architecture portfolio
矢嶋 優太
Yajima
Yuta
1993 年 千葉県船橋市生まれ 2012 年 早稲田大学高等学院卒業 2016 年 早稲田大学建築学科卒業 2017 年 早稲田大学理工学術院 建築学専攻 山村健研究室 所属
学部 3 年 前期課題 : ハイパースクール
「みんなあつまれこの庭に」 千 葉 県 船 橋 市 の 盆 地 に 位置する。 3 辺を 住宅地に 囲 まれ 、 かつ て こ の 地 が 海 であっ た名残の松の丘が 今 も残 っ て い る 。 校 歌 に も残る松の丘を 端緒とし、 地 域 と 共 に 成 長 し て い くよう な小学校を 計画する。
学部 3 年 後期課題 : 住宅と都市の In-between
「虚ろの転回」 新 宿 区荒 木 町 に あ る 木 造 空き 家密集地を 解体し、 そ れ ら の古 材 を 用 い て 新 た に 既存の街並みと繋がっ て い く よ う な 集 合 住 宅 を 計 画 する。
卒業設計
「境界を紡ぐまちの再編」 再 開 発 の 中 心 と な る 横 浜 駅 西口と、 高速道路の高架 によっ て存在 を 否 定 され た 川 。 その境界とな る敷地に 、 ま ちと 人 と を つ な ぎ 合 わせる た めの芸術拠点を 設計する。
学部 3 年前期課題 ハイパースクール
「みんな集まれこの庭に」 用途 : 小学校 制作期間 :1 ヶ月
周囲の風景をかたちづくるもの
敷地 : 千葉県船橋市海神
住宅街 松の丘
住宅街
鉄道と畑
小学生の通学路でもあり、 常に 子供達の成長を見守り続けている。
住宅街に囲まれた静かな校庭に列 車のガタガタと走る音が響き渡る。
鉄道 住宅街
松の丘 敷地面積 : 12922 ㎡ 建築面積 : 5632 ㎡
かつてこの土地が海であった頃の名残で、 防風 林として植えられた松の木が緑の丘となった。
変わるもの
▶
▶
1928〜1953
1977〜2010
2012〜
木造校舎
鉄骨校舎
RC 校舎
西海神小学校は 1928 年に建てられ、 その後二度の建て替えを行っている。 校舎の建て替えが行われるたびに、 それまで建築に蓄積してきた記憶は消え、 新たな記憶が積層してきた。 盆地で地盤が緩いこともあり、 西海神小学校の建て替えは避けられない、 変わるものとしての校舎。
変わらないもの 一 みんな 集まれ この庭に
海は 南の かいのはま
空は みどりの まつの丘
ここは 船橋 西海神
せいとだ ぼくたち わたしたち
二 みんな 明るく 手をつなげ
朝から 小鳥は うたいだす
めだかも ならんで 泳いでる
ここは 船橋 西海神
ぼこうだ ぼくたち わたしたち
学校の校歌というのは、 その場所の歴史 ・ 土地 ・ 人を象 徴するものである。 西海神小学校の校歌も例外なく、 かつ てこの場所にあったもの、 今も残るものを歌詞の中に残し続 けている。 変わらないものとしての校歌を端緒とし、 いまも 残り続ける松の丘を起点として新たな小学校を計画した。
倉庫 教室
トイレ
教室
食堂
教室
教員室
校庭 図書室 児童室
教室 音楽室
プレイルーム 教室 保健室
美術室
理科室
事務室
教室
トイレ 体育館
N
平面図 縮尺 1 : 400
北側立面図 縮尺 1 : 300
学部 3 年後期課題 住宅と都市の In-Between
「虚ろの転回」 用途 : 集合住宅、 サービス付き高齢者住宅 制作期間 :1 ヶ月
敷地 : 東京都新宿区荒木町
空き地 建築物の更新が行われないまま放置された
敷地面積 : 1118 ㎡ 建築面積 : 980 ㎡
巨大な構造物 立体駐車場を支える巨大な柱が佇む
暗がりの路地 細長い路地の奥には、 空き家に接する住宅がある
窪んだ大地 すり鉢状の地形に沿うように、 建物が建っている
新宿区の荒木町は、 独特のスリバチ地形によって規定された住宅地が 存在する特異な空間である。 敷地調査を行ううちに、 いくつかの空き家 の密集地を発見した。 その中でも荒木町の北端に位置する谷底の空き家 密集地は、 接道条件が悪く空白となった住居が更新不可能な谷底に溜 まっているような場所であった。 今回の計画をこの地に行うことによって、 荒木町を発端とした空き家密集地再生計画を提案する。
都市プログラム
a. 敷地条件
b. 壁面の挿入
c. 空き家の解体
4m 以上の幅員を持つ道路に接道
私道と空き家に沿って薄い壁を
空き家の密集地が更新可能になり、
解体が完了し敷地に残った壁面は
空き家が解体され空き地となった場所
している住宅3軒と、 接道していない
通す。 これにより接道している住宅
最初に始まるのは解体である。
新たな建築の開口部にあたる部分な
にはこの地域の新たなコミュニティ発
密集した空き家がある地域。
と空き家を連単化し、 一つの建築
これによって出た廃材は、 計画設計
どを解体、 残りを構造 ・ ストリートファ
生の場となるような建築を設計する。
として扱う。
の家具の材料等に転用する。
ニチャーとして再利用する。
d. 残った壁
e. 新たな建築
建築プロセス
a. 既存ボリュームの解体
b. 壁体と軸組の構築
既存の空き家を連単化することで、
解体により生じた木材や石積みの壁
一斉に解体する。 私道に挿入した壁
体を再利用し、 新たな構造体を組み
体は解体後も敷地に残り、 構造やスト
立てる。 挿入した壁体は細かく文節
リートファニチャーとして利用する。
され、 新たな建築の一部となる。
c. 床、 屋根の形態決定
構造体に囲まれた壁面によって 床を決定し、 中央部には巨大な吹 き抜けを設ける。 屋根の形状は、 地形の傾斜にそって決定する。
â–²
N
1 階平面図 縮尺 1 : 200
N
2 階平面図 縮尺 1 : 200
▽ TOP +14700
憩いのテラス
▽ 2F +4500 大浴場
▽ GL ±0 ▽ BOTTOM -1500
市民ギャラリー
階段室
集会所
0
5M AA’ 断面図 縮尺 1 : 100
卒業設計
「境界を紡ぐまちの再編」 用途 : 美術館、 図書館、 公園 制作期間 :2 ヶ月
再 開 発 の 中 心 と な る横 浜 駅 前 地 区 と 、 高 速 道 路 の 高 架 に よ って存 在 を 否 定 され た 川 。 その 境 界 と な る敷 地 に 、 3 つ の 計 画 で構 成 され る芸 術 拠 点 を設 計 す る 。 高架下の公園、 まちなかアートギャラリー、 図書館の3つの施設が、 横浜市を訪れる人々の活動の拠点となる。
敷地 : 神奈川県横浜市西地区 横浜の都市構造の変化 : 新たな核としての横浜駅周辺 横浜の都市構造の変化をみると、 もともとの商業 ・ 政治的中心であった関内地区から、 交通網の 発展と横浜のベッドタウン化に伴って横浜駅周辺へと商業の中心が移ったことがわかる。 すなわち、 横浜駅西口を横浜のベッドタウン化に伴って生まれた新たな核として捉えることができる。
1930
2016
横浜駅周辺
横浜駅西口
1964
関内地区
派新田間川
街を規定する骨格としてのインフラ群 この街の骨格として街の構成を規定するのは、 水路、 鉄道、 高速道路という近現代の 3 つのインフラである。 それぞれの骨格は街の地層のように積層している一方、 互いを否定するかのような形で関係性なく積み重なっている。 近現代を代表するこの 3 つのインフラの関係性、 及びインフラと街の関係を再編集することはできないだろうか。 首都高速三ツ沢線
1880
1900
1965
2005
分水路の新設 (1998)
掘割の形成 派新田間川の埋立
敷地面積 : 6101 ㎡ 建築面積 : 4860 ㎡
新田間川
さまざまな都市的問題
進む再開発と途絶える文脈 横浜の都心として位置付けられている横浜駅西口地域は、 都市緊急 再生整備地域への指定を受けて様々な再開発計画が持ち上がっている。 横浜駅西口の一角には戦後の復興の時期から続いてきた屋台群や繁華 街が存在する。 いずれも、 再開発に伴い姿を消す予定である。
公共空間の不足 当初から繁華街として開発されたこともあり、 横浜駅周辺の公共空間は極めて少なく、 緑地が多く確保されている関内地区とは対照的である。 滞留できる空間が少ない他、 地域行事を行うスペースがなく、 仕方なく高架下で地域のイベントを行うような状況が生 まれている。
N 1 階平面図 縮尺 1 : 470
0 1
5
10M
N 2 階平面図 縮尺 1 : 470
0 1
5
10M
南側立面図 縮尺 1:375
0
10M
AA’ 断面図 縮尺 1:375 0
10M
本計画によって都市の近代化の中で培われたものと、 急速な発展によって失わ 東側立面図 縮尺 1:375 れたものとをつなぎ合わせる。 横浜西地区に存在していた、 多様な価値観を交 換する雑多な 「市」 としての賑わいが、 再開発の進む横浜の街にもう一度蘇る。
BB’ 断面図 縮尺 1: 375