[sample translations]チャ・ヨンミン, あいつのモンタージュ jap

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チャ・ ヨンミン あいつのモンタージュ Ja p a nes e

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あいつのモンタージュ (그 녀석의 몽타주) Saeum Publishing corp. / 2012 / 58 p. / ISBN 9788993964424 For further information, please visit: http://library.klti.or.kr/node/772

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あいつのモンタージュ 作者 チャ・ヨンミン

目次

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プロローグ 1. ピッ、学生です 2. おじさん、パンたのむよ! 3. げ、勘弁してよ 4. 苦い後味 5. マジで?

ほほほ。一億!

6. 初デート? 7. 大人になるということ 8. 岩盤マット6枚 9. いえいえ、それほどでもないです 10.ハア、ハア、ハア、ハア 11.援助交際だなんて! 12.アルバイト募集中。頼みます! 13.タラの干物を使う武術、知ってる? 14.右の頬を叩かれたら左の頬を出しなさい。何で? 15.また来たの? 16.だ、誰? 17.気持ちは隠せない 18.バイバイ、叔父さん!


19.そう、俺がドンアンだ エピローグ あとがき

プロローグ 2 俺の名前はアン・ドンアン 1。まだ住民登録証2 も持たない、プリプリの十六才。 でも、見た目は三十五才。もう少し年をとれば童顔になるっていうけど、本当か よ?

1.ピッ、学生です

高校生になってから、ゆっくり寝たことなど一度もない。早すぎる登校時間、お そろしいほど長い夜間自律学習3、山のような宿題。勉強ほど楽なものはないと大人 は言うけど、成績表という紙切れに少しでもましな数字を残そうと、脳のメモリが ぶっ飛ぶほど勉強しなきゃならないのは悲惨な現実だ。 俺は日増しに年老いていく。おかげで若白髪は一本や二本どころじゃない。以前 は必死になって抜いていたけど、若白髪の繁殖力はにきびの比じゃない。抜けば抜 くほどどんどん増える。だから今ではほったらかしだ。全部抜けば間違いなくハゲ になっちまう。 赤ちゃんみたいにふっくらしていた肌は、いつの間にかハリを失い、口元にはう 1

「ドンアン」は韓国語で「童顔」と同じ発音。

2

韓国では出世時に住民登録番号が付与され、満十八歳になると住民登録証が発給される。

3

韓国ではほとんどの高校で、0時限目の早朝学習と、放課後に残って自習を行う夜間自律学習を実

施している。


っすらとほうれい線が浮かんでいる。顔の面積は日ごと増している。実際にものさ しで計ったことはないけど、俺の顔は普通の人より一割五分三厘ほど大きい。顔が 大きく見える決定的な要素を二つも備えているのだ。顔が大きいのは仕方ないとし ても、肌まで荒れてしまったのは深刻な睡眠不足のせいだ。それでも週末になれば、 寝坊できるチャンスはある。それをささやかな幸せと思って生きている今日この頃 だ。でもその幸せも、毎週そうそう味わえない。 ティリリリリン、ティリリリリン。 週にたった一度の朝寝坊を楽しもうとしていた日曜日、携帯メールが立て続けに 届いた。こんなふうにしつこくメールを送ってくるやつは、一人しかいない。

ドンアン、今すぐPC房4に三万ウォン持ってきてくれ。

わが家に同居している叔父さんだ。PC房で昨日の夜から一晩中、マウスをいじり キーボードを叩き続けたらしい。家に最新型のパソコンがあるにもかかわらず、ど うしてお金を払ってまでPC房に通うのか分からない。特に得意なゲームといったも のがない叔父さんは、PC房に行けばいいアイテムを獲得できるし早くレベルアップ できる、なんて的外れな理由を挙げるのだが。 叔父さんは俺とちょうど十五才差だ。でも、中身は俺より十才は下。昔はそうで もなかったのに、年をとるにつれてどんどんおかしくなった。俺は叔父さんからの メールを軽く無視して、少なくとも九時までは寝たかった。でもそうすれば、この 間、参考書の代金を二倍にごまかしたことを母さんにばらされるに決まってる。 結局、朝寝坊はあきらめて、出かける準備にかかった。が、部屋を見回してもち ょうどいい服が見当たらない。外はまだ寒いのに、上着ひとつないなんて。だから 4

韓国版インターネットカフェ。安価で利用でき、子供や学生がオンラインゲームなどを楽しむ遊び

場のひとつになっている。

3


って、ダッフルコートを着るのもダサい。仕方ない。叔父さん愛用の軍用キルティ ングジャケットを借りるか。これもやっぱりイマイチだけど、暖かさでこれに勝る ものはない。

急げ。 最近俺が通ってる店、知ってるよな?

ったく! またメールだ。せっかちにもほどがある。 「うぜえ」 思わず悪態が口をついて出た。最近叔父さんが通っているPC房は、ここからバス でずいぶんかかる市内の中心にある。近所にもPC房は余るほどあるのに、どうして 市内まで出かける必要があるのかさっぱり分からない。多分、その店のアルバイト のお姉さんがかわいいから、というのが俺の予想だ。叔父さんみたいな、何をする でもなくブラブラしている情けない男になど目もくれないだろうに、叔父さんはそ んなイタい現実を分かっているのだろうか。 どう見てもニートにしか見えない出で立ちでバスに乗るのは嫌だったけど、仕方 ない。 ‘ピッ。学生です’ 乗車カードを読み取り機にあてて座席に座ろうとした俺は、運転手の目つきが尋 常でないことに気付いた。ものすごく不快な目で俺を睨んでいる。 「ちょっと、そこの軍服のおじさん」 運転手がとうとう俺を呼び止めた。理由は大体予想がついている。ああ、早くも 恥ずかしさがこみ上げてくる。 「ぼくですか?」 「困るんだよねえ。いくらなんでも、大人が学生用のカードを使っちゃ。悪いこ

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と言わないから、今のうちに百五十ウォン、追加で払うんだね」 やっぱりだ。運転手は俺を大人だと思っているのだ。今日もこんな目にあうとは。 いくら老けて見えるからって、「おじさん」はない。見た目はこうでも、俺はれっ きとした、大韓民国でいちばん苦労が多いと言われている、高校生だ。それもとび きり初々しい高校一年生。なのに「おじさん」だと?

「そこの青年」でもない、

「ちょっと、軍人さん」でもない、ただの「おじさん」?

血圧が一気に急上昇し

て、後頭部がひっぱられるように熱くなった。 「ぼく、学生です」 「大学生は学生割引にならないよ」 「大学生じゃなくて、高校生です」 「嘘つけ!

どう見たって二十代後半はいってるくせに。軍用ジャケットを着て

るとこからして、除隊してけっこう経つんだろう。百五十ウォンくらい、ケチらず にとっとと払うんだな」 運転手は苦虫を噛みつぶしたような表情で、俺の出で立ちをじろじろ見回した。 そのとおり、百五十ウォンくらい何でもない。これから叔父さんに三万ウォンを納 めにいくのだ。百五十ウォンくらい、道に放り捨てても惜しくない。でも、これは お金の問題じゃない、俺のプライドの問題だ。今この状況で百五十ウォンを追加で 払えば、俺が老けてると認めることになる。 「いやです。ぼく、本当に高校生ですから」 「それなら学生証を見せなさい」 「学生証? 分かりました。ちょっと待ってください」 ポケットをまさぐった。実物よりずっと老けて見える写真のせいで、いつもは持 って歩くのが嫌だったが、今は何より必要な代物だ。ところが、ポケットを探って も見つからない。どうやら、あの冴えないダッフルコートのポケットらしい。 「ほら、学生証」

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「うっかり家に忘れてきたんですけど、ぼく、本当に学生なんです」 「ちょっとあんた、いい加減にしてくれよ」 今日に限って、こむずかしい運転手に当たってしまった。普段から、俺の本当の 年齢を疑う人はよくいるけど、大抵の人は騙されたふりして大目に見てくれる。で もこのバス運転手の場合、そんな寛容な心は遠いお空へ投げ飛ばしてしまったらし い。こうなると、話はややこしくなる。 「運転手さんこそ、いい加減にしてくださいよ。もう、けちくさいなあ」 「けちくさいだと?

もういっぺん言ってみろ」

運転手はとうとうバスを止めると、俺の胸倉をつかんだ。百五十万ウォンでもな い、たった百五十ウォンのためにこんな目にあわなきゃならないなんて。百五十ウ ォン受け取れば、財閥になれるってわけでもないだろうに。ついてない日だ。 「未成年者を殴るつもりですか?」 「未成年者?

何をぬけぬけと…いいか、よく聞け。あんたみたいなやつは一度

痛い目にあわなきゃ分からんらしい。よっぽど見逃してやろうと思ったけど、無理 なようだな。交番に突き出してやる」 この運転手は明らかに血の気が多いようだ。何の罪もない俺をひっつかまえて、 正義を証明しようとするなんて。ひどい悪態をついたわけでもなく、ひとこと「け ちくさい」と言っただけなのに、それだけでこんなに頭にくるとは、寛容の「か」 の字も持ち合わせてないらしい。 バスは本当に近くの交番の前で止まった。驚いた乗客たちがあきれ顔で出発を急 かしても、怒りのバロメーターはすでに振り切れているらしく、正義感あふれる運 転手を思いとどまらせることはできなかった。結局、たった百五十ウォンのために、 朝一で交番に向かうというやっかいなことになってしまった。 「この人が、学生でもないのに学生だって言い張るんですよ。何度言い聞かせて も、聞く耳持たないんですからね。こんなやつは詐欺罪で刑務所に入れるべきです

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よ」 興奮状態の運転手は、俺の胸倉をつかんで交番に連れ込み、警官に向かって大声 でわめき立てた。警官は、俺と運転手をやっとのことで引き離してから、イスに腰 を下ろした。乗客の何人かは交番までついてきて、やじ馬と証人の役を買って出た。 「じゃあ、おじさん、ちょっと身分証を拝見させてください」 警官がどこか気乗りしない表情で手の平を差し出した。くそう、ここでもおじさ ん扱いか。俺はまだ身分証も発行されていない未成年なのに。住民登録証を持って なかった俺は、代わりに住民番号を伝えた。すると、パソコンで身元を照会してい た警官が、眉間にしわを寄せて言った。 「本当に本人ですか?」 「ぼくですよ。他に誰がいるんです?」 「いえね、あなたが十六才だって言われても、どうも信じられないんですよ。ひ ょっとして、甥子さんや従弟の住民番号じゃないんですか?

今からでも遅くあり

ませんから、正直に言ってください。住民番号の盗用は、罪が重いですよ」 俺を俺だと言ってるのに、何をこれ以上正直に言えばいいんだろう。ハッ。呆れ て気の抜けた笑いがこぼれた。俺みたいな顔のやつが十六才なのは許されないって 法律でもあるのか? 「お巡りさん、嘘じゃありません。ぼくが、十六才の、アン・ドンアンです!」 両手で机をバンバン叩きながら、俺は叫んだ。警官はズズッと鼻水をすすると、 俺の顔をじっと見つめた。どうにも信じられないらしい。 「いいでしょう。あなたが本当に十六才のアン・ドンアン君なら、保護者を呼ん できてください。あなたの身元が確認できれば、信じないわけにはいきませんから ね。さ、電話してみてください」 ちくしょう。何もしてない俺が、どうして交番まで親を呼ばなきゃならないんだ。 悔しかった。市民の味方であるべき警察が、俺を犯罪者扱いするなんて!

情けな

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くて涙がちょちょぎれそうだったが、歯を食いしばって我慢した。これもみんな叔 父さんのせいだ。だから、忙しい両親の代わりに叔父さんを呼び出した。 「このクソガキ!

俺はゲーム中だって言ったろ!一体、どこで何やらかしてく

れたんだ。分かった。すぐ行くから待ってろ」 電話ごしに怒鳴り声がきんきん響いた。口の悪さで言えば叔父さんの右に出る者 はいない。一人きりの甥っ子が困り果てているのに、第一声が「クソガキ!」だな んて、こんな叔父さんも他にいないだろう。まじでむかつくぜ。 「すぐ行く」と言った叔父さんは、一時間以上たってから、だらだらした足取り で交番に顔をのぞかせた。そして俺が本当に十六才だと証明してくれた。 「それならそうと最初から言ってくれればよかったのに。私も悪かったけど、君 の顔も…いや、申し訳ない。まあでも、腕のいい所でマッサージでも受けてみたら どうだい。どう見てもそれはちょっとひどいよ。かわいそうに」 バスの運転手は、気まずそうな顔でやっと謝った。謝罪と言うにはちょっと足り ない気もしたけど、たかが百五十ウォンのためにプライドを捨てずに済んだのだか ら、良しとしよう。 「悪かったね。正直言って、君の顔を見てると信じられなくて。ご苦労だったね。 今度立ち寄ることがあったら、おいしいものおごるよ。それから、学校でいじめら れるようなことがあったら…まあ、その顔でそんなことはないと思うけど、もし何 かあったらいつでも連絡しなさい。すぐに解決してあげるから」 警官も気まずそうに頭をかきながら謝った。さっきまでの侮辱を思えば、このく らいの謝罪じゃちっとも気が治まらない。俺がどれほど精神的な苦痛を受けたかな んて、知る由もないだろう。俺には何の罪もないはずだが、あえて罪と呼ぶなら、 大韓民国の法典にものっていない「こんな顔に生まれた罪」のおかげで交番に突き 出され、犯罪者扱いされたのだ。考えれば考えるほどむかついてきたが、俺は必死 で余裕ぶって、笑顔を浮かべて見せた。

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「どうも。じゃあここで」 「それもこれもお前の顔が悪い。何でそんなに老けてんだ」 叔父さんは交番を出ながらタバコをくわえると、ライターを握った手で俺の頭を 小突いた。鈍い痛みがジ~ンと響いた。そのショックで、脳細胞まで急激に老化し ないかと心配になった。 「誰のせいだよ。そもそも叔父さんがお金を持って出てたら、俺がこんな目にあ わなくても済んでたんだろ。ハア」 「うるさい。で、金は?

俺はゲームに戻るぞ。それから、今後こんなことがあ

っても、俺を呼び出すなよ。呼んでも他人の振りするからな。いいな?」 叔父さんは俺のポケットからありったけのお金を奪い取ると、PC房に戻っていっ た。憎たらしいあの後ろ頭に足蹴りでも食らわしてやったら、どんなにせいせいす るだろう。でも、そうはいかない現実に腹を立てながら、代わりに中指を空高く突 き立てて叔父さんを呪った。 「ハッキングされて全アイテム奪われてしまえ!」

2.おじさん、パンたのむよ!

「おい、タバコ頼むよ。俺の吸ってるやつ、分かるだろ?」 月曜日はどうしてこんなに早く巡ってくるんだろう。神様はどうして週末をこん なにも早く終わらせてしまうんだろう。十六年という人生のなんと虚しいことか。 学校は心底嫌いだけど、がんばって通うしかない。でなきゃ母さんに、必殺武器の タラの干物でひっぱたかれて、家を追い出されるかもしれないからだ。気を引き締 めて、学校に行く支度をした。そこへ、月曜の朝から叔父さんにタバコのパシリを 頼まれたものだから、本気でむかついた。いたって健康なくせに、何かというと人 をこきつかって、自分は貴重な労働力をひたすらゲームに注いでいる。ゲームに注

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ぐ情熱を、空き瓶やダンボール拾いにでも使っていたら、今ごろワンルームの一つ でも借りてるはずだ。 うちの両親はとうの昔に叔父さんのことはあきらめている。叔父さんは兄弟の末 っ子で、祖父母が早くに亡くなったため、長男である父さんが親代わりに叔父さん の衣食住の面倒をみている。いくら兄弟だといっても、生活費くらいは自分で稼ぐ べきだと思うけど、叔父さんはタバコ代まで父さんにもらっている。おかげで俺の お小遣いは十年間すえおきだ。参考書の値段をごまかすのも、お小遣いが足りない からだ。高校生の身分で週に一万ウォン5はどう考えても少なすぎる。一方、叔父さ んは週に十万ウォンはゆうに使っている。十万ウォンくれとは言わない。週に三万 ウォンもらえれば感謝も感謝、親孝行のダンスだろうが何だろうが踊ってあげる用 意ができている。 「もう行かなきゃ。叔父さんが自分で買ってくればいいだろ。学生にタバコのお 使い頼むなんて、どんな頭してんだよ」 「何言ってる。俺のジャケットを着ていけば、お前を学生だと思うやつなんてい ないだろ。さっさと買ってこい。ニコチン不足で頭が痛いんだ」 そう言って、叔父さんはうんこ色の軍用ジャケットを俺の顔めがけて投げた。い くら拒んでも、結局は俺が買いにいくはめになるのだ。あんな調子でも、叔父さん として俺に尊敬されたいと思うんだろうか。チャンスさえあれば、びしっと言って やりたい。叔父さん、いい大人のくせして、いつまでふらふらしてるつもりなんだ よ! いい加減、しっかりしてくれよ! 「くそっ」 さわやかな月曜の朝から汚いことばがこぼれる俺の人生。なんて憂鬱なんだ。結 局、家の前のスーパーに走っていってタバコを買い、叔父さんのもとに届けた。た まりかねて心を決め、もう叔父さんのタバコを買いにいくのは嫌だと、父さんに強 5

2013年3月現在で1200円ほど。

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く抗議した。この先もずっとこの調子なら、俺は死んじまうかもしれない、と。と ころが父さんは、 「お前が我慢しなさい。今はああでも、ちゃんとした大人になって就職でもすれ ば、お前にも悪くはしないはずだ」 と、俺をなだめた。父さんは非常識な叔父さんを叱るどころか、ついでに自分ま で俺にタバコのお使いを頼んだ。兄弟は似るっていうけど、本当らしい。普通なら 一人息子を猫かわいがりするだろうに、わが家に限ってはそんな話ははるか遠い国 の、いや、地球を離れてアンドロメダ銀河の話だ。こんな二人をこらしめてくれる べき母さんはというと、まだ夢の中だ。結局、朝から二度もタバコを買いに走った。 店のおばさんは、「お兄さん、吸いすぎは体によくないよ」と、心配そうな表情で 言った。本当にまったく俺の年を疑ってないんだろうか。毎日お使いに走る俺自身 は、タバコを吸わない善良な高校生なのに。 タバコを買って戻っても、母さんはまだ夢の中を旅していた。普通のお母さんな ら、子供が面倒くさがるほど朝ごはんを食べさせようと必死だっていうのに、うち の母さんにそんな優しさはないんだろうか。ぐつぐつ煮立つインスタントラーメン を見ていると、ほうっとため息がこぼれた。 「叔父さん、ラーメン食べる?」 「いや」 「父さん、ラーメンは?」 「いや、いい」 父さんは無表情で、母さんの食べ残しの食パンをかじって空腹をまぎらわしてい る。結局、自分のラーメンだけを作った。今がいちばん育ち盛りなのに、ラーメン が食事代わりだなんて。俺はなんて哀れなんだ。ほかの家では毎日、お母さんが子 どものために青汁を絞ったり、栄養ドリンクを作ったりと大忙しなのに、どうして うちだけこうなんだろう。俺だって祝福されるべき大切な存在なんだということを

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忘れないために、今日は特別に卵を二つ割り入れた。栄養分を確保して元気に生き ぬくための、俺なりの悪あがきだ。今日にかぎって、麺もちょうどいい湯で加減だ。 スープもばつぐんの味加減に仕上がった。久しぶりにすばらしい出来のラーメンを 前にして、俺は舌なめずりをした。 「卵は入れたのか」 叔父さんが右手で鼻の穴をほじり、その指をズボンで拭きながら近寄ってきた。 食べないと言ってたくせに、早くも心変わりしたらしい。こうなると分かっていな がら、毎度同じ目にあう俺って。 「さっき食べないって言っただろ」 「急に腹が減っちまったんだよ。メシあるよな? 「ないよ!

一杯ついでこい」

食べるなら叔父さんの分は自分で作ってよ。ぼくはさっさと食べて

登校するだから」 「うるさいな。お前はまだ若いから、朝めし抜いても死にゃしねえよ。俺みたい にサイバー上で頭使って労働してるやつは、たびたび栄養補給してやらなきゃもた ないんだ」 せっかく作ったラーメンは、結局、叔父さんに捧げることになった。時計を見る と、ラーメンを作り直す余裕はなかった。俺は父さんが食べ残したパサパサの食パ ンを叔父さんだと思って、ぎりぎり噛みしめながら食べた。こうして俺は、食べ物 をねだる自分の胃にごく最小限の誠意だけを示して、学校に向かった。今朝もお腹 に住まう乞食を満足させてやれなかった。このままだと、そのうち本当に栄養失調 にかかって倒れてしまうんじゃないだろうか。

帰りにハンバーガーよろしく。

ティリリリン。メールの着信音。見ると、叔父さんからだ。どこまで俺をこき使

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うつもりなんだ。どんな店より、うちの学校の売店で売ってるハンバーガーがいち ばんおいしいそうだ。ハンバーガーなんてどれも似たり寄ったりじゃないのか? どうにも理解しがたいこだわりだ。毎日、考えたくもないほど難しい勉強にさいな まれ、自由なんてこれっぽっちもない夜間自律学習を終えるころには、疲れてへと へとなのだ。そんな俺にハンバーガーを買って来いだなんて、のんきなものだ。 「くそう、むかつく、むかつく、むかつく!」 携帯の電源を切ってやった。どうせ学校では使えないのだから、かばんの中にし まっておこう。むしろ、こうして叔父さんからのメールを見ないほうが気楽かもし れない。 「おい、おじさん!」 背後から誰かにぞっとするようなあだ名で呼ばれた。友達のソンウだ。この世に は何千、何万もの単語があるだろうに、よりによって俺のニックネームは「おじさ ん」だ。それも、このうえなく単純な理由でそうなった。高校に入学したばかりの とき、三年生の先輩との親睦会でのことだ。先輩のひとりに、「お前、うちの叔父 さんに似てるな。今日からお前をおじさんと命名する」と言われたのだ。そうして 俺は全校生におじさんと呼ばれるようになった。俺のイメージにぴったりなんだそ うだ。俺は愕然とした。でも、それだけ俺が年を取って見えるってことだ。そのせ いで、先生たちまで俺の前では調子が狂うらしい。ほかの子に罰を与える時やびん たをする時はごく自然なのに、俺に対する時はものすごく気まずそうにする。まれ に叩くことはあっても、どこか不自然だ。叩いておいて、「これもお前のためだ。 分かるな、うん?」となだめ続ける。そんなにすまないなら、最初から叩かなきゃ いいのに。「何やってる!…んですか」と 無意識に敬語を使ってくることもある。 とくに女の先生は、俺のことがひどく扱いにくいらしい。俺が近づいていってお辞 儀をすると、肩をびくっと震わせて驚く始末だ。なにもとって食おうってわけじゃ さいんだからさ。

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「そのあだ名で呼ぶなよ。今日も叔父さんのせいでむしゃくしゃしてるんだ」 「何にそんなにむかついてんだよ?」 「卵を二つも入れてせっかく作ったラーメンを、まんまと横取りされたんだ。作 る前に聞いたときは、確かに食べないって言ったくせに、毎回こうだ。どんな育ち 方したらああなるんだか」 「くっくっ。叔父さんもやり手だな。それで腹ペコなのか。ほら、これ食えよ」 ソンウはそう言って、黒豆の豆乳を差しだした。ソンウの家は牛乳の販売代理店 をやっていて、時々こうして豆乳や牛乳をくれる。 それにしても、どうして黒豆なんだろう。確かに、黒豆は抗酸化作用に優れてる っていうから、俺に最も必要な食品だ。そう思うと、ありがたくて涙がこぼれそう だ。。 「腹の足しになるもの、何かない?」 「あるある。これも食えよ」 ソンウがかばんから取り出したのは黒豆の乾パンだ。 「何でまた、黒豆の乾パンなんだよ」 「黒豆は顔の老化に効くって言うだろ。体にいいものばかりだから、たくさん食 えよ。それより、自律学習が終わったら、パン頼むよ」 「パン? もう切れたのか?」 「最近ストレスがひどくてさ」 どうりで気前がよすぎると思った。ここでいう「パン」は、パン屋で売ってる焼 きたての香ばしいパンのことじゃない。ニコチンとタールとその他の有害物質がた っぷり入った、いつか癌を誘発するだろうタバコのことだ。タバコを買うことを、 俺たちの間では「パンを買う」と言っていた。店で普通にタバコを買えるという点 で、うちの学校で俺の右に出る者はいない。 学校の前には小さな商店がある。学校のそばにあるせいか、その店ではとくに身

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分証のチェックが厳しい。ひどいときは若手の先生まで身分証をチェックされるく らいだから、ソンウはもちろん、ほかの友達や先輩たちだって、その店でタバコを 買うのは相当難しい。「パンを買うのは絶対不可能」というので有名な店だった。 でも俺の場合、高校に入学した次の日にはその店で堂々とパンを買っていた。先輩 に言われるままにタバコを買いに言ったのだが、店のおばさんは微塵の疑いもなく タバコを差し出した。というわけで、俺は学校でも伝説の「パン配達屋」になった。 人生、意外なところで伝説の存在になるものだ。学校ではみんなにうらやましがら れて、タバコを買ってくれと頼まれる。そのためか、学校で俺を敵視するするやつ は一人もいない。円満な交友関係とおだやかな先輩後輩関係を保つのに、タバコを 買えるという俺の利点がひと役買っているのだから、過酷な現実の中を生きている と言わざるをえない。 「一箱だけなら。それ以上はごめんだ」 「分かった、頼む」 ソンウはこういうとき、いちばんの親友ヅラをする。まあ、乾パンと豆乳のおか げで、お腹の乞食がちょっとは落ち着いてくれたようだから、良しとしよう。

*****

夜間自律学習が終わる時間、学校の近くの公園にはたくさんの生徒が集まってい た。 「おじさん、パンたのむよ!」 そこに集まった全員が、口々に叫んだ。こんなときは、自分がえせ宗教の教祖に でもなった気分だ。集まっていたのは、一年生から三年生まで十五、六人ほど。み んな俺が届けるタバコを待っているのだ。今日も途中で私服に着替えて、学校前の 商店に走り、神業を披露した。こうしてタバコの配達はするものの、俺自身はタバ

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コを吸わないのだから、配達するたびに複雑な気分だ。なんだか俺が、無垢の少年 たちを邪悪な沼に突き落としているような。そのうち、タバコ供給の罪で警察に捕 まるんじゃないだろうか。 「おじさん、サンキュー。明日も頼むよ」 黄ばんだ歯を見せながら笑ってそう言う先輩を後にして、公園を出た。家に向か う途中、カーブミラーを見つけた。顔を映してみると、俺の目にもすっかり老けた 人間がそこにいた。俺はどうしてこんな顔をしてるんだろう。一日でも早く金を稼 いで、整形手術でもしようか。自分の顔を見ると、ためいきが出る。ストレスで、 そのうち寿命まで縮まりそうだ。 「おい、ハンバーガーは?」 家に帰ると、予想通り、叔父さんはくだらないキャラクター育成ゲームに熱中し ていた。そんな時間があるなら、空き瓶回収でも何でもすりゃいいのに。タバコ代 くらい自分で稼ぐとか、じゃなきゃ勉強するとか。最近は公務員試験を目指す無職 の人たちも多いそうだから、そっちのほうがいいかな。もしそうしてくれたら、叔 父さんを情けなくも思わないだろうし、人前に出しても恥ずかしくないと思う。俺 はいつまでこうして叔父さんの世話をしなきゃならないんだろう。ちくしょう、前 世で俺が何をしたっていうんだよ! 「買ってきた。自分で温めてよ。俺、宿題があるから」 叔父さんの姿に苛立ちを覚えた俺は、ハンバーガーをぽんと投げおいて部屋に入 った。 「おい!

てりやきバーガーって言っただろ。なんでチキンバーガーなんだよ!」

俺の気持ちなんて知る由もないのか、違うハンバーガーを買ってきたと不平をこ ぼす声が、家中にわんわん響きわたった。

3.げ、勘弁してよ

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「うっうっうっ…くそったれ!

よくも俺さまを…」

夢うつつに誰かのむせび泣く声が聞こえた。どこかでよく聞いた声だ。汚いこと ばを挟みながら恨めしそうに泣いている。他でもない、叔父さんの泣き声だ。徹夜 でゲームをするだけじゃ物足りず、朝っぱらから涙をちょちょぎらせてメロドラマ 17

を演出している。 「叔父さん、どうしたんだよ?」 たまりかねて、叔父さんの部屋に行ってみた。ドアを開けるなり、俺の口があん ぐり開いた。叔父さんはイスに座って、布団をソーセージパンのようにぐるぐるに 巻いて股の間にはさみ、パソコンのモニターに映ったミニホームページのフォトア ルバムを開いて、悲しげに誰かを見つめていた。右手にたばこ、左手に缶ビールを 持ってぼろぼろ泣き崩れている姿は、俺一人で見るにはなんとも惜しい光景だった。 叔父さんはこの世でいちばん悲しげな顔で俺を見つめた。 「ドンアン、お前に愛が分かるか?

くそう、分かってたまるか!」

この状況で俺に八つ当たりされても、どうしろってんだ。朝っぱらから何をして るのかと思いきや、十中八九、彼女に振られたらしい。今年に入ってもう何度目か 知れない。彼女ができても、一ヵ月以上続いたためしがない。顔だけはいいから、 彼女に不自由したことはない。でも、叔父さんの変てこな性格とポンコツとしか言 いようがない生活ぶりを見ると、どんな女性でもたちまち愛想をつかして去ってし まう。最近は能力のある男性がもてるって聞くけど、叔父さんが知ってる能力とい えば、ゲームキャラのレベルくらいだ。つまり、無能な人間。そんな人間が愛を語 るなんて。昔は賢い人だったのに、どうしてこんなに落ちぶれてしまったんだろう。 「ドンアン、お前に愛が分かるか?

分かるわけないよな。お前も大人になれば、

ほろ苦くて身を焦がすような愛が分かるようになる。愛ってのはどこまでも苦しい ものなんだ。はあ、くそうっ」


叔父さんは俺に愛を知っているかと聞く。愛。俺は知っている。正直言うと、こ の愛が本当に愛なのかは分からない。もちろん、まだ完成していない、ひょっとす ると一生完成しない一人よがりの愛だけど、俺の愛は叔父さんのように、甘い汁を 吸ったら吐き捨ててしまうガムのような、単純な愛じゃないという自信はある。と はいえ、相手が俺の気持ちを知らないのが問題といえば問題だ。 俺が通う学校は男女共学で、男子より女子の割合が多い。男子校に通う友達は、 ラッキーなやつだと俺のことをうらやましがる。正直言って初めは何がいいのか分 からなかったけど、入学してクラス割りの後、ある女の子に出会ってから、友達が そんなにもうらやましがる理由が分かった。俺がうらやまれる理由に気付かされた、 その主人公の名前はハン・ピンナ。頭がいいことでも有名で、何よりその長い髪、 鼻筋の通った卵型の顔、ピンク色の唇、ぱっちりした目! るナイスバディまで!

その上制服をひき立て

俺の十六年の生涯で、いちばん可愛い女の子に、この高校

で出会ったのだ。中には自分の理想の人に出会えないまま生涯を終える人もいるの に、善良に生きてきた甲斐もあってか、俺はそんな相手にこの年で出会えたのだ。 理想の人であるピンナと同じクラスになれたのは、俺の人生において大きな栄光だ。 でも、愚かにも、俺はまだ自分の気持ちを伝えていない。とてつもない数のライバ ルがいるのだ。ひとつ勇気を出してみようと心を決めても、いつも他の誰かに先を 越されてしまう。誰が見てもライバルたちの方が、顔、成績、性格、経済力におい て俺より百倍も千倍も勝っている。俺には何一つ取り柄がない。ひとつだけあると したら、百害無益な「パン」をいつでも買えることぐらいだ。はあ…情けない! というわけで、俺はいつも黙ってピンナの後姿を見つめることしかできない。目で も合った日には感謝感激、おかげで退屈でしかたない学校生活にもなんとか耐えて いる。今日も授業の間中、ピンナの後姿にうっとりと見とれていた。生涯で一度で も、ピンナとデートできる日がくるだろうか。 「おい、ドンアン。お前、マジでじれったいやつだな」

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お昼の時間、ソンウが頭を振りながら言った。 「何が」 「ピンナのこと好きなんだろ?」 「何で知ってんの」 「分かるさそりゃ。正直、うちのクラスの男連中、いや、学校中の男がピンナに 19

好意を持ってるだろ。まあ、俺はあんな女子には興味ないけど」 「そう、それだよ問題は。誰も彼もピンナが好きなんだから、競争率も半端じゃ ないし。あ~あ」 「それがどうした。男なら一度くらい真っ向から勝負してみろよ。人生はどこま でも競争だ。女ひとりモノにできないんじゃ、この先生きていけないぞ」 ソンウは他人事のように簡単に言う。そんなソンウは、誰もが認める美男子だ。 こぶしほどの小さな顔、くっきりした眉毛、薄い二重にカリスマあふれる目元、と がったあご、唇の端をきゅっと上げればどんな女子もメロメロになるキラースマイ ル!

その気になればどんな女子でも落ちないわけがない、最高のルックスだ。も

ちろん俺だって、普段は俺を避けてる女子も「パン」を買う神業を披露してほしい ときには、「やっほ、ドンアン」とぎこちなく手を振りながら、親しい素振りで近 づいてくる。作り笑いもはなはだしくて、吐き気をもよおすくらいだ。俺のことが 嫌いなら、一貫して嫌ってくれた方がよっぽどいい。作り笑いなんてまっぴらごめ んだ。思い出すだけで悲しくなる。俺はパンを買いに走る機械じゃない。 「“あんな女子”?

“モノにする”だと?

愛はそんなもんじゃない!

大切なの

は真心だろ!」 「ふん、お前の言ってることが間違ってるとは言わないけど、真心だって相手に 伝わって初めて意味を持つんじゃないか。便秘の犬ころみたいに一人でうんうん悩 んでたって、何も始まんないだろ。まぬけなやつだな。」 ソンウにそう言われて、俺はことばを失った。ソンウの言ったことは、何から何


まで正しかったからだ。俺は持っていた箸を置いた。急に食欲がうせた。 「死んでも顔見て告白できないんだったら、体当たりしてみろよ。堂々と歩いて いって唇を奪っちまえば、ピンナの気持ちも傾くかも知れないだろ。お前のその男 らしい魅力にさ。女ってのは男らしさに惹かれるからな。強い男!

これだ!」

「ばか言うなよ。俺がそんなことしたら、セクハラで警察に捕まっちまうよ。お 前ならロマンスになるけど、俺がやったら犯罪だ。うちの親は示談金のために死に 物狂いで働かなきゃならない。示談金が作れなかったら、ヤクザのおっさんと刑務 所で共同生活。ああ、考えただけでもぞっとする」 「お前には勇気ってものがないのかよ。見かけは海千山千の大人でも、やること は本当に小心者なんだからな。よし、じゃあちょっと古い手だけど、手紙はどう だ?

方法はどうあれ、お前の純粋な熱い想いを伝えないわけにはいかないだろ。

思春期の女子のハートをくすぐるようなさ」 「手紙か。反省文なら死ぬほど書いたから、その文章力を生かして手紙を書けば、 感動してくれるかな?」 「あったり前だろ!

その実力なら、ノーベル文学賞だって夢じゃないさ。悩ん

でないで、今すぐ書けよ」 ソンウのことばにつられて、すぐに実行に移った。実はレターセットはずい分前 に買っておいたのだ。ただ、本当に書くか書かないか迷っていた。こんな幼稚なま ねをして、見向きもされなかったらどうしようかと心配だったからだ。ソンウに背 中を押されて、俺の中に隠れていた自信がすっと頭をもたげた。この気持ちを伝え るのだから、相手が思わず感動して涙を流すような手紙にしなきゃいけない。とな ると、俺の気持つをとことん温める必要があった。まず、中学生のとき、修学旅行 先でこっそりお酒を買い込んできたものの、先生に見つかって修学旅行中ずっと反 省文を書かされたときのやるせなさを思い出してみた。目に涙がたまってきた。俺 が飲みたかったわけではなく、友達に買ってこないと絶交だと言われて仕方なく買

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ってきたのだ。それなのに、みんなにお酒を飲ませようとした張本人に仕立てられ たのが、悔しくて悲しかった。そのときの気持ちを文章にしてみた。何を書こうか 心配だったけど、書き出してみると、「ピンナはこの世でいちばん可愛くてきれい で、俺にとってオアシスのような存在だ」とかなんとか、どこかで聞いたような台 詞を並べてみると、あっという間に三枚も書き上げてしまった。読み直してみると、 体中がかゆくなるような内容だったけど、国語の時間に習った起承転結をうまく生 かして、なかなかいい出来栄えだ。これなら、大好きなピンナが感動の渦に巻き込 まれて涙を流す、というのもありえる。書き終えた手紙をこっそりソンウに見せる と、これなら百点満点だと言いながら親指を立てて見せた。俺の自信はいっそうア ップした。 「で、どうしようか」 「ピンナに渡すに決まってんだろ」 「俺が?」 「じゃあ、俺が代わりに渡してやろうか?」 実はソンウがそう言ってくれるのを待っていたのだ。ソンウが言い終わる前から、 俺はこくこく頷いた。ソンウは「ハッ」と呆れたように笑うと、俺の手から手紙を 取り上げて、廊下にいたピンナの方へ向かっていった。廊下で友達とおしゃべりし ていたピンナに、ソンウはすっと近づいていって手紙を渡した。ピンナのそばにい た女子たちは、ソンウからの手紙だと思って黄色い声を上げた。ソンウは自分の手 紙じゃないと釘をさした。その様子を、教室のドアの後ろに隠れて見ていた俺は、 緊張で手足がまるで言うことを聞かなかった。余計なことをしてしまったんじゃな いかと後悔の念も浮かんだ。でも、すでに事は起きてしまったのだ。俺はピンナが どんな反応をするか、はらはらしながら見守っていた。緊張で手の平に汗がにじん だ。手紙を受け取ったピンナが、俺の方をちらっと振り返った。そうしてソンウと 二言三言交わすと、たちまち顔をゆがめた。まるでホカホカのうんこを道端で踏ん

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でしまったときのような表情で、ソンウに何か言った。口の動きだけで、何て言っ たのか分かった。俺の視力は両目とも1.5とかなりいい方だ。この視力が思春期に入 って家出でもしない限り、ピンナの言ったことばは「げ、勘弁してよ」に間違いな かった。 「げ、勘弁してよ」。たった六文字で、俺の中にみなぎっていた自信は一気にし ぼんで、代わりに挫折がでんと座り込んでいた。真心こめて書いた手紙も読まずに、 ひとえに俺が書いたというだけで、ピンナは手紙を拒んだ。やっぱり余計な真似を してしまった。そう思うと、恥ずかしくて顔を上げられなかった。予想はしていた けど、こんなに惨めな振られ方をするなんて。とつぜん、今朝叔父さんがつぶやい ていた「ほろ苦くて身を焦がすような愛」ということばが、頭の中をぐるぐるかけ 巡った。なぜか、今ならそのことばの意味がちゃんと理解できそうな気がした。 「ドンアン、顔上げろよ。ピンナが…」 いつの間にか、ソンウが結果を知らせにそばに来ていた。俺は頭を垂れたまま、 放っといてくれるよう手を振った。言わずと知れた答えを、自分の耳で確かめたく はなかった。もし聞いたら、泣きながら学校を飛び出してしまうかも知れない。ど う考えても、きついことばだ。「げ、勘弁してよ」なんて。やっぱり、不細工で老 けたこの顔のせいだ。恨んでも恨みきれないこの顔のせいだ。ちくしょう、こんな 顔で告白しても、振られるのが当たり前のこの世の中が憎い!

4.苦い後味

「かわいいドンアン君、人生とは何ぞや?

人生とは、楽しむものだ。フハハハ」

叔父さんは朝とはうってかわって、アドレナリンの分泌が激しいのか、ちょっと イカれた人みたいににやにや笑って言った。そして見ろと言わんばかりに、薬指に はめた指輪を自慢している。うらやましいと言ってあげるべきだろうか。俺が学校

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で、自律心なんてこれっぽっちもない夜間自律学習にいそしんでいる間、叔父さん は友達と行った飲み屋で新しい彼女をゲットした。叔父さんは携帯で撮った彼女の 写真をちらっと見せてくれた。真っ黒なアイメイクと、カラフルな服、がちゃがち ゃ煩いほどアクセサリーをつけた姿は、アフリカの原住民を思わせた。いや、フィ リピンあたりの人に近いかも知れない。実際にフィリピンの人なのかな?

俺の予

想では、今回も十日もすれば今朝のように涙に暮れることだろう。また「ほろ苦く て身を焦がすような愛」がどうたらこうたら言いながら泣き崩れる姿が目に見える ようだ。 それにしても。何なんだ。誰かさんは人生で最悪のことばを聞きながら振られた っていうのに、誰かさんはすぐさま新しい彼女ができてる。世の中は本当に不公平 だ。神様はどこまでも公平だっていうけど、俺にはどんな公平さを下さったのか、 まだ実感したことがない。それもすべてこの顔のせいだ。名前が「ドンアン」だか ドンアン

らって、顔まで童顔なわけじゃない。逆に老顔じゃないか。こんな日はたばこが吸 いたくなる。友達がたばこを吸う気持ちもなんとなく理解できる。でも我慢だ。た ばこなんかに頼っては、今の叔父さんみたいに情けない人生を送ることになるかも しれない。その上、たばこは老化ホルモンを促進させるっていうし。これ以上老け たら、近所のおじいさんたちにゲートボールに誘われそうだ。 「ドンアン君、一杯やるか?」 叔父さんが、冷蔵庫から取り出したばかりの缶ビールを振って見せながら言った。 「ドンアン君」と猫なで声で呼ぶところからすると、ずい分機嫌がいいようだ。で も、それもいつまで続くことやら。子供の頃はやさしい叔父さんが好きだったけど、 今はやさしくされるとむしろ怖い。どこか後ろ暗いのだ。 「父さんにばれたら小言の嵐、母さんにばれたら干物でしばかれて追い出される。 叔父さんだって、母さんの性格、知ってるだろ」 「ば~か、俺がやるビールは大丈夫だよ。それに、兄さんと義姉さんは同窓会に

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出かけたから、今日はかなり遅くなるだろうし。帰ってきたって、どうせ酔っ払っ てるだろうから、お前が一杯飲んだことなんて気づきもしないさ。いいから飲め飲 め。一人酒がどれだけ寂しいと思う?

今日は俺がお前に付き合ってやるよ」

叔父さんは俺の手に、冷たいビールを握らせた。たばこは気が進まないけど、ビ ールならむしゃくしゃした気分をすっきり晴れさせてくれそうな気がして、俺はご 24

くごく一気に流し込んだ。 「ぷはぁ! 叔父さん、つまみないの?」 「こいつめ、いい飲みっぷりじゃないか。これでも食え」 叔父さんは何日熟成させたのか予想のつかないビーフジャーキーをちぎってくれ た。匂いはまるで叔父さんの靴下みたいにつんと鼻をついたが、味はまずまずだっ た。ビールとの相性も抜群だった。 「お前、女に振られたんだろ?」 叔父さんがビーフジャーキーをもう一片ちぎってくれながら言った。叔父さんに は何か特別な能力があるのか?

それとも、俺の顔に「振られました」とでも書い

てあるのか? 顔に出ないよう気をつけてたのに。 「何で分かったの?」 「顔見りゃ分かるさ!

俺を誰だと思ってる。一年に少なくとも十二回は出会い

と別れに情熱を燃やすロマン主義者だぞ。見たところ、ただ振られただけじゃない な。こっぴどく振られてもう生きるのがいやだって顔だ。ずばりそうだろう?」 「ちぇっ。そうです、振られましたとも!

俺が振られたのがそんなに面白い?」

「そんなわけないだろ。逆に俺のプライドが傷つくよ。アン・ジンホ様の甥っ子 が女にこっぴどく振られたなんて、恥ずかしいったらねえな。外で俺の甥だって言 うなよ。ああ、恥ずかしい。それはそうと、どうやって告白したんだ? 手紙なんかで告白したんじゃないだろうな」 「どうしてそれを…?」

まさか、


「情けないやつだ。いつの時代のテクニックだよ?

ださいったらありゃしねえ。

お前、絶対に外で俺の甥っ子だなんて言うなよ。こっぱずかしい。そんなガキくさ いことしてるからダメなんだ」 「酒がまずくなるようなこと言わないでよ。もう寝る」 「ばか、俺だから本音でアドバイスしてるんだろ。人生の先輩が大事なアドバイ スをしてやってるのに、ありがたく思え。それに、はっきり言って、お前はまずそ の顔をどうにかすべきだ。じゃなきゃ、女なんてできるわけがない。一体だれに似 たんだ。半分だけでもいいから、俺に似てたらこれほどじゃなかったろうにな。チ ッチッ」 「叔父さん!」 慰めてくれるのかと少し感動しかけてたのに、結局は俺の血圧がぐんと上がった だけだ。叔父さんに慰めてもらおうなんて思った俺がバカだった。ふう!

アルコ

ールが入って、お腹の中をミミズが闊歩してるみたいにむかむかしてきた。頭はカ ナヅチで一発なぐられたみたいにズキズキする。この状態で宿題をしても、結局は 朝まで眠れないだろうし、宿題だってまともにできないだろうから、いっそ寝るこ とにしてベッドに横たわった。そしてなんの模様もない天井をうつろに眺めた。妙 なことに、天井にピンナの顔が現れた。本格的に酔っ払ったらしい。天井のピンナ が「やっほ、ドンアン」と優しく俺に笑いかけた。俺は勇気を出して「俺、ピンナ のことが好きだ」と言った。ピンナはさっきよりもっとにっこり笑った。あの表情 からすると、いい返事がもらえそうだ。俺はじりじりした気持ちで両手を合わせ、 どんな返事が返ってくるのか期待した。 「げ、勘弁してよ」 がくっ。今日学校で聞いた六文字がピンナの口から飛び出して、俺の頭をがつん と殴った。あんなに可愛い顔してそんなひどいことを言うなんて。今聞いた「げ、 勘弁してよ」は、学校で聞いた「げ、勘弁してよ」よりいっそう強烈に俺の胸に突

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き刺さった。ビールもなんの慰めにもならなかった。俺の心のように苦いだけ。ひ たすら苦い後味。 それにしても、考えれば考えるほど腹が立つ。俺の顔がどうだって言うんだ。顔 がすべてなのか?

顔だけで人を判断するのはどうかしてる。この顔に生まれたく

てこうなったわけじゃあるまいし。この顔は、俺の意思でこうなったんじゃないの 26

に! 「わあ! 勘弁!

こっちこそもう勘弁してくれ!」

「ドンアン、うるさいぞ!

なにを一人でわめいてるんだ!

眠れないんだった

ら、出てきて一杯つげ」 居間で一人で飲んでいた叔父さんに俺の絶叫が聞こえたのか、怒鳴り声が聞こえ た。今は叔父さんのお酌をする気になんて絶対なれない。 「寝てるんだから、声かけないでよ」 「へえ、寝てるやつが返事するのか。お前、女に振られて胸が痛いんだろ?」 「知らないよ。俺のことはいいから、酒でも飲んでよ!」 「お前は、その顔からどうにかしなきゃならないって言ってるだろ。いいか、金 を稼いで手術するんだ!」 「静かにしてくれよ!

寝てるんだから」

「最近の若いやつはどうしようもないへたれだな。チッチッ。へいへい、ガキは とっとと寝ろ!」 だんだんおかしな人間になっていくあの人が俺の叔父さんなのも、俺の意思でそ うなったんじゃない!

くそう!

5.マジで? ほほほ。一億!

この世でもっとも憎らしい紙切れが俺の手に握られている。この紙切れには俺の


名前と、三等級という字がくっきりと記されている。ちぇっ。俺は豚肉か? だって?

3等級

呆れてものが言えない。牛肉の場合、上から1++、1+、1等級6、とこ

んな具合に、ずいぶん寛大なレベル分けだ。肉にはこんなに寛大な等級も、成績表 になるとどうしてこんなにケチになるんだろう。寛容の心もない冷酷な成績表め。 この成績表を母さんに見せたら、こっぴどく叱られるのは目に見えている。おまけ に愚痴をさんざん聞かされて、母さんのコンディションがちょっとでも悪い日には、 干物でこれでもかと尻を叩かれるに違いない。以前は成績表の数字をこっそり書き 換えることもできたのに、インターネットで成績照会がせきるようになった今は、 それも無理だ。こんな途方もないシステムを開発してくれた大人たちよ、感謝の気 持ちでことばも出ないくらいだ。母さんはパソコンも使いこなすから、成績照会な んてお手の物だ。どうか、母さんが対戦型の花札ゲームで勝ちますように。機嫌が よければ叩きはしないだろうから。どうか母さんにいい札が回ってきますように。 チチンプイプイ! ハア。成績表を見てると、しわが濃くなって、肌の水分がすっかり失われる気分 だ。唇はとっくの昔に干からびて、皮がむけはじめている。 「あ~! やっちまった!

どうしよう」

ソンウがそばに来て、つぶやいた。ソンウの成績表を見ると、牛肉の等級にも存 在しない、5等級だ。かわいそうに、俺よりひどい。ソンウは今晩あたり、牛乳パッ クで叩かれるのかもしれない。あした無事な姿を見られるよう、健闘を祈る。 「どうにもならないだろ。こっぴどく叱られてもう一つ塾に通うか、お小遣いを しょっぴかれるか。ハア、俺、もっと老けた気がする。人生ってなんかこう、牛乳 なしにカステラを食ってるみたいで、のどが詰まりそうだよ」 「うん、今日はお前、いつもより五才は老けて見えるよ。気分もクサクサしてる し、自律学習サボっちまおうぜ」 6

韓国での格付け。

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「今日もあんの?」 「そうらしいよ。全体の成績が悪かったらしくて、校長がおかんむりみたい。い いから、サボろうぜ」 「そうだな。気分転換も必要だし」 そんなわけで、ソンウと俺は夕食の時間にこっそり学校を抜け出した。明日にな ればどうせ先生に叱られるのは分かってるけど、今日ばかりは日常から抜け出した かった。 俺達は久々に市内に出かけた。市内は、お金さえあれば遊べるものであふれてい る。道を行き交う女の人も見るからに華やかだ。きれいな人ばかりで、それだけで 目の保養になる気がする。こんなに広くて楽しい世界がありながら、狭苦しい机で 勉強という前衛芸術にいそいそ励んでるなんて。血気盛んな青春時代に、高校生と して生きるのは大変だ。 「おい、あそこ行ってみるか?」 「どこ?」 ソンウが指差したのは、他でもない、エステサロンだった。 「あそこだったら、お前の顔にふさわしいケアをしてくれるんじゃないか?」 「う~ん、そうかな?」 半信半疑の気持ちで、ソンウと一緒に人生初のエステサロンに足を踏み入れた。 そこには俺達のような学生は見当たらなかった。若いお姉さんもちらほら見えたけ ど、ほとんどは年配のおばさんたちだった。そこらじゅう女だらけで、女子トイレ にでも入ったみたいに恥ずかしかった。 「いらっしゃいませ。本日は何をお手伝いいたしましょうか」 店員と思われるお姉さんが近づいてきた。エステサロンで働いている人だけあっ て、肌は赤ちゃんの肌みたいにきれいだった。 かなり、ものすごく、半端なくうらやましい。俺もあんな肌だったら、少しでも

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若く見えるだろうに。 「エステの相談に来たんです。こいつの顔を童顔にできないでしょうか。高校一 年です、参考までに」 ソンウが親切に手の平で俺の顔を示しながら説明した。ソンウは初対面の女性の 前でも、すらすら話せる。俺なんか、恥ずかしくてまともに目を見ることもできな 29

いのに。 店員のお姉さんは俺の顔を横目で見ると、ひとことつぶやいた。 「マジで?」 俺の顔が、いや、俺の肌がいくら見込みがないからって、本人を目の前にして 「マジで?」はないだろう。「ひとまず手を尽くしてみれば、少しは童顔になるか もしれません」なんて嘘をついてでも、ケアを受けさせるべきじゃないのか?

くらなんでも正直すぎるだろ。これ以上ここに用はない。俺は店を飛び出した。 「ドンアン、ちょっと待てよ」 ソンウが慌てて後を追ってきた。 「あんな店員いるか?

『マジで?』だぞ?

目の前であんなこと言われたの、

人生で初めてだよ。俺の顔、そんなにひどい?」 「まあ、信じられない気持ちも分かるけど…」 「は?」 「冗談、冗談。じゃあ、あそこはどうだ?」 辺りを見回していたソンウが指差したのは、ヨガスクールだった。けっ。さっき から変なところにばかり誘うやつだ。 「ヨガって毎日するんだろ?」 「俺たちの立場で毎日は無理だし、でも、週末だけでも効果があるんじゃない か?」 「よし、とりあえず行ってみよう。まさかまた『マジで?』なんて言われること


はないだろ? ハア…」 少しばかりの期待を胸にヨガスクールに入った。最近、童顔で有名な芸能人らは、 ヨガによく通ってるみたいだし、ひょっとしたら、ヨガが俺を救ってくれるかもし れない。体は硬いほうだけど、童顔になれるなら、足を首の後ろまで上げる苦痛に 耐えるくらいの自信はある。 「ヨガを習いにきたの?」 院長と思われるおばさんが俺たちを迎えてくれた。俺らの親くらいの世代に見え るけど、スタイルはアイドル並みだ。 「ええ。友達が顔のことで悩んでて、ヨガでどうにかならないかと思って。こう 見えても十六才なんです。 俺らの年頃に見えるようにさえなれば、それ以上は望み ません。どうでしょうか?」 今回も、ソンウが俺について一目瞭然に説明した。院長は俺の顔をしばらく見回 すと、なんとも言えない表情を浮かべて首を振った。 「ほほほ…」 おばさんは何とも答えないまま、力ない空笑いをこぼした。その反応は、自分で は力になれないら、ここはひとつ気を利かせて、黙って出て行ってくれないかとい う意味にとれた。ヨガが利くらしいと聞いて期待していただけに、失望が押し寄せ てきた。なんだか力が抜けた。自分にできることは全て果たした院長は、さっさと 事務室に引っ込んでしまった。いま流行りのフェースヨガでも解決できないのが俺 の顔だっていうのか。くそう、侮辱された気分だ。本当にこの顔はどうにもならな いのか? あんなに難しい数学でも答えはあるっていうのに。 「ドンアン、元気だせ。腕のないとこに当たっただけだ」 ソンウが必死になだめてくれたが、あまり慰めにならなかった。久しぶりに自律 学習をサボって浮かれていた気分も、今はすっかり沈んでしまった。こんなことな ら、学校で昼寝でもしてればよかった。

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「もう帰ろうぜ」 「そんなこと言わずに、最後にあそこに行ってみないか?」 そう言ってソンウが指差したのは、整形外科だった。いくらなんでもそれはちょ っと、と思いながらも、ビルのガラスに映った自分の顔を見ると、ひとまず行って みようと思わざるをえなかった。 「でも、整形する金なんてないよ。一万や二万じゃ済まないだろうし」 「今日は相談だけにして、うまくいきそうなら、成績をぐんと上げてお母さんに 頼めばいいだろ。俺も整形したほうがいい所があるか聞いてみたいし」 「お前がどこを整形するんだよ。それより、うちの親が金出してくれるかな?」 「決まってるよ。最近の大人は、いい成績さえ出せばいい子だってほめてくれる だろ?

成績さえ上げれば整形代くらい出してくれるさ。見積もりだけ出してもら

おうぜ。そうすりゃいくらかかるか親にも言えるし。俺がお前のお母さんだったら、 金借りてでもどうにかしてやるよ」 そうしてついに、最後の砦である整形外科に向かった。普通の病院なら診療時間 も終わってる時間だけど、整形外科は夜間診療もやってるそうだ。なんて気の利く 病院なんだ。ここにホジュン7でもいるんだろうか?

院内は人でいっぱいだった。

もちろんほとんどが女性で、座っている人たちを見ると、何人かを除いてはそのま までもすごくきれいなのに、あとどれだけきれいになろうというのか、不安げに鏡 をのぞいている人がたくさんいた。 「中へどうぞ」 看護士のお姉さんは、俺の名前をさっさと書きとめると、すぐに俺たちを診療室 に案内した。それでも、目の前で「マジで?」と言われないだけでもありがたかっ た。 「ふむ、さて、どんな相談だい?」 7

テレビドラマにもなった、朝鮮時代に実在した名医。

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医者は俺たちを見て、そっけない表情で聞いた。めがねをかけたかなり剥げたお じさんで、顔を見ると、整形外科の医者というほど整った顔立ちではなかった。医 師の不養生とはこのことかと思った。 「ぼくは十六才なんですけど、ご覧のとおり、すごく老けて見えるんです。それ で、医術の力を借りようと思うんですが…どうでしょう?」 今度は自分で状況を説明した。ソンウは俺の隣で、深刻な表情で医者の顔を見つ めていた。俺の顔のことを自分のことのように心配してくれるソンウがありがたか った。こういうのを真の親友って言うんだろう。 医者はどこか気乗りしない表情で、俺の顔を念入りに調べては、黒色のボールペ ンで線を引き、カルテにつらつらと文字を書き連ねた。 「難しいでしょうか?」 「うむ、まあね。あごを削って、目を大きくして、鼻を高くして、頬骨をいじっ て…」 医者は俺の顔に必要な工事の目録をひとつひとつ上げた。およそ二十ヵ所にも及 んだ。これはもう、建物で言えば、リフォームというより建て直しのレベルだ。 「で、全部でいくらかかりそうですか?」 「手術後も抗酸化療法とボトックスを続けるとして…一枚は必要だね」 よほどややこしいのか、医者はカルテにメモしながら計算を終えると、最後に線 を引いてボールペンを置いた。 「一枚、というと、百万ウォンですか?」 「ばかな。百万じゃ二重の手術も無理だよ」 「じゃあ、一千万ウォン?」 医者はそれにも首を振った。 「まさか一億?」 医者は腕組みをしてじっと目をつぶったまま、困惑ぎみに頷いた。一億ウォン!

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目玉が飛び出しそうなほど大きなお金だった。あまりの驚きに、開いた口がふさ がらなかった。俺たちを面倒くさがって、医者が冗談を言ったのかと思った。 「ちょっと、いくらなんでも一億なんて。冗談はよしてくださいよ」 ソンウが信じられないという表情で言った。 「冗談なんかじゃない。暇つぶしに君たちにいたずらして遊んでるように見える かい?

君たちのほかにも相談に来てる患者さんはたくさんいる。それでも、君た

ちが真面目に聞くから、私も真面目に相談に応じてるんだ。君の顔は、そのくらい のお金がかかる。ずばり、難局の集大成だ。大韓民国の0.1%と言えるだろう。難度 で言えば星五つに、二つは追加しなきゃ合わない。手術は長くかかるし危険でもあ る。医者も私ひとりじゃ無理だから、何人か応援に来てもらわなきゃならないしね。 一度で終わる手術じゃない。最低でも三、四回はかかるだろう。芸能人になりたい わけじゃないなら、そのままで生きなさい。あるいは、生まれ変わるってのもひと つの手だろう。君の顔はまったく、医学的難題だよ。チッチッ」 医者は困惑した表情のまま、俺の顔を見て残念そうに舌打ちした。いかにも真面 目な表情で。医学的にもそんなに難しいなんて、がっかりだった。俺たちはここで もこれといった解決策を得られないまま、病院を後にした。一億だなんて。言うの は簡単だけど、わが家の保証金8と変わらないほどの大金だ。もし母さんにそんな金 を頼んだら、手術同意書より先に死亡申告書をにサインするかも知れない。 「やっぱり、このまま生きるしかないよな?」 「これでも飲んで元気出せ。少しくらい効果があるかもしれないだろ」 ソンウはかばんから黒豆の豆乳を出してくれた。いつにもまして、ソンウがくれ た豆乳がありがたかった。これを飲み続ければ、いつか本当に童顔になれるだろう か。色んなことがあったせいで気持ちが取り乱していた。市内ではしゃぐ気などと 8

韓国で傳貰(チョンセ)と呼ばれる。傳貰契約をすると、賃貸契約時にまとまった保証金を払うこ

とで、月々の家賃を支払う必要がない。

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っくに失せて、家路についた。 「おい、タバコ買ってきてくれ。おわ、こいつめ!

なんでアイテムがないんだ

よ。来い、来い!」 家に帰ると、叔父さんはゲームに熱中していた。誰が開発したのか知らないが、 道端で偶然にでも出くわしたら、ゲームに登場するファイアボールで燃やしてやり たい。ゲームってものは実に恐ろしい。一人の人間をあんなにまで落ちぶれさせて しまうんだから。俺も昔はゲームが好きだったけど、叔父さんのああいう姿を見て、 すっぱり止めてしまった。叔父さんみたいになりたくなくて。 「おい、タバコ買ってこいってば!」 「分かったよ、買ってくりゃいいんだろ。金は?」 ついでに、タバコを開発した人間がどこに埋葬されたか分かれば、必ずや墓を掘 り返してそいつの骨をせんじて飲んでやりたい。ああ!

むかつくぜ、タバコ!

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