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ナタリーの日曜学校
from 875:ナタリーの日曜学校
ナタリーの日曜学校
Natalie’s Sunday School
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リー・リアン
ナタリーと初めて会ったのは、何年か前に、彼女が経理として働いていた大きな建設会社でのことでした。彼女は同僚からアクティベーテッド誌を見せてもらい、自分もこの月刊誌を受け取りたいと私たちに言ってきたのです。日曜学校を運営しているとのことで、それがどのように始まったのかを話してくれました。
私たちと会う何年も前、ナタリーは神との関係についてかなり悩んでいたそうです。優しい夫、いい仕事、素敵な家、たくさんの友だちなど、多くの面で神が祝福してくださっているのは分かっていました。でもその一方、どれだけ懸命に祈っても、この世で一番望んでいるものが得られそうになかったのです。
結婚してから7年以上、夫婦共に、子どもができることを望んでいましたが、ありとあらゆる治療法を試してみても、うまく行きませんでした。その上、医師たちの話では、なぜ二人に子どもができないのか論理的な説明が見当たらないとのことで、彼女はどうすればいいのかますます分からなくなりました。
毎日仕事を終え、静まりかえった家に帰宅するたびに(夫は仕事の関係でいつも遅いのです)、何かが欠けている気がしてなりませんでした。ナタリーは、自分の知っているすべての祈りのグループに祈りを求めました。また、養子を迎えることを夫と相談しましたが、どのあっせん機関に頼むべきか、またいつすべきかを、決めかねていました。
ある朝、仕事に出かける支度をするため、ドレッサーの前に立ったナタリーは、その日のために祈り始めました。職場で大変なことがあってストレスを感じており、それが高じて将来のことが心配になってきたのです。そして、自分たちは正しい道を選んだのか、また彼らの決断の結果どんなことが起こるのか、不安でなりませんでした。
そんな動揺のさなかに、彼女の心に静かに語りかける神の声が聞こえました。神は、自分の問題を脇において、他の人を助けることに注意を向ける気はあるかと尋ねられたのです。
ナタリーはその言葉について考えながら、二階の窓のカーテンを開けて、外を眺めました。さほど遠くない所に、ブリキ板とダンボールでできた間に合せの小屋が乱雑に並んでいるのが見えました。ボロボロの服を着た10人ほどの子どもたちが、走り回って手作りのサッカーボールを蹴ったり、地面に座って話をしたり、捨てられた空のペットボトルで遊んだりしていました。靴を履いた子は一人もいません。ほとんどの子はしばらく学校に行けていないだろうし、あまり、あるいはまったく、読み書きができないであろうことを、ナタリーは知っていました。
そこで、あるアイデアが浮かびました。その日、ナタリーは仕事から戻ると、服を着替えて、子どもたちのいる所まで歩いていき、みんなを呼んで、一緒にゲームをしようと誘ったのです。その次の日曜、今度は黒板を持っていき、それに絵を書きながら聖書の物語を話してあげました。それから毎週日曜の午後に、新しいゲームや遊びや物語を教えるようになったのです。また、読み書きや歌を教えたり、衛生の基本原則を説明したり、時には食べ物や服など、子どもたちが必要としているものをあげたりもしました。
このシンプルな日曜学校を何ヶ月か続けた頃、ナタリーはいきなり気分が悪くなり、吐き気を催しました。果たして、妊娠していたのです。吐き気はいずれおさまり、日曜学校は妊娠中も続いて、ついにナタリーに男の子が生まれました。夫婦共に大喜びです。
その子は成長して、今では日曜学校を助けてくれており、教材を準備したり、計画を助けたり、ゲームを一緒にしたりしているそうです。ナタリーは年次集会でステージに上り、それまでの話をして、そこにいた母親たちに、地域の子どもたちと積極的に関わるよう励ましました。
人生において、心の願いがかなうまでにかなり長い時間待たなければいけないことがあります。神は時に、私たちをご自身に近く引き寄せるため、物事が遅れるのを許されるのです。しかし、私たちが神と神への奉仕を第一に置いているなら、神が最善と知っておられる時と方法によって、私たちの人生に御心を成してくださると信じることができます。
(リー・リアンは、CompTIA認定資格を持つ技術者であり、アフリカの人道支援組織でオフィス及びシステム管理の仕事をしています。)
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夢の世界に住む人もいれば、現実に目を向ける人もいる。そして、夢を現実に変える人もいる。― ダグラス・ヒュー・エベレット(1916-2002)