文部科学省 平成25年度いじめ対策等生徒指導推進事業
不登校経験を持つ若者たちのもう一つのキャリアパス − 「学びの森」の実践を通して−
京都府教育委員会認定フリースクール
アウラ学びの森 知誠館
不登校経験を持つ若者たちのもう一つのキャリアパス -「学びの森」の実践を通して-
はじめに -希望の教育を求めて-・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第1章 キャリアって何?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 1. 交差する 2 つの移行期 2. 若者たちのキャリアプラン 3. 誰のための支援なの? 4. キャリアの複線化と 語りの可能性
第2章 物語としてのキャリア -森の語り場-・・・・・・・・・・・・・・・15 1. 生活保護と 95%の敵 2. 前を向いて歩いて行こう 3. ひきこもりも 3 年すれば飽きてくる 4. 機会開発という考え方
第3章 キャリアの接合点 -南丹ラウンドテーブル-・・・・・・・・・・・・60 1. 就活って何? 2. ストレーターではない若者たち 3. キャリアの更新性 -トランスフォマティブ・キャリア-
第4章 もう一つのキャリアパス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・125 1. オルタナティブということ 2. 私たちは、どこに再帰するの? 3. セカンドキャリア 4. 出会いの中のキャリア
おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・132
不登校経験を持つ若者たちの もう一つのキャリアパス -「学びの森」の实践を通して-
はじめに -希望の教育を求めて-
今から 9 年前に私たちが初めて出会った
もと薬を服用しストレスのない生活を送る
不登校の中学生は、今大学院で社会学を専
ように指示されていた男の子もいました。
攻しながら不登校研究をしています。 「得体
彼は、 「僕は病人として生きたいわけじゃな
のしれない不安」に苛まれていた彼は、と
い。一人の高校生として生きていきたい」
うとうその不安を自分の研究対象にして、
というコトバと共に薬をストップすること
どこまでもそれを言語化しようと研究者へ
をドクターに宠言し難関校の受験に見事合
の道を歩み出したのです。
格、ADHD という診断から想定されるキャ リアとは異なる、いわゆる普通の高校生に
次に出会った中学生は、小中あわせて 2
なっていきました。あるいは学校という世
年間しか学校へ通っておらず、中学に入学
界の閉塞感に耐えられなくなっていった女
してからもほとんど家でひきこもり状態に
の子。彼女は不登校になってから、1年で
なっていました。人前でなかなか緊張せず
高認を取得し、その後予備校に通い、現役
に話せなかった彼でしたが、高校そして専
で難関大学へと進学、今年アメリカの大学
門学校と進学し、やがて自動車ディーラー
に留学する予定なのです。
へ就職、第一線で活躍するサービスマンと して働いています。
知誠館には、そんな不登校やひきこもり の経験を持つ若者たちが次々とやって来ま
その他にも、過敏性腸症候群に苦しみ、
す。私たちの前には、夢も希望も持てない
教审に入ることができず高校を 3 つも中途
状態、あらゆることを試してもうまくいか
退学せざるを得なかった女の子。彼女は今、
ず、もうこれ以上自分自身の物語を描けな
歯科衛生士になるための専門学校に毎日元
くなった状態で現れてくる若者たちや親た
気に通っています。また、中学高校と不登
ちの姿がありました。しかしそんな彼らも、
校を繰り返し、リストカットを常習化させ
やがて尐しずつ変わり始めます。自分たち
ていた女の子。彼女は命の誕生の現場に立
が安心できる場と共感してくれる仲間、そ
ち会いたいということから、助産師として
して能動的な学びと自信を手に入れ、自分
病院で働いています。ADHD という診断の
のコトバを使って自分たちの辛く苦しい過 1
去を希望へと書き換えることを通し、自分
問いを突き付けることとなり、結果として
の人生を再出発させるのです。彼らの中に
私たち自身のキャリア観に再帰していった
は、自分自身のことを「生まれ変わった」
のです。つまり若者のキャリア形成に関す
と表現する者が尐なくありません。それは
る問題を突き詰めていくと、私たち一人一
まさに変容のドラマでもあるのです。大き
人が仕事にどういった意味を見出している
な変容は、感動を伴います。ましてやそこ
のか、あるいは働くということがいったい
にコトバが媒介し、それが一つの物語とな
どういうことなのか、という私たちの労働
っていく時、その感動は親や家族、やがて
観までもが問われることになっていったの
はまわりの支援者たちも次々と包み込み、
です。
彼ら自身の変容も促していくのです。それ はまさに変容の波が人から人へと伝わって
不登校やひきこもりといった若者の問題
いく瞬間でもあるのです。
は、下手をすれば個人の問題としてだけ処 理されてしまいます。例えば、発達上の課
私たちはそんな彼らの変容を、蝶の蛹(さ
題や人格上の課題、あるいは精神病理の課
なぎ)にたとえます。まるですべてが止ま
題として、処理されていくのです。しかし
ったかのように見える蛹の期間。それは今
個人は家族の中で形成され、家族は社会の
まで青虫の身体を作っていた細胞が次々と
中で形成されていきます。この前提に立て
死に絶え、それに代わって新しく蝶の身体
ば、問題を持った個人の前に問題を持った
を作る細胞が次々と生まれていく期間なの
家族があり、問題を持った社会があると考
です。まさにそれは、新しく生まれくるも
えられるのではないでしょうか?
ののための死に行く過程であり、「死と再 生」という学びの大きなテーマに向かうダ
私たちはあえて不登校やひきこもりとい
イナミズムでもあります。そして私たちが
う問題をひとつの窓として捉え、そこから
この知誠館で見届ける不登校やひきこもり
家族や社会の抱える課題を見てみようと考
の経験を持つ若者たち、彼らはこの蛹の期
えました。もちろんそこに個人の課題が存
間を私たちとともに経験する仲間でもある
在しないとは考えていません。ただそこに
のです。
は、社会の課題も存在するのではないかと 考えるのです。問題はいつも関係性の中に
本稿のテーマは、不登校やひきこもり経
生じます。従って、個人の課題を考えるの
験を持つ若者たちの「もう一つのキャリア
と同じように、不登校やひきこもりといっ
パス」を明らかにしていこうというもので
た問題を通して、家族や社会の課題に目を
す。そこには、従来の若者たちへのキャリ
向けていくことが大切であると考えたので
アパス、受動的で間に合わせ的なキャリア
す。
支援やキャリア教育のあり方に対する疑問 や反省が含まれています。この思いはやが
本稿では不登校やひきこもりの経験を持
て私たちに「キャリアとは何か?」という
った若者たちが、他者とのかかわりの中で 2
大きく変容する様子をさまざまな語りを介
ではなく、出会いを通してより能動的で生
したエピソードとして紹介していきます。
産的、あるいは文化的な社会へとつながっ
そしてその変容が、彼らのキャリアそのも
ていくことの大事さを考えてみたいと思っ
のを切り拓き、能動的なキャリア形成を可
ています。
能にするといった事实を示すことができれ ばと考えています。受動的なキャリア形成
教育の場は、いつも限定的な場です。私
から能動的なキャリア形成へという移行が、
たちは限られた時間軸の中で若者たちと出
この「もう一つのキャリアパス」というテ
会い、互いに影響を及ぼし合い、そしてい
ーマに託された思いでもあるのです。
つかは離れ離れになっていきます。それは まさに「出会い」の関係であり、一過性の
具体的に第 1 章では、現代社会における
関係と言えるのかもしれません。私たちに
キャリア形成の難しさを構造的に説明する
は、彼らの人生を決定づけるようなことは
と共に、キャリアそのものへの問い直し、
できませんし、その未来を描くことなんて
あるいはキャリア支援やキャリア教育その
なおさらできません。ただ、自分の人生の
ものへの問い直しを試みつつ、その構造的
物語をもうこれ以上描けなくなった若者た
課題の突破口となり得る語りの世界の可能
ちが、やがて「学び」ということを手掛か
性に触れてみたいと思います。続く第 2 章
りにして再び希望に向かって歩き出すこと
では、知誠館に学ぶ不登校やひきこもり経
について、尐しばかりのお手伝いができれ
験を持つ若者たちが、 「森の語り場」と呼ぶ
ばと思うのです。ブラジルの教育者であっ
セッション場面で自分のライフヒストリー
たパウロ・フレイレが、かつて抑圧された
を書き換えていくというエピソードを取り
人々に対しておこなった識字教育のように、
上げ、若者たちの変容とその場における他
それはささやかなかたちでの「希望の教育」
者の役割について考えてみたいと思います。
なのかもしれません。
さらに第 3 章では、若者支援に関わる援助 者たちの学びの場として組織された「单丹 ラウンドテーブル」の記録をエピソードと して取り上げ、その場における援助者たち の揺らぎを捉えると共に、このラウンドテ ーブルに当事者である若者たちが参加する ことで、場全体に大きな変容が生じていく といった事实に注目してみたいと考えてい ます。ここでは、援助-被援助という関係 が問い直されることになっていきます。そ して最後の第 4 章では、もう一つのキャリ アパスとして「出会い」を取り上げ、若者 たちが消費的な社会に巻き込まれていくの 3
第1章
キャリアって何?
キャリア支援、キャリア形成、キャリア
ません。特に困難を抱えた若者たちにとってはな
教育、キャリアプラン…。私たちの周りを
おさらのことです。だから彼らが学校から社会へ
見渡せば、实に多くの「キャリア」という
と移行する過程に寄り添いながら、様々な道や
コトバが使われていることがわかります。
様々な形を模索していく支援が必要なのです」
私たちの暮らしの中に多くの同じコトバが 使われているとき、それは要注意なのかも
私はその日、ドイツ单部のニュルンベル
しれません。気がつけばそれは、まるで意
グという人口 50 万ほどの街にいました。日
味を十分に理解しないままに使われる、記
本の文部科学省とドイツの家族・高齢者・
号のようなものになってしまっているのか
婦人・青尐年省(複合領域をカバーするた
もしれないからです。記号は、その意味を
めに設定された総合省)が、昨年 11 月に合
十分吟味することなしに、社会に流通して
同で为催した青尐年指導者研修に参加する
いきます。これが消費社会を生み出す構造
ためです。そしてこのメッセージは、その
でもあるからです。
研修の責任者の一人であったニュルンベル グ市の移行マネージメント研修部長、メツ
そして今回私たちは、この「キャリア」
ガー博士が冒頭のあいさつで話されたもの
という当たり前のように使われてしまって
でした。
いるコトバを、あえて問い直してみようと 思ったのです。
ドイツでは、青尐年たちをいかにスムー ズに社会へと移行させていくかということ が、大切な社会的課題として扱われてきま
1. 交差する 2 つの移行期
した。特にドイツでは、移民的背景を持つ 人口が全体の約 20%にのぼっており、その
「以前は、青尐年の若者たちはみんなごく当た
ことに起因する青尐年問題が多様に存在す
り前のように大人になることができました。でも
るからです。彼らは、言語的、文化的、あ
今は、そう簡卖にはいかなくなりました。現代は、
るいは経済的な理由から学校の卒業資格を
大人になることが難しい時代と言えるのかもしれ
得にくい状況にあり、さらにそのことが職 4
業資格を手に入れにくいという、さらなる
な状況を作り出し、その結果、地域社会の
厳しい状況につながっていきます。また資
解体や家族機能の喪失、個人の孤独感や連
格社会が定着しているドイツでは、職業資
帯感の喪失などといった社会のつながりの
格を持たない労働者は非正規雇用者となり、
断片化という状況を作り出していったので
大変厳しい労働条件のもとで働くことにも
す。まさにそれは、ジークムント・バウマ
なりかねないため、このことが新たな貧困
ンのいう「リキッドモダニティ」 (液状化す
の連鎖にもつながっているのです。そして
る近代)そのものなのです。そしてドイツ
このような状況を放置することが、やがて
では、ちょうどその時期に東西ドイツの統
は自分たちの生活をも脅かすリスク社会へ
合、そして EU の成立と立て続けに大きな
とつながっていくことを、彼らは過去のナ
社会状況の変化があり、それが新たなパラ
チス時代の反省から学んだのです。そのた
ダイムを形成することになっていったので
め青尐年の課題は、彼らだけの課題ではな
す。
く国民全体の課題として捉えられているの です。
このように現代社会における青尐年の課 題は、個人の発達的、社会的な移行期と、
メツガー博士の言う「移行」というコト
社会そのものの近代からポスト近代への移
バには、二つの意味が重ねられていました。
行期とが交差するところで生じていきます。
その一つは、子どもから大人へ、あるいは
メツガー博士の言う大人になるということ、
学校から社会へという若者の発達過程にお
あるいは社会へと包摂 social include され
ける移行です。ドイツでは、幼尐期におけ
ていくことの困難さの背景には、このよう
る家族から学校への移行、そして青尐年期
な個人の中に内在する変数と社会の中に内
における学校から社会への移行という時期
在する変数を双方に含んだ二つの大きな移
が取り立てて重視されます。この不安定さ
行期の存在があるのです。そしてこのこと
を抱えた時期に、十分な社会的な支援が必
は、ドイツだけが抱える状況ではなく、私
要だと考えられているからです。そしても
たちの社会においても同じような構造的な
う一つの移行、それは近代社会からポスト
課題がみられるのです。
近代社会へという社会そのものの移行です。 1980 年代以降の社会の消費化と高度情報
私たち個人は、家族という小さな社会の
化のうねりは、便利さと引き換えに私たち
中で育ちます。そしてその家族は、その外
の为体そのものを喪失させ、自分の意志に
側にあるより大きな社会の影響を受けます。
基づいた行動なのか、あるいは何らかの意
この時、善なる社会は、善なる家族を育み、
志によってさせられている行動なのかの区
善なる家族は、善なる個人を育むといった
別を不明瞭なものにしていきました。また
三層構造がうまく機能することが望ましい
多様な価値観が社会に流入してくるように
状況です。しかしポスト近代においては、
なる一方で、人々の生活や行動がどんどん
社会そのものの危うさが露呈し始めます。
標準化されていくといったアンビバレント
危うさを含んだ社会が、家族の機能を喪失 5
させ、機能を失った家族が新たな若者の問
たとしても、再び危うさを含んだ社会の中
題を作り出していくという構造が見られる
に組み込まれた時には、簡卖にはじかれて
ようになっていくのです。
しまったり、不適忚を起こしてしまったり する可能性がとても高いと考えていたので
私たちは、個人という卖位である若者の
す。従って、この課題をどうクリアすれば
問題に、家族や社会の問題が集約されてい
いいのかを真剣に検討できなければ、結局
ることを意識しなければならないと思うの
困難を抱えた若者の問題を本質的に問えな
です。問題は、個人の中にあるのではなく、
いのではないかという思いがあったのです。
個人と社会との関係の中に生じていくので す。従って問題を抱えた若者たちが、ある
私たちはそんな疑問のもと、3 年前から
一定の変容を遂げ、あるいはその変容が家
京都府の地域力再生プラットフォームの一
族にも伝わり家族の機能を回復させたとし
環として「单丹ラウンドテーブル」を立ち
ても、彼らが依然危うさを含んだ社会へと
上げ、若者支援に携わる援助者たちの学び
ただ卖純に包摂されていくだけではいけな
の場を为催してきました。その中で「キャ
いと思うのです。彼らの変容が、社会的に
リアとは何か?」というテーマを立て、あ
何らかの意味を発信し、社会そのもののあ
らためてキャリアそのものの問い直しをお
り方に一石を投じるような仕掛けが必要に
こなってきました。だから、今回のドイツ
なると思っています。それは何も大それた
研修に参加しようと決意したのも、日本以
ものである必要はありません。個人が社会
外の社会では、この若者たちのキャリア形
から影響を受け続けているように、たとえ
成の課題をどのように扱っているのか?と
小さな規模であったとしても、社会が個人
いう思いがあったからでした。
から尐しばかりの影響を受け取るシステム が必要なのです。
受け身ではない若者たちのキャリア形成。 若者たちが自分自身の仕事の意味を今後も
私が今回この青尐年指導者研修に参加す
継続させていくことのできるキャリア形成。
るきっかけとなったのは、以前から日本の
間に合わせ的なものではなく若者一人一人
キャリア支援やキャリア教育のあり方その
が自分自身とじっくり向き合い、自分自身
ものに疑問を持っていたからです。私の眼
を発見しながら進めていけるキャリア形成。
には、それらのアプローチそのものが受動
そして若者の変容が社会に何らかの影響を
的な「施し」のように映り、キャリア形成
及ぼしていけるような社会的機能を備えた
をおこなう若者たちの为体がどこか置き去
支援のあり方を、私たちはどこかにイメー
りにされているように感じていました。ま
ジとしてあたためていたのかもしれません。
た、支援そのものがその場しのぎ的で、ど
そしてそのイメージは、私たちの中で長年
こか間に合わせ的な方法論に終始してしま
の経験として培われてきた学習観と重なっ
っているような印象さえ受けていました。
ていきました。すなわち为体的で能動的な
そうすると若者たちはせっかく変容を遂げ
キャリア形成というものは、本来自分自身 6
の人生の物語を描くことと重なり、それは
は、彼女に一時的に家族から離れて暮らす
新たな経験を絶えず自分の物語の文脈の上
ことを提案し、家族には福祉的な支援を提
に編集しながら重ねていくという作業なの
供しました。そして、職業学校に通いなが
です。そして、これはまさに自律的な学び
ら資格習得に集中できる環境を整えるとい
のカタチそのもののような気がするのです。
うことが彼女への支援の方向性となってい
ここに「学び」の世界「キャリア形成」の
ったのです。しかし、实際には彼女がその
世界がかなり近い形で出会うことになりま
支援のあり方を受け入れるのに 2 年の月日
す。特に若者たちの援助場面においては、
が必要だったと言います。支援者たちは、
これらを切り離しては考えられないのです。
それを寄り添いながらずっと待ち続けてい たそうです。来年、彼女は看護師の資格を
ドイツの若者支援の領域では、教育
手に入れ、小児科の看護師としてどこかの
padagogik と労働 arbeit はかなり密接なも
病院で働き始めます。そして一定の経済的
のとして捉えられています。ドイツでは伝
自立を果たした上で、再び家族と一緒に生
統的に社会教育と職業教育がとても重視さ
活を再開するということでした。
れてきたからです。社会の教育を受けた若 者たちをどのような形で社会へと包摂して
このような支援のあり方を見る時、そこ
いくのかは、社会の責任において大事なこ
に当事者である彼女の人生の物語が、一つ
となのです。私たちは、ドイツで何人かの
一つ積み上げられていく様子が伝わってき
当事者である若者たちに直接会って話を聞
ます。彼女の周りの支援者たちは、彼女の
くことができました。その中でも特に印象
葛藤をどこまでも尊重したといいます。そ
深かったのは、内戦が続くチェチェン共和
して、その葛藤を彼女自身が为体的に乗り
国から難民としてドイツへとやってきた
越えた時、彼女のキャリアが一つ前へと進
18 歳の女の子でした。彼女はお父さんや他
んでいくように感じました。
の兄弟たちを残したまま、お母さんと聾唖 の弟と 3 人でドイツへと逃げ込んできまし
ドイツ語では、職業のことをベルーフ
た。イスラムの文化的背景を持つ彼女は、
beruf と呼んでいます。しかしこれは、「職
ヒジャブを顔に巻いていたことでいじめを
業」というよりも「天職」に近い職業観だ
受け、最初はなかなかドイツの学校になじ
そうで、神から与えられた使命であると考
めませんでした。しかし大変頭が良かった
えられています。それは決して間に合わせ
彼女はドイツ語の習得も早く、比較的スム
的に見つけるようなものではなく、自分自
ーズに学校の卒業資格を手に入れることが
身との深い対話の中で見出されるものなの
できたそうです。やがて彼女は小児科の看
かもしれません。 (このあたりのことについ
護師を目指すようになっていきます。そん
ては、マックス・ウェーバーの『職業とし
な彼女は今、家族と離れて一人で生活して
ての学問』が詳しい)
います。母と弟がドイツ語のできる彼女に 2 つの移行期が重なり合うところで若者
必要以上に依存していたため、支援者たち 7
たちのキャリア形成が営まれていく時、そ
なることを決意するようになっていったの
れは必然的に不確定さを含むことになりま
です。やがて彼は、昼間はホテルの製菓部
す。それ故、彼らのキャリア形成は、ある
で働きながら夜間に製菓専門学校へ通うと
パターン化された形成過程をたどるのでは
いう進路を選択しました。専門学校の学費
なく、個々の若者たちが自己更新を遂げ、
も早朝からスーパーで働き、自分で工面し
変容を続けながら徐々に構築されていくよ
ていったといいます。わずか 2 年間という
うな複線的なイメージを持っています。そ
時間軸の中で、毎日死ぬことしか考えなか
して、彼らの変容が向かう先は、卖純に既
った彼の内面に生じた変化が、将来への可
存の消費社会の中へと組み込まれていくと
能性を一変させたのです。
いうことではなく、その消費社会を越えた ところ、あるいはその消費社会の中に点在
また知誠館に通う生徒の中には、複数の
する形で成立している、どこか生産的で文
学校を途中でやめた若者も尐なくありませ
化的なこだわりをもった世界であるように
ん。ある生徒は、対人関係の緊張から教审
も思うのです。
に入れず、中学校は不登校、高校は 2 校を 中途退学し、自宅のトイレにひきこもって 自分の髪の毛を大量に抜くという行為を繰 り返していました。そんな彼女も今年で知 誠館を卒業し、管理栄養士をめざしていき ます。20 歳になった彼女は、車の免許を取 得し毎日休まず知誠館に通っているのです。 あの毎日暗い顔をして蚊のなくような声で しか話せなかった彼女は、もうどこにもい なくなりました。 「2 年前の私に言ってやりたい。“あんたの 2 年 後はこんな風になってるんやから、何をくよくよ
2. 若者たちのキャリアプラン
してるんや”ってね」
3 年間のひきこもり生活から脱出した若
そう笑顔で話す彼女の表情に、もはや昔
者がいました。ほんの 2 年前まで毎日死ぬ
の面影はありませんでした。
ことしか考えていなかったという彼は、高 校課程の学び直しということを通して、失
入口と出口。知誠館にやってきた若者と
いかけていた自分自身を再び取り戻し始め
巣立っていく若者は、同じ人物とは思えな
ました。そして、知誠館の体験活動で毎年
いほどの違いがあります。そこが若者たち
お世話になっている製菓教审の先生との出
の変容の可能性なのです。だから若者たち
会いを通して、次第に自分もパティシエに
のキャリア支援を考える時、そこに変容の 8
のびしろを見ておくことはとても大事なこ とだと思います。毎日死ぬことばかり考え ていた若者のキャリアプランと、パティシ エになることを心から望んでいる若者のキ ャリアプランは、全く別人のようなものに なっていくからです。それは、 「2 年前の自 分に言ってやりたい」と言っていたあの対 人不安に苦しんでいた女の子や、不登校に なることで自分の絵の才能を開花させてい った女の子にもよく当てはまることなので す。
3. 誰のための支援なの? 「キャリアプラン」という概念に「変容」 という概念を重ねる時、そこに「学び」の
大学在学中の就職活動でうまく企業の内
概念が浮かび上がってきます。学びという
定をもらえなかったアキラは、卒業と同時
ものは、本来自分のキャリアへの可能性を
に市が为催する就労支援プログラムに参加
拓くものです。知誠館に学ぶ若者たちは、
していました。そしてプログラム終了後、
ここで能動的な学びの世界を手に入れるこ
どこにも就職することなく、大学院へと進
とで、自らのキャリア形成の方法を手に入
学していったのです。そんなアキラは自分
れているのかもしれません。繰り返しにな
が受けてきた就労支援プログラムをこんな
りますが、若者たちのキャリア支援の現場
風に振り返ります。
を考える時、目の前にいる現時点での若者 の姿を想定して描くキャリアプランに果た
「僕は半年間、このプログラムに参加しました。
してどの程度の意味があるのかということ
履歴書の書き方から、挨拶のしかた、面接のしか
を、一方では考えないといけないように思
た、自己アピールのしかたと、次から次へといろ
います。彼らの変容の可能性を絶えず考慮
んなプログラムがあったんですけど、最終的には、
しながら、そのキャリアプランそのものも
とりあえずどこかへ就職してください的な、そん
更新されるべきではないかと思うのです。
なプレッシャーがあるんですね。とにかくどこか
固定されたキャリアプランに当事者たちの
へ、どこでもいいし落ち着かせたいという意志が
現状を当てはめていくのではなく、本人の
前面にでてくるんです。それがしんどくて、僕は
変容に忚じて自己更新できるような腰を据
最終的にはどこにも就職しなかったんですよ…」
えたキャリアプランの構築が必要になって くると思うのです。
研修を終えたアキラにとって、この研修 はいったい誰のものだったのかということ が、大きな問いとして残ったそうです。み んな言われるままに、次から次へといろん 9
なプログラムに参加したそうですが、最後
遠される危険性を含んでしまうということ
の方になってくると「どうして就職しよう
でもあるのです。そうなると今度は、いっ
としないのか?」という問いかけばかりで、
たい誰のための支援かということがわから
就職への強いプレッシャーを感じたといい
なくなります。つまり当事者である若者た
ます。
ちのための支援なのか、あるいは、その NPO で働く人たちのための支援なのかと
このことを裏付ける話は、厚生労働省の
いう境界があいまいになってしまうのです。
委託事業である若者就労サポートセンター
ある NPO の関係者は、NPO で働く職員に
を運営する NPO 団体の関係者からも聞い
は元当事者の若者たちも多くいるため、組
たことがありました。そこには、行政によ
織そのものが就労支援の受け皿になってい
る評価(アセスメント)の問題が存在しま
るという事实をあげてこのことの正当性を
す。それによると半年間でこの NPO 自体
为張するのですが、それではこの事業の本
がどの程度成果を出したかを相談者の就労
来の目的が曖昧になってしまうように思え
数の实績で評価されるというのです。そし
ます。
てそれが、翌年の助成を受ける際の審査の 判断材料となるため、みんな一生懸命にな
評価というものは怖いもので、こんな風
って若者たちを就労させようとするのです。
に事業そのものの意味を喪失させてしまう
ただここで問題になるのは、そのことが必
ような危険性を含んでしまいます。これは
ず当事者である若者たちの意にかなうもの
資金的な権限を行政が握っているため、あ
とは限らなくなってしまうということです。
る意味で社会のパターナリズムが機能して
例えば他の就労支援プログラムに参加して
しまっているケースともいえます。つまり
も評価のポイントになるし、高校中退者で
社会そのものが NPO を管理し、その NPO
あればとりあえずどこかの通信制高校へ入
が当事者たちを管理するという構造です。
学させる、これもまた实績としてカウント
これでは、個人が社会に影響を与え、社会
されていくそうです。つまり支援側は、当
を動かしていくという相補的なダイナミズ
事者の意向よりも、評価のポイントになる
ムが一向に生じないため、自動的に社会の
キャリアを優先させてしまう危険性が出て
パターナリズムが強化されてしまいます。
しまうということになりかねないのです。
大きな社会の力の中では、常に個人から社 会と向かうベクトルを意識しないと、気が
またこんな話も聞いたことがあります。
つけば個人、特に社会的弱者と呼ばれるよ
このような評価の仕組みがあるため、NPO
うな人たちが取り残されてしまうように思
には、すぐに就労できる可能性を持った比
うのです。
較的問題の程度が軽い若者たちにきてほし いという意識が生まれてしまいます。この
ポスト近代は、家族や地域といった小さ
ことは、逆に本当に支援が必要で、就労ま
な社会が失われ、また、社会的なつながり
でに長い時間がかかりそうな若者たちが敬
が脆弱化し不安定になっていくイメージを 10
持っています。言い換えるとそれは、社会
不登校やひきこもり経験のある若者たち
の中にある空間と文化が一致できずに断片
の就労支援は、つまずくことなくストレー
化されていく状況を作り出していると表現
トに大学まで進学していった学生たちの就
できるかもしれません。アンソニー・ギデ
職活動をモデルとしているように思います。
ンズが再帰的社会と呼んでいるように、社
彼らは、ストレーターの大学生のように行
会への問いそのものが社会へと再帰してい
動できないからこそ支援が必要なのであっ
くので、その答えが大変不確实なものとな
て、その支援を受けることによって尐しで
っていくのです。だからさまざまなものが
も普通の大学生たちの行動パターンに近づ
予定調和に運ばなくなっていく危険性が高
けていくことを目的としているように感じ
くなってしまうのです。
られます。
答えがない時代、その言い方は正確では
では今の学生たちの就職活動は、本当に
ないかもしれません。その時々の答えは存
彼らのモデルとなり得るものなのでしょう
在するのかもしれませんが、それが一定で
か?このことについて検証するために、私
ある保証がない時代、と言えるでしょうか。
たちは現在就活中の複数の現役大学生に来
そんな時代だからこそ、若者たちが自分で
てもらい、就活の实態について話してもら
そのキャリアを更新していけるような生き
う機会を持ちました。しかしそこで見えて
方が求められているように思うのです。定
きたものは、大変厳しい就職状況の中で大
型的な与えられたキャリアを生きるのでは
量の情報に翻弄される学生たちの姿でした。
なく、自分で自分の人生の文脈を描いてい
彼らは、大学の就労支援センターやインタ
くようなキャリア形成が必要となっている
ーネット上の就労に関する無数のサイト、
のではないでしょうか。
あるいは就労支援を行うような専門学校の 講座やセミナーなどから、毎日のように情 報を受け取っています。そんな状況の中で、 当初に抱いていた夢や希望がどんどん打ち 砕かれ、不安や焦り、あきらめや妥協の中 で、就労先を決めずにはいられなくなり一 旦就職はするものの、比較的短期間で離職 する、といった学生たちが増えているのも また事实なのです。ただ、一方で彼らは口々 にこう言います。 「こんな就活のような厳し い機会がなければ、僕たちは今までの人生 を振り返ったり、現实社会について真剣に 見つめるような機会がなかったかもしれな
4. キャリアの複線化と語りの可能性
い」と。そして、果たしてこのようなキャ リア形成は、不登校やひきこもり経験を持 11
つ若者たちにとって一つのモデルとなり得
とする時、そこに語りの世界が生まれるこ
るようなものなのでしょうか?この問いこ
とを私たちは経験的に知っていました。そ
そが、今回の研究事業の出発点でした。そ
して、そんな語りの世界をインタビューに
してそこから今度は、彼らのキャリア形成
よって言語化してまとめたものが、平成 24
のモデルとなり得るものは果たして存在す
年度生徒指導進路指導総合推進事業として
るのだろうかという新たな問いが立つこと
提出した『自己変容を伴うキャリア形成』
になります。
というレポートでした。
この問いについては、もはや若者のキャ
不登校やひきこもり経験をもつ若者たち
リア形成においては、 「モデルなき時代」に
の多くは、過去の辛く苦しかった経験をた
突入しているのだと私たちは考えています。
だ「苦しい」としか表現できなかったり、
ドイツにおけるメツガー博士の話にあった
「誰かのせいで自分はこうなった」と他人
ように、モデルが存在しない故に若者たち
にその原因を転嫁して自分に向き合おうと
が社会へと接続されていく過程が困難を要
しなかったりすることが多いです。しかし、
するようになってきたのです。ポスト近代
自分に向き合おうとすることなしに、大き
社会においては、答えが瞬間的に不確实な
な変容は決して生じません。彼らが変容に
ものへと追いやられてしまいますから、若
向かうためには、ある一定の勇気を手に入
者たちを定型的な就労支援のプログラムに
れてもらわなければなりません。そのため
乗せていくのではなく、モデルなき時代の
には、彼らが安心し、その中で何かを通し
キャリア支援をどう考えるかという視点に
て自信を獲得できる継続的な営みが必要と
立ち、個々の就労支援をどう考えるという
なってくるのです。知誠館ではその媒介と
方向付けが必要となっていくように思いま
して「自律的な学び」を活用するのです。
す。 自律的な学びは能動性を必要とします。 また、モデルとなるようなキャリア支援
自分で読んで考えて判断することが求めら
の道筋が見えにくくなっている時代におい
れるのです。 (これについては、マルカム・
ては、個々の当事者の抱える状況に沿った、
ノールズの「自律学習理論」が知誠館の教
それぞれの個別のキャリアパスが模索され
育の一つの柱になっています)そしてこの
るべきではないかと考えています。そこに、
姿勢と経験の蓄積が、彼らに一定の自信を
キャリアの複線化が求められるように思う
定着させます。消費的な文化の中では、コ
のです。そしてさらにファーストキャリア
ツコツと何かを継続的に積み上げていくこ
から出発して、それぞれの個人がキャリア
とが軽視されてしまいます。面倒なことを
そのものを更新し続けることが、今後はと
引き受けることの大事さが喪失されていく
ても大切になってくるように思います。
のです。しかし、能動性を伴う変容という ことを前提としたとき、コツコツと何かを
また、若者たちが大きく変容を遂げよう
積み上げていくことや面倒なことを引き受 12
けていくことこそが、大きな変容を生じさ
してより大きなダイナミクスが生まれる構
せる条件となり得るのだと私たちは考えて
造を作り上げていくのです。
います。知誠館の若者たちは、学びという 活動を通して自信と安心を手に入れ、やが
さらにもう一つの語りの場として、2 年
て仲間に勇気をもらいながら、尐しずつ自
前から継続的に实施している若者支援者た
分自身に向き合い始めます。そしてさらに、
ちの学びの場「单丹ラウンドテーブル」が
語りの場を通して、彼らの過去を彼らのコ
あります。このラウンドテーブルでは、毎
トバによって新しい意味へと書き換えてい
回冒頭で、知誠館における若者たちの変容
きます。ここに語りの世界の果たす役割が
の物語がエピソードとして紹介されます。
あるのです。
そしてそれをもとに援助者たちが、普段自 分たちが当たり前としている支援に関わる
今年度の研究では、昨年度の取り組みを
概念そのものを改めて問い直す、という省
さらに進めていきました。この若者たちの
察的な思考を促していきます。例えば、日
語りを促す一対一のインタビューをさらに
常的に支援の現場で仕事をこなしている支
発展させて、 「森の語り場」という公開の場
援者に、 「支援とは何か?」ということを問
でのインタビューをおこない、周りの者が
いかけていくのです。またこの場には、若
いつでも場に参加できるセッション構造を
者支援に関わる教育、福祉、心理関係者、
用意しました。形としてはひとりの若者が
それに学生たちまで参加していますから、
聴衆者の前でインタビューを受けるという
さまざまな領域の意見をもらうことが可能
ものですが、その内容は、聴衆者の辛い過
です。この場では、結論など求めません。
去と共鳴し、共有化されていきます。それ
大事なことは、自分の考えがこのセッショ
によって聴衆者は、そのインタビューを聞
ンの渦中で更新され続けるかどうかという
きながら自分自身の過去と向き合うという
ことなのです。
内的作業をおこなうことになるのです。こ こでは、共有化され得る経験があるという
ラウンドテーブルにおいては、当事者で
ことが大変大きな意味を持ちます。話し手
ある若者たちも、私が紹介するエピソード
が開示する辛い経験が、決して自分一人だ
を介して間接的に場に参加しています。し
けのものではなく、その辛さ、痛みを共有
かし今年度の途中からは、实際に彼らが直
できるということが大きな勇気づけになる
接セッションの場に参加するという状況が
からです。またこのような経験を通して、
生まれていきました。つまりそこでは、援
場に深い連帯感が発生することもあります。
助者と被援助者とが同じ場に集い、互いに
共有される要素があるということが出会い
「支援」ということ、あるいはその周辺領
の可能性なのです。そして聴衆者も、この
域の概念そのものものについて意見を交わ
インタビューの場に具体的な発言を通して
す状況さえ生まれてきたのです。ここでは、
参加していきます。するとそれが若者自身
援助者から被援助者へという上意下達的な
に更なる刺激を与えることになり、全体と
情報の流れはその勢いを失います。援助者 13
と被援助者が一堂に会し語り合うことによ って、一方通行の流れから双方向の流れへ と変わっていくからです。そうなると、被 援助者だけに変容が起こるのではなく、双 方に変容が生じていくようになるのです。 このように本稿では、知誠館を舞台にし た語りを媒介に成立する 2 つのセッション グループを取り上げ、語りの世界の持つ可 能性と変容場面における他者の関わりの意 味を考えると共に、変容を前提に置いたキ ャリア形成のあり方について考えてみたい と思っています。
14
第2章
物語としてのキャリア -森の語り場-
「森の語り場」は、今年度から始まった
として整備していったのが、この「森の語
知誠館に通う若者たちのための語りの場で
り場」なのです。
す。具体的には、一人の若者が塾長である 私のインタビューを受ける形で、これまで
ここでは、3 名の生徒たちのライフスト
生きてきた軌跡をライフストーリーという
ーリーをエピソードとして紹介します。そ
形で語ってもらい、それを周りのみんなが
の内容は事实に基づいたものではあるので
受け止めていくといった形態をとっていま
すが、登場する生徒名はすべて仮名とし、
す。
その状況も個人を特定されない程度の変更 が加えられています。また实名で登場する
この作業は、彼らが暗くネガティブなも
人物は、すべて知誠館のスタッフです。
のとして捉えている自分の過去に意識を向 けてそこに向き合い、それを自分のコトバ
1. 生活保護と 95%の敵
でより生産的で意味のあるものへと言い換 えていくことを目的としてします。ただそ のためには、彼ら自身の中に過去に向き合
中学校の先生からの紹介で知誠館へとや
っていくだけの勇気と強さ、そしてそれを
ってきた、中学 2 年になるマサトという男
置換していけるだけの自分のコトバを持っ
の子がいました。彼は入学早々「僕は高校
ていることがその前提となります。
にも行かないし、就職もしたくない。親が 働いている間は親の給料で食わしてもらっ
知誠館では、昨年度から若者たちに個別
て、退職したら親の年金で、親が死んだら
のインタビューをおこない、その内容を別
生活保護で生きていく」というようなこと
の機会に他の生徒たちにも伝えていました。
を平気で口にできる、一風変わった中学生
すると、そのことを契機として彼ら自身が
でした。そんなマサトは、小学 5 年生から
いくらかの影響を受け始め、その変容が促
激しいいじめにあい、中学 2 年生の時に不
されていくという経験がいくつもありまし
登校になるのですが、中学時代はなんと学
た。そしてこれを一つの変容のプログラム
年の 95%が自分の敵だったと言います。そ 15
んなマサトがどんな学校生活を送ってきた
塾長「どんな風にいじめられたの?」
のか?そしてどんな家庭の中で育ってきた
マサト「よく、男は肉体的な暴力を振るうって言
のか?彼のライフストーリーを、みんなで
うじゃないですか。女は陰湿って言うじゃな
聞くことになりました。マサトの話は、小
いですか。精神的って言うんですかね。それ、
学生時代の自分がいじめられていた時のこ
ほんまその通りなんですよ」
とから始まります。
マイ「殴られるの?」 マサト「殴られるし蹴られるしね。でも女の方が
塾長「知誠館に来る前の話を、マサトに聞きたい
嫌でしたよ、正直。女は陰湿っていうのは聞
なと思うんだけど。」
くんですけど、そうだなあって今でも思うか
マサト「ここに来る前のことですか?」
ら」
塾長「そうそう。その時は、中学校でいろいろい
塾長「悪口を言われるってこと?」
じめられたんだよね。あと小学校もマサトと
マサト「悪口とかね…悪口っていうレベルじゃな
しては全然楽しくなかったって言ってた
いと思いますけどね。卖なる誹謗中傷じゃな
ね。」
いですか、あれは」
マサト「小学校の 1、2 年の時とかは、あんまり記
塾長「友達もいたんじゃない?」
憶ないんですけどね」
マサト「いや、友達っていってもねえ。まあ人間
塾長「1、2 年の時は、まあまあ楽しかったんだ。」
たる者いくら仲が良かろうと保身にまわる
マサト「まあ、そうだと思いますよ」
じゃないですか。そういうことですよ」
塾長「ということは、3、4 年…」
塾長「ちょっと待って、あんまりよくわからない。
マサト「そうですね。さらにひどくなったのは 5
小学校 5 年からいじめが始まるって、どうい
年から」
うことで、いじめって始まっていくの?」
塾長「そこから、すべての悪夢が始まっていくわ
マサト「そんなの知りませんよ」
け?」
塾長「何かきっかけのようなことはある?」
マサト「5 年の時は、ほんま嫌でしたよ」
マサト「そんなの知りませんよ」
塾長「どんなことが嫌やったの?」
塾長「何もないの?」
マサト「まずね、一言で言ったらいじめなんです。
マサト「ないんじゃないですか?いじめるやつは、
去年あの大津のいじめとかあったじゃない
いじめたいからいじめるんですよ。その事が
ですか。あれなんかわかるっていうか。簡卖
結果的に他者を殺すことになっても、本人は
に言ったら、あれと同じですよね。」
知らないんですよ」
塾長「大津のどんなところがわかるの?」
塾長「うーん?」
マサト「全部わかりますよ」
マサト「極端に言えばね、小学校とかやったら尐
塾長「例えば?」
年院もあるし、どうせ罰されへんのやからっ
マサト「例えば、自殺した子、中 2 でしたっけ?
ていうのもあると思う。多分」
気持ちはめっちゃわかりますよ」
ミチオ「そんなの考えないやろ?」
塾長「いじめってどんな…? クラス全体で…?」
マサト「いや、あるある。絶対ある」
マサト「もう全体ですよ。学年全体」
ミチオ「小学校の時、尐年法なんて」
16
マサト「いや、知っとるやろ」
塾長「…なるほど。その状態を引っ提げて中学校
ミチオ「知らんよ、普通」
に行くことになる。中学校はメンバーも一緒
マサト「いや、知っとる知っとる」
だったの?」
塾長「なるほど。そしたらその状態っていうのが 5
マサト「まあ一緒です。中学校が大体 2 つの小学
年の時にはあって、6 年もそういう状態やっ
校から来るじゃないですか?なんだかんだ
たの?」
ね…、学校同士がそんなに離れてないし、近
マサト「変わらない。クラスが変わってても一緒
いわけなんですよ。だからどうせ違う小学校
だったと思いますけどね」
同士でも仲間みたいなやつがいて、おれの話
塾長「学年全体から?」
は話題に上がってたと思うんですよね。それ
マサト「そうですね。おれに言わせれば同学年の
でまあ中学行ってもそのまま変わらず、みた
95%は敵やからね」
いな感じでしたから…」
塾長「じゃあ 5%の味方はいたわけ?」
マサトへのいじめが激しくなったのは、
マサト「味方ではないね。まだましなやつ、って ところじゃないですか」
小学 5 年生の時。ある特定の子どもからだ
塾長「先生は、どういう対処を?」
けではなく、クラス全体からいじめにあっ
マサト「まあ先生も保身にまわるからね」
ていたと言います。その上、仲の良かった
塾長「どういうこと?」
友達や先生でさえ、保身のためマサトを責
マサト「5、6 年の時の担任の先生は、おれをいじ
めていたと言います。このことがどこまで
めてたやつらからも嫌われてて、文句出てた
実観的な状況と一致するかどうかはわかり
くらい女びいきやったんですよ。わりとおれ
ませんが、当時のマサト自身にそう感じら
がよく責められた記憶がありますね」
れていたことは間違いないのでしょう。し
塾長「誰に?」
かし、マサトの話の端々に彼自身が妄信的
マサト「その担任に」
にそう思い込んでいるような気配も感じら
塾長「先生がマサトの事を責めてた?」
れます。彼は为にネットから様々な情報を
マサト「記憶の限りでは」
手に入れているのですが、その情報そのも
塾長「授業中なんかも、けっこう大変なことにな
のにも幾分偏りがある可能性が感じられま
ってたわけ?クラスが崩壊してたとか」
した。ある意味で、ミチオの指摘は的を尃
マサト「そんなことはない。5、6 年の時は普通に
たものであったのかもしれません。一人っ 子で、なおかつ対人関係も極端に尐なかっ
授業があった気がする」
たマサト。そのために偏った情報がいつま
塾長「そうか。そしたら 5、6 年は、いじめられた
でたっても修正されていかない状況にあっ
つらい経験しか思い出はないの?」
たのです。
マサト「ないです」 塾長「小学校高学年の 2 年間は、結構つらかった んだね。」
マサト「小学校の時は、学校は基本的には休んで
マサト「つらいっていうか…もう思い返したくも
ない。学校行かなくなるまでね、おれ、サボ
ないですよ」
ったこと 1 回もなかったんですよ。何の誇張
17
もなしに、休んだこと 1 回もなかったんです
線が切れたって言えばいいんですか…」
よ。病気の時は休みましたけど」
塾長「ああ。ぷつっと」
塾長「知誠館にも、そんな感じで休まず来てるも
マサト「そう。何か切れたと思うんですよ。で、
んなあ」
1回サボったあとちょっと学校行ってて…。
マサト「だからサボるってよくわからないんです
おれ、交通事故に遭ったんですよ。車にはね
ね。当時は正直そうでした。でもね、中 2 の
られたんです。チャリこいでて、お互い不注
時におれサボったんですよ、1 回。それまで
意があったのかもしれないですけど…。今思
1 回もなかったのに」
うとその時に、おれはねられてもいいかなと
塾長「中 2 の時に?」
思ってたんですよね」
マサト「中 2 のね、学校に行かなくなるちょっと
塾長「ちょっと待って。その交通事故に遭ったの
前に、仮病使ってサボったんですよ」
はいつ?」
塾長「ということは、中学 2 年のそのサボる時ま
マサト「中2の、サボった時の前やったか後やっ
では、サボったことなかった?」
たか。正確には覚えてないけど、5月くらい」
マサト「ないですよ」
塾長「その事と自分が学校をさぼった事と関係あ
塾長「どんなにつらくても、学校へ行くわけや?」
るの?」
マサト「ある意味それがモチベーションな感じで
マサト「わからないけど、今思うとあったのかな?
すよね」
と思わないこともない」
塾長「1 回も休まないっていう?」
塾長「どんなことで?」
マサト「振り返るとそんな感じです。で、その時
マサト「今振り返ったら、生きるための生命線み
に 1 回サボったんですよ」
たいなものが切れたから。今思ったらそうい
塾長「知誠館の何かの時も、 「これ欠席になんの?」
うのがあったと思う。あの時、車にぶつかっ
とかっていつも気にするものなあ」
て…もしかしたらそのまま死んでもよかっ
マイ「へえ」
たって思ってたんかも」
マサト「そう。一忚おれ、ほぼ皆勤賞なはずなん
塾長「ふうん。ということはマサトにとってその
ですよ。でね、その中 2 の時に 1 回サボった
時サボったっていうことは大きいわけや?」
…」
マサト「多分その時に、自己防衛機能みたいなん
塾長「中 2 のいつごろ?」
が働いたと思うんですよ」
マサト「あれはいつやろなあ…行かなくなったん
塾長「どういうこと?」
は 6 月の中頃くらいか、5月の終わりくらい
マサト「だから、自分で自己を守るみたいな。そ
やったかな?5月の中旬くらいか」
ういうのが頭にあると思うんです。そういう
塾長「何でサボったの?」
のが働いたのかなって。いろんな肉体的にも
マサト「なんかね、嫌やった。嫌やったのはもち
精神的にも限界に来てたのかなって。今はわ
ろんそうやったんですけど、何かが切れたん
りと冷静に振り返れるんですけど」
ですよ」
塾長「それでその交通事故の後、入院はしてない
塾長「何に?」
の?」
マサト「切れたっていうのは怒ったんじゃなくて、
マサト「はねられたんですけど、全然けがもなか
18
って。すり傷とかはあったんですけど、立っ
みたいに言われてたんですけど、行けるわけ
て目的地に行こうとしてたくらいですから」
もなくね。これからどうするか、みたいなの
塾長「じゃあ、大したことはなかったんだ」
を模索してて。まあ担任も家に来るじゃない
マサト「なかった。まあ大事を取って1日休んだ
ですか。その時に担任がここを紹介して、そ
くらいですね」
こから…。夏休み終わってすぐ知誠館に来た
塾長「それから学校へ行かなくなるまで何かあっ
みたいな感じやったんですけど…」
たの?」
マイ「担任の先生は気付いてたの?いじめられて
マサト「もう記憶ないですね」
ること」
塾長「学校へ行かなくなる決断というか、決心と
マサト「黙認でしょ。気付いてたかは…そんなの
いうのは、何だったの?」
分からないけど。まあ仮に気付いてたとして
マサト「覚えてないです。卖純にそれが積み重な
も、何もしなかったと思うけどね」
って限界が来たんじゃないですか?もう1
マイ「マサト君のお母さんと話し合うとか、そう
回自己防衛機能が働いたと思いますよ。それ
いうのはなかったの?」
が6月の半ばくらいだったかな。それから夏
マサト「1回だけ最後の方は、おれが個人名出し
休みに入るじゃないですか。で、夏休み入る
てこの人がやってるのや…みたいなこと言
まではずっと家にいた気がするんですよ。夏
ってたけど、大して効果なかったからね。む
休みの時は、とりあえず毎日朝から出かけて、
こうは、しらばっくれていたし…」
どこかで昼飯食うか買うかして帰って、って
塾長「その時の先生は、いい人のような感じがし
いう感じ。ストレスもたまってたからどこか
たけど」
行きたいじゃないですか。それで、どこか行
マサト「先生その人自身はいい人やと思うけど、
って飯食って帰ってきたっていう記憶しか
いくらいい人でも、大したことできるわけじ
ないです。夏休みの時は」
ゃないということですよ。集団、組織対個人
塾長「だからずーっと家にいていたわけ?」
だったらそんなの勝てるわけないじゃない
マサト「夏休みにはいるまでは、ずっと家にいた
ですか。勝ち負けとか目に見えてるじゃない
気がするんですよ。それから夏休み入って、
ですか」
その時は毎日出かけて。チャリこいでどこか
ここでは、マサトの尐し強迫的な行動傾
行って、飯食うなり買うなりして帰ってた。 その時に当然同級生とかに会うわけじゃな
向が見てとれます。黒か白か、○か×か、
いですか。だからひたすら裏道探したりしま
その中間の立ち位置がとりにくいのです。
したよ。あとは完全に迂回、回り道で」
中間、あいまいさ、それらは、マサトにと
塾長「それは、95%敵やったからな」
っては不安を呼び込んでしまう状況なのか
マサト「うん。实はその時、毎日おれカッター持
もしれません。だから彼は、ある日突然そ
ってたんです。だから殺したろうかなと思っ
の支えがポキッと折れるかのように、学校
てたんですよ。まあ自分が死のかなとか…。
へ行かなくなるのです。 「ぷつっと糸が切れ
わりと不安定やったんですよ、本当に。それ
たように…」と表現していますが、まさに
で、おばんには「夏休み終わったら行けよ」
その通りなのだろうと思います。マサトは 19
軽い事故をその契機として、自己防衛的に
ばんとかが、どこにおれを行かせるのかをず
不登校になったと話しています。また中学
っと探してたんですけどね」
校でも、やはり担任の先生に十分心を開い
塾長「事細かに全部はちょっとしゃべれないんだ
ていないようでした。
けれど、マサトの今のストーリーの中では、 このおばあさんがとても重要なキーパーソ
しかし一方で、これまでのマサトの語り
ンだったんです」
から、彼自身が自分がおかれた状況につい
マサト「おばんがいなかったら、おれの家、成り
てかなり綿密に、しかも論理的に考えてい
立たへんし…まあ、良いも悪いもどっちの面
ることがわかります。そういう意味では大
もある」
変頭のいい子どもであることもわかります。 ただマサトの思い描く世界は、あくまで彼
塾長「おばあさんっていうのはお母さんのお母さ ん?今 85 歳とか?」
自身の強いバイアスがかかったもので、周
マサト「まあ 80 は、いってますね」
りの思いとはずいぶん隔たりがあることも
塾長「僕が初めてマサトに会った時は…おばあさ
推測されます。不登校やひきこもりの若者
んは、ここには来られなかったんだけれども、
の場合は、他者との関係性が極端に低くな
お母さんだけが、最初来られて…。お母さん
ってしまうので、その認知がかなり为観的
はどちらかっていうと、わりと心配性。不安
で、周りとの間にズレが生じることはよく
をものすごく過度に抱くタイプの人で、あま
あるからです。しかし彼自身にとっては、
りコミュニケーションとかも器用にできる
その为観そのものが事实であることには違
人では…」
いないのですから、援助者はその前提の上
マサト「ない」
に一旦は立ちながら、同時にそれを俯瞰的
塾長「それで、お父さんはものすごく性格のいい
に見つめる視点もきちんと確保しておかな
人やったんだけれど、どちらかっていうと、
いといけないのかもしれません。
おばあさんが強力やった。おばあさんは彼の 家のすぐ近所に住んでて、何かあったら出て
村岡「6月の中頃から正味7月の中頃まで、1ヶ
きて、彼の家を仕切ってたりした」
月間学校休んだわけでしょ?」
マサト「まあそれも悪い面もあったかもしれんけ
マサト「そう、そのくらいですね」
ど、おばんが仕切ってへんかったら、おばん
村岡「それで夏休みになるやんか。そしたら長欠
がおらんかったら、おれんちはとっくに終わ
にしては短いよね」
ってた」
マサト「まあそうですね。实際学校休んだのは1
塾長「わかる、わかる」
ヶ月くらいですね」
塾長「それで、マサトのお母さんっていうのはど
村岡「そういうことやね。それでここに来る判断
ちらかっていうとおどおどするタイプなの
っていうのは、すごい早いなあって」
で、おばあさんに、これしなさい、あれしな
マサト「だから…何やろね」
さい、って言われて動くみたいな…」
塾長「おばあさんや、それは」
マサト「实際そうしなかったらねえ。本当に…」
マサト「ああ、それはちょっと思うけど、正直お
塾長「機能しないしな。マサトのお父さんは、さ
20
っき言ったようにものすごいい人なんだけ
くなったでしょ。それで、2学期行くじゃな
ど、どっちかっていうと大人しい、控えめな
いですか。その時にたまたま友達と会ったん
人…」
ですよ。その子も不登校なんですけれど。そ
マサト「まあ立場はな、弱いよな」
の不登校の子が行く学校が、市内の左京区の
塾長「と、いう風な状況やった。それで、お母さ
方にあるんです。そこに通ってる子で、その
んもここに面談で来られて、僕がいろいろ言
子の家で遊んだりしたんですよ。それが、そ
ったら、言った事でものすごく不安になる。
の時のおれの生活のモチベーションになっ
だからちょっと話しにくいなと思ってな。…
てたかなと思いますね。その友達の家行って
さっき言っていた、学校でいろいろあった時
しゃべったり。それがまあ、今思えばわりと
に、普通は親が出て行ったりするけど、それ
その時の目的にはなってたかなと。一時期そ
がなかなかしにくかったっていう面もあっ
の子が行ってる学校に行くっていう選択肢
たんじゃないかな」
もあったんやけど、おばんがそれは反対して。
マサト「でもおれね、親にはあんまり言わんかっ
結果的には、ここでよかったと思ってますけ
た気がするけどね」
ど。僕はその友達に会ったことが、当時から
塾長「そのあたりの尐し難しい状況が、ひょっと
すれば本当にでかかったなと」
したら家の中にあったように思う。それで、
ここでは、マサトの家族の話が出てきま
ここに来るっていうのもおばあさんが決断
す。極度に不安を抱えたお母さんと、同居
して…」 マサト「違う、あのね、ここが先生から紹介され
はしていないものの、そのお母さんの保護
て、選択肢は他にも一忚あったんです。その
者として大きな存在感を未だに持ち続けて
時に、選択肢のうちのおばんが勧めたんがこ
いるおばあさん。そこにあまり関わろうと
こやったんですよ。行けとは言わなかったけ
しない大変おとなしい印象のお父さん。マ
れども、ここがいいと。推薦はしたんですよ。
サトはそんな歪な構造を持った家族の中で
まあ实際、おばんおらんかったら多分来てな
育ってきたことがわかります。ここで押さ
い…。だからおばんにはめっちゃ感謝してる。
えておかなくてはいけないことは、マサト
うるさいと思う事もいっぱいあるんですけ
の行動に対する違和感が、この家族の歪さ
どね」
とリンクしているという事实です。マサト
マイ「おばあちゃんと話す方が多い?」
は、この家族との関係性の中で個人の人格
マサト「今はないけど、昔とかそうでしたね」
を発達させてきたからです。
塾長「前はけっこうそうやったな。おばあさんが
その中でもとりわけ、マサトにとってお
前面に出たはったので…」
ばあさんという存在が大きかったようです。
マサト「それはやむを得ないっていうか。そっち
知誠館に入学するという決断も、このおば
のいい面の方が絶対多かったですよ」 塾長「そうやな。そう思うわ」
あさんの判断があってのことだったようで、
マサト「そういえば、中2の時の事、言うんだっ
とにかくいろいろなことの決定にこのおば あさんは関わっています。そしてマサトは、
たらまだまだあるんですけど…。学校行かな
21
このおばあさんのことをうっとうしく思い
の構造の課題っていうのがあって。お母さん
ながらも、一方で「おばんがいなかったら
がそういう意味ではものすごく心配症だっ
家族が機能しなかった」と振り返っていま
ていうことと、コミュニケーションがちょっ
す。このことからもマサト自身は、家族の
ととりづらいっていうことがあって…。マサ
こともよく観察しており、その動きや関係
トが自分の母親が普通のお母さんとは違う
性もよくとらえていることがわかります。
っていう風に認識するのは、小学校低学年く
大変頭のいい尐年なのです。
らい?」 マサト「それは、元々あったと思うよ」
塾長「その後、すぐここに来るようになったよね。
塾長「いや、マサト自身の認識として」
初めて面接をして、すぐ体験みたいな感じ
マサト「昔からずっと。記憶を持ち始めてる時か
で」
らあったと思う」
マサト「そうそう。だから別に…学校が嫌であっ
塾長「物心ついた時にはうちのおかんは、ちょっ
ても、どっかに行くのが嫌っていうわけじゃ
と違うなとかって?」
なかった。他に行くところがあったら、普通
マサト「正直昔からあったよ。何だかんだいろい
に行くっていう思いはあったから。別に知誠
ろあるから。だから尐なくとも物心ついた時
館っていう選択肢があって、じゃあ行こうか
にはそういう意識はあったと思う」
な、みたいな感じでしたけどね」
塾長「なるほど。…こういう状況がマサトには元々
塾長「どんな印象だった、ここは?」
あったんや。それで、小学校の5、6年くら
マサト「なんか前、ある人がフリースクールに取
いから、何で始まったのかはよう分からない
材に来られたでしょ。その人の感想で、わり
けれどいじめが始まって。マサトから見れば、
と高級カフェみたいな、そういう印象を受け
周りは敵だらけ。学校の先生は自分の事を守
たっていうのがありましたけど、多分その通
ってくれない、みたいな状況がある。それで
りで。図書館って言ってもいいし、来た時に
も自分は休むのが嫌だから、やっぱりずっと
新鮮でめっちゃ素晴らしいなっていうのは
行き続けなあかん、みたいなことやね?」
思いましたね。そこから中2の半年間ここに
マサト「うん、そうやね」
来てて、いやー、いいなあ、すごいなあって
塾長「まあそんな状況。尐なくても学校の先生か
ずっと思ってましたよ」
ら見たら全体の事实がどうかとかはちょっ
塾長「どういうところがいいの?」
と違うかもわからんけど、マサトからすれば
マサト「まず環境とか…。いや、何て言うのか…
そんな状況の中で小学校生活を送っていっ
でも最近も僕、絶賛してますよ。ここを絶賛
たということや。それでまあ中学校1,2年
してましたよ」
と行って、ある日突然ぷつっと糸が切れたみ
塾長「誰が?自分が?」
たいに…」
マサト「うん、自分自身もそうやし…当時の親し
マサト「今振り返ると、やっぱそうなんだと思う
い友人とかには、ここの事言ってるんですけ
んや」
ど、めっちゃ絶賛した記憶がありますね」
塾長「彼なりに、今どういう風に考えてるかとい
塾長「ふうん。まあ、やっぱり彼の場合は、家族
うと、それが自己防衛本能やって言うわけな
22
んだ。つまり、そのままずっと生き続けたら
マサト「あのね、ちょっとその話について言いた
自分の精神が破壊されるかもわからない、み
かったんですよ、正直。あれはね、僕まだ若
たいな状況でぷつっと切れた、っていうのが
かったですよ」
彼の言ってることかな。それは不登校の子の
マイ「何、掃除の話って?」
お腹痛も同じような事かわからへん。自分の
マサト「あのね、僕掃除するじゃないですか。確
中でどこかメッセージを発しないといけな
かあの時、普通の部屋の掃除じゃなくて、外
い、でも上手く口でも言えないし、人との関
に出る掃除で、僕が、「金くれるんですか」
係の中でも上手くやれない。体が一つメッセ
みたいに言ったんですよ。思わずね。それが
ージを出したのかもわからないなと。それで
塾長からしたら「なんやこの子」みたいな感
まあここにやってきた」
じで思われた」
マサト「その時のおれを知ってるのは、塾長とツ
塾長「違う違う。まず、マサトの最初の印象で、 「掃
ヨシ君しかおらへんかな。今いる人では。そ
除をどうしてしないといけないのや」という
の時からここでの出会いと別れというのを
思いを持ってるなっていうのがあったの。マ
何回も何回も経験してきたんですけど、とて
サトがよく言ってたのは、「授業料払ってる
も印象に残る。記憶に残る人がいっぱいいた
のにどうして掃除せなあかんの」とか。そう
ね」
いう発想」 マサト「まあ卖純に疑問があったのかも分からな
ここで私は、自分なりの方法でこれまで
いですけど」
のマサトの話を振り返ります。私のコトバ
塾長「いや、もっと言ったら、「マサト君、これお
で彼の語りを語り直すという作業をおこな
願いな」って言った事について、彼は大体「え
ったのです。ここでの私の語りは、マサト
~、なんで~?」みたいな。わりとそんな感
というよりも、むしろ聴衆者に向けられて
じでいつも文句を言う」
います。聴衆者にわかりやすいように、語
マサト「ただね、そうは言っても中2の時はおれ
り直しを行っているのです。それは彼の語
素直でしたよ。中2の時は、そんなに悪意な
りと私の語りの重なりでもあり、相互的な
かったですよ、そういう」
やり取りの中から生じた共同の語りである
村岡「言うてしもたんやな。なんかこう…」
と言えるかもしれません。また、その語り
マサト「うん。ほんまに、さっきも言ってたけど、
の矛先は聴衆者に向けられているので、マ
中2の時めっちゃ楽しかったんですよ。まあ
サト自身はこの私の語りを第三者的な立ち
今もいいですけど。その時は知らんことがい
位置で聴くのです。この語りの取り込みが
っぱいあったし、ここに来るたびに発見とか
随分インパクトをもたらすようで、徐々に
があるじゃないですか。そんなことで中2の
マサト自身の中にも何らかの変化が生じて
時、一番楽しかったっていうのがあります。
いきました。
あの時は勉強とかじゃなくて卖純に毎日こ こに来るのが楽しかったかなっていうのが、
塾長「僕がマサトの一番初期の頃に対して持って
正直ありましたね」
る印象っていうのは、一つは掃除の話かな」
塾長「では中3の話に。中3でなんでマサトが嫌
23
になったかっていうと、進路を決めないとい
りがいがない。おばあさんは、こうしろと
けない話が出てくるから」
強圧的に言ってくる。家の中が急に騒がし
マサト「それで、僕、当然高校行きたくなかった
くなっていったのもこの時期です。家族の
んですよ、普通の全日制なんて。あの時おば
機能が歪だったため、その家族にストレス
んの意見もころころ変わって、最初通信制は
がかかってしまうと途端に問題が生じてし
あかんって言われたんです。一時期、今の状
まうのです。そしてマサトは夏休みの間に
態みたいに、ここに来て通信に所属するって
突然太り出していきます。よほど大きなス
いうことが決まったんですよ。そこから何ヶ
トレスを抱えていたのでしょう。
月かして、中 3 の 11 月やったと思うんです けど、もう一回おばんがここあかんって言っ
塾長「それで、とりあえずさっきの話に戻るけれ
たんですよ。それでもうごちゃごちゃあって、
ど、中学2年の印象っていうのが掃除の事。
進路のことで、中3の終わりの頃はボロボロ
あと、高校に行かないっていうことは最初か
やった記憶がありますね。あの時荒れてた記
ら言ってて、生活保護で生きていくようなこ
憶ありますよ」
とも言っていた。要するに、別に働かなくて
塾長「それ小牧先生、知ってますよね?」
いい、親の年金で食べて、親が死んだら生活
小牧「そうやねえ、すごい…」
保護だと。それから、もう一つは2チャンネ
マサト「あのね、ここの夏休み入るくらいまでは、
ル。僕とかもよく分からないのやけれども、
わりと普通だった記憶がある。そこから夏休
コンピュータのネット上の情報をいっぱい
み入るくらいから中3の最後にかけては、本
いろいろ知ってるわけ。それで、相手を論破
当に忘れたいくらいに荒れてた。アホなこと
するっていうのがマサトのやり方だった…」
ばっかしてたなっていう記憶があるんです。
マサト「論破と言うよりも、相手がおれの事何か
それは塾長がよく言う、夏休みに強烈に太っ
言ったら別の話題に変えまくっていって、相
たっていうのもそうなんですけどね」
手の気を落とすみたいな感じやったと思う
塾長「そう、激太りやった。びっくりした」
んですけど」
マイ「それは、ストレスで?」
塾長「それも、マサトの今まで生きてきた過程の
塾長「多分ね」
中で作られてきた方法というのか、そういう ものやと思うのやけど。ただやっぱり気にな
知誠館での生活の中でマサト自身が最も
ってたのが、全部自分中心なので、人の目線
辛かった時期、それが中学 3 年生の後半の
でものを考えたり、人がどういう風に考えて
時期だったのかもしれません。その理由は
るかみたいなのがほとんど欠落してた。彼の
進路決定。どうしても不安が先行する傾向
言う…確かに「周りはほとんど敵やった」。
が強かったマサトにとって、何かを決定す
でもそれは彼、マサトから見たらそういう風
るということは、恐怖の感覚と対峙するこ
に見えてるだけなのかもわからん。ほかの人
とでもあったのです。右と決めても不安に
から見たらそうじゃないかもわからへん。で
なるし左と決めても不安になる。母親はも
も尐なくとも、自分にしか視点がなければ、
っと不安になるので聞けないし、父親は頼
それはみんな敵になるよなって思う」
24
マサト「あのね、今やったらある程度振り返れる
に思わない。そこにマサトなりの筋書きはあ
んですけど、自分が周りを敵やと思ってたじ
るかもしれないけれど、それは普通の論理じ
ゃないですか。自分が周りを敵やって認識す
ゃないっていう事なんや。マサトは自分の論
るしか、自分の生きるモチベーションが保て
理を中心に考えるから、そうするのが当然み
なかったから、周りが敵やって思ってたのか
たいに思うけど、そうじゃない。それがズレ
なっていうのはある。まあ实際敵やったと今
なんや。あの時に何を伝えたかったかってい
でもずっと思ってるけど。だから自分のこと
うと、それはマサトなりの筋書きだけど、ほ
を最優先にしなかったらとても生きれなか
とんどの人はそうじゃないっていうことを
ったっていうのはあったと思いますよ」
伝えないとって思ったわけや。そこらあたり
塾長「まあそうかも、わからん。そういう風な状
が、いろんなことがずれて、いろんなことで
況の中でそうなってたんやろうなと。だから
トラブルが起こったりする種なんかもわか
ここに来て、とりあえずそのあたりをどうい
らへんなって思う場面が、一緒にやってると
う風にマサト自身が学んで、もう尐し生きや
いろんなところで出てくる。そういうことを
すくなってここを巣立っていくのかってい
けっこうずっと言い続けてきたのかもしれ
うのがテーマになっていった。それをどうい
ないなって、思うんや」
う風にしたらいいのかなって思いながら…。 かつて、こんなこともあった。私が何か頼ん
知誠館でのマサトの行動は、いろいろな
だ。するとマサトが「えー」とかまた言うか
ところで物議を呼びました。とにかくいつ
ら、「えーって言うんやったら、もういいわ
も自分の理屈で行動していくので、彼なり
私がするわ」といつも言ってたんや。覚えて
の常識と周りの常識とがいろいろなところ
る?そしたらマサトは「やりますよ、やりま
で衝突するのです。そして衝突するたびに、
すよ」とか言うわけ。それで掃除の時間に、
彼は相手を言葉巧みに論破していきます。
小さな事件が起こる。あの休憩审のところで
この手法は、きっとうまくコミュニケーシ
「床拭いて」ってお願いした時のことだけど、
ョンをとることが難しかった家族の中で、
ふと見るとマサトが足で雑巾がけしている
自分の言い分を通すために彼自身が身につ
わけ。それで私ももう頭に来て、「はあ?」
けてきたものなのでしょう。そしてインタ
みたいな感じになって…」
ーネットから得たたくさんの情報は、論破
マサト「塾長、その時怒りをあらわにしましたよ」
のための材料になっていたのかもしれませ
塾長「それは、でも、普通じゃないって」
ん。
マサト「でも雑巾で廊下拭くじゃないですか。周
私はここでも、俯瞰的な視点に立ってマ
り見たら普通に足で雑巾踏んでやってまし
サトの行動のあり方についての解釈を聴衆
たよ」 村岡「しません、しません」
者に向かって投げかけていきます。ある意
塾長「しないよな?」
味でこのことは、彼の恥ずかしい部分をみ
マサト「だって変わらないじゃないですか」
んなの前でさらけ出すことになるのかもし
塾長「今聞いてみたように、みんなはそういう風
れませんが、そのことでさえ大きな意味が 25
あるのです。なぜなら、これがライフスト
塾長「今の話でも、それはお母さんのパターンと
ーリーという枠組みの中である過去の事实
一緒なんだな。恐ろしく過度な不安っていう
として語られることによって、マサト自身
やつ。道を歩いてたら車がぶつかって来るん
も過去の自分を、現在の自分とは切り離さ
じゃないかとか、考えていたら行動できなく
れた対象として見ることができるからです。
なってくるという話と同じで…。結局、決ま
過去はそうであっても、今は違う。むしろ
った行動パターンしか取れなくなってくる
よくここまで変わったねと感じることが、
っていうことになってしまう。これも本人を
自尊感情を育てるのです。ましてやまわり
不自由にさせているので、何とかそれを解い
の人間は、そんなところを持ったマサトを
てあげないといけないなって思ったのと…」
受け入れようとしていくのです。
マイ「マサト君、ここに来る時は?」 マサト「それは、なんだかんだ自分自身、切羽詰
その後通信制の高校課程へと進学してい
まってたから、その辺の思考も働かなかった
ったマサトは、引き続き知誠館に通い続け
かなって思う。ここに来る時は…」
ることになりました。新しい環境へ移行す
マイ「学校に行かなくっていいんだったら、ここ
ることに対して必要以上に緊張を覚えるマ
に来たいって…?」
サトにとっては、それは最も安心できる結
マサト「それはいいかなっていう感じで、来てた
末であったのかもしれません。
と思うんですよ」 村岡「ここは安心して来たんや?」
小牧「あと2つ印象深いことがあって。一つはオ
マサト「そうですね。安心感っていうのは他のと
ープンキャンパスに「行けや行けや」って塾
こと全然、学校とは段違いっていうかね」
長から言われて…」
小牧「もう一つ印象深かったのは、面談。面談で
マサト「あ、正直に言いますよ、あれは行く気一
お父さんだけ来られた時に、「もう尐しここ
切なかったです」
でお父さんが、父親らしい行動をとらないと
小牧「ただその時の理由の言い方が、なぜ自分は
マサト君にはよくない」という話を塾長から
オープンキャンパスに行かないか。「校門一
随分一生懸命に話してもらって。そしたらそ
歩入ったら誰かから殴りかかられるかも」…
の次の日から、マサト君の態度が違って見え
って」
たことかな…」
マサト「そう思ってましたよ」
マサト「そんなことありました?」
小牧「そういうことを行かない理由として…。ま
小牧「やっぱり違った。おっ何か違う、みたいな」
あ行きたくないにしてもマサト君の場合そ
マサト「その時も多分、おばんとかと話があった
ういうことが行かない理由になってるんや
と思うんですけど、その時に親父が強く出た
なあと。だからすごい印象深い。いや、そん
んやと思う。話す時に。これまであんまりし
なこと起こるわけないやんって言ったら、い
ゃべらなかったんが、わりと言ってくるって
や起きるかもしれないっていう押し問答が
ことはあったかなと思う」
ずっとあった」
小牧「そうそう。 「お父さんが前に出てもらわんと」、
マサト「ありました、ありました」
っていう話を塾長は言ってたから…」
26
マサト「それは確かにあったかもしれない」
作り出してきたのは、彼の育った家族との
塾長「お父さん、そう言ったはったんやね」
関係なのではないかと考えていたからです。
マサト「でも確かに当初に比べたら、親父も随分
そしてその家族への介入については、お父
こういうところに来るようになったなって
さんがキーパーソンだと考えました。極端
思いますね」
に不安性なお母さんを支えるためにおばあ さんが表に出てしまうことはしかたのない
塾長「毎回来られてた。面談したらお父さんが理 解して、お母さんに対して説明してくれる。
ことなので、そのおばあさんを抑えるので
でも、お母さんはその説明うけてもまだなん
はなく、お父さんに表に出る勇気を持って
かやっぱり不安なんだろうなって…」
もらう。そうすることでお父さんとお母さ
マサト「一回親父が来ないで、おかんだけがここ
んという家族の中心的な機能を回復させ、
に来て、話聞くじゃないですか。おかんだけ
おばあさん自身も尐しは安心させてあげる。
やったら、正直面談が終わらないんじゃない
それが私たちの面談の大きな狙いでもあり
かと思うくらいですよ。何回も何回も聞き直
ました。
さないと…」 塾長「ある時なんか、面談終わって家に帰ってか
マサトの家族は、そういった意味では劇
ら 10 回くらい電話かけてこられたこともあ
的な変化を示してくれました。お父さんが
ったなあ。「これはどうなんですか、これは
がんばったことで、しっかりと表に出てお
どうなんですか?」って…」
母さんをサポートする体制が急速に出来上
小牧「でもお父さんが一緒に来てくれるようにな
がっていったのです。マサトの家に、家族
ると、お母さん「これどうなんやろう」って
という本来の機能が生まれていった瞬間で
聞かれても、「家帰ってお父さんに聞いても
もありました。その後面談の機会には、い
らったらいいですよ。お父さんがちゃんと理
つもお父さんとお母さんが仲良くそろって
解してくれてますからね」って言えて…」
来られるようになりました。お二人はまる
マサト「それは本当。中3の担任が家に来るじゃ
でオシドリのように、いつもそろって私た
ないですか、その時にもおかんは何回も何回
ちの話に耳を傾けてくださるようになった
も聞き直すんですよ。その時に、おれなり親
のです。
父なりが一緒に話聞いて、担任もおれや親父 が分かってますから、まあまあ聞いてくださ
塾長「だから、お母さんと同じような傾向ってい
い、みたいな感じ。おかんしかいなかったら
うのは、基本的にはやっぱり持ってしまって
本当に話終わらないくらい、おかんは聞き直
る部分がある。別にそれがいいとか悪いとか
すっていう感じなんで。おれもわりと聞き直
じゃない。でも不自由な状態よりは、自由な
す方なんですけど、おかんはおれよりはるか
方がいいんじゃないかって思う。それをもっ
に何回も聞き直すんや」
と自由にできれたらいいのにねって思うん や。それで、オープンキャンパス。さっき尐
家族への介入、このことを私たちはとて
し話が出たけれど、高校どうするっていうの
も意識的に行いました。彼の偏った認知を
は、タエちゃんともこのあいだ尐ししゃべっ
27
たし、ユキちゃんともタイチともこれからし
けど、あのオープンキャンパスにマサトが行
ゃべっていかないといけないんだけれど…。
けたっていうことはものすごく大きいかっ
マサトが中3の時もこんな話をやってきた
たみたい。中学の時に行けなかったものを、
んや。それで、マサトは中学の時は勉強はそ
もう1回チャンスがあって自分で行けるよ
こそこできた。だから普通に高校行ったらい
うになった。しかも一人で行って僕がついて
いなって思ってた。それで、もう一人同じ学
いったわけでもないし。それで、その事がひ
校から来てる女の子がいて、この子は○○高
とつの足がかりになって、京都府の職親とい
校の特進コースに行った。今もルンルンでや
うプログラムに参加していて、岡田さんって
ってるみたいだけど、その子と比べると、マ
いう臨床心理士の人にフォローしてもらい
サトの方が勉強できた。その子は最初オール
ながら、いろんな活動に参加している。その
2とかの成績で、そんな状況だったけれども
ことが将来的には、アルバイトっていうこと
ちゃんと進学していった。だからマサトも
につながればいいなっていうイメージがあ
「高校行ったら」って、ずいぶんいろいろと
るんや」
言ってたのだけれど、「うーん、やっぱり不
マサト「まあ、まあ、まあ」
安や…」とかなんとかって…。結局、○○高
塾長「それで明日、その岡田君が来られるわけ。
校のオープンキャンパスっていうのをセッ
2回目なんだけど。このあいだは、挨拶。今
ティングした。マサトはそんなの全く行く気
度は、具体的にどういう風にしていこうかっ
なかったとか言うのだけれど、多分それはあ
という計画。でも、その前に彼がオープンキ
り得ない。私はいろいろ話しながら、進路の
ャンパスに行けたっていうことが、ものすご
ことを聞いてるはずなんや。マサトの意思も
く大きい。これがまあ、大事な足がかりにな
ないのに無理やりのようなセッティングは
って、知誠館以外の世界、自分の知らない世
絶対してない。だからマサトは、どこかで行
界へとマサト自身が動けることができれば、
ってみるっていう話をその時にしてたんだ
またひとつ自由になれる気がするんだけれ
と思う。じゃないと、頼んだら失礼でしょ。
どなあ―そんな思いがあるわけ。それでどう
向こうの先生に「マサト君をお願いします」
なの、ここに来てからもうずいぶん時間がた
って言ったのに。だから結局、あの時は…」
っているけれど、自分の変化っていうのか、
マサト「いや、あの時は仕方なく「行く」って言
自分は尐しずつ変わってきたなって思う?」
ったんだけれど、本当は行く気はゼロでし
マサト「あのね、それはずっとおるから、自分の
た」
考えとか変わっていってるとは思うんです
塾長「まあいいわ。それで、中学 3 年の時は行け
けれど…。変わったとは思います」
なかったんや。でもその後、この前大学のオ
塾長「どんなところが?」
ープンキャンパスに行けた。あのころ行けな
マサト「まだまだ、あれですけど、本当に最初の
かったものが行けた、クリアできたな、って
頃に比べたら尐しは自制がきくようになっ
いうことで僕としてはとても喜んでる」
たかなって思います」
マサト「長い歳月でしたけどね」
塾長「自制?自分をコントロールできるってこ
塾長「まあそうやな。それで、今に戻ってしまう
と?」
28
マサト「まあ、まだまだですけどね。いやでもね、
に。だから塾長がおっしゃるように、ここで
そういうところとかかな…。今でも思い出し
の行動とか言動とかと、当時のそれとは全然
てみると、中3の頃は本当に荒れた。中3の
違うっていうのは確かにそう思う」
頃は悪いところが出まくっていた記憶しか
その後、マサトはずいぶん安定し始め、
ない」 塾長「あとまだここが、1年半くらいは十分ある。
今度は自分の大学への進路を考えるために
なので、1年半の間にもっともっと変わって
オープンキャンパスへと足を運ぶようにな
いってくれればいいなと思うのやけれど。あ
っていきました。中学 3 年生の時には、い
の…、僕が今日の話で印象深かったのは、自
くら言っても越えることのできなかったハ
分以外の 95%が敵、っていうイメージの中で
ードルを 2 年後の今、彼は一人で越えるこ
彼は生きてたんだなって…」
とができたのです。そしてこのことをきっ
マサト「まあ、それは今でも変わってませんけど
かけに、彼はボランティアや就労研修とい
ね。今でも同級生は敵ですよ。ここは全然ち
った新しいグループにもどんどん関わって
がいますけどね」
いけるようになります。マサトの社会性が、
塾長「だからその…、これからも知誠館以外の世
何かをきっかけにして堰を切るように開か
界を知って、その世界は 95%以上敵ではない
れていったのがわかります。彼が不安を自
と思う。そんな世界がどんどん増えていけば、
分で越えはじめたのです。
君の知ってる世界の中の嫌な部分っていう のは、すごい尐なくなるかもしれないなって
何が彼をそんな風に変容させていったの
思う。だから世界を広げないといけないって
でしょうか?あるいは今まで支配していた
思うんや。あとは…、それは敵がない社会の
囚われから、何が彼自身を解放したのでし
方がいいやんか。ここは敵のない社会だって
ょうか?その要因は、いくつもあったよう
思えるわけでしょ?」
に思います。知誠館という安心できる場所
マサト「そうですね」
の確保、自律的な学びの習得、家族機能の
塾長「多分、ここでのマサトの振る舞い、行動、
回復、仲間との関係、自分の過去を対象化
言動は、すごく敵が多かった時のマサトの振
させていく経験…、これらの活動が有機的
る舞い、行動、言動とは随分違うじゃないか
な関連をもって重ねられていく時、気がつ
なって思う」
けば、彼自身の変容につながっていったの ではないでしょうか?
マサト「あのー、思うんですけど、学校へ行って た頃は、自分で自分を押し殺してたって言え ばいいんですかね。全く何も出さなかったん
塾長「もうぼつぼつ時間切れかなと思うので、ち
ですよ。实際ここ来てから、趣味のこととか
ょっと一言ずつ…」
言動とか、何をとってもそうなんですけど、
小牧「はい。僕ねえ、マサト君に初めて会った時
とりあえず出してるっていうか。自分を前面
の印象。機関銃のようにしゃべる子で、僕こ
に押し出してる。それがここに来る前は完全
の子の相手できるかなって一瞬不安になっ
に殺してたみたいな感覚はあったから、本当
た。でも、ほんま変わった。最初はね、周り
29
の人間が見えてないっていうのはすごくあ
ヨシコ「そういう話聞いてて、考えられへんなー
ったんやけど、周りの人間をよく見るように
と思って聞いてた」
なったなと。それはすごく思います」
マサト「あ、そうなの?」
塾長「ヒロシ君どうですか」
ヨシコ「うん。めっちゃしゃべってるやん、ここ
ヒロシ「はあ、何でそんな小難しい言葉を使うん
で」
かなあと」
塾長「じゃあどうぞ。マサト君ってこういう人生
マサト「おれ使ってた?」
を送ってきやはったんや」
ヒロシ「使ってる」
タカシ「えー…でも、なんでもかんでも全部おば
マサト「例えば?」
あちゃんが決めてたんやな」
ヒロシ「自己保身とか…」
マサト「あー、それはいい意味でも悪い意味でも
マサト「そんなん難しいって、普通違うんか?難
本当おばんがおらんかったら、おれの家はも
しい?」
う空回りしてたっていうか。まあ他人から見
ヒロシ「いちいち漢字の言葉を…、悪口を誹謗中
たらそうなるんやね。わりと古い家系ってい
傷とかって言うと一気に…」
うか。一番上が一番偉い、とか」
マサト「そっちの方が表現として正しいかと思っ
塾長「だから小牧先生が言ったように、お父さん
てそう言うたけど、そうか」
がキーになる人だってずっと思ってた。なの
マイ「でもそう言ったらちょっと頭いいって思っ
で僕はあのときお父さんに勝負をかけた。お
てもらえるとか…。私なんか、誹謗中傷とか
父さんがこの子を救えるかどうかだって。だ
言われても分からへんし…」
からあれはお父さんがすごい。あれは大きか
塾長「じゃあマイさん、どうぞ」
ったよね。はい、どうぞ」
マイ「そうやねえ、私はまあ2ヶ月くらいですけ
サヨ「いろいろ大変なんやなあと、思いました」
ど、そんな落ちた時があったのかと。こんな
塾長「サヨちゃんはいじめられたことは?」
にしゃべるのに。ガーッて喋るじゃないです
サヨ「あのー…おばさんの先生に」
か。むしろやられたら言い返しそうやのに。
塾長「ああ、○○中学の先生」
そういう一面もあったんやなと。ええ子なん
マサト「ああ、あるで、そういうの」
やね」
マイ「先生がどういじめるの?ちょっと意地悪す
塾長「じゃあ、ヨシコちゃん」
る感じ?」
ヨシコ「えっと…めっちゃ最初から話してた感じ
サヨ「サヨだけ、宿題ぶわーって出したりとか…」
がしてて。だけど一緒の中学校やった子がい
塾長「まあ、女子校なんでねえ。ちょっと独特の
たやんか。その子は、ここで初めてこんなし
世界があるのかも分からん。はい」
ゃべるんやって気付かはったんやって」
ユリ「あのー…自分も来てた時に全然知らなかっ
塾長「そうや、学校では何もしゃべらへんって言
たんで、共通点とか、こういうことがあった
ってたよな」
んだ、っていろいろを知れてよかったです」
マサト「だからその辺が自分を押し殺してた、ほ
タケシ「さっきマサト君の話にあったように、や
んまそのままそういう…」
っぱりおばあちゃんが大変だから…。感想っ
塾長「ごめん、それで?」
て、まあ、彼は変わったですよ。週 4 日いる
30
じゃないですか。それだと分かりにくいけど、
分が変わっていってくれたらいいなと。だか
この前学園のオープンキャンパス行けて、あ
ら嫌われるのを承知で、これからもいろいろ
あ行けたんやって。前はそういうの無理やっ
また言いますからね」
たと思うけど、行けたのは成長したんじゃな
語り場の最後は、今日のセッションその
いかと…」 塾長「一忚そういうような感じで。私はマサトに
ものを全員で振り返ります。若者たちがこ
はつい最近しゃべったけど、けっこういじめ
れまで自分の辛い経験として封印してきた
てるん違うかっていうくらい、めちゃくちゃ
過去に向き合う場面を、彼の仲間たちがじ
言ってるときもあります。今まであれやこれ
っと見届けるのです。またこのセッション
やと。それで、私の望みっていうのか、それ
は、当事者が自分自身を振り返る機会であ
はやっぱり、もっと自由に生きてほしいなっ
ると同時に、参加者にとっても自分を振り
ていう事。だから自由に生きれるために何が
返る機会になっています。そういった意味
必要なんやろうかって。親子やからやっぱり
では、誰もが为体的に参加している場と言
似ているところはある。お母さんの持ってる
えるかもしれません。
ものを自身が受け継いできたというのか。そ
「高校へは行かない、働く気もない、生
ういう環境の中で小さいころから育ってき
活保護で生きていく」と言っていたマサト。
てるわけだから、その影響ってものすごく大
その背景にあったのは、彼の偏った認知だ
きいのかもしれないなって思う。それで、お
ったのかもしれません。その認知が 95%の
母さんには、おばあさんがいた。でもマサト
敵を作り出していたのかもしれないのです。
が大人になる頃には、もうおばあさんは亡く
しかし、その偏った認知は彼の育った家庭
なってる可能性が高いかもしれんな。だから、
の構造と決して無縁なものではなく、その
マサトには誰がつく?お母ちゃんは、おばあ
家庭環境に適忚していくために必然的に身
さんの代わりには絶対なれないからね。お父
につけられたものかもしれません。しかし、
さんも多分なれない。だからマサトは一人で
そんな状況の中からマサトは変わり始めよ
立たないといけない。その為に必要な事って
うとします。不安が先行するため、あらゆ
いうのは、いろんな人と関係を作ったりとか、
る提案に対しても一度は一定の抵抗を示す
そういう中で上手くやっていったりとか、自
ものの、変わろうとしていくのです。そこ
分も上手く为張しなければいけない。そうい
には、彼自身が日々の学びを通して積み上
う風なものをあと一年半の中で身につけて
げてきた自信と、仲間たちとの絆があった
行ってもらえればなと思うんや。ここは居心
のかもしれません。
地がいい場所やとは思うのだけれど、ここに ずっといれるわけではない。また私もいつま
マサトのエピソードが語りかけるもの。
でもマサトにいてもらうのはよくないなと
そのひとつは、不登校の問題の所在がいっ
思うので、必ず巣立ってもらわないといけな
たいどこにあったのかということだったよ
いと思うので、限られた時間の中でもっとも
うに思います。確かに彼の行動に対する違
っといろんなことを学んでくれて、もっと自
和感は、いとも簡卖に「課題を抱えたマサ 31
ト」という像を作り出していきました。し
肢はありませんが、その枠を外すことで行
かし、彼が育った背景の中には、課題を持
動そのものを選択できるようになるという
った母親がいて、それをフォローするため
こと。これがマサトに対して、私たちが最
の独特な家族の構造と、独特な家族の機能
も望んでいたことだったのかもしれません。
があったわけです。マサトはそんな家族に
しかしその枠を外すためには、いくつかの
適忚する形で、自身の認知や行動パターン
ステップが必要となります。まずマサトが
を作ってきたのかもしれないのです。つま
その枠の存在、あるいは囚われの状態にあ
り個人の課題は、それと切り離すことので
ることを理解すること。そしてその枠を超
きない社会との関係の中で考えるべき問題
えたところに、より自由な世界があるとい
なのです。
うことを知ってもらうこと。さらに、その 枠を越える勇気を手に入れてもらうこと。
ところが「心理为義」 、あるいは「セラピ ー文化」が叫ばれつつある現代においては、
これらのステップを歩んでいくためには、
どうしても個人の心理的な側面に焦点が当
必ずと言っていいほど、他者の視点が必要
たる傾向にあります。個人の発達であった
になります。自分とは違ったものの捉え方
り、認知であったり、あるいは行動特性の
がないと、枠そのものが見えてこないため
中に問題の原因を見出そうとする傾向が強
です。他者の視点は、自分を脅かすもので
くなるのです。だからこそあえて、その個
はなく、自分のこれまでの枠を越えるため
人を支える、あるいは影響を及ぼしている
に必要なものであるということ。それをマ
社会そのもののあり方を省察的に問う流れ
サトが受け入れるかどうかが、大切な岐路
を作り出さないといけないように思うので
でもあったのです。今回の森の語り場は、
す。
そんな岐路に立つマサトにとって、何らか の意味を作ったのかもしれません。
さらにマサトのエピソードでは、マサト 自身の認知や行動の囚われということが問 われていたように思います。強い不安から 彼は同じパターンでしか行動できなくなっ ていました。その限られた行動のパターン に対して彼はいろいろな言い訳を用意する のですが、結局はそこから解放されません。 すなわち同じ行動をとり続けざるを得ない ということが、大変不自由な状態を作り出 していたのです。 その不自由さからどう解放されていくの か。つまり、囚われの状態では行動の選択 32
2. 前を向いて歩いて行こう
塾長「発達障害があって。○○○って知ってる? 説明してあげて」
いつも俯いてばかりいる女の子がいまし
ヨシコ「筋肉が衰えていって、最終的に体が動か
た。長い髪が顔にかかり、小学校の時は「お
なくなる…段々ひどくなっていく。普通に歩け
ばけ」と呼ばれていじめられていたと言い
ないだけじゃなくって、段々動けなくなってく
ます。かわいい女の子なのに、どうしてな
る。腕とかも使えなくなってくる」
のだろうと私たちは不思議に思ったもので
塾長「ヨシコちゃんの記憶の中で、ほんまに小さ
すが、次第に極端なまでの彼女の自信のな
い頃はお兄ちゃんと一緒に走って遊んだりとか
さが見えてきました。
っていう記憶はあるの?」 ヨシコ「普通にあります。車椅子になったのが小
「私はダメな人間なんだ」
学校3年生くらい? でもその前からこけたら
「私はできそこない」
起き上がれないとか、そういうのはあったんで
「私は役に立てない」
すけど」 塾長「そしたら小学校3年生くらいまでは歩いて
彼女の中には、自分を否定するコトバが
たっていうことやな?」
一杯詰まっていました。そんなコトバを一
ヨシコ「はい、歩いたりしてました」
枚一枚はがすかのように、私たちは彼女に
塾長「で、小学校3年生で普通の車椅子になって」
ゆっくりゆっくり関わり始めました。
ヨシコ「その時はまだちょっと手も動いてた」 塾長「手も動いてた。それが手も動かなくなった
何が彼女の自信を失わせていったのか?
のはいつくらいから? 本当に結構大変な
そんな彼女の自信を回復させるにはどうす
状態になったのは?」
ればいいのか?そして、これから彼女はど
ヨシコ「あんまり覚えてないですけど…小学校高
ういうキャリアをたどっていけばいいの
学年くらいだったと思います」
か?さまざまな問いが、私たちの頭の中を
塾長「…という風に、段々段々こういう風になっ
めぐっていました。そんな中、彼女をゲス
ていく病気…障害と言うべきかも分からへ
トに迎えた森の語り場が始まりました。
ん。生まれつき?」 ヨシコ「そうですね」
塾長「ヨシコちゃんのことは、私はけっこういろ
塾長「今はどんな状態になっているの?、今動か
いろ話を聞いてるんやけど…。家にはおじい
せるところはどこなの?」
ちゃんおばあちゃんがおられて、あとお母さ
ヨシコ「えっと…手とか足とかはちょっとしか動
んがいて。お兄ちゃんがいます。お兄ちゃん
かないんですけど…普通にご飯とか食べた
は…高校何年生?いくつ違うの?」
りとかしています」
ヨシコ「2歳…?」
塾長「ご飯はどうやって食べたはるの?」
塾長「2つ違いのお兄ちゃんがおられます。で、
ヨシコ「お母さんが食べさせてあげてます」
お兄ちゃんは…○○○という難病だよね」
塾長「ご飯は食べられる? 噛んだりはできる?」
ヨシコ「あと、発達障害があります」
ヨシコ「噛んだりはできます」
33
塾長「あ、それはできるんだね」
んですが、その兄弟もまた辛い状況にある
ヨシコ「でも、だいぶ呼吸とかがしにくくなって
ことを私たちは忘れてはならないのです。
呼吸器とかつけるようにはなりました」 塾長「言ってたなあ。だから、夜寝る時は呼吸器?
ヨシコは健常であるがゆえに、兄との比
それを夜つけないといけないっていう感
較の対象となってしまいます。彼女には、
じ?」
「あなたは健康なんだから…」というプレ
ヨシコ「はい」
ッシャーが常にかかり、そのプレッシャー
塾長「今はそんな風になってるんだね。それで、
に彼女自身は押しつぶされそうになって生 きてきたのかもしれません。
ヨシコちゃんにとってお兄ちゃんの存在っ ていうのは結構大きい存在なの? ヨシコ ちゃんの人生とは結構関わりが深い? お
塾長「お兄ちゃんっていうのは○○○っていう重
兄ちゃんのことは、よく言ってるよね」
い障害があって、それにプラスしてこだわり
ヨシコ「結構腹立つこと言ってますね」
が結構あるので、いろいろ面倒みるのは大変
塾長「例えばどんなこと?」
なんやね、きっと。で、一番大変なのは、お
ヨシコ「例えばその…お兄ちゃん自身が発達障害
母さん。お母さんはものすごくストレスを抱
があるので、言うことが小学校低学年くらい
えたはることになるわけや、きっと」
のことだったりとか、あるいはちょっとした
ヨシコ「お母さん、夜もほとんど寝てはらへん…」
ことにすごくこだわったりする。例えば、た
塾長「夜は何をしてあげないとあかんの?」
だ卖にちょっとした冗談とかで、うるさいと
ヨシコ「寝返りとか」
か言うんですよ。ちょっとした冗談で。そし
塾長「ああ。寝返りがうてないわけや。だからお
たら、それを何で言ったかっていうことをず
母さんは夜もゆっくり寝れへんみたいな状
ーっと聞いてくる…」
況があって、ストレスが高くなって。で、ど
塾長「こだわりがあるんやな。それでそのことを
うなるわけ?」
ずーっと言い続けるみたいな」
ヨシコ「それでまたお兄ちゃんがそういうこと言
ヨシコ「それで軽くあしらったら、もっと言って
うんでストレスが溜まって怒って、大きい声
くるみたいな感じなんです」
でうるさいって言ってお母さんとおばあち ゃんが喧嘩になって…、おばあちゃんがねち
ヨシコには、重度の○○○という難病に
ねち言わはる人なんで、結構怖いんですよ
加えて発達障害を持つ、2 歳年上のお兄ち
ね」
ゃんがいました。通常、重い障害のある兄
塾長「そうか。お母さんとお兄ちゃんのトラブル
弟を持つ子どもがいた場合、その子も厳し
があったら、一緒に住んでるおばあちゃんが
い状況におかれてしまうことが多くなりま
お母さんを責めはるわけや、きっと」
す。その理由は、家族の関心がその障害を
ヨシコ「はい。おばあちゃんも、家族に体が動か
持った兄弟に集中するからです。これは、
ない人がいました。それでその人を中心に全
不登校やひきこもりの経験を持つ子どもの
部やっていかないといけないっていう考え
場合も同じです。当事者が辛いのはもちろ
の人なんです」
34
塾長「それ、おばあさんの誰やった?」
多分おばあさんも…」
ヨシコ「多分兄弟かな?」
ヨシコ「おじいちゃんとおばあちゃんが強烈です」
塾長「おばあさんの兄弟の人にも筋ジスの人がい
塾長「おじいちゃんとおばあちゃんが強烈?どう
て、その人は大事にしないとだめっていう考
いう風に?」
えがあるんだね」
ヨシコ「おばあちゃんの場合は結構…嫌味という
ヨシコ「まあその人は結構普通の頭の人だったん
か、すぐ言ってきたりとか」
ですけど…」
塾長「ヨシコちゃんに?」
塾長「ああ、その人は○○○という難病やったけ
ヨシコ「はい。おじいちゃんとかでも、結構おじ
ど発達障害はなかったわけや」
いちゃんって自分が正しいと思ったことは
ヨシコ「はい。なので、その人はこういう時に用
絶対にもう正しいから、おじいちゃんと反対
事言っちゃダメとか、理解はしたはったんで
のことを言ったりすると怒らはるんです
す」
よ。」
塾長「理解はしたはったわけや。ところがお兄ち
アキ「お母さんとそのおばあちゃんっていうのは
ゃんは、そこを理解するのがなかなか難しい
嫁と姑なん?」
ので、そこでトラブルが起こって…」
ヨシコ「じゃなくて…」
ヨシコ「そうなんですよ」
塾長「ほんまの親子なんや。だから同じパターン
塾長「そしたらお母さんもますますストレスがか
や」
かっていくやんか。そうするとどうなるわ
アキ「ああ…」
け? ヨシコちゃんにも当たってきたりと
ヨシコ「お父さんとは、その…離婚したんです」
か…」
塾長「そう。ヨシコちゃんのお母さんは離婚した
ヨシコ「時々あります」
はるわけや」
塾長「どんな風になるの、それは」
ヨシコ「はい」
ヨシコ「ええ…学校行けてないことを言ってきた
塾長「まあでもおばあさんからしたら、お母さん
りとか…」
が自分の娘やからきつく言えるのかもわか
塾長「お母さんが言わはるわけ?」
らん」
ヨシコ「まあ…時々。一番言うのはおばあちゃん
ヨシコ「お母さん、結婚する前からずっと神経質
ですけど」
になってて、それでもおばあちゃんとかは全
塾長「それどんな風に言うの?」
然助けてくれなくって…」
ヨシコ「なんか…行けてたらそこまで面倒掛から
塾長「ああ…結婚する前にお母さんは精神的にし
ずに済んだのにとか…」
んどくなったはったわけ?」
塾長「前にちょっと言ってくれたよね。 「体がちゃ
ヨシコ「はい。お母さん小学生の頃から結構いじ
んとしてるのに、何でそんな面倒かけるん
められたりしてたみたいで。しかもおばあち
や」って言われたって、そんな感じ?」
ゃんとかも気に入らないことがあったらす
ヨシコ「はい…そうです」
ぐ怒るんで…」
塾長「…という風に、ヨシコちゃんの場合お兄ち
塾長「お母さんも責められてたわけや。というこ
ゃんの存在っていうのが結構大きい。それと、
35
とは、お母さんも結構つらかったんや。そう
いう状況なんやな。何かここら辺までで思う
たしっていう気持ちもあるし。出て行くから
こととかありますか?」
には経済的にはお寺以外での仕事もしない
アキ「いや…ありすぎて言えませんね」
とだめやけど、そういうのもなかなか厳しい
ヨシコ「…変な家なんで、うちの家…。何て言っ
っていうのもあって、出るに出られへんって
たらいいのか、頭おかしいって言っちゃ悪い
いう状況なんやね」
んですけど、ほんと、おかしいんですよ…」
アキ「なんかジレンマみたいな感じ…」
塾長「どういうところが一番おかしいなと思うの
お兄ちゃんの世話をめぐっては、その問
かなあ?」
題故に家族の中に独自のシステムを作り出
ヨシコ「うーん…説明しにくいんですけど…、例 えば、お母さんの話とかをずっと聞いている
していきます。特に、お兄ちゃんには発達
と、おじいちゃんの話でも矛盾してることや
障害があるということもあり、家族内のコ
おかしいって思うことが結構あったり」
ミュニケーションにおいても難しい側面が
塾長「あ、お母さんは結構ヨシコちゃんにいろん
際立ち、そこから様々なトラブルが生じる
なことをしゃべったりするわけや?」
ことになるのです。そんなトラブルを介し
ヨシコ「はい。昔のことを…」
て、おばあさんが实の娘であるヨシコのお
塾長「聞き役なんや」
母さんにきつく当たり、そのイライラがヨ
ヨシコ「はい、結構聞きます」
シコに向かうというようなストレス・パス
塾長「この子、偉いよねえ」
を含んだシステムが出来上がっているよう
村岡「うん」
に見受けられました。そしてそれが繰り返
アキ「それは、いっつも思うけど」
されることによって、そのシステムが強化
ヨシコ「それでおじいちゃんとかおばあちゃんは
されていったのです。ヨシコの中にある強 迫的な認知の構造は、このお兄ちゃんをめ
あんまり好きになれない…」
ぐる家族内システムときわめて深い関係が
塾長「ああ…そうか。お母さんの愚痴は、大体お
あるのでしょう。
じいちゃんとかおばあちゃんとのことが多 いの?」 ヨシコ「まあ、そういうことを結構言います。や
塾長「そうそう。それでお兄ちゃんも結構大変や
っぱり、お母さんが家を出て行かない理由は、
し…なるほど。じゃあ尐しだけ話を変えてい
お寺で今安定した生活もできてるし、今まで
って。ヨシコちゃんは学校が行きにくくなっ
育ててきてもらったことがあるから、その恩
た時っていうのは大体いつ頃からなの?」
返しで家にいるんやって言ったはったんで
ヨシコ「えっと、小学校5年生…」
…。昔風のそういう感じのところが結構残っ
塾長「5年までは全然大丈夫だったの? 学校、
てるんですよ。でも世話になったから、そん
楽しかった?」
な…無下にできないっていう…」
ヨシコ「そこまで楽しくはなかった…」
塾長「まあ、お母さん的には、ほんまはお寺から
塾長「あんまり楽しいところではなかった?」
出ていきたいっていう気持ちはあるんやけ
ヨシコ「結構暗かったんで、全然しゃべらないし。
ど、おじいちゃんおばあちゃんに世話になっ
黙ってずっと本読んだりしてたんで…」
36
塾長「それは小学校入学した時から?」
て…。その子にまた中学校の入学式の時に会
ヨシコ「1年生くらいは全然そんなことはなかっ
ったらやっぱり嫌な顔されて。なんかもう
たんですけど、3、4年くらいから…」
…」
塾長「3、4年くらいから段々しゃべらないよう
塾長「恨まれるっていう感じ?「お前のせいや」
になって。ポツっと孤立していくわけや?」
みたいな。そうか…。その先生としたら、そ
ヨシコ「はい。友達はいて、しゃべったりはして
うしてあげることがいいって思ってやらは
たんですけど、その子たちには他にも友達が
ったわけやけど、ヨシコからしたら、余計な
いたんでそっちに行って。それで、自分だけ
おせっかいみたいな、そんな感じだったわけ
一人で本読んだりして…」
やな?」
塾長「それ小学校3年くらいから?」
ヨシコ「はい」
ヨシコ「3年くらいから…」
塾長「…そんなんことがあって。友達とも難しく
塾長「それから5年になって、今度は行きにくく
なって、学校の先生とも難しくなって…それ
なったわけや? 何かきっかけみたいなの
で行きづらくなったわけや」
はある?」
ヨシコ「6年生になって先生もクラスも変わった
ヨシコ「きっかけっていうか…、私、暗くて何か
んですけど、やっぱりどうしても5年の時全
言われたらすぐオドオドなっちゃうんで、そ
然行ってなかったんで、なんか一気に行けな
れで結構きつく言われたりして…」
くなって…」
塾長「「どっちやな!」とか、「はっきり言いや!」
塾長「だから5、6年はほとんど行ってないんや」
とか?」
ヨシコ「多分5年生の最後の方は、ちょっとだけ
ヨシコ「はい…、それで、先生ともあんまり上手
行ってたようには思うんですが…」
くいかなくって…」
塾長「友達から、何かいろいろ言われたりするこ
塾長「どんな風に上手くいかなかったの? 5年
ともあったわけ?」
の時?」
ヨシコ「えっと…何で学校来てないの、とか…多
ヨシコ「5年の時。体育系の先生だったんで、す
分5年生の最後くらいから、適忚指導教审が
ごく合わなかったんです。それから結構言わ
あって、そこにずっと行ってて。6年生もほ
れるようになったし、行けなくなってから先
とんどそこに行ってたんで」
生に、「どこが嫌やったの?」とかそういう
塾長「そこは、ほとんど誰も行ってなかったんや
ことを言われて。そういうのをただ卖に聞い
ね?尐ない人数で」
てくれるだけなのかなって思ったら、その子
ヨシコ「えっと…一人でしたね」
を連れてきて謝らせることまでやらはった
塾長「そう。ヨシコが行ってたところは一人やっ
んですよ」
た」
塾長「そうするとどうなるわけ? ヨシコはどん
村岡「全市の中で?」
な気持ちになるの?」
塾長「全市の中で一人しかいない。それで途中か
ヨシコ「すごく居づらく…」
ら二人になって。そういうところに彼女は行
塾長「居づらくなる?」
ってたわけや」
ヨシコ「はい。それでまた戻りにくくなっていっ
ヨシコ「はい。それで中学校に入って図書館のと
37
ころの適忚指導教审に行ってみたら、そこが
いて歩けるようにしたいな」っていう思いが
あまりにひどいというか…全然勉強もでき
めちゃくちゃあったんで、私の中での指導目
ないし…」
標はヨシコちゃんに前を向いてもらうこと。
塾長「勉強してなかって、いったい何をしてるわ
この子が前を向いて歩けるようになったら
け? そこはもう尐し人数もいるの?」
いいのになっていう。そればっかり考えてい
ヨシコ「はい。いっぱいいて勉強もしてるんです
た。それからあと、誰とも全然しゃべれてい
けど、途中から皆飽きてきて音楽流し始めた
なかったと思うなあ」
り。全然勉強ってやらなくて。あんまり先生
ヨシコ「しゃべれませんでした」
もそれについて注意もしないし」
塾長「蚊の鳴くような声でしか、返事ができない
塾長「それから、そこも途中で行かなくなったん
っていうのか。そんな感じやった気がする」
だっけ?」
ヨシコ「はい。全然しゃべれませんでしたし、そ
ヨシコ「知誠館に行くようになってすぐ辞めまし
れで小学校5年生の時も声が小さいってい
た」
うので、「聞えません」って先生からきつく
塾長「そうやったな。あれいつだったっけ? 夏
言われたり…」
だったっけ? 秋だったっけ?」
塾長「そうやな。そんなことがあった。それで…
ヨシコ「秋だったような気がしますけど…」
小学校5、6年と同じ状況があって、中学校
塾長「ちょっと時間的な流れを言っておくと、ヨ
行っても適忚指導教审が結構勉強できない
シコちゃんは5年から学校行かなくなって、
ような話であったので、「もう知誠館に来た
多分それから適忚指導教审に通ってた時に、
らどうですか?」って。お母さんにも話して。
アウラの塾生として入ったんや。その時は不
それで来ることになったんやな?」
登校とかいうことじゃなくって、学校に通う
ヨシコ「はい」
皆と一緒に勉強してたよね」
そんなヨシコが学校へ行かなくなるのが
ヨシコ「はい」
小学 5 年生の時。彼女の強迫的なプレッシ
塾長「小学生らと一緒に勉強してて。そのまま小 学校卒業するまで、ここで算数とか国語とか
ャーと自信の無さが、複雑化する高学年の
やってたんだよな?」
仲間同士の人間関係に対忚できなかったの かもしれません。
ヨシコ「はい」 塾長「そんな風にやってたんだけど、今学校行っ てないっていうことは聞いていて。それで当
不登校となったヨシコは、学校のすすめ
時の私の記憶では、ヨシコちゃんはいつも下
で市の適忚指導教审に通い始めますが、そ
向いてたんや。ここに皆といても、ずーっと
こでもうまく対忚することができず、やが
下を向いるような感じやった」
て知誠館へとやって来ることになったので
ヨシコ「小学生の時は、ずっとそんな感じでした」
す。学校でも適忚指導教审でも、そして家
アキ「知誠館に来た最初の頃も、そんな感じだっ
でも安心することができなかったヨシコは、 自分の安心できる場を求めてさまよい続け、
たよね」
ようやく知誠館へとたどり着いたのです。
塾長「うん。それで、とにかく「この子を前に向
38
あんまりそこまで、友達という子はいなかっ 塾長「どう、ここに来てからは、自分の意識は変
たです」
化していった?」
塾長「前に一度、私としゃべった時だったかな。
ヨシコ「結構、前を向いてしゃべれるようになっ
その時に「この知誠館にいる時が、自分が一
たかなって…、尐しは知らない人とでも普通
番自分を出せる」って、そんなことをしゃべ
に前向いてしゃべれるようになったんで」
ってくれたような気がする。「なかなか家で
塾長「そうやな。最初は誰と一緒にいたんだっけ?
も自分を出せなくて…」なんてことを言って
誰としゃべっていたんだっけ?」
いたような…」
ヨシコ「えっと…」
ヨシコ「お母さんくらいですね。自分のしたいこ
小牧「サユリちゃん?」
ととかを話せるの。もしも、おじいちゃんと
ヨシコ「途中からサユリちゃんとよく話すように
かおばあちゃんに話してみようものなら…」
なった」
塾長「でも、それはお母さんにとっても言えるわ
塾長「ヨシコちゃんの最初の頃って、どうだっ
け?おじいちゃんやおばあちゃんといると、
た?」
自分の思ってることをしゃべれなかったり
アキ「最初は、あんまりしゃべってなかったけど
っていうのがあるのかもしれないね。だから、
ね」
家もそういう状況があって、学校でもそうだ
塾長「最初、あんまりしゃべってなかった?」
と。だから、知誠館に来ていろんなことをし
アキ「飯食う時も、そんなにしゃべってなかった
ゃべれてよかったなと思って…。それはすご
かな。それでちょっとずつしゃべるようにな
いよかったことなんだって。そう思いません、
っていって。その頃と今とでは全然違うって
村岡先生?」
いうのを覚えてる」
村岡「私は来させてもらった時から、私の方が後
ヨシコ「ご飯の時とかは、みんな結構しゃべって
輩なわけですからいろんなこと教えてもら
くれて…。自分からはあまりしゃべれなかっ
ってるし。それで、いつも塾長が言わはるけ
たんですけど、結構楽しくて…」
ど、人の嫌がることも彼女はするし。「自分
小牧「僕はヨシコちゃんが、結構話しかけてくれ
でやります」って手を挙げてくれるし。すご
たっていう記憶が…」
く…いい子。何も知らなかったら、そうやっ
ヨシコ「ああ…慣れたらだいぶしゃべるようにな
て、いいお嬢さんやなって思うだけなんやけ
ったのかもしれません」
ど、实はその陰にはいろんなことがあって。
塾長「ヨシコちゃん、实はおしゃべりなですよ。
今そのいい子である目の前の彼女は、どれだ
でも多分、今までの友達関係で、「自分がし
け素が出た上でのいい子なのかっていうの
ゃべることで皆から変に思われるのと違う
がわからへんかったりもするんやけど、ここ
やろか」とか、そんな思いが結構あったのか
では本当にいろんな話をしてくれて。だけど、
もしれないね」
すいません私しゃべり過ぎましたって言う
ヨシコ「そこまで仲が良かったわけじゃなかった
時がふとあって。そんなに気を遣わなくてい
んで、クラス変わったりしたら全然しゃべら
いやんここではって。ここはそんなことに気
なくなるような友達もいっぱいいたんで…
を遣わなくていいところであり続けてくれ
39
たら、私のここにいる存在価値みたいなのも
桁とか結構あったよね」
感じるしね。ここではもちろん勉強させても
ヨシコ「ありました」
らうとこっていうのはあるやろうけど、ヨシ
塾長「私とか小牧先生とかは、当時どう思ってた
コちゃんが、今のヨシコちゃんのままでいて
かっていうと、この子はそんな点数を取る子
くれるんやったら、それが一番いいなって思
じゃないのにって思ってたんや。50点くら
う人たちばかりの中にいるんやし。ちょっと
いはとれるかなって思ってたんやけど、結局
嫌なことがあっても、嫌やって言っても全然
もうびくびくしてできないっていうのか。な
ここはかまわないのやろうなっていう気で
ぜかそんな感じやった」
いるんやけど。そこまでは、まだ自分を出し
ヨシコ「緊張してたら知らないうちに時間がすご
てもらってないかな」
く経って…」
塾長「何か思うことある?」
塾長「それが、この前のテストなんかも70点く
アキ「ヨシコちゃんは、最初から丁寧な人やなっ
らいはとっていた」
ていう印象はずっとあって。ヨシコちゃんが
ヨシコ「ずいぶん良くなりました」
知誠館に来たのは、いつでしたっけ?」
塾長「そうやな。ずいぶん普通にとれるようにな
塾長「だから、中1の2学期とかそんなのやから、
っていった。これもすごい変化やなって思っ
今から…えーっと2年前?」
て。彼女がびくびくしなくてもできるように
ヨシコ「はい」
なったっていうのは。すごいなと」
アキ「その時からずっと一緒にいたんですけど、
ヨシコ「まだ怖いですけど…」
丁寧な子っていう印象はずっとあったんで
塾長「まだ怖い? 何が怖いの、それって」
す。最初、ほんま寡黙っていうんですか。全
ヨシコ「別审とかで来てる人でも、結構中学校で
然しゃべらへんかったし、自分を隠してるみ
友達とかいて。他にしゃべったりできる子ば
たいな。それを考えたら、今はどんどん自分
っかりなんですよ。なので結構普通に同学年
を出していってるなって感じです。よくしゃ
の人とかが入ってきて、ワーッてしゃべった
べるっていうのを感じるし、そういう意味で
りとかもよくあって」
は、よかったんじゃないですか。本人が明る
塾長「ああ、なるほど。だから学校へ行ってない
くなったっていうのがあると思いますね」
子とかでも、結構他の子と普通にしゃべれる
塾長「あれも驚きやった。学校の定期テスト。こ
者ばっかりなんで、勝手に誰か入ってきたり
この学校の先生は、ここでテストを受けさせ
することがあるっていうこと?」
ることを絶対許さない先生なので、学校に行
ヨシコ「はい」
かないとだめなわけや、絶対。彼女にとって
アキ「それって、別审の時は別审で受ける人が何
は学校でテストを受けるっていうのはすご
人かまとまって受けるの?」
くしんどい。誰か入ってきたらどうしようと
ヨシコ「何人かまとまって…」
か、ものすごびくびくしながら受けないとい
アキ「まとめて受けるのって嫌やな」
けない。そういう形でしかテストを受けられ
塾長「それはびくびくする?」
ないので、いつもテストの点数が結構厳しい
アキ「しますよ。してましたし。その時は俺しか
点数やったんや。それこそ100点満点で一
いなかったからまだましやったんですよ。だ
40
から何人もまとめて受けさせられてたら嫌
達関係とかが上手くいかなかったわけでは
ですよ。だからそれは精神的にもきついとこ
ないの?」
ろがあるなって」
ミキ「友達もちゃんといた」
塾長「ヒカルちゃんもそんなこと言ってたような
塾長「学校の先生と上手くいかなかったんやな?
気がする。中学の時、学校行けなくって、別
勉強もしたくなかった」
审で試験受けたりしてたって言ってたでし
ミキ「先生が、また文句言ってくるからしかたな
ょ」
くやってた」
ヒカル「うん」
塾長「なるほど…。テツは? 君は別审登校とか
塾長「その時に、誰かがふと入ってくるんじゃな
の経験あるわけ?」
いかとか。それはすごくびくびくする?」
テツ「ない」
ヒカル「一回なんか遊び感覚で同級生が入ってき
塾長「ないんや。全然ないんや?」
て、うわってなったことある」
アキ「僕もないですよ」
塾長「本当?ヨシコちゃんも学校でテスト受ける
塾長「別审で試験受けたことはあるわけ?」
の最初ものすごつらくって。誰かがばっと入
アキ「あれはもう黒歴史ですね。もう絶対あんな
ってくるんじゃないかってすごくびくびく
の嫌や」
しながらテスト受けてたって言ってたよね。
塾長「テツ、試験は別审で受けたの?」
学校へ行かなくなったら、誰かに会うことが
テツ「うん。でもやっぱり中に入ってくるんじゃ
怖いって、前言ってなかったっけ? よく隠
ないかなっていう不安はあった」
れてたとか、そんな話してなかったっけ?」
塾長「それは、かなり嫌な感じがするわけ?」
ヨシコ「はい。同級生だけじゃなくて、その中学
アキ「まあ正直その時の心境の中に、何で行かな
校の人と会うのが嫌やった…」
いとあかんねんっていうのもあったからね」
塾長「学校へ行った時に窓の上から覗かれて、 「う
塾長「シンはどうやって、試験受けてたの?」
わ、ヨシコ来よった」とか言われちゃうかな
シン「別审」
という不安があるって言ってたよね」
塾長「友達が入ってくることって不安だった?」
ヨシコ「はいそうです。あと同級生かなとか思っ
シン「まあ」
て、離れて逃げて隠れて別のルート通ったり
塾長「不安だったのか。どうでもいいわけではな
だとか…」
いんや。友達には会いたくなかった?」
塾長「ミキちゃんなんかも、そんな気持ちあった?
シン「まあまあ」
中学校にいてて」
塾長「会いたくなかったんや」
ミキ「いや、あんまり保健审登校はしてなかった」
アキ「ないですよ。友達っていう表現も嫌ですか
塾長「保健审登校は、してなかったんや。そうか。
らね」
そしたら別审とかそんなのなかった?」
ヨシコ「一回だけ同級生の子と帰る時に会って、
ミキ「みんなが帰るHRの時に急に行ったりして」
何で学校来てないのって言われて…」
塾長「遅刻して?もう帰る頃に?」
塾長「みんなそんな風に聞かれるのが嫌なわけや
ミキ「勉強したくなかったから…」
な。じゃあ知誠館に来てから、多分みんなの
塾長「勉強したくなかったから?ミキちゃんは友
話でも「ヨシコちゃん変わったね」って言っ
41
てもらえることも多くなったけど、ヨシコち
ヨシコの話をみんなで聞いた後の感想を
ゃんの中で、ここに来てよかったなって思え
伝える時間になりました。みんな、彼女の
る点っていうのは、どんなこと?」
体験を自分の体験と重ねて聞いているよう でした。彼女の痛みや苦しみが自分のもの
ヨシコ「自分で本当にずっと学校に行ってた時は、 自分から全然しゃべれなかったんですよ。で
と重なった時、そこにこみ上げてくるよう
もここに来るようになってからは、ずいぶん
な思いを持った者もいました。
自分からしゃべれるようになったし、変われ たって实感できることがよかったなと思い
塾長「なるほど。まあ今回、中学生のトップバッ
ます」
ターがヨシコちゃんでした。今日聞いたよう
塾長「しゃべれるようになったっていうのは、す
に、ヨシコちゃんの育ってきた過程を振り返
ごく大きなこと?」
ると、かなり大変だったことがわかります。
ヨシコ「はい。それが結構…他の人に言えるよう
お兄ちゃんのこともすごく大きい。それから、
になったのが、はい」
おじいちゃんおばあちゃんのこともあるし、 お母さんも結構子どもの頃につらい経験を
知誠館に入学してから、ヨシコは尐しず
持っていたっていうこともある。いくつも大
つ自分のことを話してくれるようになりま
変なことが重なってる中で、ヨシコちゃんは
した。がまんしていたこと、辛かったこと、
生まれ育ってきたんやなと思いました。彼女
苦しかったこと、彼女はそれらを一つ一つ
はどうして下を向かなあかんかったのか?
ひも解くように、一生懸命に話してくれま
彼女自身はいろんなことにすごく遠慮をし
した。それを知誠館のスタッフが聞き、彼
てきたんだと思う。思ったことも言えなかっ
女の仲間たちが聞いてくれました。
たりとか、そんなこともずっとあったんやろ うなと思います。だから、この子をとりあえ
語り場で、話が学校の別审で受験するテ
ず自分のコトバで語れるようにしてあげた
ストの話題になった時は、そのプレッシャ
いなっていうのが私の思いでした。そのこと
ーを仲間たちみんなで共有することができ
が「前を向いて歩けるようになる」というこ
ました。彼女の苦しみは、何も彼女だけの
とに込められた思いだったのかもしれませ
ものではなく、みんなも共通して抱えてき
ん。だから、そのために何のお手伝いができ
たことだったのです。そんな認識を尐しず
るのかなと、そんなことばっかり考えてきた
つ重ねていくことで、彼女に尐しずつ明る
ような気がします。テストの点数が学校で受
い表情が戻ってきたように感じました。そ
けたら一桁しか取れなかった。彼女はびくび
してやがてその表情が力強さへと変わり、
くするわけ。いつも遠慮ばかりして、自分に
やがて自信を取り戻してきたかのように感
全く自信もないっていうような状況やった
じられました。彼女のテストの点数は、そ
から、もっと堂々とできたらいいなと思って
んな彼女の変化を裏付けるものであったの
ました。さっき村岡先生が言ったみたいに、
かもしれません。
もっと自分の素を、そのままの私を見せるっ ていう風になってほしいっていう思いが私
42
にもあったのでしょうね。それで去年、ヨシ
あれば、話を。感想でも、あるいはヨシコち
コちゃんにインタビューをして、いろんなこ
ゃんの話を聞いてコトバをかけてあげても
としゃべってもらいました。でも抱えてるこ
いいし。思ったことでもいいし」
とが結構大変なので、それを今回皆の前でし
小林「私自身の経験と合わせて聞いてたんですけ
ゃべるというのは抵抗あるかなと思ってた
ど、感情が入っちゃうのでちょっとあんまり
んです。だから何回も聞きました。でも「大
しゃべれないんですけど…すごい率直に思
丈夫です」って本人が言ってくれたので、今
ったのは、今のヨシコちゃんの(涙)………
回是非やろうということになったんです。で
すみません」
もこれはこれで、私はヨシコちゃんにとって
塾長「じゃあ…」
大きな一歩やったと思う。やっぱり皆聞いて
小牧「はい。僕の印象としては、ひたむきでいい
くれたことが大きかったと思う。ヨシコちゃ
子っていうので。最初来た頃はすごく下向い
ん大変やったんやな、頑張ってきたんやな、
てたのが、段々上向けるようになってきてす
って。そんな風に思うよね。シンどう思う?」
ごいよかったなと。ただ、教えてて時々思う
シン「まあ、そう思う…」
のが、出来ない自分を責めるところが今でも
塾長「思うよね。大変やったと思う。ここにいる
やっぱりある。そんなに自分を責めなくてい
人は皆、結構大変な経験を持ってきて。傷つ
いのにって思うんで、そこはもうちょっと楽
いたりとか、出口が見つからなかったりとか。
にしたらいいなって思うことが時々ある。基
そんなことを経験として持ってるんやけど、
本的にはひたむきでいい子だなって思って
それは小林さんもそうかもしれない。だから
ます」
こういう場にやってきたのかもしれない。そ
塾長「はい」
れぞれ、それを口に出してるかはわからない
テツ「まあ…これまで大変やったなって思うけど、
けど。だからこういう中で、ヨシコちゃんが
自分が話すことができひんし、愚痴だけ聞か
しゃべってくれたっていうことはすごい大
されてるのがしんどいなって…つらい経験
きいし、ヨシコちゃんにとっても、大きいか
があったんやなって」
なと思う。それで皆がまた聞いてくれるって
アキ「なんかいつも塾長とヨシコちゃんが話して
いうことも大きいかなって思う。聞いてくれ
いて、家のことが話題に出て、特にお兄ちゃ
るのよ、やっぱり。あなたの物語やし。あな
んが云々っていうのは聞こえたりして、それ
たが頑張ってここまで生きてきたんやなっ
で苦労してるなっていうのは思ってました
て、私はつくづくそう思います。これからま
た。今回もそれがよくわかったんですけど、
だまだ人生は長い。今まででも十分頑張って
最初なんか、苦労してるっていうのはお寺っ
生きてきたし、ヨシコちゃんは強かったなと
ていうことかなって思ってたんですけど、な
私は思う。こんなことを話し出すと、私はす
んかその中のことは全然知らなかったから、
ぐ感情的にうるうるとなってしまうんやけ
今回それがわかってある意味よかったなっ
ど、そんな感想です」
て思いました。ヨシコちゃんってほんま、何
ヨシコ「変な家なんで…」
か大人っていうかね。とても落ち着いてて、
塾長「どうでしょう? 皆さんちょっと一言ずつ
自分を省みれるっていうんですか、そういう
43
ことができる人やなっていうのは思いまし
良くわかる話やと思う」
た」
アキ「やっぱり上辺だけで大変やったね、苦労し
塾長「わかってどう思う? 今まではこういう状
たねって言うのは簡卖じゃないですか。簡卖
況を詳しくは知らなかったけれど、こういう
に言えるんですけど、こういう話聞いたら本
のがわかることによって自分の中で何か変
当の意味でそういうこと言えるっていうの
わった?」
かな。なんか…そういう意味では知れてよか
アキ「変わったっていうか、今まで苦労してるな、
ったなっていう風に思いますね」
とか思ってたのは上辺だけじゃないですか。
塾長「村岡先生どうぞ」
その内情を知ってからは、ほんまにそこら辺
村岡「はい。さっきも言ったように、私はヨシコ
がわかるって言えばいいんですか。上辺だけ
ちゃんを途中からしか知らなかったし、もの
じゃなくて中身を知れたっていうのが個人
すごく人に気を遣える子っていう印象を初
的にはいいのかなと思いました」
めから受けてました。きっといろんな経験が
塾長「なるほどね。ヒカルさん」
自分を押し殺して、人のことを見てしまうっ
ヒカル「途中からやったけど、最初入ってきた時
ていう風に、彼女はそうなってきて。それは
は年の差があり過ぎて何を話せばいいんか
顔色を窺うっていうことなのかもしれへん。
わからなくって、前半全然しゃべってなくて、
そうやけど、そうじゃなくて、彼女が段々人
後半からよくしゃべるようになったかな。今
の気持ちを慮るようになってきたのであれ
でこそ、こんなにしゃべってくれて嬉しいし、
ば、これはすごいことやと思うし。だけど同
いろいろ前だったら私が一方的に話す、みた
じ 15 歳の中で、どれだけの人が他人の気持
いな感じやったけど、会話がつながってよく
ちまで考えられるかなって思った時に、それ
しゃべるようになってよかったなって思い
を先取りしてしまってる分もあるのかもし
ました」
れへん。それがよかったか悪かったかは別と
塾長「ヒカルちゃんも、前話したけどコミュニケ
して。でもそのことを絶対自分の自信として
ーションに対してはものすごく不安があっ
持ってほしいし。ここにいる子たちは多かれ
たでしょ? なんか…友達と話したりする
尐なかれそういうところがある子たちやと
のは、「こういう風に話したらこう思われる
思うんやけども、自分のことはもちろん一番
のと違うやろうか」とか、そんなことをずっ
大事やけど、人のことを見られるっていうの
と思ってたでしょ?だからしゃべることを
はすごいなって思います。で、段々自分の経
怖いと思ってたんじゃない?多分ヨシコち
験から人を見られる様になっていく….アキ
ゃんと一緒だった」
の経験もそうやと思うんやけど、初めは自分
ヒカル「最初ここ来た時の感じはちょっと似てる
を守るために一生懸命ここに来たと思うん
感じがする。自分を作って生きているみたい
やけど、人のそういうところまで聞いて、き
な」
っとファミリーの中に入り込んだっていう
塾長「そうやったと思う。だからよくわかる話や
意味で、きっと彼は理解しているんじゃない
と思うんや、ヨシコちゃんの話は。まあヨシ
かなって思うんやけど。話を聞いたうえで、
コちゃんからしたら、ヒカルちゃんのことも
中途半端な気持ちで人に声かけたらあかん
44
のやなっていう風に思えるっていうことは、
しいこととか、つらいこととか、そういうこ
人の気持ちをそれだけ推し量ろうとしてる
との経験の積み重ねっていうのは、やっぱり
んやって思うから。それはもうヨシコちゃん
確实に何かそれぞれの人の中で大事なこと
は今でも十分してはるんやけど。そのことは
を育ててるのかなって思います。人のことを
決してマイナスばかりじゃないのかなって
考えて行動したりとかっていうことも、そう
思う。自分を出すっていうことは大事やけど、
いう中で生まれてきたりとかするのかなっ
これからも人のことも考え続けてほしいし、
ていう気がします。だから、ここにいる皆さ
そういう自分のいいところがすごくあるっ
んは、例えば学校生活を上手く歩めなかった
ていうことに、自信を持ってほしいなって思
人たちです。でもそれは決してマイナスとは
いましたね」
私は思ってなくて。そういう寄り道をしたが
塾長「はい」
ために、一杯大事なことを見つけられたのか
ミキ「いろいろヨシコちゃんは、大変なドラマが
もしれないなって思います。そこを自分にと
あったんだなと思いました」
っての自信にしてもらえるようなことがこ
塾長「では、どうぞ」
こでできたら、私は一番嬉しいなって思いま
小林「すみません。手短に言おうと思いますが、
す。だから、卒業式で何人か实際に言ってく
テツ君がさっき言ってたと思うんですが、家
れた「学校行かないようになってよかった
族の悪口を同じ家族から聞くのってすごい
な」ってコトバを聞いて本当にうれしく思い
体力がいるし心も使うし、そういうことを今
ました。上手くいかないことってすごい大事
の年齢でしてるのって、すごい強い子やなっ
やって思うんです。だからヨシコちゃんも、
て思います。ほんまにこの場しか知らないで
これからまだいろんなことがあるかもしれ
すけど、すごいなって思いました。あとやっ
ないけど、ここには聞いてくれる人たちもい
ぱり、他の方のお話を聞いてても、人の気持
るし、受け止めてくれる人がいる。だから、
ちがわかる子なんやろうなって思いました。
自信持ってやっていってくれたらなって思
初対面で一番最初に挨拶させてもらった時
います。ヨシコちゃんどうぞ、最後に」
に、心地いい距離を保つために、私が一歩近
ヨシコ「はい。なんか…、私は別にそんな丁寧な
づくと一歩下がる。距離の取り方も相手の気
人間でもないのに…。こんな風に何ともお恥
持ちも考える子なんやろうなって。人の気持
ずかしい限りですけど…、みなさんがこうい
ちがわかる強い子なんやろうなっていう。印
う風に思ってはったんだなっていうことが
象しかないんですけど…すごいなって思い
わかって、自分もちゃんと変われてるのかな
ました」
っていうことを思いました」
塾長「じゃあ私の方からも一言言いますね。とに
塾長「まあ、よかったですよね。あ、キヨシ君。
かく今日はよくしゃべってくれたなと。その
ヨシコちゃんに対して思うことなどどうぞ」
事がすごく大きいので。それはすごい大事な
キヨシ「最初はあんまり笑顔がなかったように思
ことやなとやっぱり思いました。さっきも言
うので。いつの間にか笑顔が増えてたような
ったけど、結構大変な中をよく頑張ってきた
感じやったから、何かきっかけがあったりし
んやろうなっていつも思うんやけど、まあ苦
て変われたのならよかったなと思いました」
45
塾長「ええ感じやな、年長者。ポイントは押さえ るな」
中学生のトップバッターとして、自分自 身のライフストーリーを語ってくれたヨシ コ。私からすると、彼女がみんなの前でこ れだけはっきりと自分について語れたこと が、まずすごいことだと思いました。いろ いろなことを自分の心の中でがまんして育 ってきた彼女にとって、自分のことを語る ということは、とても大きな意味があるこ
3. ひきこもりも 3 年すれば
とのように思いました。その声は、決して
飽きてくる
流暢なものではありませんでしたが、一言 一言をかみしめるように表現された、彼女 のコトバ以外の何物でもありませんでした。
リキは高校時代に不登校になり、それが
そしてそのコトバを仲間たちがしっかり受
きっかけとなって次第に家にひきこもるよ
け止めてくれたことも、感動的なことでし
うになっていきました。それから丸 3 年間、
た。
彼は貴重な青年時代を自分の部屋で過ごし ます。私たちが出会った若者たちの中にも
「私はこの知誠館にいる時が、一番私で
ひきこもりの経験を持った者は尐なくあり
いられる」
ませんが、リキのように本格的なひきこも りを経験した者は、むしろ尐ないのかもし
ヨシコはかつて私たちに、そんなことを
れません。
話してくれました。彼女が彼女でいれる場。 「ひきこもりも 3 年すれば飽きてくる」
それが、私たちが彼らに対してまず満たし ていかなければならない、最低限の条件な のかもしれません。気がつけばいつの間に
リキは私たちに対して、そう話してくれ
か、ヨシコは前を向いて生きていけるよう
ました。それは、ひきこもりの経験者だか
になっていました。こんな当たり前のこと
らこそ言えるコトバであり、もうこれ以上
であっても、彼女にとっては大変長い道の
のひきこもりはごめんだという切实な思い
りだったのかもしれません。彼女は今、高
の表明でもあるのかもしれません。
校へ進学する準備をしています。 ひきこもり生活も最初の 1 年目はよかっ た、とリキは言います。そして 2 年目には だんだん苦しくなってきて、3 年目は気が 狂いそうになってきたと言うのです。そこ 46
で今回の語り場では、そんなリキのひきこ
った」
もり生活のありのままの話を聞くことにな
塾長「そうそう、これもあんまりないケース。だ
りました。
いたい来たらすぐ次来るでしょう?彼の場 合は来なかった。彼の場合は空白の2ヶ月が
塾長「リキと昔のこととか、ひきこもってる間ど
あったけど、その2ヶ月は何してたん?」
ういう生活を送ってたかはあんまり話した
リキ「何してたと言うか、まだ行く気分じゃなか
ことが無いよな」
ったんじゃないですかね」
リキ「僕もあんまり覚えてない」
塾長「しばらくたって、私はお母さんに電話した。
塾長「リキは今いくつ?」
その後、連絡ないんですけど、どうしてます
リキ「今22です」
かって聞いたら、部屋片付けてますって。」
塾長「中学の時はバスケ部やったっけ?」
マナミ「出る準備?」
リキ「うん」
塾長「部屋がどんな状態になってたのかわからん
塾長「バスケをずっとやってて、○○高校に入っ
けど、片付けてますって。それからなんか夜
たんやんな?」
に…」
リキ「うん」
リキ「散歩」
塾長「○○高校の特進にも併願で受かってて、比
塾長「そうそう、散歩に行ってますって。空白の
較的まじめで賢い子やったと。○○高校に入
2ヶ月の間は部屋を片付けるのと、犬の散歩
ってバスケ部に入ったんやんな?」
か。そういうことがあって2ヶ月後くらいに
リキ「うん」
リキはやってくる。それはマナミちゃんが言
塾長「○○高校を1年の終わりで行かなくなった
うように、きっと出るための準備期間やった
と。その時からずっと家にいるようになった
んやろな。出るのにやっぱり2ヶ月かかる
わけ?」
と」
リキ「まぁ最後らへんはずっと家にいた」 塾長「高2の頭、16 歳からまるまる3年間はどこ
3 年間のひきこもり生活から脱出するた
にも属さず、最後の方は家から出ることもな
めの彼なりの儀式、すなわちそれは、彼な
くという生活を送ってて、19 歳くらいの時に
りの通過儀礼だったのかもしれません。ひ
ここに来たのかな?」
きこもり生活からそうでない生活への移行
リキ「うん」
は、リキにとって決して連続的なものでは
塾長「ここに来るときに、初めお母さんが「うち
ありませんでした。そこには彼なりの決心
にずっと家にいる息子がいるんです」という
が必要だったのでしょう。部屋をきれいに
相談を電話でしてくれはった。連れて来てく
片づけ、夜、人目を避けて犬の散歩に出歩
ださいって言ったんだけど、来なかったんや
くようになるのに、2 ヶ月という時間が必
んな?」
要だったのです。それは決心に至るまでの 準備期間だったのかもしれません。
リキ「いや、1回目は一緒に行ったと思う」 塾長「ほんと?」
多くのひきこもり状態の若者たちがそこ
リキ「一緒に来て、次来るのが2ヶ月くらい後や
47
から脱出していく時、そこには何らかの決
塾長「まぁよくわからんことで1年に、いちゃも
心が伴います。つまり、ひきこもり状態か
んを付けてくるわけ?「お前ら何考えてんね
らの再出発の起点が、この決心だと言える
ん」とか、そういう感じ?」
のかもしれません。それがたとえ些細なも
リキ「うん」
のであっても、そこから彼らは変わり始め
塾長「先輩がとりあえず嫌やと…。それで面倒臭
るのです。
いなっていうのもあって、ちょっとずつ遅刻 するようになって、2年からはまったく行か
村岡「なんで行かなくなったかとか、きっかけと
ないようになったの?」
かはなかったの?」
リキ「いや、1年の終わりにもう学校やめますっ
リキ「きっかけっていうか、なんというか中学と
て。やめたくなったんでやめますって…」
のギャップとか、先輩とかが嫌っていうのも
塾長「そうなん。それは迷いもなかったの?やめ
あったんですけど…、部活辞めてから喋れな
ることに」
くなったりしたから」
リキ「うん」
塾長「部活はいつやめたの?」
塾長「やめてどうやった?すっとした?」
リキ「1年の終わりごろ」
リキ「最初は気が楽でしたよ。でも徐々にあの時
塾長「でもクラブはやめても、クラスはある?」
やめへんかったらよかったなって思いまし
リキ「でもクラスはあんまり。他のクラスの子の
た」
方がよく喋るから」
塾長「最初はそれでよかったと、でもだんだん後
塾長「クラスのメンバーも、あんまりよくなかっ
悔してくるわけ?」
たって感じなんか。でもそれで行かなくなる
リキ「あんまりそういうこと考えないようにして
わけ?」
たんですけど、将来のこととか考え始めてか
リキ「なんか面倒臭くなって。徐々に遅刻とかし
らじゃないですか…」
てたんですけど。中学が楽しすぎたんじゃな
塾長「学校行かなくなったら時間いっぱいあるや
いですか」
ん。家には基本的に誰もいない。何をしてた
塾長「中学、高校のギャップが大きかったと。そ
ん?」
んな面白くなかったんか?」
リキ「1年目の時は、たまに出かけたりしてまし
リキ「うんまぁ、微妙でしたね。面白い時もあっ
たよ。適当にふらふらと」
たんですけど、なんか嫌になってくるとどん
塾長「たまに出かけるって、どんなところに出か
どん嫌になってくるっていう」
けるの?」
塾長「その先輩が嫌ってのは、どういうことが嫌
リキ「どっか立ち読みしに行ったり」
やったん?」
塾長「本屋に行ったりとか。でもあんまり行くと
リキ「いきなりキャプテンが来なくなったり、よ
ころがないんじゃない?」
くわからんことで1年全体的にいろいろ言
リキ「まぁ行くとこあんまりないですね」
われるようなことがあったんで」
塾長「すぐ暇になるよね。誰もいないし、しゃべ
塾長「例えばどんなこと?」
るやつもいない。友達との接触は全然なかっ
リキ「例えばですか?よく覚えてないです」
たの?」
48
リキ「どんどんなくなっていきましたね。自分か
マナミ「部屋にずっといて何するの?」
ら連絡しなくなって」
リキ「寝たり、携帯でいろいろ調べたりとか」
塾長「ということは、だんだん孤立していくわ
塾長「そうや、ゲームはやってへん。パソコンも
け?」
なかったんやんな?」
リキ「うん」
リキ「ありますけど、そんなに使ってなかった」
塾長「喋るのは家族だけ、みたいなパターンにな
塾長「ゲームやらへん、パソコンもしない」
っていく?」
マナミ「それも意外」
リキ「うん。でもお父さんとは全然喋らなかった
リキ「本読んだり、でも寝てる時間が一番多かっ
ですけど。同じ家にいたのにほとんど夜中に
たような気がします。なにもせずにぼーっと
行動してたから、2 年くらいはお父さんに会
してました」
わなかった」
塾長「2年目からは、外に出ることも無くなった
タロウ「それは会わないように意識してたわけじ
って言ってたけど、それからの丸2年間は、
ゃなくて?」
ずっと部屋にいたの?」
リキ「あんまり会いたくないとは思ってましたけ
リキ「うん」
ど。久しぶりに会った時は老けたなぁと」
塾長「居間にも行かないわけ?」
塾長「2年も会わずに暮らせるものなんやな」
リキ「飯食う時ぐらいですかね」
リキ「まぁ僕のお父さんがそういうのにあんまり
マナミ「外に出たいなぁっていう瞬間もなかっ
無関心ってのもあるんですけど。なんか言っ
た?」
てきたりっていうのもなかったんで」
リキ「ありますけど」
塾長「今は喋るんやろ?」
マナミ「面倒くさい?」
リキ「まぁ普通に」
リキ「面倒くさいと言うか、ずっと家にいていき
塾長「この前の家島の時もお父さんに送ってきて
なり出来ないです。久しぶりに外出た時、近
もらってたもんな。どうですかみなさん?こ
所の風景変わりすぎてびっくりしましたも
こまでで聞きたいことは」
ん」
小牧「お母さんはどういう反忚やったん?」
マナミ「朝にお母さんが「起きや!」とかは無し?」
リキ「バイト行ったらとは言われましたけど、特
リキ「全然ないです。朝起きたらいつもだれもい
に行動はしなかったです。行動しなかったっ
ないんですよ」
ていうか、時間が経つと徐々に行動できなく
塾長「最初の方はあったんやろう?たぶん」
なったっていうのがあったんで」
リキ「どうでしょう。全然覚えてないですけど」
小牧「お母さんとは、会話してた?」
タロウ「学校行き!とかなかったん?」
リキ「お母さんとは、会ったら会話してましたよ」
リキ「それは、もうやめた後やったから」
塾長「家にずっとひきこもり始めると、わりとす
村岡「やめることを反対されなかった?」
ぐその生活ってきつくなってくるの?」
リキ「全然されませんでした」
リキ「まぁそうですね」
村岡「つらそうやったんかな?しょうがないかな
塾長「どれぐらいは大丈夫?」
って思われてたんかな?」
リキ「1年くらいは大丈夫ですよ」
リキ「まぁ好きにしたらっていう感じでした。そ
49
もその例外ではありませんでした。
のあと定時制に行こうかなと思ってたんで すけど、なんかうやむやになりました」
塾長「話を戻すと、だいたいずっと家にいて、携
リキの場合、不登校になるきっかけは、
帯やるか本読むか寝るか、それぐらいしか行
クラブ内の人間関係でした。それは、ほん
動のパターンが無く、友達にも会わないとい
の些細なことでした。ところが高等学校の
う状態。2年目ぐらいからずっとそうなって、
場合、義務教育とは違い、一旦学校を辞め
2・3年目になって気持ち的には変化してい
てしまうと途端に様々な関係が切れてしま
くわけ?」
います。学校との関係だけではなく、友達
リキ「気持ち的に…っていうか、性格が変わって
関係も含め、一気に疎遠になっていくので
きたかなとは思います」
す。リキの場合、家族があまり積極的に介
塾長「どんなふうに?」
入しようとしなかったこともあり、短期間
リキ「こんなにネガティブやったっけとか、人と
のうちにひきこもり生活へと入っていきま
接するのが怖かったっけとか思ったりしま
した。
した。ここ来た時、全然喋らなかったじゃな いですか」
一旦ひきこもり始めると、あらゆること
塾長「やっぱり喋るのが怖かった?」
が悪循環を始めます。最初は、家族が何と
リキ「ずっと家にいて喋らなかったってのもある
か外へ出そうと働きかけていたことに対し
んですけど、どうやって喋ればいいかわから
て疎ましく思い、何とか家に安心していら
なくなりました」
れることを望んでいたのですが、いざ家に
塾長「昔中学の時は、そんなことなかった?中学
ひきこもり始めると、それは思っていたよ
の時は楽しかったって言ってたもんな」
うな生活ではないことに気付くのです。何
リキ「うん」
もやることがなくなり、そうこうしている
塾長「そんな状態になるわけか。 「ひきこもりは3
うちに、ひきこもっている自分自身が嫌に
年もすれば飽きてくる」って言ってたやんか。
なっていきます。自分に対する自信がなく
1年目はまずよかったと。2年目からかなり
なり、ましてや外へ出て行くことがとても
苦しくなってきて、3年目は気が狂いそうや
大変なことに感じられ、ますます家にひき
ったと。これ以上続けたら精神が崩壊するみ
こもると同時に、そんな風にしている自分
たいに私に言ってたやんか?」
がますます嫌になっていくのです。
リキ「一時どうやったら楽に死ねるんかなって考 えてました」
家族と衝突することや、そんな家族を罵
タロウ「それってちょっと考えたことあるな」
ったり、暴れたりすることもあるかもしれ
レミ「あるある、普通に。薬飲んだら楽に死ねる
ません。しかし、そうやっている自分もま
んかなぁとか」
たどうしようもなく嫌になってしまいます。
タロウ「まず死に方を模索して…」
生きている意味を感じられなくなり、自殺
リキ「やっぱ痛いの嫌じゃないですか」
を考えるようにもなっていくのです。リキ
レミ「グーグルで検索しましたもん、私とか」
50
塾長「どうやったら痛くなく死ねるか?」
ら解放されて楽やった記憶がある、むしろ。
レミ「そうそう、何が一番楽な死に方かみたいな」
学校に行かへんようになる直前が一番そう
リキ「とりあえず睡眠薬のんで、屋上の所で寝て、
思ってたかな」
寝がえりで死にたいなって」
ひきこもり生活の 3 年目に自殺を考えて
塾長「睡眠薬のんでて、寝てて、ごろってやって、
いたことを实にあっけらかんと語り始めた
落ちて死ぬと」 一同笑い
リキ。すると仲間たちからも、次々と自分
リキ「ぽろって落ちて、いつの間にか死んでるっ
もそうだったという声が上がってきました。
て言うのが、僕のたどり着いた答え…」
不登校になりひきこもりの生活が長引く
塾長「一番面倒くさくない…なるほど」
と、他者が介入しない分、どんどん考えが
レミ「私は寝てるうちに死にたいって思いました
ネガティブになっていくのかもしれません。
ね」
これは何もリキに限ったことではなく、多
タロウ「僕はシンプルに飛び下りればいいかなっ て思って、ショッピングモールの3階ぐらい
かれ尐なかれ誰もが抱く傾向なのでしょう。
から一気に落ちて死のうかなって思ったこ
他者とのつながりがないということは、自
とあります」
分の思い次第でその考えの方向性が決まっ てしまうということ。つまり、自分のバイ
レミ「いや、それはなんか落ちる瞬間に痛いし、
アスによってさらなる自分のバイアスを作
嫌やなって思って」 タロウ「痛みで気絶するかなって」
り出していくため、バイアスそのものが自
レミ「恐怖心に負けるじゃないですか」
動的に強化されていくのです。従ってこの
リキ「やっぱ僕の方法が一番だと思いますよ」
状態から抜け出すためには、他者の関わり
一同笑い
が必要不可欠なものとなります。バイアス
タロウ「いやいや、それはねぇ」
そのものが更新されることが大事だからで
リキ「一回目は無理でも、たぶん何回もやってる
す。
うちにいけますよ」
今回の語り場で、自分と同じような思い
塾長「何回かやってるうちに成功するって?」 タロウ「その前に飲みすぎで、死ぬんじゃない?」
をみんなも抱いていたことを知ったことは、
レミ「慣れて寝れへんようになりそう」
リキにとってこれまで思ってもみなかった
タロウ「免疫できて?」
ことのようでした。生きていても仕方ない
レミ「そうそう試しすぎて」
という究極の自己否定感は、自分だけが抱
塾長「でもまぁそうか。不登校になって、家にひ
いていたものじゃないのだという思いが、
きこもり始めると、やっぱりそういう風に死
リキの心をより開かせていくことになるの
にたいって考えるんや…」
です。
タロウ「僕はむしろあれやな、学校に行かへんよ うになる直前くらいにそう思ってた記憶は
塾長「ちょっとリキの話に戻るけど、リキのその
あるな。むしろ学校行かへんようになってか
精神的におかしくなって死のうかなってい
51
うのは別にリキだけの話だけじゃなくて、タ
前に聞いてたことがよみがえってきて、お母
ダシもそうやったし、みんな仲間でした。み
さんに働きかけるわけか」
んなそれは何度も考えるっていうのが普通
リキ「選択肢がそれしかなかったですね。働くの
みたいやね」
も無理ですし」
タロウ「考えてしまうよね」
塾長「でも、自分でアクション起してるわけや」
レミ「うん」
リキ「そこに行くって言い出したのは、僕だと思
タロウ「別に考えなくてもいいのに」
いますけど」
塾長「でも、その時に死なずによかったよね」
塾長「その一歩は大きいな」
リキ「4年目いったら危なかった」
リキ「なんでもいいから変えたかったんですよね。
塾長「4年目危なかった」
その生活を変えたかった」
タロウ「ここが救世为みたいなものやった?」
塾長「そんなの、レミちゃんとかも一緒?」
塾長「そう考えるとそうやね。それはやっぱり一
レミ「一緒。ずっと暇でやることが無くて、ずっ
回や二回じゃなくて、何回も思うわけ?」
と1、2年ぐらい家にひきこもってたんです。
リキ「思い始めるとずっと思いますけど」
ネットとかやってなんとか暇をしのいでた
塾長「ずっと思ってしまう…そうなんかもね。で
んですけど、もうどうしようも無くなってき
も自分ではその状態から立ち直るための行
て、どうにか変えなきゃやばいと思って。1
動は出来ず?」
年目の時に、知誠館あるって聞いてたんです
リキ「うんまぁ」
けど、その時なんかもう親とかの話聞きたく
塾長「八方ふさがりな状態なんやな。そういう意
なくて。ほんとにイライラしてて、親に話し
味では、お母さんがよく動いてくれたよな」
かけられても、話しかけないで、みたいな感
リキ「市役所で働いてる知り合いが、最初ここを
じで。やっと今来たみたいな」
紹介してくれはって」
塾長「そういうタイミングってあるよな」
塾長「そうやそうや、お母さんはその話を聞いて
レミ「あと、その時思ってたのが、どうせ知誠館
きて、リキに相談したわけ?」
来ても説教されて終わるんやろうなって。ど
リキ「こういうのがあるで、とは見せてもらった
うせまた上辺だけ言われて終わるんやって
けど、その時はあぁそうなんみたいな。その
思って来れなかった」
後、友達のメールアドレス変更のメールが来
塾長「会って、僕は説教してないわけ?」
たんですよ。そこに名前と一緒に○○大学っ
レミ「いや、されたのかはわからないですけど。
て書いてあって、あぁもう大学生かって。そ
なんかまだちょっと理解力があるというか、
こからちょっと危機感を感じたっていうか。
上手く言えないですけど、他の人よりかはま
僕はずっと止まってたのに、みんな進んでる
だわかってくれはるなみたいな」
んやって思い始めて、とりあえずお母さんに
塾長「まぁ今日改めて思ったのは、普通に学校行
こういうとこがあったよなって言って、6月
ってる高校生は、たぶん死にたいとかあんま
ごろに1回ここに来ました」
り考えないと思うな。普通に生きてる人達っ
塾長「はじめに聞いた時はピンと来てなかったけ
ていうのは、ある意味そんなこと考えなくて
ど、友達の進路がわかるメールが来た時に、
も生きていけるのかもしれない。学校に行っ
52
てることって何なんだろうかとか、高校卒業
不登校になって、あるいはひきこもりに
するってことは何なんだろうかとか、家族っ
なって初めて考えることがあります。普段
て何なんだろうとか、たぶんいろんなことを
は全く振り返ることのなかったことを、つ
考える。つまずくからこそ考えてしまうって、
まずくという経験があらためて気づかせて
それはすごい大事なことやなと思ったりす
くれる。そのように、問題が持つポジティ
るんや。他の人達があんまり考えないことを
ブな側面も存在するのです。問題をただ問
いろいろ考える、だけどたぶん自分一人だっ
題として捉えるのではなく、問題を新たな
たら答えが出ない。けっこう難しいから。だ
気づきへの機会として捉えることで新たな
からこういう仲間がいたり、そういうことを
局面が拓かれていくことを、私はリキの語
議論できる大人がいたりとか、そういうこと
りを通して考えさせられることになるので
が必要なのかなと思う。そういう意味でそれ
す。
ぞれいろんな苦しみみたいなものがあるけ れど、それはそれで大事なことかなと思った
タロウ「リキのここに来てからの変化とかは?」
りするんや。だから私に出来ることは、そう
リキ「ネガティブやったけど性格がもとに戻って
いう経験をみんなしてきたとしたら、何か将
きた気がする。昔みたいに」
来意味のあることにうまく使えないかなと
マナミ「どれぐらいで戻ったん?」
思う。だからこういう場も必要やと思うんや。
リキ「どれぐらい?やっぱり他の人と話し始めて
だってリキの話とかをきいたら、私も一緒や
からやと思う」
とか思うでしょ。リキはパティシエになろう
塾長「リキにとって知誠館は、どういう存在な
って自分の道を決めたんや。働きながら料理
の?」
の専門学校に通うために、今7時からアルバ
リキ「通過点ですかね。でもここがなかったら本
イトをしてお金貯めて。偉いでしょ、本当に。
当にやばかったですから、塾長は救世为です
リキは、自分で自分の未来をつくってきたと、
ね」
そういうことやと思うわ」
塾長「ここの生活の中で、何が自分にとっては支
リキ「もう、ああいう生活は体験したくないです
えや力になった?」
からね。ここに来だしてから友達に誘われて
リキ「自分に近いような人たちがいたし、そうい
飲み会に行ったんですけど、友達によく復活
う人達との会話とか、塾長との会話とか、そ
できたなって言われますからね」
ういう日常的なことじゃないですかね」
塾長「そういうの聞くと嬉しいなとか思うん?」
塾長「やっぱり同じ状況を共有出来る仲間がいる
リキ「嬉しいですけど、すでに働いてる人とかも
っていうのは大きい?」
いたんでやばいなとも思うかな」
リキ「そういう人たちだけではだめだと思います
塾長「でもかなり大変な状況から今の状況に復活
けど。マナミさん入ってきてから、スパイス
させたわけやから、リキにとっても大きな自
になってる」
信やと思う。いいかげんなことばっかり言っ
塾長「マナミちゃんていうのは、どういう存在?
てるけど、えらいところもある」
スパイスってものすごい抽象的な表現やけ ど」
53
リキ「マナミさんは、知誠館の太陽でしょ?」
リキ「どんどんやることなくなってくるし、同じ
タロウ「マナミさんが引っ張ってるんですよね、
本5、6回読んだような気がする。だから限
ここを」
界やったっていうのもある」
塾長「あと聞いておきたいなと思うことある人?」
タロウ「これまで昔のこととか気になるけど聞き
小林「高校を選んだ目的とかは、あった?」
づらかったし、こういう時にリキ君を知れた
リキ「やっぱり家から近いし、長く寝たいから」
のはとてもよかったです」
小林「高校は行くっていう前提?」
マナミ「自分でここに来ようと一歩踏み出したの
リキ「もともと高校行って、大学行くって思って
は、大きかったんじゃないかなと思います。
たから。目的はなかったけど、それが普通か
よく頑張ったね」
なって思ってました」
レミ「すごい共感する部分多くてびっくりしまし
小林「3年間の経験から学んだなって思うことと、
た。ひきこもりは、みんな同じこと考えるん
これからどういう自分でありたいとかこう
やなと思いました」
なりたいっていうのはありますか?」
小牧「始め来た時はほんとに喋らへんし、どうし
リキ「自分から逃げてしまったような感じなので、
ようかと思ってたけど、勉強はものすごい丁
自分の嫌なこととかも我慢して逃げずにや
寧やし、自分で一歩踏み出すタイミングがあ
っていきたいですね。ああいう生活に戻りた
るんやなと思いました」
くないので、もっと前向きに考えていきたい
小林「沈んだ状態から自分を見つめ直して、これ
です」
から忍耐強くやっていきたいって言っては って、今すでにそういう人になってる感じも
「知誠館は通過点です」と淡々と答える
するんですけど、この先もっともっといい男
リキ。 「嫌なことから逃げずにやっていきた
になってほしいなと思います」
いですね」と決意を表現するリキ。そんな
村岡「リキ君はやさしいし、ほがらかやし、おだ
リキのたくましさに、私たちは微笑まずに
やかやっていうイメージ。勉強がすごく出来
いられませんでした。彼からこういった語
るという以上に人を和ませたり、楽しませる
りが出るようになることもまた、彼自身が
ことも出来るし、笑わせて輪をつくることも
自分と向き合った証なのです。変容は为体
出来るし。そういう所がリキくんなんやなと
的な営みとして成立するものですから、自
思うし、今のリキ君がすごい素敵やし、今の
分と向き合うことが必須条件となっていく
やわらかいままでも強くなってください」
のです。
塾長「いろいろこういう話をありがとう。みんな にとってもいい機会やったと思うわ。一つの
塾長「ではみなさん、一言ずつ感想を」
ライフストーリー、それぞれの人の過去の経
タカシ「すごい人生やなと思いました」
験…今に至るまでのそれが貴重な経験で、み
モモコ「うちも自殺しようかなって思ったことあ
んなにとって大事な意味をもたらしてくれ
るから、同じやなって思いました」
る、それぐらい良い経験をしてるんやと思う。
シンイチ「ひきこもってる間、退屈じゃなかった
そこから考えさせられたり、自分自身を振り
ん?」
返ったり。リキのことは、自分らにとっても
54
大事なことになるなって思う。人生って楽し
蛹やったらあかん。だから私たちはあるタイ
いことばっかりじゃなくて、辛いこととか、
ミングで出会って、あるタイミングで別れな
苦しいこととか、投げ出してしまいたいこと
あかん。だからこそ君らはそうやって変わっ
もやっぱりいっぱいある。越えられる苦しみ
ていくのかなと思った。そんなことを、今日
もあったら、越えられない苦しみもある。ず
のリキの話を聞いて改めて思いました。良い
っとそれを一生ひきずらなきゃいけない苦
話をありがとう」
しみもあると思う。そんなことでも、全部か けがえのない経験で、そのことでものすごく
「セカンドキャリア」というコトバがあ
投げやりになってしまう人もいれば、そうい
ります。読んで字のごとく、それは「二番
う苦しみがあったから何か自分を変えてい
目のキャリア」という意味です。今の社会
けるという人もいて。そんなことをリキの話
の中では、ファーストキャリアがその個人
を聞いてものすごく感じました。ここに来る
の人生を決定するという保証はどこにもあ
時って言うのは、みんなほとんど動けない状
りません。リストラ、解雇、人間関係のト
態で来る子が多い。今度やる不登校を題材に
ラブル…。様々な状況が、そのファースト
した映画のキャッチコピーの中に蛹という
キャリアの終焉を告げる可能性を作り出し
コトバがあって、私もよくそう思う。ここに
ていきます。私たちは、当たり前のように
来た時というのはほとんど蛹の状態なんや。
挫折を引き受けながら生きていかざるを得
蛹の状態って何かと言うと、蛹の前は青虫で
ない状況に身を置いているように思います。
その後は蝶。蛹の期間はほとんど死んだ状態
だからこそ、壁に頭を打った状況から、い
みたいなんや。だけど、ここのところで起こ
かに自分自身を再出発させるかという能力
っていることは何かと言うと、青虫の体を作
が求められているのです。これが「セカン
ってた細胞がどんどん死んで、蝶の細胞がど
ドキャリア」というコトバの中に含まれて
んどん生まれていく。つまりこれは新しい命
いる大事な意味なのです。
をつくるために、自分の命をどんどん殺して
不登校やひきこもりの経験を持つ若者た
いく過程なんや。ここまさに知誠館で起こっ ていることっていうのはまさにそういう感
ちは、まだ十分な能力や十分な準備のない
じがするんや。だから、今までの過去の自分
状況で、大きな挫折を味わうことになりま
の人生を殺していく、いい意味で自殺なんか
す。しかし彼らがその挫折経験から立ち上
もしれない。普通の自殺やったら、ただ死ぬ
がることができたなら、それは彼らにとっ
だけや。でもここでは新しい命が生まれてい
て、セカンドキャリア形成へと向かうかけ
くわけや。そういう風なことに私自身は出会
がえのない経験になっていくように思いま
いたい。出会って感動したい。それは君らか
す。先にも触れましたが、それはどうしよ
ら感動をもらうようなものやと思うわけ。ま
うもなかった問題が、大事な意味を持った
さに蛹のタイミングというのか。だからここ
機会へと変わっていく瞬間でもあるのです。
は居場所じゃない。ここにずっといれるわけ
リキの語りは、確かにみんなを感動させ
じゃない。蛹はある期間で終わるんや。一生
55
ました。彼の変容の大きさが多くのことを
やってきた時は、かなりの腕前になってい
物語っていたのです。リキの話を、私は蛹
たのです。
の変容の話で締めくくります。そして、蛹 の期間がどこかで終わるのと同じように、
知誠館に通い始めた彼女には、尐し変わ
いつかは知誠館を巣立っていく必要がある
ったところがありました。それは教科の学
ことを告げます。ここは居場所じゃないと
習の場面で、先生の説明は聞いているもの
いうことを了解しておくことは、とても大
のどこか上の空。ふと目を離すとノートに
事なことなのです。私たちは、限りある中
はなにやらイラストのスケッチが…。彼女
で出会い、限りある中で互いに影響を及ぼ
にとっては、絵を描くことがいつもメイン
し合い、そして限りある中で巣立っていく
の文脈で、教科の学習はサブの文脈。そん
からこそ、限られた時間枠の中で精一杯変
な感覚を私たちはいつも彼女に対して抱い
容を遂げていくことができるのです。
ていたのです。そしてそれは、学習の時だ けではありませんでした。学習以外で彼女 と話している時も同じでした。やはりスケ ッチブックを手から離そうとはしないので す。实際、彼女の絵は、周りの誰もを唸ら せるだけの作品でもありました。プロとし てやっていけるのではないかと、いろいろ な人に言われることもありました。そして 彼女は一旦描き始めると、食事もとらずに 没頭するのだそうです。その集中力は、半 端なものではありませんでした。 私たちは、そんな彼女の作品を一度芸術
4. 機会開発という考え方
大学の先生に見てもらうことを考えました。 彼女の才能やその作品の完成度を判断して
こんな生徒がいました。私立中学に通っ
もらいたいと思ったのです。すると先生は
ていた彼女は、先生との折り合いが合わな
彼女の才能を大変高く評価し、 「今すぐにで
くなったことがきっかけで、学校へ行けな
も大学に来てもらいたいくらいです」とい
くなりました。どこにも行くところがない
うコトバを投げかけてくれました。自信を
ので毎日家にいて、しかたがなくやり始め
つけた彼女は、その後芸術コースを持った
たことが、絵を描くということでした。最
高校へと進学を希望し、ストレートに芸術
初は漫画のイラストから始めて、やがて外
大学への進路を目指すことになりました。
国人の映画スターのデッサン、それから外 国の絵本のイラストへと、どんどんその対
彼女は学校へ行けなくなったことで、自
象は変わっていきました。そして知誠館に
分の新たな才能に気づかされていったので 56
す。それは学校へ行っている時は、予感さ
こうした考え方を私たちは、「機会開発」
えなかったものでした。不登校というのは
opportunity development と呼んでいます。
確かに当事者である本人にとっても家族に
機会開発の考え方では、たとえ失敗や問題
とっても、大変ショッキングなことです。
であっても、あらゆる経験を自分の学びと
しかし、そうなって初めて気がつくことも
して取り込みます。不登校やひきこもりの
あるということを、彼女は私たちに教えて
経験を持つ若者は、学校や友達関係、ある
くれたのです。
いは家庭の中で何かしらうまくいかなかっ た経験を持っていることが多いです。そし
また知誠館で毎年行われる卒業式の場面
てその経験の中で勇気をくじかれ、やる気
では、 「不登校になってよかった」という声
をなくしたり自信を失ったりしているので
をよく耳にします。当事者である若者たち
す。うまくいかない状況は、その人を自ず
にとっても、あるいは一緒に苦しんできた
と立ち止まらせます。しかし多くの場合は、
親たちにとっても、学校に行かなくなった
その壁を越えることはできずに、何かに依
ことで見えなくなる世界があるように、学
存したり何かに逃避したり、何か責任転嫁
校へ行かなくなることで初めて見えてくる
することになっています。ところが機会開
世界がある。そういったことを、あらため
発の考え方では、問題そのものを変容の機
て気づかされるのです。
会として捉えるのです。
多くの不登校やひきこもりの当事者であ
問題そのものが変容の機会となっていく。
る若者たちは、自分が学校へ行っていない
そのためには、当事者である若者たちの認
ことに対して後ろめたい感情を持っていま
知、あるいはバイアスそのものを一旦外し
す。そこには問題を持った私がいて、親に
て、新しいものへと更新しなければなりま
心配をかけている自分自身を否定している
せん。そしてそこには、自分とは違った視
私がいるのです。中には親と葛藤を繰り返
点、あるいは俯瞰性を持った視点が必要と
している若者たちもいるでしょうが、その
なります。そしてそれを足掛かりとして、
葛藤を繰り返せば繰り返すほど、彼らは自
今まで自分自身を支配してきたフレームの
分自身を責め続けるのです。彼らにとって
存在に気付く必要があるのです。このこと
も、親たちにとっても、不登校やひきこも
は閉塞的な状況に対して、その振り返りを
りは否定されるべき問題行動なのです。
おこなうことへとつながり、さらには、閉 塞的な状況を突破するために新たな視野を
ところがこれらの問題行動が、何らかの
手に入れることにつながっていくのです。
きっかけで、若者たちが大きく変わるため のかけがえのない経験となることがありま
さらに問題を変容への機会へと置き換え
す。まさに問題があるからこそ気づけたり、
ていくためには、コトバの存在が必要不可
問題があるからこそ変容を生じさせること
欠です。若者が自分のコトバを使い、自分
ができる。そんな機会が存在するのです。
のこれまでの経験を問題から機会へと変換 57
していく過程が、とても大事になってくる
置換されていくのです。そしてその変容が
のです。そしてそのためには、彼らが借り
生じるためには、自分とは違った視点を持
物のコトバではなく、自分のコトバを手に
つ他者の存在、そしてそんな他者とある一
入れていることがその前提となるのです。
定以上の深さで出会うためのある意図(ア
「自分のコトバとは何か」。その問いがさら
フォーダンス)を備えた場の存在、さらに
に重要になるのかもしれません。
は変容した自分自身を認識していくための 過去の自分への対象化とそれを表現する自
この章では、若者たちがライフストーリ
分のコトバの存在、そんな条件が必要とな
ーを語るというセッションの場面を取り上
っていくと考えます。
げました。これは彼らが、 「辛く苦しい過去」 の中にしまいこんできた自分自身と向き合
繰り返しになりますが、知誠館の最大の
う作業であり、その作業を通して今の自分
使命は、不登校やひきこもりの若者たちの
自身を見つめる場面です。つまりここでは
変容を促すことです。このことは、そのま
彼らの過去が窓となり鏡となって、過去の
まの彼らの状況を尊重するのではなく、よ
自分と現在の自分が出会っていくことにな
り積極的に彼らの人生が活性化していくこ
るのです。これは対象化と呼ばれ、過去の
とを期待するものです。だからこそ、その
自分自身を現在の自分自身が見つめ、コト
変容の可能性をどこまでもあきらめないの
バに置き換える作業を通して、変容を遂げ
です。私たちは、不登校やひきこもり経験
た現在の自分自身がより明確に認識されて
を持つ若者たちを、従来の価値観の中に縛
いくのです。
っておくことに対してとても懐疑的に考え ています。そうではなく、彼らの現状に寄
またこの語りの場は、仲間たちとより深
り添いながらも、そこから生じていく変容
く出会っていく過程でもありました。出会
の新芽を大事に育てながら、もう一度その
いは感動を呼び、感動は新たな出会いを生
人生の物語を再構築して、新しい物語の可
みます。感動は、出会った両者に共通の要
能性を見出していく。まさに物語としての
素が存在していることの証明であり、他人
キャリアを経験してもらうことに尽きない
事が自分事へと変わっていく過程でもある
ように思います。そしてこのことこそが、
のです。従ってこの森の語り場に参加して
ドイツの社会教育が目指すベルーフ(天職)
いる若者たちにとっても、対話型の双方向
Beruf の獲得へとつながっていくのだと思
のやり取りを通して自分の思考そのものが
うのです。
どんどん更新されていく、まさに変容の過 程を経験しているように思います。 「機会開発」という考え方は、若者たち の変容を前提としています。そこに変容が 生じた時、彼らの問題が未来への機会へと 58
59
第3章
キャリアの接合点
-单丹ラウンドテーブル-
「单丹ラウンドテーブル」の「单丹」と
っていくことを期待しているのです。現場
いうのは、この知誠館のある亀岡市を含む
に働く人間は、私も含めて現实的な対忚に
地域の呼称です。そして「ラウンドテーブ
追われ、俯瞰的な視点や大きな概念を更新
ル」というのは、この地域で青尐年の支援
させることに対しての意識が薄くなりがち
に携わっている教育、福祉、心理等の援助
です。そこにあえて楔を打ち、さらに自分
者のための学びの機会として 2011 年に自
たちとは違った領域の人たちから、違った
为的に立ち上げられた学びの場です。それ
角度の意見を求めることを通して、簡卖に
が 2012 年からは、京都府の地域力再生プラ
は答えの出せない問いに考えをめぐらせて
ットフォームとしての位置づけを得て、今
ほしいと思ったのです。具体的な参加者と
日に至っています。
しては、学校の管理職、教員、京都府(青 尐年、福祉、心理)の職員、児童相談所、
单丹ラウンドテーブル自体は、年 4 回实
保健所、NPO 職員、マスコミ、大学院生、
施され、毎回 3 時間を通したディスカッシ
大学生、知誠館の生徒や卒業生、その保護
ョンをおこないます。その实施においては
者等が挙げられます。
2 つの約束が決められており、毎回冒頭で そのことが繰り返し確認されています。一
单丹ラウンドテーブルでは、知誠館代表
つは、参加者はその所属の一員としてでは
でもある私が、ここで日々繰り広げられる
なく、個人として参加してもらうこと。そ
若者たちのエピソードと、それを捉える私
してもう一つは、それぞれが当たり前に考
たちの社会臨床学的な視点を伝え、それを
えていることに対してあえて問い直しをお
きっかけとして、参加者によるディスカッ
こなうというものです。例えば、日々若者
ションがおこなわれます。そして、その進
の就労支援にあたっている人があえて「支
行は、京都学園大学人間文化学部教授の川
援とは何か?」ということを考え直してみ
畑隆先生にお願いしています。今年度のラ
る、といったことです。この省察的な思考
ウンドテーブルは、それまでとは尐し趣向
が、支援という大きな概念を揺さぶり、概
を変えて「若者のキャリア」ということに
念そのものを更新させていくきっかけとな
焦点化して考えてきました。だから、本稿 60
においてみなさんにご紹介するのは、若者
いるように思えました。つまりそれは、一
のキャリアというテーマに沿ったラウンド
般的な大学生の就活を目標においた援助モ
テーブルの記録です。キャリア形成という
デルであるように感じられたのです。もち
課題を抱える若者たち、あるいはその渦中
ろん援助対象となる若者たちには、個々の
を生きている若者たち、そしてそのキャリ
状況があるため、それを考慮しながらでは
ア形成を支援する、あるいはその決定に関
ありますが、尐しでも普通の大学生に近づ
わる大人たち。そのようなさまざまな視点
けるように援助が行われているようでした。
が交差する学びの場の可能性を考えてみた いと思っています。
しかし、私たちがふと疑問に思ったのは、 「普通の大学生の就活は、果たして彼らの
なお、以下のエピソードに登場する单丹
モデルとなり得るようなものなのだろう
ラウンドテーブルの参加者のうち、塾長は
か?」ということでした。というのも、知
私、北村真也、川畑は進行役の京都学園大
誠館には、常に大学生たちがボランティア
学人間文化学部教授の川畑隆先生を指し、
や教務補助という形で関わっているのです
他の实名表記は知誠館のスタッフたちです。
が、彼らの口から聞く昨今の就活事情に、
それ以外の参加者は、個人が特定されない
尐なからず違和感を覚えていたからです。
ようにすべてアルファベット表記とさせて
そこで今回のラウンドテーブルでは、今就
いただきました。また、発言の内容で個人
活の渦中にいる 3 人の大学生をゲストに迎
が特定される可能性があるものにつきまし
え、 「就活」が实際どんな風に行われている
ては、具体名を省略しています。
のか、あるいはその渦中にあって学生たち が何を感じ、何を考えているのか、といっ た話をもとにセッションを始めようと考え
1. 就活って何?
たのです。
私たちが、 「就活」ということを考えてみ
まず最初は、私から参加者全員に向けて
たいと思うようになったきっかけは、不登
簡卖な問題提起が投げかけられます。
校やひきこもり経験を持った若者たちの就 労支援のあり方を見て、疑問に感じる点が
塾長「就活って何だろう?っていうのが今回のテ
あったからです。履歴書の書き方や面接の
ーマです。就活という一つの社会の現象。多
仕方、さらには挨拶の仕方まで、この就労
くの学生たちは、いわゆる就活を通る…これ
支援プログラムでは、手取り足取りと言っ
漢字で書いたらいいのか…今、片仮名で書い
ていいほど親切な支援活動がおこなわれて
たりもするんですよ。私は、大学が 1980 年
いるようでした。しかしその支援では、彼
度生なんです。就活っていうのは、もちろん
らがごく普通の大学生のように就活を経て
私たちの時もありました。ここに来られてる
就労できるようになること、あるいはその
皆さんのときもあったやろうと。でも、その
状態に尐しでも近づくことが目標とされて
時とは随分違う気がしています。それを通し
61
て、キャリアを考えたらどういうことになる
てもらって、一体そこで見てきたものって何
んやろうか、っていうのがやりたいなと思っ
なんやろう?っていう風なことで、今日は 3
て今回は企画をしてみました。それで…Bさ
人、お招きをしたんです。私たちは教育とい
んが、うちのスタッフとしてここで働いてく
うフィールドにいるので、中学やったら高校
れてるので。今就、活真っ只中の学生がうち
に送ったらあとはもうわからないこといっ
には 3 人くらいいるのでね、どんな様子やと
ぱいあるんやけど、その小学校、中学校、高
か話を聞いたりするんですけど。まあ非常に
校、大学、と行って、ちょうど社会との汽水
複雑な思いが正直あります。例えば、聞いた
領域に在るのがこの「就活」なんですよね。
こともないコトバがあって、まず「ブラック」、
ここら辺のリアリティっていうものを、いろ
私たちの頃、ありました?あるいは「圧迫面
いろ生の声を聞くということがすごく大事
接」とかね。何がどういう風に行なわれてる
かな、ということで今回 3 人をお招きしまし
のか?それから大学院の先生とかに話を聞
た。A君とC君は今日僕初めて会ったんです。
くと、結構、就活で折れる学生が多いと。 「大
Bさんが連れてきた友達ということで今日
学出てこないんや」という話をよく聞くんで
私は初めて会いました。それで 3 人とも優秀
す。だから、その就活でいったい何が行われ
な大学に行かれて。いろいろ戸惑いがあった
てるのかなと大いに興味を持ったのです。私
り、こんなことになってるんや、っていう風
たちはたまたま、不登校とかひきこもりって
に思う事が多分あると思うので、そこら辺の
いう子のキャリアを实際どうサポートして
お話をぜひ聞かせてもらえたらなと思いま
いこうか、いろいろ議論したりする機会はあ
す。で、一人 5 分くらいお話をしてもらって、
るんですけど、不登校でもひきこもりでもな
その後、ぜひこういう機会ですから、皆さん
い、ごく普通にそれなりの大学に行ってそれ
ご質問いただきながら前半の場を動かして
なりに社会に行こうとしている学生たちの
いきたいなと思います。じゃあ、早速ですけ
流れの中に「就活」というものがあって。そ
ど…A君から、お話を」
こで行われてることとか、広げられてる世界 っていうのが、あんまり健康なイメージがな
キャリア教育の实践の場である学校、キ
くて。片一方で、いろいろ社会的にしんどい
ャリア支援の实践の場である NPO や行政
人たちのサポートを考えた時に、そうじゃな
関連機関。その現場で働いている援助者た
い人たちのキャリアの形成っていうのを一
ちは、果たしてこの就活の現状をどこまで
つモデルにして、そこに尐しでも近づくよう
正確に知っているのだろうか、彼らの目指
に何か手を打とう、っていう考え方もあるよ
す支援の方向性が、普通の大学生のキャリ
うな気がするんですね。でも多くの人たちが
ア形成へと向かっているのであれば、その
たどる、キャリアへの入り口にあたる「就活」
实態をしっかりと直視するべきではないか、
というものが、果たしてこれがモデルなんだ
というのが私の考えでした。すべてはそこ
ろうか?というところもものすごく疑問と
からしか始まりません。そこを知った上で、
して思うんです。それは私がどうのこうの語
その方向を貫くのか、あるいは方向修正し
るより、その渦中にいる人たちにまず一度来
ていくのかが問われるからです。 62
てもらえないっていうのは、企業にとって不 Aさん「はい。改めまして、Aと申します。私、
必要な存在であると言われてるように感じ
今〇〇大学に通ってまして、未だ就活を続け
てしまって。その中で自分自身、やってきた
ています。内定を未だもらっていないという
ことに意味があったのか…意味があるに決
ことなんですけども。私自身「就職活動」っ
まってるのに、意味があったんやろうかって、
ていうのが、大学 1 回生、2 回生、3 回生の
当たり前のことを疑問に思ってしまうって
時に、全然实感がわかなかったというか。社
いうことがすごく多かったです。で、仲間が
会人として生きていくということに対して
内定をもらったりすることで焦りを感じた
全然实感がなかったというのもありまして、
り、プレッシャーになってストレスを感じた
最初何から始めたらいいのかっていうのが
り。そこで心が折れてゆく学生っていうのは
全然わからなかったんですよ。で、その中で
すごく多いんじゃないかなと思います。僕自
周りが就活を始めて…就活って自分のタイ
身、今心折れてしまってるんですよ。内定も
ミングやと思うんです。だけど、そのタイミ
決まってないんですけど、説明会行った後に
ングっていうのが、周りに流されて始めてし
友達とカラオケに行ったり遊びに行ったり
まうっていう子が多分多いと思うんですよ。
することでストレスを発散する、っていうこ
で、その中で周りはしっかり自分の意思を持
とがあってしまって、なかなか就職活動に対
って決めて、就活をやって。で、自分のタイ
して向き合えない日が今続いています。そん
ミングで受かる、っていう人が多いと思うん
な僕なんですけども、一忚内定間近に行った
です。最初に大学1回生、2回生、3回生で
ところもありました。不動産会社の最終まで
何をやってきたかって聞かれても、答えられ
行ったり、出版会社にも内定もらえますよ、
ない学生がすごく多くて。僕自身も何をやっ
っていうところまで行ったりしたんですけ
てきたかっていうのがつかめないまま就活
ど…。その、内定をもらえますよっていうと
を始めたので、あまり就職活動で自分をアピ
ころまで行くとして、自分がここでやりたい
ールすることができない、っていうことが出
のかなっていうのを初めてここで問うんで
てきまして。皆が受けるから選考に受けてみ
すよ。今までは業種に限らず受けてきたんで
よう、っていう形で受けてみたり。でも、と
すけども、そこで本当に自分が就職したいの
りあえずっていう形で選考を受けることは
か、自分がこれから 40 年間仕事をやってい
就職氷河期である今、受かる理由にはならな
けるのかっていうところにすごく疑問を感
いので落ちてしまうことが多いんですよ。落
じました。その中で、やっぱりこの会社じゃ
ちてしまうことで、自分が否定されたような
ないっていう風に判断してしまって…この
気持ちになってくるっていうのが素直に思
判断がアホやと言う仲間もいるんですけど、
った気持ちで。自分のやってきたことってい
それで辞退してしまいました。で、私自身が
うのが…ビジネス・アイディア・コンテスト
素直に思うのが、40 年間働いていく会社って
だとか、ボランティアだとか、自分の中で行
いうのを、就職活動を真面目にやってるのが
動はしてきたつもりなのでそのことをアピ
今 6 ヶ月くらいなんですけど、その 6 ヶ月間
ールしたりするんですけど、それを受け入れ
で自分が 40 年間働く会社を決めるっていう
63
こと自体に無理があるのと違うかなって思 うんです。転職っていう方法は、今考えると
塾長「どうですか、皆さん。何か思うところがあ
厳しそうですし、早く決まる遅く決まるじゃ
れば」
なくて、本当に自分がやりたい、自分に合っ
Fさん「僕らの時代とね、ものすごく違いますね。
た企業を探していくことが大事なん違うか
僕らの時は 4 回生の夏から全員がスタートや
な、っていう風に思いました。で、これから
った。信じられへんかもしれないけどね。だ
夏にかけてまた就職活動始まっていくわけ
から 3 回までは、勉強とか大学生活一色でし
なんですけども、自分がやりたいと思った仕
たよ。そんなことが許された時代だったんで
事に的を、職種とかも絞ってやっていこうか
すね。で、おっしゃった中でね、「自分が社
と、今考えています」
会人になる姿」っていう。僕、あの頃も全然 想像つかなかったですよ。今でも覚えてます
A君は現在就活に苦労している様子でし
けども、教員に採用されて、辞令もらって、
た。3 回生までただ何となく大学生活を過
帰りのバスの中でじーっと外の景色眺めな
ごしてきて、就活が始まるや否や急に焦り
がら、俺これから教師やるんや、不思議やな
始めるという話は、わかりやすいものでし
ーって思ってました。教師にはなりたかった
た。A君は、3 回生になるまでにも、ビジ
んですよ、でもね、社会人という实感はね…。
ネス・アイデア・コンテストやボランティ
結婚もそうでしたよ。自分が親になるってい
アなど、就活にプラスになるとされること
う实感も。ただね、自分にも子供がいて、子
をしていたようです。しかしその動機も、
供がやっぱり 3 回生くらいから就活しました。
周りがやっていたので…といったように、
大学の勉強何もできてない、って言ってまし
あまり明確な意味づけがあったわけではな
た。何も楽しくなかったと。僕は大学めちゃ
さそうです。
くちゃ楽しかったですわ。今でも戻れるんや ったらあそこや思います。ただ、40 年間って
就活が始まってエントリーシートを大量
いう風に覚悟決めてたかっていうと、そこま
に書き、また大量に落とされてしまうとい
で見通してたのかな、って。見通してなかっ
った挫折経験の中で、今まで大学でやって
たんじゃないかなって。今から思ったら青臭
きたことに果たして意味があったのかとい
い感じやったかもしれませんけど、頑張ろう
う振り返りが起こってきます。また仲間た
と」
ちが内定を取り始めると、焦りと不安が押
塾長「どうですか、聞いてて」
し寄せて心が折れそうになっていたと言い
川畑「あの…辞退をしたっていう話ね。 「お前何で
ます。そんな中、手あたり次第に受け続け
やねん」って言う友達もいたって言ってたけ
るとどこかから内定は出るものの、今度は
ど、けっこうたくさんの人に言った?周りは
「本当にこの会社でよかったのか?」 「この
たくさんの人が知ってる?」
業種に興味があるのか?」「定年まで 40 年
Aさん「はい」
も勤められるのか?」という不安が生じて、
川畑「どんな声があった?」
結局内定を辞退してしまったというのです。
Aさん「辞退をする時?」
64
川畑「する時かした時か、わからんけど…」
年って言うと、何がどうなっていくのかわか
Aさん「その辞退するって言った時に、自分の事
らない。そんなの、君じゃなくてもわからへ
をあまりよくないと言った仲間たちです
んような気がする。そこまでを全部ある程度
か?」
見通して何かを判断するということは、あん
川畑「じゃなくて、「お前の言う事わかるで」って
まり意味を持たない可能性もある。結婚もそ
言った人もいただろうし、他にどんな意見
う。結婚生活は、普通もっと長い。会社は定
が?」
年までっていう終点があるけど、結婚はもっ
Aさん「そうですね、大学では僕と同じような学
と長い。そうすると、それを決断する、もう
生が多くて、内定が決まったんですけど辞退
ちょっと違う要素がひょっとしたらあるの
してしまうっていう学生が多かったです。例
かなと。「ここや!」とか、「この人について
えば、地元の、C君と仲いいんですけど。C
いきたい!」とか。そういうものがものすご
君とかだと、仕事っていうのはある程度、文
く大事な気もするんやけど。さっきも話を聞
系とか自分のやりたいことが限られてくる。
く中で前提としてあったのが、「結構周りに
その中でどこに入っても最初は積み上げて
流されて」とか。「とりあえずやっておかな
いくキャリアは同じようになっていくもの
いと」とか、そういうモードの中でっていう
なんで、どこに入っても一緒だからとりあえ
話もあったけど、何かこう…そういう感覚が、
ず内定持ってて、まだ就職活動続けるのもあ
頭で考えて何か決めるという以外にあるの
りやし、そこで就職活動がだめやってもその
かな、っていう気がしたりするんやけどな」
会社には入れるように…っていうようにや
Fさん「いいですか?何かこういう人生を歩きた
ったらいいのと違うか、っていう風に言って
いとかありますか?」
くれたんですけど。そういうことを言ってく
Aさん「はい、あの…不動産会社に就職しようと
れる仲間の方が多かったですね」
最初は思ってたんです。その不動産関係の仕
川畑「ちなみにそのことは、親御さんはご存じ?」
事をやって、その中で資格とか専門性を身に
Aさん「そうですね、親とはあんまり相談しない
つけたうえで次に自分で起業しようと考え
んですよ」
てたんですけど。就職活動で迷っていく中で、
川畑「そう。いや、親御さんご存じやったらどう
そこさえも自分の中でぶれてきてしまって。
言わはったかな、って」
本当に起業したいのかとか、そういうことを
Aさん「そうですね…多分好きにしたらいいん違
迷ってきてしまいまして。今となってはふわ
うかって」
ふわしてきて、わからなくなってます」
塾長「私ちょっと聞いててね。その…6 ヶ月間で自
Fさん「いいですか?僕ら、職場体験っていうの
分の将来の 40 年間を決められるかと。そり
をやるんやけどね。皆さんもやってこられた
ゃ決められないとやっぱり思うよね。ビジネ
と思うんやけど。職場体験で本当にあの子ら
スの世界でもそうやけど…昔、例えば 80 年
に見てほしいのは何かって言ったらね、職業
代とかは、10 年先ってある程度見えてたかも
じゃないんですよ。職業を通して、人を見て
しれないけど、今 10 年先だって…いや、1 年
もらいたいなと最近思うんです。職業の先に
くらいは何とか見えるかもしれないけど、3
は必ずお実さんがいたり、人がいるんですよ
65
ね。だから僕、職業っていうと、その先にあ
を過去の部分、今の部分、未来の部分ってい
る人とかね、それを考えてみろっていうのを、
う風に分けさせてもらったんですけど。過去
アドバイスとして伝えてるんです」
の部分に目を向けると、人生で今まで自分が 何をしてきたか、どんなことを大事にしてき
参加者からの様々な質問の後、今度は有
たか、何ができてできなくて、何が好きで嫌
名な某国立大学に通っているC君の話にな
いで、っていうのを見つめ直せるんじゃない
ります。C君は、おそらく就活においては
かな、っていうのが一つ、就職活動のメリッ
勝ち組ということになるのでしょう。比較
ト。今という面に関しても、就活自体がすご
的早期に、一流とされる会社の内定を手に
く勉強になることだと思っていて。会社もい
入れていました。
ろんなとこ調べますし、社会の事も勉強でき て。まあ自分がどんな人なのかっていうのも
Cさん「はい。僕は質問の方が時間取りそうなん
自分で考えられますし、その過程で友人と語
で、軽くいきます。僕の就活のイメージは、
り合うことが多かったんで、僕の場合。友人
初めは氷河期がどうとか言ってたんで、もの
の事ももっと知れるし、僕のことも知っても
すごく大変なつらいことなんだっていうの
らえて。自分でも自分の事を知れて、ってい
は聞いてましたんで、ちょっと怖かったんで
う。そういうことが現在のメリット。未来に
す。でも自分の中に自信はあって。というの
向けては、これから何がしたいのかっていう
も、高校 3 年間、全部勉強に費やしたような
人生の設計図みたいなものを描けたんじゃ
環境でやってきたんで、大学は多分それなり
ないかなっていうのが。それで僕は自分がこ
に学歴で見たら評価されるようなところに
んなことやりたいって見つけられた気がし
行けたと自分では思ってるんですけど、まあ
ますし、今まで漠然としてたものを、面接で
行けるんじゃないかなと。厳しい、辛いとは
相手に伝えるために、凝縮してエッセンスを
言ってても、僕なら行けるんじゃないかな、
ビシッと詰め込んだ文章で表せたり。そうい
そういう自信は持ってて。まあ实際、4 月 1
うことが就活をして楽しかったな、メリット
日くらいから本格的に面接が始まるんです
だなと思ったことで。で、その中でもやっぱ
けど、4 月 3 日に決まりましたんで、上手く
り今の就活に問題があるなって感じてる部
いった方だとは思うんですけど。それでもや
分があって。それはまず 3 つ言わせてもらう
っぱりストレスは感じてたみたいで、しばら
と、まずいっぱい受けなければいけないこと
くご飯食べられなかった時とかもありまし
かなと。ゼミの先輩とかの話を聞いてても、
たし。それで決まって終わった時に、ものす
「俺 50 個受けたよ、とか。100 個出したよ、
ごくいっぱい食べられたんですね。自信もあ
とか。そういう人がいる中で、さすがに僕は
ったけど、気づかないうちにストレスを感じ
どんなに自信があるって言っても、3 つ受け
てたんやって思って。でも決まってしまえば
たいところがあるから 3 つ出して 3 つ受か
就活自体は僕すごく楽しかったと思ってま
る」とかは思ってなくて。まあ 30 個は出す
して。それで就活のメリットみたいなのを今
かって決めて。まあ決まったんですけど、30
から話そうと思うんですけど。そのメリット
個も出すと、本当に行きたいと思ってる会社
66
じゃないところに行かないといけないわけ
その日電話がかかってこなかったら落ちた
じゃないですか。行きたくもないところにエ
ことになるんですよ。で、1週間後くらいに
ントリーシート書いて、筆記試験受けて、面
残念でしたみたいなメールが来るんですよ。
接も行って。すごい時間も取られますし、本
何のフィードバックもなくて。何もわからへ
当に行きたい会社に全部の意識を割けない。
んし、全部が否定されたような。そういう雑
いっぱい受けて、その中から尐ししか決まら
な扱いっていうのはあんまりよくないんじ
ないっていう今の制度はちょっと違うのか
ゃないかなって思いました。で、最後に気持
なって思うのと。まあ会社の名前を見て行っ
ちの面で悩みというか。僕、〇〇証券に行く
てる人が多いっていうのは、思う事があって。
ことになってるんですけど、証券会社ってす
周りの人でもそうなんですけど、「何々って
ごくしんどいイメージが僕の周りの人には
いう会社受ける」って言ったら、「その会社
あって。人気がないんですね、証券会社って。
知ってる、すごいやん」とか。「何々受けて
わりと受けたら行けるような。まあそんなこ
きて受かったよ」「それどこ、すごいんかわ
とはないですけど、受かりやすいような会社
からへん」とか、僕もそうなんですけど、大
なんですね。で、周りではすごい採用枠が小
きい会社であったり有名な会社であったり、
さい会社とか、給料がいい会社とか受かって
会社の中身をあまり見てない人が多いんじ
る人がちやほやされてる中で、僕の会社そん
ゃないかなっていうのが今問題かなと思う
なたいしてすごくもないよな、って。自分が
し。もう一つ、会社側に問題があると思うの
やりたいことがあっていきたい会社であっ
が、学生に対する扱いっていうのがすごい雑
ても、周りから見たらあんまりちやほやされ
かなと思ってて。そりゃいっぱい受けてくれ
ないような会社で、ほんとにいいんだろうか
ますし、その中から選んで取れるわけじゃな
って。周りの人がいいって言ってくれるよう
いですか。まあ落とす人はどうでもいい、み
なところに行けたんじゃないかとか、思った
たいな、そんな印象があるのかもしれないで
りしちゃうのが今の悩みやったりしますね。
すけど。多いところは5次面接とか。知って
といったところです」
るだけで、13 次面接まであったよっていうと ころもあって。13 回面接を受けるわけじゃな
4 月 1 日に就活を始めて 3 日には内定を
いですか。そのためにいろんな準備をしてい
もらったというC君。彼は自分の就活につ
く。だいたい今、4月1日から面接していい
いては最初から自信を持っているようでし
ことになってると思うんですけど、4月1日
た。そしてその自信は、彼の学校の社会的
に受けた面接は、4月1日の夜に電話がかか
な評価、その学歴、そしてもちろん、彼自
ってきて、次来てねって言われて2日か3日
身の今まで積み上げてきた経験から来るも
に行く。それで例えば2日に行った時に、夜
ののように感じられました。
にまた電話がかかってきて、っていう。そう やって毎日毎日行くんですよ。で、受かった
C君は、就活のメリットを過去、現在、
らいいですけど、落ちた時に、受かったら1
そして未来という 3 つのフェーズに分けて
週間以内に連絡するよって言われてるんで、
考えていました。まず過去については、自 67
分のこれまでの経験を整理できたことを挙
りする中で、社会が発展していくっていうこ
げています。そして現在、就活によって社
ともあると思う。でも私は直接行政の中に入
会のことをいろいろと調べる機会を手に入
って、行政の中で地域おこしとかいろんなこ
れ、知ることができたということ。そして
とをやりたいと思った。だからそこしか受け
未来については、自分のライフプランを立
なかった。大学入った時からそう思ってたの
てることができたということを挙げていま
で、逆にそれしかやらなかった。皆さんが民
した。
間で苦労されてるところっていうのは初め て聞かせてもらって、そうなんやって思って
そして最後に、就活の問題点を語ってく
るのが实態です。会社の名前だけ見て中身を
れました。一つ目は、エントリーする企業
見てないっていうのはよく分からないし、あ
の数が多すぎるということ。そのため情報
まり理解できないなと思って聞いてました。
過多になる、あるいは時間に追われてしま
正直なところ」
う、ということでした。そして二つ目が、
塾長「あの私、今の話聞いててちょっとだけ思う
企業の学生に対する扱いについて。これは
のは、50 社とか 100 社とかエントリーシート
かなりの数のエントリーがあることによっ
を出して、要するに数をとりあえずある程度
て、一人一人の学生が尊重されない可能性
やらないといけない。自分もまあ 30 くらい
が出てくるということでした。そして最後
はやらないとあかんなとか。それで一つの会
は、周りからの情報によって自分の気持ち
社についてどれくらいコミットできるかっ
が揺らいでいくということ。この 3 点を挙
ていうのは、分母が多くなればなるほど、よ
げていました。
くわからない世界になっていくんやろうな あと。そうやっていろんな形で面接が動いた
塾長「どうでしょう、いろいろ。聞いてみたいこ
りすると、けっこう情報がごっちゃになって
とがあれば」
くるし。さっきも言ったように、とにかくわ
Dさん「会社の名前だけ、っていうのはね。中身
けのわからない状態でとりあえず動いてお
を見てないっていうところは、どうなんかな
かないと、っていう。そんな状況が多分リア
ーって。自分自身も、何をやりたい、こんな
ルに存在するんやろうな」
風な達成感を味わいたい、っていうことがな
Cさん「あるんでしょうね。ただ、行きたいから
いのかな、って一瞬考えちゃいましたね。私
といって、絶対決まるかというとそうじゃな
は公務員志向だったので、民間には行ってま
い。お見合いみたいな。そういうイメージが
せん。公務員試験しか受けてない。その中で
あるんで」
何をしたいかって言ったら、私生まれが○○
塾長「私たちの同期とか、だいたい管理職の歳に
で。その頃から何がしたいって言ったら、こ
なってるんで、まあ人事担当とか。だいたい
の地域どうなるんやろうっていうことを思
5 分ほどしゃべったら、この人いけるかどう
ってたので、地域社会に何らかの形で役に立
かわかるって言うね。企業からしたら、やっ
ちたいなと。民間企業で役に立つっていう形
ぱり途中で辞めてしまう学生たちばかり採
もある。企業の中で社会的な責任を果たした
ったら会社つぶれてしまうからね。一人を一
68
人前にするのに 3 年、だいたい研修代と給与、
いっていうような不利な状況でエントリー
福利厚生にだいたい年に 400 万かかる。それ
を出さされるんですよ。だからやっぱり、早
で 3 年間に 1000 万払ってみんな辞めていっ
い段階でたくさん出す、受けられる可能性の
たら、要するに会社の損失はめちゃくちゃ大
ある母数を大きくしておくっていうのは、ど
きいので。だからある程度選ばないといけな
うしてもしたくなってしまいますね。あまり
い…とした時の選ぶ目と、学生たちが「こう
いいことじゃなくても」
やったら就活がうまくいくのと違うか」って
Fさん「ちょっと聞いていいですか?大学生活楽
いうところに、ひょっとしたらずれが生じる
しかったですか?」
のかもしれないですね。でも片一方で、大量
Cさん「大学生活はね、学校自体はあんまり楽し
の情報が舞い込んでくる状況にならざるを
くなかったんですよね。僕高校もあんまり楽
得ない。そこら辺の葛藤とか、そんなのがあ
しくなくて。高校も本当に大学に行くための
るような気はするけど。そのあたりはどう思
3 年間。高校で遊んだというよりは、塾に行
う?」
くことの方が多かったですし。塾の方針で部
Cさん「うーん、採用の方法とかでも、今だいた
活もやめましたし。それでもまあ、受かって
い 3 年生の夏にインターンに行って、インタ
みれば、受かってよかったなと思いますけど、
ーンで 1 週間なり一緒に仕事をした中で「こ
ほかのこと…部活頑張ってたり、自分の好き
いついいな」って思った人を採る、インター
なことやってたりしてた人には、憧れという
ン採用みたいなんがあるんですけど。そうい
か、うらやましいなっていうのは思いますね。
うのすごくいいなと思って。それだったら働
大学にしてもそうなんですけど。もっといろ
きたい人も 1 週間アピールする時間があるわ
いろ楽しいことやってたらよかったなと」
けじゃないですか。その間に仕事とかを見て、
Fさん「本当に大変やなと思うけど、僕が大学生
一緒に時間を過ごす中で採用が来る。まあ時
だったら、僕は一体何のために大学行ってた
間はかかるだろうし、手間もかかると思うん
んやろうって思ってしまう。僕、楽しかった
ですけど、まあ、今の採用よりもそういう採
んですよ。あそこでね、大学の仲間や先輩と
用ができればいいのかな、というのがありま
ガヤガヤした中でね、僕ちょっと変わったな
すね。でも一つも決まらないのは、不安なん
って思うんですよ。研究したことも今でもよ
ですよ。だから僕が証券会社行こうと思って
い思い出として残ってますし。今就活の話聞
るとしたら、为だった証券会社が 5 個あるん
いてると、大学って何のためにあるんやろう
ですけど、5 個全部受けたら 1 個受かるんだ
って思ってしまうんですよね。だから、それ
ろうか、とか。じゃあ受からなかったらどう
だけ勉強頑張って、大学行かはったのに。僕
しようっていう時、それで募集終わってる時
は本当に行ってよかった。でも…僕がこれか
あるんですね。もう募集終わりました、って
ら送り出す子がそういう形で進んでいくん
言う会社がけっこう多いんですよ。で、僕も
かって、話を聞いてました」
初めはけっこう行きたいところだけに絞っ
Cさん「多分勉強とかは楽しかったっていうのも
てたんですけど、途中で怖くて 30 に増やす
あると思うんですけど。でも僕の周りでは、
時に、だいたいもう 2 次募集で出してくださ
何で○○大学行くのかっていうと、多分就職
69
が楽だから。で、〇〇大学でどんな風に勉強
なわれてる資格講座みたいなものに行き始
したかっていうと、いかに楽に卖位を取るか。
めたり。3 回生の始めからはみんな就活モー
いかに楽に卒業するか…に注力して、あまり
ドになっていろんなこと考え始めたり。皆ボ
勉強したいっていう意識が高い子はいない
ランティアしたり、就活のための行動ってい
ように思いますね。实際僕も、国際貿易を勉
うものを取り始めていたなって、私は思うん
強してるって言いましたけど、ゼミが国際貿
ですけども。私は 3 回生の時に入った、法社
易っていう名前がついてるだけで、国際貿易
会学の医療過誤生命倫理を扱うゼミでの学
の事全然知らないんですよ。そういう現状も
習っていうものがすごく気に入って、大学に
あるのかな、と。やっぱり勉強して、大学楽
入って初めて勉強したいっていう風に思え
しかったっていうのがいいな、うらやましい
たのが、3 回生だったんです。で、真面目に
なと思いますね」
そのゼミにも取り組みましたし、その研究自
塾長「だからやっぱり、就活というものを通して
体がすごく面白くって、レポートなども深く
いろんなことが見えてくる、そういう気もす
研究して書かせていただいて…っていうこ
るんですよね。そこに表現されているもの…
とをしてる間に、夏になったら皆もうインタ
それは例えば学校の課題もあるのかもわか
ーンに行って、冬になったら自己分析だの他
らへんし。いろんなことが…」
己分析だの、就活の軸を決めるだの。就活本 みたいな見本があって、皆そういったものに
就活というものを通して、いろいろなこ
沿って、就活っていうひかれたレールに乗っ
とが見えてくる。それは確かにそうでしょ
ていく中で、私自身勉強したいっていう思い
う。若者たちにとってそれは試練であり、
がすごくその時はありまして。将来のことを
壁なのですから。当然、今までを振り返っ
考えていなかったわけではなくって、夢はあ
て考えないと前に進めなくなるはずです。
ったんですけど。それについてやるよりも今
C君に感心させられた点は、そんな試練を
は学業が面白くてそこに集中してしまって
機会として捉えなおす視点をちゃんと持っ
いる自分がいて。12 月、就活がヨーイドンっ
ていたことです。私なら、彼のそういった
て始まる時に考え始めたくらいのかなり乗
側面を高く評価するかもしれません。
り遅れた状況やったので、周りの人から大丈 夫なん?って言われたり。そういう風に焦る
そして最後に、Bさんに話してもらいま
ようなコトバをかけられたりとかありまし
す。彼女の就活は、他の二人とは尐し違っ
て。そろそろ考え始めないとな、っていう風
ているように見受けられます。彼女は、自
に、周りの勢いに押されて始まった就職活動
分のやりたいことにこだわって就活に挑ん
でした。それこそ、50 社とか 100 社とかエン
だのです。
トリーするっていうのは、もうボタン一つで エントリーできてしまうっていう所があっ
Bさん「えっと…私の就職活動は、他者との比較
て。そういうものを押すだけで、そこからの
との戦いでした。まず 2 回生の後期くらいか
説明会とかの情報が自分のもとに送られて
ら、皆資格を取ろうということで、学校で行
きて、という状況があって。とりあえず興味
70
があれば押していこう、みたいな。普通にみ
諦められなかったんですね。諦められない気
んな 100 社エントリーしたよ、とか言ってる
持ちが強かったので、ここまで来たら就職浪
人もいたし、ボタン一つ押すだけでできるこ
人を考えよう、と思いまして。卖位を削って、
となんです。私は夢がありまして、普通の会
来年もう 1 年、新卒で扱ってもらえるように
社で働くっていうよりかは、私は夢を追いか
5 回生で学業を続けようかな、っていう気持
けたい、っていう思いがあって。最初はテレ
ちを持って就活をやり直しました。それで、
ビ局を受けさせていただいてました。制作が
その 5 月に 10 社ほどエントリーシートを出
したいっていう思いがありまして。テレビ局
させていただいて、先週面接に行かせていた
って、他の方と業界が全然違うので就職活動
だいた企業に内定をいただいたんですけど。
のやり方も全然違って。まずエントリーシー
全く、周りの就職活動…、順番に面接を重ね
トっていうのがちょっと特殊で、作文があっ
て決まるっていうスタイルではなくって、た
たり、ややこしい問題が 3 枚とか 4 枚あった
った一回の面接で、初対面の方に内定をいた
り、っていうので。出すのが大変っていうの
だきました。で、そういった企業に出会えた
があったものの 3 月くらいにそれを頑張って
ことっていうのは私にとってすごくありが
出したんですけど、ほとんど「お祈りメール」
たかったんですけど、まあ、今まで就職活動
って言うんですけど、先ほど言わはった「健
やってきたことも無意味だったとは思わな
闘をお祈りいたします」っていうようなメー
いんですけど、そのシステム自体にやっぱり
ルがどんどん来まして。そこで一度挫折を味
疑問を持つところは今でもあります。今は落
わいました。紙一枚で何がわかるねんって思
ち着いているのでそんなになんですけど…、
いながらも、そういう風に省かれていくこと
さっきC君が言った様に、皆に知られてる企
への疎外感。社会から疎外されてるような気
業でもなければ、お給料は東京で生活してい
分だったり。自分を見てももらってないのに、
けるギリギリのラインっていうことで。私は
そこにも到達できないつらさっていうのを
夢を追いかけてたっていうことがあるので、
味わいまして。そこから尐し視野を広げて…
それでも全然大丈夫なんですけど、やっぱり
でも私も結構な数、50 社くらいはエントリー
親だったり周りの方がそれって大丈夫なの、
シートを出したと思います。で、決まったの
って心配される方が多いんですけど、私の中
は先週だったんですけど、3 次選考 4 次選考
ではすごく納得できる就職だと思っていま
に行っても落とされる、っていうことがずー
す。以上です」
っと続いて、一旦エントリー企業がゼロにな
Bさんの就活は「他者との比較との戦い」
ったのが 5 月の中旬、なんです。そこでゼロ になった時に、私はここまで視野を広げてこ
だったと言います。これは、他者との比較
こまで業界を絞ってここまでこの仕事にこ
で翻弄されそうになっていく自分との戦い
だわってやってきたことが、だめなことだっ
と言い換えてもいいかもしれません。Bさ
たのかなってすごく思ったんです。で、あき
んによれば、2 回生の後期頃から、大学で
らめた方がいいのかな、向いてないのかな、
資格講座が始まったり、みんなが就活にお
ってすごく考えることがありまして。そこで
ける自己アピールの材料としてボランティ 71
ア活動に参加したりと、就活モードがスタ
くなってはいるんでしょうけど。問題は残さ
ートすると言います。そして 3 回生の夏に
れた人、みたいな。やっぱり、さっきおっし
はインターンシップが始まり、後期からは
ゃったように 40 年後を見通すっていうのは
自己分析やキャリアプランなどのセミナー
無理やっていうことに尽きるかな、と。あん
に参加し、やがて就活が始まっていくそう
まり自分に向いてる職種とかが、40 年間絶対
です。
ブレないっていうことはあまりないと思う から…、もうちょっと柔軟に対忚できるよう
しかし、Bさんはそんな流れに逆らうか
に。変化する必要性がありますよね」
のような学生生活を過ごします。3 回生の
塾長「私たちは 84 年に卒業して、それこそ証券ブ
時に所属したゼミでの学習がおもしろく、
ームやった。〇〇証券とか言ったらもうもの
そこに没頭していくのです。すると他のみ
すごかった。びっくりするくらい給料もらっ
んなの就職モードからは取り残されること
てた。だからもう 30 歳くらいで年収 1000 万
になり、まさに葛藤を抱えていきます。そ
とか普通やった。でもすぐつぶれて、その後、
れを彼女は「戦い」と呼んだのでしょう。
金融関係では銀行も統合やら何とかで…、も う悲惨な結末でした。だからそれこそね、40
3 回生の冬から就活が始まり、50 社から
年先なんか見えないんです」
100 社にボタン 1 つでエントリーし、エン
Mさん「私ちょうど海外に行った時に、周りで証
トリーシートを提出。そしてそこからの面
券会社の人とか銀行の人とか、月 40 万の社
接の嵐と、次々にやって来る不採用の「お
宅に住むとか。でもつぶれたら帰るところが
祈りメール」。彼女はそんな渦のような就活
ないみたいな。本当に知ってる人がそういう
のモードに片足をつけながら、その一方で、
状況だったんで。でも皆、やりたいことが…
テレビの制作がしたいという夢を追い求め
職種とかに関係なく、ああいう働き方をした
ていくのです。しかしそれは決してたやす
いとか。そういうのがはっきりしてる人は、
い道ではなかったようです。
それも得難い経験だ、みたいな感じで帰って いく人もいるんです」
塾長「どうですか?」
Fさん「40 年先なんか見えないですよ。僕が教師
Mさん「渦中にいらっしゃる方の話なんでね、大
になった時に、○○(大手IT関連企業名)
変。大変なんだけど、Cさんがおっしゃった
なんて大した会社と違いましたよ。そんな時
ようにね、よかった点っていうのを認めてい
代です。ゲーム会社なんて、ほんまに不安定
らっしゃるのですごいいいなと思いました。
な仕事やって言われた。どうなるかわからへ
システムにはものすごい不備があるんです
ん。でも今はもう IT を抜きに動かないでし
よね。で、エントリーができないようにする
ょ。90 年代くらいからじゃないですか。イン
…あんまりたくさんすると、会社にとっても
ターネット絡みの。僕が採用された時華やか
大変なので、っていう動きがあるんでしょう、
やった企業が、どれだけが残ってるかという
尐しずつ修正をしていくでしょうし。で、い
ことですよね。あのままの輝きを持ってどれ
くらか大学生にとっても求人倍率とかはよ
だけが残ってるか。あの時に何も考えてなか
72
った企業が、姿すらなかった企業がどれほど
大きいように思います。会社が自分自身の
出てきているか。そういうところは、40 年先
40 年を保証してくれる根拠が崩れつつあ
じゃなくても、そう思いますわ。で、後は入
るのです。今の大学生たちは、そんな不透
ってからどうキャリアアップしていくか。こ
明な未来に対して何かを決定していかなけ
ないだのキャリアの話聞いてると難しいん
ればならいのです。
やけど、やっぱりスタートなんですよね、ま だまだね。それから人は変わるし。目指すも
川畑「社会福祉施設で働きたいと思う学生がいて、
のもあるやろうし。その中で作り上げるもの
雇ってもらえるように、頑張るんですよ。と
やと思いますわ」
ころが、親御さんから、あんたそれで一生い
川畑「一つ思うのは、40 年も見通せないというこ
けると思ってるの、って言われて。あの、親
とを、歳を取った者はわかってたり、あるい
から言われたっていうのを書く人がいるん
は感触的にそう思ってるから。逆に、ちゃん
ですね。僕はそのつもりだったけど親がだめ
と安定したところへ入れとかね。逆にそうい
と言うのでやめますと。というのは一人じゃ
うことを歳のいった者が求めるというかプ
なくてやっぱりあるんですね」
レッシャーを与えるというかね。親もそうや
塾長「そうですよね」
し、いわゆる大学側もそうやし。みたいなと
川畑「僕は、就職させたいんやけどね」
ころがあるのかな、と」
塾長「親がやめておけと」
Cさん「そうですね。親にもやっぱり、「大丈夫な
Nさん「保護者の方は社会福祉施設に人材を、全
ん、証券会社。あんた続けられるの」とかす
然送ってきてくれはりません」
ごい言われて。あんまり賛成してる感じじゃ
川畑「きつい、汚い、給料が安いということでね。
なかったですね。もっとほかのところを受け
全部そうだと世間は思ってるところがある
てる時に「そこいいやん、頑張れ」って言っ
から。そう言われたら、「それでも僕は行く
てもらったのに、实際証券会社に決まった時
んだ」と思うまでのいろんなものを持ってな
に「次どこ受けるの?」みたいな。友達もそ
かったり、知識もないからね。そう言われた
うなんですけど、 「何々受かったで」 「そうな
ら「そうかもしれへんし困るな」っていうこ
ん、それどこなん?」って聞かれるような。
とで、違うところを選ぶという」
僕は行きたい会社に受かってよかったのに、
Dさん「福祉業界のところはね、やっぱり親や周
その人の正直からしたらそれは第一志望に
りの影響もあって、福祉系の学生が志望しな
なり得ないような会社だっていうこともあ
い。そこに志向が向いてないんですよね。〇
ると思うんですね。そういうこともあって、
〇大学の先生なんかと話をしてると、〇〇に
周りの人がすごいって言うような会社に行
入りたい、っていうところが出発点で、学部
ったらもっと気が楽やったのかなって思う
はどこでもいい、みたいな話まで出てくるか
要因にもなってます」
ら。で、じゃあやりたいもの、目指すものっ て何なんだろうな、って思ってました。ただ、
40 年先が見渡せた時代と、来年のことさ
福祉ってやりがいあるよというところをど
えよくわからない時代。その違いはとても
う見てもらえるか、わかってもらえるか。福
73
祉の分野のやりがいってどんなもんなのか
学に、それこそ何か、すごく変な営業会社み
って、こういうとこなのか、って知ってもら
たいなところがあって。学校の売り方ってい
うためにいろんなことをやりましたけど、な
うのもやっぱり、就職率がいいですよってい
かなか上手くいかない。それと、福祉の中だ
う言い方は説明会でもしてる。この前、大学
ったら、キャリアアップとか、そういうとこ
院の説明会でしゃべるように言われて行っ
ろが難しいんじゃないかっていうような。人
た時も、どういう就職を考えてるかとか、研
を育てなくって、離職率が高いっていうとこ
究科で何ができそうかっていうのも言って
ろがあったので、じゃあまあ皆で、業界全体
ほしいって言われて。でもそもそも大学院の
で育てるっていうことをやっていけないか
説明会は、大学院の事を知りたいと思って来
なあ、って。そんなことをどうやってやって
てる子たちよりも、就職で迷ってる子、ダメ
いくか考えながらやってたっていうのが現
だった子も来るから、そういう子も大丈夫っ
实ですよね」
ていう感じで言って、って言われて。いや、
Bさん「大学でも、キャリアオフィスっていうと
フリーターでしたって言いますけどいいで
ころからずっと電話がかかってきて。進路は
すか、って。で、言ったんですね。その辺が
どうなっていますかと。内定は出ていますか、
ちょっと迷わせてるところが实際あるなっ
っていう電話が毎月毎月かかってくるんで
ていうのはすごくあります」
すね。で、こういう説明会が大学であります
川畑「うちの大学なんか、とにかく満足度 100%の
よ、こういう講座が大学であります、〇〇大
大学です、っていうのをね、新聞に大広告出
学の子が入れる特殊な面接があります、だっ
してね」
たりっていう、そういう情報を大学が言って
塾長「見た見た」
きたりとか。なんか就職活動っていうものが、
川畑「ああいうところでイコール就職率 100%みた
その大学のシステムの中に含まれているっ
いな。上がバーッと号令かけて。それでもう
ていう。先ほどの教員の、受かりやすい、っ
カリキュラムも含めてトップダウンです。学
ていうものも、大学もその結果が全てで、そ
部には、いろんな学生がいるから、それはお
れが次の入学者につながるっていう。教育っ
かしいって言うんだけど、そんなの全然相手
ていうものじゃなく…そういう社会になっ
にしてもらえませんね。それはどこをとって
てるのかなって」
もそうやと思いますよ。特に私立大学では」
Oさん「〇〇大学だったら、卒業してから一年間
Dさん「でも先生。その仕事をやってる時に、大
も連絡がすごかったんですよ」
学の事務の方々ともお話をしたんですけど
Bさん「あ、そうなんですか?」
も。やっぱり、大学の方に定員ありますよね。
Oさん「僕とか、内定もらってたところがあった
定員割れを起こさないようにしようって思
のにフリーターをしたんですけど。言うのも
ったら、最後のところはやっぱり就職率を言
面倒くさいし、何で言わないといけないんだ
われるって」
ろうと思って黙ってたんですけど、ずーっと
川畑「親御さんも、やっぱり就職率のいい大学に
電話がかかってきてて。で、实家にも電話が
息子、娘を入れようっていうのはかなりある
かかってきてるよ、っていう話になって。大
から」
74
Dさん「それはものすごく言ってます。だから就
てて、それに乗ってるだけ。それではうちの
職してるかどうかの確認メールとか、そんな
会社はだめやって言って。その頃にはわしは
のが入るっていうのは、そういうことなのか
いないけどな、って言ってがーっと飲んでま
なと」
したけどね。40 年を見る時には、ほんまに自 分がその時に背負って、絶対大丈夫やって言
ここでは、学生たちの親、そして学校側
えるくらいの気概が欲しい、っていうことは
の視点が議論に上がってきます。親はやは
言ってましたね。尐なくとも、わしはそのつ
り 40 年先を見ていろいろと言ってくるよ
もりで今までやってきた、って言ってました。
うです。しかし、親が想定している 40 年後
人が守ってくれるのと違う。俺が守るんや
は、ほとんど幻想に過ぎなくなっているの
と」
かもしれません。それでも親はその幻想を
川畑「そういう意味で言えばほら、誰もが知って
信じ、子どもにいろいろと口を出すのです。
る会社じゃなくて…って言ってたけど。でも 誰もが知ってる有名どころに入る気分と、知
それに対して学校も、学生たちの就労に
らんところに入る気分とは当然違うわけや
ついて口出しをしてきます。その理由は、
ん。で、違う中にもね、今おっしゃったよう
就労实績が学校の人気に直結するからです。
な…僕が誰でも知ってる会社にするんだ、み
従ってBさんの話にあったように、学生た
たいなところが刺激されることはあるわね」
ちの就労を支援するようなプログラムが次
Cさん「そうですね。今聞いてて頑張りたいなっ
から次へと用意されていくのです。
て思いましたね。ただ、僕の会社はわりと誰 でも知ってます。でも、自分はそこから抜け
Fさん「最後に一つだけ。40 年っていう話で。あ
出せなかったです。やりたいことできる会社
る民間の人と飲んだ時にね、今のような話が
って思ってても、やりたいことができる誰で
出たんですよ。40 年後この会社どうなってる
も知ってる会社…からは抜けきれなかった
やろう、とか。その時に飲んでた人が、「こ
です」
いつら、40 年後でもこの会社をわしが背負っ
川畑「うん、そういう意味では、誰にも知られて
てるっていう気概がない」っていうのは常に
ない会社って言うのは神様からのプレゼン
言ってましたね。 「他から 40 年間続けてもら
トかもしれない」
って、私は乗っかってる。それはあかんやろ
Bさん「面接で社長に、あなたが歯車になってく
う」と。そういうことをずいぶん言ってまし
ださい、って言われたんです。うちの会社の
たね。要するに、例え他がだめになっても、
歯車になってくださいと。それ言われた時に、
自分が背負ってるんやと。40 年経っても、俺
ああ頑張ろうってすごい思えたので、そうい
がこの企業を背負ってると。それくらいの気
うことなのかな、と尐し思います」
概が、实はわしは欲しいんや、と。皆大丈夫
塾長「…3 人の方、ありがとうございました。F先
ですかね?って言うんじゃなくて、お前この
生の最後のお話の中から…为体の喪失って、
会社の社員と違うんか。お前誰なんや、とい
けっこうキーワードになってる気もするん
うような。そんな感じ。誰かがまとめてくれ
で。自分自身がだんだんわからなくなってい
75
ったりとか。ただ 3 人の話を聞いてると、こ
っている。そこでは消費者の为体があいま
の就活っていうのは、自分を見つめる機会に
いになっていく、といった様をボードリヤ
結構なってることは間違いないような気が
ールは指摘するのです。これを就活という
する。こんなのでもなかったら、大学時代は
場面で考えてみると、大量の情報の渦の中
あっという間に終わってしまうような。だか
で、企業の意図、大学の意図、あるいは親
らそういう意味合いっていうのはすごくあ
の意図の狭間で揺れながら、学生たちの为
るのかなと。ただ、いろいろお話を聞いてて、
体が次第にそぎ落とされていくように感じ
大学も含めてやっぱり商業モードで動いて
るのです。5 年先が見えない時代において、
るので。ここにちょっと持ってきたのは、 『僕
为体が喪失されていくという状況が果たし
は君たちに武器を配りたい』っていう、要す
て何をもたらすのか?そこには社会そのも
るに、学生があまりにも丸腰になってしまっ
のの脆弱化が見えてくるような気がするの
ていて、就活を忚援するようなビジネスって
です。
今いっぱいある。もうその餌食になってる。 また、大学の餌食にもなってると。企業も、
川畑「では、後半に入りたいと思います。Pさん、
言ったら、もう辞める人間は想定して採る。
どうでしたか、お話を聞いて。年齢の近いこ
こういう仕事はそいつらに任したらいいと。
ともあるし、触発されて何か言いたいことも
その餌食になってると。今の学生があまりに
あるでしょうし」
丸腰なんで、それで武器を配りたいっていう
Pさん「僕、今は〇〇大学に行ってるんですけど、
過激なタイトルなんやけど、結構面白いなっ
前は〇〇大学で…まあ就職率で言えばあん
ていう風に思ったり。だから、何か今の社会
まりよろしくないところに行ってたんです
の渦の中で、学生たちもあっぷあっぷしなが
けど。言われたことは、今から半年あるんだ
ら。でも片一方で、その中で自分とは何だと
から、ボランティアに行ってネタを作れと。
か、友達同士でいろんな議論が实は就活を巡
そういうのでボランティアに行った人が僕
って行われてたりとか。私たちの時は怪しい
の周りでもすごいいたんですね」
喫茶店とか結構あって。夜な夜なそんなとこ
川畑「ボランティアと違うやん、それね」
ろでいろいろ哲学を語ったり、そういう文化
Pさん「ネタ作りのために。それがだんだん下の
があった。それが就活になってるのかな、と
回生にも波及していって。1 回生のうちから
か。まあそんなことをまた材料にしながら後
ネタを念頭に置いたうえで活動するってい
半お話をしたいと思います」
うのも今あるみたいです」 Oさん「そうですね。学生の 3 人の話を聞いて、
前半のセッションを私は、 「为体」の問題
皆さん共通してたのは「他者」っていうコト
で締めくくろうとしていました。ジャン・
バが出てくる。周りの人たちっていうのが出
ボードリアールは消費社会における为体喪
てきたり、ほかの人っていう目が出てくる。
失の問題を訴えました。消費化が進んだ社
その他者っていうのが何を思って言ってる
会では、消費者は自分の意志で商品を買っ
んだろうな。家族も、先が心配っていう思い
ているように見えて、实は買わされてしま
はわかるけれども、やっぱり最後には社会的
76
な背景とかもあるのかなっていう。3 人とも
ちに、多い人だと 3 回くらいは経験してるん
みんな違う話ではあったけれども、構造的に
ですよ。でも实際大人になってくると、なぜ
見るんじゃなくて、個人として見たら、悩ん
か就職っていうのがゴールになってしまう。
でるっていいなって僕は思ったんですよ。決
で、僕はフリーターっていう選択を採ったか
まらない決まらないっていうのがある中で、
らこそ見えるのが、何とか食っていこうって
決まることがゴールじゃないと思うんです
いう方法はいくらでもあるし、一回就職しよ
よ。決まらない、とか内定を蹴ったっていう
うって思ったら、その切り口は昔よりすごく
決断自体もすごく大きな決断だと思うし。先
便利なんですよ。インターネットで調べれば
の心配をする必要はないんだぞっていう声
どれだけでも出てくるし、募集してますよっ
もあるかもしれないけど、やっぱり内定を蹴
ていう会社もすごくたくさんあって。なんな
ったっていう思いもすごく大事な一つの決
らハローワークに行けば山ほど仕事があっ
断なのかな、ってすごく思いました。その中
たりとか。その辺を考えると、本当に大学生
で、やりたいっていう思いがあって、周りと
がなんでこんなに焦らされたりとか、勉強し
はちょっと違っても決めたっていう話にお
たいって思って入ってないにしても、きっか
いては、入った後、やりたいって思ってたこ
けはたくさんあるのに勉強しなくて済む環
ととちょっと違うなっていうことがあって
境があったりとか。やっぱり大学っていう所
も何とかやっていって、何とかやってる自分
に入ってしまうと、今しなきゃいけないこと
を認めてもらえるような社会があったらい
がすごくぼんやりしていて、しなきゃいけな
いなって思うし。若い世代も、それを意識し
いこととしたいことっていうのが混在して
て皆で何とかしていくっていうのを…すご
いる中で、期限が来たらやらなきゃ焦ってし
くその機能が落ちてきてると思うんで、そこ
まう。となると、本来の 2~3 年間の大学生
が強く作っていけたらいいのかなっていう
活の意味って何だったんだろう、って思うと、
のは思いました。で、一番違うパターンで決
気持ちの中で空中分解しやすくなるのかな、
まってるっていう話では、そうやって別枠で
って感じさせられました。僕も M2 なので、
動いてる社会もあるんだなと思うし、やっぱ
博士課程まで行くのか就職するのか、どうす
りそういった会社がどうやって残っていく
るんだ、っていう問いは自分の中にもあるん
のか。何を大事にしてそういう就職活動の仕
です。なんだかんだ言っても年齢が年齢まで
方を残していってるのかっていうのは、僕の
来てますから、幅も狭まってる歳だと思うん
中ではすごく関心がありました。もう一つは、
ですよ。大学生活すると。そうすると、今や
エントリーシートをボタン一つで押したら
らなきゃいけないことが選べなくなるんで
何とかなるっていう話においては、ボタン一
すよね。だからある意味ラッキーで、その中
つでダメだ、僕っていう人間がわかるのか、
から迷わなくても、今自分にできることをコ
っていうことは、案外僕らは受験でも経験し
ツコツやっていって、それが何か自分のやり
てるはずなんですよ。顔を知らないで、紙切
たい、やれる、っていうこととやりたいって
れ一枚で落ちる、受かる、っていう経験は就
いうことが自分の中で分かっていく過程が、
職で始まった事じゃなくって、实際学生のう
今一つ一つ積み重ねていく中で見えてくる
77
のかな、と思って模索はしてるんですけど。
がまさにいてくれることで何らかのケース
すごくいい話を聞かせていただいたな、と思
が大きく動く事っていっぱいありますよね。
いました。長々と失礼しました。以上です」
出会うことになってるんだ、とか、後になっ
塾長「私、今の話を聞いてて非常になるほどな、
てなるほどなって気付く事とかって結構あ
と思いました。3 人の話の中で、結構不安に
るような気がしてて。何かそういうファクタ
支配されてる、っていう側面がある。私たち
ーが、今の就活っていうものからなくなって
よく言うんやけど、不安で子育てすると厄介
いるように…」
なことになったりする。不安の対極にあるの
川畑「余裕がなくなってる、みたいなね」
は希望かもしれないし、夢かもしれない。さ
塾長「そうそう。何そんなこと言ってるの、みた
っき夢って出てきたけど。だからそれが葛藤
いな話になるのかもわからんけど。そんな気
状態にあって。でもその不安って結構得体が
もするんですよね、今の話を聞いてると。だ
しれないから、それに支配され、苛まれてい
からいろいろ不安に苛まれてる状況も、そう
く。だから一旦そういうものを吹っ切ったら、
いうものが取り除かれると案外ふっと見え
实は全然違う世界が見えてくるのかなって
てくる。でもそれに支配されてるとそれが全
思ったりする。その不安を作り出してるのは
然見えない。あともう一つ思ったのが、自分
例えば今の社会なのかもしれないし、学校な
の子どもが予備校に行ってた。予備校も独特
のかもしれないし、皆の動き方なのかもしれ
の文化の中で。予備校の○○大クラスとかに
ない。そういうものを通過してみると何か見
入ってる人間って、だいたい有名私大とかを
えてくるのかもしれないなと。それともう一
蹴って入ってる人間やから、こんなところ、
つ、わりとつい最近まで私自身が大学院に行
どうしようもない大学や、みたいな。ものす
ってまして、学部の時もそうでしたけど大学
ごく歪な形の視野っていうのが確实にある
院に行った時にも先生との出会いって大き
なって。その、受験生から見えてる大学の世
かったように思います。大学ってやっぱり出
界と、大学に入った人間から見えてる大学の
会いやなと。この人やと思える人に出会える
世界っていうのは随分違う気がしてて。それ
かどうか。だから就活っていうのも、出会え
は企業も同じで。就活の渦中にいる人が見る
るかどうかみたいな。そういう出会いってい
のと…会社の管理職だったら、新入社員どう
うものがすごく大事な気がしてて。でも出会
するんやと。この人はいけるな、どうかな、
うためには、結構自分自身のことについても
っていう視点は随分違うなと。そこら辺のズ
いろんなことを考えてないと、出会えない。
レみたいなのも、ものすごくあるような気が
なんかすれ違ってるだけとかになってしま
する。そんなことをどんどん思いましたね」
う。だから出会いなんやろなと思う。結婚と
Dさん「あの…今の人事担当者とかね。違うなっ
かも出会いなんやろうなと思ったりするん
ていうのはその通りやと思うんですよ。だっ
やけど。いろんなことが出会い。ビジネスで
て人材っていうのは、企業にとって会社動か
も、この人と何か一緒にやれる、とか。それ
していくために重要なファクターですね。シ
もひょっとしたら出会いかもわからへんし。
ステムがあっても人がいないと動かないの
子どもの支援とかでも、この時にこういう人
で。人を育てるっていう…さっき 400 万って
78
いうお話も出てましたけど、企業にとって人
を振り返った事の中から何を見つけていく
に投資するっていうのは非常に大きな買い
か、っていうのが一方であるんじゃないかな
物です。それと、一生懸命企業が採用活動す
あと。自分自身やりたいものだとか目的意識
るっていうのは、企業が何とか永続的にやっ
だとか、自分がこうありたいという将来像と
ていくために人を採用してるわけなので。そ
か。そういうのをその中で見つけていくのか
この部分、採用する側の視点と受ける側の視
なという気がする」
点っていうのは、やっぱりズレがある。どう
「不安に支配された就活」、 「出会い」、そ
してもそれはズレざるを得ないと思う。必然 だと思います。だからミスマッチも起こるし。
して「エントリーする側と雇用する側との
で、違うって言って辞めていく人たちも出る
視点の違い」。これらのコトバが、ここでの
し。私のやりたいことはこれじゃないって辞
キーワードなのかもしれません。
めていく人たちもいるし。っていう風に、私
人間は不安に支配されてしまうと、自己
は思ってます」 Mさん「大企業の方が離職は多いんですよね?」
保身が機能しはじめ、何事も既存のフレー
Dさん「多いです」
ムの中でしか考えなくなってしまいます。
Mさん「やはり、自分がこれやりたいと思っても
そうなると新しい出会いが生まれなくなり、
いろんな仕事があるからどこに回されるか
新しい可能性を手に入れにくくなります。
分からないし、たまたまいい上司と巡り合っ
すると再び不安が高くなり、自己保身に回
てもたくさんの人の人事異動は仕様がない
る、というループに陥っていくように思う
ですから」
のです。そして結果的にこのことが、エン トリーする側である学生たちと、雇用する
Dさん「おっしゃる通りですよね。人事異動があ ったら転職してるような世界です。今までの
側である企業側との視点の違いを生じさせ、
仕事と全然違うことを次の年はやったりと
新たな就活の困難を生んでしまうように思
か。でもそれを経験することによって自分自
うのです。多くの大学生たちが、不安に支
身が成長できるっていう風に感じられたら、
配される形で就活を行うことのリスクはこ
自分自身の達成感もあるし。育てられてるっ
んなところにあるのではないでしょうか。
ていう意識を持つとそこのところは全然違 うので。そういう感覚が持てるかどうかって
川畑「就活、キャリアについてっていうこともあ
いうのが、入ってからの世界では大きいかな
るし。その事を通して何かを見つけ出すって
と。さっきおっしゃってたように、正社員の
いうこともあるわけですけど。後の方いかが
世界。だから私が今の立場になって考えてる
ですか」
のは、やらされてる感じで仕事をしてほしく
Aさん「そうですね、Oさんの 5 年間についても
ないなと。自ら前向きにやりがいを感じても
っと詳しく聞きたいですね。僕にはその選択
らうにはどうしたらいいのかな、っていうこ
肢はなかったんで」
とを今の立場になって考えてる。そういう立
Oさん「どこから話したらいい…」
場なので、今就活の中でいろいろと自分自身
Aさん「僕は、Oさんが、5 年間フリーターやった
79
という経緯…というか、なぜ…」
ころがたくさんあるんじゃないのかな。大学
Bさん「スタートのところ、その中でどういう経
で知ってることだけじゃ、社会で上手くいく
験をしてどういうことを考えて…みたいな」
わけじゃないかもしれないし。で、就職も決
Oさん「元々は、皆と同じようにこうしたいなっ
まったけれども、じゃあ研究したいっていう
て思う事があって。でも就活する時期が来た
所もあるのに、お金貯まったら辞めますけど
な、皆も動き始めたな、説明会が始まったな、
お願いします、って言って入るのも何かおか
と。で、何をしたかったかっていうと、今大
しいな、っていう自分の中の葛藤があって。
学院に行ってるように、研究がしたいってす
そしたらお金を稼ぐっていうのと働くって
ごく思ってて。でも实際大学がすごい楽しか
いうのは一緒のようで違うかもしれないな
ったかって言われると、大学での勉強が楽し
と。正社員で働くのとアルバイトとどう違う
かったとは言い切れない。授業も行ってない、
んだろうと。辞めるって決まってるんだった
授業の履修は同じ専攻の人のを真似して書
ら、じゃあフリーターしてみようかな、とい
けば、福祉専攻だったから、全部それで卖位
うことで内定を断って、フリーターを選択す
が埋まってしまうようにセットされてる。一
る。ちょうどその時に知ってる人が東京にい
般教養もそんな感じ。AO 入試で入ってるから、
て、せっかく「フリー」って付いてる「フリ
元々そこの、産業社会学部の人間福祉学科に
ーター」っていうんだったら、京都にいなく
関心があって入ってるけれども、中を見ると、
てもいい。じゃあ地元は福岡だけれども、敢
資格を取るための授業しかない。それで全部
えて東京に、っていうので。求人誌がインタ
が埋まってしまう。で、あんまり面白いと自
ーネットで見られるから、時給がいいじゃな
分で思ってないし、元々学校の教审に入るっ
いかっていうので東京に行って。友達の家で
ていうのが全然好きなタイプじゃなかった
一緒に住みながら生活していくので、まずラ
から、大教审になればなるほど、ここで何を
ーメン屋のバイトを始めて。それが 2 年間ち
聞いて、それを感じたものをどう出したらい
ょっとかな。ラーメン屋をしていく中でも皆
いんだろうっていうのを思いながら、授業も
で一緒に何かをやり遂げていく。チームプレ
あんまり行かなくてもよさそうやし、まあい
ーがすごい大事な…忙しい時間になると、誰
いかって思って。まあまあ皆に授業の事を教
かが欠けたら絶対に誰かが補わなきゃいけ
えてもらって。学校の外で皆を待つっていう
ないし、効率化も目指さなきゃいけないけど
ことを繰り返してました。で、意外と、もし
効率化を目指したらお実さんの満足度が下
かしたら大学にこだわってるから面白くな
がって、お実さん減ったりした時期があって。
いのかもしれないぞ、と思い始めて、大学の
じゃあそれどうするってなった時に、後輩が
時からバイトばっかりし始めて。その時に訪
入ってきたら新人研修からバイトで考えな
問販売の営業のバイトをしてて。もう 8 時間
きゃいけないよね、社員は何もしないから。
ガッツリ入る。それでだんだん認めてもらえ
ってすると、じゃあ本当に就職した時に、社
るようになってきて。それで出張があるから
員ってボーナスもらってるのに働かない、何
行くかって言われてついていって。やってい
だこれ、みたいな。飲食店とか明確に出やす
ったら楽しいし、座学だけの学びじゃないと
くて。経理をしなきゃいけないとかなんだと
80
なると、絶対現場を見るのはバイトだったり
のゼミの先生との再会があって。NPO の契約
する。そういう声を上げてみたりしながら、
社員が滋賀であるから来ないかって言って
働く面白さっていうのは正社員じゃなくて
もらって、NPO に入って。それが子どもの虐
も味わえるのは、地道に今一つ一つ起こった
待防止の教材、学習資材の作成を小学校の低
ことに対して何とかしていったりとか、自分
学年生用と中学生用を作るっていうのがあ
のできることを身につけていくことが大事
って。9 ヶ月で。それ滋賀県からの委託事業
なのかなって思い始め。でもそれから、手首
だったんですけど。その中でそれを作り上げ
を怪我したっていうのがあって、ラーメン屋
てちょうど大学院も受かったんで契約も終
を辞めて、今度はテレアポの仕事を始めて。
わって、っていうような流れです。だいぶ長
インターネットの光回線の電話、よく来ませ
いんですけど」
んか?鬱陶しいやつですよ。僕嫌いなんです
Qさん「ちょっといいですか?それにすごく共感
けど、敢て嫌いなところに行ったんです。そ
してしまうんやけど。僕最近仕事しててね、
したら意外とそこでは社員研修と一緒で、本
すごくひっかかってるのが規範っていうコ
当に会社の概要から商材の説明まできっち
トバなんですね。ルールっていう意味ですけ
り一週間まずやって、次の 1 ヶ月間で研修を
どね。それに僕ら縛られるし、翻弄される。
やって、ずっとバイトだけど社員と同じよう
っていうことかなと。今で言うと規範への挑
に研修がある。いざ電話をします。どんどん
戦なのかなっていう感じなんやけど。僕もフ
切られてダメージ来て、自分って何でこんな
リーターやったんですよ。大学卒業したら 2
仕事してるんだろうって思うけど、そこで辞
年フリーターをして。Dさんと違って、僕の
めたら自分の選択を諦めたっていう風にな
場合は、最初から公務員目指したわけじゃな
るのは悔しいから、まずは自分で一件受注し
くて。皆から総スカンを食らわせられそうや
ようと思って。取り始めたらそれがコンスタ
けど、たまたま公務員になったんですね。こ
ントにいってしまって。それが皆がまたいろ
こまでよくやってきたなと思いますけれど、
いろアドバイスしてくれたり、そんなに頑張
たまたまいるだけで。ひょっとしたらまたこ
るんだったらトップアポインターを横に置
こから抜ける可能性もある。だから 40 年ど
くからその人から盗んで覚えていけ、ってい
ころか来年、再来年の事も考えちゃいない、
う風に環境が整い始めて、結局取れるように
っていう感じなんやけども…。もっとほかに
なったんですよね。そうすると、バイトじゃ
バイトしてるでしょ?してないですか」
もったいないなって思うけど、そこの業界は
Oさん「ラーメン屋は 2 回、テレアポの場所が 2
バイトも社員も給料のボーナスの設定が違
回変わってます。あと大学の時のバイトは居
って、バイトでもトップアポインターとかに
酒屋とかはあります」
なると 50 万くらいもらえたりする。社員っ
Qさん「僕は着ぐるみかぶったりとか」
てじゃあ、お金とか給料の設定でもないんだ
Oさん「それ NPO でしました、僕」
ったら何なんやろうって思いながら。まあお
Qさん「そうそう。着ぐるみの場合は、15 分やっ
金も貯まったし大学院の受験でもしよう、っ
て 15 分休憩しなさいと言われるんだけども、
ていう所まで来てたところで、今度大学の時
あえてどこまで挑戦できるかやってみたり
81
とか。いろんなことをするわけですよ。派遣
教えてもらった。「Q君、京都府募集してる
とかでもいろんなことやってて。〇〇の社員
で」と。いつまでですかって言ったら、明日
に成りすましてくださいとか言われるんで
締切って言われて。明日締切って、今から間
すよ。成りすまして、お中元の見本を並べる
に合うの、みたいな感じで。とりあえず卒業
仕事、5 分で終わるんだけど、それで 8 千円
証明書も手元にあるはずもないし、明日取り
とか。ただしそれには条件があって、社員に
に行ってその足で行こうか、みたいな。そこ
見えないといけないという妙な条件があっ
から皆が専門学校とかで公務員試験の勉強
て。何でかわからないけど、「これはQ君に
とかしてきてるわけじゃないですか。僕公務
しかできない」って言われるわけですよ。と
員試験の勉強って何、とか思ってたから、と
りあえず行って 3 件こなしたら一日で 2 万 4
りあえず本屋さんに行って過去問やってみ
千円。とか、いろいろやってる中で、自分で
ようと思ったら、めっちゃ並んでることにそ
もよく分からないようになってきてますね。
の時初めて気が付いて。これは買う意味もな
大学の時に就活を皆がやってる中で、自分が
いと思って、買わなかった。もういいや、試
一般で働いてる姿がどうしてもイメージで
験まで 2 週間遊び倒してやれ、と思って。そ
きなくて。今から考えると営業とか向いてる
こで当日全然分からない中で、とりあえず選
かもしれないとか思うんやけど、それは今だ
択式だったから、真ん中に丸付けとけばいい
から思うことであって。昔はそう思えなかっ
や、みたいな流れでまかり通った、というと
たんですね。だから皆が就活してる時に、就
ころが。まあこんな裏話ですけど。そんな自
職説明会に一日だけ行ったんですよ。就職活
分の短い人生ですけど、思い返してみるとそ
動はこうするんですよ、って。もうそこで僕
んなことがあったなと。さっきの塾長先生の
外れちゃって。完全にやる気なくしちゃって。
話であったように、人との出会いって大事っ
で、フリーターやろうと。フリーターのフリ
ていうのはすごく思うんですね。大学の頃に、
ーはっていう話出たじゃないですか。僕の場
僕塾を始めて。大学生で塾の経営者っていう
合はフリーターって自由に働くものやと思
のをやってたんですけど、その当時理解ある
ってたから、休みなしでがっちり働いてやろ
塾長がいて、まず僕が塾講師として入って。
うと思って、週一回も休みなしでバイト 3 つ
で、Q君に任すわ、といってその人は違う事
4 つかけもちして。そしたら手取りの給料今
をするからって言って去っていって。何をさ
より良かったりして。でもそのうち何か気づ
れるのかな、と思ってたらヨット販売とか始
き始めて。このまま続くはずがないと思い始
めはって。何やこの人、とか思いながら。そ
めて。で、元々自分が臨床心理士目指してた
れももう 10 年以上経って久々に再開して飲
な、っていう事を思い出して。ちょっとでも
んだりとか。そういうこともあったり。だか
臨床心理士ではないな、と思いだして、精神
ら、僕は昔思ってたんです。自分が目指して
保健福祉士っていうことで専門学校に入っ
た人って、自分が話してて面白い人になりた
て資格取って「たまたま」京都府に入ったん
いと。だから学校の先生とかでも、しゃべっ
です。だって、京都府の忚募を 2 週間前に知
てて面白い先生と面白くない先生がいる。僕
ったんですね。募集締め切りの前日に先生に
がもしなるなら、面白い先生になろうと。だ
82
方として映ったのでしょう。
から今も、相談していて面白いと思われる相 談員になろうと。で、さっきのAさんの話か な。で、大多数の人がAさんみたいな感じな
川畑「いや、OさんもQさんもね、そういう考え
んかな、と。僕の今の相談も聞きながらね。
でその時期を過ごしてきたわけやけど。それ
普段ひきこもりの相談を受けてるんですけ
を支える、ある意味での楽観为義みたいなね。
ど。何て言うかな、漠然と、したい事とか将
今のうちに 40 年間埋めておかないと不安で
来の事っていうのは何となくあるんだけれ
あるとか、将来どうなるか分からんみたいな
ど、さっきの、規範に翻弄されて、みたいな。
ね。そういう不安が一般的にはあるにもかか
社会のレールっていうのが何となく敶かれ
わらず、そういうある意味での楽観为義を支
てる。みたいなところで、皆や家族からも、
えてるものって何ですか?」
それで大丈夫なのとか、それっていけるのか、
Nさん「Oさんっておいくつなんですか?」
って言われるのが見えてるから相談しない
Oさん「30 です」
でしょ。大多数がここでどういう風にやって
Nさん「30 歳…、AさんやBさんは…21 歳。この
いくのかっていうのが、すごく自分の中でも
5、6 年の差って大きいんですかね?社会が変
引っかかってて。どう言ってあげればいいん
わってるのかな、経済の状態とか。かな」
だろうと。Aさんにではなくて。今相談を受
川畑「社会の状況も変わるし、社会の言ってるこ
けてる人たちの顔を思い浮かべながら考え
ともだいぶ変わってきてるから」
てるんだけども。そこの壁ってすごい厚い気
Nさん「急激に変わったっていうのは、あるんで
がするんですね。だから僕は、ラウンドテー
すかね?」
ブルが高校生くらいの頃にあれば来てます
Oさん「リーマンショックがある手前と、もろに
ね。だって、さっきの二人がすごくよかった
後っていう感じですかね」
のは、あの 5 年間はどうだったんですかって
Mさん「失われた 20 年の間にも、一時ミニバブル
パッと聞いた時ね。あの姿勢が一番大事やと
があって、リーマンがあって。リーマンで内
思う。そしてこの後飲みに行ったりでもすり
定取り消しとか年越し派遣村とか…」
ゃいいんじゃないでしょうかっていう風に、
塾長「そうそう」
僕は生きてきました」
Mさん「その後の学生さんってものすごく保守的 …、不安感から。親御さんも。今まで皆が否
現在大学院に所属しているOさん。そし
定してた考え方、終身雇用とか、会社の家族
て府の職員として仕事をしているQさん。
为義みたいな。社内旅行とか運動会とか、ま
彼らは、予定調和の中でキャリアを構築し
たすごく評価されてますよね。だからすごい
てきたわけではないようです。たまたま通
不安感が、あれから後は強くなってる」
りすがったような出会いの中で、新たな道
Dさん「学生さんが海外に行かなくなって内向き
がつながり自分たちの未来を拓いていく。
になったって言われるのと、軌を一にしてま
そういったキャリア形成のあり方でした。
せんか。留学とかあんまりしなくなったって
そのため、まだ内定が確定していなかった
いう」
A君にとっては、それはとても新鮮な生き
Mさん「あれは就活とも関係がありますよね。も
83
う 2 年から就活始まってたから留学して…」
な背景もあったんですかね」
Dさん「してる間がないんですかね」
Oさん「僕は多分逆ですね。わりと周りがレール
Mさん「だから、1 回生の時に 2 回生の分の卖位取
にしっかり乗ってる人たちと仲いいんです
っちゃって、2 回生の前期に行くとかそうい
よ。その人達から見て、僕が就職とか向いて
う態勢で行かなきゃいけない」
ないんじゃない、会社でやれそうなタイプじ
川畑「何かちょっとこじんまりして、一つ一つ固
ゃないよね、っていう話になって。そうだそ
めていかないといけないと思わされるよう
うだ、みたな。だから困ってるけど決まって
な状況なんですかね」
ない、みたいな。で、無理しなくてもいいの
Oさん「どっかの大学で、キャリアの授業があっ
か、って周りを逆に見て、こっちにやっぱり
て。学部とかもできてないですか?」
できそうにないな。っていうのがあったんで、
川畑「ありますよ。それも業者入れて」
未だにフリーターとか学生続けてると、その
Mさん「私もキャリアコンサルタントにいろんな
子たちが心配するっていう」
大学から来ませんかみたいな。心理学の大学
Aさん「ご両親とは、話されたりしたんですか?」
のキャリアの方から。でも本当に意味でのキ
Oさん「まあ、言ってるかな。親は「そんなにも
ャリアは、もっと子どもの時からしっかり考
う焦らなくても別にいいんじゃないって。ま
える…、就職だけじゃなくって。自分の家族
あそんなに適当に今までやってきたわけじ
とか地域とか、いろんなものをまとめてキャ
ゃないから、崩れることはないよね」ってい
リアって考える。キャリアが悪いわけじゃな
うような感じですかね。その支えは大きいで
いかなって」
すね」
Qさん「さっきの…楽観的な根拠。僕今年 35 なん
Aさん「なんかすごく魅力的やと思うんですよ。
ですけど、僕らくらいの頃から、もう終身雇
僕なんか、フリーターっていう選択肢、普通
用とか言われなくなってました。もうそんな
の大学生からしたら見えない選択肢やった
風潮じゃないって言われてたんで、じゃあど
んで。その道を自分で選んで行ったっていう
うなるかわからないやっていうのが結構あ
のが魅力的に感じて。今の経験とかすごい聞
ったような気がしますね、一部で。まあ大多
いてたんですけど、そこに対するストッパー
数ではやっぱり社会のレールがっていう風
ってやっぱりあるんですよ。ストップをかけ
にあったんですけど。でも僕の友達とかは変
るものが。世間体とかもあるし。今まで自分
わった人が多かったんですね。大学の時も。
が仲良くしてきた友達とかも、相手が思って
一番仲の良かったやつは、俺は劇団をやるん
なくても、自分が見下されてるような気分に
だと。二人で、「そうか、お互いに一般じゃ
なっていくんじゃないかな、って。そんな感
ないなって」言い合ったり、卒論も一週間前
じもあって。そういうところって、どうなの
から書き始めたり。そういうことをよくやっ
かなと思って」
てましたし。その彼は結局ずっと、未だに劇
Oさん「それは、大学の時はそこまで感じなかっ
団の座長として…食えてないですけど、バイ
たっていうのが一つ。ただ感じ始めたのが、
トしながらだけれど、その道を追い続けてた
25~26 だったかな。ちょうど皆が仕事をし始
りはしますけども。まあそのあたりの時代的
めて出世をしていく時期に差し掛かる時。周
84
りはそうやってそこの職場で自分のポジシ ョンが上がるっていうのに、自分にはないっ
ポストモダンと呼ばれる先が読めない時
ていうのを、仕事の話とかを聞いてて思って
代。今まで正解と呼ばれていたものが、正
るけれども、逆にその大学の時の友達が、O
解であるとは言い切れなくなっていく時代。
さんは別枠の人って見てくれてた分、その別
これまで機能していた社会的なシステム
枠の意見を求めてくれたっていうのは、すご
(例えば終身雇用制)が機能しなくなる可
い大きくて。あんまり聞くと、自分の中で自
能性を引き受けなければならない時代。そ
分に持ってないものを言われてるし、それを
んな時代の中を若者たちはどう生きていく
持ってないと、この社会で生きていくの大変
のでしょう。それでもまだマジョリティた
だろうなって思いつつ、悩み相談を聞いたり
ちは、 「これが正解だろう」とされている風
してると、どうにもやりきれない思いってい
潮や、標準化されつつある行動様式の中に
うのは確かに。でもこうなった以上、もうや
巻き込まれていくのです。そこには疑問も
っていくしかない。今すぐ就職活動って言っ
存在するのかもしれませんが、それ以上に
ても、また同じになるし。今じゃあ自分がで
不安が大きく、そうせざるを得ない状況へ
きることを考えてやっていくしかないのか
と追い込まれていきます。
なって、一人の時は思ってた」 Qさん「ちょっと話が一瞬だけ大きくなりますけ
しかしその一方で、そんなマジョリティ
ど、幸せってなんだろう?っていうことなの
の風潮に流されない人たちがいるのです。
かなって思うんです。終身雇用でいい会社に
それがOさんやQさんであったのかもしれ
入れて、どんどんキャリア積んでいけて、い
ません。学生たちの就活を横目で見ながら、
い家庭築けてっていうのが果たして本人に
彼らは彼らなりの道をたどって、それぞれ
とって幸せなのかなっていう、そこなのかな
のキャリアを形成していこうとするのです。
と。だから多分、Oさんは迷いながらも、今 面白いんと違う?」
Cさん「なんか、塾長の小さな幸せの話…どうで
Oさん「うん」
すか? 私、今すごく思ったんですけど」
Qさん「ということが、言えるのかどうかかなと。
塾長「ああ、たまたまさっきの証券会社で、僕は
僕も今はそういう状況。今やってることに興
ある人に会った。この人は〇〇証券なんやけ
味あるし、楽しいなと思えてるから。だから
ど、リーマンショックのあたりで転職をして
今ここにいるんやけれど。それが外れたらど
いく。その人は、結構いい大学を出ていて、
うなるかわからないよっていう。ただ多分、
それで社会経済学っていう領域を学んでい
どうにでもして食っていけるみたいな、根拠
たこともあっててがあって、〇〇証券に入っ
のない自信がある」
たわけです。当時の証券会社ってかなり給料
Oさん「そうですね、あります」
も良いって言ってました。それで、彼の最初
Qさん「そこはなんか、共通する部分がある。何
に赴任地は松江だったんですね。当時、証券
をやってでも。だから仕事はある、一忚ある。
会社って投資信託の新しい商品をどんどん
あふれてるはず。選ばなければ…」
量産していたんです。そしてそれを売って、
85
って大きな利益を上げていた。でもやっぱり
たら、面白い。そこには、目に浮かぶような
結構厳しいノルマがあったわけです。その中
光景があるので、面白いわけですよ。それを
にはお実にとってメリットのない商品もい
面白いと思いながら多分彼は生きてると思
っぱいあって。それも売らないといけない。
う。でも皆が皆、そういうわけでもないよう
松江は若い人いない、年寄りが多く住んでい
な気もする。そうすると、個人の中にちゃん
た地域なので、証券会社はその資産を管理し
と個人の物語を築ける力っていうのがいる
ているわけ。でもその資産が、だんだん目減
ような気がしてて。さっき言ったように、大
りしていくことになっていく。証券マンなら
きな組織の中で、自分はこうやりたいんやけ
それも想定内の範囲なんだけど、ノルマのた
どそれをするな、これやれみたいなことが、
めに黙認されていくそうなんです。そのうち
どんな業種でも多かれ尐なかれ当然ある。で
だんだん社内のいい人たちが辞めていって、
もそういう中でも、何か物語を描ける人もい
ということもあって。それでその後、彼自身
てて。全く物語を描けず苦しみ続ける人もい
もその狭間で葛藤を繰り返しながら、最終的
てて。あるいは、物語を作るなんていうこと
にどこかで彼も辞めるっていう選択をする
はどうでもいい、適当にやっておけって思う
わけ。もうこれ以上いると、自分の人格が壊
人もいるかもしれへんし。そういうところの
れるかもわからんって言ってました。それで、
話やね?」
多分リーマンショック以降、証券会社も銀行
Cさん「はい。なんか思い出しました」
もいろんなことを反省していくことになっ
川畑「それが小さな幸せ、イコール小さな物語?」
たそうですね。彼はその後、職をいろいろし
塾長「そうそう」
ながら、今は保険の営業の仕事をしている。
Dさん「その小さな幸せっていうわけじゃないけ
給料も歩合給じゃないのであまりよくない
ど、金を稼がないと生活やっていけへんから
そうですが今は、それなりの満足があると言
働いていくわけですけど。働く事って、結構
います。彼には娘さん一人と奥さんがいてて、
私の今までの社会人人生の中でも、辛い事が
彼が何を言うのかというと、「僕は小さい幸
半分くらいあるんですよね。ひどい話やけど、
せがあればいい」と。「今の仕事はお実さん
私の入った頃はコンピュータなかったから、
にありがとうって言ってもらえる。それが幸
膨大な資料を電卓叩きながら、徹夜しながら
せの实感なんだと」と。私たちの時代は、社
一枚のシートにまとめないといけなかった
会の大きい物語の上に乗っかれば、個人の小
時代もあった。その時に、こんなつらいのや
さな物語もある程度満たされた。充足できて
りたくないな、と。投げ出したいなと思う事
た可能性もある。だけど今は、そうとも限ら
もあるんやけど、そこはやっぱり使命感です
ない。大きい物語の上に乗っかれば、小さい
よね。これをやり切らないと動いていかへん
物語が例えば壊れてしまったりとか。でもそ
っていう事と、その中でそれをやり切ったっ
れも、そこの仕事をしたら皆壊れるのかとい
ていう達成感。これをやり切ったって思って
えば、そうじゃないかもしれない。そこでや
たら次また山のように仕事が来るんやけど、
っぱり小さい物語っていうのを作る力がい
今の仕事はね、いろいろと言われますけど、
るのかもしれない。フリーターの話を聞いて
中身が面白いので。面白いっていう言い方は
86
語弊があるかもしれんけど、やっててやりが
うことがあるんです。柔軟性も持たないと青
いがあるので。やってて非常に自分で満足で
い鳥症候群みたいになっちゃうんで、これし
きる部分が大きくあるっていうのがあって。
かないというのは…。仕事の種類とかじゃな
そういう自分なりの楽しみをどうやって見
くって、「こういう生き方がしたい」ってい
つけるかみたいな。小さいところからでも。
うのしかないと思うんですよね」
だからここまで続けてこられたっていうの
塾長「だからね、今の話で言ったら、「自己理解が
が逆にあるんですよね。もう毎日毎日 2 時、
必要なんや」って皆が言い始めると、皆どっ
3 時くらいまで仕事する時代もあったので、
と自己理解系に行って、「自己理解なんて必
そんな中で帰ってお風呂入って寝る。朝は遅
要ないんや」って言われると今度は皆が反対
刻しないように行く、その繰り返しが 1 ヶ月
する。そういう人たちが、自分の物語をどう
とか2ヶ月とか続くし。一番ひどかったのは、
やって築けるんだろうっていう思いが私の
徹夜が3日。5時くらいにタクシーで家帰っ
中にすごくあって、そうやって翻弄される若
て、シャワー浴びて着替えて出てくるってい
者たちが大量に作られているような気がす
うのが3日あったりとか。そんなこともある
るんです」
んだけど、その中で自分なりにこれやり切っ
川畑「さっきもね、就活で、自分のアピールしな
たら出来上がるんや、みたいな気持ちがあっ
いとダメでしょ。私は大学時代にこういう辛
て。まあ頑張ってこられたかな、みたいなと
い事があって、それをこうやって乗り越えて
ころがものすごくある」
きましたって。確かにそれは事实に基づいて
Mさん「この間、産業カウンセラーの研修会で、
るんやけど、どっか自分って言う商品のコピ
新型鬱って今すごく若い人に多いっていう。
ーを言ってる感じやな。それは表やけど、裏
新型鬱って、使命感とか、自分の仕事に使命
には隠してるドロドロしたことがある。この
感を持てる人ってすごくストレスに強いか
自分がアピールしたことを全部信じてるわ
ら、やっていけるんじゃないかなと。やらな
けじゃないやん。信じてない部分っていうの
いと困るってわかるからやらなきゃいけな
かな。それを絶対化しないで、自分なりに整
い。何のためにやるかわかってないとそれに
理するものっていうのかな。あるいは、心が
耐えられない。それが今の会社の中では、こ
折れるっていうコトバがあったけど、ここで
の仕事が何のためにやってるかがわからな
心が折れるか折れないかの二極じゃなくて、
かったり、やっぱり最初にものすごく自己理
自分の实際を自分のコトバで語っていくみ
解とかをやりすぎて会社に入ると…、私はこ
たいなね。そこら辺の、自分のコトバで自分
れとこれとこれに絶対向いてて、一つの仕事
の状態にぴたっと合ったようなことを探し
に「これだ!」って思ってしまうと、それ以
ていくことが、どこかで小さな幸せとか物語
外の事をやらされると耐えられなくて…」
を作っていくっていうことにつながるんじ
川畑「だって、それ以外は向いてないって出てる
ゃないかなという感じが、ちょっとしたんで
んやもんね」
すけどね」
塾長「そうかそうか」
「個人の小さな物語」の話は、セカンド
Mさん「自己理解に縛られない方がいいよってい
87
キャリア論と関係があります。個人のファ
本当に人材確保が難しく…、ただ人が来てく
ーストキャリアが何らかの事情で行き詰ま
れたらいいだけじゃなくって、いい支援をし
った時、次のキャリアを模索します。この
ていただきたいけど、なかなか本当に、障害
時、模索されるセカンドキャリアは、ファ
のある人が十分豊かに暮らしていただける
ーストキャリアの反省に立ちます。自分自
だけの支援のスタッフが揃わないというと
身が何を求めていたのか、自分のキャリア
ころで、非常に関心もありますし、絶えず職
を通して何を描こうとしてきたのか。そん
場フェアにね、そういうのも活用させていた
な物語性が表に出てくるように思うのです。
だいたり、いろんなことしましたけれども、 やっぱり今でも本当に人が薄いなというと
川畑「はい、そしたらね、最後に一言ずつ。今日
ころなんですよね。それでもとにかく、今ど
の3時間で、何かあれば」
んな人たちがどんな風に活動してるのかな、
Bさん「はい、普段は出会わないような方々と貴
っていうのはとても関心があったので、さっ
重なお話しをさせていただいて…。私も何か、
き言ったように、興味深いお話が聞けました。
人生とかキャリアとかについて、まあ就職は
ありがとうございます」
決まったんですけど、もう一回考えてみたい
Mさん「今までの僕の、先入観を持って決して選
なって。振り返ったり、問い直したり、もう
ばなかったであろう人生の人達の話がいろ
尐し自分の中でしてみたいなって思いまし
いろ聞けて、考え方に幅がいるんじゃないか
た。ありがとうございました」
なと思って、面白かったです。ありがとうご
Qさん「はい、今年はまた来れることを望んでお
ざいました」
りますけれども。久しぶりに同じ空気が吸え
Aさん「QさんとOさんの話がすごいよかったと
る人を見つけたなと。面白かったです。あり
思うんですけど、やっぱり就職活動で内定も
がとうございました」
らえないっていうプレッシャーの中で、その
Dさん「はい、就活って考える時に、いろいろと
一点しか見えてなかったっていうところで、
苦労されてるし、昔と全然違うよなって思っ
もっと視野が広がったような気がします。何
て聞いてました。まあでも私は私なりの生き
かストレスとかが、ちょっと解消できたよう
方しかできないし、最終的には他に能力がな
な気がしました。できれば、そうですね。Q
いからここにしがみついてるっていうのも
さんやOさんのように、面白い話ができるよ
あるんですけど。まあそんな事を考えながら
うな人になりたいなと思います」
聞いてました。ありがとうございました」
Mさん「去年からずっとラウンドテーブルには来
Nさん「今ね、Bさんが普段会えない方に会えて、
たかったので、やっと今日来れたので、よか
っておっしゃってましたけど、普段会えない
ったと思います。面白い話ができるっていう
健康な学生たちに会えて私も面白かったで
のはすごい力のある方やと思うんで、私もそ
す。純粋にそれだけで。いろんなメディア通
れを目指したいなと思いました」
して就活とか…、それから、さっきもちょっ
Rさん「私のところの子どもも今高校生なんです
と振っていただいたけど、私どももなかなか、
けども、实際にいろんな話を聞かせていただ
施設で障害の重い人への支援のところへは
いて。うちの子も数年後に同じような思いを
88
するのかなと思って聞いてて、すごく参考に
う事を今年はどうしてもやりたいなと思っ
なりました。ありがとうございました」
たんです。というのは、キャリアっていうコ
Pさん「そうですね、話を聞きながら自分のいき
トバをいろんなところで使われすぎてる気
さつを振り返ってみて、違う見方もあったん
もするんですよね。例えば、何かの助成をと
だなっていう反省も踏まえて聞いてました。
るのにも、 「キャリアって付けとけばいいわ」
また今後の自分の動き方にも活かしていき
みたいな風潮もあって。それくらいなんか…、
たいなと思います。ありがとうございまし
キャリアブームっていうのか。何なんやろう
た」
なって思ったりもするんですよね。だからあ
Oさん「ありがとうございました。僕ちなみに大
えてそれを、いろんなところからあぶり出す
学院では、出会いの研究をしているんですね。
ようなことができればいいのかなっていう
「偶然」っていうキーワードで研究を進めて
風に思ったりもしてるんです。だから「就活」
るんですが、こうした偶然の出会いではない
って、わりとポピュラーなキーワードで。や
けど、こうやってみなさんが集まったってい
っぱりそこを介していろいろ見えてくる世
うことがすごく縁のあることだなと思った
界っていうのがあるような気がするので、今
んです。だからこれからも、皆さんと一緒に
回はこういう事をやりました。ありがとうご
楽しさをバージョンアップさせていける会
ざいました」
になったらいいかなと思いました。ありがと
「就活」そこには、实に生々しい学生た
うございました」 塾長「川畑先生、どうもありがとうございました。
ちの葛藤が見え隠れしていました。若者の
いい進行で、感動的でした。それから、ゲス
支援にあたる者たちは、その生々しい現状
トの 3 人のみなさん、ありがとうございまし
をどこまで知っているのだろうか。あるい
た。何か、議論の種っていうのか、またこう
はたとえ知っていたとしても、その現状を
いう事をもとに我々もまた何か考えたいな
どこまで实感としてつかんでいるのだろう。
と。今日話していただいた方も、何かつかん
そういった思いがありました。もし、その
でもらえたかなと思います。ラウンドテーブ
感覚を持たないまま实際の支援活動にあた
ルって、結論を出さないっていう事が前提に
っていたとしたなら、そこで展開するもの
なってるので。要するにここで何か、楔みた
は彼らの支援となり得るのだろうかという
いなものかも分からないけど、またそれぞれ
疑問があったのです。
のフィールドに戻って、ああやこうやって考 えるきっかけができたらなという思いでス
学生たちの話から、彼らが就活を通して
タートしました。そのためには、一人ではや
突き付けられていく現实も見えてきたよう
っぱり無理なので、できるだけ多様な人に来
に思います。学校という、ある意味で外の
ていただいて…そこら辺の多様性っていう
世界から隔離された社会の中で生きてきた
のは重要で、やっぱり視点が違うので。そう
彼らにとっては、この就活という機会が、
いう視点をずらす中で見えてくる世界があ
初めて防波堤の外へと出ていくような経験
るのかなと。それから、私はキャリアってい
だったのかもしれません。 89
2 回生の後期からスタートする就活モー ド。就活準備としてボランティアやいろい ろな講座に参加し、やがて 3 回生になれば、 ボタン一つで完了する 50~100 社へのエン トリーと、そこから怒涛のように押し寄せ る大量の情報と次々と突き付けられる数々 の課題。そんな混沌とした状況と不安、そ して焦りの中で、彼らが自分の为体を見失 っていくような現实がありました。そして、 それが現实の厳しさであり、その中で個人
2. ストレーターではない若者たち
の強さが試されます。要するに厳しい現实 は、その厳しさを課題として捉えられる学 生と、その厳しさの中自分を見失っていく
「ストレーター」、それは大学まで一度も
学生とを区別するのです。
躓くこともなく進学していき、2 回生の後 期から就活のためのボランティア経験を重
しかし一方で、その大きな渦の外側には、
ね、3 回生の夏にはインターンシップへ参
彼らとは違ったキャリア形成の過程があり
加、そして冬から就活を本格的に開始する
ました。楽観的な人生がそこにあり、出会
といったようなライフスタイルの、日本の
いの中で紡がれていく人生がありました。
マジョリティである人々を指すコトバです。
また、それぞれの人生の物語が描かれる世
前回のラウンドテーブルでは、まさにそん
界があったのです。そのどちらがいいのか、
なストレーターである学生さんたちに集ま
どちらが正解なのか。そんなことはわかり
っていただき、就活の实態を赤裸々に語っ
ません。正解など、どこにも存在しないの
てもらいました。そして今回は、一転して
でしょう。ただ今の大学生たちの就活が、
ストレーターではない若者たち。すなわち
絵にかいたような理想的なキャリア形成過
歳若くして様々な挫折体験を味わってこら
程を表現していないことは確かです。そこ
れた方々4 人に集まってもらいました。具
から考えると、不登校やひきこもりの経験
体的には、かつての知誠館の卒業生が 2 名、
を持った若者たちのキャリア支援やキャリ
現役生が 1 名、そして知誠館とは直接関係
ア教育の目指す方向性も、あらためて問い
を持たない方が 1 名です。
直さなければいけないように思うのです。 ストレーターではないみなさんは、果た してどういったキャリア観を持ち、キャリ ア形成を経験されてきたのか。そんな話が 聞けることを楽しみにしながら、ラウンド テーブルはスタートしていきます。 90
紹介していただいたHさんとの出会いって 塾長「知誠館の北村です。今日は、私の現役の生
いうのが、ものすごく大きくてですね。实は
徒たちもいます。私のこういう姿をあんまり
Hさんがキャリアっていうことについてや
見たことがないので私自身もドキドキして
りたいっていう思いを示していただきまし
るんですが、宜しくお願いします。まず、ラ
た。それで、ほのぼの屋さんっていう、精神
ウンドテーブルっていうのは何なのかを簡
障害のある方が働いている、すごくおいしい
卖に説明します。元々は、不登校とかひきこ
料理を出してくれるフレンチレストランが
もりの支援に関して教育委員会や行政の方
あるんですけど、そこに二人で行って、そこ
が入って、どういう風にしていったらいいか
を作り上げられた西澤心さんっていう方と
っていう会議を随分やってました。ところが、
お会いする機会があったんです。いろいろイ
一向に突っ込んだ話し合いができないんで
ンタビューをとることがあって、いろんなこ
す。皆さんそれぞれに立場があるので、立場
とを考えさせられました。今振り返って思う
があるとなかなか話が進まないんです。基本
と、そこでは障害を持った方々のキャリアの
的には、前例がないことはやりにくいってい
实現っていうのがテーマとしてある。今まで
うのがある。そのうち誰がこの会議に出るん
は、なかなかお金ももらえず、お給料ってい
やとか、そんな話も出てきたので、埒(らち)
っても1ヶ月 1 万円とかだったんですけど、
が明かないなっていう思いがあって途中で
そこで働くようになって1ヶ月 10 万円とか、
辞めました。それで、私は川畑先生と随分長
自分で部屋を借りて生活できるだけの給料
いお付き合いをさせてもらってて、二人とい
をもらえるような、そういうことができるよ
う個人と個人で話してると結構いい話が出
うになってたりするんです。そこの当事者の
てくるので、そしたらそういう人たち…、個
方のキャリアがありながら、もう一方で大事
人として集まれて本音でしゃべれる人たち
なのが、西澤さんっていう方のキャリアもこ
が集まれる場っていうのをどうしても作り
こで作られていってるんです。だからその方
たいなっていうので、このラウンドテーブル
は、そういう取り組みをしながら自分自身の
を作りました。ここでは参加に際しての条件
キャリアを作ってきたわけです。これはすご
が 2 つあって、個人として参加してください
い、私にとっては面白かったんです。で、そ
ということ。それから、もう一つは、当たり
れからキャリアについていろいろ考える機
前とされることを問うてみたい、問い直しの
会があって…与えられるキャリアって一体
場っていうのをものすごくしたいなって思
何やろう?とか。キャリアをデザインするっ
いがありました。そして、この二つを柱にし
て何やろうとか。いろんな問いが私の中でも
てやってみたいなということで、川畑先生に
出てきました。で、キャリア、キャリアって、
協力してもらいながら、もうこれで 3 年目に
世の中でものすごくよく使われる。大体、そ
入ります。大体年 4 回やってますから、過去
のキャリア支援は就職支援を指しているコ
10 回くらいはやってきました。そして、ここ
トバなんですね。でも、果たしてそうなんだ
ではいろんなテーマについてずっとやって
ろうか?っていうことをものすごく思うん
きたんですけど、その中で实は、さっき自己
ですね。实は前回のラウンドテーブルは、就
91
活の渦中にいる大学生を 3 人ここへ来てもら
着ける」という、あのコトバがものすごく残
い、就活で一体どんなことが起こってるのか
ってるんです。B君にもはっきりあって、 「得
をしゃべってもらう機会を持ちました。有名
体のしれない不安の解明」っていうのが、キ
な大学を皆さん出られてて、中学、高校と優
ーワードとしてずっとある気がする。Cさん
秀にやってきて大学に入って、皆がやってる
は、このごろよく言うのが、「異文化との出
ように就活をして、就活も今結構ほんまに大
会い」とか。そんなことをよく言う。それか
変やっていうのもよくわかりました。その中
ら、D君、彼は「自分のキャリアを作りたい
で、最初は自分はこんなことをやりたいって
ということ。」キャリアを作りたいと思って、
思っていた夢がどんどん削がれていくって
いくつも仕事を変えていくんですよね。彼に
いう挫折があったわけです。しんどいしこの
はこだわりがあって、いろいろ仕事を変えて
辺でいいやって思って就職する子もいっぱ
きたような印象がある。それもすごく私にと
いいるっていうのもわかりました。ある意味
っては印象深い。そのあたりを何か話を聞け
で彼らはストレーターって呼ばれる子たち
たらなと思うんですけど…」
です。つまずくことなく真っ直ぐやってきて
この場に集まった、ストレーターではな
いる。マジョリティです。多数派なんです。 その多数派の就職へ繋がる部分っていうの
い若者たち。それは私たちの教え子であっ
が、あんまり理想的な、夢のような世界では
たり、このラウンドテーブルの参加者であ
多分ないなと。けっこう厳しい世界なんやっ
ったりするのですが、彼らのキャリアを私
ていうのを私たちは改めて知るわけですね。
は以前から知っていました。そしてそのキ
一方で、例えば引きこもったり、一旦つまず
ャリアには、それぞれ私によって次のよう
いたりした人のキャリアをどう作っていく
なタイトルが付けられていくのです。
かっていうのは、なかなか普通の人みたいに いかない。尐しそういうところをサポートし
「地に足を着ける」
ていかないといけないんじゃないか?って
「得体のしれない不安の解明」
いう、そういうキャリアに対する考え方もあ
「異文化と出合う」
る。それで今回は、ある意味いろんなとこで
「自分のキャリアを作る」
つまずいたりした人たちに、つまずきながら そこで何か考えたりとか、思い返したりしな
これらのタイトルのついたキャリア、そ
がら、もう1回動き出そうとした人たちの話
れはある文脈性を備えたキャリアであり、
をぜひ聞いてみたいなと思いました。それで、
キャリアそのものが物語を描いています。
何人かピックアップさせてもらってお話を
その物語こそが彼らの生きている意味を表
伺おうと。一忚、ピックアップした人は、A
現しているのかもしれません。 では、 Aさんから順に語ってもらうこと
さん、B君と、Cさんと、D君と。ほとんど
にします。
同じ世代。で、私がお願いしたのは、それぞ れの人にそれぞれのテーマというか、キーワ ードがあって。Aさんの場合は、「地に足を
Aさん「改めましてご紹介にあずかりました、
92
Aです。昨日、9 月 27 日で 27 歳になったん
とかっていうことの方が多くて。あとは宝
ですけれど、私の最終の学歴は高校の通信
塚のことばっかり考えていたので、それは
教育を 19 歳で卒業した…通常より 1 年長く
あまり苦痛ではなかったんですけれど。で
かけて卒業したというのが最終学歴です。
も、中学、高校と思春期になっていく時期
障がい者支援施設が運営している美術館の
に、そういうことがどんどん大きくなって
企画やプロジェクト、ワークショップをし
いって。意識はしていなかったんですけど
たり、施設の中でも障害のある人や引きこ
も、大きな心が折れてしまう瞬間っていう
もりの人達と一緒に畑仕事をしたりとか絵
のがあって。それは 15 歳の時だったんです
画のプログラムを作ったりとか、っていう
けれど、これまで行けていた学校にも行け
ことを今しています。私は元々は、物心つ
なくなってしまって。体力も非常に落ちて
いた時から宝塚に入りたくて。宝塚の男役
しまった。もちろん宝塚を目指していたん
のトップスターになるというのをずっと夢
ですけども、それに取り組めるような体力
見て生きてきたんです。子どもがあまりふ
も気力もなくなってしまったっていうのが
わふわと夢見るっていうタイプではなくて、
15,16,17 くらいにあったんですね。で、
本気でなる、としか思ってなかったですし、
宝塚っていうのは 18 歳での年齢制限があり
テレビで流れてくる宝塚の映像を見ていて
ますので、諦めなければいけないというこ
も、憧れの世界というより、私は必ずその
とが自分の中で来るんですけども、これで
世界に行くんだ、っていうかなり強い意識
諦められたっていう気持ちもあったとは思
と…なぜか自信があったっていうような。
うんですが、これまで持っていた夢のよう
そればかりを考えて生きてきました。で、
なものがなくなった瞬間に、次どうやって
そのためにバレエや声楽、ピアノのお稽古
生きていけばいいのか分からない。それに
をしたりとかっていうことをしてたんです
似合ったものが見つからないといけないと
けれども、ただ、逆にそういうことを考え
思っていたし、見つからない現实に対して
ていたからなのか、小学校から割と悩みが
とても不安で。どんどん不安も募っていく
多くって。同じ学年の子たちと馴染まない
し、自信があっという間になくなっていく
な、っていうのを感じていて。でもとても
し、自己肯定感なんていうものが 1 ミリも
仲は良かったですし、小学校は 100 人程度
なくなっちゃって、っていうような時期が
の小さな学校だったので、クラスも 1 クラ
10 代、20 代前半とかなり続いていました。
スでずっと上がっていく感じで仲は良かっ
そんな時に、施設で利用者の人達と過ごし
たんですけれど、自分と考えてることとは
たりとか、施設はすごく自然環境に恵まれ
どうも違うらしいっていう感じはずっとし
ているので、そこで花を一つでも植えて見
ていて。かまってあげたい、とかっていう
たりとか、いい空気の中に身を置いてみる
気持ちはあったんですけれど、自分が今考
っていうことからやってみたらいいんじゃ
えていることを本当に共有できる同い年の
ないか、って提案をしてもらったのが 19、
お友達はいないな、っていう気はすごくし
20 歳くらいの時だったと思うんですけれど。
ていました。で、家に帰って母と話したり
で、施設の中で障害のある大人の人達と、
93
あと一緒に畑仕事をするドイツ人の女性と
ずつ大きくなっていって、また土に植えて
出会うんですけれど、彼女との真冬から始
いってっていうことを毎日毎日空の下で…、
める畑仕事とが、私の中で大きな一つの転
寒いって感じてみたりとか、昨日より尐し
機になりました。その地に足が着いていな
暖かいかもしれないとかって思いながら作
いっていうエピソードを前に話させてもら
業をしていくことが、自分が想像していた
ったのが、畑仕事につながっていくんです
以上に、すごく感覚を研ぎ澄ましていって
けれど。それまで、Bさんが感じていらし
くれて。 「ああこの感じ、病気になる前に感
たような「得体のしれない不安感」ってい
じた感じだなあ」とか。何ともいえない抽
うのもすごくあって。あと、全ての感覚が
象的な感覚になってしまうんですが、 「この
どんどん失せていくので、すごくつらいん
感じ、そういえば昔知ってたな」とか、 「今
ですけれども、なんか、感覚が非常に鈍麻
私、この人とのやりとりで感じがちょっと
になってきている感じもあったし、感動し
リアルになった」とか…本当に日に日に体
たりとか心が動くっていうようなことがな
験としてあって。ある時、その施設から畑
くって。何を見ても何に触れても笑いたく
に行く農道を、テクテクと長靴を履いてそ
なかったし、っていうようなこともありま
の人と歩いていたことがあって。その瞬間
した。明らかに自分が、社会の中に参加し
に、 「本当に今、地に足が着いた感じがする」
ていない感じがすごくあった。本当にリア
って、すごく思う時があったんですよ。で、
リティのないことを、すごくリアルに感じ
亀岡って冬場霧が多いじゃないですか。あ
ていた。しかもそれは、不安とか怖さを伴
の霧のかかった感じと、自分が足が着かず
っていて。そういう社会に出て行くってい
に歩いている感じっていうのが、苦しかっ
うことが、自分には到底無理だっていう風
た自分の 10 代後半の時期をすごくイメージ
に思ってました。ですけれど、思いがけず
として持っていて。それが「今、私は確か
畑仕事っていう…自分は全くしたことのな
に歩いている」、しかもそれは歩いていると
い人間ですけれど、真冬の亀岡で。そのド
いう身体的な行為と、自分の心の感じが一
イツ人の女性はずっと農業をドイツでして
致している、っていうのを農道を歩きなが
きた人だったので、彼女と、目の前に積ん
ら思って。一人ですごく感動して、尐し病
である落ち葉を丁寧に積み直して腐葉土を
気がよくなったかもしれない、って思えた
作るっていうことを始めて。それは本当に
のがその時だったんですね。それが 21,22
寒いところで、着込んで、白い息を吐きな
歳だったと思いますけれど、結局そのドイ
がら土を作っていくっていう、生まれて初
ツ人の女性とお仕事をした丸々2 年間の中
めての経験をして。それが非常に気持ちよ
で、敶地内にある畑を2人だけでずっとお
かったんですね。人目も気にしなくていい
仕事をしたんですね。で、もちろんコトバ
し、自分はすごく身体が動かせて。で、気
も通じないので。それが一つ大きなポイン
づいたら土が出来上がっていく。で、その
トだったのかもしれないんですけれど。コ
土を使って春先に小さなハーブの種をまい
トバが通じないから、日本語でとても不安
ていくっていうことをして。その芽が尐し
になっていたコミュニケーションっていう
94
のが、そもそも言語のコミュニケーション
出会いとしてもたらされて。それが畑だっ
が成立していないので、とりあえず片言の
たりとか、アートプロジェクトでの作家と
英語で通じた時に大満足だし、ちょっとし
の出会いとかっていうことにつながってい
た卖語の違いなんて関係のないディス・コ
ったんですけれど。そうやって尐しずつ、
ミュニケーションにつながらなくって。出
一人また一人って出会っていく人が増えた。
来た、とか関われた、っていうことが一つ
またその人とのやりとりっていうのが増え
ずつ蓄積されていったっていうのもすごく
ていくことによって、社会に自分が出て行
よかったと思うし。で、尐しずつ英語が話
っている感じっていうのも確かに経験がで
していけるようになったっていうのも、気
きて。で…、まあ尐し端折りますけれど、
づいたら自信になっていったっていう、後
気づいたら、美術館のスタッフをしている
からのお土産みたいな感じですけれど。そ
っていうようなところなんですけれども。
んなことがすごくあった。なので、私は畑
一番大きな転機としてはそういうことが一
仕事っていうものに思いがけないくらい助
つありました」
けてもらったし、自分の不安定なイメージ
塾長「なるほど。ありがとうございます。すごい
っていうのが、身体と手と足を動かすこと
リアルに話してもらい…。」
によって、その成果が出来上がってきた作
川畑「土を作る…」
物とか植物っていう存在によって確かめら
Aさん「花を育てたりっていうよりは、私は土作
れるっていうことをその時期出来たってい
りが本当によかったなと。一番寒い時に土を
うのはすごく大きかったのだろうなと。で、
作れたっていうのが一番よくって。今でも土
同じ時期に、施設ではアートプロジェクト
を作っているのが一番好きです」
っていうのがあって。アートを使って地域
塾長「何て言うかな…、こう、毎日毎日、来る日
の人とか障害のある人とかと一緒に、新し
も来る日も何かをし続ける。私は片一方でヘ
い関係を生み出していくっていうボランテ
レンケラーを思い出していて。リアルな感覚
ィアを始めたんです。今度はそのアートっ
みたいなのが蘇っていく。そのためには、ず
ていうのが、これまでの自分が持っていた
っと継続的にやり続けるものがある気がす
価値観とか、为流のイメージとかっていう
る。それともう一つは…こういうことがある
のにどんどん新しい視点を入れ込んできて
まで、Aちゃん自身はこれまでいろんな人と
くれて。私もこんなに自由に考えていいん
出会って、もちろん生きてたわけやけど、で
だとか、若いアーティストとかは、子ども
も何か、それはもう一つリアリティがなかっ
の頃のわくわくした感じを大人になっても
たのかもしれない。その感覚が蘇って来るみ
同じように感じてコトバにしたり作品にし
たいなことだったのかもしれません。」
たりしているんだとか。そういったところ が、私も同じように考えてていいんだって
久しぶりであったAさんの語りに、私は
いう助けにすごくなっていったということ
聞き入っていました。私の記憶の中では、
もあります。そういったところで不安だっ
このラウンドテーブルでAさんが初めて自
たことが、解消というより…、別の方法で
己紹介をした時、「地に足がついてなかっ 95
た」という表現をしたように思います。で
ころがまだ若干残ってる感じがしますね。た
すがその時の彼女は、まだほとんどコトバ
だそれはその後、高校でも友達と出会うんで
を持たない状態だったようにも思います。
すけど、そういったところで個人個人とちゃ
辛かった過去に触れるたびに感情がこみ上
んと付き合えたり、話してて楽しかったりと
げ涙が流れていました。
か。そういうところでちょっとずつ自分の实 感として回復していってる感覚はありまし
そんな状態から彼女は自分のコトバを手
たね」
に入れ、こうやって一つ一つ、確かめるよ
塾長「B君のことで思い出すのは、彼はものすご
うに語り出していったのです。それは土づ
く本を読むのが好きで。本読んでたよな、割
くりに表現されていたように、決して派手
と?」
な過程ではありませんでした。毎日毎日、
Bさん「うーん、むしろここに来るようになって
ただ黙々と続けられる作業を通して、彼女
から読み出した」
は自分と向き合い、自分のコトバを温めて
塾長「GTという教材があって、小学校の。それ
きたのかもしれません。だからこそ、そこ
を 10 級から1級まで全部終わらせたんです
には彼女の物語が表現されているようにも
よ。結構難しい教材なんやけど。算数とか数
思えるのです。
学はいまいちだったかもしれないけど、国語 はすごく長けていて。来る日も来る日もその
塾長「Aさんの話の中にB君の話もちょっとあっ
教材をやり続けた。すると、何が変わるかっ
たけど、「得体のしれぬ不安」みたいなもの
て、彼は、最初動きもぎこちなかったんです。
と、「地に足が着かへん感覚」それはちょっ
ロボットのように動いてたから。発する言葉
と近いんかな…?」
も3パターンくらいしかなくて。何聞いても
Bさん「そうですね…確かに、近い感覚を持った
「まあまあ」とか「大体」とか。そんな風に
ことはあるんですけど。地に足が着かないと
しか言わなかった。それがある時、お母さん
いうよりは、僕の場合は、周りとの距離感が
が面談で、「手が動くようになりました」っ
いまいちよくわからないというか。僕が元々
ておっしゃったんですね。それは、彼はほと
ここに来る前に、中学校時代に不登校になり
んど引きこもってる状態で、カチカチに固ま
まして。原因が、いじめだったり中学校に馴
るので、手は一切動かない状態。それが、手
染めなかったりとか。そういうものが原因と
と足が同時に出たりしてぎこちなかったの
いうか。ただ、原因というのも自分の中では
が、ようやく手が自然と動くようになりまし
まだはっきり分かっていないんですけど、そ
たということです。それを私はエピソードと
ういうのがあって、ここに来て。いろいろ勉
してすごく覚えてて。小さい子どもの頃は、
強したり、マツモトに買い物に行ったりしな
多分そういう風に動いてたと思う。でもそれ
がら、ちょっとずつ周りと慣れるような感じ
がどこかの段階で、「地に足を着け始める」、
にはなった気はしたんです。だけど、未だに
そういう作業があったのかもしれへんし。そ
人との距離感というか、自分がどういう風に
んなことを尐し思ったりもした。結構コツコ
接したらいいのかとかがつかめていないと
ツとやってたイメージがあるんやけど、ど
96
合うべきなのかを、論文にまとめていきた
う?」
いのだそうです。
Bさん「そうですね…何がそう、っていうよりは、 いろんな積み重ねがあって緊張がほぐれた っていう方があると思うんですけど。亀岡に
塾長「Cさんのことを尐しだけしゃべると、Cさ
は鍬山神社っていうところがあるんですけ
んは別に不登校…になったことはなかっ
ど。あの辺から通ってたんですけど、結構距
た?でも、学校には行ってなかったよね?」
離があるんですね。20 分から 30 分くらいか
Cさん「行かなかった時もありました」
かるんですけど、それをお昼間に自転車で動
塾長「引きこもってはいないよね?」
くことによって…、周りの目とかは気にしな
Cさん「遊んでました」
がらは来てたんですけど…、それがほぼ毎日
塾長「遊びに出てた。何年生くらいにサボり始め
続くことによって、別に外に出ても大丈夫な
るようになったんだったっけな?」
んだっていうのが、徐々にわかってきたって
Cさん「中学2年生くらいですかね」
いうのもあったんじゃないかと思います」
塾長「2年生くらいから、学校をサボるようにな った。学校をサボって何をしてるかというと、
B君の場合も、積み重ねた自分の行動や
サティ(大手スーパー)に行ったり。髪の毛
経験が緊張を解いたと言います。人前に出
は茶色。そういう感じで学校に行かなかった。
ると過度の緊張に苦しんでいたB君。彼の
でもまあ中学3年になって、ぼちぼち高校に
表現を借りると、 「得体のしれない不安」そ
行かないとなっていう風に思って、ちょこち
して「相手との距離感」というキーワード
ょこっと勉強して入れる高校に入ったもの
が飛び出します。その 2 点が、よくわから
の、すぐ辞めるんやね。どれくらいで辞め
ないのだと言うのです。そんな中、お母さ
た?」
んに連れられて、知誠館へとやってきたB
Cさん「3ヶ月弱です」
君。实はB君こそが、私たちが初めて出会
塾長「3ヶ月で辞める。辞めた時は 16 歳かな?そ
った不登校の生徒であり、初めて出会った
っから、大体 20 歳くらいまで…」
ひきこもりの生徒だったのです。だから彼
Cさん「もうちょっとです」
と出会うことがなければ、私がこうやって
塾長「21 歳くらいまでだらだら。そんな生活を送
この原稿を打つこともなかったのかもしれ
る。そこで、彼女は変わるわけ。助産師にな
ません。
りたいと思う。それが 22 歳。それで、看護 助手という仕事なら資格がなくても出来る
そんなB君でしたが、知誠館に通い始め
から、そこで働きたいと思う。ところが、中
て 1 年半、彼はまるで別人のようになって
卒なんですよ。高校すぐ辞めてるんで。そう
いきました。高校では生徒会活動に参加、
するとどこの病院も雇ってくれないという
そして文化祭ではバレリーナに扮し、白鳥
ことで、今、園部にある知的障害者施設で、
の湖を踊るわけですから…。そしてB君は
介護の仕事をしている。それで、看護師にな
今、大学院で不登校研究に取り組んでいる
りたいと思って自分で勉強するもののテス
のです。 「得体のしれない不安」にどう向き
トは全然分からへん。っていうことで知誠館
97
に訪ねてきたのがこの春です。それから、も
てないので、ベースは多分小学校くらいの知
う…びっくりするくらい勉強するんです。び
識。でも彼女は諦めないんですよ、絶対。何
っくりする。手本のような生徒。それと、も
なんやろうって思うくらい。現代文の問題を
のすごく他の生徒達の面倒をよく見てくれ
やっても一問も合わない。でも彼女は諦めな
る。彼女、ものすごく健気に勉強するんです。
い。私は本当感動するわけ。この子はほんま
で、それをやっていくうちに、何か自分の中
に諦めへん。何か自分の人生を歩きたい、っ
でも様々な変化が見られたりとか。こういう
て思ってるし。「レジリエンス」というコト
環境って、初めてでしょう、きっと。多分勉
バがあります。辛い状況からの回復力といい
強って学校の時も機会としてはあったと思
ますか、その強さのことです。自分のキャリ
うんだけど、全然取り組み方とかが違う気が
ア、自分の人生を作っていく強さなんですよ
するんやけど」
ね。皆と同じ人生を歩くっていうわけじゃな
Cさん「私が学校に行くのは、休憩時間とか放課
くて、私は私の人生を歩きたいから、ってい
後でした。そんな感じ。授業中は怒られるん
う。そこの強さがいる。そういうのをどこか
で、保健审とかにいました」
で感じてて。B君のひたむきさもどこかでそ
塾長「すごく聞きたかったことで、昨日も聞いて
ういうのにつながるかもわからへんし。Aち
たんだけど、そんな風に生きてたのが 21 歳
ゃんのそういうところにつながるのかなあ
くらいまで。何で変わるんやろうね?21 歳っ
とか。そういうところに感動しますね」
て。何なんやろうね。自分の中で意識が変わ
Cさんには不登校経験があったわけでは
り始めるのは。何があなたをそういう風に変
ありません。彼女は、中学時代から学校を
えさせたんかな?」
さぼる癖があったらしく、とりあえず高校
Cさん「いつまでもふらふらしてたらだめやなっ
へ入学したものの 3 ケ月で退学、その後フ
て思ったのが最初ですね…」
ラフラと 21 歳まで過ごしていたと言いま
塾長「そう思わせるきっかけみたいなものはあっ
す。ところがどういうわけか、ふと気がつ
たの?」
くのです。このままではダメだと。そこか
Cさん「きっかけは…多分なかったんじゃないか
ら彼女は変わり始めます。
な。これっていうきっかけは、私にはわから ないです」 塾長「ふうん。じゃあもう一個。助産師っていう
知誠館に入学し、高認合格を目標に勉強
のは、どうして助産師になりたいと思っ
して、それから助産師になるために看護の
た?」
専門学校の受験を目指し出します。そして
Cさん「何で助産師になりたいか…」
やがて私たちは、彼女の一生懸命に取り組
塾長「Cちゃんにとって助産師って何なの?」
む姿に魅かれ始めます。その強さやひたむ
Cさん「えー…命を扱う仕事ですかね…」
きさ。そこに、決して諦めようとしない彼
塾長「看護師じゃなくて助産師になりたいんや」
女の人生への態度を見るのです。しかしき
Cさん「…ですね」
っとそんな彼女の強さは、まるで意味をな
塾長「中学校時代、全くと言っていいほど勉強し
さなかったかのように思える 21 歳までの 98
生活が支えているようにも思うのです。問
ずに働くわけですけど。理想は決まってるわ
題のある状況が新たな機会を生み出してい
けですよ。塾長みたいな感じで、好きなこと
く、まさに機会開発へと向かう変容過程を
をやってご飯食べたいなと。でも自分のやり
彼女は生きているのかもしれません。
たいこともわからへんわけです。現实働いて たら職場にこういう人はいないわけで。周り
塾長「D君も強いよな?」
の優しい人、今までいらっしゃった先生たち
Dさん「いやー、自分では全く今もそんな風に思
も(職場には)いないわけで。ずっと延々と
わないですね。未だにそんなに強いなんて思
同じ作業をやってて。「これ何の部品です
ったことないし。小学校の時から僕は勉強嫌
か?」って为任に聞いたら「わからへん」っ
いで、ずっと勉強してなかったです。体育と
て答えられる感じやったから、これはあかん
音楽だけ 4 とか。高校までそのままつらつら
と思って。つまらないというか、それを調べ
と来てしまって、このままでは卒業出来ない
るほど興味もない。じゃあこれは好きじゃな
ってなった時に、知誠館に来させてもらって
いんかな、と。そういう感じで…いくつも仕
…ものすごく不純な動機で来たなと。そこか
事を変えた理由はそこかな。最低限ご飯を食
らもう、小学校の学習からやり直しで、ドリ
べられる分だけは、っていうのが僕にとって
ルみたいなので勉強して。今でも勉強はでき
の現实味。地に足を着けるポイントは、嫁と
る方ではないけども、ここに来た時に思った
子どもを食わす、っていうところは最低限し
のが、塾長がもっと若くて、溂溁と…、バー
ないといけないし。でも、楽しく生きたいん
ベキューとかしたはってね。この人はなんか、
です。理想と現实の、そこの溝がこんなに大
周りの今までの大人と違う生き方をしては
きいから。勉強も足りてないし、好きなこと
るなと。楽しそうに生きてはるなと。好きな
すらも分からへんし、何に懸けたらいいかも
ことをやって、なおかつ家族を養う分の収入
分からへんし。それが埋まるまでがずっとし
は保ってはって。こういう生き方があるんや、
んどかったですね。嫁との喧嘩も大量にあり
こんな風に生きてもいいんやって。周りの環
ましたし。上の子がダウン症っていう形で生
境に生き方が決められてるような感じやっ
まれてきたので、それも多分結構大きくて。
たんで。こんな、1を取ってて卒業も出来な
言い方はあれやけど、普通の健常者に比べた
いようなやつは、ある程度体力があったら誰
ら出来ひんことがすごく多いし。ダウン症だ
でも出来るような仕事をしないといけない
からこそ出来るっていうことももちろんあ
んだろうなと思ってたんだけれども、そこを
るけど、それを見つけるまでも大変やし。自
変えてもらって。そこから、楽しく生きない
分も好きなことを見つけられてないのに、子
となあと。今までは面白くなかったんです。
どもにそんなこと見つけられるのか、果たし
決められてて。選べるって言うけど、周りの
てっていう感じでちょくちょく塾長のとこ
環境見てたら選べないやん、って思ってて。
ろに来ていろいろ聞きながら尐しずつ埋め
そこでパンと変わったことは今でも忘れま
ていったのかな。自分なりにですけど。今は
せんし…。そこからいろいろありましたけど、
理想と現实の差がこれくらいに狭くなって
まあ子供ができたんでそこから大学は行か
来てますね。そこのバランスを取るのが楽し
99
かったりするんで。人生楽しいって言ったら
れあれやこれやといろんなことがあるよう
大袈裟ですけど、上手に回せるようになり出
な気がするんやけど…」
したのは知誠館がきっかけですかね。そんな
D君の話では、私がそれまで知っている
感じなんですよ。」 塾長「Dさんはだから…高校卒業して、大学行き
大人たちとは違い、实に楽しそうに生きて
たいって言ってて。海洋大学行ってイルカの
いるという感想を持ち、 「自分もそんな風に
研究とかをやりたいとか言ってたんやけど、
生きたい」と思ってくれたようです。どう
付き合ってる彼女がいてて、その間に子ども
いうわけか、私自身に憧れてくれるように
が出来るっていう。それで彼は泣いて。やっ
なったのです。憧れはとても強い動機にな
ぱり要するに自分は行きたかったんだけど
ります。憧れの存在とは、生きたモデルの
も、その夢を諦めないといけないと。私に泣
ような存在です。従って、日々観察の対象
いて言った記憶があった。だからあれが…年
となり得るのです。それまでどこか諦めか
齢で言ったら 19 かな?」
けていた自分の人生に、彼はどこか希望を 見出し始めます。
Dさん「そうですね」 塾長「それでその子は、ダウン症だったんや。ま
それからは勉強も大変頑張ってやり始め、
あ…神様はそうやって彼に一つの試練を与 えるんかって片一方で思ったりもしたんや
大学進学を目指すようになっていくのです
けど。職も、彼の中では転々としていくわけ
が、そんな志も挫折せざるを得なくなりま
やけど、ただ転々としてるわけじゃないわけ
す。当時お付き合いをしていた彼女が妊娠、
よ。いろいろ模索しながらで。今彼が何をし
そして結婚、出産と、めまぐるしい流れの
てるのかというと、保険の…あれは自営みた
中でD君は若いお父さんになっていきます。
いな形?」
そうせざるを得なかったのです。そして彼 は、家族を養うためとにかく働くのですが、
Dさん「そうですね、一忚ファイナンシャルプラ
彼の頭の中には依然、楽しみながら働きた
ンナーっていうのをしていて…」 塾長「そういう仕事を彼はしていて、二人の子ど
いという思いが存在していました。結局D
もがいて。こうやって生きてるわけやね。た
君は、職を転々としながらもそんな人生を
いしたもんやなって思いながら。家族がいな
追い求めることになるのです。そしてとう
がらそうやって彼は生きようとしてるわけ
とう、ファイナンシャル・プランナーとい
やから。そういう世界なんですよね。何でこ
う、自分で納得のいくキャリアを手に入れ
ういう話を話してもらいたかったかってい
たのです。
うと、皆豊かなんですよね。私からすると豊 かな世界なんですよ。だから、普通のマジョ
塾長「ありがとう。ざっとこれで 4 人の話を聞か
リティの学生たちの就活ってあんまり豊か
せてもらって、1 時間まわってしまいました。
なイメージがなくって。それは通過をしてい
最初に言ったけれども、このラウンドテーブ
かないといけないのかもわからへんけど。こ
ルっていうのは「問い直し」っていうのが大
っちの話はすごいドラマになってて。それぞ
きなテーマとしてあるので。私はキャリアっ
100
ていうことをものすごく問い直したいって
ないかって思われるかもわからへんけど、私
いう思いがあって。ストレーターじゃない人
の中では一緒でね。今仕事でも興味としてで
達って、ある意味つまずいた人。でもそのつ
もやってるのは、中学生とか小学生のみなさ
まずきっていうことこそが、大事なキャリア
んとかにやる、心理検査があるんですよ。審
だよなと思ったりする。つまずかないとわか
判形式発達検査っていうのがね。子どもと遊
らないというようなことがね。でも従来のキ
ぶ検査なんですよ。赤い積み木をならべて積
ャリア支援っていうのは、つまずかないよう
んで、それと同じトラックを作ってもらうと
な道をどういう風に提示しますかとか、どう
かいう検査があるんですよ。発達検査って聞
いう風に支援しますかとか。そういうような
いたら嫌いやって言う小児科医がいるくら
方向性を持っているように思う。でも实は、
いでね。変な心理職が検査して発達指数が 80
つまずく事はすごく大事だって…。でも片一
やって言ったらお母さんがそれを悲しんだ
方で、ここに来る生徒たちは本当に、最初は
りっていうことなんかから、役に立つどころ
自分の物語を描けない状態でやってくる子
か害ばっかり与えてるじゃないかって言う
がほとんどです。地に足が着かなくて、どう
ようなことが今でもあるようなものなんや
しようもない状態で来る子ども達、若者達っ
けど。そうじゃなくて、子どもと遊ぶわけで
ていうのがほとんどです。要するに、つまず
しょ。そこから、その子どもの目には世の中
きの中で壊れていくとか、閉塞状態になって
がどんな風に映ってるのか。聴覚障害がなけ
いくとか…。でもやっぱりつまずくことって
れば世の中のいろんな音が届いてるわけや
いうのはものすごく大事な過程なんやと思
けども、その中でどんな意味を感じて、見た
う。でも片一方でそうやってつぶれていく人
り聞いたりすることが、その子の行動にどの
たちがいて、また一方ででもそこから、自分
ように影響を与えているのか。それでどうや
の物語を作り上げていく人たちがいる。一番
って動いて生活してるのか、どんなことがス
最初のAちゃんの話で言ったら、地に足を着
ムーズに行かずに生きにくいという風に感
けてる感覚を蘇らせる、みたいなこと。そこ
じてるんやろうか、みたいなことを検査やっ
の違いって实はものすごく大事なのかなっ
た私が、あたかも自分のことのように語りた
ていう感じがするんですよね。そう考えると、
いっていうのが、それ以上なくそれ以下でも
キャリアっていうのを考える時に、そこら辺
ない思いというか、願いなんですよ。だから、
が实はポイントかなっていうのがあって。そ
検査というものを子どもとの間に置きなが
んなことを思いつつ、川畑先生にバトンを渡
ら、どんな風に僕と人間関係を作るんやろか、
そうかなと思ってるんですけど…。」
みたいなことを全部見ててね。そこからそう いう仮説を出す、っていうことを一生懸命や
川畑「いやー…僕、今の話聞いててめっちゃ面白
ってて。そのために、出来るのと出来ないの
かった。そんな面白い話を聞くのも面白いけ
とには何の差があるんやろう、出来ない子に
ど、そんな面白い話を私は出来るやろかって
はどんなことが見えてないんやろうって一
思ってね。そんなことを考えると悔しくてね。
生懸命考えるんですよ。そうして見ていって、
今からちょっと話す話は、全然関係ないじゃ
なるほどなというイメージが浮かぶ。それを
101
適切にコトバにしたりする。形式発達検査を
るかなって思って。40 代までは、まだ若造か
使ってお仕事をしてる人たちにその事を話
って言われるんやけど、50 歳になった時プレ
したりすることも多いんだけど、そのことが
ッシャーがあって。わあ、50 歳か、とかって。
結構役に立ってもらってるところがあって。
そんな感覚がものすごくありました。だから、
いや、それがね。自分が面白いなって思って、
生徒がここにいてて、彼らを子どもだとかっ
してる事と、それを使ってお仕事してる人の
てあまり意識してないかもしれません。例え
ニーズに合って、自分としての、ぴしっとし
ば、CちゃんにはCちゃんの人生…っていう
たことをやれてるな、っていう。やっとこの
コトバはちょっと大きいかもしれへんけど、
齢になって感じてみたりね。そういう感じが
それを私と出会うことで、どこかで共有して
すごくあるんですよ。それでね。そういう体
る感じがする。私の中にCちゃんの人生がど
験っていうのは…大人と子どもの違いは何
っか入り込むっていうか。その反対の事もあ
だっていう中で、大人っていうのは、思って
るかもしれません。その感覚が、何となく私
る事と言う事が違う。そういう側面を持って
はあります。それはKちゃんにも、Mちゃん
ないと大人の世界は生きられないから。だけ
にもあるのかもしれないけど。それは彼らの
ど子どもは、思ってる事とする事が一緒の方
人生でもなくて、私の人生でもなくて。どこ
が天真爛漫やし、そう言われるわけでしょ。
か共有されていくような世界。だからどっか
そういう意味で言えばね、価値じゃなくて、
Dさんともそんな感じやと思うねん。Dさん
いろんなことが一致してる、子ども体験、み
のことは、自分の一部でもあるような感覚が
たいなことなんかなと思ったりね。子ども体
ありますね」
験っていうのが…塾長さんが言うような、つ まずきの中にある価値、みたいなのにつなが
私も感化されていたようです。ここでの
るようなところがあるんかなとか思ったり
私の为張は、援助者と被援助者とが、实は
ね。みたいなことを今思ってるんですけどね。
双方向の関係にあるということ、そしてそ
…まあ、序論として」
れは決して上意下達的なものではないとい うことです。援助の過程ではその関係の中
面白い展開になってきました。本来進行
に、それぞれが関わる世界が出来上がって
役の川畑先生が、当事者たちの話に感化さ
いき、その世界を共に大事にしていく。そ
れ、自分自身のことを話し始めたのです。
んな援助観を表現しています。
場がいつもとは、尐し違った磁場を作り始 めることになります。
塾長「Gさんも、現場で多分いろいろ支援とかっ ていう枠組みの中で仕事されているわけで
塾長「私とか、自分のことを大人と思ってないか
すが、いろいろと感じられることがあるんじ
もしれません。結局大人になれないのかなと
ゃないですか?」」
か思いながら。死ぬまで子どもか、とかって。
Gさん「いや…あんまりね。支援ということを考
私、50 歳になった時焦ったんですよ。50 歳
えてしてないんですよね。まあそこまで行っ
っていうのは、ある程度出来上がった人にな
てないのは未熟だからかなっていうのもあ
102
るんやけど、これ以上、悪くならないように、
いとかタイミングが偶然組み合わさって、出
目の前にいる人とただ対話をしてるだけ。そ
来たこと。ほんまに偶然なんじゃないかなあ。
のことが悪くならないことにつながってい
今の自分がこの状況であるのが偶然なんじ
るのかもかもわからないんだけども、とりあ
ゃないかなあってすごい思いますね。仕事も
えず前の人の話を聞いてるだけ。それしか出
ずっとこの仕事をしてるわけじゃないじゃ
来てないし、それしかすること無いかなと思
ないですか。私だって、転職といえば転職で
う。その後ろでは、働いててもらわないと駄
すよね。3 年か 5 年経ったらあれやってこれ
目なんですけどね。制度とか何とかっていう
やってってね。全然違うことやるわけですよ
のは活用していかないとあかんのやけど、と
ね。ある種の転職を重ねてきたなっていう感
りあえず目の前の人っていうことしか思わ
じはある。でもどの仕事も面白かったし、ど
ないなと。今の話聞いてて、学校に行かなか
の仕事も楽しもうと思ったところはありま
った人たちがいてて、でも私は学校は行った
したね。だから、たまたま違うことになった
けど、そう言えばその時習ってた書道塾はか
ものに興味を持てる自分やったのかもしれ
なり行かなかったなと思った。まず、行けっ
ませんけど。興味っていうのを、じゃあそれ
て言われて行き出したのが嫌やったのかも
を楽しもう、また変わったらそれを楽しもう、
しれないけど、途中で行かなくなりましたね。
っていう感じ。それをしみじみと感じました。
バレまして、ものすごく怒られて。行かへん
皆さんのお話を聞いてて。そんな感じです」
のやったら辞めろっと言われました。で、辞
川畑「どうですか」
めなかったんですよ。で、辞めなかったら今
Hさん「いや、皆さんの話聞いてて、なんか豊か
でもやってるんですよね、实はね。これ何な
やなあと。私は…大学までスッと来て、今の
んやろうって…」
職場に入る時は 1 年間ゆっくりさせていただ
塾長「へえ。今もまだやってらっしゃるんです
いた。だけど、そこまでは順調に行ってて。
か?」
そこからの人生は違うんですけど。いろんな
Gさん「やってるんですよ、性懲りもなく。長い
出会いがあったり。全然違う分野に異動しま
な~って、ふと。でもよく考えたら学校は行
すからね。転職するかのように付き合う人た
かないと仕方ないものって割り切ってたの
ちが変わるので、そこからの人生はいわば広
かもしれへん。だけど、その書道塾にはなぜ
がりがね、専門分野で特化していないその分
行かないといけなかったのかが、その時はわ
だけ、いろんな人とのつながりとか広がりが
からなかったのかもしれません。でも辞めろ
出るんですけども。でもそこまでの人生って、
って言われたら、負けん気が強いから、「な
学校生活で知り合った人くらいしか幅がな
にくそ、辞めへんわ」って思って、まだ続い
いんですよね。でも、今のお話を聞いてると、
てるんですよね。というか、これしか残って
その中でいろんな転機を経て、今があるわけ
ないんですよね。最後これで食べれたらいい
ですよね。それは大きな出会いがあったり、
わっていう思いもあるというか。そんな感じ
いろんなことをしているわけで。その時は、
やなあと、子どもの頃の自分を思い出しまし
非常に大変で、苦しかった思いを抱えてらし
たね、皆さんの話聞いてて。でもそれも出会
たのかもしれへん。けれど、そこが何かのき
103
っかけで変わっていった時に、何かすごく豊
いう強いものも見つかってないという」
かな感じとか、そんなものを感じるんですよ
Dさん「それがわかったら、早いんですけどね」
ね。で、自分を振り返ってみると、小さなつ
Iさん「そうそう。だからこう、迷ったり隠れた
まずきはいっぱいしてます。大きなのをして
り。それから自分の中でね、いつ明けるとも
ないだけで。それって、どうなんやろなあ、
知れない暗闇にいますよね。その時のいたた
結構皆さん、そういうことを経た後はしなや
まれなさとか、苦しいって思うし。選ぼうと
かに生きてはるよなって。今聞いてたら。外
思って選んでるわけじゃないし、どっちがい
から見てたら、そういう風に見える」
いとかじゃなくて、選べないんですよ」
Iさん「だけど、しんどいと思いますよ」
Dさん「気質みたいなもんやね」
Hさん「うん、しんどいのはしんどいと思います
Iさん「そう。だからそれで私、Gさんが偶然と
よ」
いうコトバを使わはったのも面白いなと。偶
Iさん「いやー、今いい意味で聞いたんですけど
然やと、全ては。でも必然やとも言えるんで
ね。学校は行かなあかんとこやと思った。そ
すよ。その個体に備わってる道は、なれない
れからね、異動…転職を受け入れつつ。でも
者にはなれない。だけど、大多数が学校は行
転職っていう一から違う分野に入れられる
かなあかんものや、とかっていうのが作られ
っていうのを絶対に受け入れながらそれに
てると、なかなか外れるのは難しい。外れた
合わしていかはる能力ってすごいなって思
くて、外れてるわけじゃない。やっぱり行か
って。行政の方とお会いする度に思うんです
ないといけないところに行けないようにな
よ。そして吸収して、見事にこなされますで
っていくしんどさっていうのはある。だけど
しょ。だからすごい能力やなって思うんやけ
も何とか、道を見出した人たちは、そりゃ面
ども。それで、豊かやって言っていただくけ
白いし、すごいなあと。こんな道もあるやん、
ど。そんなの思えないでしょ。ものすごく辛
って言ってあげられるじゃないですか。で、
くて、今ちょっと明かりが見えたりちょっと
そういうのを言ってあげられるのを、ちょっ
自信も出来たりするのかなと思うけど…。例
と前に言ってあげられたり受け止めていっ
えばやけど、GさんとかDさんとかってやっ
てあげられたらね。親や学校がね。そんな生
ぱりある意味強いですよね。それで、今豊か
き方もあるんやなあ、ええなあ、今、道を探
やって評価してもらってる皆さんってやっ
したはるんやなあ、とか言えるようになるく
ぱり、いわゆる不器用。それで、その時はい
らい…。この頃、段々月並みになってきまし
たたまれない思いをして。苦しくって、精神
たけど、多様やということが普通になってい
的にもある意味で病んでるとか。問題視され
ったらいいなあと。だからどっちがいいって
てたりとか。そういうのって、学校から見た
いうものじゃないし、格好いいなあと思いま
ら大変じゃないですか。で、そういう評価っ
したよ、Gさん」
てビンビン感じてるじゃないですか、本人た
Dさん「その対忚力の方がすごいと思いますよ。
ちは。で、めちゃくちゃ弱いんですよ。受け
こちらからしたら出来ないわけですから」
止めていけない。だけど合わせられないとい
Iさん「そうですよね。強いし、しなやかですよ
う。で、合わせられないけど、これをやると
ね。これもまた豊やし。強いし。それこそ一
104
つのことを続けたはるんですよ。その中でい
生きていけへんからね。だけどその中で大人
っぱいいろんなことを獲得したはるんやろ
になってくると、守られてることの中にも決
うなと思いますよ。それで書道を続けてはる
められてると、飽きてくるとかね。どこかの
とことか、面白い。でも苦しいやろうなあっ
時点で、もう誰も守ってくれへんから、自分
て。ほとんどの人がやってる時にやれないし
で自分を守らないとあかん時に入るんやと
んどさ。それが思春期の時にやって来るし。
思います。だからその時に、自分で自分を守
思春期やから揺れるしね。Cさんが、何でじ
る時に何か支えがないと立ってられないと
ゃあ学校行こうと思うようになったのかっ
か。その支えがなかなか見つからへんとかね。
ていう時に、いつまでもフラフラ出来ないし
みたいなことがやっぱり起こってくるんか
って言わはったけど、それだけじゃない何か、
なあと思って。で、何で 20 歳過ぎてからっ
動かされる、決断するものっていうのがある
ていうのがあったでしょ。ちょっと間違いか
んやろうし。そんなことに皆、この 4 人は、
もしれんけど、体力のピークっていうのが 19
ここでなんとかしないとあかんなあってい
歳くらい、っていうね。そこからもう下がっ
うのが、意識できる時とできない時があるけ
てくるっていうことを思うとね、体力だけじ
どやって来る。やって来るものを持ってるっ
ゃなくて、脳機能もいろんなものも 19 歳に
ていうことは幸せやけど、なかなかそれが来
ピークが来てね。そういった時に、なんて言
ない人もいるって思いますね。」
うのかなあ…一人で生きていかないとあか んっていうようなことを思うような時期に
挫折からの再出発。それは「セカンドキ
差し掛かる。20 歳前後で。それが制度で言え
ャリア」としての意味を持ちます。ファー
ば成人式過ぎてからとか、その前からとかい
ストキャリアが個人の人生を保証しきれな
ろいろあるけどね。なんか、そうなるんやろ
い時代の中では、むしろセカンドキャリア
うなあと。そういう時に何か見つかればいい
をどう構築できるかが問われているように
んやけど。見つからなかったらなかなかしん
思います。セカンドキャリアは、ファース
どくなるのかなあと…」
トキャリアの反省の上に成立します。 「自分
Dさん「なんか、そういうタイミングが来るのが
が本当にしたかったことは何か?」、「どこ
早い気がしますね、今の時代っていうのは。
に問題があったから自分は挫折したの
情報がすごく錯綜してる時代やから。成人式
か?」、「これからどんな風に生きていきた
ってずっと昔に 20 歳って決められたんだと
いのか?」。様々な問いの上に、セカンドキ
思いますけど、今の若い子って…」
ャリアは成立するのかもしれません。
Iさん「でも、もっと昔はもっと早かったですよ」 Dさん「そうですか」
川畑「例えば、赤ん坊が生まれた時っていうのは
Iさん「14 歳とか、その辺で元服してるじゃない」
100%世話してもらわないと生きていけない
Dさん「それくらいで、いいんちゃいますかね」
から、完全に守られてるわけでしょ。それで
Iさん「そっちの方が、私は理に適ってると思う
段々子どもが大きくなっていくんだけども、 やっぱりほら、ずっと世の中から守られんと
んですよ」 Dさん「そうですよね。そっちの方が…」
105
Iさん「つまりそれ以上は、今度はちょっと近代
ょうけど。やっぱりその、空気を読んでいか
化っていうか…いろいろ知力の時代になっ
なきゃいけないとか。空気なんて読めやしな
ていくから。学力を身につける期間も長くな
いのに。そういったコトバが出てくるのも、
っていくし。でも個体としてはぎりぎり 20
どうしても個人が何に対して付けなきゃい
歳くらいまでって言われたように、そうなん
けない能力かわからずに、皆がそれぞれを気
だろうねえと。だから昔は仕組みが追い付い
にしながら生きていくっていうのは、やっぱ
てなかったから寺子屋で終わったし。不登校
り教育場面と、そこから大学卒業以降の就職
が出来るっていうのは、学校があるから不登
へと差し掛かる現場に見られる教育と現場
校って言われるのでね。小学校でやめといて
の一致しない関係。そういう現状には差し掛
あげたら、それなりに皆どっか手伝いに行っ
かってるのかなって思いますね」
たり、勉強好きな子は勉強したり、っていう 風に出来るわけですよ。だからやっぱり、高
今回は、参加者同士の中で、どんどん話
度…何て言うんですか。そういう社会になっ
が展開していきます。これは過去のラウン
てから、その人に合った道はある意味で狭め
ドテーブルの中では、際立った傾向だった
られていってるんやなあって。まあしょうが
のかもしれません。支援される側の当事者
ないからね。逆戻りは出来ないから」
たちの語りが、参加所の語りの世界を誘発
川畑「戦後も不登校多くてね。でも、不登校して
しているかように私たちには映っていまし
たけど家の手伝いはするとかね。それだった
た。そんな中、大学卒業後 5 年間のフリー
ら仕方ないな、って、問題にはならなかった
ター生活を経験し、再び大学院へと舞い戻
んやね」
って来たE君のライフストーリーにみんな の関心が集まります」
Iさん「そうそう。やっぱり第一次産業が为体や った時はいいんですよ。だからやっぱり知力 偏重の時代、社会になっていく中で、能力の
Iさん「フリーターを 5 年ですか?」
格差、そこで判断されるようになってくるか
Eさん「はい」
らコンプレックスを持たないといけないよ
Iさん「それから、大学院の学費というか、それ
うになっていって。それで精神的にもしんど
の一忚の目処を立てるだけは貯めたんです
なるよね」
か?今からもそんなに不安とかないんです
Eさん「学力的な能力と、第三次産業に入ってい
か?何とかなる?」
ったのと、もう一つ、学校とかで言うと「生
Eさん「それは、めちゃくちゃあるのはあると思
きる力」とか出てきた時代に道徳心の教育っ
うんですよ。やっぱり皆の流れっていうのを
ていうのが出てきたみたいに、問われる能力
考えると、就職をしていて。会社が潰れるか
が増えてきてる。それ自体が、個人に押し付
潰れないかの不安っていうのは、経済の流れ
ける能力っていうところになってきてるん
であるかもしれないんですけど、やっぱりそ
じゃないのかなっていうのは、何となく僕は
の基盤を持たないっていう不安はあります
産業の流れでは、思う節があって。多分コミ
よね。でもまあ、最悪路上で過ごすってなっ
ュニケーションの話には、なっていくんでし
た時は、税金払いたくなるんだろうなって思
106
ったりするんで。あの、まあある程度の食っ
を基準に何を目的に生きていくか、何を優先
ていく仕事はしていかないといけないかな
にして生きるかっていうところによって変
って思いますね」
わってくるけどね。でもさっきのDさんの立
Iさん「ある程度食っていくために必要なお金っ
派な理由、奥さんと子どもを食べささないと、
て、どれくらいやって思っておられるんです
っていうとこから始まるのって、いい動機で
か?別に正しい数値じゃなくて、感じで。去
すよね。そこからキャリアが本当についてい
年の日本人の平均年収が 403 万円とかってい
くっていう」
うのを、昨日聞いてたんやけど。それを高い
川畑「いい動機っていうか、地に足が着いた、基
ねえ、低いねえっていういろんな感想があり
本、根っこみたいなところですやんか。そこ
ましたけど、今自分はそれより低いですって
は外せないみたいなね」
答えてる非正規職員もいたしね。それをどう
Dさん「そうですね。まあそれも行き当たりばっ
思うかというのことやけどね」
たりで出てきただけなんで、別に…」
Eさん「僕、月 12 万くらいあればいいじゃ…」
川畑「逆に言えば、出てきたことやからって言っ
Iさん「いいんじゃないだろうかと」
ても「知らん」って言うわけじゃないじゃな
Eさん「そうですね。あとは家賃をどんどん下げ
いですか。そこを根っこにしてね」
ていかなきゃいけなくなるのか。いいステー
塾長「やっぱり、でもずっとこれまで人間関係を
キを食べたくなったら服を古着屋に売りに
つないできたもんな。その仕事をずっとつな
行くのかっていう選択肢がだんだん迫られ
ぐ…、誰かに紹介してもらってこうなったと
てくるのかなっていう風に思いながら、いる
か。いろいろあったやん、これまでも…」
感じですけど」
Dさん「はい、ありましたね。周りの人には恵ま
Iさん「そう、403 万円だそうですよって言ったら、
れてますよね」
街頭で女性たちが、「これで子ども出来たら 苦しいよね。無理だよね」とかいう感想を言
ストレーターではない若者たちのキャリ
ってましたけどね。ふーんと思って聞いてた
ア形成には、必ずと言っていいほどそこに
んですけどね」
「出会い」があります。要するに、他者の 介在が存在するのです。 「変容」と「他者の
塾長「まあ所帯持ってての話ですよね。子どもが
介在」、そこにはとても重要な関係が存在し
出来て、みたいな話でしょ」
ているようです。
Iさん「子どもが出来たら苦しいよねっていうよ うな話でね。述べてましたけどね」 塾長「そうですよね」
塾長「全くそれはすごいな思う。私、割と最近に
Iさん「でもサラリーマンの平均やったから、そ
ある銀行マンと話したんです。銀行マンって、
んな人達も含まれてるし、いろんな職種があ
30 いくつくらいになってくると、やっぱりい
るとは思うけど」
ろんな意味でストレスが増えてきて。自分と
Hさん「非正規の人も、入ってたんじゃないです
しては納得が出来ないことをやらないとい
か?」
けなくなる。不条理で自分では到底、納得出
Iさん「入ってるのかな?だから、どういうこと
来ないわけですよね。でもそれは、やってい
107
かないといけない。しかも 30 歳くらいにな
れまでに、後に続く人をちゃんと育てとかな
ってくると立場的には管理職になっていく。
いとあかんとか。そういうのがあるから、ど
ということは、部下にそれをやらせないとい
うしてもそうならざるを得ない。そういう時
けなくなる。そんな不条理なことをしなけれ
に、本当にこの仕事嫌やなって思って。もう
ばならないことも、かつて日本が豊かな時代、
辞めたいなって思うことは何回もあります
年々所得が上がっていく時代は、尐なかった
し。何でこんなこと徹夜してやらなあかんね
かもしれません。例えば不条理なことをやら
んって思いながら、でも間に合わなかったら
なくても、売り上げは上がってたかもしれな
それはそれで問題やし、仕方ないなって思い
いからです。そういうことがやっぱりあって、
ながらやってきたことはいくらでもありま
大体管理職になるくらいに退職する人って
すけど。ここ最近ですよね。I先生とお付き
結構多かったりする。でも、子どもさんはい
合いさせていただくような職場に来てから。
ないんやけど、やっぱり所帯はあるので、辞
この仕事って結構面白いやんとか。今の仕事
めても次の選択肢がないっていう風に思う
でもそうなんですけど、面白いやんって。自
し、そこでずっと続けないといけなくなる。
分がそこでやってることが、何かの役に立っ
そういう話をわりと最近して、そういうこと
てるなってはっきり見えてくると面白いと
は現实に結構ある話なんかなっていう感じ
思うんですけど、この仕事って、目に見えな
を持ちましたね。ただそういう状況の中であ
い部分が結構ある。今やってるのがどう活き
っても、自分が納得できるものを見つけてい
てるんやろうっていう部分も結構あるんで
くのかなって思ったりもするんやけど。私は
すよ。歯車の中なんやけど、全体の中で歯車
組織の中に居ないので、わからないんですよ、
の位置がわからへんから、とにかく何かやら
その感覚が。D君が、私のことをやりたいよ
されてるっていう感じしか残らない」
うにやってきたはるって言ってましたけど、
川畑「工場と一緒やね」
現实はなかなかそう簡卖には運ばない。上手
Hさん「そうなんです、まさにその通りで。そん
くいかないこともいっぱいあるけど、でも組
な感覚の時が、若い頃によくありました。こ
織にいないだけ、痛みは自分で背負ったらい
れって何のためにこの作業、集計やってるん
いだけって思えるので、まあ不条理っていう
やろうな、これ何の意味があんのやろうなっ
ものをあんまり感じないかもしれないなあ」
ていうのはよくありました。それを徹夜して
Hさん「組織の中にいると、あれですよ。あまり
やらないといけなくって。こんな辛いことは
気が進まないこともやらないとあかんし、辞
ない」
令一枚でどっか行って仕事しないといけな
塾長「その時はやっぱり、我慢をしてはるんです
いわけやから。そういう辛さとか、本当はこ
か?」
の仕事がしたいんやけどなって思ってても、
Hさん「そうです。これ終わったら飲みに行ける、
いつかはその職場を離れなあかんっていう
とかね。これ終わったらちょっと休み取って
ことがある。自分がその組織の中でずっと、
遊びに行ける、とかね。そんな感じですよ。
未来永劫やれるわけではないし。歳重ねてき
何か先に、自分がやり終えたことに対する小
たらその組織をやめていく時が来るんで、そ
さなご褒美を持っておかないと…」
108
川畑「こういうある程度まとまった仕事が出来て
Jさん「そうですね。始めの 5 人の皆さんの話を
て、いきなり国から、こうしろって言ってき
聞いてた時に、私も自分だったらこんな風に
たりするわけでしょ。それで嫌やなとかって
話せるかなって考えながら聞いてたんです
思うんやけど、それで言ってたら負けじゃな
けど。私は、大学進学まではずっとストレー
いですか。それは面白くないから、そういう
トに来たんですけど、その間につまずきって
ことを急に厚生労働省が言ってくれたから、
呼べることはあったんです。大けがをして運
实はこういう仕事に発展できた、という風に
動が出来なくなったりとか、親とすごいもめ
ね。出来るだけ持っていこう、という風には
たりとかはあったんですけど、無理矢理に、
言ってましたね、職場では。出先の児相やっ
普通の方に、大部分の方の道に戻された感じ
たから、いろんなことが自由やったからね。
がして。それが嫌だったはずなのに、何でこ
自分の思ってることとしてることが出来る
こまで行けたのかなっていうのは聞いてて
だけ一致するように頑張ろう、みたいなこと
思ってました。親が教師っていうのが大きい
はしてましたね」
かなって思ってて、それのせいだって思って
Hさん「だから、意識が変わってきたのは 30 歳に
大学入ってから爆発したんですけど。それま
なる前くらいからですかね。仕事って、辛い
でに、自分が考えて行動するだとか、親に逆
ことばっかりやったら面白くないやん、何か
らってみるだとか。そういったことが出来て
面白いことを仕事の中で見つけようか、って
いたら、そんなに大きな爆発にはならなかっ
いう風に変わってくると変わってきました。
たかもしれないし。あんな痛手を負わなかっ
例えば、私は東京で勤務していたんですけど、
たかもしれないしっていうのを考えてまし
いろんな方と会う。この人たちとお話しして
た。あんまり上手くまとまってないんですけ
たら楽しいやんな、とか。こんなこと知らん
ど、そんなことを思ってました」
かったわっていうような。そういうところで、 面白いと思えたら仕事が面白くなっていく」
川畑「いやいや。Kさん何か思ってることは?自 分の年齢なりに、自分の生活に引き寄せてと か」
「組織をどう考えるのか?」あるいは「組
Kさん「私も結構回り道して、この夏に高校の卖
織の中における自己实現とは何なのか?」、
位が取れたっていう状況で。高校が今の高校
「そんな大人たちの葛藤を彼らはどう乗り
で 3 校目なんですけど。皆さんの話聞いてて、
切ってきたのか?」。まさにそんな話に、若
いろいろ考えさせられました」
者たちが耳を傾けています。
川畑「どんな感じがする?今、出てる話聞きなが ら」
川畑「はい。いろいろ話が出てるわけですけど。
Kさん「うーん、話すの苦手で、知誠館に来た時
ちょっと、それぞれの人ね。年齢もいろいろ、
は、高校 2 校も辞めてるんで。高校卒業する
立場もいろいろやし。自分に引き寄せたとこ
ためにっていうので来させてもらったんや
ろで、こういうことを思う、みたいなことが
けど、塾長には、その後の進学どうする?大
あれば、皆さんしゃべってみません?どうで
学行く?とか。そういう進路を出していただ
すか、Jさん」
いて。高校卒業するっていうのがあれやった
109
ので、そこまで考えられなくて。何て言うか、
です。
いろんな道を教えてもらったっていう感じ です」
川畑「なるほど。小林さん、何かどうですか。思
川畑「それはいい感じ?」
ってることがあれば」
Kさん「はい」
小林「ちょっと脈絡がずれるかもしれないんです
川畑「ああ。ありがとう。Cさんどうですか?何
が、子どもの育ちを考えるっていうテーマに
かあれば」
沿って、一忚私なりに考えてたんですが…。
Cさん「そうですね、私はまだ目標っていうのが
今学校で働かせてもらってるっていうこと
見つかっただけ。地に足が着いたとか、その
もあって、学校での教師の意識とか立場をす
瞬間はやっぱり嬉しいですよね」
ごく考えてて。今ちょうど、休みがちという
Dさん「その瞬間はあった?地に足が着いたって
か、もう不登校になるのかなっていう子も学
いう」
校にいたりするわけです。でもその子に対し
Cさん「私ですか?私はまだまだ着いてないと思
ての学校の対忚っていうか、目指すところ、
います。まだここで目標に向かって勉強させ
OKとするところは、学校に来ることとか、
てもらってますけど、まだまだ着かない」
進級することとかが、その子に対しての対忚
Dさん「ああ。ちょっと聞きたかったんやけど、
の中心課題なんです。でもやっぱり、不登校
看護師とか助産師っていうのが、ふっと出て
という形で表れてるのは、その本人にとって
きたの?」
はレジリエンスを身につけることへ繋がる
Cさん「ああ…私、親が看護師なんですよ」
ような大事なつまずきというか…、敶かれた
Dさん「ああ、そうなん」
レールに対して、それをよしとしない自分の
Cさん「なので、その影響もすごく大きいです」
意志とか、その背景にあるその時、その時の
Dさん「あんまり理由も無くっていう人を見たこ
家庭環境とか、あるいは人間関係とかの悩み
となかったから。そういうことか」
や自分の深い葛藤が表に出たことなんで、そ
Cさん「そうですね。日々親の話を聞くので。ま
のせっかくのつまずきを、学校の表面的な対
あ看護助手として働きたいなって思って、範
忚だと、それをないがしろにしてしまうのか
囲を広げて面接行ったんですけど、やっぱり
なって、本人の悩みをやり過ごさせてしまう
中卒っていうだけで、面接さえしてもらえな
ことになるのかなって思うんです。じゃあ、
いところもありますし。看護師の仕事ではな
どうしたらいいのかなって考えてたんです
いですけど、私は今の施設で働けてよかった
けど、やっぱり学校の対忚とか指針とか、学
なって思ってます」
校っていう枠の存在は必要やと思うんです けど。例えば学校の中で、生徒指導で決まり
大人の援助者に交じって、知誠館の生徒
を守ることを指導する教師側は、決まりを守
たちが自分の考えをコトバにしていきます。
るっていうことは伝えるべきでしょう。だけ
それは決して理路整然としているわけでも、
ども、教師の価値観まで押し付けるのはどう
流暢なわけでもありません。しかし、その
かなって…。掘り下げると、教師の価値観っ
一言一言にはしっかりした質量感があるの
て私が思ったのは、教師になる人は、ひかれ
110
たレールに乗っかっていける人、ストレータ
があるような感じがするんですよ。その違い
ーっていうマジョリティの人が多いと思う
がめちゃくちゃ大きい。今日はここ知誠館で
んです。何の疑問もなくレールに乗っかって
实際に学んできたりとか、今学んでたりとか
いくことを自分たちがしてきて、それをベス
する生徒たちがが結構いるのでね。例えば、
トとする感覚を暗に押し付けてしまってる
私たちは体験活動っていってどっか行った
ところがあるのかなと。価値観とか驕りとか
りするんですよ。車でね。結構皆、盛り上が
も入ってしまってって思うと、Dさんの塾長
るんですよね、無邪気に。ここには普通の塾
さんに対する感じみたいに、やっぱり教師っ
の子も来てるので、どっちかって言うとそっ
て、Dさんにとっての塾長さんみたいな存在
ちの子は、冷めてるんですよね。盛り上がら
で、キーパーソンであるべき存在やと思うん
ない。でも、知誠館の子は、結構皆盛り上が
です。だけど、やっぱり価値観を押し付けと
る。この違いはいったい何なんやろうと思っ
いうか、枠にはめようとすることで、それが
てね。終わった後も帰らずにKちゃんとMち
出来ないのであれば、どうなんですかね。で
ゃんでマンガをいっぱい描いたり。何や訳の
も一番はっきり思ったのは、教師の社会人枠
わからんことをやってるんやけど、キャッキ
を半分以上に出来たら、もっと多様な対忚が
ャ言って盛り上がってる。でも一方で、皆ど
できるように変わってたのかなって、現状は
うしようもない現实っていうのを背負って
だいぶ違ってたのかなって思ったりしてま
るわけですよね。そこにね、どう表現したら
した」
いいのかな。改めて何か思わされるんですよ
塾長「今聞いててね。私の中にも、つまずくこと
ね。それが何とも言えないんですよね」
って大事やっていう思いがあるのね。でも、 つまずいた人にとっては、つまずきたくなか
問題や挫折といったネガティブなものを
ったというのが、正直やと思うし、さっきH
ポジティブな機会へと変換して未来を拓く
さんが言ってたみたいに、やりたくなくても
のか、あるいはそのネガティブなものの中
やらないといけないことがあるというのも
で潰れてしまうのか。その違いは大変大き
事实なんでしょう。多分、誰もつまずくこと
いように思います。先の「セカンドキャリ
を最初から望んではいないし、あるいは、ど
ア」ということと「機会開発」、この二つの
うしようもない現实っていうのを認めない
概念はとても密接につながっていくのです。
といけないことってあるわけですよ。私の上 の子の場合は、いろいろハンディがあるので
川畑「それ、コトバで表現してほしいな」
ね。ある意味どうしようもないわけですよ。
塾長「いや、コトバも足らんのやと思います。私
何をどうしようが、現实はやっぱり覆ってい
いっつもCちゃんにコトバ足りてないで、っ
かないっていうことがあるし、どうしようも
て言ってるんやけど、私もそれをコトバで表
ないことを引き受けないといけない。でもど
現しきれないんやけど、そうしたい。それで、
うしようもないことに、片一方で人は潰れる
そういうことを表現できる場っていうのをや
んですよ。でもどうしようもないことに、人
っぱり作っていきたいっていう思いもあるし。
は何か希望を見出したりとか、そういうこと
ものすごく微妙なことで、こっちに転ぶとそ
111
こで潰れていくんですよ。でもこっちに行く
て聞かれたら、どれも好きじゃない。みたい
と、そこから希望が生まれるんですよね。こ
に言わざるを得ない、みたいにしたらあんま
れって何やろう?自分の中でそういう感覚が
り幸せじゃないですよね」
ある。だから、それを豊かさとか、つまずき
Hさん「それって、わかるような気がする」
の価値とかっていう風に…それをコトバで表
川畑「うん…幸せじゃないんだけども、それを幸
現すると、すごい陳腐な気がします。コトバ
せと思わされて生きてる、みたいな部分が…
が足りない気がする。そんなことを、小林さ
無いんかなあ」
んの話を聞いてて思う」
Hさん「わかる部分もある」
Hさん「こっちに転ぶか、そっちに転ぶかってあ
川畑「いや、最近本が出て…まだ読んでないんや
ったけど、私が振り返ってみると、そういう
けど。大阪で子どもらをほったらかして餓死
時って諦めなあかん。まあ仕方ないやん、み
させた事件がありましたでしょ。あのお母さ
たいな。スパッと、仕方ないやんってその時
んが、週刊誌レベルやけどいろいろ見ていっ
は考えちゃうことが多くって。これやりたい
たら、小さい頃からいろんなことに気を遣う
んやけど、仕方ないやん。だから、こっちや
子やったらしいんですよ。家庭の中もいろい
らないと仕方ないやん、みたいな。そんな感
ろあってね、難しくて。子どもやけど、ずっ
覚で今まで生きてきた。それってすごくいい
と大人みたいな感じで生きてきた子でね。結
加減なところで動いてる部分があって。どう
婚しても、いい奥さんなんですよ。子どもが
しようかって真剣に悩んで悩んで、ってあん
出来ても、いいお母さんなんですよ。ところ
まりしてないよな、いい加減に生きてきてる
がある日プッツンしてね、入り浸ったところ
よなって…」
がホストクラブなんですよ。それ見てるとね、
川畑「さっきのね、車の中での話。あんまり盛り
何かいろんなことに配慮してっていうのは
上がらへん場合は、他のこともいろいろ考え
持たへんのやろうなってね。入り浸った先の
るから。だから分散して、どれにものめり込
ホストクラブなんて、そこでは子供でいられ
めない、みたいな感じがあって。でも盛り上
る、みたいな場所ですやんか。世の中に配慮
がると、そこだけに集中して盛り上がれる、
しなくていい。みたいなこと考えるとね…こ
みたいなね。いや、さっきの学校の先生の話
れが好きやからそれに浸っていられる、って
であったけど、先生が生徒の話聞いてね。君
いうのはすごく大事やし、能力やし、力やし。
の気持ちはよくわかるけど、それじゃあ生き
みたいなね。そういうのが許されへんところ
ていけないのよね、みたいなことを言われた
があるのかなって。(Mさんに向かって)あ
ってどうしていいかわからへんし、みたいな
の私が中 3 の頃に、大人の人がいろんなこと
ね。そういうこととどっかで重なるんですよ
しゃべってる中で聞いたような経験は全然
ね。そういう風に言えば、一つのことに一生
なかったなと思うんやけど、あなたとしては
懸命になれるのは幸せですよ、やっぱり。で
どんな感じがする?いろいろな話をここで
も、遊んでる時間にもっと勉強してたらとか
聞いて」
思ってたら、そりゃ社会的にはそつなくいけ
Mさん「何て言ったらいいのか…」
るかもしれんけど、どれが一番好きやねんっ
川畑「聞いてた話の中で、ここが面白かった、こ
112
こがピンときた、みたいなところある?」
どね、何かね。私自身の中にある何かを呼び
Mさん「私はまだ、だんだん進んでいってるとこ
起こされるんですよね。そういうものに、自
ろなんで…、いろんな、人生っていうか。自
分自身が支えられてるのかなって思ったり。
分の中で、20 歳とか、どんな風にそうなって
今日はAちゃんがトップバッターでいっぱ
いったらいいかっていうのを、いろいろ聞か
いしゃべってくれたので…、やっぱりこう、
せてもらった気がする…」
すごくコトバが出てきたのにびっくりして
川畑「はい」
います。前はそんなイメージは全然なかった
塾長「实は彼らは、月に一回やけれども、皆が自
ので。コトバがこう、乗るんやね。コトバは
分自身のライフストーリーを語るっていう
不自由なんやけど、すごい大事なんですね。
場を開いてるんですよ。その中学生のトップ
だから川畑先生に言われたことじゃないけ
バッターがMちゃんでした。彼女は、初めて
ど、コトバで表現したいなって私も思うんや
みんなの場の中で語るんやけど。その時に小
けど…」
林さんは初めて来たんやね。で、小林さん、
川畑「コトバにならないって言ったら、家庭内暴
もう感極まってしゃべれへん、みたいなこと
力ですよ。家庭内暴力っていうのは、そこに
があって。でもMちゃんはよくしゃべってく
コトバにならないコトバがいっぱい詰まっ
れたし、みんな感動した、その時は、ちょっ
てるわけやからね。それがコトバになれば、
とどうかなって思ってたんやけど、彼女はと
殴らなくても済む、というね。しゃべってる
てもよくしゃべったんですよね。本当にいろ
のが、コトバがあるからわかるわけで、コト
んなものを抱えて来てるので、今まで語れな
バにならへんところにっていうのもあるわ
かったことが、いっぱいあるわけ。いろんな
ね。はい。あと 30 分くらいの時間になりま
ことが实はぐるぐるぐるぐる回ってるけど、
した。テーマに縛られなくても、何でもいい
やっぱりコトバに出来ない。言っても聞いて
のでしゃべってみましょう」
もらえなくって傷ついたりとかっていうこ
Bさん「コトバの話と被るかもしれないんですけ
とがあったんやろうと思うんやけど、ようや
ど、僕の中でキャリアを考えるにあたって、
く彼女が語り始める。今日も实は、彼女が来
不安と、コトバっていうのが結構重要なもの
るってことを私自身は全然知らんかった。で
としてある。元々しゃべるのがあんまり得意
も彼女は实はこういう場に興味があったん
ではない方なので、僕の中ではしゃべるコト
や。そうやんな?」
バよりも書くコトバの方がウェイトが大き
Mさん「はい」
いって思います。考えてみれば、引きこもり
塾長「そうやんな。だから彼女はやって来る。だ
からの脱却というのが、ここに来て、定時制
からこのMちゃんが、こういう場で、全然知
の高校に行くんですけど、そこで、毎年年末
らん人達の中で、緊張もするし、たどたどし
に作文を書かされるんですね。一年間を振り
く語るわけやけど。でもそこに、いっぱいの
返るっていう。それが冊子になって毎年残っ
何か思いががあるわけなんです。これがねえ、
ていくんですけど、それが積み重なっていく
何とも言えないわけですよ。私からすると、
中で、自分が抱えてることと、社会的なこと
そういうものをキャッチしてしまうんやけ
とかを考えるようになったり。自分の過去と
113
これからどうしようかっていうのを考える
それをテーマにして大学院まで行くんやか
ようになったり。で、いざ受験になって大学
ら。執念やなあ」
に進むんですけど、その時に何をしたいかっ
Bさん「前からその不安っていうのはあったと思
ていうのが、自分の中で、マスメディアに関
うんですね。小学校、幼稚園の頃から。それ
係したいっていうのがあって、そういう方向
が不登校、引きこもりっていう形で現れただ
に進むんですけど。自分の中のことをコトバ
けやという風に何となく思ってはいるんで
で表現するっていうより、周りのコトバに振
すけどね」
り回されてたっていうか…それをかなり気
川畑「手垢のついていない自分のコトバ、ってい
にしてきたっていうことが大きいと思って。
う感じ…」
そういう中で大学に入るんですけど。大学で
Hさん「今の話を聞いてて、自分のキャリアって
も、その頃から本を読みだして。その感想を
いうものは、实は自ら獲得していくものじゃ
書いてサークルのフリーペーパーに載せる
ないですか。コトバも自ら獲得していくもの。
っていうことをしてたんですけど。そうする
そこは共通点があるからそういう風に感じ
中で、自分の中の考えを文章にして出すって
てはるのかなあっていう風に、今の話を聞い
いうのが徐々に好きになってきて。それが一
てて。だって、キャリアって、人から与えら
番大きかったのが卒業論文なんですけど。卒
れるものではないと私は思ってるので。自ら
論がなかったら大学院に行ってないでしょ
獲得していくものだから。一般的に使われて
うし、ここにもいないでしょうし。そういう
るキャリアって、職業的な意味での、職業能
意味で、コトバっていうのはキャリアとほぼ
力、経験を含めたものを言ってるけど、人生
同義のコトバっていうか。そういう風になり
の中で考えたら、一つ一つの経験がキャリア
つつありますね」
なんじゃないかなあと。それはいろんな形が
塾長「今は、自分のコトバを作ろうとしてるんや
あるんじゃないかなって。それは一つではな
ね」
いよなあって」
Bさん「多分そうやと思うんですけど」
川畑「皆さんの話を聞いてね、真面目やなってい
塾長「そんな感じするわ」
うのをすごく思うんですよ。一般的に言われ
Bさん「实際、その不安っていうのについても、
る「真面目」って、真面目な人ってちょっと
見通しは立ってはいるんですけど。ただその、
な…っていう風に言われる「真面目」なんや
ちゃんと専門用語で○○的不安っていうの
けど、例えばEさんの言う、自分はすぐ辞め
があるんですね。ただ、それを自分の不安と
てしまうんやから、そこで雇ってもらうの申
イコールで結びつけるのはちょっとまだ抵
し訳ないって思うこと。自分の中での整合性
抗があるんですね。この不安は概念的なもの
に対して、めっちゃ真面目やん。でもそれは、
というよりは、個人的な蓄積によってできた
世間に対しての真面目さじゃなくて、自分が
ものですし。それをわかりやすいコトバにし
そうしたい。それが、自分が獲得するキャリ
たいっていうのが今のところの目標」
アっていうのと重なったなあって。子どもが
塾長「なるほど。私なんか、すごい執念やなあっ
出来たからっていうのも」
て思う。中学の時にここにやって来て、結局
Hさん「そこのところは、自分に向き合ってる所
114
が非常に真面目やっていう風に感じてて。私
かないといけないのかもしれない。そういう
は自分に向き合ってないのかな…、ふらふら
作業があるのかもしれません。まあいろんな、
しながら。結果的に、世間的に見れば真面目
当たり前の中に生きてる部分がいっぱいあ
って言われる部分なのかもしれないけど、自
るんやけど、当たり前って何なんやろうなあ、
分自身の中では、果たして真面目なのかなっ
っていうのをどっかでほどいていく。そんな
ていうのは常にあります。ある意味、川畑先
ことは、いっぱいあるような気がするんやけ
生がおっしゃってたのは、自分自身にしっか
ど」
り向き合って、そこのところで、しんどい思
Hさん「当たり前って言われると、そこで思考停
いをしたり大変な思いをしたりとか。そんな
止してしまう。考えなくなってしまいますよ
ところにぶち当たってしまったっていうと
ね。 「それが当たり前やん」って言われると。
ころを含めてね。そういう風な感じを、今の
それがずっと、世間では多くあって。私が思
話を聞いてて…」
ってるのは、だから自分自身何も考えてない
川畑「そういう意味で、自分は真面目なんやろう
のかなあって。世間の常識って言われるもの
か、っていう疑いをちゃんと持ちながら自分
に対して。そんな感覚はあります」
を見ていくのも「真面目」っていうことにな
塾長「でもその「当たり前」からちょっと道を外
るのと違うやろうか」
れていくと、すごいストレスがかかっていっ
塾長「私、今のB君の話を聞いてて、ヘレンケラ
たり、すごいしんどかったりとか。それが子
ーが日本に来た時に、アンラーニング
どもとか、多感な時期とかやったら、もう恐
unlearning って言っていたことを思い出し
ろしい世界がやって来るんやろうなって思
ました。アンラーニングって、ラーニングの
うんです。ものすごく孤独やし。新しい生徒
の否定形なんです。だから直訳したら「脱学
がやって来ると、ここにいる生徒達は、その
習」とかって意味になるんです。これを、そ
子にどうしていったらいいんやろう、とかっ
の時の通訳したのは、鶴見俊輔さんなんです
ていうのを私に投げかけてくるんです。いろ
よ。鶴見さんは、これを「学びほぐし」って
んなことを。それは私にとってはものすごい
訳した。セーターの糸をほぐすみたいな感じ
救いなんですね。私たちが何かを考えるって
かなあ。だから私たちは、コトバの世界の中
いうんじゃなくて、同じ位置にある子どもた
で生まれてるので、生まれた時からコトバの
ちが一生懸命考えてくれる。何とも言えない
意味を背負って生きてるわけでしょ。それを
世界が展開するんですよ。感動しますよ。そ
一回ほどくわけですよね。ヘレンケラーは、
れがまた、さりげなくて。コミュニティの温
高熱でいろんなものを失うわけやけど、それ
かさっていうのは何なんやろうねって思う
はサリバン先生っていう人と出会う中で意
んですよね。そういうのがものすごくあるん
味を獲得していく作業があって。それを彼女
ですよ。そこにすごく救われていったりって
はアンラーニングってコトバで呼ぶわけで
いうのがあったり。そういうところに何かコ
す。B君の場合、コトバはいろんな意味をも
トバがあったら、新しいものを何か提示でき
う持ってしまっているので、そこに自分のコ
るのかもわからないし。自分のコトバを得る
トバを編み込んでいこうとすると、一旦ほど
と、強くなる。それはやっぱりそう思う。だ
115
って人に伝えられるからね。コトバってすご
そこら辺の部分で、いろんな人の気質に触れ
い大事やと思う。Kちゃんも、随分支えにな
ておくって、すごい勉強になるんですよね。
ってあげたよね。それが大きい。彼女は卒業
おっしゃってたように、ずっと我慢出来る人
式の時に、送辞を語るんですよ。そうしたら
もいるし、出来ない人もいるしっていう話が
うちのスタッフなんかは、「私とか小中高と
あるので。すごい勉強になりました。もうち
卒業式で一回も泣いたことないのに、大泣き
ょっと自分の時間も作ろうかなと。こういう
しました」とかって言ってましたね。何がこ
ことを考える時間を作らないとなって思い
う感動させるのか。Kちゃんは、私、絶対読
ました。本当に、ありがとうございました」
むの嫌やって言ってたんやけど、そこのコト
Bさん「この夏休み、高校生が書いた作文の添削
バの力っていうかね。そんなきざなコトバや
をしてるんですね。そのテーマがちょうどキ
難しいコトバが並んでるわけでもないんや
ャリアなんです。だいたい 80 本くらい読ん
けど、質量感が全然違うんやね。そこで編み
だんですけど、高校生のキャリア像っていう
出されるこの子のコトバの力が…」
のがすごい偏ってるっていうか。仕事オンリ ーというか。そういうのばっかりだったんで、
「機会開発」にしても「セカンドキャリ
この場で話されてるようなことに変えてい
ア形成」にしても、その過程にコトバはと
けたらいいなという風に感じました」
ても大事な働きをします。従って当事者で
塾長「キャリアは、ビジネスキャリアっていうの
ある若者たちが、それ以前に自分のコトバ
と、ライフキャリアっていうのがあるので。
をしっかりと身につけているかどうかは、
ライフキャリアになるとより大きい概念に
とても大事なポイントになるのです。借り
なるね」
物のコトバではなく、自分自身のコトバ。
Bさん「そういう感じで書いてる子も中にはいた
それを身につけていくためには、何度も自
んですけど、どうしても仕事に直結してしま
分自身を振り返る省察的な思考が必要とな
う子がとても多い」
るのでしょう。
Lさん「仕事のキャリアっていうのに限定された ら、私なんてキャリアないよねっていうのが
川畑「はい。そしたら時間があと 20 分くらいある
答えやと思うんですね。だって資格もないし、
んで、最後に一巡、今日の感想などがあれば」 Dさん「えっと、初めて参加させていただいて、
経験もないし。でも、今まで自分がいろんな ことをやってきたのもあるし、やらされてき
この存在を知ったのは、塾長が本を書かれて。
たこともある。それで得てきたことをちょっ
その中にあったから知ったんですよ。そんな
とずつ組み合わせて積んでいって、今の自分
ことしたはったんやと。読んで思ったんです
があるし。これがキャリアだ、って言いたい
けど、崇高なレベルの話をしたはるんやろう
ねって。内向きに向かなかっただけなんです
しっていうのもあって、あんまり参加出来な
ね。挫折することもあったし。それも、自分
いんじゃないかなって思ってたんです。僕の
が出来なくて挫折したんじゃなくて、周りの
仕事は、人間味に触れることがすごくあって。
力で挫折したっていうのがあるんですね。そ
それがやり甲斐であったりするんですけど。
の時は、その相手にコトバの暴力はかなり向
116
きましたよね。そんなこともやってきたなあ、
越えましたっていう話を次回できるように、
でもそれを乗り越えてきたんやなあって。乗
目の前にあることを必死にやっていけたら
り越えれたのは、何でかはわからないですよ。
いいかなって思いました。ありがとうござい
乗り越えれたとも思わないし、乗り越えてる
ました」
途中かなっていう気もするし。すごい複雑な
Cさん「初めて参加させてもらいましたけど、正
んですけど。どこにゴールがあるんやろうか。
直私は聞き取るという能力があまりないの
…まだ途中なんですよ。とりあえず仕事のこ
で、難しい話をしたはる時は、「?」って感
とだけがキャリアやって思われてるんだっ
じだった。しゃべるのも苦手なんですけど…。
たら、なんか寂しいなあっていう感じがしま
塾長が言ったはった、この瞬間が今幸せやっ
す。いろんな意味でキャリアっていうコトバ
ていうその気持ちは、すごくわかるんですよ
を使っていきたいなってすごく思います」
ね。そういう話を聞いて、自分の中に入れた
小林「最後、塾長さんが言ったはったことをすご
りとかして、自分で上手に表現出来たらなと
く私も思ったんですけど、Aさんの話の中で、 AさんがAさんのコトバで語ったはるのが
思います。以上です」 田中「スタッフの田中です。今回お話を拝聴して
わかりやすかったというか、響いたというか、
いて、私はわりと、Hさんとかがおっしゃっ
聞き入ってしまった。なので自分も、自分の
たように、ストレーターであることにコンプ
コトバで人に自分のことだったり伝えたい
レックスがあると言いますか。そういう気持
ことを伝えられるようなコトバを、上手く扱
ちを、知誠館にいることで感じてたのを思い
いこなせるようになりたいなと思いました」
出し始めたということがあったんですけど。
Eさん「ありがとうございました。今回二回目参
Iさんが、ストレーターじゃない人達は、今
加させてもらったんですが、前回最後に、ど
はそうでも、その渦中にいる時は本当にしん
んどん楽しくなりそうだって言って帰った
どいとおっしゃったように、私には心の底か
と思うんですけど、今回も楽しかったです。
らは分からないんですけど、きっとその通り
キャリアは失敗も大事だろうなっていう話
なんだろうなと思って。社会全体を見回した
で、僕ちょうど2~3週間前、他の研究者の
時に、キャリアはビジネスキャリアのみ、と
人と話してて、 「僕、失敗待ちしてるんです」
か、社会は簡卖なフレーズとか簡卖なコトバ
って話してたところだったので、ちょっとび
とか、発しやすいコトバとかにどうしても惑
っくりした。僕、お調子者で生きてるので、
わされたり、それが正解であるかのように思
どこかしらガツンと失敗をしないと新しい
ってしまうんですけど。本当のことは、コト
自分に気付けないし。何でも調子よく行って
バにするのに手間が掛かったりとか、難しか
しまうと、本当に孤独になってしまう。マイ
ったり。自分が今持ってる語彙では、表現出
ナスじゃない方の孤独感っていうのが、多分
来ないような気持ちとか感情とかっていう
お調子者にはあって。失敗っていう体験をし
のが、もっと世の中で肯定されていったらい
ないことには、自分が成長することもないし、
いのになって。マジョリティでもマイノリテ
新しい道っていうのは開けないなとつくづ
ィでもなく、ストレーターでもいいよね、ス
く今回思いました。失敗しましたけど、乗り
トレーターじゃなくてもいいよね、どっちで
117
もいいんじゃないっていうのがもっとみん
とは全然問題じゃなくって。でもこれからい
なで共有し合えたらいいのにな、っていうの
ろいろ感じたり刺激を受けながら、悪戦苦闘
はすごく思いました」
っていうか。当事者である時は本当に辛いと
Hさん「ここに来ると、感じることがいろいろあ
思うんですよ。でも、本当のところ、あるが
って。皆さんのお話の中にいっぱいいい話も
ままにっていうところが行き着くところや
あるしヒントもあるし、いつも感じて帰って
なと。いろんな偶然もあったり、それが必然
ます。キャリアの話であるのは、私自身、広
やったり。やっぱりでも、育ってきた環境も
い概念で捉えてる。いわば、ビジネスキャリ
影響もある。ああはなりたくないって思って
アの部分と、ライフキャリアの部分全体でキ
た親をどこかで和解しながら受け止めてい
ャリアやと思ってるので。それって、塾長さ
ったりとか。そのことが自分のいい経験なの
んがおっしゃる「物語」。キャリアってそれ
かは知りませんけど、親と同じ道を選んでい
じゃないの、って实は思ってる部分がありま
くっていうのを意識できてなかったかもし
す。そんな風に今日も感じさせていただいた
れない。あるいはしてたかもしれないけど。
時間でした。ありがとうございました」
だから悪戦苦闘するし、答えが見つからない
Jさん「今日初めて参加させていただいたんです
まま苦労する。苦しいけど、生き続けるって
けど、皆さんがいろんな話題を提供されるの
いうことですよね。放棄しないで生き続けて
で圧倒されて終わってしまったなという感
行かざるを得ない。生きることを諦めないっ
じです。最後考えてたのが、当たり前って何
ていうことだけ、持ってたらいいかなあって。
だろうなって。自分にとっての当り前もそう
行き着くところは、誰の形でもなく、自分の
だし、世間にとっての当り前の基準とか。そ
あるがままを受け入れられるようになるっ
ういうのもそうだし。そういうのを一回ほど
ていうのが死に近づいてる人間の目標かも
いて考えて、そこからもう一回見てみたいな
しれないなって。落ち着いていくようにね。
って。当たり前なんてことなくてもいいんだ
思春期は悪戦苦闘の年やし、私くらいの年を
けどな、っていうことを考えてました。あり
過ぎたらね、自分をまとめていく時期に差し
がとうございました」
掛かっていく、ただ寿命が延びていってるか
Kさん「えっと…自分は、頭で考えてることとか
ら、まとめていくのにどんな悪戦苦闘が始ま
を口に出した話すのが苦手なんですけど、今
るかなあとか。もうわからない。わからない
日いろんな方の話を聞いて、いろいろ考える
まま、年取っても悪戦苦闘はいろいろ起こり
ことが多くて、それを自分のコトバで伝えて
ますし。でもだんだん受け入れられるように
いけるような、そういう風になれたらいいな
なっていく。生きることを諦めないことが大
って思いました」
事かなと思います。楽しかったです」
Iさん「楽しかったですね、今日は。若い人がね
Mさん「いろいろ話をいろんな人から聞いて、自
え。いつになく多かった。初めてです、この
分は頭悪いのであんまり難しいことはよく
感じ。それが今までで、一番よかったです。
わからないんですけど、こうやって話を聞い
皆さん経験がね、話下手っていうのは、まだ
て、自分はやっと顔を上げられるように、前
慣れておられないのは当たり前で、そんなこ
に向けられるように、だいぶ先に行けるよう
118
になってきたので、先のことも考えさせられ
どうしても専門家に任せる、みたいな感じに
ました。ありがとうございました」
なってくることがあるわけですよ。地域の民
Aさん「今日話を伺いながら何度か、感極まって
生委員さんも、役所の皆さんも、他のことや
しまう時があって。それを落ち着いて聞いて
ってきているのにいきなり虐待のことしな
いられる時に、瞬間にぐっと気持ちが高ぶっ
いとあかんっていうのはあるんやけどね。児
たのかなっていうことを思うと、やっぱり…。
童相談所が専門やからってなったりする。ど
だいぶ今は仕事もしていますし、いろんなこ
うなんやろうね…。例えば電子工学のことな
とを考えていけるようになった。なので、こ
んかは、その専門家しか知らへんし、他の人
こまでしんどかった時期のことに引っ張ら
にはわからへんのやけど、人の気持ちとかっ
れて、引きずられてその時間が止まってしま
ていうことには、心理の専門家もいろいろお
うようなことも今は尐ないんですけれど、今
るわけやけどね。心理の専門家よりも他の人
日聞いてても、感極まってしまう時の話って
の方が心理に敏感やって思う人もたくさん
いうのは、自分が一番しんどかった時の感じ
いる。ただそういう意味で言えば、人生経験
がそのまま……(涙)……思い返されるとい
と、それに基づく常識の力っていうのはすご
うか。その時の感じが蘇ってくる。でもそれ
い大事なんで、そこを専門家じゃないからっ
は、ちょうど 2 回くらい前のラウンドテーブ
て言わず、皆で磨いていこうよと。専門家っ
ルの最後にも、やっぱり生まれ変わって同じ
て言われる人も、訳のわかったようなわから
人生を歩みたいとは思わないし……。でも、
んようなことを言うんじゃなくて、自分の人
今日また月日が経って、こうやって来ている
生経験に基づいたところで考えていく。その
自分はまたその時とは違って、自分の人生で
ところも大きく持って、みたいなね。という
よかったと思えるような感じがすごくして
ところがキャリアのことと重なってきて。ど
いて。今もすごく苦しいけれど、その自分の
う自分が考えて進んでいくかっていうこと
今の人生を、次生まれてくる時はもっと幸せ
が大事になってくるんやなっていうことを
にっていうのではなく、もう尐し自然に自分
すごく思いますね。というのが今日の感想で
の人生を引き受けられているし、これからも
す」
また積み重ねていく毎日っていうものに自
塾長「川畑先生、ありがとうございました。Aさ
分自身も向き合いたいと思えるようになっ
んの話、何とも言えないくらいに感動的だっ
ているんだなっていうのは、今回のすごい変
たんですけど。彼女の言ったように、2 回前、
化として自分が捉えられているので、そのこ
「私はこんな人生は歩みたくない」って確か
とも聞きながら確かめられたことがよかっ
に言ってました。その時と、今回の違いって
たなと思いますし…すみません、泣いちゃっ
いうのが、彼女が生きてきた証なんやろうな
た…」
って思うんですよ。ものすごくそのことって
塾長「よかった。よかった、よかった」
大事なことやと思うんですよね。生きてる感
川畑「子どもの虐待防止のことをよく考えてたん
覚。彼女は地に足を着けるっていうコトバで
ですけど。地域のいろんな役の人に協力して
表現するんやけど、いつも感じられることじ
いただいていろんなことをしてるんだけど、
ゃないのかもしれない。ふとした瞬間に、私
119
は生きてるんやと。地に足を着けて立ってる
ありながら生きてるんやと思うんですけどね。
んやっていうのを感じられる瞬間ってやっぱ
指導する側とされる側、そんな関係じゃなく
り感動するんよね。またこういうものを皆で
て、そんなことを出し合える場になっていっ
共有できるのは幸せやなって思うし。それは
たら、こんな場、他にないんじゃないかなっ
彼女の話だけではなくて、皆の話でもあると
て思うくらい素敵な場になるように思うんで
思うんですよ。で、D君が、何で俺は呼んで
すけど。实は、私たちは裏庭に小さい森を創
くれへんのやって言ってたけど、ラウンドテ
ろうと思ってるんです。こういうことを屋外
ーブルは、元々は指導者のための学びの場や
でしゃべりたいなと思ってるんです。真ん中
った。指導者は指導するんじゃなくて、学ば
に大きな木を置いたテーブルを囲んで。こう
ないといけないっていう前提があって。そう
いう場は、いろんなところに出来た方がいい
いう形でスタートした。今回は初めてのパタ
かもしれない。こだわりを抱えた若者たちと、
ーンやったんや。でもね、私いつかはそうし
こだわりを持って生きてきた大人たちが出会
たいなと思ってた。私はいつもラウンドテー
える場。そういうことに発展していくと思う
ブルの冒頭で知誠館の生徒のエピソードを紹
ので、いろんなことで力になってもらいなが
介してた。それが大体考えるきっかけ、お題
ら見守ってもらえたらなと思います。ありが
やったわけや。でも今回は、卒業生も現役の
とうございました」
子も出て来てくれた。それこそ、リアルな「生」 なんですよね。コトバなんて足らなくていい
ストレーターではない若者たちのキャリ
んですよ。コトバはコトバ。それこそキャリ
アを見つめてみたいと考えた理由。それは
アだって、キャリアはキャリア。運んでるん
前回、大学生たちの就活の实態に触れ、そ
ですよ。その時の思い、考えであるとか。そ
の渦中で生じる様々な葛藤を知った時に、
れは入れ物にしか過ぎない。でも大事なんや
私たちが普段関わる不登校やひきこもりを
けどな。そのコトバを介して伝わるもの、感
経験した若者たちのそれとは、どこか大き
じ取れるもの。そういうのがやっぱりすごい
く違っているような気がしたからです。そ
大事やと思う。Mちゃんが言ってた、私は前
れがいったい何なのか。そこを見極めてみ
に向けるようになってきた、と。彼女は前に
たいというのが、今回のラウンドテーブル
向けなかったんですから。ずっと下向いてし
の目的だったのかもしれません。
か生きてこれなかったんです。私が彼女と会 った時に、この子を何とか前を向かせたいっ
ストレーターと、そうでない若者たちの
て思った。それには、何年もかかる。そんな
キャリア形成の違い。その一つが、 「物語性」
すぐじゃない。この子が前に向けるようにな
ということでした。ストレーターでない若
るまで、何年もかかるわけ。それは、この子
者たちのキャリア形成は、どこか挫折を前
にずっと私たち寄り添いながら…。彼女にと
提としています。そういう意味では、 「セカ
っての経験でもあるけど、それは私たちにと
ンドキャリア形成」としての傾向を色濃く
っての経験でもある。大人も子どももひたむ
持っているのかもしれません。挫折体験か
きさは一緒かもしれません。いろんな葛藤が
らの再出発。そこには自分と向き合い、他 120
者と関わることを通して癒され、自己反省 に立ち、自分のこれまでの枠組みを更新し、
3. キャリアの更新性
より大きな枠組みを構築していく、といっ
-トランスフォマティブ・キャリア-
た変容過程が見られます。だから、その変 容を貫く文脈は個人の人生に重なり、彼ら
今年度のラウンドテーブルでファシリテ
のライフストーリーを描くのです。彼らの
ーターをお願いした京都学園大学の川畑隆
キャリア形成を「豊かな世界」と表現した
先生から、次のような振り返りを寄せてい
参加者がいました。その豊かさとは、経済
ただきました。
的なものを指しているわけではありません。 社会的なものでもないでしょう。それは、
今年のテーブルには若い人たちが多く着いた。
ひたむきに生きようとしている彼らの生き
私には進行役という役割を差し引いても、彼らの
方に対して投げかけられたコトバのように
話を聴くという受身の姿勢が生じ、彼らの話に年
感じられました。
長の私が入っていけるところを見つけようとした。 そうしたほうが、3時間後にテーブルを離れると
支援と被支援、援助と被援助の壁がなく
きに、 「今日はこの時間を過ごせてよかった」と思
なる時、そこにはキャリアという共通の話
える確率を尐しでも高められるように思ったのだ。
題に対して向き合う人たちが集っていまし
若い人たちからは考える材料をたくさん貰えた。
た。若者たちは自分たちのこれまでの経験
もちろん、若い人と一口に言っても発言はいろい
を振り返り、そこを足掛かりとしてこれら
ろにあった。年長の私がいま思っていることや、
の未来を描き、援助者たちは、若者のキャ
若い頃のことを思い出して考えることによって想
リア形成に携わりながら、自らのキャリア
像できる範囲にある(と思える)発言も多くあっ
を問い、新たなキャリア観をそこに付加し
たが、想像力を駆使して懸命についていきながら、
ていこうとする。そんな更新性を備えた学
私自身の何かが刺激され揺さぶられるようなもの
び合いの場に発展していくことを期待しつ
もあった。
つ今回のラウンドテーブルの幕を下ろしま した。
今年は「キャリア」がテーマであった…という よりは、狭義ではなく広義のそれはずっとテーマ であり続けている。今年も入口は「就活」という 狭義ではあっても、中身は「生き方」という広義 に拡がっていった。とくに私を揺さぶった数名は すんなりとストレートに今に辿り着いているわけ ではないし、今も不確实な状況にある。彼らの話 を聴きながら、私は次のようなことを心に巡らせ ていた。
…あなたたちは自分自身をとても「頼り」にし
121
ている。自分の感覚や考えにどうもフィットしな
が世の中のニッチな(隙間の)ところを生きなが
い状況を経験することによって、よりフィットす
ら、そのニッチなところにあるものを見続けてき
る状況を手に入れようとする。そうしていくうち
たことによるのではないだろうか。そうじゃない
に、捨てるもの、手に入れ続けていきたいものが
と、そんなに地に足のついたところで自分の人生
自分のなかでより明確になり、そして今度はその
を進めていけない。…
フィットする状況を自ら作り出していこうとする のだ。つまり、目の前の状況が不利なものであっ
私を揺さぶった数名を買い被っているとは思わ
てもそこを回避せずに自分との関係のなかで意味
ない。 「ニッチ」を一般論的な整合性から漏れ落ち
づけ、自分の生き方を展開していく起点としてい
るリアリティと捉えると、数名はそれぞれにその
る。傍らには、安定した生活を確实にしていくよ
リアリティを掬っているように思えた。もちろん、
うな進路を求める気持ちが皆無ではなかろう自分
テーブルに着いたこと自体からわかるように、彼
や、そういう確实性を推す周囲からのプレッシャ
らの力はずいぶん社会化されている。しかし、彼
ーがあるにもかかわらずだ。確实性を推す一般論
ら以外にも、まだ社会化せずに眠っているリアリ
ではなく、あなたたちが自分自身を頼りにした個
ティの宝庫があちらこちらに隠されていることだ
別論に入っていく勇気はどこからくるものなのだ
ろう。
ろうか。 援助者として何をそだて、そのために援助者自 周りからのプレッシャーを背負い続けていては
身もどうそのそだちの材料になれるのか。
不自由だと思う。だから、そのようなプレッシャ
来年度もそれを求めて集うことになる。
ーさえ若者に届けなければ若者は自由にふるまえ るのではないかと考えてみても、そんなことはな
川畑先生の振り返りから、先生自身が若
いだろうと思う。不自由さに依存することによっ
者たちの語りに刺激を受けつつ、自らを振
てある意味で楽になれる。親や周囲もその不自由
り返りながら様々な思いを巡らされている
な悩める若者に依存して、確实性のない時代への
ことがうかがえます。そう言えば、ストレ
自分自身の不安を和らげようとしている。生きて
ーターではない若者たちをゲストに迎えた
いくうえでの「危険な賭け」をそのような共依存
ラウンドテーブルでは、若者たちの語りに
によって素通りし、 「残り物の福」を狙おうとする。
参加者の感情が呼び起され涙を流したり、
そこには、若者だけでなく、親や周囲の大人たち
参加者自身が胸の奥にしまっていた物語を
自身も自分の生き方(広義のキャリア)を問わざ
話し出したりと、その場自体が独特の雰囲
るを得ない一瞬がある。
気に包まれていたことを記憶しています。
それに対してあなたたちは自由で強く見える。
いったい、何がそうさせるのでしょう?
なぜ自分をそんなに頼りにできるのだろうか。信
挫折体験を持っており、そこから様々な形
じられる自分なりの価値を、決して頑固ではなく
で自分たちのキャリアを形成してきた若者
ブレないものとして自分のなかに置き続けられる
たち。彼らの物語がストレーターとして生
ことの「そだち」は、もしかしたら、あなたたち
きてきた援助者たち、あるいはその他の大 122
人たちの人生の物語の、抑圧され、蓋をさ
るのでしょうか?あるいは、それが彼らに
れてきた影の部分に存在しているもう一つ
とって最も望ましいことなのでしょうか?
の物語と、どこか同調していくのかもしれ
实はそこがあいまいになっているのではな
ません。彼らの語りを通してその蓋が外さ
いかと思うのです。就活の渦中の学生たち
れ、そこにしまわれていた感情が動くとい
を呼んでその生々しい状況を語ってもらお
うのはわかりやすい話かもしれません。ど
うと決めた時、私の中には援助者たちがそ
こかに同調が生じていくのかもしれません。
の生々しさを知らないのではないかという
そうして若者の経験と参加者の経験が出会
疑問がありました。それを知った時、援助
っていきます。そしてそこに今度は、参加
者たちの間に、そんな就活の渦中へと若者
者自身の振り返り、省察的思考が生まれて
たちを向かわせることに対する疑問が自然
いくのです。
と生まれるように思ったのです。
支援と被支援、あるいは援助と被援助と
若者への支援を考えた時、そこにはいつ
いう関係は、ここでその明確な境界を失い
も「課題を抱えた若者」、「問題として対処
ます。本来の援助モデルは、援助者から被
が求められる若者」がいるように思います。
援助者へと何らかのサービスが伝えられて
彼らは問題を抱えているからこそ、心理的
いくものですが、このラウンドテーブルで
なケア、医療的なケア、あるいは福祉的な
は、被援助者である若者たちの語りに援助
ケアが必要と判断されるのです。しかし本
者たちが同調し、しかもそこから省察的な
来、問題は社会と若者たちとの関係の中に
問いを生じさせていくのです。ここでは、
生じていきます。そこには、 「課題を抱えた
情報の流れが通常と逆になっていきます。
社会」があり、 「問題を抱えた社会」が存在
そうなると、援助、被援助という関係さえ
します。だからこそ、社会の側にも省察的
揺らぎ始めます。支援そのもの、あるいは
な思考が必要であり、社会そのものが社会
援助そのもののあり方を援助者自らが問う。
のあり方そのものを問うていくような機能
すなわちそれは、援助者が自分のキャリア
がないといけないと思ったのです。
をあらためて問いなおしすることに他なら ないのです。そしてこの過程を、私たちは
目の前の答えが将来を保証できなくなっ
トランスフォマティブ・キャリア(変容す
た時代においては、キャリアそのものを絶
るキャリア)transformative career と呼ん
えず検証しそれを更新していくことが求め
でいます。
られます。それは若者個人にも求められる ことでしょうし、社会そのものにも求めら
定型的な支援や援助のアプローチは、若
れることなのです。
者たちを、尐しでも「普通の若者」へと近 づけようという意図のもとに作られている ように思います。しかし、彼らは本当に普 通の若者として生きていくことを望んでい 123
124
第4章
もう一つのキャリアパス
1. オルタナティブということ
何故お腹が痛くなってしまうのかをちゃん と理解しなければならないのです。リスト
学校でもない、家でもない、塾でもない
カットに苦しんでいる生徒も、摂食障害に
し、居場所でもない。知誠館は、そんなど
苦しんでいる生徒も、強迫行動に苦しんで
こにもない、どこでもない場なのかもしれ
いる生徒も同じです。どうして苦しい状況
ません。いや、尐し表現を変えると、それ
になっているのかを本人が理解する必要が
らすべてを含んだ場と言えるのかもしれま
あるのです。
せん。 しかしその理解が表面的なもので終わっ オルタナティブ alternative、それは既存
てしまうと、結局はそのフレームを越える
のものに代わる別のもの、 「代替」という意
ことができません。すると本人は、まだ囚
味です。そしてこのオルタナティブな場が、
われの中に押しとどめられたままになりま
変容の舞台となるのです。変容の過程は、
す。わかったつもりでも、わかっていない
それまでの認知のフレームがいったん解体
のです。そのフレームの存在を本当に知る
され、より大きなフレームとなって再構築
ためには、一旦フレームの外に出る必要が
されていく過程だと考えられます。認知の
あるのかもしれません。水槽の中の魚たち
フレームは、その個人の行動を管理します
には、水槽の外の世界が見えていません。
から、それは無意識の囚われと考えてもい
水槽の中が世界のすべてなのです。一旦外
いかもしれません。従って変容とは、個人
に出ると、その水槽が世界の一部だったこ
がより自由を手に入れていく過程でもある
とに気づき始めます。しかし、水槽の外へ
のです。
と出るためには、ある一定以上の勇気が必 要になるのです。
個人がフレームを越えていくためには、 まずそのフレームの存在そのものに気づい
では、その勇気はいったいどうやって手
ていく必要があります。過敏性
に入れればいいのでしょう?それを手に入
腸症候群に苦しんでいた生徒は、自分が
れるためには、毎日何かをコツコツ積み上 125
げたり、面倒なことを引き受けたり、自分
てくれる場、言い換えると、変容のための
の興味があることをどこまでも追及したり
モラトリアムを許容してくれる場が必要に
といった地道な作業と、フレームを瞬間的
なってきます。これは、自分の知っている
に越えさせてくれるような感動や出会いが
既存の場ではなく、どこにもない新しい概
必要になります。
念を提供してくれる場が望ましいように思 います。例えば海外生活は、個人の変容を
変容は、一旦それまでのフレームが解体
促すにはもっとも適切な環境だと言えるか
され、新しいフレームへと再構築されてい
もしれません。今までのフレームが一旦カ
く過程であることは先にも述べましたが、
ッコに入れられて、新しいフレームを作ら
その過程では、自身が一旦不安定、不確实
ざるを得ない環境に置かれることが、重要
な状態を引き受けることになります。この
になって来るのです。
段階は個人にとってとても大きな不安をも たらすため、これを引き受けられるだけの
どこにもなかった、どこでもないもう一
強さが必要となっていくのです。これは一
つの場。そこが彼らにとって安心できる場
般的には、レジリエンス(回復力)resilience
であり、何らかの経験を積み上げることの
と呼ばれます。
できる場である時、そこから変容が始まっ ていきます。そしてその変容を促すだけの
一定以上のレジリエンスを身につけてい
刺激的な人たちや、その変容を喜んでくれ
くには、癒されたり、寄り添ってもらった
る仲間たちがその場にいる時、そこでの変
りといった母性的なケアだけでは不可能で
容は大変大きなものとなっていくように思
す。フレームやルールを理解したり、論理
うのです。
立てて考えたりといった父性的な要素が必 要となるのです。イギリスの社会福祉の考
変容を促すためのオルタナティブな場。
え方に「ケアとジャスティス(正義)」とい
そこは新しい自分の存在へと気づいていこ
うものがあります。あるいは、 「熱い思いと
うとする若者たちにとって、とても意味の
冷静な判断」という考え方もそれに類する
ある世界になっていくのかもしれません。
ものかもしれません。しっかりとしたレジ リエンスを身につけていくためには、そん な 2 つの側面を同時に手に入れていくこと が大事になっていきます。すぐに重なり合 うことが難しい対極的な 2 つの要素の中で こそ揺らぎが生じ、汽水的でファジーな領 域を形成し、やがてそこから変容へと至る 動きが生まれるのです。 そして最後に、不確实な状態を引き受け 126
たと考えられるのです。従って、この問題
2. 私たちは、どこへ再帰するの?
を契機にして、社会そのものにも何らかの 更新がなされるべきなのです。個人の変容
不登校やひきこもり、いじめ体験を持つ
が社会の変容を促し、社会の変容が個人の
若者たちがオルタナティブな場で自信を取
変容を促す。この双方向な影響のあり方こ
り戻し、仲間の支えを手に入れ、自分のフ
そが、消費に振り回された社会ではなく、
レームを書き換えていく。これまで全く描
しっかりと为体を持った社会に生まれ変わ
くことのできなかった人生の物語をようや
る基本的なスタンスとなるのではないでし
く描けるようになっていった彼らは、その
ょうか。
後いったいどういう形で社会へと戻ってい けばいいのでしょうか?まさに彼らのキャ
「変容を遂げた若者たちを、かつて自分たちがう
リア形成に関するこの問いが、困難を抱え
まく適忚できなかった消費社会へと戻していって
る若者たちへの支援の問題の核心部分であ
いいのでしょうか?」
るのかもしれません。せっかく大きく変容 を遂げた若者たちを、また元の状態へと戻
「変容を遂げた若者たちを、ラウンドテーブルで
すわけにはいかないのですから。
扱ったあの若者たちのような就活の渦の中へと誘 っていってよいのでしょうか?」
キャリア支援、キャリア教育。これらは 若者をいかに社会へと統合していくかとい
今年度私たちは、そんな問いを立ててみ
う問いに対するアプローチです。ドイツで
んなで話し合ってきました。消費化が進ん
は、いたるところでソーシャル・インクル
だ社会は、個人の物語を解体します。個人
ージョン(社会包摂)social inclusion とい
だけではありません。家族の物語や地域の
うコトバを耳にしました。学校から社会へ
物語をも解体していきます。人と人との個
という移行をどのような形でソフトランデ
別の関係性が、消費社会の必然でもある標
ィングさせていくのかということが、社会
準化と共に断片化されていくのです。この
の大きな課題なのです。
ことは同時に、文化の喪失をも意味します。 そういう観点に立てば、まさに私たちの社
私たちは、不登校やひきこもり、いじめ
会は、文化の大きな危機を迎えていると言
という問題を、決して個人だけの課題とし
えるのかもしれません。
て捉えてはいけないと考えてきました。こ のような課題は、個人の課題であると同時
若者たちの物語の断片化は、消費化され
に社会の課題でもあるからです。これらの
た社会の産物と言えます。ジャン・ボード
問題は、若者自身と社会との関係の中に生
リヤールが言うように、消費社会は個人の
じる葛藤として描かれます。彼らは、急速
物語そのものを解体する性質を持っている
に消費化へと向かったポストモダンな社会
からです。私たちの社会は、明治維新、そ
との関係の中で、何らかの不適忚を起こし
して第二次世界大戦の敗北を機に、自国の 127
文化を解体してきました。そして、その脆
たいという思いがあります。彼らが、何を
弱化した土台の上に消費化の波が一気に押
感じ、何を考え、何を目指して生きようと
し寄せてくることになったのです。従って
しているのか?そんな世界を、若者たちに
社会において様々な形で解体が進行し、情
垣間見てほしいと思っています。そうする
報化のあおりを受けてそれが一気に個人の
ことで、彼ら自身がかつて翻弄されざるを
レベルに達していったと考えられます。
得なかった社会との関係性を、今度は自分 自身のスタンスで捉えなおしていくことが
だから彼らの変容は、そんな断片化され
できるように思うからです。
た物語を繋ぎ合わせ、そこに彼ら自身の文 脈を作っていく作業であると言えるのです。
問題を克服して生きてきた若者たち。彼
そしてそこで再構築された彼らの物語やそ
らが帰る社会は、たとえ規模が小さくとも
の文脈は、他者へと伝わり、ある種の感動
文化を担い、社会に対して何かを訴え続け
を媒介としながら、他者の物語を活性化さ
るような、そんな質量感のある社会であっ
せ、やがてはそれが社会の物語を再び形成
てほしいと私たちは願っています。
していくように思うのです。つまり、個人 から社会へと流れるこのダイナミズムは、 消費社会の持つ物語の断片化へのベクトル を補完するものであり、それは文化を創造 するベクトルとなり得るのかもしれません。 ようやく変容を遂げた若者たちを、私た ちは再び社会の消費化の渦の中へと戻した くないと考えています。できることなら、 消費化が蔓延する社会の中に確实に点在し ている、どこか独自のこだわりを持ち続け ている文化的な世界へとつなげていきたい
3. セカンドキャリア
と考えているのです。 変容を遂げた若者たちを、どんな社会
「セカンドキャリア」とは、読んで字の
の中に返していくのか?そのキーワードは
ごとく二番目のキャリアという意味です。
「文化」だと思っています。この社会の中
私たちは現代の若者への対忚として、この
で、大きな消費化の流れを受けずに、ある
セカンドキャリアという概念がとても大事
いはその流れと葛藤を続けながらも独自の
だと考えています。
世界を築いていこうと生きる人たち。彼ら は、文化的な創造者なのです。私たちには、
ポストモダンな社会は、不確实さをその
そういった人たちに、若者たちを出会わせ
前提としています。そして不確实な社会は、 128
成功モデルを定型化しない、絶えずその答
きました。そしてこのことが、定型的な成
えが更新されていく社会です。従って「フ
功モデルや理想的な生き方のモデルをあら
ァーストキャリア」が、その人の人生を保
ためて省察し直すことにつながってきたの
証してくれるとは言い切れなくなってしま
です。あるいはこれまでの学校中心の能力
ったのです。転職が一般化し、リストラや
観を、より自己省察的かつ自己更新的な概
早期退職、倒産といったことも珍しいこと
念である「コンピテンシー」という形で、
ではなくなりつつあります。今年度のラウ
現实的な経営という領域から引き出し、概
ンドテーブルでは大学生たちの就活を扱い
念化するといったことも行われました。
ましたが、彼らの現状に即して考えると、
様々な領域で議論が交わされ、尐しずつ教
大卒者の就職率が 80%~90%、しかし一方
育や支援のあり方が変化してきたのです。
で 3 年以内の離職者は、その 1/3 にあたる
そしてその変化の方向性が、挫折からの回
と言われています。すると、3 年以上同じ
復、すなわちこのセカンドキャリアへと向
企業で働く若者は、約半数ということにな
かっているように思います。ファーストキ
ってしまいます。このように、今や大卒者
ャリアに依存して生きるのではなく、状況
の半数は、20 代後半でセカンドキャリアを
に忚じて自分自身のセカンドキャリアを再
突き付けられることになっているのです。
構築し続けていくということ。すなわち自
これが、ポストモダン社会を生きる若者た
分のキャリアを絶えず更新し続けていくこ
ちを取り巻く現状です。
と。その能動性をいかに身につけられるか どうかが、大きな課題となってきているの
ところが私たちの周りにある教育も支援
です。
体制も、その多くがセカンドキャリアをあ まりその前提としていません。セカンドキ
セカンドキャリアを大きなフレームとし
ャリアは、挫折からの回復であり、反省か
て捉えた場合、不登校やひきこもり、いじ
らの再構築であり、躓くことを前提として
めといった経験を克服した若者たちは、大
いるキャリア概念です。それに対して従来
きなアドバンテージを持っていることにな
の教育や支援は、躓かないように生きるこ
ります。挫折の中でどう自分自身と向き合
とをモデルとし、そのモデルへいかに近づ
い、他者とのかかわりを通していかに変容
けるかを到達目標に置いてきたのです。躓
を起こしていくかということを、彼らは身
きからの回復力を求める方向性と、躓かな
を以って経験してきたからです。この挫折
いような生き方を求める方向性。この両者
を乗り越える経験こそが、セカンドキャリ
で考えられるキャリア形成は、ずいぶん違
アを作り出していく原動力となり得るので
ったものになってくるのです。
す。
90 年代以後の 20 年間の社会変化によっ て、こうすれば躓かないとされる生き方は、 もはや幻想と位置付けられるようになって 129
のです。 若者に対するキャリア教育やキャリア支 援がどこか予定調和的なものに終始してい ることに対して、私たちは疑問を投げかけ、 他者との「出会い」によるキャリア形成を 提案してきました。成功のモデルを想定し にくい現代社会の中においては、キャリア 形成へと向かう道のりにあまりにも変数が 多く存在しています。しかし、現实に行わ れているキャリア教育、キャリア支援のプ
4. 出会いの中のキャリア
ログラムの多くは、予定調和の域を脱して はいません。その理由は簡卖です。私たち
挫折体験を持つ若者たちのキャリア形成
の言うような「出会い」を目標にしたプロ
には、他者の存在が欠かせません。彼らの
グラムは、ゴールが画一的ではないため構
多くは、誰かとの決定的な出会いを通して
成そのものが大変難解になるからです。卖
自分自身のキャリアを形成しているからで
純なモデルを想定できないのです。
す。この点は、大変興味深いことです。一 般の大学生の就活がほとんど情報戦のよう
このように、出会いを目標としたプログ
になっているのに対して、挫折経験を持つ
ラムでは、ゴールは一つではなく、ゴール
若者たちにとっては、誰とどんな風に出会
の複線化が想定されます。それぞれの若者
っていくのかがそのキャリア形成の決め手
たちが、それぞれのゴールをめざすのです。
となっているようです。
そしてそのゴールを見出し、そこへ向かう パスを構築するために、他者に出会う必要
出会いは偶然のように見えても、決して
があるのです。出会いは、確率の世界です。
偶然の産物ではありません。グラン・ボル
従って出会いを前提としたプログラムでは、
ツがプランド・ハプン・スタンス(計画さ
他者と出会う確率を向上させる取り組みが
れた偶然)planed happen stance と呼んだ
行われていくのです。
ように、偶然にも計画性(文脈性)が埋め 込まれているのです。誰かが誰かと出会う
知誠館では 2013 年度末に、出会いのため
ためには、その両者にある共有された何か
の小さな森を敶地内に設けました。 「こだわ
が必要となります。それらは、全て具体的
りを持った若者たちがこだわりを持った大
で視覚的なものである必要はありません。
人たちとこだわりの空間で出会っていく」。
抽象的で非視覚的なものであってもいいの
このことをコンセプトとした新しいキャリ
です。とにかく両者が共有できる何らかの
ア形成の試みを、来年度以降、本格的にス
ものがあれば、出会いの可能性が上昇する
タートさせたいと考えています。出会いを 130
通して、そこから始まっていく新しい未来 への可能性。どこかわくわくするような希 望。そんなキャリアパスを、一人でも多く の若者たちが描いてくれることを願ってい るのです。
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おわりに
今年 3 月、知誠館を 6 名の若者たちが巣
進路を芸術関係の高校へと設定した彼女
立っていきました。中学、高校、専門学校
は、まるで別人のように勉強を開始します。
とそれぞれが 4 月から新しい生活を始める
毎朝、知誠館の始まる 10 時にやって来て、
ことになるのです。巣立ちの機会は、私た
帰りは居残りをして夜 10 時のバスに乗り 1
ちがこれまでのことを振り返る機会でもあ
時間半の道のりを帰っていきました。そん
ります。若者たち、そしてその家族とのこ
な彼女は、日に日にたくましさを身につけ
れまでの取り組みが、まるで走馬灯のよう
ていくようでした。そしてとうとう、自分
に私たちの脳裏を駆け巡ります。
の選んだ第一志望の高校へと進学していっ たのです。
知誠館に入学した最初は、膝の上に置い た荷物を決して動かそうとはしなかった女
また、大変厳しい状態にあった過便性腸
の子。彼女はいつでも、隙あればここから
症候群を見事克服して自分の将来のキャリ
逃げ出そうとしているかのようでした。そ
アを見つけ出し、歯科衛生士を養成する専
んな彼女がようやく荷物を床の上に置ける
門学校へと進学していった女の子。 「大丈夫
ようになるまで約 1 ヶ月、そして本格的に
か?」と声をかける私たちの心配をよそ目
みんなの輪の中に入れるようになるまでに
に彼女は、「まあ、何とかなるでしょう!」
は、約半年の時の流れが必要でした。その
って笑って答えながら、知誠館を巣立って
後、彼女は自分の隠れた才能を開花させて
いきました。
いきます。それがイラストの世界でした。 人物から始まり、外国の絵本の世界、オリ
さらには、3 年間のひきこもり生活から、
ジナルの創作の世界へと関心は移行してい
自分の生活を立て直し、自分の性格までも
きます。そしてそんな彼女の作品は、複数
変えていった男の子。今でも懲りずに「め
の芸大の先生たちからも評価され、本格的
んどくさい、めんどくさい」って連発する
に彼女は自分のキャリアを考えるようにな
彼ですが、仲間たちとの出会いが、自分の
っていきました。
閉ざした心を開いてくれたんだと言います。 彼はこの春、パティシエをめざして製菓の 132
専門学校へと進学していきました。
を通して私たちが見つけたものは、若者た ち自身が断片化された自分の物語を再びつ
その他、失いかけていた表情を取り戻し、
なぎ始め、そこからいくつかの他者との出
満面の笑顔で知誠館を巣立ち、第一志望の
会いを通して、それを足ががりに社会へと
私立中学へと進学していった女の子。そし
つながるパスを構築していくという過程で
て、自分が一番行きたかった私立高校の普
した。そこには個人から社会へと連続的に
通科へと進学していった男の子。ようやく
つながっていく物語があり、その先には、
最近になって目を見て相手と話ができるよ
個人の物語の総体としての社会の文化があ
うになったという女の子。様々な課題を乗
るように感じました。
り越えて、次のステージへと歩もうとする 若者たちがここにいるのです。
最後になりましたが、みなさんにお断り しておきたいのは、ここに紹介させていた
「この子は学校へ行かなくなって、本当
だいた「森の語り場」で語ってくれた知誠
に良かったです」そう卒業式の日に私たち
館の生徒たちやその仲間たち、そして「单
に伝えてくれたのは、あのイラスト好きの
丹ラウンドテーブル」で語ってくれたゲス
女の子の母親でした。彼女は、学校へ行か
トのみなさんや若者支援に関わる大人たち、
なくなったことが大きなきっかけとなって
その名前や固有の施設名はすべて仮称であ
自分の才能を見出し、それを足掛かりに自
り、掲載されている写真と本文とは一切関
分自身を大きく変容させ、将来へのキャリ
係がないということです。またそれぞれの
アパスを見出していったのかもしれません。
語りは、どれも事实に基づくものではある のですが、そこには個人が特定されないよ
「セカンドキャリア時代」というコトバ
うな加工が施されています。
で表現されていく現代社会。もはや、ファ ーストキャリアが、その人の人生を保証し
また、この冊子を作るにあたっては、テ
きれない時代に突入したわけです。特に若
ープ起こしや何度も読み返して原稿をチェ
者たちのキャリア形成は厳しいものがあり
ックしてくれた知誠館のスタッフのみなさ
ます。そして、このような時代においては、
ん、そして、さまざまな面でお力添え、励
挫折からの回復や克服といった力が大変重
ましをいただいた京都学園大学の川畑隆先
視され求められるのではないでしょうか?
生、そして立命館大学の中村正先生、みな さんの大変大きなご協力をいただきました。
「もう一つのキャリアパス」それは、従
みなさんのお力添えなしには、完成させる
来の定型的なキャリアに関する様々な取り
ことはできませんでした。この場をお借り
組みへの反省から生まれたキーワードです。
して、感謝申し上げます。
「これまでのやり方に、代わるものはいっ 2014 年 3 月
たい何なのだろう?」という問いかけなの です。そしてその問いに対する答えの模索
アウラ学びの森 知誠館 133
北村真也
北村真也(きたむらしんや) 1962 年京都府生まれ、人間科学修士。 グローバル教育研究所 代表取締役、アウラ学びの森 代表。 対人援助学会理事、社会福祉法人松花苑評議員。 臨床社会学の視点に立ちながら、教育、心理、福祉の領域で実践と学際的な研究活動をお こなう。専門は「変容場面における他者と場の関わり」に関する研究。2000 年京都府亀 岡市に自らの研究拠点として「(有)グローバル教育研究所」を設立、同年学びの共同体「ア ウラ学びの森」 、2005 年には京都府教育委員会認定フリースクール「アウラ学びの森 知 誠館」を開校し、自らの研究と教育実践を融合させた新しい学びのモデルの実現をめざす。 また、文科省、国立青少年教育振興機構、京都府教育委員会および京都府青少年課の研究 委託事業を受託し、複数のプロジェクトを行政と共に実行している。著書、論文として『学 習塾がおもしろい』一光社 1988、 『そだちと臨床-私塾の可能性を模索する』2008 明石書 店、 『ポストモダンな学びの構築』立命館大学大学院 2010、 『連載 学びの森の住人たち』 対人援助学マガジン 2011、 『自己変容を伴う不登校生徒のキャリア形成』文科省 2012 が ある。
文部科学省 平成 25 年度いじめ対策等生徒指導推進事業
不登校経験を持つ若者たちのもう一つのキャリアパス -「学びの森」の実践を通して-
2014 年 3 月 31 日 印刷 2014 年 3 月 31 日 発行 編集/発行 アウラ学びの森 知誠館 〒621-0846 京都府亀岡市南つつじヶ丘大葉台 2-44-9 TEL 0771-29-5588 FAX 0771-29-5805 info@tiseikan.com www.tiseikan.com