MADE_IN_THE_SHADE #09 JAN.2010 ZUKA E N U S T I K _ O E D HI
Made in the shade #09/ 2010-01
1月は日本人らしさがもっとも顕著に現れる月だと思う。 「正月だから」というひと言のみで、普段は着ない振袖や和服を身につけ、日頃は近づきもし ない神社仏閣で手を合わせる。滑稽と言えば滑稽だけれど、滑稽にすら見えることをとりたて て疑問にも思わずに出来てしまう、これを文化と呼ぶのだと思う。 今年の 1 月、井上雄彦の「最後のマンガ展」を観に大阪まで出かけた。 「完結した 1 枚が同時に全体における一部」という凄まじく完成された展示を前に、「漫画」 という日本の文化の強烈さに再び強く揺さぶられた。 あれから10ヶ月が経ち、こうして写真を組み直してみても、まだ足下にも及んでいない現 実がここに在る。 写真を組むことに何らかの意義があるのだとしたら、それはおそらく1枚では表すことがで きないことを比較的平易にできるところに意義が潜んでいるのだと思う。どうしても伝えたい 何かという欲のようなものを1枚の写真よりも強く、1枚の写真よりも判りやすくイメージ化 することができるのだろう、と僕は思う。 しかし、それは同時にシャッターを1回切るという行為を素材を集めるための行動に貶めて いるとも言えるだろうし、そう考えつつも組んだ写真が1つのメロディなのだとしたら、1枚 の写真は一つ一つの音なのだから、その音に意味など込めようもないではないか、とも言える。 どちらが正しいとか間違っているとかではなく、考え方の違いだ。 写真を並べ直し、1つの塊として編むとき、僕は撮った瞬間にはまるっきり意図していなかっ た物語をそこに見出し ―― あるいはあたかも物語が存在するかのように組み直し ―― ている ような感覚になる。写真の向いている方向を注意深く見つめて、齟齬や矛盾がないように並べ ているのだ。 そのプロセスはまるで料理のようでもある。僕は写真に気を遣い、注意を払って並べている つもりだけれど、もしかしたらふとしたことで酢豚の中に放り込まれてしまったパイナップル のように不幸なのかもしれない。「本当ならハワイでココナッツミルクと一緒に混ぜられて、プ ディングになっていたのに」と思っているかもしれない。 この1月の写真たちを使って料理をした挙げ句、できあがったのが闇鍋だったのは、すべて 料理人の責任だ。ごめんなさい。 2010.11.05. キツネヅカヒデオ
撮影地 新大阪 鶴橋 難波 吉祥寺 目黒不動 浅草 伊勢 武蔵小山 有楽町 六本木 恵比寿 下北沢 川越 横浜 天保山
Made in the shade #09 / January.2010 Hideo Kitsunezuka / ash1kg
published on November.05.2010 E-mail kitsune0707@gmail.com
copyright (c) 2010. Hideo Kitsunezuka
MADE_IN_THE_SHADE #08 DEC.2009 HIDEO_KITSUNEZUKA