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神が望んでおられるような人になる

神が望んでおられるような人になる

Becoming the Person God Wants You to Be

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イレナ・ジャビコバ

イエスが地上に来られたのは、私たちの罪の身代わりとなって死ぬためだけではなく、神がどのような方であるかをその生き様によって示すためでもありました。したがって、私たちがキリストを模範とし、もっとキリストのようになろうと努めることは、非常に理にかなっていることです。

しかし、自分を変えるのは簡単なことではありません。かつて私は、自分の生活の中で、変える必要があると感じた部分を改善する方法を教えている自己啓発本を色々と勉強したことがあります。何をどうすればいいのか、良い助言がいくつか見つかりました。でも、そのやり方が頼りとしているのは、なかなか当てにならない意志力と自制力だということに、すぐに気がつきました。

本で読んだか、神がある方向に導いておられると感じたかで、自分の何かを変えようとしたけれど、情けないほど失敗し、心がボロボロになったという経験は、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。私もそうで、最後には落胆してしまい、いつまでたっても自分は変われないと感じました。

自分の行動や考え方のある側面を変える必要があると気づき、何度も頑張ってトライしても、その度に失敗することがあります。しかし、イエスに私の内に働いていただくための余地を作る時には、自分の力だけで疲れ切るまで努力しなくても、何らかの進歩を見ることができます。イエスに働いていただくための余地を私がどのように作るかというと、それは、いたって簡単なことです。ただ、より多くの時間をイエスと過ごすのです。イエスに語りかけ、イエスの答えを聞くために、より多くの時間を過ごします。この世の雑音や雑事、また日常の苦労を意識から消して、イエスを賛美し、その臨在の内にとどまり、その言葉について瞑想することに、より多くの時間をかけるのです。

そのような時間を過ごす時には、文字通りその効果を感じるし、その前とは違う自分になります。悲しみではなく喜び、悩みではなく平安、心配ではなく信頼、ねたみではなく愛、恨みではなく赦し、自分本位ではなく寛大な気持ちで満たされるのです。自分の力でやろうとすれば、試みては失敗ということが多いのですが、イエスと時間を過ごす時には、その御霊と御言葉が私の内に働いて、私の考え方や行動を変えていきます。

主の臨在の内にとどまり、御言葉について学ぶことが、よりイエスのようになる鍵であり、イエスが望んでおられるような人になる鍵であるということを、私は見出してきました。

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わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。―イエス(ヨハネ15:5)

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