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838:ディナラ登山

ディナラ登山

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Climbing Mount Dinara

イレナ・ジャビコバ

私たち夫婦は、クロアチアにあるボランティアセンターを円滑に回すため、数多くのプロジェクトや活動をしながら、長く忙しい夏を過ごしてきました。のんびりと休暇を過ごすのを楽しみにしており、まだ暖かかったので、ビーチでしばらく過ごしてから、山歩きをすることにしました。

ディナラ山という、クロアチアの最高峰に登りたかったので、その日に備えて、地図や資料、また現地の人たちからの情報など、役立ちそうなものは何でもかき集めました。何が起ころうとしているかも知らずに。

山歩きの前日、夫のパオロは空のペットボトルを拾い上げようとかがんだ拍子に、背中が変な具合にひきつるのを感じました。その時はあまり気に留めなかったようですが、数時間後、背中が痛くてほとんど動けなくなったのです。それからの数日間は、ディナラ登山をあきらめて、治療に専念しなくてはいけないことが、火を見るより明らかでした。

そんな中、パオロは私を見て、こう言いました。「僕たちはディナラ山に登るつもりだったけど、今は違う種類の山に登っているね。この山を登るのは大変だけど、必ず頂上にたどり着けるさ。足を前に動かし続けている限り、やがて頂上が見え、そこに到達できるんだって、自分たちに言い聞かせなければいけないね。」

それからの数日間は大変でした。救急車を呼び、抗炎症薬を打ってもらい、帰宅手段を思案するなどして、慌ただしく過ごしていたのですが、その間も、私たちはこの登山のたとえを思い出していました。それは困難な時期で、驚かされることばかりだったけれど、神はいつものように、私たちが切り抜けるのを助けてくださったのです。神は絶えず共にいてくださり、その導きは、いつもどおりに非の打ち所のないものでした。

「あまり楽しい休暇ではなかったでしょう」と思うかもしれません。でも、ある意味では、予定通りだったのです。私たちは、泳いだり、山に登ったりするつもりで出かけていき、実際にそうしたのですから。ただ、自分たちが思っていたのとは違う種類の山を登ることになりましたが、神の助けによって、頂上にたどり着くことができました。

誰でも生きていれば、いつかどこかで、山に真正面から向き合わなければならないことがあります。その山とは、それまで抱えてきたものよりもさらにずっと深刻で、長期にわたる健康問題かもしれません。あるいは、人間関係かもしれないし、仕事上や金銭的な問題ということもあるでしょう。また、孤独に感じ、気分がひどく落ち込むこともあるかもしれません。

どのような山であれ、登り始めの時は、それがどれだけ高く、頂上までどれだけの時間がかかるのか、分からない時もあるということを、覚えていましょう。それでも、神に手を預けて登山を導いていただくなら、神は必ず、あなたを目的地にたどり着かせてくだいます。

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