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内に秘めた可能性

内に秘めた可能性

Got Potential?

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ピーター・アムステルダム

現実的に考えて、あなたはどんな者になり、どんなことを成し遂げられると思いますか。それは、「現実的」をどのように定義するかにもよります。私たちに何ができるかを誰よりもよく知っているのは神であり、多くの場合、神の「現実的」の定義は「潜在能力、内に秘めた可能性」です。

神は私たちの限界をご存じです。「主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられる」のです。*1 しかし同時に、私たちの心をご覧になり、どんな者になり得るかという観点から私たちを見てくださいます。

神が私たちに期待しているのは、できることをすることであって、完璧になることではありません。私たちが完璧になることは決してないとご存じなのです。賢明な人なら、完璧になろうとしたり、完璧なふりをしたりするのは愚かであると気づくことでしょう。私たちは自分の役目を果たさなければなりませんが、その役目とは完璧になることではありません。それが神のご計画の素晴らしいところです。

イエスを救い主として受け入れた時点から、主は私たちの内に住まわれます。そして、私たちが主なしでは弱くて不完全であることを覚えているなら、主の霊が私たちの中で、また私たちを通して、働かれるのです。「わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。」*2 主の力は、私たちの弱さの中でこそ完全に現れます。*3 神は、一見どうしようもない状況に入り込んだ、最もできそうにない不完全な人々を用いて並外れたわざをすることを、非常に好まれます。それによって、神には何ができるかを私たちに示すためです。私たちがどんなに素晴らしく強いかは、まったく関係ありません。それは、神とその恵みや力によるものなのです。

神には何でもできないことがありません。そして、以前どんなことがあったとしても、あるいは現在どんな弱さや欠点を抱えているとしても、私たちが変われることを神はご存じです。私たちの状況において、またそれを通して、神が働きかけてくださいます。私たちは、信仰の目を通して自分を見ることを学ばなければなりません。自分がどんな者になれるのか、神の力が自分をどのように変えられるのか、イエスが私たちの内にあってどんな存在になれるのか、という観点から自分を見ることを。

あなたが完璧でないからといって、それは大したことではありません。完璧な人などいるでしょうか。自分の中で、また自分を通して、神の霊に働いていただくなら、実を結ぶクリスチャンとなることができます。神の霊が、問題や不完全さという裂け目を埋めてくださるのです。神は驚くべきわざをなすために、私たちの完璧さなど必要とされません。

自分の短所や不完全さにばかり目を向けるのはやめましょう。むしろ「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるように」*4 するという役目を果たしながら、自分の潜在能力を存分に発揮できるよう神に頼ることで、神が働かれる余地を設けようではありませんか。

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1. 詩篇103:14

2. 2コリント4:7

3. 参照:2コリント12:9

4. マタイ5:16

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