土地の欲望
土地には欲望が渦巻いている。私たちが生きるこの大地はいつから発生したのだろうか。私が知っている大地はアスファルトで埋められた人工の大地であった。 申し訳なさげに残された半自然の大地であった。私たちは歴史の中を生きている。私たちの世界は古代から現代へと連綿と続いていることは確かなのだ。そう、 ここ名古屋の都市は江戸時代の碁盤割りの歴史を残しているように。土地に刻まれた欲望が渦巻いているはずなのだ。
縄文海進。ここ名古屋の地は突き出た「岬」のような場所で、周りは海に囲まれていた。のちに「熱田台地」と呼ばれることになるこの象の鼻のような台地に は縄文人たちがいた。彼らは、入り江や岬の複雑な地形に、自分たちの心に生まれるイメージや思考を投影しながら、地形に意味付けを行っていた。縄文人は 生と死を生きていた。彼らはは動物や魚介を狩り、死とともに生きていた。彼らにとって死は身近であった。「岬」の突端で、人々は、海という異世界との境 界線を見る。熱田は「岬」のアジールとして異世界との境界線として作用していた。この熱田台地には遺跡や古墳、貝塚など様々な人々の痕跡が残り、名古屋 が発展していく礎をつくっていった。この時の名古屋は人々が生と死を交換する「市場」の始まりとして存在していた。時は流れる。この場所は様々な歴史を 蓄積する。次の転換点を予期させるのは江戸時代であるが、それまでにもここには色々と歴史が詰まっていった。那古屋城、前津小林城、古渡城、尾張元興寺…。 様々な人々がここに自らの礎をつくり廃れていった。ここ、名古屋は生と死を繰り返していた。転換点がくる。加藤清正。現在の碁盤割りの名古屋の城下町は 深い山であった。ここには深淵が存在していた。ここには奥が存在していた。加藤清正は奥を暴くことによって名古屋の城下町の礎を築いた。
碁盤割り。江戸時代初期。現在の広小路通りより北には豊かな城下町が広がり始めていた。広小路は町外れのゴミ捨て場で、広小路以南には寺社地などが入り 交じった混沌とした空間が広がっていた。 明暦の大火。城下町の 9 割が焼けた。この経験から広小路が拡張されたことによって、広小路が名古屋の城下町のメインロードのような存在になった。名古屋 城から本町を南に行くと、壮大な境内を持つ寺社町に遭遇する。若宮八幡宮。白林寺。政秀寺。大森寺。性高院。総見寺。万松寺。大衆院。大光院。清安寺。 清寿院。真福寺。長福寺。それらの境内では芝居小屋が遊楽の巷となっていた。徳川宗春の時代には、3 つの遊郭に様々な豪遊がなされ「名古屋の繁華に興(京) が醒める」と言われるほどであり、ここには人々の欲望や様々な感情が渦巻いていた。久屋の通りは碁盤割りの縁であり、若宮の通りは欲望や感情渦巻く大須 への境界線であった。この欲望の渦巻きは数年で消えることになるが、ここには欲望の残滓が残っている。明治に再びその芽が蘇る。茶屋 105 軒、芸子 113 名、 娼婦 315 名を超える不夜城が出現する。芝居小屋、見世物小屋、大正には映画館が建てられる。この場所には再び欲望が復活する。大正 12 年、欲望の不夜城と して存在していたこれらは中村区へと移った。大須で渦巻いていた欲望は失われたかのように思えた。一方で別の動きが存在していた。広小路では、垂直の盛 り場ともいえる建物の誕生があった。「デパートメントストア いとう呉服店」のちの松坂屋である。この建物の登場は名古屋に新しい形の欲望を刻み付け始め ていた。
第二次世界大戦。名古屋の都市は戦争でほとんど焼けてしまった。そこには「松坂屋」がポツンと建っていた。この土地の欲望は失われたかのように見えた。 戦後復興。近代の都市計画。田淵寿郎は 5 つの原則を挙げた。 ・8 メートル以下の狭い道路はつくらない。 ・市内の鉄道と道路は全て立体交差とする。 ・災害防止のため、市の東西に若宮大通り、南北に久屋大通りのいわゆる 100 メートル道路をつくり、また新堀川沿いに幅員 15 メートルの道路を新設する。 ・市内の墓地を一カ所に集中する。 ・市内の交通対策として高速度鉄道を建設する。 ここに江戸時代の記憶がアップデートされた名古屋の都市が浮かび上がった。タブラ・ラサからの計画ではなく土地には新たな欲望が書き加えられた。死の匂 いは払拭され、人々には新しい生活がもたらされた。こうして生まれた現在の姿へと続く名古屋。古代では熱田を突端とした「岬」であった名古屋は、古代か ら現代へ連綿と続くにつれて様々な「縁」を生み出してきた。
対象とする敷地の話をしよう。ここは久屋大通りと若宮大通り、2 つの 100 メートル道路という近代の計画が生み出した人工物の運河の交点に隣接する境界線 としての場所だ。若宮大通りの南には大須という、かつての寺社町が広がり、久屋大通りの東にはオフィスや遊楽街、かつては町外れであったとこであり、大 津通の西には、かつての栄えた城下町、本敷地の北には、欲望の喚起装置としてのデパートが立ち並ぶ。ここは、古代から現代にかけて発生した境界点ではな いのか。ここは、古代から現代へ続くに連れて新たに生まれた「岬」である。ここには土地に刻まれた欲望が集まる。「岬」に建つ灯台のように私たちを導い てくれる。
都市の欲望
都市には欲望が渦巻いている。ワタシたちはその欲望をどのようにして感じられることができるのだろうか。都市には様々なもの が渦巻いている。それこそが都市においては重要であり、ワタシたちの都市的体験にとって重要であることを忘れてはならない。
様々なもの、欲望。消費の欲望。土地の欲望。生きるという欲望。。。ワタシたちは都市をイメージするのに、常に一定のイメージ を持ちうる訳ではない。 例えば、映画を観に行こうと思ったとき、買い物をしようと思った時、お茶をしようと思ったとき、友達と遊ぼうと思ったとき、 カラオケへ行こうと思った時、ゲーセンへ行こうと思った時、ご飯を食べようと思った時、パチンコをしようと思ったとき、本を 買おうと思った時、クラブへ行こうと思った時、ライブを観ようと思ったとき、キャバクラへ行こうと思った時、ヘルスへ行こう と思ったとき、家へ帰ろうと思った時、美術館へ行こうと思った時、良質な映画を観たあと、最悪な映画を観たあと、感動する芝 居を観た後、飲んだあと、ワタシたちはワタシたち自身が感じているありとあらゆる状況によって都市のイメージを変えている。 都市とは感覚の中で蠢く流動的なイメージの集積であるはずなのだ。それは想像するときに生まれることではないのか。ワタシた ちは目的を設定する。目的はあらゆる事柄を盲目的にする。ワタシたちは無感動となる。都市には様々なモノが潜んでいる。しかし、 それが目的を設定してしまうことによって、盲目的になり見逃してしまうのだ。ワタシたちはありとあらゆる都市のストックを見 逃してしまっている。ワタシたちが都市を更新するためにはワタシたち自身の想像力を刷新する必要があるのではないのか。あの なんの変哲もないように見えた都市はリアリティを持って迫ってくる。私たちは現実へと逃避していたのだ。例えを挙げてみよう。 ワタシはある本を探しに本屋へ出かける。その本を検索機で探してみても表示されないので(店員に聞くのは億劫だ。都市では誰 とも会話せずに何時間も過ごすことができる。考えてみればこれは素晴らしいことではないか!)その本を探して本屋の中を彷徨う。 そこで、ワタシはなんともショッキングなタイトル(美しい装丁でもいい)の本に目を奪われる。この瞬間、ワタシは本来の目的 を忘れてしまう。このように、予期せぬものに出会うことこそが醍醐味ではなかったのか。さながら、コンクリートジャングルと 呼ばれる都市には何かが潜んでいるような意味合いはなかったのか。 あの大型商業施設に目を向けてみよう。あの施設にはありとあらゆる機能が入っていたのだ!!ファッション、雑貨、食料品、時計、 CD、DVD、本、スタジオ、ライブハウス、映画館、レストラン、クッキングスクール、スポーツジム、チャペル、ホテル、、、これま でにもこの施設には機能が凝縮されていた。にもかかわらずそれを感じることは無い。なぜなら、あらゆる機能は効率よく 1 フロ アに配置され、それをつなぐのはエスカレータ、エレベータ、階段だけなのだ。なるほど、これは確かに効率的で多機能にするこ とができる。だが、それらの機能は凝縮されたのではなく床や壁というエレメントで抑圧されていたのだ!外からは全く何もみる ことの出来ない閉ざされた世界の完成である。しかし、そこは整然とした空間である。もはや、スペクタルやカオスは必要ない。フラッ トな床で動線は固定される。人々は最適ルートで進んでいく。ワタシたちは下を向く。そこにあるのはケータイの画面である。顔 を上げても広がるのは同じようなフロアである。ワタシは目的へ向かうためにありとあらゆる感覚をシャットダウンしている。ワ タシたちには「コンテンツ」があるから十分なのだ!ワタシたちが生活しているこの都市にはありとあらゆるモノが蠢いているの にだ!ワタシたちはワタシたち自身の視点を変えることによって、つまらないモノを一瞬のうちに価値あるもののように変えてし まう力を持つ。それは想像力という力である。かつてアンドレ・ブルトンは言った「いとしい想像力よ!私がおまえのなかでもっ とも愛しているのは、お前が容赦しないということなのだ!」ブルトンは神秘をキオスクに見いだした。幻惑的なイメージを持つ 消費空間。それこそが消費空間の本来の姿なのであった。ワタシはそこからスタートしたいと考える。現在あるあの商業施設。本 来的な姿がどのようにあったのか。