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846:神様からのアドバイスを無駄にしないために

神様からのアドバイスを無駄にしないために

私たちは問題にぶち当たると、神様に祈って助けを求めます。すると神様は、様々な方法でその祈りに答えてくださいます。ある時には何も言わずに状況を変えてくださるし、病気や怪我のために祈った時には、少しずつ体を癒してくださったり、良い治療が受けられるようにしてくださったりと。

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でも、ただ祈りを叶える代わりに、解決のためのアドバイスをくださることもあります。直接心に語りかけてくださったり、誰かや何かを通して助けになるメッセージを送ってくださったりするのです。例えば、聖書やその他の本で読んだ言葉を心に響かせてくださったり、誰かとの会話からヒントを得るのを助けてくださったり、という具合に。

私は、何かの問題に直面したときや、大切な決断を下さなくてはならないとき、または心にのしかかっている悩み事があるときには、聖書を読んだり祈ったりするだけではなく、静まってイエス様とコミュニケーションをするようにします。そういう時間をとると、主はその状況にぴったりの具体的な答えや導きを与えてくださり、心の中のモヤモヤがすうっと消えていくのです。

私は、そういう時に受け取った主からの言葉を失いたくないので、それをパソコンに記録します。たいていは、まず記録する準備をし、それから、受け取りながらタイプするのです。最初に受け取った一行の言葉をタイプすると、不思議な感じで次の一行が与えられます。それはまるで、神様が一口ずつスプーンで言葉を食べさせてくださるような感じで、最初の一口を飲み込むと、次の一口がもらえるのです。

主から受け取る言葉を記録するようになって、もう20年以上になります。毎回、その時自分が悩んでいることと、主に尋ねたい質問を、短い祈りの言葉にして記録し、その後に主がくださる答えや導きを記録します。だからそれは、私と主との対話の記録であり、心の日記のようなものです。

後で読み返すと、そこにある主からの言葉は、何度読んでも心が養われます。なぜなら、それはまさに自分が必要としていたものであり、私にとって数々の宝石のように貴重だからです。もちろん、個人的に主から受け取った言葉は、私のためのものであって、私にとっては宝物ですが、それを他の人に当てはめたり、押し付けたりすることがないよう気をつけなければなりませんが。

さて、今年のはじめ、いつものように主から聞く時間を過ごしていると、主は私が、何度も同じような悩みについて同じような質問を投げかけていることに気づかせてくださいました。それで、どうしてそうなってしまうのか、そうならないためにはどうしたらいいのかを尋ねてみると、主は、私がそれまでに受け取ったアドバイスをあまり実行に移していないからだ、と諭してくださいました。

言われてみれば、確かにそうなのです。私はいつも、答えを受け取った時には、「わー、ピッタリのアドバイス! イエス様、本当にありがとう!」と思うのですが、すぐにそのことを忘れてしまい、同じような毎日を送ることが多かったのです。

そんな自分を変えたいと思い、変えるための工夫をしました。まず、主から受け取った言葉を、数日後にもう一度読み直して、大切だと思うところにマーカーを入れることにしました。これをすることで、受け取ったメッセージをもっと深く理解し、また覚えていることができるようになりました。

でも、やはり時がたつと忘れてしまうし、たとえ覚えていても、ほとんどは実践が伴っていませんでした。それでは、同じような問題に直面するのも当然です。主からのアドバイスを、生活の中で活かしてないのですから。せっかくイエス様が、私個人の状況に合わせて語ってくださっても、私がそれについて何もしないなら、イエス様だってがっかりするに違いないと思い、私はアドバイスを受け取った後に、実践計画を立てることにしました。

具体的には、受け取ったものを読み返して、メッセージの要点と、それに応えて自分が何をするつもりかを、手帳に書きこんでいくことにしたのです。つまり、主との対話の要点と実践計画のノートを作ったのです。各実践計画のページの裏には、実際に行ったことと、その結果を記録できるようにしてあります。このノートをつけ始めてから、私の人生は少しずつ変わっていきました。主からのアドバイスに従って行動に出ると、物事や状況は良くなっていくし、自分の心も、少しずつですが成長しているように感じます。

もし自分が、心をこめて誰かに励ましの言葉をかけたりアドバイスをしても、その人が全然それを大切に思わず、まるで聞かなかったかのように生活しているのを見るなら、やはりがっかりするし、忍耐がなくなってきてしまいます。でも自分も、神様に対して、どれほど同じようなことをしてきたかを考えると、本当に反省させられます。これからは、神様からのアドバイスを、いっぺんに実行できなくても、一つずつ実践して人生を変えていきたいと思っています。

皆さんも、悩んでいることや、神様に尋ねたいことがあるならば、静まって主から聞く時間をとってみてはどうでしょうか。また、自分の誕生日や新しい年の始まりのような節目の時に、神様からの言葉を受け取るのもいいものです。

聖書には、私たちが必要とする答えの基本的なこと、土台となることが書かれていますが、個々の状況について具体的な導きがほしい時には、主から直接聞くこともできるのです。ただ、神から何かを示されたと感じたなら、それが聖書に適っているかどうかを確かめるのはとても大切なので、そのことについて聖書にはどう書いてあるか調べてみるといいでしょう。

神様は、特別な人にだけ語られるわけではありません。信じて求める者には、必ず語りかけてくださいます。語られる方法は、その時、その時によって異なるでしょうが、きっとあなたにぴったりの方法で語ってくださることでしょう。ですから、事あるごとに、ぜひ主と時間を過ごしてみてください。そして、神様からの答えやアドバイスを受け取ったなら、それを無駄にしないように生きていきましょう。

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主を尋ね求める者は・・・

わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。(エレミヤ書33章3節)

主を恐れる人はだれか。主はその選ぶべき道をその人に教えられる。(詩篇25篇12節)

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。(マタイによる福音書4章4節)

あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。(イザヤ書30章21節)

わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。(詩篇32篇8節)

助け主、すなわち、父がわたし(イエス)の名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。(ヨハネによる福音書14章26節)

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。(ヤコブの手紙1章5節)

イエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。(ルカによる福音書11章28節)

わが子よ、もしあなたがわたしの言葉を受け、わたしの戒めを、あなたの心におさめ、あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け、しかも、もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。

これは、主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである。彼は正しい人のために、確かな知恵をたくわえ、誠実に歩む者の盾となって、公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。

そのとき、あなたは、ついに正義と公正、公平とすべての良い道を悟る。これは知恵が、あなたの心にはいり、知識があなたの魂に楽しみとなるからである。(箴言2章1-10節)

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