traverse 新建築学研究 vol.21

Page 1

新建築学研究

traverse 21

kyoto university architectural journal


s

Interview 満田 衛資

住宅という巣

Eisuke MITSUDA

Build own living spaces

蔭山 陽太

まちの中の巣

16

鳥から学ぶ巣の形

26

京都に巣づく ―「そこに住まうこと」を考える―

38

Yota KAGEYAMA

鈴木 まもる

Mamoru SUZUKI

大崎 純

6

The network between town and art

Architectural inspiration from birds' nest molphology

Makoto OHSAKI

Project 学生座談会 Student talk Session

Nesting in Kyoto -Seeking for a meaning of "living here"-

中村 友彦

長澤 寛

奥村 拓哉

Tomohiko NAKAMURA

Kan NAGASAWA

Takuya OKUMURA

齊藤 風結

尾崎 聡一郎

尾上 潤

Fuyu SAITO

Soichiro OSAKI

Jun ONOUE

三宅 真由佳 Mayuka MIYAKE

平田研究室

プラスチック爆弾は「生きられた公共建築」の夢を見るか?​ /Talk about 桂新広場プロジェクト

46

HIRATA Laboratory

小林・落合研究室

地域に根ざす設計技術・地域に根ざす人間居住

58

三浦研究室

人の行動や心理から建築・地域にアプローチする

KOBAYASHI・OCHIAI Laboratory "Design methodology" and "Human settlement" rooted in local environment

MIURA Laboratory

小椋・伊庭研究室 OGURA・IBA Laboratory

A pproaching architecture and community from the perspective of human behavior and psychology

「巣」の環境の築き方の時代から、その在り方の時代へ From the age of how to build a "nest" environment to the age of how it should be

68 78


Essay

contents 蜘 蛛 の 巣

布野 修司

ヒューマン・ウェブの未来:COVID-19 とステイ・ホーム

Shuji FUNO

The Future of Human Web: COVID-19 & Stay Home

古阪 秀三

建 設業の歴史と巣

竹山 聖

壁について

Kiyoshi Sey TAKEYAMA

On Walls

牧 紀男

住 宅再建と復興事業 -東日本大震災の生活復興感-

106

柳沢 究

住経験論ノート(3) ― 異文化の住経験に触れること:デルフト工科大学における試行

112

Shuzo FURUSAKA

Norio MAKI

90 96

The History of the Construction Industry and Nest

ousing Reconstruction and Reconstruction Projects H -The Great East Japan Earthquake's Perception of Life Recovery-

100

Kiwamu YANAGISAWA

Note for Study on Dwelling Experience 3: Cross-Cultural Exchange of Dwelling Experiences, a Trial at TU Delft

小見山 陽介

micro architecture

120

記憶を呼び覚ます空間

126

オオニワシドリのあずまやに見る「仮面」性

132

Yosuke KOMIYAMA

井関 武彦 Takehiko ISEKI

A space of awakening

Students' Essay 石井 一貴 Kazutaka ISHII

Maskedness in the bower of the Great bowerbird

菱田 吾朗

リアルとバーチャルを繋ぐ「MASK」

136

岩見 歩昂

4年弱の備忘録

140

Hotaka IWAMI

A memorandum of these four years

北垣 直輝

モ ノの風景を読む

144

4回生スタジオコース作品

148

Goro HISHIDA

The mask connecting real and virtual

Reading the Context behind Objects

Gravure Students' Works : 4th Year Studios

Contributors / Back number / Editorial note

158


「巣」 traverse21 のテーマは「巣」です。 「巣」とは、生物が広大な外界の凹凸をとらえ、荒天や外敵から身を守る、あるいは居 場所を保つためにつくり出す構造物のことを指します。アリの巣、クモの巣、ビーバーの巣、 コウノトリの巣、ツバメの巣。そして、私たち人類が構築する巣には「建築」という名が 与えられています。それぞれの生物が日々の生活を営む拠点として、生態や環境に適した 巣を拵えています。一方で、目には見えない「巣」も存在します。古巣、巣窟、愛の巣の ような、人々の意識の内にある居場所を巣と呼べるなら、家族やコミュニティ、都市その ものもまた巣になり得るといえるでしょう。 2020 年春、新型コロナウイルス感染症が世界各地で猛威を振るい、私たちは住宅とい う「巣」に籠ることを余儀なくされました。この未曾有の事態は種々様々な「巣」のあり 方 −私たちそれぞれの居場所、人と人、人と都市とのつながりのあり方− について根本 から問い直す大きな契機となっています。 人類にとって忘れ得ぬ転換期となるであろう今この瞬間にしか生まれない思考や言葉 を、記録に残し発信したいというのが私たちの思いです。京都大学建築系教室の各分野を 横断 /traverse した企画やエッセイを通じて、生命がつくりあげてきた多様な「巣」のあ り方、そして今、人々の中でふつふつと湧き上がるこれからの「巣」のあり方を探ります。

theme


interview

インタビュー

住宅という巣

6

Build own living spaces

満田衛資

Eisuke MITSUDA

構造家、京都工芸繊維大学教授。1972 年京都市生まれ。1999 年に佐々木睦朗事務所へ入所後、2017 年に満田衛 資構造計画研究所を設立。2018 年より現職。 2013 年、京都市に自邸「House of Kyoto」が竣工。近作に「toberu (大西麻貴 + 百田有希 / o+h)」、「house S / shop B(木村松本建築設計事務所) 」など。

まちの中の巣

16

The network between town and art

蔭山陽太

Yota KAGEYAMA

THEATRE E9 KYOTO 支配人。1964 年京都市生まれ。支配人として「まつもと市民芸術館」 「 、KAAT 神奈川芸術劇場」、 「ロームシアター京都」などの立ち上げに携わったのち、2019 年、京都市に民間劇場「THEATRE E9 KYOTO」を設立。 現在「一般社団法人アーツシード京都」理事、 「寺田倉庫」京都エリア担当プロデューサー / コーディネーター。

鳥から学ぶ巣の形 Architectural inspiration from birds' nest molphology

鈴木まもる

Mamoru SUZUKI 画家、絵本作家、鳥の巣研究家。1952 年東京都生まれ。多くの児童向け絵本を出版、受賞多数。代表作に「せんろ はつづく」、 「ピン・ポン・バス」、 「黒ねこサンゴロウ」など。鳥の巣を題材にしたものに「世界の鳥の巣の本」、 「ぼくの 鳥の巣絵日記」などがある。1998 年には東京、2016 年にはニューヨークで個展も開催。

大崎純

Makoto OHSAKI 京都大学教授。専門は建築構造学、構造最適化、計算力学。1960 年大阪府生まれ。2010 年より広島大学教授を経 て、2015 年より現職。主な受賞に、前田工学賞−年間優秀博士論文賞 (1994 年 )、日本建築学会奨励賞 (1996 年 )、 日本建築学会賞論文部門 (2008 年 )、ASSMO Award(2018 年 ) など。

26


INTERVIEW

住宅という巣 構造家 / 京都工芸繊維大学 教授

満田衛資 インタビュー Eisuke MITSUDA / Architect

traverse21 で8回目を迎えるリレーインタビュー企画。

前回のインタビュイーである建築家の木村吉成氏と松本尚子氏は以下のような推薦文を添え、満田衛資氏にたすきを 繋いだ。

満田さんとの協同は「怖い」。どんな案件であっても「そこに正義はありますか?」とまず問うてくるからだ。 この「正義」というのは通念的な「合理」ではない。もちろん「正当性」とも異なる。 環境に、施主の要望に、法的な決まりに、建築の社会性に対してすべて応答しうる「自前の倫理」をきちんと設定できてますか? という問いなのだ。 建築するということは責任を伴うものだ。建築家としてその責任を放棄したらお終いですよ、と。 たくさんある満田語録(?)からもうひとつ紹介しておく。 「とぶときゃとぶしとばんときゃとばん」 柱間のスパンを「とばす」ときに発せられた言葉だ。ここにもやはり「正義」がある。 その正義が満田さんにとって引き受けられる(賛同できる)ときは「とぶ」のだ。 木村吉成氏・松本尚子氏(建築家) 聞き手=瀬端優人、高山夏奈、久永和咲、前田隆宏 2020.9.14 満田邸にて

6


Build own living spaces Eisuke MITSUDA

構造家への道

──佐々木事務所ではどのような刺激を受けられました か。

──まずは構造の道に進まれた経緯をお教えください。 僕は京都大学を 97 年に卒業、大学院修士課程を 99 年に 修了しています。学部の頃は構造系の中村恒善先生の研究 室、その年で中村先生が退官されたので大学院では上谷宏 二先生の研究室に所属し、大崎純先生にご指導いただきな がら膜構造のことで修士論文を書きました。ですがもとも と第一志望の研究室は中村研ではなくて、都市史研究の布 野修司先生の研究室だったんです。ところがちょうど川崎 清先生も退官されたことで計画系の研究室の枠が少なく、 布野研が一番人気でした。そうなると、布野研には当然学 年のトップレベルで設計ができる人たちがいくわけですよ ね。例えば今近畿大学で教授をしている松岡聡くんなどが、 ポートフォリオで選ばれていくのです。京大の場合は研究 室配属に落ちた人同士で残った枠のどこにいくかを調整し ますよね。当時中村研は構造力学の成績で「優」をもって いる学生しか入れないという噂があり、多くの人が宇治に 行くよりも吉田キャンパスの研究室に残りたいという空気 感などもありました。構造力学は「優」で、もともと構造 が嫌いなわけでもなかったので、とりあえず中村研に入る という感じで構造の道がスタートしました。実際やり始め ると面白さもわかってきて、結局大学院でも上谷研を第一 志望にして構造系のまま修士に進みました。就職活動の時 期になり、ゼネコンを中心に大手企業の OB 訪問をしてい たのですが、やっぱりアトリエ系も見てみたくなって。僕 と大学院の同期で、今は神戸芸術工科大学で准教授もして いる構造家の萬田隆くんと一緒に色々な事務所を見て回り ました。その中で最終的に、佐々木睦朗さんの事務所を一 番魅力的に感じたんです。もちろんどんな建築をつくって いるかは雑誌などを通して知っていましたが、代表作のせ んだいメディアテークすらコンペが終わっただけの段階 で、伊東豊雄さんや SANAA と設計している自由曲面屋根 の建築などはまだ存在しない時代です。ですが雑誌での対 談や本を読んで、技術としての構造とはまた別の視点を併 せもって誠実に建築と向き合っている方だと強く感じてい ました。それで佐々木事務所を志望し、無事入所できまし た。

事務所に入ってからはひたすら修行です。まずは京大で理 論ベースで学んできた設計式を、ようやく実務を通して使 いこなしていく感覚でした。式を使うということは、出て きた結果が必要な条件を満足しているか照合して安全性を 確認していくことです。ですがこれとデザインとはまた次 元が違って、計算する前に、それぞれの建物にとってどう いう形式や素材が最適かを判断していかなければならな い。この判断力は、なかなか大学の勉強では身につかない と痛感しました。佐々木さんをナンバーワンたらしめるそ の判断力について意識できるようになったのは、入所して 5年が過ぎたあたりでした。所員は最終的にその判断を予 測できるようになり、さらに自分自身の考えをもつように なれると独立できるのだと思います。人から言われたこと をきちんとこなすことで、もちろんその会社の一員として 活躍できます。ですが会社の枠から外れた途端、自分自身 で全て責任をもって判断していく必要があるからです。独 立していくことが主流の事務所だったので、比較的早い時 期からそうしたことを意識できるようになったのだと思い ます。 ──その後 2006 年に独立、京都にて事務所を開設されま した。なぜ東京ではなく関西を選ばれたのですか。 実は関西でやりたいというのは、就職活動の頃から思って いたんです。当時はグローバル化とともに東京に機能集約 されていく時代で、東京との差がどんどん開いて関西の経 済が地盤沈下していくのを目の当たりにしていました。就 活のために構造事務所を探してみても、魅力的なところは 東京ばかりで、関西にはほとんどなかったんです。そこで、 東京のような事務所の文化を関西でも生むには、構造家に なって関西で活躍するしかないと思うようになりました。 改めて東京の構造事務所を調べてみると、活躍している構 造家の方々の大元は、佐々木さんのお師匠さんでもある木 村俊彦さんでした。金箱温春さんや渡辺邦夫さん、新谷眞 人さんなども、見て回った事務所の方々は全員木村さんの お弟子さんです。自分も構造家として活躍するには、結局 彼らの考え方に直接触れるのが一番早いと思い、いずれ関 西で独立するという意識のもと、一極集中する東京で勉強 することを決めたんです。

7


INTERVIEW

構造家の職能

にでもなることを知ってもらうということを今年はトライ しました。要するに問題用紙に書かれている問題を解く側

──現在は京都工芸繊維大学で教鞭をとられていますが、

ではなくて、問題をつくる側であるという意識をもたせる。

教育者の立場として今の学生をどう見られていますか。

学部の段階でそのことに気付かせられるような教育ができ

工繊大に着任する以前にも非常勤講師はしていましたが、

全体の学生の負荷を高めすぎてもいけないのでバランスが

はじめは美大に構造力学を教えにいくパターンが多かった んです。構造家を呼ぶことで授業が固くなりすぎないよう にする意図もあったのだと思います。その後、ある時期か らは、構造の講義ではなくむしろ設計演習で呼ばれること が増えていきました。構造のことを課題に取り入れている ものもありますが、構造的な話ができるレベルの学生がま だいないというのが正直なところです。なので、普段設計 する際に建築家の相談にのっているように、意匠的な判断 もしながら構造家としての目線でエスキスをしています。 そこには、意匠と構造をミックスしていくという意識があ るんです。学生の中には構造を意識しすぎて思考の自由さ を失ってしまう人もいるので、意匠と構造がミックスされ た総体としての建築にきちんと意識が向くような学生を育 てていきたいと思って指導しています。理論ベースな構造 の講義においても、実例紹介など構造家としての視点を交 えることで、講義で習う式がどう実践で生きるかを明確に 示すように心掛けています。講義の単位を取るために仕方 なく勉強していることも、最終的には全部自分の設計に活 かすことができるということに気づいてもらえるように配 慮しています。 一方で大学院では、研究室に配属された学生は構造の道に 進むことを決めている人たちなので、学部までとは違った タイプのエスキス的な教え方をしています。今年から大学 院生を対象に、構造設計の演習として構造計画のようなこ とを始めてみました。36m 四方の正方形平面の体育館に、 どんな屋根の架構をするべきか自分で考える課題です。山 形のトラス梁を並べる人もいたら、放射状に梁をかけてい く人もいます。各々に合わせて、計画の良し悪しの話や、 ソフトウェアの使い方のような話、計画上配慮すべきポイ ントの話などをしています。多くの学生が、構造を解くこ とは与えられた問題に対して曲げモーメントや剪断力を計 算し、モーメント図を描くことだと思っています。そうで はなく、その架構形式にすることで建物にどんな違いが出 てくるかを気付かせることで、考え方次第で建築が如何様

8

ていければより理想的ですが、構造に進まない人も含めた 難しいところです。構造計画の授業と言いつつも事例紹介 になりがちな中で、自ら構造計画していく力をどう教育で きるかというところに、今は関心をもっています。 ──構造家としての設計上のポリシーや、意匠設計の方に 対してどのようなスタンスをとられているのかをお教えく ださい。 当然、職能的に最も上位に存在している前提は建物が安全 であることですが、来た仕事の状態によってこちらも考え る目線を変えながらやるようにしています。僕に相談しに 来られる段階で、図面ががちがちに固まっている場合とそ うでない場合があるんです。前者はスケジュールも短く、 あとは計算するだけに近い状態ですから、すぐに計算を始 めます。選定している素材、鉄骨か RC かなどの話も含めて、 それぞれの中で計画が成立しそうかどうかというところを チェックして、全然足りていませんよ、という場合は最低 限ここにはこの部材がいりますよねという風にアドバイス をしながら、そのプランを可能な限り満足するようにしま す。後者のようにもう少しゆとりをもって依頼に来られて いる場合は、建築家も実はまだプランがふわっとしていて、 この敷地に対してこっち側にひらきたいなどという方向性 は持っている。「こういうご家族なんで、こんな空間が真 ん中にあるようにしたい」といったように、 何となくのキー ワードを大事にしながら、じゃあ必要な耐震のための構造 はこういう配置がうまくいくんじゃないですか、という様 な提案をしていくことになります。建築家との仕事は、基 本的に建築家に頼まれてやっているので、「建築家=依頼 者」に満足してもらわないといけない。建築家が案を進め ていく時点でその先にいる建築主の要望を満足していると いう前提があるので、その意図をまず汲み取るべきだと考 えています。だから建築家の意図は何か、達成しようとし ていることは何かというところを読み取るようにしていま す。


Build own living spaces Eisuke MITSUDA

インタビュー風景。満田邸にて ( 撮影のため一時マスクを外しています )

9


INTERVIEW

自邸をつくる

した。広いところに引っ越すか、ここで建て替えるかとい う切実さが大きく、設計する際も 57 平米しかない土地を

──今回、traverse21 のテーマは「巣」です。満田さん は日常の色々な環境の中で「巣」を意識されることはあり

どう使いこなすかを中心に考えていくことにしました。そ こで、半地下や高さ 1.4m 以下のロフトによる緩和を足し

ますか。

合わせて、体感の容積率が 200%になることを目指して

巣は人間にとっては自宅や実家という意味合いを強くもつ

きたと思っています。

ように思います。たとえば会社や学校へ行くというのは感 覚的に巣の話ではなく、やはり寝食が伴っているところで ないと巣とは言い難いのかなと思います。ところが、寝泊 りしてご飯を食べるだけなら旅先のホテルでもできるもの の、ホテルも巣ではないなという気がします。やはり巣と いう言葉は日常的かどうかというニュアンスを含んでい て、自分の日常とリンクしているものを指しているのだと

設計しました。実際、体感としては 180%くらいにはで

──スキップフロアにすることで空調やエネルギーに関す る問題は生じませんでしたか。 京都の木造家屋なので、とにかく冬が寒い。よく「夏を涼 しく」ということを京都では言いますが、あれは良くない 言葉だなと少し思っていました ( 笑 )。昔の人にとっては

思います。

そうだったかもしれませんが、現代の技術や我々の感覚か

──構造設計者という立場で、他の誰よりもさまざまな建

良いと僕は思っています。夏を涼しくするには、窓を開け

築家の思想を深く読み取ってこられたと思います。そう いったご経験は自邸設計の際、ご自身の建築観や住居観に

らすると、エネルギー効率的には冬に暖かいほうが絶対に 放って熱をちゃんと排出してやれば、外気と平衡状態に なって外気以上の温度にはならないはずです。しかし実際

どのような影響がありましたか?

は屋根がついていて輻射があったり熱が逃げずに溜まって

もちろん影響された部分もありますが、住居観よりも狭さ

らいなら、風さえ吹いていれば暑いことはないんです。元々

に対する切実さのほうが強かったですね。狭い土地でも気 持ちいい家をつくることにトライする建築家さんとたくさ ん仕事してきたということもあって、この狭さを克服する のが自分のやるべきことだという漠然とした思いもありま した。うちは僕を含めて4人家族で、妻と 2 人の娘がい ます。建てる時の自分の住居観や周囲の環境だけでなく、 家族構成にもよって設計する部分がありますね。元々同じ 敷地に住んでいて、いま向こう側に見えているような家が 対称に反転してるような感じでした。北側接道で、57 平 米しかない上に、建蔽率が 60%、容積率が 100%です。 容積率 100%ということは、頑張って建てても延床面積 が 57 平米ということになります。この敷地で以前住んで いた家は、1階を少しリフォームして LDK として使って いて、2階は4畳半の部屋を通って6畳の部屋があるよう な、いわゆる 2LDK でした。親が寝ている部屋を通らない と子どもたちが自分の部屋にいけないので、子どもが中学 生くらいになると、本人にとっても家族にとっても居心地 悪く、子供たちの個室が必要だろうと考えるようになりま

10

しまうから、外よりも暑い状態になる。それでも 30 度く ここに住んでいた経験から、この敷地は風の通りが良いこ とはわかっていたので、風をしっかり取り込めれば、冷房 をがんがんにかけないといけない家にはならないだろうと 思っていました。だからこそ冬を暖かく過ごせるように設 計しました。この家ができたのは 2013 年の 2 月で、計 画した時期は 2011 年~ 12 年です。2011 年に原発の事 故があって、エネルギーの問題を真面目に考えざるを得な い時期でもありました。電気は当然大切ですが、「日々の 生活の中でエネルギーを使う」ということの意味をようや く意識でき始めていたんです。たまたまその時期に聴竹居 に行く機会があって、藤井厚二があれだけのことを考えて いたということに触れることができたのも大きかったかな と思います。このような経験がなければ、エネルギーを強 く意識した設計はできていなかったかもしれませんね。


Build own living spaces Eisuke MITSUDA

断面図

平面図 左上:1 階、左下:地下階 右:2 階 以上4点 図版提供:満田衛資構造計画研究所

11


INTERVIEW

「共」の場

きゃいけないとか色々なことを考えていくと、最終的にこ の形に辿り着きました。外形の決め方には明確な根拠が

──設計にあたり、ご家族からの要望やご自身の希望はあ

あって、昔の街区の壁面線を強く意識しています。もとも

りましたか。

と建蔽率 60%容積率 100%ということは、1階を 60%、

子ども部屋は玄関を入った1階に、リビングは2階にし

中で家々の壁面が揃っているとなると、40%の部分が前

ているのですが、妻は最初、子どもがいつ帰ってきたかわ からないような家は嫌だと言っていました。だけど絶対に リビングは2階の方がいいと考えていたので、スキップフ ロアにすることで下の階と空気として繋げられるというこ とを説明して納得してもらいました。子どもの要望は、ぶっ ちゃけ聞いていないですね ( 笑 )。僕の要望としては明る い家にしたいというのが第一にあったので、できるだけ無 駄な壁を建てないようにしました。それは狭さを克服する という話でもあります。構造家として、さまざまな建築家 の設計する家をたくさん見てきて、狭いなりに狭さを感じ させない工夫を経験させてもらったことが設計に生きてい ます。なのでこうした大きな開口、高さ、スキップフロア で体感的な広さを確保しました。でもこうやって 4 人も

2階を 40%でつくるのがセオリーなんです。かつ街区の 掛りで出てくる形になるのでそこは踏襲しておいた方がい いと考えました。実は裏の家との境界にはブロック塀があ るのですが、2階レベルになるともちろんブロック塀は存 在しないので、多少広さを感じることができます。壁面を お互いに下げあっているからこそ、2階の間隔が広く感じ るという街区の特性がずっと繋がっていたんです。それっ て街区が構成している裏空間なわけですよね。街区だけの 共有空間みたいなものを感じ取っていました。路地の先に あるお互いの家の前のスペースって、「公と共と私」でい うところの「公」の空間ではなく、そこの住人だけの「共」 の空間です。共空間が京都には裏にありがちで、その気持 ちよさを2階にテラスを置くことで展開してやろうという 考えがありました。積極的にテラスに植栽を置いたのも、

来てもらうと、やっぱりちょっと狭いかな ( 笑 )。

視線を防ぐという意味だけでなく「共」の空間を豊かなも

――自邸設計はご自身やご家族を見つめ直す機会にもなる

テンシャルを示したかったんです。

のにしたいという思いがありました。街区のもっているポ

と思います。設計していく過程で新たな発見や、それを生 かすような取り組みはありましたか。 子どもに関しては意見をきいてもうまく表現できないから ね ( 笑 )。それに元々個室がなかったので、今度は個室が あるよと言ったら、それで納得してもらえました。妻は細 かい設計のことはわからないですから、考え方が食い違わ ないように議論はきちんとしました。一方で、例えばキッ チンの奥行きや幅は逆に僕が判断しきれないところでもあ るので、実際にキッチンに立つ妻や娘の声をそのまま設計 に反映しています。家により長く居る人の居心地の良さを 優先した方がいいと思うんですよ。 ──設計のスタディはどのような過程をとられたのでしょ うか。 形のイメージからスケッチを描いて図面に落としていく と、やはり狭さが強烈に効いてきて、じゃあ半地下にしな

12

​スキップフロアのキッチンからテラスを見下ろす


Build own living spaces Eisuke MITSUDA

1 階のホール

空気がつながる家

で、明るい家をつくるということに反するんですよね。だ から水回りも閉じずに、ガラスで囲っています。普通お風

──1階のホールはどのように使われていますか。

呂場などは隠すものだからどうしても狭くなるし、かつ他

妻とも共有していた話として、子どもたちにあまり自室に

本なので、昼間はちゃんと光と風を通せた方がいいと考え

籠って欲しくないという考えがありました。そこで個室を 狭くつくる代わりに、図書館の閲覧室やカフェのようなス ペースとして自由に使ってくれればいいかなと。自分の勉 強机で勉強していても飽きる時がありますよね、そんな時

の部屋まで暗くしてしまいます。夜にしか使わないのが基 ました。ガラス張りにすると言うともちろん家族は驚いて いましたが、視線は内側からカーテンでコントロールすれ ばいいと伝えるとすぐに納得してくれました。トイレはさ すがに壁で塞いでいますけどね ( 笑 )。

の居場所になればいいなと思っています。あとはプロジェ クターでテレビ番組や映画を観たり、娘がピアノの練習を したり。本当に多様ですよ。京都の家には玄関間と呼ばれ るスペースがあって、中までは上がってもらわずにそこで 対応しておしまいということもあるわけですよね。そう いった玄関間の使われ方も、 「ホール」を取り入れるに至っ た発想の一つです。やむを得ず玄関が狭くなっていますが、 玄関間をちゃんと用意しているので、玄関は単なる靴脱ぎ 場だと考えられます。実際に妻が PTA の集まりでホール に机を出して会議をしていたこともあります。受験勉強の 時は、子どもが友達を連れてきて勉強会をしていたことも ありましたね。それともう一つ、ホールを設けることで廊 下がいらなくなります。廊下は壁を建ててつくるものなの

──実際に住み始めてみて、家族の方が想定外の使い方を されていたようなところもありますか。 ホールを図書館的にも使える場所にもしようというのは考 えていたんです。だから子ども部屋は机しか置けないくら いのサイズにして、ロフトで寝てくださいという風にしま した。すると最近、子ども同士で交渉して、ロフトの下だ けを使う人と上だけを使う人で分けたいから間仕切りの壁 をぶち抜いてくれと言われました。子どもが自分たちの成 長に合わせてカスタマイズし始めているんです。カスタマ イズできる限界がすぐに来るのでこれ以上はないと思いま すけど ( 笑 )。

13


INTERVIEW

お茶の練習スペース

──お風呂の上は茶室になっていますね。どのような使い

「巣ごもり」の期間を経て

方をされていますか。 皆さんと同じ大学院生の頃にお茶を習い始めて今も通って いて、その練習のための場所なのですが、「茶室」と言う と他のことができなくなるので「お茶の練習スペース」と 言うようにしています。要するにロフトですよね。高さは 1.4m もありません。僕としては畳の置けるスペースが欲 しくて、キッチンの上部などの余ったスペースに設計しよ うと考えていました。検討を進めるうちにお風呂の上が一 番良いということになったのですが、風通しがすごくいい 場所で、寝転がったら気持ちいいんですよ。 ──ご自邸を建てられてから、ご自身、ご家族、地域も含 めて何か変化や意見はありましたか。 子どもがよく友達を連れてくるようになりましたね。この 近所だともっと大きい家はたくさんあるのですが、妻も子 どもの友達が来ることに対して抵抗感をもっていないの で、人はよく集まっています。前の家のままだったらどう かというのはもはや比較対象がないのでわかりませんが、 人が集まりやすい空間になっているとは思います。 ──個室でもリビングでもない、ホールという共空間があ る影響は大きそうですね。 2階のリビングで騒いでいる時もありますが、2階が使え ない日は1階のホールで、というのはうまいこと理解して 使っていますね。

──スキップフロアのある空間で、自粛期間はどう過ごさ れましたか。 上の子どもが大学生なので自分の部屋でオンラインの授業 を受けている傍ら、僕は地下の書斎からオンラインで授業 をしているという光景は、今までにない生活シーンでした ( 笑 )。気配は相互に感じられるようにしておきたいとい う妻のリクエスト通り、狭い家なので、気配はやっぱり感 じられます。コロナで皆が家にいる時でも大体リビングに いるんですよね。しかし自分の場所へ戻りたければ戻って いけますし、リビングで遊びながら人が抜けたり入ったり ということのしやすさはあるのかなと思います。 ──家族が家に集って過ごす時間が増え、これから住宅は どう変わっていくでしょうか。 リモートが進んだことと、企業の働き方改革とが重なった ことで、住宅に関する価値観を変えようと意識するまでも なく、強制的に変えられています。価値観を変えましょう と口で言っても無理ですが、今回半ば強制的に価値観の変 容を体感できたことで新しい可能性に気付き、自分の価値 観を改める人は一定数出てくるはずだと考えています。そ の時に感じ取ったことをいかに形にできていくかが重要で すよね。それが個々の建物の平面の話なのかもっと街区的 な話になるのか、そこまではわかりませんが、それが住宅 の中にどう入り込んでくるかですよね。家の中に閉じ籠っ てテレワークをしようとした時、それは情報の回路が繋 がっていて初めて成立する話です。なので家の中の様々な ネットワークの充実度も当然問われてくることになります

14


Build own living spaces Eisuke MITSUDA

上階からの光が差し込む階段

比叡山を望む開口

し、ほとんどは無線 LAN のような技術的な話で解決され

でこのサイズの住宅を中に柱を通さずに建てるのはそう簡

そうな気もします。とはいえ、個々のスペースは必要なん

単ではないんですよ。梁せいは普通より大きくし、柱も幅

ですよ。子どもが授業を受けながら僕が授業を発信してと

が 105mm、奥行きが普通の3倍近くある 300mm のもの

いうのも、同じ空間の隣同士だと絶対にダメなんです。そ

を使ってラーメン構造にしています。その辺は自分の構造

の時にはそれぞれのスペースに戻らないといけない。たま

の知識を総動員して、壁なしで一室空間にするということ

たまうちの場合は予め適切な空間が用意されていたと言え

を達成できています。

るのですが、ちゃんと充実した個室があればそれでいいの でしょうか。都市と地方でも考え方が変わってくる話だと

──次につくるとしたらどんな住宅をつくりたいですか、

思います。

最後にお聞かせください。

──リモート化によって、皆がいる公共を求める人たちと、

次はもう子育ても終わっているので、趣味に徹した家です

家に家族が多くてテレワークする場所がないなどの理由か

ね ( 笑 )。今の家を建てたときは経済的にゆとりがあった

ら一人になりたいという人たちと、ベクトルが両方向に進

わけでもないので、これが限界でした。もう全部真っ白に

み始めているのかもしれませんね。

塗ってしまっていて、素材感もあまりないんです。ただ、 一般的な京都の家の側面のデザインしてなさが気になって

一人の空間を充実させることの意味が大きく関わってきそ

いたので、全部同じデザインでニュートラルに回すという

うです。この家に関していうと、子どもたちの個室も決し

ことは注力しました。一番長尺で取れる材が継ぎ目の見え

て快適な空間として用意してあげられたわけではありませ

ないようにするにはどこに窓を配置すべきかも検討したり

ん。快適な場所はいくらでもあるから出ておいで、という

して。なので次はある種、藤森照信さんのように、色々な

ようなつくりにしているんです。たぶん子どもはそういっ

素材を試しながら道楽的な感覚で建築をつくってみたいと

た親の目論見に気づいて、自分たちで交渉し合ってカスタ

いう思いがあります。もう一度くらい設計するチャンスが

マイズする方向になっていったんですよね ( 笑 )。それこ

あるんじゃないですかね。

そもっと大きな規模で都市のように賑やかでキラキラして 見える場所に出て行きたくなるタイプの人と、自分の居心 地のいい場所があればそれでいいという人と、それはどち らも有り得ると思います。だから僕は家づくりに関しては、 家族が家の中でちゃんと集まれるスペースを設けることは かなり優先度が高いと考えています。やはり、空気の質を 区分するという意味を除いて、基本的に壁は少ない方が良 いんですよね。壁を建てるとそれだけまたお金もかかりま すし ( 笑 )。それは構造のこととも関係しています。木造

15


INTERVIEW

まちの中の巣 The network between town and art THEATRE E9 KYOTO 支配人

まちの中では一人一人の市民が多様な活動をしており、そ

蔭山陽太 インタビュー

の中で同じ目的をもつ者同士が独自のコミュニティを形成

Yota KAGEYAMA

しています。多数のコミュニティがひしめき合うその一部 には、惜まれながらも時間とともにその姿を消してゆくも のもあります。本稿では、積み重ねてきた歴史や文化の灯 火を守り続けている方に注目します。自らの「巣」をまち という異なる次元の「巣」に編み込み、互いに維持・発展 するために活動を続けてきた蔭山氏へのインタビューを通 し、これまで/これからのまちとアートの関係性を考えて いきます。

聞き手=石原佳苗、瀬端優人、前田隆宏、間山碧人 2020.7.18 THEATRE E9 KYOTO にて

16


The network between town and art Yota KAGEYAMA

板場から劇場へ

たちの劇場はそうならないようにという思いは、ものすご くあります。これまで色々な劇場の仕事に携わってきた中

──まずは演劇や劇場の世界に携わられるようになった経

でも、伊東豊雄さん設計の「まつもと市民芸術館」は最も

緯をお伺いしたいです。

印象に残る素晴らしい劇場です。機能的にもデザイン的に

大学の頃に先輩が出ていた芝居を観に行ったくらいで、特

コモノ行政批判ブームのあおりを受けて市民の大きな反対

に演劇とは縁がありませんでしたが、大学の学園祭の企画 などは面白くやっていました。大学5年目の夏、北海道の ホテルで短期のアルバイトをしていたのですが、辞め際に 料理長から板前を勧められて、始めてみることにしました。 厳しい板長さんのもとで一通り料理の勉強をしましたが、 料理屋さんの板場ではお客さんと接することがないので人 恋しく感じていて。そこで休みをもらって、東京に行き、 そこでオペラ歌手をやっていた友人に劇場の仕事を勧めら れました。未知の世界でしたが面白そうなので、六本木に ある「俳優座劇場」に履歴書を持ってアポ無しで訪ねたこ とがきっかけでこの業界に飛び込んでみることにしたんで す。しかし料理も劇場も、職人の世界です。仕込みやバラ シなどの言葉遣いも、雰囲気もどこか似ている。同じとこ ろに来たなと感じました。例えばコース料理にも流れや物 語があって、器などによる演出も必要で、演劇と似ている。 何より料理も演劇も、味わうその瞬間が終われば記憶にし か残らないものです。人と接する仕事をしたいという動機 で探したはずが、演劇の世界にはすごく親近感がもてまし た。

もとても優れています。しかし「まつもと」は、当時のハ の声が上がっている中で建設が進められていました。オー プン直前にあった市長選挙では新劇場の是非が大きな争 点になり、高い投票率のなか、僅差で反対派が推す候補が 勝ったので、実質、有権者の賛否はほぼ半々です。せっか く建てられた真新しい劇場が、市民にとってわだかまりの 象徴になってしまった。つまり、誕生を祝福されないまま に人生をスタートしてしまう、このままではこの劇場が将 来グレてしまうなと思いました。この時が劇場にとっての 人格ということを強く感じた瞬間でした。そしてその人格 を育んでいくためにはそこで働く人たちのそうした思いが 大切なんだと。それからしばらくの間、粘り強く市民の皆 さんと交流を続けた結果、反対していた皆さんに深いご理 解とご協力をいただけることになり、今も広く市民に愛さ れる劇場として育まれています。そんなこともあり、その 後「ロームシアター京都」立ち上げの仕事に呼ばれた時も、 まず何よりもスタッフの人事を任せてもらうことをお願い しました。新しい劇場の誕生に立ち会うというめったに関 われない機会を、若いメンバーに経験してもらいたかった んです。その結果、全国から可能性に溢れた若い人材が集 まってくれました。彼らの情熱と体力のお陰で「ロームシ アター京都」を無事、誕生させることができ、全国的にも

劇場の人格

とてもユニークな活動に取り組んでいる劇場になっていま す。

──その後、蔭山さんはこれまで多くの劇場で重要な役割 を果たしてこられました。劇場でお仕事をされる上で大切 にされていることは何でしょうか。

劇場を建築する

劇場には、関わった人たちによって育て上げられる人格が

──劇場を立ち上げるにあたり、運営者として設計段階か

あると思っています。新しい劇場は生まれたばかりの赤 ちゃんみたいなもので、まずは近所の人に祝福されてから、 褒められたり怒られたりしながら地域の中で育っていく。 そうすると劇場も良い人生を送れるのだと思います。かつ て演劇公演のツアーで全国各地を巡っていた頃、かわいそ うな運命を辿っている劇場もたくさん見てきました。自分

ら参画することも多いのでしょうか。 劇場は、ハードはもちろんソフト面との関わりも重要なの で、いま高槻市が建設を進めている公立劇場(設計/日建 設計)でも打ち合わせに参加しています。一般的に特に公 立劇場では運営者が後から決まることが多いので、設計段

17


INTERVIEW

階に参画できないことが多く、結果として日常の運営や事

構築が大切で、アートマネージャーはそのための知識や感

故防止のために余計な人員が必要になってしまったり、劇

覚をもっている必要があると思います。僕が 30 代の時に、

場を利用するアーティストやスタッフ目線での使い勝手が

文化庁の在外研修でロンドンに滞在し、劇場の会員システ

疎かになったりするケースも少なくありません。その点、

ムを調べました。日本では会員になるとチケット代が割引

「まつもと市民芸術館」は特に楽屋が素晴らしい。楽屋の

になるのが普通ですが、ロンドンの多くの劇場では支持会

入り口から開放的で、よくある「裏口」的な感じはなく、

員の会費がチケット代以上に高い。つまり安く観るのでは

気持ちよく劇場に入っていけます。各部門のスタッフルー

なくて、それ以上に支援しているんです。特典としては、

ムや「たまり場」となるスペースの配置もとても機能的に

初日のパーティーに参加できるとか、劇場の椅子にネーム

考えられており、出演者のための楽屋のデザインや居住性

プレートを付けてもらえるといったことがあるのですが、

も抜群です。何より楽屋で過ごす時間が文字通り「楽しく」

そうしたことで会員と劇場との関係性がより強くなる。劇

快適だとアーティストがまた来たくなり、次の利用に繋が

場にとっては経営的にプラスになるし、会員の人にとって

ります。これは経営的にもとても大切なことだと確信しま

もステータスになるという相互関係なんです。これを日本

した。ところが大抵の場合、楽屋は収容人数重視で具体的

でもできないかと思い、帰国後、当時所属していた劇団 ( 文

な設計は後回しになり、検討段階では時間的にも予算的に

学座 ) で、それまで年会費が2万5千円くらいだった会員

も余裕が無くなります。劇場という施設は利用者、観客、

制とは別に年間5万円、10 万円、生涯 100 万円というコー

劇場管理運営者、全ての視点に立って設計することが求め

スを設定したいと提案したら「同じ芝居を観るのにわざわ

られるのです。

ざ定価より高いお金を払う人がいるのか」という声が多く

THEATRE E9 KYOTO を運営している「一般社団法人アー

ありました。だけど「一人も会員になる人がいなくても損

ツシード京都」にはこうした視点の全てに関わってきたメ

はしないから」と説得して実施したところ、100 万円コー

ンバーがいるので、これまで多くの劇場の立ち上げや運営

スも含めて、皆が思っていたより遥かに多い方が入会して

に携わってきた経験を生かしてのコンサルティングを通じ

くれました。

て、これからの世代に受け継いでいきたいと思っています。 ──なぜそのシステムがうまく作用したのでしょうか。 ──運営者が設計段階から入った劇場が手本となって、劇 場建築全体の質が上がるということも期待できそうです。

観る人はその時間をその場所に行って過ごすという、いわ ば感覚的、心理的な体験に対価を支払っているので、その

設計ってやっぱり面白くて、設計する人がどんな人とどれ

人にとっての価値観は様々です。アートにおいては、需要

だけ関係をもっているか、そのパーソナリティーで設計の

供給曲線の交点ではなく、作品を介したアーティストと鑑

豊かさが変わってくると思います。さらに出来上がった劇

賞者との間の信頼関係で価値が決まるはずなんですよ。だ

場をアーティストが使う中で、今まで見たことのない空間

から会員制にグラデーションをつければ、実質的には定価

の使い方を発見すると、また新しい可能性が見えてくるん

に縛られることなく、「客席単価×客席数」という限られ

です。

た枠以上に収入を増やすことができるわけです。 ちなみに「E9」でも年間3万円と5万円のサポート会員 には何の差もありませんが、5万円コースを選択していた

芸術の価値

だける人もいます。 日本では公的な助成金を申請するとその度に芸術の価値や

芸術に対して商売のような言い方をすると嫌われる傾向が ありますが、特に舞台芸術はコピーして大量生産して全国 で同時販売する、ということは出来ません。だから長く観 続けてくれるお客さんとの継続的な関係性 ( 生涯顧客 ) の

18

必要性について「誰にでもわかる説明」を求められます。 もうかれこれ四半世紀以上、アーティストやアートマネー ジャーがこの説明をし続けているのですが、未だに文化行 政を司る国や地方自治体の公的機関の皆さんには本質的な


The network between town and art Yota KAGEYAMA

理解を得られていないということになります。

京都における小劇場

その一方で私たちも「芸術は人の心を豊かにする」から必 要だという言い方をよくしますが、芸術に触れていない人 の人生が豊かでないということでは決してありません。つ まるところ苦し紛れに「芸術的な手法は世の中の役に立つ から」というもっともらしい話にとりあえず落ち着かせて しまい、その結果、何か社会奉仕的なこと ( これを「社会 包摂」という間違った言い換えをしていたりします ) をし ないと公的助成金をもらえない、という風潮が常識になり つつあることにはとても危機感を抱いています。 芸術を役に立たせるためにやるとつまらなくなっていきま す。しかし、あらゆる芸術は歴史上、今この瞬間まで、世 界中で地上から無くなったことはありません。この事実を 否定することは誰にも不可能であり、まさにそのことが人 類にとっての芸術の必要性を自ずと証明しているわけで す。 ただ、ここで芸術創造活動をやめてしまうと過去の人類が 営々と、時には命がけで証明し続けてきた努力を終わらせ てしまうことになってしまいます。だからこそ芸術家は「社 会奉仕」や「社会包摂」より何より、創造活動を続けるこ とが大切です。そしてアートマネージャーはその活動のた めに継続的安定的な環境を確保することに注力し、劇場は そのプロセスと作品を観客、社会と共有する場として大切 に育んでいかなければなりません。

──「E9」を設立されたきっかけの一つに、京都に5つあっ た小劇場の相次ぐ閉館があるとお伺いしています。かつて 小劇場はどのような役割や関係性をもって、京都の中で展 開していたのでしょうか。 僕が「俳優座劇場」に入った時から、「今一番おもしろい のは京都の劇団」という話は東京の業界関係者の間で噂に なっていました。そしてある日、そうした劇団にとって代 表的な小劇場であった「アートスペース無門館」( その後 「アトリエ劇研」) の遠藤さんという女性のプロデューサー にお声がけいただいて、京都で芝居を観る機会がありまし た。たしかに東京で観ていた演劇よりも、京都の方が遥か に独創的でおもしろい。それから度々京都に行って、演劇 を観るようになりました。その後、世界的に活躍すること になるダムタイプも既に京都では大きな注目を集めていま した。京都の小劇場で上演されている舞台の多くはクオリ ティーが高く、ミックスジャンルというか、カテゴライズ されていない表現も多くありました。学生のまちというこ ともあり、大学の演劇部も多く、有名性よりは実験的でチャ レンジングな作品がより好まれるムードがありました。そ れゆえ、プロセニアムアーチのある劇場よりも「ブラック ボックス」スタイルの小劇場が舞台芸術のメインストリー ムを創っていたのだと思います。 さらにそうした小劇場は、発表の場としてだけでなく作品 創造の空間としての役割を担っていました。京都の民間劇 場は、貸館としてだけではなく、アーティストに寄り添っ た重要な存在だったわけです。劇場に目利きがいて、作品 づくりのプロセスをわかっているプロデューサーやアート マネージャーがいたからこそ、おもしろい作品やユニーク なアーティストが次々と出てきたのだと思います。 ──劇場で作品をつくるという傾向は、東京にも伝播した のでしょうか。 ​

インタビュー風景。THEATRE E9 KYOTO 楽屋にて (​撮影のため一時マスクを外し

90 年代に入ってから、例えば「新国立劇場」や「世田谷

ています )

パブリックシアター」のように、劇場が作品をつくるとい うヨーロッパスタイルの公立劇場は少しずつ出てきまし た。ただそれはほんの一部 ( おそらく全国の1%ほど ) で、

19


INTERVIEW

ほとんどの劇場は独自に作品を創ったりそのために劇場を

ストと観客によってどれだけ重要かどうかにかかっていま

使うことはできていません。貸館収入もチケット収入もな

す。そういう意味で京都の民間小劇場を牽引してきた「ア

いクリエーション ( 稽古期間 ) に充てる資金源が無いから

トリエ劇研」が閉館するというのは非常にインパクトが

です。特に税金による運営補助が無い民間劇場は構造的に

大きかった。目標とする発表の場が無ければ京都で作品を

厳しい経営状況に置かれており、さらに客席数の少ない民

創っていく動機が奪われてしまうので「京都ではもうやれ

間小劇場となると低料金の貸館収入だけでは経営が成り立

ないかも…」という雰囲気が漂っていました。東京に行っ

たないというのが実態です。

てしまったり、公演ができなくなったりした劇団もありま

そうした中、まさにオーナーの心意気で持ちこたえていた

した。劇場が無くなるということをアーティストが初めて

京都の多くの民間小劇場の存在は日本の舞台芸術界におい

身近に感じたんだと思います。それからもう一つ、「裏方」

てとても貴重な役割を担っていました。

と呼ばれる技術スタッフの問題があります。公演が無けれ

そうしたことを踏まえて、私が「京都会館」のリニューア

ば技術スタッフも活動の場を失います。劇場が無くなると

ルの仕事を受けた時、これで大きな公立劇場といくつもの

いうことはハード面だけでなく、創造活動を支える人材を

民間小劇場や京都芸術センターなどが全体として繋がって

も確保することができなくなり、今後、京都で舞台芸術作

京都の舞台芸術インフラを整えることができると思ってい

品を創ることができなくなってしまうのです。

ました。ところが、そんな思いが吹き飛んでしまう事態が

もちろん劇場だけが舞台芸術の発表の場であるということ

突然、降り掛かってきました。

ではありませんが、選択肢が無い中で、その場を小さなカ

それは「アトリエ劇研」を始め、5 つの小劇場が一気に無

フェや基本的な設備が無い場所で上演することによる作品

くなってしまうという深刻なものだったのです。

のクオリティー低下や集客減というリスク、負のスパイラ ルを招きかねません。

小劇場の窮地

──人が育ち、活躍できる場を守るために、必要な設備を 備えた「E9」をつくられたのですね。

──「E9」の他に、当時京都の小劇場を守ろうとする取

り組みはありましたか。

人材の流出は、環境をつくる側の責任だと考えています。

劇場同士で共有された問題意識も無く、アーティスト側と

団と出会うことが出来、その縁によって今の私の仕事があ

しても安く借りられる劇場以外の場所は他にあったので、 まとまった運動はありませんでした。そこで大きな危機感 をもった有志で独自に動き始めたんです。新しい小劇場を つくるプロジェクトを始めた時に、京都の舞台芸術に関わ るアーティストたちに「新しい劇場に対して何を望みます か」という問いかけをする内容でシンポジウムを開きまし た。「やっぱり安く借りられた方が良い」という意見があ る中で、「劇場が赤字になると、結局は場を失うことにな る。だから安ければいいっていう話ではないんじゃないか」 という人もいました。アーティストの中にも共有財産とし ての劇場に対する経営的な意識をもっていることが初めて 明確になった瞬間でした。税金で支えられている公立劇場 は、コロナがあろうがなかろうがどうやっても潰れません。 しかし民間劇場はそうはいかなくて、その存続はアーティ

20

京都の小劇場があったからこそ、優れたアーティストや劇 るので、新しい劇場をつくることは個人的にも恩返しのよ うな気持ちです。 「アトリエ劇研」最後の芸術監督であっ たあごうさとしさん (「E9」芸術監督 ) も、現代美術家の やなぎみわさん ( 同副館長 ) も、何より自身がアーティス トであり、劇場の価値や意味を身を以て理解していたから こそ、この問題に対して強い思いがあったのだと思います。 また、狂言師の茂山あきらさん ( 同館長 ) と照明家の關秀 哉さん ( 同プロダクションマネージャー ) は、当初は全く 別にこれからの若い世代のために、また伝統芸能の継承に とっても小劇場の必要性に強い思いを抱いて物件を探して おられました。THEATRE E9 KYOTO をつくるプロジェク トはそれまで様々なフィールドで活動し続けてきたこの3 世代が出会うことによって、劇場の在り方や方向性が固ま りました。


The network between town and art Yota KAGEYAMA

声の可視化、クラウドファンディング

でした。当初、クラウドファンディングが目標額に達しな い場合は、プロジェクトを諦めようと思っていたのですが、

新しい劇場をつくる ( リノベーション ) ための物件を探す ポイントはいくつかあったのですが、とかく小劇場が迷惑 施設と思われる原因である「音漏れ」の問題は重要でした。 また、100 人くらいの収容人数、演出の可能性をより広 げるための空間が確保できるということも必要な条件でし た。ところが市内にある空きビルや、工場等を探しても なかなか適当な物件は無く、プロジェクトは早々に行き詰 まってしまいました。そこで私が京都に来てから個人的に いろいろお世話になっていた不動産会社「八清」の西村社 長にご相談させていただいたところ、会社の倉庫として所 有されていたこの建物をご紹介いただきました。鴨川沿い に面した角地で両隣は空き地。十分な広さや高さがあるだ けでなく倉庫奥にはL字型の空間があり、ブラックボック スに舞台袖を設けることができて更に理想的でした。もう 皆、見た瞬間に「ここしかない!」と思いました。ところ がその後、この地域の用途が第一種住居専用地域であるこ とが分かりました。劇場を建てるためには京都市による「建 築審査会」への特例申請とそれに伴う住民説明会で地元の 賛同を得ることが絶対条件ということだったのです。しか も専門的な申請書類の作成におよそ 1200 万円かかるとい うことが判明しました。それで急遽クラウドファンディン

この結果を受けて、メンバーはもう覚悟を決めなければな りませんでした ( 笑 )。劇場を建てるためにはさらにこの 10 倍もの資金が必要になります。日本では民間の劇場は パブリックな文化施設として認められていないので、一切 の公的支援が無いなかで資金を集めなければなりません。 私も、もはや「ロームシアター京都」の仕事と両立させる ことはできず、このプロジェクトに専念することにしまし た。 ──1階のホワイエの壁にも、たくさんの支援者の方のお 名前が刻まれていますね。 ​ 機材購入のための2回目のクラウドファンディングでは、 800 万円の目標に 900 万円を超える金額が集まりました。 本当にありがたいことに、合計で 3000 万円近くを支援し ていただきました。劇場のホワイエには1回目のクラウド ファンディングで支援していただいた方のお名前を壁の 木材 ( 2階の床材に使われていたものをリサイクルしたも の ) に彫り込んであります。「100 年続く劇場」を目指す と謳っている以上、消えてしまうことのないようにという 思いからです。

グ (READYFOR) でそのための資金を集めることにしまし た。 一般的にクラウドファンディングは、主に SNS を通じて 情報が拡散します。短期間での資金調達には他に有効な選 択肢が思いつかなかったのですが、結果的にこのクラウド ファンディングによってプロジェクトのことが広く伝わ り、思ってもみなかった多くの人たちと課題を共有するこ とができました。特に過去、観客として劇場に足を運んで くれた方や、あるいは出演者やスタッフとして舞台芸術に 関わった経験のある人たちから心強いメッセージとともに たくさんのご支援をいただきました。クラウドファンディ ングにチャレンジしたことで、京都の長い小劇場の歴史の 中で関わりのあった「潜在的な顧客」が可視化され、応援

ホワイエの壁材は、50 年以上前から既存倉庫の床材として使っていたものをリサ

団が出来たわけです。その結果、当時のクラウドファンディ

イクル。クラウドファンデング出資者の名前を刻み込んだ

ングのアート部門では最高額とも言われる 1900 万円を超 える支援が集まりました。 ただ、ここで集まったのは申請書類を作成するための資金

21


INTERVIEW

左:劇場のトイレを考えるシンポジウムを経て、トイレはジェ ンダーフリーに。機能のみを表示したサイン 右:建物内サイン表示のフォントはバウハウスの誌面から引用 して作成したもの

パブリックな文化

とについてあらためて本質的に捉え直す必要があるのでは ないでしょうか。

──これまでの公立劇場と比べると、民間はより自由に企 業やお客さんとのつながりを築き上げていけそうですね。 「人」として、地域に巣づく 日本では 1990 年代半ば頃までは、文化庁などによる演劇、 音楽、舞踊などの創造活動への公的支援はほとんど無かっ

──東九条に劇場をつくることになり、地域住民の方々の

たので、民間劇場や劇団はチケット販売や民間の鑑賞団体、

理解を得るためにどのような活動をされましたか。

公立劇場の買取公演、それぞれの支持会員による会費、個

人や企業からの寄付や協賛金などが主な収入源でした。な

まず住民説明会をクリアできないと、審査会で専門家の人

のでパソコンや携帯電話などがまだ普及していないなか、

に認められても建てることはできません。

顧客管理やダイレクトメール(郵便)の作成や発送、支持

特に小劇場は防音設備が十分ではない場合が多く、時に場

会員との関係づくりは時間をかけて丁寧にやっていまし

内の音が外に漏れてしまったり、公演の前後で観客が劇場

た。その後、大きな額の公的支援制度が始まるとその申請

周辺に集まったりすることで近隣住民にとってそれが「騒

のための書類作成が創造団体や公共劇場の制作担当者の主

音」となる「迷惑施設」になりがちです。33 年続いた「ア

な仕事になりました。とは言え総額が決まっているパイを

トリエ劇研」でさえもそうしたクレームは閉館まで度々あ

取り合うことになるので、文化庁の担当者に支援相当と認

りました。ですが本質的に重要なのは「音」の音量ではなく、

められるために、いかに上手く申請書を書くかという競い

その施設と周辺住民、地域との関係性なのだと思います。

合いになります。本来、アーティストと社会を繋ぐ仕事で

「100 年続く劇場」をやっていくためには、たとえ劇場か

あるはずのアートマネージャーは、役所との関係づくりの

ら音が漏れても、多くの来場者の話し声が聞こえてきても、

ためにその時間と能力を大きく割くようになり、その結果、

周辺住民から「騒音」「迷惑」と感じられない、出来れば

徐々に芸術と社会とのコミュニケーションが希薄になって

「劇団の人たち、頑張ってるね」「たくさん人が来て賑やか

いきました。

で良かったね」と思われるところまでの関係性を築いてい

public という単語の第一義の意味は「国、官」ではなく「国

かなければならないと思っています。なので劇場建設に向

民、市民」なのですが、日本では、 「パブリック〜」は「公共」

けてまずは、地域の人たちに直接コンタクトを取るところ

と訳され、その意味は「公立、官立」が一般的になってい

から始めました。

ます。本来、劇場や美術館などの文化施設はそれが公設で あろうと民間によるものであろうとパブリックなものであ

──劇場の建設を説得するのではなく、まずは「人」とし

るはずですが、例えば「公共劇場」というと国や地方公共

て認めてもらうことが重要だということですね。

団体によって建てられた「公設」のものを指します。つま

り日本では「公共=パブリック」は「官」が独占している

劇場の人格を体現するのはそこにいる「人」です。どんな

わけです。これはやはり根本的におかしい。

公演をするかなどの難しい話を理解してもらう前に、「こ

THEATRE E9 KYOTO では開館1年ほど前から「民間劇場

こに劇場をつくりたい」と言っている姿をきちんと見ても

における公共性とは何か」というテーマで連続シンポジ

らうことが大切なのだと思います。この地域は、個人的に

ウムを開催しました。私たちの劇場は 100%民間ですが、

も大好きな映画『パッチギ!』の舞台にもなっているので

公共性のある劇場であり、ゆえにパブリック=市民のよっ

すが、日韓併合以来、今も幾世代にも渡って在日コリアン

て支えられるべきだと思っているからです。

の家族が多く生活しています。そしてこれまで実に長い間、

芸術は国境や宗教、経済的格差などにかかわらず誰しもが

理不尽な差別・抑圧を被ってきた歴史をもつまちでもあり

創造、享受できる公共性があるからこそ、その存在自体に

ます。その一方で東九条の住民は、生活の中での「多文化

普遍性があるのだと思います。私たちは「公共」というこ

共生」をテーマにすることで、様々な国籍や人種、障がい

22


The network between town and art Yota KAGEYAMA

左:小劇場用に開発されたスタッキングが可能な椅子。底つき感 がなく、座り心地がいい 右:カフェ正面。コワーキングスペース利用者や「E9」職員、地 域住民が集う

がある人たちが助け合って安心して暮らせる「多様性」を

した。木津さんは世界的にも高く評価されている演劇作品

とても大切に考えています。私たちがここで劇場にする物

の舞台美術をいくつも手掛けてきた方で、過去に私が支配

件に出会えたことは意図しない偶然でしたが、そんなまち

人をしていた劇場で何度か仕事をご一緒させていただいて

だからこそ、まさに異文化ともいえる「芸術」 「芸術家」 「劇

いました。ただ、半世紀前に工場として建てられた古い建

場」を受け入れてくれたのだと思っています。

物をリノベーションして、劇場としての建築基準をクリア するための設計は、大変な作業の連続でした。元々の鉄骨 構造はしっかりしていましたが、地面を全部掘り返して基

THEATRE E9 KYOTO の設計

礎から固め直さなければなりませんでした。壁は住居専用 地域での防音性能を確保するために 40cm ほどの厚みを

──これまでの劇場でのご経験から、「E9」の設計に反映

加え、2階のコワーキングの足音などが1階の劇場に漏れ

されたことはありますか。

ないようにするために天井は特殊な防音材を何重にも設置

一つは客席の椅子ですね。2時間くらいの観劇の間、 「座っ

満たすために5分に1回、空気が完全に入れ替わる高性能

ている」ことが気になって鑑賞への集中力を下げてしまう ことが無いように、座り心地にはとてもこだわって選びま した。昔は小劇場というとギュウギュウ詰めで小さな折り たたみ椅子か堅いベンチに座って、というのがむしろ「ら しい」ということだったのですが、今は小劇場でも団塊世 代、ビートルズ以降の世代の観客も多く、上演される公演 の内容も多様になっています。なのでたとえ小劇場であっ ても鑑賞環境の良し悪しはとても重要です。THEATRE E9 KYOTO の客席の椅子はスタッキング出来る「コトブキシー ティング株式会社」さんのものを使っているのですが、東 京の本社に行って実際にいろいろな椅子に座ってベストな ものを選びました。小劇場での観賞用に開発、設計された もので、劇場やスタジアム、映画館などの椅子を専門に つくり続けてきたこの会社の経験と技術が凝縮されていま す。

した分厚いものにしました。また換気設備も、劇場基準を なものを高額な費用をかけて設置しています。 ──大きな吹き抜けのホワイエも大変印象的でした。 ホワイエは、鴨川の遊歩道の桜が見えるように開放的なガ ラス張りにしました。2階の床に使っていた板材を壁に使 うというのは、木津さんのアイディアです。長年、このま ちにあった建物なので、地域の歴史を大切にしていきたい という私たちの思いもあって、外見はほぼ原形のままリノ ベーションされています。ホワイエも、工場や倉庫であっ た頃の搬入スペースがもっていた吹き抜けや柱をそのまま 生かしています。トタンが使われていた部分の壁は同じ印 象になるような素材と色を使っています。また1階のカ フェは工場だった頃の事務所スペースだったのですが、窓 枠の鉄のサッシやガラスのブロックも原形のままです。

舞台芸術は舞台と観客が共に創り上げる作品です。観客が 座り心地を気にせずに目の前の舞台に集中できるかどうか は、その作品のクオリティに少なくない影響を与えるので す。 ──「E9」は既存倉庫をリノベーションされたというこ とですが、建築設計はどのように進みましたか。 設計にあたっては、私たちと舞台芸術に関する共通言語を もっていて、劇場の機構をきちんと分かっている人にまと め上げてもらう必要があると考えていました。そこで優れ た舞台美術家でもある設計家の木津潤平さんにお願いしま

既存倉庫の吹き抜けが生かされたホワイエ。2階はコワーキングスペースになっ ている

23


INTERVIEW

コミュニティを横断する

いにとても刺激的な新しい発見があり、このプロジェクト もこれから続けていくつもりです。

──劇場が長く続いていくためには関係性の構築が重要に なってくるということでした。 「E9」建設後、地域に対し

このことに限らず、日常的に劇場がアートとビジネスに関 する実験場のようになっていて、今後の展開がますます楽

てはどのような取り組みや交流をされていますか。

しみになっています。

京都市が出している「京都駅東南部エリア活性化方針」は

──ビジネスやアート、地域や社会という様々な異なる枠

文化芸術でまちづくりをしていくというものなのですが、 それに基づいた「機運醸成事業」を私たちが受託し、昨年 度は地域にある広い市有地の空き地に野外舞台と飲食の屋 台村を設置し、野外劇や地域の皆さんが出演する新作狂 言を上演したり、大道芸を呼び込んだりしました。これ には地元の皆さんや中小企業家同友会南支部の経営者の 皆さん、京都信用金庫の職員や京都精華大学の学生たち にボランティアとして協力していただき、東九条ではかつ て無かった規模のイベントを成功させることが出来まし た。また、一昨年からは地域の子どもたちが夏休みに自分 たちの手で映画を創るプロジェクトを実施して、昨年は THEATRE E9 KYOTO でその上映会をアカデミー賞の授賞 式のような演出で開催しました。実は今年度は先の機運醸 成事業で地域の小学校を利用して映画祭をしようと計画し ていたのですが、コロナ禍により内容を大幅に変更して、 東九条で製作される3本の映像作品を京都みなみ会館と THEATRE E9 KYOTO で上映する予定です。

組みを横断する上で、心掛けていることをお聞かせくださ い。 劇場はお客さんに来てもらう場所ですが、積極的に外に出 てこちらからコンタクトをとっていかなければいけないと 思います。特にこれからアートマネージメントの仕事を やっていこうという人はできるだけ仕事場や劇場にいる時 間を減らして、まちに出ていくことをオススメします。お 昼ご飯も外で食べるくらいの方がいい。 劇場は開演時間に間に合って、終演後に家に帰れる範囲の 人しか来られないので、自ずと劇場を中心とした観客にな る可能性のある人口の分母が決まります。東京首都圏は世 界的にもあまりに巨大なマーケットをもつ特殊なエリアで すが、世界の都市との共通性をもつのはその規模や人口か ら見ると京都のような地方都市です。まずは顔が見える距 離の範囲をマーケットとして意識することが、劇場が地域 社会と持続可能性をもって共生していく原点になるのでは ないかと思います。

──劇場の上、2階にあるコワーキングスペースはどのよ うな役割を果たしていますか。 地域の未来 「E9」で面白いのは、ビジネスとアートが同居していると ころです。コワーキングスペースの会員さんは地元に限ら

──東九条という地域へのこれからの展望はありますか。

ず関西圏からバリバリのビジネスパーソン達が集まってい て、彼らは常に劇場のホワイエを通って行きますし、もち

地域で生活を続けていくための課題を見つけて、分野を超

ろん劇場の会員になる人もいます。ビジネスとアートは

えて皆で解決していくことが大切だと思います。東九条だ

この国の社会の中ではとても距離があるものになってい

と、一つは食の問題があります。高齢化して、食べ物を

るのですが、ここでは物理的にも関係的にもとても近く

買える場所が近くに無いのはすごく大変なんです。Uber

なっています。昨年はコワーキングスペースの会員の皆

Eats みたいに家に呼ぶような解決方法もあるかもしれま

さんが出演する演劇公演を芸術監督あごうさんが演出して

せんが、買い物に出かけてたくさんの商品が並ぶ中から選

THEATRE E9 KYOTO で上演したのですが、これがはじめ

ぶ楽しさは、心の豊かさに繋がると思っています。またド

に想像していた以上に作品としてのクオリティーが高く、

ラッグストアが無いのも問題です。日本では老々介護が増

観客の評判がとても良かったんです。そして何より、お互

えていますが、ここでは介護用品が簡単に買えないんです。

24


The network between town and art Yota KAGEYAMA

あとは、地価の問題があります。今やこの地域は 2023 年

活や人生にとって「必要なもの」「大切なものである」と

に予定されている京都市立芸術大学の移転、「E9」の設立

多くの市民が認識し、税金とは別に自らお金を支払うこ

などによる注目もあって市内での地価上昇率が最も高く

とでパブリックスペースをこの危機から一時的ではあれ、

なっています。そもそも京都駅から徒歩圏内である一等地

守ったということです。

でもあり、商業エリアとして野放しに開発が進んでしまう

このことはこれまでにない社会的システムの構築実現の道

と文化芸術による地域活性化は実現できないでしょう。そ

が拓けてきたことを示す実例になっていると思います。

うした危機感は地元住民も私たちも共有しており、それだ

こうしたことを受け、今、京都で舞台芸術や音楽、現代美

けに役所や成り行きに任せるのではなく、自分たちの将来

術などの現代芸術に関わる民間拠点と地元金融機関が一つ

そのものの課題としてこれからさらに積極的に働きかけて

のテーブルに着いて具体化するプロジェクトに取り組み始

いかなければなりません。そのために今、いくつかのプロ

めています。これは過去、前例の無い初めてのチャレンジ

ジェクトを進める準備をしているところです。

であり、大きな社会的実験でもあります。

コロナ禍によってこれから世の中が「どう変わるか」とい

それだけに容易なことではありませんが、行政的な複雑な

う話題は溢れていますが、そうしたフェーズに留まってい

手続きは無く、民間であることのフットワークを生かすこ

る限り、このピンチをプラスの可能性にすることはできな

とが出来るという点は有利に働きます。

いと思います。これは先の大震災後の教訓です。「どう変

THEATRE E9 KYOTO をつくるプロジェクトもそうでした

わるか」から「どう変えるか」への転換が社会的に拡がら

が、これまでの常識的な感覚では不可能と思えたことも、

なければ良い方向には向かわないということです。

「確信と覚悟」があれば何事にも可能性はあります。

何かが変わるのを待つのではなく、コロナ禍によって明確

同じ志をもつ人たちと共に、知恵と行動力を発揮して新し

になってきた課題に向き合い、その解決のために具体的な

い一歩を踏み出したいと思っています。

行動を起こすことが求められています。 THEATRE E9 KYOTO の課題は「劇場の存続」ですが、こ のことと地域の未来は不可分一体のものだと考えていま す。

⼩劇場を支え続けるため ──京都で消えつつあった小劇場の文化が、「E9」の登場 で改めて確かなものになってきていると思います。今後京 都において、さらに小劇場のコミュニティや文化を展開し ていくためのビジョンを最後にお聞かせください。 以前から劇場などの芸術創造発信拠点をパブリックスペー スとして公的支援に頼らずに社会全体で支え、共生してい くための社会的システムの構築について考えていました。 コロナ禍が発生して以降、公的支援がほとんど受けられな い多くの民間劇場やライブハウス、ミニシアターなどがク ラウドファンディングなどのツールを使って存続のための 資金を集めることに成功しています。国や行政にとって民 間劇場の存続は限りなく優先順位は下の方であっても、生

25


INTERVIEW

鈴木氏のアトリエ ( 提供:鈴木まもる )

鳥から学ぶ巣の形 Architectural inspiration from birds' nest molphology 画家 / 絵本作家 / 鳥の巣研究家 京都大学教授 ( 建築構造学 )

鈴木まもる × 大崎純 対談 Mamoru SUZUKI

Makoto OHSAKI

一般に動物の住処を指す「巣」のなかで、この企画では鳥の巣に注目する。身の回りの物を拾い集め、構造的な知識をもた ず設計図も描かずして生まれた巣の形態には、目を見張るものがある。巣の研究の多くは環境や生態に関するものであるが、 今回は構造的な視点からの追究を試みる。 対談に先立ち、鈴木氏の著書である『鳥の巣の本』 『世界の鳥の巣の本』『生きものたちのつくる巣 109』『鳥の巣いろいろ』 から大崎教授に興味をもった形態の巣を選んでいただき、鈴木氏にはそれらの巣のつくられ方、その鳥の習性等について資料 をご用意いただいた。

聞き手:雨宮美夏 石原佳苗 竹岡里玲英 久永和咲 2020.8.4 ZOOM にて

26


Archirtectural inspiration from birds' nest molphology Mamoru SUZUKI / Makoto OHSAKI

鈴木まもる(左)大崎純(右)以降敬称略

大崎 ――私は構造の形を決めるような研究をしてきたの

で、建築の中では特殊な形状に興味があります。生物に学 ぶということも、以前から研究のなかで色々と調査してい ました。今回このような機会をいただいて、非常に嬉しく 思っています。

鳥の巣の形を読み解く 多様な鳥の巣 ――まずは、大崎先生が興味をもたれた巣についてお話し

鈴木 ――僕は子ども向けの絵本を描いています。30 年く

らい前に今住んでいる伊豆の山の中で暮らすようになり、 家の周りで、使い終わった鳥の巣を目にするようになりま した。僕は絵も描くことも、動植物も、物をつくるという ことも好きなので、最初鳥の巣を見つけて造形として興味 をもち、鳥の巣の世界に入り込んでいったんです。自分な りに造形的なことを調べたり、鳥の巣関係の本も出したり、 展覧会で実物の巣を見てもらったりしています。

いただきます。 【キジバト 雑然とした巣】 大崎 ――キジバトの巣 ( 図1) は雑然とした形で、単に枝

を積んだだけのように見えますが、力学的にどのように成 り立っているのでしょうか。建築の構造に、割り箸を交互 に組み合わせてつくる屋根のようなレシプロカルストラク チャーという構造 ( 図2) がありますが、これは力学的に は弱いので日本ではほとんど見ませんし、恒久的な建物に は使われないと思います。摩擦と接触による機構で成立し ているのですが、キジバトもそのようなことを知っている のでしょうか。キジバトの巣材の細い枝がどのように組み 合わさっているのかお聞きしたいです。 鈴木――枝の分かれ目などに、棒を置くようにしています。

おわん型の巣と違って、キジバトさんの巣は平たいので細 い枝を木の枝にとめずに乗せていく感じですね。ですから、 おっしゃるように構造的には弱いです。 少しずつ差し込んだり、上から押したりしていくことで、 だんだん定着していく。キジバトさんの場合、巣づくりの 最初はメスがいつも巣をつくる場所にいて、オスが巣材を 図1 キジバトの巣

運ぶんです。

( 提供:鈴木まもる )

大崎――大きい巣材を持ってくるわけではないですよね。

どのように置いていくのですか。 鈴木――オスが巣材をくわえて持ってきて、メスに渡すと

メスが自分の体の中に差し込んでいき、体で押して維持し 図2 レシプロカルストラクチャー ( 提供:Dr. Yan Su and Prof. Yue Wu, ハルビン工業大学 )

ていくような感じです。だから、他の巣に比べるとかなり 壊れやすいです。

27


INTERVIEW

図 3 セアカカマドドリの巣 ( 提供:鈴木まもる )

図4 積み重なったセアカカマドドリの巣

図5 コメンガタハタオリの巣

穴の奥の壁面に入り口があり、左側の部屋に入れる

( 提供:鈴木まもる )

( 提供:鈴木まもる )

【セアカカマドドリ 固い泥の巣】

鈴木――はい、巣立ちまでの2ヶ月くらいですね。飛べる

ようになったら外の方が安全なんですよ。万が一、蛇とか 大崎 ――セアカカマドドリの巣 ( 図3) は泥でできている

が来てしまうと逃げられないじゃないですか。

のですね。枯れ草に泥をかけていくのですか。 ――壊れないのに1回しか使わないのは、自分でつくった 鈴木 ――ツバメさんも口の中で土と藁を混ぜて運びます

巣の方が安心だからですか。

が、これもそうですね。泥の割合が高くて、結構重いです。 土をクチバシでくわえてペタペタとこねていったり、足で

鈴木――そう、やはり自分でつくったということが安心感

踏んだりしています。

を生むので、他の個体がつくった巣が残っていたとしても それは巣として認知しません。これもセアカカマドドリの

大崎――藁を混ぜて強度をあげているわけですか。木造の

巣なんですけど、巣が積み重なっているでしょう ( 図4)。

家の土壁みたいですね。

下の巣はもちろん壊れていませんが、自分でつくらないと 安心できないのだと思います。この巣 ( 図5) も同じです。

鈴木――はい、これは本当にカチンカチンです。もうもの

使い終わった巣の下に全く別の種が、巣をつくりますが、

すごい固さです。この鳥が生息する地域の人はこの鳥の巣

場所として利用しただけで、繋がっているわけではありま

を真似して土に藁を混ぜて土壁をつくるようになったとい

せん。

われています。 大崎――巣をつくるのに適した場所というのがあるわけで 大崎――コンクリートは普通、鉄筋を入れますが、最近は

すね。

繊維補強という細かい繊維を混ぜる方法もあります。です から、土壁のような構造にも似ているということですね。

鈴木――セアカカマドドリの巣だと高い枝の上や、人間の

建築や機械構造にはシェル構造という曲面によって強くす

建物の壁にもつくってしまうようです。僕が持っているセ

る構造があります。この巣もシェル構造みたいなものだと

アカカマドドリの巣は、牧場の杭の上にあったそうです。

思います。非常に頑丈ですね。

敵が襲ってこない、安全だと思える場所に巣をつくります。

鈴木――そうですね。鳥はある一定期間は巣に住みますが、

巣立ってしまうともう使いません。巣立つまでの間きちん と維持されるように巣をつくります。セアカカマドドリの 巣は固めてあるので今も壊れていませんが、通常は雨風で 壊れてしまうので、その度につくるということになってい るのだと思います。 大崎――では、この頑丈な巣も1回しか使わないのですね。

28


Archirtectural inspiration from birds' nest molphology Mamoru SUZUKI / Makoto OHSAKI

図6 カンムリオオツリスドリの巣

図7 ハシブトハタオリドリの巣

図8 キムネコウヨウジャクの巣 ( 提供:鈴木まもる )

( 提供:鈴木まもる )

( 提供:鈴木まもる )

左:下の筒状部分が入り口、丸い部分が産室。人間の妊婦さんのお腹の形と同じ 右:巣の形成過程

【カンムリオオツリスドリ 上から吊られた大きな巣】

大崎――巣づくりにはすごく時間がかかりそうですが、ど

れくらいの時間でつくるのですか。 大崎 ――カンムリオオツリスドリの巣 ( 図6) は最初に見

たときつくる順番が分かりませんでしたが、上からつくっ

鈴木――交尾したあと卵を産むまでのあいだだから、そん

ていくんですね。ぶら下げながら編むということですが、

なに長い時間ではないです。おおよそ2、3週間くらいで

鳥はどのように編むのでしょうか。

しょうか。個体差もありますし、鳥の種類によっても異な りますが、何ヶ月もかかるものではありません。

鈴木――これが実物です。 大崎――私の部屋のクーラーの排気口のところにツバメが 大崎――すごく大きいですね。

巣をつくったんですよ、今年 ( 笑 )。5月ごろヒナが鳴い てうるさかったんですけれども、そのときも2、3日で、

鈴木――もっと大きいものもありますよ。上から順に繊維

一瞬のうちに出来たんですね。

を絡めていって下に下に垂らしながら、クチバシで編み込 んでいきます。適当な長さになったらおわん型をつくって

鈴木――ツバメさんはかなり速いですよね。あれは水を混

閉じます。

ぜているので、あまり一度につくると落ちてしまうから、 半日くらいで中断して乾かした後、また付け足していきま

大崎――植物の繊維を編むのですか。

す。

鈴木――はい。枯れ草や根を使っています。

【キムネコウヨウジャク 揺れを受け流す巣】

大崎――カンムリオオツリスドリの巣は一番上に重さが全

大崎 ――キムネコウヨウジャクの巣 ( 図8) は、風で揺れ

部かかってますので、上が丈夫である必要があると思うの

ても卵が落ちないのですか。

ですが、どのようになっていますか。 鈴木――はい。産座 ( 卵を温める場所 ) はお椀型に区切ら 鈴木――一番上は枝に絡めて巻きつけるような感じ。枯れ

れているので卵は落ちません。キムネコウヨウジャクの巣

草は細いですけれど、かなりの数が絡み合ってるので、相

自体は数グラムじゃないですかね。鳥の巣で重いのはセア

当な強度だと思います。ハタオリドリ ( 図7) だと、ヤシ

カカマドドリくらいで、あとは本当に軽いです。でも強度

の葉っぱを細くさいて、枝先の二股に絡めて編んでいきま

的にはしっかり枝に固定されているので、巣も落ちること

す。やっていることがものすごく細かいですね。

はありません。

大崎――接着はしていないですね。

大崎――軽さと強度には、内部構造も関係すると思います。

風が吹くと揺れるわけですよね。細いところを固くつくる 鈴木――クチバシで入れたり出したりして、編み込んでい

と、ポキッと折れてしまいますが、柔らかくすると、風や

ます。

地震で揺れても、なかなか折れない。建築の力学でいう柔

29


INTERVIEW

図9 コシアカユミハチドリの巣 ( 提供:鈴木まもる ) 図 10 アカガシラモリハタオリドリの巣 図 11 シャカイハタオリドリの巣 ( 提供:鈴木まもる ) ( 提供:鈴木まもる )

何百羽もの鳥が毎年増築していく。

構造です。例えば、建築の超高層のビルは揺れるようにつ

鈴木――はい、南アフリカですごく暑いところです。なの

くってあるので、それと似ていると思います。そういうこ

で、よく見ると結構粗い枝で出来ているんです。鳥さんは、

とも鳥は知っているわけですね ( 笑 )。

細い枝の皮を剥いて、その皮を他の枝に結んでつくってい ます。

鈴木――ええ、キムネコウヨウジャクのなかには巣の中に

ハタオリドリというのは総称で、ほとんどはヤシの葉っぱ

泥を塗ってるものがいるんです。時々泥を入れて、あまり

を編んでいくのですが、この種は枝と枝の接点を結んでつ

揺れすぎないように考えているのかもしれません。

くっています。

大崎――はい、風には揺れにくいと思います。

大崎――すごい技術ですね。

鈴木――ハチドリの仲間の鳥で、巣の下の方に小さい石を

鈴木――だから、見た目はスカスカしているのですが、触

クモの糸で巻き込んで重しにする鳥もいます ( 図9)。先

るとガッチリしています。風通しが良いけれど、壊れな

の方は揺れやすいんですけど、これだと揺れが少なくなる

い。その環境に適応して、いろいろその場で工夫した巣を

んです。

つくっているように感じられますね。 これはシャカイハタオリドリという鳥の巣(図 11)で、

大崎――場合によりますが、重しを入れている方が安定す

アカガシラモリハタオリドリの巣がいっぱい集まったと

るということですね。長さによって固有周期が変わるので、

思ってください。10m くらいあります。一羽の鳥の巣じゃ

揺れ方も変わると。重りを入れて張力が変わる効果がある

なくて、何百羽がみんなで共同して、大きな巣をつくって

というのは、非常に面白いですね。

いきます。なぜかというとここは砂漠地帯だからです。日 中気温は 40 度以上になりますが、夜は -10 度以下になっ

【アカガシラモリハタオリドリ・シャカイハタオリドリ 気候に適応した巣】

てしまう。ところが巣と巣の間を草がびっちり埋め込んで いて壁が厚いので巣の中はいつも 26 度に保たれているん です。人間が草を集めてつくる茅葺屋根と、見た目は同じ

大崎――鳥の巣は、暑いところと寒いところで性質が違う

ですね。

んですよね。

日中は巣の中で涼んで、夜は巣の中でおやすみするという ことで。この子たちに限って、巣立った後もここで一年中

鈴木――環境はものすごく大切で、それぞれの環境に適応

した形や材質になっていると思います。 大崎 ――例えば、アカガシラモリハタオリドリの巣 ( 図

10) は通気性が良いと『生きものたちのつくる巣 109』に 書かれていますが、生息地はアフリカですか。

30

暮らすので、毎年繁殖期に新しい巣を増築し、巣は年々大


Archirtectural inspiration from birds' nest molphology Mamoru SUZUKI / Makoto OHSAKI

図 12 チャイロニワシドリの東屋 ( 提供:鈴木まもる )

きくなっていくのです。

合うことによる剛性で出来ているということですね。

【ニワシドリ 求愛の舞台】

巣の役割

鈴木――ニワシドリの東屋 ( 図 12) というのは巣ではなく

鈴木――鳥の巣というと、鳥さんのお家だと思っている方

てオスがメスを呼ぶためにつくるものなんです。ニワシド リは、この東屋づくりが上手かどうかでオスを選びます。 ここでは卵も産まないし、暮らすこともないんです。巣は メスがこのそばにつくります。 大崎 ――チャイロニワシドリの東屋は、柱のまわりにつ

くっている訳ですね。 鈴木――はい、そうです。この写真は、東屋の中の柱の根っ

この部分なんですよ。 ――元から生えている枝のうち1本を太くしていくのです か? 鈴木――1本自然な木があって、そこに苔などで柱を太く

していく感じです。 大崎――中心となる柱を先に作って、それから屋根をつく

るのですか。

が多いですが、そうではなくて、卵とヒナを安全に育てる 場所だと思うんです。キムネコウヨウジャクの巣 ( 図 7) を見ると分かりますが、筒状の部分が入り口なんです。で、 膨らんでいる部分が産座といって卵が入っているところな んです。要するに、人間の妊婦さんのお腹の形と同じだと 思うんですよね。人間はお腹の中で赤ちゃんを育てますが、 鳥さんはそうすると体重が増えて飛べなくなってしまうの で、子宮の役割をもつ部分を別のところにつくって、子ど もを育てるようになったのではないかと思います。 けれども卵やヒナは栄養があるので他の動物が食べたがり ます。敵に見つからず、暑さ寒さに耐える環境をつくるた めに工夫を重ねて、こういう形になったのではないかと思 います。 大崎――鳥の巣が卵やヒナを育てるためのものだというの

は、多分、普通の人は十分に理解していないと思います。 私も鳥が住むところのように思っていました。ですから、 他の生物の巣や人間の家とは目的が全然違うということで

鈴木――正確な手順は分からないですね。ニワシドリの東

屋は一発で仕上げるというよりは、ずっとつくり続けてい くもので、途中経過しか見られないんです。ただずっと増 築していくから、少しずつ補強を積み重ねていってるのか なという感じはします。 大崎――シェルのようなものではなくて、普通の枝が絡み

31


INTERVIEW

①回りながら石を集めるので、石を集めた平たい巣ができる。 ②回りながら積み上げていく。お椀型になる。

③回りながらさらに自分を囲うように集めると球体の巣になる。入り口を横に出していくと中央の巣のようになる。 右は入り口が下向きになった巣(キムネコウヨウジャクの巣)。 図 13 巣の成り立ち ( 画 : 鈴木まもる )

図 14 北京国家体育館 ( 提供:Liu Zhengnan)

すね。

います。

巣の成り立ち

鳥の巣から建築を見つめなおす

大崎――一般的な話ですが、鳥の巣づくりというのは、つ

「鳥の巣」と呼ばれる建築

くり始めると決まりきった動作を続けていくだけなのか、 あるいは場合によっては途中で方法を変えることがあるの

――「鳥の巣」と呼ばれている建築としてヘルツォーク&

か、教えていただけますか。

ド・ムーロン設計の北京国家体育館 ( 図 14) がありますが、 様々な鳥の巣のお話を聞いて、大崎先生は改めてどのよう

鈴木――そもそもどうやって鳥が巣をつくるかというと、

に思われますか。

人間がろくろを回してお茶碗をつくるように、鳥さんは 自分を中心として回りながら巣をつくっていくんです ( 図

大崎――この建築は設計変更で、屋根構造の開口部に設置

13)。コチドリさんという、地面に卵を産む鳥がいます。

予定だった開閉屋根が設置されないことになったんです。

その鳥さんは丸い卵が転がっちゃう不安が出てくると、転

すると力の流れが大きく変わって、開口の縁を固めないと

がらないように石を持ってくるんです。更に、別の方向か

いけないのですが、そうではなく別のところの部材を増や

ら蛇が来て食べられちゃうんじゃないか、風が吹いてきて

していって、どんどん重くなったといわれています。鳥の

飛ばされるんじゃないかという不安が出てくるたびに石を

巣も弱いところがあれば、枝を抜くのではなく増やしてい

いろいろな方向に対して置く。

くと思うんですね。そのあたりが、つくり方として似てい るかなと思います。一方、建築構造の最適化は、まず全体

大崎――形が最初から端的に決まっているのではなくて、

に材料が敷き詰められていると考えて、要らないところを

それぞれの段階で本能的に判断しながら形が出来ていくと

除いていきます。

いうことですね。形そのものではなく、つくり方を本能と して知っていると。

鈴木――人間の場合は要らないものをとっていくそうです

が、鳥の巣は本当に自分の必要なものだけを集めるから、 鈴木――そうですね、鳥の種により巣のつくり方は違いま

シンプルなものになると思うんです。だから抜くというよ

すが、基本的には外装 ( 大きさや長さのある巣材 ) から始

りは、最低限のものでできていて無駄がない形ではあるの

まり、内部にいくに従い細かく繊細な材料になっていきま

かなと思います。

す。何か出来上がりのイメージがあるのだと思います。環

付け足すといえば、翌年巣を足すことはあります。猛禽類

境に合わせて、どういう場所で何を集めると安心できるか

は、繁殖期毎に新しい素材を付け足して新しい巣を古い巣

というのが、本能的に受け継がれているのではないかと思

の上につくっていくので、どんどん厚くなっていくんです。 だからといって、構造的に悪くなることはないと思われま

32


Archirtectural inspiration from birds' nest molphology Mamoru SUZUKI / Makoto OHSAKI

図 15 ベドウィンテント ( 図版作成:雨宮美夏 )

図 16 ジャングルジムのような枠組みに家を吊るす

図 17 モノコックボディ ( 図版作成:竹岡里玲英 )

( 図版作成:竹岡里玲英 )

す。

役目だと思います。

大崎――前半に、途中で方針が変わることがないかという

そして、鳥の巣から学べること

ことをお聞きしたのは、これと関連があって。人間の建 物の場合は途中で方針が変わるなどして、混乱する場合 があるんです。そうすると、最初から一直線で設計して いけなくなってしまう。人間の建物は用途変更も含めて いろいろ変更がありますので、機能だけで形は決まらな いですね。先ほどの鳥の巣の話で、全体の構成を把握し ているのではなくて、各部分に必要な機能や性能をもた せるため、一つ一つ手続きを積み重ねてできていると聞 いて、非常に納得しました。人間の場合は全体も見て評 価しないといけない、そのあたりが違うかなと。スケー ルだけの問題ではないと思います。

――鳥の巣と人間の建築のあいだにある目的の違いが、ス ケール感の違い等に関わってきているのでしょうか。 大崎――つくり方で重要になるのはやはり重さですね。材

料の重さが全然違うので難しいですけども、例えば建築の ドームを上からつくっていくことができれば、話が全然違 うと思います。今は地上で組み立ててリフトアップすると いうやり方もありますが、下からつくっています。例えば 鳥が回りながら巣をつくっていくように、真ん中に柱を立 てて、その周りに段々広げながら屋根をつくることができ れば、全く違った構造や施工方法が生まれるのではないか

身の回りのもので建てられる住居と鳥の巣

と思っていますし、将来それができれば何かが変わってい くでしょうね。だから、鳥から学べることの一つにはそう

大崎――それぞれの場所で手に入れやすい材料を使って生

いうつくり方があるんじゃないでしょうか。

成できる膜構造の例としてベドウィンテント ( 図 15) など

鳥の巣に学ぶとしたらもう一つは吊るすということになる

があります。手元のものしか使えなかった時代の住居は、

と思います。吊るす鳥の巣はいくつかありますが、人間の

鳥が材を入手して、自分たちでつくるのと似ていると思

つくる建物は吊るすことはほとんど無いんですね。ただ、

います。また、人が自分の手だけでつくることができる

例えばジャングルジムみたいな枠組みをつくって、家を

サイズで、それが鳥と巣のサイズ感に似ているという意

その下に吊るすことも、可能といえば可能なわけです ( 図

味もある。それより大きいものは必要なかったんです。

16)。吊るすと建物は安定しますし、地震荷重もこの骨組 みがちゃんともっていれば問題ありません。以前地震に強

鈴木――現代の住居の形態は直方体や立方体、使いやすい

い建物をつくるために、モノコックボディ ( 図 17) という

寸法や、規格が決まっていて、効率よくできるようになっ

基礎を固定しないサイコロみたいなものを標準として、そ

ていると思うんです。でもこういう家はそれ以前のもの

の中に家をつくればいいじゃないかという話がありまし

だから、造形的なつくり方としては、鳥の巣と同じだと

た。その場合、ユーティリティ ( 水道、ガス等 ) をどうやっ

感じます。どちらが良いということはないと思います。

て入れるかということが一番問題になります。吊るすと上 から入れられるので、そのような問題は生じないと思いま

大崎――そうですね。膜構造を例に出したので、鳥の巣と

す。

は形が違いますが、構造的な形というとシェル的で、そ

他には供用期間の違い、設計変更や用途変更の有無といっ

の点でも鳥の巣に似た例がいろいろ見られると思います。

た違いもありますが、鳥の巣を建築に当てはめる上での一

ただ、お話にありましたように、鳥の巣は子どもを産む

番の問題は設備、環境だと思います。

ための短い期間のもので、人間の住居は長い期間住むも

それから、装飾性の違いですね。人の建築は遠くから見て

のですから、そこは大きな違いです。

綺麗である必要があるという側面もありますが、鳥は巣の 全体の形や色を理解しているのでしょうか。

鈴木――やはり、 使用期間が決定的に違うところですよね。

何年も使い続けられるというのは人間の家のもっている

鈴木――外観に関しては人の感覚とは違うと思います。内

33


INTERVIEW

側からの視点での満足、不満足を気にしているのではない でしょうか。例えばウグイスの巣 ( 図 18) は球体なんです

――実現するかどうかは別として、形も含め鳥の巣から人

けど、縦長、横長、外がボサボサしているもの、と外観自

間の建築に生かすべきとお考えのところはありますか。

体はそんなに統一性はなく、人間がいう外観よりも使う空 間や内装への意識がしっかりしている。

鈴木――先生がおっしゃったように鳥の巣をそのまま大き

くするというのは無理ですが、鳥さんたちが自分の大切な 大崎――なるほど、確かにそうですね。

命を守るために巣をつくっているという心の部分の大切さ は、建築でも同じだと思うんです。あとは人間が暮らしに

鈴木――色は理解しています。鳥のオスがあんなに綺麗な

合わせてやっていくことなのかなと思います。

ことからも、色を感じているのは明らかです。ただ、巣は 見つからないようにする方向性なので、ニワシドリ以外は

大崎――そうですね。自分の家を愛すること、愛着をもっ

ほとんど周辺の地味で目立たない素材を選んでいます。

て建物をつくることは学べると思います。あとは、それぞ れの部分の機能の積み重ねによって全体が出来ていくとい

大崎――そうですね、目的が目立たないこと。じゃあ別に、

う話は昔からあると思うんですけども、鳥の巣の成り立ち

綺麗である必要はないですね ( 笑 )。

からはそういう面も学ぶことができると思います。

鈴木――逆にいうと、それが環境に調和して綺麗なんだと

鈴木――鳥の巣をそのまま人間の建物に生かせることや学

思うんです。

べることもありますが、鳥の巣が使われるのは巣立つまで という点でやはり建築とは根本的に違うと思うんです。人

――鳥から既に学んでいる部分も実際にあるようですが、

間の暮らしは多様化しているので、「住む」ことに関して

形そのものを大きくするのは、やはりスケール効果的に難

鳥の巣から学ぶには相当無理があるとは思います。逆に、

しいのではないでしょうか。

「生きる場所とは何か」というのを鳥の巣から学ぶことは できるのかなと。多様で速度が速い今の世の中では忘れて

大崎――これはもう、明らかにどうしようもないと思いま

しまいがちな、「命が育つ」という一番根本的な部分を大

す ( 笑 )。建築に関しても、小さい建物で有効でも大きい

切にして、それを上手く今の社会に適応させていくことが

建物では有効でないことがありますし、模型で実験しても

建築には求められているのかなとは思います。

全体の実寸では同じような結果にはならないです。鳥の巣 もそのまま大きくすればいいわけではないと思います。 つまり枝を梁としてそのまま太くするのではなくて、骨組 みを組む、あるいはそれぞれを中空のパイプにするという ような必要が出てくると思います。 先程、上からつくる、真ん中に柱を立ててそこから広げて いくという話をしましたけども、例えば 10m くらいのテ ントのようなドームであれば、上からつくっていくことは 可能です。そのままそれを 100m のドームにすると難し いと思いますが、50 年後ぐらいにスケール効果を克服で きれば、鳥が巣をつくるような方法が当たり前になるかも しれないと思っています。 図 18 様々なウグイスの巣 ( 提供:鈴木まもる )

34


Archirtectural inspiration from birds' nest molphology Mamoru SUZUKI / Makoto OHSAKI

インタビュー中の様子

りだとか、いろいろ問題が出てきてしまっているじゃない ――お二人にとっての美しい構築物は何か、お聞かせいた

ですか。だから、鳥の巣から生きる上での一番大事な部分

だけますか。

を感じてほしいし、自分としてはそういうものを作品で出 していきたいと思っています。

大崎――私にとって美しいのは、力学的に美しいものです。

月並みな例ですけども、建築だと代々木の体育館が一番美

最後に

しいと思っています。あとは東京タワーやスカイツリーと いったタワーも美しい。それから建築以外だと、例えば

大崎 ――事前にいろいろ拝見して勉強はしていたのです

F1 の車ですね。若いころはテレビで F1 を全部見て、ただ

が、鳥の巣のことはほとんど分かっていなかったなという

単に車が走っているのを美しいと思っていました。アメリ

のが、第一の印象です。生物に学ぶ構造という、バイオミ

カだとオーバルコース ( 楕円のコース ) を単にぐるぐる回

メティックスには植物も含めていろいろあり、その中で鳥

るレースがあるのですが、それも美しいと感じていました。

の巣という一つの生物の形を深く知ることは、私にとって

私にとって美しいものというのは、機能的に優れたもので

も重要だなと思いました。非常に多くの経験と知識をもっ

す。ですから、鳥の巣もそれぞれの部分の意味や役割が分

ておられる鈴木さんのお話を伺いましたが、鳥のことを話

かれば、美しいと思うようになると思うんですね。特にカ

「この子は」と言われるところにすごく愛 されるときに、

ンムリオオツリスドリの巣などぶら下がった形は美しいと

情を感じて感銘を受けました。本当に建築も鳥の巣から何

思います。それぞれの機能で出来上がった形が理想です。

か学べればいいなと思っています。ありがとうございまし た。

鈴木――僕は 30 年以上前に偶然見つけた鳥の巣をすごく

好きになったのですが、はじめは、なぜ絵本作家の僕が鳥

鈴木――卵とヒナの命を守りたいという思いはどんな鳥も

の巣を好きなのか全然分からないまま鳥の巣を集め続けて

同じで、多様な地球環境のなかで、それぞれ適応していろ

いました。ですが、あるとき山の中で、鳥の巣も、僕が描

いろな巣が出来ています。これを人間に置き換えると、い

いている絵本も、小さな命を育てるためにつくっていると

ろいろな巣の形は職業になると思うんですよ。それぞれの

いう点では同じで美しいのだと分かったんです。鳥の巣は

場所で自分に合った仕事をしつつ、人間という種を育てて

鳥の親が一番大切な子どもたちを育てるためにつくるもの

いるのではないかなと思います。人それぞれどのような職

で、絵本も人間が小さい子どもたちの心が育つためにつく

業についてもいいと思うんです。仕事を通じて、人間の子

るものなんです。鳥の巣づくりって誰かから教わったり、

どもたちを元気に育てていくことに、何らかの形で関わる

流行りを気にしたりはしないんですよね。僕なんかはやは り雑念が入ってしまいますが、鳥さんは雑念無しでつくっ

ようになっていると思うので。今はお金とかいろいろ大事 なこともありますけれど、命を大切にして暮らしていって

ているから無駄もないし、シンプルで綺麗なんだと思うん

ほしいです。

ですよ。その共通点は絵本作家の僕だけの話ではなくて、 例えば建築家の方が家を建てるのも、パン屋さんがパンを 焼くのも、運送屋さんが車の運転をするのも、仕事は皆突 き詰めていくと、新しい命が育つことに繋がると思います。 もちろん今の世の中、お金のためという側面もありますけ れどね。でも逆に、知識や情報やお金がいっぱいあればあ るほど、見えなくなっているものが多いと思うんです。教 わらなくとも、鳥さんは自分の一番いい場所で巣づくりし て、一番大切なヒナを育てる力があるんですよ。人間だっ てそうだと思うんです。でも今の世の中は子育てに悩んだ

アトリエ外観 ( 提供:鈴木まもる )

35



プロジェクト

学生座談会 Student talk Session

project 京都に巣づく ―「そこに住まうこと」を考える―

38

Nesting in Kyoto -Seeking for a meaning of "living here"-

中村 友彦

長澤 寛

奥村 拓哉

Tomohiko NAKAMURA

Kan NAGASAWA

Takuya OKUMURA

齊藤 風結

尾崎 聡一郎

尾上 潤

Fuyu SAITO

Soichiro OSAKI

Jun ONOUE

三宅 真由佳 Mayuka MIYAKE

平田研究室

プラスチック爆弾は「生きられた公共建築」の夢を見るか?​ /Talk about 桂新広場プロジェクト

46

HIRATA Laboratory

58

小林・落合研究室

地域に根ざす設計技術・地域に根ざす人間居住

KOBAYASHI・OCHIAI Laboratory

"Design methodology" and "Human settlement" rooted in local environment

三浦研究室

人の行動や心理から建築・地域にアプローチする

MIURA Laboratory

小椋・伊庭研究室

OGURA・IBA Laboratory

A pproaching architecture and community from the perspective of human behavior and psychology

「巣」の環境の築き方の時代から、その在り方の時代へ From the age of how to build a "nest" environment to the age of how it should be

68 78


PROJECT

学生座談会

京都に巣づく ―「そこに住まうこと」を考える―

鴨川デルタ(写真提供:新 靖雄)

京都大学には全国あるいは世界各地から学生が集まっています。そのため学生たちが京都に巣づいていく過程は一様ではなく、 それぞれが京都という街への思いを抱いているでしょう。 京都において観光客でもなく完全な住人でもない、学生という立場で、「そこに住まうこと」を考えていきます。

聞き手:雨宮美夏、高山夏奈、竹岡里玲英、久永和咲 2020.8.2 オンライン開催

38


Student talk Session Nesting in Kyoto -Seeking for a meaning of "living here"Tomohiko NAKAMURA / Kan NAGASAWA / Takuya OKUMURA / Fuyu SAITO / Soichiro OSAKI / Jun ONOUE / Mayuka MIYAKE

――本日は学部4回生から修士2回生まで、各地方を代表 して学生8名をお招きしました。はじめに自己紹介をお願 いします。 奥村――修士一年の奥村です。出身は札幌市で、生まれて すぐ東京に引っ越して2年過ごした後、親の仕事の関係で、 アメリカのヒューストンに。3、4年ほど過ごしてから札 幌に戻ってきて大学から京都で一人暮らしを始めました。 三宅――四回生の三宅真由佳です。生まれは神奈川県で、 幼少期は神戸市と横浜市で過ごしました。その後、引っ越 して東京都渋谷区に 10 年、練馬区に3年いました。今、 実家は世田谷区にあります。 齊藤――修士一年の齊藤です。生まれは大阪なんですが、 幼稚園の時は兵庫県三田市、小中高の時は大阪の堺市に住 んでいました。大学に入ってからは京都で一人暮らしをし ています。 中村――修士二年の中村友彦です。生まれは大阪の枚方市 で、富山市、東京都文京区、岡山市を経て、大学生から京 都で一人暮らしを始めました。修士一年のときにスイスで 1年留学した後、現在また大阪の実家で暮らしています。 尾崎――東京大学修士一年の尾崎聡一郎です。生まれは京

京都というまちについて ――京都に来て衝撃を受けたことや初めて気づいた地元の 特徴はありましたか。 三宅――東京って交通網は電車や地下鉄がメインで、私の 高校には「自転車に乗ったことがない」 「乗れない」なん て子が結構いたんです。でも京都だと大学にも自転車通学。 むしろ自転車大国みたいな感じで、衝撃を受けました。 奥村――たしかに交通網には違いがありますね。札幌は地 下鉄がメインなので。京都に来る前は札幌は田舎だと思っ ていたので、田舎の札幌に地下鉄があるならどこにでも地 下鉄があるだろうと思っていました。 中村――岡山と京都は自転車でどこでも行けるという点で はちょっと似ている気がしました。市街地はすごくフラッ トなので。だから、自転車文化にはすぐ馴染めました。 尾崎――鳥取は商店街や郊外のほうが栄えているので、皆 自転車ではなく車で移動しています。電車も1時間に1本 とかが普通でほぼ使い物にならなくて。ちなみに鳥取では 未だに「汽車」っていうんです。電車通学・電車通勤のこ とを「汽車通」っていう。

都で、父の実家がある鳥取県に小3から移って、大学でま た京都に戻り、大学院から東京に来ました。 尾上――四回生の尾上です。僕の出身は岡山県で、高校卒 業まで過ごしたあと、大阪で1年浪人生活をして、広島大 学に入学して、東広島市で1年過ごしたあと京大に入り、 今は下宿しています。 長澤――修士二年の長澤です。僕は生まれは福岡県の筑紫 野市というところで、実家がある福岡県糟屋郡須恵町とい うところで高校卒業まで過ごしたのち、京都で6年を過ご しています。

JR 西日本因美線を走るディーゼル列車(撮影:尾崎 聡一郎)

39


PROJECT

齊藤――京都では路駐がとても多くて、追い越し車線が メインになっているから車は使いづらい印象があります。 やっぱり道路自体が狭いからですかね。 中村――京都は自動車が発達する以前の街のつくりが強す ぎて、それが残っている。普通の地方都市は新しく車のた めに開発しているよね。京都の道は全部直交で、どう進ん でも辿り着くから歩くたびに発見があるのが魅力だと思い ます。 尾上――碁盤の目だから京都は地図がなくても歩けます ね。 尾崎――東京の人は東京の地図って頭に入っているんです かね。電車の路線は分かるけど、京都みたいに頭に地図が 入っていないんです。 三宅――たしかに京都ほど東西南北の感覚がないですね。 私も線路としては大体の位置は覚えているんですけど、そ れがどの方角に向かっているかとなると疎いです。 齊藤――東京は駅ごとのまちの特徴が多様な印象がありま す。 三宅――東京は繁華街ごとに服装すら全然違うんです。私 も、友達と自由が丘や代官山のお洒落スポットに行くとき は「大人っぽい人が多いから背伸びした格好でいこう」と か。それに対して京都はまち全体が似たような、ちょっと 平坦な感じはすると感じています。

進学にあたって京都を選んだ動機 齊藤――京都大学に行きたかったのは大きかったですけ ど、単純に京都に住みたかったのはあります。家族が来る ことを考えたときも、自分が京都のサテライト拠点になっ たら旅行のときに便利だなとは考えていました。実際、家 族はコンスタントに来ています。 奥村――僕はそもそも大学を東大と京大で迷っていて、将 来的には東京に住みたいから大学生活は一旦京都に住もう かなという考えが決め手の一つでした。 長澤――北海道という1個完結してる島の生活圏の中から 出たいというモチベーションってなかったですか? 奥村――僕は、一人暮らしがしたかったので出たいなと 思っていました。けど、外に出てみて初めて地元の大きさ や魅力の多さに気付きました。 ――実際に学生になって、京都に住んでいることを実感し た瞬間は何かありますか。 三宅――河原などの屋外で飲んだり、花火したりするとき です。私が高校生のときに京大に入った兄から、友達と鴨 川の河原で花火した話を聞いて、京大に入ったらそういう 遊びができるのかと魅力に感じていました。東京にはそう した自然がないので、それが京大を選んだ決め手になりま した。

齊藤――京都の街並みはすごく水平に広がっていますよ ね。例えば大阪の梅田は高層ビルとショッピングのビルが 垂直方向に並んでいて、その中で上方向や下方向に行きま すが、京都は水平方向に商店街が広がっていくので、最初 に行った時はびっくりしましたね。 奥村――札幌は全部地下で完結できてしまうから移動も全 部地下です。地下街に店も入っているのでほとんど外に出 ない。その分、方角も意識することがないのかなと思いま す。

40

鴨川での花火(撮影:三宅 真由佳)


Student talk Session Nesting in Kyoto -Seeking for a meaning of "living here"Tomohiko NAKAMURA / Kan NAGASAWA / Takuya OKUMURA / Fuyu SAITO / Soichiro OSAKI / Jun ONOUE / Mayuka MIYAKE

齊藤――喫茶店で観光客らしき人が入ってきて、「〇〇寺

中村――僕は部活もやってないし時間があるから今でもい

きれいだったね」みたいな話をしてるのを見て、「ふふ、

ろいろな場所に行っています。特に、留学から帰ってきて

楽しそうだね」って、京都側の人間かのようなコメントが

京都の風景がすごく新鮮に思えます ( 笑 )。いわゆる観光名

浮かんでしまったときに、ちょっと馴染んだのかなってい

所は、友達が遊びに来たときに一緒に行くことが多く、そ

う実感はあったかもしれないですね。

こまで人は来ないけど綺麗なお寺などを一人で開拓してい ます。

尾上――僕は、部活で下京や西京極に自転車で行くんです けど、その帰りに「あれ、これコナン君の映画で見たぞ」 と気付いたことがあって、スクリーンであった京都が今目 の前にあるんだと思いました ( 笑 )。あとは単純に関西弁 を聞いたときにも、京都を感じました。

京都でよく訪れる場所 ――京都で好きな場所などはありますか。

詩仙堂(撮影:中村 友彦)

尾崎――木屋町のクラブハウスみたいなところが好きでよ

奥村――桜とか紅葉の季節になると一気に行きたい場所が

く行ってます。地元だと世間が狭すぎて、そういうところ

増えるというイメージですね。

に行ってもいる人はほぼ全員知り合いだけど、京都は新し い人も知っている人もいてその塩梅が良かった。地元の人

中村――それをきっかけに行ったりするよね。

にとっては言わばサードプレイス的な場所で、めっちゃ好 きでした ( 笑 )。

齊藤――僕は寺院より、コンスタントに行ってるのは美術 館ですかね。先日開館した京都市京セラ美術館のような大

――観光名所は今でも行きますか。

きいものや、一方で街中の少し怪しそうなギャラリーなど、 美術館の数や種類の多さも京都の特徴の一つなのかなと思

尾上――地元から友達が泊まりに来ていた二回生くらいま

います。

ではよく行っていましたが、三回生になると設計演習や部 活で急に時間がなくなって行かなくなりました。

三宅――私は、中学校の修学旅行で強制的に京都の観光地 に行かされたのが結構、トラウマになっていて ......( 笑 )。

奥村――僕もただ単に時間がなくなって行かなくなったと いうこともあるし、部活休みなどのまとまった時間ができ

一同――( 笑 )

たら他の地域に行ってみたくなったということもありま す。

三宅――だから、大学で京都に来てから自発的に行こうと 思えなかったんです。でも最近コロナであまり遠出でき

長澤――逆に僕は今まではあまり外出しなかったんです

なくなったので、気分転換に一人で鴨川沿いを歩いたり、

が、京都での生活が残り半年になった今は、京都のまだ行っ

ちょっと足を伸ばして銀閣や南禅寺水楼閣に行ったりする

ていないところにせかされるように向かっています ( 笑 )。

と面白いなと感じています。

41


PROJECT

――髪を切るタイミングで実家に帰るというお話がありま したが、実家が遠い方は、帰省する頻度や滞在期間はどれ くらいですか。 長澤――お盆とお正月の大体年に2回で、滞在期間はそれ ぞれ1週間くらいですね。田舎の方なので親戚の寄り合い があって、実家に帰る前に親戚何家族分かのお土産をしっ かりと買って、その集まりに顔を出すみたいなことをやっ てました。かなり、典型的な田舎の生活だと思います。

琵琶湖疏水の桜(写真提供:新 靖雄)

三宅――私は結構、帰省するタイプで、東京は新幹線でも 2時間くらいなので一回生の時は月1で帰っていました。

故郷を離れて暮らすこと ――病院や美容院など、日常的に使うところで、京都に行 きつけの場所はできましたか。 齊藤――僕は髪を切るのも、病院も大体、余程緊急じゃな いかぎり実家ですね。そういった場所に行くことを、地元 に帰るきっかけの一つにしているかもしれません。 奥村――僕は実家にすぐ帰れるような距離ではないので、 引越しと同時くらいに行きつけが切り替わりました。 尾上――岡山は近くもあり遠くもあるので少しずつ移行し ていきました。二回生に上がるくらいには、90% くらいは 京都で済ませるようになりましたね。先ほど言われたお二 人の中間くらいの位置付けかなと思います。 齊藤――中村さんは留学先のスイスで美容院に行っていた んですか。 中村――スイスで1回髪を切ったら、不自然に短くなった から、そのあとは自分で頑張って切ってました。 齊藤――そうなんですね ( 笑 )。 中村――あっちでは基本刈り上げるからね。昔の自分の髪 の写真を見せて切ってもらったけど、それに近づけようと して、結局ほとんど坊主に近くなった ( 笑 )。

42

奥村――僕は移動で半日以上潰れるので1週間くらい休み が取れるときじゃないと帰らないし、部活もしていたので、 年に2回帰れたらいいかなというくらい。 尾上――僕も部活をしていたので、帰省するのは1年に2、 3回。簡単に帰れるんですけど、部活と設計が忙しくて、 あまり一回生のころから帰っていなかったですね。 ――京都と実家に対して「帰る」という言葉の使い分けを 意識することはありますか。 中村――「実家に帰る」と「京都に戻る」という感じが個 人的にはしっくりきます。京都は思い入れのある場所だけ ど、あくまで人生の中の学生時代の時に過ごす仮初の場所 という認識がどこか自分にあって、だから戻るという表現 がしっくりくると思いました。 奥村――実家に帰る、京都に戻る。その使い分けを最初は していて、でも明確な区別はだんだんなくなってきている 気がします。 齊藤――実家には帰ると言っているような気がしますね。 いつか実家で「じゃあ明日京都帰るわ」って言ったときに 「いや、帰るのはこっちやろ」と理不尽に家族に怒られた ことがあって、それ以降言葉遣いは気にしています ( 笑 )。 どちらかというと中村さんと一緒で「実家に帰る、京都に 戻る」。京都は仮暮らし的なイメージですかね。やっぱり、


Student talk Session Nesting in Kyoto -Seeking for a meaning of "living here"Tomohiko NAKAMURA / Kan NAGASAWA / Takuya OKUMURA / Fuyu SAITO / Soichiro OSAKI / Jun ONOUE / Mayuka MIYAKE

頻度に影響しているのかもしれないけど、あくまで拠点は

奥村――東京は、働く場所として定住することが想像でき

実家というイメージです。

るんですけど、京都は歴史ある場所とか観光名所というイ メージがあるから、定住するというのが、想像できないの

長澤――僕は拠点を移すというよりは拠点が増える感覚の

かなと思いました。

方が近いです。将来、他のところに住むとしても実家も拠 点としていますし、住むところをどんどん増やしていくと

中村――うん。京都という場所が強くて「住まわせてもらっ

いう感覚なのかなと思いました。

ています」みたいな気持ちになる。 奥村――わかります。

学生として京都に「巣づく」とは 尾上――僕の描く将来像と京都で働くことが一致しないの ――京都に移り住む前後で京都に対する評価が変わりまし たか。また、将来は京都に住みたいと思いますか。 中村――僕は、将来は別の場所で働く気がしています。学 生時代の限られた中でのはかない魅力は感じているけど、 将来京都に住んでいる姿はあまり想像できない。今も住み こなしていると言っていいのかもわからなくて。京都は人 生の一時の、大切な場所だなと思いました。 齊藤――その感覚はわかりますね。個人的には地元よりも すごく住みやすいけど、将来、京都で仕事をしているのか とか、実際定住してるのかというイメージが意外とつかな いなというのはありますね。 中村――そうだね、定住する場所というよりも、お店とか も、特に大学のまわりは学生が入れ替わることを前提で やっていたりするじゃない。だから、根付くというよりも、 渡り鳥が巣をつくってまた出て行くみたいな感覚をもって いる人が多いかもしれない。

で、最終的に他の都市に出ることになるのかなと思ってい ます。けど、建築を生業にして働けるなら、僕は京都に住 み続けることも想像できます。 齊藤――京都は新陳代謝が激しい街という印象で、行き来 する分にはいいけど、僕には定住するイメージはあんまり なくて。これからもしコロナが、地方都市が活性化するきっ かけになるとすれば拠点意識みたいなものは重要になって きそうですね。 尾上――僕は田舎の地域のコミュニティを感じながら成長 してきましたが、アフターコロナで場所に意味がなくなっ ていくと考えたとき、地域のつながりがないと、災害時に 脆いんじゃないかと危惧しています。 中村――田舎に昔住んでいたことがある人は、またそこで 住むのはイメージしやすいと思うけど、例えば東京出身の 三宅さんが老後は岡山で暮らそうとはならない気がしま す。昔からあるコミュニティに飛び込むのはすごく勇気が いることだから。東京とか大阪とか、大きい街の役割って、 いろいろな人を受け入れる余地があるところなのかなと最 近思って。そう見たときに京都って大きい街とも田舎とも 括れない、難しい立ち位置かなって。 三宅――東京に駅ごとの広がりがあるのに比べれば、確か に京都は大きい街ではないですね。 尾崎――東京は京都よりさらに新陳代謝が激しいからか な。田舎の狭さに比べたら、京都も全然広い方で、僕はい

祇園祭(写真提供:新 靖雄)

い塩梅だと思うけど。

43


PROJECT

――京都の学生の新陳代謝は、伸びては切って入れ替わる、

じゃないかと思っていて。例えばバイト先の設計事務所の

爪の先みたいなところがありますよね。一方で、三代以上

所長は大阪出身なんですが、彼には京都を住みこなしてい

住んでいないと京都人とはなかなか言えない。

るという自負がある気がする。京都で何十年と仕事をして、 いろいろなコミュニティに自分が属していく中で芽生えた

齊藤――そうやってベースがしっかりしているからこそ、

感覚なんじゃないかと思います。

新陳代謝が目立っていると思う。大阪は常に動き回ってい

尾崎は結構ディープな場所を知っていて、そういう意味で

るから、その新陳代謝的なところを感じないっていうか。

は一番京都を住みこなしていたのかなと思うけど。

なおかつ僕らは、爪の先で遊んでいることしかできないか ら ( 笑 )、深く京都で過ごしているイメージが湧いていな

尾崎――自分では住みこなせているって一生言えない気が

いのかもしれない。

します。木屋町のクラブは京都人でない人がほとんどだか ら本当の京都の人たちは木屋町には行かないイメージがあ

中村――確かに京都の底知れなさみたいなのを感じている

るし、祇園のお茶屋さんでバイトしていた時に知り合った

から、「お邪魔しました」って言って出ていく感じがある

お客さんとは話していて差別意識のようなものを感じまし

ような気がします。

た。周りが百年くらいの単位で暮らしている人たちのコ ミュニティに属しても、逆に住みこなせていると思えなさ

――何がきっかけで住みこなしてると思えるようになるの

そう。

でしょうか。 中村――ここでは、僕たちが京都で学生として住みこなせ 三宅――目的地の選択肢が増えることは、住み慣れたと感

ているかという話になるのかな。

じる点の一つで。例えば観光地で人気(ひとけ)のないと

僕はさすがに学生としては住みこなせている気がします。

ころに行きたいと思っても、人が集まるようなところしか

京都の良さを分かってきたような気がする。でもたぶん一

調べられない。でも住んでいると、意外な場所とか、ちょっ

回生のときは分かっていなかった。

と気持ちよさそうな場所とか、いろいろな場所を発見して、 選択肢が増えてくる。それは住みこなしに近いのかなと思

奥村――僕も、学生としての住みこなしはもう出来ている

います。

と思っています。とはいえ、そもそも最初から住みこなそ うとはしてなかったと思います。地元のことは何でも説明

齊藤――さっきの手と爪の先みたいな話があるとすれば、

できるようになりたいと思うけど、京都はある程度知らな

手の方にある強靭なコミュニティの一端に触れることがで

い場所も残しながら住んでいかないと、魅力が半減しちゃ

きたときに、自信や住みこなしている感覚が生まれるん

うかなって。 長澤――僕自身はインドア派なのでまだまだ学生としても 住みこなせたとは言い切れないですが、異なる住経験を経 た皆さんの学生生活を重ね合わせる中でそのどれとも違う 京都の深遠さのようなものを垣間見た感覚です。現役学生 だけでなく、例えば先生方の学生生活なんかも聞いてみた くなりました。 今日の座談会は、学生という立場から京都に「住まわせて いただく」という何年間かの価値を共有できた気がしまし た。

オンラインで開催した座談会の様子

44


Student talk Session Nesting in Kyoto -Seeking for a meaning of "living here"Tomohiko NAKAMURA / Kan NAGASAWA / Takuya OKUMURA / Fuyu SAITO / Soichiro OSAKI / Jun ONOUE / Mayuka MIYAKE

45


PROJECT

プラスチック爆弾は「生きられた公共建築」の夢を見るか?​

平田研究室博士後期課程 ​大須賀嵩幸

生命がみずからの自由に形を与えるのは、すなわち生命が純粋な遺伝子決 定論から離れるのは、ただ爆発物をつくることによってのみである。 カトリーヌ・マラブー −生きられた公共建築 平田研究室にいること5年、最近ようやく、自分が目指したい建築が何なのか、 少し言葉にできそうな気がしている。それはたぶん、「生きられた公共建築」なの だと思う。 使い手の経験が空間の質に同化した「生きられた空間」は、しばしば家をモチー フに語られてきた。「生きられた家」では家族という単一の主体が空間と密に結び つき、特定の使い手による空間への関わりが空間に違いを生み出すからだ。より大 きな規模の建築において主体が多数になると、家でみたような主体と空間との一体 化は困難になる。特に、建築の所有者と使い手が一致しない公共建築においては、 不特定多数の使い手は普遍化、最大公約数化されてプログラムに組み込まれ、建築 空間に翻訳される。そうして、生き生きと使われることから遠ざかっていく。 この「生きられた公共建築」という矛盾をはらんだ理想に近づくためには、生き られた質と多数性を架橋する手立てが必要だ。SNS で人々が共感し合い、VR や AR で今ここにない空間さえ体験できるいま、さまざまな思いが渦巻く状況から建築を 立ち上げていくことが現実味を帯びつつある。そのとき建築をつくることは、建築 家によるリジッドな個性の表現や、言われるがまま何にでも変化するような柔軟性 (フレキシビリティ)とは違う、別の様相を帯びてくるのではないだろうか。

−可塑性の可能性 脳化学の分野で注目される、可塑性(プラスティシティ)という概念がある。脳 の可塑性とは、脳の神経細胞(ニューロン)をつなぐ接合部(シナプス)が個人の 経験をもとにその伝達効率を変化させる性質のことだ 1。ここには可塑性の、 「かた ちを受け取る能力」と「かたちを与える能力」の相異なる2つの性質が含まれてい る。「粘土には可塑性がある」という時は「かたちを受け取る」ほうの意味で、塑 造や造形芸術(l’art plastique)のような人が造形するというのは「かたちを与える」 ほうの意味である。前者の例で可塑性は硬直性と対置され、後者では可塑性は柔軟 性とも異なることが分かる。あるいは、可塑性はリジッドとフレキシブル、つくり 手と使い手の間を行き来する、時間を内包した概念ともいえるだろう。 脳の可塑性によって形作られる私たちの脳は、私たちによって生きられた脳であ る。その脳のつくり手は、ほかでもない私たちだ ( 私たちはそれに気づいていない かもしれないが )。同じように建築の、かたちを受け取り・与えるインタラクティ ブなプロセスを考えることで、可塑性を生きられた質と結びついた製作の概念とし て考えてみたい。

46

図1 ニューロンをつなぐシナプス 1脳の可塑性は発達、調節、修復の3つのレベルで 作用するという。 カトリーヌ・マラブー:わたしたちの脳をどうす るか ニューロサイエンスとグローバル資本主義 , 桑田光平ら ( 訳 ), 春秋社 , 2005


HIRATA Laboratory

−かたちを爆発させる 以上の仮説は、デリダのもとで博士論文を書き上げ、可塑性の概念をもってヘー ゲルやハイデガーを読解し、神経科学や精神分析学に接近していくフランスの哲学 者カトリーヌ・マラブーの仕事に影響を受けたものである。マラブー曰く、可塑性 には「かたちを受け取る能力」と「かたちを与える能力」に加え、もっとも強烈な 図2 生きられた公共建築

2 カ ト リ ー ヌ・ マ ラ ブ ー: ヘ ー ゲ ル の 未 来 - 可 塑性・時間性・弁証法 , 西山雄二 ( 訳 ), 未來社 , 2005 なお、マラブーは「ヘーゲルの未来」においてす でに可塑性の破壊的な側面に言及しているが、よ り重点的に扱われるのは「新たなる傷つきし者」 「偶発時の存在論」においてである。 3カトリーヌ・マラブー:新たなる傷つきし者――

第3の意味があるという。それは「プラスチック爆弾」が想起させる「かたちを爆 発させる能力」、すなわちかたちの消滅である 2。この性質によって、可塑性はか たちの創造と消滅の二極の間に位置することとなる。 アルツハイマー病や自閉症、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者は、脳損 傷や心的外傷によって別人かのように人が変わってしまうことがある。破壊自体か ら別の形式が生まれるという否定的な意味での可塑性 3 は、神経科学や精神分析学 でも避けられる対象である。しかし、連続性を切断するような破壊的な出来事を、 2020 年に私たちは経験した。新型コロナウィルスの感染拡大によってソーシャル

現代の心的外傷を考える , 平野徹 ( 訳 ), 河出書房

ディスタンスの概念が生まれ、すっかり変わってしまった世の中を生きるために、

新社 , 2016

オンラインやリモートワークを取り入れた新しい生活様式が普及しつつある。

4磯崎は図書館の設計において「建築が成長する」 という機能上の要求に対し、時間的な各断面が常 に次の段階に移行するプロセスと考える「プロセ

ほんとうに生きられた状態とは、かたちを受け取り・与える連続的なプロセスだ けではなく、もっと予想外の偶発的なものに開かれていることではないだろうか。

ス・プランニング」の方法論を提示した。条件に

マラブーの爆発のメタファーは、あらかじめプログラムされている予定調和の変化

応じて流動的に実態を変化させていくプロセスを

ではないものを思わせる。かつて磯崎は建築の「切断」4 について述べたが、それ

ある時点で「切断」することによって、建築が具 現化されるという視点が示されている。 磯崎新:空間へ , 美術出版社 , 1971 またエリー・デューリングは、現代アートが無限

はあくまでかたちを受け取り・与える連続的なプロセスの上での出来事であった。 ここではより直接的な、何かが消えてなくなる文字通りの「切断」をプラスチック 爆弾を通して考えてみたい。

的なプロセスを重視していると批判した上で、オ ブジェとプロジェクトの間にまたがる形態として の「プロトタイプ」という概念を提唱している 。 プロトタイプはプロセスの切断において現れる予

−あの案があったから

期的なオブジェであり、プロセスを無限に開くこ とよりもプロジェクトに可読性を与えることが重 要だという。 エリー・デューリング:プロトタイプ 芸術作品の 新たな身分 , 武田宙也 ( 訳 ), 現代思想 vol.43-1〈特

実は「可塑性」という概念そのものも、実際に建築の設計を通して浮かび上がり、 少しずつ言葉になってきたところがある。traverse17 で紹介した「北大路ハウス」

集〉現代思想の新展開 2015 思弁的実在論と新し

の設計プロセスでは使い手とつくり手がどちらも建築学生という理想的状態のも

い唯物論 , pp.177-199, 青土社 , 2014

と、かたちを与え・受け取るプロセスが実現した。ワークショップや投票を経て、 いくつかの設計案から段々状に連なる大空間が特徴的な「ふろしき案」を選び取っ たのだが、この形態が「日常・講演会・展覧会の複数モードをもつ空間」という設 計の指針となる概念を生み出し、その後のワークショップでは複数モードからの検

5大須賀嵩幸:つくる・すむ・ひらく「北大路ハウス」 京都の建築学生による新しい公共建築の実験 , 新 建築社 , 2020

討によってふろしき案の形状を具体的に決めていった 5。 しかし、「北大路」の体験からは別の可能性も示唆されていた。設計の初期段階 でふろしき案と同時に検討していた他の2案が、1案に決まった後の議論において 浮かび上がってきたのだ。選ばれなかった案を通して考えたことが、具体的な平面 プランや、素材の表現を決める手がかりになっている。それが可能だったのは、研 究室メンバーと、継続的にワークショップに参加してくれた学生の間で密に議論が

47


PROJECT

図3 「北大路ハウス」の設計プロセスにおける、案の関係

共有され、なくなった案のことを覚えていたからである。 建築を設計する際の案が生まれては消えていく過程に、可塑性の2つの意味を重

6「偶発事の存在論」では「構築的な可塑性」と「破 壊的な可塑性」という2分類がされている。 カトリーヌ・マラブー:偶発事の存在論 破壊的可

ねてみる。1つは案が連続的に成長していく連続的な可塑性であり、もう1つは特

塑性についての試論 , 鈴木智之 ( 訳 ), 法政大学出

定の案があったからこそ考えたことが、その案のかたちが消えても残るような、断

版局 , 2020

絶的な可塑性である 6。

−桂新広場プロジェクト 「北大路」は設計対象があくまで家(公共性の高いシェアハウスではあるが)で あり、「生きられた建築」を考えることが比較的スムーズに行なえた。不特定多数 の人に使われる公共建築や屋外空間においても、 「可塑性」の概念を手がかりとして、 「生きられた公共建築」をつくれないだろうか。 これから紹介する「桂新広場プロジェクト ( 仮 )」は、京都大学のキャンパスの 空き地に、学生の活動が見えるような屋外空間をつくる計画である。 計画地となる桂キャンパスは、京都市の中心部から離れた桂坂の中腹、高低差 20m の敷地に位置する。大学院生を中心に全体で 1500 人ほどの学生が所属して いるが、学生は研究室にこもりがちで、キャンパスで学生の活動を見かけることは 滅多にない。このような状況に最初に異を唱えたのが、竹山先生と竹山研究室であ る。竹山研究室は桂キャンパスを対象として設計課題に取り組み、2018 年度の「驚 きと喜びの場の構想」は食堂に展示され、大きな反響を呼んだ。 竹山研の学生ののびやかな発想が工学研究科長・大嶋正裕先生の目に留まり、今 回のプロジェクトにつながっていく。2019 年の夏、大嶋先生から平田先生に「図 書館と食堂の間にある空き地の利活用を考えてほしい」という話があり、平田研究 室を中心に集まった有志の建築学生によって広場の設計がスタートした。

48

図4 「桂新広場プロジェクト」のポスター


HIRATA Laboratory

​図5 6案の展示ポスター

−つくることの狼煙を上げる 広場の敷地は新しくできた桂図書館(2020 年 4 月開館、デザイン監修:岸和郎) の横だが、桂の学生は建設中の建物が図書館だとは知らなかったりもする。その横 の空き地に広場をつくるにあたって、まずはほとんど何のイメージもないような場 所に建築の素案を立ち上げる必要があった。そこで私たちは、特徴的な形態の6案 をつくり、展示を通してキャンパス利用者の意見を集めることにした。斜に構えが ちな京大生(僕なんかも特にそう)の声を聞くには、知らないところで勝手に進ん でいるような不信感を与えてはまずい。いっそ、あり得る様々な可能性をなるべく 多く提示して反応をみようと考えた。 6案のスタディはそれぞれのキャラクターが出るように、3系統に分けて進めら れた。細長い敷地に対して、さらに細長い形を折りたたみながら配置していく「道」 系統の2案(A,B)。対照的に、水平的な広がりをもった屋根やスラブで場所をつく る「屋根」系統の2案(C,D)。敷地を目一杯使う他の系統に対し、局所的に高さの ある象徴的な構築物を立ち上げる「オブジェクト」系統の2案(E,F)である。

−形にからまる意見 6案の模型とパネルを展示して案への投票や自由記述のコメントを募り、キャン パス利用者の意見を 11 個の概念として抽出した。以下、概念を【 】、元データか らの引用を[ ]で表し、いくつかの概念を紹介する。 展示した6案の具体的な形に対し、はっきりと賛否を示す意見が多くみられた。 E,F 案の展望テラスや A,B 案の高いところを通る道といった【空に近い場所】へ

49


PROJECT

図6 展示の意見をシーンに翻訳する

の期待は、坂の上に立地する桂キャンパスのポテンシャルを引き出すものである。 A,C,D 案のように地上レベルには柱だけが立ち現れるような【透明で見渡せる空間】 が好意的に捉えられ、壁で場所を区切っていく B 案には[もうちょっと穴が空い ていたらよさそう!]との意見が寄せられた。 場所のイメージに関する意見としては、どこか別の場所で[のんびり研究や勉強 ができる] 【研究室からの逃げ場(アジール)】を求める声や、学部時代の市街地で の生活を回顧する【吉田ノスタルジー】などがあった。 投票の結果は、浮かんだバスケットコートが特徴的な D 案に多くの票が集まり、 反対に建築によって場所を囲いとるような A,B 案は少数派となった。展示のねらい はここをどんな場所にしたいかという思いを集めることであり、投票で1位の案を つくることではない。そこで次のフェーズでは、先の6案とはパラレルでありなが ら、展示で得られた意見とどこかで結びついた案を、模型やパネルとは別の想像力 を働かせる仕方で提示することが求められた。

−地面のしつらえを整える 私たちが選択した次の一手は、地面のしつらえを中心とした敷地の先行整備であ る。この場所を実際に使えるようにし、具体的に場所を体験して広場のイメージを つくり上げていくことを考えた。 提案のベースとして、土を盛り掘りしておおらかに敷地を分ける地形を作り、そ の上に活動の手がかりとなる要素をちりばめていった。 図書館側のすり鉢状に囲まれた低地には日陰ができ、本を読んだり、屋外でゼ ミをするのにちょうどいい。ここにはさまざまな人数で【多目的な使い方】ができ るように、動かせる家具を並べている。 一段上がった平場には【ちょっとしたエクササイズ】のきっかけとして、可動式 のバスケットゴールと、健康器具を用意した。白く抽象的な形をしたこれらの器具 には、広場の開放性を示すモニュメントとしての意味も込めている。キャンパスの

50


HIRATA Laboratory

​図7 地面整備案のスタディ模型

あちこちに転がっていた木製キューブも白塗りすることで広場の要素に取り込み、 サイン看板としても利用した。 もう一つ特徴的なデザイン要素として、地面に打たれたカラフルなコート鋲があ る。展示で関心が集まりやすかった【記号的な地面の表現】を再解釈し、バスケッ トコートのフリースローサークルや3ポイントライン、あるいは家具を並べる手が かりとなるような補助線を地面に引いた。プロムナードから見下ろすと、このライ ンが全て円弧であることがわかるのだが、単純な幾何学図形を用いて恣意的になり 過ぎないデザインを試みた。

−断絶的な可塑性 このプロジェクトにおいて「可塑性」の概念が試されたのは、6案から地面整備 案への移行においてである。案の形式としては「断絶」しているのだが、6案がな ければこの地面整備案は生まれなかっただろう。6案の展示から得たキャンパス利 用者の思いの断片を建築的要素に翻訳し、それらを重ね合わせるようにして今回の 地面整備案がつくられている。 9月にはついに広場がオープンした。特にバスケットゴールが人気で、京大生は もちろん、地域の小学生も遊びに来てくれているようだ。土でできた広場は足跡や ボールで踏み固められ、あるいは雨風で地形の角がとれて、少しずつ表情が変わっ てきた ( そういう意味でも可塑的な広場である )。広場がどこまでそれに近づけた のかはわからないが、「生きられた質」を持って設計された空間は、実際に生きら れる段階へとスムーズに移行するのだろう。 今後は、広場でのイベント企画や屋台などの什器設計も構想している。さまざま な人が広場に足を踏み入れ、思いを馳せたことを取り込んでいった先に、最終的に この広場に6案のように元気な建築が立ち上がるのか、あるいはまったく別の何か 図8 地域住民に利用されている広場の様子

になるのか。これは桂キャンパスの仲間たちと育てていく建築なのである。

51


PROJECT

Talk about 桂新広場プロジェクト 平田晃久、岩瀬諒子、大須賀嵩幸、齊藤風結、高橋あかね、多田翔哉、中島安奈、菱田吾朗、前田隆宏

−可塑性で何がいえるのか

平田――でも、形式がロバストだというのは割と古い話 だったりもする。大須賀くんが論考で述べている「可塑性」

平田――「生きられた公共建築」というのはどこか矛盾し たような言葉ですが、僕が「太田市美術館・図書館」でや ろうとしたことと通じるものがあると思います。「太田」 ではプロポーザルで選ばれた箱とスロープという形式を、 市民ワークショップの場でどこまで壊せるかという新しい 線引きを提示することを試みました。そこまで投げ出すこ とができたのは、実は僕がつくり手として絶対にまとめあ げる自信があったからなんですよ ( 笑 )。そしてやってみ

は、それとどう違うのかな。 大須賀――ロバストネス ( 剛健性 ) の他にもレジリエンス ( 回復力 ) やリダンダンシー ( 冗長性 ) という似た言葉も あり、いろいろな人がいろいろな意味で使っていて非常に ややこしいです。僕が可塑性に着目した理由は今のところ 二つあります。まず、つくり手と使い手の両方を想起させ る概念であることです。例えばレジリエンスは、外圧で仕

るとやはり、楽しいという実感がありました。

方なしに変化するような状況をどう克服するか?というつ

前田――いろいろな要件によって案が攪拌されても元の特

が同列にある。変化を肯定的に捉えることで、使い手との

性が失われないように、ロバストな形式が設定されていた んですね。

52

くる側の論理ですが、可塑性はつくることと変化すること 協働もポジティブに捉えられると思ったんです。もう一つ はマラブーがいう「かたちを爆発させる」という意味にみ


HIRATA Laboratory

られる、連続的なものだけでなく断絶的なものまで扱える

と変わりました。元の方向性のまま、他に可能な要素も盛

ような射程の広さです。「生きられた建築」を考えるなら、

り込んだ抽象的な案を出していたらどうなっていたのか気

生と対になる「死」についても何か考えてみたい。それは

になります。

建築における連続と切断の議論にも関わってくる。 岩瀬――6案もある場合、キャラクターがはっきりしてい 平田――例えば「新建築社 北大路ハウス」のふろしき案の

ないと違いが分かりませんよね。敢えて純度の高くないぬ

中でいろいろと試したのは、大須賀くんも論考で触れてい

るっとしたような案を用意したらどうなるのでしょうか。

る連続的な可塑性が作用したといえるのかな。 平田――例えばバスケットコートがあればバスケがしたい 大須賀――そうですね、「北大路」では研究室やワーク

人はそれに投票するように、記号化すると1対1の対応が

ショップメンバーたちと集団でやっていくなかで、コンセ

生まれます。ぬるっとした案はそうではないからあまり人

プチュアルなふろしき案が徐々にたくましくなっていき、

気がないでしょうね。

最終的に立ち上げることができました。でも本当はもっと いろいろなことが起こっていて、マラブーの爆発を踏まえ

大須賀――それは投票の結果にも出ていて、一番記号的な

て振り返ると、選ばれなかった案もけっこう重要だったん

D 案が人気でした。

じゃないかと思ったんです。そんな気づきもあって、桂新 広場ではまず6個案をつくって投げ出してみることにしま

平田――とはいえ、僕はいつも、一見して記号的で分かり

した。

やすいものではないものをつくろうとしています。絶対に その方が面白いんです。だからコンペに出す時は分かりや

−6案の何が新しいのか

すい案を仮想敵として、どんなアクティビティや風景が展 開されるかがきちんと分かるように注意してやっていま

平田――普段、設計事務所ではいくつも案を考えるように、

す。必ずしも多くの意見が集まることがいいのかは分から

6つの具体的な形をつくったこと自体は別に珍しいことで

ない。出てきた意見を吸収してまとめあげることは、人気

はないよね。今回、何を新しくやろうとしたの?

投票で一位のものをつくるポピュリズム的な発想ではあり ません。他力本願で投票をして、皆が考えていることをや

大須賀――具体的な形を出すことで、桂の学生の間に潜在

れば良いということになると、建築家の存在意義を問われ

的に漂っている記憶や意識をからませることができないか

る話にもなりかねない。その辺をきちんと捌いて話さない

という議論がありました。もし案がその形を失ったとして

といけないと思います。

も、案に触発されて出てきたものは引き継ぐことができま す。 齊藤――複数の案を出すのは、従来の図式のように形式性 が強くなりすぎないようにという意図がありました。しか し6案の中に、もう少し抽象的でキャラクターの定まって いない、だけど「ひだ」の多い、いろいろな使われ方を想 起できるような案があってもよかったようにも思います。 中島――例えば版築による B 案では、壁を建てて場所を囲 い取るという案の純度を高めるために、壁の上に登って見 下ろせるといった他の要素がなくなり、案が途中でガラッ

食堂での6案の展示の様子

53


PROJECT

左:地面整備案 ​ 研究室でのスタディ風景 右:地面整備の現場写真 現場では学生も円の鋲打ちなどに参加した

−なぜ地面整備にしたのか

方が定まっていない物事を進めるときは、反省しながらそ の都度調整していくものだと思います。揺れ動く中である

大須賀――6案の展示が終わって次はどうしようかという ときに、年度内に何かつくれないか?という爆発的な条件

一定の時間が経つと、何らかのバランスが生まれてくるか もしれないですよ。

が降ってきました ( 笑 )。 大須賀――展示では形に対しての意見や批判の方が多く、 岩瀬――予算が少ない中で何かやろうとなった際、地面整 備案ではない、単管パイプで屋根を建てたり、B の版築案

場所に対する欲望やイメージがそこまではっきりと出てき ませんでした。やはり実際に使ってみた方が使い手もいろ

をつくる案も出ていたと思います。

いろと考えられるのかなと思います。

中島――その頃はまだ6案に引っ張られていたのですが、

前田――6案のスタディをしているときは、本当にあの場

一つを選んでつくってしまうことが本当にいいのか?とい う議論があり、一度割り切って新たに場所を設えようとし

所が変わって何かが起こるのだろうか、京大生が集まるの だろうか?という一種の疑いのようなものがありました。

ました。

今度広場がオープンして、実際に人が入ったときの使われ

菱田――予算が決まり、スポーツのコートをつくる案、線

思っています。そういう意味でも前段階的に様々な可能性

で何かを描く案、オブジェクトを建てる案の3方向が出て、 最終的にそれらを組み合わせる方向性になりました。

方を見た状態で次の案を出すのは、全く心持ちが違うと を受容できるものをつくったのは、意義が大きいですよね。 ​ 多田――仮にまた投票をしても人気具合が変わってきそう

大須賀――そうして、人気投票の結果から1案を選ぶので はなく、いろいろな意見を僕らが翻訳した上で全く別の地

ですし、広場を使ってみた結果で案の可能性が広がりそう な期待がありますね。

面整備案をつくりました。地形の操作や円弧のラインなど、 行為と1対1ではない匿名的な要素を組み合わせて、使い

−不連続と継承について

方を見出せるような場所にしているのが今回の面白いとこ ろかなと思います。

岩瀬――試しながらつくることのあり方をきちんと位置付 けていくことに意義があると思います。6案の意味とも繋

岩瀬――形態自体はリセットされているけれど、形態が生

がりそうな「不連続」と「継承」について考える時、釜石

まれる以前に言葉たちが存在することは、設計プロセスと

の復興事業である「釜石市立釜石東中学校・鵜住居小学校・

しては連続性のある状態を生んでいそうですね。

鵜住居幼稚園・釜石市鵜住居児童館(小嶋一浩+赤松佳珠 子)」と「釜石市立唐丹小学校・釜石市立唐丹中学校・釜

菱田――予算や工期など厳しい条件の中で、6案から出た

石市唐丹児童館(乾久美子)」を思い出します。小嶋さん

考えや集まった意見をどう地面整備に繋げるか、頭を悩ま

は実際にそこからなくなってしまったものをベースに、と

せました。

ても力強い建築をシンボルとしてつくっている一方で、乾 さんはその場所の構成を読み解いて質だけを継承して、変

平田――建築はたくさんの人の中でつくっていくので、時

わらないものがあることの安心感や価値を全く新しい建築

間をかけても連続的にはいかずに全然違うことも起こって

で提示しています。両方とも素晴らしい建築ですが、全く

きます。まさにそういった「プラスチック爆弾」的な状況

違うものをつくっているのに質は変えていないという乾さ

に対して、可塑性を考えることはやっぱり必要ですし、そ

んの建築のようなあり方は、今回のプロジェクトで連続性

れが世界の豊かさなのかもしれない。6つ案を出したこと

について議論したときに参照になるのかなとふと思ったん

も正しかったのかは分からないけれど、今回のようにやり

です。

54


HIRATA Laboratory

平田――小嶋さんたちがやった「鵜住居」は、かなり被害

うちに、ここってこんな風に使えるんだという場所の発見

を受けていました。足を切断されてしまって義足をつけな

もあると思います。そうするとまたリテラシーが耕された

ければいけないような状況です。乾さんがやった「唐丹」は、

人の中で、新しいアクションが起こる可能性すら生まれる

全ての街並みがなくなったわけではなく、かさぶたのよう

わけですよね。あの場所自体が変わるのか、それとも桂

に修復していく感覚がありました。その違いが大きいと思

キャンパスの他の場所に対する意識すらも変わっていくの

います。どちらも感動的ですが、乾さんの方はある連続性

か。自分たちが住んでいたり暮らしていたりする場所に対

の中で捉えることができますよね。

して、多くの学生や教員、住民が何か意識をもつことによっ て、もしかしたら 10 年とかいうレベルかもしれないけれ

岩瀬――既存や継承するものがある中での連続的な設計の

ど、桂が全く違う場所になるという事態も起こり得なくは

手つきに対して、今回は連続的に扱おうとしたときにそも

ないような気がします。

そも寄り添うものがないので、6案を既存的な存在として 扱って継承するという流れだったわけですよね。

大須賀――リテラシーを耕すという意味においては、前期 に院生の皆と取り組んだ実習課題も似ていますね。桂キャ

高橋――既存というと形態のイメージがありますが、ここ

ンパスを敷地にリサーチやブレスト的な設計から始めて、

では6案を考える中で浮かび上がったこの場所のポテン

成果として5つのキャンパスポテンシャルと、プロムナー

シャルや、ここでやりたいことも含んだことを共有してい

ドを拡張するような屋外空間の3提案にまとめました。最

たのかなと思います。

終的に3つとも道を伸ばすような提案になり、大嶋先生に 見せたら「君たちは空中回廊が好きなの?」と突っ込まれ

平田――広場の設計を依頼してくれた工学研究科長の大嶋

てしまいましたが ( 笑 )。

先生も指摘されていますが、大きな文脈として桂キャンパ スでは人のアクティビティが見える場所がないという問題

岩瀬――建築の設計提案を通じて、その場を観察し、潜在

があります。だから「プラスチック爆弾」を爆発させて、

的な可能性を顕在化させるような手法は面白かったと思い

皆がもっている潜在的な欲望を顕在化させるような状況を

ます。皆は設計をしたことによって桂キャンパスに対する

つくろうとしているんですよね。ここでの継承の対象は、

見方は変わりましたか。

今までなかったんだけれどなんとなく皆が思っている「あ り得たかもしれない姿」、あるいは「もう一つの桂キャン

高橋――広場もそうですが、特に実習をやってかなり見方

パス」みたいなものだと思います。

が変わった気がしています。ある建築を置いてみたときの あり得たかもしれない桂の姿というのを、私たちはある程

大須賀――ほとんどの学生にとって桂はもの寂しいところ

度想像できてしまいますが、うまくいろいろな人に伝える

で変わることはないという意識だけがあり、「つくる」と

にはどうしたらよかったのかなと考えています。

いう発想が皆の頭にない状態から始まっています。既にあ るものを継承するというよりは、何かつくれるかもしれな

平田――携帯をかざして、AR とか本当にできると良いで

いという意識を耕すために、6個の案がまず狼煙を立てた

すよね。

のだと考えています。 岩 瀬 ―― 最 近 は 施 主 と の や り と り も オ ン ラ イ ン な の −現実を実験化して建築を​つくる

で、 設 計 し て い る 空 間 を リ ア ル タ イ ム レ ン ダ リ ン グ の Twinmotion というアプリケーションで共有すると、ここ

平田――先に形をチラッと見せておいて、きっかけとなる 土壌だけまずつくってしまうというのは、現実を実験化す るようなことですよね。そこに人がやってきて使っている

でどんなことをしたいというような使い方のイメージをた くさん教えてくれます。良くも悪くも模型で上から見てい た状況とはやっぱり違っていて、AR や VR によってアイレ

55


PROJECT

2020 年度「建築設計実習 桂キャンパス プロムナード・ スタディーズ」 大学院生を対象とした建築設計実習(担当教員:平田晃久、 岩瀬諒子)の講義にて、桂キャンパス全体をリサーチし、 3つの設計提案をおこなった。 左上:Sector1 プロムナード・クロス ( 宗和尚吾、久永和咲、 菱田吾朗 ) 右上:Sector2 プロムナード・ビスタ ( 伊藤克敏、新靖雄、 高橋あかね、太井康喜 ) 下:Sector3 プロムナード・ブランチ ( 大須賀嵩幸、大橋 茉利奈、多田翔哉、湯川絵実 )

ベルでの想像力は補えそうですよね。

菱田――桂キャンパスに対して一種の諦念みたいなものが あったと思うんです、僕らの生活の中で。そういうものが

平田――我々が想像していること以外にもっといろいろな

自分の肌感覚としても変わってきて、キャンパスに行こ

ことが潜在的にあって、それをちゃんと引き出せた方が絶

う!と思えるようになりつつあります。研究室の他に図書

対に面白いことが起こるはずです。今はいろいろなことを

館も、さらにその横でも過ごせるとなると結構生活が変わ

顕在化させるツールがものすごく発達しているから、専門

るような予感がしています。

的な知識で鍛えられていない人でもそれが表現できますよ ね。

平田――現実世界はたくさんの人が動いていて、光が差し 込んで、そういった膨大な計算の結果生まれているともい

岩瀬――実際に広場ができたことにより、模型に寄せられ

えるわけですよね。自然現象が複雑な計算過程だと捉えら

ていたときよりも具体的で洗練された意見が集まってくる

れるなら、この広場をつくるときも、現実に投げかけをし

と、リアルでつくっていくことの意義も出てきて面白いで

た方がいろいろな人の思考が入り込んで計算過程が進んで

すよね。机上の案でやっていたときと違って、段階的に整

いくのだろうなと思ったんです。そこで考えたことや表現

備したり使い始めたりすることで意義が変わってきそうな

されたものを全部生かして建築をつくることができれば、

気がします。

ものすごく素晴らしい場所が生まれて歴史に残る建築にな るのではないかという基本的な理想があるんですよね。

大須賀――色々な意見が出る中でうまくモデレートしない と本当に使うだけになってしまうので、方法は工夫する必

大須賀――われわれは6案出したり地面をしつらえたり、

要がありますね。

あの手この手で計算を加速させているわけですね ( 笑 )。広 場で誰かがバスケをしているのを見たり、あるいはネット

平田――どうするのが一番京大生にからまっていくので

上でややシニカルな反応などを見たりすると、自分たちが

しょうか、あまり宣伝しすぎるとだめかもしれないですね

投げかけたものでちょっとずつ世界が変わっていくことに

( 笑 )。良い建物だけれど学生とは全然関係のない位相で建

ささやかな興奮を覚えます。現実を実験化してそこから建

ちあがった図書館の横で、明らかに今までとは異質なもの

築をつくるやり方は、「生きられた公共建築」を設計する

が小規模だけれど起こっているという違和感は面白いです

一つの指針になりそうです。

よね。

56


HIRATA Laboratory

57


PROJECT

地域に根ざす設計技術・地域に根ざす人間居住 "Design methodology" and "Human settlement" rooted in local environment

大学院地球環境学堂 人間環境設計論分野

小林広英、落合知帆、宮地茉莉

地域に根ざす建築の創生:たねや農藝プロジェクト (2015 年 )

地域に根ざす建築の再生:グゥール再建プロジェクト (2018 年 )

58


"Design methodology" and "Human settlement" rooted in local environment KOBAYASHI・OCHIAI Laboratory

人間環境設計論分野は、2002 年新たに設立された大学院地球環境学堂に所属する。建 築学科・建築学専攻には連携講座として関わり、そのため研究室には建築系学生とともに 地球環境学舎(環境マネジメント専攻、地球環境学専攻)で学ぶ国内外の学生が在籍し、 持続的な人間環境構築について、以下のような理念のもと研究を進めている。 「変容著しい現代社会において、地域の文化や風土から持続的人間環境のあり方を追求す る。美しい自然から災害を起こす自然まで、多様な姿で示される地球環境の実相と、それ らに対応してきた持続的な人間環境の構造を、実際の都市や集落から学ぶ。得られた知見 や知識を施策、計画、デザインとして具現化し実践的な社会適応を試みる。「ひと・くらし・ すまい・ちいき」という人間環境のあらゆるスケールに存する社会的課題を研究対象とす る。」 この理念から、デザイン実践としての「地域に根ざす設計技術」、フィールド研究として の「地域に根ざす人間居住」が構成される。 【地域に根ざす設計技術】 現代社会の文脈における住まいや暮らしの再構築・発展的継承のために、環境デザイン やソーシャルデザインの思考と方法を提示し実践的試行をおこなう。 【地域に根ざす人間居住】 自然環境と共生する集落や、多様な文化を内包する歴史都市のフィールド調査から、調 和ある人間環境構築の知恵と実践のしくみを解明し、その持続可能性を探求する。 「地域に根ざす」 という視点から、自ずと建築だけでなくその周辺領域にも感度を高め、 デザインやマネジメントの枠組みを拡張する。また、多様な地域環境に対して学際的な連 携、国際的な共同、そして地域住民との協働に取り組む。現在、前者には「風土建築の発 展的継承」、「環境デザインの開発と実践」 、後者には「地域資源とコミュニティ」、「自然 災害と人間居住」のテーマ軸を立ち上げている。 これらの研究から実践まで展開する様々な活動は、同一線上にあり相互につながっている と言える。例えば、「地域に根ざす設計技術」は、グローバル化が進む現代社会において、 もう一度ローカリティの優位な要素を再評価する建築的試行であるが、「風土建築の発展 的継承を目的とした再建プロジェクト(再生)」と、「未利用資源を活用した新たな環境デ ザインの提案と社会実装(創生)」は、地域資源と関わる建築のあり方を探求していく点で、 等価な創造的活動と捉えている。このような関係性について、次ページ以降に各研究テー マの具体的な取り組みを紹介しながら、多様な研究・実践活動のシークエンスをみていく。 近年の研究・実践プロジェクト 風土建築の発展的継承 風土建築の再建プロジェクト(ベトナム,タイ,フィジー,バヌアツ,2007 年−),アジア太平洋木 造建築文化と在来建築技術(2008 年−),現代社会における風土建築の多面的評価(ベトナム,フィ ジー,タイ,2016 − 2019 年) 環境デザインの開発と実践 バンブーグリーンハウス・プロジェクト(日本各地,2008 年−),里山と連環する建築プロジェクト “ た ねや農藝 “(滋賀県近江八幡市,2013 − 2016 年),景観舗装デザインプロジェクト(大阪府八尾市, 2014 − 2015 年,2018 − 2020 年) 地域資源とコミュニティ 無住集落再生・新里人構想プロジェクト(福井県名田庄,2016 年−),砺波散村伝統住居の新築プロ セス(富山県砺波市,2016 年−),ソーシャルハウジング改善プロジェクト(ミャンマー,2019 年 −)、サテライト古座プロジェクト ( 和歌山県串本町,2020 年− ) 自然災害と人間居住 大規模災害と参加型の住宅再建調査(インドネシア,2016 − 2018 年),洪水災害常襲集落のフィー ルド調査(和歌山県本宮町等,2016 年−),伝統的な石文化と Eco-DRR(滋賀県比良地域,2018 年−)

59


PROJECT

風土建築の発展的継承 − 風土建築の再建プロジェクト

市場経済の浸透や価値観の変容は、辺境地集落においてもすでに日常化し,地域 固有の在来文化や慣習は徐々に消えつつある。特にその地域の風土や文化に培われ た土着性の高い建築物(風土建築)は、コンクリートブロックやトタン、セメント スレートの新建材が多用された建物へと急速に変貌している。これまでのアジア、 南太平洋各地、あるいは西アフリカにおけるフィールド調査からも、1980 年代以 降、自分たちの伝統住居を建設していないと共通して聞くことが多い。風土建築は、 その建設機会を通して世代間で建築技術が伝えられるため、技量に長けた集落住民 が高齢化し継承機会のないまま消滅する可能性にある。また建築技術だけでなく、 自然と共生してきた集落生活そのものが建築空間に内包されており、多くの伝統的 な慣習や儀礼の継承にも影響を与えることとなる。失われつつある風土建築の多様 な豊かさは一旦途切れるとその再生は難しい。 集落で個々に話を聞くと、伝統住居の必要性や重要性を耳にすることは多い。しか しながら、森林保護政策による資材利用の制限や集落周辺での有用資材の減少、決 して経済的に豊かでない集落生活における建設労働提供への躊躇、新建材を用いた 現代住居への憧憬など,様々な要因により風土建築を積極的に継承していくという 実現行動には至らない。しかし、このような状況を危惧する集落のキーパーソンと フィールド調査で出会い、対話を重ねる中で人々の総意として結実したとき、風土 建築の再建プロジェクトが立ち上がり、協力・支援しながら様々な課題を乗り越え 実施してきた。 これまでに、ベトナム中部・山岳少数民族カトゥ族の伝統的集会施設グゥール(2007 年 9 月、2018 年 8 月)、フィジー・ビティレブ島の伝統木造建築ブレ(2011 年 9 月)、タイ南部・海洋少数民族モクレン族の伝統住居・バーンクァン(2014 年 3 月)、 バヌアツ・タンナ島伝統木造住居ニマラタン(2017 年 10 月)の再建プロジェク トをおこなった。

60


"Design methodology" and "Human settlement" rooted in local environment KOBAYASHI・OCHIAI Laboratory

ベトナム ( 左 ),フィジー ( 中 ),タイ ( 右 ) の風土建築再建プロジェクト

これらプロジェクトの経験から、風土建築は在地資材(集落周辺で採集される建築 資材)、伝承技術(世代間の口承・経験知による建築技術)、共同労働(コミュニ ティの共同による建築作業)の 3 つの要素により建設・維持されてきたとまとめ ることができる。これらの要素は、集落コミュニティの世代間交流を通じて知識や 技術を受け継ぎ、その能力を駆使して森林資源を有効かつ合理的に利用し、豊かな 森林の恵みを集落コミュニティが享受する、というような相互に連環した関係にあ る。また、各要素を地域資源という観点でみた場合、在地資材<地域自然(物的資 源)、伝承技術<地域文化(知的資源)、共同労働<地域社会(人的資源)と表現さ れ、全体として地域環境そのものに還元される。これは地域環境の保全により風土 建築が成立し、その持続性も担保される事を示す。風土建築を考えることは、建築 物だけに止まらず、コミュニティや自然環境、そしてその地域の文化を考えること にも繋がる。 このような風土建築の特質は、時代遅れの過去の産物というより、過度にグロー バル化が進んだ現代社会において、「地域のアイデンティティ」 や 「自然との共生」 という点で、今後のバランスある地域環境の構築に必要不可欠な要素とも捉えるこ とができる。よって、生きた地域文化として集落生活と共に更新を重ねながら、長 期的な維持継承を担保することもひとつの選択肢として許容されうる。それは、前 近代的な生活に戻ることを要求するのではなく、現代の社会的文脈、すなわち市場 経済と外的価値の浸透した集落生活を前提として、風土建築の存在意義や有意的な 要素を再評価し、発展的継承の強度を発揮させることにある。この点から、再建プ ロジェクトにみたような在地資材、伝承技術、共同労働を動員した自力建設の実現 だけに止まらず、建設後の風土建築を維持し更新する動機付けを、現代の生活にお いて見出すことは重要である。再建プロジェクトはそのきっかけを提供し、その継 風土建築を成立させる地域資源

承は集落住民の主体的な価値判断に委託される。

61


PROJECT

環境デザインの開発・実践 − バンブーグリーンハウス・プロジェクト

現在、日本の多くの地域で里山の放置竹林が繁茂し,景観の劣化,周辺耕作地へ の侵入,イノシシ等の獣害誘因など社会問題となっている。かつて日常生活でみら れたタケノコ採取や、農漁業資材・住宅資材としての循環的な竹材利用は低下し、 竹林に人の手が入らず、里山環境の悪化する状況が各地でみられる。これは、自然 と共生してきた我々の暮らしのバランスが崩れたことに他ならない。このような状 況から、現代社会における竹材の用途開拓として、2008 年よりセルフビルドの竹 構造農業用ハウスを建設試行したのがバンブーグリーンハウス・プロジェクトのは じまりである。 バンブーグリーンハウスのわかりやすい構造と、のせる、あわせる、くくる、と いったシンプルな接合方法は、特殊な技術・部材が要らず誰でもつくることができ 十分な栽培空間を確保する。この特性を活かして、地域の人々が竹林から資材を調 達し、自らの手でハウス製作に取り組むことで、里山環境の保全と農業活動の振興 に寄与することを目指した。このアイデアとデザインが評価され、バンブーグリー ンハウスは 2009 年度のグッドデザイン・サスティナブルデザイン賞(経済産業大 臣賞)を受賞した。受賞の意味はおそらく、我々の暮らしの価値観をまさに考え直 す時期に来ていることを示唆しているように思う。 プロジェクト当初からデザイン改良を重ねタイプ1〜4までを検討し、現行タイプ ではおおよそ合理的な栽培空間を実現した。これまでに少なくとも 30 棟のハウス が製作されたことを確認している。また、農業 NPO の菜園(滋賀県近江八幡市、

62

BGH の完成内観


"Design methodology" and "Human settlement" rooted in local environment KOBAYASHI・OCHIAI Laboratory

BGH の普及プロセス

BGH の制作風景

BGH 製作マニュアル

2012 年)、高齢過疎集落の小農振興(三重県熊野市、2012 年)、U ターン新規就 農者のスタートアップ(香川県高松市、2014 年) 、地域おこし協力隊と地元住民 との協働(岐阜県本巣市、2016 年)、農業高校による地域貢献活動(兵庫県丹波 篠山市、2016 年) 、竹材利用による環境学習活動(福井県おおい町、2019 年)、 障害者自立支援の福祉農業(構想中)など、里山の環境保全だけでなく、地域の人々 が様々な地域課題と結びつけながらバンブーグリーンハウスに取り組んでいる。 ハウスの製作数が増加するとともに、製作方法に関する問い合わせも増えてきた ことから、現在様々な普及活動をおこなっている。まず製作マニュアルを作成し、 入手希望者にこれまで 300 冊以上を配布した。また、Facebook のグループページ を構築し、製作者や製作希望者が参加できるプラットフォームを整えた。現在約 800 人 (2020 年 12 月現在 ) の参加者があり、使用状況や製作方法、竹林・竹材に 関して情報交換をおこなっている。2019 年 12 月には、全国の製作経験者・関心 のある参加者を募り、製作ワークショップと意見交換会をおこなった。現場での工 夫や疑問、地域の課題などを直接共有できる機会となり、参加者の中には早速製作 に取り組み始めたという報告もあった。 今後様々な地域で製作され定着していくためには、潜在的製作者がいかに実現行動 に至るかが課題となる。製作マニュアルを 300 冊配布し、Facebook で高い関心を 集めていることから、その可能性は大きいと感じている。継続的により簡易な製作 方法やよりわかりやすいマニュアルの改良に取り組んでいく。

63


PROJECT

地域資源とコミュニティ − 砺波散村伝統住居の建設プロセス

富山県砺波平野の散居村は田圃の中に住居が点在する独特の景観をもち、カイ ニョと呼ばれる屋敷林や、アズマダチ、マエナガレという住居形式が発達してきた。 近年居住者の高齢化と世帯の小規模化が進み、重厚な屋敷や広大な屋敷林を維持す ることは経済的、体力的にも難しくなってきている。一方で、幾世代も住み継がれ てきた住居としてその存在はいまだに大きく、また建設時における住民の協働や屋 敷林からの資材提供など、地域との深い関わりから集落の記憶としても生き続けて いる。 しかしながら、集落住民が手伝い、周辺から資材を調達し、地元の職人が建設に 従事し一つの住居が完成するという住居構築のダイナミックなプロセスは、現在に おいてもはや詳細に知ることはできない。そこでフィールド調査で偶然に建築関連 資料の提供を受けた約 110 年前(1913 年)の新築アズマダチ民家を対象とし、特 に建設過程におけるコミュニティの関わりを集落空間の中で詳細に捉えていくこと で、「地域に根ざす建築」のあり方について理解することを試みた。 建設当時の建築図面(平面図、立面図、軸組図、梁伏図)、大工木挽人足帳(大工、 木挽など職人への支払い帳)、手傳人帳(集落住民などの建設手伝い記録)の各種

各種建設関連資料閲覧の様子

建設関連資料がこれまで大切に保管されていたこと、また各世帯が現在も屋号で呼 ばれており、聞き取り調査によって当時の手伝い住民とその居住地が同定できたこ とから、資料を読み解いていく作業が可能となった。 住居建設はまず準備として、明治 45 年(1912 年)3 月 6 日から数日間集落住 民による根こぎ作業(敷地整理)から始まる。その後 12 月まで木材調達と運搬、 木挽作業、大工用の小屋掛という建設に向けた一連の作業をおこなっている。この 中でもサンダンシ(算段師)の役割をもつ住民が、この準備から建方までの木材主 作業の段取りをおこない主導していることは興味深い。

64

建設関連資料の一部


"Design methodology" and "Human settlement" rooted in local environment KOBAYASHI・OCHIAI Laboratory

立面図・平面図(原資料に著者追記)

集落住民の居住分布と手伝い人工数

年を越した大正 2 年(1913 年)1 月 17 日に「チョンナ始め」として大工の刻 み作業が始まる。集落内の大工棟梁と 2 人の弟子が主に現場を担い、周辺の集落 から石工、木挽、壁屋、屋根屋が加わり、10 月初旬までの 8 ヶ月半かけてようや く新しいアズマダチ民家が完成した。準備作業を含めると 1 年半ほどかかったこ とになる。集落住民は、人手を要する住居建設の一大イベント、地盤・石搗(地固め) ・ 建方(3 月 22 日〜 4 月 7 日)に大勢参加するが、それ以外にも木挽き,大工手伝 い、漆塗りなどの専門作業にも多く関わっている。一方で、5 月の田植え時期と 9 〜 10 月の収穫時期は一切の作業を休止し、作業の季節性をみることができる。 主な集落住民の手伝いを総計すると、地盤(延べ 50 人工、3 月 22 〜 29 日)、 石搗(延べ 46 人工、3 月 30 日〜 4 月 3 日)、建方(延べ 78.5 人工,4 月 4 〜 7 日)、 漆塗りとその他手伝い(延べ 32 人工、3 〜 9 月)となっており、多くの集落住民 のサポートによってひとつの住居ができあがっていく様子を伺うことができる。 手伝いに関わった総人数は 69 人であり、このうち聞き取りと資料の記録から、集 落内の住民は 52 人(75%,うち親戚 13 人)であった。このうち 42 人の居住地 を図上にプロットした(□は親戚,○は集落住民)。集落は 4 つの小字から構成さ れており、手伝いの多い集落住民(4 人工以上)は建設地周辺に集中しており、近 隣で支え合い暮らしてきた様子がリアルに把握される。 地域に根ざした建築における集落住民の共同労働がこのアズマダチ民家でも大き な役割を担っていることが詳細に把握された。また専門作業においても農家兼業職 人として、集落住民の関わりが多くみられた。資料には集落内の屋敷林から木材、 竹材を提供するような記載もあった。このように住居建設における集落資源の多様 な関わりによって、現代の商品化住宅とは異なる地域環境を包含した大きな枠組み としての住居の存在がみえてくる。

65


PROJECT

自然災害と人間居住−洪水災害常襲集落の環境適応・アガリヤ

人々の暮らしは古来より地域の自然環境に適応しながら形成されてきた。特に住 居に対する様々な工夫は、自然環境に加え社会文化的影響も受けながら発展し、災 害の多い日本において「災害と共に生きる」という生活を定着させた。ここで紹介 する「水防建築」も繰り返す水害と格闘してきた集落住民の経験をもとに、世代を 超えて受け継がれてきた知恵の結晶といえる。日本の洪水常襲地では伝統的な水害 対策として、木曽三川流域の輪中堤や水屋が代表的で類似のものが全国に点在する が、必ずしもすべてが把握されているわけではない。熊野川流域に残るアガリヤも そのような水防建築の一つである。 2011 年に発生した台風 12 号によって、熊野川流域の多くの集落が、斜面崩壊、 地すべり、河川氾濫などにより多大な被害を受けた。この災害を対象として、住民 の避難行動、行政・消防関係者の対応に関する調査(2011 年~ 2014 年度)をお こない、その過程で伝統的な水防建築である避難小屋「アガリヤ」の存在を知った。 このアガリヤが、どのように建設され利用されてきたのか、集落内の分布や配置、 建築形態の実測調査、聞き取り調査により地域の伝統知を明らかにし、現在地域の 防災教育に生かす取り組みもおこなっている。 アガリヤは、熊野川沿いの山間集落において水害時の避難場所として主屋よりも 高い場所に建設される。水屋や水倉のように屋敷の隅に石段を築き、主屋の背後地 のやや高い場所に建てる、もしくは主屋がある敷地から少し離れた地区内の高台に 建てるかの 2 つに大別できる。 所有者は、集落の地主または旅館や商店を営む世帯が主で、平時には家具、寝具、 商品、衣類や食料の一部などを保管する場所として利用した。一方、水害時には緊 急の避難場所として利用され、所有者家族や親族に限らず、近隣住民も避難を共に

66

山間河川に沿った集落形成


"Design methodology" and "Human settlement" rooted in local environment KOBAYASHI・OCHIAI Laboratory

2011 年台風後の様子

住宅とアガリヤの配置

水害浸水高を示す碑

する共助としての防災施設として利用された。 アガリヤは、和歌山県本宮町、三重県新宮市、熊野川町、紀宝町の集落内に現 存、またはかつて存在したことを調査から把握した。多くは本支流河川の合流地ま たは河川に近い低地で、昔から水害の影響を頻繁に受けてきた集落に分布する。ア ガリヤの機能は、住居式、倉庫式、住居倉庫式の3つの形態に大きく分けられる。 フィールド調査では、主屋とアガリヤとの高低差は最小で 1m、最大で約 15m もあっ た。集落古老の話によれば、明治期には既にアガリヤがあったというが、明治 22 年(1889 年)の大水害を契機に多くのアガリヤが作られるようになったと推察さ れる。現在でも本宮町には約 10 軒のアガリヤが現存している。 かつては避難場所としての役割を担っていたアガリヤであるが、現在はほぼその 役割を終えている。その要因として、昭和 28 年(1953 年)水害以降大規模な水 害が発生していないこと、公共工事による治水対策やダム建設が進み、大雨でも浸 水することはないという住民意識の変化が起きたことが挙げられる。また、平屋か ら二階建住宅が普及し、アガリヤへの商品・家財保管の必要性が低下したこと、公 共施設への避難が推奨されるようになったことも指摘できる。 しかしながら、近年深刻な水害が頻発するなか、高齢過疎化が進む集落では早期 避難に対応できないケースも多々あり、アガリヤのような近隣単位の共同避難を バックアップ機能として再評価し、防災対策における伝統知活用の可能性を検討し ている。また、集落住民だけでなく当地への来訪者に対しても、水害の歴史や水防 建築を見て歩くタウンウォークを企画するなど、防災教育への活用にも取り組んで いる。

67


PROJECT

人の行動や心理から建築・地域にアプローチする Approaching architecture and community from the perspective of human behavior and psychology

はじめに

教授 三浦研

建築の設計は、利用者ニーズ、社会的制度、法規、予算、デザインなど、多岐にわたる変数を解く創造的行為です。時代や 社会背景の変化に応じて、同じ敷地でも、設計者によって異なる建築が作られてきました。しかし、何がうまく機能して、ど のような制度も含めた課題が浮かび上がったのか。本来は、事後に建築を十分に検証したうえで、次の設計に着手すべきとこ ろが、利益を生み出しやすいビルディングタイプを除いて、実態把握や分析はなおざりになりがちです。特にユーザーが声な き声を上げることの難しい建築は事後的な検証に手が付けられない傾向があり、研究が大きな力になります。また、これから の社会が求めるような時代を先取りした建築も、一般化・定式化していない萌芽的な状況にあるため、どのような設計がふさ わしいのか、また、どのように運営するべきなのか、単なる設計の範疇を超えた、企画、設計、運営にわたる総合的な建築の あり方が求められます。 三浦研究室では、建築計画の立場から、人や社会に貢献、役立つよりよい建築、地域を創るための理論的裏付けとなる研究 に、人の行動や空間の使われ方、心理的側面に着目して取り組んでいます。また、研究から得られた知見を新たな建築プロジェ クトに適用すること、つまり、研究と実践を両輪として推進していくことを目指して、人の行動や心理、関係性を解析・評価 から建築や地域の実態に取り組んでいます。 本企画では、現時点で、三浦研究室で取り組んでいる研究やフィールドワークを担当者に執筆してもらいました。具体的には、 視覚的な解析・評価から、設計時の制度的課題、介護職員のストレスの測定など、高齢者施設を対象とした研究から、日本と 中国の公開空地の管理手法、空き店舗が増加する商店街におけるアクションリサーチ、サブスクリプション式の新しいビジネス、 京都市の景観規制まで多岐にわたります。 今年は、コロナウイルス感染症の影響により、多くの企業・大学でテレワーク、オンライン学習が導入されて、ゼミ活動も 大きな制約を受けるなかで実践しています。課外活動が長期間にわたり禁止され、建築や都市の研究がフィールドに出られな い制約を受けて、まだ研究のゴールが見えずに暗中模索しながら取り組んでいるプロジェクトも含まれています。しかし、若 い感性でフィールドに体当たりした悪戦苦闘の軌跡にこそ、建築や地域のヒントが読み取れるのではないかと思います。個々 の実践から課題と同時に可能性を感じていただけたら幸いです。

68


Approaching architecture and community from the perspective of human behavior and psychology

MIURA Laboratory

どのくらい見えるか・見られるか 可視性分析を用いた高齢者居住施設の共用空間の計画 助教 安田渓

どのくらいみえるか? いまあなたがこの記事を読んでいる位置からは何㎡の場所が見えるだろうか。ま た何人の人が見え、あるいは見られているだろうか。自分が読んでいる画面を他人 に見られないようにしたい人もいれば、適度に他人が見える空間の方が緊張感が 図 1a

あってよいという人もいるだろう。このように空間の見え方および空間内の人同士

見渡しがきくため介護者は見守りしやすいが、隠れ

の「見る・見られる」関係に基づく性質は空間を利用する上で重要な意味をもつ。

る場所がなく利用者にとっては居心地がよくない空

私たちはこのような性質を可視性 (visibility) と呼んでそれを解析しながら建築計

画・設計に活かそうと研究を進めている。 見えるかどうかが問題となる場所:高齢者居住施設 可視性が問題となるビルディングタイプや空間は多岐にわたるが、ここでは高齢 者居住施設の共用空間を取り上げたい。高齢者施設を利用した・設計した経験のあ

図 1b

る読者は少ないはずなので、興味を持ってもらうために説明する。特に今回紹介す

細かく分節されているため利用者は隠れることがで

る研究で取り上げるサービス付き高齢者向け住宅は、利用者の高齢者はある程度自

きる。しかしどこも同じ狭さの場所で多くの人と出

立しているものの、施設は介護者を配置して介護サービスを提供している。利用者

会うことは難しく、また介護者が見守りをすること も難しい。

は各々個室を持ち、それがリビング・ダイニングを含む共用空間と接続しているよ うな平面構成となっている。 高齢者居住施設の共用空間では、高齢者居住施設の共用空間では、見守りと居心 地のトレードオフが存在し、介護側と利用者側の相反する要望の解決が求められる。 介護の視点に重きを置き,見守りを容易にするために死角のない平面計画が優先す ると、利用者はリビングで常に他者の視線に晒され、共用空間が利用者にとって落 ち着いた身の置き所になりにくい。逆に、利用者の視点に重きを置き、プライバシー

図 2a

を確保すると、介護者が見守りをしにくくなる ( 図 1)。それでは、介護者が見守り

2 分節で設定した条件を満たす平面の 1 例。平面図

を可能で、かつ利用者が落ち着いて居心地良く過ごすことのできる空間は、どのよ

中の濃度は見える場所の面積 ( 可視量 ) を表す。暗 い場所ほど可視量が小さく、明るい場所ほど可視量 がおおきい。

うな平面計画方法で実現するのだろうか。 私たちは、空間の見え方によるスケール感と、介護者が見守ること・利用者同士が 見えることのような、空間の見え方および空間内の人同士の「見る・見られる」関 係に基づく性質を合わせて、空間の可視性 (visibility) と定義する。その上で、サー ビス付き高齢者向け住宅 ( サ高住 ) を前提として、共用空間を変形させて候補とな る平面を複数作成しながら、それぞれの可視性を可視領域に基づく分析によって記 述し、より適切な可視性をもつ平面計画を示した。

図 2b 3 分節で設定した条件をみたす平面の 1 例。可視量

可視性分析を用いた計画方法

の小さい場所と大きい場所の両方をもつ空間である

分析の詳細は論文「可視性分析を用いた高齢者居住施設の共用空間の計画‐サー

ことがわかる。

ビ ス付き高齢者向け住宅を対象として ‐ 」( 日本建築学会計画系論文集 2021 年 3 月号掲載 ) に記載した。結論から言えば、介護者と利用者双方にとって適切な可視 性をもつ共用空間が、分節をしないものでも最大限分節するものでもなく、適度な 分節をしたときに位置関係と間口配分を調整することで存在することを示した ( 図 2)。このように計画・設計段階で可視性を記述して事業者・設計者・利用者・介護 者の間で共有できれば、よりよい価値を探求・発見することにつながるだろう。

69


PROJECT

ユニット型特養のユニットプランはなぜホール型が主流か 制度からみた平面計画 博士後期課程 眞鍋明子

居住系の高齢者福祉施設には、特別養護老人ホームや介護老人保健施設、認知症 高齢者グループホーム、介護付き有料老人ホームなどがある。これらは、「入居者 が有する能力に応じ自立した日常生活を営めるようにする」という基本方針は同様 であるが、これらの施設整備基準は施設類型ごとに異なっており、厚生労働省の研 究事業ではこれらの見直しが検討されたこともある。 これら4つの施設類型の中で、設計条件としての施設整備基準項目が多いユニッ ト型特別養護老人ホーム ( 以下、ユニット型特養 ) では、時に創意工夫ある計画や

図1 ユニット型特養の近接基準とその解釈通知

ユニット化改修整備などが基準によって阻まれる事例が報告されている。指摘され る基準の一つに「居室は ( 中略 ) ユニットの共同生活室に近接して一体的に設ける こと」と、それに関する厚生労働省の解釈通知がある ( 図1)。仮に、この基準と 解釈通知を機械的に用いて共同生活室や 10 の居室を配置した場合、共同生活室に 面する居室の数が多くなり、共同生活室がホール的空間になりやすいユニット図が 容易につくられる ( 図2)。実際に、全国のユニット型特養やユニット型老健の平 面をみると、共同生活室がホール的空間になりやすい平面構成が多くみられる ( 図

図2 解釈通知を機械的に用いて共同生活室と居室 を配置した平面例

3)。 ユニット型特養の設計の過程では事業者や施設設計者のみならず、許認可権を持 つ自治体の意向も反映されている。公募による事業者選定の前後における図面協議 や図面審査の際に、施設整備基準を満たしているか、ユニットケアを実施する空間 としてふさわしいか、各自治体の福祉系担当部局が確認し、必要に応じて設計が修 正される。過去には、自治体の担当部局が当該基準を機械的に運用し指導した事で、 必要以上に空間構成に制限を与えられた事例も現場から報告されている。ユニット 型特養は公共性の高い建物であるにもかかわらず、各自治体が平面構成に対して課 している具体的な制限は公表されていないことも多く、その全国的な実態は明らか になっていない。 本研究は、ユニット型特養 ( 広域型 ) の整備における許認可権をもつ 121 自治体 (47 都道府県、20 政令指定都市、54 中核市 ) を対象に、具体的な基準運用の実態 や考えについて調査を行い、自治体がユニット内の空間構成に与えている制限の実 態を分析した。調査は、主に電話によるヒアリングを行い、平面構成の隣接ルール の有無、具体的な運用や指導、談話コーナー等による緩和の 3 点を主たる項目と して設定した。その他、各自治体の平面構成に関する考えやイメージ、制限される 具体的な平面構成例、過去の事例等を確認した。なお、本調査においては調査内容 のばらつきを抑えるため、過去に設計者の立場から図面協議に参加した事のある実 務経験者 1 名で行った。

図3 複数の居室に囲まれている、独立性の低い共 同生活室

分析の結果、共同生活室の独立性の確保が難しい平面構成が主流であると推察さ れる自治体が約半数を占める事が分かった。また、具体的に方針を決めていない自 治体の中でも、基準を機械的に運用する事を避け柔軟に個別判断する自治体がある 一方で、これまで具体的な運用方針を定める必要性が無かった自治体もあり、考え の差異がある事も分かった。 高齢者福祉施設のような公共性の高い建築物は一定の質の確保も必要だが、同時 に個々の質の向上も図っていく必要がある。自治体や設計者が施設基準の文言に囚 われるあまり、現場の要求や質の追求が阻まれる事があってはならない。個々の計 画について3者で柔軟に議論し、相互に理解を深めていく事が求められる。

70

図4 図3とは異なり居室とは廊下で繋がれている、 独立性の高い共同生活室


Approaching architecture and community from the perspective of human behavior and psychology

MIURA Laboratory

中日における公開空地の特徴と管理手法に関する研究 博士後期課程1回生 鄭湉

市街地環境の整備改善および公開空地の確保のため、日本では 1970 年に「総合設計制度」が創設されました。総合設計制 度によって設置される公開空地は私有地であり、公的な利用を目指しているが、実際の公開空地は植栽やチェーンなどのもの を用い、人の立ち入りを制限し、公開空地が囲まれたケースが多い。一方、中国は社会主義共有制度であるため、土地制度で は土地の私有が認められておらず、すべての土地は国による所有または農民による集団所有、土地の所有と利用を分離する土 地使用権制度である。このように公開空地の所有権に対して、中国と日本のスタンスは大きく異なるが、いずれの国でも、都 市にある公開空地は日常的通行や憩い場所やなどの役を演じて、都市の特徴および人々の日常生活を豊かにするという意味に おいて、本質的には都市における位置付けは同じであろう。したがって、本研究では中国と日本における公開空地の比較した 上で、日中の人間のライフスタイルを考察し、日中の公開空地の現状を明確し、相互に鑑みるところを指摘することを目指し ている。 まず、中日二国における公開空地の現状を具体的に紹介する。大阪市中央区一丁目 6-1 にある City Tower Osaka( 図 1) が共 同住宅であり、こちらの公開空地内部に、植栽が様々な種類があり、当建物の入居者や通行者に視覚上及び嗅覚上の享受をも たらす一方、植栽の魅力も感じられ、花が多く、美しく、カラフルな公開空地である。次に、大阪市北区池田町 15-1 にあるパ ラツィーナセリシア天満 ( 図 2) であり、共同住宅である。こちらの公開空地では人が座らないように、座る場所の前にフラワー ポットを設置しているので、公開空地でありながら、公開されていない状態である。 一方、中国では、平日に団地の隅または出入り口のところに、中国将棋を指す高 齢者たちや孫育てをする祖父母たちをよく見かける。夜になると、夕ご飯を食べた 後に、人々が家から出かけ、公開空地に家族と一緒に散歩しながらしゃべる人が多 い。また、広場ダンス ( 図 3) に参加して、のんびり過ごすことも常態である。と くに近年は、広場でダンスを踊る人が急速に増え、広場ダンスを踊ることが中国人 の日常生活のなかでかなり重要な部分になっている。休日には、学生たちはバスケッ 図1 City Tower Osaka

トボールやローラースケートなど様々な活動に参加し、オープンスペースを楽しん でいる。また、1日の仕事が終わった若者に対して、公開空地にある屋台などのお 店で ( 図 4)、自分が好きな食べ物を食べ、公開空地に滞在し、近所の人たちと自分 の1日の中の喜怒哀楽を話したり、交流を図ったりすることで、人間関係の構築も 実現している。 このように中国では公開空地は公的な場でありながらが、市民が私的に使い、充 実した生活を送り、公開空地がかなりの賑わいを呈しているが、その一方で公開空

図2 パラツィーナセシリア天満

地内部の活動による安全上のトラブルも近年よく報道されている。現状では、公開 空地の安全性が欠如が問題になることもあり、誰が責任を持つのか、規制はまだ不 十分な状況といえる。したがって、中国では公開空地の活性を保ちながら、安全性 および衛生上の規制をきちんとすることが課題となっている。 一方で、日本では総合設計制度による公開空地の所有権と使用権が分離している ので、所有者の立場から、安全性や管理し易さやすさを意図して、植栽で公開空地 を囲み、関係者以外の立ち入りを禁じるような看板を設置したりしているケースが

図3 小区の公開空地で広場ダンスを踊る人たち

多く、公開空地が公開性を失っている現状がある。市民も公開空地が私的土地であ ることを強く認識しているため、公開空地で長時間の滞在を避け、その結果、公開 空地がよそよそしくなり、どのように公開空地を活用するかが課題となっている。 したがって、本研究を通して中国と日本における公開空地の規制や管理方式には 大きな違いがある。そのためそれぞれの課題や利点を把握した上で、両国における 公開空地が都市空間の向上や人間関係に寄与するため、どのような改善を行うべき か、研究に取り組んでいきたい。

図4 公開空地での商売

71


PROJECT

新・暮らし方 修士課程2回生 奥村元

物的な豊かさを求め、個性より協調性が求められた時代は終わった。成熟社会となった今、精神的な豊かさや質の高い生活 を求め、多様性や生きがいを重視する時代になった。最近では ICT の発達やシェアリングエコノミーの普及に加えて、働き方 改革のような国が主導する政策によって組織や社会全体のマインドも大きく変わり、多様性を実現できる新たな社会や仕組み が構築されつつある。それに伴い個人の自由度は益々大きくなり、生活も多様化を見せている。時間も場所も、生活を個人が 自由に設計できるようになる時代はもうそこまで来ている。コロナのおかげもあってか、リモートワークが爆発的に普及し、 今や沖縄にいながら研究室のゼミに参加することも可能である。 人々の生活環境の変化によって、住む場所・働く場所、建築・地区・街の使い方、使われ方、在り方や意味合いは、大きく 変わっていくかもしれない。修士論文では、生活環境の変化に着目し、建築を含めた「場所」、人々の「生活」、日本全体の「社 会」的な視点から、日本の都市・地域課題と絡めながら、将来像を描いていきたい。 まだ題目は確定していないが、現在私が進めている『地域交流創造ビジネスの実態と関係人口創出効果に関する研究』につ いて、研究の着想に至った背景を記しながら、もう少し具体的に紹介しようと思う。 2019 年 6 月、三浦研究室では鳥取県大山町で空き旅館を再生させて地域を活性化するプロジェクトに参加した ( 写真1、2)。 調査へ行き会議を重ねる中で、ふと「今流行りのサブスクリプションを宿泊事業にも応用できないか?」という案が出た。今 まで泊まり放題というのは聞いたことがないし、非常に面白いアイデアだと盛り上がったがそれだけでは地域の活性につなが らない。そこで、都市部の人が泊まり放題サービスを利用するために定期的に地方に訪れて、地域活動にも参加するような仕 組みができたらいいと考えた。「地域貢献活動を条件に盛り込んだサブスク式泊まり放題」にした事業を行えないか提案しよう という話になった。 するとその直後 2019 年 7 月に、『定額全国住み放題 ADDress 今夏、続々新拠点オープン!』という記事をネットで目にし た。新しい画期的なアイデアだと思っていたが、既に事業として始めている会社があったのだ。この ADDress という会社は、 2019 年 4 月に、定額で全国住み放題の多拠点コリビング (co-living) サービスを開始していた。他にも、2019 年 1 月には「世 界を旅して働こう」と題したサブスク型コリビングの「HafH( ハフ )」や、お手伝いを通じて地域のファンを創出する「おてつ たび」がサービスを開始していたり、2019 年 6 月には旅人求人サイトの SAGOJO が TENJIKU という「地域のチカラになって 無料で泊まる新しい旅のかたち」を提供するサービスを開始していたりすることが分かった。自分たちの提案に似た「旅×仕事」 「地域の力になって無料宿泊」 「定額制多拠点コリビング」と銘打ったサービスが、ほぼ同時期に次々とリリースされていたのだ。 題目にある「地域交流創造ビジネス」とは、これは私が勝手にそう呼んでいるのだが、この手の地域との交流を創り出してい る商業活動のことである。

写真1

72

写真2


Approaching architecture and community from the perspective of human behavior and psychology

MIURA Laboratory

図1 関係人口 ( 総務省の図を元に筆者作成 )

図2 三大都市圏居住者の地域との関わりの状況 ( 国土交通省『関係人口の実態 把握』より )

結局、泊まり放題サービスを大山で実現させる方向には至らなかった。しかし全国に視点を移すと、多拠点居住やリモートワー クといった新しいライフスタイルや、それを提供する地域交流創造ビジネスによって、地方活性に新しい方向性が見えてくる のではないかと考えた。 一方で、行政や地方自治体による地方活性化の取り組みを調べていくと、今注目されているのは移住ではなく「関係人口」 であることを知った ( 図1、2)。「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域 や地域の人々と多様に関わる人々のことを指す ( 総務省 )。人口とあるが、数では無く、そうした人々の事である。この概念は 2016 年頃に登場し、政府においては 2017 年の「これからの移住・交流施策のあり方に関する検討会」から「関係人口」に着 目した施策に取り組むことの重要性が議論されるようになっていった。 では、関係人口になる側である我々生活者はどうか。 従来のように会社のために都市部に住むことの必要性は無くなり、働く場所や環境に縛られることなく、自分らしい自由な 働き方や暮らし方ができる人々は増えている中、 ・

変化がスピードを増す時代に、安定はかえって淀みを生み、リスクになるとも思える。( 産経新聞 2020/1/5)

・ 「決める」ことがリスクにもなる時代だ。「暮らしの可変度を高めておくことが生きやすさにつながる」という見方にたてば、 「決めない」ことはむしろ強さだ。( 博報堂生活総合研究所サマーセミナー 2019「消費対流~『決めない』という新 ・ 合理~」) という意見が新聞記事や講演会で発表されている。目まぐるしく変化する社会環境や技術の進歩に柔軟に対応するためには、 一つの場所に縛られず、暮らしの可変度を高めておくことが必要だという考え方は広まりつつある。また「2019 年のトレンド 予測」( リクルートホールディングス 2018/12) には “ デュアラー ”( 都市と田舎の2つの生活を楽しむ二拠点生活者 ) という 言葉が挙げられていることや、「住まい方の意識トレンド調査」( 全宅連・全宅保証 2019/03) では、将来地方に住みたいと 考えている人が 41%に上り、さらに都市部に住みたいと答えた人の中でも半数以上が二拠点居住 ( 週末移住 ) に興味を持って いるという結果が得られていることから、我々生活者全体としても、地域への移住や多拠点居住への興味関心が高まっている ことが分かる。 民間事業者側、行政・自治体側、それぞれ細かいターゲットやアプローチは違うが、大きく見ると「関係人口」の増加は双 方にとって利益をもたらす。生活者にとっても新しいライフスタイルが実現可能となり社会に浸透することは非常に望ましい ことであり、三者が Win-Win-Win の関係になれる構図が見えてくる。 しかし、それぞれにおいてはまだ黎明期であり、手探りで進めていたり、認知されていなかったりと、お互いがお互いを知 らぬままとりあえず突き進んでいるような状態である。 こうした現状を解消するために行っているのが『地域交流創造ビジネスの実態と関係人口創出効果に関する研究』だ。現在 は事業者に対するインタビュー調査を行いつつ、行政の資料や生活者に対して行ったアンケートについて、データ分析やテキ スト分析を行っている。調査・分析結果をもとに、地域交流創造ビジネスを成立させていくための必要条件や課題、その実践 が関係人口の創出にどう貢献しているのかなど、現時点での実状を明らかにし、加えて行政や自治体が行う取り組み、生活者 のライフスタイルとの関連性・親和性について言及し、今後の行政や自治体の支援や関与のあり方を検討していくつもりだ。 今ちらほらと見えている新しい暮らし方は、より自由で面白い未来をもたらすだけでなく、東京への一極集中や地方の疲弊 に伴う社会問題を解決できる可能性を秘めている。現在進行形で変化をしている民間事業、行政・自治体、生活者の暮らしの 在り方について客観的かつ総合的な知見を得ることで、新しい選択肢がより早く世の中に広まり、彷徨いながら模索している それぞれがお互いの補助輪となりながら、相乗効果を生んでいく一助になればと考えている。

73


PROJECT

三泉商店街再生プロジェクト「のきさきあるこ」 修士課程 2 回生 菅野拓巳

図1 のきさきあるこ会期中の写真

商店街の衰退 商店街を取り巻く環境は、人口減少、少子高齢化、IT 化等の商店街外部の要素と、 経営者の高齢化、人手不足等の商店街内部の要素の両方から大きく変化しており、小売

商店街に目新しい屋台やガーランドを配置するこ とによって、参加していないお店の方やいつも通っ ている地域の方にイベントを印象付けることがで きた。

業の事業所数は近年大きく減少している。特に、地域住民の利用が主となっている近隣 型・地域型商店街1) において、空き家数は年々増加しており、閉店してシャッターを下 ろした状態の商店が並ぶ様子は「シャッター商店街」と呼ばれ、久しく問題視されてい る。商店街実態調査報告書によると、商店街の空き店舗が増加の一途をたどる要因の一 つとして、店舗所有者が閉店後も倉庫や住居として利用して、新たな事業主に店舗空間 を貸す意思がないことが挙げられている。こうした店舗兼住宅の職住機能の分離は全国 的に取り組まれているが、商店街だけでは調整が進まないというのが現状であり、店舗 部分に新しいテナントが入ることは簡単ではない。

図2 買い歩きをする子供の写真

「のきさきあるこ」の開催 三浦研究室では、昨年度大阪市大正区三泉商店街を対象に「のきさきあるこ」という イベントを開催した。当商店街は大正駅から徒歩 5 分のところに位置しているため人 通りは多いが、空き店舗の割合が高く自転車の通行動線となってしまっており、現在そ ういった空き店舗を対象とする事業者による空き家活用が進められている。 「のきさきあるこ」は、商店街の空き店舗の前に屋台を設置し、そこに同大正区の店 舗を呼び込んだイベントである。当イベントは、①三泉商店街のエリア的なポテンシャ ルを上げること②部分的な貸借によって盛り上がりが生まれる姿を拡散すること、とい う2つのコンセプトをもって開催された。来場者や売り上げの増加により空き店舗への

図3 試作した屋台、桂キャンパスC2棟の 2 階 に少しの間置かせてもらっていた

出店希望者を増やすことと同時に、軒先を貸すことによって生まれた盛り上がりを見た 空き店舗の所有者が一部だけでも店を貸そうという気持ちを持ち始めることを目指し た。 また一方で、商店街の活性化を志したイベントは全国的に多く開催されているが、そ れらのほとんどが一時的な活性化に留まってしまっているという問題がある。その理由 としては、高齢化が進む商店街にイベントを継続する余力がないことや、イベントに対 するモチベーションが低下すること等が挙げられている。これに対し今年度開催予定の 第 2 回のきさきあるこでは、商店街の外からのイベント時出店者を主体としたイベン ト開催を行うことにしている。イベントの運営に商店街の外の店舗を組み込むことで継

図4 大正区の木材会社で木材を購入し、加工場の 提供や施工のアドバイスなどの協力をいただいた

続的にイベントを開催し続ける力が生まれる可能性が高い。また商店街の店舗にも商品 の出店を依頼することで両者がイベントを通じて交錯し、地域が一体となったイベント になっていくことを期待している。

商店街のこれから 商店街がなくなってよいのかという問いに対して、「寂しい」「残るべきだ」といった 意見はしばしば見られる。若者は商店街で買い物をしなくなっている一方、街路の賑わ いやコミュニケーションの場、地域コミュニティを担う場として商店街を慕う声は多く、 商店街の役割はモノを買う場所としての役割から「集まる場」としての役割へと変わっ てきているようである。「のきさきあるこ」はそういった商店街の「集まる場」として の力を重視している。当イベントによって、商店街のこれからの在り方について思い巡 らす機会になればと思う。

74

1近隣型商店街:最寄品中心の商店街で地元主婦が 日用品を徒歩又は自転車等により買い物を行う 商店街 地域型商店街:最寄品及び買回り品が混在する商 店街で,近隣型商店街よりもやや広い範囲であ ることから,徒歩,自転車,バス等で来街する 商店街 ( 中小企業庁 (2016)『商店街実態調査報告書「商 店街の 4 分類」』 より )


Approaching architecture and community from the perspective of human behavior and psychology

MIURA Laboratory

京都市における「景観」とは

修士課程2回生 長谷川峻

京都らしさとは何でしょうか。私は京都で育ったわけでもなく、とりわけ関西には縁もゆかりもありませんでした。京都大 学に通ったのみです。けれども京都で生活していく中で、少し違和感を持つようになってきていました。街を見ていると、「京 都らしさ」を身にまとったビルの多さがどうしても気になってしまいます。もちろん私は本当の「京都らしさ」を知っている わけではありません。ごちゃごちゃした街並みも、勾配屋根の連なる街並みも、ハイカラな街並みも、「京都らしさ」の一部の ように思えます。その中で私たちは「京都風」にしつらえ、設計されたビル群をどう捉えれば良いのでしょうか。そこで、京 都市の現状を、設計者と行政、規則と形の関係性の中で、どのような議論が行われているのか、規制と現実の間にどういった 齟齬が生じているのかを、二つの立場の人から聞くことで京都らしさをどのようにしてとらえているのかをあぶりだすことが できるのではないかと思っています。 京都市にける景観について、様々な議論がなされてきたことは周知の事実かと思います。京都市としては、昭和 5 年の風致 地区の指定から始まり、平成 19 年には新景観政策が行われ、京都市全体に高さ制限等のより厳しい規制を全体的にかけました。 この時は、歴史的景観の破壊との時間との勝負であったといいます。しかしこの後、よりきめ細やかな規制について問題とな ることになります。 京都市に建てられる建物は、もちろん厳重にかけられた規制に従わなければ建てることができません。しかし一方で、平成 31 年 4 月の新景観政策の更なる進化検討委員会の答申において「建物等の形態をコントロールして景観を保全・再生する「規 制法」だけでなく、まち全体を活き活きとした場所にし、新たな景観を作り出すことにも貢献する「創造法」を含むように、 新景観政策の更なる進化を図ることが重要となります。」と記載されています。また、京都市の方とのヒアリングの際、新しい デザインに挑戦してほしいけれども、規制は通っているので何も言えないが毎回同じような図面で出てくるようなところもあ るという話や、いろいろ規制が複雑になりすぎていて分かりにくくなっているという話、これがうまくいっているかといわれ たら必ずしもそうとは言えないというお話も伺うことができました。創造法への言及は難しいですが、少なくとも現行の規制 法では規制と現状の間の問題に対処しきれていないということは言えるかと思います。 京都市は、特例として現行の規制を適用しないようにすることができま す。デザインの特例に関して言えば、京都市美観風致審議会によって計画 が審査されたのち京都市長によって特例の認定がなされます。しかし実際 に特例が認められるのは年に1、2件程度であり、その中でも「優れた形 京都らしさを身にまとったビル

態及び意匠を有し…( 中略 )…地域の景観の向上に資すると認められるもの」 として認められたものはその中でも少ないのが現状です。そもそも京都市 美観風致審議会にかけられ、特例が認められるものはほんの数%で、その ほかの 90%以上の計画は審議会にかけられず、業者や設計者と京都市との 間の簡単な審査が行われています。審査会に通すことにより余計な時間や

ごちゃごちゃした地域

費用が掛かってしまうことが原因とみられています。しかしこの中でも、 規制の緩和や但し書きの認識のすり合わせなどが行われていないような建 築計画は、数値ではわからないがかなり多いというお話を伺いました。 それでは設計者からの視点ではどのように感じているのでしょうか。こ れはこれからの研究の話にはなりますが、京都に建築を設計した方々にヒ

瓦屋根の連なる町並み

アリングを行い、実際に京都についてどのように考え、どのように設計を 進めていったのか、そして景観政策についてより具体的に伺っていきたい と思っております。修士論文では、建築家へのヒアリングをもとに、具体 的なエリアや建築の構成要素を設定したうえで、例えば、沿道型美観地区 における勾配屋根や軒庇、屋上緑化、に着目してその意匠を調べ、設計者 の理想と規制による現実の差を形態的に明らかにすることで、現状の課題

ハイカラな町並み

と改善の方向性を明らかにしたいと考えています。

75


PROJECT

建築環境が利用者に与える影響に関する研究 ―介護施設の建替えに伴う、介護職員の行動とストレスの変化 修士課程1回生 岡澤悠花 建築と行動 高齢化が進む日本においては、特別養護老人ホーム ( 以下、特養 ) を対象とした研究が盛んに行われており、研究結果を踏ま えて個室ユニット型が 2002 年に制度化された。職員の効率性を重視した従来型のケア形態から、生活単位を小規模化し、入 居者にとって過ごしやすい生活の場として役割を重視した、ユニット型のケア形態へと変化した。しかし、ユニットケアの有 効性の検証は十分とは言えない。具体的には適正な「介護単位」に関する人員配置については研究が行われているが、介護環 境が職員のケアの質に及ぼす効果については検証が不十分といえる。そこで本研究では、2019 年 7 月に建替えが行われた山 梨県の特養を対象として、ユニット化による環境の変化が、職員の行動およびケアの質に与える影響を明らかにすることを目 的とし、実地調査を行った。 3大学合同調査 調査は近畿大学、東北工業大学の3大学合同で行われた。調査対象施設は、2019 年 7 月に従来型の施設からユニット型の 施設へと移行した特養であり、2019 年 6 月に移行前の調査、2019 年 11 月に移行後の調査を行った。調査方法は、行動観察 調査、ライフコーダを用いた身体的活動調査、ウェアラブルデバイスを用いたストレス調査の3手法を用いた。 なお、建替えに伴い、介助方法にも変化が見られた。建替え前は調理をせずに、届いた食事を一斉に配膳していたのに対し、 建替え後は各ユニット内にキッチンが設置されたことで、ユニット毎に簡単な調理を含む食事の準備や片付けが行われるよう になった。また、浴室は全フロア共有で一ヶ所あり、 複数の職員が複数の入居者に対して入浴介助を行っていたが、建替え後 は 2 ユニット毎に設置され、マンツーマン入浴が行われるようになった。以上を前提として分析を 行った。

行動観察調査から明らかになった変化 職員1人に対して調査員が1人つき、追跡調査を行った。調査項目は、時刻・滞 在場所・介助行為・会話・姿勢の5項目であり、1分ごとに記録して建て替え前後

図1 建替えに伴う滞在場所の変化の割合

を比較した結果、以下の変化が明らかになった。 [職員の滞在場所] 職員専用スペースの滞在割合が減少し、職員と入居者の両者が 利用するスペースの滞在割合が増加した。入居者と関わりやすい環境へと変化した と予想できる ( 図1)。 [職員の介助行為] 入浴介助の計測合計時間が減少した一方で、食事介助、食事介 助準備・片付けの計測合計時間は増加した。さらに、直接介助の割合が減少した一 方で、間接介助の割合が増加した。これは、キッチンの設置により、食事介助、食 事介助準備・片付けに割かれる時間が増加したことが理由として考えられる。食事 介助全般に関して、建替え前はフロア間で開始・終了時刻に大きな変動はなく、所 要時間も 60 分程度となっているが、建替え後ではユニット間の差が大きく、所要 時間にもばらつきがある ( 図2)。食事に割かれる時間の増加が見られるが、ユニッ ト内で職員の役割分担をしている場合も多く、ケア全体の質の低下につながったと は考えにくい。 [職員の会話] 会話の話し手と聞き手、会話内容、会話に伴う介助行為の 3 要素 を記録した。その結果、職員が会話のみ行う割合が減少し、間接介助をしながら、 または食事介助全般に伴う会話が増加した。さらに、会話内容も事務的な会話に比 べ、日常的な会話の割合が増加した。入居者と職員が同じ空間にいる機会が増加す るなど、介助をしながら気楽に会話ができる環境へと変化したと考えられる。

76

図2 食事介助関係の所要時間 ( 上図:建替え前、下図:建替え後 )


Approaching architecture and community from the perspective of human behavior and psychology

MIURA Laboratory

図3 建替えに伴う運動強度の変化

図4 建替えに伴う歩数の変化

図5 介助行為ごとのストレス値の例

職員の動きの変化 ライフコーダを装着することで、歩数や運動量を記録し、勤務時の身体的活動を明らかにした結果、建て替えに伴う以下の 変化が明らかになった。 [運動強度] 安静時を基準とした際の活動の強さである運動強度を測定し比較した結果、中央値に変化は見られなかったが、 強度0が増加し、運動強度の平均値は減少した ( 図3)。身体活動の小さい仕事の割合が増加したと言える。 [歩数] 1分間の歩数についてマン・ホイットニーの検定を行ったところ、平均に有意差が認められた ( P< 0.01)。歩数の増 減の割合を加味すると、歩数の平均が有意に減少したことが推測できる ( 図4)。 調査の過程で、「歩数が減って楽になった気がする」という職員の声を聞くことが多かったが、これらの結果より、ユニット化 に伴い移動に伴う身体的負担が減少したことが実際に明らかとなった。 ウェアラブルデバイスを用いたストレス調査 この調査は、株式会社 arblet と共同で行った研究の一環であり、移行前調査に間に合わなかったため、移行後のみ実施した。 介護職員のストレスについては、アンケートなどに基づく主観的な調査はあるが、生理的な視点から明らかにした研究はまだ ほとんど実施されていない点で、本研究には新規性が高いと考えられる。 リストバンド型ウェアラブルデバイスを手首に装着し、生体情報 ( 心拍、皮膚温度、血圧など ) を計測した。このデバイスの 特徴は、5 秒に 1 度などまびいて計測する他のデバイスに比べて、生データを取得できる ( 計測頻度:50H z ) こと、長時間 連続した記録が可能である (24 時間程度 ) こと、の2つが挙げられる。 元データ ( 脈拍・加速度 ) から、ノイズ除去を行い、心拍変動 (HRV:Heart Rate Variability) 解析を行い、その結果得られた 以下の①~③の値から、平均値 Rhrv 値 (Rescaling of heart rate variability) を算出した。Rhrv 値が大きくなるにつれ、ストレ スが上昇することを示している。

※それぞれの計測項目について、各個人の平均値に対する大小を明らかにする。その際、上記の組み合わせに関しては、ストレスの高低を言うことができる。 上記の大小の組み合わせに当てはまらない6パターンでは、ストレスの高低の判断はしない ( どちらとも言えない )。

さらに、ストレス値を高い、低い、どちらとも言えないの3パターンに分類し、それぞれの合計計測時間も算出した。これ らの結果から、Rhrv 値および項目ごとの合計計測時間と、職員の介護動作および滞在場所との関連をそれぞれ組み合わせるこ とで、ストレスが高い / 低い傾向にある介護動作や滞在場所を分析した結果,以下の点が明らかになった. ・ルーティーンワークなど慣れがある作業はストレス減少傾向にある ( 間接介助、直接介助の多くのもの )。 ・状況にあわせて対応する ( 頭を使う ) 作業、責任を伴うもの、相手 ( 話し手、読み手 ) がいる行為では、ストレス増加傾向に ある 。 ・滞在場所に固有の行為も多く、滞在名所と行為分類のストレスの増減の傾向は似ている。 今後の課題 以上から、ユニット型への環境移行に伴い、職員間や職員と入居者間の関わりが自然と増加したことがわかった。また、身 体活動の減少から職員の負担の軽減も明らかになった。全体としてはケアの質は低下しておらず、ユニット毎のペースにあった、 効率的なケアが行われていると言える。 今回は建替え前後に調査を行ったが、時間を置いて再調査することで、環境が人々に与える影響を長期的な観点から明らか にできると考えられる。また、ストレス調査は、生理的な視点から建築を評価する点で新規性が高く、介護施設に限らず、ど のような施設を対象とする際にも重要な指標となることが考えられる。

77


PROJECT

「巣」の環境の築き方の時代から、その在り方の時代へ From the age of how to build a "nest" environment to the age of how it should be

序文:建築環境工学のこれまでと、これからの展望 ~熱・湿気環境分野の研究をもとに~ 助教 髙取伸光 はじめに 夏は涼しく、冬は暖かく過ごしたい。あるいは、梅雨頃のじめっとした湿気をどうにかしたい、冬季に暖房をつけると喉が 乾燥するのをどうにかしたい。そのように健康で快適に暮らしたいと思ったことは誰しも一度はあるだろう。こういった健康性・ 快適性に対するニーズはある程度叶えられつつあるものの、全てのニーズを同時に叶えるというのは中々難しい。 例えば、28℃が快適と感じる人と 22℃が快適と感じる人がいるように快適性に対する感度が異なる人が一つの居住空間の中 で暮らした場合、両方のニーズを同時に満足させるのが難しいのは想像に難くない。あるいは、冬場に暖房をつけた結果、窓 面で結露が生じカビが繁殖してしまうことがあるように、ヒトにとって快適な環境が建物にとっては不適切なこともある。逆に、 スーパーのように食材 ( モノ ) の衛生状態が優先される施設では、過剰な冷房を使用せざるを得ないためヒトの快適性あるいは 健康を損ないかねない場合もある。このように、ヒト・モノ・建物といった対象ごとに適切な環境が異なることは往々にしてあり、 建築がその全てのニーズを満遍なく満たすというのは極めて難しい。 また、これらのニーズは対象ごとに一定とは限らず、時間と共に変化することもある。例えば、ひと昔前に比べ地球環境の 保全に対する社会的要請は年々増加しており、建築においても近年省エネルギー基準が制定され ZEB あるいは ZEH への意識が 高まっているのは周知の事実であろう。そういった時々刻々と変化するニーズや社会の要請を設計時に予測することは困難で あり、その時々に応じて設備機器の更新や改修工事などによって対応するしかない。一方で、ル・コルビジェの建築群のよう に建築自体に文化的価値が後々付与されそのオーセンティシティの維持が求められるような場合や、コストの問題から建築の 改修や設備の更新に対して大きな制約が課される場合には、建築や設備側の対応だけでなく人自身による環境調整行動 ( 例え ば窓やカーテンの開閉による換気や日射の取入れなど ) が必要とされることもあるだろう。 そのように考えると、多様なニーズと隣り合わせにある建築物の室内環境というものの目標値をどのように定めるのか、あ るいは建築を運用していく中で時間と共に絶えず変化するニーズや社会的要請をどのように満たしていくのか、これは中々に 難しい問いではないだろうか。 プロジェクトページの趣旨説明 筆者の所属する生活環境制御学分野、小椋・伊庭研究室は建物や文化財に関わる熱や湿気の問題を中心に健康で快適な建築 の実現方法や、文化遺産を保存・公開する方法を研究している、建築環境工学分野に属する研究室である 1)。ここでは、建築 環境工学という研究分野の現状を私なりに俯瞰し、まとめた上で、後述する我々の研究室が取り組む個別のプロジェクト紹介 の趣旨説明としたい。 ご存じの読者もいるかと思うが、建築環境工学は 1964 年に建築計画原論から派生した学問分野である 2)。建築計画原論は、 科学的な根拠に立って設計・計画を為すこと 3) を目標としていたように、設計行為を中心としたトップダウン型の学問であった。 一方で、近代化に伴い熱や空気、音、光などの物理現象に対する学術的専門性を向上させる必要性や建築設備の発展に伴い、 科学的根拠を元に建築における工学的な解を探求するボトムアップ型の学問として建築環境工学は成立してきた 2)。建築環境 工学の開拓者の一人である前田敏男は建築計画原論の目的の一つを「建物を設計するときに建ち上がつた後の状態を予測する こと」4) であると述べるように、自然科学に基づいた環境の予測技術に関する研究が精力的に行われてきた。なお、私の専門 である熱や湿気分野では、近年 ( 無論、課題は多く残るものの ) かなりの精度で建築壁体および建築内の温度および湿度状態を 予測できるソフトウェア例えば 5),6) も開発されつつあり、環境の築き方についてはそれなりに知見が溜まりつつあるといえよう。

78


From the age of how to build a "nest" environment to the age of how it should be OGURA・IBA Laboratory

写真 エネマネハウス 2017 京都大学小椋研究室・柳沢研究室合同プロジェクト「まちや+こあ」 ( 撮影:トヨダヤスシ )

一方で、冒頭で示したような環境の在り方、言い換えれば建築計画原論のもう一つの目的であった科学的な根拠に立って “ 設 計 ” を為すという点については、未だ多くの課題が残っているのではないだろうか。例えば、ヒト・モノ・建物といった対象 ごとに異なる多様なニーズをどのように取捨選択し、環境の目標値を決定するのか。建物の運用に伴うニーズの変化や、運用 段階における用途変更をどのように考慮するのか。人の環境制御行動を建築物の室内環境にどう活用していくのだろうか。こ ういった定量的な科学的根拠に立って環境の在り方を決め、環境を設計する、そういった知見については十分であるとはいえ ないのではないだろうか。 一方で、産学連携で ZEH のモデル住宅を実際に建てるプロジェクトである “ エネマネハウス ” 7) ( 写真 ) や、2015 年に日本 建築学会近畿支部が主催となり開催された<環境が形態を決める>という題目のシンポジウム 8) が行われるなど、デザインに おける環境の役割が増加傾向にあることは間違いないだろう。すなわち、建築環境工学で培われてきた知見を活かし、設備設 計だけでなくデザインの設計行為に携わり、ヒト・モノ・建物の多様なニーズをトータルで考えた建築環境の在り方を考える ことがこれからの建築環境工学という分野の役割の一つではないだろうか。 本研究室のプロジェクト紹介ページではこのような趣旨のもと、建築環境工学の知見をもとに実際の設計行為に寄与してき た研究事例を紹介すると共に、環境の予測技術に関して未だ不十分と考えられる点や、設計行為への関わり方あるいは建築環 境の在り方に対する想いを、執筆者である教員および研究室の学生それぞれのこれまでの経験をもとに自由に述べてもらうこ とにした。

【参考文献】 1) 京都大学大学院 工学研究科建築学専攻 生活空間環境制御学 HP:https://www.ar.t.kyoto-u.ac.jp/ja/information/ laboratory/control 2) 尾島俊雄:1964 年に「建築計画原論」から「環境工学委員会へ」,建築雑誌,pp.38-39,No.1646,2013 3) 荒谷登:現状と未来の在り方 -計画原論再考-,建築雑誌,p.131,No.1248,1986 4) 前田敏男:建築計画原論の発展のために,建築雑誌,pp.39-42,No.857,1958 5) 株式会社アドバンスドナレッジ研究所:”FlowDesigner”,[Online]. Available: http://www.akl.co.jp/. [Accessed 02 09 2020] 6) Fraunhofer IBP, "WUFI," [Online]. Available: https://wufi.de/en/. [Accessed 24 12 2019]. 7) エネマネハウス 2017 学生が考える実現可能な一次エネルギー消費量 0 の家,[Online]. Available: https://www. enemanehouse.jp/. [Accessed 02 09 2020] 8) 公益社団法人 大阪府建築士会:日本建築学会近畿支部主催シンポジウム<環境が形態を決める>―建築・エンジニア リングデザインの最前線― 4/20,[Online]. Available: http://www.aba-osakafu.or.jp/info/1504/other01.html. [Accessed 02 09 2020]

79


PROJECT

「快適な/健康な住まいの環境とは」 准教授 伊庭千恵美

はじめに-いのちを守る住まい

今年の夏も平年以上の猛暑となった。2020 年 8 月京都市で日最高気温が 35℃を超えた日は 22 日である。住宅内で熱中症 になり、救急搬送されるケースも多い。 住まいをつくる・選ぶ時に何を重視するかは人によって異なると思うが、「安全・安心に暮らせること」の優先度は高いので はないだろうか。その意味で、耐震性や構造安全性を気にする人は多いが、適切な温熱環境を維持できることもまた、命を守 る住宅の基本性能の一つである。 エアコンなどの設備を入れたら良いという問題ではない。まずは住宅自体の底力とも言うべき熱性能を高めることが大切で、 それは夏季や冬季の災害時に停電が起きてもある程度の室温を保つことにも繋がる。その上で、設備を上手に活用していくこ とが大切である。 これを前提として、快適な/健康な住まいとは、ということについて少し考えたい。 快適さは人それぞれ、でも健康は? 多くの人が利用するオフィスや店舗と異なり、住宅は非常にプライベートなものなので、基本的には居住者が満足する環境 であれば良い。ただし、地球環境を考えるとできるだけエネルギーを使わない方が良いし、居住者自身の健康を損ねるもので ない方が良い。 人間が環境に対し温かさや冷たさをどう感じるか ( 温冷感 ) とそれを快適・不快と感じるかどうか ( 快適感 ) は、暮らしてき た地域や育った環境の影響が非常に大きい。例えば、インドネシアなどの蒸暑地域では、近年エアコンが普及し非常に低温で の冷房が好まれる 1)。また、筆者は京町家の温熱環境調査を約5年にわたって行ってきたが、北海道出身の筆者にとっては寒 いと思われる冬季の室温であっても、町家の居住者は「こういうものだと思っている」とのお話であった。 住まい手自身の住経験により快適な環境や許容できる環境は様々であり、さらに季節により変化し得るものでもあることを 考えると、どのような環境で生活することが良いという基準を示すことは難しい。住宅の仕様・性能・設備、そして住まい方 によってどのような環境になるか、ということを予測し提示することが、環境工学の技術者としての役割であると考える。 一方で、居住環境が居住者の健康を害する可能性については明らかに示さねばならない。最近では、人体の皮膚と環境の熱 伝達や汗の蒸発、皮膚と深部の熱伝導、血流による熱移動、代謝による熱生産をモデル化し、環境・衣服・運動の条件を入力 すれば人体の温度や血圧を予測することができるようになってきている。住宅内で特に問題となる冬季の入浴時のヒートショッ クについての研究が進んでいる 2) が、夏季の熱中症についても早急な検討が必要であろう。

写真1

写真2

室温が 32℃ ( 外気温が 36℃ ) の時、日射が当たる無断熱の屋根の内側表

周囲の環境要素と衣服・行動に応じて人間の皮膚温や深部温がどう変化する

面温度は 40℃を超えている。自分でも気づかないうちに体温が上昇する

かを計算する人体熱モデルの例。これに、血圧や血流量を予測する血液循環

ことがある。

予測モデルの研究が進められている。

80


From the age of how to build a "nest" environment to the age of how it should be OGURA・IBA Laboratory

環境を構成する要素 室内での人間の温冷感に影響を与える環境要素としては、空間の温湿度、室内の壁や床、天井の表面温度、室内の気流の速 度がある ( 人間側の要素として着衣量と代謝量がある )。 設計においては、住宅本体の断熱と蓄熱、日射の遮蔽・取得、吸放湿と防湿・透湿、通風と気密、換気のバランスを取り、 環境要素をどう制御するかを考えることが大切である。特に防湿性と気密性は混同されやすく、 「高断熱高気密住宅は息苦しい」 というような誤解を招くことがある。熱と湿気と空気がどのように関係し合い、それぞれどのような制御が可能であるかとい うことを、居住者にも設計者にも丁寧に説明する必要があると日々感じている。 快適さには、温湿度や気流だけではなく明るさや音、素材感も関係する。大きな窓は光や景色を取り込むが、熱の取得・損 失を増加させ、室の防音性も低下させる。吹き抜けは解放感のある気持ちのよい空間をつくることができるが、冷暖房を効率 よく行うことは難しく、冬季暖房時に不快な冷気が降りてくることがある。現在 (2020 年 ) のように室内の空気質や換気が注 目される場合には、熱負荷の増加には目をつぶっても換気量を増やしたいという要望もあるだろう。環境を構成する要素には このようにその影響がトレードオフの関係にあるものも多い、ということを知っておくことが大事である。 環境の調整・制御は誰が行うのか 様々な選択肢がある中で何を重視するかは居住者の好みによる。 住宅の熱性能を高めた上で、機械設備で制御された空間を好む人もいるだろうし、太陽や風を取り込むパッシブな住宅を好 む人もいるかもしれない。このような住宅では、居住者が自分で環境を調整できる仕掛けを作っておくことが大事で、季節に 応じた日射の取り入れ・蓄熱と遮蔽、夏季の夜間通風により蓄冷、断熱雨戸の開閉で熱損失を減らす、といった住まい方の工 夫で、エネルギーをあまり使わずに温熱環境をより良いものにすることができる。このようなパッシブな住宅で快適に暮らす には、住まい手がよく考えてアクティブに動く必要がある、ということも大事な視点である 3)。 いずれにしても、居住者が満足できる環境を設計者がつくりあげる、環境工学者はそのための技術的な支援をする。あるい は一緒になってつくり上げることができるようになれば良いと思う。

【参考文献】 1)Ekasiwi, S.N.N., N.M. Abdul Majid, S. Hokoi, D. Oka, N. Takagi, and T. Uno. 2013. Field survey of air conditioner temperature settings in hot, humid climates: Questionnaire results on use of air conditioners in houses during sleep. Journal of Asian Architecture and Building Engineering 12(1):141–8 2)Liu Han, Daisuke Ogura, Shuichi Hokoi, and Chiemi Iba. Development of blood circulation prediction model for the design of healthy bathing thermal environment, Part 1: Experiment of human physiological response considering blood flow and dehydration during bathing, 日本建築学会大会 学術講演梗概集 環境工学 , pp.181-182, 2020.9 3) 伊庭千恵美 : 住まいの温熱環境と省エネルギー「スマートでアクティブ な」環境調整で健康な住宅を , 建協会報 , 京都府建築工業協同組合 , No.96, 写真3

2014

京町家の深い庇は夏季の日射を遮り、冬季は このように室内に日射を取り込むすぐれた仕 掛けである。断熱雨戸やハニカムスクリーン を併用して断熱性を高めることで、このよう な大きな開口と省エネも両立できる。

81


PROJECT

「応急仮設住宅の温熱環境」 修士課程1回生 難波良樹

仮設住宅の温熱環境に関する現状と課題について

災害大国である日本では近年、地震や豪雨など、特定の地域に甚大な被害をもたらす自然災害が毎年のように起こっている。 災害によって住む場所を失った人々に対し、応急仮設住宅 ( 以下、仮設住宅 ) が建設され、供与される。仮設住宅の建設時には 低コストで短工期かつ大量供給といった要素が優先されるため、恒久住宅と同等の環境性能を与えることは難しい。これまで 仮設住宅の環境に関して多くの研究がなされてきており、その成果もあってか、環境性能は近年かなり向上してきたといえる。 しかし、夏の暑さ、冬の寒さや結露やカビの発生など、入居者が温熱環境について抱える問題はなくならないのが現状である。 そこで仮設住宅の仕様を決める都道府県等の自治体や建設を行う業者に対し、単に「もっと断熱材を増やしてくれ」などと 求めれば良いという話でもない。上述の通り災害時にはできるだけ早くたくさんの人々を助けるために、短期間で多くの仮設 住宅を建設することが求められる。断熱材など仕様の変更があった場合、コストの増大や工期の遅れに繋がり、被災者への供 与が遅れる恐れがある。また利用終了後の再利用システムにも支障が生じてくるという。 研究での取り組みについて こうした制約の中で、筆者らが取り組んでいる研究では仮設住宅の温熱環境改善のためにできるアプローチの一つとして、 「入 居後において、入居者自身の住まい方の工夫や、入居者あるいはボランティア等、専門ではない人でも実践できる改善策」を 提案することを重視している。具体的には、2018 年西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市に建設された仮設住宅について、実際 の仮設住宅の環境や住み心地がどのようなものかを把握するために、入居者への聞き取りや温湿度実測といった現地調査、住 宅モデルに気流解析手法を適用した室内の温湿度分布の評価を行っている。また倉敷市ではプレハブ ( 軽量鉄骨造 )・木造・トレー ラーハウスといった異なる構造の仮設住宅が建設されているため、それぞれに対し温熱環境の課題を明らかにした上で、改善 策を示したいと考えている。 被災者の生活環境を改善するために 仮設住宅はあくまで仮設であり、恒久住宅ではないため、ある程度環境性能が低くても仕方がないと考える人もいるかもし れない。しかし仮設住宅は、被災者の生活手段の確保だけでなく、被災者が災害から立ち直り、人生の新たな一歩を踏み出す「復 興」の前段階を担う場という大きな役割があると考える。したがって、その新たな一歩を踏み出す準備の場として、その環境 をより快適なものにすることは極めて重要だろう。上述のとおり、供給側に対し仮設住宅の高性能化を単に求めるだけでは現 実的でないが、より住み心地のよい住宅を提供することの必要性を訴え続けていくことが大切であると考える。仮設住宅供給 を所管する内閣府では柔軟に運用できる制度の設計であったり、設置者である都道府県等の自治体では用地の確保や迅速な対 応体制の強化であったりと、それぞれの役割がある。筆者らは建築環境工学の立場から、入居後における効率的な温熱環境改 善手法を検討し、被災者に示すことに加え、実際に建設・供給を行う事業者には、居住後にも環境改善を図ることが出来る余 地を残しておくことを提案し、被災者の生活改善に貢献したいと考えている。

写真1 軽量鉄骨造の仮設住宅

写真2 木造の仮設住宅 ( 岡山県倉敷市 )

( 岡山県倉敷市 )

写真3 トレーラーハウス型仮設住宅 ( 岡山県倉敷市 )

【参考文献】 1) 難波良樹 , 伊庭千恵美 , 小椋大輔:「倉敷市のトレーラーハウス型応急仮設住宅における温熱環境の改善点の検討」, 日本建築学会近畿支部研究発表会,vol.60,pp.273-276,2020 2) 大水敏弘:「実証・仮設住宅 東日本大震災の現場から」, 学芸出版社 , 2013

82


From the age of how to build a "nest" environment to the age of how it should be OGURA・IBA Laboratory

「建築における湿害の予防・対策について : 旧甲子園ホテルでの事例を中心に」 博士後期課程 3 回生 福井一真, 修士課程 2 回生 山田皓貴

はじめに

序文にある通りヒト・モノ・建物それぞれに与える影響を考慮し、快適または適切な環境を設定することは難しい問題である。 このうち、特に建物にとって環境が適切でない場合には、空気中の水蒸気や雨水、生活水といった水分が原因となり、建築物 の機能や性能が損なわれたり、居住環境の悪化が引き起こされたりする湿害が大きな問題となりうる。 近年では、長年蓄積されてきた知見をもとに「日本建築学会環境基準 AIJES-H0003-2013 建物における湿害の診断と対策に 関する基準・同解説」が日本建築学会より発行され、これを参考に国際規格 ISO が発行されようという動きがあり、湿害は国 際的にも関心が高まっている問題といえる。同基準の序では、湿害の事例が後を絶たない原因として、「条件や現象の多様さ」、 「建物の構造や機能、居住者の生活スタイルは千差万別であり、そこに気候条件のばらつきが絡んでいる」ことが挙げられてい る。本研究室でも、例えば、環境条件や水分の浸透経路を考慮した粘土瓦の凍結融解による劣化に関する研究 1)、近年増加し ているガラスのカーテンウォールのスパンドレル部における結露現象に関する研究 2)、蒸暑地域におけるカビの生育リスクに ついての研究 3) のように、多様な条件において起こりうる現象を把握し、解決策を確立しようとする研究が多く行われている。 ここでは特に、文化財的価値をもちながら現在も学舎として使用されている旧甲子園ホテルでの事例について述べる。 旧甲子園ホテルにおける湿害の事例

4), 5)

兵庫県西宮市にある旧甲子園ホテルは遠藤新の設計により 1930 年に竣工し、現在は武庫川女子大学の学舎として使用され ている。この建築物では現在、修復のために用いられたものも含め 2 種類の石材が外装材として用いられており、その物性や、 雨水の供給や夜間放射といった環境条件の違いに応じて変色、塩の析出、藻類の繁殖、乾湿や凍結の繰り返しによるひび割れ や剥離といった実に様々な湿害が観察されている ( 写真1、2)。さらに、その対策として防水処理やモルタルを用いた補修が 行われているが、そのような箇所でも劣化が生じており、状況はかなり複雑である。 現状としては、使用されている石材について、採石場の閉鎖により同じ種類の石材で交換することが難しくなってきている こと、さらに、石材自体に文化財的価値があることを踏まえ、観察されている劣化のうち最も深刻な被害である石材の剥離や 欠損に焦点を絞り、現地調査や、気象条件や物性値の測定といった地道な検討により劣化のメカニズムの検討を行っている。 今後、これらの検討をもとに劣化を抑制するための対策を講じる予定である。

写真1

写真2

旧甲子園ホテルでの湿害の例として、屋外では降雨を受ける部分の石材が

天空に開いた屋上テラスでも石材が剥離を起こしている。排水の悪さや夜

藻類の繁殖により黒く変色している。この石材は比較的水分を通しやすく、 間放射により温度が下がりやすいことから、降雨により供給された水分が 方位によっては乾湿の繰り返しが原因と考えられる剥離も観察された。

凍結融解をおこすことが原因と考えられる。

83


PROJECT

このように、湿害の予防・対策を考える際には、個々の建築部材のおかれた環境、材料などの特有の条件に注意する必要が ある。例えば、気候変動や、改修による建築や室の用途の変更などがあれば、考慮すべき条件はより複雑になるかもしれない。 明治時代のレンガ造建築がイベントスペースとして再利用されている例では、空調の使用が内壁表面での塩の析出に影響を与 えている可能性が示されている 6)。また、特有の条件を適切に考慮すれば、起こりうる湿害や、既に起こっている湿害の原因 や解決策をある程度まで推察することができるような幅広い知見が既に蓄積されつつある。しかし、すべて全ての問題に有効 な方策を講じることは依然として難しい。使用者のニーズに応じて、材料の保存や美観、各種の機能性などのうち何を優先し、 どのような種類や程度の湿害に対して予防策や対応策を講じるべきかという判断も、設計者や技術者にとっての課題といえる。 【参考文献】 1) 植田あゆ美 , 伊庭千恵美 , 鉾井修一 , 小椋大輔 . 温暖地における屋根瓦の凍結劣化に関する研究 : その 5 実環境条件が 塀瓦の含氷率分布に与える影響 . 日本建築学会 2016 年度大会(九州)学術講演梗概集 , 環境工学 I, pp. 1375-76. 2) 権藤尚 , 三原邦彰 , 鉾井修一 . ガラス面結露対策のシミュレーション検討 : ガラスカーテンウォールスパンドレル部の 結露防止に関する研究 その2. 日本建築学会環境系論文集 , vol. 81, pp. 697-706, 2016. 3) 孫雪莱 , 小椋大輔 , 松田まりこ , 三浦尚志 . 蒸暑地域における住宅の高湿問題に関する研究 : RC 住宅の温湿度環境の 調査と住宅モデルの熱解析 . 日本建築学会 2019 年度大会(北陸)学術講演梗概集 , 環境工学 II, pp. 7-8. 4) 山田皓貴,伊庭千恵美,宇野朋子,福井一真,小椋大輔 . 甲子園会館に用いられる凝灰岩外装材の保存に関する研 究―現地環境条件調査と物性値測定による劣化メカニズムの検討―,日本文化財科学会第 37 回大会,pp212-213, 2020. 5) Koki Yamada, Chiemi Iba, Tomoko Uno, Kazuma Fukui, and Daisuke Ogura. Investigation on deterioration mechanism of tuff stones used as exteriors at the former Koshien Hotel. In proceedings of the 12th Nordic Symposium on Building Physics, 2020. https://doi.org/10.1051/e3sconf/202017220008 6) 西村奏香,小椋大輔,水谷悦子 . 歴史的煉瓦造建築物の塩類風化に関する研究―内壁の塩析出メカニズムについての 検討―,日本建築学会近畿支部研究報告集,vol.58,pp.157-160,2018.

「屋内環境における文化財資料の劣化と収蔵・展示施設の計画・運用について」

修士課程 2 回生 石川和輝

屋内環境における文化財資料の劣化と温湿度制御の目標について 博物館をはじめとした文化財資料の収蔵・展示を行う施設の内部でも、資料のまわりの温湿度・空気質・光環境などの条件 によっては、さまざまな劣化現象が生じうる。特に、適切でない環境温湿度が引き起こすものとして、温湿度の急変動による 材料の変形、金属腐食や紙の加水分解といった化学反応の促進、カビや虫の繁殖による生物被害などが知られている。 資料の安全な保存を目的とした温湿度制御の目標値は、ICOM、IIC や ASHRAE[ 註 ] といった機関により、これまで示されて きた 1),2)。しかし、これらの環境基準は、環境側の条件 ( 例:許容される温湿度の幅や変動速度 ) や適用できる資料側の条件 ( 例: 素材や形状 ) について明確でない部分を残しており、劣化と環境条件の関係性についてより詳しく検討した内容に更新してい く余地を残しているだろう。 実際の文化財収蔵・展示施設と環境制御の方法について 実際の文化財収蔵・展示施設には、窓の日射遮蔽や熱的緩衝のための二重壁構造、エアタイトケースの利用など、外気や滞 在者に由来する影響を緩和し、環境制御をしやすくするための工夫がみられるものもある。しかし、その一方で、収蔵・展示 環境の温湿度制御を行う設備が設置されていない施設が多数存在することや、環境制御に関する専門家が不足していることが 全国的な調査や現場の報告の中で挙げられてきた 3),4)。本研究室においても、京都市内の博物館を対象とし、収蔵室を中心とし た保存環境の調査を 2018 年から継続しておこなっている。そこでは、計画当初に想定していない室用途の変更や空調設備の 更新、換気経路に関する設計上の問題、負荷に対して過大な空調容量や室内温湿度のセンシング、モニタリング設備の不備、 また、換気量制御や空調制御において現場の環境管理に関する人員の不足を十分に考慮しない建築・設備仕様が確認された。 さらに、それらが収蔵室の過度な高湿度や温湿度の急変動といった、資料にとって不利な環境の形成に繋がる事例がみられた 5)。

84


From the age of how to build a "nest" environment to the age of how it should be OGURA・IBA Laboratory

文化財収蔵・展示施設の設計・運用に求められる条件については、資料の安全な保存と省エネルギー、マネジメントの観点 から、これらを両立させられるような環境制御の方法が検討されてきた。例えば、本研究室では先に述べた博物館の収蔵室の 一つを対象とし、空調の新規導入による環境制御に加え、建築的仕様の変更により空調負荷を低減する方法の提案を目的とし て検討を行ってきた 5),6)。ここで、空調負荷を減らすことは、省エネルギー需要に対するものにとどまらない。例えば除湿にお いては、除去した水をタンクから手動で排水する場合があるため、除湿負荷の低減は、運用者にかかる負担を減らすことに繋 がる。他の関連した研究においても、空調の運転に加えて建築的な改修や外気温湿度によって換気量の制御をして負荷を減ら す方法、換気方法の工夫や調湿性材料の利用により空調を用いずに温湿度制御を行う方法などが検討されてきた 7),8),9)。しかし、 現状で、収蔵施設全般について、要求される環境条件に対しどのような制御の在り方が望まれるか、具体的な目安を示すには至っ ていないと考えられる。さらに、展示環境については、来訪者の滞在による熱水分負荷とその経時変化、資料の保存に適切な 環境条件が滞在者の快適性と合致するとは限らないなど、考慮すべき課題が増え、より応用的な問題となりうる。 文化財収蔵・展示施設の計画について 文化財資料の収蔵・展示施設の建築・設備の計画に関しては、資料をとりまく環境が劣化に与える影響を十分に検討して制 御の目標を設定していくこと、また、文化財の管理を行う現場の事情に配慮し、設計意図と運用のミスマッチが起きないよう な環境制御の方法を考案していくことが必要だろう。そのためにも、文化財収蔵・展示施設に対する建築環境工学的な知見の益々 の蓄積と、それらを総合して設計活動に還元していくことが望まれる。

[註釈] ICOM: International Council of Museums ( 国際博物館会議 ) IIC: International Institute for Conservation ( 国際文化財保存 学会 ) ASHRAE: American Society of Heating, Refrigerating and AirConditioning Engineers ( アメリカ暖房冷凍空調学会 )

写真1 収蔵庫の例1

写真2 収蔵庫の例2

【参考文献】 1) 三浦定俊ら,2016,『文化財保存環境学 第 2 版』, 朝倉書店 2)ASHRAE,2019,『2019 ASHRAE Handbook—HVAC Applications』Chapter24 3) 佐野千絵,2007,[ 報告 ] 文化財公開施設の空気調和設備等の設置状況―保存環境調査から―,保存科学,46,301310. 4) 神庭信幸,2011,東京国立博物館の保存環境の管理.文化財の虫菌害 61 号 (2011.6),3-9 5)Kazuki Ishikawa, Chiemi Iba, Daisuke Ogura, Shuichi Hokoi, Misao Yokoyama, ”Commissioning of air-conditioning and ventilation systems in a public museum storing historical cultural properties”, REHABEND 2020, Abstract No.408, September, 2020. 6) 石川和輝,伊庭千恵美,小椋大輔,鉾井修一:空気の移動を考慮した熱水分移動解析による博物館収蔵室の温湿度・ 気流性状の分析,日本建築学会大会(関東),2020.9(COVID19 対策のため中止、梗概集に掲載) 7)Hans Janssen et al. ,2013, Hygrothermal optimization of museums storage spaces. Energy and Buildings, 56, 169178. 8) 和田拓也 , 小椋大輔,鉾井修一,伊庭千恵美:2019, 法隆寺金堂焼損部収蔵庫における壁画の保存・公開に関する 研究 数値解析による小屋裏の送風ファンによる環境調整方法の検討 , 日本建築学会大会学術講演梗概集 , D2, 75-76, 2019.7. 9) 石崎武志ら,2016,空調のない文化財展示・収蔵施設内の温湿度環境解析および環境改善の試み,日本建築学会大 学術講演梗概集 ( 九州 ),2016.8.

85


PROJECT

「遺跡・遺構・磨崖仏など屋外文化財の保存・公開方法~元町石仏の保存を事例に~」 教授 小椋大輔, 助教 髙取伸光

1.はじめに

当研究室では、文化遺産の保存と公開における劣化進行の抑制を目的とした物理環境の制御の目標値設定とその方法を明ら かにするための研究を行っている。ここでは、その中でも建造物、遺跡、遺構など屋外にある文化財 ( 以下、屋外文化財 ) を取 り上げた保存の問題を考えてみたい。文化財は、その物が有する価値 ( オーセンティシティ ) を損ねるような急激な劣化進行が 生じないように保存し、後生に引き継ぐこと、また、それを公開し、その価値を広く知ってもらうことの両方が重要であるが、 保存が担保された上で公開を行うことが原則といえる。これまで多くの屋外文化財は保存のために樹脂処理を行うなど文化財 自身の強度を上げることによって対策を講じることが多かったが、劣化進行の要因をできる限り取り除く有効な対策の一つと して環境制御による保存方法の重要性が増してきている 1)。 2.文化財と劣化現象とその要因 文化財の劣化現象と物理環境の関係は、劣化現象の要因となる現象から整理することができる。例えば、筆者らは敦煌莫高 窟第 285 窟壁画の劣化要因の検討を行い、表1に示すような劣化現象と要因の関係について整理を行ったものである。変色・ 褪色、亀裂・剥離・剥落、カビ等による汚損は、光、温度、湿気等の環境要因による影響が大きい 2),3)。損傷の要因の一つであ るとして、気流による砂粒子等の衝突も環境要因に含まれる 4)。虫等の生息場所の温・湿度等は重要な要素の一つと考えられ、 環境要因が間接的に関係している。 表 1 敦煌莫高窟第 285 窟の劣化現象と要因

2)-4)

劣化現象

要因となる現象

変色・褪色

光、温度、湿度等による化学変化

亀裂・剥離・剥落

光、熱膨張・収縮、湿潤膨張・乾燥収縮、凍結・融解、塩類析出

汚損

微生物(カビ等)の生長、動物(昆虫、鳥等)の排泄物や分泌物、落書き・模写痕跡

損傷

生物、人等による接触、気流による砂粒子等の衝突

3.屋外文化財の保存・公開における環境条件と制御について 屋外文化財は、地盤との接し方や晒される屋外環境の違いと、それを構成する材料の違い、またそれを保護する覆屋のよう な保存管理施設などの有無を含めた違い等があり、それぞれの屋外文化財が抱える劣化現象は、表 1 で示すように複数あり、 対象ごとに主となる現象は異なる。多くの文化財が常に劣化進行の懸念があるため、その現象の要因となる条件を明らかにす ることが保存・公開のためには必要である。 その中で筆者らが取り組んできている屋外文化財の一つである元町石仏という磨崖仏を例に紹介する 5)。 元町石仏は、1934 年に国指定史跡に指定された大分市を代表する磨崖仏の一つである(写真1、2)。磨崖仏は、岩壁に直 接彫られた石仏であり、空間側の環境だけでなく岩盤を通じた熱や降雨、地下水などの影響も受けるため劣化の生じやすい環 境にある。近年では、特に冬期に塩析出やそれに伴う劣化、いわゆる塩類風化が懸念されており、複数年に亘る現状把握と現 地での各種対策の予備検討結果を踏まえ、その対策として 2015 年 11 月に覆屋内温湿度環境を調整することで硫酸ナトリウム (以下 Na2SO4)による塩類風化を抑制することを目的とした覆屋改修が行われた。具体的には塩類風化を進行させる Na2SO4 が Thenardite の状態をとらない高湿環境条件が設定され、それを満たすように覆屋の断熱性向上、気密性向上、日射遮蔽性向上 を目的とした窓・扉の断熱・気密化、日射遮蔽板の設置、常時閉まるような扉の設置などの改修が行われた。図3に Na2SO4 の

写真1 元町石仏を保護する覆屋

86

写真2 元町石仏薬師如来像(膝部を中心に塩の析出がみられる)


From the age of how to build a "nest" environment to the age of how it should be OGURA・IBA Laboratory

図 石仏膝部の1時間ごとの温湿度計算値 Na2SO4 の相図の関係

温湿度と相状態の関係を表す相図に、石仏の劣化進行が懸念されている膝部の改修前後の温湿度の計算結果を重ねたものを示 す。図より、改修前では石仏膝部が冬期に Thenardite の相状態を取るが、改修後にはその相状態にならないことが分かる。結 果として、改修後には Na2SO4 の塩析出がほとんど生じず、劣化進行を大幅に抑制できていることが確認された。 ただし、高湿であるが故にカビの発生は抑制できておらず、観覧環境としての管理の課題と、析出の抑制された塩が石仏表 面に蓄積してくるため脱塩を定期的に行う必要があり、特に後者の方法の開発が求められている。当研究室では脱塩手法の物 理化学的な基礎理論から検討を進めている 6)。 以上のように、屋外文化財の保存・公開上の難しい所ところは、文化財の劣化対策といった保存の観点だけでなく、観覧者 の存在を考慮した公開の観点から環境条件を設定する必要があることである。全ての要求条件を満遍なく満たす解があれば良 いが、多くの場合満たすべき条件の優先順位をつける必要がある。 4.屋外文化財の保存・公開のための環境設計 「1.はじめに」で述べたように文化財の保存・公開のための環境設計において、まず保存の観点から環境条件を考える必要 がある。その際、現状把握を元にした文化財の劣化原因を同定し対策を講じることが求められる。そのための検討手法の一つ として当研究室では数値解析いわゆるシミュレーションを用いることが多い。上の例で挙げた元町石仏では、計測だけでは分 からない材料内部の温湿度等を把握しつつ劣化現象の形成メカニズムを明らかにすることや、保存対策の効果を定量的に予測 することができた。 上記のとおり、劣化要因が特定でき環境条件が設定できたとしても、覆屋などの建築的対応や、空調などの設備的対応によ り環境を実現させる方法はオーセンティシティを前提とした条件の下で考える必要がある。また、環境制御の運用方法、複合 的な劣化現象が生じた場合の環境条件の設定方法、今後の気候変動を考慮した文化財の劣化対策など課題も多い。 これらを考慮した環境設計手法を確立するために、常に個々の文化財の現状に向き合いながら、保存・公開のための環境設 計におけるより最適な解を導き出せるような汎用的な技術を開発していければと考えている。 参考文献 1) 建石 徹:模擬古墳 -遺跡・遺物の保存と活用を考えるための実験的取り組み- ①史跡の現地保存と遺跡の露出 展示-取り組みの理念と歩み-、考古学研究、第 67 巻第 1 号 . pp.12-16, 2020. 2)D. Ogura, S. Hokoi, T. Hase, K. Okada, M. Abuku, T. Uno: Degradation of Mural Paintings of Mogao Cave 285 in Dunhuang, Proceedings of the 2nd Central European Symposium on Building Physics(CESBP 2013), Vienna, Austria, September 9 -11, pp. 499-506, 2013. 3) 中田雄基 , 鉾井修一 , 小椋大輔 , 岡田健 , 蘇伯民 , 宇野朋子 , 高林弘実 , 渡辺真樹子:敦煌莫高窟第 285 窟壁画の劣化 要因の検討 , 日本建築学会大会学術講演梗概集 . D-2, pp. 301-302, 2014 4)Akane Mikayama, Shuichi Hokoi, Daisuke Ogura, Ken Okada, Bomin Su: The effects of windblown sand on the deterioration of mural paintings in cave 285, in Mogao caves, Dunhuang, Journal of Building Physics, pp.1-10, May 30, 2018 5) 高取伸光、小椋大輔、脇谷草一郎、安福勝、桐山京子:覆屋の改修が石仏の塩類風化に与える影響の熱水分移動解析 による評価 ―元町石仏の保存に関する研究 その 2―,日本建築学会環境系論文集,第 85 巻,第 768 号,pp.137147, 2020.2 6) 高取伸光,小椋大輔,脇谷草一郎,安福勝,桐山京子,“ 電荷を有する多孔質材料中の熱水分塩同時移動と浸透現象 ”, 日本建築学会近畿支部研究報告集・環境系,第 60 号 , pp.313-316, 2020.

87


エッセイ

布野 修司 Shuji FUNO 蜘 蛛 の 巣 ヒューマン・ウ ェブの未来:COVID-19 とステイ・ホーム The Future of Human Web: COVID-19 & Stay Home 古阪 秀三

Shuzo FURUSAKA

建設業の歴史と巣

竹山 聖

壁について O n Walls

牧 紀男

住宅再建と復興事業-東日本大震災の生活復興感-

柳沢 究

住経験論ノート(3) ― 異文化の住経験に触れること:デルフト工科大学における試行

The History of the Construction Industry and Nest

Kiyoshi Sey TAKEYAMA

Norio MAKI

ousing Reconstruction and Reconstruction Projects H -The Great East Japan Earthquake's Perception of Life Recovery-

Kiwamu YANAGISAWA Note for Study on Dwelling Experience 3:

Yosuke KOMIYAMA

100

106

112

icro architecture m

井関 武彦 Takehiko ISEKI

96

Cross-Cultural Exchange of Dwelling Experiences, a Trial at TU Delft

小見山 陽介

90

記憶を呼び覚ます空間 A space of awakening

120

126


essay

学生エッセイ

石井 一貴 Kazutaka ISHII

オオニワシドリのあずまやに見る「仮面」性

132

アルとバーチャルを繋ぐ「MASK」 リ The mask connecting real and virtual

136

4年弱の備忘録 A memorandum of these four years

140

"Maskedness in the bower of the Great bowerbird

菱田 吾朗 Goro HISHIDA

岩見 歩昂

Hotaka IWAMI

北垣 直輝 Naoki KITAGAKI

モノの風景を読む

Reading the Context behind Objects

144


ESSAY

蜘 蛛 の 巣

ヒューマン・ウェブの未来:COVID-19 とステイ・ホーム

The Future of Human Web: COVID-19 & Stay Home

布野 修司

<巣>といえば、鳥・獣・虫の棲家である。一般に、動物が自らつくって産卵、抱卵、 育児または休息、就眠に使用する構造物や穴をいう。人の住まいも<巣>である が、二人の「愛の巣」とか、盗賊の「巣窟」のように、ある特定の集団の秘密めい た場所というニュアンスを伴う。日本語の<住む>は、<栖む><棲む><澄む> <清む><済む>と同根とされるが、<巣む>とはいわない。英語の<巣 nest >は、 類義語として den, beehive, aerie, cobweb, rookery などが挙げられるから、やはり 鳥・獣・虫の棲家のイメージである。一般的な住居は house,home, dwelling である。 <巣>といっても、その形態はさまざまである。哺乳類 ( カヤネズミ、ビーバー など )、鳥類 ( ハタオリドリが有名 )、魚類 ( トゲウオなど )、昆虫類 ( 白蟻、蜜蜂など ) などがつくる<巣>は見事である(図 1 abcd)。ゴリラやチンパンジーでも、毎日 夕方に樹枝で就眠用の巣をつくる。チンパンジーは、二度と同じベッドに寝ないと いうから、日々簡易な巣をつくるということである。マダガスカル島のリスザルは、 自分の糞で球形の巣をつくり、樹上に運び上げる。鳥類の中にも、天然の穴や樹洞 や動物が掘った穴をそのまま利用し、何も持ち込まないで産卵するものがある。 『東南アジアの住居 その起源・伝播・類型・変容』 (布野修司+田中麻里+ナウィッ ト・オンサワンチャイ+チャンタニー・チランタナット,2017 年)で触れたけれど、 これらの動物が示す精巧な造巣行動 ( 造巣技術 nest-building) のほとんど全ては遺 伝的にプログラムされたものである(序章 ヴァナキュラー建築の世界 2住居の 原型)。ただ、興味深いことは、E. ギドーニの『プリミティブ・アーキテクチャー』 (Guidoni, E.(1975))を見ると、見事な動物の巣のような、しかしヒトがつくっ た住居が並んでいる。中央アフリカやマリ、エチオピアなどの、小枝と藁と土でつ くられた穀物倉など、実際、鳥の巣箱に見えるようなものがある(図 2 ab)。建築 におけるバイオミミクリーへの関心は、専ら形態の可能性に向けられているように も思えるけれど、場所の生態学的基盤に基づく設計方法の展開にとって、生き物た ちの<巣>に学ぶことは少なくない。

図 1 abcd アフロ、布野修司他(2017)

図1 abcd アフロ 布野修司他 (2017)

90


The Future of Human Web: COVID-19 & Stay Home

Shuji FUNO

<クモの巣>=ウェブ Web は、捕獲装置であって<巣>ではない。本稿のキー ワードは、ヒューマン・ウェブ(人と人を繋ぐ種々の結びつき)である。

平成という時代−グローバリゼーションと COVID-19 住居は建築の原点である。ヒトの場合、住居をつくる技術は、遺伝的にプログラ ムされてはいない。98.8%遺伝子が同じだというチンパンジーは住居をつくらな いが、1.2%の DNA の違いに住居建設の能力が関わるということではおそらくない。 20 世紀に至っても、裸のままで 1 万年前と同じように暮らす人がいたということ は、住居の建設能力は遺伝的プログラムに依存するより、経験と学習、文化に属す るということである(A. ラポポート(1987))。地域の自然、社会、文化の生態によっ てその形態が異なるのはそのことを示している。建築(住居)とは、自然の中に人 工的な空間をつくり出すことに他ならない。雨風を避け、寒暖の制御を行いうる覆 い(シェルター)がその起源である。人工的空間をつくり出すために用いられるの 図2 ab アフロ 布野修司他 (2017)

は身近にある材料である。 「51C」(公営住宅の標準設計 1951 年 C 型)という戦後住宅のプロトタイプを設 計提案した吉武(泰水)研究室を出自とする因縁もあって、これまで住居のあり 方については一貫して考えてきた。『スラムとウサギ小屋』(1985 年)『住宅戦争』 (1989 年)『住まいの夢と夢の住まい ・・・ アジア住居論』(1997 年)などを書き、 そして『日本の住居 1985,戦後 40 年の軌跡とこれからの視座』(1985 年)、『見 知らぬ町の見知らぬ住まい』(1990 年)、 『日本の住宅戦後 50 年』(1995 年)、 『世 界住居誌』(2005 年)(『世界住居』胡恵琴訳,中国建築工業出版社,2010 年 12

1 拡散する「建築家」像―アーティストか?アーキ・ テクノクラ―トか?コミュニティ・アーキテクト

月)などを編んできた。学位請求論文『インドネシアにおける居住環境の変容とそ

か? Diff using Idea of Architect-Artist? or Archi-

の整備手法に関する研究---ハウジング計画論に関する方法論的考察』( 東京大

Technocrat?, or Community Architect?,”Ebisu ”,

学,1987 年)を一般向けにまとめた『カンポンの世界』 (1991 年)も住居論である。

Maison Franco-Japonaise. 近刊予定。 2 「失われた終の棲家──君は何処に棲むのか?」 フィルムアート社、近刊予定 3 日本では「明治建築」 「大正建築」といった時代区 分が行われてきた。長谷川堯 (1937 ~ 2019) の『神

これまで戦後住宅をめぐって発言してきたからであろう、「平成」時代(1989 ~ 2019)を総括する論文を求められた。一つは、Ebisu Ebisu. Études japonaises という日仏会館 Maison Franco-Japonaise が出している雑誌で、「平成」時代の建

殿か獄舎か』(1972 年)は、そうした時代区分に

築家(その役割、その社会的地位、実践(作品)そして生産(成果))を振り返る

よって、日本の近代建築の歴史を鮮やかに描き出

企画であり 1、一つは『果てしなき現代住宅(仮)』という平成の住宅を総括する

すものであった。すなわち、西欧の建築技術を国 家的目標(文明開化、殖産興業)に導入した「明

単行本の企画である 2。

治」時代から、建築家という自己の表現としての

「平成」時代を振り返るにあたって、まず、問題となるのは、「元号」という、一

「大正」(大正デモクラシー)時代への転換は、建

人の天皇の在位期間によって、建築や住宅の歴史を区分できるのか、ということ

築史としてもくっきりと叙述できるのである。し かし、「昭和」時代は、明らかに一括することは

である 3。しかし、どうやら「平成」時代は、そのまま世界史の時代区分になりそ

できない。戦前と戦中で、建築の歴史は大きく切

うである。第一に、ベルリンの壁の崩壊(1989 年 11 月)、ソ連邦の崩壊(1991

断される。そして、戦後の「昭和」も一括りには できない。戦後復興から高度経済成長期にかけて、

年 12 月)すなわち冷戦構造の崩壊がある。ロシア革命(1917 年)を起点とする

戦後建築が全面開花した 1960 年代と、2 度のオ

社会主義世界建設という人類の壮大なる実験の失敗が確認されることによって、資

イルショックに見舞われた 1970 年代とでは全く 様相を異にする。さらに、1980 年代後半から再

本主義世界の優位が明らかになり、以降、アメリカ合衆国が世界全体を主導し、本

びバブル経済が日本を世界の主役(ジャパン・ア

格的にグローバリゼーションの時代が到来することになった。「平成」の始まりは、

ズ・ナンバーワン)に押し上げる。そして、バブ

世界史的大転換の年と一致する。そして、COVID-19 によるパンデミックが世界史

ルが弾けた。

91


ESSAY

的な区切りになることは確実である。

宙に浮く nLDK -閉じていく住居

日本が、この間一貫して、世界経済における相対的地位を低下させてきたことは 覆うべくもない。日本の一人あたり名目 GDP(国内総生産)は、1990 年代前半には、 アメリカ合衆国を抜いて世界一となった。しかし、バブル経済が崩壊した 1992 年 以降、GDP の成長率は年平均1%前後で推移する。「平成」の 30 年間がまったく 新たな時代に移行してきたことは明らかである 4。吉見俊哉(2019)は、「平成」 は「失敗の時代」だったといい、「失われた 30 年」という 。 5

ステイ・ホームというけれど、日本のホームは、そもそもステイする場所足りえ てきたのか。平成の住宅を振り返ると、実に奇妙な流れをいくつも指摘できる。実 に不思議に思えるのは、少子高齢化が急激に進行してきたのにも関わらず、nLDK モデルの住宅が建てられ続けていることである。また、空き家が増え続け、1000 万戸を超えたにも関わらず、過剰に住宅が供給され続けていることである。 平均世帯人数は、3.45 人(1970 年)、3.01 人(1990 年)、2.44 人(2018 年) と一貫して減少してきた。最新の国勢調査(2015 年)によれば、総世帯数 5333 万 世 帯 の う ち、 夫 婦 の み 世 帯 が 1072 万 世 帯(20.1 %)、 そ し て、 単 独 世 帯 が 1842 万世帯(34.5%)、合わせれば、54.6%にもなる。夫婦と子どもという本来 の核家族が 1429 万世帯(26.8%)、片親と子ども世帯が 475 万世帯(8.9%)で ある。さらに、拡大家族世帯が 456 万世帯(8.6%)、非親族を含む世帯が 46 万世 帯(0.9%)、統計数字だけからも世帯の多様化ははっきりしている。マイホームの 夢がフィクションと化して久しいのである。数字が指し示すのは一人で終末を迎え る住居である。 1968 年に総住宅数が世帯数を超えて以来、空き家は増え続け、70 年代末には 268 万戸(空き家率 7.6%、1978 年)、平成元年には 330 万戸、21 世紀初頭には 846 万戸(13.5%、2013 年)、平成末には 1083 万戸(17.0%、2018 年)と推移し、 世帯数の減少も加速して、2033 年には 2166 万戸が空き家となると予測されてい る。膨大な空間資源を有効利用するためにリノヴェーションは必須であるにも関わ らず、住宅産業がターゲットとするのは、nLDK を積み重ねるタワーマンションで ある。 タワーマンションが林立する一方で、増加しつつある貧困者層の受け皿となって きたのは木賃アパートや「ドヤ街」である。また、ホームレスやネットカフェに寝 泊まりする「ネットカフェ難民」の増加も指摘される。日本の貧困率は、15.7%(2016 年)で、今や先進諸国の中でも高い。 タワーマンションを可能にした背景には、建築構造技術の発展がある。そして、 超高層で住生活が可能となるためには、建築環境設備の発達が不可欠である。超高 層と共に、人工環境化していく都市の象徴となるのは、季節や天候に限らず、いつ でも試合や催しができる空調設備を備えたドーム建築であるが、住宅についても追 及されてきたのは、冷暖房完備の高気密高断熱の住宅である。

92

4 日本の GDP は、1955 年から 1973 年までの高度 成長期には年平均 10%程度の成長を遂げた後、 減速するが、それでも 1975 年から 1991 年の年 平均4%の成長率であった。 5 吉見俊哉(2019)は、世界の企業の時価総額ラン キングを 1989 年と 2018 年で比較し、平成元年 には、上位 50 社のうち 33 社が日本企業であっ たのに、30 年後には 35 位のトヨタ自動車のみで あることを指摘する。


The Future of Human Web: COVID-19 & Stay Home

Shuji FUNO

図3

ヒューマン・ウェブ

COVID-19 は、住まいのあり方、地域のあり方、自治体、医療体制、教育体制、学会、 国家、国際機関、……世界を成り立たせているあらゆる仕組みを揺さぶり、再考さ せつつあるが、最大の疑問が投げかけられるのはこの間一貫して世界を主導してき たグローバリゼーションの流れである。人類とウイルスとの共生関係がその進化の 起源に遡って確認され、14 世紀の黒死病や 20 世紀初頭のスペイン風邪など感染 症によるパンデミックの歴史が振り返られるが、感染拡大の速度と規模は人類史上 初めての経験である。治療薬そしてワクチンの発見製造について予断は許されない が、COVID-19 との共存関係が構築されたとしても、次のウイルスが出現すること はごく自然に想定される。COVID-19 が突きつけるのは、ワールド・ワイドのヒュー マン・ウェブのあり方である。『疫病と世界史』を書いたマクニール,W.H.(1985) は、さらにヒューマン・ウェブのあり方を軸にグローバル・ヒストリー(世界史 人類の結びつきと相互作用の歴史)を書いている(マクニール,W.H.・マクニール, J.R.(2015))。 「平成」時代を特徴づける第二は、情報伝達 ICT 革命によるネットワーク社会の 到来である。ヒューマン・ウェブの成長、変化の最も大きな要因となるのは交通手 段(ウマ、船、蒸気機関車、蒸気船、自動車、飛行機)であり、情報伝達手段(言 語、文字、電信、電話、インターネット)である。1989 年に地球規模のインターネッ ト(TCP/IP)ネットワークが成立し、1995 年には商用利用が開始される。インター ネットの利用は瞬く間に世界の津々浦々に普及することになった。そして、パソコ ン、携帯電話(モバイル・フォン)の進歩と普及も、ネットワーク社会の実現に大 きく寄与することになる。第一、第二は大きく関連している。 そして、ヒューマン・ウェブ以前に COVID-19 が問うのは自然と人間の関係であ る。ウィズ・ウイルスの時代というけれど、そもそも、ウィズ・ウイルスの生態学

93


ESSAY

的基盤を大きく崩し続けてきたのは人類の方である。 「平成」時代に危機的な問題 として浮かび上がったのは地球環境問題であり、世界人口の爆発的増加である。し かし、その解決へ向かうパラダイム・シフトは必ずしも起こってはこなかった。地 球温暖化対策に各国の取り組みが積極的ではないことは、スウェーデンの若き環境 活動家グレタ・トゥーンベリが厳しく告発するところである。COVID-19 が、果た して、大きな方向転換をもたらすかどうかは、まさに現在の問題である。

ウィズ・ウイルスの世界

COVID-19 は、住居のあり方について実に多くのことを突きつけるが、感染と 空間の気密性、密度、社会的距離と感染確率といった問題はここでは置こう 6。 COVID-19 の感染状況は、実に多様なヒューマン・ウェブのあり方を示している。 各国、各自治体の対応も実に多様である。ウィズ・ウイルスの体制として、それぞ れの保健体制、医療体制など行政システムの全体が問われている。国や自治体を率 いる首長の力量が問われ、露わになりつつある。 かつて、といっても大昔のことであるが、住居とその近傍は、教育、医療など人 間生活のほとんど全てが行われる場所であった。やがて、といっても産業革命以 降といっていいのであるが、住居とは別に学校、病院といった公共施設が成立す る。住居と職場が分離し、さらに、長い通勤時間のかかる大都市が成立してきた。

図4 夜の地球 NASA

94

6 実験室的状況においての感染確率は当たり前のよ うに思えるし、夜の街だとか居酒屋、カラオケな どが、感染確率が高いなどというのはあまりにも 杜撰なように思える。


The Future of Human Web: COVID-19 & Stay Home

Shuji FUNO

COVID-19 がまず突きつけたのは、職場と住居の距離である。テレワーク、オンラ イン会議の導入によって、通勤の時間と空間が問い直されることになった。そして、 ステイ・ホームによって意識されるのは住居そのものの質である。在宅勤務はテレ ワークのための設備を必要とする。ホームオートメーション、インテリジェントハ ウス、電脳住宅、マルチメディア住宅、IT 住宅などと呼ばれて、情報伝達技術 ICT の居住空間への導入が図られてきたが、日本の驚くほどの立ち遅れが明らかになっ た。住居への滞在時間が長くなり、滞在人数が多くなることにおいて、多様な行為 のための空間、単純には広さ、が欲求されるのは当然である。住居周辺の近隣環境 についても同様である。散歩したり、ジョギングしたり、身体を動かす空間が必要 とされるのも当然である。そして、高気密高断熱も、それなりに問い直されるだろ う。高気密高断熱の巨大な集合空間、例えば、タワーマンションは即否定されるの ではないか。 7 本稿を書いた後、第 33 回 AF-Forum「ポストコロ

しかし、基本的な問題は、直接場を対面で共有する人と人の関係のネットワーク

ナの暮らしと仕事、住まいと都市」コーディネー

とその密度である。人類の歴史は,地球全体を人工環境化していく歴史である。人

ター:和田章 パネリスト:田辺新一 ( 早稲田大学)、 山中大学(総合地球環境学研究所(2020 年 8 月

類が地球上に自らのエクメーネ(居住域)としてきた空間の拡がりは、都市とその

21 日))に参加した。COVID-19 について多くの

ネットワークが地球全体をウェブ(蜘蛛の巣)状に覆っていく過程としてイメージ

知見を得たが、山中大学先生の「COVID-19 に顕 在化した人間活動偏在による災害環境リスク」に

されるが、その形状に致命的な問題がある。人とその集団の移動と共に交換される

はわが意を得たりであった。モデルは極めて単純

のは食糧、物資、情報だけではない。ウイルスもまた交換されるのである。ウイル

である。飛沫感染する空間は、人類起源の最小規 模の大気環境であろう。いわゆる社会距離は単純

スの感染状況によって浮かび上がるウェブ状の分布図には、ヒューマン・ウェブの

には人口密度である。ジャカルタと東京の比較な

未来の形状についての示唆が含まれているはずである 7。今のところ根拠無き直感

ど、グローバルな視点によるマクロな分析結果は

に過ぎないけれど、自律(隔離)可能な居住域(世界単位)、一定規模の集住単位(都市)

説得力があった。人間居住の偏りが問題であり、 江戸時代の藩の編成がモデルになるという。これ

の分散的配置、地域居住単位の自然との共生が基本的指針となることは COVID-19

を掘り下げたいが、今回は紙数がない。引き続き

以前から変わらないと思う。

考えたい。

参照文献 1) 布野修司+田中麻里+ナウィット・オンサワンチャイ+チャンタニー・チランタナット(2017) 『東南アジアの住居 その起源・伝播・類型・変容』京都大学学術出版会 2)Guidoni, E.(1975), "Architettura Primitiva", Electa, Milano(Guidoni,E.(1979)”Primitive Architecture”,Harry N. Abrams,Inc,Publishers,New York : ギドーニ , エンリコ(2002) 『原 始建築』桐敷真次郎訳,本の友社) 3) ラポポート , A.(1987) 『住まいと文化』山本正三他訳,大明堂(Rapoport, A.(1969), “House Form and Culture”, Engelwood Cliffs, Prentice-Hall) 。 4) 吉見俊哉(2019)『平成時代』岩波新書 5) マ ク ニ ー ル,W.H.(1985)『 疫 病 と 世 界 史 』 佐 々 木 昭 夫 訳, 新 潮 社( 上 下, 中 公 文 庫, 2007) 6) マクニール,W.H.・マクニール,J.R.(2015)『世界史 人類の結びつきと相互作用の歴史』Ⅰ, Ⅱ , 福岡洋一訳,新潮社

95


ESSAY

建設業の歴史と巣

The History of the Construction Industry and Nest

古阪 秀三

今回の traverse21 のキーワードは “ 巣 ”。 建設業の世界で “ 巣 ” といえば、伝統的に維持されてきた元請・下請関係、しか もそれが専属的に繰り返されてきた関係が頭に浮かぶ。その歴史を若干振り返って みる。 さて、その建設業のなかで、大手の建設業者は、古い順に竹中工務店 (1610 年 創業 )、清水建設 (1804 年創業 )、鹿島建設 (1840 年創業 )、大成建設 (1873 年創 業 )、大林組 (1892 年創業 ) となるが、この中の、とりわけ竹中工務店と清水建設 は大工棟梁を出発点としており、その配下に多くの職人を抱えて徐々に大きな仕事 をするようになった。 明治期になり、工事の規模が大きくなるのに伴い、上述の5社をはじめ、多くの 建設業者が、元請―親方―職人、あるいは元請―名義人―世話役―職人の体制になっ ていった。さらに大正・昭和期に入って工事の規模と量的拡大に伴い、元請―名義 人―大世話役―世話役―職人、あるいは元請―名義人―大世話役―世話役―棒心― 職人と、重層化していくこととなった。各者の主な役割は表1のごとくである。 ( 図1)

図1:元請負人と下請負人の関係と重層下請 文献5)

この重層化のなかで、元請は名義人を配下に置き、名義人に労働力調達と具体的 な職人の管理・施工を任せ、元請自身は工事受注と工事資金・生産手段の用意を担 当するという相互依存関係が築かれることとなり、この強固な関係、俗に「親子の 関係」といわれるような強力な協力関係のもとで下請の組織化へと進んでいった。 その組織化には、当時の「会計法 ( 明治 22 年公布 )」も影響があったとされる。 その会計法では、それまで国の建設工事は大部分が「特命随意契約」であったにも かかわらず、「一般競争入札にする」とした会計法の公布が行われたという。その 理由・利害得失は別稿に譲るが、その公布によって、一般競争入札が常とされたと すれば、元請企業の乱立等が激しくなり、各元請は当然のこと、優秀な名義人/世 話役/職人を選別・確保することを考え、その組織化に乗り出し、名義人を中心に 特定の元請傘下の協力会が形成されることになった。このような活動はほとんどの 元請において行われ、協力会の存在はその後、現在に至るまで、定常的に残ってお り、現在の総合請負業者と専門工事業者の源泉となっている。ちなみに、現在の各 社の協力会の一部を紹介すると、「大林組:林友会、鹿島建設:鹿栄会、清水建設: 兼喜会、大成建設:倉友会、竹中工務店:竹和会など」であるが、かつてほど ( 他 の GC の仕事は請けない:専属的 ) の強力な関係ではない。現在の存在意義の縦横 な点には災害防止協議会、安全パトロールなどがある。

96

表1:昭和 30 年代の建築生産体制の例 文献 3)


The History of the Construction Industry and Nest

Shuzo FURUSAKA

しかし、協力会設立当初は上記のような事情から、専属下請と称される、特定元 請からのみ仕事を請けるやり方が主流であり、その場合の協力会、仕事するしくみ は、まさに “ 巣にすみ、力をつけた段階で巣立っていく ” がごとくの流れであった。 その子分の世界には、名義人集団は巣をつくり、専属下請として活動することが多 かった。しかし、時代の流れとともに、専属ではなく、独立的にする専門工事業者、 特定の元請への依存度を 20%程度に抑えるところ等様々な様相を呈するようにな る。この重層下請構造に関しては多くの研究、論説等があるので、それらを参考に されることをお勧めする。 時間は過ぎて、1970 年代に移る。 筆者は、1974 年3月に大学を卒業し、あるスーパーゼネコンに就職、直ちに A 建設現場の係員として活動を始めた。A 建設現場は、その半年後に竣工することに なるが、現場配属になって、しばらくして、その現場の元請・下請の関係者が 30 人程度集まり、竣工間際の慰労会を盛大に行った。そのひと隅に新入社員の自分も 同席し、その祝いとともに、新入社員への祝福も兼ねてしてくださった。その宴会 のなかで、職人の親父さんたちが、「新入社員の監督さん、給料は安いやろ。少し 小遣いあげようか。」といわれたことを鮮明に覚えている。もちろん、小遣いはもらっ てはいないが、その印象が強烈に残った。 なぜこの話を持ち出したかというと、その当時、職人の親父さんたちが元請の新 人に「小遣いあげようか」というくらいに気前が良かったのがなぜかを考えるため である。 その理由の一つは、もともと元請自身は発注者とのあいだで一式請負契約であ り、下請とも「手間請け」として、「工事の種類、坪単価、工事面積等により総労 働量及び 総報酬の予定額が決められ、労務提供者に対して、労務提供の対価として、 労務提供の実績に応じた割合で報酬を支払う」との考えが一般的になっていたと考 えられることがある。さらにいえば、当該の下請業者は必ずしも鉄筋工事、型枠工 事等個別の工種で工事を受注することばかりでなく、躯体一式、あるいは内装一式 といった専門工事業種をまたがった範囲での下請負契約を締結 ( 当時は注文書・請 書が一般的 ) こともあり、とりわけ協力会メンバーとの契約交渉ではかなりの自由 度/優先度があったことがあげられる。 さらにその実際の手間請けにおける優秀な職人は、1日に通常の職人の3倍の効 率で仕事をこなすこともあり、その場合の賃金もそれに見合った額となることが常 であった。 しかし、この状態が変化する時期が早々にくることとなった。 それは TQC(Total Quality Control) 活動が始まるとともに起こり始めた。 TQC とは、日本語では通常、全社的品質管理活動といわれている。JIS によれば、 その定義は「品質管理を効果的に実施するためには、市場の調査、研究、開発、製 品の企画、設計、生産準備、購買・外注、製造、検査、販売及びアフターサービス 並びに財務、人事、教育など企業活動の全段階にわたり、経営者を始め管理者、監

97


ESSAY

督者、作業者など企業の全員の参加と協力が必要である。」そして、その実績が際 立つ組織にはデミング賞を授与することとなった。 日本のいわゆる大手5社では、1976 年以降、竹中工務店、清水建設、鹿島建設 が TQC に取り組み、デミング賞を受賞している ( 会社名は受賞順 )。 その一方で、TQC 活動の進め方とは異なり、自社での検討のうえで全社的な品 質管理活動に取り組んだのが、大林組の SK 運動 ( 総合的質管理 ) と大成建設の MTG( 目的達成グループ ) である。 活動の手段/方法はともかくとして、いずれも品質確保が重点であり、5M の 管理として、以下のものが取り上げられてきた。 ①材料、部品 (Material) ②設備、機械 (Machine) ③作業者 (Man) ④作業方法 (Method) ⑤検査、測定 (Measurement) そして、これらのわかりやすい実践例としては、作業標準、生産性の確認などが 取り上げられ、その集大成として「生産性の向上」が大きな目標となっていった。 これらのことは、品質が確保でき、しかも生産性が向上するのであれば、極めて 望ましいことではあるが、その一方で、労務系業種の元請・下請間での「手間請け」 に関して、大きな問題が生じることとなった面が否定できない。 1980 年前後に、躯体系専門工事業者の方々とともに、いくつかの新しい建築工 事の受発注方式の議論をする機会があった。その場での議論は、現在の元請/総合 建設業者がプロジェクトのマネジメント業務に特化し、専門工事業の人たちが躯体 一式請負をする、あるいは JV で躯体一式を行うなど、多様なプロジェクトの実施 方式があってもいいのではないかというような未来志向の座談会であった。( 図2) そんななか、TQC の話題が出たときに、ある専門工事業者の社長が、TQC とは我々 にとって、「とっても苦しいもの」であり、その理由は、それ以前には「労務の手 間請け」が当然であったが、その手間請けが、 「一人工単価と施工面積」で総額を 決めるという方向になりつつあるとのことであった。つまり、優秀な職人がどんな に頑張ろうと、 「1日 1 人工いくら」で決まってしまうとのことであった。そこに “ 巣 ” の感覚はなかった。 現在の状況は、いずれの方法もあり、建設業団体、協力会、企業などによって、 相当程度の違いがある。余談になるが、コロナ禍での工事中における救済内容も、 発注者/元請/下請等によって、極めて大きな開きがあると聞く。 そして、現在。 工業化、部品化、機械化、全自動化などによって、優秀な技能者が不要な方向に 向かいつつあるようにも思えるが、その一方で、国土交通省が音頭を取って、建設 キャリアアップシステムが稼働し始めつつある。そのシステムは、「①技能者が能 力や経験に応じた処遇を受けられる環境を整備し、将来にわたる建設業の担い手確 保、②現場管理や書類作成、人材育成の効率化による生産性の向上を目指すもの」

98


The History of the Construction Industry and Nest

Shuzo FURUSAKA

図2:多様なプロジェクト実施方式

である。 さて、“ 巣 ” に育った技能者のしくみとその完成度、その一方で、極度に工業化 / AI 化が進むなかをいかにすべきか。 今回の拙稿は、ざっと 100 年あまり前からのかなり乱暴な流れのなかでの “ 巣 ” について書いた。いずれ、これらの流れのもう少し厳密なものを明らかにしたいと 思う。 端的には、120 年ぶりの民法改正が行われた。建設産業においてもその影響を 受けて工事請負契約約款や建築設計・監理等業務委託契約約款の改正が行われてい る。それとは少々法制度が異なるが、日本の建設産業の活動にかかわる法律として、 1949 年に建設業法、1950 年に建築基準法と建築士法が一式請負契約を前提とし て制定された。さらに、1972 年には労働安全衛生法が、これまた一式請負制度を 前提として制定されている。 この歴史的流れが変化するようになってきたのはそれほど昔ではない。たとえば、 書面契約や専門分化が実質化したのもここ 20 年前後のことである。また、欧米で いう役割分担型の発注方式など多様な発注契約方式が日本でも使われるようになっ てきた。このような多様化の流れのなかで、1950 年前後に一式請負を前提に法制 度化された3つの法律の改革は喫緊の課題となっている。元請→一次下請→二次下 請→三次下請と流れる請負制度の合理性検証も必要となってこよう。

参考文献 1) 島田裕司.日本土木会社の研究―明治時代の巨大ゼネコンの突如の消滅の原因について―. 駒沢女子大学研究紀要第 21 号 ,2014 2) 金多隆 , 吉原伸治 , 古阪秀三.建設業における系列とパートナリングの比較分析.日本建築 学会第 21 回建築生産シンポジウム ,2005 3) 古阪秀三 , 山田祥子.建設産業における重層下請構造の実態と簡素化の一考察.日本建築学 会第 26 回建築生産シンポジウム ,2010 4) 建築生産小委員会.建築生産の 30 年 そしてこれからのために.日本建築学会第 30 回建 築生産シンポジウム・危険企画 ,2014 5) 徳 島 県 HP: 建 設 業 者 の 皆 様 へ - 元 請 負 ⼈ と 下 請 負 ⼈ の 関 係 に 係 る 留 意 点 - https:// e-denshinyusatsu.pref.tokushima.lg.jp/shitauke/guideline 6) ㈱社会調査研究所.建設業における生産性の現状等に関する調査・調査結果報告書.建設業 振興基金 ,1989 7) 労働基準法研究会労働契約等法制部会.労働者性検討部会報告.平成 8 年

99


ESSAY

壁について

On Walls

アタマとカラダ

思考は単純を好むけれども、身体は迂遠な回路を好む。 では建築はどうだろう。思考の運動としては、たぶん、単純な方がいいだろう。 つまりは抽象的なモデルに向かう。しかし身体の運動を導く装置だと考えれば、む しろ迂遠な回路をめざすのではないだろうか。 あ、わかった、と思うのは、物事がすっきりと見えてきた、ということで、それ が満足につながる。これがアタマの性向である。ところがカラダはもう少し複雑で、 満足の度合いは困難を乗り越えたあとに一層高まる、という仕組みにできている。 身体を動かしたりいじめたりしたあとの方がご飯や飲み物がおいしい、であるとか、 苦しいトレーニングの果てに到達したスキルによって新たな境地に達した、とか、 なかなか手に入らないものがようやく手に入った時の方がよっぽどうれしい、とか。 そもそもノッペラボーな場所はつまらない。方向性があったり傾きがあったり、奥 に向かって何があるかとドキドキさせてくれる場所の方が面白い。遠くまで見通せ るまっすぐな広い道を歩くのと、角を曲がれば何があるかわからない迷路のような 都市を散策することの違いを思ってみるといい。 あるいは道に沿って壁が立っているとしよう。まっすぐで手触りも引っかかりも 何もない壁なら、ただスウッと通り過ぎてしまうだけかもしれない。でもググッと 曲がっていたり窪みがあったりすれば心が騒ぐ。ましてや穴が空いていたりしたな ら、思わず覗き込んでしまうのではないだろうか。ただの壁が、誘惑の装置になる。 建築は重力に抗して架構を立ち上げる思考と行為であるから、当然のことながら科 学的に、論理的に、組み立てていかねばならない。そこに物理的な、つまり物質と しての建築が立ち上がる。ところがそれと同時に空間が立ち現れる。この空間とい うのがフィジカルなものであるとともにメンタルなものでもある。空間は、そして、 光や風や視線の抜け、なども含めて、そこにいる人間の身体を包みこむのだ。感覚 を通してアタマでなくカラダに染みとおっていく。 例えばパンテオン。巨大なドームのてっぺんに丸い穴が空いている。構造として も合理的だ。図面を見て、アタマで深く納得する。ところが現場に身を置いてみれ ば、その距離、スケール、丸い穴の向こうに見える空、渡る雲、そしてそこから差 し込む光、吹き込む風、響き渡る音、それらすべてが生み出す空間的なハーモニー に、カラダが感応する。アタマで理解するロゴスにカラダをふるわすエロスが覆い かぶさる。 草原を渡る風や見上げる空もいいものだけれど、人間の作り上げた架構によって 一旦遮られ、そして垣間見られる空の青さや風の動きには一味違うエロスがある。 いわば知的な感応とでも言ったものがある。遮られることによって、そして透過す るものによって、人類は新たな喜びを見出し、その喜びの可能性を賭けて新たな建 築形態を追求し続けてきたのではなかっただろうか。

100

竹山 聖


On Walls Kiyoshi Sey TAKEYAMA

壁というやつは、基本的に嫌われ者だ。通行の邪魔をするから。壁にぶつかる、 とは、物理的にも、メタフォアとしても、いい意味には使われない。でも視点を変 えれば、自由を感じるためにこそ壁が必要だ、と考えることもできる。障害物があ るからこそ自由の意味が見えてくることもある。アタマで考えれば、邪魔な壁など ない方がいいに決まっている。ところがカラダは時に壁を求める。乗り越えるため に、ぶち破るために、あるいは隠れるために、そしてそこに絵を描いたりするために。 この最後のくだりは安部公房の『壁』の石川淳によるみごとな序文を意識していて、 石川はこんな風に安倍の貢献を記している。 壁の復讐、地上いたるところ地下室です。これでは、いかなる智慧者でも 当惑するでしょう。このとき、安部公房君が椅子から立ちあがって、チョー クをとって、壁に絵を描いたのです。安倍くんの手にしたがって、壁に世 界がひらかれる。壁は運動の限界ではなかった。ここから人間の生活がは じまるのだということを、諸君は承認させられる。 ——石川淳 壁があることによって、いやあるからこそはじめて開かれる世界もある。人類は 洞窟にこもって絵を描いた3万年前以来、世界を、世界に関しての思考を、世界観 を、壁に刻んできた。これをこんどは壁を築くこと、現実にある壁ではない、人為 的な壁を構想、建造することによって、世界に対する新たな展望を得ようとしてき た、それが建築の歴史を切り開いてきた。 建築的思考はアタマで考えれば邪魔でしかないこの障害物を、カラダの次元で解 釈し直しながら、新しい環境を物理的に、心理的に、築き上げていたのだ。 カラダにはちょっと天邪鬼なところがある。そして建築の構想はアタマに属するけ れども、現実の物体としての建築はカラダに関わる存在だ。その中に入れば、有無 を言わせずカラダを取り囲み、包み込む。アタマに快いばかりでなくカラダに心地 よくなければならない。 もとよりアタマとカラダを分けて考えることはできないのだけれど。そしてそこ が建築的思考の面白いところでもあり醍醐味でもあるのだけれど。

自由の砦

近代という時代は境界を撤去してきた時代であって、たとえば階級やらジェン ダーやら、諸々の差別を取り除いてきた。建築ではこれが均質空間への志向となっ て、たとえば壁を撤去して、あるいは透明にして、「開かれた」空間を求めてきた。 重力に抗してピロティで建物を宙に浮かべ地面を解放し、あるいはガラスによって 空間を透明にした。ガラスの箱に空調を施せば、どのような機能をも満たしうるユ ニバーサルスペースができる、というわけだ。住宅だろうが図書館だろうが工場だ

101


ESSAY

ろうがオフィスだろうがなんでもござれ。 ところが壁の撤去によって自由がもたらされたかというと、そう一筋縄ではいかない。そこではえてして弱者が犠牲になる。 壁を取っ払えば強者の秩序が適用されてしまうからだ。だだっ広いオフィスを想像すればいい。そこで威張っているのは命令 する側の人間だ。サボっている奴がいないよう監視することができる。監視される者の身にもなってみてほしい。均質で透明 な空間にはどこにも隠れる場所がないのだ。家具やパーティションの配置も、強者の論理で決定されてしまう。管理者側の視点、 と言ってもいい。さらなる強者はといえば、これは閉ざされた個室を与えられて、悠々と自由を満喫している。 弱者は、じゃあ、給湯室やトイレに逃げ込めばいい、って。その発想自体が後ろ向きなんじゃあないか。それが本当に心地よい、 個人の自由を確保する場所であると言っていいのだろうか。 そう、小さな動物の安らぎには、穴とか隠れ家とかが必要なのだ。権利の上では平等とはいえ、実際は差異に満ちた各々の 存在にはその存在なりの生態学的なニッチが必要となってくる。自然の脅威や外敵から身を守るために、閉ざされた場所もま た自由を守る砦となる。壁は、自由を束縛することもあれば、自由を守るために必要な存在でもある。壁がなければ、強者に つきしたがい媚びへつらわざるをえなくなる。あるいはそれと気づかぬままに、偉そうだったり強そうだったりするほうにな びいていってしまう。自由からの逃走、というやつだ。 そんな状況を克服するために、壁は築かれ始めたのかもしれない。建築が構想され始めたのかもしれない。ひとりひとりの、 あるいは小さな存在たちの、自由を守るために。

ロビ族の家

2020 年に出版された伊東豊雄の自選作品集『身体で建築を考える』に、原広司と石山修武の対談が再録されている。もとは『建 築文化別冊 建築—あすへの予感 離陸への準備』 (1986年)と題されたムックに収録された対談であって、タイトルの「静 浄なる世界風景への誘導」とはこのとき原広司が伊東豊雄に捧げたキャッチフレーズである。そのなかで原はアフリカのサバ ンナにあるロビ族の住居に言及しつつ、伊東豊雄の「笠間の家」や「中野本町の住宅」にある清楚かつ静浄な空間について語っ ている。 それはものすごくミステリアスなプランで、そのプランはあとでお見せしてもいいが、天井に穴があいていて光がもの すごく真っ暗なところに入ってくるんだが、そこにはアフリカだなんて考えられないような清楚な空間が出現する。 ——原広司

図1 ロビ族の家 平面スケッチ

102


On Walls Kiyoshi Sey TAKEYAMA

図2 ロビ族の家 アイソメスケッチ

伊東豊雄はその後、自邸のシルバーハットに代表されるような開放的な建築に向かうのだが、「中野本町」や「笠間」では壁 に包まれた、洞窟に光の差し込むような、ゆっくりと時の流れるような静謐な空間を生み出していた。曲がった壁の向こうに 何があるのかわからない、差し込む光が何かを予兆する、そんな期待感に満ちた空間が展開されていた。シルバーハットと中 野本町の家は隣接していたから、作品集にも掲載されている航空写真を見れば開放と閉鎖のその対比はなお鮮やかだ。そして 伊東豊雄の作品にはその後も「開く」というシュプレヒコールとは裏腹に、この閉ざされた静謐の向こうの希望という空間的 暗示が息づいていくのである。たとえば台中のオペラハウスにも、そしてプエブラのミュージアムにも。なぜなら伊東は「身 体で建築を考え」ているからだ。自選作品集にもそのような作品が撰り抜かれている。 原が触れたロビ族というのは、アフリカのコートジボワール、ガーナ、ブルキナファソの国境を接する地域に居住する少数 民族である。外敵にさらされつつみずからの独特の文化を守ってきたという。その住居の特質は強固な壁に囲まれた閉鎖性に ある。筆者は原とともに 1979 年1月にロビ族の集落キエロを訪れた。そしてあらためてロビ族の築いた空間の特異性をまざ まざと思い起こした。 その闇や光の記憶はまるで身体に刻み込まれているように甦ってくる。 このときの集落調査をまとめた 『SD 別冊 No.12 住居集合論5』には筆者の文章による説明があり、『住宅建築 7907』居住文化論 19 でも集落を発見するに至った エピソードを交えて、さらに詳しく記述されている。『住居集合論』の説明を引いてみよう。 内部はほとんど闇に近く、所々に小さく穿たれた窓と、部屋の片隅にしつらえられた床の間的空間の上部に開けられた 天窓から、わずかに光が入ってくるだけである。——中略——光は、室内のすべてを脱色し、存在感を薄れさせて、漂 白された光の分布密度に帰してしまう。外部から隔絶された水底の世界が展開する。色を失い、音を失い、ただよう光 だけがある。床の間は光の制御装置でもあり、屋上への通路でもある。天窓には、木の棒を刻んだ階梯(きざはし)が たてかけてある。 ——竹山聖 辺境の民が、自らを守るために築いた壁の住居。入り口は一つしかなく、壁に穿たれた窓は極端に小さく、室内空間はごく 限られた開口を通して屋上に向けてのみ開かれている。サバンナ一帯に展開する円形住居の集合体を彼らもまた一部採用して いるのだが、その枢要な建物はまったく異質なものであって、矩形であり、長い壁に閉ざされており、複合的に組み合わされ ており、そして樹木に取り囲まれて、隠れているように、ある。 これもまた、自由を守るための砦のひとつのありようとでもいえようか。壁は、内部の静謐を保ち、光や熱を遮断する役割 を果たしている。過酷な自然や外敵に囲まれている時、人間の集団は外を閉ざすのである、自由を守るために。

103


ESSAY

壁の逆説

時に壁は、外敵から身を守るだけでなく、仲間同士の適度な距離を取るためにも 機能したことだろう。お前なんか二度と顔も見たくない、という喧嘩をしても、壁 の両側でしばらく気を鎮めれば、そして少し呼吸を整えれば、また仲直りの機会が 訪れるかもしれない。壁がなければ相手が見えなくなるまで果てしなく遠ざからな ければならない。違った気持ちの個人個人が一緒に暮らすための仕組み、それが建 築だ。その時壁は、ネガティブでなくポジティブな存在になる。 壁はまた、その向こうには何があるのだろう、と期待を高める役割も果たしてく れる。壁の向こうに何かがある、という希望、そして憧れ。隠されたものに欲望す るのが人間だ。あからさまなものは欲望をかきたてない。壁は邪魔ものであると同 時に、いや邪魔ものであるがゆえに、欲望をもたらしてくれる。欲望は、過剰であっ たり邪悪であったりすることは避けたいものだが、基本的に人間が生きる力である。 そして、壁がないと光が見えない。これは逆説でもなんでもなくて、壁があって、 そこに穴が、あるいはスリットが穿たれて、そこから光が差し込み光の存在に気づ く。影があって光がある。ロマネスクの教会に差し込む光の美しさは、壁なしには ありえない。 そして光を導き入れるだけでなく、風景を切り取ってその美しさを際立たせてく れる。あるいは月の輝きに気づかせてくれる。空の青さをさらに高めてくれる。こ れも壁があるからこそ、だ。そこに窓が穿たれたからこそ、だ。壁があるからこそ、 そしてその壁に穿たれているからこそ、窓は新たな世界を見せてくれる。もちろん 風を導き入れてくれるのも、壁に穿たれた窓があるからこそだ。

詩人たちとの対話

2020 年、夏の終わりの1日、北鎌倉のとある喫茶店で、詩人の小川英晴と城戸 朱里と語り合う機会があった。秋に出版される『詩と思想』詞の特集である「四季」 について、とりわけ立原道造 (1914-1939) について。立原道造は早逝した詩人で あり建築家でもあって、丹下健三と同世代である。四季派の詩人たちと交わり、音 楽性に満ちた詩を残し、東大卒業後は石本喜久治の事務所に入っていくつかのプロ ジェクトに参加した。 そんな立原だったが、個人的な作品としてヒヤシンスハウスという小さな住まい のスケッチを残しており、それが 2004 年に埼玉県の別所沼に実現された。ル・コ ルビュジエが 1952 年にカップマルタンに作ったカバノンにも比される最小限の住 まいだ。カバノンはレストランにくっついて建てられていて、南仏の光を遮るため に工夫された窓が丁寧に穿たれている。つまり自立し凝集された内部空間の獲得を 目指す住まいだ。立原道造のヒヤシンスハウスもまた壁に囲まれた小さな住まいだ が、コーナーが大きく解放される窓をもっていて、より自然に近しい感覚を有して いるように見える。周囲を受け止め溶け込んでいく。さながら「夏の家」と「四季 を味わう家」の違いとでもいっていいだろうか。

104


On Walls Kiyoshi Sey TAKEYAMA

言葉の応酬は流石に詩人たちとの座談会で、豊かな想像力に満ちた世界が展開さ れたのだが、暑さの中アイスコーヒーを二杯ずつ飲みながら語り合った鎌倉の喫茶 店はあたかも木造のトンネルのような作りであった。表通りの扉を入ると天井の高 い暗い空間を抜け奥の小さな庭に面したスペースに導かれる。そこをかろうじて風 が吹き抜けるのだが、光は基本的に壁に遮られ、小さな庭によって濾過されてから 入ってくる。閉ざされつつ慎重に開かれた、とでも言えようテクスチュアに溢れた 木の壁の構造体であった。 話題はル・コルビュジエのメタフォアとしての音響的反射性とアアルトの吸収性 に及び、立原はアアルトにおそらく親近感を覚え、丹下は言うまでもなくル・コル ビュジエに共鳴した、という議論になって、声も高まり、そしてこのとき気づいた。 言葉は壁に木霊し、この壁に語りかけるように思い思いがさらに言葉を紡ぐ。壁は 音を反射もし、吸収もする装置だ。ことによるとロビ族の住居では、壁に囲まれた 豊かな語りの世界があったのではないかと夢想もする。 壁は、とりわけ遠い距離からささやかな光を誘導する壁は、おそらく対話を促す 装置でもあったのではないだろうか。他者との対話を促し、そして自分自身との対 話を誘発する。そういえば達磨大師も壁に向かったではないか。 壁は謎をかけてくれる。 壁はカラダを守り、邪魔をし、アタマを刺激する。 汝は我の投影であり、我は他者の屈折である。

図版出典 『SD 別冊 No.12 住居集合論5: 西アフリカ地域集落の構造論的考察』鹿島出版会

105


ESSAY

住宅再建と復興事業-東日本大震災の生活復興感- Housing Reconstruction and Reconstruction Projects -The Great East Japan Earthquake's Perception of Life Recovery-

牧 紀男

はじめに

阪神・淡路大震災の復興では、黒字地区・灰色地区・白地地区という呼び方で地 区ごとの復興事業の軽重が言い表され、白地地区については行政から何の支援も無 い「放置地区」1 というようないわれ方もされた。阪神・淡路大震災の経験をふま えた私の復興についての基本的な認識は復興事業は必要であり、被災した人の住宅 再建、さらには生活再建に役に立つというものであった。しかし、その後発生した 新潟県中越地震 (2004) の復興を見て、果たして復興事業は住宅再建に役に立って いるのか、という問いを持つようになった。新潟県中越地震では中山間地域が大き な被害を受けた。復興方針は自治体によって異なり、小千谷市では山を出る ( 防災 集団移転 )、旧山古志村では山に残る ( 小規模住宅地区改良事業等 ) ための復興事 業が実施された。しかし、方向性が全く異なるにも関わらず村に残ったのはいずれ も半分程度であった。こういった傾向は東日本大震災ではさらに顕著であり、土

1 安藤元夫,阪神・淡路大震災復興都市計画事業・ まちづくり,学芸出版社,200

地区画整理事業を行った地域では空き地が目立っている ( 写真1)。さらに石巻市

2 荒木笙子・秋田典子,石巻市雄勝町における災害

雄勝町では災害前の 11.3%(618 世帯→ 70 世帯 ) の世帯しか元の場所に戻ってこな

危険区域内住民の居住地移動の実態,ランドス

かった 。 2

復興事業を実施したにも関わらず人が戻ってこないという現実をふまえると、同 じ被害を二度と繰り返さない、安全なまちとして地域を再建することを目的に実施 される復興事業は住宅再建、被災した人の生活再建に役に立っているのだろうかと いう疑問が湧いてくる。本稿は、復興事業と復興感の関係を住宅再建の方法という 側面から明らかにすることを目的とする。また、安全なまちをつくるという観点か ら、どういった人が復興事業に参加して住宅再建を行っているかを明らかにするこ とで、今後の復興事業のあり方を明らかにしたいと考える。

写真1 陸前高田市の状況(盛土の受けに新たにまちを再建、2019 年 7 月)

106

ケープ研究 82(5),611-616,2019.5


Housing Reconstruction and Reconstruction Projects -The Great East Japan Earthquake's Perception of Life RecoveryNorio MAKI

自然災害後の住宅再建の枠組み

自然災害後の住宅再建 ( 持ち家 ) の枠組みを図1に示す。大きな被害を受けた地 域が復興事業区域となり、津波の場合は盛土や高台移転、地震災害の場合は土地区 画整理事業が行われる。元の住宅が建っていた場所が、復興事業区域かどうかで、 再建方法は大きく変わってくる。復興事業区域外であれば、住宅再建の方法は個々 人の選択となる。元の場所で再建するのが基本になると思われるが、民間の市場で 売却して引越しする、また大きな被害を受け再建費用が捻出できないのであれば災 害復興公営住宅に入居することもできる。

図 1 自然災害後の住宅再建(持ち家)

問題となるのは住んでいた場所が復興事業区域となった場合である。阪神・淡路 大震災では白地地区で行政の支援が無いことが問題となったように、事業区域に編 入されると行政の支援もありメリットが大きいように思える。しかし、その地域に 住む人の立場から考えると様々な問題が存在する。まず復興事業にかかる時間であ る。住宅地の造成が完了し、住宅再建ができるようになるまでに長い時間がかかる。 東日本大震災の場合、元の場所で住宅再建ができるようになるまでに8年以上必要 となった地域もある。その間、応急仮設住宅等で仮住まいをする必要がある。8年 も待つのであれば、元の場所ではなく、別の場所に土地を購入して住宅を再建しよ うと考える方が「むしろ普通」であり、多くの人が復興事業に参加しないこととなっ た。さらに復興事業の区域内に住宅があると、住める状態で残っていたとしても、 盛土や道路整備のために家を解体して、引越ししないといけないという問題もある。 災害に安全なまちとして地域を再建する復興事業は、元住んでいた人にとっては「迷 惑」な側面もある。さらに、自力で住宅を再建する余裕が無い人は、災害復興公営 住宅に移るということが唯一のオプションであり、自らで住宅再建の方法を選択す ることができない。

107


ESSAY

誰の生活復興感が高いのか−自力再建と復興事業での再建− 3

3 本章の内容は、伊藤 圭祐,立木 茂雄,牧 紀男, 佐藤翔輔,名取市の復興事業区域における自力再 建者の特性に関する研究,地域安全学会論文報告

復興事業区域で住宅再建をする場合、図2に示すように1) 事業区域内で自力再 建、2) 地区を離れて自力再建、3) 復興公営住宅という3つの選択肢が存在するが、

集 No.30,pp.137-147,2017 による 4 生活復興感とは阪神・淡路大震災の被災地におい て、2001 年、2003 年、2005 年に行われた「生

2) 地区外自力再建>1) 復興事業自力再建>3) 復興公営住宅という順番で生活復

活復興調査」の中で、「生活の充実度」「生活の満

興感 が高くなっている。

足度」「1年後の生活の見通し」の3つに関する

4

行政の支援がある復興事業地区で再建する人よりも、地域外で自力再建した人の 生活復興感が高いということが、納得できないかもしれない。その理由は、若くて・ 元気で・資力もある人が「転出できた」のか、「転出した」のが若くて・元気で・ 資力がある人だったのかは不明であるが、地区外で再建した人の復興感が高いのは、 若くて・元気な人で「自力再建できる」人が転出した、ためであると考えられる。 いつ完成するのか、どんなまちになるのかよく分からない、応急仮設住宅で不自由 な仮住まいを送るのであれば、新しい場所で早く生活再建した方が良いという判断 をしたと考えられる。早期に住宅再建・生活再建ができていることから生活復興感 も高くなっている。 最も復興感が低いのは災害復興公営住宅に住む世帯である。自分でどれだけ住宅 再建に主体的に関わることができているのかが、生活復興感を規定していると考え られる。転出して自力再建した世帯は、住宅再建のプロセスを完全にコントロール できているのに対し、災害復興公営住宅の入居世帯は行政の支援を待つしかなく、 自ら住宅再建のプロセスを全くコントロールできない。また、復興事業に参加する 世帯は事業の進捗状況に住宅再建のプロセスは影響を受けるため、転出する世帯よ り復興感が低くなっていると考えられる。 また復興事業の遅れが生活復興感を低下させているということも考えられる。分 析対象としている宮城県名取市では、閖上と下増田 ( 仙台空港周辺 ) という2つの 地区が大きな被害を受け復興事業が実施された。閖上地区では復興の進め方が定ま るのに少し時間がかかったのに対し、下増田地区では迅速に復興が進められた。こ の2つの地区の復興感の違いを図 3 に示す。2015、16 年の調査結果を比較すると

図 2 生活復興感(宮城県名取市現況調査」)

108

質問項目を 14 項目設け、各質問項目を5件法で 問い合わせた。これらの項目に対し因子分析を 行った結果、一因子が抽出されたことから、14 の質問項目が一つの潜在変数をはかっていること が明らかとなり、この潜在変数を「生活復興感」 と名付たものである。林春男,阪神・淡路大震災 からの復興調査 2001 -生活調査結果報告書,京 都大学防災研究所,2002


Housing Reconstruction and Reconstruction Projects -The Great East Japan Earthquake's Perception of Life RecoveryNorio MAKI

図 3 復興事業の進捗度と生活復興感

いずれの調査でも、2地区間の生活復興感に統計的に有意な違いは見られない。ま た統計的に有意ではないが 2015 年では復興事業が遅い閖上地区の方が高くなって いる。したがって復興事業の進捗スピードの違いは復興感に違いを与えていないこ とが分かる。すなわち、自分でどれだけ住宅再建に主体的に関わることができてい るのかが生活復興感を規定していると考えられる。 5 本章の内容は、伊藤圭祐,牧紀男,立木茂雄,佐

誰が復興事業に参加するのか 5

藤翔輔,松川杏寧、復興事業区域内に自立再建す る被災者の住宅再建に関する意思決定の規定因- 宮城県名取市を事例として-日本建築学会計画系

自力で別の場所に転出して再建する人の生活復興感が高いのであれば、被災した

論 文 集, 第 84 巻, 第 762 号,pp. 1863-1870,

元の場所の再建なんて必要が無いのでは、先述の雄勝町のように戻ってくるのが

2019、による。

10% 程度であれば復興事業は必要ない、という議論もありうる。しかし、現実的 な選択として地域を離れざるをえなかったが、可能であれば自分が育った懐かしい 故郷に戻れるなら戻りたかったと考えていた人も多くいると考える。様々な異論も あると思うが、まちをつくる・守る、という立場から、どうすれば元の場所に戻っ てくるのかについて考えてみたい。 まず、復興事業に参加して自力建設したのはどういった人なのかについて確認し てみる。転出して自力建設することも可能であったにも関わらず復興事業に参加し た人はどういった人なのか、宮城県名取市が実施した被災した人の現況調査の結果 を用いて、復興事業への参加者の特性について統計的に分析を行った。「プレハブ 仮設に住む」 「多世代で同居している家族構成をもつ」 「豊かな人間関係をもつ」 「元 のまちに愛着をもっている」「行政への依存度が高い」「暮らし向きは転出して自力 した人ほど豊かではない」「災害対策をそれほど重視しない」といったことが復興 事業に参加する人の特徴である。2、3世代が同居で、まちに愛着を持つとともに、 災害前から地域に深く関わりをもち、自治会活動等で行政とのお付き合いをしなが ら地域の担い手として活動してきた人、という復興事業に参加する人の姿が浮かび 上がってくる。自助・互助・共助・公助といった観点から見ると、互助型の人であ る。また、復興事業に参加した人の特徴として、建設型の応急仮設住宅に入居して いた、ということがあるが、地域との付き合いが深く、避難所も含め地域を離れら れない、もしくは大家族が入居できる借り上げ仮設を探すのに苦労した、といった ことが想像できる。また、災害対策をそれほど重視しないという特徴は、閖上地区 の地区の再建は、海から近い地域で行われているためであると考えられる。 一方、地域を離れて自力で再建した人は、独立独歩の人なのかというと、必ずし もそうではなく、市民参加が重要と考える人が多い。地域を離れて自力で再建した 人の姿として、昔ながらのスタイルでは地域との関わりをもっていないが、共助的 な新たな姿での地域の関わりを求めている人という姿が浮かび上がってくる。した がって、復興事業の進め方によっては、復興事業に巻き込み、元の場所での住宅再 建を進めることも可能であった。

109


ESSAY

生活再建と復興事業

これまでの生活再建に関わる調査研究から「住まい」( 住宅再建 ) と「つながり」 が生活再建を行う上で不可欠な要素だということが分かっている 6。ここまで検討 したことは「生活再建と復興事業」なのか「復興事業と生活再建」という問題であ る。生活再建を成し遂げるために復興事業があるのか、まちをつくれば、個々の生 活再建は自ずと成し遂げられる、と考えるのかということである。災害による被害 を受けても、高度成長期であれば、成長の恩恵により個々の生活は自然に元に戻っ ていく。そのため高度成長期の日本の復興は「復興事業と生活再建」で進められて きた。日本が高度成長期にあった 1961 年に制定された災害対策基本法は「災害復 旧の実施について責任を有する者は、法令又は防災計画の定めるところにより、災 害復旧を実施しなければならない」( 第 87 条 ) と定めており、すべての施設を復 旧することになっている。現在の日本は人口減少社会となっており、公共施設を復 旧したら、復興事業で安全なまちをつくったら人口は戻り、人々の生活再建は自然 と成し遂げられるという時代ではなくなっている。安定成長・人口減少社会におい ては「復興事業と生活再建」ではなく「生活再建と復興事業」というように災害か らの復旧・復興についての考え方を改める必要があることは間違いない。 新潟県中越地震、東日本大震災の事例を見て、阪神・淡路大震災でも果たして復 興事業は善だったのかということが気になり、復興事業にどれだけの人が参加した のかを再度調べてみたところ、完成までに長い時間を要する市街地再開発事業に よる復興を行った地域では、多くの人が地域を離れていた ( 残留率:六甲 61.2%、 西宮北口 31%他 )7。復興事業は生活再建を支援する錦の御旗ではないということ を自覚した上で、やはり災害で被害を受けたまちを再建していくことは重要である と考える。名取市の分析から分かるように、地域を離れて再建した人の中にもまち づくりの進め方によっては元のまちに残り、まちを支えていく中心的なメンバーと なる可能性があった人が多く存在する。「生活再建と復興事業」という観点から今 後の災害復興のあり方を考えていきたい。

110

6 林春男,阪神・淡路大震災からの復興調査 2001 - 生 活 調 査 結 果 報 告 書, 京 都 大 学 防 災 研 究 所, 2002 他 7 安藤元夫『阪神・淡路大震災 復興都市計画事業・ まちづくり』学芸出版社,2004


Housing Reconstruction and Reconstruction Projects -The Great East Japan Earthquake's Perception of Life RecoveryNorio MAKI

宮城県石巻市雄勝地区中心部に建設された復興団地 (2019 年 )

宮城県名取市閖上地区の復興団地 (2018 年 )

111


ESSAY

住経験論ノート(3)― 異文化の住経験に触れること:デルフト工科大学における試行 Note for Study on Dwelling Experience 3:Cross-Cultural Exchange of Dwelling Experiences, a Trial at TU Delft

柳沢 究

はじめに:留学生の住経験インタビュー

2020 年 3 月、オランダのデルフト工科大学で住経験を主題とした、展覧会とシ ンポジウムを開催した。本稿ではその報告を兼ねながら、住経験インタビューの国 際的展開の可能性と課題について考えてみたい。 これまでのところ「建築学生による親の住経験インタビュー」の取り組みは、大 学の授業で実施している。その受講生には留学生も含まれており、中国や台湾、イ ンドネシアやオーストラリア、フランスなど、様々な国の学生が住経験インタビュー に取り組んでくれた。彼らの住経験インタビュー・レポートを読んでいると、その 国の住宅事情をとてもよく理解できた気がしてくる。インタビューが一般にそうで あるように、語られた経験は個別的であり、曖昧な記憶による勘違い、誇張や美化 が含まれるかもしれず、説明はしばしば舌足らずである。それにも関わらず、ある いはだからこそ、そこで語られた異国の住経験は、報道や文献、短期間の旅行程度 ではなかなか見えてこない、リアルな住まいと暮らしの姿をよく伝えてくれる。あ

図 1 展示会・シンポジウムの告知ポスター

る人の住経験を理解することは、その人生と文化的背景をまとめて追体験すること に他ならないからである。 ちょっと話は飛躍するけれど、多民族社会では、異なる文化的背景をもつ人々が 居住空間を共有することに起因するトラブルが生じやすい。そのような状況におい て住経験の交流は、住を契機とした異文化間での相互理解の有効な方法にもなり得 るのかもしれない。

“Home Life Diaries” プロジェクト

…というようなことを漠然と考えていたところに、住経験研究の仲間の一人であ る水島あかね氏 ( 明石工業高等専門学校 ) が、オランダのデルフト工科大学 (Delft University of Technology、以下「デル工大」) に客員研究員として1年間留学する ことになった。しかも所属先は、2017 年に西山夘三の著作の英訳1を出版したカ ローラ・ハイン教授 2 の講座であるという。ハイン氏は都市計画史の世界的な第一 人者であるが、日本への留学経験もあり、上記書籍等を通じて日本以外ではほとん

図2 オレンジホール (the Oostserre) での 展示の様子

ど知られていない西山の業績を海外に紹介している人物である。もとより住経験研 究は、西山の『住み方の記』を着想の源の一つとしており、また我々の住経験本が 西山夘三記念文庫から出版されている3。そんな縁もあり、水島氏がハイン氏に住 経験研究の取り組みを紹介したところ、ハイン氏はたちまち研究の意義を理解し、 デルフトで試みてはどうかと提案されたという。かくして「建築学生による親の住 経験インタビュー」は、水島氏のデル工大留学中の研究プロジェクトの一つとなり、 水島氏はデルフトで、筆者ともう一人の共同研究者・池尻隆史氏 ( 近畿大学 ) は日 本から遠隔で、2019 年 4 月より約1年間かけて、プロジェクトの企画・準備に取 り組むことになったのである。 プロジェクトの名称は、デルフト側の教員とも相談し、住生活を経時的に描写す る手法的特徴を表す “Home Life Diaries” とした ( 図1。意識したわけではないが、

112

1 Nishiyama Uzō, Carola Hein (ed.), Norman Hu (trans.), “Reflections on Urban, Regional and National Space: Three Essays”, Routledge, 2017。 底本は西山夘三著作集『地域空間論』の 1・9・ 10 章。西山の著作が本格的に英訳された書籍は、 本書がおそらく初と思われる。 2 Dr. Carola Hein: Professor and Head, Chair History of Architecture and Urban Planning, Delft University of Technology. 3 柳沢究・水島あかね・池尻隆史 「住経験インタビュー のすすめ」西山夘三記念すまい・まちづくり文庫、 2019


Note for Study on Dwelling Experience 3:Cross-Cultural Exchange of Dwelling Experiences, a Trial at TU Delft Kiwamu YANAGISAWA

結果として『住み方の記』の素直な英訳になっているように思う )。プロジェクト の目的は、前述の異文化理解ツールとしての応用を念頭におきつつ、これまで組み 立ててきた住経験インタビューの手法が、文化的背景の異なる海外においても適用 可能かどうかを検証することである。デル工大には世界各地からの留学生が多数在 籍しており、初めての国際的な試行の舞台として適切と考えられた。なお、この取 り組みは「住経験インタビューの国際的展開」として、日本生活学会の 2019 年度 生活学プロジェクトにも採択された 4。 図 3 オレンジホールの ”Tribune”。内部に オフィスや講義室がおさめられている。

デルフト工科大オレンジホールでの展覧会

プロジェクトでは、日本での取り組みと同様に、学生がその親 ( または祖父母 ) を対象とした半構造化インタビューを行い、これまでに住んだ住居とそこでの生活 についてテキストと平面図を用いて整理した。またプロジェクトのまとめとして、 それらの成果物と住経験研究を紹介する展覧会とシンポジウムを開催した。 勝手の分からない海外の大学でのプロジェクトには、苦労も多かった。当初は正 規の課題に取り入れる予定であったが、諸事情でかなわず、夏季休業中の自主課題 として有志学生で実施することになった。興味をもった十数名のデル工大大学院生 が参加してくれ、うち9名はインタビューまで終えた。しかし正課との両立は厳し く、最後のポスター制作までたどりついたのは2名であった。その一方で、当時、 短期客員教授として同大に在籍していたルチカ・モミルスキ氏 5 が、本プロジェ クトに大いに共感し、本務校であるスロベニアのリュブリャナ大学 (University of Ljubljana、以下「リュブ大」) の建築学部二年次課題に採用してくれたことは、大 きな助けとなった。10 名の初々しいリュブ大生が住経験インタビューに取り組ん でくれた。 4 2019 年度生活学プロジェクト「住経験インタ

プロジェクトの成果物は、デル工大建築学部の the Oostserre、通称オレンジホー

ビューの国際的展開」( 研究代表者:水島あかね、

ル 6 を会場とする展覧会 “Home Life Diaries” にて披露された ( 会期:2020 年 3 月

共同研究者:柳沢究・池尻隆史 )。水島あかね・

2 日〜 13 日。図2・3)。展示は大きく2部構成である。第1部は住経験研究の

柳沢究・池尻隆史「住経験インタビューの国際展 開の試み」日本生活学会第 47 回研究発表大会梗

紹介として、ハイン氏によるイントロダクション ( 本稿末尾に掲載 )、目的や手法、

概集、pp.48-49、2020 年 6 月

特徴的な事例を紹介するパネルを用意した ( 図4)。日本の住宅事情を理解する助

5 Dr. Lucija Ažman-Momirski: Professor, Faculty of Architecture, University of Ljubljana. 6 オレンジホールと通称される the Oostserre は、 元々は大学本部棟として利用されていた歴史的建 築にコの字形に囲まれた中庭であったが、2008

けとして、玄関や土間・浴室といった日本住宅の特徴的要素の解説や、日本の住宅 の系統図 7、住宅双六 8 の英訳版なども制作し、あわせて展示した。第2部は、学 生による「親の住経験インタビュー」の結果をまとめた A0 サイズのポスターである。

年の建築学部の火災後の床不足を補うため、中庭

デル工大から2点、リュブ大から 10 点、これに日本からの9点 ( 京都大と近畿大

に屋根を架けた屋内ホールとしてリノベーショ

から各4点、明石高専1点 ) を加えた、計 21 点のポスターを展示した ( 図 5-1、

ンされた。中央の階段状の構造物、“Tribune” の 設 計 は MVRDV (『 建 築 と 都 市 Architecture and Urbanism』 、No.559、pp.42、2017 年 4 月 )。 7 元図として、『建築雑誌』(No.1714、pp.2-18、日 本建築学会、2018 年 8 月 ) の特集「日本のすま

図 5-2)。国別に見れば、クロアチア・スロベニア・北マケドニア・モンテネグロ・ エチオピア・中国・日本の計7ヶ国の事例が含まれる ( 開催国であるオランダの事 例が無かったことが惜しまれる )。

いと六つの格差」の冒頭に掲載した図版「〈日本

展示会場となったオレンジホールは、様々な講演やシンポジウムが催されるイベ

住宅の発展系譜〉とその後」を使用した。

ントホールであると同時に、いつでも自習やグループワークに使える開かれたス

8 上田篤による「現代住宅双六」( 朝日新聞 1973 年 1 月 3 日 ) を元に作成した。

ペースとなっており、建築学部に限らない多くの学生が出入りしている。展示の前

113


ESSAY

図 4 日本の住経験インタビューの事例紹介

図 5-1 スロベニア出身の学生のポスター

に長時間立ち止まり興味深そうにポスターを眺める学生の姿が、会期中はしばしば 見られた。

図 5-2 中国出身の学生のポスター

9 2020 年 3 月は新型コロナウィルス (COVID-19) が、 イタリアからヨーロッパ中に拡がった時期であっ た。本題とは関係ないが、以下に当時の状況を記 録として記しておきたい。

日本では同年2月まで、もっぱら中国・韓国・

シンポジウムでの住経験研究の紹介

イラン・イタリア、豪華客船内での感染が注目さ れていたが、2月末から3月頭にかけて、次第に

展 覧 会 終 盤 の 2020 年 3 月 11 日、 建 築 学 部 の ベ ル ラ ー へ・ ル ー ム (Berlage

国内での感染拡大が確認されはじめた。筆者がデ ルフトに向けて日本を出発した3月8日時点で

rooms) を会場に開催したシンポジウムでは、住経験研究の紹介と学生による発表

は、日本発の渡航制限対象は上記4ヶ国だけであ

が行われた。筆者と池尻氏も、それに先立つ3月9日にデルフト入りした 。

り、イタリアを除くヨーロッパの感染は、徐々に

9

シンポジウムは水島氏による挨拶に始まり、まずハイン氏による本プロジェクト の位置づけが行われた ( 図6)。西山夘三や今和次郎のドローイングが映し出され 10

、日本に庶民の日常生活と住まいを詳細に観察し描写する研究の潮流があること、

住経験研究はそこから派生したものであることなどが論じられた。 続いて筆者が、住経験研究の概要を紹介すると共に、住経験はその国の文化的・

拡がりつつあったものの、報道ではほとんど目立 たなかった ( オランダでの初の感染確認は 2/27)。 どちらかといえば、日本からの渡航者が入国拒否 されるかどうかという懸念の方が大きかった。9 日に入国したオランダでも、マスクをしている人 はほとんどおらず、大学でも握手やハグは控え、 日本式のお辞儀で挨拶しましょうというのが軽い ジョークとなっている程度であった。

社会的文脈に大きく依存するため、今回のシンポジウムでは、住経験を把握したり

しかしながら現地滞在中に、オランダでの感染

交流したりすることの意義、その手法の是非、展開可能性にフォーカスした議論を

ならびにそれへの対応措置は、日に日に拡大して

したい、というようなことを話した ( 図7)。また、いわゆる住み方調査でよく用 いられる、平面図をベースに家具や物財を描き込む手法は、こちらの学生にはあま り馴染みが無いため、その背景や意図について丁寧に説明した。

いった。シンポジウムの翌日 12 日昼には、オラ ンダ中のミュージアムが一斉に閉鎖された ( 筆者 らはフェルメール、レンブラントの作品を所蔵す るマウリッツハイス美術館の門前でその閉鎖を告 げられ、入館することができなかった )。13 日朝

池尻氏は、これまでの住経験インタビューで見られた特徴的な事例の紹介を行っ

にはデルフト工科大への学生の立ち入りが禁止さ

た。ここで難しいのは、我々が注目する住経験事例の面白さは、多くの場合、現代

れ、15 日の夕方には薬局と食料品店を除く店鋪

日本の「一般的な住居」との大小の齟齬に起因するため、そもそも日本の住宅や生 活の事情をある程度知らないと、その齟齬の意味も理解できないことである。その ためどこまで背景情報を補って説明すべきか、準備段階では随分と頭を悩ませた。 住経験がきわめてハイコンテクストなトピックであることは、この後の学生発表で もあらためて実感することになった。

やレストランが全て閉鎖となった ( 池尻氏はデル フトのバーで飲んでいる際に「これが最後のビー ルだ」と告げられた )。結局、シンポジウム終了 後は、研究交流も観光も土産の物色もほとんどで きないまま、コロナに追い立てられるように 16 日に帰国の途に着くことになった。結果としては、 シンポジウムと展覧会がぎりぎり開催できたこと が、むしろ幸運だったと考えるべきだろう。 KLM の日本便は半分に間引かれていたが、幸い

6ヶ国の学生による住経験インタビュー

予約の便は無事に飛んだ。機内は 70% 程度の乗 客で、往路と違って多くの乗客がマスクを着けて いた。帰国時点ではヨーロッパからの入国者の自

シンポジウム後半では、クロアチア・スロベニア・モンテネグロ・エチオピア・ 中国・日本の6ヶ国からの学生計7名が、親への住経験インタビューの内容をプレ ゼンテーションした ( 図8)。ごく簡単ではあるが以下に紹介する。わずかでも雰 囲気が伝わればと思う。

114

宅隔離は義務ではなかったが、大学の方針に従い 14 日間の自宅待機となった。京大に来て初めて の配属学生の修了に立ち会えなかったことは悔や まれる。3月下旬にはヨーロッパから日本への航 空便もわずかとなり、留学を終え帰国する水島氏 はさらに苦労したという。


Note for Study on Dwelling Experience 3:Cross-Cultural Exchange of Dwelling Experiences, a Trial at TU Delft Kiwamu YANAGISAWA

図 7 筆者によるプレゼンテーション

図 6 カローラ・ハイン教授によるレクチャー。映っているのは下宿での製図の様子を描いた西山夘三の絵。 図 8 学生による住経験インタビュー結果の発表の様子

【クロアチア】学生の高祖父が 1914 年に建てた二室だけの農村住居 ( 石造 ) が、 少しずつ増築と改修を重ねながら、3代にわたり約 80 年住み続けられた様子を描 いた。居住者が多い時期に、廊下の一角を子ども部屋としていたことが印象的であっ た ( 図9)。 【スロベニア①】1954 年生の祖母:キッチンと2寝室の小さな農村住居に、結婚 後も含め 40 年近く住み続ける。煮炊き釜で洗濯し、食堂にバスタブが置かれた。 1969 年に水道が通ったことが嬉しかったという。 【スロベニア②】1972 年生の母:イタリアとの国境付近、第一次世界大戦で壊さ れた家を再建した、3世代・3世帯計 10 人の拡大家族が住む家に育つ。最寄りの 町までは徒歩4時間。浴室は無いが、パン窯があるため村中の人が集まったという。 【モンテネグロ】1955 年生の祖母:人里離れた山中の小さな小屋に家族7人で暮 らす ( 図 10)。一つの寝室にベッドを5台置いていた。1972 年に街に出て2世帯 が廊下や水回りを共有する共同住宅に住む。初めてトイレが家の中にあり嬉しかっ た。結婚後は徐々に大きな家に住み替えていく。 10 このシンポジウムのちょうど2年前の 2018 年 3 月、黒石いずみ氏 ( 青山学院大学 ) とカローラ・

【中国】1968 年生の母:江西省にある父が自力建設した家に育ち、結婚して広州へ。

ハイン氏の主催による、今和次郎と西山夘三のド

子どもの通う学校の目の前の集合住宅に住む。現在住む豪華な集合住宅よりずっと

ロ ー イ ン グ 展 “From Architectural Ethnography

古くて小さかったが、将来的にその家に戻りたいと考えている ( 学生は初めてそれ

to Planning: Kon Wajiro and Nishiyama Uzo’s participatory research of everyday space in Japan from the 1910s to 1970s” が、 ま っ た く 同 じ 会 場 で 開 催 さ れ て い る (http://agu-kuroishi.jp/wpcontent/uploads/2018/11/From-Architectural-

を知り驚いた )。 【エチオピア】1953 年生の父:伝統的な円形住居に育つ。家の中には牛の部屋もあっ た ( 図 11。話を聞いた学生も驚いた )。毎朝 5 時に起きてコーヒーを飲み働いた。

Ethnography-to-Planning.pdf 2020/9/15 閲覧 )。

成人後は都市部に就職し結婚、ケベレ住宅という低所得者向け公営住宅に住み働き

11 アメリカ国務省が移民多様化ビザ抽選プログラ

ながら勉強を続ける。その後、移民多様化ビザ 11 に当選し、アメリカのペンシル

ム (Diversity Immigrant Visa Program) に よ り 発 行するアメリカへの永住ビザ。通称 DV ビザ。DV

バニア州に移住し牧師となる。現在は閑静な住宅街にある鉄骨レンガ造のテラスハ

ビザは、これまで移民が少なかった国の人を対

ウスに住む。

象とし、その当選者はコンピューターによるラ ンダムな抽選により選出される。( 在日米国大使

【日本】1962 年生の母:大阪の大規模な伝統的民家に育つ。一角で酒屋を営みな

館・ 領 事 館 WEB サ イ ト、https://jp.usembassy.

がら度重なる増改築が加えられ、家は複雑な形に拡張された。結婚後は小さなアパー

gov/ja/visas-ja/immigrant-visas-ja/diversity-visa-

トから戸建てへと順調に住み替えていく。

program-ja/ 2020/9/15 閲覧 )

115


ESSAY

図 9 当初平屋であった家に2階と屋根裏部屋を増築。部屋数が 足りず、2階の廊下が子どもの寝場所に。バスタブはキッチンに 置かれる ( クロアチア、1967)

図 10 山間部の木造の小屋での暮らし。一つしかない寝室に一家

図 11 「Tukuls」と呼ばれる南部エチオピアの伝統的な円形住居での生活の様子。

7人が集まる。家族は畑仕事や動物の世話をしてほとんど屋外で

草葺きの屋根は 1965 年に金属屋根になった (1953-1978)

過ごした ( モンテネグロ、1955-1967)

複数ある南東ヨーロッパ諸国の事例を見ていると、住宅の大部分を寝室が占める こと、キッチン兼食堂が家の中心であり、古い家では食堂の一角に浴槽を置いてい たこと ( 沸かしたお湯を溜めやすいからであろう )、ホール状の部屋が多い、といっ た共通する特徴がおぼろげに理解されてくる。経験住居数は日本に比べかなり少な く、子どもは結婚後も生家で親と同居を続けるケースが多い。発表した学生の言葉 を借りれば、「子どもは可能な限り長く家に居続けようとする」のが一般的である という。逆に、仕事やライフステージが変わるごとに頻繁に家を変える日本のスタ イルは、彼らの目には随分忙しいものに映ったようである。エチオピアの事例は大 学院生によるもので、密度の高い生活の描写とともに、エチオピアの片田舎からア メリカの大都市へとドラスティックに展開する住経験が会場を沸かせた。母国の伝 統的円形住居は学生自身も体験したことがなく、インタビューによる平面図と生活 の復元作業には、学ぶところが大きかったという。 学生発表の後には、モミルスキ氏から「The Unexplored Realities of Dwelling( 住 まいの知られざる実態 )」と題した問題提起がなされた。考古学者が先史時代の住 居における生活を探るように、建築家もまた ( デザイン・コンセプトを考える前に ) 住居における経験に注目すべきであるとして、住経験を通じて考えるべき、いくつ もの問いが提示された。「伝統は私たちの住宅の習慣にどれだけ影響を与えている のか?」「建築家はどうすれば、ごく私的な住経験に踏み込むことができるのか?」 「なぜ人々は建築家を信頼せず定型的な住宅を選ぶのか?」。これらの問いは、住経 験研究を実践に結びつけるための手掛かりであり、とりわけ設計を志す学生たちに よく響いたと思われる。その後は、一般参加者も含め会場から様々な発言があり、 非常に有意義な議論がなされたと思う。シンポジウム終了後にはオレンジホールで くつろいだ雰囲気の懇親会が催された ( 図 12)。

図 12 オレンジホールでの懇親会の様子。 簡単なパーティのために料理や飲み物を運ぶ 専用ワゴンが用意されている。

116


Note for Study on Dwelling Experience 3:Cross-Cultural Exchange of Dwelling Experiences, a Trial at TU Delft Kiwamu YANAGISAWA

国際的試行の成果と課題

参加学生へのアンケートでは、おしなべて好意的な評価が寄せられ、胸をなでお ろした。多かったのは、知らなかった祖父母世代の住まいと暮らしが理解できて良 かったという声である。建築を学ぶ上で、住居と生活が時間とともに変化する様子 や、空間と人と地域の関係を一体的に理解できた点が有益だったとする感想も多 かった。対象者を深く理解できたこと自体が有意義だったという声も複数あった。 いずれも日本の学生の反応とほぼ一致しており、住経験インタビューがもたらす体 験や建築教育上の効果は、国や文化を超えて相通じるようである。またプロジェク トの準備段階において、住経験を対象にすることの意義や問題意識を、教員と参加 学生にごくスムーズに了解・共有してもらえたことにも意を強くした。モミルスキ 氏から、引き続き共同研究を行おうとの喜ばしい提案をもらったことも、成果の一 つに数えてよいだろう。 見知らぬ文化の住まいを知り、国や地域が違えば生活も大きく異なることを実感 したという感想は、期待していたとおりであるが、ほとんどの参加者から聞かれた。 その一方で、異文化の暮らしを想像することの難しさも痛感した。筆者にとってまっ たく馴染みの無い土地、例えばモンテネグロやエチオピアの暮らしぶりは、正直な ところ、発表を聞き図面を見ても、ほとんど想像することができなかった。写真や 映像などのビジュアルな資料の助け、あるいはテキストによる生活描写の必要性を 強く感じた。 ある住経験がその文化の中で一般的な ( あるいは珍しい ) ものかを判断すること は、当該文化に関する基礎知識が無いと、とても難しい。要するにコンテクストが 分からない。これは住まいに限らず、異文化間の交流一般に通じる問題であろう。 とはいえ、事前に十分な知識や文脈を理解した上で交流を行うことは不可能である し、そもそもそんなことをすれば交流の意義が半減してしまう。むしろ、住経験の ハイコンテクスト性を意識した上で、一方は補うべき文脈をよく吟味し、他方は理 解が及ばない点を尋ねながら、両者が想像力を逞しく働かせることで、実りの多い 住経験交流が成り立つと考えるべきだろう。そのためには、交流の目的や意義、成 果物のイメージなどを事前にしっかりと共有し、また発表と質疑に十分な時間を確 保する必要がある。その点では、今回のシンポジウムはやや時間不足であった。作 業負担軽減の意図もあり、アウトプットをポスターのみにしたことで、レポートに 比べると、ささやかなエピソードや生き生きとしたニュアンスの描写が抜け落ちて しまったことも、課題として残る。 ともあれ住経験インタビューの初の国際的展開を通じて、意義や手法が国際的に 通用することが確認でき、今後の課題が明快になったことは、大きな成果であった。 本プロジェクトは、立ち上げから約1年にわたり粘り強く企画の準備を進めた水島 あかね氏の尽力、ハイン氏とモミルスキ氏の支援と協力なくしては実現しえなかっ た。展覧会の準備・設営では、デルフトの大学スタッフや留学生諸氏に多くの助力 をいただいた。心からの感謝を伝えたい。

117


ESSAY

最後にこの場を借りて、デルフトでの展覧会に寄稿いただいたハイン氏によるイ ントロダクションを紹介する。住経験研究について論じた初めての英語のテキスト であり、研究の背景から可能性まで簡潔的確にまとめてくれている。

Introduction

(The exhibition “Home Life Diaries”, 2020/3/2~13, TU Delft) Dwelling experience & Dwelling Understanding engages the experience of space on a personal and everyday level. Our homes are the places where we spend many hours per day and experience architecture. Their form and function, we argue, has a major impact on the way we choose our future housing and on the ways we live. But, how much do we know about the spaces and lifestyles of the everyday? How big are the spaces where we sleep, eat, and play? How many objects do they contain? How do these objects shape the way in which we organize our live? How do these spaces and their usage change over time and through space? Our experience of space and the way of using these spaces is intimately linked to our age and life inspiration. What seemed to be a huge playground with numerous diverse materials and experiences for creative endeavors, may seem a tiny space when we return as adults. Lifestyles may change over a generation and the former life of ones’ parents and caregivers may become difficult to imagine. Our view on how we live also depends on time, politics, economics, social systems and culture in a given place, requiring careful assessment of one’s own point of view before making assumptions about the ways that a place is lived in. Architectural drawings are not enough to understand and study the complex experience of everyday housing and its meaning through time and space in different institutional context. Architectural ethnography allows us to go beyond the measures of rooms or listings of materials to understand (changing) uses of the space, furniture and lifestyles that are personal reflections for a specific moment in time and a place. The contributors to this exhibition have documented changing housing environments and lifestyles of their parents through interviews and drawings, creating a unique cultural history of individual housing experiences in Japan, Slovenia, China and Ethiopia. This method of architectural ethnography is derived from practices that several Japanese architects and planners spearheaded. Kon Wajiro and Nishiyama Uzo have documented lifestyles in the context of their physical surroundings as shown in an exhibition in TU Delft in 2018. Such an approach is key to (re)connecting spaces and their use for changing use overtime. The analytical drawings help us understand and compare cultural objects that people used and the ways in which they interacted with them. They also raise questions about other housing experiences through time and space.

118


Note for Study on Dwelling Experience 3:Cross-Cultural Exchange of Dwelling Experiences, a Trial at TU Delft Kiwamu YANAGISAWA

This exhibition showcases the unique Lifology method, developed by Dr. Yanagisawa in Japan 2013, to which Dr. Ikejiri and Dr. Mizushima have contributed since 2017, applied by 9 students from Japan, 10 students from the University of Ljubljana and 2 students from TU Delft. This small sample of proposals provides a first glimpse at the role that architectural ethnography can play in developing new housing futures. A better understanding of how individual experiences of homes and everyday life can help shape future lifestyles, and can provide important insights for architects and urbanists eager to create smarter, sustainable and socially just built environments. To do that we need a broader range and more diverse experiences. Therefore, we invite the audience to share their personal experience. (Prof. Carola Hein, TU Delft)

“Home Life Diaries” in Delft Dwelling Experience Research Project ( 住経験研究会 ): Dr. Kiwamu Yanagisawa (Kyoto Univ.), Dr. Akane Mizushima (National Institute of Technology, Akashi College/TU Delft), Dr. Takashi Ikejiri (Kindai Univ.), Prof. Lucija Ažman-Momirski (Ljubljana Univ.) Project Staff: Coordinator: Dr. Akane Mizushima

Member: Dr. Kiwamu Yanagisawa, Dr. Takashi Ikejiri, Prof. Lucija Ažman- Momirski Contributor: Prof. Calora Hein (TU Delft) Assistant Editor: Hinako Kyotani (Kyoto Institute of Technology/TU Delft), Ryo Nawata (Wakayama Univ.), Karin Morisaki (National Institute of Technology, Akashi College) Student Participants: Yuina Asato, Pia A. Babnik, Ana Bakoč, Aljaž Banko, Ema Bek, Tea Berljavac Casa Vecchia, Jure Bevc, Natalia Boskovic, Yasuhiro Hayashi, Kohei Ito, Andraž Lovšin, Yadie Meko, Karin Morisaki, Haruka Niitsu, Arisa Noma, Saki Okita, Marko Stavrev, Taiki Tanaka, Spela Valantic, Shuji Yamamoto, Yuerong Zhou Special Thanks: Tessa Wijtman-Berkman, Bas Vahl, Stephan Hauser, Gul Aktürk, Tomaž Berčič, Maria Novas Ferradás, Schwake Gabriel, Yingying Gan, Yasuko Kamei, Kohei Suzuki, Andrej Mahovič, Žan Menegatti, Shohei Nishimoto, Jon Šinkovec, Jungmin Yoon, Shile Zhou, Xiaogeng Ren, Wang Ruikun, Maks Rojec, Japan Society for Lifology

119


ESSAY

micro architecture

小見山 陽介

軽い建築

「君は、自分の建物の重量を知っているかい?」これは、英国のハイテック建築 家ノーマン・フォスターが、後に彼の代表作となるセインズベリー視覚芸術センター の現場を訪れた際に、同行したリチャード・バックミンスター・フラーから質問さ れたとされる問いである。部材質量あたりの性能を高めて軽量な構造を目指すハイ テックの思想は、現代におけるサステイナブル・デザインのエネルギー志向な一翼 を担っている。 修士課程在籍中だった 2005 年、日欧 7 大学間の交換留学制度 AUSMIP により、 欧州の環境建築技術を学ぶためミュンヘン工科大学へ留学する機会を得た。そこで 指導教官として出会ったのが、のちにロンドンへ自分を呼び寄せてくれることにな る英国人建築家リチャード・ホールデンだった。 Foster Associates に所属していた当時、冒頭のフラーの質問に答えたのは当時セ インズベリーセンターを担当していたホールデンだったという。正確な数値を計算 して答え、最後にこう付け加えた。「ゆえに、単位容積あたりの重量は、ボーイン グ 747 型機よりもずっと軽いと言えます」。ボーイング 747 は当時最新鋭の超大 型旅客機。フラーはそれを聞いて大変満足したという。 ホールデンが担当する建築デザインスタジオは通年式で、前期はテーマに沿って 学生がアイデアを競い、後期はそこで選ばれた数点の計画案について、スポンサー 探しから実際の建設までを学生主体で行う現場主義のカリキュラムが特徴だった。 ホ ー ル デ ン は 学 生 た ち と 取 り 組 ん だ そ れ ら の プ ロ ジ ェ ク ト 群 を micro architecture と呼び、軽さ(lightness)によって諸条件を統合(integrate)する思 考実験とした。資源もエネルギーも限られた状況で建築は “ 軽さ ” へと向かう。た とえば現地での建設が困難な雪山山頂へ居住空間を直接運搬するプロジェクト「Ski Haus」では、プレファブリケーションされた建物の総重量はヘリコプターの搭載 可能最大重量(自動車あるいは家畜を運搬するために設定されている)から逆算さ れ、部品のひとつひとつまでもが精査され研ぎ澄まされる。 ホールデンは僕ら学生をカヤックの工場やパラグライダーの格納庫に連れて行き スケッチをさせた。それら “ 軽い ” 構造体において支配的なのは、地面に向かい一 方向に働く重力ではない。浮力や上昇気流など、より微細で複雑な力に対して設計 された統合的ディテールが要求される。 micro architecture の目的はその小さな世界の完全性にあるのではなく、より一 般的な問題へとつながるアイデアの部品を得ることにある。軽さへと向かうなかで、 建築と環境や社会との物質的なつながりが顕在化する。ホールデンと過ごした時間

120


micro architecture Yosuke KOMIYAMA

から学んだのは、建築を成り立たせている仕組みや技術に意識的になることで見え てくる新しい可能性だ。それは CLT(Cross Laminated Timber)という黎明期にあ る木質建材の研究開発を通して、新しい建築プロトタイプをつくりだそうとしてい 1 初出:『工学広報 No.70』( 京都大学工学部・工学

る今の自分の研究姿勢につながっている 1。

研究科企画広報掛、2018 年 10 月 )

追悼 リチャード・ホールデン ミュンヘン・ロンドン時代を通じての恩師、リチャード・ホールデンが 73 歳で この世を去った。2018 年の 10 月のことだ。 書き上げた博士論文を携えて、設計した近作の竣工写真を携えて、彼の元を再訪 する夢は叶わぬものとなった。 ホールデンの愛弟子にして、HCLA でパートナーを組んだ同志でもあるビリー・ リーが、RIBA Journal に寄せた追悼記事 (Obituary) を以下に翻訳する。( 図1)

図1:Richard Horden Orbituary

121


ESSAY

30 年前に出会った時には筋書きに無かったはずの、彼とのこの早すぎる別 れについてリチャードと話したことを思い出している。彼の元で 1989 年 に働き始めたとき、私は 23 歳だった。私はその年の5月にアーキテクチュ ラル・レビュー誌で彼についての記事を読んだのだ。表紙には「将来有望 なイングランドの新星」の文字が踊っていた。私はすぐさま自転車に飛び 乗り、当時ゴールデン・スクエアにあった彼のスタジオへ行って働きたい と頼んだ。私はそこで最年少のスタッフとなった。 それからの素晴らしい 29 年間、彼と人生を共にし、今の私がある。二度の 退職を経て、私が再びリチャードの元に戻ったのは彼がミュンヘン工科大 学教授になったときだ。私たちは 1999 年にスティーブン・チェリーと出 会い、共同で HCLA( ホールデン・チェリー・リー・アーキテクツ ) を立ち 上げることにした。 AA スクールを卒業後、テリー・ファレル、ニコラス・グリムショウ、スペ ンス&ウェブスターなどで経験を積んだのち、リチャードは 1975 年から フォスター・アソシエイツで働き始めた。1985 年に独立。おそらく彼の一 番有名な作品は、ヘリコプターで設置されたポータブルな山小屋、小さな『ス キーハウス』のプロジェクトだろう。しかし、1980 年代に物議を呼んだト ラファルガースクエアのコンペで2等になったことや、キャリアの初期に ウェストミンスターのエランド・ハウスやエプソム競馬場の女王観覧スタ ンド、アーコール社の家具工場といったプロジェクトを次々に実現したこ とも忘れてはいけない。 リチャードがアスベストを原因とする肺がんと診断されたのは今年 ( 小見 山注:2018 年 ) の 2 月のことで、彼の娘ポピーはすぐさま私に電話で状況 を伝えてくれた。私がプール ( 小見山注:ホールデンの自宅があるイギリ ス南西部の海の町 ) に彼を訪ねた時、リチャードはひどく落ち込んで見えた。 彼は「ビリー、僕は建築に殺されるんだよ」と言った。次の日、リチャー ドはフォレスト・ホルム・ホスピスに入院した。改善された環境と、日光 と風とせせらぎの音が適度に入る部屋で、彼の気持ちは少し回復したよう だった。彼の状態が突如悪化したのは 9 月のことで、10 月5日に帰らぬ人 となった。 リチャードは、建築家であり、デザイナーであり、クオリティの第一人者 であり、スイスを愛した男だった。若い頃の彼はビーチ・バギーをつくり、 あるときはトニー・ブラックバーン ( 小見山注:DJ、ラジオ司会者 ) の彼 女を奪ったこともあった。リチャードは語るのだった。私たちすべての命 はかくもはかない。この地球に生まれ、人類とより良い環境のために少し でも貢献できたことがいかに幸運であったか、と。彼は穏やかな人だった。

122


micro architecture Yosuke KOMIYAMA

それは、彼が両親ピーターとアイリーンのためにプールに設計した家『ワ イルド・ウッド』のようだ。その家は今では文化財となり、家族の家は国 家の宝となった。彼はまた、姉が仕事終わりや週末にセルフビルドで建て られるよう『ヨットハウス』もデザインした。 私たちは風向きに合わせて回転するタワーを一緒にデザインし、それはグ ラスゴー科学センターの一部として実現した。ツェルマットの山でスキー ハウスの中に一緒に宿泊したこともある。彼は住宅を、工場を、タワーを、 四角形や格子型に基づいてデザインすることを好んだ。いつも、すべては 何らかのかたちで、数字の 26、黄金比、あるいは色番号 9002( スイス・ シルバー・グレー ) と関連づけ整えられるのであった。 娘のメイは私に「お兄さんを亡くすようなものね、彼はお父さんにすべて を教えてくれたんですもの」と言ったが、まったくそのとおりだ。 なによりも、彼はわたしたちに、いかにして勇気を持ちポジティブでいら れるか、いかにしてクオリティのために戦うかを示してくれた。とりわけ、 亡くなる前の数週間の間に。 彼の妻キャシーは 20 年前に、乗馬中の事故が元でこの世を去った。彼がそ の後も生きられたのは、彼の子供たちポピーとクリスティアン、そしてパー 2 原文は https://www.ribaj.com/culture/richard-

トナーのリタ・カガがいたからである 2。

horden-1944-2018

その突然の訃報は、僕に届くまでしばらくの時間がかかった。京都大学への着任 時にいただいたメールでの激励や、その前年にロンドンで昼食をともにしたとき彼 がテーブルクロスに走り描いてくれたスケッチが、僕にとって今では彼からの遺言 のように重いものとなった。 奇しくも、僕が京都大学工学部・工学研究科の広報誌『工学広報 No.70』にリチャー ド・ホールデンとの思い出を寄稿したのが、2018 年の 10 月だった。冒頭に挙げ た原稿を書いている時、僕はまだ彼の死を知らなかったが、何か通じ合うものがあっ たのかもしれない。これは僕からの追悼文になった。

123


ESSAY

micro architecture と emergent technology

1980 年 代 の 終 わ り、 ノ ー マ ン・ フ ォ ス タ ー の 元 を 辞 し て Richard Horden Associates を率いていたホールデンは、エプソム競馬場の女王観覧スタンドの設計 者に選定された。国際的に注目される競馬イベント、特にダービーステークスの開 催を邪魔することなく、4ヶ月の非常に短い工期で建設されることが求められた結 果、部材のプレファブリケーション化と部品点数の最小化は必然となった。アルミ ニウム製の天蓋などコンポーネント化された部品群は、いわば「小さな建築」に分 解されて、航空機に部品を納入している工場などで分野横断的に製造された。これ ら異業種の工場へ訪問を重ねるにつれて、単に効率的で速い施工のためではなく、 教育ツールとしての「micro architecture」のアイデアがホールデンの頭に芽生え ることとなる。 なお、ホールデンが意識していたかはわからないが、micro architecture の語は ルネサンス期まで遡ることができる。アリーナ・ペイン『Materiality, Crafting and Scale in Renaissance Architecture』での議論によれば、micro architecture は模型 とは異なるものとして存在した。ルネサンス期になると大工から建築家になるキャ リアパスは減り、画家や彫刻家としてキャリアをスタートした人が建築家になると いう流れが生まれる。建築をつくるにはお金がかかりパトロンが必要だったが、説 教壇や聖遺物箱に代表される小さな建築 (micro architecture) は、そうした彫刻家 たちが自身の思想や才能を伝えるメディアであり、建築を作るための出発点となる ものであった。micro architecture は、異なる職能を持った芸術家同士の対話や交 流に使用されたとも言われている 3。

3 本段落におけるルネサンス期の micro architecture に関する議論は、日本建築学会「建築と模型」特

1991 年、ホールデンはペンシルバニア大学大学院に招聘され、2学期間にわた り客員講師を務めた。わずか2学期で近代建築の理論と実践を凝縮して伝えるには、 建築シミュレーターとしての小さな建築の設計・建設しかないとホールデンは思っ た。彼が心に抱いていたのは、1960 年代に UCLA の学生らとともにいくつかの小 建築を建てたクレイグ・エルウッドの実践である。最初の学期で小さな建築を設計 して実施案を選び、次の学期はグループを組んでそれを実際に建設した。これはそ の後 1996 年に着任したミュンヘン工科大学で開講される micro architecture プロ グラムのフォーマットとなった。 流体力学に基づいて魚の形態に学んだ車載キャビン、最小限の設置点で崖地にし がみつく研究施設、南極で越冬するコンパクトで表面積の小さい移動実験棟、ヘリ コプターで運べる 2.6m 角のキューブ状最小限住居。南極のペンギンや砂漠のトカ ゲ、干拓地の葦や突風に耐える海岸松。学生たちは極限環境に生息する生き物や植 物から学び、小さな局地建築を様々に構想した。自然は、micro architecture のカ タチだけではなく、地面に対する立ち方も示唆した。ホールデンが好んで用いたの は、グレン・マーカットの警句 “Touch the earth lightly”( これは意匠的、あるいは

124

別研究委員会における岡北一孝氏の指摘に基づ く。ここに記して感謝申し上げたい。


micro architecture Yosuke KOMIYAMA

構造・構法的な意味合いだけではなく、環境・エネルギー的な意味合いでもスタジ オ内で用いられた ) や、エーロ・サーリネンの警句 “Architecture consists largely of the art of placing an object between earth and sky” であった。ヨットやハング グライダーの製造工場は、デザイン上のインスピレーションだけではなく、学生た ちがプロジェクトを実現するために足繁く通う協力者となった。建築雑誌『Detail』 の本社も位置するミュンヘンには国際的に知られた製造会社の拠点が多く位置して おり、航空産業、自動車産業、コンピューター産業、映画の特殊効果産業らが、建 築学科を飛び出した学生たちをサポートした。 そう考えてみれば、ここ京都大学にも、ミュンヘン工科大学以上の恵まれた学 びの環境があるはずである。講師となって今年初めて担当した設計演習Ⅴ ( 4回 生スタジオ課題 ) では、異なる職能を持ったもの同士の対話や交流のツールとし ての、学生たちが工学技術や自然から学ぶ建築シミュレーターとしての、micro architecture プログラムをホールデンから受け継ぐことを意識した。 山極寿一総長は京都大学を、新たなイノベーションを生み出す世界最大の「知の ジャングル」と呼んだ。ジャングルは、常に新しい種が生まれ、陸上生態系で最も 多様性が高い場所。大学も、学生や研究者が常に入れ替わり、学問分野も多種多 様である。開発の途上であり、社会への実装方法が定まっていない新しい技術を emergent technology(EmTech) と呼ぶが、19 世紀に「鉄とガラス」という新素材 の登場をめぐって建築の新しい姿が模索されたように、黎明期の技術は建築観の深 層をゆさぶる。2020 年度の小見山スタジオでは、①建築学科を飛び出して京都大 学のジャングルから emergent technology を発見し、②その実装が社会に与えうる ポテンシャルを建築デザインのプロトタイプとして構想することとした。( 本号の gravure ページ (pp.152-153) には、京都大学大学院昆虫生態学研究室に想を得た 岩見歩昂くんの作品が掲載されている。)

夏学期スタジオ課題の成果は、京都大学の「分野横断プラットフォーム構築事業」 に採択された。冬学期にはスタジオ課題制作に協力くださった異領域の先生方を招 いた対話形式のシンポジウム「建築学と異領域とのダイアローグ」を開催し、先端 技術への建築学的視点からの理解と、建築的思考拡張への探求の成果を、ブックレッ トにまとめる予定である。

参考文献 Richard Horden, Micro Architecture: Lightweight, Mobile, Ecological Buildings for the Future, Thames & Hudson, 2010

125


記憶を呼び覚ます空間

A space of awakening 井関武彦

地球上に住むあらゆる生命体は その環境を理解し、適応する能力を備えている 世界中で猛威を奮う新種のウイルスさえも 周囲の環境に応じて寄生する対象を見つけ その細胞内に住みつくようにして生存の道を見つけている 生き延びるために最適の環境を見つける もしくはより良い環境を作り出すという行為は 生命体に何らかの形で植え付けられた本能なのだ 私たちの身体は否応にも周囲の環境に反応する 光の明るさや色 音の反響 空気の淀みや風向きを敏感に感じ取り その体験を無意識の中に記録する 建築するという行為は 能動的にその環境を作り出すだけでなく その周囲の生命体に働きかける 根源的な影響力をもつ 空間自体は音も光も発しない静かな存在ではあるが 私たちの意識を超えて本能に直接差し響く 時には人々がその存在に歓喜し 時には癒しを与えられ 時にはその場を忌み畏れるW 地球という環境のもとで進化を続けてきた生命体である限り 私たちは自らを包む空間と場所の記憶から逃れることはできないのだろう 空間は人々の五感に訴え 感情に働きかけ その記憶の中に深く根を張る その忘れかけていた人間と空間の 原初の関係を呼び覚ますことが 建築にはできるのではないだろうか 5つの空間とそれにまつわる記憶に その手がかりを辿る


Landesgartenschau (Weil am Rhein, Germany) © Hélène Binet 予感の空間

-Unforeseen視線の先に 微かに光と影をたたえて心を離さない 瞬く間に過去の記憶に連れ戻され また未来の物語を予感させる それは人の気持ちを不安と期待の間で揺さぶり 不均一な地面の感触を足もとに伝える


Guangzhou Opera House (Guangzhou, China) © Christian Richters 架空の空間

-Speculative今はまだ見ぬその場所は空想と現実が交錯する 虚構と真実、 目的と手段、原因と結果 その間に解は存在せず二つは互いに共生する 対象を直視するのではなく それとの新たな関係性を仮想の世界で再構築する それは硬直した社会の触媒となり 自由と多様性を育む


Phaeno Science Centre (Wolfsburg, Germany) 巡り合いの空間

-Serendipity-

僕たちはつながっている という事を信じるられるのだろうか 世界は一つなのか、 バラバラなのか 会えなくても 触れられなくても そのつながりを感じられるような空間は あらゆる希望につながる


Port House (Antwerp, Belgium) 解放の空間

-Levitating-

その瞬間は瑞々しく、 そして儚い 内部に燃えたぎる情熱が蒸気を発し 空中に飛散する シルエットが風景と摩擦を起こし 火花を散らして見るものを眩ませる 目的も意味をも超えて 全てを突き破り浮かび上がる


Beijing Daxing International Airport (Beijing, China)

原始の空間

-Primitive-

薄皮の背後に現れるその獰猛な野生 人間社会によって飼い慣らされ、漂白された空間とは対照にある 何千年もの時間を超えた 空間そのものが持つロジックに人間が対峙する 時に威圧的で、時に幻惑的な場所 あまりにも無垢で純粋なその立ち振る舞い 我々の世界には知らん顔をしてそこに居座っている 永遠と無限 終わることのない始まりの場所


ESSAY

オオニワシドリのあずまやに見る「仮面」性 小見山研究室修士 3 回生 石井 一貴

Maskedness in the bower of the Great bowerbird

ニワシドリの雄は求愛行動として装飾的な巣をつくることで有名な鳥である。ニ ワシドリの巣には、あずまや無しタイプ・アベニュータイプ・メイポールタイプの 3種類がある。今回は、このなかでもアベニュータイプの巣をつくる1種であるオ オニワシドリの巣について、江口和洋の『目立ちたがり屋の鳥たち 面白い鳥の生 態行動』を参考にしながら、筆者なりに想像を膨らませていきたいと思う。 オオニワシドリがつくるアベニュータイプの巣は、木の枝などから構成された一 対の衝立状の構築物であり、交尾の場所である「あずまや」と、雄の求愛行動の舞 台としての「コート」の2種類の空間で構成されている。この「あずまや」や「コー ト」には鮮やかな装飾が施されている。 ニワシドリがこのような巣をつくる理由は、彼らの繁殖行動の特徴にある。ニワ シドリは基本的に雌が単独で子育てをし、雄は繁殖に際して交尾以外で関与するこ とは無い。つまり、雄は遺伝子の伝達ということでしか繁殖に参加しないのである。 そのなかで、雌が様々な雄のなかから一部の雄を選び、その雄がつくった巣の中で 交尾をする。雄がつくる装飾的な巣の質がその雄の能力を示しており、雌はその巣 の出来栄えを比べることにより交尾する雄を選択しているのではないかといわれて いる。つまり、この装飾的な巣の出来が雄自身の繁殖にとって一つの重要な役割を 担っていると考えられている。 雌が雄を選ぶ過程は3段階ある。まず、雌は雄の不在時にいくつかのあずまやの 質をチェックする。そして、そのなかでも優れたあずまやに訪れて、コートで行わ れる雄の求愛行動 ( ディスプレイといわれるダンス ) をあずまやの中から観察し、 1週間後にさらに厳選した雄の巣に訪れて交尾をする。つまり、最初はあずまやの 出来栄えの優劣で雄を判断し、その後、実際の雄のディスプレイをそのあずまやの 中から見て確かめる、という2段階の審査があるのである。

図:石井一貴

132


Maskedness in the bower of the Great bowerbird

Kazutaka ISHII

以上の報告をもとにオオニワシドリの巣について考察していきたい。そこで注 目したのがオオニワシドリの巣、特にあずまやの両面性である。あずまやには、 雌をひきつけ雄の能力を示唆するものとしての側面がある。この場合、あずまや というモノそのものの形態や全体性が意味するところが雌によって読み込まれる。 つまり、あずまやの構築物がもつ物体性とその意味作用がクローズアップされる のである。その一方で、あずまやは雌に対して雄のディスプレイを見る特殊な視 点場の役割も担っている。視点場をつくりそこからの見え方を変えることで、通 常時では得られない雄の動きの見え方を実現する働きがあるといえる。ここでは、 あずまやというモノが生み出す効果や作用、つまりモノの物質性とそれが生み出 す現象がクローズアップされるという側面がある。実際、オオニワシドリの巣では、 コートに層状に置かれている装飾物の色があずまやから遠くなるほど大きくなっ ており、雌がいるあずまやからは錯覚によりすべての層が同じ大きさとなり、コー ト全体が遠近感のない平面のように見えるようになっているそうだ。その平面に 見えるコートの中で雄が踊ることで、雄自身と雄が見せびらかす装飾だけが雌の 視界の中で浮き立ち目立って見えるという効果があるそうだ。ここには、あずま やが見られる対象であると同時に、特殊な見る主体を生み出す装置であるという 両面性が含まれているといえる。 このような両面性をもつものに「仮面」がある。「仮面」はコミュニティの中に 置かれることで象徴性を帯び、その意味するものが共有されることで、コミュニ ティ維持に一役買う。その一方で、「仮面」はそれを装着する者に対して、物質と しての質を発揮し、装着者の身体性を変容させる装置でもある。 例えば、演劇評論家の土屋恵一郎によると、昔から「仮面」である能面は裏面 が大事である、といわれているそうだ。能面には小さな孔しか開いていないので、 装着する人からは自分の身体は見えなくなる。すると、能面をつけることによって 観客の視線の中に身体と感情を委ねることになる。土屋はそれを受動としての身 体感覚の世界といい、能面の裏側はその世界への入り口であると語っている。こ の受動の身体は、観客の視線の中で成立するものであり、観客と演者の関係の中 に距離感や方向性などの意識が生じることを意味している。そういったなかで能 では、面そのものよりも、面が生み出した視線が織りなす場所性が重要なのである。 そういったことを考えると、 「仮面」の象徴性が場所性をつくり出し、同時に、 「仮 面」の物質性が装着者の身体性とその場所性とを紐づけて一体化させている、と いうことができる。 オオニワシドリの場合では、演者である雄ではなく雌があずまやという「仮面」 を被るような構成であるという違いはあれど、象徴としてだけでない身体性の拡 張・変換装置としての「仮面」のような役割をあずまやは担っている。つまり、雄 の能力を示唆するだけでなく、様々な要素が混在する環境下において雌が他に気 を取られることなく雄のディスプレイだけに集中することができる装置としても あずまやは機能している。雄はあずまやとコートを飾り立てることによって自分 の世界をつくり、雌はあずまやを通してその世界観を享受するのである。

133


ESSAY

ここまでオオニワシドリの巣における「仮面」との接点を確認したが、そこには 共通する構造が見出せる。「仮面」は、顔を拡張・変換する装置として身体から切 り離されたモノである。それと同じように、他のいくつかの鳥が自身の身体の一部 を進化させ装飾的に発展させていったのに対して、オオニワシドリは身体から装飾 を切り離してあずまやという装置をつくった。ここには大きな違いがある。身体の 一部を装飾化していくという方法は、主体と客体がはっきりした関係性において、 客観的な質を提示するという側面が大きいように思える。装飾化された身体は記号 性や象徴性のようなものを帯びるが、その記号性や象徴性というものは、その読み 込まれ方がおおむね観察者の存在自体には依らないものであるといえる。一方で、 モノの物質性が生み出す現象には、意識を持った観察者の存在が不可欠である。そ の物質性がつくり出す現象は、そこにいる観察者が距離感をどのように保ち折り合 いをつけるかという、その時々の「今=ここ」での体験によって成立するからだ。 そう考えるとあくまで想像ではあるが、オオニワシドリの雌は、記号性や象徴性な どの客観性だけでは分からない質を、あずまやを装着するようなかたちで雄がつく り出した主観の中にどっぷり浸かり確かめているのではないか。そこではじめて他 の鳥とは異なりオオニワシドリの雄があずまやをつくった価値が生まれてくる。オ オニワシドリは装飾的要素を身体から切り離したことによって、その距離の取り方 により様々な見方を可能にする。つまり、あずまやを通すことで、雌は物理的にも 精神的にも雄との一体感を得るまでにいろんな距離感で捉えることができるのであ る。そこにはもはや主客の関係を超えた関係性が存在している。身体性を伴いつつ 身体と切り離された装置は、見るもの見られるものという関係を緩やかに解体する。 ここにおいて、身体の拡張や変換に可能性を見出すことができるのではないだろう か。

最後に、都市に目を向けていきたいと思う。今の都市において、個々の建築に出 入りすることを通して様々な場所性の違いを楽しむ、ということは少ないといえる。 原広司が指摘するように、多くの近代以降の建築物が、場所性を排除したあくまで モノや人の関係性を容れているに過ぎない容器 ( =均質空間 ) となってしまってい るからだ。 20 世紀後半に生まれたコンテクスチュアリズムは、こうした場所性の欠如した 建築や都市に対して、文脈を浮かび上がらせたり再編することで新たに場所性を取 り戻すことを可能にした。その一方で、それを見る視点やその距離感は一定のもの であったためにその場所性を享受できた者は多くはなかった。 そこで、コンテクスチュアリズムを経た今の時代において改めて場所性を取り戻 す一つの手掛かりとして、先ほどまで述べてきた「仮面」性を持つ建築に注目したい。 それはファサードの表と裏、つまり都市に向いた面とその面の内側において、異な る質の作用を生むような建築である。これは R・ヴェンチューリが発見した、ポシェ をもつことで内部と外部のそれぞれの秩序を両立する独立したファサード、とも異

134


Maskedness in the bower of the Great bowerbird

Kazutaka ISHII

なるものである。建築の外部と内部を完全に分け隔てるのではなく、「仮面」のよ うな表と裏の関係性をもった建築の境界のあり方に新たな可能性を見出したい。そ れは距離を取って見るとアイコンやモニュメントであり、その象徴性によって場所 性が生み出されたり見出されたりするものである。と同時にその内側からは、人々 が思い思いに身体性を変容させながらその場所性に身を委ねることができるような 建築。それが「仮面建築」である。もし個々の建築物が「仮面」性をもつことがで きたら、それらが建ち並ぶ都市を行き来することに驚きや喜びを見出すことができ るかもしれない。付け替えることで様々な人格に変身できる「仮面」のように、様々 な建築を訪れてはその特殊な場所性を享受して異なる世界を楽しむことができるよ うな都市。それを実現したのがまさにオオニワシドリの雄たちがつくり出した小さ な都市である。その小さな都市の中で、きっとオオニワシドリの雌たちは、様々な あずまやを行き来しながら多様な世界観に身を委ねることを楽しんでいることだろ う。筆者もこのような両面性をもつ「仮面建築」やそれらで構成される都市を構想 していくことで、建築のもつ可能性を少しでも広げることになればと考えている。

参考 江口和洋 ,『目立ちたがり屋の鳥たち 面白い鳥の生態行動』, 東海大学出版部 ,2017 土屋恵一郎 『能ー現在の芸術のために』, , 岩波現代文庫 , 2001 原広司 ,『空間―機能から様相へ 』, 岩波書店 ,1987 R・ヴェンチューリ , 伊藤公文 訳 『建築の多様性と対立性』, , 鹿島出版会 ,1982 R. ヴェンチューリ , 石井和紘・伊藤公文 訳 『ラスベガス』, , 鹿島出版会 ,1978

135


ESSAY

リアルとバーチャルを繋ぐ「MASK」 The mask connecting real and virtual

平田研究室 修士 2 回生 菱田 吾朗

― 投げ込まれたオンライン空間

― 裏返ったファサード、接着された窓

新型コロナウイルスの流行によって、オンラインでのコ

まずはじめに、おなじみのオンライン空間について改め

ミュニケーションは急速に普及し日常化した。今やビデオ

て考えてみたい。私は初めてビデオコミュニケーション

コミュニケーションツールを用いたテレワークや授業は当

ツールで友人と話す際、恥ずかしながらまずカメラの画角

たり前になり、飲み会や多人数でのイベントまで、オンラ

に写る範囲を掃除し、ポスターや家具のレイアウトを工夫

イン空間を介して他者と様々に関わりをもつようになっ

することから始めた。髪を整えたり襟を正すように、部屋

た。「聞こえていますか?、見えていますか?」といった

の内面に無意識的に気をつかったわけである。オンライン

配慮と共に始まり、通信環境によるタイムラグを考慮しな

コミュニケーションが日常化した現在では、見られる事の

がら、画面に向かって会話する。私たちはこのようなオン

なかった建築の内部も他者に見られる空間となった。実

ラインならではの新たな空間に投げ込まれ、迅速に慣れて

空間の建築において、見られることを意識していた外観や

いく必要があったわけだが、このオンライン空間は平面的

ファサードという「外皮」は裏返り、内側に向いた外皮が

であり決して豊かであるとはいえない。ビデオコミュニ

我々を包み込んでいるのだ。( 図1)

ケーションツールを使う際、画面上で工夫できるのは背 景やフィルターのみで、平面に映し出された姿からは直接 会った時のように表情や微妙な仕草から何かを感じ取った り、雰囲気や間といったものを共有することは難しい。こ のような状況のなか「物理的な工夫でオンライン空間をよ り豊かにできないか」そんな問いからこの試みは始まった。 図 1 裏返ったファサード

136


The mask connecting real and virtual

Goro HISHIDA

またパソコンやスマートフォンの画面に映る他者を見て

― 奥行きをもったマスク

いる我々は、新たな窓を得たともいえる。ネット環境さえ あれば、遠い異国の地でも気になるあの子の部屋でも一瞬 にして見にいくことができるが、一方でオンラインツール を使い始めてから私はパソコンの前では眠りづらくなっ た。私のパソコンは他人と繋がる窓でありながら私を覗け る窓でもある。常に監視されているような不気味さを 27 インチの画面から感じるのである。このパソコンの画面は 別々の空間同士がくっつけられ、その仕切りにあけられた 窓といえるだろう。実空間で遠く離れていた窓同士が接着 し、窓の外の世界を介さずに向こうの空間と繋がってし まったのである。( 図2)

さてここからは「オンライン時代における〔間〕をデ ザインする」をテーマに、日米約 20 名の学生が取り組 んだ建築サマースクール 2020 ( 注 1) でのプロジェクト について紹介していこう。このプロジェクトでは、オン ライン空間ならではの新たな体験をつくりだす「MASK」 (= 仮面 ) を設計するというのが最終的なゴールであった。 マスクとは相手から見える自分の姿を変容させるもので ある。マスクを纏った人々は相手に親しみや恐怖、滑稽 さといった印象を与えコミュニケーションを変化させる。 またマスクのもう一つの特徴は、装着した人自身の感覚 や感情をも変えてしまうことである。マスクをつけた人 は安心感や優越感など様々な感情をもち、別人のように ふるまうことができる。 我々はこのマスクを実空間にしつらえ、その向こうに 広がるオンライン空間を豊かに変化させることを目指し た。通常マスクは肌に密着した状態で装着するが、カメ ラの写す画角が世界の全てであるオンライン空間では、

図2 接着された窓

カメラと私の間の空間に奥行きをもったマスクをつくる ことが可能になるのである。

137


ESSAY

― バーチャルとリアルが交錯する立体性 私が実際にこのプロジェクトで取り組んだ作品「Cutting Connection」を紹介し たい。この作品では普段使用している iMac(27inch,2015 late) を対象とした。そこ での私の視点 (A) とカメラを通した相手の視点 (B) の関係は ( 図4) のようになって いる。この2つの画角の重なりにアクリル板を挿入し、反射と透過する面によって 離れた2つの空間を交錯させることをねらった。 こちらから見ると ( 視点 A)、空間に透明な面が散りばめられ、それぞれにパソコ ンの画面に映し出された相手の像が反射していく。「バーチャルなあちら」が「こ ちら側の実空間」に物理的に入り込んでくる。またこちらの視点が動くことで、相 手が入り込んでくる面は変化し、こちら側の様々な場所に、立体的に相手が登場す ることになる。( 前ページ見開き上段 ) 一方、あちら側から見ると ( 視点 B)、カメラの画角の外にあるはずのこちらの空 間がオーバーラップして映りこんでくる。机の上の本やメモ、横の壁のポスター、 見えないはずの私の横顔までもが同時に重なって見えてくるのである。またこちら

図3 Cutting Connection

の空間にある物や人だけでなく、「パソコンの画面に映し出された相手の顔」も反 射していく。話し相手のサングラスに映った自分を見るかのように、相手には自分 の顔が見えるのである。( 前ページ見開き下段 ) このように透過と反射をする面を空間に散りばめたマスクによって、他者と私を 隔てかつ同時に接続させている「画面」に裂け目を入れ、2つの空間を侵入させあっ た。1枚の画面を隔てて別の空間に存在するものが1つの空間の中に現れるのであ る。 しかしマスクといってもパソコンに固定されており脱ぐことができない。相手は

図4 視角の交差 ( アイソノメトリック図 )

様々な像が重なった向こうにしか私を見られなくなる。そこで反射する面に穴をあ け、小窓のように、マスクの効果が及ばない、マスクを脱ぐことができる範囲 ( 図 6 オレンジ色の範囲 ) を確保している。 また、反射と透過の割合は周囲の光の環境と共に変化するので、マスクの効果は 時間によって変化していく。これは部屋のライティングによってコントロールする こともできる。窓からの光、部屋の照明、デスクライト、ディスプレイの明るさな ど周囲の光環境に応じてそれぞれの面に反射する像の強さを変えることができるの である。 オンライン空間と実空間との一番の違いは身体を取りまく空間性である。この記 事を読んでいるあなたは今この瞬間、背後にどれくらいの空間が広がっていて、誰 がいるかをある程度把握しているだろう。実空間では我々は無意識的に視点を動か し、そのいくつもの一瞬を繋ぎ合わせて空間を認識している。話す相手の正面の顔

138

図5 アイソノメトリック図


The mask connecting real and virtual

Goro HISHIDA

(注 1)建築サマースクール 2020 The Red Dot School Ichikawa と Harvard GSD Design Discovery が共同主催し、2020 年 8 月 3 週 間にわたってオンラインで行われ日米約 20 名の建 築を学ぶ学生が参加した。3 週間という短い期間で 未知のテーマに取り組むためにはデザインプロセス

だけでなく、横顔や仕草も感じ取ることができる。そういった身体を取りまく立体 性をいかにオンライン空間で感じることができるかへの一つの建築的な解答がこの 「Cutting Connection」である。オンライン空間ならではの体験をつくり出せるの はデジタルな工夫によるものだけではない。普段使っているパソコンの前に1枚の

が重要であるが、このプロジェクトでは映画の撮影

布をたらすだけでも受け取る感覚は変えることができる。急速に普及した新たなコ

技法や演出を分析し、分解し、また再構成すること

ミュニケーション空間の可能性はバーチャルとリアルの狭間に大きく広がっている

でデザイン手法を発見するというプロセスが設定さ れていた。「1 つの画面をデザインする」という意

のではないだろうか。

味において映画から得るものは多く、カメラアング ルやオブジェクトのコンポジション、光やテクス チャーなど、画面からの印象を変化させる多くのエ フェクトがこのプロセスで発見された。誌面の都合 上詳細は割愛するが、サマースクール全体を通して のデザインプロセスが秀逸に設定されていたことで 多くの学生に新たな思考が生まれていたことは間違 いない。この記事を読んで興味を持った方は機会が あれば参加することを是非ともお勧めしたい。 The Red Dot School ホームページ https://thered. school/

図6 立面図

本作品「Cutting Connection」の様子を収録した動 画が上記 QR コードより視聴可能

図7 平面図

139


ESSAY

4年弱の備忘録 A memorandum of these four years

小見山研究室 学部4回生 岩見 歩昂

2020 年 6 月四回生前期設計課題 - スタジオ課題 - が終了し、設計を traverse に 掲載していただけることになった。と、同時に traverse の学生エッセイ寄稿の話 を知った。学部生でもエッセイの寄稿ができ、また今年のテーマが「巣」であると いう。偶然にも三回生時とスタジオ課題の過去2回、設計課題で巣に結びつく設計 をしていた自分としては親近感があり、何が書けるか考えてみた。思えば建築学科 に入学して4年目、設計課題が始まってからだと丸2年以上が経ち、当然ながら随 分と自分の考え方や視点にも変化があるなと気付く。そこで、まだ設計を始めたて の、何も見えない中ただひたすらにもがいていた頃の実感が残っているうちに所感 を整理し残しておきたいと思い寄稿させていただくことにしました。

―設計課題におけるメタファー 実際の建築や、設計課題においてしばしばメタファーが用いられる。それは、設 計を局所的に説明するために用いられることもあれば、設計全体を丸ごと何かに喩 えるために用いられることもある。メタファーの定義や意義に関しては様々な分野 の学者から多くの意見が出されている。ここでは、便宜上言語学者リチャーズの表 現を借りて、喩えられるもの ( 建築における設計 ) を趣意、喩えるものを媒体、と して記述していく。ここで、「媒体」は “vehicle” の訳語なのであるが、まさに何か を伝えるための「乗り物」としての役割を果たす媒体にとってふさわしいメタファー である。 設計において異分野の言葉を使ったのならばそれこそアナロジーやメタファーに 該当する行為である。 前述したようにこれまでに行った設計の2つが偶然にも「巣」に関するテーマで あった。つまりは巣を媒体として設計をしたといえる。一つは設計演習Ⅳの集合住 宅 ( 図1)、もう一つは小見山研究室スタジオ課題 ( 図2) である。 例えばひとえに「巣をコンセプトにした」といっても全く違うコンセプトの使い 方がなされている。 集合住宅では居住者が自ら間取りをデザインでき、代謝できるメタボリズム的な 建築を考え、「巣」を設計段階ではなくプレゼンテーション時に、メタファーの媒 体として用いた。巣を動物の住居と捉え、動物は自分の巣を自分の手で制作すると いう要素を抽出し、それをメタボリズムのイメージとして設計に写像したのである。 「動物が自らの手で巣を創るように、居住者が自由に間取りを計画できる…」など といった口調で説明したのではないだろうか。 打って変わってスタジオ課題では巣を設計のコンセプト的に用い、アリの巣の生 成過程を建築設計に応用することを試みた。つまりはプレゼンテーション時ではな く、設計時に巣も使ったのだ。 さて、両者ともコンセプトは「巣」だといってしまえるような気がするが、出来 たものはもちろんのこと、その内容、過程さえ全く違う。集合住宅においては、成 果物を分かりやすく説明するために巣を借りてきただけである。つまり設計段階に おいては巣のことなど特に考えてはいなかったが、趣意を説明する便宜上、借りて

140


A memorandum of these four years

Hotaka IWAMI

図 1 4回生 studio 課題(意味としての巣)

図 2 3回生集合住宅課題 ( 表層としての巣 )

141


ESSAY

きたのだった。それに対しスタジオ課題では真に巣と向き合い、その情報を建築 に変換しようとした。しかしここで、両者は設計者である私以外の人にとって何 が違うのであろうか。聞き手にはどちらの設計も巣について構想することから生 まれたような印象を与えるのではないだろうか。 両者の違いは、趣意の制作過程を見せるのか否か、という部分から生まれるよ うに思う。これは個人の設計演習の記憶だが、思えば二回生時は作品の制作過程、 趣意の変遷を伝えることに重きを置いていた。自分の考えを丸ごと聞いて欲しかっ たのだ。演習を重ねるにつれ、今度は出来上がった設計と向かい合い、どう見せ たらいいのかを考えるようになった。より近道で、趣意を相手に伝えるために様々 な媒体を用いる。プレゼンボードの雰囲気や、模型の空気感も媒体の一つになって いく。集合住宅では、巣を媒体に用いることで制作過程の見え方を変えたのである。 ―見せること つまるところプレゼンテーションは衣服のようである。人は各人異なる人間性 を持つが、趣意としての人間性がそのまま他者に伝わることはなく、常に何らか のイメージ印象とともに受け取られる。その際衣服が媒体のようにはたらく。スー ツを着ているとしっかりした印象を与え、場違いなところにパジャマなどで現れ た暁にはその人の情報は「パジャマで現れる人間」だけで埋め尽くされてしまう ことだろう。趣意は同じでも媒体次第で他者にとっては受け取る「趣意」自体に までも影響が与えられる。 設計演習においても、設計内容という趣意は設計者の中に事実として存在する。 それを相手に伝えるために図面という建築言語を用い、プレゼンボードで華をもた せる。とすると二回生のころは作品のありのままを伝えるべく、趣意に私服、も しくはスウェットを着せていたが、時が経つにつれて見せ方を意識しスーツを着 せるようになったのだ。設計演習では趣意、つまりは設計の実態以上にそれがど う伝わるかが大事だと思う。それは設計クオリティーのメタファーとしてプレゼ ンボードの質が影響するのはもちろんのこと、作品の説明方法も含めてだ。自分の 思考の過程ではなく、客観的に分かりやすく設計が伝わるように説明を組み直す。 設計内容という趣意を模型、プレゼン、図面、説明方法といった媒体を使って伝 えることになる。だからこそ趣意にスーツを着せるのは正しい行為である。しか しその反面、これはある程度無茶な設計をしてもスーツで取り繕えてしまうとい うことになる。 設計者としても作品の装いを整えているうちに何だか思っていた以上にいいモ ノにみえてきてしまうことはよくある。これは結構危険なことではないだろうか。 本心ではないところで趣意の合理化がなされてしまっているのである。馬子にも 衣装というがまさにそのとおりで、仮に駄作が出来てもそれらしく見せることが できてしまう。趣意をより分かりやすく伝えるために用いるべきだった媒体にい つの間にか、趣意そのものが支配されうるのではないだろうか。何もここでいう 媒体とは表現方法に限らず、設計論理や説明過程も含んでいる。

142


A memorandum of these four years

Hotaka IWAMI

集合住宅についての部分でも触れたとおり、設計の道筋と、プレゼンテーション での道筋を変えることはよくある。あくまで設計は論理ではなくモノを作る行為な ので、成果物に対してフィードバックを行いその見せ方について検討すべきである。 また、どこか言語化が難しくてもいいものはいいし全てが説明可能である必要性は 無い。ただ、他者を納得させるための言葉で自分を納得させたくはないと思う。建 築を学ぶほど、いろいろな要素に設計の良さを見出せるようになる反面、自身の設 計においてはある程度でその設計に合理性をこじつけ、自分を満足させてしまえる ようになる。いつしか知識に埋もれて自分の本心の所在が分からなくなってしまう かもしれないことを恐ろしく思う。 最近の設計課題では私服でざっくばらんにありありと表現したい気持ちを抑え、 時には自分の本心を偽ってでもスーツで着飾り見栄えを良くしていたのかもしれな い。しかしスーツばかり着ているうちに自分の本当に好きな服が分からなくなって しまうのではないか。設計の見え方を意識するあまり、自分を見失いたくはない。 自分が本心から納得できる設計をすると共に、個性の全てを曝け出しても恥ずかし くないものをつくってみたい。自分の中から溢れる何かをありのまま作品にしてみ たい。ぜひ卒業設計には自分の中で一番お気に入りの私服で臨みたい。

143


ESSAY

モノの風景を読む Reading the Context behind Objects

神吉研究室 学部4回生 北垣 直輝

2020 年8月末現在、新型コロナウイルスはまだ世間に猛威を奮っている。日本での感染者数の総数は6万人に上り、死者 数は 1000 人を超えたと報道されている。街に出てみても、その影響は顕著である。カフェに入れば席の数は半分に減らされ、 電車に乗れば皆がなんとなく間隔を空けて立っている。ショッピングモールのレジに並ぶ時ときは床に足のマークが貼ってあ り、少しでも間隔を詰めると前のおばさんが不快そうに振り返る。また、家に帰ってテレビをつければ出演者たちが微妙な距 離を空けてトークを繰り広げ、カメラが忙しそうである。どれもこれもなんともいえない気持ち悪い距離感である。しかし、 いざテレビや YouTube で少し前の映像を見返すと、人が隣同士で並んでいる画に不安を感じる自分に気づかされる。これは現 在世間で心地よいとされてきた人同士の距離感が更新されているのではないだろうか。性別や年齢、文化といった個々人特有 の感性で定められてきたパーソナルスペースの範囲をウイルスの飛沫距離という物理的特性によって全世界の人間に対して一 様に変更を余儀なくしているのである。こんなことを自粛期間に家に籠りながら考えていると、建築の空間はこんなご時世で も変わらない距離感で存在していることに気づかされる。この距離感はおそらく建築が建築として認識される以前から変わら ず存在していたはずである。この建築との距離感というとピンと来こないかもしれないが、身近で考えるのであれば、自身と 身の回りのモノの関わりを想像してみてほしい。自粛を余儀なくされている現在、これまで社会的活動に流され、忘れさられ ていたモノの存在を、建築と人間の原初的な距離感を捉え直す絶好のチャンスではないだろうか。以降の段落で、モノと人間 の距離感・建築と人間の距離感のそれぞれについて順番に解き明かしていきたい。

144


Reading the Context behind Objects

Naoki KITAGAKI

― 情報とモノ 昨今の世界で、モノと人間は疎遠になっていたように思う。それは昨今のデジ タル技術の発展によるようである。例えば、Google 社の検索デバイスによって情 報は全てインターネット上に存在するようになり、Amazon 社により日々の買い 物や流通経路が大きく変わった。UberEATS の台頭は私たちの食生活に対する考え 方を劇的に変化させた。最近でいえば、Zoom を用いてオンライン飲み会が開催さ れ、交友関係さえもデジタル化されている。日々の生活の楽しみも Amazon Prime Video や Netflix といったサブスクリプションサービスに依存している。電車に乗 れば車窓を眺める時間よりスマホの画面に集中している時間の方が断然長いので はないだろうか。建築界隈で考えるのであれば、BIM を使った設計は顕著である。 設備や積算といった建築のもつ情報をひとつの BIM で当然のように一括で管理さ れている。以上のようなデジタル技術によってモノの存在を0と1に置き換えよう としている。しかし、この置換には超えがたい大きな壁が存在する。それは情報量 の圧倒的な違いにある。この世に存在するモノは実は三次元以上の情報量を持って いる。重さ、温度、素材感や傷といった物質的な情報だけでなく、価値や思い出、 存在感といった無意識に人間に影響を与えるような多方面にわたる情報を備えもっ ているのである。これらのモノがもつ情報を全てデジタルで表現することは現在の 技術では到底できないことなのである。モノの情報量は想像以上なのだ。デジタル に傾倒した生活が主流となりはじめてはいるものの、この事実に対して世間は無関 心である。私はここに現代の気づくべき落とし穴が潜んでいるように思うのである。 ― モノは建築たるか モノと建築の間には変動する距離感が存在する。多木浩二著『「もの」の詩学』 の中で面白い話があったのでそれを軸に論を進めていきたい。休息の家具の一つで ある椅子の変貌の歴史についての話である。17 世紀のルネサンス期はヨーロッパ の家具がまだ古典的な装飾をまといながらもまさに大きく変わろうとしていた時代 であった。この変化の特徴は以下の二つが挙げられる。一つめが背の傾きが生じた こと、もう一つは身体の当たる部分がクッションによってやわらかくなったことで ある。この変化の主な要因は、生活全体で「快適さ」「快楽」を志向する傾向に包 まれたからである。これまでは内装を含め家具類全般が建築意匠に支配されていた。 しかし、17 世紀になって家具という「もの」と身体の関係が浮かび上がり、建築 の影響から脱しようとする動きが生じたのである。18 世紀ロココの時代に入ると、 水平垂直材を主としていたルネサンス期の椅子と打って変わって、曲線が全体の輪 郭を決めるように余すことなく表現されるようになるのである。儀式を想起させる ようなシンメトリーは失われ、「もの」がこれまで以上に繊細でやわらかなかたち をとり、アシンメトリーの感性が現れたのだ。技術的にも、脚の部分でルネサンス 期には水平垂直材で主に前からの力を支えていたのだが、この時代になると曲線を 描く4本の脚によって椅子の上で動く「身体」を支えられるような全方向に対する

145


ESSAY

抵抗力を手に入れた。これは身体への配慮が椅子全体へ染みこみ、完全に建築か ら独立したことを意味するのだ。 『「もの」の詩学』ではヨーロッパの家具の変貌の話に終始しているが、日本での「も の」と建築の関係を顧みると、全く逆のことが起きていることに気づく。平安末 期の寝殿造の住宅では部屋の区切りというのはほとんど存在しなかった。部屋を 区切るという機能は屏風や几帳、御簾などの仕切り具によってなされていた。ま た櫃や厨子などの収納具にものを納め、置畳、茵、円座などの座臥具で主人や客 人の座る場所を規定していた。これらを総称して室礼と呼ぶのだが、行事ごとに 室礼の構成は変化し、その時々の行事に合わせて空間が違っていたことがわかる。 このように寝殿造の建物で壁や間仕切りといった建築と呼べる部分が少なく、室 礼を構成していた独立したモノが空間を生み出していたことがわかる。室町時代 になると、書院造が台頭してくる。これによりこれまで独立していた置畳は部屋 に敷き詰められ、床に癒着していき、仕切り具は引き違い戸として壁に吸収され ていくのである。これまで独立していた「もの」が建築化していくのである。古代・ 中世の日本で「もの」の歴史を考察すると、果たして現代のいう家具と建築の分 類が本当に正しくなされているのか、疑問に思うのである。 ― 建築とモノ 上記のような「もの」の歴史を振り返ってみると、「もの」と身体(人間の活動 性)は相互作用の関係にあり、文化や民族が変わることでこれらの平衡関係も大 きく変化するということがわかる。しかし、私がこれほどしつこく建築と「もの」 の関係について記述するのは空間の現代性をこの動的平衡に見出すからである。 この線引きに一石を投じようとしたのが、私の前期スタジオ課題であり、最後に この話をして終わろうと思う。まず前提として、近代建築の設計はコルビジュエ のドミノシステムの提唱からもわかるように床、柱、壁、階段、窓といった記号 を組み合わせる(ように見せる)ことで成立している節がある。この方法論が現 代で最も顕著にあらわれているのは、ハウスメーカーの建てる nLDK 型の平面をも つ住宅なのではないだろうか。これは戦後の住宅不足により、庶民の住まいの供 給が急がれ、機能的かつ合理的な住宅が求められた影響であることはいうまでも ない。こういった記号の組み合わせに対し、記号性を大きく変えることなく、肥 大化させたり、欠落させたりするデザインが脱構築主義、デコンストラクション の走りといえるのではないだろうか。この動きは建築だけでなく同時代の他分野 でも見られた大きな流れであった。例えば、ファッションデザインであれば日本 のデザイナー川久保玲が率いる COMME des GARCONS はこの時代に前身頃の左右 の長さが極端に異なるシャツをコレクションとして発表した。左右対称の前身頃 という記号を右と左で分割した点は脱構築に分類できる。このような記号(Code) の組み合わせ以上の情報量、論理をどう組み立てるのかを現代(Mode)では問わ れているように感じる。コンピューテーショナルデザインはデジタルの領域を通 過することで記号化された要素を簡単に統合することができ、自然や生命をモチー

146


Reading the Context behind Objects

Naoki KITAGAKI

フにすることでこれまで理性的に制御されてきた方法ではたどり着けなかったであ ろう構成の論理を見出し、近代的記号の利用を必要とせず成立させることができる。 このような現代性の特殊解の一つとして提示したのがこの雑誌でも紹介にあたっ ている「モノの風景」という私の設計である。私はこの作品で「モノ」をデザイン された記号と定義した。祖母の家の障子や欄間には家主の嗜好によって選ばれたデ ザインが施されている。これらのデザインを読み解きその上でそのモノ自体を再利 用し空間を構成し直す。意思や意匠が施された記号を前提とすることで、今まで建 築の一部と考えられていた無味無臭の部材が手に取るようにはっきりと浮き出てく る。ここに生活の喜びが、空間の豊かさが存在するのではないか。祖母の家で考え れば、障子の山の絵には自然への憧れが、磨りガラスがはめ込まれている扉には室 の心地よい区切りが明示されている。この集積をくみ取り、再構成させたのが新た な祖母の家である。このような思考は日常生活でも適用することができる。コップ 一つとってもマーガレットのモチーフをデコレーションカットされたコップはそれ だけで卓上を華やかに彩り、天板の角にアールをかけた机は居住者に心の穏やかさ を与える。このようなモノのデザインがバタフライエフェクトを生み出し、生活を 彩り、空間に心地よいノイズを発生させる。現在、コロナ禍で家にいる時間が長く なった人もこの視点で部屋を、空間を捉え直してほしい。自分の所有物のデザイン がどんどん読み解かれていき、これまで感じていた閉塞感から解放されていき、想 像は建物全体に帰納的に行き渡らせることだって可能である。建築はこの世で最も 大きいモノの集積体でしかないのである。

147


スタジオ設計課題作品 / 推薦文

4回生スタジオコース作品 Students' Works : 4th Year Studios

平田研 岩崎 Shinji IWASAKI

伸治

150

重層 本提案では、図書館と工房のふたつに注目した。情報を管理し収集する 場所である図書館、そしてそれを活用する場所としての工房。 新たに生 み出されるもののそばには蓄積された知識があるだろう。本来限りなく 近い存在であるが分たれてしまった、二つの場を細分化し再び共存させ る。図書館や工房といった言葉よりも前にある、豊かなふるまいを誘う ことが、私の For Infancy である。

知とそれに基づく創造という、ヒトを人たらしめる 根源的なおこないを包み込む空間について再考した 作品。図書館と工房のボリュームが卓越した造形力 によって緻密に重ね合わされ、多様性に満ちた発見 的な公共空間を実現している。また、独特の筆致で 描かれるビジュアル群も作品の魅力に磨きをかけて いる。プログラムと空間、敷地の必然性が意識とし て共有されれば、より多くの人の心を動かすことだ ろう。

小見山研 岩見 Hotaka IWAMI

歩昂

152

n × 100/1 colony アリは個々のエージェントが巣の青図を知らないにも関わらず、全体と して秩序立ったコロニーを形成します。この局所的な相互作用による創 発現象は自己組織化と呼ばれています。自己組織化を建築の空間構成段 階に応用した設計手法を提案し、空間のプロトタイプを構想します。

アリの巣の構築プロセスと形状的特徴を人間の空間 形成に応用するという試み。人間の建築設計手法と は対照的に、本能的な行動により無作為に生み出さ れる「動物の巣」に着目している。パラメトリック デザインによって生成された空間を、スケール操作 で建築として解釈するという明快な手法を用いてい るが、その先に設計者がなし得る可能性とは何か。 さらなる深掘りに期待したい作品である。

神吉研 北垣 Naoki KITAGAKI

直輝

154

モノの風景 “ 冷蔵庫のありあわせの材料からお惣菜をつくるときには、レシピに合わ せて材料を買いそろえるのとは違った思考回路が働いている ” 古民家は過去の風土や文化といったその『場所』のこれまでの歴史が刻 み込まれ、過去の鏡と言い表せる。現在の敷地の状況と家族構成の変化 による新たな需要を織り交ぜつつ、既存の部材・建具を用いてこの家で 育まれていた『風景』をまるで新築を建てる様に構成しなおす。その過 程を経ることで、祖母の家が持っていた世界観は洗練され、過去と現在 の風景を写す建築に生まれ変わる。

神吉研 西田 Itaru NISHIDA

この家で休暇を過ごした自身の幼少期の記憶、その 風景を構成していた 1 つ 1 つの要素を丁寧に扱いな がら、居住家族の変化に対応を試みている。在宅時 間が急激に増した時期に「住宅としての巣」を考え た作品であり、記憶に刻まれた建具に注目されてい るのは、現地調査に行けなかった影響もうかがえる。 個人的ではあるが、新しいリノベーションの手法の 提案といえる。

156

‌NAKANOSHIMA SKY PERCH - 鳥のトマリギとしての建築 建築、そして都市は、人が人のために造るものだ。しかし、人のためだ けに造られたその場所に棲める生物の種は少なく、無表情なビルに閉ざ された空には過剰繁殖したムクドリが飛び交う。空はもっと多様なもの ではなかったか。私は、大都市のうちの一つ、大阪・中之島に「人間」 ではなく「鳥」のためのトマリギのような建築を構想する。それは淀川 の豊かな生態系を受け止めて、中之島のもつ空の多様性を映し出すため の建築である。

鳥の行動・生態についてよく理解し、さらにその知 識を設計へ落とし込めている。「場所の力」を、敷 地周辺に止まらない広域の生態系として捉えており、 講評会では都心部の生態系の在り方について議論が 起こった。さらに、中之島西側の現状、都市に林立 する高層ビルの在り方についても言及しており、複 合する問題意識を整理し提示した、力のある作品で ある。


スタジオ設計課題概要

平田スタジオ

gravure

For Infancy

HIRATA Studio

人間は最初から人間として生まれるわけではない。ヒトは人間たちによって育てられ、人間になっていく。建築はおそらく、ヒトの歴 史の最初から建築であったわけではない。巣のようなものが建築になったとき。それは種としてのヒトが人間になったときと重なり合 う。そしてそれは人間社会のはじまりでもあるだろう。社会形態の変容に伴う建築を考える上で、しばしば子どもたちの存在が鍵とな るのも、これと無関係ではない。何故ならそこには人間や社会が固まった形態になる前夜の、うごめく過渡性があるからだ。 このような過渡性なことを、Infancy と呼ぼう。Infancy とは一般的に幼少、未発達、初期段階を意味する言葉である。社会のありよ うが過渡期的様相にある今日、Infancy は建築を根本から問い直すきっかけを与えるのではないか。どのようなアプローチでも良い。 建築に Infancy を介在させることによって生まれる、新しい公共の場を提案してほしい。Infancy を手なずけるための建築ではなく、 Infancy と向き合うことによってしか生まれない、新しい建築を期待したい。

小見山スタジオ Emergent Technology Kyoto U KOMIYAMA Studio

山極寿一総長は京都大学を、新たなイノベーションを生み出す世界最大の「知のジャングル」と呼んだ。ジャングルは、常に新しい種 が生まれ、陸上生態系で最も多様性が高い場所。大学も、学生や研究者が常に入れ替わり、学問分野も多種多様である。開発の途上で あり、社会への実装方法が定まっていない新しい技術をエマージェント・テクノロジー(EmTech)と呼ぶが、19 世紀に「鉄とガラス」 という新素材の登場をめぐって建築の新しい姿が模索されたように、黎明期の技術は建築観の深層をゆさぶる。本スタジオでは、①建 築学科を飛び出して京都大学のジャングルからエマージェント・テクノロジーを発見し、②その実装が社会に与えうるポテンシャルを 建築デザインのプロトタイプとして構想する。

神吉スタジオ

場所の力

KANKI Studio

これまでにない変化をみせる現代の都市・地域で、どのようなランドスケープが受け継がれ創造され得るだろうか。新しいランドスケー プにむかうために、場所に潜む⼒を読み、その⼒を顕在化させる建築と都市・地域空間の提案をめざす。各⼈が選ぶ敷地およびその位 置する都市・地域の「場所の⼒」の読解作業を重視しつつ進める。敷地は、現地調査可能な範囲、⼜は資料等で敷地を⼗分に説明でき る場所から、⾃由に選ぶ。


GRAVURE

For Infancy 人間は最初から人間として生まれるわけではない。 ヒトは人間たちによって育てられ、人間になっていく。建築はおそらく、 ヒトの歴史の最初

から建築であったわけではない。巣のようなものが建築になったとき。 それは種としてのヒトが人間になったときと重なり合う。 そしてそれ は人間社会のはじまりでもあるだろう。

社会形態の変容に伴う建築を考える上で、 しばしば子供たちの存在が鍵となるのも、 これと無関係ではない。何故ならそこには人間や社会 が固まった形態になる前夜の、 うごめく過渡性があるからだ。

このような過渡性なことを、Infancyと呼ぼう。Infancyとは一般的に 幼少、未発達、初期段階 を意味する言葉である。社会のありようが過 渡期的様相にある今日、Infancyは建築を根本から問い直すきっかけを与えるのではないか。 どのようなアプローチでも良い。建築に

infancyを介在させることによって生まれる、新しい公共の場を提案してほしい。Infancyを手なずけるための建築ではなく、Infancyと向き 合うことによってしか生まれない、新しい建築を期待したい。 ー課題文より

振る舞いに溢れる公共 Public-Infancyness

人が集うことで場所が生まれ、場所に対して人が集う。多様な生態系が重なり合い、場を共有することで人々は社会を更新してい

く。 各々のふるまいが共存し、 そのなかで極めてヒト的な原理に基づいて、新たに文化・社会が獲得されることこそ、 公共の場の秘めたるInfancy-ness であると考えた。

本提案では、図書館と工房のふたつに注目した。 情報を管理し収集する場所である図書館、 そしてそれを活用する場所としての 工房。新たに生み出されるもののそばには蓄積された知識があるだろう。本来限りなく近い存在であるが分たれてしまった、二つ

の場を細分化し再び共存させる。

図書館 や工房 といった言葉よりも前にある、豊かなふるまいを誘うことが、私のFor Infancy である。

150


Students' Works : 4th Year Studios HIRATA Studio / IWASAKI

151


GRAVURE

152


Students' Works : 4th Year Studios KOMIYAMA Studio / IWAMI

153


GRAVURE

154


Students' Works : 4th Year Studios KANKI Studio /KITAGAKI

155


GRAVURE

156


Students' Works : 4th Year Studios KANKI Studio / NISHIDA

UP

157


158


Interviewees

満田 衛資

Eisuke MITSUDA

Eisuke MITSUDA, born in Kyoto, Japan in 1972, is a professor of the Faculty of Design and Architecture, Kyoto Institute of Technology.He studied at Kyoto university, where he received master's degree in 1999 and Ph.D in 2014. After working for SAPS/ Sasaki and Partners, he established his design office, Mitsuda Structural Consultants, in 2006. p.6-

蔭山 陽太

Yota KAGEYAMA

Yota KAGEYAMA, born in 1964, is the theater manager of "THEATRE E9 KYOTO" and the director of "ARTS SEED KYOTO". He studied at Osaka City University before he started working at "Haiyuza theater" in 1990. In 1996, he moved to "BUNGAKUZA Theatre Company" and worked as the director of the theater creation department until 2006. With the experience he gained during his career, he was involved in the start-up of many theaters as a manager, such as, "Matsumoto Performing Arts Centre" (2006-2010), "KAAT KANAGAWA ARTS THEATRE" (2010-2013), "ROHM Theatre Kyoto" (2013-2018), and "THEATRE E9 KYOTO" (2019-). He is also the producer of "Warehouse TERRADA" in the Kyoto area, and a lecturer at Kyoto Seika University. p.16-

鈴木 まもる Mamoru SUZUKI

Mamoru SUZUKI, born in 1952, is a painter, picture book artist, birds’ nest researcher in Japan. He studied at the Department of Crafts, Faculty of Fine Arts, Tokyo University of the Arts. He has published many picture books for children, “senro ha tuduku”, “pin-pon bus” and “kuroneko Sangoro”, which was awarded in 1995. Some of his works focused on birds’ nests such as “Birds' Nests of the World”,”boku no tori-no-su enikki”, was also awarded in 2006. In1998, the first time he exhibited nests and his original pictures of nests in Tokyo, and in 2006, he held the exhibition “NESTS” in New York. He has held many exhibitions since then and also appeared in TV programs as a birds’ nest expert. p.26-

大崎 純

Makoto OHSAKI

Makoto OHSAKI is a Professor at the Department of Architecture and Architectural Engineering, Kyoto University, Japan. He received master’s degree in 1985 from Kyoto University, visited The University of Iowa for one year from 1991, and was appointed as Associate Professor at Kyoto University in 1996. He moved to Hiroshima University in 2010 and came back to Kyoto University as a Professor in 2015. His current research interests include various fields of structural optimization, analysis and design of spatial structures, and application of machine learning to design of building structures. p.26-

159


Contributors

布野 修司

Shuji FUNO

Born in 1949, Dr. Shuji Funo graduated from the University of Tokyo in 1972 and became an Associate Professor at Kyoto University in 1991. He is currently a Project Professor at Nihon University. He has been deeply involved in urban and housing issues in South East Asia for the last forty years. He is well recognized in Japan as a specialist in the field of human settlement and sustainable urban development affairs in Asia. His Ph.D. dissertation, "Transitional process of kampungs and the evaluation of kampung improvement programs in Indonesia" won an award by the AIJ in 1991. He designed an experimental housing project named Surabaya Eco-House and in his research work, he has organized groups on urban issues all over the world and has published several volumes on the history of Asian Capitals and European colonial cities in Asia. Apart from his academic work, he is well known as a critic on architectural design and urban planning. p.90-

古阪 秀三

Shuzou FURUSAKA

Shuzo Furusaka was born in 1951 in Hyogo, Japan. He was a Professor of Architecture System and Management, Department of Architecture and Architectural Engineering of Kyoto University. He had worked in construction industry for two years as a site manager, before returning to the University. He has been working in academic field for about forty five years. His main research themes are “Integration of Design and Construction”, “Restructuring Construction Industry and Construction System in Japan”, and “Project Management”. He was a President of Construction Management Association of Japan and Chairman of Committee on Architecture System and Management of Architectural Institute of Japan. He is now a Representative of The International Study Group for Construction Project Delivery Methods and Quality Ensuring System and Chairman of General Conditions of Construction Contract Committee. p.96-

竹山 聖

Kiyoshi Sey TAKEYAMA

Kiyoshi Sey Takeyama, born in 1954, received an undergraduate degree from Kyoto University and both a Master’s and a Doctor’s from The University of Tokyo. He established his own firm AMORPHE in 1979 in Tokyo. He was selected as a finalist of the Andrea Palladio Awards 1991. He participated in the 1996 Milan Triennale as both an invited architect and the commissioner of Japanese pavilion. He was an Associate Professor and then Professor at Kyoto University from 1992 to 2020. He has been the President of Architectural Design Association of Nippon since 2014. He is the Principal of AMORPHE Takeyama & Associates. p.100-

牧 紀男

Norio MAKI

Born in Kyoto, Japan in 1968, Norio Maki is a professor of Disaster Prevention Research Institute in Kyoto University. He studied post disaster housing, receiving his master's in 1993 and Ph.D. in 1997 from Kyoto University. During his time as a Senior Researcher at the Earthquake Disaster Mitigation Research Institute in Kobe between 1998 and 2004, he also spent a year at the University of California, Berkeley as a visiting scholar, to study disaster management. He mainly studies recovery planning from natural disasters. p.106-

160


柳沢 究

Kiwamu YANAGISAWA

Kiwamu YANAGISAWA, Born in Yokohama, Japan in 1975, Kiwamu Yanagisawa is an associate professor at Graduate School of Architecture, Kyoto University. Receiving his bachelor's degree in 1999, his master's degree in 2001 and his doctoral degree in 2008 from Kyoto University, he held academic positions in Kobe Design University and Meijo University, and also established his design office, Q-Architecture Laboratory. He mainly studies on the contemporary transformation of traditional urban space in asian cities, as well as architectural design for houses, renovation, community development and so on. p.112-

小見山 陽介 Yosuke KOMIYAMA

Yosuke Komiyama, born in 1982, received both his undergraduate and master's degree from the University of Tokyo. He also studied in The Technical University of Munich and Ecole Nationale Supérieure d'Architecture de Paris La Villette before he worked in Horden Cherry Lee Architects London and Emeraude Architectural Laboratory Gunma. He is currently a Junior Associate Professor at Kyoto University. He works on designing prototypes of various architecture with new timber technologies such as Cross Laminated Timber and also researching Construction History of Early Iron Architecture in 19th century UK. p.120-

井関 武彦

Takehiko ISEKI

Takehiko Iseki (born 1978 in Ehime) is a Lead Architect at Zaha Hadid Architects in London. He graduated from Kyoto University in 2004 before he moved to the UK and finished Diploma at Bartlett School of Architecture in UCL, then worked at Foster and Partners from 2006 to 2012. His work focuses on the development of integral urban space and computational architecture design through human interaction. His recent work includes a proposal for the New National Stadium in Japan, South Beach urban complex in Singapore, and Navi-Mumbai International Airport in India. He is a registered architect in Japan and the UK. He is a chartered member of the Royal Institute of British Architects. p.126-

161


Back Number Issue

20

2020.01 l 112p

特集:「欠落」

interview 木村吉成 + 松本尚子 , 宮本佳明 , 伊藤東凌 , 井上章一 project traverse 編集委員会 , 竹山研究室 , 神吉研究室 , 金多研究室

essay 布野修司「 『アジア』の欠落:世界建築史をいかに書くか?」

19

2018.10 l 112p

特集:「顔」

interview 米澤隆 workshop 池田剛介 , 大庭哲治 , 椿昇 , 富家大器 , 藤井聡 , 藤本英子 discussion 倉方俊輔 , 高須賀大索 , 西澤徹夫

竹山聖「未完結の美」

大崎純「建築構造設計のための機械学習」

牧紀男「東日本大地震からの復興雑感―今後の復興対策につながる新たな取り組み―」

竹山聖「都市の相貌/建築の顔」

柳沢究「住経験論ノート (2)―親の住経験をインタビューすること」

金多隆「出面―建築生産の労働生産性を考える」

清山陽平「跡形もなく、しないこと」

牧紀男「『建物の解体』」

成原隆訓「リアリティの欠落からの解放―アニメーションにおける場所と風景」

柳沢究「住経験論ノート (1)―住まいの経験を対象化するということ」

石井一貴「述語面としての『仮面』建築」

小見山陽介「 『鉄とガラス』のクリスタル・パレスにおいて木材が果たした役割」

16

2015.10 l 96p, 16p in color

インタビュー:石山友美

interview 中野達男 , 石山友美 ,TERRAIN architects

project 竹山研究室 , 平田研究室

15

essay 竹山聖「コーラス / コーラ、あるいは形なき形をめぐって」

2014.10 l 112p, 16p in color

特集:建築を生成するイメージ

interview ホンマタカシ , 八島正年 + 八島夕子 , 高橋和志 , 鳥越けい子

project 竹山研究室「コーラス」

essay 布野修司「ある都市の肖像―スラバヤの起源」

project 竹山研究室「ダイアグラムによる建築の構想」

essay 竹山聖「形を決定する論理」

布野修司「大興城(隋朝長安)の設計図―中国都城モデルA」

布野修司「殺風景の日本―東京風景戦争―」

大崎純「建築形態と構造形態」

大崎純「建築形態と構造形態」

古阪秀三「躯体図考―躯体図から BIM へ」

古阪秀三「シンガポール・建設産業界との交流」

牧紀男「災害・すまい考」

平野利樹「試論―タイムズ・スクエア、エロティシズム」

上住彩華「フランス歴史建築考」

12

11

2011.11 l 96p

インタビュー:深澤直人

interview 深澤直人 井関武彦「形態から状態へ―Parametric Datascape の実践」 project 竹山聖「柏の葉 147 コモン物語」

project 竹山研究室「ユートピア / ランドスケープ」

伊勢史郎「自己ミーム」

石田泰一郎「照明新時代と光の色」

7

座談会:大学教育の問題点

2006.09 l 96p

座談会:耐震偽装問題の背景と課題

interview 西川幸治名誉教授

discussion 「 大学教育の問題点

discussion 「耐震偽装問題の背景と課題」

―プロジェクトマネジメントとそれに関連する諸問題―」 essay 大崎純「最適化のための反最適化」

対談:イワン・バーン×高濱史子 essay 布野修司「オンドルとマル、そして日式住宅」

2007.10 l 96p

interview 森田司郎名誉教授

高濱史子「見るちから、伝えるちから」

上田信行「学びのメタデザイン」

8

インタビュー:平野啓一郎

interview 平野啓一郎 , 森田一弥

essay 布野修司「建築少年たちの夢:現代建築水滸伝」

2010.11 l 128p

essay 伊勢史郎「音と身体」

大崎純「重複座屈荷重の不整感度解析」

竹山聖「フェニキアからギリシアへ」

竹山聖「建築的瞬間の訪れ」

布野修司「景観・風景・ランドスケープ 景観論ノート 01」

布野修司「『インド・イスラーム』都市論ノート」

牧紀男「移動する人々―災害の住宅誌―」

古阪秀三「得する建築をつくるために」

青木義次「カラフル都市の4色問題」

大森博司「構造力学の眺望」

4

3

2003.06 l 112p

座談会:ゼネコンの経営者に聞く

interview 森田司郎名誉教授

2002.10 l 112p

座談会:外部評価を終えて

interview 巽和夫名誉教授

discussion 「ゼネコンの経営者に聞く」

discussion 「外部評価を終えて」

essay 加藤直樹「計算幾何学と建築」/ 大崎純「曲線の滑らかさと力学」

essay 布野修司「発展途上地域の大都市における居住地モデルに関する研究」

高橋大弍 / 高橋良介「周期的構造を持つ反射面による音揚と聴感上の影響」

平岡久司「植栽内熱・水分・二酸化炭素収支のモデル化に関する考察」

石田泰一郎「都市景観の視覚的印象評価と色彩分布の特徴量」

大窪健之「地震火災から木造都市を守る環境防災水利整備に関する研究開発」

竹山聖「他者に対する抵抗の形式」

伊勢史郎「ミームは快楽主義」

布野修司「オランダ植民都市研究」

鈴木博之「建築における評価」

古阪秀三「建築生産の現場でどんな現象で起こっているか」

西澤英和「知られざる名作―もう一つの閑室を巡って」

中嶋節子「1930 年代・大阪市建築課のモダニズム建築」

古阪秀三「日本における CM 方式の普及過程」

三浦研「外山義-軌跡と建築-」

竹山聖「遊び / 建築というゲーム」


バックナンバーは以下の Web サイトにて公開しています。 https://www.traverse-architecture.com/ その他、各種お問い合わせは下記メールアドレスにご連絡ください。 info@traverse-architecture.com

18

2017.10 l 112p

特集:「壁」

interview 三谷純 , 奥田信雄 , 魚谷繁礼 , 五十嵐淳

17

essay 竹山聖「脱色する空間」

インタビュー:野又 穫

interview 松井るみ , 石澤宰 , 柏木由人

project 竹山研究室

2016.10 l 128p, 16p in color

project 竹山研究室、平田研究室、神吉研究室

essay 竹山聖「『無何有』をめぐる建築論的考察」

大崎純「耐震壁のデザインと最適化」

平田晃久「『生きている建築』をめぐるノート」

小椋大輔「壁―建築環境工学、特に熱湿気の視点から―」

山岸常人「オーバーアマガウの受難」

布野修司「壁のない住居―タイ系諸族の伝統的住居―」

布野修司「アレクサンドロスの都市」

古阪秀三「日本の建設活動の参入障壁と進出障壁」

三浦研「コミュニケーションと環境」

牧紀男「津波ゲーティッド・コミュニティ」

Galyna SHEVTSOVA“Beam-pillar and blockhouse wooden construction

牧紀男「建築の『がわ』と『み』」

古阪秀三「東南アジアで考える日本の建築ものづくり」

川上聡「メキシコと建築」

systems in the world: the areas of domination and mixing zones”

14

2013.10 l 120p

特集:アートと空間

interview 松井冬子 , 井村優三 , 豊田郁美 , アタカケンタロウ project 竹山研究室「個人美術館の構想」

13

2012.11 l 128p

インタビュー:名和晃平

interview 名和晃平 , 高松伸 , 前田茂樹

essay 石田泰一郎「都市の色彩分布の形成シミュレーションと視覚的印象評価」

essay 竹山聖「建築設計事務所という「場」をつくる」

大崎純「建築デザインの数理的手法」

布野修司「『周礼』「考工記」匠人営国条考」

竹山聖「 『陰影礼賛』考-対比と階調」

小室舞「現在進行形バーゼル建築奮闘記」

布野修司「グリッド都市」

中井茂樹「ロベール・ブレッソン論-生きつづける関係-」

鈴木健一郎「歩きながら都市を考える」

伊勢史郎「音響樽の構想」 project 古阪秀三「タイの鉄骨ファブリケータとの共同研究」

10

9

2009.11 l 112p

インタビュー:川崎清

interview 川崎清名誉教授 essay 松隈章「建築家・藤井厚二が求めた「日本の住宅」の美意識」

座談会:これからの建築ジェネレーション

interview 金多潔名誉教授

discussion 齊藤公男「構造設計者の夢と現実」

2008.11 l 96p

discussion 高松伸 / 布野修司 / 竹山聖 / 平田晃久 / 松岡聡 / 大西麻貴+百田有希

「これからの建築ジェネレーション」 essay 田路貴浩「堀口捨己 自然と水平の超越」

竹山聖「超領域 あるいは どこにも属さない場所」

渡辺菊眞「建築にさかのぼって」

伊勢史郎「身体のリアリティ」

伊勢史郎「知の場の原理」

布野修司「ハトとコラル―非グリッドの土地分割システム―」

大崎純「建築構造物の非線形解析と形態最適化」

竹山聖「思考の可能性としての建築」

布野修司「条理と水利」

古阪秀三「建築コストと技能労働者の労働三保険について考える」

6

インタビュー:伊東豊雄

interview 伊東豊雄

5

2005.09 l 96p

2004.06 l 112p

座談会:快感進化論書評

interview 川上貢名誉教授

essay 石田泰一郎「環境への科学的アプローチ―光環境の心理評価」

discussion 「快感進化論書評」

竹山聖「世界はエロスに満ちている」

大崎純「テンセグリティ入門」

竹山聖「可能世界の構想」

吉田哲「建築学生考」

金多隆「建築から産学官連携を考える」

古谷誠章「建築家の国際相互認証と JABEE」

瀧澤重志「対話型進化計算法を用いた事例の探索と学習による設計支援」

布野修司「ミャンマーの曼荼羅都市 インド的都城の展開」

甲津功夫「鉄骨造構造物の耐震性能と加工」

古阪秀三「プロジェクト発注方式の多様化」

古阪秀三「建設業における流通の多段階性」

大崎純「建築計算工学とは」

2

1

2001.06 l 112p

座談会:大学論

interview 松浦邦男名誉教授 essay 布野修司「タウンアーキテクトの役割と仕事」

2000.06 l 140p

座談会:大学論

interview 横尾義貫名誉教授

discussion 「大学論」

essay 布野修司「アジアにおける都市変化のディレクター」

discussion 「大学論」

essay 高橋康夫「室町幕府将軍御所の壇所―雑談の場として」

高田光雄「大阪における「裸貸し」の伝統と次世代住宅「ふれっくすコート吉田」」

山岸常人「神社建築史研究の課題」

竹山聖「都市発生論」/ 山岸常人「杵築大社本殿十六帖説批判」

大崎純「トラスの形状最適化」

大崎純「建築構造物の座屈と最適化」

布野修司「植民都市の建設者 計画理念の移植者たち」

石田泰一郎「色による人と環境のインターフェイス」

古阪秀三「京都駅」/ 竹山聖「不連続 都市空間論 2000」

井上一郎 / 宇野暢芳「摩擦面の破壊機構と高摩擦鋼板の開発」

鉾井修一 他「 密集市街地におけるエネルギー消費および温熱環境の解析と

古阪秀三「シンガポールの建設事情」

伊勢史郎「大学論再考2」

石田泰一郎「色彩の心理効果の意味を考える」 他

蓄熱水槽を利用した地域熱供給システムの提案」


編集委員

<『traverse――新建築学研究』創刊の辞>より

石田 泰一郎

布野 修司

京都大学「建築系教室」を中心とするメンバーを母胎とし、その多彩な活動を支え、表現す

伊勢 史郎

古阪 秀三

るメディアとして『traverse――新建築学研究』を創刊します。『新建築学研究』を唱うのは、

大崎 純

牧 紀男

小見山 陽介

三浦 研

竹山 聖

柳沢 究

年 156 号まで発行されます。数々の優れた論考が掲載され、京都大学建築学教室の草創期より、

平田 晃久

山岸 常人

その核として、極めて大きな役割を担ってきました。この新しいメディアも、21 世紀へ向けて、

言うまでもなく、かつての『建築学研究』の伝統を引き継ぎたいという思いを込めてのことです。 『建築学研究』は、1927(昭和2)年5月に創刊され、形態を変えながらも 1944(昭和 19) 年の 129 号まで出されます。そして戦後 1946(昭和 21)年に復刊されて、1950(昭和 25)

京都大学「建築系教室」の活動の核となることが期待されます。予め限定された専門分野に囚 われず、自由で横断的な議論の場を目指したいと思います。「traverse」という命名にその素朴

学生編集委員

な初心が示されています。

M1 雨宮 美夏 石原 佳苗

2000 年 4 月 1 日 The Beginning of "traverse" as the Rebirth of "Kenchikugaku Kenkyu" Now, we, members of the School of Architecture at Kyoto University, start to publish the

瀬端 優人

"traverse---Shin Kenchikugaku Kenkyu" magazine, which will support our activities and represent

高山 夏奈

our research work. The name of "Shin Kenchikugaku Kenkyu", which means "New Architectural

竹岡 里玲英​ 久永 和咲 前田 隆宏 間山 碧人 M2

Studies", is derived from "Kenchikugaku Kenkyu", the former transactions of the School of Architecture at Kyoto University, that started in May 1927 and continued to be published until 1950 in spite of interruption during the wartime. "Kenchikugaku Kenkyu" had played important roles to develop the architectural knowledge in the early period of the School of Architecture at Kyoto University. We hope to take over the glorious tradition of it. This new magazine is expected to be a core of various activities towards the 21st century. To discuss freely beyond each discipline is our pure intention in the beginning, as is shown in the name of"traverse".

谷重 飛洋子

1st of April, 2000

松原 元実 宮原 陸

編集後記 『traverse――新建築学研究』は今年度 21 号より電子出版へ移行し、traverse website、京都 大学学術情報リポジトリ KURENAI をはじめとした媒体で、より多くの方へ京大建築の文化をお 伝えすることが可能となりました。ただ今ご覧いただいた紙面は、アーカイブ用に少数部数に 限り発行したものです。 今年度編集委員が発足した 2020 年 4 月、新型コロナウイルスによって世界は大きな混乱の 渦中にありました。未知のウイルスがもたらす脅威を前にステイホームを余儀なくされる中で 浮かび上がった「巣」というテーマのもとに、各分野のプロフェッショナルの皆さまにさまざ まな思考や言葉を持ち寄っていただきました。毎週の編集会議や一部記事の取材はオンライン での実施となりましたが、未来の変化を期待する眼差しやいつの時代も変わらないたしかなも のが、総体として見えてくる内容となりました。 最後にはなりますが、このような状況下、取材へご協力およびご寄稿いただきました皆さま、 刊行にご尽力いただきました編集委員の先生方に、学生編集委員を代表して心より御礼申し上 げます。

traverse 21 © 2020 Traverse Editional Committee 編集・発行 traverse 編集委員会 School of Architecture, Kyoto University, Kyoto, Japan 〒 615-8540 京都市西京区京都大学桂 京都大学建築系教室 www.traverse-architecture.com traverse 編集委員会 2021 年 3 月 31 日

学生編集長 前田 隆宏


Turn static files into dynamic content formats.

Create a flipbook
Issuu converts static files into: digital portfolios, online yearbooks, online catalogs, digital photo albums and more. Sign up and create your flipbook.