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世界は奇跡で満ちている!

世界は奇跡で満ちている!

ある日、毎日がお決まりのことの繰り返しで、なんかつまらないなぁと思いながら道を歩いていました。外出自粛が続く中、お出かけといえば、夕飯の買い物に近所のスーパーに行くぐらいです。目に入ってくるのは見慣れた住宅地の風景だけで、気分もパっとしません。

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そんな時、急に普段耳にしない鳥のさえずりが聞こえてきたので、どこにいるのかと上を見上げました。鳥は見つからず、声もすぐに聞こえなくなってしまいましたが、見上げた先には、白い雲の浮かぶ素敵な青空が広がっていました。普段歩く時は、左右と前方を見るだけで、じっくり空を眺めるなんてしませんが、その日はちょっと足を止めて、しばらくの間、ゆっくり動いていく雲を眺めていました。

すると、新しい歌が心に湧いてきたのです。オリジナルの歌を作るなんて、学生の時以来です。でも、次から次へと言葉とメロディが湧いてきたので、その日から、近所を歩くたびに歌の続きを作り、とうとう一曲の賛美の歌ができあがりました。

それは、神様が造ってくれたこの地球と、そこに暮らしている自分の人生を感謝する歌でした。つまらない気分で歩いていた時に生まれた、奇跡の歌です。あの時の鳥は、「もっと上を見上げて!」と気づかせてくれた天からの使いだったのかもしれません。

そうやって感謝の歌を作って改めて感じたのは、この地球が如何に奇跡に満ちているかということでした。私たちの住む地球が、今のような環境であり、そこに人間が暮らせること自体、ものすごい奇跡です。

もしほんの少しでも地球の地軸の傾きが違っていたり、地球の回転のスピードが異なっていたり、太陽やその他の惑星との距離が違っていたりするならば、この地球は人間が住める環境にはならないそうです。どう考えても、地球は奇跡の惑星であり、それはまるで、人間やその他の生物が住めるようにと、最初から綿密に設計されていたかのように精巧にできていると、多くの科学者も語っています。

聖書には、神様が6日間かけて地球とその周りの環境を造っていかれたことが記されていますが、その天地創造の一番最後に造られたのが人間でした。きっと神様は、まず人間が暮らすのに適した環境を整えてから、人間を地球に置いてくださったのでしょう。そう考えると、まさに地球は、人間が生活するために神様が造ってくださった家なのだとわかります。

ところで、家が自然にひとりでに建つ、なんて考える人はいませんよね。もしそうなら、地球が自然にひとりでにできあがったと考えることにも無理があるのではないでしょうか。むしろ、神様が地球を造られたと考える方が納得がいきます。聖書にもこんな言葉があります。

「家はすべて、だれかによって造られるものであるが、すべてのものを造られたかたは、神である。」-- 聖書 ヘブル3章4節

地球には、あらゆる命が満ち溢れています。生命自体、最大の奇跡です。赤ちゃんが生まれてくる時、その奇跡に感動しない人はいないことでしょう。また自然界を見渡せば、創造の奇跡がそこにも溢れています。動植物の生態についても、それが単に自然な形による進化では説明できない不思議なことばかりで、そこには、一つ一つの生き物に対する神様の愛と目的が隠されています。

すべての生きものが奇跡です。また、この世界で暮らす私たちの人生も、人との出会いも、すべてが奇跡なのです。私たちは人生でいろいろな人と出会いますが、もしその人と出会っていなかったら自分の人生はどうなっていただろうと考えてみたことはあるでしょうか。人生の出会いにも、神様の計画があるに違いありません。

そんなふうに、私たちは毎日、神様からの奇跡によって祝福され、守られ、世話されています。でも、ついついすべてが当たり前で普通のことのように思えてしまい、それがどれほどの奇跡であるかを忘れてしまうのです。これからは、「何も面白いことがない・・・」なんてつぶやいてないで、自分の周りを取りまいている神様からの奇跡に感謝して、ワクワクする人生を送りたいと思いました。

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「この世界全体が奇跡の連続であるのに、私たちはそれに慣れきってしまい、"普通のこと"と呼んでいる。」(ハンス・クリスチャン・アンデルセン、童話作家)

「人生には二通りの生き方しかない。ひとつは、奇跡など起こらないかのように生きること。もうひとつは、あらゆるものが奇跡であるかのように生きること。」(アルベルト・アインシュタイン、物理学者)

「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。」(聖書 ローマ1章20節)

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