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834:教えてください

教えてください

Teach Me

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マリー・アルベロ

今日、とても大切なことを知りました。一瞬ですが、娘の心の中を垣間見ることができたのです。娘は、私に見られていると気づいておらず、普段はあまり見せないような一面を見せていました。いつも私の前で見せるよりも激しい怒り方をしており、きっと娘なら自分が経験したことをこう捉えるだろう、と私が考えていたのとは違う解釈の仕方で捉えているのが分かりました。

おそらく娘は、これまでに何度も同じことを私に言おうとしてきたけれど、私が耳を傾けなかったのでしょう。私は頑として、私が見たいように娘を見、私の理解と期待というフィルターを通して、娘の言うことを聞いていたのです。でも実際には、私が娘について知らないことや理解していないことがたくさんあるのだと分かりました。

自分が何かを知らなかったと気付く時に、心地悪く感じるのは、なぜなのでしょう。なぜ、そのことを知っているべきだったと考えるのでしょうか。詩篇には、神が「渇いた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良いもので満たされる」と書かれています。*1 真理や神からの良いものに飢え渇き、それを心から望む人たちは、神の真理の言葉を受け取り、自分の周りの世界を変える力を与えられました。

これは霊的なことだけではなく、人間関係や知識の面でも、言えることです。もし、自分はすでに知っていると思うなら、実際のことを見落とすかもしれません。自分のペースを落として、じっくりと観察し、先入観を捨てようとしない限り、見慣れたものだけを見、聞き慣れたものだけを聞くことになってしまいます。

箴言には、こう書かれています。「知恵を得ることは、あなたにできるもっとも賢いことだ。他に何をするにせよ、分別を養え。」*2 物事を成し遂げて、成功を収め、財産を得られたとしても、人生ではるかにもっと大切なのは、知恵と分別を得ることです。

もし自分はすでにすべてを見ており、すべてを知っていると考えているなら、娘のことを真に理解するといった、大切なことができなくなってしまいます。私は長い間、「自分は知らない」という感覚を恐れてきました。自分の知らない所へ飛び込むよりも、馴染みのある浅瀬にいることを好んだのです。でも、今は分かりました。自分が知らないということは、学びのチャンスであるので、私はこう言うべきなのだと。「さあ、お願いします。教えてください!」

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(聖書の言葉は、英語ニューリビング訳からのものです。)

1. 詩篇107:9

2. 箴言4:7

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