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勇んで通り過ぎ、過去のものとする!

勇んで通り過ぎ、過去のものとする!

「これだけはしたくないなあ・・・」とか、「あそこに行かずにすめばいいのに・・・」というように、できれば避けて通りたいという場面が、誰の人生にもあるものです。学校でも会社でも、出たくないけれども参加しないといけない行事があることでしょう。

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私もそういう状況に直面していました。いつかはしなければならないけれど、どうも気が進まず、ずっと心の中で逃げていたのです。そのことを考えるたびに、心にモヤモヤした雲が広がり、気分がスッキリしません。

そこである日、そのことについて神様に助けを求めることにしました。どうにか回避できますようにとお願いしたのではなく、自分のそんな心の状態を素直に告白して、私の心を助けてくださいと求めたのです。

すると主は、小学生の時に通っていた通学路のことを思い出させ、ぴったりのアドバイスをくださいました。私は田舎に住んでいたので、通学路は畑や田んぼが広がる中の道でした。田舎は好きでしたが、問題は、あまり人気のない通学路の途中で、墓地の横を通らなければならないことでした。

今の時代と違って、集団下校やお迎えがあるわけではないので、一緒に帰る友だちがいない時には、一人で下校していました。墓地を回避する道もありましたが、だいぶ遠回りになるので、墓地に近づくと、ちょっと小走りで通り過ぎたのを覚えています。子どもたちの間では、面白がって怖い話をするのが流行っていて、そんな話を聞いた後に一人で墓地の横を通るのは本当に嫌でした。

さて、主はその場面を思い出させてから、こう語られました。

「さあ、恐れに直面し、そこを通過してしまいなさい。これはまるで、小さな子どもが墓地を怖がって、その横を通りたがらず、いつまでも前に進めないでいるようなものだ。

墓に入るわけではないし、そこで何かの戦いがあるわけでもない。あなたはただそこを通るだけなのだから、墓地の手前で立ち往生したりせず、勇気をもって前進し続けない。

人生とはそういうものだ。通りたくない場所もある。見たくない景色もある。しかし、そこを通過してしまえば、忘れることができる。いつまでも、そこのことを覚えておく必要もないのだ。

手前で立ち往生している時間は、悲しく苦しい時間だ。しかし、勇んでそこを通り過ぎてしまえば、それは終了する。人生とはそういうものなんだ。だから、嫌がらないで通り過ぎなさい。そうやって、それを早く過去のものとしなさい。」

この言葉に、私は目が覚めたような感覚を覚えました。そして急に、恐れを直視する勇気が湧いてきたのです。小学生の頃はまだイエス様のことを知らなかったので、怖いものがたくさんありました。でも今は、救い主であり、良き羊飼いであるイエス様のことをよく知っているので、昔のように怖がる必要はありません。どんな状況でも、主が共にいて助け導いてくださるということを思い出した私の心には、平安と勇気が流れこんできました。

さらに主は私に、その状況に果敢に取り組み、自分のすべきことをしたい、という思いを与えてくださったのです。それは、嫌なことを素早く通過すべく、ただ急いで終わらせてしまおう、といった気持ちではなく、むしろ、「よし、そこに行ってこれをしよう」という決意の瞬間でした。その時から、私の心にあった重たい黒雲は消え去り、憂鬱な気持ちもなくなりました。

実際その日が来ると、私が恐れていたことや懸念していたことは何一つ起こらず、それどころか、その日の行動を通して、私は自分の心の中でけじめをつけることができたのです。たとえ気が進まなくても、勇気をもって主が示された道を行くなら、主はその状況を整え、すべてをプラスに変えてくださると実感した日でした。

それにしても、主の語られたことは、その時の私の心の状態をよく表していました。私は通りたくない場所の前で立ち往生していたのです。勇気をもってそこを通り過ぎないなら、いつまでも嫌な場面の前に留まることになり、それは苦悩を長引かせるだけだと気づけたのは、私にとって大きな収穫でした。

私たちは直面したくないことや嫌なことがあると、つい「逃げの選択」をし、目を背けたままやり過ごそうとします。でも、そんな選択をし続けていると、後悔する結果になることがあります。たとえば、歯医者に行くのを嫌がって虫歯を悪化させ、抜歯が必要になるとか、検査を嫌って病気が進んでしまうなど、よく耳にする話です。

また、人間関係でも、苦手な人に対して、会うことやコミュニケーションすることを避けていると、だんだん誤解や溝が大きくなる場合もあります。仕事や日常生活でも、好きではない仕事を手付かずのまま放っておく内に、しなければならないことが山積みになってしまうこともあります。

実は私も小さい頃から、嫌なことがあるとすぐに逃げ腰になり、愚かな行動を取ったことがありました。たとえば、学校の体育の時間です。運動が苦手で、走るとすぐに転んでしまった私は、体育のある日は学校に行くのが嫌で、仮病を使ったり、わざと遅刻したりして、体育の授業を避けたこともありました。

大人になってからも、逃げたくなる気持ちは生活のいろいろな場面で出てきます。参加したくないけれど、立場上、行かなければならない会議や集まりもありますし、顔を合わせたくないけれど、仕事上どうしても一緒になる人もいることでしょう。

でも今回の経験から、しゃがみこんで逃げ道を考えるより、積極的に向き合って、そこを通過した方がずっといい、ということがよく分かりました。勇んで通り過ぎるなら、それを過去のものとすることができるのですから。

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勇気をもって乗り越えて行く

人生にとっていちばんマイナスなのは、無意味な恐怖心です。そして、恐怖心をなくす最良の方法は、行動です。行動は恐怖を治療し、自信を植えつけてくれます。-- ジョセフ・マーフィー(宗教家、著述家)

私は学んだ。勇気とは恐怖心の欠落ではなく、それに打ち勝つところにあるのだと。勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ。-- ネルソン・マンデラ(政治家、弁護士)

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもってあなたを支える。-- 聖書 イザヤ41:10

勇気とは、恐怖を感じないことではない。恐怖を感じながらも、行動できることである。-- M・スコット・ペック(精神科医)

恐れている事をやってみなさい。そうすれば恐怖心は、あとかたもなく消えていきます。-- ラルフ・ワルド・エマーソン(思想家、哲学者、作家)

勇気は筋肉と同じで、使うことによって鍛えられます。-- ルース・ゴードン(女優)

どんな困難に直面しても「ここから始まるのだ」と捉え直すことができれば、私達は必ず前進できます。-- 日野原重明(医師)

あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。-- 聖書 ヨシュア1:9

主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない。-- 聖書 申命記31:8

勇気を出せ。わたしはあなたがたと共にいる。-- 聖書 ハガイ2:4

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