SDL100124 国立電子図書館は、深い奥行きを持った巨大なヴォイドと、それを囲 む司書室、司書室をまわる回廊のような閲覧室の 3 つの空間で成って いる。訪れる人は司書室を通らずにヴォイドに踏み込むことはできな い。 ヴォイドは敷地の傾斜に合わせて下り坂になっており、天井は同じ勾 配が反転している。南側から鋭角に始まり、やがて直角を経て、球体 になる。奥に行くほど上下左右に広がり、途中から壁と床、壁と天井 のエッジが溶けてなだらかに交わり始める。一番奥では球体に収束し、
section perspective
光が拡散しているので奥行きがわからない。空が青く、太陽が生き生 きとしている日ならば、楕円形の光がぼんやりと足元に落ちるかもし れない。 ヴォイドは本に代わる知の集積の象徴である。 司書室は1日ごとに、あるいは1週、あるいは1月ごとに司書が入れ 替 わ り 、ヴ ォ イ ド は 様 々 に 翻 訳 さ れ る 。 同 じ 司 書 の 組 み 合 わ せ 配 置 は 1 年に一度、あるかないかだろう。厚い壁をくぐりぬけた先で司書室は
本 を 抱 え て い た 。 と 思 っ た ら 、 光 に な っ て い た 。
ヴォイドに触れている。開口の先のヴォイドから滑らかな光と小さな
B-B’ section
音のざわめきが流れ込んでくる。わずかに置いてある書物は、研究用 の資料か司書個人の手帳のようなものなので許可なく手にとってはい けない。あなたがここでできることは司書に問うことだけだ。 閲覧室には、比較的あなたの自由が約束されている。寝転んだり、対 岸の国会図書館の桜を眺めたり、友達と談笑したりできる装置がしつ らえてある。もちろんタブレットを開いて本を読むこともできる。 膨大な電子データはそれだけでは有益なものではない。 検索したデータのどれが自分にとって深い意味を持ち、どれが軽薄で
C-C’ section
あるか、明確な意味の繋がりが見えない。司書たちはこの図書館で 日 々 、膨 大 な 情 報 に 触 れ る 。 情 報 を 有 益 に 提 供 す る た め に 、自 ら が 養 っ た知識と見解で分類分けしながら知の集積を見る。その先に世界の見
司書は光を分光してスペクトルを見る。
え方を発見する。 彼らは白いヴォイドの中に色を見る。分光してスペクトルを見るよう に。彼らの中には「世界は私たちによって色づけられていく」と考え
白いヴォイドの中に色を見る。
ている者もいる。だが私はその言葉のなかに幾ばくかの真理が含まれ ているようにも思う。あなたは「あそこに行けば、世界(問題)の見
「世界は私たちによって色づけられていく」
え方が変わるかもしれない」と期待して図書館へ訪れるのではないだ
A-A’ section
ろうか。分光して世界の中にスペクトルを見るために。
model
司書に提供された視点によって、あなたの「世界を閲覧する目」はど
対岸の桜は何色に見えるだろうか。 「世界を閲覧する」
国立電子図書館
のように変わり、対岸の桜は何色に見えるだろうか。それでも空は青 いだろうか。
National Electronic Library TOKYO
国会図書館や Google の電子書籍化。
司書たちは人生の大半の時間をここで費やし、その時間のほとんどは
「抱えるべき本を失う図書館の役割はなにか」
ヴ ォ イ ド の 翻 訳 に 費 や す 。 そ れ ゆ え 司 書 は 「 翻 訳 者 」「 通 達 者 」 と も 呼
この図書館は建築の大きさを問う。
ばれる。翻訳者はヴォイドを見る。知の集積を自らが養った知識と見 解で検索し、抽出して束ねていくことで意味のある繋がりを発見する。
本を収める書架のかわりに新しい空間を抱え、機能する。
そして訪れる人に通達する。
perspective
この建築をもって伝えたいことがある。
巨大なヴォイドは、かつてたくさんの本を抱えていた空間。本を収め
始まる物語と メッセージがある。
る書架のかわりに新しい空間を抱え、機能する。図書館の大きさは、 知の集積の象徴としてのプログラムであり機能である。 電 子 化 に よ っ て 抱 え る べ き 本 を 失 っ て も 、本 を 収 め る 書 架 と と も に あ っ た巨大な空間はなくなることはない。国立電子図書館は知を象徴する 1F
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空間を内包する建築であり、ここにあり続ける。
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