1 minute read
817:私のためにパンを焼いてください
from 817:私のためにパンを焼いてください
私のためにパンを焼いてください
Make Me a Cake
Advertisement
これは、紀元前850年頃のイスラエルで起きた話です。●1● 国が始まって以来最悪の王の下で国民が苦しんでいた、とても悲しく辛い時代でした。アハブ王は、妻イゼベルが崇拝する異教の神バアルを導入し、彼らの治世中に、真の神の預言者たちが次から次へと殺害されていました。
そこで神は、預言者エリヤをアハブ王につかわして、あるメッセージを伝えさせたのですが、それは不吉な内容でした。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私が告げるまで、数年の間、露も雨もないであろう。」
この警告を伝えた後、エリヤは荒野に逃げました。神はエリヤを、人が来ない峡谷へと導き、そこの谷川の水を飲むよう語ると共に、カラスに命じて、毎日エリヤの元へパンと肉を運ばせました。
さて、エリヤの預言どおり、雨は一滴も降らなくなり、うだるような暑さの毎日がゆっくりと過ぎ行きました。灼熱の太陽の下、乾燥しきったイスラエルの国土はダメージを受けて、穀物は育たず、水は不足し、厳しい飢饉が起こりました。
しばらくすると、エリヤが水の供給源としていたケリテ川も完全に涸れてしまいました。しかし、それでも神は忠実な方であり、川が涸れたまさにその日に、エリヤにこう言われたのです。「立ってザレパテへ行って、そこに住みなさい。私はそこにいる一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしているから。」
ザレパテはケリテ川から北へ160km以上離れた場所にあり、エリヤは危険な道のりを歩いてそこまで行かなければなりませんでした。岩だらけの丘陵や荒れ地や急な山道を、何日もかけてくたくたになりながら進み、現在のレバノンの海沿いにあった町ザレパテに、ついに到着しました。暑い中、疲れ果て、ほこりまみれになったエリヤは、町の門のそばでたき木を拾い集める女性を見つけたので、懸命に声をかけました。「水を飲ませてください。少し水を持ってきてもらえませんか。」
彼女が疲れ切った旅人を気の毒に思い、水を持ってこようとすると、エリヤは彼女を呼んで、「何か食べるものもお願いします」と言いました。
彼女はエリヤに向き直り、声を上げました。「主は生きておられます。私にはパンが一つもありません。ただ、壺の中に一握りの小麦粉と、瓶にほんの少しの油があるだけです。私は今ここでたき木を二、三本拾い、うちへ帰って、私と息子のために最後の食事を作ろうとしているところでした。それを食べてしまえば、あとは死ぬばかりです。」
エリヤは、この女性こそ、彼を世話すると神が約束されていたやもめだと気づき、大胆にもこう言いました。「心配は要りません。家に戻って、あなたが言ったとおりにしなさい。ただ、最初にそれで私のために小さいパンを一つ作って持ってきてください。その後で、あなたと息子さんのために作ればいい。」 そして、こう預言しました。「なぜなら、イスラエルの神、主が、こう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、壺の小麦粉は尽きず、瓶の油はなくならない。』」
そんな途方も無いことを言われて、この女性は激しく困惑し、こう思ったに違いありません。〈さっき言ったばかりよね。私はとても貧しくて、集めたたき木で息子と自分のためにわずかばかりの最後の食事を作り、その後は飢え死にするだろうって。それなのに、まず自分のためにパンを焼いてくれと言ってくるなんて。〉
しかしエリヤが主の名によって語っていたので、これは神の人であると気づき、彼を信じることにしたのです。彼女は急いで家に戻り、壺の底に残された、ほんのわずかな小麦粉をかき集め、最後の数滴が出てくるまで、油の瓶を傾けました。それでパンを作ると、それをエリヤに持っていきました。
それから彼女はどうしたでしょうか。後片付けをし、空っぽになったはずの油の瓶を元に戻そうとすると、つい先ほどよりも重くなっていることに気づきます。ちょっと傾けただけで、新しい油が流れ出てくるのを見て、彼女は自分の目を疑いました。油がいっぱいに入っているではありませんか。
瓶を下ろし、小麦粉を入れる壺に走り寄り、ふたを開けると、驚きで声が出ました。ほんの数分前、壺は空っぽだったのに、今は挽きたての小麦粉がいっぱいに入っています。奇跡が起きたのです。こんなにも素晴らしい神の祝福の現れを見て、彼女の心は神への感謝であふれました。
その後も、エリヤが預言したとおり、干ばつと飢饉が起きている間、壺の小麦粉は尽きず、瓶の油はなくなりませんでした。自分が与えることのできるものを与えた彼女に、神はまったく予期していないほどのものを与え返されたのです。
これが神の働かれ方であり、けっして、私たちが神以上に与えるようにはさせません。常に、私たちが神に与えるよりもはるかに多くを与えてくださいます。私たちが与えれば与えるほど、神はさらに豊かに与え返してくださるのです。
ほとんどの人はこう考えることでしょう。「お金が余ったら、金持ちになったら、他の人に寄贈したり、困っている人を助けたり、神の仕事を支援したりしよう。」 でも、神はこう言われます。「今あるものを与え始め、私がより多くを与え返すと信じなさい。」
―――――
1. 列王記上17章を元にしています。