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753:気むずかしい菜園

気むずかしい菜園

A Temperamental Garden

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ティナ・カップ

私の小学校には、子どもたちから「サイラスおじさん」と呼ばれる素晴らしい園芸担当者がいました。サイラスさんは、トマトや豆類、キャベツやレタスがいっぱい育った、まるで絵本に出てくるような畑を作ることができたし、季節ごとに見頃の草花をよく知っていて、学校前の花壇はいつもさまざまな色であふれていました。長年の経験で、あらゆる園芸の知識を身につけていたのです。

でも、園芸は誰がやってもうまくいくというわけではありません。

子どもたちと一緒に家庭菜園を始めることにした、コリアンという母親の記事を読みました。おいしい果物や野菜がたくさんできることを想像して、わくわくしながら親子で土を起こし、苗を植え、水をやり、大切に育てていったけれど、果物も野菜もできる気配がまったくなかったそうです。

コリアンはがっかりし、何度もあきらめそうになりました。それでも、天気がいい日には、今回こそうまくいくかもしれないから、もう一度がんばってみようという気になったのです。ただ、コリアンに理解できなかったのは、雑草はまさに「雑草のようにたくましく」生え広がっているというのに、自分の植えたものが育つには、なぜこんなにも手間と世話がかかるのかということでした。

そして、土を整え、10種類の野菜をきれいに並べて植えてはみたけれど、そんなことをしても無駄なのかもしれないと思ってしまいました。苗から育つのは早かったけれど、実際の果物や野菜はと言えば、ほとんど大きくならないのです。どれほど頑張って世話しても、どれだけ長く待っても、食べられそうにない葉っぱしかできません。最終的に収穫できたのは、数粒のイチゴとわずかなビート、そしてドングリほどの大きさのニンジンでした。コリアンたちは、そのちっぽけな野菜を調理して、夕食の付け合せとして食べました。それはそれで楽しかったのですが、彼らが期待していたのは、そういうことではなかったのです。

そこでコリアンは、園芸についてもっと調べてみることにしました。そして、ちゃんと収穫できる野菜や果樹を育てるには、さまざまな要素が関わっていることを知ったのです。たとえば、花の受粉には、十分な数の特定の種類のミツバチなどが必要です。間違った種類の害虫駆除剤を使うと、その一帯でミツバチが減少し、あるいはまったくいなくなるので、花がちゃんと受粉できず、果物や野菜の収穫に影響が出ます。また、それぞれの野菜や木の特徴を知っておくことは重要です。たくさんの実がつく年とまったくつかない年が交互に来る「隔年結果」の木もあります。

こういった情報を知って、コリアンたちはがっかりするのではなく、かえって、野菜づくりがなかなかうまくいかなくても、そんなに気に病まないようになりました。野菜づくりの大変さをよりよく理解できたので、もっと学びたい、新しいことを試したい、そして何よりも結果にこだわらず、その過程を楽しみたいと思えるようになったのです。

コリアンは、これは人生に似ていると考えたそうです。クリスチャンとして、私たちは正しいことをして、良き手本になろうとし、信仰について他の人に語り、困っている人を助け、聖書の勉強をしたり祈ったりする時間を取ろうとします。そういったことを続けていて、その成果を見、感じることもあれば、そうでないこともあります。自分が関わったことによって、誰かの人生が良い方向に変わったことが見て取れる時もありますが、できる時にできることをし続けても、ほとんど成果が見えない時もあるものです。でも、素晴らしいことに、神はあなたの「成果」ではなく、「忠実さ」で判断してくださいます。

そのような考え方は非常に励みになると、私は思いました。誰の人生においても、物事がうまく行かない時期というのはあります。そんな時、神は心を見ておられ、私たちの成果ではなく忠実さにもとづいて評価してくださると知っているなら、プレッシャーが軽減されます。だからといって、どうすればもっといい仕事ができるかを神に尋ねたり、改善するために何か学べることやできることはないかを考えたりする時間を取らなくていいというわけではありません。そういったことをしつつ、結果については神に信頼すればいいのです。

私たちは最終的に、主からこんな賞賛の言葉をいただきたいのだと、心に留めておいてください。「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」(マタイ 25:21)

その時が来るまでは、自分たちが味わう小さな祝福や成功をすべて楽しもうではありませんか。私たちは皆、神の大きな計画において、自分の役割を果たしているのですから。

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それぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。わたしたちは神の同労者である。 ― 聖書 第一コリント 3:5-9

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