必死に考える。が、混乱して何も浮かばない。
「君らからしたら明日死体を探しにいくより、今安楽死薬を飲んで死んだ方がマシなんだよね」 急にマクノの様子が変わる。 「そ、そうだ 」 ... グフがさっきまでと比べて極端に小さい声で答える。 「どうせ明日僕は探すよ。だから」 やめろ」 ...
そうだ。 ...
咄嗟に言った。マクノの動きが止まり、グフが飛びかかる。そのまま弾力のある地面に倒れ込む 人 2。 」 ......
「多分人じゃなかった」
揺れる地面の上をグフが走り出す。私はどうしよう。動けない。せめて何か言えること
「マクノ!だめ 」 ... 「止めていいの?最悪な死に方しちゃうよ」
「お、おい
安楽死薬の入ったカプセルにゆっくりと手を伸ばすマクノ。
う と の
私がそう言うとマクノを押さえつけたままグフが振り返る。
「まさかこんなことになるとは思わなかった」
な、なんだ、そうだったの?」 「いっつ ... グフに両腕を掴まれたマクノが顔をしかめながら言う。
もう遅いかもしれないけど。
「人だったらどうしようって思って話しただけで、よく考えたら人じゃない確率の方が高いよね
な
か
マクノならやりかねないと思った。私たちは本当に最期を受け入れられているのだろうか。安らかな最後で
「ごめん 」 ... 「やめてよ。本気で飲もうと思ってなかったから」
「ただの憶測で言ったのか。マクノが死ぬところだったんだぞ!」
さ
それから長い時が経ち、巨大魚の生命を 維 持 す る 技 術 を 人類 が保 て な く な っ て き た 頃、止まっていた物語が動き出す。
魚の塔。それは巨大魚と人類の共生の姿。
人類はまだ息づく巨大魚の骨を削って家を建て、肉を剥ぎ取って食らう。
巨大魚の生命維持と繁殖の手助けをすることでその権利を得ている。
約五百年前。人類は深刻な食糧危機に直面していた。そんな中、あ
る 研 究 者 が い か な る 環 境 で あ っ て も 確 実 に 子 供 を 作 る 魚 を 開 発 し た。
この魚によって一時は食糧危機が解決され、人類にも安寧の時が訪れ
た。しかし、魚は謎の巨大化を起こし、一キロメートルを超える巨体
を持つようになった。人類の救世主であったはずの魚は陸地をも食い 荒らす怪物となり、人類の天敵となってしまった。
人類と巨大魚の戦いは長引き、お互いに絶滅の一歩手前まで追い込
まれることとなる。この絶望的な状況を変えたのは「巨大魚側」から
の共生の提案であった。巨大魚は各地で海から出て、強力な筋繊維で
支柱を作り空中にその巨体を固定した。その意図を本能で察した人類 は巨大魚と共に生きていく選択をしたのだった。
ドッッッックン…、ドッッッックン…、ドッッッックン…
不気味なほどゆっくりな巨大魚の脈動が家を揺らす。自分の
心 臓 さ え も そ れ に 動 か さ れ て い る 気 が す る。 私 は、 私 の 行 動、
思考全てが自分以外の何者かに動かされていると思っている。
自 分 の 意 思 な の か そ の 何 者 か の 意 思 な の か、 私 の 目 は 突 然 開
け放たれた窓の外を捉えた。巨大な肋骨の上を寂れた列車が西 日を遮りながら走っている。見飽きたいつもの光景。
一 瞬、 上 か ら 下 へ 小 さ な 黒 い 影 が 通 り 過 ぎ る。 逆 光 で よ く 見
えなかった。しかし、それがなんだったのか感覚では分かった 気がした。
急 い で 窓 の ほ う へ 向 か う。 ギ シ ギ シ と 今 に も 折 れ て し ま い そ
う な 床 板 が 音 を 立 て る。 下 を 覗 き 込 ん だ が ど こ ま で も 続 く 大 き な空間と巨大な内臓しか見えない。
何もない、 何の意味もない日常。その全てがこの瞬間に変わっ てしまった気がする。
一、始まりの秘密基地
すぐに家を飛 び出した。内臓にへばりつ い た 細 い 階 段 を か け お り、 奴 ら の 家 へ 向 かった。グフとマクノを無理やり連れ出し、 い つもの溜まり場へ。私たちが秘密基地と 呼ぶその場所は、巨 大魚の腸 に空い た木の う ろ の よ う な 穴 だ。 塞 ご う と し た 跡 が あ る が、 こ こ 数 十 年 続 い て い る 大 き な 内 臓 揺 れ によって半分破壊されている。
「人が落ちていくのを見た」 そう言うと二人は酷く驚いた顔をした。 「その人…安らかに逝けたんだよな。カダメ」 グフがなんだか嬉しそうに尋ねる。
「決まってるでしょ。タキタ様が優しく受け止めてくれるからね。薬だってある し」 決まり文句を返すとグフは安堵の表情を浮かべる。 「いいなぁ。俺もいつか…。そうだ。お礼を言おう。タキタ様に…」
そう言 っ て両 手 を合 わ せ た 状態 か ら左 手 の 指先 が右 手 の 指 の 付 け根 ま で 来 る
様にずらしたポーズをする。このポーズをして祈ることは「語りかけ」と呼ば れる。タキタ様とは私たちが暮らす巨大魚の名前だ。 「マクノもちゃんと祈れよ」
グ フ は 巨 大 魚 信 仰 に 忠 実 だ。 私 は 正 直 内 容 な ん て ど う で も い い 。 信 じ て い る と楽だから信じているだけ。 マクノはぼうっとして足元の紫色の花が揺れるのを見ている。 「おい、マクノ」 「一生見ないふりするの…」 花を眺めたままマクノが何かつぶやく。よく聞こえなかった。 「なんて?」グフが聞き返す。
「な、何言ってるんだ!」 グフは慌てて穴の入り口の方を確認する。 「言っていいことと悪いことがあるだろ! 」 今日のマクノの言葉遣いはすごく気に入らない。
「 何 を 勘 違 い し て る の。 マ ク ノ が 虐 殺 と 言 っ て る の が 救 い で し ょ 。 世 界 が 地 獄 に な る前に送り出してくれるの。頭人に殺される時が死に時なんだよ」
色々言葉にしているうちにイライラの原因がわかってきた。私だってこ
の 世 界 の 全 て に 納 得 し て い る わ け で は な い 。 滅 ん で い く だ け の 世 界。 死 に 時 す ら
選 べ な い 。 理 不 尽 だ と 思 う。 で も シ ョ ボ く れ て い く だ け の ク ソ み た い な 日 々 を 生 き
抜くためにみんな自分を「洗脳」しているんだ。一方的に与えられた思想を信じ込
む の も 楽 じ ゃ な い。 思 考 停 止 で 受 け 入 れ てい る と バ カ に さ れ てい る よ う な気 が し て ムカつく。 「わたしは無知なマクノより理不尽な頭人を信用してるから」
余計なもう一言が出てしまう。
「君たちが言いたいこともわかるよ。でも今回は僕のわがままを押し付けさせて」 マクノは嫌なほど冷静に返す。
「 世 界 が 滅 ん で も、 君 ら が 死 に た い と 思 っ て も、 二 人 に は 死 ん で 欲 し く な い 。 僕 が
嫌 な ん だ。 悔 し い ん だ。 終 わ り を 待 つ だ け な ら 僕 ら は な ん の た め に 生 ま れ て き た ん だって思うから…」
「口実作りだよ。配給の制限の。そのために頭人 か ( し らん ちゅ が ) こ の地区 の 人 を 殺してる」
私 た ち の 住 む 地 区 で は 最 近 行 方 不 明 が 続 い て い る。 頭 人 支 ( 配権 を持つ特 権階 級
の 人々 は ) その原因が何か不吉なものにあるとし、この地区の人々を異端扱いする。 そうして魚の肉の配給を制限しているのだ。
「 頭 人 が か か わ っ て い る の は 皆 う す う す 気 づ い て い る。 で も そ ん な 言 い 方 は す る な。 苦しむ前にこの世界から解放していただくんだぞ」 少し強い口調でグフが言う。 「落ちた人、本当に楽に死ねたのかな」 マクノが小さい声でつぶやくように言う。 「当たり前だ。毎日語りかけていればタキタ様が救ってくださるからな」 「そう。じゃあさ、落ちた人の死体、見に行かない?」 「どうした、反抗期か?」 グフがちゃかしたような口調で言う。
「 単 純 な 興 味 だ よ。 ぐ ち ゃ ぐ ち ゃ な 死 体 を 見 て も 安 ら か に 死 ね て よ か っ た ねって思えるのかなって」
「何が言いたいの。自分だけが世界の本当の姿知ってますみたいな感じ?か しこぶってる人とかに影響されたの?」 少しイライラして言ってしまった。多分後で後悔するやつ。
「そんなんじゃない。君たちを救いたいだけなんだ…。頭人の虐殺から」 一瞬静かになりゴポゴポと空間が脈打つのが胸にまで響く。
そしてできるだけ長生きせよ。老衰による死こそが最も苦の少ない理想の死である。
滅 ぶ こ と は 避 け ら れ な い 、 な ら ば 滅 ぶ と き は せ め て 安 ら か に。 巨 大 魚 の 意 思 を
汲んだ頭人が安らかに民を送り出す。半ば強制的に巨大魚信仰を信じ込まされた
人々は、やがて来たる滅亡を受け入れることができた。巨大魚信仰は魚の塔の治 安を守っている。それゆえに信仰しない者は最も苦しむ方法で殺される。
安らかな死を求める人類は飲むと苦しまずに死に至る特殊な薬「ツナー」を開
発した。それはすぐに全人類の手に渡った。人々はこの薬を肌身離さず持ち歩く
ようになり、やがて、瞬時に薬を体に流し込める仕組みまで作られた。いつだっ
て苦しみ、痛みから逃れることができる。それが人々を安心させた。絶望的な世 界に生まれてしまった人々にとって、安らかな死のみが生きる意味なのだ。
魚の塔の出現から三百年以上。人類は巨大魚の生命を維持 する技術を失いつつあった。様々な器官で起こる機能不全。 骨格組織の崩壊。やがて巨大魚の死が近いことが全人類に知 れ渡った。巨大魚の死。それは生きることの全てを巨大魚に 依存してきた人類の滅亡を意味する。それを悟った魚の塔内 は一時、大混乱に陥った。これが二十年前。この大混乱をし ずめたものこそ巨大魚信仰なのだ。
い か な る 時 も巨 大 魚 に 語 り続 けよ。 さ すれ ば痛 み、 苦し み の ない 安 ら か な死 が 約 束 さ れ る。
咄嗟に言った。マクノの動きが止まり、グフが飛びかかる。そのまま弾力のある地面に倒れ 込む二人。
「 人 だ っ た ら ど う し よ う っ て 思 っ て 話 し た だ け で、 よ く 考 え た ら 人 じ ゃ な い 確 率 の 方 が 高 い よ ね…」 もう遅いかもしれないけど。 「いっつ…な、なんだ、そうだったの?」 グフに両腕を掴まれたマクノが顔をしかめながら言う。 「まさかこんなことになるとは思わなかった」 私がそう言うとマクノを押さえつけたままグフが振り返る。 「ただの憶測で言ったのか。マクノが死ぬところだったんだぞ!」 「ごめん…」 「大丈夫だよ。本気で飲もうと思ってなかったから」
今日のマクノならやりかねないと思った。私たちは本当に最期を受け入れられているのだろ
うか。安らかな最後であってもマクノには死んでほしくないと思ってしまった。でも…私には
すがるものが必要なんだよ。生きるためなら、生きることを否定するものにすらすがる。 「お願い。もうさっきみたいなこと言わないで、マクノ」
マクノが頷いたように見えたのは、私が頷いて欲しいと願っていたからだろうか。 どうかあれは人でありませんように。 私は何も知りたくない。 選択肢なんていらない。 何にも気づきたくない。
「死体を探しに行くよ。見つけて報告する」
「いいかマクノ。そんなことする必要ない。祈ってるだけで救ってくださるんだ。やめとけって」 グフが諭すように言う。
「酷い死体を見たらグフも考えが変わる。頭人に従った結果、どんな最期を迎えるのか」
巨大魚の腸の揺れが激しくなり、ギュポポポポと不気味な音が秘密基地に響き渡る。グフが 立ち上がる。
「頭人に逆らったら最悪に苦しんで死ぬことになるぞ!そんな最期ならそれこそ生まれた意味 がない!」 私も自分の洗脳を解かれたくない。マクノを止めなければ。
「君らからしたら死体を探しに行って頭人に殺されるより、ツナーを飲んで死んだ方がマシな んだよね」 急にマクノの様子が変わる。 「そ、そうだ…」 グフが答える。 「どうせ明日僕は探すよ。だから」 安楽死薬の入ったカプセルにゆっくりと手を伸ばすマクノ。 「お、おい…やめろ」 「マクノ!だめ…」 「止めていいの?最悪な死に方しちゃうよ!」
グフがマクノに向かって走り出す。私はどうしよう。動けない。せめて何か言えること…そ う だ。 「多分人じゃなかった」
GUFU
グフ KADAME
カダメ
マクノ MAKUNO
「おかえりー」 「ただいま…」
明 ら か に 元 気 が な い 自 分 の 様 子 に 気 づ き な が ら も 何 も 聞 か な い で く れ る 母 。 い つ も そ う。 私 は そ れ が ありがたい。 「いつもの二人に会ってた」
「ほんと仲良いわね。あ、ご飯つくってるんだけど、魚の肉以外って何食べられるんだっけ?」 あまり多くない野菜や果物などの種類を挙げる。
「了解!ごめんなさいね、 魚の肉の配給が今は減ってるから。ご近所さん回ってみたんだけど他の家もやっ ぱり足りてないらしくてね…」 母が不自然に右腕を隠す。 「私のせいでごめんなさい…」 「あなたにアレルギーを与えた神様が悪いのよ。あなたは悪くない」
母 の 優 し い 笑 顔 に ひ き つ っ た 部 分 を 探 し て し ま う。 こ ん な に 優 し く し て く れ る の に は 何 か 裏 が あ る は ずだ。あって欲しい。一方的な愛情に罪悪感を覚える。 「そういえばお父さん、今日は帰ってこれないかもだって」 「そうなんだ」
父は巨大魚に関する研究者。専門は魚の生体組織の利用法。私は巨大魚に詳しい父の話を聞くのが好
きだ。指で机に何かを書くようにして説明してくれる。それがとても心地よくて、知らない間に想像の
世界に入っている。巨大魚の体は昔、私たちの体より小さかったこと。巨大魚の細胞は私たちの細胞と
リンクするような性質があること。知らないことを知るたび、見飽きたいつもの景色が少しずつ変わる。 決まりきった毎日が少し横にずれる感じがする。
そうか。私がまだ生きている理由。親より先に死ぬわけにはいかない。それくらいなんだろうな。
二、発見
次の日の朝、任務に向 かうため列車に乗って いた。私は巨大魚開拓 隊の探索班に所属して いる。巨大魚開拓隊は 巨大魚内での人類が住める 場所を拡大するために設けられた組織。 誰も見たことがない場所に、誰よりも 先に足を踏み入れる開拓隊は、人類の 治療することが主な仕事となっ 最前線であった。しかしそれは昔の話。今は機能不全に陥った 場所を探し出し、 ている。それどころか三百年以上前に作られた生命維持装置を修復する技術は当の昔に失われているため、患部 に行って何もできずに帰ってくるということがほとんどである。今日もその無意味な「旅行」をするのだ。
、詰 、め 、状態にされる。昔、人類が最も繁栄していた時代。満員電車とい 一回で全員を送るために鮨
う概念があったそうだ。不思議なことに、こんなに人間の数が減った現在でもそれは存在している。
ふと見るとまたマクノが横にいる。エレベータが動き出すと同時に私にしか聞こえないような声で 話しかけてきた。
「 カ ダ メ の 家 か ら 落 ち る 人 が 見 え た ん な ら さ。 今 か ら 行 く 場 所 、 死 体 が あ る 位 置 か ら 近 い と 思 う ん だよね」
グフとマクノも同じ探索班に所属しており、もちろんこの列車に乗っている。マクノは今私の隣。 グフは少し離れた場所にいる。今日はおはようと言ってから何も話していない。 「カダメ、マクノ!」
髪を後ろで団子にしたゴツい男が大声で話しかけてくる。探索班第一班長のテングだ。
「 お 前 ら 今 日 ぎ こ ち な い よ な 。 っ て み ん な 思 っ て る が、 俺 は そ の 原 因 に 興 味 は な い し 、 別 に 話 さ な
くていい。話されて仲を取り持ってやらないといけない雰囲気になるのも面倒だ。だから仕事の話 だけしよう。 」
この男は気まずい空気というものがどうにも苦手らしい。その場の空気を全部言葉にして、ある 意味なかったことにしようとする。
「 も う 知 っ て る と 思 う が、 今 向 か っ て い る の は 肝 臓 下 部 だ。 昨 日 探 索 班 が 謎 の 白 い 塊 を 発 見 、 出 血
もあると聞いている。どうせ完全な治療はできないし、止血が主な仕事だ。マクノ、第二班は筋繊
維凝固液のタンクを運ぶことになっている。細かいことは班長のスザメに聞いてくれ。俺たち第一
班は作業のための道を作ることになっている、カダメ。現場の地形が複雑で難易度が高いらしい。 気を引き締めてやってくれ。分かったか?」 了解です、と機械的に返す。
列車が風除けの短いトンネルに入る度に、古いディーゼル機関車のエンジン音が反響し、耳を塞 ぎたくなる。
列車は第四脊髄駅に到着。列車から降り、荷物用のベルトコンベアが一緒になった連絡通路を通っ て脊髄エレベータに乗り換える。
このエレベータは巨大魚の尾鰭の付け根から脳までを繋ぐ縦の移動の要。巨大であり、大量のエ ネルギーを消費するため、重要な場合でしか作動の許可がおりない。
ツナーカプセル 安楽死薬(ツナー) の入ったカプセル
マスク 安楽死薬(ツナー) を口内へ送るマスク
μ細胞カプセル
チューブ
ゴムのような物質で できており、縮む力 によってμ細胞液を チューブへ送る
μ細胞液を手足に送る
延長コード 発射口 人差し指と中指でチュ ーブを変形させて液を 噴射する
μ細胞液が大量に入 ったタンクとハーネ スをつなぐ。液を大 量に消費する作業の 際に使用する。
「えっ?」 「探しに行こうと思ってるんだ」 「だから人じゃなかったって」
もう、諦めてよ。怒鳴りたくなる。針の上でバランスをとっている私を揺らさないで。 「別にいいよ。それでも探す」 「よくない。私たちへの迷惑も考えて」 「ごめん。もう決めちゃったんだ」 「まだやってないんだから止められるでしょ」 「もう無理なんだよ…」 「何言って…」 グフの視線に気がつく。
「止めてもいいよ。ハーネスの使い方はカダメの方が全然うまいでしょ。多分止められるよ。でも僕はやるから」
標高の変化で耳がキーンとする。それをいい事に言い返すのをやめた。エレベータを降り、もう一度列車に乗 り変えて目的地周辺に到着する。
列車を降りた場所から二百メートルほど先に目的の内蔵が見える。一部が腫れ上がり、黒い血管が浮き出てい
るのがわかる。所々白に青い斑点が混ざった塊があり、その一つから血が吹き出している。その血飛沫が陽光に 照らされ、キラキラと輝いている。
自分の背丈ほどある巨大なタンクを列車からおろす。この中にはμ (ミュー)細胞と呼ばれるものの液体が入っ
ている。μ細胞とは人工的に作られた巨大魚の幹細胞である。μ細胞は触れたあらゆる巨大魚の生体組織に成長 することができる。
μハーネスはこの細胞の性質を利用し、巨大魚の内臓、骨格などあらゆる生体組織上に体を固定する装着具で
ある。手足の先からμ細胞を噴射し、それが手足と手足が触れている場所を癒着させる。これにより壁を伝う虫 のように縦横無尽に活動することができる。
テングから作業の説明がされる。マクノのことが頭から離れず全く入ってこない。が、どうせやる事
はいつもと同じだ。μハーネスの背中のカプセルとμ細胞のタンクを延長コード繋ぎ、いざ出発。
テ ン グ が 先 頭 で 次 に 私、 そ の 後 ろ に 止 血 剤 の 噴 射 気 を 持 っ た 二 人 の 隊 員 。 強 い 弾 力 の あ る 筋 繊 維 の
束の上を歩く。幅は一メートルと少し。目下には表面がただれた巨大な内臓や、それらに飲み込まれ
そ う な 荒 廃 し た 人 工 物 。 巨 大 魚 の 皮 膚 だ ろ う か。 薄 い 膜 が 太 陽 光 を 柔 ら か く 迎 え 入 れ 、 様 々 な 色 を 生 み出している。
上 つ く る の が 決 ま り だ。 私 は こ の 作 業 が 嫌 い だ。 ど う い う わ け か、 他 の 隊
員 に 比 べ て 私 の カ プ セ ル の 内 容 量 は 極 端 に 減 ら な い。 多 分 そ の気 に な れ ば
細 胞 を 使 わ な い で も 作 業 が で き る 気 が す る 。 が、 そ れ を 周 り に 知 ら れ る と
多 分 色 々 め ん ど く さ い。 他 の 人 と同 じ く ら い 細胞 を 減 ら す よ う に 微 調 整 す る。それもまためんどくさい。
数回橋を架けると、患部のすぐ近くまで来た。細かい血しぶきで服が少 しずつ赤に染まる。 「任務完了だ。戻るぞ」
テングの声と重なるように遠くで誰かが叫ぶのを聞き逃さなかった。 「マクノ!戻れ!」
叫 ぶ 隊 員 の 視 線 の 先 に 内 臓 と 内 臓 の 隙間 に 消 え て い く マ ク ノ が一 瞬 見 え た。マクノは私が最も遠ざかる瞬間を待っていたようだ。
寂 し く も、 壮 大 な 風 景 。 霧 で 底 が 見 え な い 。 足 を 踏 み 外 し た ら 地 表 ま で 数 十秒、いや、数分は落下し続けるだろう。
」 ...
見慣れたはずなのに、見飽きたはずなのに、 「どうしようもなく美しいな テングが呟く。 「そうですね」
マ ク ノ が い る 方 に目 を や る 。 こ の 風 景 を 見 て マ ク ノ が 考 え を 改 め る み た いな都合がいいことよ起これ。
テングが筋繊維の裏側に回り込み、右手をμ細胞で癒着させてぶら下が
る 。 μ 細 胞 の 塊 が み ょ ー ー ー ん と 伸 び、 ク モ の よ う に 下 の 筋 繊 維 へ と 降 り
て行く。安らかに死にたい奴らがこんな危険なことできる理由は、肩のと
こ ろ の 小 さ な カ プ セ ル。 バ ル ブ を ひ ね れ ば カ プ セ ル に 入 っ た ツ ナ ー が 口 に 送られお手軽自殺。
下 の 筋 繊 維 に つ い た テ ン グ は 糸 を 固 定 す る 。 こ う し て μ 細 胞 の「 橋 」 が 架かる。
私 も テ ン グ に 続 い て 橋 を 架 け る。 糸 が 切 れ る こ と を 想 定 し て 必 ず 二 本 以
『まだ死なんよ』 誰 か の 声 が 聞 こ え た気 が し た。 そ の 直 後、 背 中 が ど こ か に 激 突する。それを皮切りに身体中に衝撃が走る。 私 -- 、生きてるの? 無 駄 に は っ き り と 意 識 が あ る。 既 に 死 後 の 世 界 に い る の で は ないかと疑う。痛みが来ない。怖い。少しして体への衝撃が止まっ た。と、同時に恐れていた激痛が全身を襲う。 「っ!…」 息 が で き な い。 声 も 出 な い。 身 体 中 の あ ち こ ち の 感 覚 が な い。 な ん と か 目 を 開 け て 横 を 見 る。 少 し 離 れ た 位 置 に 肘 か ら 先 だ け の 腕 が 見 え る。 右 腕 か 左 腕 か 判 断 で き な い 。 ゆ っ く り と 自 分 の 右腕に目線が動いていく。
嫌 -- だ…見たくない。 でも勝手に目が動く。激しい痛みの中ゆっくりと動いていく。 視界の右下に肩が少し入る。そして…。
あ -- る
考える暇のなく目の前の内臓の壁に飛びついた。 巨 大 な 内 臓 の 壁 を ジ ャ ン プ し な が ら伝 っ てい く。 テ ン グ が 何 か 叫 ん で い る が ど う で も い い。 ハ ー ネ ス で 筋 繊 維 の ロ ー プ を つ く り、 振 り子 の よ う に し て 次 の 体 組 織 へ飛 び 移 る。 い つ も よ り 体 が 動 く気 が し た。 ギ リ ギ リ の 隙間 を 通 り 抜 け、 次 々 に 体 組 織 を 乗 り 移 っ て い く。 ほ と ん ど 空 を飛 ん で い る 感 覚。急 激 な 降 下 によって聞こえなくなるほど耳が痛む。 ついにマクノが視界に入った。 「マクノ!見つけないで!」 多 分 そ う 叫 ん だ。 マ ク ノ は 振 り 返 ら な い 。 止 ま ら な い 。 で も 圧 倒 的 に 私 の 方 が 速 い 。 す ぐ に 距 離 を 詰 め、 マ ク ノ の 肩 に 手 が 触れそうになったその時。 何かと目が合う感覚。 「えっ…」 一 瞬 動 揺 し 、 延 長 コ ー ド が 足 に 絡 ま る。 μ 細 胞 の ロ ー プ が ミ チミチと音を立て、千切れる。空中に放り出された。
今 -- なんだ…死ぬの。 フワッとした感覚。やけにゆっくりと風景が回転する。
間 違 い な い 。 私 の 右 腕 は 肩 に 繋 が っ て い る。 左 腕 は 自 分 の 胸 の上にある。苦しみの中でも頭は勝手に考える。 じ -- ゃあ誰の…? 何 故 か見 覚 え が あ る気 が す る。 何 だ っ け …。 フ ワ ッ と 机 の 上 を動く腕が思い出される。 嘘 -- でしょ… 朦 朧 と す る 意 識 の 中、 落 ち て い る 腕 の 向 こ う 側 に ピ ン ト を 合 わ せ る。 地 面 か ら 先 の 尖 っ た 体 組 織 が無 数 に 生 え て お り、 ま る で 針 山 の よ う だ。 そ の う ち の 一 つ に 腕 の 持 ち 主 ら し き 身 体 が 突 き刺さっている。
父だった。
必死に考える。が、混乱して何も浮かばない。
そうだ。 ...
「君らからしたら明日死体を探しにいくより、今安楽死薬を飲んで死んだ方がマシなんだよね」 急にマクノの様子が変わる。 「そ、そうだ 」 ... グフがさっきまでと比べて極端に小さい声で答える。 「どうせ明日僕は探すよ。だから」 やめろ」 ...
安楽死薬の入ったカプセルにゆっくりと手を伸ばすマクノ。 「お、おい 「マクノ!だめ 」 ... 「止めていいの?最悪な死に方しちゃうよ」
揺れる地面の上をグフが走り出す。私はどうしよう。動けない。せめて何か言えること 「多分人じゃなかった」
咄嗟に言った。マクノの動きが止まり、グフが飛びかかる。そのまま弾力のある地面に倒れ込む 人 2。 」 ......
「人だったらどうしようって思って話しただけで、よく考えたら人じゃない確率の方が高いよね もう遅いかもしれないけど。
な、なんだ、そうだったの?」 「いっつ ... グフに両腕を掴まれたマクノが顔をしかめながら言う。 「まさかこんなことになるとは思わなかった」 私がそう言うとマクノを押さえつけたままグフが振り返る。 「ただの憶測で言ったのか。マクノが死ぬところだったんだぞ!」 「ごめん 」 ... 「やめてよ。本気で飲もうと思ってなかったから」
マクノならやりかねないと思った。私たちは本当に最期を受け入れられているのだろうか。安らかな最後で
必死に考える。が、混乱して何も浮かばない。
そうだ。 ...
「君らからしたら明日死体を探しにいくより、今安楽死薬を飲んで死んだ方がマシなんだよね」 急にマクノの様子が変わる。 「そ、そうだ 」 ... グフがさっきまでと比べて極端に小さい声で答える。 「どうせ明日僕は探すよ。だから」 やめろ」 ...
安楽死薬の入ったカプセルにゆっくりと手を伸ばすマクノ。 「お、おい 「マクノ!だめ 」 ... 「止めていいの?最悪な死に方しちゃうよ」
揺れる地面の上をグフが走り出す。私はどうしよう。動けない。せめて何か言えること 「多分人じゃなかった」
咄嗟に言った。マクノの動きが止まり、グフが飛びかかる。そのまま弾力のある地面に倒れ込む 人 2。 」 ......
「人だったらどうしようって思って話しただけで、よく考えたら人じゃない確率の方が高いよね
もう遅いかもしれないけど。 「いっつ ... な、なんだ、そうだったの?」 グフに両腕を掴まれたマクノが顔をしかめながら言う。 「まさかこんなことになるとは思わなかった」 私がそう言うとマクノを押さえつけたままグフが振り返る。 「ただの憶測で言ったのか。マクノが死ぬところだったんだぞ!」 「ごめん 」 ... 「やめてよ。本気で飲もうと思ってなかったから」
マクノならやりかねないと思った。私たちは本当に最期を受け入れられているのだろうか。安らかな最後で
真っ白な風景の中に母だけがいる。私に向かって何かを訴えているが聞き取れない。何故か苦しい。体が感じ ている全ての感覚を言葉で表すように脅迫されているような気がする。 『なんて言ってるの』
聞き返しても母は一方的に口を動かし続けている。口が動いているだけで、悟ったように無表情。 『聞こえないよ』 聞き返したその時、赤黒い雪崩に母が飲み込まれる。
『お母さん!やだ 』 ... 雪崩の横を母が流された方へと走る。血に濡れた内臓のようなぬるぬるとしたものの流れの中に一瞬、青く光
るものが見えた。少しずつ雪崩は私を追い越して行き、やがて見えなくなった。そこに残されていたのは下半身 がなくなった無惨な姿の母。 『お母さん!ねぇ…お母さん!』 明らかに死んでいる。でもそれを私が受け入れなければどうにかなる気がした。 『お母さん!お願い!ねぇってば!』
ただただ叫び続ける。いくら叫んでも自分の声が何故か聞こえない。叫び声が母にも届いていない気がして思 いっきり母の体に掴みかかった。 その時、母の目が勢いよく開いた。 聞き覚えのある音が聞こえてくる。そうか、五時の鐘だ。あれ、私今… 「カダメ…よかった!」
グフの声がする。薄暗い部屋の古いベッドに私は寝かされていた。ベッドの横でグフが傾いた椅子に座ってい
る。どこまでが夢だったんだろうか。窓が開いており、巨大魚の体温をまとった生ぬるい風が入ってくる。 「きっとタキタ様が助けてくれたんだ。色々あったけど無事で何よりだな」
色々…そうだ。色々あったはずだ。一瞬、所々紫色の腕を思い出す。それに連なるように腹を貫かれた父の姿
三、解放
「それやばいでしょ!もしマクノが昨日話してたみたいなこと言ったら…。もう、なんで!」
頭が真っ白になる。全部マクノが言ってた通りなのに、分かってたのに、どうして防げなかったんだろ。
「私のせいだ!あの時捕まえてれば…。いや、エレベーターの中で話したとき無理矢理にでも説得してれば…。 違う!秘密基地であんなこと話さなけr」 「大丈夫だ!」 グフの声が響く。 「大丈夫だ…。マクノはうまいこと切り抜ける。そう信じてただ祈るんだ」 「祈ったってなにも変わらないでしょ」 「そう、どうせ僕らにはどうしようもない。だからせめて祈るんだ。自分のために」 グフが何を言ってるかよくわからない。慰めてくれてるのだろうか。 「じゃあ私の足が早く治るように祈ってよ。マクノを連れ出しに行くから」 そう言って包帯に覆われた足に力を入れる。すると、 ガシャン!
動かないと思って力を入れたため予想外に大きく跳ね上がり、足を吊っていた器具が床に倒れる。 「無理に動かすな!大丈夫か?」 「私の足。本当に折れてたの?」 「俺らがみても分かる位にな。変な方向に曲がってたぞ」 「もう、治ってるっぽいんだけど…」
ガランゴロン!ガランゴロン!ガランゴロン!ガランゴロン!ガランゴロン!ガランゴロン!
グフが私の言葉に驚いて立ち上がると同時に、塔全体に鐘の音がけたたましく鳴り響いた。嫌に濃い色の夕焼
け空が見える。やがて鐘の音は止み、反響も少しずつ消える。そして低く、重い声が聞こえ始める。
が浮かんだ。喉の奥あたりが裏返るような感覚になり、えずきそうになる。 「お父さん…」
」 ...
かすかに漏れ出た声を聞き取ったグフの視線が明らかに下を向く。なるほど。あれは夢じゃなかったんだ。 「カダメ…ハーネスは落ちてる時に外れたんだ!大丈夫、ツナーで苦しむことなく 「いいよグフ、ありがと」
正直、巨大魚信仰の宗教的な側面は信じていない。だからタキタが父を優しく受け止めるどころか串刺しにし
たということにはそれほどショックを受けない。しかし、 科学的な面では信じていた。ツナーが頼みの綱だった。
でも、父はそれすらも享受できなかった。などと冷静に考えている。なぜか悲しくない。父に申し訳ない。 「起こったこと、全部教えて」 そう言うとグフは淡々と話し始めた。 私が気を失った後、テング、グフを含む数人が延長コードを辿って私達を見つけた。 血みどろどろで倒れてる私 をゆさゆさ揺するマクノ の上にぶらぶらぶら下がる父の亡骸
一行はすぐさま父に背を向け、腕や足をμ細胞でぐるぐる巻きにした私をテングが担いでその場を後にした。
このことはすぐさま頭人に伝えられた。頭人がそれからどうしたかは分からない。父を回収したのではないかと
いう噂もあるそうだ。そして、今日起こったことは口外することのないよう、強く口止めされたという。だから 私の母すらも、父の死や私の状態を知らない。 「そいいえばマクノは…」そういうとグフの視線がまた下を向く。 「事情聴取って形で連れていかれた」 「どこに!」 「分からない。けどたぶん…」 頭人だ。
最後の晩餐です。
ツナーで乾杯しましょう。
薬が苦手な方は
私たち頭人にお任せください。
安らかに送り出しましょう。
魚の塔の民たちよ
タキタ様、ロウタ様への語りかけが
届いていたようです。
おめでとうございます。解放の時です。
明日、魚の塔は安らかな眠りにつきます。