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790:無益な考え
from 790:無益な考え
無益な考え
THE IDLE THOUGHT
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チャンドラ・リーズ
私はもともと、考え込む性格です。どんな主題であれ出来事であれ、それが現実のことか勝手な想像か関係なく、考え込んでしまうのです。ただ、自分でも驚きですが、私の考え込むくせが、他の人たち、特に夫との関係にいかに強い影響を与えているか、最近になるまで気づいていませんでした。女性は皆、人の表情や仕草や言外の意味を読み取ろうとするものだとは思いますが、私の場合は、思い込みが独り歩きするまで延々と考え続ける傾向があります。正しい結論に至ることも時々はありますが、見当違いであるか、全体像をつかめていない場合が多く、そうやって、意味もなく精神的エネルギーや感情の無駄使いをしてきました。
ある日の朝、私は頭の中で激怒していました。夫とちょっと言い合いをして、腹を立てたのです。実際には、ほんの二言三言しか言葉を交わしていないのですが、夫が本当はどう思っているのかを考え、分析しようと、私の頭はフル回転していました。夫の主張を勝手に想像して、それに頭の中で答えて反論している内に、私はますます頭にきました。頭の中で戦争をしていたわけですが、夫はそんなことを知りもしません。その内に、夫が外出する時間となって、私のところに来ました。そして、私の体に腕を回して、愛していると言ってくれ、一日の出だしが台無しになったことを謝ってきた時、私は自己嫌悪を覚えました。
自分が考え込んでしまうことで、これまでに何度、夫への接し方やコミュニケーションに悪い影響がもたらされたのだろうと考えずにはおられませんでした。私は通常、怒ってもそれを言葉にしないよう気をつけていますが、こうして頭の中では、口論をしまくっていました。自分の無益な考えによって、愛する人の言い分を聞くこともせずに、相手に対して歪んだ見方をしていたのです。
イエスは聖書の中で、自分の語るあらゆる無益な言葉について言い開きをしなければならなくなると警告されています。でも、口にされない無益な言葉が、心の内にわだかまって、自分の行動や、現実の認識を捻じ曲げてしまう場合がどれだけ多いことでしょう。そういう「言葉」についても、言い開きを求められるのでしょうか。
私はその日以来、考え込んだり、愛のない考え方をしたりしている時には、自分で気づくようにし、それを肯定的な考え方に置き換えるよう努めています。この新しい思考プロセスを完全に実行できているわけではありませんが、それに取り組んでいるところであり、すでにそのいい影響が私の人生にあらわれています。
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わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが、あなたの前に喜ばれますように。― 詩篇19:14