1 minute read
ナイアガラの持ち主の息子?
from 901:ナイアガラの持ち主の息子?
「ナイアガラの持ち主の息子」?
ある時アメリカの新聞に、「ナイアガラの持ち主の息子きたる」という見出しで、教会の集会の広告が出されました。その日が来ると、教会にはあふれんばかりの人が押し寄せたといいます。いったいどんな集会だったのでしょうか。
Advertisement
特別ゲストとして登壇したのは、30代半ばの日本人男性、木村清松。ある出会いがきっかけで招かれてきたのです。
それにしても、日本人が「ナイアガラの持ち主の息子」とは、いったいどういうことでしょう。まず、清松がどんな人物なのかを追ってみましょう。
清松は、1874年(明治7年)、新潟県の醸造業者の家に生まれました。高等小学校を卒業すると、新潟県初のキリスト教主義の男子学校、北越学館に入学します。そこでキリストの愛の素晴らしさを知り、新潟の教会で洗礼を受けました。
20歳になるとアメリカに渡って、ジャパニーズミッションという寄宿舎や太平洋神学校、またムーディー聖書学院で聖書を学び、伝道者となる備えをしました。その後帰国し、1905年からは、中国(満州)をはじめ世界の様々な場所を巡って神の愛を宣べ伝えました。
1908年、ニューヨーク州にある教会に招かれ、説教のために渡米したときのことです。清松がナイアガラの滝を見に行くと、あるアメリカ人からこう言われました。
「どうだい、こんな大きな滝は日本にはないだろう!」
それに対して清松は、こう答えました。
「なあに、この滝は、私の父が造ったんですよ。」
アメリカ人は驚きました。
「お前さんは、インディアンなのかい?」
昔この一帯を領分にしていたインディアンの子孫だから、そんなことを言うのかと思ったのです。
「いえ、私の父は天地を造られた神様です。私はクリスチャンになって、神の子どもとされたので、この滝は父のものだと言ったんですよ。」
この返答に感銘を受けたアメリカ人は、清松が牧師であると知り、自分の教会に来て話をしてほしいと依頼したのでした。新聞の広告は、先の会話がきっかけとなって書かれたのですが、その見出しが話題となり、清松はその後、アメリカ各地で講演することとなりました。
私はこの話を聞いて、最初はただ興味深いなと思っただけでしたが、詳しく調べる内に、清松がもっていた神に対する親しみや確信にふれ、自分の心を探らされました。そして、普段自分はどんな気持ちで自然界を見ているだろうと考えたのです。
私も、すべてのものを造られたのは神様だと確信していますし、神様が自分の魂のお父さんであることも知っています。自然の美しさを見れば、「ああ、神様の創造物はなんと素晴らしいのだろう」と感じます。でも、清松のように、「これを造ったのは私のお父さんだ」と意識してはいませんでした。
実の父親が有名な建物を建築したとしましょう。そうしたらきっと、私はその建物を眺めるたびに、これは自分の父が建造したのだと誇りに思うことでしょう。同じように、神様が造られたものを見る時にも、ただ創造主としての神様を想うのではなく、これを造ったのは「私のお父さん」なんだと自然に思えるような信仰を持ちたいと思いました。
キリストを信じる者たちは、単なる「信者」ではなく「神の子」とされているという事実をもっと認識するなら、私たちの人生はより大きな平安と喜びにあふれることでしょう。「神の子と呼ばれる」という素晴らしい賜物をくださった神様に、いつも感謝して生きていけますように。
「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。」-- ヨハネの第一の手紙3章1-2節