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2本のオール
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2本のオール
息子がまだ小さかった頃、家族三人でよく公園に出かけたものです。貸しボートがあるところでは、手漕ぎボートに乗るのも好きでした。
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はじめて三人でボートに乗った時のことはよく覚えています。私はそれまで自分でボートを漕いだ経験がなかったので、ぜひやってみたいと思いました。もちろん息子も漕ぎたくてたまりません。そこで、交代で漕ぐことにし、まずは私からやってみることになりました。
私がオールを握る場所に座り、主人と息子は私の向かい側に腰を下ろしました。初めての挑戦で張り切って漕ぎ出したのですが、なかなか思うように進みません。まっすぐ行こうとしても、すぐにぐるぐる回転してしまうのです。
主人に、「右と左を同じ力で漕がないと回転しちゃうよ」と言われて頑張るのですが、なかなかうまくいきません。どうやら、私の腕の力の左右の違いが大きくて、水のかき具合にどうしても差が出てしまうようです。
それを見ていてしびれを切らした息子が、「ママ、下手くそだから僕がこぐ!」と声をあげました。でも、息子もまだ幼くて一人で左右のオールを漕ぐのは難しそうだったので、私と息子が一本ずつオールを漕ぐことになりました。
私たちの正面には主人が座って、ボートの進み具合を見ながら、私と息子のどちらがもっと力を入れる必要があるかを指示してくれます。そして、曲がらなければならない時や、Uターンしたい時には、どちらが漕ぐのをやめたらいいかなどを教えてくれました。
私と息子が漕ぐことに疲れると、今度は主人が一人で漕ぐ番です。さすがに主人は、上手にボートを操り、私たちはのんびりと景色を楽しむことができました。
今でもボートに乗ると、この最初のボート体験を思い出すのですが、それに加えて、もう一つ思い出すことがあります。それは、ある牧師が語っていた、「信仰とは、二本のオールを使って舟を漕ぐようなものだ」という話です。
一本のオールを「祈り」、もう一本を「行動」にたとえているのですが、その二本のオールの両方がしっかり働かないと、物事は前進しないというのです。もし、ただ祈るだけで行動が伴わないならば、または、がむしゃらに動き回っていても、祈らずに行動しているならば、片方のオールだけで舟を漕いでいるようなもので、ぐるぐる回転するだけでどこにも到達しません。つまり、そのような片方だけの信仰では結果を得ることができないのです。
ボートでそれを実際に経験した私は、その話が手に取るようによく理解できました。あんなに一生懸命漕いでも、左右のバランスが悪いと、全然思うように進まなかったからです。
祈りと行動の両方が必要ということについて、たとえば、家庭やグループ内での人間関係がぎくしゃくしているとしましょう。そんな時には、その不和が解消するようにと祈ります。でも、ただ祈るだけで、自分にできることを何もしないのであれば、ぎくしゃくした関係が改善しなかったとしても不思議ではありません。
神様は、祈ればいろいろな面で助けてくださいますが、たいていは私たちにも何かすべきことを示されます。でも、示されたことを実行しないならば、祈っても、なかなか問題が解消しないこともあるのです。
もっと収入が必要ですと祈り続けても、仕事を探すとか、今の仕事からの収入を増やす工夫をするとか、何らかの努力をしないのであれば、状況はあまり変わらないのではないでしょうか。
健康についても同じです。もっと健康になれるようにと祈っていても、するべきだと知っている健康的な生活を実践しないならば、行動の伴わない祈りになってしまいます。
そのことについて、聖書にもこんな言葉があります。
「ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。」-- 聖書 ヤコブ2章20、26節
それでは、「祈り」と「行動」、どのようにしたらいいのでしょうか。まずは、ボートのオールを漕ぐように、両方をする必要があると認識し、それを実行することです。そして、祈っている事柄について神様が示してくださったことや、自分がすべきだとわかっていることを実行すればいいのです。
先ほど例にあげたように、家庭やグループ内での関係がぎくしゃくしているなら、共に過ごす場がもっと和気藹々とした雰囲気になるよう祈るだけでなく、お互いにより深いコミュニケーションを取るよう一歩踏み出してみるとか、一緒に楽しめるようなことをするなど、関係改善に向けて行動することも大切です。
聖書には「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ5:9)という言葉がありますが、それは、平和を祈るだけではなく、自分自身が平和をもたらす人となることについて書かれています。つまり、祈るだけではなく、祈りに込めた思いを何らかの形で行動に移すなら「幸い」となるのです。
こういうことは、信仰に関してだけではなく、普段の生活のあらゆる面で言えることです。たとえば、どんなに良い計画を立てても、それを行動に移さないなら何も起こりませんし、逆に無計画な行動ばかりでは良い結果につながらない、というように、「計画」と「行動」も、その両方が必要です。
また、何かを向上させたい、または、夢を叶えたいと思って、そのことについて熱心に本を読んだり、セミナーに参加したりしても、そこから学んだことを実践しないならば物事は変わりませんし、夢の実現も難しいことでしょう。
ゲーテも「知ることだけでは充分ではない、それを使わないといけない。やる気だけでは充分ではない、実行しないといけない」と語っていますが、多くの事は、吸収することと、吸収したことを実践し活用することの両方がバランスよくできて初めて効果を上げ、前進することができるのではないでしょうか。
さて、こう言うと、自分はバランスを取りながら両方することなんかできない、と感じてしまう人もいるかもしれませんね。私も最初にボートを漕いだ時には、なかなか両方のオールをうまく漕ぐことはできず、自分には無理だと諦めそうになりました。でも、練習を重ねる内に、だんだんうまく漕げるようになったのです。
人生も同じです。最初は、どちらか一方に力が入り過ぎて、同じところをぐるぐる回ってしまったり、進み方がジグザグになってしまったりするかもしれませんが、それでもやり続けるなら、だんだんバランスがとれるようになります。二本のオールを上手に使いこなして、願う方向に進めるようになりましょう!