1 minute read
823:知ってほしいマルタの一面
from 823:知ってほしいマルタの一面
知ってほしいマルタの一面
Martha Gets a Makeover
Advertisement
オリビア・バウアー
人から不当にレッテルを貼られているように感じたことはありますか。本当のあなたを知りもせず、理解もしていない人から、あなたについて「知っている」と思いこんでいること(実は、噂で耳にしたに過ぎないこと)にもとづいて話をされたことだって、あるかもしれません。もしかしたら、その人とはそれまで会ったことも話したこともないという場合もあるでしょう。
私は時々、人はルカ10章にあるイエスとのやり取りをもとに、マリヤの姉マルタのことを、否定的に決めつけがちだと感じます。
◆ ◆
イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、
イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください。」
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。」*1
◆ ◆
この話の中でマリヤが取った行動から、大切なことが学べます。「最も良いもの」と、ただ「良いもの」とを見分けるのは、非常に難しいことだし、その最も良いものに手を伸ばして、ただの良いものを手放すという決断も難しいものです。だから、「マリヤのようになる」というのは立派な目標と言えるでしょう。
しかし、マルタについての別の話がヨハネ11章にあり、そこには、彼女の長所が描かれています。
この章には、マリヤとマルタの兄弟ラザロが登場します。イエスは明らかにこの三人と親しい仲だったようで、ラザロが病に倒れた時、姉妹はラザロの病状が悪化する前に、イエスが来てラザロを癒やしてくださればと願って、使いを送りました。
ところが、反対のことが起こったのです。イエスはおられた所にとどまり、ラザロは死にました。それからようやく、イエスはラザロの町ベタニヤに向かわれたのです。
ラザロの死について、イエスは弟子たちにこう言われました。「ラザロは死んだのだ。そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。」*2
イエスがベタニヤに着くと、出迎えに来たマルタが言いました。
◆ ◆
「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています。」
イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう。」
マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています。」
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか。」
マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております。」*3
◆ ◆
この発言から、マルタがとても強い信仰を持った人であることが分かります。兄弟を亡くして、ものすごい悲嘆を味わっていたに違いないし、なぜ最初にお願いした時にイエスが来てくださらなかったのかと当惑していたことでしょう。それに、イエスは「あなたの兄弟を、今日、よみがえらせよう」というような、はっきりした答えを与えておられないことも考慮に入れてください。「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」と言われたものの、それが何を意味するのか、彼女に説明されなかったのです。
そういった言葉の意味も知らされず、これからイエスが神にどんなお願いをするかも分からなかったのに、マルタはイエスが彼女らの益となるやり方で物事を行ってくださると信じ、こう言いました。「あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています。・・あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております。」
そして実際、ラザロは(四日間も死んでいたのに)よみがえり、墓から歩いて出てきたのです。この驚くべき奇跡によって、さらに多くの人がイエスを信じるようになりました。
この二つの別々の章には、じっくり考えてみるべき点が多くあります。しかし、特にマリヤとマルタの違いに関して言えば、私は次のように思います。
誰にでも長所があり、また短所があります。誰にでも、自分の好きなところや誇りに思うところがあるし、これが自分だからと割り切っているところもあります。そして、自分でも嫌なところや、頑張って変えようとしているところもあります。しかし誰も、一度のヘマで判断されたくはないし、ちょっとした弱点や一時の失敗をもとに、永遠のレッテルを貼られたくはありません。そんなのは不公平ですから。
マルタのことを、ただ「最も良いものを選ばず、接待のことで忙しくしていた姉」として記憶するのではなく、彼女のまったく別の一面を捉え、ものすごい喪失感の中にあってもイエスを信じて疑わなかった女性として覚えておきましょう。
私は、マリヤとマルタの長所をあわせ持つことができたら良いなと思います。働き者で勤勉、信じて疑わず、自分の信仰を強めるよう努め、確信を貫き、かつ、全力を尽くして「無くてならぬ一つだけのもの」を選び、長い目で見て真に大切なことをするという決断を下せるような人になりたいものです。
―――――
PDFの本文中、文字の赤い部分は、聖書の次の箇所からの引用です。
1. ルカ 10:38-42
2. ヨハネ 11:14-15
3. ヨハネ 11:21-27