Shun Yamai Portfolio 2019-2021

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Between

Sequence

and

Continuity



Shun Yamai 2019-2021 Portfolio Between Sequence and Continuity



暁 彼は誰れ時 曙 朝ぼらけ つとめて・・・ 夜明けをあらわす言葉はたくさんある 時間のシームレスな移ろいを、完全に言語化することはできない

けれど、様々に言葉をあてることで、それが映像として浮かび上がる

建築をつくることは、これに似ている 切れ目なく連続した時間や空間のうえに境界を立てる それによって、広漠とした時空間を

知覚可能なおおきさにまで落としこみ、関係性を見出す

もっと言えば、文化というのは

"Continuity"( 途切れのないもの ) たる自然のうえに、 "Sequence"( モノやコトの関係性 ) を配置し知覚する 人類の営為なのかもしれない

そして、その人類の営為の歴史もまた "Continuity" であり、 そこにまた「時代」という "Sequence" を定義する

「文明」は、文にして明らむ、と書く 「文化」は、文に化する、と書く

似て非なるこのふたつの言葉の相違点は、 人間の自然に対する感覚にある

つまり、自然を他者として研究するか、

身内として解釈するか、ということである このことは、"Sequence" の果たす役割、つまり 境界のありかたにも直結しているように思う

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原初、ヒトは自然のなかに居場所を見つけた

それは巣と呼んでもよい、境界の先駆けとなるものだった 旧石器時代の移住生活において、境界の自発的な創造がはじまる ここで「文化」、つまりヒトと大地との対話が幕を開ける 縄文時代になると、気候変動によって定住が可能になる

境界はヒトと大地、そして人と人とを取り持つようになった 対人的な調停がはじまることで、文化の醸成が加速される そこに弥生時代、稲作という「文明」が到来する クニが生まれ、同時に戦いがはじまる

境界は、ヒト-大地、人-人に加えて、

クニとクニを調停する役割を担うことになる 飛鳥時代、さらに「計画」という文明が伝わる 都市という皮膜が大地にかぶせられ、

境界は新たに都市-大地、都市-人の関係性を調停し始める

文化の土壌に外から文明が流れ込むごとに、

境界の調停すべきものは複雑、かつ見えづらくなっていった そんな文明の流入と境界の複雑化の比例関係にあって、

文明開化、そして戦後のそれは、圧倒的に異質のものであった 交通の高速化に伴い、都市の皮膜が厚みを増していく

大地が不可視化されて、複雑な関係性のからまりが捨象される 文明が膨張し、文化は忘却されていく

その過程で、境界は調停の役割を棄て、

分断の装置、あるいは抽象化の手段へと姿を変えた "Sequence" が、"Continuity" とは全く別のところで構築される

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この関係性の放棄は、調停すべき情報の難解さが

境界のキャパシティーを超えたことに起因している その結果、現代になって、そのひずみが様々な形で 姿を現してきている

ここで必要なのは、もう一度

分断ではない方法で、かつ膨大な情報量を処理しうる 境界のあり方を模索すること

"Sequence" と "Continuity" を再び近接させることではないか

境界線や境界面よりも高次なもの

僕はそれを「境界体」と呼びたいと思う

時間、空間、人間、世間というように、

「間」は、ヒトが "Continuity" を有限化し知覚するために 用いられてきた、境界のボリュームにほかならない

ボリューム、つまりそれ自体が "Sequence" として機能する「間」 それは、複雑な関係性を調停する柔軟さを持っている 境界体は、不定形で広がりのある「間」である

つまり、ただ調停するだけではなく、それ自身がゆらぎながら、 主体としてその周域を変化させうる方向性を持つ

境界を単に「つなぐもの」、"Sequence" の一要素と考えるのではなく、

移ろう境界体のなかに躰をおいて、発散的にその両方向を眺める視点 より複雑さを増していく世界のなかで、

"Continuity" と "Sequence" を調停するその上で この視点が必要なのではないかと思う

7

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かたち

Form

階調 山科の家

House in Yamashina

012

二条城南の音楽堂

Nijo Concert Hall

030

隙間 京都現代美術館

Con-tempo-rary Museun

050

屋根 東京の住宅

House in Tokyo

070

8

Story-et 茶屋町

Chayamachi Cultual Complex

086

建部の森

The Approach to Takebe-taisha Shrine

114

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ことば

Description

境界体

003

ジョグジャにて

044

建築の「つよさ」

067

084

古さ

110

言行不一致

136

About me

138

9

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House in Yamashina

Nijo Concert Hall

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調

G r a d a t i o n

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山科の家

House in Yamashina 2019

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Oct.-Nov.


『まず、 これまで持ってきた 「家族」 の概念を忘れ去るところからはじめてほしい』 課題文冒頭のことばである。 20 世紀的な「家族」が解体する現代。 そのなかで、7 人の住まい手を想定し、住居によって新しい「家 族」 を再構築するという課題だった。 僕が想定したのは、 血縁関係のない 7 人の住人たち。 会社員の男性や夫を亡くした女性、 大学院生など、 様々な性格の人 びとが住むシェアハウスである。 ここで考えたのが、 プライベートとは別にコモンを設けてそこで交流を生むという、 従来のシェアハウスと は別のかたちで、 人びとが時間や空間を共有するという住まい方である。 家族とは、 個人と社会の中間領域であり、 それ自体が 「境界体」 であるといえる。 7 人が血縁関係になくても、 いや、 ないか らこそ、 そのシームレスな関係性が必要なのではないかと考えた。 そこでコモンを、 プライベートのにじみ出しが混ざる場所ととらえ直してみる。 幾重もの物理的・精神的な境界面で、 空間をグラデー ショナルにつなぐ。 コア、 「縁」、 二人の場所、 そのフロアのコモンスペース ・ ・ ・ というように、 コモンとプライベートが段階的に調停さ れる。 その境界面もコアを含めてほとんどが可動であり、 住む人の気持ちに応じて、 領域が絶えず伸縮する。 また、 敷地は京都市山科の琵琶湖疎水沿い、 山が間近に迫る場所であり、 この豊かな自然に対しても同様に、 階調的につな ぐことを考えた。 それは表層としての境界の操作、 境界面の可動性による素直(安直)な調停の仕方なのかもしれない。 しかし、 その表層、 境界面が重なって厚みを持つことで、 境界体としての、 "Continuity" に近接する性格を持つのではないか、 と考えている。

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Site

1/5000

毘沙門堂

703年に開かれた、歴史ある門跡寺院。紅 葉の名所で、秋頃には観光客もよく訪れる 。道路があまり広くないので、毎年自動車 がつまっている。 普段は人影はまばらで、地元の方の憩い の場となっている。

琵琶湖疎水

敷地周辺は風致地区に指定さ れ、静かな環境が保たれる。 その 代表が、静かな疎水の流れであ る。川岸には遊歩道やお地蔵さ んがあり、地域のひとに親しまれ ている。 春には桜が、秋には紅葉が映え る絶好の散歩コースである。

N

住宅街

山科駅を利用する人の殆どは、乗り換える か、南へ向かう。 そのため、北側はちいさく 閑静な住宅街が広がる。 東西の山に抱かれるようにしてくらす人々 は、 あたたかかった。 庭越しに会話するひと。 ランニング中に、見 ず知らずの僕に挨拶してくれるひと。 ゴミだ しをするおばあさんを手伝うひと。 庭を持つ家が多く、 その適度な距離感の 調整によって、 コミュニケーションが生まれ ているように思えた。

計画地 山科駅から坂を上って10分、毘沙門堂 へ向かう通りと、疎水沿い遊歩道に挟 まれた場所。 南側が崖になっており、隣地より3mほど 高い。斜面に沿って、南北に穏やかな風 が吹く。 東側は、疎水の向こうに山がすぐそこま で迫る。

JR

山科駅 京阪

地下鉄東西線

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Common ; shared by several people or groups Share ; to have or use something with other people このふたつの言葉からもわかるように、 "Common" とは "Private" から独立したも のではなく、 むしろ "Private" の重なりあう場所といえる。 そこで、ひとの行動と、Common-Private との関係性を考えてみる。わかったのは、 ひとの行動は常にその境界らを行き来し続け、不定形かつ遠心的だ、ということ。 その不定形な生活のにじみ出しが、 "Common" や、 自然との関係性を形づくっ ている。 このにじみ出しを活性化するため、あらゆる境界を可動化し、重層させた。 コア部分のうち二辺は前後方向に動き、 その外側の木雨戸との間の縁の空間 が、 ひとのふるまいに応じて伸縮する。 "Common" 方向にむけては、 外側にカー テンが走り、 ゆるやかに個々人の距離を調停する。 さらにその外側、 建築全体を格子が包む。 これは構造体であるとともに、 ひと つの家としての全体性をもたせつつ、 周囲との距離感を取りもつ役割を果たす。 17

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A

ダイニング

住戸 キッチン

洗面所

玄関

B

1F Plan 1/80

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B

住戸

A

多様な住人たちの生活に合わせて、 ダイニングテー ブルも、 さまざまな集まりかたをみせる。

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浴室

住戸

住戸

2F Plan 1/80

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住戸

住戸

住戸

3F Plan 1/80

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コアの壁を開き、 木雨戸に寄せると、 コア自体が開放される

コアを閉じると、 木雨戸とのあいだに縁のスペースができる

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B Section

North-East Elevation

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1/100

1/100

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A Section

1/50


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二条城南の音楽堂 Nijo Concert Hall 2 0 2 0

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J u n . - J u l .


『先生と話してたんだよ。 今の世界は、 いろんな音に溢れているけど、 音楽は箱の中に閉じ込められている。 本当は、 昔は世界中が音楽で満ちていたのにって。 ああ、 分かるわ。 自然の中から音楽を聞き取って書きとめていたのに、 今は誰も自然の中に音楽 を聞かなくなって、 自分たちの耳の中に閉じ込めているのね。 それが音楽だと思っているのよね。 そう。 だから、 閉じ込められた音楽を元いた場所に返そうって話してたの。』 蜜蜂と遠雷(下) 恩田陸 幻冬舎文庫

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ホール内観

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天理教の教会

昔ながらの町工場が建ち並ぶ

ちいさな路地が通りをつなぐ

二条城

神泉苑

静かな池をたたえる、小さな寺

二条城

JR

世界遺産であるこの城には、毎年多くの 観光客が訪れる。 のみならず、緑が意外 に少ない京都の街において、貴重な緑 地となっている。鳥がさえずり、風を生み 出す、市民や動物の憩いの場でもある。

烏丸御池 オフィスビルや大型商業施設 が建ち並ぶ、京都の中心街の ひとつ。道幅が広く、歩車ともに 通行量が多い。 が、 のっぺりし て、 どこか冷たい雰囲気が漂う

二条駅

立命館大学や佛教 大学のキャンパスが あり、利用客が多い。

計画地

二条通

地下鉄東西線

町工場や住宅、店舗がならぶ、 下町的な街並み

三条商店街

大正時代からつづく商店街。800mに も及ぶアーケードがシンボルで、地域 とつながるあたたかい雰囲気

大宮駅 34

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阪急京都線

地下鉄烏丸線

1/10000


街ゆく人を見ると、 よくイヤホンをしている。 You Tube か、 音楽アプリか、 はたまた電話か。 その人が何を聞き、 何を思っているかは知るよしもない。 どこでも音楽を聴ける、 そんな今の時代、 音楽堂をつくる意味とは何なのか。 音楽とはもともと 「現在」 だった。 今そこで聞いた音を 「聞き取って書きとめ」、 ある人は楽譜に起こし、 ある人は奏で、 またある人は心の中で反芻した。 音楽堂とは、「現在」 を共有する場所だと思う。 過去の音楽があふれる現代で、 生きた 「現在」 をともに経験する場所だと思う。 時間の移ろいのなかで 「現在」 を共有するそのために、 こもれびの下にいるよう な音楽堂を目指した。 町と二条城の緑のはざまに立つ、 一本の木のように。 格子やルーバー屋根から光が洩れ入るホール。 そこを中心に格子壁が やわらかくとりまき、 積層する境界がグラデーションのように内外を調停する。 さらに、 ホール内外のふたつのスロープが動線として貫入することで、 動きを伴った境界体をかたちづくる。 音楽を、 ふたたび時間の流れに還す音楽堂である。

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白い膜屋根と木・ガラスのルーバー屋根が、 やわらかく光を透過する

格子をくぐるスロープは、 内外の経験を連続的につなぐ

内外問わず、木が生育する。 格子にはツタが絡まり、 自然のこもれ日に近づいていく

構造壁、かつ視線を調整する格子壁 ランダムな格子の配列が、光の変化を生み出す

East Elevation 36

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1/400


ホワイエ

ギャラリー

カフェ

階段テラス

立ち見席 楽屋・リハーサル室

ライブラリー

エントランスホール 事務・会議室

外スロープにはパブリックの諸機能、 内スロープには立ち見席がある。 さまざまな経験が音と光とともに、 シームレスにつながる

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Plan

1/800

4F 1 foyer (+11,700) 2 standing room

2

3F

2

3 foyer (+10,600) 4 cafe foyer (+9,500)

1

5 gallery (+7,000-7,900) 6 standing room

+14,600 Plan

2F (+5,100) 7 studio 8 foyer 9 gallery

4

1F 10 entrance hall (+700-1,300)

6

11 meeting/lecture room (+1,200) 3

6

12 office (+1,100) 13 library (+1,600) 14 rehearsal room (+700)

5

15 dressing room (+700) 16 main hall (+700) 17 front chamber (+700) 18 storage (+700)

+11,000 Plan

B1F (-5,500) 19 storage 20 machine room

7

8 9

+6,500 Plan

11

13 16 17

15

20

10 12

18 19 15

19

14

-4000 Plan

40

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+2,500 Plan


格子と木々のあいだ、 内外を調停する空間

ギャラリー。 屋根の高低がスロープに変化をもたらす 41

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1F エントランスホール

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Roof Plan

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1/800

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ボロブドゥール

ボロブドゥール

ジャカルタ

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ジャカルタ

ジャカルタ

ボロブドゥール

ボロブドゥール


音楽堂課題の講評会で、 空間が 「たまたま出来てしまったように見える」 とコメントをいただいた。 この言葉が、 今もアジの小骨 のように、 飲み込みきれないまま刺さっている。 オンラインでの講評会だったため、 直接その真意を聞くことはできなかったが、 「空間 をつくり込もうという意図が感じられない(ように見える)」 ということだと解釈している。 当時、 空間をランダムにして設計者の意図を不可視化することで、 ひとの自由なふるまいを引き出せる、 と考えていた。 その意味で この指摘は、 自分の設計理念が他者に伝わった、 とポジティブに受け取れるのかもしれない。 しかし、 最近はそれとはある種正反対のことを考えている。 空間のランダムさは、 必ずしもふるまいのランダムさを生まないのではないか。 「にぎわい」 としてのカオスの創出において、 空間それ 自体のカオス、 設計者のルールが見えないことは必要条件ではないのではないか、 と。

すこし自慢話をしよう。 大学一年の夏、 父とともにインドネシアを訪れたときのことである。 その日は、 現地の方がボロブドゥールまで案内してくれた。 その方は外で休むと言ったので、 僕と父のふたりで古代の遺跡に足を 踏み入れた。 異郷の地の歴史を堪能するはずであった。 モテたのである。 修学旅行中の子どもたちを筆頭に、 ひっきりなしに写真を撮ろうと頼んでくれる。 後で聞いたところによると、 イン ドネシアでは日本人がなぜか人気らしい。 が、 父が見向きもされなかったことを思うと、 人によるのだろう。 それはともかく、日本ではあり得ない体験に、初めのうちは見事に浮かれていた。 しかし、終わらない写真撮影に、次第に疲れてくる。 同時に気恥ずかしさが勝ってくる。 なんだか居心地が悪くなって、 ひととおり見て廻ると、 そそくさと去ることにした。 が、 帰れない。 数え切れないほどの土産物屋が建ち並び、 帰り道はあたかも迷路のようである。 その途中で、 また何回も写真 撮影をするのだが、 それよりも、 世界遺産であるボロブドゥールに、 ジャカルタのチャイナタウンのようなカオスが展開されていることに、 驚きを禁じ得なかった。

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その翌日、 ジョグジャカルタ中心部のバザールを歩いた。 ここは昔平屋だったそうだが、 整備され、 ショッピングモールのように立体 的なひとまとまりの建物が立ち上がっている。 しかしその様相は、 イオンモールやデパートとは一線を画する。 ここで建物はハコですらない、 「場」 である。 圧倒的な量のモノ、 そ して絶え間のない喧噪が場の空気を満たし、 飲み込んでいく。 膨大なエネルギーが建物を突き破り、 覆い隠し、 外へ外へと拡散し ていくような。

「にぎわい」 と言うとき、 いつもこの強烈な空気を思い出す。 そして 「にぎわい」 とは、 計画者が引いた線を、 生活のエネルギー が突き破る営みではないか、 と思うのである。 ボロブドゥールの土産物屋とジョグジャのバザール、 この全く性質の異なるふたつの場所で同様にカオスが展開されるのは、 人間の 営みが計画を超える、 その力が場所を選ばないからである。 同時にその双方で、 背後に確たる計画 ・ ルールが存在する(べき)こ とを見るからである。 そう考えたとき、 「にぎわい」 を生み出すのはルールのカオス(形態のランダムネス)ではなく、 ルールがカオスの土台たり得ることで はないか。 つまり、 設計者がすべきは緻密かつ余白のあるルールを設計することであり、 カオスを設計することではない。 そして、 その 余白を足がかりにして人びとがルールを踏み越えたとき、 「にぎわい」 として表れるのではないか。 そうすると、 本当に 「にぎわい」 をつくりたいとき、 建築の役割は踏み越えられることだといえる。 いや、 踏み越えを誘発する舞 台装置と言うべきかもしれない。 そのとき、 空間はどうあるべきだろうか。 建築の本体が建築自身でなくなるわけで、 それゆえに全く 異なる角度から設計しなければいけないように感じる。 もしくは、 「にぎわい」 は人の活力から自然発生するもので、 そもそも計画段階から考えるべきではないのだろうか。 「にぎわい」 とは設計者にとって、 いわば廃墟のような、 考慮すべきでない状態なのだろうか。 しかし、 建築は時間を扱うものであり、 やはり 「廃墟」 を想定したルールを決めることが必要なのではないか、 とも思う。 引き攣った笑顔でピースサインをつくる自分の写真を見返しながら、 こんなことを考えていた。

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Gap

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京都現代美術館 Con-tempo-rary Museum 2020 Apr.-May

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『Con( 一緒 )-tempo( 時間 )-rary とは、 歴史上の現代を意味するというよりは、 同時代性、 あるいは同時に存在することを 意味していると考えられる。』 この一文に象徴されるように、 重厚な歴史的文脈があり、 かつ自然と人工が共存する京都という場所に、 さまざまなものが混 在する美術館を計画するという課題である。 「同時代性」 というのは、 連続[Continue=Con( 一緒 )-tinue( 保つ )]と通ずるところがあるように思う。 バラバラの要素が 並立しているだけでは "Contemporary" とはいえず、それぞれの経験が連続して、"Continuity" となることではじめて、「同時代性」 たり得るのではないだろうか。

このとき、 ふたつのことを考えた。 ひとつは、 内外を等価に扱い、 その異なる経験を連続させることである。 そしてもうひとつは、 ガラス建築のような 「建築を消す」 やり方ではない方法で、 その内外の経験の連続を試みることである。 建築の存在感と内外 の連続性、 しばしば対立するこの二項をいかに両立するかが勝負だった。 そこで、 石壁という強い(断絶的な)要素を、 角度を振って配置することで隙間をあけ、 かつその要素を反復することで内外 を等価に扱った。 壁 ="Sequence" の隙間を何度も何度もすり抜けることで、 運動的かつ心理的な "Continuity" を感じる。 物理的には内外が強く断絶しているため、 「コンセプトと矛盾している」 と、 あまり良い評価をいただけなかった建築である。 に もかかわらず掲載したのは、 境界に対する考え方が広がった、 出発点のように感じるからである。 つまり、 物理的に閉じなければならない場合でも、 経験を連続させることで、 空間が境界体としての性質を持つのではないか、 ということである。 定点観測ではなく流動的な視点で、 物理的ではなく心理的に、 境界のあり方と向き合うこともできるのではないだろうか。

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ニワ、それは展示空間であり、散歩道であり、動線である

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京都大学

鴨川

ゆったりと流れ る鴨川は、人々 の憩いの場。納 涼床と呼ばれる、 川に面するテラ スを持つ町屋も 並ぶ

京都御所

平安神宮 琵琶湖疎水

京都市役所 計画地

地下鉄東西線

寺町京極商店街 古い店舗からブラ ンド店まで揃い、 老若男女問わず多 くの人が訪れる賑 やかな商店街

三条駅 祇園祭 山鉾巡行コース 白川

知恩院

阪急京都線

京都河原町駅

八坂神社

高瀬川

円山公園

祇園の街並み

デパートなどが軒 を連ねる、京都の 中心的な繁華街

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京都というのは、おもしろい街である。 祇園の 「京都らしい」 街並み、三条・四条のきらびやかな繁華街、 御池通のマッスなオフィス街、 御所や知恩院などの歴史的な建造物 ・ 公園。 そんな性格も時代も異なり、 かつ主張の激しい環境が、 川や通りに区切られてパッチワークのように同居する。 それらの経験をつなぐのは、 鉄道や大通りなどの大きなインフラというよりは、 ちいさな路地であるように感 じる。 周りの見えにくい路地で行く先を想像しながら歩くという体験が、 全く異なる要素を調停しているので はないか。 環境の断絶を、 隙間を通るという動的な体験によって克服しているのではないか。 芸術をひらく。 つまり、美術館がそれ単体として孤立せず、内外の経験が連続する。 そのために、この 「隙 間をぬう」 体験を生かしたいと思う。 ひとかたまりのボリュームを細分化し、 解体し、 さらに角度を振る(内 角 120°)ことで、 隙間をつくっていく。 と同時に、 内外のスペースを等価に展示室かつ動線として扱い、 とく に外部のスペースをニワと呼ぶことにする。 ニワは、 チケットのない人でも通り抜けられる、 屋外展示であり散 歩道である。 隙間をぬう経験は、 計画地内にとどまらない。 美術館を出て、 次の目的地を目指すときも、 まちの隙間 をぬう感覚が持続する。 「芸術をひらく」 というと大仰だが、 街の経験と美術館の経験が重なる、 それだけ でも 「ひらく」 と言えるのではないだろうか。

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B

Oike St.

4 3

14

5

6

1

1

7

2

A

A 14

1

4

8

Kiyamachi St.

Kamo River

14

9 10

7

13 12 1

Takase River

14 1 1

11

1 exhibition room 2 photo gallery 3 public gallery 4 outdoor exhibition 5 cafe

6 theater 7 entrance hall 8 shop 9 piloti 10 active-room

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11 visible strage 12 office 13 meeting room 14 niwa

7 4

waterway

B

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4

1F Plan 1/800


アクティブルーム

来館者の表現の場であるアクティブルーム。 中央のアートボードに、 訪れる 人が思い思いに書き込んでいく。 手の届かない上部は、 近隣の小中学生 がデザインする。 1 ヶ月ごとに張り替えられ、 市民ギャラリーに展示される。

奏でる

遊ぶ 学ぶ

混ざりあう

アートボードが仕切りとなって、 アクティビティー

イベント時には、 アートボードを巻き上げて、

をゆるやかに分節する

一体の空間としてつかわれる

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5 +4,000

5

5

4

1

2

1 3

5

1 1

1

5

1

1

2F Plan (+6,000) 1/800

+11,000

+12,000

+12,000 +12,000

+13,000

+14,000

+14,000 +14,000

+13,000

+13,000

+12,000

+12,000

Roof Garden Plan 1/800

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ライブラリー

天井まで届く、 120° L 字形の本棚。

1 段上がった座敷のスペース。 人が少ないときは本が壁となり、閉じた、落ち着いた空間に。 みんなでワイワイ集まれば、 本が抜けて視線が通り、 開放的に。

2F 1 temporary exhibition 2 artists' room

8

7

3 library

9

10

4 reading terrace 5 niwa Roof

6

12

niwa B1F

storage

6 foyer

11

7 temporary storage 8 refine room 9 photo studio 10 fumigation room

12

stack room

11 equipment storage 12 machine room

6

B1F Plan (-6,000) 1/800

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1

Takase Riv.

Kiyamachi St.

2 2

4

60

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5

5


3

Kamo Riv.

A Section

1/400

1 temporary exhibition 2 exhibition room 3 shop 4 foyer 5 machine room

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高さを変えながら連続する屋上のニワは、 屋外展示の場でもある

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シアターの壁が開くと、 御池通に面するニワと一体となる


3

5

1 2

4

6

1 theater 2 exhibition room 3 library 4 active-room

5 foyer 6 machine room 7 storage 8 equipment storage

7

2

5

7

8

B Section

1/800

East Elevation

1/800

North Elevation

1/800

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大展示室

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震災から 10 年が経つ。 小学校から帰りテレビをつけると、 街がまるで小石のように流されていた。 安全と目 された堤防が決壊し、 その向こうから、 見たこともないようなおおきな黒い波が迫り来る。 画面の向こうで、 家 や車がいとも簡単に消え去っていく。 そのリアリティのない光景に、 言葉も出なかったのを覚えている。 あれから 10 年。 こんどは人が街から消えた。 道路と建物が素っ気なく建ち並ぶ東京の風景。 なにも変わら ず命をつなぐ自然。 津波とコロナ、 このふたつの脅威で、 僕を含めた多くの人が建築の無力さを感じたはずだ。 大きな自然の力 を前に、 建築は何ができるか。 人がいないのに建物が無傷であるさまは、 皮肉にも建築の無力さを象徴してい るように思える。 ある構造系の授業で、 数多くの高層建築が紹介された。 難しい構造をいかに保たせるか、 いかに維持する か、 それをいかに可視化・情報化するか。 その技術的な進歩は疑いなくよいことなのだけれど、 それゆえに 「大 きいこと」 への違和感が薄れている気がする。 その授業内で、 地震で倒壊したトルコの集合住宅が紹介されて いたが、 大きなものが壊れたとき、 その大きなものを如何に強くするかではなく、 「大きいこと」 そもそもを疑うこ とが必要だと感じる。 経年劣化という面でも、 構造に頼り切ることに危うさを感じる。 いかに長く保つか、 というのはいかに時間の 流れと戦うか、 ということである。 永く保つ建築というのは、 ほんとうによいことだろうか。 伊勢神宮をはじめ、 多くの日本建築は 「よわい」 素材を受け継ぎ、 今に至っている。 よわいが故に愛され、 手を加え続けられる。 一方、 高度経済成長期やバブル期のインフラが各地で劣化しているという話をよく耳に する。 「つよい」 と目されたがために人に頼られ、 人を頼ることがなかった。 しかし、 どれだけつよいものにも終わりは訪れる。 保たなくなった 「つよい」 構造はもはやガラクタでしかなく、 更地になってなかったことにされる。 時間の流れと敵対し、 その文脈から離れようとすることで、 その存在はかえっ て脆く、 はかないものとなる。 「面白い建築」 はしばしば構造的に無理をする。 構造の 「つよさ」 の可能性にまかせる。 僕たち建築学生も、 構造的に相当無理をすることが多い。 構造的に最適な建築を持って行くと、 エスキスで 「つまらない」 と一刀 両断されることもある。 そんな 「面白い建築」 も、 時間軸のうえに置いたとき、 どうだろうか。 出来上がった 「豊かな空間」 は、 終わりを迎えるとき、 どうなるだろうか。 更地になって、 なかったことにされるのだろうか。 僕は、 もっと建築の 「終活」 に目を向けなければいけない、 と自省している。 いかに即時的に面白く、 かつ 「つよい」 ものをつくるかという発想から、 いかに人に頼られ、 同時に人を頼るかという考え方にシフトしていかな ければならないと思う。 それは建築のできあがり方、 いわゆる 「構法」 の話になってくるのかもしれない。 まだかたちになってはいないけれど、 自然や時間と対立しない構法を探っていきたい。 自然や時間の前に、 建築の 「つよさ」 は無意味なのだから。

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屋 R

根 o

o

f

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東京の住宅 House in Tokyo 2020

Oct.-Nov.

with Keiya Nakazato / Yuto Maruyama

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2020 年、 コロナウイルスの流行。 これによって、 「集まってはいけない」 という、 生物学的に奇妙な状況が生まれた。 外 出自粛やオンライン化の急速な進展など、 実空間のありようが問い直されるなかで、 『集まって生きるかたち』 はどんなだろう か。 集合住宅の設計によって、 その意義を再考するコンペティションだった。

学校、 オフィス、 ショッピングモール。 コロナ以前から、 場所の目的化が進んでいたように思う。 場所の目的化、 それはコ ミュニティーの場所化とも換言できる。 安定したコミュニティーが外部に確保されるいまの社会で、 わざわざ集合住宅内にコミュ ニティーを出現させる意味はあるのだろうか? 高度に計画=目的化された都市において、 失われつつあるのはむしろ偶然性、 「たまたまの出会い」 であるように思う。 道すがら誰かにばったり会うことは、 都市の醍醐味である。 それが消え去るのは、 勿体なく、 危ういことではないだろうか。 さらに、 コロナ下でオンライン化が進む。 zoom は、 招待する ・ されることでしか参加できない。 まさに 「出会いの目的化」 である。 「場所の目的化」 と 「出会いの目的化」、 その利便性や合理性を認めた上で、 その反面失われていく 「たまたま の出会い」 を建築化できないか、 ということを考えた。 そこで、 個々のくらしが屋根に対してにじみ出し、 さらに屋根を巡るという動的な要素を加えることで、 「たまたまの出会い」 を誘発する。 そして、 都市スケールでも大屋根が道すがらの居場所となり、 街のなかの偶発性を促進する。 屋根によって、 人びとの生活圏の境界がぼやけ、 伸縮しながら混ざり合う、 そんな集合住宅をめざした。

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オンライン空間 =企画された / 恣意的な出会いの場

学校 =学ぶ場所

神社 =祈り、憩う場所 住宅地 = 「食う寝るところ」

公園 =あそび、憩う場所

商業 =売る・買う場所

オフィス =働く場所

0

10

50

100m

敷地は、 東京都区内。 利便性が高く、 都心と郊外の中間の、 住宅地が密集するエリア である。 架空の敷地だが、 巣鴨や大塚の雰囲気に似ているように思い、 設計の際はその都 会すぎない、 下町的な雰囲気を想像していた。

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くらしが屋根ににじみ出し、屋根がくらしを共有し、屋根を巡ることでくらしが交錯する 屋根は、くらしが混在する場としての「生活の境界体」である

居場所を見つける くらしがにじみ出す

くらしをつなぐ

1. くらしがにじみ出す 住戸の広いテラスが屋根と一体化する。 そこは公私がゆらぎ、 混ざり合う場所である ガラス戸 ベランダ

LDK ・ 寝室

玄関 水まわり

屋根 =通路 ・ リビング ・ 玄関

通路 屋根 =通路 ・ リビング ・ 玄関

テラス リビング ・ 寝室 =リビング ・ 土間 ・ ダイニング

かたく仕切られ、にじみ出しのない集合住宅

「屋根の上」の住戸

0 1

3m

2. くらしをつなぐ 縦に積層する集合の仕方では、 上下の関係性が生まれにくい。 ナナメの関係にすることで、 出会いを誘発する。 近接しすぎると、 ひとは却って内に閉じこもる。 屋根を介して距離を保ち、 くらしが外へと向いていく

3. 居場所を見つける 屋根の積層 ・ 交錯が多様な場所を生み出す。 ひとは、 気分に応じて居場所を見つけ、 気ままに生活圏を伸縮 する。 くらしの境界が気まぐれにゆらぎ、 ときにそれは交差する。

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20 の住戸すべてが屋根に面し、屋根でつながる。 5m

5m

ひろば =家族間のイベントや、おみこしの 休憩所に使われる 76

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「屋根をめぐる」 上下動線

5m


屋根の上で歌い、 奏で、 出会い。

屋根の下、 ひろばで一緒に勉強したり。

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お隣さんとお茶したり。


高密な東京というまち。 迷路のような路地が魅力である一方、 まちの中のと どまる場所が少ないように感じる。 会社帰りにフラッと立ち寄ったり、 雨宿りしたり。 屋根は、 そんなまちを巡る 人びとの、 ちょっとした居場所となる。

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屋根越し 屋根の上でくつろぐ

軒下ではたらく

屋根を駆ける

軒下で食べる

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景色をながめる

しに出会う

軒下で奏でる

道すがらに居場所を見つける 屋根をぬって遊ぶ

0

5m

Section

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Chayamachi Cultual Complex

The Approach to Takebe-taisha Shrine

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道 S t

r

e

e

t

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運転免許を取って、 2 回目のドライブの時。 国道 1 号線を右折しようと、 対向車が途切れるのを待っていた。 すると、 小 学生たちがじゃれ合いながら家に帰っていく姿が見えた。 ああ、懐かしいな。 そんなことを思っている間に、右折信号に切り替わっ ていたようだ。 うしろの大型トラックに、 激しくクラクションを鳴らされた。 どう考えてもよそ見をしていた僕が悪いのだが、 それにしても、 道路において立ち止まることは 「悪」 なんだということを、 運 転するようになってよく思う。 流れ続けることがよいことであり、 信号や止まれ標識はないのが理想である。 進路標識が厳密に 方向を振り分け、 交錯することがあってはならない。

原初、 道の上に建築ができたのではないか、 と思う。 旧石器時代、 ひとは水場や狩り場をさがしながら住む場所を変えた。 移動するその流れの上に、 建築、 そして文化が醸 成された。 そこから定住、 稲作、 都市の形成と時代が進むにつれ、 道の上にあった出来事が周辺化していく。 寝ること、 食べること、 そういった生きるための行いが、 まず沿道に振りおとされる。 すると、 流れる道、 留まるまちという構 図が徐々に形成されていく。 貨幣の流通、 そして商いの誕生は、 この構図を強化した。 江戸時代の宿場というのはその典型 といえるだろう。 さらに自動車の伝来によって、 道の流れがより強力なものとなる。 国道沿いの風景のように、 まちが線的に広がった一方で、 まちは道からじりじりと後退していく。 ひとの生活の道へのにじみ出しが消極化し、 ついには法律で規制される。 自動車に乗り始めてもうひとつ思うのは、 その道中の記憶が、 徒歩や自転車の時にくらべて圧倒的に薄いことである。 〈始 発点〉 〈目的地〉 そして 〈車の中〉 という三つの経験が断続的に並ぶ。 僕がまだ運転に精一杯だというのが大きいのかもし れないけれど、 道中の風景はまるでテレビを観ているかのように、 経験化されない。 そう、 テレビ。 あくまで俯瞰の、 第三者の 視点から眺めているような。 流れの周域はあくまで他者なのである。 流れが強くなるにつれ、 道のはらんでいた可能性が周縁へと離散し、 さらに乖離していく。 流れの中にいるひと、 外にいるひ とが全くの赤の他人となる。 これは、 すごく勿体ないことではないか。 建築と街路計画、 まちと道を同時に考え、 共鳴させるこ とができないだろうか。 流れの上に、 ひとの行いを還元することができないだろうか。

僕が建築学科に決めたのは、 車中心の街のつくられ方に疑問を感じたからだ。 その問題点は車道 / 歩道のつくられ方とい うよりも、 建築 / 道の境界が断絶していることにあるのではないか、 と思うようになった。 その境界をつなぐこと、 あるいは境界に 立って両側を眺めること、 あるいは道の上に建築を還元してしまうこと。 そんな発想が必要なのではないか、 と。 境界というのは、ある流れが往来する場所である。それは人の往来だったり、通風であったり、採光であったりする。その意味で、 原初、 道は境界体であった。 行いと行いを不定形に結ぶボリュームであった。 自動車が走り回る現代において、 道が境界体 としての性質を取り戻すことは、 いかに可能だろうか。

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Story-et 茶屋町

Chayamachi Cultual Complex 2 0 2 0

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N o v . - 2 0 2 1

J a n .


『ニュー・シネマ・パラダイス』 という映画を観た。 交差点である広場で、人びとは染め物をしたり、映画を壁に映し出したり、 「オレの広場だ」 と叫んだり。 道の上で多様なふるまいが展開されていた。 思えば、古代ギリシャの説教師から現代のストリー トミュージシャンまで、 道という流れのなかで文化が育まれてきたといえる。 大阪 ・ 茶屋町は街道沿いにできた街であり、 現在も交通の大動脈が交差する場所である。 この人やモノの流れが圧倒 的な土地では、 流れを建築に取りこむというより、 流れのなかに建築が巻き込まれる、 と言った方がふさわしいように感じた。 現代、 文化が多様化とともにオタク化(断片化)の様相を見せ、 さらにインターネットメディアの普及によって、 実空間と しての文化施設の意義が問われる。 そんな時代に、 巨大な文化複合施設をわざわざつくる意義とはなんだろうか。 それはまさに、 文化を "Com( ともに )-plex( 織られた )" 状態にすることである。 文化をふたたび流れのなかに置いて、 織 り合わせ、 原初的な混交状態に立ち戻らせることである。 この提案は、 固定化された文化を大小の流れのなかに還元し、 文化が分化する以前の "Complex" な状態に回帰させ るものである。

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East Entrance

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非人間的スケールの建物が人間ス ケールで建ち並ぶまち ・ 梅田。 ダイナミックなインフラの流れが街を 削るように貫く。 そのなかで人びとの留まる場所と なっていたのは、 オープンスペースとい うよりも、 路地のようなちいさな流れ だった。

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淀川

能勢街道 JR京都線

中国街道

御堂筋線 新御堂筋

計画地

阪急大阪梅田駅

谷町線

JR大阪環状線

貨物ヤード跡 (うめきた2期)

JR大阪駅

中国街道

JR東西線 大和田街道 堂島川 阪神高速

1/10000

「茶屋町」 という名前は、 旧街道沿いのこの地域に、 かつて菜の花畑を ながめる茶屋があったことに由来する。 いまも人やモノの流れが縦横に貫き 渦巻く大阪では、 古来から流れの上に文化が醸成されてきたといえる。 93

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Composition

インフラのような、 ダイナミックに流れる道 =解放 ・ 流動

都市のすき間、 路地の集積としてのボリューム =集中 ・ 停留

Flow Line ギャラリー ・ 図書館機能は、 一 筆書きでたどることもでき、 各動 線が随所で絡み合う。 収蔵動線は、 エントランスを掘り 込んで可視化される。

Gallery Library Storage

Structure ガラス壁とそれを支える柱、 天井 のトラスによるラーメンが主たる構 造体。 道やエレベーター、 エスカレーターな ど、 動線も構造を負担する。

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Shun Yamai 2019-2021 敷地北側 ・ アプローズタワーから


北側、 梅田芸術劇場に面する

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道にむかって開く屋外劇場


Umeda Art Theater / Applause Tower B

A

10 2 6 5

2

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4

A 3

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13

1

7

8

13

14

15

15

14

12

9

Hankyu Osaka-Umeda Sta.

B

1 studio 2 library 3 shop 4 reference desk 5 online desk

1F Plan

6 laboratory 7 office 8 lecture hall 9 theater

17

10 open gallery 11 cafe 12 garage

17 16

13 dressing room 14 storage

19

15 shower room 18

16 book storage 17 storage for gallery 18 storage for theater 19 service entrance

B1F Plan 1/800

South Elevation

1/800

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1 terrace

6 open gallery

2 library

7 cinema

3 event spuare

8 meeting room

4 gallery

9 foyer

5 studio

3

2

1

4

4

7F (+18,000) Plan

6 4 4

5

4

2 2

6F (+15,000) Plan

4

6

2

4

3

5F (+12,000) Plan 98

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2 4

3

4F (+9,000) Plan

7 2

4

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3F (+6,000) Plan

2

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2F (+3,000) Plan 1/800 99

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強いインフラとしての大通り

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立体交差するエスカレーター


路地ボリューム内部

路地ボリューム部分模型

展示壁や本棚が、 路地をかたちづくる。 流れるインフラとしての大通りに対し、 路地の集積としての ボリュームは、 人びとの留まる場所となる。 101

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既存路地へ視線が抜ける

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南側 ・ 中国街道


1 event square 2 open gallery 3 studio 4 gallery 5 library 6 cinema 7 cafe 8 laboratory 9 online desk 10 storage for gallery 11 service entrance 12 book storage 13 lecture hall

1 2

3

6

5

4 5

5 7

2

8 10

2

4

4 4

9 11

5 10

5 12

A Section

1 3 5 5 5 5

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4 4

1

13

8 11

B Section

1/1000

阪急電車に面するテラス

East Elevation

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1/1000

シネマが断面として表出

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なにが残り、 なにが残らないのだろうか、 とよく考える。

僕の住む滋賀県 ・ 瀬田では、 急速に住宅地の開発がすすむ。 小さな頃遊んでいた田んぼは跡形もなく建て売り住宅に変わり、 よく挨拶してく

れたおじいさんの家は、 いつの間にかアパートに姿を変えていた。 見慣れた風景が、 とてつもないスピードで変貌していく。 そのことにもう慣れてしまい、 とくに感傷的になることもなく、 ただそれを 「自然な」 日常の一部として受け止めている。

京都清水の産寧坂を訪れた。 「京都らしく」 塗装された街並みは、古いはずなんだけれど、どこか USJ のような新しさを感じる。 「京都」 というテー マパーク、 まるで駅弁のような。

それは、周囲の 「自然な」 更改を繰り返す街並みのなかにあって、「古さ」 というイメージ、極度に恣意的なものとして独立しているからだと感じる。 パターン化された 「古さ」 は、 時間の流れのなかの古さから乖離するものではないだろうか。

時間の流れのなかの古さとは、 変わり続けること、 そして時間が同居することである。

木が生え、育つにつれてそこに多くの生命が宿っていく。 苔が樹皮を覆い始める。 やがてそこはヒトの通り道となり、木が伐られる。 切り株が残り、 やがて朽ちる。 そこにキノコが生えてくる。 新たな生物群の営みがはじまる。

切り株にキノコが生えるのを見るとき、 僕は古さを感じる。 その古さとは、 伐られてもなお残る木の永続的 ・ 固定的な古さではなく、 ヒトを含めた 生物群が織りなす、 更改の繰り返しの歴史である。 そして、 この更改の歴史が、 異なる時間のかさなりが可視化されていることである。 時間の流れのなかの古さは、 建築にも多く見られる。

法隆寺はその一例である。 野屋根による屋根勾配の変化、回廊の変形、瓦の部分的な交換。 そんな更改の歴史が、違和感なく同居している。 伊勢神宮では、 建築は 20 年という短いスパンで生と死を繰り返す。 一見スクラップアンドビルドのように思えるけれど、 死を迎えた後も、 その場

所には生命が宿り続ける。 森の中、 ぽっかりと表れる空き地の真ん中に祠が建つさまには、 ともすれば並立する社殿よりも崇高な精神性が感じら れる。

変わり続け、 さらに異なる時代が同居することが古さの本質だとすれば、 スクラップアンドビルドで絶えず街が更新され、 かつパッチワークのように

新旧が混在する瀬田の街並みは、 自動的に古さを内包しているのだろうか?時を止め、 作為的に 「古さ」 を演出した産寧坂より、 めまぐるしく様 相を変える四条の繁華街のほうが、 真に古いといえるのだろうか?

法隆寺 ・ 伊勢神宮に限らず、 日本建築の多くは古さを内包するものだった。

僕の祖父母は京町家に暮らしているが、 「夏はええけど冬は底冷えするわ」 とかぼやきながらも、 愛着を持って日々を過ごしている。 ガレージの

取り付け、 ピアノ室の設置など、 暮らしのための改築によって町屋の指定は外れたそうだが、 先人たちの生きたにおいは、 確かに、 色濃く残っている。 修繕・改築を繰り返し、世代を超えて受け継がれ、どうしようもなくなって取り壊されたとしても、そこに暮らしがあったという歴史、精神が刻み込まれ、 残される。

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その向きが、 空調設備の普及、 そして消費システムの定着によって変わったように思う。

空調とは、 外部との意図的な遮断である。 不確定要素を排除し、 環境をコントロールしうる完成品が求められる。 そしてその完成品は劣化す ることを許されず、 永遠の不変、 つまり保存が理想とされる。 時間に対抗することが必要とされる。 空間の断絶は、 時間の断絶を生むといえるの かもしれない。

時間軸から離れることはできないのに、 そこから逃れることを求められる。 このジレンマを抱えるが故に、 空調建築はドラスティックに更改される。 それが完成品の性能を失った瞬間、 それまでの歴史は消され、 新しい完成品を待つ。 不連続な更改が繰り返され、 そこに時間の同居はない。

そんな完成品としての建築は、 消費システムにはうってつけだった。 土地区画の上で、 コロコロと家が建て替わる。 それはまるで動産のような、 一 時的な商品に過ぎない。 おもしろさ、 快適性、 さらに環境性能といったものがパッケージ化され、 売りに出される。

建売住宅は普遍的な(土地 ・ 住人の性格に依拠しない)ものであるはずなのに、 住む人が変わると建て替えられることが多い。 それは、 その

場所に蓄積された歴史が、 「中古品」 というネガティブな視線で見られるからである。 時間の同居が忌避される消費システムの上に、 無意識にも 僕たちの暮らしは成り立っている。

建築と時間が対立したとき、そこでは切り株とキノコのような自然の更改とはまったく別物の、ブツ切りの更改がなされる。 僕が見慣れた 「自然な」 街の変貌や産寧坂の 「古い」 街並みは、 どちらも、 そのような意味できわめて不自然な 「古さ」 だといえる。

不自然な 「古さ」、 これを言い換えるとすれば 「新しさ」 である。 「新しい」 モノが、 一発屋の芸人さんのごとく目まぐるしく入れ替わり消費され るこの時代のなかで、生きながらえ残るものとは、古さの本質をかかえるものだという気がする。 そして建築も古さの本質、つまり 「自然な更改の連続」 「異なる時間の共存」 を内包するものでないといけないのではないか、 と思う。 イメージと消費の波にのまれてはいけないのではないか、 と。

だとしたら、 新築はダメなのだろうか?ヒトの手による 「自然な」 更改(現代的ブリコラージュともいえる)が建築のあるべき姿だとしたら、 建築 家という職能は何のためにあるのか?そもそも必要ないのか?

事態はそう単純かつ(建築家にとって)悲観的ではない気がする。 消費以外の事情でも、 新築が必要とされることは少なくない。 そもそも、 僕たちが現在、 消費の価値体系を捨てて新築をやめることは、 限りなく不可能に近い。 そこで大切なのが、 矛盾するようだけれど、 いかに消費さ れない建築 ・ 場所を創るかということである。 新築と更地の往復から解脱して、 消費ではない、 「古さ」 という新たな価値体系の可能性に賭ける ことである。

建築家がすべきは、 その場所で繰り返された更改の歴史を呼び起こし、 これから繰り返されるであろう更改の歴史を紡ぎ始めることだと思う。 過 去の古さと未来の古さを同時に見据え、 それらを 「今」 に現像し、 同居させることだと思う。 それは可視化という手法に限らない。 切り株は伐ら

れているからこそ、 青々と葉が茂る時間、 キノコが育つ時間、 新たな芽が育つであろう時間の同居をゆるす。 その場所や建築空間にいるときに、 五感のどこかで過去と未来の古さをちょっとでも感じる。 これは新築でもリノベーションでも、 変わらず空間に求められる資質ではないかと思う。

過去と未来の古さをつまみだすというこの行為は、 コンテクストを読むということであり、 同時に建築を創ることである。 だから、 コンテクストは建築 を立てるチェックリストの一員ではなく、 建築行為の根源そのものではないか、 と思う。 建築家とは、 コンテクストの代弁者なのではないか、 と。

それは産寧坂のように一時代のイメージを抜粋することでなければ、 瀬田の住宅地開発のような、 不連続な時間の同居でもない。 あらゆる時間 を等価に眺め、 しかし最後には恣意的に表象するという、 とてつもなく困難な所業である。 しかしそれを避けては、 古さの価値体系は、 より即物 的な消費の価値体系に飲み込まれてしまう。

なにが残り、 なにが残らないのだろうか。 僕は、 新しいものが消え、 古いものが残る、 と思う。 残るものが古いのではなく。 そして、 そこで残るも

のとはカタチではなく、 空間でもなく、 精神である。 そこに生き、 死んだ、 ヒトを含む生物群の織りなす過去と未来の歴史の積層である。 それを空 間として、 場所として継承していくのが建築である。 そんな気がする。

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建部の森

The Approach to Takebe-taisha Shrine 2020

Nov.-Dec.

第 27 回ユニオン造形デザイン賞「古さの戦略」 コンペ案

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『古さの本質は、 その情報量の多さにある。

... 膨大な情報は、 それぞれ個別のもともとの理解を超えて、 巨大な集合体としての新しい意味と現象を獲得する。 ... 僕たちは今、 捉えきれないほどにあふれる情報の中で生きている。

そのような世界の中で違和感なく受け入れることができる現在の価値観、 つまり現代性は古さという価値観にどこかで繋がる気がするのだ。』

『新しさを考えることとは、 過去との対比において現時点での一番先端の価値観に適する解答を考える、 いわば、 収束を目指す点の思考である。

... 古さを考えることは過去と未来のどの方向にも広がる無数の価値観に対する解答を考える、 いわば、 拡散する面の思考である。』

(石上純也)

新建築 住宅特集 2020 年 7 月号より 『「新しさ」 という価値観に置き換わるこれからの未来を変えていく概念としての古さ』 とは何か。

屋外営業するレストランや家でのリモートワークなど、 「新しい生活様式」 というものは、 人類の歴史をたどればむしろ

「古い」 営みである。 コロナウイルスによって 「古さ」 の価値体系が見直され始めている今、 改めて古さのもつ価値とは なにかを問うコンペティションである。

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近江神宮

吉田神社

多賀大社

鶴岡八幡宮

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檜山神社

伏見稲荷大社


道の上をひとが歩く、 というより、 ひとが歩いて道ができるのではないかと思う。 「道路」 とよばれるすべてのものは、 ヒトと

いう生物によるけもの道である。 僕たちが歩き、 自転車を漕ぎ、 クルマを走らせるアスファルトの下には、 数多のひとが歩い た記憶が積層している。

それならば、 その歴史の積層を顕在化することで、 ありふれた道というものに 「古さ」 を見出すことができるのではないかと 考えた。

参道というものに、 ある種の精神性を感じる。 その理由は、 そもそも神社という神聖な場所にあることだけではないだろう。 古代から多くの人がその土を踏みしめ、 砂利を蹴散らし、 また多くの人がその砂利をもとにもどす作業を行ってきた。 ある

日本庭園では、 毎日閉園時に歩道の崩れた砂利を修復する作業を行っているそうだが、 それと同じふるまいが神社でもな されている。 しかし、 神社があまりに日常に溶け込んだ場所であるがゆえに、 それを実感することは少ない。

ただ、 参道を歩くときに感じる静謐な精神性は、 この歩行と修復の絶え間なく積層する歴史に由来するのではないか、 と思う。

敷地に選んだのは、 近江一宮である建部大社。 正月や祭りの時は多くの人が集まるけれど、 それ以外は地域の静かな 憩いの場となっている。

西暦 675 年以来、 数多のひとが歩んできたこの参道の歴史を顕在化するため、 「歩くことの意識化」 「けもの道の創出」 というふたつのアプローチを考えた。

直線軸である参道とは別の選択肢、 円環廊を与えることで、 参道を歩くという行為自体に恣意性を付与する。

加えて、 計画地全体の地面を植物が自生しうる山土に更改し、 そこに軸線を意識しつつ 5 種類の樹を植える。 開花時 期や成長スピードの異なる 5 種を選ぶことで、 時代によるけもの道の揺らぎを誘発する。

ひとは植物や建築をめざして道をつくり、植物や建築を避けて道をつくる。ひとが訪れなければ、植物は育ち、建築は朽ちる。 その結果現れる道は、 ヒトを含めた生物群の、 ふるまいの積層の記憶を留める伝道者である。 その更改の歴史の積層、 それを体感することで 「古さ」 の価値を見出せるのではないだろうか。

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檜山神社 権殿

本殿

宝物殿

拝殿

御神水

計画地

神門 高橋川

手水舎

参集殿

便所

駐車場

駐車場

一之鳥居

駐車場

二之鳥居

駐車場 高橋川

旧東海道

瀬田川

檜山神社 瀬田南小学校

計画地

勢多唐橋

建部大社

堂ノ上遺跡

中路遺跡

瀬田工業高校

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1/5000


権殿、 檜皮葺の屋根

唐橋夕照

二之鳥居から神門に至るまでの、 現況では駐車場として 使われる場所を計画地とする。

鳥居や手水舎、 参道沿いのクロマツ並木は残しながら、 便所 ・ 参集殿は再設計する。

本殿裏、 鎮守の森

二之鳥居から参道

神門

本殿

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計画地西側、 駐車場

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二之鳥居

既存樹木

苗木 クロマツ 成長おそい

イロハモミジ 成長はやい

秋が見ごろ

ヤマザクラ 成長はやい 春が見ごろ

ヤブツバキ

ヒメシャラ

成長おそい

成長はやい

Shun Yamai 2019-2021 122 冬が見ごろ 6 月が見ごろ

便所


参集殿

社務所

手水舎

神門

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Plan

1/300

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675 年 建立

鎮守の森

鎮守の森

参道をひとが歩くのか、はたまたひとが歩いて参道ができるのか。 鎮守の森を、直線軸としての参道が貫く。

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2020 年 現況

参集殿 駐車場 駐車場 便所

鎮守の森が駐車場に変わる。

車で訪れた人は参道を通らず、近道することが多い。

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Section

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2021 年 建築

新トイレ

新参集殿

参道という直線軸に加え、円環廊という象徴的な動線が与えられる。 苗木も植えられ、道を選ぶという行為が意識化される。

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2031 年 更新Ⅰ

モミジ・シャラなど、成長のはやい樹木が大きくなる。

そこに向かい、 あるいはそこを避けるように動線が更新される。

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2071 年 更新Ⅱ

成長のおそいクロマツ・ヤブツバキも大きくなる。

円環廊をはじめとする動線は、生い茂る植物群のヴォイドである。

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3021 年 還土

神社は、いや人類は残っているのだろうか。

かつて建築があったその場所は、ほかの生物のけもの道として継承されるのかもしれない

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Section

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参集殿骨組

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中央にクロマツが育つ


円環廊

Sanshu-den Section

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Toilet Section

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便所 132

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参集殿 133

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ここまでたくさんの言葉 ・ 図面 ・ パースで、 自分の思考を並べてきた。 境界を考えることに軸足を置きながら、 それぞれ

独立に物事を考えてきたように思う。 そのなかで、 自分の言行不一致、 さらには言々不一致を痛感することも多々ある。 以下は、 そのことに対するささやかな言い訳である。

とんかつ屋でアルバイトをしている。 混雑時、 お客様にあと何分で入店できるか訊かれたとき、 絶対に 「あと○分です」 と答えてはいけないと教わった。 もしその時間内に入れなかったとき、 クレームになるからだ。 客商売は、 言行一致が前提 とされる厳しい世界である。

設計のプレゼンテーションでも、 言行一致は美しい。 論理展開の美しさと空間の美しさ、 このふたつが一体となることが

求められるように思う。 それは間違いないと思う一方で、 それでいいのか、 という思いもある。 つまり、 ことばとかたちの一 致が目標とされたとき、 その片方はもう一方を表現するためのメディアに成り下がってしまうのではないか、 という危惧の念 を抱くのである。 わかりやすいというのは、 よいことなのだろうか。

インスタグラムやツイッター、 建築雑誌など、 僕たちは幸運にもたくさんの建築を知る手段に恵まれている。 瀬戸内のアー

ト興業のように、 メディアの果たす役割は絶大である。 それをポジティブに考える反面、 場所の力が矮小化されているよう な危機感もある。 パースの定点からの眺めが美しくても、 身体の連続する経験として良さを感じない場所も多くある。

新聞にしてもテレビにしても、 写真にしても絵画にしても言葉にしても、 メディアはなにかを切り取る手段である。 他者に

送信するために、 無限(Continuity)の情報をくりぬいて有限(Sequence)化する。 そのとき受け取り手は、 くりぬか れた Sequence をそのまま受け取るのではなく、 各々のバイアスがかかった状態で、 その背後にある Continuity に想像を 巡らせる。

しかし現代、 僕たちがあまりに切り取られたあとのモノや情報に囲まれているがゆえに、 その想像力を失って盲信したり、 想像の幅を狭めて極端な思想に陥ることがある。 「わかりやすさ」 の氾濫には、 こういう危うさがあると思う。

そう考えると、 フォトジェニックな建築や、 コンセプチュアルな、 ことばや図式がそのまま立ち上がったような建築に対する 違和感に説明がつく。

その点、 フォトショップというのは恐ろしい。 どんなに雑な模型写真でも、 技術さえあれば限りなくリアルな画像にまで加 工できる。 僕もフォトショップによる加工をすることがあるのだが、 どこか空を切るような虚しさがある。 建築の空間体験を

矮小化して、 表面だけお化粧をする、 まさに張り子の虎ではないか、 と。 そう思いながら今日もフォトショップを立ち上げる、 これもまた言行不一致か。

ここまで 「わかりやすい」 情報による建築表現の危うさを考えてきたが、 建築そのものが情報化してしまうことがある。

中国全人代の会場などは政権の威光を喧伝するメディアだし、近年よく見る CLT 建築も技術の発展を謳うメディアである。 そんな観念的なメディアだけでなく、 BIM は、 建築を物理的にメディア化してしまうものである。

全人代は考えものだけれど、 CLT や BIM は積極的に捉えるべきだとは思う。 しかし、 その使用行為が目的化されては いけない。 手段が目的にとってかわったとき、 建築はもはや存在する意味はないように思う。

こう考えると、 ことばや図像などメディアと、 かたちとしての建築は、 あくまで別個のものとして考えるべきではないか、 と

思うのである。 つまり、メディアがそこかしこで氾濫する現代、ことばやかたちはそこから距離を置くことが必要なのではないか。 ことばもかたちも等価に思考の成果物であり、 断じて手段になってはいけないのではないか。 建築や言葉が道具として消 費されないために。

そんなこともあって、 このポートフォリオではことばとかたちをできるだけ独立したものとして扱った。 それら両者が互いに主 張し合う関係性を目指した。 そうは読み取れないのなら、 それもまた言行不一致なのだろう。

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Shun Yamai 2019-2021


山井 駿 経歴

趣味

Shun Yamai

History

2000

滋賀県大津市に生まれる

2002

父の出張で、 半年間ドイツで暮らす

2006

大津市立瀬田小学校入学

2008

父の出張で、 1 ヶ月ドイツで暮らす

2012

大津市立瀬田中学校入学

2015

滋賀県立膳所高校入学

2018

京都大学工学部建築学科入学

2018

インドネシア旅行

2019

UNIT2019 夏 建築合宿 参加

2020

コロナウイルスの流行、 滋賀にこもる

人物・作品

Favorite persons/works

・ 卓球(体育会卓球部所属)

Persons;

Book;

・ ピアノ

・ 内藤廣

・ 奥野健男 「文学における原風景」

Hobby

・ 藤本壮介

・ ランニング、 散歩、 サイクリング

・ Claude Monet

受賞歴

Awards

・ 2019 第 8 回京都リレーマラソン 準優勝(全国大会出場権獲得)

・ B ・ ルドフスキー 「建築家なしの建築」

Music;

Architecture;

・Gustav Holst 「Jupiter」

・ 吉村順三 「加藤栄三 ・ 東一記念美術館」

・ 久石譲 「Summer」

・ 2 年次設計課題 選出 3 回

・ 恩田陸 「蜜蜂と遠雷」

・ YOASOBI 「アンコール」

・坂倉準三 「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」 ・ 内藤廣 「海の博物館 収蔵庫」

Animation;

・ 「天空の城ラピュタ」 ・ 「進撃の巨人」

琵琶湖

インドネシア

たぶんいろんなことや場所に影響されているのだろうけれど、 とくに幼少期に訪れた

ドイツの広場の風景、 インドネシアの雑然とした空気、 そして 20 年以上をともに 過ごした、 滋賀の穏やかな風土によるものが大きいように思う。

なかでも 「文化ゾーン」 とよばれる、 滋賀県立図書館周辺の森に囲まれた公園 はお気に入りの場所だ。 文化ゾーン 138

Shun Yamai 2019-2021

ドイツ


編年史

Project Chronology

2019 京都大学桂キャンパス 中庭計画

京都市西京区

設計演習Ⅰ - ⅰ

樹木とリヴ ・ ヴォールトに着想を得た、 まるで樹にもたれているかのような居場所。

明倫学区 一客一夜の宿

京都市中京区

設計演習Ⅰ - ⅱ

路地や障子の薄明かりなど、 記号としての 「日本らしさ」 を張り合わせた宿。 「らしさ」 の陥穽にはまってしまった感がある。

上田モデルハウスプロジェクト

長野県上田市

UNIT2019 夏 建築合宿

「受け継がれる家」 をコンセプトに即日設計をしたモデルハウス。 クライアントの要望や面積制限を厳密に考えたはじめての課題。

山科の家

設計演習Ⅱ - ⅰ

京都市山科区

p.012

2020 京都市立葛野小学校

京都市右京区

設計演習Ⅱ - ⅱ

ドイツの広場と街の関係性を参考に、 中庭と教室のかかわりを考えた小学校。 廊下の冷たいイメージを払拭し、 たまり場となる縁側の連続として扱った。

京都現代美術館 設計演習Ⅲ

二条城南の音楽堂 STUDIO-1

東京の住宅

設計演習Ⅳ - ⅱ

建部の森

第 27 回ユニオン造形デザイン賞

京都市中京区

p.050

京都市中京区

p.030

東京都 (仮想敷地)

p.070

滋賀県大津市

p.114

大阪市北区

p.086

2021

Story-et 茶屋町 設計演習Ⅳ - ⅱ

新幹線リノベーション

第 8 回都市・まちづくりコンクール

滋賀県大津市

・栗東市

・東近江市

街を分断する壁としての新幹線を、 自転車道と自転車駅で地域振興の拠点とする計画。 盛土の地下や高架下、 切取りの上に美術館 ・ 市場 ・ 保育園を設計した。 139

Shun Yamai 2019-2021


建築を通してなにができるか。建築に対してなにができるか。

これまでお世話になった、そしてこれからお世話になる方々へ。


Shun Yamai

2019-2021

Portfolio


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