自由の森人

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自 由 の 森 人



目次

新井達也

5

佐藤恵

石井隆至

7

Jason Saunders

石森勝

9

菅香保

39 41 4 3

伊藤賢典

11

菅間正道

岩田大樹

13

玉木志乃

4 7

45

宇田川祥則

15

中野裕

4 9

内沼博

17

名和田俊二

51

内村政子

19

西田隆男

53

大江輝行

21

丹羽晶子

55

大友昭

23

野口敏宏

57

大場博史

25

原恵理

59

鬼沢真之

27

泥谷千代子

61

金田ゆふき

29

藤村紀夫

63

後藤幹

31

馬政煕

65

齋藤知也

33

松浦英樹

67

齊藤理子

35

松田和彦

69

坂本匡之

37

吉岡英美

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・名前(あいうえお順) ・担当 ・授業の具体的な内容は? ・授業の中で生徒に学んで欲しいこと。 ・入学を考えている皆様へのメッセージ。


新井達也 あらい・たつや

高校教頭/社会科

「学ぶ」ことを大切にしている学校。 1970 年代後半から 80 年代にかけての日本の教育界は、それまでの「詰め込 み教育」 「能力主義教育」の弊害により「校内暴力」 「いじめ」 「不登校」といっ た様々な問題が噴出していました。 1985 年 4 月、テストの点数で生徒を序列することを廃し、生徒の内側から発 する好奇心や問題意識などを大切に授業の中で「学ぶ」ことにより、ひとり一 人の子どもたちが人間らしい人間へと成長することを助けるということを教育 理念に掲げ、自由の森学園はスタートしました。このはじまりに、私も新米教 員の1人として立ち会わせてもらいました。 あれから25年、日本の教育はどのように変化したのでしょうか? 「詰め込み教育」の見直しが叫ばれる中、文科省は「ゆとり教育」を掲げ学校 5日制などが実施されました。それに加え、政府の「規制緩和路線」は教育界 にも拡大し、いろいろなタイプの学校が誕生しました。通学型の通信制高校、 通信制サポート校、株式会社立やNPO法人立の高校、高卒資格も取得できる 技能連携校などなど。 「高卒認定試験」もはじまり、高卒資格は25年前に比 べ取得しやすくなったように思います。 その一方で、 2004 年のOECD学習到達度調査で日本の順位低下が問題になっ たことで「学力低下問題」がクローズアップされ、 「雇用不安」という社会情 勢と関係し教育の世界に様々な変化をもたらしています。文科省は「ゆとり教 育の見直し」をいち早く宣言し、 「全国一斉学力テスト」を復活させました。 私立高校の多くは「特進クラス」をもうけ、有名大学への進学を目指していま す。 「学力低下問題」という漠然とした不安の解消を、 「競争原理」で切り抜け ようという風潮を感じています。 そんな時だからこそ「学ぶことの楽しさ」を大切にしている学校・自由の森学 園の存在を多くの人に知ってもらいたいと思います。その楽しさとは、自分と 違ったさまざまな他者と共に、 「めんどくさいこと」や「しんどいこと」につ きあいながら得られる達成感のようなものだと思います。そうした学びを通し て実感できた「達成感」や「自信」は、高卒資格や大学合格実績とは違う、そ の後の「生き方」に反映してくるものだと思っています。

本当に学びたい人、学び直したいと思っている人、 「学ぶ」ことを大切にして いる学校・自由の森学園を一緒につくっていきましょう。

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石井隆至 いしい・たかし

美術

必修選択美術の一つの染織の授業。織物と染め物の制作を通して、表現するこ との楽しさを知ったり、生活の豊かな在り方を考えたりする授業です。

かつて人は自然と共に暮らし、喜びや美しさを感じる心を自然との関わりの中 で育んできました。なんでも簡単に手に入れることが出来る現代、もう一度自 然に目を向け自分の手を動かしてものを作ることは、美しさの再発見のみなら ず、自分自身を見つめ直すことにもつながると考えています。 染織の授業では木綿や麻、羊毛といった自然の素材を、身の回りにある植物を 採って来て草木染めすること、昔から人になじんで来た糸車や織り機などの道 しま

かすり

具を使って織ることを中心に、縞 模様、糸紡ぎ、絣 模様、絞り染め、型染めな ど伝統的でありながら誰にでも取り組める技法で、多様なそして自由な表現を めざし制作しています。 はじめて取り組む生徒にとって、制作はなかなか思い通りにはなりません。自 分の思いを明確な色や形にするにも時間がかかります。しかし時間をかけて根 気よく考え作業するうちに、作りたいものが見えてきて、技術がしだいに自分 のものになり、その技術がもたらす美しさや、手で作ることがゆっくり考える 時間を与えてくれることに気づきはじめます。そして手仕事が心地良いと感じ る頃にようやく完成が見えて来るのです。 完成した作品には、完成予想図の単なる再現だけではなく、半年、あるいは一 年間、納得するまでたどった制作の歴史が隠し味のように表現されているはず。 それは一人一人みな違っていて、それが個性と呼ぶものと言えるでしょう。

自分で作ったマフラーやショールで身を包んだり、自分で考えた模様と共に暮 らしたり出来る幸せな気持ちは作った人でなければわかりません。出来るだけ 多くの人にこの気持ちを共有してもらいたいと思っています。

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石森 勝 いしもり・まさる

用務員

教室や廊下、校内の備品などが壊れた時に修繕するのが主な仕事です。棚や台 など簡単なものは依頼があると材料を買ってきて作ることもあります。春休み や夏休みには廊下にワックスをかけたり、校庭や入り口の草を刈ったり、そう いった校内のメンテナンスも行っています。 そんな中で生徒たちと接する機会もたくさんあります。この学校は行事が多い ので、看板などを作る時に相談に乗ったり、部活で必要な道具の作り方を教え たり。 あまりにも難しい作業は手伝いますが、ほとんどが道具を貸し出したりアドバ イスをするだけで、生徒たちは自分で作ります。そんな様子を見ていると、こ の学校の生徒たちの自主的なエネルギーを感じます。

せっかくこの学校に来たんですから、やりたいことを一つでも見つけてくださ い。他の学校では経験できないようなことも、ここではできるチャンスがたく さんあります。 クラブや同好会も、本気にさえなれば、他の学校よりも手軽に立ち上げられる 学校です。行事も生徒たちが自分たちで企画して、みんなで協力し合って作っ ています。 先生や僕たちはただのアドバイザー。主役はみんななのですから。ただ好きな 事を一生懸命やりすぎて、勉強がおろそかになっては困りモノですけどね。

世の中に出たら勉強ができることだけが立派なわけではないと思います。若い 時にしか吸収できない、勉強以外のこともたくさんあります。 そんな大切な何かに囲まれている上に、もちろん勉強もできる。あまり他には ない素晴らしい環境の場所だと思います。 学園生活を思いっきり楽しんで、勉強して、豊かな感性を持った大人になって ください。

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伊藤賢典 いとう・けんてん

物理学

僕の専門は物理学。物理学は「自然の世界の、成り立ちを考える」という大き なテーマを持っている。 自然の世界は様々な物が複雑に絡み合っている。けれどその背後には、宇宙の 全てに共通な「自然の理」が存在している――そう物理学はとらえている。 どうしてそんなふうに考えるのかって? そう、そこなんだ。 僕達の日常は、狭く小さく、そして、部分的だね。けれど、ただの部分じゃない。 例えば、ここが宇宙の星の上であることを君は知っている。僕達の日常は大き な一つの世界の部分なんだね。ここにいて、ただ生活しているだけではそんな 事も解らなかった。僕達は大きな宇宙の中で、自然の理によって、地球の全て と関係してこうしてある。物理学はそんな「僕達と世界の成り立ち」を見るこ とのできる位置に、君や君の周りのものを一緒に連れて行って考えさせてくれ る。授業とは「日常からの離陸」 。スケッチブックを携えて、 想像力という翼で、 世界と自分の中の未知と出会って、ここにまた還って来るための時間。教室と は、自分からの離陸という奇跡へのプラットフォームなんだ。 「見えているもの、感じているもの、考えられること、そして解っていること、 がすべてではない」 「私たちは、まだ、すべてを知らない」 。そうして学問は生 まれた。学問とはいったい何だろう。 「学問とは、誰もが知っているものを見 て、誰もが考えなかったことを考えること」そして「未知と友達になること」 。 学問はだから、自由になることであって、楽しいんだ。これが、物理学を通し て、学生時代に僕が知ったこと。 自然を知ることが、僕達にどんな意味を与えて、何をもたらすのか。その答え は、学問が君に与えるこの自由と共に、君が自分を通して学ぶことの先に、あ るんだ。

「自分を通して学ぶこと」は「難しくて苦しい」けれどそれは「自分以外のも のと出会い、自分を自由にし、自分と周りを守るもの」である――君たちの誰 もがそう実感することが出来る。自然の素敵なところは、 「自分以外のものと 関係して変化を生み出すことができる」ということ。僕達も、変化する自然。 「自分とは、新しく生まれ続けるもの」 。そう、僕は自然から教わった。 学校は、そんな命が出会うところ。卒業式の夜に、満天の星空が、僕に教えて くれた。

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岩田大樹 いわた・だいじゅ

社会科

授業の特徴と言えば、元気に明るく授業をしていることくらいでしょうか。そ の証拠に生徒の皆さんからの授業感想のほとんどが「授業の声がデカイ、時間 が経つのが早く感じる…」とよく書かれます。とにかく自由の森学園の授業は 「1コマ90分」と長いので(ショート40分もありますが) 「みんなが飽きな く、楽しく学べる時間!」となるように、私は一番に心かけております。美術 は作品つくりの作業をしたり、体育は体を動かしたり、理科は実験をしたり・ ・ ・ と90分は短く感じるかもしれませんが、社会の授業で90分集中してもらう には、正直苦労が多いのです。例えば、歴史をただ90分ペラペラ話されて、 年号を暗記だけの時間では絶対に面白いわけありません、それどころか社会の 時間が苦痛でますます嫌いになってしまいます。それと、自由の森学園は自然 に非常にやさしいエコ学校なので !? クーラーがありません。夏の午後の時間 は何をやっても駄目とか…気候や時間によって左右されますが、それに負けな いように有意義な時間を生徒みなさんと一緒に創っていけるよう努力していま す。私の授業導入は必ず「けさの朝刊から!」と言って新聞の見出しを見せて、 最近のニュースをみんなと考えてから授業を始めます。議論になりすぎて、授 業のほとんどがその話題で終わってしまったこともありましたが…。

例えば、昨年からスタートした「裁判員制度」の授業では、そもそも裁判員制度 のしくみをきちっと学び、裁判の歴史や導入の意義、外国などと比べながら考え る。次に賛成・反対の意見をそれぞれ読み、最後は自分の意見をまとめ発表する。 大事なのは言いっぱなしではなく、自分と違う人の意見を聞き、それで自分の考 えが変わったり…揺れ動いたり…迷ったり…さらに深まったり…することで多く のことを学んで、自分の考えをより深めてほしいと思っています。

自由の森学園の教職員はみんなとてもフレンドリーです。昨年、私は高校3年 の担任をしましたが、卒業の感想で「初めて教員が敵ではなかった」 「友達の ような感覚の教員ばっかりだった」 「何でも話しやすかった」など多かったこ とが印象に残っています。入学したら私に気楽に声をかけてください。みなさ んの入学を心から楽しみに待っております。

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宇田川祥則 うだがわ・よしのり

事務局長

事務局全体の統括責任者です。事務局は大きく分けると経理と教務に分かれま す。経理はその名の通り、学園全体のお金の流れを管理している部署です。教 務とは生徒さんの身分証明書を発行したり、大学受験や就職に必要な書類を作 成したり生徒さんやご家庭に関わる仕事をする部署です。私は責任者として、 例えば学園で使用される経費が正しく使われているか? 授業料が正しく収め られているか? 生徒さんに証明書等が間違いなく発行されているか? など を膨大な伝票類を確認して、適正に事務作業が行われているかどうか管理して います。他にも理事会や評議員会、運営本部会といった学園の経営や運営に係 ることや、その際の事務作業、埼玉県庁学事課との補助金に係る相談や書類作 成なども行っています。事務局の仕事の中で大切にしている事は、事務局も学 校の一部だという事です。自由の森学園の事務局は生徒や保護者、卒業生達が 気軽に入り相談等ができる場所です。他の学校ではあまり見られないこのよう な場所である事を大切にし、伝統として引き継いでいます。

何でもいいからやりたい事や好きな事をやれるだけ経験してほしい。勉強をす ることだけではなく学校や学校以外で色々な人たちとふれあい、色々な経験を することも学びだと思います。人生で 1 度きりの、かけがえのない時間を有意 義に過ごすことはそれだけで残りの人生の糧となり、生きていくための勇気や 強さをもらえます。その中で自分がいま何をしたいのか? 将来何をしてみた いのか? そのためには何をしたらいいのか? 何処にいけば学べるのか? そのような事に気付き、探していく事、そして、やってみたいという気持ちを 知ってほしい。勉強はやる気にさえなればいくらでも頭に入ります。単位なん かに縛られて勉強するのは学びではなく強制ですから。とにかく入学したら楽 しんで、色々と経験してほしい。きっと何かが生まれてくると思います。

自由の森学園は生徒が 1 人の人間として自分で考え、自分で判断し学んでいけ る学校です。生徒も保護者も教職員も卒業生もみんな同等で上も下もありませ ん。おかしいと思えば教員に意見してもいいし、授業がつまらなければ、つま らないと正直に言ってもいい。行事やクラブ、修学旅行は自分たちで作ること ができるそんな環境です。自分が本当の自分らしく中学、高校生活を過ごした いと考えていたら、自由の森学園に来て下さい。

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内沼 博 うちぬま・ひろし

中学教頭/体育

人は誰もが学ぶ事が楽しいと思える力を持っています。この世には誕生した瞬 間から学びの道がスタートしているのです。小さい頃人は誰もがハイハイをし、 立ち上がることができるようになり、言葉を覚え、走ることができるようになっ ていきます。そのような時の子供の姿、表情は、とびっきりの笑顔であり、言 葉が止まらないほど親に問い掛けてきます。これは自分の学びを表現したいか らなのです。このように人は誰もが学びの楽しさと、それを表現しようとする 力を持ち合わせているのです。しかしその学びの楽しさ、表現しようとする意 欲が成長と共にどこかに追いやられてしまうのです。そこには、競争、点数な どといった結果重視の教育環境が子供達に大きくのしかかっているからなので す。そんな子供達の心とからだをときほぐし、一人一人が持ち合わせている学 びの楽しさを、授業を中心とした学校生活の中で呼び起こし、教師と一緒に様々 な学びを創っていく事を大切にしています。 〜 “ 学ぶ事で互いがつながる学校 ” 〜 中学 1 年生の授業より……教師「農家の人がおいしいキュウリを作ろうとし た時、まず何をする」 、生徒「種を蒔く」 、教師「その前にすることはない?」 、 生徒「ッア!土を耕すのか」 、教師「そう! そうだよね、それと同じように 体育の時間は、一人一人のからだをしっかりと耕していくことなんだ、耕すっ て言う事は、動きの中でもしっかりと自分のからだに気づいていく事、からだ の中で起きている事を感じ取っていく事、外側から見ても分からない感覚、自 分にしか感じられない感覚を受け止めていく事なんだ。その事で自分のからだ を知る事ができ、イメージした自分の動きにだんだんと近づいていく事ができ るんだよ。この過程が主人公になっていく為の時間なんだね」 。 〜自分のリズムを認め、互いのリズムを認める。そこからスタートさせるんだ〜 ある学校で、 「雪が溶けると何になる」という問いに、生徒は「春になる」と 答えたそうです。その答えは不正解でした。正解は 「水」 だったのです。でも 「春 になる」とっても素敵な答えです。自由の森では正解です。けして物事の答え、 考え方は一つではないのです。その一つではない答えを探す旅に一緒に出掛け ませんか。 〜勉強に疲れている君! 学ぶ事は楽しいことです〜 〜難しい事を楽しめる君になっていきます〜

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内村政子 うちむら・まさこ

人間生活科

人間生活科では、 「食」 「性」を柱にした分野を授業で取り上げている。 「食」の授業は、中一、中三、高二ではクラス授業を、高二・高三では二つの 選択授業( 「食べもの」 、 「発酵」 )を行っている。そこに共通する授業の特徴は、 風と土と人間の営みから生まれた食べものを「原料からつくる」というところ にある。便利で早くておいしいものはいつの時代でも魅力的だが、食べものの 味わいを高める醍醐味は、手間やプロセスのことがわかり、その背景までも想 像していただくところにあるだろう。 「性」の授業は、中三、高三のクラス授業で行っている。そこでは、 「いのち」 が相互に「生かし生かされている」存在としてどのようにつながり、 関係しあっ ているのかについて学び、 」考える場をつくっている。

「楽しさ」をいっぱい味わうと、いのちをいただいて生きていることの学びを 耕すことができると思う。 「いのち」とは何かを問うことは、 「人間」とは何か を問うことにもなる。そこが「食」と「性」のことを学ぶ根っことも言える。 人間はそのことをどのように考えてきたのか、 「食文化」や「性文化」 、 「作法」 や「慣習」からたくさんのことが学べるだろう。そして、人間が生き続けるた めにやってきた「苦労」に注目するのがいいだろう。人は、 「 こうした方がいい」 と言われると、ちがう方向へ行きたくなるときもある。そうやって「自分」を 磨いているとも言えるが、ときには「どういう苦労なら引き受けられるか」と 考えてみるのもいいのではなかろうか。

おばあちゃん(家族)とよもぎを摘んで草餅をつくったことのある人は、春を 迎えるたびにその味を思い出すことと思う。そのおいしい空気が草餅に加わっ ておいしさが増す。そこにあるものをおいしく味わうヒントを届けられたらと いう気持ちで授業をつくっている。季節ごとの楽しさが暮らしのふくらみとな るように。

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大江輝行 おおえ・てるゆき

図書館司書

私は図書館の専任・専門の司書です。司書というのは、 図書館で皆さんが資料 (本 や情報等)を入手するサポートをしたり、読書相談や調査のナビゲートをする 人のことです。 私は、皆さんの「知りたい、読みたい、調べたい」という気持ちをとても大切 だと考えてます。授業や行事及び日常生活の中から生まれた、 ひとり一人の様々 な関心や疑問を、どんどん探求できるように協力しています。 魅力的で多様な蔵書づくりと、 適切でスピーディな「資料の提供」が、 私たち(自 由の森には複数の図書館専門の人がいます)の基本です。皆さんが必要とする 資料を入手するために、私たちは自館だけではなく、公立・大学図書館等と連 携し「予約」も実施してます。 図書館は利用が多いです。ちなみに、高校生一人当りの年間貸出冊数(コミッ ク貸出数は別)は約 26 冊、これは埼玉県高等学校図書館研究会調査による県 内平均の5倍を上回ります。 アットホームなくつろげる雰囲気の中で、リラックスしてコミックを楽しむ皆 さんの姿と共に、課題・レポート作成に励む皆さんから「ありがとう。この本 すごく役立つ」という声をかけられ、課題提出後も関連図書に手を伸ばしてい く姿を、私はよく目にしたりします。 館内では、また、インターネット・電子情報と本からの活字情報を付け合せる ことにより、いっそう自分たちの知識を豊かで確かなものとする、そのような 図書館の利用が根をおろし始めています。 図書館からの発信は、司書編集の図書館だよりや、中・高校生が協同編集する、 生徒の視点からのフレッシュな内容の冊子等があります。通信では、図書の他 に学内外の講座や文化イベント等もお知らせしてます。

「授業・行事やクラブ・有志活動等」を通して、この森に集う人たち(もちろ ん皆さん自身も含めて)の持つ、それぞれの「人間」としての「面白さ、優し さ、深さ」を発見し、その事を楽しみ、じっくりと味わい尽くしてほしいです (私は、そのためにこそ、図書館の資料と働きが役立つと考えます) 。

自由の森の「図書館」はただ本が並んでいるだけの「図書室」ではありません。 心やすらぐ空間と複数の図書館の専門家、そして予想を超える面白い本との出 会いがあなたを待ってます。

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大友 昭 おおとも・あきら

理事長

自由の森学園は「学ぶ」ということの意味をはっきりと教えてくれる「場」で もあります。 「学ぶ」ことは「人と競争する」ことではない。そのことを意識 することによって、人は本来の「学び」への意欲をとり戻します。私たちが生 きる社会は「競争社会」ではありますが、子どもたちの生活に必要なのは「競 争」ではありません。人間的な「思考」の時間と豊かな生き方を「志向」する 時間こそが保障されるべきなのです。自由の森学園は、人と人とが一緒に学ぶ ことへの感動と喜び、そして表現しようとする意志や生きることへのはっきり とした希望を育てる「場」でもあるのです。

「学ぶ」ということは、競争社会を生き抜いていくための道具を身につけるこ となのではなく、自分自身をつねに新しく発見しつづけていくものなのだとい うことを、まずはしっかりと理解してほしいと思います。そこから、あなた自 身の充実した学校生活が形作られていくことでしょう。自分自身をよりよく考 える時間として、この学校でじっくり過ごしてください。

自分と世界はいまどうなっているのか、本当はどうあったらいいのか、どこに その「違い」があるのか。あなたがいま考えたいこと、知りたいことを「競争」 や「点数」のために後回しにすることなく、じっくりと考えられる場所がここ にはあります。ゆっくりと考える時間を楽しみながら、自分自身の「これから」 を大切に見つけていってください。

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大場博史 おおば・ひろし

音楽

歌うこと、合唱を創ることを中心に授業をしています。 親しみやすい愛唱歌的なものからクラシックの本格的なものまで、クラスや学 年で年間を通してたくさんの合唱曲に取り組みます。

声をそろえて歌うとか、きれいな声で歌うということを目標とはしません。一 人ひとりが歌うことに楽しく向き合えるということを大切にしてほしいと願っ ています。そういう中から少しずつでも、 自分の内面にも向き合えるようになっ ていってほしいです。 合唱する曲も楽しく元気に歌えるもの、物語や背景のあるもの、ハーモニーそ のものを楽しむもの……それぞれの持つ良さを味わってもらいたいと思ってい ます。

「私は歌うことが嫌い」 「歌うことは苦手」 と思っている人もきっとたくさんい ますよね。でも、もしかしたら、「嫌い」 「苦手」 と答えを出すのにはまだ早い かもしれないっていうこともあるかも……。答えを出すまでのことをしていな いんだったらもったいないよね。 色々なことにとらわれずに自分の歌いたいように歌ってみる。友達が歌ってい る姿をじっくり見てみる。他にもたくさんのことができそうです。様々な角度 から “ 歌うこと ” をしてもらいたいと思っています。そしてそのことが今より 少しだけでも 「歌うことが楽しい」 という方向に向いていくといいよね。その ことが自由の森の音楽の授業の中で体験してもらえるとすごく嬉しいです。 また、毎年行われている 「音楽祭」 でも順位を競うのではなく、どうしたらみ んなで楽しめるかということを準備期間から考えて練習します。 文字通り音を楽しむことを音楽科では大切に考えています。 もちろん僕も一緒に “ 楽しむこと ” をしていきます。

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鬼沢真之 おにざわ・まさゆき

高校校長/社会科

自由の森学園は、日本の教育界にはまれな、点数序列主義をとらない学校です。そ れぞれに違う個性をもつ子どもたちを、あたかも品物の値段のように一つのモノサシ で並べることの矛盾を、学校として乗りこえていこうと考えて学校をつくったのです。 制服や管理的な校則もさることながら、 「競争原理」という目に見えないもの が子どもたちや大人の心を強く縛りつけています。それが、学びのあり方をゆ がめてしまっているのです。 「学ぶ」という行為はテストや競争のためにある のではなく、子どもたちの自立と成長のためのものなのですが、そう意識する のは難しい。わかる面白さ、答えを仲間とさがしていく楽しさよりも、効率よ く記憶し、早く正確に回答していくテクニックが優先されてしまうのです。 テストの点数に怯え、成績を気にしながら学ぶ授業を離れ、また、学校や仲間 からの同調圧力からも解放され、自分が自分でいられることの感覚を取り戻す ことが自由への一歩なのだと思います。 もう一つの特徴は、自分の頭で考える学校だということです。授業の中でも絶 えず「どう考えるか」が問われます。知識は考えるための材料であり、それを 記憶することよりも、知識を土台にして考え、議論し、そしてさらに考えるこ とが大事です。たくさんの知識がありながら、主体的に考え行動することがで きない若者が少なくないとよく言われています。正解が決まっている問題をひ たすら解く日常では、主体性は育ちません。限られた選択肢を与えられるので はなく、様々なことを自分で感じ、自分で考えようとする学校の文化が大切な のです。これを支えるのが、教師たちが自分たちで話し合って作り上げる授業 づくりの営みです。上から与えられた内容を分かりやすく教えることが授業な のではありません。目の前の生徒たちに必要な学びを教師たち自身が考えるか らこそ、授業には「生命」があるのです。

公立高校に通っていた僕の息子の授業参観に行く機会がありました。黙々と ( )の穴埋めをしていた息子に、その授業は面白いのかと聞いてみたところ、 キョトンとした表情をしていたことをはっきり覚えています。彼には授業と 「面 白い」ということが結びつかないようでした。読んだ本をおいしいかとたずね られたようなものなのでしょう。 自由の森で、学ぶことの面白さ、醍醐味を知ってほしい。学ぶことによって変 わっていく自分を実感として感じてほしい。知らない自分を恥じることなく、 仲間とともに学ぶ楽しさを味わってほしいと思います。

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金田ゆふき かねた・ゆふき

理科助手

実習助手とはいったいどんな仕事なのか、知らない方がほとんどではないで しょうか。何組の担任? 何の先生? 何やってる人? と訊かれることもし ばしばですが、担任をしたり助手だけで授業をしたりすることはあまりありま せん。実習助手は授業中に実験や実習のお手伝いを通して、授業をする教員と は少しばかり違う立場から皆さんの学びに関わっていくお仕事です。授業担当 の教員と相談しながら、教員だけではなかなか手が届きにくい部分を、教員と はちょっと違った角度からサポートしていきます。 授業のお手伝いのほかにもうひとつ、ほかの学校の助手さんはあまりやってい ないだろうお仕事もしています。それは、動物の死体から標本を作ること。自 由の森学園にはたくさんの骨格標本や毛皮標本があります。これだけの標本を 所蔵している学校は他にないのではないでしょうか。しかも、これらはすべて 生徒や教員の手作りです。試行錯誤を重ねコツコツ作り続けてきた標本が積も りに積もって、とうとう生物準備室が骨部屋と呼ばれるまでになりました。 死んだ生きものを拾ってきて、解剖して、皮を剥いで、骨にして……なぜそん なことをしたがるのか理解に苦しむという方もいるでしょう。生きものの身体 の仕組みを知りたいなら、写真や図の載った本も分かりやすく編集された映像 も簡単に手に入ります。博物館に行けばたくさんの標本が展示されているし、 インターネットで調べれば膨大な量の情報が出てくるでしょう。でも、それら はすべて誰かが見たことです。誰かが感じたことです。あなた自身が経験し、 その身体で直に感じることは、どの本にも決して載っていません。誰かが見て 感じたことを受け取るだけではもったいない。自分自身を通さなければ得るこ との出来ないものが、確かにあるのです。そのことに気づいて欲しい。その入 口になればと思って活動しています。 自由の森学園の授業は誰かがまとめた知識を得るためではなく、自分自身を通 さなければ得ることの出来ないものを掴まえる、そのための力を育てる場だと 思っています。それは理科だけでなく全ての教科に、そして学校生活すべてに 言えることだと思います。標本作りは仕事なのか趣味なのかと訊かれることが あります。実験や実習の手伝いをするという部分が実習助手本来の仕事だとす るならば、仕事とはいえないでしょう。しかし、教員とは少しばかり違う立場 から学びに関わっていくという部分を大切にするならば、これも実習助手の役 割のひとつではないかと私は思っているのです。

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後藤 幹 ごとう・みき

中学理科/高校生物

例えば中学一年生では、実物や実際の現象に出会うことからスタートするよう な授業を心がけています。 もう分かっていると思えるようなこと、当たり前だと思っていることの中から、 変だな、と思うようなことを提示したい。昨年度の中学一年生には豚の足に出 会ってもらいました。理科研究室のまわりが豚骨スープの臭いでラーメン屋さ んのようになりましたが、中学生にとっては、豚足の骨格標本をつくる作業は 面倒臭いけど新鮮にうつったようです。 豚足の授業意外にも、一つのことについて時間をかけて考えていく授業が中学 校では比較的に多いと思います。例えば空気を大テーマにしたときは、空気が 生みだす現象(風が吹いたり、ものが燃えたり爆発したり、風船が浮いたりす ること)を通してそれらが一つ一つぶつ切りで説明できることよりも、そこか ら空気の動きが想像できるような授業を目指しています。そのために、実験で 燃えたり爆発したり浮いたりする現象をまず観察してクラスでそのことについ て考えます。

普段自分の脚を見て、人間がどんな暮らしに適応してきたかや、他の動物と共 通するところなど考えることもないと思いますが、豚足の骨格を自分でつくっ て、それを自分の足と比べると、ブタや他の動物と共通する部分、そして人間 の脚が「標準」 「普通」じゃないことに気づくと思います。そして、自分がど んな動物の仲間で、どんな特徴をもった動物なのかが発見できたと思います。 生徒の反応でうれしいのは、納得している顔を見せてくれたときもそうですが、 「だったら、授業でやらなかった動物はどうなの?」とか「後藤幹の言ってい ることはウソだ!」とか僕にとって面倒臭い、手強い声が上がったときは授業 をやって良かったなぁ、と思います。

豚足の授業やイカの解剖が「直接役に立つ」ようなことは、残念ながら(あな たが将来)ラーメン屋さんか、お寿司屋さんにならないかぎりほとんどないで しょう。しかし、その作業や授業で知っていく過程でどんなことを考えるか、 それが今後の自分をつくっていくのだと思います。改めて観察したり考えたり すると不思議なことが見つかるものは豚や人間の脚以外にたくさんあります。 それがまず授業を通してたくさん発見できればよいですね。僕はそのサポート を一生懸命したいと思います。

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齋藤知也 さいとう・ともや

日本語

「読むこと」 「書くこと」 「話すこと」 「聴くこと」が総合的に展開される授業です。 その根底で最も大切にしているのは「考え」 「感じとり」 「創り出す」ことです。 具体的に例をあげてみましょう。一つの小説や詩、あるいは評論を読めば、自 分のなかに疑問や感想や意見が生まれます。まず、それを文章に書いたり、発 言することによって他の人に伝えようとします。同時に、他の人がどのような 疑問や感想や意見を持ったのかを受けとめます。作品の読みには、 唯一の 「正解」 などありませんから、他者の考えと自分の考えをつきあわせ、すり合わせるこ とによって、より深く、よりおもしろい読み方も生まれてくるのです。切れ目 がないほど多くの意見が交流されることもありますし、逆に一人ひとりがじっ くりと考え込む静けさが訪れることもあります。そのなかで、教材として提示 された目の前にある「文章の世界」と、 「自分自身の世界」 (ふだん漠然と感じ ていることや、悩んでいること)がつながって見えてきたり、 「感じ方」 「考え 方」が揺さぶられるような授業を目指しています。一つのテーマの終わりには、 「まとめの文章」や「作品論」を書き、冊子にして読み合います。その過程で、 思考力や表現力もついてきます。

「言葉の奥の深さ」を感じとってほしいと願います。言葉は時に真理に迫り(真 理とされてきたものを疑い) 、時に人の心を動かし(酔わせ) 、さらには「世界 や他者や自分自身」に対する見方そのものを変えていきます。そのことに気づ いたとき、私たちは言葉を愛し、また怖れもします。そこから、言葉を大切に しようとする意志も生まれてきます。

考えたり感じたりしていることがうまく書けないなあとか、言いたいことがな かなか出てこないなあと思うとき、誰にでもありますよね。そういう時こそが、 自分の言葉を磨くチャンス、言葉において「不自由な私」から、 「 より自由な私」 を目指すきっかけなのです。どうでもいいことは簡単に表出できるけれど、大 事なことほどなかなか言葉にできないものです。だからこそ、大切な感情や考 えを少しでもフィットした言葉に表現し、他者と分かち合うことは、人間にとっ て大きな喜びとなります。そして、そのような「自分の言葉」を獲得していく ためには、 「他者の言葉」との出会いが大切です。優れた文学作品や評論をみ んなで読み深めながら、世界と自分自身を見つめる言葉を育てていきましょう。 私自身も、みなさんと一緒に、 「言葉の世界」を探究したいと思っています。

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齊藤理子 さいとう・りこ

日本語科

日本語の授業では、 「読むこと」 「書くこと」 「話すこと」 「聴くこと」を大切に しています。小説や詩の授業では、まずは一人ひとりが文学作品の言葉を大切 にしながら、自分なりに読みをつくっていき、作品に書かれていることをもと に感じたこと、考えたことをクラスのみんなと交流しています。また、作文の 授業では、書いていく中で自分の気持ちが見えてきたり、整理できたりするよ うに、その過程を丁寧に行なっています。

「答え」 (正解)などない、ということ。どんな文学作品でも、どんな詩でも、 「正 しい読み」などありません。教員と読みが違ってもそれは決して「間違い」で はないのです。子どもの頃に読んだ物語をもう一度読んでみた時、みなさんは 「あれ?こんなお話だったかな?」と感じたことはありませんか? 人は日々、 様々な出会いや経験を繰り返す中で、言葉や考えを身につけています。ですか ら同じ物語や小説を読んだとしても、全く同じ感覚にはなれないものです。 生きている中で、自分自身の読みですらこうして変わり続けているのです。で すから、 「絶対○○に違いない」なんて思いこまずに、 「あの人はどんな風に読 んでいるんだろう?」とクラスの人の読みに耳をすましてほしいと願っていま す。そうすることで、自分には持てないような新たな視点に気がつくことがで きます。また、 「 なるほどな」と共感する言葉や、自分が思っていた読みよりも、 もっと魅力的な読みに出会うことができるでしょう。その地点に立った時、再 び自分自身に「じゃあ、自分はどう読む?」と問い直してみることで、本当の 意味で自分の読みや「自分のことば」がつくられていくのです。授業を通して 考えること、そして自分自身に問うことを大切にしてほしいと願っています。

私はこれまで様々な授業を、自由の森の生徒たちとつくってきましたが、自分 では想像もしなかったような読みや言葉に出会い、心が、そして体が揺さぶら れるような感覚を何度もおぼえました。読めているようで、実は見えていない ことがたくさんあるのだ、ということを生徒のみんなから教えてもらっていま す。これから自由の森学園を訪れようとする皆さんがこの場に来てくれたなら、 きっと私と同じように、周りの人たちから心が揺さぶられるような思いや言葉 を受け取ることでしょう。授業や行事、日々の生活を通して一緒にたくさんの ことを吸収していきましょう。

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坂本匡之 さかもと・ただゆき

美術

表現するために必要なことは、物事を見つめる習慣だと思っています。見つめ ることで、絵を描く動作を作り出し、描くことで新たな発見をする。そんな体 験を実現するためには「ゆったりとした時間」の流れが必要だと考えました。 そこで基本的に1年に1作というペースで絵を描いてゆきます。 上手い下手を気にしている人は多いでしょう。不器用な人、器用な人、いろん な人がいるでしょう。しかし、そんな他人と比べる価値観ではなく、一人一人 の中に新たな出会いが生まれてくるような「絵を描く時間」にしていきたいの です。 ゆっくりと物事を見つめ白い画面に全てをぶつけていくと、残された絵から 色々なことを教えてもらえます。自分が何を見ていたのかという、再発見にも 繋がります。そんな時間の流れの中には、失敗も、迷いも生まれます。失敗、 迷いを大切にすると、1年という時間はけっして長すぎるものではないのです。 そしてそれは、 絵を描く「あらたな魅力との出会い」にもなってくれるはずです。 絵を描くことは個人作業ですが、共に過ごすみんなで、そんな時間を生み出す 事が出来たらと願っています。

「そっくり」という言葉が、絵の褒め言葉のようになっていますが、授業で大 切にしたいことは「自分にとっての物事を探すこと」です。少し難しいかもし れませんが一年が終わったときに、みんなに「そうだね」と共感してほしいと 願っています。

絵を描くことは、 「 自分から」という気持ちが本当に大切になります。今までの、 好き嫌いもあるでしょうが、初めて出会うような気持ちで絵を描いて欲しい。 自由の森学園では、これまでの学びのイメージを、いい意味で壊してくれる様 な出来事が沢山待っています。そんな一つ一つの出会いを大切に、ぜひ新しい 学びの世界を楽しんで欲しいと願っています。

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佐藤 恵 さとう・けい

英語

高校の英語では、 「自分のことばで表現すること」を目標にしています。つま り辞書など他者の力に頼らず、見たり考えたことを英語で表すということです。 そのために必要になる力、すなわち自分で問題を解決する力を養うための授業 づくりをしています。 例えば高校2年生の課題のひとつ『心を動かした映画・本の紹介文』では、は じめ多くの生徒が、それぞれの作品に対する思いを込めた情感豊かな日本語の 文章を書きます。しかしその複雑な日本語の文章を、辞書などの他者の力に頼 らず英語に置き換えるのは、至難の業です。そこで複雑な日本語を英語にする にはどうしたらよいのか、ということを授業では考えていきます。それは英語 の授業でありながら、普段何気なく使っている自分の日本語に向き合うという ものでもあります。2年生後期の評価表で、ある生徒は「日本語を英語に訳す というのは自分を知ること」と振り返っていますが、英語という他言語を学ぶ 中で、日本語のものの捉え方、さらには日本語を使う自分や自分のことばを見 つめます。 またこの課題では最後に、作品交流として完成した紹介文をクラスメイトの前 で口頭発表をします。生徒は自分で書いた紹介文を正しく音声化し、聞き手が 耳で理解できる速さや声の大きさ、そして間の取り方などを考えて繰り返し練 習します。 「答えはひとつではない」と生徒たちに伝えているため、ここで生 徒が真似できるよう見本は示しません。そのかわり生徒は自分の声を録音し、 聞くという作業の中で、相手に届くように伝えるにはどうしたらよいのか、と いうことを自ら考えていきます。

授業の中で学んで欲しいことは、英語も日本語と同様に生きたことばである、 ということです。どうしても英語は「覚えることばかりの教科」であるとか「大 学受験に必要なもの」といった認識や、 「 英語が話せないと生き残っていけない」 というような世の中の強迫観念に囚われがちです。しかし英語も日本語や他の 言語同様に、時代によって文法や単語が変化することばであると同時に、生き た人間が考えたり、感じたりする上で使い、それらを他者に伝えるために使う 道具だということを感じて欲しいと思っています。そして英語を学ぶことで自 分のものの見方がより深く、より広くなるということを実感して欲しいと願っ ています。

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Jason Saunders ジェイソン・サンダーズ

英語

We use natural English(which means fast and not always correct)in order to share our thoughts and ideas with others. 英語を話すときは、 「意思の疎通」を図ることが一番大切です。英語圏で話さ れている英語は、早口で流暢ですが、必ずしも正しいものではありません。し かし、コミュニケーションが取れる事が何よりも、私たちにとって大切なので す。間違いを恐れずにとにかく何でも話してみましょう。

English is not a thing I can give you. I can help you think about how to use it and give you some reasons to practise. English is actually quite easy and the world looks and feels different when you talk and think about it in another language. 英語は与えるものではありません。英語のレベルや経験もそれぞれちがうため、 みんなの会話力を伸ばすために自分はどういう英語を使ったらよいのかアドバ イスをするだけです。英語は思ったより簡単です。英語で考え、話すことで広 がる世界観を一緒に学びたいです。

Welcome to Jimori. My Japanese is really bad but I`m friendly. So if you chat with me you can practise your English and your Japanese at the same time. 自森へようこそ。私は日本語がちょっと苦手ですがフレンドリーな性格です。 英語の練習とともに、私の日本語を理解するための “ とんち的感覚 ” も身に付 けられますよ!

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菅 香保 すが・かほ

体育科

『体育=スポーツ』と思っている人は少なくないのでは? スポーツは確立し たルールがあり、勝負が決め手となる。それゆえ、のめり込み夢中になると、 おもしろい。けれど、自分の動きは “ 勝つ ” という結果への営みとなる。 私たちは体育します。“ からだをそだてる ” 学び。走る、逆立ちする、投げる、 跳ぶ。動くことで出逢う感覚をたよりに、からだを動かすことから見える自分 のからだと向き合う。自分のからだが心地よさを感じているか、目指している 丁度良い動きをつくり出しているか、確かめながら出来るに近づけていく。実 に面倒で、出来ない自分を知ってしまうのはやっかいだけれど、刻々と変化す る感覚は本物でおもしろい。結果としての出来るを目指しつつ、常に自分の姿 とのやりとりそのものを、体育としてとらえています。

なんと言っても、自分の身体を “ おもしろい ” と感じてほしい。動きの中で出 逢った感覚を知り、そして、その感覚を磨いていく。 例えば、陸上・投運動での円盤投げ。重くてドラヤキ型の物体を飛ばすのはど うしたら良いか。試しに投げるとフニャフニャ、グルグル、メチャクチャに飛 んでいく。でも、その円盤の姿は自分のからだがつくり出したエネルギーその もの。やはり、空に向かって美しい弧を描いて遠くに飛んでほしいのです。 「さて、どうすればいいのか?」と問いを持って動いてみる。円盤という物体 に対して、自分のからだはどう働きかけたらいいのかを、1回1回投げながら 「指先?」 「投げ出しの高さ?」 「足の運び?」と自分のからだそのものと向き 合い、心地よさ、しっくりした感じ、納得をつくるおもしろさを知ってほしい。 そして、自分のからだとやりとりを続けていく中で、自分のからだ、存在その ものを認め、くっきりした個々が繋がり、学びの空間が豊かになっていくこと を楽しんでもらいたいと思います。

「よーい、ドン!」 。小学1年生の徒競走で、音に驚いて息をのみ、一歩下がっ てスタートした私。リレーという運動会花形種目は応援専門。走ることにコン プレックスを持っていたけれど、広い空の中、自由の森のグラウンドで自分の 走りを見つけ、走ることの楽しさ、心地よさを知りました。今でも、1時間ご とに発見のある日々です。自分のからだはおもしろい! 一緒に『体育』しま せんか?

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菅間正道 すがま・まさみち

社会科

社会科とは<人間らしい社会や世界をつくるための見方・考え方やかかわり方 を育む教科>である、と考えます。そして事実や問いをめぐって、教室のみん なで考えあい、学びあうことを大切にしています。 具体的には二つの特徴があり、一つは、 「やり取り」=対話のある授業を心が けている、ということです。僕からの問いかけに、生徒が応え、その応えに別 の生徒が応答したり、生徒の応えに対して、ときには僕も果敢にツッコミます。 問いをめぐってみんなでよりよいもの(価値)をさぐっていく営み、対話や吟 味の過程そのものが大事だと思うのです。それこそが「考える」ということだ から。もう一つは、 「僕は/私はこう考える」という一人ひとりの考え・声を 大事にすることです。僕たちは、もちろん教室の中にいるのですが、ときには “ 文脈や場そのものに参加している ” という「擬似的な社会参加」や、 「思考実 験(メンタルシュミレーション) 」をしながら、 社会や世界の外側からではなく、 内側から、 「どうするのか」 「どうすべきなのか」を、お互いに声にしていくの です。社会はながめるものではなく、私たちがつくっていくものです。

まずは、社会や世界を知ることは面白い、楽しいと思ってもらいたい。 「面白 い」っていうことばは、雲の切れ間から顔に光があたって、顔が白くなってい く、というのがもともとの意味です。今まで知らなかったことを知ったり、知っ ていたつもりだったことに新たに出会い直すのは、自分が大きくなることを実 感し、知的な興奮を覚えます。そんな、ワクワクした時間をともに過ごしたい。 ひ と

そして、知った事実は、決して「他 人ごと」ではないということや、私たち一 人ひとりの学びやかかわりによって世界は変わるのだ、ということも学んでほ しい。自分(たち)が、社会や世界をつくるうえでの大切なひとりなんだ、と いう認識と実感を一人でも多くの生徒にもってもらいたいと願っています。

社会科は「どれだけ覚えたのか」が問われる暗記教科だと思われがちです。け れど、本当に大切なことは「どれだけ考えたのか」ということ。暗記やマニュ アルだけの勉強では、人類の抱える課題―貧困・不平等、戦争、環境問題など ―に立ち向かうことはできません。 学ぶことは、世のため、人のため、そして――自分のためです。だから、お互 いのために、お互いから学びあう、そんな社会科の授業を、いっしょに創りま しょう!

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玉木志乃 たまき・しの

英語

中学生と高校生では英語の授業のあり方が違うので、ここでは中学の授業に 絞って説明します。 中学生の時期は、細やかな英語の法則を覚えているかどうかよりも、身体を使っ た活動を多く経験することが必要です。英語の法則はなかなか理解できなくて も、何らかの活動を通して使った英語の文そのものは残っています。授業は英 語の法則を「覚える」という前提に立つのではなく、 「何をやるのか」またそ れを通して 「何ができるようになるのか」 を重視しています。具体例を挙げると、 英詩や物語の暗唱、登場人物になりきって英語を言う、絵を見ながら英語をしゃ べる、自分の経験を書く。そのようなことができるようになるために時間を使 います。一回一回の授業では、英文を理解する、単語を読めるようになる、文 として読めるようになる、学んだ表現を使って英文を作ってみる。そのような 活動を、ゆっくりと楽しみながらやっていきます。また、最近重視しているの は、仲間と一緒に課題や作業に取り組むことです。ペアやグループで、読み方 のチェックやプリント教材に取り組みます。分からないことがあればペアの相 手やグループの仲間に聞く、それでも分からない場合は、全体の場に出し、み んなで解決し学ぶという形態を取り入れています。一人では越えられない課題 も友達の力を借りればできることがあるからです。 「時々脱線してしまうけど、 教えたり教えられたりがあるからいい」と生徒からも好評です。

英語は難しくて楽しくないと思われがちですが、いろいろな活動の中で、 「で きる」という体験を積み上げて自信をつけて欲しいと思います。学んでいると 知らず知らずに英語と日本語の違いや共通点に気づきます。そして、その違い からその言葉の持つ「ものの見方」が見えてくると思います。自分たちとは違 う回路でものを見ている人たちがいるということを知って欲しいし、その面白 さに気づいて欲しいと思います。また、日本語とは違う言語で自分を表現でき る面白さにも気づいて欲しいです。

高校や大学に入るために英語は必要だ思われがちですが、自由の森ではそのた めに学ぶことはしません。外国語を学ぶことそのものが面白いし、それを使っ て何かができるようになると楽しいという感覚が持てるようになることを大切 にしています。楽しく学んでいきましょう。

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中野 裕 なかの・ゆたか

中学校長・数学科

中学から自由の森の時間を経験する生徒にとっては、ここで6年間を過ごして いく前半の時間となります。これまでの経験のなかで、子どもたちの外側はも ちろんですが、自分自身の内部にある価値観なども含めて、実はさまざまなこ とにしばられていることがあるのです。そのことが、もしかしたら子どもたち が生まれながらに持っている「無邪気さ」を削ってしまっているのかもしれま せん。 学校生活では、未知の世界と出会うことや、ここで過ごす多様な人たちと出会 う機会がたくさんあります。そうしたものから生み出されるものは、競争を勝 ち抜くことで得られる価値観とはまったく異質のものです。たとえば、自分の 言葉で納得することを通し、学びの世界が積み上げられるにつれて、本気で本 質のものはいったい何であるのかを追求する姿へと変わっていきます。また、 自分以外の他者、あるいは未知の世界との対話や関係づくりを通して、それぞ れ持っている世界観が広がっていきます。そして、美術や音楽などでは内側に あるものを「表現」する中で自分自身を見つめる眼を持つのです。 6年間の前半では、自分の足で歩くようなペースで、経験的に獲得していく時 間を過ごします。

私は数学の授業を担当していますが、そもそも数学というものは、自然現象や 社会現象を説明する言語のようなはたらきを持っていると考えています。です から、目の前の出来事が、どういうしくみで起こっているのかを知ったり、同 じような構造をもつ別のものとつなげて考えたりするための道具となるので す。しくみを理解した瞬間は気持ちよいし、別のものと構造が同じであるとわ かれば、世界のしくみはもしかするとたくさんの共通性が横たわっているので はないか。その共通性を知りたくなって、あれこれを解析したくなってきます。 そして、もしかすると説明しきれないものにも出会って、新しい数学の言語を 開発しなければならないことにも出会います。たとえば√や微分や積分の世界 も、それまで持ち合わせていなかったあたらしい言葉です。言葉が世界をつく り出すことを知り、一方でその言葉の限界性を横で感じながら、見えないもの を記述することで発見したり、表に現していくのです。

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名和田俊二 なわた・しゅんじ

音楽

音楽科は中1から高3までそれぞれ週 2 回、 「音楽の時間」があります。ただひ たすら、クラスのみんなでうたい、合唱をつくっていくのです。 いろんな人と音楽すること、そこで感じとること、それは、君たち若者が人間ら しく成長するために、とっても大切なことだと考えています。みんなと一緒にう たうことで、より、自分を解放させ、伸び伸びと自分を表現していけるといいね。 そのために大切なことは、 「うたいたくてうたう」 、ということ。全てはそこから 始まると思うし、逆に言えば、 「うたいたくなければうたわなくていい」 、という ことでもあります。 うたう、 という音楽表現。自分が楽器になり、 そして、 自分の奏でる旋律に 「ことば」 をのせていく。シンプルであり、 また、 限りなく奥が深いことなのかもしれないね。 何気なく出るハナウタから、全ての想いをのせてうたううた。同じ人でも、日に よって、気分によって、出てくるうたはぜんぜん違ってくる。 生きている、つくりものでない本物のうたをみんなでうたっていこう。そんな中 から、年に 1 回でもお互いに何かが感じ合えたなら、こんなに素敵なことはない と思う。 僕は、出来るだけ、ゆっくりと、効率悪いやり方でみんなと音楽をつくっていく 時間を楽しみたいし、うたいながら、ピアノを弾きながら、音楽でみんなとつな がっていきたいと願ってます。

音楽とつきあうのもいいなあ、と感じてもらうこと。欲をいえば “ 音楽すること ” を好きになってほしいな。学ぶ、ということとは、ちょっと違うかもしれないね。 でも、人が自由をめざし、楽しむのに、すごく大事なことだと思っています。

中学や高校の 3 年間を、 「先の何か」のために使うのでなく、その 3 年間を、そ の時期にしか出来ない大切な時間として使い、 「今」のために過ごしていく場と して、自由の森学園は存在していると思う。かけがえのない、大切な十代のある 時期を、それぞれの季節のにおいがし、それぞれの季節をどっぷりと味わい楽し める、飯能、小岩井の高台にある自由の森学園で一緒に学校生活をつくっていき ませんか。 たくさんの人やものと出会い、自分と一生懸命に向き合い、好きなことも嫌いな こともていねいにつき合いながら。ありのままの自分を捜していけるといいなあ。

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西田隆男 にしだ・たかお

保健室・相談室

心身ともに快適な学園生活を送るための「健康教育」を担当しています。 「健康」には、三つの側面があります。一つ目は「体の健康」 、二つ目は「心の 健康」 、そして三つ目は「生きる意味」を知ってイキイキと生きることです。 まず一つ目の「体の健康」は保健室で対応しています。 体調がよくないときやケガをしたときの応急処置を行うと同時に、予防法も教 えます。自分の体のメンテナンスのしかた全般を身につけることを目指してい ます。 二つ目の「心の健康」は相談室で対応しています。 自由の森学園で学べる最も大きなことは仲間とのつながりです。受験という競 争原理を排除し、パワーゲームを持ち込まないことが自森の理念ですから、教 室や部活、さまざまな行事を通して友達と濃密な関係を築くことができます。 そうした中で生じる心配ごと、ちょっと気になること、悩んでいることの相談 にのっています。心のモヤモヤは経験を積んで大人へと成長していくひとつの 過程です。うまく乗り切ることで、次のステップへと踏み出していけます。そ のお手伝いをするのが相談室です。安心できる安全な場所でだれかに話すこと で、心は整理され、自分の突き当たっている問題を直視することができます。 三つ目の「生きる意味」は「心理学」 (選択講座)の授業を通して、一緒に考 えていきます。 この講座では、人間とは何か、心とはどのようなものか、自分とはなにものか、 生きることの本質とは何かといった哲学的な問いを、心理学の視点から探究し ていきます。

基礎的な勉強が大切なのは言うまでもありませんが、本当の学びは、そうした 既成のものを超えたところにあります。知ることによって、新たな疑問が生じ、 その疑問に導かれて探究していくといった「学びのおもしろさ」を、ぜひ体験 してください。

信頼できる仲間との出会い、居心地のいい場所、自分の本当の居場所、自分の 求めている勉強――そういうものに囲まれた学園生活を送ってほしいと強く 願っています。他者と自分を比べて一喜一憂したり、勝ち組・負け組という見 方で人間を分けたりするのではなく、 「みんな違って、みんないい」という対 等な関係の中で友情を育み、学びを楽しんでほしいと思います。

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丹羽晶子 にわ・しょうこ

日本語

自由の森学園では、 国語科にあたる教科を「日本語科」と言っています。 「国語」 という名付けには、 「国が決めた言葉」 「国から与えられた言葉」という意味が つきまとっています。一方「日本語科」という教科名には、日本という地域に 暮らす自分たちが使う言葉である「日本語」を学ぶという意味が込められてい ます。そこには、自分が使っている言葉を、与えられたものとしてとらえるの ではなく、自分でつくり続けていくものとしてとらえてほしいという願いが反 映されているのです。 日本語科では、自分を表現する「自分のことば」をつくっていくことが目標で す。授業では、文学から評論まで様々な文章を「読むこと」 、自分のとらえた ものを「書くこと」 、そして、他者の言葉を「聞くこと」 、自分の考えを「話す こと」が基本です。また、まとめとしてテーマ毎に書かれた作品を、その都度 作品集にして、クラスの中で読み合います。同じテーマに沿って書かれた他の 人たちの作品を読むことによって、自分の読み方やものの見方、感じ方はさら に吟味され、深められていくのです。

「自分のことば」は、自分と違う「他者」の言葉と出会う中でこそ、吟味され、 つくられていくものです。ですから、授業ではまずテキストの文章をじっくり 読むこと、クラスの人の考えに耳を傾けることを大事にしてほしいと思ってい ます。その中で、共感する言葉や文章に出会ったり、自分とは違うものの見方・ 感じ方に出会ったりすることで、自分の考えが生まれてきます。それをどのよ うに表したら正確に伝えられるのか、自分の中で言葉を探すことによって「自 分のことば」はつくられていきます。 言葉と出会うことは、自分が生きている世界と自分とのつながりを見つけたり、 新しい自分を発見したりすること。それを学んでほしいと思っています。

言葉を学ぶということは、 「正しい」言葉を覚えたり、使えるようになったり することではなく、たとえば、歌を歌うように、踊りを踊るように、あるいは、 絵を描くように、自分を表現する手段を手に入れるということです。いつのま にか当たり前のようにつかっている言葉をそんなふうにとらえてみると、自分 が、世界が、また新しく見えてきます。 そんな言葉との出会いをここで一緒につくってみませんか。

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野口敏宏 のぐち・としひろ

木工

原木から、手作業で、じっくりと時間をかけて 1 年間で 1 作品を仕上げていき ます。 原木の状態からつくり上げるという事は、木に親しみ、理解を深めるための、 欠くことのできない要素が含まれています。色や形、重さや匂い、樹皮の状態 や木目、節、虫食い後など、画一的な加工材には無い様々なイメージを私たち に与えてくれます。鋸で挽く、鑿で彫るといった手仕事は、木や道具の状態を、 手の感触や、音、匂いなど五感を通して感じさせてくれます。このことは同時 に、じっくりと考え、イメージを吟味する時間的余裕を与えてくれます。製作 過程での様々な発見や工夫は、最初のイメージを越えた新たな世界を生み出し、 オリジナリティー溢れる独自の作品に繋がっていきます。一つの作品を仕上げ ることが、完成の喜び、満足感につながり、木について、技術についての理解 を深めます。このような作品をつくる仕事が、自己の発見や可能性を広げるこ とにつながると考えています。

形にすることで自分を見つめ、発見、工夫を重ねることで、創造の連鎖の芽を 育て「思い」をつくっていきたいと考えています。木工の作品が完成すること だけにとどまらない、自分の手応えや、楽しみ方を探って欲しいと思います。

日々変化する社会の流れや価値観に振り回されること無く、自分が本当に楽し いと感じることを、共に生み出していきましょう。

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原 恵理 はら・えり

数学

授業内容をできるだけ多くの人にわかってもらいたいと願いながら、授業準備 をしています。そのためには、わかりやすい説明をすることが大事です。数学 の定理をドーンと出して証明を考えるやり方も時には必要ですが、その定理が 作られたプロセスを一緒に考える方が、子供には自然に納得できる様です。ま た思考の助けとなるような教具をなるべく多く教室に持ち込むようにしていま す。具体的な物を見ると、子供の眼の輝きがちがいます。たとえば、関数の授 業では手づくりのブラックボックス、数列の授業ではブロックで作った立体模 型とか……確率の授業ではサイコロやくじを使って実験をやります。これまで の数学の授業では手作業をしたり、実験をしたりという経験があまりないよう で、子供達は喜びますし、授業内容の理解もすすむと好評です。数学といえど も、頭だけではなく五感を総動員して理解することは、とても大事なことだと 思っています。 また、ひとつのテーマの終わりにはテストではないやり方で学習のまとめを やってもらいます。ノートやプリントを参考にしながら、自分の学びを再構成 した内容をB4一枚程度にまとめ、表現してもらって、それを教室の外の廊下 に貼って、お互いに作品を見合ってもらいます。学んだことを自分一人の中に 閉じ込めないで、外に向けて発信することで他の人との学びとつなげていきな がら、さらに豊かな知を獲得してほしいと願うからです。数学は、人間が創造 した最も古い文化のひとつですから、授業という場と空間の中で、楽しみなが らお互いに数学文化を共有したいものです。

授業を楽しんでもらいたい!それが一番の願いです。楽しむとは、なぜだろう という好奇心を持ってワクワクしながら問題を考えている状態を指します。そ ういう時は、脳も大いに活性化しているというではありませんか。受け身では なくて、自分からアクティブに関わってほしいですね。

未知なる数学の世界に潜む不思議さや美しさ、そして奥の深さを、一緒に探索 していきましょう。出来る、出来ないの次元とはもうひとつ別の面から数学を ともに楽しみましょう。 あなたと出会えることを、心より楽しみにしています。

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泥谷千代子 ひじや・ちよこ

食生活部

寮生の朝・昼・夜、三度の食事作りのうち、主に朝食の担当です。具体的には 早朝5時半ごろ出勤し、スタッフと共に朝食の準備をします。昼用の出汁の用 意や明日用のパンの仕込み(天然酵母で焼くので出来上がるまで8時間かかり ます)を同時進行で行い、その間に届けてもらった食材を確認したり、冷蔵庫 に納めたりします。 寮生には朝食のカウンターサービスをします。食事の提供が終わったら、食器 の片付けや器材の後片付けに追われます。そして自分の朝食を済ませて、昼食 の準備に移ります。中休みや昼食時間はレジ担当で、生徒たちに対応していま す。ご飯を炊いたり、味噌汁を作ったりする食事作りの他、日々代わる食品庫 の整理整頓、仕入れ伝票の確認、毎月の給与計算、毎日の献立を検討したり、 お米をついたりと雑務一般をひきうけています。 化学調味料や食品添加物を使った冷凍食品や加工食品、化学肥料や農薬をたく さん使った穀類・野菜類を使用せず、出来るだけ自然に近い食品を、手作りで 提供することを心がけています。なぜなら、それが一番おいしいからです。心 身ともに大きく成長していく中学生・高校生という年頃に、本物の食事を食べ させたい。昨今の食事情の中、 軽視しようと思えばいくらでも出来てしまう『食 べる』という行いが、実は生活する者の基本にあると信じています。

多感な年頃にこそ、いろんな人に出会い、生き方を模索して欲しいです。経験・ 体験を通して、生活の仕方・価値観の違い・他人との距離の取り方や共同作業 のおもしろさなどを学んで欲しい。自分というものを探して欲しい。自由の森 には、人とかかわることでしか得られない学びの場がたくさんあります。そこ で「学び」の面白さを見つけてください。将来、自由の森での時間がかけがえ の無いものだったと、必ず、気付くと思うのです。

もしあなたが、本物志向だったら自由の森へいらっしゃい。ここにはたっぷり の『時間』があります。あなたのほんとにやりたいことが見つかるでしょう。 自分のやりたいことをしっかり持っている人も、自由の森で出来ることを見つ めてみませんか? 美味しいものを食べながら、一緒に学びましょう !!

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藤村紀夫 ふじむら・のりお

数学科

自由の森の数学の授業にはつぎの特徴があります。 (1)単なる数や式の計算に終始するのではなく、具体的な量との関わりの中 で意味を大切にした授業をおこなっています。例えば、2 × 3 = 6 というかけ 算にしても、2m×3m=6㎡というように具体的な量を入れた方がずっとイ メージしやすくなります。このように数学の内容を実生活に登場してくる量と の関わりの中で考えていきます。 (2)教員による一方的な授業ではなく、生徒の発言を大切にした、みんなで つくる授業を目指しています。それが例え正解でなくても、素晴らしい結論に つながることもあります。途中で質問するのも大歓迎です。質問はより深い学 びにつながります。 (3)学ぶ内容を大幅に整理して、微分・積分を高校の柱にしています。微分・ 積分は高校で扱うべき内容の総決算であるとともに今日私たちの生活の土台と なっている近代科学の発展の原動力でした。そのダイナミズムをぜひ学んでも らいたいと思っています。しかし、できる限り体系化しないようにしています。 あるところでつまずいてしまっても引きずらないですむようにしました。

何よりもみんなで一緒につくっていくのだという気持ちをもって授業に臨んで 欲しいと思っています。それは授業で無理矢理発言しなければならないという 意味ではなく、みんなで考えている問題に向き合って欲しいという意味です。 数学が得意な人、苦手な人、好きな人、嫌いな人、いろんな人がいます。正解 でない意見の中にも素晴らしい発想が隠れています。自由で活発な議論は楽し いし、素晴らしい結論を導くことができます。より多くの人たちが同じ輪の中 で考えられるような授業ができたらと思っています。

ぜひ自由の森の日常の授業と行事、両方を見にきてください。オープンスクー ルや学びの森で自由の森の授業をみずから体験してみるのもいいですね。そし て自由の森に入りたくなったらいつでも相談してください。お待ちしています。

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馬政煕 まじょんひ

外国語科「韓国・朝鮮語」

言語を習得する能力は個人ごとに差があると思います。私の授業では韓国語 / 朝鮮語の文法より会話を中心に面白く進行しようと思っています。 日常的な会話を演劇的なセリフのように感情を入れて、ボディーランゲージを 織り交ぜて学ぶ方式が特徴です。

ただ言語を学ぶのではなく、私と一緒に韓国語を話せば気分が楽になって、情 緒的に落ち着ける、そんな柔らかい韓国語を体験してみてほしいです。 外国語はその国の食べ物や文化を通じて、もっと親しめることができると思い ますのでもちろん韓国料理も学んで行きます。

私は、韓国から日本の演劇を勉強するために日本へ来て、大学と大学院を卒業 しました。そして多くの善良な日本の人々と友達になりました。しかし、私の 胸を痛くする人々も存在しました。大変でした。 一方、この学校に来ると親切な先生たちと生徒たちを見ながら世の中が美しい ということが分かりました。親切な先生たちと生徒たちがこの学校の魅力だと 思います。本当に心を楽にさせながら自由に勉強できるように誠心誠意指導し ます。癒される学校だと思います。 今年 1 月と 3 月に韓国文化院が共同主催する韓国語スピーチコンテストに本 校の生徒が参加しました。1月に参加した関東地域高等学校大会では最優秀賞 を受賞し、全国中高等学校大会では優秀賞を受賞しました。二つの大会の予選 まで全部含めれば数百人が参加した大会でした。本当に嬉しい瞬間でした。 毎週木曜日の昼休みに尋ねて来て韓国語で話そうとした生徒は2年間勉強した し、他のある生徒は韓国講座を受講して、韓国の高校生たちが日本に来た時に はお互いにホームステイをしながら韓国語を学びました。 その生徒はこの学校のことを、 「毎日通うのが楽しい学校です」と紹介してい ました。私もこの学校で教えるのが楽しいです。

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松浦英樹 まつうら・ひでき

寮監

寮生活を送る子供たちを監督する仕事なのですが、あまり指導するという意識 を強く持たず、一人の寮の仲間という気持ちで生徒たちと接しています。家族 を離れて暮らすわけですから、時には親の代わりとなり、時には兄の代わりと なって、子供たちが自立するまで支援するのが自分の役目だと思っています。 朝になると子供たちを起こし、学校に送り出します。そして昼間は寮の掃除が 行き届いているかをチェックしたり、壊れている箇所を修繕するなどします。 そんな中で悩みの相談を受けたり、将来についてを語り合ったり。私はこの仕 事をはじめて 14 年になるのですが、最近はいわゆる “ やんちゃ坊主 ” が少な くなり、逆にインドア系の若者が増えていると実感しています。そういった内 向的な生徒が抱えるモヤモヤを和らげるために、できるだけざっくばらんなコ ミュニケーションを心がけています。

自由の森学園は考える時間が豊富にある学校だと思います。様々な選択肢に対 して、自分で悩み、選び、取り組める時間があります。またあまり積極的では ない性格だったとしても、必ず近くの誰かが仲間となり、何かに導いてくれます。 私は授業には関わることはありませんが、学園祭などの行事に参加すると、と てもそれを感じます。おとなしい生徒と活発な生徒が一緒に舞台を作り、盛上 がっている。そんな光景を観ていると、時間があることの大切さ、仲間がいる ことの大切さを思い出させてくれます。この学校で学んだ生徒たちも、その素 晴らしさをいつまでも忘れずに心に留めておいてほしいです。

寮に入ろうとする方へのメッセージとなりますが、部屋はそれほど綺麗じゃな いし、相部屋だし、もしかすると気の合わない仲間と同じ部屋になるかも知れ ません。そう考えるととても面倒くさい気持ちになるでしょう。しかし、その 面倒くさい中から、人の価値観やコミュニケーションが学べます。 他人との共同生活を送るチャンスは社会に出るとなかなかありません。そして 寮生が卒業する時は、みんなとても寂しがりながら出て行きます。若い時にし か経験できない素晴らしい時間を、多くの仲間たちと一緒に過ごしましょう。

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松田和彦 まつだ・かずひこ

体育科

体育とは(からだ)を育てる教科です。その「からだ」は誰のものでもありま せん。子ども自身の(からだ)なのです。 自由の森学園では、体育する時、思うように動かない体のもどかしさや、なぜ? どうして? という心の葛藤を体感することを大切にしています。心身まる ごと一体としての(からだ)の追求を抜きにしては、たとえ出来た、という結 果が出せても、からだが育ったとは言えないと考えているからです。 体育教師として、以下の三つのことを心がけています。 まず笛を持たない。……教育という仕事は、人間同士が触れ合い、認め合い、 学び合いながら互いに成長し、互いを豊かにしていこうとする関係の中で成り 立ちます。とすれば笛という機会的な道具の力は必要ないと考えています。 次に運動のイメージを語る。……追求すべき動きのイメージが、子ども達の頭 や心に描けるような言葉を常に探し続けます。それは、子ども達の学習意欲と イメージの豊かさとは大きな関わりがあるからです。 最後に、子どもに問いかけ子どもに学ぶ。……生徒も教師も「問い」とは、か らだの内側で感じていることを言葉にすることです。互いの問いを通して育ち 合う関係は、授業の基本だと考えています。 より深いからだの認識の獲得、質の高い表現を目指す時、人間が生きて行く上 での基本的な動き(立つ、歩く、走る、投げる、跳ぶ、呼吸、リズム等)が大 切になります。それをふまえ、次の教材を準備しています。器械運動(マット、 跳び箱) 、陸上運動(走学習、投学習) 、ボール運動(バレーボール、フットボー ル、ソフトボール) 、日本の太鼓、踊り(各地に伝わる郷土芸能) 。この4領域 を中心に進めながら、新しい教材の開発も行っています。

他者と比べても分からない、自分の身体とは何かを自分自身の「からだ」を教 材にして学んでください。 「答えは必ず、自分の(からだ)のなかにある」

体育の授業は、身体文化という教材を通して、意識的に自分の「からだ」を観 る、そして探る時間です。 「他者を侵略しない身体、他者に侵略されない身体」 。 そんな自立した(からだ)を目指しましょう。

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吉岡英美 よしおか・ひでみ

化学

授業で大事にしているのは、予想を立ててもらうことです。理科の授業は、自 分たちの周りの自然や身の周りの不思議について考えます。不思議なことに対 して「なぜ?」という問いを持ち、まず自分はどんな予想を立てるか。今の私 たちは昔の人たちが調べてきてわかってきたことを学んでいることが多いで す。けれど自然界にはまだまだわからないことがたくさんある。 「なぜ?」と いう問いに対して答えのないことがたくさんある。だからこそ、授業で扱う内 容に対しても「なぜ?」という問いを持ち、考えることが大事です。昔の人た ちが思考したように、まず予想を立て、その予想をクラスで出し合い、みんな で考えてみる。いろんな考えを実際に試してみる。そうやって「なぜ?」とい うことに対しての答えを導きだしていきます。実際に試してみるという点で、 実験が多いのも特徴のひとつだと思います。

理科は自然を相手にしている教科です。自然とはどういうものなのか、私たち 人間はどういう生き物なのか、私たちはどのように自然と関わって暮らしてい くのか。簡単に答えの見つからないことは多いけれど、考えること、知ること を通して、自分たちがどのように自然と関わって、暮らしていくのかを学んで もらいたいです。わからなくなるというのは、学んでいる証だと思います。

小さい頃、身の回りの自然と遊んでいた。生き物ではアリが好きで、アリが引 越しているところやアリが死骸を運ぶ様子をずーっと見ていた。アリがケガし ているから、オキシドール(消毒液)につけてあげた。そうしたらアリは死ん でしまった。そんなこともありました。スコールみたいな雨のときには、わ くわくして傘をさして外に出て、水の力のすごさを感じたり、雷の時には家で ギザギザの稲妻が見られるとおおーと思っていた。不思議だなーと思ったこと を考えること、試してみようってわくわくすること。誰にでもそういう事って あるんじゃないかな。そういう気持ちを大事にできたら、いつまでもキラキラ していられるんじゃないかと思います。自由の森にはすごくキラキラした人が いっぱいいます。そういう人たちと一緒に何かをつくっていくのは楽しい。こ の場にいていろんな人と出会えることは、うれしいことだなーと思います。

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