭をよぎるこ

それを手伝いに…」

とになるのです。今年 20 歳になるユキエも

「ああ、そういうことをやっていたの

中学時代からずっと腹痛に苦しみ続けてい

か。」

たのです。

「うん。やっていた。知り合いのとこ ろだったから…」

「ユキエがアウラに来たのは、いつだ

「それ、どのくらいやっていたの?」

ったけ?」

「どのくらいやってたんかな…でも毎

「5 月」

日じゃないから、行かない日は家にい

「5 月、ということは 1 年少し前?」

てた。 」

「うん、体験は 4 月 20 日」

「でもそのバイトも途中でやめている

「どうしてそんなこと覚えてるん

わけや。」

の?」

「そう。」

「なんか覚えてる」

「で、やめてからここに来るまで、ど

「4 月 20 日に体験に来て…」

のくらいの期間があるの?」

「ということは、1 年 3 ヶ月」

「えー、どうやろ。うーん。いつやっ

「うん」

たかなぁ。だって私、今何年生だった

「そうか…、そしたら、1 年 3 ヶ月前、

っけ?」

ずっと家にいてた?ここに来る前って

「何かもう訳のわからないことになっ

どんな生活を送っていたの?」

ているよね」

「うーん、家かな。家と…少し前は、

「なってる」

理容室のバイトみたいなことはしてい

「ちょっとまって。ユキエが最初に不

たけど、でもそれをやめてからはずっ

登校になったのは中学?」

と家っていう状態になって、それから

「2 年」

アウラへ来たみたいな。行かなくなっ

「中学 2 年のいつ?」

てから…。 」

「体育祭」

「美容室って散髪屋?散髪屋のバイ

「ということは、秋?」

ト?何やっていたの?」

「秋」

「うん、出張の…」

「それは、何かきっかけがあった?」

「え、それどういうこと?出張のバイ

「何か…友達、友達関係が最初にこじ

トって高齢者の?」

れて、それが嫌ってなってきたら…身

「高齢者の人はなんか、老人ホームじ

体が…。何か、もう身体が、拒否して

ゃないけど、デイケアのような、何だ

きて、オエッて吐くようになったり…」

ろう…?」

「そうだったの?」

「ああ。老人ホームみたいなところ行

「朝と、学校行きたくないって思うよ

って、散髪屋さんが髪の毛切って…」

うになって、もうずっと下痢になった

「散髪屋さんが出張に行かはるから、

り…。それで、ちょっと行かなくなっ 55


たら…」

格の。それって何か、どうしてでなの

「え、ごめん。その友達関係は、クラ

みたいな。どうしてその 2 人のけんか

ブの関係?」

のせいで、どっちかに入らなあかんの

「うん、クラブの友達」

みたいな。わかる?」

「ふーん」

「わかる、わかる。わかるよ。そう言

「仲良くしていた人に、同じクラブの

われて…?」

人が多かった。全員じゃないけど、ま

「だから、そのまま。曖昧なまま…別

あ、大半」

に、みたいな…。そしたら “何でやね

「そうなの。ユキエの仲の良かった友

ん”みたいになって…。それで結局、

達は、同じクラブだったと。何部だっ

私が、ポツンと一人になることで、も

たっけ?」

めていた二人がくっつくわけ」

「テニス」

「あーなるほど!わかった。あいつが

「そこで、いろいろトラブったわけ?」

悪いみたいな話になって、だからあい

「クラブでトラブったわけじゃないけ

つをいじめよう、あれしようみたいな

ど、うん…」

ことで結束していく…」

「それ一度聞いたことがあるなあ。何

「そう」

か、 “あんたはどうなん?”とか聞かれ

「わかりやすい話やなぁ、なるほど…。

ても、 “えーっ”っていつもニヤニヤし

そうなって結構みんなからさんざんに

てしまうことで、キレられて…」

言われたわけやな。コトバだけ?」

「そうそう」

「いや、いろいろ…」

「 “何かどっちなの!”みたいな…」

「何があったの?コトバ以外に…。 」

「なんかそんなこと言ってたな」

「なんか…態度にも表れた」

「みんなのグループにいい顔、みたい

「どんなの? たとえば…」

な…」

「“何とかしてこい!”みたいな…」

「あー、そういう、まあ A グループか

「“何とかしてこい!”ってどういうこ

B グループがあって、どっちにもいい

と?例えば…」

顔してるし、 “どっちなの?”みたいな

「“あいつにこう言え!”とか…」

感じで言われて…」

「でそれ言いに行っていたの?」

「その 2 つのグループは、けんかして

「いや、なんか、 “何で言わないとダメ

から別れたんだけど…」

なの!”みたいな感じで言ってたら、

「元々1 つだったのが、A グループと B

“何で言わないの!”みたいな感じに

グループに分かれたんや、なるほど。

なって…」

それで?」

「その頃は、メールとかはあった時代

「それでさ、そのけんかに巻き込まれ

なの?まだみんな携帯持ってなかっ

て、“あんたはどっちか決めろ”って。

た?」

その 2 人の問題やんか、そのリーダー

「うーん、持っている人は持ってるみ 56


たいな…」

なか痛いー!”っていう状況があって、

「でもあんまりみんな持っていたわけ

学校に行けなくなったわけや」

じゃない」

「うん、そういう感じ」

「メールで陰口とか、悪口があったり

「保健室登校はしていたの?」

はしなかった?」

「なんか、ずっと行けなくなっていた

「そういうのもあったけど…」

ら、先生らが…というか、他にもいた んや、行けない人が、1人か2人。そ

ユキエは、女の子によくあるグルーピン

れで私が3人目になったことで、なん

グのはざまで苦しんでいたようです。彼女

か違う部屋設けたほうがいいんじゃな

がちょうど中学 2 年の時のことでした。自

いかという話になって、その違う部屋

分がどうしたいか、あるいはどうしたくな

に…」

いのか、という意思をはっきり表現できな

「行き始めた?」

かったが故に、いじめの対象となっていっ

「うん、行くようになった。でも、行

たユキエ、そのきっかけはごく些細なこと

ってたんだけど、不定期にしか使えな

だったのかもしれません。

くて…」 「その部屋が使えるのが?」

「そうか、それで結構ストレス抱えて、

「そうそう。だからいきなり、 “もうこ

吐いたりとか、お腹痛になったりとか

の部屋なくすことになったから、明日

…。それまでは全然そんなことなかっ

から教室はいってください”みたいな

たの?」

感じでいきなり教室に入れられること

「お腹はもともと弱かったけど、そう

があったんや」

いうことになってからは、もうずっと

「ほう。無理に?」

下痢になっていたから…」

「そう、無理矢理」

「もともとそういう弱さは持ってたん

「その部屋にいるときは安心できた

だ」

の?」

「でもそれは新しい環境になった時だ

「その部屋に行くときとか帰るときと

け。中 1 の初めとかはあったけど、中

かは、めっちゃ隠れて…」

2 はもう普通にしていて…」

「あー、友達に会うわけや」

「吐くことも、もともとあったの?」

「そうそう」

「いや、吐くことは…急に始まった」

「みんなには会いたくなかったんや。

「しょっちゅう吐くの?」

その生活がずっと続くわけ?3年にな

「朝、朝。 」

ってもその生活は続いたの?」

「あー、朝。朝吐くの?」

「うん」

「朝もそりゃ吐くけど、 “もう気分悪い、

「もうずっと、中学校時代はもうそん

ううー”って感じ」

なまま、中学校を終えるわけ?」

「もう“いつも吐きそうー!”とか“お

「うん。」 57


「友達関係はどうなったの?そのあ

の子は行かなかったの?」

と。 」

「ううん、行った」

「その友達?」

「あ、そうなんや?!」

「うん」

「でもな、それは知らなかったんや。

「その友達も、うちが抜けたけど、こ

入学式で初めて知った、だって情報網

うあっちでは、いろんな…違うメンバ

がないやん」

ーがこうやっていてるんや」

「そんなの学校で教えてもらえるやろ、

「うんうん」

何それ?」

「で、だから、うーん」

「それで、そのA高に入ったら、入学

「そいつも学校へ行けなくなってく

式にえーっ、ってなって、それがあっ

…?」

てもう教室入れなかったの?」

「うーん、だけど結局またくっついて

「そうなって、なんか…」

とか…よくわからへん」

「学校の先生も言ってくれたらよかっ

「よくわからへん」

たのになぁ」

「うん、でもとりあえずうちは学校行

「まぁ…」

ってへん…教室とか入ってないから、

「それでもう教室入れる状態じゃなく

やっぱり言われる」

…」

「陰でいろいろと…」

「うん」

「うん」

「そのいろいろ悪口言われたりするの は高校に行っても続くの?」

友達同士の関係で大きなストレスを抱え

「なんか、他の友達とかも、その友達

ることになってしまったユキエ。でもその

のことうちは知らんけど、知らん人は

根本にあったものは、彼女自身が自分のコ

うちのことなんか嫌ってはって、なん

トバを持っていなかったことかもしれませ

でこんな嫌われてるんやろうと思って

ん。もちろん読み書きに問題があるわけで

たら、やっぱり、そういうなんか中学

はありません。彼女はコトバを自由に扱え

の時のこと言ってるから…。何かそう

たのですが、自分のコトバを持ち得なかっ

いう知らない人らにも言われて、何か

たのだと思います。だから身体を使って表

もうあかんみたいになって…」

現せざるを得なかったのかもしれません。

「そっか…、結局だからA高は、どれ

そしていつしか、その反応はパターン化さ

くらいでやめるわけ?4月に入学して、

れていったのです。

教室はほとんど入ってないんや?」 「どのくらいやろ…。実際には5月の

「それから、高校はA高校にいったん

連休前くらい」

やね」

「もうそのくらいで、もうやめようか

「そう」

なと決心するわけ?」

「それで、そのA高校にそのグループ

「もうずっと学校休みぱなしやし、 “行 58


かな、やばいで”って言われるし、そ

「うん、それでまたひきこもるという

れももうなんか…」

ことになってしまった」

「プレッシャーやった?」

「結局定時制はどのくらい通ったの?

「うん。どんどん、どんどん後ろ向き

4月入学して、通ったの?」

になってきたから。もう行かんとこっ

「まあ、通った」

て…」

「どのくらい通ったの?1ヶ月くら

「家では何してたの?学校に行かずに

い?」

…」

「どっちのほうが長かったかなぁ…。

「何にも…」

同じくらい」

「着替えもせず…?ジャージみたいな

「それも続かず、辞めちゃうわけや」

恰好でずっといるわけ?」

「というか、何か、ちょっとのこと言

「ああ…、でも生活リズムがおかしく

われるだけで、気にするとか…」

なってきて…」

「言われてることがもう怖いわけや。

「ああ逆転。昼夜逆転で、ほんで…。

何言われてるんかなとか…」

あれどうして昼夜逆転になるの?」

「そうそう」

「 “寝れへん、寝れへん”ってなって思

「で、学校やめてどうしようと思って

うようになって…」

たの?」

「ああ、寝れへん寝れへんってなって

「通信制の高校かなと思ってた。高校

か…。でもその年はずっとそんな生活

は出ないとどこもさ、そのあと中卒で

のまま?」

働くなんてありえへん。だから高校は

「うん」

出ないとあかんから、やっぱり通信や

「それで次の年に、今度は定時制のB

なって…」

高校を受けるわけやろ?」

「うん、なら通信に行こうとは思って

「うん、友達が、一年下で、B高行く

た」

から行こう、みたいな。うーん。その

「うん」

普通の高校に行けへんやん。あんまり

「だからB高も多分春にやめているわ

勉強してなかったし、定時制で卒業し

けやろ?」

ようかなって思って、高校だけは…っ

「そう春に…」

ていうことで、行ったけど、中学2年

「春に、もうそうやって行けなくなっ

生とかから、あんまり集団の中に入れ

て、次はもう通信かなぁって思いなが

なくなってきて、教室にも行ってない

ら、まだその年の夏が過ぎ秋が過ぎ、

し、集団が…」

冬が過ぎ…、で、その次の年にアウラ

「集団が怖い?」

に来たんか?あるいは、もう一年先

「なんか、うん…。でなんか、症状が

…?」

出てきて…」

「たぶん、もう1年先…」

「ああ、お腹痛とか?」

「なるほど、ということは、B高をや 59


めてから約2年間ブランクがあってア

ら、看板を見て、こんなとこあるんや

ウラに来たんだ」

ぁみたいな感じで…」 「たまたま?」 「たまたま見つけやはった」 「それが、君の運命を決定づけた」 「そう」 「よかったなぁ。お母さんが見つけて くれて。それで電話がかかって、ユキ エがやってくるわけや」 「うん」 「アウラでは、最初から通えていたよ うな気もするな。お腹が痛いとは言っ てたけど。違ったっけ?」

2. 二年前の私に言ってやりたい

「どうやったっけ…週2日やったっ け?」

その後、腹痛に悩まされ続けたユキエは、

「最初は週2日からやった。それから

高校を2回中退します。腹痛に対する不安

ちょっとずつ増やしていって…」

が大きくて教室に入れず、授業が受けられ

「そう」

なかったからです。私立高校を辞め、翌年

「それから友達もできて…」

定時制高校を辞め、中学時代を含めると3

「うん」

つの学校に通うことができなかった彼女の

「それも大きい…、ちがう?」

経験がますます彼女自身を苦しめるように

「うん」

なっていきました。そして定時制高校へ行

「だからまあ、周りに信頼できる、な

けなくなってから2年近く、彼女は自宅に

んでも言えるいい友達がいる」

引きこもるようになっていきます。しかし、

「うん」

そんな矢先に、ユキエのお母さんが偶然ア

「学校に行ってるときはやっぱり先生

ウラの森を見つけるのです。これもまた偶

も信頼してなかった、あんまり?」

然の出会いから物語が始まるのです。

「してなかった」 「アウラの先生とは、ずいぶん違う?」

「アウラはどうやって見つけたの?」

「どうやろ…、どうかな…。学校やっ

「お母さんが探さはって、それまでは、

たら、うち、めっちゃお腹痛くなるか

亀岡にあるとか知らなかった。お母さ

ら、 “トイレ行っていいですか?”って

んがたまたまアウラの隣の病院に行か

なるやん」

はって…」

「なるなる。それは、いややな」

「そうなの」

「そんなん言ってたんやって…。授業

「そこに行ってはって、前通らはった

中に2回くらい“トイレ行っていいで 60


すか?”って言った後に、もう授業と

ブやったから…。 “こんなこと言われて

か、教室に戻りたくなくて…」

るわ”ってずっと考えたり…、気にし

「2回も抜け出してたらなあ、わかる

まくってたから…」

わかる。 」

「今は、あんまり気にならなくなって

「そう、そういうのとかあるし…」

きた?」 「ちょっと距離も持てるようになった

まずトイレのことが、ユキエにとっては

し…」

大きな問題でした。みんな同じ行動が求め

「距離を置けるようになったってこ

られる学校において、授業中にトイレに抜

と?」

け出すこのことが、とてもストレスを抱え

「人と距離を置いて、 “なんか、こう思

ることになってしまう。その点、アウラの

ってはるやろなぁ”とか、思ったりす

森では、自由にトイレに行くことが保障さ

ることもできるようになってきたし

れている。ここがユキエにとってことのほ

…」

か大きかったように思います。

「まあそこらへん、人間関係が上手に なったわけや」

「ここは黙っていけるし、気が楽やん

「上手ではないけど…」

な。でもお腹痛いのもずいぶん良くな

「でもまあ、あんまりストレスかから

ったやろ?」

ずにやれるようになってきた?」

「うん、何か…」

「うん」

「めっちゃましになったんじゃな

「いや、ずいぶん明るくなったと思う。

い?」

前はあんまり笑うこともなかった。ご

「何か、あの時は無茶やったんやなっ

まかし笑いみたいな…」

て感じ…」

「そうそう、家にこもっていた時に全

「どういうこと?」

然家族とコミュニケーション取れない

「何か…ちょっとは成長したかなあっ

時期があって…」

て…」

「そうなの?」

「ほんま、前はなんであんなにひどか

「もう、ちょっと頭おかしかった」

ったんやって感じ…」

「どういうこと、頭おかしいって?」

「前も、ちょっとは気持ち的な面もあ

「こもりすぎて…なんかトイレ行った

ったんやと思う。やっぱり気持ちやね

後に、なかなか帰って来ないと思った

ん」

ら何か…」

「精神的に、ってこと?」

「何してたの?」

「何か、うーん、ちょっとは考え方が

「何かこうして…」

変わったかなって思う」

「髪の毛抜いてた?」

「どんな風に変わった?」

「それでお母さんが、 “えー、何してん

「ずっと嫌なことを言われてネガティ

の!”って…」 61


「そんなに大変やったんや」

「ははは」

「だから精神科みたいなところで薬も

「考えたらユキエすごいなぁ。改めて

もらってたんや」

聞いたら。ちょっと前までトイレの中

「どこへ行ってたんやっけ?」

で髪の毛引っこ抜いてたのに…」

「なんかもうめっちゃ行ってた。〇〇

「そうそう」

病院とか、〇〇クリニックとか、〇〇

「それいくつのとき?」

とか…」

「いつかなぁ、高3かなぁ?」

「いくつも病院へ行ってたの?」

「でもまぁ人間って変わるもんやで…

「うん、いろいろ行ってた…」

そう思うわ」

「あーほんとに」

「うん」

「じゃあ、精神面でもめちゃ成長して

「何が一番ユキエの支えになったの?

るやん」

ユキエを変えたものは何なんや…?」

「そうそう」

「何やろ…」

「それ知らんかったわ」

「何がユキエを変えていったんやろう。

「うん、知らんかったと思う。ふふふ

ここ毎日勉強してるだけやん言うたら。

…」

私が別にユキエに説教してるわけでも ないし、薬をあげているわけでもない

子どもが一旦ひきこもると、一度は家庭

し…」

内で地獄絵が繰り広げられるといいます。

「周りの考え方も変わってきたから」

ひきこもり経験者のキヨシは、 「気が狂いそ

「周りの考え方?」

うだった」と表現し、ユキエはトイレで自

「何ていうか、次どうするの?とか、

分の髪の毛を引き抜いていた自分を振り返

今後どうするの?って、親の考え方も

り「頭がおかしくなった」と表現します。

変わってきて…。以前高校の時は、今

つまり、ひきこもってしまうという状況そ

日行かないと、もうやばいやんって感

のものが、大きなストレスとなって子ども

じやったんやけど、今は、大丈夫、大

たち自身に返ってくるのです。今回私は、

丈夫みたいな、そういう考え方に変わ

このユキエの事実を初めて知ったのです。

ってきてん。変わってきてくれた、環 境が…」

「ユキエすごいやん。今では何かもう

「そうか、前は、 “あんた行かへんかっ

もう別人やなぁ」

たらどうすんの”、“これからどうすん

「うん…なんか…」

の”みたいな…」

「車も運転できるし…」

「うち、こうされていたもん」

「ほんまに!ふふふ…」

「ああ、追い立てられて、ひっぱられ

「テスト前になったらテスト勉強もす

てた…ずっと?」

るし、バイトもしようかって面接に行

「 “早く!”みたいな」

くし…」 62


お腹が痛くて家から一歩も出れなかった

いるよ、みたいな話。違ったっけ?」

ユキエが、毎日家から出てアウラの森に通

「なんか大学の近くに住んでて、一人

ってくれる。家族からすれば、まさに奇跡

暮らししてて、最初は私みたいにお腹

のような現実が目の前に展開しているわけ

痛いって言っていた人」

です。彼女が動き始めると、家族のかかわ

「そんな話をしたなぁ…。タエちゃん

りそのものも変わっていったとユキエ自身

っていう子や。あの子も高1の時お腹

は証言します。

が痛くて教室に入れずに、結局単位が 取れなくなってしまって、アウラにや

今、ユキエは車に乗ってアウラの森へ通

って来た。最初は、ここでもお腹が痛

っています。この春に合宿免許に参加して

くて、よく泣いてたこともあったんや

車の免許を取得したのです。これも彼女に

けど、だんだんそれを克服していって、

とっては大きな、大きな挑戦でした。合宿

短大へ入学していった。それで短大を

中、お腹が痛くなり、病院で点滴を打って

卒業してから同じ大学の事務で働き始

もらいながらも講習を受け続けたといいま

めたんや。それから一人暮らしも始め

す。そんな彼女を変えたもの、それは一体

て…、ほんとに変わっていった。でも

なんだったのでしょうか?インタビューは

タエちゃんじゃないけど、ほんまに人

続きます。

は生まれ変われるんやわ。でもユキエ も半端じゃないよな」

「アウラに来るようになって、そんな

「ふふふ」

ことから解放されて、“まあいいやん、

「半端じゃないと思わない?ついこの

ゆっくり考えたらいいやん”みたいに

間までトイレで髪の毛を抜いていた人

思えるように随分なってきた。これは

やとみんな思わないんじゃない?考え

大きいね。他には?」

たら、ついこの前やん。まあでも、よ

「うーん、なんやろ、やっぱり考え方

かったよね、色々。あと1年、あと1

も自分でも、高校行けなくても、こう

年半あるよな、次の進路まで…。あと

いう道っていうか、あるんやなぁみた

は自分で自分の進路を決めていかなあ

いな感じに思えるようになった」

かん。今度はユキエ自身が決めなあか

「高校に行かんでも、ちゃんと勉強で

ん。そうやろ?誰に引っ張られるので

きて、次につなげていくような道がそ

はなく、自分で決めなあかんわけや。

ういうあるんやと知ったっていうこ

お菓子ばっかり食べてる場合じゃない

と?」

で」

「まあいろんな道が、あるなって思え

「ははは」

た」 「そうやなぁ。そういう子もおるから

子どもたちが変わり始める時に、そのモ

なぁ。私も多分初めの頃にそういう話

デルとなる子どもの存在は大きいと思いま

してるんじゃないかなぁ。こんな子も

す。自分と同じような状況を抱えた子が、 63


実際に何かを乗り越え生まれ変わっていく

が今後もずっとやったら、それは中々

ように変容を遂げるその姿に、彼らは自分

しんどいと思う」

自身を重ねていくようです。自分の辛さを

「うん」

わかってくれるという思いと、その子も自

「だから少しずつ、今から人の都合に

分と同じ辛さを抱えながらそれを乗り越え

合わせて自分が行動するっていうこと

ていけるんだという思いの交差するところ

も手に入れていかないとあかんのじゃ

に彼らはその子を一つのモデルとして位置

ないかなっていうのが、私の思いなん

づけていくようです。

や。だから私は時間通りに来いって言 うんや」

こんな風に不登校の子どもたちにとって、

「うん」

自分たちと同じような境遇に生きる仲間の

「このことは、きっとユキエのこれか

存在はとてつもなく大きいのです。彼らは

らにプラスになると思うねんか。それ

独立して存在する個人として変容するので

はすごい大事なことやと思う」

はなく、その仲間、あるいは私たちとの関

「うん」

係性の中で変容を遂げていくのです。

「そこらへんアッコは強いなと思う。 あいつ割と強いやん」

「まあでも、こうやって朝からちゃん

「うん」

と来ようとしてくれるし。いや別にな、

「周りがガタガタしてても、やるべき

いまの通信の勉強のことだけで言った

ことはやってる感じしない?」

ら、別に朝からくる必要は何もないと

「する」

思う。でも私は前から言ってるように、

「するやろ、なんか…。そういうとこ

ユキエの都合で決めるんではなくて、

ろあの子強いで、やっぱり。だからユ

誰かの都合で自分が生きていくという

キエに必要なのはあの強さやと思うね

ことを、やっぱりユキエ自身は手に入

ん」

れていかなあかんのじゃないかな、と

「うん」

思うんや」

「だからあと1年半の間に、ユキエは

「うん」

あの強さを、どこかで手に入れないと

「というはやっぱり、ユキエの都合で

いけない。そしたら人生が…開けてく

生きてきた時間がずいぶん長い。普通

る」

に高校行ってる子はそうじゃないやん。

「ふふふ」

働いている人もそうじゃない。いつも

「絶対そう思うけど」

自分の都合で動けるわけじゃない。で

「うん」

もユキエは結構やっぱり一人で、まあ

「ここまで来れたんやから。ここまで

いろんなつらいことがあったんやけど、

来れるっていうのは奇跡や。奇跡と思

結果として自分の都合で生きられるよ

わへん?こんなの…」

うな環境にずっといたわけやろ。これ

「うん」 64


「これドラマやで…。何かそんな風に

「うん」

思わない?もうこんなほとんどドラマ

「今までは、結構マイナスの世界で、

の世界や」

いっぱいユキエは生きてきたんや。ネ

「うん、ドラマや」

ガティブって言ってたやろ。でも今、

「そうでしょ、これもうドラマの世界

ようやくユキエは普通に戻りつつある。

や。でもこれからユキエは自分で自分

でもまだ0や、言うてることわかる?」

の人生を切り開かなあかんって思うで

「うん」

…」

「ユキエは、これからプラスを作って

「言ってあげたいもん」

いかなあかんのや。でプラスを作ると

「誰に?」

きに必要なのはやっぱり、強さやと思

「過去の私に」

う、もうちょっとそれがいる。わか

「何て言ってあげるの?」

る?」

「 “もうこんな変わっていくのに!”み

「そう」

たいな。 “何でそんな悩んでたんお前”

「モエだって、あんな風に言ってたけ

って…」

ど、高校入学した時、もう学校やめた

「ははは」

いとか言ってたやん。いやや、いやや

「 “何してたん?”みたいな…」

って言ってたよな」

「過去の、髪の毛引っ張ってた私に、

「言ってた」

“お前は、知ってるか”って…」

「でもあれをやっぱりあそこまで、こ

「 “こんなことなってるねん。お前の2

の夏、数ヶ月の間にあそこまでになる

年後は”ははははは…」

なんて、やっぱりあいつ強かったんや。

「ほんま、よかったな。そう思うわ。

それが必要なんや。自分で自分を変え

何かこんなことを、まあ自分で、私の

れるだけの強さがいる、やっぱり…。

語りっていうか、こんなのを語るのも

これからプラスを作っていく。わかっ

いいことや。自分で自分を振り返りな

た?」

がら…。人間ってな、苦しい時って過

「うん」

去を語れないねん。だからユキエがこ ういう風に変わってきたので、あの頃

2年前の自分自身に「あんた何でそんな

はああやったとか、あの頃の私に言っ

に悩んでんの、って言ってやりたい」と熱

てあげたいとか、そんな話が出てくる」

く語ってくれたユキエ。この思いこそが今

「何してるねんって…」

の彼女のリアリティでした。決して洗練さ

「そう何してるねんって…。お前はあ

れたコトバではありませんが、彼女は力強

の頃逃げなかったらこういう風になっ

く語ってくれます。過去の自分自身を相対

てるねんでっていうことでしょ?その

化し、その自分自身という対象に向かって

通りや、まあよかった。でも、まだ道

彼女は力強く叫ぶわけです。

半分や」 65


「夏。7 月くらいから」 「じゃあ、いつから学校へ行ってなか ったの?」 「中学2年。というかもう中1の終り かな?中2なる前くらいとか、そんな 感じ」 「それは、どうして行かなかったの?」 「最初に学校休んだのは、朝起きる時 にものすごい頭が痛くなって、それで、 ほんとうに割れるように、こめかみが

3. メイクの中の私

痛くなって、 “痛い”って言ったら、お 母さんに“じゃあもう今日は休んでお

アウラの森へは、電車とバスを乗り継ぎ

き”って言われて…その日から全部ダ

1 時間以上かけてやってくる子どもたちも

ーって崩れていって…」

珍しくありません。現在高校 1 年生になる

「それ、もう1年の終りくらいやな?」

カオリもそんな遠方から通っている不登校

「1年の終りくらいに。それからもう

の女子でした。

全部がなんか、いやになって…うん」 「ああ、そうなんや」

カオリが生まれ育ったのは、山間部のと

「行かないようになった」

ある集落でした。幼稚園、小学校、中学校、

「そしたら、まあ最初はただ頭痛くな

そして高校と、彼らの多くは同じ学校へと

ってということがあって…、なんかこ

通っていきます。地域には、コンビニが2

う些細なきっかけだったわけ?」

軒と小さなスーパーが1軒。集落内を歩け

「うん…、でもその前から学校以外は

ば、自ずと顔見知りの誰かに会うといった

あまり家を出なかったりしていて…い

そんな生活環境の中にカオリは育ったので

つもだったら私は活発だから、休みの

す。そこは、小さな社会ですから、みんな

日とかでも“どっか行こう、どっか行

と仲良くやれている間はいいのですが、い

こう”とか、お母さんらに言ってどこ

ったんその人間関係が崩れだすと、途端に

かに連れてってもらってたんやけど、

人間関係が苦しくなってしまいます。苦し

でもそれがもう1年生の終りくらいか

くなっても、そこに逃げ場がなくなってし

らお母さんらに“どっか行こうか”っ

まう。そんな環境が彼女を苦しめていたわ

て言われても“行きたくない”って言

けです。

うようになって…」 「どうしてなの、それは?そのあたり

「カオリが、初めてアウラにやって来

の話は知らないわ。どうして急にそん

たのはいつだったっけ?中 3 の夏だっ

な風になったわけ?もともと活発やっ

たかな?」

た?」 66


「もともと、めっちゃ活発やった!身

ことに関心のある子と、そんなこと全

体動かすことがめっちゃ好きやったし、

然なんも思ってへん子とかって結構い

外出たり、買い物はしなくてもウィン

っぱいいるんんじゃない?」

ドウショッピングっていうか…お父さ

「うん、いるいる。で、私らの場合や

んがそういうの好きやから、そんなこ

っぱり人数が少ないから…、その中で

とにもちょこちょこ連れてってもらっ

私はずっとそんなことが好きやったか

たりっていうのが、楽しかったんやけ

ら…、だから私は早かったんや。メイ

ど、でもそれさえも何かどうでもよく

クとかネイルとか全部早くて…」

なって…」

「どうしてそれ早かったの?何かきっ

「どうしてなの、それは?」

かけがあったん?それはおばちゃんの

「うーん…何やろう?何か全部に無気

影響なの?」

力になって。自分が好きやったネイル

「やっぱりテレビの影響なんかな?」

のこととか…、休みの日とかは爪塗っ

「ふんふん」

て遊んだりっていうことを毎週のよう

「私が好きな倖田來未っているやんか。

にしてたんやけど、でもそれも全くし

小学校の3年くらいからずっと倖田來

なくなって。それで髪の毛のケアとか

未が好きで、その倖田來未のネイルシ

も…」

ョーで爪がゴテゴテにやっているのが

「それ1年の時やろ?」

かっこよくて、それを見ていてかっこ

「1年の終り」

いいなって思って…」

「うんうん」

「小学校3年の時に?」

「それも全部しいひんようになって

「そうそう」

…」

「へえ、なるほど」 「それで、最初ネイリストになりたい

大変活発だった女の子が急に無気力にな

って思って…。まだ小学生やからそん

っていく、その理由もただ頭痛がするとい

なたいそうなメイク道具は買えなかっ

うだけで、最初はよくわからない。わから

たけど、おもちゃ屋さんで売っている

ないのに無気力になっている自分を見て、

ような本当に子どもだましの 3000 円

もっと無気力になってしまう。これは不登

のキットみたいなのを誕生日に買って

校の子どもたちに共通して起こりうる状況

もらって、一人で遊んで…」

だと思います。

「なるほど…、そんな女の子がそのま ま中1になって…、周りの子らはそん

「とういうことは、もともとおしゃれ

なことにあんまり関心なかったの?中

やったんだ。そういう意味では、わり

学1年の時…」

とおませさんだったわけや」

「中学1年の時は…関心はあったけど、

「そう」

みんな実践しようとはしなかった…」

「だって中学1年の女の子ってそんな

「持ってなかったわけ、お化粧道具 67


を?」

の同級生たちは卒業して学校を出てし

「そう。やっぱり中学1年生やったら

まう。そのことは大きかったの?」

お金も限られてくるし、買えるものだ

「ものすごく大きかったかもしれな

って少なくなってくるし…で、メイク

い」

のやり方だって、最初はみんなわから

「へえ。どういうこと、それって?」

ない状態やって…」

「それは、同じ学年の子とかは、友達

「カオリは、その時にはいろいろ持っ

同士で“ものすごく仲のいい”という

てたわけ?」

ようなことを言っていて裏では“何な

「そんなに持ってなかったけど、でも

のあの人”みたいな感じの会話をして

お母さんの妹から化粧品もらったりし

いるのを見ていたから…」

て自分でやっていたり。それとか雑誌

「そんなのが嫌やったの」

見て“こんなことしたら目大きくなる

「それが嫌で、 “そんなのが嫌なんやっ

んや”とかを暇があったら読んでいた

たら最初からいやってその人に言えば

りとか…」

いいやん”って思うんだけど…」

「なるほどな。そんな状況と1年の終

「でも狭い人間関係やからなあ」

りくらいになんか急に無気力になって

「そうそう」

きたみたいなことは何か関係がある

「“ああいうところ、嫌いなんやけど”

の?」

って言うことがあるんだったら、その

「どうなんやろ…でもそれは多分関係

人に直接言ってあげればって思うのが

ないと思う。でもやっぱり結局は学校

私だったの。私は、そういう嫌なこと

行きたくないっていうのが頭痛いって

があったらもうその人にズバっと言う

いうことに…」

タイプやったから、基本的にそんな陰

「それはやっぱり友達関係なの?」

口をいうことはなかったんやんか。私

「うーん…」

自体がサバサバしているから。私は“嫌

「あるいはその人間関係があまりに変

いや”と思った人には関わらないし、

化がないのがやっぱりいやとか、そん

そんな上辺だけの人間関係は必要ない

なことなの?」

と思っている。でもまあ一応は仲良く

「それは…どうなんやろう」

見せなあかんけど…。それで、1年生

「こんな話も聞いたことあるなあ。カ

の中でのそういうストレスを3年生に

オリがお兄ちゃんの同級生たちと、も

ぶつけていたの」

ともと仲がよくて…。カオリが中1の

「ああ、なるほどなるほど。聞いても

ときは、お兄ちゃんは中3にいてたん

らっていたわけや。それ男子?それと

でしょ?」

も女子?」

「中3にいてた」

「男子も女子もいる。でもやっぱり男

「で、そこはみんな結構仲良かったん

子の方が多かった」

だけど、それが2年になったら当然そ

「それを分かってくれていたわけ、彼 68


らは?」

れが」

「そう。その男子の3年生の友達とか

「ショックって言うか、なんて言うか

やったら“だるいなあ”っていうのを

…そりゃ3年生が卒業することは当た

聞いてくれていたし、クラブの中の女

り前やし、その通りなんだけど、でも

子の先輩らやったら“同い年の学年と

お母さんらに話すとかいうことが全く

いるのが嫌なんやったら、私らと一緒

なかった。お母さんに話聞いてほしい

におればいいよ、面倒見てあげるから

って思うこともなかったし…。それで

おいで”って言ってくれていたし…」

もうずっと一人部屋に閉じこもってず

「なるほど」

っと音楽聞いてっていう生活が、そこ

「やっぱり年上やから、私が失礼なこ

から始まった」

としても目をつぶってくれるところが あって。ちゃんと注意することはして

幼い頃からメイクに関心を持っていたカ

くれるし、私の悪いところを気付かさ

オリは、同級生たちとの間でも目立つ存在

れる時もあるし。だから1年生の中で

だったのかもしれません。いや、学校全体、

たまっていたストレスっていうのを3

あるいは地域の中でも目立った存在だった

年生に言ってたんやけど、でも3年生

のかもしれません。そんな彼女は、同級生

が卒業しちゃって私が2年生にあがっ

たちとの人間関係で躓きます。そしてその

ていった時にはけ口がなくなって…」

ストレスを彼女は自分の2年上の兄の同級

「わかるわかる」

生たちにぶつけ、受け入れられていきます。

「誰に話したら、よかったのかな、み

でも、その先輩たちとの関係が、ますます

たいな」

同級生たちとの関係を悪くする方向に働き、

「その時って、自分の本心を言っても

2年生になった時、先輩たちの卒業と同時

ちゃんと受け止めてくれる、みたいな

に、彼女は学校に完全に自分の居場所を失

存在やったわけやろ、その3年生が…」

っていったのです。

「そう」 「で、それがいなくなったわけやんか。

「それで、アウラに来て、最初は地元

だからカオリとしては辛いわけや、そ

の町が嫌やと。あの学校も嫌だし。風

れが…。その時、カオリの家族ってい

景も嫌だし、近所も嫌だし、何もかも

うのはその代わりにはならなかっ

が嫌だみたいなことを言っていた。と

た?」

にかくカオリはそこから脱出したいみ

「なんか…3年生がいいひんようにな

たいな、そんな話をしていたような気

ったことで、私は全部シャットアウト

がするんだけど、そんな思いだったん

しちゃったんや」

じゃない?」

「そのことで?」

「うん」

「うん」

「なんかそんな気がするんだ。それで、

「よっぽどショックやったわけや、そ

そんなのだったら高校は好きなところ 69


へ行ったら?って、私が言っていたよ

り…」

うに…。だけど何にも勉強しないのだ

「じゃあカオリにとってメイクってな

ったらダメだし、とりあえずしっかり

んなの?」

と勉強して力つけたら?っていうこと

「…自分を隠す手段」

を多分言った」

「あ、そうなんや。っていうことは、

「でも、そういえば思い出した。カオ

みんなの前でありのままの自分を出せ

リが一番最初に来た時は、確かノーメ

ないっていうことか…」

イクで来てた」

「うん、そうかなあ」

「うん」

「自分に自信がないわけや」

「でも、ここに来る頃には多分メイク

「うん、自信なんか全くない」

しないと外に出れないような状態にな

「だからそういう自分を隠さないとい

ってたのとちがうかな」

けないわけや、とりあえず。今でもそ

「うん」

う思ってる?」

「あれはどうしてなの?コンプレック

「ちょっと薄くなった」

スがあるわけ?」

「自信がついてきたんだろうね、きっ

「コンプレックスだらけ」

と」

「そのコンプレックスっていつ頃から

「うん」

強くなってきたの?」

「そうか。一番最初はノーメイクで来

「やっぱり中学校は入ってからとかか

ていたけれど、次くらいからいきなり

なあ…」

メイクが始まったような気もするんだ

「もうメイクしないと外へ出れなくな

けど…」

ったのはいつから?」

「あの時は、お母さんから“初対面か

「中学校2年生の時」

らメイクしていいかわからないから、

「もうメイクしないと外へ出れなくな

メイクやめなさい”って言われて…」

ってしまったら、学校へ行くのはつら

「で、私がいいって言った?」

くなるよなあ。学校はメイクしたらダ

「うん。 “ノーメイク無理なんですけど

メなわけだろ?」

いいですか?”って聞いたら、塾長が

「そう。だから学校に行く時でもファ

大丈夫だよって…」

ンデーション塗ってアイプチして…と

「そうだったかもね。それから、アウ

かやってたんやけど、でもそれもばれ

ラで一生懸命勉強していて、結構よく

て、メイク落とせって言われて…。そ

頑張ってたんだけど、ある日突然ぷつ

の時は落とすふりしてたけど、学校の

っと切れたかのように…。あれいつ位

トイレ入って、またファンデーション

だったかなあ?一ヶ月たったくらいか

塗ってアイプチして…っていうのをず

なあ?」

っと続けていた。学校の先生に何回注

「多分 7 月の半ば頃に来て、それで2

意されても眉毛そることやめなかった

週間くらいやって夏休み入って、その 70


後も1週間くらい頑張ってたんやけど、

た。しかし生活場面では、彼女はメイクに

でもそこからぷつっと糸が切れたよう

よって幾度も躓いていきます。そしてその

になって…」

躓きが彼女の自信をますます失わせ、それ

「その頃から…。どうしてぷつっと切

が再びメイクに反映され、また何かで躓い

れたわけ?」

ていくという悪循環の構造を作り出してい

「…自分的に苦しかったりもしたのか

ました。だからその循環をどう開放してい

な?」

くのか、そのことも私自身は意識していっ

「そうかもわからんなあ…」

たのかもしれません。

「今ではそんなことなくなったけど、 毎朝メイクに2時間かかるような状態

「わかる。そういう状況やったんだ。

やったし…」

そういう状況がずっと続いてたんや。

「来るのに?そうか、メイクに2時

それでまた少し来れるようになったけ

間!なるほど…それは知らなかった。

れど、まただめみたいな状況が続いて、

朝早く起きないといけないわけや」

私も“もうダメかな”って一方で思い

「ごはんも食べないといけないし、服

ながらも…、私はカオリとカオリのお

も着替えないといけないし、バスの時

母さんとの関係に結構注目していたん

間とかも考えていたら結構早く起きな

や」

いといけないし、それなら早く寝ない

「ふーん」

といけないんだけれど夜が寝られない

「というのは、まずこの2人は、基本

から…、だから朝起きられないように

的に関係が深い。例えば、カオリはだ

なって…。それでお母さんに“どうし

いたいお母さんとは喧嘩したりとかむ

て起きられないのや”って責められる

かついたりとかいろいろあるけれど、

と…、自分でもどうして起きられない

でもお母さんのこと結構気にしている。

のかわからないのに急かされると、ま

お母さんとも私は喋りながらいつもそ

た自分の中で混乱して、夜がまた寝ら

んな風に思っていた。あんまりぺらぺ

れないようになって…それがまた繰り

らとよく喋る人ではないけど、カオリ

返して…」

のことを結構思っているんやなあ、と いう思いがあって…。ただでも、カオ

カオリにとっての「メイク」は、自信の

リ自身はなかなか前に進めないような

ない彼女自身を隠すための術であり、表現

状況があったから、お母さんに喋ろう

だったのかもしれません。だから、メイク

と…。それで、その頃お母さんと喋っ

そのものではなく、その奥にある彼女の自

たことで覚えていることが、当時お母

信のなさが私には気になっていました。大

さんもとても精神的にきつくて…、と

事なことは彼女自身がその自信を取り戻す

いうのはお兄ちゃんのことがあった。

こと。それができれば、彼女のメイクは気

それから自分も夜勤があったりとかで、

にならなくなっていくと私は思っていまし

結構不規則な状況があった。ここに来 71


るのも当然お金がかかるし、自分もも

わからなくって…」

う限界やと…。で、本当にもうどうし

「実は、私がそこに関わってたんや」

ようもできないというようなことを、

「塾長やったか!」

お母さんは私に訴えるわけや。まあそ

「でもあれからなあ、お母さんだいぶ

れは受け止めてあげないと、という思

楽にならはったんや。私にしんどくて

いもあったんだけれど…、その時に一

たまらないって言っていた時が多分ピ

つ提案したことが、 “いつもがみがみば

ークやったような気がして…。お母さ

かり言ってないで、たまには2人で温

んが楽になるっていうことは、カオリ

泉でも行ったらどうですか?”ってい

も楽になるんだろうなって私はどこか

うことだったんや。でもそれは結局行

で思ってた。だっていつも怖い顔して

ってなかったんやろ?」

…そんなことしかない母親ってどうか

「うん」

なって思ったから…」

「でも、あの頃はいつも愚痴しか言わ

「でも、本当にあの時くらいからお母

へん、そんな関係になってたやんか。

さん吹っ切れはったよな。中学校行か

ちがう?だから私は、そんなのお母さ

なくてももういいや、みたいな」

んもしんどいし、2人で羽伸ばすって

「そう、お母さんももうどうしていい

いうのかな、そんなことを一回やった

か分からないような状況だったから…。

らどうですかっていうのを提案した。

だからもう強制しないでおこうと…」

お母さんからそんなこと言われてどう

「だからあれから…ちょっと雰囲気が

やった?結構びっくりしたやろ、そん

変わってきたような気がする。お母さ

な話があったら…」

んがまずちょっと変わったような気も

「びっくりした。なんでなんやろうっ

するんやけど…」

て思った」 「嬉しかった?」 「嬉しくなかった。困惑した。なんで なんやろうって…」 「なんでこんなこと言うんやろうっ て?」 「そうそう。だってお母さんずっと、 “学校も行かないのだったら外に出る な”とか…、お父さんもそうやったけ ど、 “服買ってほしい”ってお父さんに 言ったら、 “なんでどこも行かへんやつ に服買わなあかんねん”とか言われて

4. もう一つの進路

いたりしたから…だからなんでいきな りどっか行こうって言い出したのかが

順調に滑り出したカオリのアウラでの生 72


活ですが、突然ぷつっと糸が切れたかのよ

の課題について…」

うに、それは頓挫します。いつものカオリ

「 “何かの根本を見つけ出さなあかん”

の行動パターンです。彼女は、突然アウラ

って…」

にやって来なくなったのです。たとえ来て

「そういう風に言ったなあ。だから要

もやる気をすっかりなくしていました。そ

するにカオリの中にあるパターンって

こで、私は彼女とお母さんとの関係に目を

いうのが、全部途中で“もういいわ”

つけていきます。結構、けんかをしている

って投げ出してしまう。だからそれは

のですが、お互いに相手のことを気遣って

働いたってやっぱり同じことが繰り返

いる二人。私はお母さんの気持ちや態度が

されるし、結婚したって“もういいわ”

変わることで、カオリ自身に変化が生じて

って投げ出してしまったら一緒だし…。

いくことを期待していったのです。そして

だからそこがカオリの中で変わってい

実際、それが大きな契機となって、カオリ

かなかったら、カオリは幸せに生きれ

は再び動き始めることになりました。

へんかもわからんっていうような話を 言ったような気がする」

「そうだった、そうだった。それで、

「されたなあ…」

私がカオリに結構大事なことを喋って

「あれいつかなあ…年末かなあ」

いる場面があって。それは何かという

「12 月の頭かなあ」

と、カオリは初めてここに来た時に、

「それが 12 月の頭で、12 月の終りの

学校が悪いとか自分のところの地域が

あたりで病院に行くわけや」

悪いとか、友達が悪いとか、だから私

「クリスマスくらい」

は行けないのだと私に言っていたけど、

「それはどうしてやったの?それは私

でもアウラに来ても同じだった。そこ

が提案したんだったかな?それともお

で、それってどういうことなんやろう、

母さんがそう言ったんだったかな?

って私が問い直したんや。結局は、今

“寝られないのだったら病院行き”っ

まで周りがどうやこうやって、周りの

て、お母さんが…」

せいなんだっていうことを言ってきた

「その時はもう私がアウラにも行かな

けど、でも実はそうじゃないかもしれ

くなった時で、来ても昼からとか…そ

ないと…。それにこんな話もした。カ

んな感じの時。お母さんが朝送るって

オリの一番の課題というのは何かとい

言っている時に、私が用意している途

うと、いつもある程度ストレスがかか

中でまた眠たくなってしまって…。お

ってしまうと、いつも突然ぷつっと切

母さんに“もうそんなに寝られないの

れてしまう。そこが変わらなかったら、

だったら病院行こう”って言われて…」

学校に行ったって、仕事をしたって同

「それで病院行ったの?」

じことが繰り返されてしまう…」

「うん。それで初めて病院行って…。

「うんうん、言われた」

病院行き始めてから、まあ順調にいっ

「それでなんて言ってたっけ?カオリ

て…」 73


「そうそう、それで年明けてカオリは

とか、そんなの絶対ダメだって言った

ちゃんと来れるようになり始めたん

ような気がする。それと、カオリの住

や」

んでいる町に私が行って一番深く思っ

「…なり始めたんやけど、2 月の下旬

たのが、コンビニの駐車場に行った時

から 3 月の頭まで休んじゃった」

に“カオリはこういう世界の中で生き

「それはどうしてやった?やっぱり進

てたんやな”って、それをものすごく

路の不安みたいなのもあったんかな?

思った」

これからどうしていくかとか…多分 1 月の頭とか全然進路決まってなかった

年が明けてから、私はカオリの住んでい

でしょ、まだ…」

る町へと足を運びました。彼女の視界に入

「うん」

ってくる風景や聞こえてくる音、そして肌

「決まってない。 “どうしようか”って

に感じる空気…。彼女の生活のリアリティ

ずっと言ってた。進路決まったのが本

を私は自分で直接感じてみたかったのです。

当に 2 月の後半とか 3 月の頭とかとて も遅かったから…」

「駐車場じゃなくて中の…」

「カオリは、最初友達が行こうとして

「フードコートみたいなところ?そう

いた携帯で試験が受けられて卒業でき

かそうか」

るような通信制高校に行く、そんな話

「そうそう。あそこで、1 時間とか 2

だったでしょ?」

時間だらだらと、雑誌読んでいたりと

「うん」

か…そんなことで時間つぶしたりして

「それは、絶対だめだと思ったんや。

いた」

それは、カオリにとって大事なことは

「私はその時、思ったんや。 “この子は

携帯でどうこうとか、そういうことじ

こういう世界の中で生きているんや

ゃなくて、アッコと一緒で…。カオリ

な”って。あの時初めてわかったわ。

にとって、アッコという一つのモデル

なんかこういう…」

があったことは大きかったでしょ?」

「狭いなあって思ったやろ?」

「うん」

「そう思った」

「だから結局“カオリも地道に生きろ”

「やっぱり…」

って。私はそんなことを言ったような

「あそこのコンビニのところが高台み

気がする」

たいになってるやん」

「うん」

「うんうん」

「 “粘り強くこつこつと、それを継続で

「下のほう、学校とか見えたのとちが

きる力がカオリの自信になるんだ”っ

ったかな」

ていうっていうことを…」

「うん、見える見える」

「言われた、言われた!」

「そうや。こういうところにあるんだ

「だから適当にやって高校の単位とる

なあって思いながら…で、そのことの 74


ちょっと後に…雪が降った日や。カオ

わいそうやなあって…」

リがバスに乗ろうと…」

「それ言った!」

「そうや!そこからや!」

「そういう風に私は思った気がする」

「それであの時に…雪が降った日にカ

「そうや…。 “コンビニの駐車場は寒い

オリがビニールを足に巻いてとか言っ

し、いれないしなあ”って言って…。

てバスに乗れなくって…あの時に泣い

私、泣いているのに笑いながら言われ

て電話してきたんじゃなかったかなあ

たからなあ…」

…」 「うん」

私がカオリの住んでいる町に行ったこと

「私がすごく心痛めたのは、そんな状

は、彼女にとっても何らかの意味を持った

況でアウラに行けなくて家にいてたら

ように思います。彼女の生活世界をどこか

お母さんが“アウラも行かないのだっ

で共有している感覚を互いに持ち始めたの

たらもう学校行きなさい”って言われ

かもしれません。実際、それまで揺れてい

て、それで、それやったら学校へ行こ

た彼女の進路はそれ以降トントン拍子で決

うかなって思って行ったら、しばらく

まっていったのです。

は保健室にいて、 “その顔やったら学校 でうろうろするわけにいかないし帰り

「そんなこともあったような気がする。

なさい”って言われたんや」

それで…そんなことがあった後に進路

「うん、そうそう」

も決まっていった?」

「それで、でも家に帰ってもまたお母

「そう…」

さんになんか言われるし、外は寒いし

「アウラに週 2 回通って、通信制高校

…」

に所属して、そして地元でアルバイト

「いや、その時お母さんは仕事の遅番

をはじめる。アウラ、通信制高校、ア

で、昼からもう出ていたから家にはい

ルバイトを三つ巴にして進路を設定す

なかったんだけど…」

るというのが、カオリの進路指導だっ

「なんか泣いて私に電話してきたよう

た」

な気がするんや。 “私、行く場所が無い”

「そうそう」

とか言って…」

「なんかそれで、アルバイトをどうに

「ちがう、塾長が電話してきて…“大

かしないといけないというので、私が

丈夫か?アウラに来ないで、何してる

アルバイト先を一生懸命リストアップ

の”って電話してきたんや。それで“今

して…でもああいうことをやったこと

日こんなことがあったんや”って言っ

でお母さんがなんか“けっこうあんた

たら、もう思い出して泣けてきて…」

も本気やな”とかいうので、お母さん

「あれは、それまでにカオリの住んで

がいろいろと職場に声をかけてくれた

るところに行っているから、なんかこ

のと違ったかな?」

う…現実感があるわけや。なんか…か

「うん。“お母さん何にもしてくれへ 75


ん”って言ったら、 “あんたは、やるや

聞いていても、家庭も平和で…なんか

るって言っていて口だけだということ

よかったなあと思いながら。だからカ

があるから、バイトお願いしますって

オリが、 7 月にはじめてアウラに来て、

言っているのに結局嫌やって言って辞

まだ 1 年経ってない。10 ヶ月くらい…」

めたら相手に迷惑になるから、だから

「経ってないけどめっちゃ長かっ

声をかけたり聞いてみたりっていうの

た!」

は、あんたがちゃんとやるって決めて

「この変化っていうのはやっぱり大き

からじゃないと私は嫌やった”ってお

いかなあと思うんだけどなあ」

母さんも言っていた」

「うん」

「そうやそうや」

「カオリの中でこの 10 ヶ月くらいの

「 “じゃあ声かけてくれるの”って言っ

変化っていうのはどういう変化やっ

たら「 “一回聞いてみる”って言ってく

た?」

れて、お母さんが聞いてくれて、そこ

「えー…何が?」

からもうトントン拍子でバイトにも行

「この 10 ヶ月の間にずいぶん変化し

けて…」

たでしょ?」 「めっちゃ変わった、と思う」

こうしてカオリは、春からもアウラへと

「その変化っていうのはどういう変化

通ってくることになりました。今度は通信

なの?カオリなりにコトバにしたら

制高校に在籍して、地元のスーパーでアル

…」

バイトをしながらです。そんな彼女の姿を

「やっぱり気持ち的には全然変わって

見て、私は「ずいぶんたくましくなったな

る」

あ」と心から思っていました。私はそんな

「どんな風に変わってるの?」

カオリに、アウラに来てからの 10 ヶ月を総

「まず、メイクしないと外へ出られな

括してもらいたいなと思いました。彼女な

いというのがちょっとは治ったやろ?

ら、この自分の変容の期間をどういう風に

そんなバシバシのつけまつげして、め

意味づけていくのかを知りたかったのです。

っちゃ濃いわけではないやん。そんな ことがなくなったし…だいぶ、昔より

「そうやったなあ。しかも中学校卒業

自分のこと好きになれている感じ」

してから、カオリはまだ一回も休んで

「なるほど」

ないし…」

「それとか、1 年生とか 2 年生の時と

「うん」

かの過去を振り返りたくないとか思っ

「高校のこともちゃんとやるし、アル

てたけれど、今ではそれもいい経験や

バイトもちゃんとやるし…まあ絵に描

ったなって思えるようにもなったし

いたようになんか…、そういうことを

…」

ずっと続けると、だんだん自分に自信

「すごい」

もついていくでしょ。お母さんに話を

「私が生きていく上でそれが必要やっ 76


たんかな、とかって思えるし、ちょっ

たでしょ?」

と自分に余裕が出来てるから…」

「ああ。でもなあ、…塾長は、全部を

「ふうん。すごいよね、なんかね。私

見えて私に言ってくれる。お母さんの

なんか、カオリの薬はまだしばらくい

こととか、学校のこととか、まあ全部

るのかなって一方では思ってたんや。

いろんなことを考えて私に言ってくれ

そう言ってたでしょ。だからカオリに

るやんか。でもその先輩らは、その時

とっては、一つはここ、通信制高校に

に“はいはい”って聞いてくれるよう

在籍していて、それからアルバイトや

な…」

って、それから病院も行って、それで、

「その時だけだということ?」

それ全体を私たちが見届けるというこ

「聞いてくれているけど、ほんまにお

といいかなあ、っていう風に思ってた

兄ちゃんみたいな感じの存在やから…。

んだけど。病院はもう…薬は飲まなく

塾長みたいな感じではなかった」

てもやれるし、すごいものやなあとか

「そうか」

思いながら…。だからアウラの存在っ

「よしよし、とはしてくれるけどめっ

て大きかったよね」

ちゃ周りのこと見れている、っていう

「大きかった」

感じではなかったし…」

「どういう存在なの、アウラって」

「じゃあ、そういう意味では、 “私のこ

「アウラ?アウラっていうか…塾長が

とわかられてるなあ”っていう感じが

大きかった」

あったの?」

「大きかった!どういうことなの、そ

「うん、うん。 “カオリは今こんな状態

れは…」

やで”って言ってくれたのも塾長やし。

「なんか…どんな私でも受け止めてく

“学校行けないことに落ち込んで、ま

れるような…」

たそれで学校行けなくなって…ってい

「そうなんだ。私の存在は大きかった

うのがカオリのサイクルなんやで” 、っ

わけ、カオリにとっては?」

て私に言ってくれたのも塾長やったし

「うん、大きかった」

…。お母さんも分かってなかった。も

「それはあの…中学 1 年生の時のお兄

う何でなんやろうってずっと言っては

ちゃんの同級生たちと似たような感じ

ったから…」

がするの?」 「似てないよ」

彼女の話を聞いていると、アウラ=塾長、

「それは違うの?どんな風に違う

そんな図式が浮かび上がってきます。彼女

の?」

にとっては、自分の生活世界にわざわざ足

「お兄ちゃんの同級生と似ているって

を踏み入れ、自分のつらかった気持ちを共

ことは全く無い」

有してくれた塾長、つまり私が大きな存在

「でも彼らも、カオリがどうであって

となり、またそれを媒介としながら、自分

も受け止めてもらえるみたいに言って

自身を変容させていったのかもしれません。 77


「その通りやと思うね」 「うん、なるほどなあ。なんか一連の

「 “こんなことあった!”って今ではも

話を聞いていくと…よかったねえ、な

う笑っていえるけど…」

んかねえ。そう思うわ。だからまあ、

「人間ってそうなのよね。自分がまさ

人生って無駄がないよなと思うな」

に辛い時って思い出すことも拒否して

「深い話やなあ」

しまうっていうのか…。でも、やっぱ

「私も本当にそう思うんだ。アッコと

りそれで自分が辛い状況から脱出した

かにもよく言っていたけど、不登校に

時に、 “自分はこうやった”とか、“あ

なる必要性っていうのかな…そうやっ

の時に辛い思いしてそのことが今とな

て自分が傷ついていかなくちゃいけな

ってはすごく大事だった”とか、そん

い必要性っていうのかな、そんなのが

なことがわかる自分は、結構幸せな状

ある。カオリもさっき言ったように昔

態にあるんじゃないかなっていう気が

はそういう傷ついたものは消したかっ

するんだよね」

た?」

「うん」

「うん」

「だからこういうことを語ることで自

「でもそうじゃなくて、やっぱり傷つ

分の幸せっていうか、今の充実感みた

いていく経験だって人生に必要な 1 コ

いなものを実感してほしいっていう思

マなのかもしれないし、そういうのが

いもあるね」

ないとわからないっていうか…」

「うんうん」

「早い段階で知ってよかったなと思う。

「で、私は人が変わるっていうのに興

人を信じすぎるのがあかんっていうか

味があるわけなんだ。だから“私なん

…」

か生まれてこなかったらよかった”と

「どういうこと、人を信じすぎるっ

か、さっき言っていたみたいに自分を

て?」

否定している時ってそうなんだ。 “私な

「だから人を信じすぎて傷ついたから、

んて生きていても意味がない”とかさ、

だから全部が全部信じられる人じゃな

結構それに近いような状態ってあった

いんだということがわかるっていうか

でしょ、きっと…」

…」

「うん。何回も死のうと思った」 「でもそうじゃなくて、そういう自分

「こんな風にもう 1 時間くらい…カオ

の価値っていうのかな、そういうのを

リは語った。私もこうしていろいろ質

もう一回それぞれの人が見出してもら

問しながらだけど…。どう、こういう

えたらいいなあって。そういうのにや

時間って、喋ってみてどう?改めてな

っぱり関わりたいなっていう思いがあ

んか気付けるっていうのか…」

るのかなあ。まあでもよかったよね。

「思い出すよな。思い出話になったか

とりあえずしばらくこの状態でいって、

らよかった!」

お金もちょっと貯め始めて、まあでも 78


やっぱりこれから将来どういう風にし

「ボクは、病人として生きていたいわけ

ていくのかとか、なんかいろんなこと

じゃない」ドクターからストレスのあまり

考えていかないといけないように思う

かからない生活を奨められ、そう語ること

よね」

で受験生への道を歩み始めるようになって いったタクヤ。彼はその後、ドクターに自

こうして私のカオリへのインタビューは 終わりました。私がこのインタビューを通

ら薬を止める宣言をし、受験を突破してい きました。

してみたものは、彼女が語る物語とそれに 裏付けられている彼女の変容でした。「物

「ひきこもりは、3 年すれば飽きる」と

語」と「変容」との間には大きな関係があ

笑いながら話してくれたキヨシ。彼は自ら

ります。そういう意味では、多くの不登校

ひきこもった苦しみの塊のような 3 年間を

の子どもたちは、最初コトバを持っていな

そんなコトバで表現しました。

いのかもしれません。カオリの場合も、そ れは「メイクをする」という行動で表現さ

「2 年前の私に、あんたの 2 年後はこん

れていました。その背景にあった劣等感、

な風になってるんやと言ってやりたい」と

孤独感、あるいは閉塞感を彼女はメイクと

力強く語ってくれたユキエ。彼女は、過去

いう行為の中で表現しようとしていたのか

の自分に別れを告げ、新しい自分自身を再

もしれません。だから私たちのカオリへの

出発させようと宣言したのかもしれません。

関わりは、その背景にあった彼女の感情を 共有することから始まったのです。そして

そして「私、行く場所がない」と泣きな

やがて、彼女はコトバを持ち始め自分自身

がら自分の心の奥底にあった感情を伝えて

の物語を語り始め、大きく自分の進路を切

くれたカオリ。彼女はそのどうしようもな

り拓いていったのです。

い辛さをメイクというカタチで表現しよう としていたのかもしれません。 こんな風にアウラの森の不登校の子ども たちは、どこかの段階で自分たちのコトバ を持ち始めます。それまでは、なぜ自分が 苦しいのか、なぜ不安なのか、なぜ身体が つらいのか、それらはわからないままだっ たのです。しかし彼らがコトバを持ち始め、 自分たちの物語を少しずつ語り始めた時、 彼らはその思いを誰かと共有し始めるので す。でも最初から、そうなるわけではあり

5. それぞれの物語

ません。コトバが生まれるためには、いく つもの段階があるように思います。そのス 79


テップを彼らは一つずつ、時には後戻りし ながらも上っていくのです。

そしてコトバは、やがて彼らの人生の物 語としてより大きな意味を持ち始めます。

また子どもたちの物語が、同時に家族の

アウラの森での経験が、その後の彼らの人

物語を生み出すこともよくあります。不登

生の中に活かされる時がやってくるのかも

校という出来事は、家族にとっては大きな

しれません。成功体験の蓄積は、その後の

課題としてのしかかってきます。子どもが

行動に大きな影響をもたらすからです。ま

不登校となったがために、夫婦の関係が揺

た物語は、第三者にも感動をもたらします。

らぎ始めてしまうこともよくあります。夫

子どもたちの変容が、家族の変容を促し、

は妻の子育ての仕方を批判し、妻は夫の無

仲間たちの変容を促すのはそのためです。

関心さを批判するのです。実際こうしたこ

そして彼らの周りの変容は、再びその子の

とで家族がバラバラになっていったケース

変容を促すのです。そこには物語を媒介に

も私たちは身近に見てきました。

した再帰的な循環構造が出現し、アウラの 森は、そんな循環を意図的に実現させる仕

しかし、その一方で子どもが不登校にな

掛けとなり得るのです。

ったことで、家族の絆が強くなり、この困 難を家族全体で乗り越えたケースも目にし

毎年、年度末にはアウラの森の卒業式が

てきました。 「この子が不登校になったおか

あります。今年も 4 名の不登校の子どもた

げで、ようやく私自身が親になれた気がし

ちがアウラの森を巣立っていきました。そ

ます」そう話される親御さんも結構おられ

れは手作りの卒業式でしたが、子どもたち

ます。不登校という問題を契機に、家族自

も、そして私たちも涙の式となりました。

体がそれぞれを見つめ直し、新しい家族と

みんな最初はつらく記憶からも消し去りた

して再出発していけることは何よりうれし

いような状態から始まりました。でも、今、

いことなのです。

本当に別人のようになって今日の日を迎え ることができたのです。

不登校の子どもたちが傷つき、ボロボロ になった状態から再び歩き始めるようにな る時、その再出発のタイミングにコトバは

ある卒業生の一人が式の中の答辞で、こ んなことを語ってくれました。

とても重要な役割を果たします。かつて P. フレイレが記した『被抑圧者の教育学』の

「私は、今まで自分が何かにつまずくと、

中に出てくる対話としての教育のように、

誰かのせいにしたり、何かのせいにしたり

コトバを媒介としながら彼らは自分たちの

していました。でもここに来て、先生たち

辛い過去を相対化し、そこに新たな意味を

と出会い、みんなと出会うことで、少しず

見いだすのです。もちろんその際に先生や

つ勇気をもらい、ようやく自分自身と向き

仲間たちとの関係が大きな励ましとなるこ

合うことができるようになったと思います。

とは言うまでもありません。

そして、少しずつ強くなれたように思いま 80


す」 それは、力強いコトバでした。記憶から 消し去りたいと思っていた不登校の記憶が、 彼らにとってなくてはならない経験に置き 換えられるとき、私たちの仕事も終わるん だなと感じた瞬間がそこにありました。

81


第5章

キャリアの中の物語

不登校の子どもたちが、アウラの森を巣

ちは、それらにいくつものフレームを設定

立った後、果たしてどういった人生を辿っ

することで、一つ一つを紐解くように整理

ていくのか?

し、そこに表現されている意味を読み解き、

その過程で彼らのキャリア

はどう形成されていくのか?

ここでは、

そのことに触れてみたいと思います。 中学で不登校になった子どもたちが、そ

それを違った形の表現へと転換させている のかもしれません。 だから不登校という現象を、出席の問題、

の後、高校でも不登校になっていくという

あるいは学習の問題に限定してとらえてし

ケースは珍しくありません。精神科医の斉

まうことは、問題の本質を見落とすことに

藤環さんも言っておられますが、社会的ひ

つながるように思います。彼らを別室に登

きこもりにある方の多くが、不登校経験者

校させ、最低限の進路保証に相当する学習

であることもよく知られた事実なのです。

評価を与え、高校へと送り込んだとしても、

つまり、「不登校は繰り返される」のです。

そこに表現された問題の本質が解決されな い限り、不登校は繰り返されるのです。私

不登校という事実を一つの社会現象とし てとらえると、不登校という事実に表現さ

たちは、そんなケースをいやというほど見 てきたのです。

れていく「何か」があることが見えてきま す。それは、子どもの発達の問題やパーソ

アウラの森では、子どもたちは自分自身

ナリティの問題、あるいは精神の問題とい

に向き合います。学びという活動を通して

う個人に還元されるものだけではありませ

自分自身に向き合うのです。それは学びと

ん。家族の問題や学校の問題、地域の問題

いう活動そのものが、本来、自分自身に向

といった現代社会が抱える問題までもが、

き合うことを要求するからであり、そのベ

そこに表現されているように思います。し

クトルを持っているからです。本質的な学

かもそれは、あまり単純な構造にはなって

びの過程は、未知のモノに向き合いながら、

おらず、それらの複数が階層的に関連し合

それを自己の既有概念と統合していく過程

った構造になっているのです。だから私た

であり、そこには自ずと「自己変容」が起 82


こるのです。

ということであり、その物語を彼ら彼女ら がどのように描いていこうとしているかを

そして、自己変容を遂げた子どもたちは、

読み取ることに他ならないように思います。

そこからさらに彼らのペースで変容を続け ます。ここでは、この変容そのものが、学

ここで紹介するのは、現在 24 歳になる大

習の過程と重なるからです。私たちの教育

手の自動車ディーラーでサービスを担当す

は、 「学習リテラシー」という概念を持って

るヒロシ。彼は、小中学校あわせて 2 年間

います。学習リテラシーというのは、自律

しか、学校に通っておらず、長期にわたる

的な学びの型のようなもので、DeSeCo プ

不登校の状態を経て中 2 の時にアウラの森

ロジェクトのキーコンピテンシーと共通す

へとやってきます。その後高校で野球部に

るものだと思っています。あるいはそれは、

属し、やがて専門学校を卒業して整備士の

自分自身との向き合い方、未知のモノと自

国家資格を手に入れ、正社員としてディー

分自身との統合のさせ方と言ってもいいか

ラーで働き始めました。ここでは、そんな

もしれません。そして、このリテラシーを

ヒロシへのインタビューを通して、彼自身

アウラの森の共同的な世界の中で手に入れ

の物語をそのキャリア形成の過程を通して

られた子どもたちは、自らの未来を自らの

読み取っていきたいと思います。

ペースで切り拓いていけるようになってい くのだと思います。 「キャリア形成」というコトバがありま す。不登校の子どもたちが、その後どのよ うに進学し、どのように仕事を見つけ、ど のように自律した生活を構築していくの か?

それは、親たちにとっても、教師た

ちにとっても、あるいは若者支援にかかわ る行政のものたちにとっても大きな関心ご とです。しかし、この「キャリア形成」と いうコトバも、気をつけないとすぐに「就

1. 小3からの不登校

労」というコトバと等価なものとして捉え られてしまいます。確かに就労という過程

「ヒロシは、小学校の 2 年までは別に

は、キャリア形成において大変重要なステ

普通に学校に行っていた?」

ップなのですが、このステップも実は個人

「まあ普通は普通やけど、ちょっと休

の物語のある段階にすぎないように思うの

みがちな子やったんで。それは幼稚園

です。だから彼らのキャリア形成を見つめ

にいる頃からずっと…」

るということは、具体的な進路や就労の状

「あ、そうなんや」

況だけでなく、その個人の物語を見つめる

「もともと人見知りが子どもの頃から 83


激しくて、あんまり人としゃべるのと

「それで、なんかまあ行きづらいなっ

か関わり作るのが下手くそ、苦手で。

ていう状態で、ずっと家にいたわけな

それが一気にきたのが多分 3 年生ぐら

んや。それで家では何やっていたの?

い」

小学校のそんな頃って、いったい何や

「なんで 3 年生なん?なんかあったわ

って過ごしていた?」

け、3 年って?」

「寝ているか、ご飯食べているか、あ

「いや、特別何かがあったわけでは、

とテレビ見ているか…」

ないんやけど、なんかわからんけど…」

「そんな生活が小学校 3 年から始まり、

「学校へ行くのがいややった?」

中学までずっと?」

「そうなっていって…」

「ずっと。一応はでも一回、4 年生ぐ

「それって 3 年のいつ頃なの?」

らいに一瞬学校の方に顔出そうかな、

「それは、もう全然覚えてないけど…1

と頑張っていた時もあったけど…」

学期の頃は行っていたから、多分 2 学

「まあでも、それは…」

期くらい」

「それも一瞬で終わって…」

「それからはもう全く行かへんように

「勉強も当然できなかったやろ?」

なったの?」

「できひん」

「全く」

「勉強は一切やってないの、家で?」

「親は、行けとかなんとか、そんな話

「やってない、やってない」

にならなかったの?」

「ゼロ?」

「いや、まあそんな話というか、学校

「ゼロ」

の先生が…」

「そしたら家ではとりあえず寝て、食

「毎日迎えに来たわけや?」

って、あとはテレビ?」

「なんで来ないのや、そういういじめ

「テレビ」

があるのか、とかそういう話はあった

「もうそれだけ?」

けど、別にそういうわけでもないし…。

「それだけ」

自分でもそんなに学校自体が嫌という

「親…、お母さんも途中から何も言わ

わけでもなく、ただその雰囲気が嫌と

へんようになったわけ?」

いうか…。絶対的に嫌というわけでは

「うーん。まあまあ、途中からは。最

ないけど、なんか…行きづらいな、っ

初の頃は“なんで行かへんの?”とか

ていう感じ」

あったけど、途中からはもう、諦めじ ゃないけど…言ってもどうしようもな

ヒロシは、小 3 から 5 年間も学校へ行っ

いやろな、とかいう感じになって…」

ていませんでした。小中あわせて 2 年間し

「お父さんは、何も最初から?」

か学校へ行っていない生徒は、私は未だ彼

「最初から」

以外に見たことがありません。

「…そうか。あとお姉ちゃんいたよ な?」 84


「うん」

知らんわけや?」

「お姉ちゃんって、普通に学校は行っ

「まあそうです」

ていた?」

「で、それが来やはったりするわけ

「お姉ちゃんは、まあまあ普通に…」

や?」

「学校行って?」

「また、はい」

「お姉ちゃんもちょっと休みがちな人

「でもそれは会ったり、会わなかった

間やったけど、別にそんな同じような

り?」

感じじゃなくて。ただ単に…体調的な

「それも会ったり会わなかったり」

ところで休みがちなだけ。人間関係が

「うんまあ…会ったらなんで来ないの、

どうとかっていうわけではなかったし

っていう話になるから、そればっかり

…」

もう嫌やし…」

「ヒロシも別に人間関係が、とかじゃ

「ああ。もう同じ話になるわけや?お

なかったんやろ?人間関係も嫌やった

いで、とか」

ん?」

「その人が嫌とか、そういうのではな

「いや、関係というよりか…上手いこ

いけど、そういう…学校の先生と生徒

とコミュニケーションがとれへんって

の立場としてのやり取りというか。そ

いう…」

れ自体が嫌やった。しんどいというか」

「ああ、コミュニケーションが下手や

「ああ、嫌やったわけや」

った?」

「あと…家にずっといると、いること

「下手やった」

自体が嫌にならなかった、小学校の

「そうか。それで学校の先生は家庭訪

頃?」

問に来るようになった?」

「嫌になる。しんどくてしかたなくな

「うん」

って…

「で、ヒロシは、先生と会ってしゃべ

「家にいるのがしんどい?」

ってたん?」

「しんどい。たまにだから、無性に体

「いや、来やはって、まあ会う時もあ

動かしたくなってランニングに行った

るけど、嫌で居留守みたいな…」

りとか…」

「まあそんな感じか。小学校 3 年の時

「小学校の時?」

の担任の先生は、最初ヒロシが学校へ

「小学校の時、小 5 か小 6 くらい。あ

行っていた時の様子を知ったはるわけ

と、その時の友達とキャッチボールと

やけど…」

かよく…」

「うん」

「友達はいたわけや?」

「でもそれは学年が変わったりしたら

「その時、一人だけ友達でいてくれる

新しい先生になるやん」

子がいて」

「うん」

「へえ」

「で、その先生のことをヒロシは全然

「その子とよくキャッチボールとかし 85


て、公園で」

んの対話がほとんどない家庭だったことが

「へえー、ということは、家にずっと

わかります。特にお父さんは、ヒロシに対

いるのは嫌やったんや?嫌やけど学校

してはほとんど口をきくこと、あるいは関

は行きたくないし…」

わりさえもなかったようです。でも、無言

「行きたくない」

のまま家族は一緒に食卓を囲み、一緒に生

「ほかに行く場所がない、みたいな状

活を送っていたのです。ここにヒロシの育

態で悶々としていた、小学校の時?」

った家庭の独特な事情がありました。両親

「そう。だからおかんが買い物行くっ

が決してコトバを交わすことがないけれど、

て言ったら自分もついていって、絶対

一緒にいるという状況。それはどこかベイ

外に出ようと。おばあちゃん家行くっ

トソンのダブルバインドを思い出させる状

て言ったらそれもついていって」

況であり、両親の仲がいいのか、悪いのか?

「でも一人では出れへんかったんや、

あるいはそこに関係が成立しているのか、

基本は?」

していないのか?

「まあ行くあてがないから、出ても」

しづらい状況にあったわけです。ヒロシは

「で、お父さんはずっと黙ったまま?」

そんな家庭環境の中で、コミュニケーショ

「まあ何も」

ンに混乱をきたしていったのかもしれませ

「…で、そこぐらいから中学になるわ

ん。ヒロシは、次第に自分自身が他人とう

け?」

まくコミュニケーションが取れないという

「小学校も行ったり行かなかったりす

ことを意識するようになっていったのです。

それらがきわめて判断

る時期があったけど…。その時、小学 校 5 年くらいに少年野球もやっていた、 一瞬やけど」 「あ、そうなんや」 「うん。頑張って行っている途中でた またま友達で少年野球をやるっていう 子がいて、それに便乗して自分もちょ っと行ってみていい、って自分から言 って…、だけどそれも結局、夏頃に行 くのが嫌になって…」 「それはなんで続かなかったの?」 「まあ一番は、コミュニケーションが とるのが苦手っていうのがあって。休

2. コミュニケーション・コンプレ ックス

んで、またがんばろうかと思ってまた 行くんやけど、やっぱりしんどい」

「コミュニケーションに対してものす ごくコンプレックスってない?」

ヒロシの話の中から、お父さんとお母さ

「うん、今でもそうやけど。ずっとそ 86


れはネックになっている」

やっぱり勉強とかあるし、学校の行事

「でも勉強もわからへんかったやろ、

とかもなかなか…あんまり積極的にな

その小学校 5 年生でいきなりポンって

れへんっていうか、上手いことやって

学校行って…」

いけへんところがあって」

「いや、もう全然わからへん」

「またすぐに行けないようになるわ

「何もわからなかった?」

け?」

「うん。それで、それも高学年になれ

「うん、夏くらいで」

ばなるほど余計上積みされてわからな

「じゃあ一学期くらいは行ってたん

くなっていった。学校へ行くのが嫌っ

や?」

ていうのとプラスして勉強もできひん

「多分。行っていたと思うんやけど…」

ということが積み重なって余計行きた

「で、それからまた同じ生活?」

くなくなって…」

「また二学期くらいから」

「そうか…学校へ行っても、しゃべる

「食べて寝て…。家族との会話はけっ

のは恐ろしく緊張するわ、勉強は授業

こうあったの?」

で何をやっているのかわからないわ…、

「いや…家族って言ってもおかんと姉

それは苦痛で仕方ないわけや?」

ちゃんくらい」

「しゃべりたいって気持ちもあるけど、

「そやなあ…お父さんは、まったくや

どうやってしゃべったらいいのかがわ

ったなあ」

からなかった」

「父親はもう…、物心つく前から家庭 内が崩壊していたから。母親と父親は

不登校の子どもたちにとって、学習の遅

しゃべらないような状態で。それ見て

れもまた深刻です。学校へ戻ろうとしても、

いたから、もうなんかしゃべらないの

授業でやっていることが全く理解できない

が普通っていう、そういうような状態

わけですから、参加しようもない。ヒロシ

で…」

の場合は、コミュニケーションのコンプレ

「ヒロシがここに来てしばらく経った

ックスに加えて学力の問題があったわけで

時、初めて“うちの家おかしいってい

す。

うことを気が付いた”っていっていた 時のことを思い出した。だからヒロシ

「それで中学生活は?」

からしたら、父親と母親はもともとし

「うん」

ゃべらないものなんや、と思っていた」

「中学になって、もう中学は最初から

「まあしゃべらないものっていうか、

行ってないわけや?」

嫌がっているっていうか、嫌がってい

「中学校もでも最初の頃は、自分の中

るっていうのはわかっていたけど、う

で気持ちをまたリセットして、新しく

ちの家では、それが当たり前やったか

始めようと、がんばろうかなと思って、

ら…」

ほんまの最初の頃は行っていたけど、

「その後ヒロシは、中 2 のいつぐらい 87


にアウラに来たんかな?…やっぱり夏

たいな。でな、お母さんもすごくしゃ

くらいかな?」

べるのが苦手な人やった?」

「うん…冬前くらい…多分その頃、進

「お母さんも、そんな得意な方ではな

路どうする、みたいなことがあって…」

い」

「あ、そうだったっけ?」

「そうやろ、そんな記憶がある」

「だって 3 年になったらどうなんのや

「おとなしい方というか、まあそんな

ろ、みたいな流れになってきて…」

感じ」

「それは、サトルも一緒やった。サト

「それで、アウラに来てみようと思っ

ルも中学 3 年の夏に来るんやけど、夏

たわけや?」

に来た時に、中学まではいれるけど、

「うーん。まあ、自分の中でどうにか

この先何もないわけやん。これから先、

現状を変えないと、っていう思いはあ

どうしよう、みたいな。だからそうい

って…」

う不安があったんや。それで、アウラ

「で、ここに来て、多分小学校のこと

のことはどうやって知ったんだっ

からやっていった気がする。違ったか

け?」

な?」

「…なんでやろ?新聞かなんかやと思

「うん、多分そう。割り算くらいから

う」

多分やっていた」

「お母さんが見つけたの?」

「だから多分小 3 とか。そんなところ

「おかんが」

からやったような気がするんやけどな あ」

「それでまあ、ヒロシは私の前にやっ

「必要最低限のだけの教科にしぼって、

て来て…いろいろ話をするわけや?」

多分算数とか国語とかをやった」

「うん」

「なんか、そんなだったような気がす

「その初めてヒロシがやって来た時の

るわ。でも、それけっこう大量にやっ

記憶が、私にはないんや。ヒロシある?

たんじゃない?」

私と初めて会ったときってどんな感じ

「まあ、やっていたと思う」

やった?」

「プリントみたいなものを」

「この部屋でしゃべっていたことしか

「うん。最初は週 3 日くらいで通って

覚えてへん」

いたけど、こんなペースじゃあかんっ

「この部屋で?」

ていって…」

「ここの部屋で」

「間に合わんと思って…」

「うん、緊張して…。その時が多分一

「うん。で、なんか毎日来るようにな

番太っていて髪の毛長くて、ダボダボ

って…」

のジーンズはいて…」 「そやそや。ダボダボのジーンズはい

ヒロシの学習は、小 3 の内容からスター

て、髪の毛は全然散髪行ってへん、み

トしました。一旦学び損なったことは、学 88


び直せばいいだけです。とにかく丁寧に一

「ヒロシの勤めている会社でもこんな

つ一つ積み上げていくのです。そしてその

に長いこと開いてへんやろ?」

学んだ軌跡が自信として還元されるのです。

「ない」

大事なことは、 「ぼくにもできるんだ」とい

「それこそ 12 時間以上開いているわ

う自信。それだけです。

けや、アウラは…」 「しんどい?」

「その時、サトルだけがいた?」

「まあな、でも必要としてくれる子ど

「たしか、うん、そう。あとは高校の

もがいるやんか。でも実際、ヒロシが

浪人生が二人…」

来たことが大きかったような気がする。

「ということは、不登校として来てい

この子をどうにかしないとあかんと思

たのは、ヒロシと、サトルの 2 名だっ

ったことがきっかけやった」

た…」

「ぼくのおかげやな」

「うん」

「ほんと、そう思う。サトルとヒロシ

「だから当時は、みんなここに塾とし

がいなかったら、アウラに不登校の子

て通っていたから、始まりは午後 2 時

どもたちが集まることはなかったと思

からになっていたような気がする。ま

う」

あ少なくとも昼から…。だけどヒロシ が、さっきの話じゃないけど、 “太陽の

アウラの森が不登校の子どもたちを受け

光を見たら眩しくて、もう頭クラクラ

入れるようになったのは、本当に偶然から

する”というようなことを言い始めた

でした。初めて出会った生徒がサトルで、

り、週末にはまた夜型に戻って来れな

ヒロシは 2 番目の不登校の子どもです。そ

くなったり、とか言うことが続いて、

してこのヒロシがたまたま昼夜逆転の生活

何かそんなこともあって、絶対アウラ

を送っていたことで、アウラの森は朝から

も朝から開かないといけないっていう

開くようになっていったのです。

ことになったんじゃないかな?」 「そうそう」

ここに大事なポイントがあります。つま

「それから本格的にフリースクールが

りアウラの成り立ちは、常に私たちと子ど

スタートすることになっていったと思

もたちの共同的なかかわりの中にあるとい

う」

うことです。完全な予定調和の中にあるわ

「ヒロシのことがあったし、私は朝か

けじゃない。たとえば通常の学校は、子ど

らアウラを開けなあかんって思ったよ

もたちがそこに参加する前から、いろいろ

うな気がする。でもその決断には、大

なことが決められている。だから彼らはそ

変勇気がいった。どうしてかって言う

の決められていることに合わさなくてはな

と、アウラ自体が終わるのが午後 10 時、

らない。そうすると受身にならざるを得な

みんな帰るのは 10 時半くらいや」

いのです。アウラの森では、子どもたちは

「うん」

常にその当事者なのです。それは私たちと 89


のやり取りの中に存在し、アウラそのもの

で…」

が、このやり取りの中でどんどん更新され

「中 1 の子と一緒にゼミもしていたか

ていくのです。つまり私たちと子どもたち

ら…」

とのやり取りが、アウラの森を表現してい

「そうか、わかった。要するに、中学

るのです。

2 年の終わりくらいにヒロシが来た段 階で、小学校 3 年からの再学習をしよ

「あとヒロシは、最初から自転車で来

うということになったので、中学 3 年

てたんだっけ?」

ぐらいが終わる頃にヒロシは中 1 くら

「最初はどうしていたかな?…覚えて

いのところをやっていたわけや」

ない」

「そう。このままだと、さすがにちょ

「お母さんに送ってもらってたんか

っと厳しいんじゃないか、っていう話

な?」

で、もうちょっとしっかり学力つけて、

「ほんまの最初の内は車で多分、来て

みたいな感じで…」

いたけど。毎日来るようになってから

「そうかそうか」

自転車で行く、っていって」

「とりあえず 1 年浪人して…って感じ

「…あれはあれで大きかったよね?」

で」

「うん」

「それでちゃんと中学 3 年のところま

「みるみるヒロシ体がしまっていく

では一応学びきったんや、ヒロシは…」

…」

「一通り、ある程度は…」

「ははは」

「やりきったんだよなあ。それでその

「それから、ぼさぼさだった髪を突然

時に、いろいろ中学生との交流がけっ

スパッと切って…。あれなんで髪の毛

こうあって、みんなから“ヒロシ君、

切ったんだっけ?私が切れって言った

ヒロシ君”とか言われるようになって

んだっけ?」

…」

「いや、覚えてない。たまたまやと思

「まあ、ほとんどゼミの子。中 1 と中

う」

2 の子と」

「なんかだんだんシャープに、かっこ

「なんかそんな感じで一躍人間関係が

よくなっていったような感じがしたけ

広がっていったような気がする」

ど」 「うっとうしかったから切っただけや

学習ということを通して少しずつ自信を

と思うけど…」

つけ始めたヒロシは、対人関係においても

「それからヒロシは、どっかの段階で

コミュニケーションの機会を増やしていき

夜の塾も来るようになったんだよ

ました。 「学び」と「コミュニケーション」

ね?」

とは、まるで両輪のように機能しながらヒ

「うん」

ロシ自身を変容に向かわせていきました。

「だから朝から来て、最後の夜 10 時ま 90


「ところでヒロシにとってアウラって

中で、まあヒロシ自身がその…コミュ

どんな存在だったの?」

ニケーションのコンプレックスを乗り

「いやあ、どうなんやろ…?でも、ほ

越えていく」

かの人が学校行くような感じでこっち

「うん」

も行っていたようなところはあると思

「コミュニケーションって何のために

うけど。多分、学校よりかはもうちょ

おこなうのかって言ったら、例えば自

っとフランクな感じで来ていたと思う。

分っていうものを相手に理解してもら

もうちょっと自由がきいて気楽に行け

いたいとか、あるいは受け入れてもら

るような感じがあった」

いたいとか、相手を理解したいとかっ

「まあその…ずっと家にいた時は、 “学

ていう、多分そういうことやと思う。

校へ行こう”って、 “このままではあか

それで、ひょっとしたらヒロシにとっ

ん、出て行かなあかん”って思いなが

ては、ここアウラの存在っていうのは、

ら、行くとこがなかった」

家族以外に自分を理解してくれる…な

「うん」

んかそういう場、になっていったんじ

「行ったとしても勉強もついていけな

ゃないかな?」

い」

「うん、まあ…家以外にいれる場所、

「うん」

っていうか。行ける目的のある場所、

「なんか学校にいづらい。そういうヒ

っていうか…」

ロシにとっては、アウラはまあ非常に

「なんかな、ものすごくそんな感じが

ありがたい場やったわけや、きっと」

するんや。これは別にヒロシに限った

「ちょうど自分の形に合った、という

ことではないんやけど、理解してもら

か…」

える場所なので、なんか自分を出して

「そうやな」

もいいって思える」

「自分のペースでできるとこやったか

「うん」

ら…」

「で、理解されない場所で自分出すの

「ここには、わりと小さい集団があっ

って、めちゃくちゃ勇気いるやんか」

て…」

「うん」

「うん」

「要するに、変な話、ここやったら裸

「まあ私とか、亀谷先生がいたよな?」

になっても攻撃されない、安心や、っ

「そう」

ていう感覚や。自分がありのままでい

「まあ、ある意味で、もう一人のおか

れる…そんな感覚が、それが多分ここ

んみたいな存在やんな?」

アウラにいる間に、ある程度ヒロシの

「おかんまでじゃないけど…まあでも、

中に培われていったんやと思う」

うん」 「そうか…それから後になってヨウス

「コミュニケーション」という課題に

ケとか、いろんなやつが来たり…その

対してヒロシは、取り立てて何かの訓練を 91


おこなったわけではありません。まずはア

「まあ居心地…うーん、まぁまぁ、多

ウラの森の先生たちとの関係ができ、次は

分。うん」

同じ不登校の仲間たち、そして塾に通う不

「だからそれは昼間のフリースクール

登校じゃない中学生たちと、そのコミュニ

の部分で、ある程度自分のコミュニケ

ケーションは段階的に発展していきます。

ーションに対しての自信みたいなもの

ここで大事なことは、コミュニケーション

が培われていって、それがファースト

が、ヒロシの行動の目的になっていないこ

ステップやった気がするわけや。それ

とです。彼がだんだんアウラの森になじみ、

がまた同年代の、とか、あるいはもっ

この森の住人になっていく過程で、そのコ

と人数が多い中でも試されていった」

ミュニケーションの幅が広がっていったの

「うん」

です。つまりここでは、コミュニケーショ

「その中で果たしてどうなんやろう、

ンということが集団への参加の手段として

という不安があって、ヒロシの中です

用いられているのです。

ごい緊張があって。でもまぁそれが、 どうにかこれもいけるな、という自信

「そして、その次の年とかにゼミとか

になっていった」

が始まっていく」

「まぁ、うん」

「ああ」

「最初の中 1 のゼミに?」

「大勢の中学生の中にヒロシが入って

「うん。あとは中 2 のゼミにも…」

いくやんか」

「うん」

「うん」

「中 1 と中 2 の両方に入っていたわけ

「すごく緊張していたし…」

や?」

「そう、だから最初はそうやった。そ

「うん」

れは、私が提案したような気もする。

「っていうことは、その頃にはゼミの

ゼミに入れと」

内容をヒロシは理解できる状況になん

「多分そうやった。ゼミの教室に入る

とかなっていたわけ」

時間になったらすごく緊張して、トイ

「まあみんなよりかは、多分遅れてい

レに行きたいって…」

たとは思うけど、学校行ってない分…」

「そうや、そうや!よく覚えているわ。

「そうやな。だからそうやってこれま

私も思い出してきた。ゼミの前、毎時

で学校の授業に参加してなんにもわか

間ヒロシはトイレに行かないとダメだ

らなかったことが、 「わかるわ」ってい

った」

う感覚にかわっていったわけや」

「とりあえず行きたくないけど、一回

「そうそうそう」

トイレ行って落ち着かせて…」

「そうや、だからそこら辺は大きかっ

「でもそれが、だんだん受け入れられ

たよね、やっぱりね。その勉強だけじ

ていくわけやな?ヒロシも居心地よか

ゃなくて。要するにコミュニケーショ

ったんやろ?」

ンのコンプレックスみたいなものを、 92


毎週、紐解かなあかんかったわけや、 」

「生活もひどかったので、最初の頃」

「うん、そう…まあゼミは、自分の中

「ははは」

では勉強目的っていうよりかは、そう

「その生活をどうするのか。それから

いう、形式の中でやけど…人とやりと

体力。まぁ見かけの問題もあった。い

りができるようなきっかけの場やった

わゆる引きこもりっぽかったわけよ、

から。ゼミの後がちょっと楽しかった

私からしたら。見た感じ。わかるや

かな。1階に降りてきて、冷蔵庫のあ

ろ?」

るところでちょっとしゃべるのが目的

「わかるわかる」

で頑張って行っていた、みたいなとこ

「でもそうじゃない、なんかさっぱり

ろもあった」

した、そういうヒロシ。で、太ってい

「けっこうしゃべっていたよな?」

たから、ダボダボの服しか買えなかっ

「勉強よりかは、そっち目的になって

たし、おしゃれもなかったわけよ、多

いるところもあったかもしれん。あと

分、その頃は。違う?」

やっぱりゼミに参加していたので、あ

「まあ」

る程度授業めいた、形式的なところに

「だいたい外へ出ることがないから、

もちょっとずつ慣れていったっていう

違う?」

のもあるかもしれん」

「ない」

「だから、それは次の学校へという大

「そうやろ?服なんかどうでもよかっ

きい集団にヒロシ自身が入っていくと

たわけよ、言ったら」

きのある程度の準備になっていった。

「うん、ほとんどそんな感じやった」

要するに、ヒロシ自身は、本来やった

「そうやろ?そこら辺も変わってきた。

らその成長過程の中で学ばないといけ

そんな風なことが、あの頃にあったん

なかったことが学べないまま、なんか

やなって思う」

ずっと来ている。だから、学べなかっ

「うん」

たものはもう一回やっぱり一旦もどっ て…」

家庭という小さな社会の中で本来手に入

「うん」

れるはずだったものが、手に入れられなか

「もう一回要するに学び直さないとい

った時、それに続く学校や地域といった社

けない。何かそんな風にものすごく思

会の中でうまくやっていけないことはよく

ったのかもしれない」

あることです。ヒロシの場合もそうなのか

「うん」

もしれません。

「だから学習ということもそうやった し、コミュニケーションということも

だから私たちは、そのかつて手に入れら

そうやったし、それから…まあ生活習

れなかったものを、もう一度手に入れてい

慣とか?」

く過程を共有するのかもしれません。再学

「うん」

習、あるいは再構築と呼ばれる過程です。 93


ただ子どもたちの中には、手に入れられな

父さんとお母さんは、離婚されたわけ

かったものを歪な形で手に入れてしまって

じゃないよね?」

いるものもいます。その場合は、一旦手に

「離婚はしてない」

入れたものを解きほぐし、新しく学び直す

「でも別居されてたっけ?」

という、脱学習の過程が必要となるわけで

「いや、家にずっと一緒に住んでいる」

す。

「でもお父さんお母さんの関係はもう 全然成立してない?」

「それで、さっきヒロシが言った“う

「うん、してない」

ちの家ってなんかおかしかったってい

「洗濯も別々やったかな?なんかそん

うことに初めて気づいた”って記憶。

な感じじゃなかったっけ?」

つまり、これまでは“これが自分の家

「最初のうちは、やっていたけど、も

なんや、これが自分の家族、家庭なん

うおかんも嫌になったんかしらんけど、

や”っていうイメージがあって、その

親父の洗濯もやらないようになって、

家庭の中にいるから、良いか悪いとか

別々に…」

もわからないわけよ。家庭ってこうい

「ごはんも別?」

うものなんやと思い込んでしまう。で

「ごはんも…作りはするけど、分けて

もそれが、アウラに来ることで、自分

置いてある」

の家族をヒロシ自身が振り返ることが

「だからヒロシの中で自分の家族を一

できたわけよ」

旦振り返って、 「おかしい」みたいなこ

「うん」

とを言い始めたことは、ヒロシの家族

「それで“おかしいやん”ってコトバ

がどうかっていうことは別にして、ヒ

が飛び出してくるわけ。で、そのあと

ロシ自身が新しい目を持つようになっ

“うちの家でまともなのは、俺だけや”

たということなんだと思う」

ってコトバが飛び出してくる。そんな

「なるほど」

ことも覚えているよ。その頃、 “お姉ち

「今までとは違う目。それは大事なこ

ゃんもなんかわけわからん”とか言っ

とやなって、ものすごくそう思う。だ

て…、お姉ちゃんは保育士かなんかや

からそんなことが、高校に行くまでの

ったんじゃないかな?」

間にいろいろ起こってきて、私からす

「そう」

ればほとんど別人みたいになっていっ

「でもなんかそれを辞めて、家でけっ

た。「ビフォーアフター」やないけど、

こう引きこもっていた時期もあっ

ヒロシが中学 2 年で来たのと、アウラ

た?」

卒業する時っていうのは、多分ほとん

「まあ引きこもりというか、辞めて…

ど別人やなっていう状態になったんじ

なんにもしてなかった間はあったと思

ゃないかなあと…」

う、確か」 「それから、なんかお父さんも…。お

「物心ついた時から両親には会話がなか 94


った」とヒロシは言います。会話のない夫 婦なのですが、同じ屋根の下で寝起きを共

3. 卒業

―アウラをあとに―

にして食事もとる。だからこそヒロシにと っては複雑だったのかもしれません。ただ

「それで、そこからヒロシは高校に行

意識のレベルでは、それは問題ではありま

くわけやけど、一番最初に、電車乗っ

せんでした。なぜなら彼にとってはそれが

たことないので、電車の乗り方、切符

両親の関係の原型だったからです。お父さ

をどうやって買うのかわからんとか言

んとお母さんは話をしないものなのです。

って、サトルに聞いていたような気が する」

ただそんな不自然な関係をもとに彼が幼

「聞いていた」

稚園に入りやがて小学校へと進学していっ

「高校の最初のオリエンテーションが

たときに、コミュニケーションの問題が生

植物園かどこかであったんじゃな

じてしまうわけです。どこか歪さを持った

い?」

人間関係がいろいろな場面で問題というカ

「ああ、そうや、そうや」

タチで露呈することになっていったわけで

「植物園も行ったことがない」

す。しかし、当時のヒロシには、それがど

「バスも乗ったことないし」

うしてなのか理解できませんでした。家の

「そうや、そうや、バスをどうやって

中では、未だに不自然な家族の関係が続い

乗るのかとか。それで結局、サトルが

ていたからです。

ついていってくれたんかな?」 「うん、 “行き方がわからへんし一緒に

だからヒロシがアウラの森へとやってき

行こう”って…」

た最大の意味は、彼が育った過程を俯瞰的

「なんかそんなことやった。だから、

に振り返り、 「おかしい」と初めて認識でき

そんなところからヒロシの高校生活が

たことかもしれません。そこを疑い始める

始まったわけや」

ことで、ヒロシは再び前に歩きはじめるこ

「うん」

とができたのかもしれません。

「どうやった?高校生活は。楽しかっ た?」 「まあ楽しかった。なんか勉強よりも 野球部がメイン」 「ああ、そうやったなぁ」 「で、学校に入学して野球部の同期、 同学年のやつらも野球しに来ていたよ うなもんやって言っているから…。多 分定時制高校に来ている人って、あま り目的のない人が多いんやけど、やっ ぱりその中で野球していたやつらは、 95


それをメインにやっていて…」

りするから」

「ということは、ヒロシにとって野球

「そう、来ていたり来てなかったり、

部に入ったっていうことがめちゃくち

ってなっても、何なんヒロシっていう

ゃ大きいわけや?」

雰囲気もないから…。その中で、定時

「まあ。でもかなり野球部に入ったこ

制ってやっぱり留年する人も多いから、

とで変わったと思う」

年が上の同じ学年になる人もちょろち

「ああ、ほんまぁ」

ょろいたし…」

「やっぱり上の人もいやはるし…」

「だからみんな同じじゃなくても、オ

「先輩とか?」

ッケーでいれるわけや?」

「うん、いろんな…まあ上下が厳しい

「そうそう」

わけじゃなく、みんな横の関係やけど

「だから、それはヒロシにとってはよ

…。今でも行って野球したりするくら

かったわけや?」

いやから…」

「もう一番よかったと思う」

「ああ、ほんまぁ」

「一番よかった…なるほど。でもまぁ

「うん。連絡も取るし」

そういうところ、アウラも一緒よな?

「そうか。ということは、さっき言っ

別に…みんなが同じじゃなくてもオッ

た、一番最初にアウラの限られた先生

ケー」

たちとの間のコミュニケーションから

「そこが一番大きかった。アウラ行っ

始まり、同年代の、子どもたちとのコ

て、定時制行って…その人間関係が、

ミュニケーションがあり、で、高校へ

今人生の中で一番そこの人間関係が基

行ったら、そこは先輩後輩、そういう

盤になっているところがあるから。野

コミュニケーションがあり…、まぁそ

球部とも連絡取るし、ここアウラの人

ういう意味ではだんだんステップアッ

らとも連絡取るし…」

プしていくわけや、ヒロシの中では。

「なるほど。それはヒロシの人生の中

そして、だんだん自信を獲得していく

でけっこう大きな支えになっているわ

わけ?コミュニケーションに対して

けや」

…」

「うん」

「まぁ、自信はそんな未だにないけど

「勉強も大丈夫やった?高校に進学し

…。定時制っていろんな環境の人が集

て」

まっているやん、その中では、そんな

「勉強は…それが、予想以上にレベル

にある意味お互いに興味を持たへん。

が低かった。定時制の方が」

普通の学校とかでは、一人だけ来なか

「ははは。じゃあヒロシは優等生やっ

ったら“ヒロシなんで来いひんねん”

たわけや?」

って、そこ一人に目が行くところを、

「うん、まぁまぁ、並みにオール 4 く

定時制ってそういうところが…」

らいか…」

「みんなそれぞれに事情を抱えていた

「ほんまぁ。そしたらそれも、アウラ 96


でずっとやってきたことが…」

分まぁ、向こうからしたらどうしよう

「やってきたおかげ」

もないやつが来たはずやのに、そんな

「全然勉強には苦労せずに?」

に、 “ああだ、こうだ”って言われるわ

「苦労せずに」

けでもなく、ちゃんと雇ってくれてい

「クリアできていくわけや?」

た」

「並々に…」

「どうやってそこを見つけたの?」

「なるほど、それもよかったわけやな。

「それは、野球部の先輩がたまたまそ

だからこそ、逆に言ったら野球にも打

この知り合いで。 “だれかを探している

ち込めたわけや」

んやけど、こういう子いいひん?”み

「そうそうそう」

たいな話がたまたま流れてきて」

「ああそうかぁ。休んだりもあんまり

「そしたら、それも人脈からや?」

してなかったの、高校?」

「人脈…うん」

「高校…多分その 4 年間で休んだの、

「そこからも辞める時は“うちに就職

風邪ひいたとかで 1 回か 2 回ぐらいや

しいひんか”みたいに言われたんじゃ

ったと思う」

ない?」

「画期的よね。それまた自信になるや

「それはまあ。本気かどうかわからへ

ろ、振り返ってみたら」

んけど一応なんかそういうことは…」

「うん、もうそれは」

「言ってくれたん?」

「それで…しかもアルバイトもするん

「言ってくれてはった」

だよね、あれ、高校何年かな?」

「なぁ。それもよかったやん。そうか、

「最初は、高 2 くらいのとき…工場か

野球やっていて一番得たものって、や

なんかでバイトして…」

っぱり人間関係?」

「あ、そうなんや」

「うん、人間関係が一番大きい」

「うん、流れ作業の工場があって、そ

「野球部でも、けっこうしんどいこと

こでバイトして。そこで半年くらい。

もあったやろ?」

野球で全国大会行くのに費用がかかる

「いや、もうそれは…しんどい」

から、っていうんで、その費用を貯め

「ほんまぁ。最後野球部を引退するや

る、みたいな感じでバイトして…。そ

んか。そういう時ってやっぱりある種

れから、高 3 の終わりくらいで自動車

の感動があった?」

屋さんのバイトしていた」

「それが…やっぱり人間関係が野球部

「バイト先でも、今度はその仕事を通

なんか複雑やったから、最後終わった

して…親方っていうのか、社長ってい

とき“ああ、まあこんなもんやろな”

うのか、よくわからないけど…、その

って…」

人間関係とかはどうやったん?可愛が

「あはは。その後、高校卒業する時は

ってもらっていた?」

なんか感動があった?」

「いやあ、わかんないですけど…。多

「感動というより、恐怖…、恐怖心で 97


もないけどな、 “どうなんのやろ、自分

間関係が生まれてくる?」

このあと”っていう…」

「いや、学校自体が小さかったからそ

「ああそう?」

んなにはなかったけど、今でも卒業し

「正直、その頃将来っていうのは自分

た後でもちょっと連絡取るような友達

の中でどんなんか見えてへんから。 “ま

は、一人二人はいるし…。それでもや

ぁ、とりあえずちょっと自動車に興味

っぱり、「どうなん?」「仕事どう?」

があるから、そっちには行くけど、ど

っていう、そういう話はできるような

うなんのやろな”っていう…」

相手はいるんで…」

「そしたら、不安も大きかった?」

「まぁ専門学校やから、そういう知識

「不安もあったけど。…まあせっかく

を得たり技術を得たり、そういうこと

クラブで築いてきた人間関係もバラバ

で忙しかったというのと、それとあと

ラになるし、これで連絡とらなくなっ

国家試験を受けるわけやろ?」

たらどうなるのやろか、っていうとこ

「ああ、そう」

ろはあったけど…」

「国家資格持っているんやろ?ヒロ

「ああ…そうか。むしろそっちの方が

シ」

不安やったわけやな?これでバラバラ

「持っている」

になってしまう、みたいな」

「2 級?」

「うん」

「国家整備士 2 級」 「それは在学中に取るわけ?」

高校へと進学していったヒロシは、小学

「えーと…卒業した後に試験受けて。2

校の時に少しかじった少年野球への経験を

年勉強したらその試験が受けられます

頼りに野球部に入部します。このことも彼

よ、っていう」

にとっては中途半端にしてしまった過去へ

「それの受験勉強とかも、その間にず

の修正なのかもしれません。もう一度やり

っとするわけや?」

直すわけです。そしてそこでも、また野球

「うん、そう」

部という濃厚な人間関係の中でコミュニケ

「じゃあけっこう、その時忙しかっ

ーションそのものを磨いていくわけです。

た?」

やがてヒロシは神宮球場で開かれる全国大

「まあみんな必死に…」

会へ出場します。もちろんそのことがヒロ

「それは絶対取らなあかんって言われ

シにとって大きな自信になったことは言う

ているの?」

までもありません。

「全員が全員受かるわけじゃないし、 あれも」

「その後、専門学校は 2 年だったっ

「ヒロシは一発で?」

け?」

「うん、一発で」

「2 年」

「ああほんまぁ。やるやん」

「自動車の専門学校。そこでもまた人

「まあまあ…」 98


「就職活動は、いつしたわけ?」

その時やっぱり緊張して上手く話せな

「1 年の夏すぐに。入って半年で」

くて、採用に落ちたんやけど。そこの

「え!?そんなに早く。それでその頃

人事の人が気に入ってくれはったんか

にはヒロシとしてはもうディーラーに

わからないですけど、 “うちのグループ

行きたいと思っていたわけ?」

会社で、今行っているB社っていうと

「いやー、でもとりあえずディーラー

ころがあるんやけど、そこ 2 次試験が

しかないかな、って。まあディーラー

あるから”って…」

か町工場かという募集の選択があって。

「へぇ、そこに行ったらどうや、っ

求人が掲示板に貼り出されて、それで

て?」

いろいろ説明会行って、話聞いて」

「1 回試験受けてみないかっていうの

「スーツを着て?」

で紹介してもらって。それで、受かっ

「スーツ着て」

た」

「まぁ就活をするわけや?」

「へぇ。でもそれはよかったよね。そ

「うん」

の人からしたら、この子はものすごく

「そこでも「なんか上手くしゃべれへ

いい子なんやとか、ある程度口添えも

んなあ」とかそんなことあった?そん

…」

な不安はなかった?」

「あったと思う。多分その人事の人が

「いや、説明会とかはそんなしゃべる

見た中で、この子はいいんじゃないか

機会とかないから…」

っていうのを何人か選んでの紹介の試

「ああ、聞いているだけか。面接は?」

験やったから。その中でもなんとかう

「面接がなかなか…1 年の終わりくら

まいこと残れたからよかったけど。や

いに面接して、2 年の頭くらいに就職

っぱりそこで落ちている人もいやはる

先っていうのが決まっているんやん

し…。未だに自分がなんでそこが受か

か」

ったんかっていうのが…」

「ああ、そうか。だから 1 年の夏くら

「そうか、ヒロシが勤めているB社っ

いからいろいろな説明会なんかが始ま

ていうのは、ヒロシが最初から説明会

って、面接が冬とかにあるわけ?」

とか行ったところじゃなくて、A社で

「冬場…うん。12 月くらいから、年を

行ったところの人事の人がわざわざ紹

またいで 1 月 2 月くらいまで」

介してくれはったところなんや?」

「なるほど。それで 2 年になる時には

「紹介してくれはった。うちには求人

内定が、みたいな話になるわけや?」

も何もないから。そこの会社受ける情

「うん。卒業する頃には就職先はもう

報もなかったし、きっかけもなかった

決まっている状態、ほとんどの人は」

から。たまたま、すごいラッキーで」

「今の会社は、最初から行きたかった

「よかったよなぁ」

ところ?」

「よかった」

「いや、全然。もともとA社を受けて、

「そしたら後の専門学校 2 年目は、も 99


うその国家試験に向けて勉強して…」

「それで会社就職して、入ってからは

「うん、まぁ試験落ちたら内定も取り

どうなの?最初まず入ったら、やっぱ

消しになるから」

り学生時代とギャップあった?」

「そうか。そうしたら必死やん」

「ギャップ?」

「もう必死やった」

「まあ社会人っていうのか…プロやん か。学校じゃないし…」

高校を卒業したヒロシは自動車の専門学

「いや、怖いなっていう…みんなでき

校へと進学します。たまたま野球部の先輩

る人やから。バリバリ働いたはる人や

の紹介で始めた整備工場へのアルバイトが

し。その中に入って…、正直、学校も

きっかけだったようです。そしていよいよ

そんな大した学校じゃなかったから。

就職活動が始まります。専門学校は 2 年で

試験受かるためだけの勉強しかしてへ

すから入学した年に就活がスタートするこ

んかって。実践とか、正直伴ってない。

とになるわけです。ヒロシは第一希望の会

技術とかも。知識もそんなにないよう

社には落ちたものの、その会社の人事の方

な状態でどうなんやろっていうのもあ

の紹介で関連会社への就職が確定していき

って…。まぁ未だにそこはがんばらな

ました。

あかんなっていう部分やけど…。まぁ まぁ、でもしんどいなりにどうにかが

ここでもヒロシのキャリアを導いていっ

んばってはいるよ」

たのは人脈でした。コミュニケーションに

「現場に入って、後輩はまだいないよ

対して大きなコンプレックスを抱いていた

な?」

ヒロシが、今度は彼が構築していった人脈

「後輩は、一応一人いるけど、うちの

の中で自分のキャリアを形作ることになっ

お店じゃなくてほかの店舗やから」

ていったわけです。

「そしたらヒロシはまだ下っ端や?」 「下っ端、お店では」 「先輩がいろいろ言うわけや」 「まぁそう」 「工場長がいて、先輩の人がいて、ま ぁヒロシみたいなスタッフがいる。何 人くらいなの、サービス全員で?」 「サービスは、自分含めて 4 人」 「4 人でまわしているんや?」 「3 人が作業して、1 人がリーダーって 言って、指示する人で」 「それは、マネージャーなんやな?」

4. 職場の中で

「いや、リーダーの上にマネージャー がいる」 100


「マネージャーは作業するの?」

て。後でブツクサ言ったり…」

「マネージャーは作業しない。もう副

「愚痴を言える相手があんまりいない

店長みたいなもんで。いろいろフロン

のは、辛いな」

トでお客さんの相手をしたり、ちょっ

「まぁ…」

と説明の難しい作業内容の説明したり。

「同期とかがいて、なんやあいつは、

まぁリーダーはそれと同じようなこと

っていろいろと言えればいいのに…」

をするんやけど、基本的には工場にい

「同期もほかの店舗にはいるんですけ

て、周りに指示する、っていうそうい

どね」

うポジション」

「しゃべったりするの?」

「そのリーダーを除いて実際に現場で

「まぁしゃべったりもするんやけど、

作業する人は何人?」

今度は同期のやつらが、会社にいきな

「3 人」

り来なくなったりということがあって

「3 人なんや?」

…」

「3 人」

「え、登社拒否みたいに?」

「そしたら、わりと小さい人間関係な

「そう。いきなりもう連絡もなしに来

の?」

なくなったり…」

「かなり狭い」

「就職したのに?」

「それはどうなの?」

「今は、何か一応戻ってはいるけど…。

「いや、いろいろしんどい」

ぼくは自分が、昔学校行ってなかった

「いろいろ気を遣う?」

んで、そんな経験した上で就職したか

「気を遣うっていうか、リーダーとマ

ら、逆にそういうのが許せないってい

ネージャーがちょっと職人気質で。や

うか。自分は恵まれているのに何を言

っぱり作業者としてはすごくできはる

ってんねんっていうところがあって、

から、今度指示する立場になって上手

ちょっと最近あんまり連絡取ってない

いことできてへんやつらを見るといろ

けど…」

いろ思うところがあるのかしらんけど、

「どういうこと、恵まれているって?」

ちょっと…」

「そういう仕事させてくれる場がある

「で、怒られたりするわけ?」

のにいきなり連絡もなしに仕事場休ん

「まぁ怒られはするけど…言っている

で。それでもちゃんと迎え入れてくれ

ことが“確かにそうやな”って思える

る場所があるのに…“とりあえず彼女

ことはいいけど。 “それ、ちょっと違う

がいるから、彼女が別れたくないって

んじゃないか?”っていうところで怒

言うんで戻ってきた”って、 “おまえは

ってくる時があるから…、 “何、この人”

何を言ってるねん”って。 “彼女じゃな

って思うことがある」

いやろ”と。 “仕事場でそういう場所を

「そういう時はどうするわけ?」

作ってくれているのに何様や”と…」

「いやもう聞き流して“ハイハイ”っ

「ヒロシはえらいなあ、なんか話聞い 101


ていると…。なるほど、そういう風に

特に同僚の行動に対しては、つらい経験

思うわけや。そうかぁ。まぁ職場やか

を乗り越えてきたヒロシだからこそ言える

ら、いろいろ職場の人間関係っていう

メッセージが含まれているように思います。

のが当然どこの世界にもあるんやけど、

いろんな人間関係の場面で、彼はその経験

でもまあ仕事自体はおもしろい?」

からいろいろなことを学びとり、未知への

「うーん、最近ちょっと好きになって

経験にそれを活用させているように感じら

きたかな。やっぱりどうしても、ちょ

れました。

っと興味ある程度で入ってきた世界や から、逆にちょっとしんどいところが あったりするんやけど。少し好きにな りかけているのかな?やっぱ興味と好 きとは違うから。そこで今ちょっとし んどい思いしている」 「どういうこと?興味と好きとは違う って…」 「あー、ちょっとこういうことやって みたいな、っていう興味の心っていう か、好奇心。そういうところであまり 下手に社会に飛び込むと痛い目見ると

5. キャリアの中の物語

いうか。やっぱりみんな好きでやって いる人が多いから、ギャップっていう

「いやまぁ、ヒロシは現在に至るまで

か、好きのレベルが違うっていうか。

ずいぶん苦労してきたから…。小学校

そこで物事に対しての見る目が違った

3 年の時からやから、 8 歳とか 9 歳とか」

り考え方が違ったり。その差がなかな

「9 歳くらい」

かしんどいな、っていう」

「そうやなあ?で、今のヒロシが 23

「なるほどなあ…」

…?」 「今年で 4」

職場に入ってからも人間関係の課題は続

「24 っていうことは、15 年間なんや。

きます。上司とのコミュニケーション、仲

これまでしゃべってもらったことは、

間とのコミュニケーション、そしてお客さ

自分の 15 年間って振り返ったらどう

んとのコミュニケーション。ヒロシはそれ

なのっていうこと。15 年やで、これ」

ぞれの部分で俯瞰的にそのコミュニケーシ

「いやあ、なんかまぁでも…」

ョンの行方を見つめているようです。この

「24 年のうちの 15 年間、言ったらま

術を彼は手に入れていったのかもしれませ

ぁ、今しゃべった部分がヒロシの人生

ん。

の大半の部分なんや。どうですか?」 「いやあ、しんどいことばっかりやっ 102


たから、逆になんか最近他の人らがち

そんなことがあったからこそ、別に今

ょっと弱音吐いていると、しょうもな

少々いろんなことがあったって、なん

いなって思うような。けっこうマイナ

かへこたれないわけよ」

ス面でのことはけっこう経験してきた

「まあ確かに振り返った時に、普通に

から、これからは悪いことあっても大

学校行っていたら今のような状態…今

したようなことは思わへんかな。ある

よりもっといいような状態になってい

意味ちょっと強くなれたかな。底を知

たかっていうと、そうでもないだろう

っているから、っていう。あとは上が

なって思うことがあって。だからそう

るしかない、っていう」

いう人間関係があったからこそ、今の

「特にだから…ヒロシにとっては、ア

自分があるっていうのはよく思うし。

ウラに来てここを卒業していく…。卒

そういうところで…まあ学校行ってへ

業したのが、だから 16 か…、初めてこ

んかったことがよかったとは思わない

こに来たのが 14 か…。その 2 年ちょっ

けど、まあでもそういう人生でこれた

とっていう間に、ずいぶん変わってい

こともよかったかな、とは思う時ある」

ったんやね、多分ね」

「いやあ、なんかよかったよな。私は

「まあ…」

感動するわ、そんな話聞けたら。あり

「ヒロシにもずっと言ってきたかもわ

がとう」

からんけど、私は、不登校になったっ

「うん」

ていうその経験が自分にとってよかっ

「それで、いろんな人にこういう声を

た、そういう風になってもらいたい、

聞いてもらったりすることで、自分も

って思っているんやんか。それは不登

変われていくんだっていう希望が持て

校を別に肯定しているわけじゃないん

ればいいなあって…」

やけど、人生ってなんかな、そりゃ楽

「うん」

しいこともあるけど辛いこともいっぱ

「なんか今、引きこもったり学校へ行

いある。でも辛いことは無駄じゃない」

けなかったりしている人って、いっぱ

「うん」

いいるわけよ、世の中には…」

「辛いことって、意味があるやんか。

「うん」

ずっと。だから例えば学校へ行けなく

「それで、当時のヒロシと同じように、

なった子どもとか、ずっと家で引きこ

それは大変辛い経験なんよ、やっぱり。

もってる子らって、それはもう暗黒の

だって、家にずっといる生活で“ああ

記憶なんやんか。暗黒の時間なんや、

幸せ”って思っている人って多分いな

言ったら。でもその、例え暗黒であっ

いと思うねん」

ても、それはすごい大事な時間なんで、

「うん」

それを大事な時間と思えるような生き

「その子らに、ヒロシがメッセージを

方をしてほしい、って思うやんか。だ

投げかけるとしたら、何かある?」

から今のヒロシのコトバで言ったら、

「メッセージ…?難しいところやけど 103


…。やっぱり人は人との関係性で成り

かをやっぱり伝えるわけよ、きっと。

立っているから、コミュニケーション

でもそれは、答えじゃない。その答え

はどうしても大事なところやし。そこ

を作るのは、子どもたち自身、ヒロシ

で嫌なこともあれば、楽しいこともい

自身が作るものかもしれない」

いこともあるし。どんな嫌なことがあ

「うん」

っても人とのかかわりは大事にしても

「今言ったようなメッセージも、ヒロ

らう。それが一番やと思う」

シの中での野球部の経験があったりと

「なるほどなぁ。なんかヒロシいいこ

か、社内の経験があったりとか、そん

と言うなあ!説得力あるわ、やっぱり」

な中でヒロシの物語っていうのが当然

「いやまあ、いろいろ今もしんどいけ

生まれていくわけで、別に私たちが伝

ど…まあ人なしでは生きていけへんっ

えたわけじゃない。だから私たちにで

ていう、それがほんまのところなんで。

きることっていうのは、ヒロシが自分

どれだけ嫌やと思っていても、ふとし

の答えを作れるように。そうやって作

た時、どんな些細なことでも人がいる

れるようになる下地を作る、っていう

から。ぱっと遊びに行こうと思っても

ことやったような気がするわけ」

一人じゃ楽しめへんことも。友達がい

「うん」

るから楽しめるところもあるし。そう

「だからそれは、どういうわけか「コ

いうのが大事かな。自分の今の環境を

ミュニケーション」というキーワード

もうちょっと考えて、自分でその環境

の中で集約されていくんや。家族の中

を作れているわけじゃないから。周り

でのコミュニケーション…。多分その、

に誰かが絶対いて、そういう場所があ

幼稚園のころからコミュニケーション

るから。そういうことをもうちょっと

が下手で、って言っていたやろ?それ

考え直して、大事に思ってほしい」

は要するにコミュニケーションが上手

「まぁよかった。今ヒロシが言ったコ

くいってない家族の中で、ヒロシ自身

トバを、別に私がヒロシに伝えたわけ

は生まれ育ってきたことと大いに関係

ではない」

すると思うねん。言っていたやん、物

「うん」

心つく前からお父さんとお母さんのコ

「私たちが関われることっていうのは

ミュニケーションは成立してなかった

いつも限定された時間軸の中。教育の

って」

世界って、始まりがあって終わりがあ

「もう…うん。一応子どもがいるから

るんや」

ごはんを食べる場とかは作ったりして

「うん」

いたけど、それでもやっぱり…」

「どこかで“じゃあ始めましょう”っ

「そやから多分、そういう中でヒロシ

ていうことがあって、どこかで“では

自身は育ってきたので、当然そのコミ

さようなら”っていう巣立ちあるわけ。

ュニケーションに対して、自分が億劫

私たちはその限られた時間の中で、何

になっていくっていうか、自信が持て 104


へんっていうか、そんな状況が生まれ

たよね。24 歳か」

てきた。でも、そういうものをヒロシ

「もうじき。12 月で」

自身が回復していく」

「また、なんかの機会にこんな風に私

「うん」

と一緒にしゃべってくれたら」

「回復するには、当然自信がいるやん

「いつでも」

か。だって自分の苦手なことに向かう

「ありがとう」

んやから」 「うん」

こうしてヒロシの 15 年間が語られまし

「で、その自信はどこから来たかって

た。もちろんこれがすべてではないでしょ

いうと、一つは、ヒロシがアウラに毎

う。しかし、彼は自分史をこうして自分の

日来る。コツコツ勉強するわけや。で、

コトバにしたのです。自分を語ることは、

多分プリントがどんどんたまっていっ

自分を相対化させることであり、自分を見

たと思うねん」

つめるもう一つの目を持つことです。そし

「たまっていった」

てこのもう一つの目が、彼のキャリアに幅

「まああるいは、雨の降る日も風の吹

を持たせ柔軟性を持たせることにつながっ

く日もチャリンコに乗ってアウラにや

ているんだと思います。

ってくる。そのうち自分の体もどんど ん変化していって」

ヒロシのキャリア形成の過程には、一貫

「うん」

して「コミュニケーション」というストー

「そういうことが積み重なって、なん

リーラインが流れていました。それは幼い

かヒロシの自信を作っていったのかも

頃からの彼のこだわりでもあり、コンプレ

わからへん。で、その中で、すごく苦

ックスでもあったのです。しかし、ヒロシ

手なコミュニケーションにも自信が持

はそのコミュニケーションに向き合います。

てるようになって、少しずつ同年代の

最初はアウラの森で、高校の野球部で、ア

子とのコミュニケーションにチャレン

ルバイト先で、専門学校で、そして職場で。

ジしていったり。…トイレに毎回行か

やがてヒロシは、その苦手だったコミュニ

なあかんかったけど。そやろ?」

ケーションを通して自信を手に入れたのだ

「そうでした」

と思います。

「そうやったけど、ヒロシなりにチャ レンジをやったわけ、それは」

教育は、限定された時間軸の中で彼らに

「うん」

関わる営みなんだと思います。その間に私

「そういうことができたという成功体

たちは決して彼らのキャリア形成に関する

験の積み重ねがあって、そのことがや

答えを出すことはできません。ただ、私た

っぱりヒロシのコトバや物語を作って

ちの投げかけた何か、あるいは私たちと一

いったかもわからんな、と思うと、感

緒に共有した経験の中で、彼らは自分なり

動的やなあと思うんや。…まあよかっ

の答えを出すすべを手に入れていったのか 105


もしれません。キャリアを通して浮かび上 がってくるそれぞれの物語。その一つ一つ

「おれ、おかんのお墓を建てたら、家

の物語の中に、彼らのこれまで生きてきた、

を出ていこうと思うねん」

あるいはこれから生きようとする意味が感 じられるように思うのです。

ヒロシはそう私に話していました。でも 私はそれがいいとは思いませんでした。彼 には、自分の家に対して一定の責任を持っ てもらいたいと思ったからです。 「一度、ヒロシの家のことを、みんな で話し合ったらどうや。ヒロシが出る。 お姉ちゃんもこの機会に出る。私はそ れでもいいと思う。そしたら、家族が バラバラになりやがて消えていくわけ や。それでもいい。だって、家族って そういうもんや。ある段階に始まって、

6. 最後のシゴト

ある段階に無くなっていく。ぼくらは 家族がいつまでもあるように思ってい

その後、私たちはヒロシのお母さんが亡

るけど、それは幻想にしか過ぎない。

くなられたことを知りました。実は彼が高

いつかはなくなっていくもんや。でも

校生の時にガンが発見され余命宣告をされ

その家族がなかったら、ヒロシも生ま

ていたそうです。お母さんは、ヒロシにた

れてなかったわけや。だから家族に対

った一つ、遺言を残していました。それは、

してある一定の責任をヒロシ自身も持

“自分が死んだあとに自分のお墓を建てて

たないといけないんじゃないかって思

ほしい”ということ。 “死んでまでもお父さ

うんや。だから、これからこの家をど

んと同じお墓に入りたくない”ということ

うするかという話し合いを、ヒロシか

がお母さんの願いでした。そしてお母さん

ら投げかけてみたらどうや。ヒロシが、

は、生前そのお墓を建ててもらうためにお

最後にこの家族をどうするかを提案す

金を用意していたそうです。

る。ひょっとすると、これが家族に対 する最後のシゴトかも知れんで…」

やがてお母さんが亡くなられた後、ヒロ シの家は、バラバラになっていきます。残 りの 3 人はまだ一緒に住んでいるものの、

私はそんなことをヒロシに向かって話し ました。

みんな自分のことだけしかしない。共同の シゴトは誰もしないので、しかたなくヒロ シが休みの間にやっているそうです。

その後、ヒロシからの報告を私はまだ受 け取っていません。このことは大変大きな 106


問題なので、そう簡単には結論が出ないか もしれませんが、今のヒロシならそれも乗 り越えていってくれるように思っています。

107


第6章

社会への回帰

「不登校は本当に子どもの問題なの

の中に現代社会の抱える実に多くの変数が

か?」という議論があります。確かに心理

入り込んでしまっているので、この問題の

検査やカウンセリング、あるいは認知行動

構造がどうしても複雑になってしまうから

療法や、薬物治療。そこにはさまざまな個

です。

人に対するアプローチが行われています。 これらのアプローチの根源的なフレームは、

文部科学省が、かつて不登校の子どもた

問題を抱えた彼らを、いかに問題のない社

ちの類型化を試みた15ことがあります。多

会へと適応させていくことができるかとい

様化する彼らの状況をいくつかのパターン

うことに集約されるように思います。

に類型化してその問題解決への方法を整理 しようとしたのです。ところが、実際には

確かに不登校の子どもたちは現在、大変

類型化すればするほど、さらに多様化が生

な生きづらさを抱えていますし、そのご家

じていくということも一方でおきてしまう

族も大変つらい思いをされています。 「でき

のです。これはまさに、ポストモダンな近

れば、一日も早く学校へ行ってくれれば…」

代社会の持つ再帰性の表現であり、安易に

と願っておられることもまた事実です。そ

その答えを見いだすことが困難であること

の思いは、学校も同じです。心ある教師た

を示しています。

ちは、彼らの学校復帰を願って、毎週のよ うに家庭訪問を続けているのです。そして

「不登校は、子どもたちと学校、あるいは

不登校の子どもたちの中にも、同じ思いを

社会との関係において生じる社会現象であ

持っている者もいるのです。 「学校へ戻れる

る。したがって大事なことは、そのことを

ものなら戻りたい」でも、できないわけで

通して、子どもたち自身や社会そのものが

す。できないから苦しいのです。ここに不

反省的に自己を振り返り、自己を更新させ

登校の問題の難しさがあります。

ていく機会を持つことである」

この問題を単一のフレームで解き明かす ことはできないのです。不登校という問題

15「不登校に関する実態調査」 (平成 5 年度不登校生徒追

跡調査報告書)文部科学省

108


これが、不登校の問題に対する私たちの

ここでは、そんな不登校の問題から派生

基本的な姿勢です。だから不登校の原因を

した社会への回帰の具体例として、京都府

すべてその子どもに集約するのではなく、

教育員会の「フリースクール認定制度」、そ

家族や学校、あるいは支援者がそのことを

してアウラの森が主催している、子ども若

きっかけに自らを振り返ることがとても大

者の支援者のための学びの場、 「南丹ラウン

事なことだと思っています。

ドテーブル」を紹介していきたいと思って います。

私たちは、2004 年から不登校の問題にか かわり始めました。それはたった一人の不 登校の生徒が訪ねてきたことから始まった わけですが、その後、不登校の子どもとア ウラの森という環境との間に交流が生まれ、 やがて彼らは大きく変容し、アウラの森も また大きく変容を遂げることになったので す。まさに相互変容の中で、新たな場がそ こに構成されていったと考えられるのです。 新たな場は、自ずと力を持ちます。私た ちは、不登校の子どもたちの進路保障をめ

1. フリースクール認定制度

ぐって、現在に至るまで教育委員会とさま ざまなやり取りを続けてきました。そして

「フリースクール認定制度」16は、2008 年

その結果、新しい制度がそこに誕生し、ま

に京都府教育委員会が全国に先駆けてつく

たその事実が、新しい社会の動きとなって

った府教委による民間のフリースクールの

彼らのもとへと回帰することになったので

認定制度です。アウラの森は、2005 年より

す。

参画した府教委の研究事業を通してこの制 度の成立に大きく寄与してきました。

不登校の問題が、社会そのものに影響を 及ぼし、それを再び彼らのもとへと回帰さ

「学校へ行かなかったら高校へは進学で

せていく。この循環構造を社会の中にどう

きない」かつての不登校の子どもは、そう

位置付けていくのか、あるいは根付かせて

いう状況におかれていました。不登校にな

いくのかが、実は不登校の問題の本質では

ってしまうと学校の成績は、 「オール 1」あ

ないかと私たちは考えているのです。そし

るいは評価不能を示す「斜線」。要録上はも

て、アウラの森そのものも、そんな循環構

ちろん「1」です。そんな成績の子どもを、

造を備えた社会の一つのファンクション

はたしてどんな高校が受け入れてくれると

(機能)なのです。 16 平成 20 年度京都創発事業認定一覧

http://www.pref.kyoto.jp/sohatsu/1255934311141.html

109


いうのでしょうか?

そんな事情をお話しさせていただこうとし たのですが、会ってもらうことさえできま

2004 年、私たちが初めて不登校の子ども

せんでした。仕方なく地元の教育委員会へ

と出会った当時、サトルやヒロシがまだ現

と相談に行ったのですが、 「基本的に前例の

役の中学生だった頃の学校は、 「高校へ行き

ないことは難しい」とのことで、そこから

たいのなら学校へ出てきなさい」と言わん

話を前進させることはできませんでした。

ばかりの対応でした。まさに不登校という

その頃は、まだ今のように通信制の高校も

「問題の子ども」がそこにいたわけで、 「彼

多くはなく、たとえ実力は持っていても成

らを甘やかしてはいけない」という考え方

績が厳しい不登校の子どもたちは、夜間の

が、私たちの地域では、当時、まだ幅を利

定時制高校しか選択肢がなかったというの

かせていたころかもしれません。

が現状でした。

たまたま不登校の子どもたちと出会って

私たちは、大変歯がゆい思いを抱いてい

しまった私たちは、彼らがどんどん変容し

ました。 「君らが一生懸命取り組んでいれば、

ていく姿を目の当たりにしてきました。そ

世間は必ず認めてくれる」と子どもたちに

れは、変化という概念を越えた、まるで生

は言ったものの、世間はなかなか認めよう

まれ変わるかのような変容ぶりでした。し

とはしなかったからです。しかし、その歯

かしいくら彼らが変わったとしても、その

がゆさが私自身の原動力となって、私はこ

進路に不安があったのです。つまり、そこ

の原稿を書いているのですから、世間とは

には成績の問題があったのです。

面白いものです。

せっかく不登校の子どもたちが変容して

そんな思いを持った私のところへ京都府

いっても、「1」をベースにした成績では、

教育委員会から連絡が入りました。その内

高校を自由に選択できない。仮にそんな彼

容は、 「今度、不登校の子どもたちの支援を

らを受け入れてくれる学校があったとして

めぐっての円卓会議を府教委主催で行うの

も、そういった高校はさまざまな問題を抱

で、ぜひ出席してほしい」というものでし

えている可能性があります。そうすると、

た。まさにそれは絶妙のタイミングだった

彼らの再出発には決して有利な環境とは言

ので、私はその円卓会議に出席し会場から

えないのではないか、という思いが私の中

私たちが抱えている現状、特に学校との連

にはあったのです。だから何とか、彼らの

携が全く取れないことを問題提起させてい

アウラの森での取り組みを評価してもらい、

ただきました。するとその翌年の 2005 年度

それを成績へ変換してもらい、彼らの進路

から、府教委の「民間施設連携支援実践調

を確保したいというのが私たちの強い思い

査研究委託事業」がスタートし、アウラの

でした。

森はその事業に参加することになったので す。

当時、私たちは、子どもたちの在籍校へ 110


この事業の目的は、体験活動等を通して

とはかなり難しいことでした。

民間施設が、不登校の子どもの在籍校、あ るいは教育委員会との連携を図ることにあ

このような葛藤が続く中、2008 年度に府

りました。ただ私は、この連携の本丸は、

教委は全国で初めて「フリースクール認定

不登校の子どもたちの進路保障へとつなが

制度」を制度化します。これは、民間であ

る学習評価の実現であると思っていたので、

るフリースクールに府教委が一定のお墨付

そのことをテーマに据えた学校、教育委員

きを与え、協働して学習評価の実現に向か

会、そして私たち民間機関からなる「不登

って取り組んでいくことを制度として認め

校支援連携推進会議」を 4 年間にわたり開

たのです。この時初めて府教委は、 「不登校

催してきました。そしてこの間に、市町村

児童生徒の学習評価の実現」というコトバ

単位では全国初となるフリースクールの出

を明文化しました。そしてその年にアウラ

席認定のガイドラインと教育委員会―学校

の森は、府教委初の認定フリースクールと

―民間施設との出席認定に関する協定書を

なったのです。この経緯については、東北

策定していったのです。

大学大学院教育学研究科の本山敬祐が以下 のように指摘をしています。

ところが、出席認定の次の段階となる学 習評価については、なかなかその状況を前

本章はフリースクール認定制度の成立過程

進させることができませんでした。学校に

について、2008 年度に府教委に認定されたフ

よってその考え方にバラツキがあること、

リースクールへの質問紙調査と知誠館(アウ

前例がないのでその試みに対して責任をと

ラ学びの森 知誠館)代表の北村真也氏へのイ

ることが難しいということ、さらには前例

ンタビュー調査の結果から、他の認定フリー

のないことだけに、管理職同士あるいは学

スクールが行ってこなかった北村氏の取組と

校と教育委員会、教育局との立場や人間関

その進捗状況が、フリースクール認定制度の

係もそこに絡んでしまうことになっていき、

導入につながった可能性が高いことを示した。

会議の進行そのものが危ぶまれていくこと

行政との連携に積極的なフリースクールに

になっていったのです。一方でこの研究事

対して一定の保障を与え、協働をシステム化

業の委託主である府教委は、不登校の子ど

するという府教委が示す認定制度の目的は確

もの学習評価実現には、一定の理解と推進

かにそのとおりであろう。しかしながら、そ

の意志を示してくれたものの、府教委―教

れだけではなぜ 2007 年度から認定制度が導

育局―市教委という 3 層構造が、市町村の

入されたのかが説明しきれない。そこで、本

案件に府が口出しすることを阻害させる要

章の分析枠組みである協働の窓モデルに沿っ

因となっていたのです。私は当時会議の停

てフリースクール認定制度の成立過程をまと

滞状況が続いた時に、何度か府教委へと出

めることとする。

向き、学習評価実現に向けた意向を直接会

2004 年に京都府レベルの不登校に関する

議へ出向いていって伝えてほしいと頼んだ

会議が開催される以前から、府議会ではフリ

ことがありましたが、それを実現させるこ

ースクールの支援について議論が蓄積されて

111


いた。府知事もこの主題に関して答弁してい

接的な指導ができなかったという教育行政の

る。したがって、2004 年以前にフリースクー

管理構造上の問題に起因するものであった。

ルとの連携に関する議論が府議会という「政

そこで、府教委は北村氏の直面している課

治の流れ」に浮上していたといえる。この「政

題に対する政策的代替案として、このフリー

治の流れ」が京都府における不登校に関する

スクール認定制度を導入したと考えられる。

政策的課題に合流することで、2 つの府レベ

なぜなら、従来実施していた委託研究のプロ

ルでの会議が開催されることとなったと考え

グラムに北村氏が実現を目指していた不登校

られる。また、その場において北村氏をはじ

児童生徒の学習評価に関する研究を、府教委

めとするフリースクール関係者と府教委が初

がフリースクールを認定するためのプログラ

めて対面することとなったのである。そこで

ムの中に急遽盛り込み、かつ、一定の活動実

は、北村氏による問題提起のように新たな問

績があるフリースクール、つまり知誠館を府

題が政策的課題に投げ込まれたと同時に、フ

教委が認定することによって原籍校での学習

リースクールという新たな組織が府教委と民

評価の対象とし、亀岡市内の公立学校に対し

間施設との連携に関する政策的課題に合流す

て不登校児童生徒の学習評価を実現させるた

ることとなった。

めのインセンティブを引き出す狙いがあった

「協働の窓」が開いた 2005 年度以降、府

と考えられるからである。このように考える

教委は知誠館を含むフリースクールに対して

ことで、115 頁の図 3.3 において、フリース

不登校児童生徒への支援に関する実践研究を

クールの認定以降に「民間施設中心から学校

委託することで、フリースクールとの協働に

中心へ」と記述されていることがより理解さ

よる不登校児童生徒への学習支援活動を開始

れる。

した。そして、不登校児童生徒のフリースク

これらの情報から、フリースクール認定制

ールにおける学習評価を実現するべく亀岡市

度は、府教委が直接指導できない市町村立の

において学校関係者を参加者に含めた会議を

学校に対し、フリースクールの相対的な威信

開催していた北村氏は、協働事業に参加する

を高めるために導入した制度であると考えら

以前から課題として認識していた不登校児童

れる。フリースクール認定制度とは、府教委

生徒の学習評価の実現に苦慮していた。同会

が認定したフリースクールに対して一定の助

議の初年度に不登校児童生徒の出席扱いに関

成金や、公的機関による保証に伴って生じる

する協定書は作成されたものの、北村氏の当

威信といった有形無形の資源をフリースクー

初の目的であった不登校児童生徒の学習に対

ルに付与することで、市町村立学校がフリー

する原籍校での評価はなかなか実現されなか

スクールと協力する動機を引き出す機能をも

った。

った仕組みであると評価できる。

北村氏の活動の状況は年度ごとに報告書と

しかしながら、協働の相手である北村氏が

して府教委に伝わっていたが、一方で府教委

認定制度の導入を全く知らされていなかった

は北村氏の抱える課題に対して有効な政策的

という点から、序章において協働を「行政組

代替案を提示できずにいた。それは、府教委

織や企業および NPO 等が、特定の政策的課

は市町村立学校に対して学習評価に関する直

題に対して相互の合意形成を経て実行する活

112


動およびその過程」と定義した本稿の基準か らすれば、厳密にいえばフリースクール認定 制度は府教委とフリースクールの協働事業と はいえない。むしろ、府教委と市町村教育委 員会という教育行政機関同士の政治的交渉の 産物とも考えられる。したがって、北村氏が 認定制度に関する課題として「もう少し、こ の制度のマクロな視点での目的を府教委、教 育局、市町教委、学校、民間で共有化するこ とがまずは必要」と指摘しているのは、協働 の形成および実施に必要な参加者同士の合意

2. チーム絆

地域チーム

形成が調達されていなかったことの表れであ ると考えられる。合意形成の有無が認定制度

「チーム絆」は、京都府府民生活部青少

の今後にどのような影響を与えていくのかが

年課が主催する、初期型ひきこもりの支援

注目される。

事業です。18その立ち上げは、2008 年。そ

一方、府教委がフリースクールを認定する

して翌年には、府内 6 ヶ所に民間からなる

ことにより、北村氏が形成した市レベルでの

地域チームが誕生し、府内に引きこもり支

ネットワークにおける合意形成を調達し、間

援のセーフティネットが張り巡らされるこ

接的にその管理を図ることができるという点

とになったのです。アウラの森は、その地

で、同制度は都道府県教育委員会による就学

域チームの 1 団体として、2009 年よりこの

空間の運営方法のモデルであると考えられる。

チーム絆にかかわるようになっていきまし

17

た。

こうして私たちが、サトルやヒロシと出

地元地域からの不登校の子どもの在籍が

会ってから 4 年目にして、ようやく彼らの

なくなったことを契機に、主催していた不

取り組みが世間に認められ、社会の制度と

登校支援連携推進会議は自然消滅すること

して回帰されていくようになったのです。

になりました。そんな矢先に今度は、府民

不登校という社会現象を媒介に社会そのも

生活部の青少年課がアウラの森を訪ねてこ

のが動いた一つの証だと私たちは思ってい

られました。もともと青少年課は、ひきこ

ます。その年、サトルは大学へと進学して

もりの若者支援を手掛けており、その中間

いき、彼自身が本格的に社会学を学び始め

就労プログラムの一環として「職親制度」

るようになっていきました。

という職場体験のシステムを持っていまし た。そしてその訪問の目的は、この職親制 度にのっとり、ある青年の就労体験を引き

17 本山敬祐

東北大学大学院教育学研究科 2010 『1990 年代以降の文部科学省と自治体の不登校対策 - 就学空間の拡大に伴う行政・NPO・フリースクールの協 働に着目して-』第 3 章考察

18 平成 20 年度京都創発事業認定一覧

http://www.pref.kyoto.jp/sohatsu/1255934311141.html

113


受けてほしいというものでした。私たちは

です。

快くそれを引き受け、一定期間その青年に 体験に来てもらい、無事その体験を終える

現在のアウラの森の連携先としては、小

ことができました。そしてその後、青少年

中高校、大学、市町村教育委員会、府教育

課の担当者と不登校とひきこもりとの関連

委員会、京都市教育委員会、京都府青少年

性や一旦不登校やひきこもりになっても、

課、文部科学省、家庭支援総合センター、

そこから再出発ができるような社会システ

発達障害者支援センター、総合教育センタ

ムの構築について、何回か議論を重ねるよ

ー、就労支援センター、ジョブパーク、保

うになっていきました。

健所、医療機関、各 NPO 団体など、その つながりがどんどん広がりつつあります。

私は、担当者にニューヨークで 70 年代に

そしてこのネットワークが拡大すればする

実施された街の社会資源を充分に活用する

ほど、私たちは不登校の子どもたちをより

ことで、街そのものを学校にしていこうと

複眼的な広い視点で捉えられるようになっ

する City as School

ていったのです。

19

というプロジェクト

を担当者に紹介したところ、それが一つの ヒントとなって、前年から継続していた初

不登校という社会現象を教育というフレ

期型ひきこもりの支援事業「チーム絆」の

ームの中だけで捉えることは、極めて難し

中に、 「地域チーム」が誕生することになっ

いように思います。冒頭にも述べたように、

ていったのです。そして、このことによっ

それは、不登校という現象に現代社会の持

て府内にある官民の垣根を越えたさまざま

つ多様性がプリントされているという背景

社会資源をネットワークで結ぶことが可能

があり、今の学校が抱える画一的なシステ

となり、チームでひきこもり状態にある若

ムでこの多様性を補完することが難しいか

者たちと社会との接点を模索しながら、そ

らです。つまり不登校という現象を、この

の再出発を応援しようという新たな枠組み

多様性と画一性の葛藤と捉えるならば、そ

が生まれることになったのです。

れをこの葛藤そのものが生じている座標面 の中で解決することは、論理的に不可能だ

青少年課は、若者支援という観点から福

ということになるのです。その解決には、

祉や労働といった領域との関連が多い部署

よりメタな次元の視点が必要となるように

でした。私たちはこれまで府教委としかつ

思うのです。

ながって来なかったので主な連携先として は、学校や市町村の教育委員会に限られて

「チーム絆」への参加は、私たちにより

いました。しかし、この青少年課とのかか

広く、より多様な視点を提供してくれるこ

わりが一つのきっかけとなって、これまで

とにつながりました。そしてこの視点の拡

未知の領域だった福祉や労働の世界へとそ

張は、同時に私たちの活動そのものを省察

のつながりを広げることになっていったの

的に振り返る機会を提供するものでもあり ました。日々子どもたちに関わりながらも、

19 椙山正弘 1975 『アメリカ教育の現実』

福村出版

114


その関わりそのものを振り返る。そういっ

チーム絆の地域チームの立ち上げをめぐっ

た私たちの基本的な姿勢が、チーム絆への

て幾度となく創造的な議論を重ねる機会が

参加を通してより明確になっていったので

あり、 「この議論の場に他の人が参加すれば

す。

面白いよね」という発想が生まれ、やがて それが「南丹ラウンドテーブル」というカ タチで現実化することになっていきました。 私たちは、ラウンドテーブルの開催にあ たり、二つのことを前提にしました。一つ 目は、参加者は、その肩書や立場を一旦横 に置いて個人として参加してもらうという こと。これは、肩書や立場が邪魔をして創 造的な議論ができなかったというこれまで の反省に基づくものです。あくまでラウン ドテーブルでは、自由な個人の意見を出し

3. ラウンドテーブル

てもらいたいのです。二つ目は、今まで「あ たり前」と思っていたことをもう一度問い

「前例のないことを創り上げるようなプロ

直してもらいたいということでした。例え

ジェクトを、従来の会議の形式の中で行な

ば、日々子どもたちの支援に携わっておら

うことは大変難しい」

れる方々に、 「支援とは何か」ということを あえて投げかけてみたかったのです。そう

これが 4 年間、不登校の学習評価実現に

することで既存のフレームが揺らぎ、新し

向けての会議を主催した私たちの正直な感

いフレームづくりのヒントが生まれると考

想でした。教育という枠組みにおいては、

えたからです。

前例のないことについては、その責任をだ れが負うのかという問題が大きく付きまと

そして 2011 年、京都学園大学人間文化学

い、さらに出席者のそれぞれの立場やメン

部教授の川畑隆先生に協力をいただきなが

バー同士の関係性が阻害要因となって、創

ら、子ども若者の支援者たちの学びの場、

造的な意見や考え方が出にくくなってしま

「南丹ラウンドテーブル」がスタートしま

うということもわかってきました。

した。その参加者は、小中高校の教員、管 理職、教育行政関係者、福祉行政関係者、

そんな経験と反省を持っていた私たちは、

マスコミ関係者、不登校経験者、心理職、

教育という枠を超えた形で、不登校の子ど

精神保健関係者、保健所関係者、福祉施設

もたちの支援にかかわる関係者の学びの場

職員、NPO団体関係者、大学教員、学生、

をもてないものかと模索を続けていました。

フリースクール職員など実に多岐にわたっ

そんな中、京都府青少年課の担当者の方と

ています。 115


テーブルを囲んでラウンドテーブルは行わ 多様な領域からの参加者があるというこ

れます。広い吹き抜けの空間にはやわらか

とは、あたりまえを問い直すには最高の条

い陽射しが差し込み、ゆったりとしたクラ

件です。同じ領域の参加者では、あたりま

シック音楽とほろ苦いコーヒーの香りに囲

えはあたりまえに過ぎず、そこにいちいち

まれてディスカッションが進行していきま

立ち止まることはないでしょう。ところが、

す。全く予定調和ではない進行のもと、参

自分たちとは違った領域の参加者は、その

加者から出される意見や考え、経験や思い、

あたりまえに何らかの問いを抱くのです。

それらがそれぞれの物語となってその場に

このような自分たちとは異なる領域の人た

交差していきます。決して何か確定された

ちとの対話を通して、既有の概念を再構築

答えを出すような場ではなく、その場で感

していく過程、これは第二章で取り上げ、

じたり考えたりしたことを参加者が持ち帰

さらにアウラの森の根幹となる学力観であ

り、自分たちの職場や学校や家庭といった

る DeSeCo プロジェクトのキーコンピテン

それぞれのフィールドで再びそれぞれの答

シーと重なっていくものです。そして、こ

えを模索していけるようなそんな場が展開

こにもアウラの森の学びの階層性(生徒た

されているように思います。

ちも教師たちも異なる階層で、同じキーコ ンピテンシーを学んでいる)が表現されて いるのです。

以下の文章は、ラウンドテーブルの案内 用のチラシの中からの引用です。

ラウンドテーブルは、約 3 時間のディス

ラウンドテーブルは、若者の支援に携わる支

カッショングループです。私たちはそれを

援者のための学びの場です。ここでは、支援の

休憩なしのノンストップで行います。実際

現場に生じる「あたりまえ」のことをあらため

の場面では、あるテーマに沿って、私の方

て振り返ってみることで、支援そのもののあり

からアウラの森の子どもたちの主に変容に

方やその意味を問い直そうという意図が働いて

関するエピソードと、それについての私の

います。実際、その「あたりまえ」を何度も問

視点が紹介されます。この時、私自身はエ

い直してみると、そこには自然と支援される人

ピソードの中に当事者としても登場します

たちの物語が現れ、さらにそこに支援者の物語

から、そこには当事者としての私の視点と、

も重なっていきます。そしていくつもの物語が

それを省察的に眺める少しずらした私の視

複数のストーリーラインを描き始める時、そこ

点が二重に紹介されることになります。当

に新しい「意味」が生じていくように思うので

日のラウンドテーブルの仕掛けとしては、

す。今回は、そんなみなさんがこのラウンドテ

たったこれだけです。あとは、場の進行を

ーブルから得た新しい意味をどういった形で生

川畑先生にお願いし、私自身も参加者の一

活、あるいは職場の中でご活用されているのか

人としてこの場に臨むのです。

をぜひ語っていただきたいと考えています。

アウラの森の大きなヘゴの木の下の丸い 116


世界だったのです。小学校高学年くらいか ら、女の子同士のグループが作られるよう になり、彼女は、そこで無理にグループに 入って行動することが辛くなっていきまし た。そしてグループから離れ、一人で休み 時間に読書をしていると、今度は先生がみ んなの輪の中に入れるようにと、いらぬお 節介をやいてくる。彼女からすれば一人で いたいのに、家でもみんなと一緒、学校で もみんなと一緒、それが苦しくてとうとう

4. テーマを通して

不登校になってしまったのです。その後、 アウラの森へとやって来た彼女は、自律的

これまでのラウンドテーブルで取り上げ

に学習を積み上げていきます。学校は全欠

てきたテーマは、以下のようなものでした。

にもかかわらず、定期テストは 8 割以上の 結果を出していました。私は、そんな彼女

(2011 年度)

と話しているうちに、 「彼女は果たして、問

・「支援」とは何か?

題の子どもなんだろうか?」という問いが

・「見立て」をめぐって

私の脳裏をよぎったのです。そしてその問

・「巣立ち」をめぐって

いは、やがて「一人で生きたいという彼女 に対する支援っていったいなんだろう?」

(2012 年度)

という問いとなって私の元へと戻ってくる

・「精神病理」と「社会病理」のあいだ

のです。私はここに「支援」というコトバ

・「変化」と「変容」のあいだ

で一括りにしてしまうことで、私たち自身

・ 「キャリア支援」と「キャリア形成」のあいだ

が見えなくなってしまっている何かがある

・「ラウンドテーブル」と「生活」とのあいだ

のではないかと考えるようになり、その時 の思いが、そのままこのテーマとなってい

2011 年度は、主に私たちが普段あたりま

ったのです。

えに思っていることの問い直しを試みまし た。

「見立て」をめぐって、これはあるスク ールカウンセラーから「この子はボーダー

「支援」とは何か?これは、アウラの森に

ラインだからある程度はしかたない」と言

やって来た、極めて自律的な一人の不登校

われたことがきっかけで生まれたテーマで

の女の子のことをエピソードとして取り上

した。私はこのことを機に「診断や判定、

げました。7 人兄弟の 2 番目という彼女の

評価っていったいなんだろう?」というこ

願いは「一人で生きること」 。ところが学校

とをしきりに考えるようになっていきまし

という社会は、なかなかひとりになれない

た。30 年前、私が心理を学び始めた頃は、 117


診断というのはドクターの領域でした。彼

ないし、就職もしない。将来は親の年金で

らは患者の病理を診断しそれに見合った薬

生活して、親が死んだら生活保護で暮らし

を処方することがそのシゴトでした。とこ

ていく。ワーキングプアになるより、生活

ろが、この診断がやがて心理領域へと広が

保護をもらった方がリッチだから…」そう

り、教育領域にまで入り込んでしまうこと

話していました。相手の視点が、ほとんど

になりました。もちろんそこには、さまざ

欠落した、かなり自己中心的な子どもでし

まな検査法や病理の概念化が進み、それぞ

た。そんなある日、彼が毎日持ってくるお

れの状況にあったラベルが用意されていっ

弁当、それはお母さんの手作りだったので

たという背景があります。ただ精神病理や

すが、寸分違わず、その内容から、配列、

人格障害、あるいは発達課題といったこと

量に至るまで毎回全く同じものであること

が一般化されることによって、そのコトバ

に気がついたのです。実は、彼のお母さん

がラベルとして流通し、そのラベルを張ら

自体が精神的な生きづらさを抱えていたの

れてしまうことで安易に済まされてしまう

です。彼の行動には、極端にこだわりが強

ようなことも現実に起こっているように感

く、イレギュラーなことになると急激に不

じたのです。ボーダーラインであろうがな

安が高まります。その結果、まわりを非難

かろうが、その子は毎日私たちの目の前に

したりひきこもったりといった行動をとっ

やってくるのです。自分の今をどうにかし

て、社会とのかかわりを制限しようとする

ようとしているのです。私たちがやらない

のです。最初私たちは、彼の問題性に注目

といけないことは、第一に目の前の子の今

をしていたのですが、次第にその親の課題

日をどうするかなんです。そんなことをお

の存在に気がつき、さらには家族構造のい

話ししながら、見立ての意味についての再

びつさに気がついていったのです。 「この家

検討を試みたのです。

族の中で彼が適応するためには、彼は問題 性を身につけないといけなかったかもしれ

やがて 2012 年に入って、私たちは「あい

ない」やがて私たちはそんな風に考えるよ

だ」というコトバに注目します。不登校の

うになっていきました。そうすると、いっ

問題をどこかに焦点化させ、それを本人の

たい問題の所在はどうなるのでしょうか?

問題としてだけ捉えていくのではなく、絶

彼個人にあるのか、果たして両親、家族全

えずもう一つの軸を想定しながら、問題そ

体、あるいは社会…?

のものを面として捉えていく必要があるの

と、問題の所在とは何だかわからなくなっ

ではないかという思いが、私の中にあった

ていくのです。だから、これがその時のラ

からです。

ウンドテーブルのテーマとなっていったの

改めて考えてみる

です。 「精神病理」と「社会病理」のあいだ、こ こでは、ある中学生の男の子のエピソード

「変化」と「変容」のあいだ、このテー

を取り上げました。彼がアウラの森にやっ

マの中では、子どもたちが表現する「コト

てきて間もない頃は、 「ボクは高校へもいか

バ」そして「物語」に注目しました。アウ 118


ラの森で、変容を遂げていく子どもたちの

一致するのです。子どもたちのことが、他

多くは、その過程でいくつものコトバを残

人事ではなくなった瞬間です。

していきます。それは、過去の自分自身や 過去の経験に対する再構築の過程であり、

「何事も自分事として考えること」これ

再定義の過程です。彼らはコトバを獲得す

もまた重要なことです。自分事として考え

ることで、自分自身を大きく変容させてい

ることは、主体的、能動的に考えるという

くのかもしれません。この時のラウンドテ

こと、そしてそういった姿勢の中では、ひ

ーブルでは、参加者の個人の物語が次々と

とりでに省察思考が生じていくのです。あ

紹介され、ラウンドテーブル全体が「ナラ

たりまえを問い続け、自己更新していく。

20

ティブコミュニティ」 となっていったので

それはまさに、A.ギデンズの言う〈再帰的

す。

自己自覚性〉21に他ならないのです。

このようにアウラの森の日々の現実が、 ラウンドテーブルのテーマとなり、そのテ ーマそのものがラウンドテーブルのあり方 に表現されていくようなことが生じてきま した。 「ナラティブコミュニティ」というコ トバで表現されたラウンドテーブルの現実 は、アウラの森の子どもたちの現実、そし て子どもたちに関わる私たち自身の現実と 重なっていくのです。つまり、ここに不登 校という現象が、やがてコトバや物語を媒 介にしながら、社会そのものへと回帰され

5. もう一つのラウンドテーブル

ていく構造が確認されるのです。 ラウンドテーブルでは、アウラの森の子 ラウンドテーブルの参加者は、アウラの

どもたちの変容の物語が、エピソードとい

子どもたちのエピソードをもとに自分自身

うカタチで毎回紹介されていきます。それ

を振り返ります。 「巣立ちをめぐって」とい

は、ただ単に紹介されるというだけでなく、

うテーマの時も。 「果たして私自身は、巣立

そこに、私たちなりの視点の捻りが加わり

っているんだろうか?」とベテランの支援

ます。例えば、みんなから孤立した生徒に

者が問い始めるのです。つまりこの時、ア

対して、一般的には「集団の中にいかに適

ウラの森の子どもたちと、この支援者は同

応させていくか?」 、あるいは、 「いかにそ

じテーマを異なる階層で捉えていることに

の子の社会性を育てていくか?」というこ

なるのです。この瞬間、彼らのテーマがラ

とが支援の焦点になるように思いますが、

ウンドテーブルに集う大人たちのテーマと 20 野口雄二

2002 『物語としてのケア』医学書院

21 Giddens, A. 1990

The Consequences of Modernity. Polity Press. (A.ギデンズ 松尾精文、小幡正敏(訳) 1993 『近代とはいかなる時代か?』而立書房)

119


私たちはあえて、 「一人で生きていこうとす

を 4 回にわたって実施してきました。この

ることが、果たして問題なのだろうか?」

協議会では、私たちアウラの森のスタッフ

と問いを立ててみるのです。するとそこか

と京都学園大学の川畑隆先生の他に立命館

ら、 「 〈一人で生きていける能力〉というも

大学大学院応用人間科学研究科教授の中村

のもあるのではないか?」という新たな問

正先生にも加わっていただきながら、ラウ

いが生まれたりするわけです。

ンドテーブルそのもののあり方やそのテー マ設定、あるいはそのラウンドテーブルの

つまり、不登校の子どもたちへの支援を 考えることが、私たち支援する側の新たな

記録から読み取れるセッションの文脈等に ついての検証をおこなってきました。

気づきになったり、学びになったりするわ けです。実は、このことが支援のあり方の

G.ベイトソンが定義したコトバの中に

多様性を拓いていくためにはとても大事な

〈メタローグ〉22という概念があります。こ

過程であるということを、私たちはアウラ

の〈メタローグ〉は、 〈メタ・ダイアローグ〉

の森の実践を通して知ったのです。あらか

(上位の対話)から来る造語で、目の前で

じめ、どこかに正解としての支援のカタチ

交わされている対話の内容が、その対話を

があるということではなく、みんなに同じ

生み出している状況(上位の対話)として

ような対応をするということでもない、 「そ

も表現されていく二重性を指すコトバです。

の子自身にとっての支援のカタチとは何

メタローグが交わされる環境の中では、参

か?」を考えることの大事さを、私たちは

加者はその対話の内容を頭で理解しつつ、

これまでに学んできたように思うのです。

その状況からも身体を通してその内容を理 解することになるのです。ここでは、二重

そしてさらに、私たちはこの経験をラウ ンドテーブルという仕掛けを通して、他の

の層の学びの世界が広がることになるので す。

支援者とも共有化できるということを確か めてきました。ラウンドテーブルでは、そ

私は、このメタローグの概念をラウンド

れぞれの支援者が、アウラの森の子どもた

テーブルに取り入れようと思いました。ラ

ちの物語をきっかけとして、今まで当たり

ウンドテーブルでは、このようなメタロー

前のようにおこなってきた自分たちの活動

グがあらかじめ意図されていたわけです。

や自分自身の個人的な経験などを、省察的

アウラの森の子どもたちを、アウラの森の

に振り返ります。そしてその過程で、新し

教師たちが振り返り、今度はそれを、ラウ

い何かに気づいたり、その意味を見出した

ンドテーブルに参加する支援者たちが振り

りして表現されていったように思います。

返り、さらにはそのラウンドテーブルその ものを、運営委員たちが振り返り、次回の

私たちは、このラウンドテーブルを年 4 回開催しながら、もう一つのラウンドテー ブルとして「ラウンドテーブル運営協議会」

ラウンドテーブルのテーマへと落とし込ん 22 Bateson, G. 1972 Steps to an Ecology of Mind. (G.

ベイトソン 佐藤良明(訳) 2000 『精神の生態学』新思 索社)

120


でいく。まさにそこには、そういった省察

らです。

的な思考を前提とした循環構造があるので す。そしてこの循環構造こそが、多様な支

そしてその日のラウンドテーブルでも、

援のあり方の模索へとつながり、多様な実

さまざまな議論が交わされていったわけで

態を表現する不登校の子どもたちのキャリ

すが、その最後にいじめられた経験を持っ

ア形成の支えになっていくように思うので

たある女性の参加者が意見を述べました。

す。 「社会の中のさまざまな問題や葛藤 が必要なのはよくわかるし、理解でき ます。でも、学校のイジメはどんな小 さなことでもなくなってほしい。私は 中学生の時にイジメにあいました。そ れは、本当につらい出来事でした。途 中で学校へ行けなくなり、しばらく家 でひきこもったのち、関東にある全寮 制の学校へ転校することになりました。 でも結局、そこでもうまくなじめず、 また地元へ戻ってきました。私は、そ

6. リアリティの中で

んな経験を持っている当事者ですから、 いじめられた時の、どうしようもない

今年度最後のラウンドテーブルの冒頭で

辛さがわかります。だから、たとえ学

「イジメ」の問題が取り上げられました。

校が無菌になったとしても、私はいじ めをなくしてほしい。でもそう言いつ

「イジメの全くない学校は、本当に いい学校なんだろうか?

つも、仕事でいろんなアーティストに

問題の起こ

会うと彼らの多くは、その辛さを原動

らない学校は本当に理想の学校なんだ

力にして活動をしていることもまた事

ろうか?

私は、学校を無菌状態にし

実です。葛藤がまた新たな作品を生ん

てはいけないような気がする。問題が

でいくのです。だから問題や葛藤は、

あるから、進歩がある。問題があるか

必要なのかもしれないとも思うのです。

ら、それを克服しようという気持ちが

これは簡単に答えを出せないことかも

起こってくるんじゃないだろうか?」

しれないと…。でも、私はやっぱりイ ジメはなくしてほしい。無菌でも何で

そう問題提起をしたのは、学校の管理職

もいいからなくしてほしい」

の先生でした。これはとても大事な論点で す。私も普段から考えているように、問題 の持つ意味というものが必ずそこにあるか

彼女は、私たちにそう語ってくれたので す。 121


ていくリアリティを見つめていたのかもし 私は彼女の語りを聞きながら、そのコト

れません。とても興味深い出来事でした。

バの持つ重さを感じていました。彼女の中 では、中学の時のイジメの経験に端を発す

支援者の学びの場としてスタートした、

る葛藤がいまだに続いているのです。そう

ラウンドテーブル。そこには、自分とは違

簡単に答えが出せないという、彼女の途切

った視点で意見を述べてくれる参加者がい

れ途切れのコトバこそが、彼女自身の持つ

ます。自分自身のあたりまえに問いを投げ

「リアリティ」を表現しているのです。

かけてくれる人がいるのです。そして、そ のあたりまえを問い直すことで、自らの経

私は、彼女の話を聞いていて、理論や制

験が、問い直されたあたりまえと統合され

度、あるいはシステムの中に埋没してしま

ていきます。そしてその統合の過程の中で、

っているリアリティがあるように思いまし

リアリティを含んだコトバが生まれ、それ

た。多様化する社会をある特定のフレーム

が物語となって表れていくように思います。

で括ってしまうと、どうしてもそこにリア リティがそぎ落とされてしまいます。彼女

私は、制度やシステムを否定しようとは

は、かつての自分自身を「地に足がついて

思いません。多様な社会においては、それ

いない状態で毎日を生きていた」と表現し

らを整理し有効に機能させることは、とて

ていましたが、彼女に限らず、生きている

も必要なことです。しかし、その一方で私

確かな実感が持てないまま毎日がただ通り

たちの持つ豊かなリアリティの世界がそぎ

過ぎていくような感覚を持っている人は意

落とされていこうとしていることも、また

外と多いのかもしれません。そこにもまた

事実です。だからこそ、そのリアリティを

リアリティがそぎ落とされた世界が広がっ

拾い上げ、それを制度やシステムに還元さ

ているのかもしれません。

せ、それらが再び更新されていくような大 きな循環構造を実現することが大事だと考

物語はリアリティを運びます。子どもた

えています。ラウンドテーブルは、まさに

ちのエピソードの中のリアリティが、ラウ

この循環構造を想起させるひとつの社会的

ンドテーブルに参加している支援者たちの

装置だと考えられるのです。

リアリティを誘発させているのかもしれま せん。ここでは、それぞれのリアリティが 交差していきます。 このラウンドテーブルの中で、ある一人 の臨床心理士が「私は今回、臨床心理士の 資格を更新しません」と宣言をされました。 みんなは、驚くわけですが、彼女はその行 為を通して、資格という枠の中に見失われ 122


第7章

キャリア再考への序章

この原稿の各章を貫いている一つの大き

えていく作業に関わっていったのかもしれ

な文脈は、不登校という現象には、現代社

ません。そして、そこで語られるのが、個

会が抱えるさまざまな課題が表現されてい

人の物語です。孤独なリストカッターとし

るのではないかという社会臨床学的な視点

て登場したアッコ。得体のしれない不安と

です。だから私は、不登校の子どもたちが

対峙してきたサトル。会話のない両親のも

変容を遂げ、やがてそのキャリアを形成し

とに育ちコミュニケーションに対して大き

ていこうとするエピソードやインタビュー

なコンプレックスを抱かずにはいられなか

を丁寧に拾い上げながら、それを通して彼

ったヒロシ。お腹が痛くて、いつまでも教

らが育った家族や学校、そして社会そのも

室に入れず 2 つも高校を辞めることになっ

のを見つめてきたのです。そういう意味で

ていったユキエ。そしてみんなが顔見知り

は、不登校というのは社会を見つめる有効

という田舎の小さな社会で育ちながら、メ

な窓のようなものだったのかもしれません。

イクをしないと外に出られなくなってしま ったカオリ。そこには、彼らの切実で状況

学校という社会に適応しなかった彼らは、

と、それらを乗り越えていこうとする物語

やがてさまざまな形で追い詰められていき

がありました。そして彼らは、自分たちの

ます。それは、昼夜逆転やひきこもりとい

物語を描きながら、今まで分断され、見失

った生活面で、発熱や頭痛、あるいは腹痛

っていた自分自身を取り戻し始めたのです。

といった身体面で、さらには対人不安、強 迫症状、情緒不安定といった心理、精神面

そんな彼らも、やがてアウラの森を巣立

で、その他、発達面やパーソナリティに還

っていきます。高校や大学へと進学し、そ

元される問題など、それらは実に様々な形

こで多くのことを吸収し、それぞれのキャ

で表現されていきます。

リアを形成していきます。ここでは、そん な不登校を経験した彼らのキャリア形成の

私たちは、そんな彼らのコトバによらな

過程から見えてくるものを拾い出し、あら

い表現から、その奥に横たわる文脈を読み

ためてキャリア形成そのものを見つめ直し

解き、それをコトバによる文脈へと置き換

てみたいと思います。 123


システムが更新されると、混乱が生じると 考えられているのです。ラウンドテーブル の学校関係の参加者がよく口にしてきたこ とは、 「学校では、システムそのものの是非 を問えない」ということでした。 「学ぶって どういうこと?」、「学校の意味って何?」、 「生きる力って、私たちにあるの?」これ らの問いが学校内で話し合われることは、 まずないそうです。それは、禁じられた問 いなのかもしれません。

1. 不登校への俯瞰的視座

それに対して、ポストモダンなシステム は、多様性を前提としています。次々と変

不登校支援の最大の難しさは、その多様

化する状況をまず引き受けているのです。

性にあるように思います。支援の現場にお

だから、システムそのものがダイアローグ

られる方であれば誰しもが実感されている

型であり、どんどん自己更新をすることで、

ように、その状況は一人一人大きく違うの

この多様性を吸収しようとするダイナミズ

です。本来、不登校という社会現象を大き

ムを持っています。つまり先の学校の例で

く俯瞰的に捉えると、それは家族や地域を

いえば、具体的な問題を巡っても、それが

含め多様化する子どもたちの生活世界と、

「学校って何?」という大きな問いにいつ

近代システムとして機能する学校というリ

でも戻されるような議論が交わされるシス

ジッドで単層的なフレームとの乖離として

テムなのです。ここでは、絶えずその意味

生じている現象として捉えられるように思

が問われていくことになります。

います。言い換えればそれは、すでにポス トモダンな社会へと移行してしまった私た

ある意味、現代社会の持つ多様性がプリ

ちの生活世界を未だ近代的なシステムとし

ントされた不登校の子どもたちが、モノロ

て機能する学校が十分に受け止められなく

ーグな学校というシステムのもとで不適応

なってきた証でもあると考えられるのです。

を起こすことは、決して考えにくいことで はありません。いわば当然の結末かもしれ

近代システムは、どこかに理想的な正解

ません。それは、異質なもの同士の葛藤と

モデルを前提としています。雑多な状況を

いうカタチで表現された状況であり、どち

この正解モデルのもとに序列化させて評価

らか片方にその問題性が集約されるもので

を与え、いかに効率よく正解へと導いてい

はないはずです。でも現実は、子どもたち

けるかに価値をおいてきたのです。そして、

がその問題を引き受けるのです。

そのシステムは常にモノローグ型。つまり システムそのものは変化しないわけです。

不登校の子どもたちはたいてい、何らか 124


の具体的な名前を持った問題を抱えていま

らに何らかの施しを与えるのではなく、そ

す。アッコは〈リストカット〉 、サトルは〈対

こから見えてくる課題を、より大きな社会

人不安〉 、そして〈ひきこもり〉、ヒロシは

へと再帰させる仕組みをどう考えるのかと

〈コミュニケーション・コンプレックス〉、

いうことの方が、より重要なことのように

ユキエは〈過敏性腸症候群〉 、そしてカオリ

思えてならないのです。

は〈醜形不安〉に苦しんでいたのです。そ して具体的な名前は、彼らにその問題のイ メージを提供するのです。これはラベリン グと言われています。しかし彼らの多くは、 それがどうしてなのかわかっていませんで した。ただ不安なのであり、ただ苦しいの であり、ただお腹が痛くなるのです。そし て、わからないからこそ余計に自分自身を 責めたり、卑下したりしながら、次第に自 信を喪失していくのです。一旦、自己肯定 感がなくなってしまうと、社会に対する信 頼感も失われていきます。彼らにとって、 社会はいつも恐ろしいものに思えてしまう

2. 認知的個性 ――Cognitive Individuality

のです。社会に対する不安が彼らに襲い掛 かり、ますます自分の殻に閉じこもるよう

〈認知的個性〉Cognitive Individuality

になるのです。そこにはどうしようない状

23 というコトバがあります。これは、個人

況へと突き進んでいくような悪循環のルー

の認知というものは、もともと多様である

プがあるわけです。

し、また、さまざまな環境との関係性にお いて個人の認知は変化し、ますますその多

不登校に対する俯瞰的視座は、私たちに

様性を構成していくという考え方です。さ

ある矛盾を突き付けます。本来、現代社会

らにここでは、個人の発達そのものも個性

の多様性が子どもたちに表現され、その多

であると考え、定型的な発達概念の意義さ

様性ゆえにモノローグで単層的な学校とい

えそこに疑問を投げかけるのです。また、

うシステムの中で不適応を起こしたのであ

この〈認知的個性〉という考え方をベース

れば、その課題は、学校というシステムを

においた個性化教育や才能教育、あるいは

介して社会に再帰するべきなのではないだ

発達障害を抱える子どもたちへの支援教育

ろうか? つまり、学校や社会そのものが、

などの教育的実践も展開されていきます。

不登校の子どもたちから何を学びとれるの かが、問われているように思えてならない

これらの実践は、モノローグで単層的な

のです。不登校という現象を前に、問題の 子どもたちをどれだけ多く見つけだし、彼

23 松村暢隆、石川裕之、佐野亮子、小倉正義

2010 『認

知的個性』新曜社

125


学校教育の中にあって、より多様な実情に

あったのです。毎日毎日、地道に積み重ね

対応すべき試みとして注目されますが、あ

られる彼らの学びの世界が、やがてしっか

くまでそれは補助的な実践であり、決して

りとした足場となるのです。それは啓発的

学校における教育活動の主流とはなり得な

なワークショップ形式の学びの取り組みと

いように思います。学校はあくまで近代モ

は大きく一線を介します。地道な日々の積

デルとして機能していくからです。それに

み重ねは、コトバを超えた世界を作り出す

対して、私たちは不登校の子どもたちを、

からです。サトルやヒロシは、自分で学び

学びの森という多層的な構造を持つ環境で

終えたプリントが 1 メートルもの高さにな

迎えます。そこは森ですから、もともと雑

るまでに、果たしてどれほど自分自身と向

多なものが共存する世界なのです。雑多で

きあってきたのでしょうか?

あるからこそ、そこは新しい価値を生み、

彼らの強さが育つわけです。それは、溢れ

新しい命を育んでいくのです。

る情報のもとで、コトバの世界に翻弄され

ここにこそ、

ていく若者たちの認知のパターンとは大き 不登校という状況の中で苦しみ傷ついた

く異なる点かもしれません。

子どもたちは、アウラの森の環境に、ある いは教師や仲間たちによって、癒されてい

自律的な学びは、子どもたちの個別の理

きます。森は多層的な世界であるだけに、

解度に応じて組み立てられます。多くの場

一つの層で癒されなくても、どこかの層で

合、不登校の子どもたちの学力は、大変不

癒されることが可能なのです。またアウラ

安定な状況にあります。中学 3 年だったサ

の森における学びの世界は、教師主体では

トルは中 1 から、 中学 2 年だったヒロシは、

なく学習者主体の世界です。みんなが同じ

小 3 の内容からの学び直しをおこないまし

カリキュラムを一斉に学ぶのではなく、一

た。このように、多様な理解状況を持つ子

人一人が個別のカリキュラムを、個別のペ

どもたちを前にした時、自律的な学びと個

ースで学ぶのです。アウラの森では、環境、

別のカリキュラムはセットで成立します。

そして教師や仲間たち、さらには学習方法 までもがこの認知的個性を満たす状況を提 供しているのです。

個別のカリキュラムが、なかなか今の学 校で成立しないのは、 「管理」の問題がそこ にあるからだと思います。 「個別化の名のも

やがて、その傷を癒された子どもたちは、

とにみんながバラバラのことをやり始めた

自分の学びの活動を足掛かりとしながら、

ら、収拾がつかなくなる」という不安があ

自信を獲得し始めます。ここでは自律的な

るのです。一方、アウラの森では、複数の

学びであることが、より大きな自信となっ

学年の子どもたちが、複数の教科を同時に

て子どもたちへ回帰していくことにつなが

学びます。しかも、クラシック音楽が流れ

ります。アッコにしても、サトルにしても、

るたいへん静かな環境の中で学習が営まれ

ヒロシにしても、彼らが自分自身の過去を

ます。このような多様な状況が、混乱をせ

再構築していく足掛かりは、学びの世界に

ずに成立するのは、彼らが自律的な学びを 126


展開しているからだといえます。子どもた ちは、常に自分の課題に向き合うのです。 具体的に学んでいる対象は違いますが、自 律的な学びを展開しているという点では、 同じことを行っているわけです。そしてさ らに、そんな彼らを森という環境が包み込 んでいるのです。私はここに、認知的個性 を尊重する学びの世界を成立させる構造が あるように思います。 不登校の子どもたちの多様性を、認知的

3. 物語とキーコンピテンシー

個性という概念で捉えなおした時、その学 びの場は、自ずと一斉型の学校とは異なっ

私たちの実践の中から、不登校の子ども

たものとなっていきます。冒頭で紹介した

たちの自己変容は、彼らが自身のコトバを

ように、それは個性化教育、才能教育、あ

獲得する過程と重なっていることがわかっ

るいは支援教育といった枠組みで様々な実

てきました。彼らは、そのコトバを通して

践が報告されているのですが、私たちは、

自分自身の過去を見つめ直し、その意味を

それを「学びの森」という枠組み全体で受

置き換え、それを足掛かりにしながら、さ

け止めようとしてきました。子どもたちの

らなる自分たちの新しいキャリアを築いて

多様性を受容するためには、方法論やカリ

いたのです。そして、そこには、彼ら自身

キュラムだけでは不十分だと考えたからで

の固有の物語がありました。

す。そこには、大きな木や、クラシック音 楽、水槽に泳ぐ熱帯魚などの物理的な環境

そしてやがて、その物語は彼らの家族や

要素と教師や仲間といった人的な環境要素

仲間たち、そして地域の支援者たちへと伝

からなる複合的な〈環境世界〉というとい

わり、しだいにその影響を与えていきます。

うファンクションが必ず必要となっていく

まさに物語の持つ力によって、不登校とい

ことを予見していたのです。具体的な学び

う一つの社会現象が、再び社会へと回帰し、

の方法論や構造を、森という環境世界の中

社会そのものに何かを働きかけようとした

に落とし込み、その整合性を構築していっ

事例だと思います。本稿の中では、京都府

たときにこそ、そこに多層的な厚みを持っ

教育委員会の「フリースクール認定制度」、

た場が広がることを私たちは証明してきた

そして、アウラの森が主催する「ラウンド

のです。

テーブル」を、その実例として取り上げま した。私たちの社会の中に、ある仕掛けと ある場を設定することで、再帰性を担保し た社会循環型の学びのモデルが実現できる こと、あるいはその意味についても触れて 127


きたつもりです。

会う概念や知識が、学習者自身の固有の世 界と統合されることはほとんどないのです。

以上ここまで、ただ「苦しい」という思

むしろ、その新しい知識をいかに効率よく

いの中にいた不登校の子どもたちが、学校

テストや受験に活用できるのかということ

でもない塾でもない学びの森という多層的

ばかりが重視されてしまっているように思

な広がりを持った場で、自律的な学び、教

えます。多くの情報を集め、機能的な問題

師たちや仲間たちとの関係、そしてアウラ

解決法を手に入れて、とてもスマートに問

の森の持つ環境と、その何かを足掛かりと

題を解決していく。この過程を振り返った

することで、再び何かを語り始めていく様

時、確かに効率よく問題は解決されたわけ

子を見つめてきました。そして私たちはこ

ですが、その一方で、果たしてどこに異質

の過程の中に、先に取り上げたキーコンピ

な世界と出会いがあり、どこに自己が統合

テンシーを満たす営みの存在を感じ取って

されていくような過程があるのだろうかと、

いきました。

首をかしげてしまうことも事実です。

DeSeCo プロジェクトにおけるキーコン

しかし、一方で不登校の子どもたちの学

ピテンシーKey Competency は、自分とは

びの世界を見ていると、そこにはまるで生

違う他者と出会い、関係を構築し、その考

まれ変わるかのような変容が見られます。

えを自分のものといかに統合するかを目標

「キーコンピテンシーは、一旦挫折を味わ

においた学力概念( 「社会的に異質な集団で

ったりすることで獲得できる能力かもしれ

の交流」というカテゴリーで表現)です。

ない」と思う時さえあります。そしてそん

そして、その目標を達成するために、 「自立

な時、大変有効に機能するものがコトバで

的に行動する能力」や「コトバ等のツール

あり、物語であると私たちは考えています。

を相互作用的に用いる能力」 (リテラシー)

今までも繰り返し述べてきたように、アッ

を要求しています。このキーコンピテンシ

コは自分の過去を振り返り「棘が取れてき

ーでは、自分自身の既有する知の体系を他

た」と表現し、サトルは「土台作りをして

者の知の体系といかに統合させていけるか

きた」と表現し、ユキエは「二年前の私に

を大変大事なポイントとして考えています。

言ってやりたい」と表現したそれぞれの物

多様化の一途をたどる現代社会においては、

語が生まれる背景には、彼らが手に入れた

この「統合」そして「理解」といった過程

キーコンピテンシーが確実に存在している

こそが、世界基準の学びの柱であることは

ように思います。彼らは物語を通してキー

言うまでもありません。

コンピテンシーを獲得し、キーコンピテン シーを活用しながら物語を描いていくよう

しかし、一般的な学びの世界では、学習

に思うのです。そしてこの〈個人の物語〉

者自身の生活やこれまでの経験、知覚、認

と〈キーコンピテンシー〉とが互いに交差

知といった個人の領域は、学びの対象から

する接合点にこそ、J.メジローの言う〈パ

切り離されていきます。つまり、新しく出

ースペクティブ変容〉が生じていくように 128


思います。彼らはこの接合点における営み

大な情報に埋もれてしまうような状況にお

をアウラの森で経験し、その経験知を土台

かれることを意味するのだそうです。就活

としながらさらなるキャリアへの地平を広

を始めると、いくつかの就活支援用のサイ

げていったのだと思います。

トに登録して情報を得るそうなのですが、 そこから次々と情報が発信され、結局それ に振り回されていくことになる。そればか りではありません。彼女は京都市内の某私 立大学に在籍しているのですが、そこのキ ャリアセンターがまたすごい。いろいろな 資格講座や面接講座、就活セミナー、企業 説明会…。それこそ、数えきれないほどの、 仕掛けが用意されていて、それぞれの情報 が学内のメールを通して各学生へと送られ るようになっているのです。ここでも学生 たちは、大量の情報に埋もれることになる

4. キャリア再考への序章

わけです。さらに学生たちは、自分の興味 のある企業をネットで調べます。そこには、

アウラの森には、幾人かの大学生のスタ

企業の経営的安全度から福利厚生の充実度

ッフがかかわってくれています。そして毎

まで、さまざまな分析や口コミが載ってい

年この時期になると、あちらこちらから「ど

ることでしょう。そしてここにまた、大量

うしよう…」という声が聞こえ始めます。

の情報との葛藤があるわけです。

その理由は、 〈就活〉が始まったからです。 ここには、スタッフたちのキャリア形成と いうもう一つの物語があるのです。

サキは、そんな情報の渦に巻き込まれな がら必死で「自分自身が何をしたいのか」、 「どういった基準で就職先を見つけていけ

かつて、アウラの森のスタッフを引き受

ばいいのか」を模索するわけですが、結局

けてくれていたサキが、顔を出してくれま

それさえもがわからなくなっていったとい

した。彼女は昨年、 「就活が始まるので、ア

うのです。それならば、最初から情報を制

ウラの仕事に迷惑をかけてはいけない」と

限しておけばとも思うのですが、なかなか

いう理由で、スタッフの仕事を辞めました。

そうはいかないようです。まわりが、そう

黒いスーツ姿でやってきたサキは、一通り

いった流れに乗っているわけですから、自

今の状況を説明した後、 「自分が何をしたい

分だけそうしないことはとても勇気がいる

のかわからなくなってきた」ということを

のです。実際、大変不安になるそうです。

私に話し始めたのです。

だからどうしても、たくさんの情報に埋も れてしまうことになるのです。

彼女の話によると、今どきの就活は、莫 129


最近の大卒者就職内定率は 12 月の段階

んでいきましたし、ヒロシにおいては、自

で約 70%程度、そしてそのうちの 30%は就

分の抱えるコミュニケーションのコンプレ

職して3年以内に離職しているのが現状だ

ックスをいかに克服していくかという文脈

といわれています。今の学生たちは、大量

が、そのキャリア形成の過程を貫きます。

の情報の渦の中にあって、その渦に巻き込

その他にも、自分自身の発達課題と向き合

まれるかのように就活を終え、自分たちの

いながら助産師となったエミ。彼女は自分

シゴトを手にしていくのかもしれません。

自身の命と向き合うために、生まれてくる 新しい命の誕生という現場に立ち合う決意

このサキのエピソードから、現代の一般

を持ちました。また拒食症に苦しみ、毎晩

的な大学生の多くが、就活をめぐってはと

お母さんが「自殺しているんじゃないか」

てもたくさんの情報に翻弄されながらも、

と不安になりながら、ベッドを覗き込んで

その活動を続けている状況が読み取れます。

いたケイコは、食へのこだわりから、管理

ましてや、昨今のように厳しい就職状況と

栄養士になり、現在、福祉施設で働いてい

もなれば、なおさら、 「自分が何をしたいの

ます。

か」ということが置き去りにされていくの かもしれません。自分たちの思いとは関係

非不登校である今の大学生の就活と不登

のないところであっても、人気があるとさ

校であった彼らの就労。それらをキーコン

れる企業に学生たちは集まるからです。そ

ピテンシーという座標面で捉えた時、そこ

してそのことが、どこかで高い離職率とつ

に浮かび上がってくる違いは、〈個人の物

ながっているようにも思います。個人の思

語〉へのこだわりであったのかもしれませ

いと切り離されたシゴトの中では、その厳

ん。不登校という厳しい現実を通過した彼

しさに対してなかなか意味を見出すことが

らは、その過程で自らのコトバを見出し、

できず、結局その辛さが離職ということに

それを使って過去を再構築し、一つの物語

つながっていくように思うのです。

へと仕上げていきました。そしてこの過程 を媒介として彼らはパースペクティブ変容

そして、そんな大学生の就活とは対照的

の経験知を手に入れていったのです。アッ

なカタチで、本稿で紹介した不登校を経験

コが「リアリティ」と表現し、サトルが、

した子どもたちのキャリア形成があります。

「土台作り」と表現したものは、まさにこ

サトルは、大学院へと進み、ヒロシは大手

の経験知だったようにも思えます。そして

自動車メーカーのディーラーへと就職して

彼らは、変容の経験知をしっかり手に入れ

いくのですが、ここで大事なことは、彼ら

ながらアウラの森を巣立っていき、それぞ

のキャリア形成が、彼らの個人の物語と絶

れの世界で、さまざまな課題に直面しなが

えず交差していたという事実です。サトル

らも、自分自身の物語を描き続け、そのキ

は、 「得体のしれない不安」と向き合うため

ャリアを形成していくのです。

に、それを言語化し、さらに理論を持って それを相対化していくために大学院へと進 130


おわりに

アウラの森にサトルが初めてやってきて

換わっていく必要があるのです。

から、8 年が過ぎました。この間に私たち は、約 40 名の不登校の子どもたちと出会い、

本稿ではそんな子どもたちの変容を、物

さまざまなことを考えさせられ、さまざま

語を通して見つめ直し、そのキャリア形成

なことに取り組んできました。そんな中で、

を見つめてきました。そういう意味では、

私たちが気づいたことは、 「彼らは自分自身

本稿は一般的なキャリア論とは大きく趣を

を変容させ、その結果として物語を描いて

異にしているのかもしれません。私たちが

きた」という事実でした。そして私は彼ら

彼らに見てきたキャリアとは、単に就労と

の物語を、インタビューを通して拾い集め

いう概念を越えて、個人の物語と社会の流

ながら、あらためてコトバの持つ力や物語

れとの交差する接合点に生じるものである

の持つ力を再認識してきました。彼らは、

ように思いました。それは、サトルが「得

自律的な学びを通して自信を手に入れ、仲

体のしれない不安とどう対峙するか」とい

間たちとの出会いを通して勇気をもらいな

う思いを抱えて大学院へと進んでいったよ

がらやがて変容を遂げ、自分たちの物語を

うに、あるいはヒロシが「コミュニケーシ

描き続けていったのです。

ョン・コンプレックスをどう克服するか」 という文脈の中で、そのキャリアを形成し

不登校の子どもたちのキャリア形成は、

ていったように、それらは個人の物語の大

彼らの変容を前提として成立します。ここ

事な 1 ページでもありました。そしてその

での変容は、コミュニケーション機会が増

物語を彼らが描き続ける原動力となってい

えたとか、出席日数が増えたとか、テスト

るものは、かつて不登校だった自分を、ま

の結果が伸びたとか、そういった具体的な

るで別人のように変容させていった彼ら自

スキームの変容ではありません。スキーム

身の経験そのものだったように思います。

の変容だけでは、継続的なキャリア形成へ とつながっていかないからです。継続的な

私は本稿を書きながら、幾度となく考え

キャリア形成のためには、J.メジローがい

てきたことがあります。それは「不登校の

うようにパースペクティブそのものが置き

子どもたちのキャリア形成と不登校ではな 131


かった学生たちのキャリア形成を比較した

ていただいたアウラの森のスタッフのみな

時、果たしてどちらがより大きな問題を抱

さん、そして、さまざまな面でお力添え、

えていると言えるのだろうか?」というこ

励ましをいただいた京都学園大学の川畑隆

とでした。

先生、そして立命館大学の中村正先生、み なさんの大変大きなご協力をいただきまし

これまで見てきた不登校の子どもたち。

た。みなさんのお力添えなしには、完成さ

彼らが自分の物語にこだわりを持ちながら

せることはできませんでした。この場をお

もその文脈の上に自分たちのキャリアを形

借りして、感謝申し上げます。

成していこうという姿勢が、とても輝いた ものに見えてしまうのは私だけなのでしょ うか?

2013 年 3 月

もちろん、不登校の子どもたちの

誰もがこのようなキャリア形成の過程を辿

アウラ学びの森 北村真也

るわけではありません。しかし私には、彼 らの真摯な姿勢が、大量の情報の渦に巻き 込まれながら個人の物語と切り離されたと ころでキャリア形成せざるを得なくなって いく学生たちの現実に、何か新たな問題を 投げかけているようにも思えるのです。そ れはまさに、問題を抱えているとされた不 登校の子どもたちから、私たちの現代社会 へと何かが再帰した瞬間なのかもしれませ ん。 最後になりましたが、みなさんにお断り したておきたいのは、ここに紹介させてい ただいた子どもたちの名前や固有の施設名 はすべて仮称であり、掲載されている写真 と本文とは一切関係がないということです。 またそれぞれの物語は、どれも事実に基づ くものではあるのですが、そこには個人が 特定されないような加工が施されています。 また、この冊子を作るにあたっては、イ ンタビューに応じていただいたアウラの森 の生徒たちや卒業生のみなさん、テープ起 こしや何度も読み返して原稿をチェックし 132


北村真也(きたむらしんや) 1962 年京都府生まれ、人間科学修士。 グローバル教育研究所 代表取締役、アウラ学びの森 代表。 対人援助学会理事、社会福祉法人松花苑評議員。 社会臨床の視点に立ちながら、教育、心理、福祉の領域で学際的な研究活動とフィールド ワークをおこなう。専門は学習理論研究。2000 年京都府亀岡市に自らの研究フィールド として「グローバル教育研究所」を設立、同年私塾「アウラ学びの森」 、2005 年には京都 府教育委員会認定フリースクール「アウラ学びの森 知誠館」を開校し、自らの理論研究 と教育実践を通して新しい教育モデルの実現をめざす。また、文部科学省、京都府教育委 員会および京都府青少年課の研究委託事業を受託し、複数のプロジェクトを行政と共に企 画実行している。著書、論文として『学習塾がおもしろい』1988 一光社、 『もう一つの見 えない学校-ここは高等学校じゃないハイスクール』1999 日本評論社、 『そだちと臨床- 私塾の可能性を模索する』2008 明石書店、 『ポストモダンな学びの構築』2010 立命館大学 大学院、 『連載 学びの森の住人たち』2011 対人援助学学会がある。

文部科学省 平成 24 年度生徒指導・進路指導総合推進事業

自己変容を伴う不登校生徒のキャリア形成 -「学びの森」の実践を通して-

2013 年 3 月 1 日 印刷 2013 年 3 月 2 日 発行 編集/発行 アウラ学びの森 知誠館 〒621-0846 京都府亀岡市南つつじヶ丘大葉台 2-44-9 TEL 0771-29-5588 FAX 0771-29-5805 info@tiseikan.com www.tiseikan.com


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