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死の淵からの帰還
from 873:死の淵からの帰還
死の淵からの帰還
My Brush with Death
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ルース・デービッドソン
多くの人にとって、死とは口に出すのはおろか、考えたくもないことです。けれども、私たち誰もが、いつかはその門をくぐらなければなりません。「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」とあるように。*1
2013年のクリスマス・イブに、私の身にあることが降りかかりました。家族や友人と集まり、クリスマスのお祝いをして楽しんでいた時に、階段を上りかけた私は意識を失い、2~3段落ちてしまったのです。夫のリチャードと孫のマイケルが駆け寄ってきて、私を2階のベッドまで運んでくれました。
不思議だったのは、それまで活発に動き回り、元気ハツラツとしていたし、ヨガエクササイズにも通えていたほどだったことです。それなのに、突然こんなことがあって、人生がきりもみ状態に陥るとは予想もしていませんでした。最初は、どこが悪いのか分からなかったのですが、血液検査の結果、C型肝炎であることが判明しました。医師は、このウィルスに感染してから自覚症状が出るまでに、30年ほどかかることもあると説明してくれました。私たち夫婦はそれまで40年間宣教師として働いてきたのですが、最も可能性の高い感染原因として思い当たったのは、30年ほど前に足の手術をした際、合併症を起こして輸血を受けたことです。
私はそれから数ヶ月の間に3度、集中治療室へと運び込まれました。医師たちは私の命を救おうと、考えられるあらゆる検査をしましたが、見通しは非常に暗いものでした。そして、もはや希望がなさそうに思えた時、医師たちはついに、私が家族に囲まれて安らかに最期を迎えられるよう、家に連れ帰ることを夫に提案したのです。
夫はそのとおりにしましたが、私を諦めるつもりはまったくありませんでした。家族や世界中にいる友人たちと共に、私の癒しのため、連日連夜懸命に祈ってくれたのです。彼らの愛と気遣いと祈りが、私の回復の重要な要因であったことは間違いありません。神は今も御座におられ、祈りは物事を変えます。
私が死の門をくぐりかけたのは、これが初めてではありません。以前にも2度、遠くで何かが反響しているような音がする、幾分超現実的な次元に入りこんだことがあります。1度目は13歳で溺れかけた時、そして2度目は4日間昏睡状態に陥った時でした。いずれの場合も、まるで私を吸い込み、引っ張ろうとする、目には見えない何かがあるようで、そこに滑り落ち、沈み込んでいくような感覚がしたのです。なすすべもなく、もがくこともできないように感じ、力が抜けてきて、地上の人生が終わりを迎えようとしているに違いないと思いました。
そして、この3度目の体験は、始まりは突然でしたが、それからは以前よりもゆっくりと進みました。正直なところ、今度こそ本当に最後だ、これで自分の人生は終わるのだと思いました。弱気になって混乱しており、死ぬべき時を何とか先延ばししようと奮闘するだけの価値があるのだろうかと考えたのです。するとその時、使徒パウロの言葉が思い浮かびました。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。」*2
私は回復の希望をすべて失ったも同然だったので、たとえもっと時間が与えられたとしても、ただ生存しているだけの状態となるに違いないと思いました。完全に不自由な体という殻に閉じ込められた囚人となって、生涯どこへ行くにも車椅子を押してもらわないといけないほど、何でも人に頼らざるを得なくなるのだと。
私は、死ぬことは怖くなかったし、天国へ行けることを確信していたので、この世を去ることを受け入れる心の準備はできていました。その時再び、パウロの言葉が思い浮かびました。「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。」*3 私はパウロのように牢獄には入っていませんが、ほぼ何もできない体の中にとらわれ、閉じ込められており、他の人たちからの世話に完全に頼っていました。心の奥で、こう思っていたのです。「わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。」*4
私が死の招きに屈しかけていたちょうどその時、リチャードが身をかがめ、優しく私の耳に囁きました。「ハニー、愛してるよ。」 これまで何年にも渡り、夫の口から数え切れないほど聞いてきた言葉ですが、今回それは、暗闇を切り裂くまばゆい稲妻のようであり、明るく照らす愛のこもった希望の光のように思えました。この愛情深い言葉によって、私は一気に生き返りました。その瞬間、死のとげに打ち勝って克服するための力と勇気がよみがえり、元気がみなぎってきたのです。
今は、朝が来て日が昇るのを見た時、死を免れたことが現実であると確かめるために自分をつねるほどです。「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。」*5 毎日が贈り物であり、当たり前のものは何一つないのだと、常に自分に言い聞かせています。
この世を去るべき時が先に延ばされたことを、とても感謝しています。「主よ、わたしはとこしえにあなたのいつくしみを歌い、わたしの口をもってあなたのまことをよろずよに告げ知らせます。」*6 「わたしは生けるかぎりは主をほめたたえ、ながらえる間は、わが神をほめうたおう。」*7
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1. 創世記3:19
2. 2テモテ4:7
3. ピリピ1:21
4. ピリピ1:23
5. 哀歌3:22-23
6. 詩篇89:1
7. 詩篇146:2