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危機的状況での信仰
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危機的状況での信仰
FAITH IN TIMES OF CRISIS
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マリア・フォンテーン
大きな障害や命に関わる事態に直面した時、たとえその状況がどれほど悲惨で、取り返しがつかず、絶望的に思えたとしても、私たちは積極的にイエスを信頼し続け、その揺るぎない信頼を断じて捨てまいという選択を下すことができます。信仰とは、恐れがないことではなく、恐れに打ち勝つものです。
信仰とは、望んでいる事がらを確信することです。もしすでに手にしているのなら、私たちはそれを望んだりしません。信仰とは、まだ見ていない事実を確認することです。*1 もし目で見ることができるものなら、存在を確認するための証拠など必要ありません。
神が最終的には来世で物事を正してくださると分かってはいても、だからといって、かなり辛い体験や死に直面するかもしれないという苦悩が和らぐわけではありません。たったいま対処しなければならないのは、来世ではなく、現在なのですから。
状況が非常に悪く、その窮地から普通のやり方では抜け出せそうにないなら、かなり怖く感じることもあるでしょう。でも、そういう時こそ、信仰が発揮されるのです。状況がどう見えようとも、とにかく信じ、信頼し続けなければなりません。
どれほど絶望的に思え、どれほどひどい状況になろうとも、イエスがその腕に私たちを抱きかかえてくださるのだと知っているので、そんな悲惨な状況にあっても、神がしなさいと言われたことを堅固な土台とし、その上を歩き続けなければならないのです。
あなたは今、自分の直面しているものについて不安を感じているかもしれません。自分のいる状況を打開するために何ができるのか、見当もつかないのかもしれません。でも、人生への神の介入は、私たちに自信があるかどうかとは関係なく、神を信じ、神の無限の力と慈しみと愛に対する信頼を持っているかどうかにかかっています。
あなたが神を信頼しているがゆえに、神は、神のタイミングと方法で(もしこの人生でなければ来世で)、あなたにとって最善のことをもたらしてくださると信じればいいだけです。信仰は、知るべき最も大切なことを知っています。それは、神は決してあなたから離れず、あなたを捨てないということです。*2
将来何が起こるかを知っている人は誰もいません。今直面している障害や、苦痛に感じていることが、一分後あるいは一ヶ月後には消えてなくなるのか、あるいは生涯続くのかは、分からないことがしばしばです。しかし信仰は、イエスが私たちを捨てて「孤児とはしない」ということ、*3 主がそばにいて一緒に歩いてくださるということを知っています。
私たちが逆境の波や風を見る時に、ペテロと同じことをするなら、イエスは私たちを誇りに思われます。ペテロはイエスに言いました。「わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください。」*4 イエスのうちに働いている神の力を見てきたので、ペテロはそんな難局にも飛び込み、決して自分を失望させることはないと信じている方に身を預ける備えができていたのです。
あなたはどのような難局に直面しているでしょうか。あなたの人生には、どのような手に負えない状況が立ちはだかっているでしょうか。たった今、水の上に一歩踏み出して、イエスのもとに行って下さい。そうすれば、あなたの人生に主の力が現れるでしょう。信仰の一歩を踏み出すのです。時には、一時的に沈むように感じることがあっても、ただ主に助けを求めれば、主はご自身の完璧なタイミングと方法で、あなたを助け出してくださいます。
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聖書の参照箇所
1. ヘブル 11:1
2. ヘブル 13:5
3. ヨハネ 14:18
4. マタイ 14:28