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812:木を植える人たち
from 812:木を植える人たち
木を植える人たち
Tree Palnters
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カーティス・ピーター・バン・ゴーダー
私が長年所属していた劇団は、『木を植えた男』という寓話的で感動的な物語をたびたび上演しました。主人公はエルゼアール・ブフィエという初老の羊飼いで、羊を放牧しながら木の実を一つ一つ植え、南フランスの広大な地域に森を再生していきます。この物語は、作者のジャン・ジオノが1953年に発表して以来、アニメとなってアカデミー賞を受賞し、BBCで紹介され、パペットショーとなって高評価を得ており、また、話に感銘を受けた数え切れない人たちが植樹を始めました。
インドのアッサム州にも、自分のいる地域で30年間木を植え続けてきたジャダブ・パイェンという人がいます。ブラマプトラ川流域には木があまりないため、毎年洪水が発生して、農作物や家屋に多大な損害がもたらされ、暮らしを脅かしてきました。ジャダブは木を植えることによって、荒れ果てた島を生まれ変わらせようと決意し、今ではその一帯が、ニューヨークのセントラルパークよりも広大な550万平方メートルを超える森林となっています。
この森林は地域に大きな益をもたらしました。農業が再開し、その地域での洪水はなくなり、サイや象や虎などの野生動物が森に住み着いています。そして今、ジャダブには次の夢があります。すべての学校のカリキュラムに環境科学が組み込まれ、生徒たちが皆、木を植えて世話するようになることを願っているのです。
ジャダブがこれまでしてきたことは、簡単ではありませんでした。長年、欲深い密猟者や伐採者、腐敗した政治家らの脅威にさらされてきたのです。それでも、彼はこう語っています。「これが自分にとって何の得になるかは分かりませんが、木を植えていると幸せなんです。一生やり続けますよ。」
同じように世界を変えた人に、ケニア出身のワンガリ・マータイがいます。彼女は環境回復と地域開発の活動によって、ノーベル平和賞を受賞しました。
ワンガリは、十代の時に通っていたミッション・スクールで、レジオ・マリエ会の活動に活発に携わりました。レジオ・マリエは、地域で農業プロジェクトを行っており、そのモットーは「同胞に仕えることによって、神に仕える」というものでした。彼女は20代初めに、奨学金を得てアメリカのピッツバーグ大学で学び、そこで会った環境保護活動家らが市から大気汚染をなくそうとしているのを見て、彼らの取り組みによって、とても意義のある結果がもたらされていると感じました。私自身、当時のピッツバーグで子ども時代を過ごしたので、確かに空気の質がかなり改善したと証言できます。
ケニアに戻ったワンガリは、女性の生活状況の改善に尽力しました。グリーンベルト運動を設立したのは、女性たちが土着の木の種から苗木を育てることによって、自活できるよう助けるためでした。このプロジェクトの素晴らしいところは、シンプルであることです。その著書『Unbowed(邦題:へこたれない UNBOWED)』で、彼女はこう語っています。「林務官や女性たちに話したことですが、木を植えるのに卒業証書は必要ありません。」
グリーンベルト運動は、ノルウェー森林協会などから国際的な協力を得て大いに成功しました。また、15ヶ国以上から視察団が来て、砂漠化、森林減少、干ばつ、飢饉と闘うために、どうすれば自国で同じようなプロジェクトを実施できるか、学んでいきました。
これまでに何百万本もの木が植えられており、さらに、この運動がきっかけで、国連の「10億本植樹キャンペーン」など数多くの取り組みが生まれてきました。
ワンガリ・マータイは2011年に71歳で亡くなりましたが、その影響は今も続いています。2010年に出版された『Replenishing the Earth』はまるで別れの挨拶のようであり、私たちも行動に出るようにと励ましています。「私たち全員が、近隣や自分の住む地域、また国や世界全体の状況を改善できるよう、熱心に取り組む必要があります。そのためには、互いに協力し、より良い推進者となって、変化を起こしていかなければならないのです。」
でも、あなたや私にとって、「森林再生」は何を意味するでしょうか。ほとんどの人は、めったに木を植えることがないとしても、それがすべてではありません。世界をより良い場所にするために、自分にできることをするのが大切なのです。その第一歩は、自分にとっての「木」とは何かを知り、次に、それを大事に育てることです。
イエスだったら、それをこんなふうに言われたかもしれません。「天の国は、ある人が、不毛の荒れ地に幾つもの木を植えに出かけて行くようなものだ。それが育つと、いずれ広大な森となって、地を豊かにし、多くの実をもたらす。」
ですから、世界の現状にがっかりすることがあっても、決してあきらめてはいけません。私たちは、しなくてはいけないことが途方もなく大きいと、落胆してこう考えがちです。「私はいったい何者だというのか。こんな自分に何ができるだろう。状況を改善すると言っても、一人の人間にできることなど何もないように思える。だから、努力したって、仕方ない。」
でも、ジャダブ・パイェンやワンガリ・マータイ、また架空の人物ではあるけれど、エルゼアール・ブフィエといった人たちが、一人の人間でも世界を変えられるということを証明しています。世界全体を変えることができなくても、自分のいる部分の世界を変えることはできます。あなた自身の心、考え方、人生から変えてみてはどうでしょうか。
最初のうちは、小さな芽、取るに足らない小さな新芽にしか見えないかもしれないし、森が必要だというのに、そんな小さなものが何の役に立つのかと思うことでしょう。でも、それは新しい命の奇跡の始まりであり、その内にどんどん成長して葉が茂り、立派な新しい「木」となります。それは新しい生命であり、さらにはいつか、新しい世界となっていくかもしれないのです。