呉竹論考
﹁しなやかな竹の精神﹂で る。 チ ベ ッ ト 人 も ウ イ グ
酷な民族絶滅の政策であ
グ ル 民 族 を 抹 殺 す る、 残
してウイグル文化とウイ
の、 そ し て お そ ら く は 世
ら な い。 そ い っ た 我 々
又、 尊 重 さ れ な け れ ば な
団の文化的伝統と生存も
と 同 様 に、 民 族 と い う 集
れ ら の 活 動 は、 そ の ま ま
当 然 の こ と で あ る し、 こ
独立維持を支援するのは
立 回 復 は 元 よ り、 台 湾 の
チベットやウイグルの独
ていたシナ人1人を死亡
砲 し、 そ の 漁 船 に 乗 船 し
なっていた中共漁船に発
の 当 局 は、 違 法 操 業 を 行
洋 の 島 国、 パ ラ オ 共 和 国
う こ と を せ ず に、 本 国 に
わ ら ず、 全 く 処 罰 を 行 な
の船長を逮捕したにも関
が 国 の 民 主 党 政 権 は、 そ
あ る。
国パラオを見習うべきで
招 く の で あ る。 我 々 は 小
の更なる大規模な侵略を
立を守ることに鈍感であ
あ っ た。 国 民 が 自 ら の 独
が付いていないようで
ア」 さ え そ の 重 大 性 に 気
議の声を上げたのであ
を 侵 す も の で あ る」 と 抗
民 共 和 国) の 核 心 的 利 益
有までも核心的利益と呼
となっている無人島の領
領土であるEEZの起点
に 入 り、 つ い に は 日 本 の
核心的利益のカテゴリー
領有をも核心的利益と称
る南沙諸島や西沙諸島の
近 で は、 南 シ ナ 海 に お け
称 し て い る。 そ し て、 最
の侵略をも核心的利益と
な っ て い な い、 独 立 台 湾
て、 未 だ 自 国 の 領 土 と
的 利 益 と 宣 言 し た。 そ し
民 地 化 を、 国 家 の 核 心
ベット問題やウイグル問
な が ら で は あ る が、 チ
まで自国の国益を勘案し
やヨーロッパ諸国があく
政 府 で あ っ た。 ア メ リ カ
をとってきたのが日本国
に、 尖 閣 列 島 の 領 有 も、 て、 最 も 傍 観 者 的 な 態 度
す る に 至 っ て い る。 更
題に抗議の声をあげてき
べき民族抹殺政策に対し
特 に、 こ れ ら の ナ チ ス のホロコーストにも比す
至 っ て い る。
することなしに今日まで
て、 正 面 か ら 堂 々 と 抗 議
酷な民族抹殺政策に対し
ロ ッ パ 諸 国 も、 こ の 残
日本国もアメリカやヨー
い る。 残 念 な が ら、 我 が
暴力のもとに抑圧されて
中共政府の圧倒的な国家
シ ナ が、 よ う や く そ の 独
れ、 植 民 地 化 さ れ て い た
洋列強によって浸食さ
な 現 実 で あ る。 か つ て 西
と こ ろ が 今、 我 々 が 目 にしているのは実に皮肉
か ら ざ る 一 部 で あ っ た。
国の目指す理想の欠くべ
事 こ そ、 維 新 以 来 の 日 本
植民地主義から解放する
抑 圧 民 族 を 救 済 し、 西 洋
歴 史 で あ っ た。 世 界 の 非
の が、 明 治 以 来 の 日 本 の
民地支配に敢然と挑んだ
築 き 上 げ た。 こ の 西 洋 植
牲 に し て、 彼 ら の 繁 栄 を
躙 し、 原 住 民 の 生 命 を 犠
化 し、 そ の 伝 統 文 化 を 蹂
洋白人は世界中を植民地
コロンブスがアメリカ 大 陸 に 到 達 し て 以 来、 西
あ る。
言語道断の非道な政策で
は、 許 す こ と の 出 来 な い
党独裁という桎梏から解
望 む の は、 漢 民 族 を 共 産
は、 勿 論 で あ る。 我 々 が
の独立の尊重であること
る。 真 の 友 好 と は、 相 互
本民族の真の友好であ
が 望 む の は、 漢 民 族 と 日
し て、 シ ナ 人 全 般 を 敵 視
戦 い で も あ る。 我 々 は 決
民族そのものを解放する
う 凶 悪 な 支 配 者 か ら、 漢
れ は 又、 中 国 共 産 党 と い
上 げ る 戦 い で も あ る。 そ
立と平和のアジアを創り
あ る。 そ し て、 自 由 と 独
る、 日 本 民 族 の 戦 い で も
主義・植民地主義に対す
は、 そ の ま ま に 中 共 帝 国
ウイグル民族への支援
ル会議を支援すること
そ れ 故 に、 我 々 が 5 月 に開催される世界ウイグ
し て く る の で あ る。
独立を守る戦いとも直結
平成 年9月におきた 中共漁船の尖閣列島領海
べ き で は な い か。
と っ て い る。 誠 に 見 習 う
ような断固とした行動を
て、 当 然 の 行 動 で あ る。 領 海 を 守 る 為 に は、 こ の
は、 我 々 の 大 義 か ら し
侵 犯 事 件 に お い て は、 我
で あ る。 し か し、 自 国 の
その人口3万人弱の小国
外国人居住者を含めても
束 し て い る。 パ ラ オ 共 和
た残り5人のシナ人を拘
せ し め、 漁 船 に 乗 っ て い
漁船も無条件に中共政府
又、 そ の 工 作 船 と 思 し き
が 反 応 し な い の は 勿 論、 い。
言 に 対 し て、 日 本 国 政 府
独立を失っていくしかな
共 帝 国 主 義 の 前 に、 そ の
る と す れ ば、 日 本 国 は 中
ル 人 も、 自 ら の 独 自 の 言
平 成 年 1 月 日、 シ ナ 共 産 党 の 機 関 紙 『人 民 る。 こ の 事 は、 中 共 政 府
ぶ に 至 っ た の で あ る。 国
本国政府のとってきた態
的 常 識 も 一 切 無 視 し て、 た こ と と 比 較 し て も、 日
際法も歴史的経緯も国際
度 は 誠 に 卑 劣 か つ、 卑 怯
立と統一を回復した途端
放 す る こ と で あ る。 か つ
日 報』 が 「中 共 (中 華 人
に日本国の中共に対する
日 報』 は、 日 本 の 領 土 を
と い っ て も よ い、 重 大 な
に し て い る。 こ の 事 に、 に よ る 日 本 領 土 侵 略 宣 言
侵略するという宣言を公
事 件 で あ る。
「核心的利益」 なる言葉
であるとしか言いようが
に、 周 辺 の 諸 民 族 に 侵 略
て 我 々 の 先 輩 た ち は、 シ
界 の 常 識 か ら し て、 中
日本の多くの識者も国民
と 概 念 を 振 り 回 し て、 侵
な い。 こ れ は、 日 本 国 民
の 牙 を 剥 け、 そ れ ら の 周
ナをその支配者である満
語 を 奪 わ れ、 そ の 宗 教 的
も気が付いていないの 中 共 政 府 が 使 う 「核 心 的 利 益」 と は、 特 別 な 意
略を拡大するというのが
にとっての大きな恥辱で
辺諸民族を西洋列強以上
に 力 を 尽 く し た 。今 、我 々
め た の で あ る。 か つ て、 州 王 朝 か ら 解 放 す る こ と
の残酷さで植民地化し始
が な す べ き は、 共 産 主 義
時代と向き合う
本年1月 日の人民日 送 還 し て し ま っ た。 事 実 上 の 無 罪 放 免 で あ る。 報 に よ る 日 本 領 土 侵 略 宣
は、 誠 に 残 念 な 事 だ。 味 合 い を 持 っ て い る。 そ
中共政府の一貫した政策
あ る。
西洋列強の侵略に苦しむ
思想という西洋からの外
伝 統 を 完 全 に 否 定 さ れ、 共 政 府 の や っ て い る こ と
日 本 は、 排 他 的 経 済 水 域 (E E Z) を 明 確 に せ れ は、 中 共 が 保 持 す べ き
で あ り 外 交 方 針 で あ る。
チベット民族もウイグ ル 民 族 も、 同 じ ア ジ ア 人
シ ナ や 朝 鮮 を 助 け、 そ の
来思想に汚染されたシナ
(藤 井 厳 喜)
目覚めよ日本人!
ん と し て、 こ の 水 域 の 起 絶 対 的 な 利 益 で あ り、 他
グル人の住む東トルキス
と し て、 日 本 に こ そ 最 も
独立を回復すべく尽力し
の 支 配 者 階 級 か ら、 そ の
一般日本国民はもとよ
点となっている無名の離 国 に 対 し て、 絶 対 に 譲 れ
タ ン は、 伝 統 的 な シ ナ の
期待すべきところが大で
た の が、 頭 山 満 翁 を 筆 頭
庶民を解放することであ
国 は、 国 民 数 1 万 人 強、 に 返 還 し て い る。 こ の よ
島に名前を付与する作業 ない利益であるというこ
領土の外部に存在する独
あ る に も 関 わ ら ず、 我 々
とする日本国の先達で
る。 そ の 上 で 初 め て、 真
日、 太 平
を 行 な っ て い る。 こ の 日 と を 意 味 し て い る。 か つ
立 国 家 で あ っ た。 と こ ろ
はその期待を残念ながら
あ っ た。 我 々、 呉 竹 会 の
の日中友好というものが さ て、 3 月
け の 歳 月 が 必 要 と さ れ た の で あ ろ う 。支 那 の 古 典『 孫
り、 所 謂 「保 守 系 メ デ ィ
本国政府の行為に対し て、 中 共 は チ ベ ッ ト ・ 東
が、 中 共 政 府 は そ の 成 立
裏切り続けてきたのであ
面 々 は、 そ の 兼 愛 と 勇 気
年の歳月が流れてし
し か し、 大 阪 市 長 選 に 出 向 い た 選 挙 応 援 演 説 の 中 た ち の 望 む と こ ろ で あ る。 河 村 た か し 名 古 屋 市 長 も、 私 た ち の 力 強 い 盟 友 と で 石 原 知 事 は 、「 橋 下 さ ん に 行 き 過 ぎ た 点 が あ れ ば 、 な る こ と が 期 待 さ れ て い る。 河 村 市 長 の 減 税 論 に
子 』 は 、「 天 の 時 は 地 の 利 に し か ず 、 地 の 利 は 人 の
う な 外 交 態 度 こ そ が、 次
日 付 の 『人 民
の 直 後、 こ れ ら 二 カ 国
る。
の精神を継がんとするも
て、 1 月
に侵略の魔の手を伸ば
欧 米 諸 国 の よ う に、 敢 えて自由や人権などとい
成 立 す る の に 違 い な い。 そ う で あ れ ば、 我 々 が
す る も の で は な い。 我 々
トルキスタンの侵略と植
し、 侵 略 に 成 功 す る と 同
う考えを振り回す必要は
の で あ る。
で あ る。 小 生 は 、『 石 原 慎 太 郎 総 理 大 臣 論 』( 早 稲 田 書 房 ) な る 石 原 首 相 待 望 論 を 平 成 年 に 世 に 問 う て い る。
元気のよい若者が勢いにのって暴言と思しき発言 を す る こ と は、 世 に 往 々 に し て あ る こ と だ。 角 を 矯 め て 牛 を 殺 す の で は な く、 そ の 奔 馬 の よ う な 勢 い を
拙 著 の 上 梓 の 時 か ら、 既 に
私 が 手 綱 を 引 き 締 め ま す か ら、 ご 安 心 く だ さ い」 と
は、 と か く の 批 判 も な い で は な い が、 そ の 点 は さ て
ま っ た。 し か し、 こ の 歳 月 は、 決 し て 無 駄 に 流 れ た
い う 旨 の 発 言 を 公 然 と さ れ て い る。 又、 石 原 知 事
て し て も、 日 本 国 の 真 の 維 新 勢 力 を 結 集 す る に は、 石 原 ・ 平 沼 新 党 は、 単 に 永 田 町 に お け る 数 合 わ せ 胸 の す く よ う な 話 を 聴 い た こ と が な い。 支 那 共 産 党 政 権 の 捏 造 に 対 し て、 堂 々 と そ れ を 否 定 し た の は、 を 目 指 す も の で は な い。 日 本 国 の 文 化 と 伝 統 を 守 り
に 対 し て、 堂 々 と 日 本 軍 に よ る 南 京 虐 殺 を 否 定 し た
も の で あ ろ う。 石 原 知 事 や、 平 沼 先 生 の 努 力 を も っ
の時をいたるように努力するのが真の政治家という
に 違 い な い。 天 の 時 が い た っ て い な い と す れ ば、 そ
欺 瞞 す る 言 葉 で あ る。 何 よ り も 重 要 な の は、 天 の 時
も の と は 考 え ら れ な い。 時 機 が 熟 す る に は、 そ れ だ
近 年、 こ れ ほ ど 我 々 の 心 を 奮 い 立 た せ た ニ ュ ー ス は な い。
和 に し か ず」 と 教 え て い る が、 こ れ は 明 ら か に 人 を
石 原 新 党 と は、 呉 竹 会 の 同 志 に と っ て は、 即 ち、 石
原 ・ 平 沼 新 党 で あ る。 平 沼 先 生 が、 前 衛 部 隊 と し て
を よ く 聞 い て く れ る の で 心 配 な い、 と お 話 し さ れ た
石原・平沼新党と共にたちあがろう!
切 り 拓 か れ た 道 の 上 に、 石 原 先 生 が、 い よ い よ 本 格
的 な 日 本 再 生 の 軍 団 を 進 め ら れ る、 と い う 事 で あ
る。
な が ら、 閉 塞 状 況 に あ る 日 本 の 政 治 と 経 済 を 一 挙 に
こ れ だ け の 年 月 と 努 力 が 必 要 で あ っ た の だ。 の ゆ る ぎ な い 確 信 を も っ て お ら れ る。 こ の 点 に 関 し
日 本 の 愛 国 者 と し て、 賞 賛 す べ き 行 動 で あ っ た ば か
革 新 す る 真 の 維 新 政 党 で あ る。 期 待 す る だ け で は な
の は、 誠 に み ご と な 行 動 で あ っ た。 最 近、 こ れ ほ ど
て は、 テ レ ビ 番 組 で 準 レ ギ ュ ラ ー と し て 同 席 さ れ る
り で は な い。 こ う い っ た 直 言 を 通 じ て し か、 か の 国
く、 こ の 党 と 共 に、 た ち あ が り、 第 一 線 に 立 っ て 行
呉 竹 会 の 同 志 は、 こ ぞ っ て こ の 動 き に 同 調 し、 身 そ う で あ る。 橋 下 市 長 は、 最 も 基 本 的 な 問 題 で あ る を 投 じ て 日 本 国 の 維 新 の 為 に 身 を 挺 し て 頂 き た い も 「 日 の 丸 」 や 「 君 が 代 」 に 関 し て は、 愛 国 者 と し て
ことの多かった西村眞悟先生のご教示が橋下さんに
と の 真 の 友 好 は 有 り 得 な い の で あ る か ら、 河 村 市 長
橋 下 徹 ・ 大 阪 市 長 も、 こ の 日 本 国 政 革 新 の 流 れ に 合 流 さ れ る こ と は ほ ぼ 確 実 で あ る。 不 安 が な い わ け
シ ッ カ リ と 根 付 い て い る よ う で あ る。 こ れ は、 西 村
で は な い。 大 阪 維 新 の 会 の 中 に は、 日 本 の 歴 史 や 伝
動 し よ う で は な い か。 先 生 か ら 直 接 お 聴 き し た 話 で あ る。
『 世界ウイグル会議を応援する
日本人の会』発足
的 に 支 援 す る こ と を 決 定 し、 そ の
開 幕 す る。 呉 竹 会 は 同 会 議 を 全 面
ル会議の第4回代表大会が東京で
来 る 5 月 日( 月 ) 世 界 最 大 の ウイグル人組織である世界ウイグ
カ ー デ ィ ル 氏 を お 招 き し、 日 本 側
ル平和賞受賞候補でもあるラビア・
ウ ム に は、同 会 議 議 長 で あ り ノ ー ベ
ン ポ ジ ウ ム』を 開 催 す る。 シ ン ポ ジ
会議を支援し中国の覇権と闘うシ
フ ォ ー ラ ム に か え て『世 界 ウ イ グ ル
体 制 を 整 え る た め 賛 同 者 を 募 り『世
本問題研究所理事長の櫻井よしこ
からはメインパネリストに国家基
の 会』 を 発 足 さ せ た。
峙 し て い く か を 討 議 す る。
氏 を 迎 え、 ウ イ グ ル 問 題 を 通 じ て、
日本が中国の覇権にどのように対
回 呉 竹 会・ ア ジ ア
) を ご 参 照 く だ さ い。 kuretakekai.jp/uyghur/
申 し 上 げ ま す。 な お、 実 行 委 員 参 加 要 領 は、 呉 竹 会 H P (
http://www.
X 番 号、 メ ー ル ア ド レ ス を ご 記 載 の 上、 連 絡 く だ さ い ま す よ う お 願 い
は、 下 記 の 宛 先 ま で、 団 体 名 ま た は 個 人 名、 住 所、 電 話 番 号、 F A
た く 考 え て お り ま す。 つ き ま し て は、 実 行 委 員 に 参 加 を ご 希 望 の 方
『世界ウイグル会議を応援する日本人の会』 ではシンポジウムの実 行 委 員 ・ 賛 同 者 を 広 く 募 り、 世 界 ウ イ グ ル 会 議 の 活 動 を サ ポ ー ト し
体 と し て、 第
ま た、呉 竹 会 は 『世 界 ウ イ グ ル 会 議 を 応 援 す る 日 本 人 の 会』の 主 催 団
界ウイグル会議を応援する日本人
14
目次
呉竹会が代表大会東京開催全面支援決定
22
世界ウイグル会議 第 4 回代表大会東京開催決定
【1面】中国問題/呉竹論 考/世界ウイグル会議 【2面】会長興論/アジア フォーラム/5・15 事件 【3面】チベットの実情/ 戦争を起こしたのはアメ リカである 【4面】北朝鮮ミサイル/ 自主防衛体制確立を急 げ! 【5面】ペマ・ギャルポ氏 インタビュー/イリハム・ マハムティ氏インタ ビュー/先覚金玉均先生 墓前祭 【6 面】「み っ と も な い」 /教科書問題/藤井げん き国際政治塾 【7面】硫黄島遺骨収容/ 屯田制を!/3・11 追悼 式典/会長語録 【8 面】東 亜 の 先 覚 烈 士、 浦敬一/青年書評/結び の国
35
そ も そ も、 チ ベ ッ ト 人 の 住 む チ ベ ッ ト と、 ウ イ
時 に、 こ れ ら の 領 土 の 漢
な い。 個 人 の 人 格 と 生 命
国際政治学者
民族化を着々と実行して
藤井厳喜
呉竹会代表幹事
国 政 維 新 の 為 に 大 い に 発 揮 し て も ら う こ と こ そ、 私
30 お く と し て、 過 日、 姉 妹 都 市 の 南 京 市 か ら の 代 表 団
る 者 も、 い な い わ け で は な い。
12 12
は、 平 沼 赳 夫 先 生 に、 大 阪 の 橋 下 さ ん は 私 の い う 事
ラサ市内のマーケットを巡回する中国武装警察
こそは真の日中友好を願う第一等の人物と称すべき
統、 特 に 国 体 を ど の よ う に 考 え て い る の か を 疑 わ せ
の と 思 う。
17
い る。 そ れ は、 チ ベ ッ ト
郵 便 振 替 口 座 番 号 00150-6-765964 加 入 者 名 義 呉 竹 会
が尊重されるべきである
購 読 料 金( 1 年 間 ) 一 般 6,000 円 学 生 3,000 円
文 化 と チ ベ ッ ト 民 族、 そ
発 行 所 呉竹会アジアフォーラム 東京都千代田区平河町 1 丁 目 7 番 地 5 号 ヴィラロイヤル平河町 904 電 話 03-3556-3880 フ ァ ッ ク ス 03-3239-4488
17
平 沼 赳 夫 先 生 は、 石 原 知 事 の 激 励 を 得 て、 既 に 2 年 前 に 「た ち あ が れ 日 本」 を 創 立 さ れ て い る。
都 知 事 ・ 石 原 慎 太 郎 先 生 が、 つ い に 新 党 を 創 っ て た ち あ が る。
24
17
第 967 号 年 4 回発行
動 運 年 青 紀元 2672 年 平成 24 年 4 月 15 日 (1)
会長興論
(2)
頭山興助
呉 竹 会 会長
発 が 稼 働 し て い れ ば か か る 必 要 の な い も の で あ る。 そ し て 何 よ り も、 こ れ に 便 乗 し て 発 言 力 を 高 め る の は 中 国 だ ろ う。 日 本 の 産 業 界 は も は や、 国 内 で の
か ら だ。
彼らにとっては人命も東日本大震災も原発事故も イ デ オ ロ ギ ー の 道 具 に す ぎ な い と い う 事 な の だ。 だ
動 に 愕 然 と し た。
か ら 陛 下 の 真 心 も 解 ら な い。 国 民 が 皆 で 哀 悼 の 意 を
五・一五事件 八十周年 真剣勝負の時代
周 年 を 迎 え る。 現 在
日 に は、 同 事 件 を 決 行 し た 三 上 卓 先 生
今 年 は 昭 和 の 五・一 五 事 件 か ら
でも毎年5月
の 精 神 を 顕 彰 す る「 大 夢 祭 」 が 営 ま れ て お り、 当 会 の
しこの一撃で我が国の原発政策は完全に行きづまっ
で あ り、 あ と 数 年 で 廃 炉 に す る 予 定 で あ っ た。 し か
1000年に一度の大津波により壊滅した福島第 一 原 発。 事 故 当 時、 我 が 国 で 稼 働 す る 最 も 古 い 原 発 福島の状況を見れば原発が再稼働するには地元の 理 解 は 大 切 と い う 気 持 ち は わ か る。 だ が、 あ の 震 災
る。
結局は我々国民の負担として支払われることにな
原発技術者へのヘッドハンティンが行われていると
な 日 々 を 送 っ て い る。 そ の よ う な 中、 韓 国 企 業 よ り
事 故 の 責 任 を 追 及 さ れ る 東 京 電 力 は、 給 与 カ ッ ト や 人 員 削 減 が 叫 ば れ て お り、 社 員 は 肩 身 の 狭 い 不 安
の 受 注 が 有 利 に な っ た 韓 国 も そ の 一 つ だ。
い て の 電 力 確 保 は 重 要 な フ ァ ク タ ー で あ り、 そ の た
原 発 を 推 進 す る あ ま り、 他 の 発 電 技 術 へ の 予 算 が 奪 わ れ て い る と 指 摘 す る 人 も い る が、 宇 宙 開 発 に お
に 代 替 エ ネ ル ギ ー が 発 見 さ れ る 訳 も な い。
で タ ー ビ ン を 回 し 電 力 を 作 っ て い る の だ。 そ う 簡 単
し ま う と い う こ と に も な っ て い く の で あ る。
真心をあだで返す反原発運動家たちを勢いづかせて
し た 言 説 が、 結 果 と し て 上 述 し た よ う な 天 皇 陛 下 の
る 方 が 少 な か ら ず い る と い う 事 で あ る。 彼 ら の こ う
さ ら に 心 を 痛 め る の は、 我 々 と 同 じ 保 守 陣 営 の な 流 出 し、 仕 事 も 奪 わ れ る こ と に な る。 反 原 発、 脱 原 発 を あ ら ゆ る 言 論 人 が 発 し て い る。 か に す ら、 リ ア リ テ ィ ー の な い 代 替 エ ネ ル ギ ー な ど し か し、 先 端 技 術 で あ る は ず の 原 発 で す ら 未 だ 蒸 気 を 根 拠 に、 脱 原 発 や 段 階 的 脱 原 発 な ど と 主 張 し て い
ずる官憲と軟弱外交と堕
之を擁護して圧制日に長
の膏血を搾る財閥と更に
「政権党利に盲ひたる 政党と之に結託して民衆
「 何 故 父 は、 祖 父 が、 互いにもっとも心を許し
夫 妻 だ っ た。
心酔していた鈴木梅四郎
人 を 務 め た の は、 木 堂 に
表 す る こ と も 理 解 で き な い の だ ろ う。
て し ま っ た。 廃 炉 に す る に も 約 1 兆 円 か か る と 言 わ と大津波を考えた際に誰が責任を持ってこの原発は い う 報 道 も あ る。
頭山会長もこの大夢祭とは深い関わりを持たれる。五・
れ て い る。 除 染 や 補 償 を 含 め た な ら ば、 そ の 損 失 は 大 丈 夫 だ な ど と 言 え る の で あ ろ う か。
ている 「地元の理解を取り付ける」
め の 最 先 端 の 研 究 は 決 し て 遅 れ て い る は ず が な い。
国 民 生 活 が 安 定 す る は ず が な い。 国 際 社 会 で も 競 争
今、 日 本 が や ら な け れ ば な ら な い こ と は、 い ち 早 い 復 興 と、 社 会 経 済 の 安 定 で あ る。 生 産 な く し て は
級と而して群拠する口舌
に 苦 し む 農 民、 労 働 者 階
部と悪化せる思想と塗炭
落せる教育と腐敗せる軍
ろ う」
画の援助者となったのだ
合った老友を撃ち殺す計
た。 秀 三 氏 の 結 婚 の 媒 酌
一五事件が現在に持つ意味を問う。
ど の く ら い に な る だ ろ う か。 考 え て み れ ば 当 然 だ、 韓 国 は 原 発 技 術 の 向 上 の た
反 原 発 運 動 家 の 中 に は 今 年 の 3・
力 あ る 製 品 を 創 り だ す た め に は、 何 と い っ て も 安 定
の 徒 と ⋮⋮ / 日 本 は 今 や
秀三氏の子息統一氏 は、 秀 三 氏 に こ の こ と を
追悼式典―全国一斉黙祷反対」 と
要 す る に 、「 あ な た た ち O K と 言 っ た で し ょ う 」 ち も 後 ろ め た く 不 安 を 抱 え な が ら 仕 事 を す る よ り 、 天皇・皇后両陛下は被災して亡くなられた方々の と い う 言 葉 で 政 権 が 責 任 転 嫁 を す る 詭 弁 の 手 続 き な 高 給 を 補 償 し て も ら い 仕 事 を し た ほ う が い い に 決 御 霊 を お 鎮 め に 回 ら れ、 避 難 し て 居 ら れ る 方 々 を 励
五・一 五 事 件 に 頭 山 翁 は動じることはなかった
い う 名 目 に よ り 都 内 で デ モ を 行 っ た 者 た ち が い た。
ま し、 そ し て お 労 わ り に な ら れ た 事 に ど れ だ け の
と は 言 う ま で も な い。 昭和7年5月 日の 今 日 本 人 に 目 を 覚 ま し て 欲 し い 。 こ の ま ま で は 本 五・一 五 事 件 前 日 、 三 上 当 に 日 本 が 壊 れ て し ま う。 国 軍 も な く、 経 済 力 も、 卓 先 生 が 起 草 し た 檄 文
と い う。 頭 山 翁 は、 木 堂
年に
ま っ て い る。
なられて大変な距離を歩かれ国民の安寧を祈り続け
技術力も奪われた日本の未来にはいったい何が残る 「 日 本 国 民 に 檄 す 」 に は
に首相の座に就かないよ
交 通 事 故 で 亡 く な っ た。
ま、 秀 三 氏 は 昭 和
を損なってしまう事を我々は冷静な目で見ていかな の だ。 だ が、 そ の 時 間 の 浪 費 が 我 が 国 の 経 済 を 刻 一 それを売国奴などと責める権利は誰にもないだろ う。 低 レ ベ ル 放 射 能 に 恐 れ お の の き、 廃 棄 物 の 受 け
られた大御心に多くの日本人は感動し勇気づけられ
め に 我 が 国 の 高 度 な 技 術 が ほ し い し、 原 発 技 術 者 た
追 悼 式 典 の 際「天 皇 出 席 の 震 災
斯くの如き錯綜せる堕落
聞きたくて聞けないま
し た 電 力 が 必 要 な 事 は 自 明 の 理 で あ る。
の渕に既に死なんとして
∼反原発のもたらすもの∼
今 流 行 り の L E D 電 球 も、 ほ と ん ど が 中 国 で 生 産 さ れ て い る。 そ の 値 段 は 日 本 の メ ー カ ー の 半 値 で 売
ゐ る」
け れ ば な ら な い の だ ろ う。 刻 と 疲 弊 さ せ る こ と に な る。 入れすら拒否する利己主義がまるで正義であるかの
の程度の低い活
う忠告していたとの説も
このように書かれてい
際法観念が浸透するまで
た。 木 堂 は 突 入 し て き た
る。 た こ と を 渡 辺 氏 は 指 摘。 う 自 己 認 識 と す る。 こ の
は時間を要するのではと
状 を 見 る と き、 三 上 先 生
青年将校たちに慌てるこ
あ る。 だ が、 木 堂 は 首 相
に悟られず着実に力を蓄
うえで日本は中国を変え
分 析。 国 内 法 に 過 ぎ な い
が抱いた危機感は決して
と な く 、「 座 敷 に 行 こ う 。
あ の 日 か ら、 ま も な く
辺の民族を漢族に同化さ
中国の行動を当然ありう
る こ と は で き ず、 日 本 を
領海法があたかも国際法
過去のものではないと痛
話 せ ば わ か る」 と 言 っ た。
の 座 に 就 き、 凶 弾 に 斃 れ
えしかるべきときに備え
るシナリオとして戦略を
変えることができるのは
であるかのごとくふるま
感 せ ざ る を 得 な い。 現 在
そ し て、 撃 た れ た 後 も、
年 が 経 つ。 わ が 国 の 現
せることと渡辺氏はとら
よ」 と い っ た 意 味 で、 日
立てるのを怠った結果が
日本だけと講演を締めく
う な ど、 中 国 の 国 際 法 感
ほど維新精神の発揚が求
鼻の穴から血を流しなが
え る。
清 戦 争 後 の 日 本 の 「臥 薪
この理不尽の語にあらわ
く っ た。
覚 の 異 質 さ も 指 摘 し た。
められているときはない
ては中華からの解放をも
の覚醒は周辺民族にとっ
近代化とナショナリズム
を 渡 辺 氏 は 指 摘。 中 国 の
今もなお続いていること
民族の独立運動の弾圧は
で あ り、 中 国 に よ る 周 辺
も掲げ続けるスローガン
て振興中華は現代の中国
ム は 抑 え こ ま れ る。 そ し
周辺民族のナショナリズ
に独立を目指したこれら
こうした中華ナショナ リ ズ ム よ り、 清 朝 衰 退 後
ここでも力を蓄えたうえ
る。 こ の 法 を 制 定 し た 当
国の領土領海と定めてい
また 年領海法では尖 閣や南沙・西沙などを中
と 渡 辺 氏 は み る。
戦略は結果的に成功した
紛 争 を 起 こ し、 韜 光 養 晦
や南沙・西沙などの領土
養 晦 を 放 棄 し、 尖 閣 事 件
す る。 そ し て 中 国 が 韜 光
嘗 胆」 に 類 似 し て い る と
と ど め る 必 要 が あ り、 そ
す る 実 力 は な か っ た が、 開 始 し た ら そ れ を 機 敏 に
時の中国にはこれを実行
れに失敗し大戦を招いた
辺氏は帝国主義が膨張を
同 じ と も 位 置 付 け る。 渡
誤ったミュンヘン会談と
膨張を抑えられると見
的に対処すればドイツの
前、 ナ チ ス ド イ ツ に 宥 和
さらに尖閣事件時の船 長釈放は第二次世界大戦
る と 批 判 し た。
いうこと自体が敗北であ
れ て お り 、「 理 不 尽 」 と
罪悪視する風潮があるの
自体が戦争につながると
て、 主 権 を 主 張 す る こ と
わ さ れ た。 質疑では日本が主権を 主張できないことについ
を中心に活発に意見が交
華帝国主義との違いなど
は欧米型の帝国主義と中
講演に続く質疑応答で
ど質疑応答
中華帝国主義の異質性な
て 報 告 し た。 マ ハ ム テ ィ
世界ウイグル会議につい
本で開催を予定している
マハムティ氏が今年に日
本全権代表のイリハム・
長で世界ウイグル会議日
講演と質疑応答に続 き、 日 本 ウ イ グ ル 協 会 会
ウイグルの現状を訴える
相であったからターゲッ
て い た わ け で は な く、 首
は木堂個人に恨みを抱い
に 斃 れ た。 青 年 将 校 た ち
犬 養 毅 (木 堂) は、 凶 弾
た か で あ る。 時 の 首 相 ・
に、 命 が け て 行 動 し て い
の日本人がいかに真剣
昭和維新運動から学ぶ べ き こ と の 一 つ は、 当 時
う に は 見 え な い。
けの真剣勝負をしているよ
和維新の時代のように命が
と い う 言 葉 は 発 す る が、 昭
い ま の 政 治 家 た ち は、 簡 単 に 「政 治 生 命」 を か け る
う。
すから」 と語ったともい
その例として渡辺氏は尖
国の伝統的な国際秩序観
権国家観念とは異なる中
認 識 の 甘 さ を 指 摘 し た。 指 摘。 さ ら に 近 代 的 な 主
中 国 は 近 代 化 の 過 程 で、 欧 米 的 な 従 来 の 帝 国 主 義
に よ り 崩 壊 す る。 そ し て
による中国の半植民地化
は、 ア ヘ ン 戦 争 後 の 欧 米
に、 現 代 中 国 で は 伝 統 的
張 主 義 を 挙 げ、 こ う し た
日 本、 冷 戦 下 の 米 ソ の 膨
国の例として欧米列強や
け た。 こ こ で 渡 辺 氏 は 帝
家」 と 現 代 中 国 を 位 置 付
てやってきた帝国主義国
中国の行動に対し日本の
た。 尖 閣 事 件 に 際 し て は
本の主要紙の反応を挙げ
と し て、 尖 閣 事 件 時 の 日
する日本の姿勢の典型例
国志向を強める中国に対
上 に の せ た。 渡 辺 氏 は 帝
ら、 日 本 の 対 中 姿 勢 を 俎
渡辺氏はこのように現 代の中国をとらえてか
日本の尖閣事件対応
ミュンヘン会談としての
権侵犯に対して声を挙げ
つは現在の日本政府は主
い う 自 己 認 識 で、 も う 一
ン会談の主役になったと
の一つは日本はミュンヘ
き こ と を 二 つ 挙 げ た。 そ
そして最後に渡辺氏は 今の日本が自己認識すべ
ものとも批判した
い日本の姿勢を露呈した
国には主権を主張できな
支配を主張しながらも中
船 長 釈 放 は、 尖 閣 の 実 効
る と も 付 け 加 え た。 ま た
のがミュンヘン会談であ
の基本認識は中国には希
国家は平等という国際法
の 関 連 で は 例 え ば、 主 権
て 意 見 が 交 わ さ れ た。 こ
国主義との違いをめぐっ
国主義と従来の欧米型帝
に つ い て、 現 代 の 中 華 帝
また中国は遅れてやっ てきた帝国主義との分析
す べ き と し た。
る以上は法治を前面に出
う え で、 法 治 主 義 国 で あ
風潮があることを認めた
本を溶解させるそうした
これについて渡辺氏は日
グ ル へ の 支 援 を 訴 え た。
て い る こ と を 挙 げ、 ウ イ
どの同化政策が強行され
グル人の大量強制移住な
ウイグル語の禁止やウイ
グルでは中国政府により
こ と を 強 調。 現 在 の ウ イ
で は と の 質 問 が あ っ た。 の 歴 史 を ウ イ グ ル は 持 つ
三男・秀三氏が武器調達
一 五 事 件 に は、 頭 山 翁 の
ボースへの支援やシナ革
す ま す 激 し く な る。 今 だ
気は低迷し貧富の差がま
イ ン ド の 志 士 ビ ハ リ ・ し、 外 国 に 媚 び 諂 う。 景
堂 は 頭 山 満 翁 に と っ て、 て い る。 政 治 は 渾 沌 と
ト に 定 め た の で あ る。 木
再考する事に意義がある
で も あ っ た 。 し か も 、五・ か ら こ そ 五・一 五 事 件 を
命支援で共に闘った盟友
の で は な い だ ろ う か。
て こ い。 よ く 話 し て 聞 か
ら「い ま 撃 っ た 男 を 連 れ
た ら さ ず、 独 立 弾 圧 の 悲
で尖閣事件を実行したと
五・一 五 事 件 の 時 代 背 景と現在の状況はよく似
閣 事 件 後 も な お 、「 日 米
として華夷秩序と冊封体
列強と同じく主権国家概
な華夷秩序観念も加わっ
主要新聞はいずれも中国
られない政府であるとい
日 本 ウ イ グ ル 協 会 会 長、 の で あ る。
劇 に つ な が っ た と す る。
氏は中国とは異なる独自
中 三 角 関 係 論」 を 唱 え る
制 を 取 り 上 げ た。
念を取り入れることを試
て い る と す る。
の 行 動 を 「理 不 尽」 と し
代の日本の政治家の対中
講 演 の 冒 頭、 渡 辺 氏 は 現
私 の 中 国 理 解」 と 題 し た
図を継承していることを
中国史上最大の清朝の版
チベットなどを組み込み
しかし華夷秩序と冊封 を柱とする清朝の支配
る周辺民族弾圧と同化
中華ナショナリズムによ
続いて渡辺氏は最近の 中 国 に 目 を 転 じ 、「 遅 れ
年 領 海 法」 の
分 析 す る。
政治家がいることに言
このうち華夷秩序は中 華を中心に文明は同心円
み た。
渡辺氏は中国がここに きて帝国志向を強めた
結べばある程度の自治を
及。 東 ア ジ ア に 中 華 帝 国
状 に 広 が り、 周 辺 ほ ど 文
ここで渡辺氏はこうし た主権国家としての中国
出 来 事 と し て「 韜 光 養
中 華 帝 国 の 膨 張 開 始 、「 韜
を 樹 立 す べ く、 急 速 な 経
明の度は低くなるとする
のナショナリズムとして
光 養 晦」 と 「領 海 法」
済成長と軍拡を背景に遠
世 界 秩 序 観 で、 漢 族 で は
唱 え ら れ た 「 振 興 中 華 」 晦」 と 「
「『 中 国 を ど う み る か 』 現 代 の 中 華 人 民 共 和 国 た 。 中 国 と ど う 付 き 合 う か ― は 、 モ ン ゴ ル・ウ イ グ ル・
く な い 将 来、 中 国 は 東 ア
ない外来政権の清ではモ
二 つ に 着 目 す る。 こ の う
れるとする華夷秩序意識 があるのではという質問
五・一五事件 八十周年「大夢祭」
維新精神の発揚を目指して
日時 平成二十四年五月十五日(火) 受付 午前十一時三十分 場所 岐阜護国神社(岐阜市御手洗三九三) 第一部 大 夢 祭 正午~午後〇時三十分 岐阜護国神社本殿 記念講演会 午後一時~二時三十分 場所:ホテルパーク 「長良」 (岐阜市湊町三九七─二)
第二部
「五・一五事件と現代日本――︿川柳史観﹀による大観」
問い合わせ 大夢館世話人会東京事務局 電話:03―5211―0096 FAX:03―5211―0097
第三部 懇 親 会 午後三時~五時 場所:ホテルパーク「鶴」 奉納舞踊 演目「菊の栄」喜久次(鳳川伎連) 「信 長」佳那恵(岐阜芸妓組合長) 会費 一〇、〇〇〇円(懇親会費等全て含む) 詳細はHP( http://www.taimukan.com/ )をご覧ください。
(編 集 部)
ジアの覇権を握る可能性
ンゴルやウイグルを大清
と 「五 族 協 和」 に 注 目 す
ちの韜光養晦は天安門事
が あ っ た。 これについて渡辺氏は 中国の帝国主義には欧米
徹) に 関 与 し た と し て 連 座 し
が あ り、 こ れ を 踏 ま え て
帝 国 内 に 入 れ る た め、 華
る。 こ れ を 唱 え た の は 孫
件での国際社会からの孤
帝国主義に華夷秩序観念 が 混 じ っ た 面 が あ り、 国
対応する必要があるとし
夷秩序観を希薄化し他民
文 で、 そ の 趣 旨 は 漢 族 が 続いて渡辺氏は中国の
世界ウイグル会議日本全権代表 イリハム・マハムティ氏
(元 林
た。
族を包容する形をとっ
立 後、 唱 え ら れ る よ う に
92
薄 で、 中 華 は 他 国 よ り 優
伝統的華夷秩序観と近代
中心となりモンゴル・ウ
歴史や伝統的思想に目を
人 々 が 癒 さ れ た こ と だ ろ う。 自 ら の お 命 を お 削 り に
冷 静 に 考 え れ ば、 停 止 中 の コ ス ト は 維 持 管 理 費 だ け で は な い。 本 来 原 発 が 発 電 す る は ず の 電 力 を 火 力
た。 私 は 左 翼 の 反 原 発 運 動 の 3 ・
2月 14 日、衆議院憲政記念館で、第 34 回呉竹会・アジアフォーラムが開催された。 今回のアジアフォーラムでは渡辺利夫拓殖大学総長・学長が講演し、経済・軍事面で存 在感を高め周辺諸国とも摩擦を起こしている中国の対外姿勢を考察。講演と質疑応答を 通じ帝国化し膨張する現代中国とその行方をさぐった。
現 在、 全 部 の 原 発 が ス ト レ ス テ ス ト で ス ト ッ プ し て い る。 ス ト レ ス テ ス ト で の 結 果 が 出 て も、 地 元 の 賛成がなければ再稼働が出来ない状態が続いてい
ごとく主張される世の中になってしまったのである
第34回 呉竹会・アジアフォーラム
27
た。 ま た ベ ト ナ ム な ど と
中国の東アジア覇権掌握
の だ ろ う か。
発 電 所 が フ ル 稼 働 で 発 電 し て い る。 こ の 燃 料 費 は 原
帝 国 化し膨 張 す る 中 国 拓殖大学 渡辺利夫 、 を語る 総長・学長 「中国」
15
中国のナショナリズム
認める冊封関係もとられ
80
な っ た。 こ の 語 は 「外 国
向 け た。 こ こ で 渡 辺 氏 は
11
イグル・チベットなど周
92
の 間 で は、 朝 貢 関 係 を
に警鐘
拓殖大学総長・学長 渡辺利夫氏
いたずらに核アレルギーを起こすことで大きく国益
ら れ て い る。 L E D 電 球 を 作 る に も 電 力 が 必 要 な こ
11
る。 そ の 間 に 膨 大 な 維 持 管 理 費 だ け が 浪 費 さ れ て い
原 発 事 故 は 被 害 の 甚 大 さ を 考 え る と、 絶 対 に 起 こ プ ロ セ ス は、 責 任 の た ら い 回 し だ し て は な ら な い と い う こ と は 間 違 い な い。 た だ し、 と 断 言 す る。
を 決 し て 人 ご と と 考 え て は な ら な い。
い 企 業 は 中 国 に 発 注 す る 以 外 に 方 法 は 無 い。 技 術 は
生 産 を 見 限 る し か な い。 海 外 で 工 場 の 展 開 を 出 来 な
さ ら に、 火 力 発 電 所 が 排 出 す る C O 2 の オ ー バ ー 分 も 外 国 か ら 排 出 権 を 購 入 し な け れ ば な ら な い。 今ほくそ笑んでいるのは樺太の天然ガスを高額で 売 り つ け よ う と し て い る ロ シ ア に 違 い な い。
80
ネ ガ テ ィ ブ な 可 能 性 を 考 え れ ば 際 限 は 無 い。 そ の 点 に お い て 、今 、政 府 民 主 党 が 行 っ
笑 っ て い る の は ロ シ ア だ け で は な い。 例 え ば、 日 く 事 実 は、 電 力 会 社 一 企 業 の 損 失 の 問 題 で は な く、 本 が 作 る は ず で あ っ た 中 東 や ア ジ ア 諸 国 の 原 発 建 設
15
そ し て 今 な お、 家 族 が バ ラ バ ラ に な っ た り、 放 射 能汚染で家に帰ることが出来ない人たちがいること
紀元 2672 年 平成 24 年 4 月 15 日
動 運 年 青 年 4 回発行
第 967 号
ロブサン・センゲ首相来日記念
チベットの実情 名
チ ベ ッ ト 亡 命 政 府 の ロ ブ サ ン ・ セ ン ゲ 首 相 が 初 来 日 し、 4 月 4 日、 衆 議 院 第 一 議 員 会 館 に て 、「 ロ ブ サ ン ・ セ ン ゲ 首 相 か ら チ ベ ッ ト の 実 情 を 聞 く 議 員 有 志 の 会」 が 開 催 さ れ ま し た。 本 会 の 参 加 者 は 有 志 の 国 会 議 員 約 と プ レ ス の み で あ り ま し た が、 弊 紙 と し て も、 既 存 の メ デ ィ ア が し が ら み や政治的配慮によって正しく伝えていないチベットの実態について取材を 行 い ま し た。
リ ン ピ ッ ク 開 催 国、 万 国
は G D P で 世 界 2 位、 オ
の 国 々 の 代 表 事 務 所、 教 博 覧 会、 W T O の 一 員 で
と で す。 現 在、 首 相 は 数万人
にも及ぶチベット人の支 と責任を果たしてもらえ
あ り、 国 家 と し て の 役 割
育 や 医 療、 内 外 援をわずか2200万ド
ロブサン・センゲ首相 による講演の概要は以下
センゲ氏講演の概要
所 存 だ』 と 述 べ ま し た。
ル の 予 算 で 行 っ て お り、 る よ う 我 々 も 力 を 尽 く す 彼のお給料は日本円に換 算 す る と 3 万 円、 米 国 ハーバード大学の博士課 程を修了されたにもかか 究 員 の 地 位 を 捨 て、 一 所 の 通 り で す。
わ ら ず、 同 大 学 の 上 席 研 懸命に祖国のために尽く
いうメッセージを伝えま 会で論戦を交わしている
ピ ー チ を 行 い 、『 日 頃 国
次 に、 出 席 国 会 議 員 を 代表して安倍元首相がス
震 災 で 私 は、 規 律 だ っ た
に 哀 悼 を 捧 げ ま す。 こ の
ず東日本大震災の犠牲者
か っ た 国 は 日 本 で す。 ま
し て お ら れ る ま す。
所理事長の櫻井よしこ氏 し た。 こ う し た 経 緯 か ら 議 員 が、 同 じ テ ー ブ ル に 日本人の行動に大変胸を
「私が首相に就任し て、 ア ジ ア で ま ず 訪 れ た
よ り、 説 明 が あ り ま し センゲ首相の招聘委員会 座 り、 チ ベ ッ ト の 人 権 状
首相来日の経緯 た。 氏 に よ れ ば、 昨 年 9 が 組 織 さ れ、 櫻 井 氏 が 委
が大人になって子供を育
死 の 選 択 肢 が あ り、 全 員
と で す。 我 々 人 間 に は 生
これはとても悲劇的なこ
国 政 府 か ら、 僧、 尼 僧 に
る よ う に 言 わ れ ま す。 中
平、 胡 錦 濤 等 の 写 真 を 飾
僧 院 で も 毛 沢 東、 鄧 小
い ま す 。」
もお越しいただきたく思
た だ き、 や が て は ラ サ に
ひダラムサラにお越しい
経済成長し生活水準は向
議 員 か ら 、『 チ ベ ッ ト は
な さ れ、 そ の な か で 出 席
る 講 演 の 後、 質 疑 応 答 が
上しているという報道が
国際社会に届いてほしい
由 は、 自 分 達 の 苦 し み が
人が焼身自殺を試みた理
難 さ れ ま す。 そ し て こ れ
度にダライラマ法王が非
を 受 け、 焼 身 自 殺 が あ る
法王は悪魔のような扱い
続いた国であるにもかか
立 ち 、『 チ ベ ッ ト は 千 年
博文衆議院議員が挨拶に
会 の 最 後 に は、 本 会 開 催の中心議員である下村
た 際、 彼 ら は チ ベ ッ ト を
中国がチベットを侵略し
る 応 答 と し て は 、『 当 初
あ り ま し た。 こ れ に 対 す
う な の か』 と い う 質 問 が
なされているが実態はど
と願っているからであ
が我々が直面する問題で
わ ら ず、 1 9 4 9 年 に
とって大切なダライラマ
り、 そ れ を 思 う と 心 が 引
あ り、 ま た こ の よ う な こ
中 国 に 吸 収 さ れ ま し た。 社 会 主 義 の 天 国 に す る こ
て、 親 の 面 倒 を み る。
き裂かれそうになりま
とは世界で起こる可能性
と を 約 束 し ま し た。 そ の
す。 我 々 亡 命 政 府 は、 焼
結 果、 確 か に 道 路 や 電 気
よ っ て 首 相 と し て は、 本
は 通 っ た り し た が、 そ の
が あ る も の で す。
来ならばチベットを独立
大部分は都市部に集中し
身自殺をしないように呼 び か け て お り ま す が、 残
させたいと思っておいで
中 国 に 対 し 人 権、 宗 教、 て い ま す。 ま た 中 国 の 移
で し ょ う が、 少 な く と も
ベット人が求めている
皆様に理解し覚えてお 念ながら現在も続いてお り ま す。 彼 ら の 行 動 は、 い て 頂 き た い の は、 チ チベット人民が連帯感を
民 主 主 義、 法 の 支 配 を き
%は都市部に移
のは基本的な自由であ
も与えられるべきもので
り、 そ れ は ど ん な 人 間 に
と し て も、 ア メ リ カ や
う こ と で し ょ う。 わ が 国
ちっと認めてほしいとい
が 住 ん で い た 地 域 で は、
ど、 も と も と チ ベ ッ ト 人
民 し、 農 村 部 や 牧 草 地 な
民者の 引き起こすことに繋がっ て お り、 そ の 死 を 無 駄 に し て は な り ま せ ん。
す。 そ し て 本 日、 日 本 の
ヨ ー ロ ッ パ 各 国、 国 連 で
%のチベット人がふる
リーダーの先生方にお願
さとを離れている現状が
月に安倍晋三元首相を団
%は中国人が運営
あ り ま す。 も し 中 国 が 主
冒 頭、 ロ ブ サ ン ・ セ ン ゲ首相の来日の経緯につ
業の
決議されたと同等の決議
張するような恩恵がある
打 ち ま し た。 フ ェ イ ス
い し た い こ と は、 チ ベ ッ
文を衆参国会で決議する
と し た ら、 焼 身 自 殺 な ど
況 を 良 く し た い、 一 つ の
そ し て な に よ り も、 ま ず焼身自殺する人達の動
トのために立ち上がって
ベ ッ ト 問 題 を 主 張 し、 民
ほ し い と い う こ と で す。 こ と に よ っ て、 日 本 が チ
員 長 に 就 任、 石 原 慎 太 郎
機を考えねばなりませ
日本は世界のリーダーで
長とした自民・民主超党
し、 公 共 事 業 は
ん。 彼 ら の 動 機 は、 ダ ラ
い て、 国 家 基 本 問 題 研 究
上、 中 国 人 が か か わ っ て
イラマ法王がチベットに
ぶべき
項 目」 と い う も
%以 非合法とする記事があり
%
い ま す。 チ ベ ッ ト 人 の 大
世
ま し た が、 半 分 本 気、 半
卒、 高 卒 の 失 業 率 は
ラマ5世から今日の
分 冗 談 で、 か り に 中 国 側
ブ ッ ク に は 「日 本 人 に 学 に 至 る ま で、 チ ベ ッ ト は
で選んだ方と私で選挙を
国の伝統文化や宗教や歴 宗政一致の体制を継承し
都 知 事 を 始 め、 自 民 や 民
て き ま し た。 そ し て 現 在
派の国会議員でインドを の が あ り、 私 は そ れ を 自
起こるはずがありませ
史が奪われようとしてい 身のフェイスブックに何
主主義・人権を大切にし
主、 た ち あ が れ 日 本 を 含 ることに問題意識を持
あ り、 こ の ア ジ ア 地 域 の
訪れたことが今回の会が ち、 阻 止 し た い と い う 想
帰 り、 彼 に 会 い た い と い
む関係者が幾度も会議を
と高い数字になっていま
ん。 言 語 の 問 題 に つ い て
重 ね た 結 果、 今 日 の 日 が
すれば私が勝つでしょ
ているということを内外
開かれる端緒になったと
も、 ダ ラ ム サ ラ に チ ベ ッ
リ ー ダ ー で あ り ま す。 そ
の こ と で す。 そ の 際、 下 度 も 掲 載 し た ほ ど で す。
う人は誰でも会えるよう
に 知 ら し め て い き た い。 も、 現 在 の チ ベ ッ ト で は
い を 一 つ に し て い る。 そ
す。 ま た ス ト ラ イ キ 等 の
のことはチベット人に
実 現 し た と の こ と で す。
う。 そ れ は 私 が ロ ブ サ
にしたいという一心なの
中 学 校、 高 校 で 中 国 語 が
村 博 文、 山 谷 え り 子 両 衆
トの亡命政府は生き続け
正式な抗議活動は認めら
このことは中国に対する
人が焼
する契機とすべきなので
のため有志の国会議員で
ン・センゲだからではな
とって心強いことであ
議 院 議 員 は、 ニ ュ ー デ
て い ま す。 今 回、 政 治 的
で す。 世 界 で 多 く の チ
決 議 文 を 出 し、 さ ら に は
れ て い な い こ と が、 近 年
センゲ首相は権限移譲 後に初めて選挙で選ばれ
く、 チ ベ ッ ト 人 は チ ベ ッ
リーからチベット亡命政
権限は民主的・合法的に
使 用 さ れ て お り、 最 近 で
私が首相に就任した と き、 ダ ラ イ ラ マ 法 王
内 政 干 渉 で は な く、 人 が
国会決議も出したいと思
り、 我 々 は 深 い 感 謝 の 念
た と の こ と で、 こ の こ と
ベット人がダライラマ法
府があるダラムサラを訪
多発している焼身自殺
か ら 、『 自 分 は 若 い 時 に
ト人に国を引き継いでほ
う 』、 さ ら に は 『 若 い ロ
引 き 継 が れ、 歴 史 的 に 継
問 し、 ダ ラ イ ラ マ 法 王、 は、 ダ ラ イ ラ マ 法 王 は 今
は小学校までも教育言語 続 さ れ た と い え、 そ れ は
人として生きる権利に他
高い地位を受け継いた
を 抱 い て お り ま す。 今 日
ブサン・センゲ首相に期
2009年から
の 背 景 に な っ て い ま す。 王 に お 会 い し て い る に も
後、 宗 教 だ け を 担 い、 政
す。 チ ベ ッ ト は 中 国 の
しいと思っているからで
ロブサン・センゲ首相と
民主的・合法的に選らば
として中国語が入りこも
が、 本 日、 民 主 的 に 政 治
る の で は な い。 こ の ポ ロ
あ る。
これはアメリカで公開 された公的な場において
いるマッカーサー証言
公認史観から抹殺されて
れがアメリカの新聞に掲
聞 な ど の マ ス コ ミ は、 こ
さ れ て い る の で あ る。 新
れは公認史観からは抹殺
不可思議なことに何とこ
る。 し か し、 現 実 は 誠 に
知られて居るはずであ
だ。
抹殺しようとしているの
と、 学 者 も 政 府 も 無 視、
あるということになる
京裁判を揺るがしそうで
で 証 言 し た 事 実 す ら、 東
語ではなく議会の公聴会
働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方が幸福なの
だということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していた
のです。
これほど巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くため
の材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有
していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることが出来ませんで
した。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿
が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実
に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には
存在していたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、1千万から1千2百万の失業
者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争
に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだっ
たのです。
( 『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎編/講談社学術文庫 563-565 ページより)
な お、 セ ン ゲ 首 相 に よ
な り ま せ ん』 と 述 べ ら れ
待 し、 我 々 も 中 国 に こ の
身 自 殺 を 試 み、 そ の う ち
の貴重な時間を共有でき
治のことは若い人たちに
侵略以来苦しみを味わっ
か か わ ら ず、 ダ ラ イ ラ マ
会 見、 安 倍 元 首 相 に よ る
れたチベット首相の正当
う と し て い ま す』 と、 詳
の指導者の座をお渡し
ま し た。
想いが伝わるように力を
人 が 亡 く な り ま し た。 と そ れ だ け で 投 獄 さ れ、 と も に、 皆 様 に は 今 後 ぜ と は い た、 と 言 っ た 性 格
リ 「本 音」 の 意 味 す る こ
行 わ れ た 証 言 で あ り、 し
載 さ れ た 後 も、 な ぜ か ほ 彼 ら (日 本) が 戦 争 に 飛
いずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労
たことを深く感謝すると
務めてほしいというお気
ま す 』 と 言 わ れ ま し た。 性 を 根 拠 づ け て い ま す。 て い ま す。 例 え ば、 私 企
法王の写真を持っている
『日本に来る機会があっ 尽 く し た い と 思 う。 中 国
の も の で あ る。 し か も 何
かも極めて重要な意味を
と ん ど 報 じ な か っ た。 日
び込んで行った動機は大
潜在的に日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接した
る、 と い う 結 論 に 到 達 す
し く 回 答 さ れ ま し た。
な戦争行為を日本に対し
I t ' s a n a c t o f w a r , た と い う 事 で あ る。 と す る と、 こ の 絶 対 的 absolutely!
商 条 約 破 棄、 重 要 資 源 輸
て ま ず は じ わ じ わ と、 通
議 事 録 に よ る と 、〝 ケ ロ ッ グ 長 官 は 「国 家 が 攻
出 禁 止、 A B C D 包 囲
な 論 拠 は、 パ リ 不 戦 条
持つ歴史的な証言といわ
本 の 歴 史 学 者 は、 ほ と ん
部分が安全保障の必要に
た。
又当時の国際常識であっ
を 唱 え ず、 ア メ リ カ の 国 官の公式見解というもの
か 短 い 単 語 を 失 言 し た、 と を、 歴 史 学 者 も 政 府 も
更にこの結論を内外に 主張していくべきであ
う最終弁論を展開してい
の結論をマッカーサーは
で は な い。
と い う 事 で は な い。 当 時
仕 掛 け た 国 な の で あ る。
という東京裁判史観を忠
述 べ た の で あ る。 要 す る
の 日 本 を 巡 る 国 際 情 勢、 こ か ら 当 然 に 導 き 出 さ れ
東京裁判で日本を侵略 り、 そ の 際 に こ の 公 式 証 言 を 徹 底 的 に 強 調 し て、 国 家 と 断 定 し た 国 際 法 的
と し て の 解 釈 で も あ り、
実に守らなければいけな
に日本は自存のための自
当 た り 前 で あ る 。「 日 本は自衛のために戦った
て く る、 東 京 裁 判 判 決 の
その正当性の根拠として
る。
いという検閲を未だに心
衛戦争に起ちあがったと
の か 」と 聞 か れ た ら 、マ ッ
日本の置かれた状況につ
で た ら め さ、 そ し て 東 京
実 は、 国 際 法 に よ る と、 経 済 封 鎖 は 戦 争 行 為
理的に受け続けているの
いうことを延べているの
カ ー サ ー と い え ど も 「イ
いて極めて的確な説明を
撃されるのではなくって
網、 そ し て 終 に は 石 油 の
な の で あ る。
だ。 こ う い う 奴 隷 根 性 が
で あ る。
エス」というはずもな
な け れ ば な ら な い。 何 し
どこれを取り上げようと
迫られてのことだった
せん。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していまし
メリカ議会で行われたの
この条約を批准するこ との是非を巡る議論がア
し た も の で あ る。
し ま し た 。〟
す」 と 言 っ て こ れ に 同 意
官 は「 断 然 戦 争 行 為 で
言 い ま す と、 ケ ロ ッ グ 長
な い こ と で あ る。 国 際 法
できることは言うまでも
は、 固 有 の 自 衛 権 を 発 動
争行為を仕掛けられた国
ある石油の供給までス
れに加えて最重要資源で
B C D 包 囲 網 を 敷 き、 こ
もなくその共同提案者の
約 の 説 明 者 は、 言 う ま で
日) の こ と で あ っ た。 条
間では真珠湾攻撃は7
ろ う。 と も か く も、 こ れ
方が元の意味に近いであ
争 行 為 で あ る、 と 訳 し た
の で、 そ れ は 絶 対 的 に 戦
いる歴史的資料なのであ
マ ッ カ ー サ ー 証 言 は、 それを裏付ける内容の極
る。
カにほかならないのであ
が な い。 し か し、 彼 の 証 言 で は 「もしこれらの原料の供
で あ る が、 何 と そ れ は 日
的 に 基 づ い て、 日 本 は 正
給 を 断 ち 切 ら れ た ら」 と
ケロッグ長官の言っ
本の真珠湾攻撃の
トップしたのは何処の国
一人であったケロッグ国
る。 教 科 書 に は 「絶 対 的
月 7 日 (ア メ リ カ 時
言 っ て い な い。 い う ま で 務 長 官 で あ る。 こ の 議 が 不 戦 条 約 提 案 者 で ア メ も な く ア メ リ カ で あ り、 事 を 東 京 裁 判 に お い て、 リ カ で こ の 批 准 を 推 進 し
で あ っ た の か、 ま で は
た中心者が持っていた解
に」 載 せ る べ き で あ る。
めて重大な意味を有して
その同調者であったイギ
釈であるということであ
ローガン弁護人が引用し
リ ス 、 オ ラ ン ダ で あ る 。 つ つ 、「 日 本 は 挑 発 挑 戦
る。 も ち ろ ん だ れ も 異 論 これらの国こそが戦争を
さ れ 自 衛 に 起 っ た」 と い
た 英 語 の 原 文 は 、〝 It's an 当 な 自 衛 権 を 発 動 し た の 〟な で あ り 、 侵 略 国 は ア メ リ act of war, absolutely!
し か 言 っ て い な い が、 そ
の
年前 の供給を断ち切ろうとA
容であることは疑う余地
あ が っ た」 を 意 味 す る 内
る
経済封鎖は戦争行為であ
の で あ る。
約、 別 名 ケ ロ ッ グ ・ ブ リ
―経済封鎖を受けるとし
全面的輸出禁止という形
裁 判 史 観 が 間 違 っ て い 「利用」 していくべきな
ア ン 条 約 で あ る。 ア メ リ
で仕掛けてきたのはどこ
し た も の で あ る。
し っ か り と 認 識 し て、 そ
今でも日本に広く根付い
い。
ろ東京裁判の最高責任者
せ ず、 又 取 り 上 げ て も ま
の島の中にひしめいているのだいうことを理解していただかなくてはなりま
(史実を世界に発信する会 事務局長)
ているということであ
確 か に 「日 米 戦 の 原 因 は ?」 と い う 問 い に マ ッ
カの国務長官ケロッグと
た ら ?」 と い う 質 問 を う
か。 い う ま で も な く ア メ
べ き で あ る、 と い う 事 で
け ま し た。 ケ ロ ッ グ 長 官
リ カ で あ る。 ア メ リ カ こ
何もこれを盾にアメリ カ政府に何かを言うべき
は 「戦 争 し な い で 封 鎖 な
こ の 証 言 は、 言 っ て み れば別の脈絡の中の話の
であったマッカーサーが
ともに扱われることがな
我々は包囲したのです。日本は8千万に近い膨大な人口を抱え、それが4つ
日 本 占 領 軍 最 高 司 令 官 で あ り、 東 京 裁 判 の 主 宰 者 で あ っ た マ ッ カ ー サ ー は、 日 本 を 戦 争 犯 罪 国 と し て 一 方
る。 東 京 裁 判 拝 跪 史 観 が
カーサーが答えているわ
フランスの外務大臣ブリ
どということはありませ
そ最初に戦争行為を仕
け で は な い。 従 っ て、 ア
公的な場において東京裁
い。 そ の た め か、 文 科 省
勝利をおさめた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。
的 に 断 罪 し た の で あ る が、 そ の 裁 判 の 判 決 か ら わ ず か
今でも日本人を心理的に
アンの共同提案による不
ん」 と 答 え ま し た。 そ の
掛けた国=侵略者という
呪 縛 し て い る の だ。
戦条約が1928年パリ
時一上院議員がそういう
こ と に な る の で あ る。 戦
あ る。 奴 隷 史 観 か ら 脱 却
マ ッ カ ー サ ー 証 言 は、 で 日 本 を 含 む 主 要 国 1 5 「日本は自衛戦争に起ち カ 国 の 署 名 に よ り 発 足
こ と は 戦 争 行 為 で す」 と
で あ る、 な ど と い っ て い
判の判決内容を否定する
はこれを教科書に掲載す
鎖してしまえという貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する
80
カ国が署名
中 で、 つ い 本 音 を ポ ロ リ
意味を持つ内容の証言を
る こ と を 認 め な い の だ。 ら、 1 0 0 0 万 か ら
し、 そ の 後
メリカ政府またはその高
行 っ た の だ。 し か も 証
1200万の失業者が発
ヒッケンルーパー上院議員 では5番目の質問です。中共に対し空と海から封
呉竹会 幹事茂木弘道
持ちから実現したとのこ
中国の新聞で私のことを
70
た ら、 お 会 い し た い』 と
1 6 4 2 年 以 来、 ダ ラ イ
チベット亡命政府 ロブサン・センゲ首相
40
50
33
14
誰かが勝手に言ったこ と で は な く、 東 京 裁 判 の
言は疑う余地なく事実と
最近の教科書検定で実際
生するだろうことを彼ら
63
正 統 性 の 体 現 者 が、 寝 物
認定されているものであ
に 起 こ っ た こ と で あ る。
「もしこれらの原料 の供給が断ち切られた
る。
1951年5月3日
2 年 半 後 の 1 9 5 1 年 5 月 3 日、 ア メ リ カ 上 院 軍 事 外
22
10
米上院軍事外交合同委員会におけるマッカーサー証言
交合同委員会においてここに見る通りの証言を行った
90
12
驚 く べ き こ と で あ る 。 は 恐 れ て い ま し た 。」「 し 日 本 は 犯 罪 国 家 で あ っ た た が っ て」 に 続 け て 右 記
13
回しました。 マッカーサー将軍 その通りです。太平洋において我々は彼らを
のである。
33
10
これは公表されたもの で あ る か ら、 少 な か ら ず
12
60
第 967 号
年 4 回発行
動 運 年 青 紀元 2672 年 平成 24 年 4 月 15 日 (3)
が読者のみなさんの手に
展 開 さ せ て い る。 こ の 号
イージス艦も東シナ海に
なぜならば国際社会にお
これらの配備に強烈な遺
京を火の海にするだろ
あ の ア ナ ウ ン サ ー が 「東
が、 今 回 は お と な し い。 凄 ま じ か っ た。 い つ も の
憾の意を示すはずだろう
う」 と か 「日 本 が 分 別 を
に対する北朝鮮の反応は
し こ れ に 備 え た が、 そ れ
オ ッ ト 3) を 配 備 す る。 あ る 中 国 も、 本 来 な ら ば ( ミ サ イ ル 防 衛 ) を 発 動
3 (地 対 空 誘 導 弾 パ ト リ
い て、 北 朝 鮮 の 後 見 国 と 失って迎撃行為に出るな らすぐに衛星の打ち上げ
北朝鮮は米朝合意によ る食糧支援が決定してか
WFPの食糧支援延長
陥 る 可 能 性 は 低 い。
なければならない状況に
な い が、 現 実 に 迎 撃 を し
を発してくるのかもしれ
発射が近づけば前回と 同様に激しい口調で警告
う。
いとも簡単に東シナ海や
やら我が国であるように
方で実利を得るのはどう
今回のミサイル発射で 脅 威 を 感 じ な が ら も、 一
て し ま う。
告すらも芝居じみて見え
と す れ ば、 あ の 激 し い 警
面 目 に 考 え て し ま う。 だ
の で は な い か と さ え、 真
と北朝鮮の出来レースな
も し れ な い が、 ア メ リ カ
深読みしすぎだと読者 の皆さんには怒られるか
は ず だ。
行 為 で あ り、 許 し が た い
策を骨抜きにしてしまう
F P の 発 表 は、 米 国 の 政
あ り え な い ば か り か、 W
な行為を決定することは
カの同意なしにそのよう
る。 国 連 の 機 関 が ア メ リ
3カ月延長を決定してい
朝鮮に対する食糧支援の
ち上げに対するミサイル
思 う。 前 述 し た よ う に、 今 回 の 北 朝 鮮 の 衛 星 の 打
ンパクトを与える方法が
し、 中 国 に 対 す る 強 い イ
いった問題をすべて払拭
民 の 反 対 も 根 強 い。 そ う
り 込 ん だ も の の、 地 域 住
諸島防衛を防衛大綱に盛
る。 自 衛 隊 に し て も 先 島
的 に も、 難 し い 状 況 が あ
内的にも日本の国内世論
米軍を増強する事は米国
では反基地感情が根強く
を 決 め て い る 上 に、 沖 縄
らの海兵隊の段階的撤退
る。 だ が、 米 国 は 沖 縄 か
抑制しておく必要があ
覇権を増長させる中国を
経済の成長を背景に国際
し た く は 無 い が、 著 し い
してはあまり中国を刺激
に 変 わ り は 無 い。 米 国 と
の米国債保有国である事
中国が日本に変わり最大
京、 上 海 も 楽 に カ バ ー す
然 な が ら 北 京 を 含 み、 南
ことになるこの距離は当
1800㎞の射程という
し た と し た な ら ば、 約
を超え太平洋上に落下
純に北朝鮮から石垣島
だ。 今 回 の 計 画 に よ り 単
それがなぜ東シナ海方 面なのだろうかという事
ば よ い の で あ る。
をまたぐように発射すれ
来通り日本海と東北地方
星 の 打 ち 上 げ な ら ば、 従
な ど な い は ず で あ る。 衛
す ま で に 至 っ た も の の、 ミ サ イ ル を 発 射 す る こ と
国へ
中 国 の 焦 り、 脱 北 者 を 韓
る。
える事も出来るのであ
持ったという宣言ととら
できるミサイルを事実上
市部のほとんどを核攻撃
る。 要 す る に、 中 国 の 都
た距離を実証する事にな
れないという実力を持っ
マカオまでも届くかもし
る 航 続 距 離 だ。 香 港 や
い う。 中 国 は ネ ッ ト の 検
非難の書き込みがあると
ご ろ つ き 国 家 だ」 な ど と
な い 」 や 、「 ま っ た く の
の恥知らずは見たことが
と は あ る が、 金 一 家 ほ ど
り 、「 恥 知 ら ず を 見 た こ
鮮への非難が増えてお
によるあからさまな北朝
内のネットユーザーなど
発 表 し た。 ま た、 中 国 国
せる方向であると同時に
名も同様に韓国へ出国さ
月 4 日 発 表 し た。 残 り 数
を韓国に出国させたと4
にきて脱北者4~5名
状 態 に し て い た が、 こ こ
の出国を許可せずに軟禁
り 帰 す 方 針 の 為、 韓 国 へ
んだ脱北者を北朝鮮に送
年に韓国大使館に逃げ込
で あ る。 中 国 は 2 0 0 8
が 国 で は な く、 北 朝 鮮 に
い る と い う 事 だ。 当 然 我
考 え に く い の だ。
な ら ば、 そ の 為 だ け と は
情の悪化を冷静に考えた
回の発射で中国の持つ感
と も あ っ た と し て も、 今
ういった要因が多少なり
て い る よ う だ、 さ ら に そ
る は ず だ が、 ど う も ず れ
種子島上空を軌道に入れ
め、 黄 海 方 面 に 打 ち 上 げ
る。 そ れ に 対 抗 す る た
ターより打ち上げられ
搭載され種子島宇宙セン
重工製H2Aロケットに
リラン3号が日本の三菱
る。 今 年 5 月 に 韓 国 の ア
うとする動機は他にもあ
にロケットを打ち上げよ
会談予定が産経新聞に
での北朝鮮高官との極秘
拉致担当大臣のモンゴル
ら に、 3 月 に は 中 井 洽 元
の で は な い だ ろ う か。 さ
ら、 見 当 が つ か な か っ た
な全ての手段とは何かす
な く、 救 出 の た め の 可 能
る 。 し か し 、だ と す れ ば 、 情 報 を 持 っ て い る わ け も
るのだという考え方もあ
よ っ て 報 道 さ れ、 中 井 氏
た の だ か ら、 日 本 政 府 が
鮮との交流に反対してき
を 支 持 し、 あ ら ゆ る 北 朝
問題関係団体は対北制裁
い た が、 ほ と ん ど の 拉 致
ほ し い」 と の 声 明 が 出 て
動員して救出を実現して
府は可能な全ての手段を
係 す る 民 間 団 体 よ り 「政
な か っ た。 拉 致 問 題 に 関
あ る の だ。 我 々 は、 進 展
忘れてはならない事実で
眠っているということも
が北朝鮮には手つかずで
きない3万余柱の御遺骨
が、 未 だ、 帰 る こ と の で
あり急務であると思う
者の方々の救出は大切で
と言われている拉致被害
る。 1 0 0 名 を 下 ら な い
我々の同胞の御遺骨であ
ことなく眠りに就いた
朝鮮の大地で母国に帰る
前、 戦 中 そ し て 戦 後、 北
け な い 問 題 が あ る。 戦
とは別に考えなければい
そ し て、 さ ら に 拉 致 問 題
が な い の で あ る。
張がまかり通ってよい訳
制連行と同様だという主
北朝鮮ミサイル発射問題考
届くころにはおそらくミ してポーズをとり続けて ら、 わ が 人 民 軍 は 情 け 容 防 衛 と い う 事 に な る。
北朝鮮衛星打ち上げ もなく成し遂げられたの
配 備 す る 事 を、 何 の 抵 抗
パトリオットミサイルを 2009年4月にテポ ドンが打ち上げられた
た 反 応 は 無 い。
も、 北 朝 鮮 か ら は 際 立 っ しいことではないだろ
す こ と な ど は、 さ ほ ど 難
する挑発や威嚇行為とみ 中国は何も言える立場に る だ ろ う」 等 と 声 を 荒 げ 点、 食 糧 支 援 打 ち 切 り を
際、 我 が 国 は や は り M D
な し、 た だ、 北 朝 鮮 に 批 ないということになるか て報道していた事を思い
し か し、 北 朝 鮮 が も し 中
で あ る。 尖 閣 諸 島 問 題 や
判 を 繰 り 返 す 事 に、 は た ら だ。 部報道によれば中断との
政府はミサイル実験を 警 戒 し、 石 垣 島 に P A C
して実益があるのだろう さ ら に 不 思 議 な 事 は、 出 す。 我 が 国 が 「ミ サ イ ル の 破 発表もないことは無い
ではなぜ米国と北朝鮮 国を刺激する事を避けた な の か と い う 問 題 だ が、 い な ら ば、 間 違 っ て も 黄
ガス田問題などで摩擦の
北 朝 鮮 が 衛 星 打 ち 上 げ と い う 名 目 で ミ サ イ ル 実 験 を 行 う。 我 が 国 に と っ て 北 朝 鮮 の 核 武 装 は 脅 威 で あ る こ と に 間 違 い は 無 い が、 今 回 の ミ サ イ ル 実 験 は は た し て 日 本 の 脅 威 な の で あ ろ う か。
呉竹会 事務局長廣瀬義道
サイル実験は終わってい い る 以 上、 影 響 下 に あ る 赦 な く、 重 要 対 象 に も 断 先島諸島にMDを確立し
あくまでも状況証拠で あ り、 特 別 な 根 拠 や 証 拠
か。 確かに在日朝鮮人を多 く 抱 え、 金 フ ァ ミ リ ー さ が、 逆 に、 W F P (国 連
さらに付け加えるなら ば中国が異常に反応して
る の だ ろ う が、 こ の ミ サ はずの北朝鮮の行動に対 を 発 表 し た。 米 国 は 遺 憾 て し ま っ た。
が あ る わ け で は な い が、
そ も そ も、 石 垣 市 は 現 職 中 山 市 長 の 就 任 前、 米 片などが落ちて来る可能 えが簡単に密入国を繰り
海、 東 シ ナ 海、 そ し て 太
起こったとしても不思議
言った言論が政府主導で
る 国 家 で あ る。 逆 に こ う
の言論を厳しく封じ込め
閲や規制を強め政府批判
を発射するというのだか
我が国に向けてミサイル
国家と呼ばれる北朝鮮が
る。 人 権 を 無 視 し た 独 裁
我々と北朝鮮の間には 拉致問題が横たわってい
北朝鮮を冷静に観察せよ
一昨年の
の か と い う 問 題 も あ る。 と い う 事、 ど ち ら も 独 自
を中井洽に任せてよいも
致問題の北朝鮮との交渉
談 を し た。 そ も そ も、 拉
昊 (ソ ン イ ル ホ) 氏 と 会
が モ ン ゴ ル へ 渡 航、 宋 日
学大学院教授真鍋貞樹氏
急遽代理人として拓殖大
同して進めてはならない
そ し て、 重 要 な こ と は、 こ の 二 つ を 決 し て 混
と い う 事 だ。
と目を向ける必要がある
骨 の 収 集 に も、 し っ か り
もれてしまっている御遺
と中国の関係がぎくしゃ
て い た 金 正 日 死 亡 時、 我
最大のチャンスと目され
れ ど も、 拉 致 問 題 解 決 の
であると青年運動読者な
がたい言語に絶する態度
式典での不敬発言は許し
よる衆議院120年記念
か ら だ。 互 い に 干 渉 し 合
ばならない重要事である
り、 並 行 し て 進 め な け れ
とって大切な問題であ
に 我 が 国、 我 が 民 族 に
ら、 当 然 許 し が た い。 け くしていることは間違い
が国政府には何の情報も 確 か に 北 朝 鮮 が、 4 月
な い と い う 事 だ。
月、 中 井 氏 に は 無 い。 と に か く 北 朝 鮮
は モ ン ゴ ル 行 き を 断 念、 を 見 せ ぬ 拉 致 問 題 に う ず
イ ル 実 験 を、 日 本 に 対 する我が国の反応に対し 固たる報復の打撃を加え の意を表したが3月末時 米中対立と北朝鮮
国艦艇どころか自衛隊艦 性 が あ る た め、 こ れ ら を
平洋などというルートで
示 唆 す る の み で あ る。 一
艇の入港も拒否する左翼
米国は対中政策において
い互いの摩擦や抵抗に
鮮明な対決姿勢を打ち出
らば誰もが思ったであろ
なってはならないのであ
世 界 食 糧 計 画) が 3 月 で
う。 し か し、 だ か ら と
る。 拉 致 問 題 は 拉 致 問 題
返すことのできる平和ボ
といった対日関係者の考
言 っ て、 極 秘 会 談 を リ ー
迎 撃 す る」 と 声 明 を 発 表
ギリス流の古典外交がア
え を 紹 介 す る。 日 本 の 政
と し て 動 き 行 動 す る。 遺
的な市長を擁立する地域
ように迫られると警告す
メリカの政策として採用
クしてしまい台無しにし
た ち は、 地 域 外 に ま で 覇
る。 そ し て、 ア メ リ カ は
治家や官僚はこのグルー
骨収集は遺骨収集として
打ち切る予定であった北
することは政治的に不可
権を維持しようとするア
日 米 安 保 条 約 を 破 棄 し、 さ れ れ ば、 ア メ リ カ は 永
てしまう我が国の状況も
ケ の 日 本 で、 テ ロ を 起 こ
描 写 し て 「ア メ リ カ に よ
能 で あ る、 ④ 2 0 1 1
メ リ カ は、 こ の ま ま で は
プ と 接 触 す る。 し た が っ
していることに対して
る世界支配の可能性が消
年 以 降、 ア メ リ カ の ベ
続的な同盟関係を結ぶの
で あ っ た。 こ の 石 垣 市 に
滅 し た」 と 明 記 し て い る
日本の自主核武装を支援
次なるチャンスを見逃し
過去の帝国と同じように
覚 し て い る 」 と 述 べ る。 報 を 流 し た の か と い う こ
てはならない
ビーブーム世代が大量
と も 疑 問 で あ る。 日 朝 関
と い う (『 自 滅 す る ア メ
係を進展させたくない者
活動する事が大切なので
そ し て 、田 中 宇 氏 は 、 「対
懸念すべきではないだろ でやるようになるのでな
米従属が危機的状態なの
て 、『 米 国 は 日 米 同 盟 強
い か。 ア メ リ カ は 政 治 体
で は な く、 国 益 に 基 づ い
制やイデオロギーに捉わ
すべきだとの主張に行き
伝統的な日米関係の維 持 を 主 張 す る マ イ ケ ル・
手を広げ過ぎて国力が続
カ 没 落 回 避 の た め に、 彼
は 多 く、 そ の 妨 害 工 作 は
に( 7 8 0 0 万 人 ) 引
らが一極覇権に代わる
で、 官 僚 機 構 は マ ス コ ミ
熾 烈 で あ る と も 聞 く。 ま
リ カ 帝 国 』)。 そ し て 伊 藤
の 財 政 状 況 は、 着 々 と 悪
れることなく行動する
な ど を 使 い、 日 本 人 を 不
そして同時に大切なこ とは次なるチャンスを絶
あ る。
化 し て い く。 す で に 世 界
グ リ ー ン で す ら、 ア メ リ
よ う に な る。 こ れ は 自 由
ず、 韓 国 は 日 朝 の 関 係 改
対に見逃さないという
う か。 は た し て 誰 が、 情 構造の一極化は可能であ
戦略として提唱している
カ の 選 択 肢 と し て は、 ①
明で自閉的な方向に誘導
善 を 嫌 う だ ろ う し、 対 北
化 に し か 動 か な い』 と 錯
る」 と い う 仮 説 が 誤 り で
最 大 の 債 務 国 で あ り、 国
の が、 オ フ シ ョ ア ・ バ ラ
伝 統 的 日 米 関 係 の 維 持、 と 民 主 主 義 を 世 界 に 拡 大
し、 世 界 と 自 分 自 身 の こ
事、 そ の た め に は あ ら ゆ
つ く と 説 く (『 月 刊 日 本 』 た 同 盟 の 組 み 換 え を 平 気
ある理由を以下の四点か
民の平均貯蓄率も異常に
するというネオコン流の
と を 見 え な く し て い る 」 制裁論者も拉致被害者の
かなくなり没落すると懸
ら 説 明 し て い る。
ンシングと呼ばれる戦略
②米中二大大国による世
外交路線の終焉を意味す
退 し 始 め る。 こ の た め
スト系の国際政治学者の
低 い ア メ リ カ が、 現 在 の
だ 。 自 ら は 「 沖 合 」( オ
界 の 調 整 ( G 2 )、 ③ オ
氏 は 、「 ア メ リ カ に よ る
と こ ろ 、「 現 状 ど お り 日
反 対 を 押 し 切 っ て、 一 極
ような軍事支出を維持す
フ シ ョ ア ) か ら、 バ ラ
が日本の自滅を画策して
読 者 に と っ て、 官 僚 機 構
に も 見 え て き た。 多 く の
き出そうとしているよう
わる前に自滅的に全部吐
退によって対米従属が終
て き た 国 富 を、 米 国 の 衰
「 日 本 は、 戦 後 の 対 米 従属の時代に営々と築い
が っ て く る。
る不可思議さが浮かび上
にすがりつこうとしてい
る に も か か わ ら ず、 そ れ
際にはすでに破綻してい
存 (対 米 従 属) 路 線 が 実
換 を 直 視 す る と、 対 米 依
するアメリカの戦略転
た 冷 戦 時 代 に は、 日 米 安
力を維持しソ連と対峙し
確 か に、 ア メ リ カ が 超 大国として圧倒的な軍事
に と ど ま っ た。
の 割 合 は 、わ ず か 7・8 %
安 全 を 守 る」 と 答 え た 人
て、 自 衛 隊 だ け で 日 本 の
米安全保障条約をやめ
3 % に の ぼ っ て い る 。「 日
と民主主義を拡めるネオ
子) 政 権 の 〝世 界 に 自 由
い 切 る。 ブ ッ シ ュ ( 息
ことに失敗してきたと言
際構造の多極化を止める
目 指 し た ア メ リ カ は、 国
了 後 、「 世 界 一 極 化 」 を
アメリカ在住の戦略 家 ・ 伊 藤 貫 氏 は、 冷 戦 終
き た の で は な い か。
あることがはっきりして
カ は、 現 在 の 兵 員 規 模 の
こ と が で き る、 ③ ア メ リ
長期間の抵抗を継続する
による世界支配に対して
こ と に よ り、 ア メ リ カ
テロ闘争)を使用する
争 方 法( ゲ リ ラ 戦 争 や
対 称 的・ 非 正 規 的 な 戦
も、 反 米 的 な 弱 小 国 は 非
軍事力がどれほど強くて
で き な い、 ② ア メ リ カ の
は他の八核武装国と戦争
か に、 オ バ マ 大 統 領 は ア
す 難 し く な っ て い く。 確
を維持することはますま
る。 ア メ リ カ が 一 極 覇 権
駕するとも予測されてい
アメリカの軍事予算を凌
し か も、 2 0 2 0 年 代 の中国の実質軍事予算は
グ─古典外交への回帰
オフショア・バランシン
ある国を支援して別の 国 と 衝 突 さ せ て、 両 国 の
い う 戦 略 で あ る。
ギリスを手本にしようと
ワ ー) 外 交 を 展 開 し た イ
衡 (バ ラ ン ス ・ オ ブ ・ パ
場 に 立 ち、 巧 み な 勢 力 均
陸に対して一歩引いた立
だ。 か つ て ヨ ー ロ ッ パ 大
衡を図るという考え方
ユーラシア大陸の勢力均
上、 ア メ リ カ の 東 ア ジ ア
れた日米学生会議の席
が、 2 0 1 1 年 に 開 催 さ
外務省で国際情報局長 などを務めた孫崎享氏
い て い る。
四つの選択肢があると書
的枠組み形成──という
グ、 ④ 関 係 国 に よ る 国 際
伊 藤 氏 は 、「 不 思 議 な こ
図 を 感 じ ざ る を 得 な い。 が 意 図 さ れ た 結 果 な の
と す る、 対 米 依 存 派 の 意
ないと信じ続けさせよう
こ こ に は、 対 米 依 存 路 線以外に日本の選択肢は
た。
築された既得権の維持
米依存を前提として構
性 な の か、 あ る い は 対
とんど伝わってこなかっ
リストたちの考え方をほ
の は、 単 な る 錯 覚 や 惰
アメリカ一極覇権と いう幻想しか見えない
日 )。
い。
ションに反対する者は多
い。 と に か く 余 計 な ア ク
という姿勢を崩していな
皆、 も う 一 度 戦 略 を 立 て
の 責 任 は 大 き い。 こ の 問
ことのできなかった我々
というチャンスを生かす
い う 事 だ。 金 正 日 の 死 去
中国の脅威に対抗すると
外 交 政 策 だ。 地 政 学 者 の
を分断したりするという
ジ ア 重 視 の 姿 勢 を 示 し、 力 を 相 殺 さ せ た り、 関 係
答 え た。 と こ ろ が ア メ リ
本の学生は第一の選択と
生 に 質 問 し た と こ ろ、 日
れ で あ る か と、 日 米 の 学
政策はこの四つのうちど
極覇権構想を厳しく批判
家 の 多 く が、 米 政 府 の 一
最も優秀な保守派の戦略
聞 ・ 雑 誌 は 『ア メ リ カ で
とに日本の保守系の新
と い う 現 実 を 直 視 し、 ほ と ん ど の 拉 致 被 害 者 は
むアメリカの戦略転換
る た め に、 水 面 下 で 進
い ず れ に せ よ、 我 々 は日本の自滅を阻止す
か。
みさんも
歳で拉致された横田めぐ
ろ う か。 1 9 7 7 年 に
し か し、 拉 致 問 題 が こ の ま ま 凍 結 し、 後 年 過
出 来 な い 以 上、 制 裁 の み
歳 近 く な り、 朝 鮮 を 屈 服 さ せ る こ と が
な い。 我 々 が 軍 事 力 で 北
ら孤立しているわけでは
で い る。 決 し て 世 界 中 か 陸軍と海兵隊で世界の重
口 で は 言 っ て い る。 し か
13
ぎたならばどうなるのだ 武力介入によって国際情
要地域を支配することは
を 叫 ぶ こ と が、 は た し て
た。 と こ ろ が、 い ま や 国
で き な い。 し か も 米 政 府
年齢的に生存の可能性が
勢 を 不 安 定 化 さ せ、 多 極
対米依存からの脱却の
化トレンドを加速化させ
し て い る』 と い う 事 実 を
い る。 冷 戦 終 結 後 の ア メ
カの学生のほとんどが第
元共同通信記者の田中 宇 氏 の こ の 一 文( ブ ロ
日 に 発 表 し た「自 衛 隊・ 際環境は大きく変わって
奥 山 真 司 氏 は、 オ フ シ ョ
状況を変え得ることに繋
防衛問題に関する定期世
し、 水 面 下 で は 外 交 戦 略
低 く な る。 生 存 者 の い な
の 世 界 支 配 戦 略 (一 極 覇
意 志 を 固 め、 自 主 防 衛
ただけであったと指摘す
伝 え て こ な か っ た」 と 書
リ カ 歴 代 政 権 は、 一 極 覇
三 の 選 択(オ フ シ ョ ア・
論 調 査」 も そ れ を 示 し て
ア・バランシングが採用 い る 。 こ の 調 査 で は 、「 日
の根本的な見直しが進ん
グ 「米 国 を 真 似 て 財 政 破
権構想)は国民の理解
が る の か と い う 事 を、 真
る。 そ し て、 2 0 0 8 年
くなった拉致問題は国際
権などそもそも無理だと
体制の確立を急がねば
さ れ れ ば、 日 本 は ア メ リ
い て い る 。 孫 崎 氏 も 、「 日 で い る の で は な い か。 い う ケ ナ ン、 キ ッ シ ン
と支持を得ていないた 本の安全を守るためには
月に出された米情報機
綻 し た が る 日 本」 3 月 8
テ ー ジ、 グ リ ー ン、 ナ イ
バ ラ ン シ ン グ) と 答 え た
現在北朝鮮は世界 162カ国と国交を結ん
直 す 必 要 が あ る。
題に向かい合うものは
拉致問題と遺骨収集
る情報や工作が必要だと
いるというのは奇異に見
な る ほ ど、 公 表 さ れ る 世 論 調 査 の 類 で は、 依 然
保体制に依存するという
コ ン 外 交〟 は、 不 必 要 な
解放なくして対話は無い
え る だ ろ う。 だ が 私 が 予
として日本国民は日米安
選択肢に合理性はあっ
と も 書 い て い る (3 月
測 す る と こ ろ、 こ れ か ら
保体制への依存を肯定し
る。 だ が、 こ れ ま で リ ア
日 本 で 起 き る こ と は、 ま
て い る。 内 閣 府 が 3 月
ン サ ー と し て 立 ち 回 り、 フ シ ョ ア ・ バ ラ ン シ ン
さに自滅的な感じの展開
年 4 月 号 )。
米の安全保障体制と自衛
①アメリカが通常戦力 にどれほど巨額の予算を
る の は 不 可 能 で あ る。
平成
方 で、 果 た し て そ ん な こ
隊 で 日 本 の 安 全 を 守 る 」 覇権を追求してきたもの
注 ぎ 込 ん で も、 ア メ リ カ
念 し て い る の だ。 ア メ リ
とがあるのかという懐疑
・ の、 も は や そ れ が 困 難 で
2028年以降の米政府
米国一極覇権は成り立た の 気 持 ち も 抱 い た。 と こ と答えた人の割合は
長期的な世界支配と国際
ない ろ が、 い ま 水 面 下 で 進 行
幻想の米国一極覇権 自主防衛体制確立を急げ!
11
な ら な い。 関 の 公 式 報 告 書 も、 こ の
に な っ て い く だ ろ う」
16 本のメディアはアーミ
30
青年運動編集委員坪内隆彦 (『月刊日本』編集長)
PAC-3 勢力均衡に基づいたイ
と い う。 ジ ャ ー、 ハ ン テ ィ ン ト
カ に 頼 る の を や め て、 自 どのような方法をとるべ
のに必要な徴兵制を採用
め、 こ の 戦 略 を 遂 行 す る
日) を 読 ん で、 非 常 に 不
多極化トレントを明瞭に
らの力で中国に対抗する ン、 ウ ォ ル ツ ら の リ ア リ
クリストファー・レイ ンらの米国のリアリスト
12 き だ と 思 う か」 と 聞 い た
吉 な 予 感 が し た。 だ が 一
11
わ れ る の か。 例 え ば、 強
社会でどのように取り扱
る の で は な い だ ろ う か。
剣に考える時期に来てい
80
82
24
(4)
紀元 2672 年 平成 24 年 4 月 15 日
動 運 年 青 年 4 回発行
第 967 号
ペマ・ギャルポ氏 インタビュー の 押 し 付 け が 露 骨 で、 反 発
で す が、 こ れ に 対 す る 当 局
ないということになったの
加 え て、 最 近 で は 第 五 番 目
政 治 的 侵 略、 軍 事 的 侵 略 に 承認するかたちにしたりす
命から議会が選んで法王が
経 済 的 侵 略、 人 口 的 侵 略、 を 作 っ た り、 内 閣 を 直 接 任
イ ナ ー 化 さ れ、 こ れ ま で の
る な ど、 段 階 的 に 民 主 化 の な け れ ば 現 れ な い、 お そ ら
要 が あ れ ば 現 れ る し、 必 要
次の転生者はチベットに必
次にダライラマの後継問 題 に つ い て で す が、 法 王 は
す。
は 、「 チ ュ ・ ユ ン ( 寺 と 檀
降のチベットと中国の関係
か。 例 え ば モ ン ゴ ル 王 朝 以
あったと言えますでしょう
は政治的に独立した国家で
の歴史においてもチベット
た し ま し た が、 そ れ 以 前
分であるはずのチベットを
シ ム ラ 条 約 で は、 本 来 不 可
を 認 め さ せ て い ま す。 ま た
英国に対しても同等の権利
らかに中国のこと指してい
勲章や称号をもらったから
変 わ り あ り ま せ ん。 し か し
し ま す か ら、 そ れ は 今 で も
商 業 を 許 可 す る 場 合 に は、 時 に 勲 章 や 称 号 を あ げ た り
ますが) に同国への通信や
と い っ て、 そ の 国 が 相 手 の
の国家元首とかが訪問した
り ま し た し、 今 日 で も 相 手
ジ ア 自 由 民 主 連 帯 協 議 会」 由がなければ世界が自由に
― 先 生 は 、最 近 あ ら た に「 ア
い た と 思 い ま す。
間、 チ ベ ッ ト 全 土 に 及 ん で
としての権威は過去四百年
て、 そ し て 宗 教 会 の ト ッ プ
ライラマ法王の法の王とし
な る こ と は あ り ま せ ん。 そ
と半分以上がアジアに集中
そして世界の人口からする
存 在 し て い る と い う こ と、
ジアのなかで植民地支配が
か わ ら ず、 い ま 逆 に 同 じ ア
圧にどうしても耐えられな
立 と 共 に、 毛 沢 東 は 「 帝 国
す が、 中 華 人 民 共 和 国 の 成
国、 文 明 大 国 で あ っ た の で
ては中央アジアの軍事大
チベットは2000年 以 上 の 歴 史 を も ち、 か つ
し ょ う か。
て簡単にご説明頂けますで
その他にはどういった要因
た 背 景 に は、 も ち ろ ん 法 王
法王がそうした判断をされ
政 治 的 に 引 退 さ れ、 ロ ブ サ
― 先 般、 ダ ラ イ ラ マ 法 王 が
ん ど ん 進 行 し て い ま す。
す る 重 大 な も の で す。
しての正当性を与えようと
の 権 限 を 移 譲 さ れ ま し た。 者 に チ ベ ッ ト の リ ー ダ ー と
ン・センゲ主席大臣に一切
に、 チ ベ ッ ト 仏 教 界 の 法 王
も う 一 つ は、 法 王 は チ ご自身がご高齢だというこ と も あ る と 思 う の で す が、 ベ ッ ト の 王 様 で あ る と 同 時
せ、 国 民 が 直 接 選 ん だ 指 導
民主化のプロセスを完成さ
ご 健 在 の う ち に、 そ う し た
た。 今 回 の 決 断 は、 法 王 が
い ま す 。選 び 方 に 関 し て も 、
もありうると何度も仰って
変わること自体がないこと
のニーズがなければ生まれ
標 目 的 が あ る か ら で、 時 代
この世にあらわれるのは目
まり観音菩薩の化身として
国 人 で も お か し く な い。 つ
りは別に女性でもいいし外
す。 ま た 自 分 の 生 ま れ 変 わ
て い ま す。
する 「宗主権」 が承認され
よって中国のチベットに対
約 で は、 当 時 の イ ギ リ ス に
また1914年のシムラ条
ベットは中国歴代王朝の庇
チベット」 にだけダライラ
ト 」 は 中 国 に 割 譲 し 、「 外
分 割 し た 上 で 、「 内 チ ベ ッ
海 省、 及 び 四 川 省 の 一 部 に
た と す る 意 見 も あ り ま す。 の 中 国 甘 粛 省、 雲 南 省、 青
護 下、 つ ま り 宗 主 下 に あ っ
マ 政 権 の 自 治 権 を 認 め る と 「 外 チ ベ ッ ト 」 で 、「 内 チ
チ ベ ッ ト 」、 す な わ ち 現 在
在のチベット自治区と 「内
というのが及んでいたのが
法 王 の 政 治 的 な 権 力、 主 権
う の で す が、 ダ ラ イ ラ マ
ベット」 のお話が出たと思
―「内チベット」 と「外チ
の 人、 チ ベ ッ ト の 人 が 集 ま
人、 南 モ ン ゴ ル、 ウ ィ グ ル
当 会 は、 日 本 で ず っ と 活 動してきた中国民主陣営の
は、 岡 倉 天 心、 タ ゴ ー ル、
き た い と 思 い ま す。 第 一 期
自由民主運動を起こして行
し た。 そ こ で 今 回 は そ の ペ マ ・ ギ ャ ル ポ 氏 に、 最 近 の チ ベ ッ ト 情 勢 と チ ベ ッ
ア ジ ア に 真 の 民 主 主 義、 自
民主主義を確立した日本を
ら の 命 を 絶 と う と し た り、 1 2 0 万 人 以 上 の チ ベ ッ ト
まずチベット問題の本質 はダライラマ法王個人の問 認定するであろう法王の権
く と も、 敵 側 が 自 分 た ち の
て い ま す の で、 法 王 は 少 な
認定せねばならないと言っ
で 生 き る の で、 後 継 者 に 関
自 身 が、 自 分 は 1 1 3 歳 ま
が 可 能 で す。 た だ 最 近 は ご
ついても制度を変えること
た け れ ど も、 今 後 は そ れ に
に チ ベ ッ ト へ の「 宗 主 権 」 民地支配を正当化する考え
を 切 り 離 す た め に、 便 宜 的
い る ロ シ ア か ら、 チ ベ ッ ト
インドに南下しようとして
に東で台頭してきた日本と
想 は、 正 直 言 っ て 西 欧 の 植
わ け で す。 私 は こ う い う 発
国の緩衝国にしようとした
立 さ せ、 英 国 領 イ ン ド と 中
まずシムラ条約に関して このようにしてイギリスは で す が、 こ れ は 英 国 が 新 た 「 外 チ ベ ッ ト 」 を 事 実 上 独
で し ょ う か。
に分散していたということ
いうのは地方の王侯や貴族
も、 実 際 の 政 治 的 な 権 力 と
の権威は及んでいたけれど
い う も の で し た。 つ ま り、 ベ ッ ト」 と い う の は、 法 王
し た。
という考えから結成されま
かねばならない時期にきた
によっては連帯を組んでい
意見交換をしたり時と場合
り ま し て、 そ れ そ ろ 全 体 が
の た め に、 主 権 平 等 の 原 則
ア ジ ア の 自 由 と 独 立、 平 和
はその精神を継承して真の
や り ま し た け れ ど も、 我 々
ガ ン デ ィ ー、 ネ ル ー た ち が
孫 文 、 チ ャ ン ド ラ・ボ ー ス 、
中 心 に、 ア ジ ア の 第 二 期 の
人がこの侵略によって犠牲 題 で は あ り ま せ ん。 チ ベ ッ 限を濫用できないように先
ト が 直 面 す る 問 題 に つ い て イ ン タ ビ ュ ー を 行 い ま し た。
し て い る こ と か ら し て も、
い、 あ る い は こ の ま ま だ と
で も あ ら れ ま す。 北 京 政 府
いままでは法王が亡くなっ
昨 年 月 頃 か ら、 チ ベ ッ ト全土が緊張に包まれてお 実際それでなくなった方も に な っ た の で す が、 今 日 に ト人600万人の自主独
しては
め に、 チ ベ ッ ト 問 題 に つ い
― 最 近、 チ ベ ッ ト の 内 部 で
文化的にも抹殺され同化さ が あ る の で し ょ う か。 法 王 としては最近いわゆる活仏
に な り、 そ の た め に 議 会 制
を 招 い た 形 で す。 と し て、 文 化 的 な 侵 略 が ど 手続きを進めてこられまし くそう仰っていると思いま
属国だということにはなら
を 発 足 さ れ ま し た が、 そ れ
こ で こ れ か ら、 ア ジ ア の 中
中国のチベット支配に対し
主義者からの解放」 という の後継問題も含めてお答え
てから転生者の子供を探し
ペ マ ・ ギ ャ ル ポ 氏 が 中 心 と な り 「ア ジ ア 自 由 民 主 連 帯 協 議 会」 が 結 成 さ れ ま
て抗議運動が再燃していま れてしまうということに対 名 目 で 軍 隊 を 送 り、 平 和 な すべてを共産党の宗教長が
―前提知識を欠く読者のた
家 の 関 係 )」 と 呼 ば れ 、 チ 「 外 チ ベ ッ ト 」、 す な わ ち 現
な い で し ょ う。
についてお話いただけます
でいち早く法治国家として
す が、 こ の 状 況 を ど の よ う し て、 危 機 感 を 感 じ て い る 願 い ま す。
2 0 0 8 年 の チ ベ ッ ト 騒 乱 以 来、 近 年 の チ ベ ッ ト を 取 り 巻 く 状 況 は 険 悪 化 の 一 途 を た ど っ て い ま す。 そ う し た な か、 当 会 の 顧 問 に し て 国 際 政 治 学 者 の
で し ょ う か。
に 見 て お ら れ ま す か。 人 達 が、 命 が け で 抵 抗 し、 国 チ ベ ッ ト を 力 づ く で お さ
り ま す が、 こ の 原 因 と し て 多 く い ら っ し ゃ い ま す。 至っても中国はチベットを
立 、民 族 自 決 権 の 問 題 で す 。 手 を 打 っ た と 考 え て い い の
世 紀 ( 1 6 4 2 年 )、 ダ
そ れ に 関 し て、 チ ベ ッ ト は
の時に宗政一致の政治制度
述 し た よ う に、 第 五 世 法 王
で は な い か と 思 い ま す。 上
ま す。
あわてる必要はないと思い
そういう意味ではあんまり
で 、彼 ら は 中 国 の 「 宗 主 権 」 清 朝 の 時 代 に お い て 宗 主 下
当時の英国は二枚舌ですの
も の に 過 ぎ ま せ ん。 し か し
え よ う と 仰 っ て い る の で、 れ を 中 国 に 認 め た 政 治 的 な
にあったとする人もいます
れ を も っ て、 チ ベ ッ ト が
次に「チュ・ユン」 につ い て も、 学 者 に よ っ て は こ
だ と 思 い ま す。
い っ て、 チ ベ ッ ト は 統 一 国
す る 問 題 で あ り、 だ か ら と
中央政府の行政能力に発端
ま し た。 し か し そ れ は 単 に
的にはそういう時代があり
中でのチベットにも現実
日本にも戦国時代があっ た よ う に、 た し か に 歴 史 の
アの国々が欧米の植民地か
争の結果として多くのアジ
て い ま す。 せ っ か く 先 の 戦
には大体中国が見え隠れし
国 が 存 在 し、 し か も そ の 裏
必ずしも確立されていない
は民主主義とか自由人権が
ど、 ま だ ま だ ア ジ ア の 国 に
北 朝 鮮 や、 最 近 は 改 善 さ れてきましたがビルマな
す。
ど、 よ ろ し く お 願 い 致 し ま
さまにはご指導ご鞭撻のほ
し た。 今 後 と も 呉 竹 会 の 皆
激励の言葉を頂戴いたしま
ま わ り、 先 日 の 発 足 会 で も
頭山先生にもご協力をた
と 思 い ま す。 ま た 当 会 は、
いながら活動していきたい
が あ り ま す。 二 番 目 は、 チ
に漢族が原住民族を上回っ
と の 戦 い 」 を 始 め て か ら、 も 同 じ。 そ れ は も う う す で
た。
渡る支援を貫き通しまし
(編 集 部)
を相互に尊重して協力し合
こ の 時 代 に お い て、 未 だ に ライラマ5世の時代から宗
が 確 立 し、 そ し て 第 十 四 世
を認める一方でチベットの
が、 こ う し た 国 家 間 に お け
家じゃなかったということ
ら解放され独立したにもか
の政府は一年もたたずに崩
ウ イ グ ル の 独 立 運 動 を 「テ
と い う 概 念 を 作 り だ し、 こ
植民地支配が存在している 政 (祭政) 一致でやってき
が歴史上それに終止符を打
― 歴 史 に つ い て お 尋 ね し ま 「 自 治 権 」 を 擁 護 し、 そ の
る、 権 威 を 承 認 す る 称 号 の
に は な り ま せ ん。 そ し て ダ
を 拠 点 と し て 「東 ト ル キ ス
壊 し、 共 和 国 の 指 導 者 は イ
てしまったということを世
歳になってから考
人に中国の正月をやるよう
と い う こ と は、 極 め て 時 代 ま し た が、 法 王 は イ ン ド に
代 償 と し て、 例 え ば チ ベ ッ
授受は当時どこの国でもあ
世紀の
ベ ッ ト で は 結 社 や 集 会、 思 半ば強制的に促したため
錯誤的であると言わざるを
つ と い う こ と は、 チ ベ ッ ト
す 。清 朝 の 滅 亡 以 後 、チ ベ ッ
トが他の外国 (ここでは明
え て し ま い ま し た。 そ し て
は、 第 一 に、 中 国 の 公 安 部
100万の軍事力によって
想 や 信 仰、 表 現 の 自 由 が に、 そ れ に 対 す る 反 発 が 起
え ま せ ん 。中 国 の 内 部 で は 、 き た 当 初 か ら 、 時 代 が 民 主
の歴史に重要な1ページと
トは一旦事実上の独立を果
支 配 し て い ま す。
な く、 特 に 2 0 0 8 年 の 騒 こ り ま し た。 チ ベ ッ ト の 人
化の方向に進んでいるとい
して残るであろうと思いま
なかには焼身自殺を図り自
隊による弾圧が挑発的な結
さらに今年は中国とチ ベットの正月が別々なので
乱以降は取締りが非常に強 たちは自分たちの正月は自 チ ベ ッ ト、 ウ イ グ ル、 南 モ
うお考えを一貫してお持ち
す が、 政 府 当 局 が チ ベ ッ ト
化 さ れ て、 平 和 的 な デ モ を 分たちでやるということ ンゴルなどが数においてマ
果を生んでいるということ
やることすら極めて難しい で、 中 国 の 正 月 は お 祝 い し
す か。
タ ン イ ス ラ ー ム 共 和 国」 が
ロ」 呼 ば わ り す る 中 国 の 弾
建 国 さ れ ま し た。 し か し 残
を 開 始 し ま す。 そ し て
リに戻って国民党掃討作戦
念ながら東トルキスタンが
年、 つ い に ウ ル ム チ ま で あ
主を務めるなかでつつが
本 催 事 は、 こ う し た 歴 史 の 縁 に 因 み、 頭 山 満 翁 独 立 す る と、 ソ 連 は、 同 国
と100キロというところ
そしてついに明治 年 ( 1 8 8 4 年 )、 金 先 生 は
な く 営 ま れ ま し た。 当 日
界 に 知 ら れ た ら、 反 発 を 招
世界会議のルールとして は2期以上の再選は認めら
に含まれるトルコやカザフ
今 の ウ イ グ ル を、 も っ と ひどい状態にさせてしまっ
に中国政府が発表したウイ
開化派の指導者として朝
バーが自分達で決めてやっ
に連行されているという事
た ち が、 強 制 的 に 中 国 本 土
なって若いウイグル人女性
2 0 0 6 年、 2 0 0 7 年 に
家として政治的に独立して
た あ と、 ウ イ グ ル 民 族 が 国
て清国が辛亥革命で崩壊し
う ん で す が、 た と え ば か つ
り ま し た。 そ う し た な か、 く の 日 本 人 は 知 ら な い と 思
がいっぱい入るようにな
い た こ と は あ る の で す か。
ト ル キ ス タ ン 共 和 国」 の 独
リ 地 方 で 暴 動 が 発 生 し 、「 東
ま す が、 1 9 4 4 年 に は イ
その後しばらくたってウ イグルは国民党に支配され
し ま い ま す。
同国を半年後に崩壊させて
物に軍事的な支援を与えて
回族軍閥の馬仲英という人
た ら し い の で す。 だ か ら ウ
にするという密約を交わし
に、 ウ イ グ ル を 中 国 の も の
ンゴル編入を認める代わり
党 の 間 で、 中 国 が ソ 連 の モ
言 い 分 に よ れ ば 「平 和 的 に
た ん で す ね。 そ れ 以 来、 中
まま世界に公表してしまっ
でっちあげたリストをその
ベ ル の「 テ ロ リ ス ト 」 に
動家をアルカイダと同じレ
の 後 わ か っ た 事 実 で す が、 て、 中 国 側 が ウ イ グ ル 人 運
解 放」 し て し ま い ま す。 そ
国は堂々とウイグル人を弾
で、 中 国 の 支 持 を 必 要 と し
ために安保理常任理事会
の人口は1500万から
発 表 に よ れ ば、 ウ イ グ ル 人
な い で す。 で も 人 類 学 者 の
ルの確実な人口は今は掴め
え て い る。 で す か ら ウ イ グ
月で人口が120万人も増
表 し て い る ん で す ね。 数 カ
グルの人口は840万と発
で の 中 国 の 文 書 で は、 ウ イ
営 ま れ ま し た。 本 催 事
覚 金 玉 均 先 生 墓 前 祭」 が
さる平成 年3月 日 、青 山 墓 地 に お い て「 先
当 時、 明 治 維 新 を 成 し 遂
う に な り ま す。 そ こ で
の現状に危機感を抱くよ
閥政治に明け暮れる朝鮮
ために開化派への支援を
いた清国の存在を恐れた
事大党の後ろ盾となって
す が、 守 旧 派 で あ る 事 大
を断行し実権を掌握しま
多岐にわたるテーマで議
く さ れ ま す ( 甲 申 事 変 )。 所 を 移 し て 催 さ れ た 勉 強
党の反動によって失脚し
論 を 交 わ し ま し た。 ま た
こ の と き 我 が 国 政 府 は、 会 で も、 多 く の 参 加 者 が
我が国への亡命を余儀な
先生の没後120年を迎
空 模 様 で あ り ま し た が、
が蕭々と降るあいにくの
て大東塾の福永武氏が斎
て お り ま す。
実 を 知 っ た の で す。 私 は こ
のウルムチ事件の2ヶ月後
の精神の継承者である頭
れ て い ま せ ん。 し か し 今 回
ス タ ン、 ウ ズ ベ キ ス タ ン、 ま で き た と こ ろ で、 ソ 連
たのはアメリカなんです
グル人の人口は960万人
の思想を抱くようになり
の会議でみんなの意見を聞
は共和国軍に一カ月以上も
ね。 ブ ッ シ ュ 政 権 が、 自 分
くので公表しなかったので
い て、 そ の 結 果 み ん な が ま
キルギスタンなどの諸民族
待 っ た を か け、 そ の 間 に 中
は強風が吹きすさび小雨
山 興 助 会 長 が 祭 主、 そ し
た彼女にやってほしいとい
も独立を求めだすことを恐
鮮内政のクーデター計画
ま し た。
覇 権 を 拡 大 さ せ よ う と す る 中 国 に 対 し 向 き 合 わ な く て は な ら な い 日 本 が、 ウ イ グ ル の 現 実 を 直 視 す る こ と は 重 要 で あ り ま す。 世 界 ウ イ グ ル 会 議 日 本 代
う こ と で あ れ ば、 も う 一 期
で し た。 し か し 同 年 5 月 ま
は な い か。 2 0 0 9 年 7 月
表のイリハム・マハムティ氏に中国による少数民族弾圧政策の歴史や現在の
の反テロ戦争を正当化する
現在の世界会議の日本支 部 も、 私 が 代 表 を 務 め る
れまで自分の家族や友人に
名 ほ ど の 参 列 者 を 得、
―まず最初に世界ウイグル
日本ウイグル協会が主体
配慮して我慢していたので
ナ モ 収 容 所 に は、 無 実 の 罪
圧 し、 ア メ リ カ の グ ア ン タ
よ う で す。
2000万人は確実にいる
として甲申事変を起こし
は、 朝 鮮 開 化 派 の 指 導 者
げ、 国 家 の 近 代 化 を 推 し
徹底しえなかっただけで
志で準備を進めることな
え る 再 来 年 に 向 け て、 有
閉式後近くの会議場に場
イグルが今日のようなこと 立 が 宣 言 さ れ ま し た。 こ
に な っ た の は、 ロ シ ア の 責 れは共産ソ連がバックアッ
―ウイグルの歴史背景を多
会 議 と、 日 本 に お け る イ リ
の協力と支援のもとで正式
世 界 ウ イ グ ル 会 議 は と な っ て お り、 同 協 会 は ミ ュ ン ヘ ン に 本 部 を 置 き、 2 0 0 8 年 6 月 に 世 界 会 議
ハム氏のご活動についてお
に 立 ち あ が っ た も の で す。
年、 実 は ソ 連 と 中 国 共 産
2004年に設立された世
ど も 話 し 合 わ れ ま し た。
現 在 の 我 が 国 日 本 が、 米国による覇権に追従し
進 め て い た 日 本 を 訪 れ、 な く、 金 先 生 の 亡 命 以 降
て い る 状 況 下 に あ っ て、
も清国の顔色を伺って北 任 も 大 き い で す よ。
朝鮮国家の独立とアジア
福 沢 諭 吉 や 大 隈 重 信、 渋 プ し た も の で す か ら、 イ ス
の団結を目指した金玉均
たことで知られる金玉均
清朝が1911年に孫文 の 勢 力 で 倒 れ た あ と も、 中
命生活を献身的に援助
先生の事績は再評価に値
を着せられたウイグル人が す が、 将 来 民 族 の 母 親 た ち
で 、現 在 は ラ ビ ア・カ ー デ ィ
ル 氏 が 議 長 を 務 め ま す。 会
し、 な か で も 玄 洋 社 の 頭
し ま す。 そ の 意 味 で 本 祭 し て 受 け 入 れ た」 と い う こ
イ グ ル 人) は 私 た ち を 歓 迎
た が、 中 国 人 の 人 口 は 発 表
去年中国が第6回の全国 的な人口調査を行いまし
ル人は
国人は
清 国 へ の 追 従 を 続 け、 門
折 本)
し て ご 報 告 と 致 し ま す。
(青 年 部
が放った刺客の凶弾にた
を 意 味 す る 「 三 和 主 義 」 お れ る ま で の 間、 公 私 に
(編 集 部) 班 の 出 身 で あ り な が ら、 韓 の 三 国 が 団 結 す る こ と
と官僚による数万人だっ
年にはソ連と中国の
ソ 連 の 傀 儡 国 家 で し た。 さ
と で す。 中 国 に 反 発 す る の
た。 チ ベ ッ ト も、 モ ン ゴ ル
の人口は発表しませんでし
た ん で す よ。
し た。
山満翁を中心とする興亜
海道や小笠原などの僻地 ラームという言葉はなく ― 「平 和 的 に 解 放」 し た と
議はアメリカを始め世界
副 島 種 臣 や 、『 大 東 合 邦
陣 営 の 一 派 は、 金 先 生 が
沢栄一ら政財界の要人と 国 の 考 え 方 は、 清 朝 の 領 土
な っ た ん で す ね。 し か し 同
いうのはそんなに重要な事
各国に支部を展開していま
17
し た け れ ど も、 ウ イ グ ル 人
― 近 年、 ア メ リ カ が 「テ ロ
自主独立の気概を喪失し
論』 の 著 者 で あ る 樽 井 藤
先 生 の 命 日 に 合 わ せ、 御 は全部自分達が支配する
国は政治と軍の指導者の多
なのですか?
た ん で す よ。 し か し 最 近、 国 ロ シ ア に よ る 東 方 侵 略
吉らの興亜思想に強い影
また民族構成について も、 1 9 4 9 年 ウ イ グ ル 人 になる若い女性がウイグル
と い う も の で あ り、 彼 ら は
くがコミンテルンで共産主
す が、 そ れ ぞ れ の 支 部 は も
、8人も収容されていま
―イリハム氏が日本で活動
ウイグル人に教育を与えず
義教育を受けたロシア人で
ともと独立した組織が主体
の脅威が忍び寄る朝鮮の
に 彼 を 移 送、 軟 禁 す る あ からいなくなってしまった
動物のような扱いをしまし
あ り、 そ の 後 二 年 間 国 家 と
つ ま り「 平 和 的 に 解 放 」 すか? さ れ た の だ か ら 、「 彼 ら ( ウ
忠清道で生を受けまし
交 流 を 深 め る な か で、 朝 ら、 民 族 が 根 た や し に さ れ
た。 そ れ は 国 民 党 時 代 も
して存続しますがほとんど
% 以 上 に、 ウ イ グ
2 0 0 9 年 の 発 表 で は、 中
霊を慰めそのご遺徳を顕 て し ま う と、 も う こ れ 以 上
今の共産党時代も同じで
らに
事がすこぶる有意義な催
の人口は300万で全体の
を始められるまでの経緯に
我慢はできないと思って活
す。 そ う し た な か で、 ト ル
頭山翁の反対をおして渡
しとなりましたことを付
り さ ま で し た。
つ い て お 伺 い い た し ま す。
動 を 始 め ま し た。
コやロシアで行商を営んで
響 を 受 け た 先 生 は、 西 力
航した先の上海で袁世凱
鮮の近代化による自主独
私は2001年の 月に 初 来 日 し て か ら、 自 費 で
― 今 年 の 5 月 に は、 世 界 ウ
た。 金 先 生 は、 同 国 の 伝
東漸の勢いに対して日清
彰することを目的に毎年
コンピューターの専門学校
イグル会議の第4回代表
%に落ちてしまっ
統的な支配階層である両
% だ っ た ん で す ね。 そ の
に な っ て お り ま す。 よ っ
に通いながら日本語を勉強
間 で 取 引 が 成 立 し、 ウ ル ム
は 僅 か の 人 た ち だ と。
立を志向するようになり
て、 そ の 構 成 も、 そ れ ぞ れ
し ま し た。 そ の 後 2 0 0 5
いたウイグル人がふるさと
チで共和国と国民党の連合
営 ま れ て き た も の で す。
の組織が自主的に世界会議
大会が東京で開催されます
の悲惨な状況を知って独立
政 府 が 作 ら れ ま す が、 も と
時の中国人の人口は僅か
の趣旨に賛同して傘下に入
年にはIT企業に就職しま
が、 そ の 際、 場 合 に よ っ て
運 動 を 開 始 し、 そ の 結 果
もと思想が全く違うのでこ
―最近のウイグルの人口及
る か た ち を と っ て お り、 支
し た が、 コ ン ピ ュ ー タ ー を
はラビア・カーディル氏が
1933年にはカシュガル
こ れ に 対 し、 我 が 国 の 民 間 志 士 は、 金 先 生 の 亡
部の運営も大枠では本部の
使 う 仕 事 柄、 ウ イ グ ル の
再選される可能性もありま
4 %、 す べ て 国 民 党 の 軍 人
指 示 に 従 い ま す が、 そ れ
状況に関する悲惨な情報
40 45
20
50 び民族構成に変化はありま
以外は現地に滞在するメン
47
10
85
聞 か せ 下 さ い。
界最大のウイグル人組織
17
49
金 先 生 は 1 8 5 1 年、 ま し た。 と く に 元 外 務 卿 西 欧 列 強、 な か ん ず く 大 で 興 亜 会 の 領 袖 で あ っ た
47
す。
国共産党は同地域を彼らの
圧 は 悪 化 し て い ま す か。
90
れ た た め、 甘 粛 省 か ら 来 た
31
17
21
続投ということもありえま
イリハム・マハムティ氏 インタビュー
先覚金玉均先生墓前祭
状 況 で す か ら、 こ う し た 弾
12
問 題 つ い て イ ン タ ビ ュ ー を 行 い ま し た。
24
ペマ・ギャルポ(Pema Gyalpo) 昭和 28 年(1953 年)、チベットのカム地 方ニヤロン(現在の中華人民共和国四川 省)生まれ。チベット出身の政治学者、 桐蔭横浜大学法学部教授、拓殖大学海外 事情研究所客員教授、岐阜女子大学名誉 教授、岐阜女子大学南アジア研究センター 長、世界戦略総合研究所評議員。
第 967 号
年 4 回発行
動 運 年 青 紀元 2672 年 平成 24 年 4 月 15 日 (5)
育 は 「ゆ と り 教 育」 を 見
て き て い る の だ。 学 校 教
うな行いが日常茶飯で出 ずれも日本人の奥ゆかし
い う 言 葉 も 存 在 す る。 い
め た 「も っ た い な い」 と
る意味で日常的に使われ
れにつながる行為を戒め
に な っ て い る 状 態 や、 そ
生かしきれておらず無駄
り か、 親 自 身 が 大 き な 声
る子供を注意しないばか
病院の待合室で騒いでい
例 で あ る。 そ の ほ か に も
常識な振る舞いは端的な
の で あ る。 我 欲 は わ が
麻痺させてしまっている
の別をわきまえる感覚を
我 欲 の み が 突 出 し、 公 私
れ ば か ま わ な い」 と い う
ま ま に な り、 飽 食 の 時 代
て い る。 で会話に夢中になってい
に は バ ブ ル を 生 み、 物 を
さとも呼ぶべき知恵では
る 姿 や、 道 端 に 平 然 と ご
な い か。 自由謳歌の時代と精神的
み を 捨 て て 歩 く 者 な ど、 大 切 に し な く な り、 消 費
直 し、 子 供 た ち に 規 範 の
言語
あることを重点的に教え る こ と に な っ て き た。 し ま ず 、「 も っ た い な い か し、 家 庭 教 育 と い う 一 種 の 躾 が し っ か り 施 さ れ ( 勿 体 無 い )」 と は ど う
呉竹会青年部
あ る。 し か し、 今 回 話 す
他から称讃されることも
行 い で あ れ ば、 か え っ て
人を超える豪傑のような
が、 こ れ も 時 と し て 一 般
行 為 に 遭 遇 し た 時 だ。 だ
の か、 と 思 わ れ る よ う な
の価値からみて如何なも
に社会的なごくごく普通
な か っ た 振 る 舞 い、 と く
る。 こ ち ら が 想 定 し て い
時として人の行いに唖 然とさせられることがあ
かない行い
公私の分別がまったくつ
し い 時 だ け に、 朝 食 も 落
早朝の時間のない慌ただ
える社会規範から大きく
だ。 こ の 行 為 は、 私 の 考
りながら走っていったの
の 女 性、 菓 子 パ ン を か じ
な い 行 為 だ が、 な ん と こ
違 っ た。 そ れ だ け で も 危
二十代前半の女性とすれ
いよく駆け超えていく
の こ と で あ る。 こ れ を 勢
レーターに乗っていた時
へと向かう下りエスカ
り駅で改札を通りホーム
が、 こ れ ら は 一 体 ど の よ
に女性が化粧をしたりす
さ ら に、 車 内 で 大 き な 声 で 話 を し た り、 鏡 片 手
い 」 な ら ぬ 「 駆 け 食 い 」 ま っ て い る の だ。
で あ る。 ま さ に 「立 ち 食
うな理由で行われている
い 」 振 る 舞 い で あ っ て、 る 光 景 も 多 々 見 か け る
逸 脱 す る 実 に 「は し た な
の だ ろ う か。
という感覚が麻痺してし
で物を食べるべきでない
る。 い や、 本 来、 電 車 内
わきまえていないのであ
い。 時 と 場 所 を ま っ た く
張る姿は見るに堪えな
菓子やハンバーガーを頬
在来線で平気でスナック
飲食する若者が実に最近
なくなってしまっている
ま ず 第 一 に、 公 的 空 間 と私的領域の分別がつか
思 っ て い る。
ら由々しき問題であると
こ の 現 象 が、 次 の 三 点 か
い る の で あ ろ う が、 私 は
このような行為に及んで
で は な い か。 恐 ら く 時 間
てその行為を続行するの
く る か、 ま っ た く 無 視 し
ん な こ と、 ど こ に も 書 か
と 注 意 す れ ば 、「 別 に そ
これまで人々が社会の 中 で 規 範 を 持 ち、 公 私 の
う こ と に な り か ね な い。
を、 自 ら が 放 棄 し て し ま
間が規範を体得する場
は、 社 会 的 存 在 で あ る 人
う 感 覚 な の だ。 こ れ で
いるほうが心地よいとい
ピューターと向き合って
え て い る。 人 よ り も コ ン
を拒否する若者たちが増
あ る が、 人 と 交 わ る こ と
が な い こ と に か ま け て、 で い く こ と が 往 々 に し て
楽 列 車 な ら い ざ し ら ず、 れ て い な い」 と 反 論 し て
増 え て い る。 新 幹 線 や 行
こ と だ。 第 二 に、 自 己 中 分別をつけ生きてきた知
ていくことによって学ん
ミュニケーションを取っ
て く 過 程 で、 人 と 人 の コ
い。 そ れ ぞ れ が 成 長 し
になってしまいかねな
者たちが増えていくだけ
ルールが身に付かない若
域の延長によって社会の
の念をもって接する気持
に 対 し て、 慈 し み や 感 謝
が 宿 る と さ れ、 森 羅 万 象
息 の 一 つ 一 つ」 に ま で 命
る 桜 の 花 び ら 」 や 、「 吐
た 、神 道 に お い て は 、 「散
言 葉 と い わ れ て い る。 ま
し み、 嘆 く 気 持 ち を 表 す
べき姿がなくなるのを惜
す る 語 で、 物 の 本 来 あ る
体 ( も っ た い )」 を 否 定
虚に物を大切にしようと
的 確 で あ り、 慎 ま し く 謙
を諌める言葉としては
でも残して余りある贅沢
時代のように何でもかん
の だ。 も ち ろ ん、 飽 食 の
るように思えてならない
例えとして用いられてい
質的な存在を計量化する
ず る と こ ろ に よ れ ば、 物
味 で 使 わ れ て い る。
ほ ど 見 苦 し い」 と い う 意
在 で は こ の 「見 た く な い
い う 意 味 に 派 生 し た。 現
く な い ほ ど 見 苦 し い」 と
が、 時 代 と と も に 「見 た
い」 と い う も の で あ っ た
味 は 文 字 通 り 「見 た く な
た も の で あ る。 本 来 の 意
れ る も の と 思 わ れ る。 も
律する言葉として用いら
ち居振る舞いや生き方を
れて精神性の高い人の立
か。 私 に い わ せ れ ば、 優
が出現してしまった感が
の、 長 ら く 無 規 範 な 社 会
無秩序とはいわないもの
張 さ れ た 結 果、 ま っ た く
主・人権という概念が誇
ざ る を 得 な い。 自 由 ・ 民
えてしまっているといわ
が社会に大きな影響を与
間に対する軽視の考え方
の が 、「 見 た う も な し 」 る こ と に あ る の で は な い
と も と は「 見 た く も な
否 め な い。
と な り 、「 見 と う も な い 」 か 。 と く に 戦 後 、 公 的 空
し」 と い う 言 葉 で あ っ た
流 れ て し ま っ て い る。 そ
範作りが欠如してきてい
自治体を挙げての社会規
育 の 不 統 一 性、 国 や 地 方
教 育、 学 校 教 育、 社 会 教
ま っ て い る 原 因 は、 家 庭
が、 こ れ ら を 許 し て し
見受けられるのである
ま さ に「 み っ と も な 一 方 、「 み っ と も な い 」 と は ど う い う こ と な の い」 様 が あ っ ち こ っ ち で
気概を体得していきたい
ことは実にありがたいこ
世界に啓蒙してもらった
ば な ら な い。
を今こそ立て直さなけれ
なくなってしまった社会
的とした公私のけじめが
我 欲、 物 欲、 金 銭 欲 の みに自己実現の達成を目
の が 現 在 で は な い の か。
られなくなってしまった
て、 価 値 の 区 別 が 見 定 め
物質的な大量消費によっ
追 求 に な っ て い る。 こ の
め儲け続けるという利潤
C M で 流 し、 生 産 性 を 高
し ま っ た。 企 業 は テ レ ビ
覚が人々に付いていって
権の参加によって一変し
が2006年に締結した
れ、 も と も と 4 つ の 小 国
まずTPPの問題に触
お 伝 え 致 し ま す。
会の概要を読者の皆様に
す。 こ こ で は、 そ の 勉 強
日本両支部との共催のか
一 環 と し て、 た ち あ が れ
は、 当 会 青 年 部 の 活 動 の
催 致 し ま し た。 こ の 催 し
を講師とする勉強会を開
井げんき呉竹会代表幹事
浦 安 市 第 一 支 部 に て、 藤
月
2 月 日、 た ち あ が れ 日 本 豊 島 区 第 一 支 部、 3
の超富裕層と
%の勤労
と こ ろ で 藤 井 氏 は、 今 日 の ア メ リ カ で は、 1 %
も の で も あ り ま せ ん。
と っ て は、 災 厄 以 外 の 何
る が、 そ れ 以 外 の 人 々 に
拡大することは福音であ
イ・チ リ・シ ン ガ ポ ー ル ) 推 進 し グ ロ ー バ ル 市 場 を
い う 言 葉 を 逆 輸 入 さ れ、 ( シ ン ガ ポ ー ル ・ ブ ル ネ
ワンガリ・マータイ女 史 に 「も っ た い な い」 と
たものであることを述べ
「 自 由 」 に つ い て い え と だ が、 我 が 国 の 価 値 と 自 由 貿 易 協 定 で あ る T P 残 念 な が ら、 こ の 「見 た く な い ほ ど 見 苦 し い 」 ば 、 履 き 違 え た 「 自 由 」 し て 、「 み っ と も な い 」 P が 、 リ ー マ ン ・ シ ョ ッ
と は、 仏 教 用 語 の 「 物 「 見 と も な い 」 と 変 化 し
い う 言 葉 で あ る。 も と も
の 「駆 け 食 い」 も さ る こ
と 思 う。
株主にとってはTPPを
これらの企業の経営者や
層推進させる経済政策よ
PPのようなデフレを一
政策の中心にならなくて
再 構 築 す る こ と が、 経 済
れ ゆ え に 氏 は、 中 間 層 を
と 藤 井 氏 は 考 え ま す。 そ
た 場 会、 幸 福 な 国 だ っ た
し た が、 国 民 経 済 を 考 え
会』 と 皮 肉 っ た り も し ま
れ て い る と の こ と で す。 ス コ ミ は 『一 億 総 中 流 社
藤井げんき 国際政治塾
の は、 些 細 と い え ば 些 ち着いて取れないのかも の 履 行 で あ る 。 第 三 に 、 恵 と し て 、「 み っ と も な
心の我欲を優先する意識
境 保 護 活 動 家 ワ ン ガ リ ・ い う 価 値 観 を 生 み、 現 在
の 結 果 、「 自 分 さ え よ け
をすれば大丈夫という感
細 な こ と で あ る が、 最 近 し れ な い が、 あ ま り に も
落 で あ る。 こ の よ う な 感
で あ る。 も し 若 者 た ち 「 恥 の 概 念 」 の 絶 対 的 欠
近くにいる大人や周り の人々も見て見ぬふり
覚がなくなってしまって
と な が ら、 電 車 内 で の 非
枚 挙 に い と ま が な い。
あっちこっちでよく見か マナーに欠けていると に 、「 電 車 内 が 公 的 空 間
で は、 物 の 価 値 を 十 分 に
い う こ と な の か。 私 が 感
け る、 ど う も 気 に な っ て 思 っ た。 で あ っ て、 物 を 食 べ た り
マータイ女史が世界に広
な か っ た な ら ば、 私 的 領
し ま う 出 来 事 だ。 この女性のケースはさ すがに極端な例かもしれ 化 粧 す る の は よ く な い 」 い る か ら こ そ、 前 記 の よ
日、 た ち あ が れ 日 本
たちで実現したもので
い 」 と い う 言 葉 が あ る。 ち を 表 し て い る。 そ の 心
場 面 で 見 受 け ら れ る。 先
光 景 が 日 々、 さ ま ざ ま な
放 棄 し、 た だ 「放 縦」 に
を 受 け 入 れ 、「 責 任 」 を
と も に、 我 々 自 身 が そ の
を内外に発信していくと
ク後の大不況克服を目論
藤 井 代 表 幹 事 は、 専 門 て 多 国 籍 企 業 の み が 儲 け の 国 際 政 治 の 観 点 か ら、 よ う と い う 仕 組 み が 隠 さ
根 が 「も っ た い な い」 と
む ア メ リ カ・ オ バ マ 政
流 階 級(ミ ド ル ク ラ ス)
で あ る』 と 言 う こ と の 出
来 た 国 で あ り、 当 時 の マ
ま た、 改 め ら れ た 教 育 基 本 法 の も と、 2 0 0 8
す こ と に な り ま し た。
育委員の権限が重みを増
の 制 度 改 正 に よ っ て、 教
委 員 (今 田 忠 彦 教 育 委 員
市前市長が任命した教育
人はすべて中田宏・横浜
社の教科書を採択した4
ま し た。 ち な み に、 育 鵬
に届けられることとなり
が横浜市全域の子ども達
生かすかと考えた場合
のように歴史の教科書に
て お り ま し て、 そ れ を ど
重ということが挙げられ
基本法に伝統と文化の尊
小浜逸郎委員―改正教育
そ れ か ら 、「 文 化 遺 産 を
る 」 と な っ て お り ま す。 議 会 で 賛 成 多 数 で 可 決
民としての自覚を育て
に 対 す る 愛 情 を 深 め、 国
標 に は 、「 我 が 国 の 歴 史
ま す。 社 会 科 の 教 科 の 目
し、 任 命 す る こ と が 出 来
推 挙 し、 そ の 教 育 委 員 を
景 を 持 っ た 教 育 委 員」 を
長」 が 「保 守 的 な 思 想 背
を持った地方公共団体の
し、 そ の 問 題 点 を 指 摘 し
FTAの例を挙げて説明
狙 い が あ る こ と を、 N A
国の経済体制に組み込む
ゲ ッ ト を 絞 り、 日 本 を 自
メリカは日本市場にター
ま し た。 そ の う え で、 ア
には因果関係が存在する
富の集中と大不況の発生
た 労 働 分 配 率 や、 一 部 の
て お り、 戦 後 最 低 と な っ
者の利害対立が先鋭化し
ル ド 主 義 (世 界 を ひ と つ
最後に藤井氏はアメリ 増 殖 は、 大 恐 慌 の 前 兆 だ と 洞 察 し ま す。 つ ま り、 カ 経 済、 そ し て ワ ン ワ ー
人間に対する富の集中と
の市場に統合しようとす
あ る と 強 く 訴 え ま し た。
が今後の日本には必要で
経済に立脚する経済政策
り も、 内 需 主 導 型 の 国 民
は な ら ず、 そ の た め、 T
月 に、 神 奈 川 教 育 正
宏・ 前 区 長 ) で 採 択 さ 社採択の経緯
横浜市での自由社・育鵬
市教委によって任命され
式を2005年に各区に
式 を と り ま し た。 そ の 方
会から意見を提出する方
運 が 高 ま り ま し た。 そ の
もあり自由社採択への機
した住民からの援護射撃
さ れ る 結 果 に な り、 こ う
採 択」 と い う 請 願 も 採 択
て 「教 育 基 本 法 に 基 づ く
て の 請 願」 が 採 択、 続 い
た 、「 教 科 書 採 択 に つ い
長) ― 特 に 歴 史 の 分 野 で
結 果、 2 0 0 9 年 8 月、 今 田 忠 彦 氏 ( 教 育 委 員
ま す。
ら、 紹 介 し た い と お も い
その採択の理由を紙面 の 都 合、 一 部 抜 粋 し な が
員) で す。
秀 子 委 員、 中 里 順 子 委
長、 小 浜 逸 郎 委 員、 野 木
た い と い う 気 持 ち、 日 本
が、 私 は 日 本 を 元 気 に し
ことが随分出てきます
化、 そ れ か ら 伝 統 と い う
野木秀子委員―特に文
か が 大 切 だ と 思 い ま す。
のような扱いをしている
そういうものについてど
来に夢をはせられるよう
を 持 っ て、 自 分 た ち の 将
も、 日 本 と い う 国 に 誇 り
答申を大切にしながら
て お り ま す。 こ の 視 点 で
と 態 度 を 育 て る」 と な っ
もに適切に表現する能力
し、 公 正 に 判 断 す る と と
多 面 的・ 多 角 的 に 考 察
置けるのではないでしょ
記の仮説は一定の信頼が
市 長 が 主 導 し て お り、 上
れ を 見 る と、 中 田 宏 ・ 前
択されるまでの一連の流
社の保守系の教科書が採
の横浜市で自由社・育鵬
と 記 述 し ま し た が、 今 回
カ国民はTPPに諸手を
さらに特筆すべきこと と し て は、 日 本 で ア メ リ
出 し つ つ 説 明 し ま し た。
組み換え食品をケースに
ス で あ る こ と を、 遺 伝 子
あ り、 物 品 よ り も サ ー ビ
る 可 能 性 が 非 常 に 高 い 』 関税よりは非関税障壁で
に、 や は り 宗 教 や 神 話、 国 際 協 調 の 精 神 を 養 う、 育 鵬 社 の 2 社 が 採 択 さ れ
あ げ、 賛 成 し て い る と 思
の経済は不況に陥ってい
内 の 需 要 は 減 退 し、 一 国
が さ ら に 減 少 す れ ば、 国
大多数の国民大衆の支出
ば、 少 数 の 富 裕 層 に 富 が
メ リ カ の 主 た る 狙 い は、 の で あ っ て、 な ぜ な ら
う え で、 今 回 の T P P
けざるを得ないと述べた
衆 の 支 出 は 少 な く な る。 も、 ア メ リ カ と い う 巨 大
集 中 す れ ば、 当 然 の こ と
問題は集約するとグロー
そ こ で T P P を 推 進 し、 な 帝 国 の 変 遷 に 影 響 を 受
な が ら、 大 多 数 の 国 民 大
バル市場を国家国民より
企業も日本と言う国家
る と い う 意 味 で、 個 人 も
本人に重大な影響を与え
る 動 き) の 行 く 末 は、 日
る数字ではありません
数字はまだまだ納得でき
り ま し た (約 4 % と い う
か と 思 い ま す。 ま た、 こ
出していったのではない
の力が変化の機運を生み
え、 こ れ ら の 地 方 自 治 体
区での採択で1%を超
布 石 が あ り ま し た。 横 浜
か、 調 査 し た と こ ろ 長 い
の教科書が採択されたの
答申から事務局が教科書
し た。 さ ら に、 審 議 会 の
るという方式に変更しま
な ぜ 横 浜 市 で 自 由 社 ・ 派 遣 し、 そ の 調 査 結 果 育 鵬 社 の い わ ゆ る 保 守 系 を 「審 議 会」 に 報 告 さ せ
た 「学 習 実 態 調 査 員」 を
浜 市 教 育 委 員 会 の 「共 通
採 択 で あ り ま し た が、 横
ま た、 2 0 0 9 年 ま で、 行 政 区 各 区 ご と の
考 え ら れ ま す。
書の採択につながったと
を背景にとらえている
大きな流れを世界の歴史
中 の 一 つ、 日 本 の 歴 史 の
中で書かれてる幾つかの
領の歴史的分野の目標の
意識したのは学習指導要
置 き ま し た。
ということをかなり心に
な人物が記されているか
と い う こ と や、 ど の よ う
人として誇りを持ちたい
点 を 持 ち ま し た。
な が ら も、 そ の よ う な 視
いう視点で答申を尊重し
な 子 ど も に 育 て た い、 と
の 力 を 強 化 し、 採 択 地 区
但 し、 今 回 の 横 浜 市 の 事 例 は、 教 育 委 員 の 権 限
う か。
り、 そ う す る と こ れ は 両
対する反対が起こってお
メリカ国内でもTPPに
わ れ が ち で す が、 実 は ア
いると言わざるを得ない
自身で自分の首を絞めて
す。 つ ま り、 ア メ リ カ は
かざるを得ないからで
て、 ワ ン ワ ー ル ド 主 義 の
今後の世界の見通しとし
と 指 摘 し ま し た。 そ し て
重視する点が問題である
思 い ま す。
れ、 教 育 基 本 法 改 正 後 の
が、 採 択 率 が 増 え た こ と
年 を 振 り 返 る と、 採
に は 東 京 都 杉 並 区 (山 田
2011年の教科書採 択で自由社・育鵬社のい 2009年の横浜市の8
は喜ばしいことでありま の
区中8区で自由社教科
わゆる保守系の教科書の
常化連絡協議会が提出し
年
尊 重 す る 態 度 を 育 て る、 る の で あ れ ば、 自 由 社 ・ ま し た。 ま た そ の 際、 ア
ま た、 ケ ニ ア 出 身 の 環
アメリカという国を使っ
私 は 通 常、 交 通 手 段 と して電車を利用してい な い が、 同 様 に 電 車 内 で
なぜ横浜市が 保守系教科書を採択できたか
25
全国シェアは約4%に上
呉竹会 幹事柳毅一郎 (浦安市議会議員)
99
熱弁を奮う藤井厳喜氏
25
す )。 具 体 的 に は 、 横 浜
18
前 回 、自 身 ラ イ フ ワ ー ク の 教 科 書 問 題 に つ い て 、現 場 の 市 議 の 視 点 か ら 寄 稿 さ せ て い た だ き ま し た が 、 今 号 で は 内 容 を 深 め、 横 浜 市 の 育 鵬 社 採 択 の 事 例 を 取 り 上 げ、 そ の 採 択 の 経 緯 を レ ポ ー ト 致 し ま す。
11
飽食の時代と物質的言語
る。 先 日 の こ と だ。 最 寄
呉竹会 幹事木村三浩 (一水会代表)
「もったいない」も大切だが、 「みっともない」はもっと大事。
(6)
紀元 2672 年 平成 24 年 4 月 15 日
動 運 年 青
格段に変化してきたこと
科書問題の人々の意識も
市、 藤 沢 市、 大 田 原 市、 択 率 上 昇 だ け で な く、 教
策として2001年に学
り、 ま ず 日 教 組 の 教 員 対
り採択方法に変更があ
市では2000年代に入
もとにすべてを判断する
止 し、 教 育 委 員 が 答 申 を
あ り ま し た が、 そ れ も 廃
の案をつくるプロセスが
断 の も と、 教 科 書 の 採 択
ム が 円 滑 に な る」 と の 判
中一貫教育のカリキュラ
の教科書を使うことで小
も の な の か、 そ れ か ら 歴
国民として自覚を育てる
い、 ど の よ う な 人 間 を 育
史 に 対 す る 愛 情 を 深 め、 は 何 を 目 指 し て 教 育 を 行
か、 そ れ か ら 我 が 国 の 歴
てるかというところが柱
葉 で あ り ま す。
どれもまっとうな意見 で あ り、 傾 聴 に 値 す る 言
が左翼系に変わった場合
と し ま し た が、 も し 首 長
横浜市全域に配布を可能
守系の教科書を採択及び
を一本化させたことで保
氏 に よ れ ば、 ア メ リ カ ア メ リ カ ば か り で は な く 国 内 ( 中 小 企 業、 農 民、 現 在 の 日 本 も 同 様 で あ
定 し ま し た。
に違いないと藤井氏は断
て不幸な結果をもたらす
国の国民の大多数にとっ
格差が拡大していくのは
ま た 経 済 を 支 え て い た 代、 特 に 『不 安 定 な 多 極 健 全 な 中 間 層 が 消 滅 し、 化 時 代』 と な っ て ゆ く だ
の で す。
校 票 ( 教 科・学 年 ご と に 、 こ と に な り ま し た ( こ の
て昨年の2011年8月
地 区 が 一 本 化 さ れ、 そ し
に 考 察 し、 公 正 に 判 断 し
史事象を多面的・多角的
が教育基本法の目的・目
だ と 思 っ て い ま す。 そ れ
の違いをしっかり理解
し た い 場 合 は 、『 教 科 書
社・育鵬社の2社を採択
前回の自身の記述した 記 事 に お い て、 も し 自 由
りされる可能性があるこ
自虐史観の教科書に総取
関 心 の 場 合、 反 動 と し て
あるいは教科書問題に無
府がTPPを推進してい
が あ る の に、 ア メ リ カ 政
一 般 勤 労 者 等) で も 反 対
足を招き国の経済は衰退
購 買 力 の 減 退 は、 需 要 不
り、 中 間 層 の 消 失 に よ る
していきたいと思ってお
ま し た の で、 今 後 も 開 催
てほしいとの要望があり
参加者からも継続して このような勉強会を開い
ろ う と 話 を 結 び ま し た。
反動としての多極化時
大 田 区、 東 大 阪 市、 呉 市
が、 大 き な 違 い で す。
答申も拘束力なく参考程
標 に 反 映 さ れ て、 そ れ を
どの教科書会社のものを
ているのかというような
そ れ で は 今 回 は、 全 国 シェア4%にまで押し上
4 日、 4 対 2 で 育 鵬 社 が
は じ め て「 つ く る 会」教科書が登場した
度 で あ り、 あ く ま で 教 育
し ま す。 か つ て 日 本 は、 り ま す。
使 用 し た い の か、 各 中 学
る 背 景 に は、 ア メ リ カ 国
げ、 教 科 書 問 題 に 功 績 を
とも付言しておかねばな
2 0 0 1 年 に は、 採 択 率
し、 教 科 書 問 題 を 重 要 視 委員の判断が優先されま
受けて学習指導要領の教 校が1票ずつを投じてい
ことを私自身は意識しま 残した横浜市の採択の経
採 択 さ れ、 晴 れ て 平 成
は 0・0 4 % で あ り ま し
(柳 毅 一 郎)
民 の た め と 言 う よ り も、 国 民 の
% が 自 ら を 『中
り ま せ ん。 年度から新たな教科書
す る 「保 守 的 な 思 想 背 景 す )。 つ ま り 、 こ の 一 連
科の目標に記載されてい
中里順子委員―基本的に
な ど で 採 択 さ れ ま し た。
18
し た。 た) を 廃 止 し、 各 区 校 長
90
10
緯について分析したいと
た。 そ の 後、 2 0 0 5 年
24
年 4 回発行
第 967 号
の た め、 一 度 の 派 遣 団
言 え な い か ら で あ る。 そ
う者があらわれないとも
逸した行動をとってしま
え 込 ん で し ま い、 常 軌 を
め、 大 き な ス ト レ ス を 抱
理された団体行動のた
ら、 娯 楽 施 設 も な く、 管
う に 思 わ れ る。 な ぜ な
成日程の困難さがあるよ
た。 そ こ に、 派 遣 団 の 編
と な る か ら で あ る。 彼 ら
者達が疎開等の対応可能
本土にいる次世代を担う
時 間 を 稼 ぎ、 和 平 交 渉 や
来る限り長く闘うことで
わ れ る。 な ぜ な ら、 出
び万歳突撃を禁じたと言
め、 栗 林 中 将 は、 自 決 及
た の で あ っ た。 そ の た
のできる女性を目標にし
子供と次世代を産むこと
間 人、 特 に 次 世 代 を 担 う
標 に し た の で は な く、 民
生 す る の で あ る。 便 益 の
し な が ら、 例 外 も 時 に 発
い っ た 具 合 で あ る。 し か
担を負わねばならないと
る な ら ば、 そ れ 相 応 の 負
ば、 便 益 を 受 け よ う と す
こ と が 多 々 あ る。 例 え
さ て、 人 間 の 社 会 生 活 は、 表 裏 一 体 で 成 立 す る
か っ た の で は な い か と。
ど 存 在 せ ず、 我 が 生 が な
な ら ば、 小 生 の 祖 父 母 な
をせず早急に諦めていた
日でも長く奮闘すること
倒的な不利な環境下で一
事 す る こ と で あ る。 し か
ち、 派 遣 団 員 と な っ て 従
ら 引 き あ げ る こ と。 即
ろ、 自 ら の 肉 体 を 使 い、 先 人 方 を 土 砂 の 中 か
で あ る。
英霊に手を合わせること
ち、 靖 國 神 社 へ 参 拝 し、
い、 英 霊 に 直 接 感 謝 の 言 を 述 べ に い く こ と。 即
を 提 案 し よ う。
で は、 小 生 の 考 え る 具 体的な三つの相応の行動
あ る。
に命ぜよと言いたいので
わねばならないことを肝
津波と同時に火が出て大
に 生 活 で き て い る が、 大
そ立ち入りが許され普通
㎞ の 場 所 に あ る。 今 で こ
め だ っ た。 久 之 浜 は 福 島
浜という町に立ち寄るた
北上した場所にある久之
あ っ た。 い わ き か ら 少 し
かったのには実は理由が
原発の関連で家族が働い
あ る だ ろ う が、 こ こ に は
う 。「 色 々 な 感 情 が 当 然
るという話を聞いたとい
上が再稼働に賛成してい
いて意見を聞くと半分以
たちに授業でその事につ
も、 例 え ば 小 学 校 の 子 供
控えているとしながら
す る と、 個 人 的 な 意 見 は
な い と 思 っ て い た。 訪 れ
目で見てこなくてはなら
いる地域の人たちをこの
射能の影響にさらされて
な ら ば、 実 際 に 原 発 や 放
る。 し か し そ れ を 論 ず る
原 発」 の 姿 勢 を と っ て い
や は り、 い わ き に 来 て よ か っ た。 呉 竹 会 は 「要
し ま っ た。
する団体を合わせた約 名近くのメンバーで硫黄
あ る こ と に 気 付 か さ れ、 島 に 向 か っ た。
東 京 都 小 笠 原 村 硫 黄 れ、 若 い に も 拘 ら ず 高 い 島。 そ こ は、 本 土 か ら、 志 を 持 っ た 人 の 集 ま り で
1250キロほど南下し 当初の考えを改めさせら
年 前、 栗 林 中 将
た 小 さ な 離 島 で あ る。 今 か ら、 をはじめとした先人達
無駄な闘いであったとい る。 な ぜ な ら、 出 身 地 な
は多く存在すると思われ
る。 そ う し た 者 が 都 市 に
と 思 う。 そ の た め、 次 の
れない人もたくさんいる
事のために中々時間が作
と し て も、 現 実 的 に は 仕
評により物流が滞る事態
き 市 は、 放 射 能 問 題 の 風
を 回 っ た。 中 で も、 い わ
て福島県いわきの3か所
原、 茨 城 県 北 茨 城、 そ し
資 を 集 め、 宮 城 県 大 河
置 い っ て く だ さ い」 と 避
服 な ど、 何 で も い い か ら
所 で は 「毛 布 や 布 団、 衣
態、 特 に 小 名 浜 高 校 避 難
片寄り不足している実
と の 環 境 に よ り、 物 資 が
て い な が ら も、 避 難 所 ご
け れ ば と 思 っ て い た。
た。 こ こ に も 必 ず 行 か な
前、 色 々 と お 世 話 に な っ
る久之浜漁港に3年ほど
域 で も あ る。 こ の 地 に あ
の捜索が大幅に遅れた地
ら も、 こ の 地 で 生 き て い
能や大津波におびえなが
や は り 複 雑 な の だ。 放 射
て い る」 と 言 っ て い た。
なるのかをみんな心配し
た後の地域の産業がどう
言 え ば、 原 発 が 無 く な っ
くと煙が立ち上ってい
発電所の煙突からもくも
た。 行 く 途 中 に 広 野 火 力
りぎりまで行くことにし
追 悼 式 典 の 後、 福 島 第 一原発の立入禁止区域ぎ
も の は あ っ た。
黄島を奪取したかったの
するために是が非でも硫
繰 り 返 し に な る が、 米 軍 は、 本 土 爆 撃 を 容 易 に
た。
ない感情がこみ上げてき
た 時 に は、 表 現 し よ う が
掻き分けて人骨を目にし
と が な か っ た が、 土 砂 を
う の で あ る。 も し も、 圧
で も、 小 生 は 考 え て し ま
の は 承 知 し て い る。 そ れ
を持ちだせばきりがない
た な ら ば、 更 な る 膨 大 な
での奮闘がなかったとし
む。 し か し、 仮 に 硫 黄 島
絶たれたことに心が痛
わ れ、 多 く の 同 胞 が 生 を
行き過ぎた生活保護は 無気力な怠け者を助長
一 方 で、 相 応 の 負 担 を 負
る の で あ る な ら ば、 そ の
く、 快 楽 や 欲 望 を 発 散 す
を禁ぜよというのではな
あ ろ う 。 歴 史 に「 も し も 」 と は 、 私 的 生 活 で の 快 楽
数の被害者が出ていたで
し、 親 と 同 居 す る 若 者 が
る。 小 生 が 主 張 し た い こ
もしばしばあるからであ
らの欲望を発散すること
の 娯 楽 施 設 を 利 用 し、 自
ジ ャ ー 」「 東 北 復 興 支 援
て「 故 郷 再 生 支 援 レ ン
女を問わず志願制とし
思 う。
活となるのではないかと
バランスのとれた社会生
以上のいずれかの行動 を す る こ と で、 は じ め て
た い の で あ る。
て想いを託すことを言い
値、 代 価 (対 価) に よ っ
おすくらいの構えで取組
大胆に地方に再配置しな
を 「レ ン ジ ャ ー」 と し て
り、 大 都 市 で 溢 れ た 人 達
られている方たちの姿
いながら避難生活を強い
かった放射能の恐怖と闘
る。 ま だ 正 確 な 情 報 が な
の方々からいただいた物
水 や 食 料、 衣 服 な ど 有 志
更 に 、「 防 人 ・ 屯 田 」 の修了者には行政が責任
良 い こ と に す る。
きなレジャーを楽しんで
が あ る。 余 裕 を 持 っ て 向
からの式典には少し余裕
出発すると午後2時
いわきまでは東京から 車 で 約 2 時 間 半、 9 時 に
度の集まりであろうとい
う 気 持 ち が 強 か っ た。 そ の た め、 浮 つ い た 人 と の 交 流 を 極 力 避 け、 た だ、 黙々と収容作業に従事し よ う と の 考 え で い た。 し
か し、 派 遣 日 程 が 決 ま
働 に つ い て 尋 ね て み た。 お も わ ず 胸 が 熱 く な っ て
う 人 も い る で あ ろ う。 し どにあるシガラミからの
案 を 提 示 し た い。
と、 上 水 道 の 復 旧 の 遅 れ
た。 ほ と ん ど は 蒸 気 だ ろ
で あ る。 補 足 す れ ば、 本
東日本大地震のあとの 被災者達の連帯感や規律
レ ン ジ ャ ー」 ( 仮 称 )等 々
を持って優先的に就業を
り、 今 回 行 動 を 共 に す る
第一原発からぎりぎり
か し な が ら、 彼 ら の 闘 い 解 放、 あ る い は、 利 便 性
は、 肉 体 を 提 供 出 来 な い の で あ る な ら ば、 肉 体
くしかない宿命と覚悟と
う が、 当 然 C O 2 は 排 出
土 爆 撃 は、 軍 事 施 設 を 目
ある行動は世界中に感銘
に 組 織 化 し、 一 定 年 限、 む 必 要 が あ る。
大学生や管理部の方々と
に 国 歌 を 斉 唱 し、 天 皇 陛
は、 長 く て も 一 ヶ 月、 平 は、 自 ら を 犠 牲 に 多 く の み を 享 受 し、 負 担 を 負 わ
遺 骨 収 容 作 業 は、 大 ま かに言えば3つに分かれ は、 決 し て 無 駄 な ど で は や流動性といった魅力が
久之浜の海岸には献花 台 が 用 意 さ れ、 町 の 人 々
いうものを感じずにはい
会に対する不満を論じる
を 与 え、 更 に は 若 者 を 始 「 親 と 一 緒 に 暮 ら し て い
全国の過疎地や離島に派
立を希望する者には特別
の勉強会を重ねるにつ
殿はどうにか無事だった
均 で は、 半 月 く ら い を 目 次世代の生を護ろうとし
て何か解った訳では無
る。 ま ず、 御 遺 骨 を 探 す な く、 大 い に 意 義 の あ る
都市には十分備わってい
難所の責任者が切実に話
が 集 ま っ て い た。 海 岸 縁
さ れ て い る。 い ま 日 本 中
の が 本 意 で は な い。
る が、 親 が 死 ん だ ら 遺 産
遣 し て、 現 地 の 行 政 と タ
枠で低利の資金を貸与す
平成の防人・屯田制を!
下と共に黙禱をささげて
硫 黄 島 で は、 自 衛 隊 基 地内の宿泊施設を利用す 途に日程が組まれている た の で あ る 。『 無 駄 の 削
き な 被 害 を 出 し た 上 に、 て い る 人 も 多 く い る。 そ
い、 現 実 は 何 も 解 っ て い
ために土砂を除去する作 闘いであったと小生は考
により深刻な水不足を起
していた現実を忘れる事
ら れ な か っ た。
大事なのは国民全体が 気力を振るい叡智を出し
めとする多くのボラン
で 食 い、 そ れ が 尽 き た ら
イ ア ッ プ し な が ら 農 業・ は自然に集まるものであ
る制度を設けるなど起業
呉竹会 幹事末綱和征 (敷島の会・副理事長)
よ う だ。 そ こ に お 参 り を
る た め、 カ メ ラ や 携 帯 電 よ う で あ る。 そ の こ と
ういったことを子供たち
な い。 け れ ど も、 感 じ る
業。 次 に、 御 遺 骨 を 取 り え る。 そ れ は、 東 京 大 空
に 代 わ る 価 値 に よ り、 関
こ し て い た。
の 建 物 は 基 礎 を 残 し、 ま
ル稼働なのだと思いなが
合 い、 本 来 あ る べ き 国 の
ティアの献身的な活動が
生活保護を受けるからい
り、 人 間、 働 く 意 思 ・ 意
への支援体制を整えるこ
活保護費への負担も減ら
は 多 大 な 意 義 が あ り、 生
る。 彼 ら が そ こ に 存 在
支 援 す る 体 制 を 整 え、 独
地 域 全 体 に 活 力 が 漲 り、 に は、 住 居 と 食 事 を 保 証
れ ば、 積 極 的 に 「平 成 の
地方での生活が楽しく 豊に暮せるのであれば人
そして生活保護に代わ る も の と し て、 身 体 の 健
消 費 も 増 え、 農 地 ・ 山 林
必ずしも一日中働き尽く
も 本 来 の 姿 に 復 元 さ れ、 の 娯 楽 設 備 等 も 整 備 し、 国 土 の 再 生 を 図 れ る と あ
も ら う。
康な人々には働く場と住
商店街も往時の繁栄を取
や破廉恥な事件が頻発し
い る 姿 に は 感 動 し た。 パ
話の持ち込みを禁止して が、 今 な お、 先 人 達 が 土
や、 震 災 2 週 間 を 経 過
原発事故の影響で立ち入
も 解 っ て い る し、 本 音 を
出 す 作 業。 そ し て、 取 り
る た め、 環 境 の 快 適 さ に
係団体に自らの想いを託
が 出 来 な い。
ら 通 り 過 ぎ た。 そ し て 警
形 を 考 え 直 し て、 新 た に
被災者たちを大いに力づ
い」 と 臆 面 も 無 く 放 言 す
欲さえあれば何処にあっ
と で、 若 者 の や る 気 を 引
が、 こ の 中 に は 本 当 に 保
居、 食 事 を 提 供 し、 将 来
ら 失 っ て し ま っ て い る。
し、 お 札 を 分 け て い た だ
れ る こ と に な っ た。
い る。 そ の た め、 写 真
し、 報 道 で は す で に 物 資
りが禁じられたため遺体
硫黄島遺骨収容を通じて
次 に、 硫 黄 島 遺 骨 帰 還 派遣団の構成を紹介す は、 厚 生 労 働 省 の 職 員 が な い 者、 即 ち フ リ ー ラ イ
いわきには特別な思い し、 肉 体 を 捧 げ る た め に は、 時 間 が 必 要 と な る。 が あ る。 昨 年 の 震 災 直
が足りてきているとされ
上げた御遺骨を洗骨する 襲での被害者数から見れ
酔 い、 便 益 の た め に 負 う
す こ と。 要 は 金 の こ と か
る で 更 地 の 様 に な り、 ま
そ の 後、 い わ き 市 主 催 の追悼式典へと向かっ
備車両とバリケードにい
明確な国家目標を打ち出
けた様子が連日報じられ
てもやれることは沢山あ
き 出 し、 夢 を 与 え る こ と
現 在、 我 国 が お か れ て い る 状 況 を 見 る に、 デ フ
ン フ レ ッ ト の 「が ん ば っ
る。 厚 生 労 働 省 の 職 員 を 減』 が 世 間 の 注 目 を 集 め ダ ー( タ ダ 乗 り ) が 存
後、 青 年 部 と し て 救 援 物
作 業 で あ る。 派 遣 前 に 勉 ば、 一 目 瞭 然 で あ る。 誤
負担が盲点となってしま
我 々 は 当 時、 行 政 に 物 資が集められても停滞し
た。 い わ き ア リ オ ス と い
き 詰 ま っ た。 原 発 は 見 え
し、 護 送 船 団 方 式 で あ れ
て い た。
生活保護について根本か
る。 ま た 国 境 の 過 疎 ・ 無
が 出 来 れ ば、 地 盤 沈 下 し
護を必要とする人がどれ
へ の 希 望 を 与 え、 同 時 に
防 人 ・ 屯 田」 に 取 組 ま な
%以上を輸入に頼り
い た 際 に、 そ こ の 住 職 な
が、 自 ら の 生 を 犠 牲 に 奮 は じ め、 日 本 遺 族 会、 硫 の中で眠られていること て い る 今 日 で は、 玉 砕 と
仮 に、 強 い 想 い が あ っ た
3・ 追悼式典参加報告 福島県いわき・久之浜
闘された帝都東京の管轄 黄 島 協 会、 旧 島 民 の 会、 撮 影 し、 後 日、 各 々 に 送 の一つの理由であるよう 在してしまうことであ
強会で得た知識が役に立 解のないように述べる
などと安直に解釈しない
避難所に回らずにいる問
う大きなホールで行われ
ずにただ道が終わってい
何 で あ れ、 具 体 的 な 指 針
あるいは東北の被災地 ら 見 直 す べ き で あ り、 病 弱 者 ・ 肢 体 不 自 由 者 等、 の 復 興 に 携 わ り、 そ の 経
人の島々に組織的に巡
かけた国家の再生へも大
る。 中 国 の 中 華 覇 権 主 義
だ け い る か。 震 災 被 災 地
め で は な く、 思 い 切 っ て
い 手 は な い。
な が ら 平 然 と 構 え、 国 防
ぺ い わ き」 と い う 言 葉 に
下 に あ っ た 小 さ な 島。 ま ら れ た。 ま た、 食 事 や 作 い う 結 果 か ら、 短 絡 的 に
ち、 効 率 よ く 作 業 を 行 う
い が ち だ か ら で あ る。 無
で い た だ き た い。 誤 解 の
あ れ か ら 一 年、 い わ き る こ げ に な っ た 木 が 痛 々 は ど う な っ て い る の か。 し く も あ っ た。 海 に 向 け
た式典は1700席の定
た。
て い る。
および各々の分担を決め
この若者たちの活力を 計画的・組織的に国家が
験を活かして将来の自立
回 ・ 派 遣 す る 「平 成 の 防
きく貢献することに繋が
やロシヤの南下政策によ
の一時的なものは除いて
り戻すことが十分可能で
一 日 に 四・五 時 間 、 月 に
せ、 若 者 の 活 力 を 育 み、
た。 以 前 来 た 時 航 海 の 安
縁にある寺社に立ち寄っ
久 之 浜 を あ と に し、 い わ き へ 向 か う 途 中、 海 岸
け 入 れ て い る の だ。
人たちが一緒
上のいわきの
2000人以
が 出 来 た が、
の立ち見で会
どの国も苦しい
今年何をするのですか。
あなたは
平成二十四年二月
今、日本が敗けてなるものか。
もがいている。
世界中が苦しく
平成二十四年正月
日本國の為に
政府の為では無い
寸 鉄 人 を 射 る。 頭 山 会 長 が 友 人 に 贈 る 本 に は、 い つ も 物 事 の 本 質 を 突 く 一 篇 の 詩 が 添 え 書 き さ れ て い ま す。 本 年 送 ら れ た も の の 中 か ら 抜 粋 い た し ま し た。
場に入ること
全 を 祈 願 し た 場 所 だ。 社
かいがんぺり
こ と が 出 来 た。 今 ま で、 が、 東 京 大 空 襲 の 被 害 者
論、 そ の こ と を 怪 し か ら
手を合わせることには犠
員 を 軽 く オ ー バ ー し、 参
東日本を襲った大地 震・津波による被害者の
て、 着 実 に 行 動 す る こ と
支 援 し、 国 土 の 再 生 ・ 過
本当に保護が必要な人々
の道を探すのも良いだろ
人」 を 導 入 し て は 如 何 で
も 関 わ ら ず、 政 府 に は そ
り、 わ が 国 固 有 の 領 土 は
国 土 の 再 生 を 行 う 「平 成
あ る。 過 疎 化 は 人 口 が 過
二十日も農業や漁業に従
の火力発電所は同様にフ
万人以上とい
牲者の追悼と自然への畏
加者が会場に入りきれ
また先人達が脈々と育 んできた美林や肥沃な農
救済および復興支援にお
で あ る。
疎地の復活に向けて活用
への支援・保護は当然必
う。 過 疎 地 に は、 そ れ こ
あ ろ う か。
数 は、 約
な い よ う に 付 言 す れ ば、 題 を 受 け、 い わ き 市 に お
インターネットでいわき
敬の意味があるのだろ
レ・円高による不景気が 地 を、 後 継 者 不 足 を 理 由
い て も、 肝 心 の 政 府 は 何
する方法を講じるべきで
要 で あ る が、 そ れ 以 外 に
そ経験豊富な先輩がたく
葬儀でしか人骨を見たこ
い て は 行 政 と 調 整 し、 直
市主催の追悼式典会場を
う。 再 び 津 波 が 来 る か も
ず に い た。 私
長引いているにも関わら に放置し荒れるにまかせ
ら有効な政策を打ち出せ
世界の趨勢は強い国家 を求めてナショナリズム
あ る。
つ い て は 断 然、 総 て を 廃
人 口 は 半 減 し、 全 人 口 の
れらに対する指導性の欠
侵され国境は不穏な状況
も、 半 分 か ら 3 分 の 2 く
の 屯 田 制」 の 導 入 を 検 討
度に大都市に集中しすぎ
するだけでも国家として
%が高齢者になるとい
片 も 見 ら れ な い。
に 晒 さ れ て い る。 い ま こ
らいの人は本来保護する
してみてはどうであろ
においてはアメリカに頼
の だ ろ う か、 原 発 の 再 稼
た、 米 軍 が 本 土 爆 撃 を 容 大東亜戦争全戦没者慰霊 業 現 場 ま で の 移 動 な ど、 に 思 わ れ る。
呉竹会 事務局長 廣瀬義道
易 に す る た め に、 是 が 非 団 体 協 議 会、 国 際 ボ ラ ン 日 常 生 活 と は 異 な り、 徹
健
でも奪取したかった島で テ ィ ア 協 会、 陸 上 自 衛 底した団体行動となっ
遣団の一員として足を運 ん だ。 本 文 で は、 そ の 派 遣での経験を踏まえ所見 を 述 べ る。 今 回、 小 生 は、 J Y M Aという大学生を中心と
した青年遺骨収集団から の 派 遣 と な っ た。 こ う い っ て は な ん だ が、 所
んと声を荒げるつもりは
貨幣で解決を促すのでは
接、 小 名 浜 高 校 避 難 所 と
調 べ、 兎 に 角 向 か う 事 に
し れ な い と し て も、 彼 ら
はぎりぎり4
ず、 不 毛 な 政 治 が そ れ に て い る。
ないばかりか現地行政と
が 再 び 台 頭 し、 世 界 規 模
止 す べ き で あ る。
資を届けた思い出があ
拍 車 を か け、 国 民 は 夢 も
若者達は失業に苦し み、 将 来 へ の 希 望 を 持 て
の 共 同 歩 調 も と れ ず、 更
での経済・金融不安から
現 在、 生 活 保 護 を 受 け ている人々が200万人
「 国 境 守 備 レ ン さ ん い る。 そ こ に 大 勢 の 若 い パ ワ ー が 加 わ れ ば 、 ジ ャ ー 」( 仮 称 ) の 隊 員
詮、 大 学 生 の サ ー ク ル 程
な い。 小 生 自 身、 都 市 で
な い。 肉 体 の 代 わ り の 価
江名小学校避難所に飲料
決 め た。
はこの地でその恐怖と共
階席の最後列
希望も亡くしてしまって
ず 活 力 を 失 い、 生 活 不 安
に被災地以外の露骨でヒ
ますます国家間のエゴが
を超えたとのことである
分
い る。
か ら 結 婚 も で き ず、 そ の
ステリックな地域エゴが
むき出しにされつつあ
し ま っ た の で は な い か。
わ れ て い る。
それどころか福島の原 発事故の解明を契機に政
そ日本国民が官民あげて
に値しない怠け者である がストレスでイライラし
50
り 切 り、 そ の 予 算 は 毎 年
す る の は 勿 論 だ が、 適 度
食糧の自給率は %前 後 で 低 迷 し、 エ ネ ル ギ ー
長引く不景気の影響を 受 け、 窮 屈 な 生 活 や 先 行
治の嘘やいい加減さがど
挙って奮起すべきときで
事 し さ え す れ ば、 後 は 好
の
きへの不安から社会全体
ん ど ん 暴 露 さ れ て い る。
た為に起きたことであ た だ 今 回 は、 政 治 や 社
う か。 青 年 ・ 壮 年 の 男
40
て お り、 殺 伐 と し た 事 件
と い わ れ る。
40
会長語録
失われた 年の間に経 済が疲弊しただけではな
ために人口は減少する一
剥き出しになっているに
る 始 末 で あ る。 今 こ そ、 林 業 ・ 漁 業 等 に 従 事 し て
く、 政 治 が 劣 化 し、 日 本
年後には生産年齢
40
あ る。
20
減額され続け自立意識す
90
30
に暮らすという運命を受
11
方で
硫黄島
67
人の正気までが失われて
10
呉竹会 青年部森田
も あ る。 そ の よ う な 場 所 隊、 そ し て、 小 生 の 所 属
60
に 小 生 は、 遺 骨 収 容 の 派
第 967 号
年 4 回発行
動 運 年 青 紀元 2672 年 平成 24 年 4 月 15 日 (7)
清国改造を志し、 新疆偵察の途上で消息を絶った 義 の 政 策 を と り、 む し ろ
そ れ ま で 浦 は、 日 本 は 清国に対して平和妥協主 て 以 下 に 引 用 す る。
て い る の で、 表 記 を 改 め
務の目的が詳細に記され
は、 彼 に 下 さ れ た 偵 察 任
「新疆地方巡視要目」 に
び そ の 経 費 の 出 処、 並 び
て 費 や す 経 費 の こ と。 及
が新疆を維持するについ
る こ と。 第 五、 清 国 政 府
畜等の奨励法等を視察す
がいかに先駆的な試みで
考 え る と、 浦 の 新 疆 潜 行
国 研 究 』 参 照 )。 そ れ を
柯 『東 ト ル キ ス タ ン 共 和
算 す る の み で あ る( 王
通 り に、 ク ル ム よ り ウ ル
方 巡 視 要 目」 で 予 告 し た
る。 さ ら に は 「 新 疆 地
砂漠を越えてクルムに至
嘉峪関を経て玉門県より
入 植 当 初 の、 農 業 が 軌 道 に 乗 っ て 収 益 を 上 げ 出 す ま で の 数 年 間、
や 西 洋 紙 の 製 造 に も、 欠 か せ な い。
ヤ 板 や パ ル プ の 用 材、 船 材 と し て 使 わ れ る。 人 絹
に土人屯田兵その他一地 画 で は、 途 中 甘 粛 省 蘭 州
あ っ た が わ か る。 彼 の 計 ス、 カ シ ュ ガ ル に 至 る と
後、 タ ル バ ガ ダ イ、 ア ク
ムチに向かいイリを経た
( 候 補 地 区 の 内 で 結 局、 こ こ が い っ ち、 樹 が 多 い。
し た。
そ う 確 信 し、 力 の こ も っ た 目 で 改 め て 辺 り を 見 回
自 分 た ち 紀 州 の 移 住 民 を 救 う だ ろ う ――― 盛 平 は
こ れ ら の 樹 々 の も た ら す 計 り 知 れ な い 恩 恵 こ そ が、
た の で あ る。
両国が同盟することで欧 に課する税法を取り調べ 府 に お い て、 藤 島 武 彦 等
い う も の で あ っ た。 し か
ろが当時の清国は内政に
き だ と 考 え て い た。 と こ
州列強の侵略を阻止すべ る こ と。 第 六、 新 疆 各 地 先 発 隊 の 同 志 か ら、 彼
ち
み
自 棄 半 分 に じ ゃ れ 合 い な が ら、 五 体 を 締 め 上 げ る 寒 さ と い う も の が こ の 世 に 存 在 す る こ と を、 盛
な る が よ」
変 え て ゆ く、 開 拓 民 の 辛 抱 の 広 さ が、 真 に 測 ら れ
も な い よ う な 不 毛 を 耕 し て、 人 の 掌 に 乗 る も の に
腐敗を来たしアヘン戦争
お
た だ、 村 を う る お す 二 筋 の 川 は 良 質 の 水 を 湛 え て い る し、 夏 場 に は 雑 草 が た け だ け し い ま で に 茂
に な る 下 地 が、 存 在 し て い た。
ふ
道 庁 で 話 を 聞 い た 直 後 は、 「た だ さ え、 苦 労 は 覚 悟 の 前 な ん や さ け、 何 も 好 ん
平 た ち 紀 州 連 隊 の 男 衆 は、 思 い 知 っ た の で あ る ―
る も の で あ る。 盛 平 は だ か ら、 候 補 地 の 中 で 最 も
・
彼の再挙を危惧する意見
あった岡野増次郎がもた
― ―。
・
は、 一 転 し て 清 国 の 改 造 路 ( イ リ 路、 ア ク ス 路、
も あ っ た。 こ れ を 振 り 払
ら し た 後 日 譚 に よ れ ば、
き 上 げ た か っ た。
・
を 決 意 し、 そ の た め に タ ル バ ガ タ イ 路、 カ シ ュ
う か の よ う に、 彼 は 悲 壮
彼 は 昔、 内 蒙 古 の 阿 拉 善
(も し。 蝦 夷 の 神 さ ん よ ォ。 こ の 上 を 行 く 酷 い 冬 を、 お れ は 知 っ て る ん や よ。 ま し て、 植 芝 盛 平 の
・
無 条 件 に 呼 応 し た と み え る。 南 紀 に 生 ま れ て 屯 田
当時清国改造を志す有志 ガ ル 路 の 四 大 線 路) の 状
な覚悟で家族に別れを告
王 に 会 見 し た さ い、 浦 の
新疆地方巡視要目 の 牧 畜、 耕 作、 商 業、 庫
し、 彼 は 同 年 9 月 に 蘭 州
我が国の興亜志士としていち早く新疆の偵察を試みた浦敬一という人物を
呉竹会 青年部 折本龍則 らが同地に書店を営むな
府の城外にまで至ったと
る、 と い う 開 拓 課 長 の 話 か ら 推 し て、 地 味 が 肥 え
たた
どして得た利潤によって
こ ろ で、 藤 島 が 故 あ っ て
北 海 道 の 吹 雪 が い か に 猛 烈 だ ろ う と、 盛 平 は、 本 物 の 凍 土 と い う も の を 知 っ て い る。
て い る こ と は 疑 い な い の だ 。 今 は 『 無 』 で も 、『 有 』
『 東 亜 先 覚 志 士 記 伝 』( 黒 龍 会 編 ) な ど を 参 照 し た 。
他 に は 何 も あ れ へ ん け ど)
蔵 等 の 実 況 を 視 て、 物 資 経費の補給を受けるはず
袂 を 別 ち、 道 を 引 き 返 し
満 州 の 冬 の 戦 場 で は、 息 吐 く ま も な く 鶴 嘴 を 揮
)
の 多 寡 を 算 定 し、 か つ 清 で あ っ た。 し か し 実 際
た あ と、 突 如 と し て 消 息
わ な く て は、 ま た た く ま に 土 が 凍 て つ い て、 壕 を
「新疆地方は露国の衝 路 に 当 た り、 い や し く 朝において戦時にあたり に、 彼 が 蘭 州 府 に 到 着 し
を 絶 っ て し ま う。 そ の 後
掘 り 進 め る こ と が 出 来 な か っ た。 飯 盒 の 飯 も、 水
十
も機の乗ずるべきあれ て は、 物 資 の 運 輸 供 給 は て し ば ら く た っ て も、 藤
の 浦 の 消 息 に つ い て は、
筒 の 水 も、 石 の よ う に 凍 っ た。 疵 口 か ら 流 れ る 血
で 何 層 倍 に 苦 労 を 増 や し た が ら い で も」
ば、 即 ち こ れ を 略 し て シ いかなる方法を以てす 島たちは一向に姿を現さ
新疆の一辺で遭難したと
さ え、 流 れ る 端 か ら 氷 結 す る た め、 戦 傷 が じ き に
四
前 号 で は、 日 清 貿 易 研 究 所 (後 の 東 亜 同 文 書 院) の 創 設 者 で あ る 荒 尾 精 以 来 の 西 欧 列 強 に よ る 侵 (1 8 5 9 ~ 1 8 9 6) を 取 り 上 げ た。 今 号 で は、 そ の 荒 尾 の 同 志 で あ り、 略 に よ っ て 瀕 死 の 老 大 国 ナの甘粛路及び西蔵路を る準備なるやを察すべき な か っ た た め、 し か た な
す る も の や、 蒙 古 族 に 混
凍 傷 に 変 わ る。 呼 吸 一 つ す る に も、 顔 の 周 り の 大
と、 上 湧 別 行 き を 魔 境 へ で も 行 く ご と く 渋 っ た 倉 橋 も、 太 古 が そ の ま ま 息 づ く よ う な 原 生 林 に、
と化していたにもかかわ 衝くの拠点とするや必然 こ と。 第 七、 新 疆 各 地 の
く彼は漢口に引き返さざ
じてその盟主になったと
気 を 截 ち 割 ら ね ば な ら な い か と 思 わ れ た。
(
紹 介 し た い 。 な お 以 下 の 文 章 は 、主 と し て 塙 薫 蔵 著 『 浦 敬 一 』( 淳 風 書 院 )、 ら ず 、 隣 邦 の 我 が 国 に 対 の 形 勢 に お り、 防 御 上 に 要 路、 及 び 回 民 漢 族 の 形
る を え な か っ た。 そ れ も
す る も の、 あ る い は ラ マ
兵 と な っ た 男 の、 荒 々 し く も お お ど か な 気 概 を、
均への充分なる支援を躊 の 梁 山 泊、 シ ナ 革 命 の 秘
かくして浦は明治 況 を 視 察 す る こ と。 第 二、 新 疆 の 防 御 線 と な る ( 1 8 8 8) 年 6 月 に 漢
げ、 一 切 の 後 事 を 荒 尾 に
五 体 は、 さ む は ら 龍 王 さ ん か ら 貰 う た も ん や。 腹
ふる
しては往年の中華思想を おいてすこぶる緊要の地 勢 を 視 て、 幹 部 支 部 の 配
そ の は ず、 先 発 隊 は 蘭 州
僧 に 変 じ て 西 蔵 (チ ベ ッ
「零 下 二 十 三 度 ち ゅ う た ら、 何 度 の こ と や ? 寒 い の も こ こ ま で 来 り ゃ、 寒 い ん や ら 何 や ら 訳 が
俄 然、 呼 び 醒 ま さ れ た か、
躇した我が国政府の軟弱 密結社でもあった漢口楽
口 を 出 発、 新 疆 を 目 指 し
年 3 月、 消 息 に 関 す る 有 力 な 証 言
つるはし
以て旧態依然たる傲慢の と す。 よ っ て こ れ を 防 御 置及びこれに要する人員
府に向かう途中で盗賊に
ト) に 入 っ た と す る も の
わ か ら ん。 気 付 け に 頬 桁 を い っ ち ょ う 張 っ て く れ
外 交 に 憤 慨 し、 朝 野 の 善堂に身を投じたのであ
て 北 行 の 途 に つ い た。 そ
託 し て、 明 治
に は 太 元 師 明 王 さ ん も 入 っ て い る。 こ れ し き の 吹
幸 い ― ― ―、 村 の ほ と り を 中 央 道 路 が 走 っ て い と る か ら、 穫 れ た 農 作 物 を 運 搬 す る 足 に は 事 欠 く ま
る な ど し た 後、 明 治 歳 に し て 中 国 に 渡 航、
動 機 の 端 緒 は、 明 治
「阿 呆、 や め ん か。 笑 う て 力使 た ら、 よ け い に 寒 う け
ぞ
てのひら
今 は 盛 平 同 様、 息 を 弾 ま せ て 樹 々 を 仰 い で い た。 北 海 道 の 未 開 拓 地 は 全 く 広 い が、 本 当 の 広 さ は、 じ つ は 大 地 に 広 が る の で は な い だ ろ う。 そ の 果 て
難 儀 し そ う な 場 所 に こ そ、 惚 れ 惚 れ と す る 城 を 築
隊 ( 1 9 0 2 、1 9 0 8 、 行 を 続 け た と い う 。 ま た
を 考 定 す る こ と。 第 四、 橘 瑞 超 が 率 い る 大 谷 探 検
薬を切り売りしながら旅
あ る。 当 時 同 地 方 に お い
たと追憶したというので
反対をおして新疆に赴い
と が あ る が、 彼 は 周 囲 の
ち る 盆 地 に、 二 筋 の 川 を 抱 い て、 上 湧 別 村 は 息 づ
吹 雪 の 峠 を 脱 ぎ 捨 て て、 二 人 は 目 的 の 村 に 足 を ぎんれい 踏 み 入 れ た。 銀 嶺 の ま ば ゆ い 照 り 返 し が な だ れ 落
倉 橋 は 呆 然 と 見 つ め て、 冬 籠 り の 熊 さ な が ら、 たくま こご 逞 し い 背 を 屈 め て い る。
「今 は 目 に 見 え る 形 は無 う て も、 目 に 見 え ん 大 事 な
よ ら ず 揃 っ た。
団 が 入 っ て 拓 い た 町 で、 白 壁 造 り に ガ ラ ス 戸 の 小
や
え
もろ
りょうけん
査 し、 そ の た め の 要 員 と
清朝政府に於いて露国の
彼 が 予 定 し た 順 路 は、 漢
て、 単 身 新 疆 入 り を 企 て
ね
た い げ ん みょうおう
えんがる
庇 護 を 得 た 事 大 党 の 巻 き (い ま で い う「勢 力 均 衡」 清 国 と 戦 を 交 え、 中 国 や
して浦敬一を新疆に派遣
防 御 方 法 、 兵 備 の 配 置 、 1 9 0 8 )、 参 謀 本 部 将
口を発った後西安を経て
も ん は、 上 湧 別 に は 全 部 揃 う て る な あ。 の う、 倉
上述した藤島を伴って再
ほら
朝鮮の領土を奪取するこ
することを決定したので
校 の 日 野 強、 上 原 多 市
い て い た。 厳 寒 の 窪 地 に、 な つ か し い 息 吹 が 湧 き
お
い。 し か も、 程 遠 か ら ぬ 所 に 遠 軽 の 町 が あ る。 開
の 理 論) か ら、 朝 鮮 が 清 と で、 迫 り く る 西 力 東 漸
回民漢民に施す政治屯田
た日本人は他にいなかっ
ふゆごも
返しによって失脚した甲 国 の 属 国 と な れ ば、 そ の
あ る。 こ の 決 定 に し た が
蘭 州 府 に 至 り、 甘 粛 よ り
い る。 こ の 事 変 で 彼 は、
みの
の
奇 麗 な 店 々 が 軒 を 並 べ、 生 活 全 般 の 必 需 品 が 何 に
ひら
日 露 戦 争 当 時 の 明 治 三 十 七 年 頃、 山 形 か ら の 開 拓
申事変にあるといわれて の脅威に備えることが急
及 び 流 人 の 処 分、 開 墾 牧 ( 1 9 0 6) な ど 数 名 を
国防上の不利になるこ
かみゆうべつ
分それは我が国にとって
い当時の浦がしたためた
清 国 に 恐 れ を な し、 金 玉
ほの
とこ
橋 は ん。 こ こ を 穣 り の 地 に し ち ゃ ろ や な い か !」
き
立 っ て い る。 村 の 取 っ 付 き は、 巨 人 の 群 れ の よ う
「お う。 わ し ら の 手 ぇ で、 南 紀 の人 間 の 呼 吸 す る 所
い
た た め、 こ れ が 浦 の 最 後
な 原 生 林 だ。 大 人 の 男 の 腕 で も 一 抱 え に 余 る 樹 々
に ん げ
の消息であるといわれて
ひし
ティや人間関係にも多く
やみ
きんらん
大 戦 前 ま で の 「ワ ン ワ ー 状 況 で あ る 信 用 崩 壊 か、 る ア メ リ カ 経 済 の 影 響 力
お ぐ ら
は、 盛 平 に 親 し い。
な ん ど
に 生 ま れ 変 わ ら し ち ゃ ろ !」
ルド1 0 ・ 」、 第 2 次 大
が 特 徴 的 だ ろ う。 た と え
が、 小 暗 い 闇 を 作 り な が ら ど こ ま で も 犇 め く 光 景
が相対的に低下していく
戦後のアメリカを中心と
い る。
カネ余りによるインフレ
の に 比 し て、 長 期 的 に は
の紙面が割かれている点 的状況による通貨崩壊で
・ ば、 フ ェ イ ス ブ ッ ク の 創
( 熊 野 古 道 が 、 続 い ち ゃ あ る・・・。 こ こ や っ た ら 、
す る「ワ ン ワ ー ル ド 2
の利益を最大化するため
青年書評 藤井厳喜 ﹃バカで野蛮なアメリカ経済﹄ 扶桑社新書 819円
ドルが基軸通貨である時
納 戸 の 奥 の 暗 が り で 光 る 金 襴 の 帯 の よ う な、 仄 暗 い 所 へ 置 き 捨 て に し て い る 秘 密 が、 あ る。
あ る。 そ の 上 で 著 者 は
紀 州 を、 造 れ る ぞ ・ ・ ・ ・ ・)
・
・
・
うわ
た
ち
そ れ を 言 葉 に す る こ と は な い。 じ き に 静 か な 自 若
じじゃく
浮 か ぬ 顔 に も 見 え、 上 の 空 な 顔 に も 見 え る 夫 の、 ・ ・ 胸 の 内 に あ る 不 穏 を、 は つ は 一 瞬、 目 の 隅 で 敏 感
る も の だ。
その女がいつも我が家の戸口に立っている気がす
・
に、 多 く の 利 害 関 係 者 と
かみゆうべつ
どん ぐり
・
始者であるマーク・ザッ
は つ の 目 が ま と も に 見 ら れ な い。 盛 平 は と も す おとな る と、 誰 か 訪 っ て
0 」。 し か し 、 こ の 「 ワ
連 携 す る。 こ れ は 当 然 の
同 じ 道 内 で も、 南 部 の 風 土 は、 本 州 北 部 と さ し ぶな あすなろ て 変 わ ら ず、 植 生 も、 橅 や 翌 檜、 桜 と い っ た 温 帯
来 る 人 を 待 ち で も す る ご と く、 う ろ う ろ と、 あ ら
代 は 終 わ り を 迎 え る。 し
合 理 的 行 動 で あ り、 い わ
植 物 が ほ と ん ど で あ る。 し か し、 北 東 へ オ ホ ー ツ
ぬ 方 へ 視 線 を 彷 徨 わ せ た。
2012年中にインフレ
カーバーグの高校時代に
ば 「ゲ ー ム の ル ー ル」 の
ク 海 を 目 指 し て 進 む に つ れ、 白 樺、 楢、 な な か ま
さ よ が、 紀 州 西 ノ 谷 村 の こ の 家 の 戸 口 に 立 つ わ け
行 で あ る F R B は、 Q E
焦点を当てた分析は見事
よ う な も の だ。 我 が 国 が
ど、 椴 松、 蝦 夷 松、 胡 桃、 柏 な ど の 亜 寒 帯 植 物 群
は な い。 し か し、 家 人 の 他 に 好 き な 女 を 持 つ 男 は、
ンワールド2
で あ る。 I T 技 能 の ほ か
国際情勢の中で生き残る
の 林 へ と 、変 貌 し て い く 。こ こ 上 湧 別 村 の 原 生 林 も 、
か し な が ら、 少 な く と も
多発テロと2008年の
に、 当 時 の 彼 が 得 意 と し
た め に は、 所 与 の 条 件 を
こ れ ら の 樹 々 が 占 め て い た。
のリスクを厭わないQE
リーマン・ショックで頓
て い た の は、 ラ テ ン 語 や
踏 ま え た う え で、 最 大
白 樺 は 建 築 用 や 細 工 物 用 に 使 わ れ る ほ か、 よ く たきぎ 燃 え る の で 薪 材 と し て も 重 宝 さ れ る。 な な か ま ど
1、 Q E 2 と 呼 ば れ る 大
はもっとも重要な国際通
挫 し た。 今 後 は 「新 し い
ギリシア語といった西洋
公約数的な解決策を探る
は 堅 く 朽 ち に く い の で 細 工 物 に。 柏 は、 樹 皮 の タ
0 ・ 」は ・ 同時 高 い と 結 論 し て い る。
貨として機能し続けるで
中 世」 と 呼 べ る 国 際 的 な
古 典 で あ っ た。 中 で も お
他 な い。 し か し、 そ れ を
ン ニ ン が 染 料 に な る う え、 材 は 建 築 用、 船 材 用、 に 捉 え、 物 問 い た げ な 表 情 に な っ た。 が、 決 し て
2001年の9
策 を 実 施 し て き た。 だ
あ ろ う。
群雄割拠の時代の到来が
気 に 入 り な の が、 ロ ー マ
理 解 で き な い 者 は 「陰 謀
薪 炭 用 に 広 く 求 め ら れ る。 実 の 団 栗 は 澱 粉 に、 葉
に 戻 る 様 子 で あ る。
世 紀 中 盤 ま で は、 ド ル
が、 大 量 に 供 給 さ れ た マ
第二に世界の基軸通貨 であるドルの行方に関し
第 三 に 「ワ ン ワ ー ル ド 主 義」 に 関 し て。 大 航 海
予 測 さ れ る。 し か し、 目
帝国建国の叙事詩である
だ 」 と い う。 こ の た め、
は 柏 餅 の 材 料 に な る。
3が発動される可能性が
ネーが一部に滞留してし
て。 F R B は ド ル 安 政 策
時 代 以 来、 基 本 的 に 世 界
に見えないインターネッ
ヴ ェ ル ギ リ ウ ス の 『ア エ
著者はユダヤ陰謀説とい
楢 も ま た、 樹 皮 か ら 染 料 を、 材 か ら は 建 築 用 材 や
規模な量的緩和の金融政
ま っ て い る。 大 企 業 が 金
を 志 向 し て い る が、 当 分
は統一された市場を目指
ネ ー イ ス』 で あ る こ と は
う 俗 説 を「ナ ン セ ン ス」
さ ま よ
融政策の後押しで史上最
ドルの信認がゆらぐ可能
す 方 向 で 発 展 し て き た。 ト の ヴ ァ ー チ ャ ル ・ リ ア
示 唆 的 だ。 若 い 頃 に 受 け
と し て 切 り 捨 て る。 独 善
・
高の利益を上げている一
性 は 低 い。 ま ず、 ド ル の
リ テ ィ の 世 界 で は、 フ ェ
た思想的影響は根深いも
なら
方、 労 働 分 配 率 は 史 上 最
ライバルとして登場した
著 者 は、 こ の よ う に 経 済
イスブックなどのSNS
の で あ る。 ザ ッ カ ー バ ー
しらかば
低 の 水 準 な の だ。 一 部 の
ユーロが著しく弱体化し
市場が世界統合されてい
を 中 心 と し て 、「 ワ ン ワ ー
かしわ
本 書 を 手 に 取 る と、 そ 経 済 の 行 方 ② 世 界 の 基 軸 の 鮮 烈 な タ イ ト ル ゆ え に、 通 貨 で あ る ド ル の 行 方 ③
富める者と大多数の貧し
て い る た め だ。 さ ら に 人
く動きをワンワールド主
ルド2 5 ・ 」と呼べる時
器 具 用 材、 薪 炭 を、 生 む。
く る み
アメリカの金融資本を中
い 者 と の 格 差 に よ り、 深
民元はチャイナの管理下
義 と い う 。ま た 、ワ ン ワ ー
的な個々のフィルターを
ぞ まつ
扇情的な本のたぐいかと
心に推進されてきたワン
刻な国内的分断が乗じて
に あ り、 そ も そ も 人 民 元
グ の 中 に 「フ ェ イ ス ブ ッ
え
思ってしまう人もいるか
ワ ー ル ド 主 義 の 行 方、 と
い る。 さ ら に、 そ の 後 は
代 が 到 来 し つ つ あ る。
や
ルド主義はワンワールド
(つ づ く)
て 問 い 質 し た り せ ず に 遣 り 過 ご す こ と で、 盛 平 が
ただ
の信用自体がドルとユー
排 し、 国 際 政 治
とどまつ
も し れ な い。 だ が 実 際 に
いう三つの主要なテーマ
は つ は 元 々、 口 数 が 少 な い 気 性 で は あ る が、 そ おんびん れ に も ま し て、 彼 女 の 今 の 穏 便 さ は、 不 審 を あ え 第一にアメリカ経済の
欧州金融危機の余波も受
に、 極 め て 緻 密 な 分 析 が
でんぷん
読 み 進 め る と、 ア メ リ カ
で 構 成 さ れ て い る。
ク=ヴァーチャル・ロー
い つ で も、 何 事 も 無 い 所 へ 立 ち 戻 れ る よ う に、 門
く る み
の実現を人類の理想とす
胡 桃 は い ち だ ん と 用 途 が 多 彩 で、 材 は 種 々 の 器 具 、建 具 、家 具 に 、樹 皮 は 染 料 に 、実 は 薬 用・食 用 に 、
ロと円によって支えられ
現実に目を向けることの
け て し ま い、 今 後 の ア メ
マ 帝 国」 と い う 野 心 が 見
経 ・ 済の
ま た、 本 書 は ワ ン ワ ー ルド主義というマクロな る 「 通 貨 バ ス ケ ッ ト 制 」 る 思 想 信 条 で も あ る。 大 19
リ カ 経 済 が 進 む 道 は、 基
を 開 け て お く 感 じ で あ る。
展 開 さ れ て い る こ と に、 行 方 に 関 し て。 2 0 0 8
そ し て 油 は 食 用 や 油 絵 具 製 造 に、 用 い ら れ る。
英帝国が全盛を極めた
重要さを本書は教えてく
が し か れ て い る の だ。 こ
ぞ まつ
え隠れするのもうなずけ 本 的 に 二 つ し か な い。 カ
すぐ気づかされるであろ
とどまつ
椴 松 ・ 蝦 夷 松 は、 土 木 建 材 か ら 器 具 用 材、 ベ ニ
え
歴史の潮流を踏まえつつ 年のリーマン・ショック
世紀中葉から第1次世界
の た め、 世 界 経 済 に お け
れ る だ ろ う。 (青 年 部)
ネ詰まりによるデフレ的
る。 大 企 業 や 国 家 は 自 己
11
も、 権 力 者 の パ ー ソ ナ リ
21
以 降、 ア メ リ カ の 中 央 銀
う。 本 書 は、 ① ア メ リ カ
なら
経済の現状と展望を中心
藤井厳喜『バカで野蛮なアメリカ経済』 扶桑社新書 2012 年 3 月 819 円
わ
務だということを力説し
21
「え え や な い か、 こ こ は」
志士を歴訪して意見を問 る。 べ き 地 を 察 し、 地 形 及 び
もそも我が国が新疆に目
を 耳 に し た と い う。 と い
雪 で お れ が 音 を 上 げ る 思 た ら、 料 簡 違 い や し て)
28
つこ
う た が、 な か で も 元 外 務 と、 朝 鮮 は 清 国 の 拠 点 で 気候等の利用を考定する
を付けたのは明治時代後
うのも同王は日本人であ
つ
態 度 に 終 始 し て い た。 そ するにはいかなる力を用 の 予 算 を 立 て る こ と。 第
襲 わ れ、 旅 費 を 奪 わ れ た
ま で、 ま こ と し や か な 飛
ん か え」
卿で興亜会の主宰者でも ある満州の藩屏であるか ときあたかも当時のロ シ ア は、 シ ベ リ ア 鉄 道 を こ と。 第 三、 新 疆 の 回 族
期 に な っ て か ら で あ り、 び 西 北 辺 境 へ の 長 途 に つ
る 岡 野 を 見 て、 自 分 は か
拓 地 の 暮 ら し に は、 何 は さ て 措 き 生 活 用 品 一 通 り
ごう
こ で、 こ れ で は 日 清 の 同 う べ き か、 ま た い か に し 八、 牧 畜 開 墾 商 業 等 の こ
ために到着が大幅に遅れ
報 や 憶 測 が 錯 綜 し た が、
長崎鎮西日報の社業に携 あった副島種臣の対中開 ら清国はこれを絶対に放 敷 設 し、 中 央 ア ジ ア 鉄 道
ラマ族及び屯田兵流入等
い た の で あ る。 道 中 で
生死の境に掘られた雪の洞に閉じ込められなが ら、 に ん ま り し て い る 盛 平 を、
を 提 供 し て く れ る 商 店 が、 要 る の で あ る。 遠 軽 は、
はんごう
盟など到底覚束ないどこ てこれに着手すべきかを と を 熟 察 し、 新 疆 幹 部 支
た の で あ る。 漢 口 に 戻 っ
年 戦論に深く共鳴するとこ 棄 し な い こ と、 朝 鮮 は 自 をイリ方面に延長するこ
の 状 態 を 視 察 し、 我 に お
その時代に新疆に入った
は、 中 国 人 に 身 を 扮 し、 つ て 一 人 の 日 本 人 ら し い
「よ う も、 そ な い に 落 ち 着 い て ら れ る な あ」
い
ろ か、 こ の ま ま で は 朝 鮮 視 察 し て、 そ の 方 法 を 定 部 の 執 る べ き 事 業、 及 び
た 浦 は 再 起 を 期 し た が、 い ま に 至 る も そ の 真 相 は
荒尾精が営む漢口楽善堂 ろ が あ っ た。 こ の 会 見 に 力を以て独立を保持する とで東方に勢力を伸長す
いてこれを用うればいく
日本人はわずかに日本の
名 を 「 宋 思 斎 」 と 改 め、 旅 行 者 を 王 府 に 泊 め た こ
大陸雄飛の動機
を 拠 点 に 活 動 し た。 そ も お い て、 副 島 は 我 が 国 の ことはできないから早晩 る計画を着々と進めてい
ば く の 力 を 得 べ き や、 ま
ロシア駐在公使西徳二郎
き
はおろか清国までも西欧 むるは今日の用務なりと 本部より費やす資本を算
明 ら か に な っ て い な い。
そも彼が中国行を志した 天然の地勢が四囲を海に いずれかの列強に侵略さ た。 そ こ で 楽 善 堂 で は こ
たこれを収攬統合するに
い
列強の植民地となって我 す。 こ こ に そ の 視 察 の 要 定 す べ き こ と 。」
もともと中国に渡って日
年 囲まれ攻めるに便にして れ る こ と な ど を 挙 げ、 な れへの対策を協議した結
い か に し て 着 手 す べ き や ( 1 8 8 0 )、 大 谷 光 瑞 ・ 漢 口 よ り 携 行 し た 書 籍 や
た
が国の国防上一層の不利 目を挙ぐれば即ち左のご
も 浅 く、 言 語 に 未 習 熟 な
に朝鮮開化派の指導者で 守るに不便であることを ら ば い っ そ の こ と、 こ の 果、 イ リ 地 方 の 情 勢 を 調
浦 敬 一 は 万 延 元 年 (1 8 6 9 年) 平 戸 の 出 身 で
あ る 金 玉 均、 朴 泳 孝 等 が 指 摘 し た う え で、 万 国 公 際我が国は先手を打って
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20 17
ア ル シ ャ
朝鮮の近代的な内政改革 法 に お け る 「均 勢 の 義」
浦敬一
を企図しながらも清国の
ほおげた
を来すことを憂慮した彼 と し。 第 一、 露 兵 の 進 入 苦難の新疆入り
た だ、 岡 本 県 出 身 の 志 ご は い ふ 士で呉佩孚将軍の幕賓で
東亜の先覚烈士、浦敬一
(8) 紀元 2672 年 平成 24 年 4 月 15 日
動 運 年 青 年 4 回発行
第 967 号