基礎となるもの | 宣教における中⼼的な確信 | 鍵となることば | 宣教師の働き |
基礎となるもの
基礎となるもの v.2 (2018) Copyright © 2018 International Mission Board Unless otherwise noted, all Scripture quotations are from the ESV® Bible (The Holy Bible, English Standard Version®), copyright © 2001 by Crossway, a publishing ministry of Good News Publishers. Used by permission. All rights reserved. (引⽤聖書は新改訳聖書から引⽤しました。使⽤許諾○○)
序文 / 3 提出 / 4 ⽬的声明⽂ / 5 「基礎的となるもの」 早⾒表 「基礎的となるもの」 早⾒表 / /66 私たちは誰なのか / 9 私たちは何をするのか / 17 宣教における中⼼的な確信 / 25 鍵となることば / 45 宣教師の働き / 73 結論 / 103
付録 / 107 終わりに / 139
提出
序文 神のことばは伝道の働きを定義し指示しなければなりませ ん。このため、国際宣教委員会は、世界中の私たちの活動 を支える神の言葉からの基盤を明確にすることを目的とし た複数年のイニシアチブを始めました。このイニシアチブ
IMBからのメッセージ
は、世界各地のIMB の受託者、スタッフ、そして宣教師の間 の共同作業を含みました。南部バプテスト連盟の牧師、お よび南部バプテスト神学校の各セミナーの教授教会や伝 道組織の他のさまざまな男女。以下のページはこのイニシ アチブの成果を描いています。 聖書の、神学的な宣教の基盤は宣教師にとってだけでな く、それを送って支援する教会にとっても重要です。すべ ての国々の間で弟子を作るというキリストの命令を考える と、牧師や教会員は、どのような宣教師なのか、何をするの か、なぜ教会が宣教師を派遣しなければならないのか、そ して ですから、宣教師だけではなく、牧師や教会員も、知られ ているキリストの福音、喜ばれたキリストの恵み、そしてキ リストの栄光が神から与えられたことを見るのに役立つこ とを願い、これらの基盤を提供します。特に彼の名前を聞 いたことがない男性、女性、子供たちの数十億人の中で。
3
はじめに 南 部 バ プ テスト 連 盟 国 際 宣 教 局( 以 下 I M B )
この⽂書の⽬的は、特定の⽅策やツ ールを⽰すのではなく、⾃分たちがど のような存在で、何をするべきかとい う基礎的な質問に答えるもので、世
は 、神 の 栄 光 のために、諸教会と協⼒し、無数の宣教チ ームをサポートし、福⾳未伝地域と未伝部族において主 の弟⼦を⽣み出し、教会開拓を推し進めていくために存 在しています。これらのチームはフルタイムの宣教師、学 ⽣、専⾨職をもって働く⼈、退職した⼈、宣教地(現地)の
界でどのように⽣活し働いていくの
クリスチャンなど、神の聖霊に満たされて失われた魂に神
かについて⽰唆することです。
の福⾳を広めることのために献⾝したすべての⼈を含みま す。この働きを効果的に達成するために、私たちは⾃分た ちがどのような存在であり、何をすべきかを⼀致して理解 する必要があるのです。これは団体全体にとって、また特 に宣教地で働いている宣教師にとっても当てはまります。 この⽂書の⽬的は、特定の⽅策やツールを⽰すのではな く、⾃分たちがどのような存在で、何をするべきかという基 礎的な質問に答えるもので、世界でどのように⽣活し働い ていくのかについて⽰唆することです。
4
⽬的声明⽂ IMB の「基礎となるもの」は私たちがどのような存在であ り、南部バプテスト連盟 IMB として何をするべきかを説明 しています。この⽂書を記述する⽬的は以下の⽬的を達成 することです。:
この⽂書は現在の⽬標と戦略、⽅法 とツールを評価し、強化するために ⽤いられるでしょう。
01
明確にする
04
宣教師のアイデンティティとその働きを、⾃分たちのため、 ⽀援教会のため、そして、宣教に携わっている福⾳派の諸 教会、諸団体のために明確にする。
戦略的な計画と意思決定を導きます。
02
05
可能にする
定義する
将来宣教師になる⾒込みのある⼈たちと IMB の双⽅が、 彼らにとって IMB がふさわしいかどうか⾒極めることを可 能にします。
導く
資源を忠実に管理するための枠組みを定 義します。
06 03
形づくる
規定する
宣教師と⽀援教会に提供するトレーニングを形づくりま
宣教の働きの戦略とツールを作り、評価 し、強化するための基準を定めます。
この⽂書は世界中で利⽤できるゲームプランというもので
半は IMB 内での⼀致した⾒解で、何世紀
はありません。むしろ、その名称にあるように、構築できる
にもわた って宣教師が訊ね求め、私たち
戦略の基礎と枠組みを提供するものです。
の団体がその重要な質問に答えようとして きた内容です。それは広い意味で、私たち
この⽂書は現在の⽬標と戦略、⽅法及びツールを評価し、
クリスチャンが良き⾏いとしてこの世界で
強化するために⽤いられるでしょう。さらに、ある部分は⻑
果たすべき具体的な役割を定義づけてい
年の宣教師の働きにおいて、繰り返し起きた振り⼦の揺れ
ます。そして IMB 宣教師たちを励まし、強
に対して解決をもたらすことを意図しています。⽂書の⼤
め、祝福するためのものです。 5
「基礎的となるもの」早⾒表 私たちは誰なのか
私たちは何をするのか
根本的に私たちはイエス・キリストの弟⼦です。 キリストの弟⼦として以下のことを通して成⻑す る必要があります
私たちは世界宣教の働きの中で⾃分の役割を果 たすために以下のことを通して存在しています
ɣɣ キリストに忠実である ɣɣ 教会に忠実である
ɣɣ ɣɣ ɣɣ ɣɣ
⾃分の役割を果たす 宣教チームに所属する 資源を賢く管理する 宣教の働きのために
宣教における中⼼的な確信 1 / 神は私たちの最⾼の情熱であり、神の栄光 が私たちの究極的な動機です。
7 / 弟⼦を作ることは健全な教会を開拓すると いう意味です。
2 / 神のみことばは私たちを⽀配する究極的な 権威です
8 / 私たちは聖書的な福⾳の⽂脈化と現地化の ために働きます。
3 / 聖霊は私たちの導き⼿です。
9 / たちの優先順位:未伝部族や地域に福⾳を 届けることです。
4 / 祈りは私たちの戦略の中⼼です。 5 / 罪からの救いこそ、すべての⼈間にとって最 も必要なことです。
10 / 私たちの⽬標:神のためにではなく私たち⾃ ⾝のために⽬標を設定します
6 / ⼤宣教命令は私たちに弟⼦を作ることをじ ています。
弟⼦の6つの特徴
6
1 / 変⾰された⼼
4 / 変⾰された意志
2 / 変⾰された思考
5 / 変⾰された⼈間関係
3 / 変⾰された愛
6 / 変⾰された⽬的
健全な教会の 12 の特徴
伝道
弟⼦づくり
伝道
リーダーシップ
説教と教え
聖礼典
礼拝
交わり
祈り
責任と戒規
献⾦
宣教
宣教師の働き 伝道
弟⼦訓練
開始
退去
健全な教会の形成
リーダーの育成
7
私たちは誰なのか
私たちは誰なのか 私たちは根本的にイエス・キリストの弟⼦です。神の恵み と聖霊の⼒によって、私たちは神への反抗的な⼼を悔い改 め、イエスが救いに導いてくださるという信仰を⾝に着け ました。私たちの基本的なアイデンティティは、私たちが⽣ ける神の息⼦であり娘であるということです。私たちは今、 神の恵みによって聖霊とともに、神の栄光のために⽣きて います。最終的には神の似姿となるのです(ローマ 8:29) 。神のみこころは私たちが⼼を尽くし、思いを尽くし、知性 を尽くし、⼒を尽くして神を愛し、また、私たちが⾃分⾃⾝ を愛するように隣⼈を愛するようになることです(マルコ 12:30-31)。国々で効果的にキリストの弟⼦を作るため に、私たちは男⼥を問わず、キリストとその教会に忠実であ ることを通して、まず私たちがキリストの弟⼦として成⻑し なければなりません。
ɡɡ キリストに忠実である ɡɡ 教会に忠実である
私たちの基本的なアイデンティティ は、私たちが⽣ける神の息⼦であり 娘であるということです。
11
私たちは誰なのか
ɡɡ キリストに忠実である ɡɡ 教会に忠実である
主との交わりを通してのキリストへ の忠実さは、⽣活のあらゆる領域に おける変化に結びつく必要がありま す(ローマ 12:2)
弟⼦の6つの特徴 1 / 変⾰された⼼ 2 / 変⾰された思考 3 / 変⾰された愛 4 / 変⾰された意志 5 / 変⾰された⼈間関係 6 / 変⾰された⽬的
これらの変⾰の実は、⼀⼈ひとりが 継続的に聖霊に満たされて⾏くこと によって、すべてのIMB 宣教師に形 づくられるべきものです。
12
効果的な福⾳伝達者はイエス・キリストにつながり、成⻑ している主の弟⼦として忠実に歩んでいなければなりませ ん。キリストにつながっていることは、弟⼦としての個⼈的 な⽣活において、また宣教師として戦略的な効果を⽣み出 すためにも必要なことです。私たちがキリストにつながる ことにより、私たちの願いや思いをはるかに超えて聖霊が 賜物をくださり、⼒を与え、導いてくださるのです(エペソ 3:20)。また、⽇々集中して祈る時をしっかり取ることも含 まれます。これは⽇々のみことばの朗読、学び、暗唱、そし てそれを黙想することが含まれます。イエスの教えとお⼿ 本をしっかりと⾝につけていくことは、時には断⾷や⼀年 の中で数⽇あるいはそれ以上の主との親しい交わりの時を もつことも含まれます。主の弟⼦としてイエスに忠実に歩み 続けることは主との短い時以上のものが必要です。主に集 中し、⾃分を律し続けていくことが必要です。私たちは主 から離れては、何もできないのです(ヨハネ 15:5)。 主との交わりを通してのキリストへの忠実さは、⽣活のあ らゆる領域における変化に結びつく必要があります(ロー マ 12:2)。私たちが新しく⽣まれた時、神は私たちの⼼を 造り変え、かつて罪に死んでいた私たちをキリストにあっ て⽣きたものとされたのです。この最初の変⾰は瞬間的に 起こりました。けれどもそれ以外の変⾰は段階的なものと なります。みことばは私たちの⼼を徐々に変⾰し、私たち の世界観を整え直します。また、神が喜ばれるものが私た ちの喜びとなり、神が憎まれるものを私たちも憎むように、 新たなものとされていきます。 神が命じておられることのすべてに従っていくことを学ぶ とき、みことばは私たちの意志をも変⾰していきます。キリ ストが愛されたように神の⺠や隣⼈や私たちの敵にさえ愛 する愛が成⻑することによって⼈間関係が変⾰されます。 神の栄光とその福⾳のために⽣き、地上のすべての⺠に 福⾳がもたらされるという⽬的に沿って⽣きていくことに より、私たちは継続的に変⾰されていくのです。これらの 変⾰の実は、⼀⼈ひとりが継続的に聖霊に満たされて⾏く ことによって、すべての IMB 宣教師に形づくられるべきも のです。私たちの根本的なアイデンティティはイエス・キリ ストの弟⼦ということです。そして、これが私たちの⽣活の すべての領域を整えていくべきです(2 コリント 5:17)。
すべての IMB 宣教師は北⽶の地域教会の教会員として派 遣されます。私たちは神が地域教会を⽤いて、信者を弟⼦ として育て、賜物と召命を⾒極め、異⽂化での伝道と弟⼦ 訓練の働き⼿となる候補者を訓練し、その働きの備えが できていることを評価し、国々へ派遣すると信じます(エ ペソ 3:10)。派遣された後も働き⼈が派遣元である教会 に報告をしている例を聖書に⾒ることができます。それゆ え、すべての IMB 宣教師は弟⼦訓練を受け、審査を受け、 認められ、地域教会から派遣されなければならないので す。そして、理想的には海外で奉仕するすべての宣教師は 派遣元となる教会としっかりした説明責任と協⼒関係を保 つべきです。宣教師を派遣し、良きパートナーとして協⼒す る⽅法を、必ずしもすべての教会が理解しているわけでは ありません。それゆえ、私たちは宣教師を派遣し、サポート するための訓練を諸教会に提供する責任があると認識し ています。
ɡɡ キリストに忠実である ɡɡ 教会に忠実である
派遣された後も働き⼈が派遣元であ る教会に報告をしている例を聖書に ⾒ることができます。
また、すべての IMB 宣教師は、⾃分が奉仕する宣教地に ある地域教会に積極的に関わる必要があります。IMB 宣 教師は派遣元となる北⽶の教会としっかりとした関係を維 持し続ける必要がありますが、距離的な理由から教会員 としての交わりと責任を果たすことはできません。定期的 に交わり、参加している教会が現在の⾃分の教会となりま す。そのような現実から、IMB 宣教師は教会の増殖に従事 していても、地域教会に積極的に参加する必要があります (へブル 10:24-25)。 地域教会への関わりは既存の教会に参加したり、開拓しよ うとしている教会に参加したりするなど、様々な⽅法が考 えられます。外国⼈の教会であったり、地元の⼈々の教会 であったり、またはその両⽅が存在する教会という選択肢 もあります。家で会うことも、ビルの事務所や屋外でも、ど こでも会うことができます。形はどうであれ、地域教会に 参加する必要のないクリスチャンはいません。これは単に 礼拝に出席するということだけではありません。すべての 信者は聖書の教えに従って教会員として「互いに」という 命令に従い、特定の教会にしっかりと関わらなければなり ません。そういうわけで、すべての IMB 宣教師は宣教の働 きを通して最⼤限福⾳の実を結びつつ、地域教会に積極 的に参加しなければならないのです。
この声明は「契約による関係」に説明されている フッターとして欄外に記⼊する。
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WHO WE ARE
すべての信者は聖書の教えに従って 教会員として「互いに」という聖書の 命令に従い、特定の教会にしっかり と関わらなければなりません。
海外の教会に会員となって参加する場合、神学, において は、 できる限り「バプテストの信仰とメッセージ 2000」¹に 沿う教会に参加すべきです。 教会論については、 「健全な 12 の教会の特徴」をできる だけ反映する教会に参加すべきです。それら 12 の特徴と は、聖書的伝道、聖書的弟⼦訓練、聖書的会員制度、聖書 的リーダーシップ、聖書的説教と教え、礼典である洗礼と 聖餐式、聖書的礼拝、聖書的交わり、聖書的祈り、聖書的 責任と戒規、聖書的献⾦そして聖書的宣教です。宣教師は これらを備えたキリストの体なる教会から励まされ、⽀え られ、また他の⼈々を励まし、養うべきです。
宣教師の働き 伝道
開始
さらに、宣教地で働く IMB 宣教師は、私たちが開拓しよう としている教会に神学的、教会論的、宣教論的に、できる 限り沿った教会に積極的に参加すべきです。
宣教論については、 「宣教の働きの 6 つの要素」に対して 宣教師が従事することを⽀える教会であるべきです。6 つ の要素とは、開始、伝道、弟⼦訓練、健全な教会の形成、 健全な教会の形成 リーダーの育成、そして退去です。理想的には IMB 宣教 師はそのチームの働きのためにパートナーとなってくれる 教会(その可能性がある教会)にできるだけ参加するべき です。宣教の働きを妨げるのではなく、できるだけ助ける 教会に参加すべきです。 弟⼦訓練
退去
リーダーの育成
IMB 宣教師は宣教地において、神学的、教会論的、宣教 論的にできる限り同意できる、現地の⾔語と⽂化を⽤いる 教会に参加することを真剣に考慮すべきです。
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基本的には、宣教地の教会にできるだけ参加すべきです
基本的には、宣教地の教会にできる ++ 宣教地の教会が健全でなく私たちの宣教論と合わ ない場合、⼀緒に宣教活動することは避けなければ ならないかもしれません。しかしイエスを信じる純 粋な信者と良い関係を継続し、それらの教会を⼒づ け、再活性化していく⽅法を求めていくべきです。
だけ参加するべきです。
++ 宣教地の教会が神学的にも教会論的にも健全であ りながら、私たちの宣教論と合わない場合、宣教 の働きに協⼒し、その教会が健全に宣教していく ことができるように絶えず促していくべきです。 ++ 宣教地の教会がこれらのすべての⾯で健全である 場合、その教会の中で、またその教会を通して宣 教の働きを進めていくことを⽬指すべきです。
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私たちは何をするのか
私たちは何をするのか 私たちは世界宣教の⼤いなる働きにおいて役割を果たす ために存在しています(詩篇 105:1)。神が⼈類の歴史の 中でご⾃⾝の⽬的を達成するために⽤いられるのは、私た ちだけではないということを知っています。聖書の福⾳を 信じている他の福⾳的な宣教団体も世界宣教に従事して います。また、世界中の福⾳的な教会がイエス・キリストの 福⾳を必要としている⼈々にそれを分かち合い、弟⼦を育 て、教会増殖をおこなっています。神の恵みにより、私たち はこの⼤いなる働きにおける⾃分たちのなすべき役割を果 たしつつ、彼らと協⼒しています。私たちはチームとして働 きを進め、宣教の働きのために与えられた資源を賢く管理 します。これは北⽶において、働きのために⼈々を動員し、 訓練し、⽀え、リーダーシップを取るチームに参加するすべ ての⼈材においても当てはまります。世界中の宣教地にお いて宣教師の働きにおける6 つの要素に集中して奉仕して いる働き⼈たちについても同様です。
ɡɡ ⾃分の役割を果たす ɡɡ 宣教チームに所属する ɡɡ 資源を賢く管理する ɡɡ 宣教の働きのために
私たちはチームとして働きを進め、 宣教の働きのために与えられた資源 を賢く管理します。
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私たちは何をするのか
⾃分の役割を果たす
ɡɡ ⾃分の役割を果たす ɡɡ 宣教チームに所属する ɡɡ 資源を賢く管理する ɡɡ 宣教の働きのために
IMB のすべての働き⼈はどのような役割 を果たすにせよ必要不可⽋であり、忠実 に、また勤勉に遂⾏していく必要があり ます(1 コリント 15:58)。
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北⽶でも海外でもすべての IMB 宣教師には期待されてい ることがあります。私たちはみな、忠 実にキリストにつな がり、成⻑し続ける弟⼦であるべきです(ヨハネ 15:16) 。また、失われた魂に福⾳を宣べ伝え、教会において信徒 を弟⼦とすべきです(マルコ 16:15)。しかし、同時に私た ちはそれぞれ独⾃の役割をもっています。すべての IMB 宣 教師は⾃分の責任を定めた職務内容を持っています。それ はみなが協⼒して宣教の働きを達成するためのものです。 その職務内容に沿って私たちは勤勉に働く必要がありま す。私たちは組織としてそれぞれがその働きを全うできる ように訓練とサポートを提供します。IMB のすべての働き ⼈はどのような役割を果たすにせよ必要不可⽋であり、忠 実に、また勤勉に遂⾏していく必要があります(1 コリント 15:58)。
働き⼈が個⼈でも夫婦でも家族でも、孤⽴して働くのはよ くありません。新約聖書には福⾳の働き⼈たちがチームや 少なくても⼆⼈で働いている姿が確実に記されています( ルカ 10:1、使徒 13:2、16:39-41)。宣教師は必ずチー ムの⼀員として働かなければならないという具体的な聖書 の命令はありません。しかし、チームで働くことの知恵を⾒ 出すことは確かにできます。170 年にわたる IMB の経験 は、宣教師が孤⽴して住んだり、働いたりすることの難しさ を物語っています。単独で働く⼈たちは宣教地にとどまり 続けることも困難となり、働きの実を結ぶことも難しいの です。宣教師には交わり、励まし、同労者による責任の共 有が必要です。それなしで働くことは賢くありません。そう いうわけで IMB はチームで宣教の働きをすることの⼤切 さを信じています。
宣教チームに所属する
ɡɡ ⾃分の役割を果たす ɡɡ 宣教チームに所属する ɡɡ 資源を賢く管理する ɡɡ 宣教の働きのために
宣教師には交わり、励まし、同労者 による責任の共有が必要です。
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私たちは何をするのか
資源を賢く管理する
ɡɡ ⾃分の役割を果たす ɡɡ 宣教チームに所属する ɡɡ 資源を賢く管理する ɡɡ 宣教の働きのために
私たちはこれらすべての資源の所有 者ではなく管理者なので、私たちを 派遣している教会と互いに対して責 任を持っています。
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神は働きのために驚くべき資源をもって祝福してください ました。私たちがそれを持ち合わせているわけではありま せん。すべては神のものです(詩篇 89:11)。ですから、 私たちを派遣し、サポートする教会を通して与えられた資 源の管理について、私たちには神に申し開きをする責任が あります(へブル 4:13)。資源には同労者に与えられた賜 物、技能、才能も含まれ、私たちは愛と知恵をもって彼ら を訓練し、導き、養い育てていかなければなりません。ま た、 資⾦や不動産などの物理的な資源も含まれます。そ れらも透明性をもって誠実に管理し、情熱をもって最⼤限 に有効活⽤していくのです。また、私たちはそれぞれ、時 間、⼈間関係、能⼒も管理する責任があります。私たちはこ れらすべての資源の所有者ではなく管理者なので、私たち を派遣している教会と互いに対して責任を持ち、私たちの 団体によって築き上げられた報告と説明責任のプロセスも ⼼から従うべきです。罪はいとも簡単に私たちに取り巻く ので、私たちは互いに対する責任をないがしろにしてはな りません(ルカ 12:48)。しっかりとした管理と責任は私 たちの働きにとってなくてはならないものなので、私たち はよき管理と責任を促進することにフルタイムで仕える宣 教師たちをしっかりと⽀えています。
神が私たちに与えられた宣教の働きの中⼼は、私たちが神の証 ⼈となり(使徒 1:8)、主の御名によって罪からの悔い改めと赦 しを宣べ伝え(ルカ 24:47)、地上のすべての国々と⺠族にお いて弟⼦をつくる(マタイ 28:16-20)ことです。私たちが宣教 のチームにおいて⾃分に与えられた役割を果たし、資源を管理 していくことによって私たちはその働きを成し遂げます。それは 神が聖い、⼤いなる、気⾼いお⽅で、神が創造されたすべての被 造物によってほめたたえられるに相応しいお⽅だからです(詩 篇 145:3)。神は主権者であり(詩篇 115:3)すべての創造の 審判者です(詩篇 50:6)。すべての⼈は神の御前で考え、こと ば、また⾏いについて申し開きをする責任があります。また、神 の義は完全です。どのような悪、罪、不義も神の御前に⽴つこと はできません。 私たちはすべての⼈があらゆるところで神に反抗したと信じます (ローマ 1:21)。罪は⼈間のすべての性質を堕落させ、罪深い ⼈間は⾃分で⾃分を救うことも、救いの⼿助けをすることも全く できません。神の介⼊なしにはこの地上のすべての⼈は地獄で の永遠の裁きに向かっているのです(エペソ 2:1-3)。 私たちの神はまた、恵みとあわれみと愛の神です。神の完全 な恵みによって神は⼈類の歴史に介⼊され、当然裁きを受ける べき罪深い⼈々を贖う救いの働きを始められました(エペソ 2 :4-5)。神は愛のゆえにイエス・キリストとして⼈となられ、私た ちの⾝代わりとして歩まれ、私たちの⾝代わりとして神の怒りを 背負って死なれました(1 ヨハネ 4:10)。そして死より復 活さ れ、罪と死と地獄に対して永遠の勝利者となられました。天に昇 り、⽗なる神の右の座に着かれたのです。そこで神の⺠にとりな しの祈りをささげおられます(ローマ 8:34)。世の終わりに主 は再び来られて、⽣きているものと死んだものとを裁き、神はと こしえに統べ治められるのです(2 テモテ 4:1)。
宣教の働きのために
ɡɡ ⾃分の役割を果たす ɡɡ 宣教チームに所属する ɡɡ 資源を賢く管理する ɡɡ 宣教の働きのために
神は愛のゆえにイエス・キリストとし て⼈となられ、私たちの⾝代わりとし て歩まれ、私たちの⾝代わりとして 神の怒りを背負って死なれました(1 ヨハネ 4:10)。
私たちは神が今、あらゆるところにいるすべての⼈々に神に対す る反抗を悔い改め、救いを受け、⼈⽣を⽀配していただくため にイエスのみを信じるようにと命じておられると信じます(使徒 17:30)。イエスを信じる者はみな救われますが、イエスを信じ ない者はみな罪のゆえに裁かれます(ヨハネ 3:16-18)。それ以 外に救われる⽅法はありません。私たちは聖書から、⼈々は救 われるためにイエス・キリストの福⾳を受け⼊れ、理解し、信じ なければならないと確信しています(使徒 4:12)。
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宣教における中⼼的な確信
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宣教における中⼼的な確信 01
06
神が私たちの最⾼の情熱であり、 主の栄光が私たちの究極的な動機です
⼤宣教命令は弟⼦を⽣み 出すことを命じています
02
07
神のみことばが私た ちを⽀配する究極的な権威です
弟⼦を作るとは、健全な教会を開拓する という意味です
03
08
聖霊が私たちの導き⼿です
04
祈りは私たちの戦略の中⼼です
05
罪からの救いこそすべての⼈間にとっ て最も必要なことです
私たちは聖書的な福⾳の⽂脈化と現地化 のために働きます
09
私たちの優先順位:未伝 の部族や地域に福⾳を届けることです。
10
私たちの⽬標:神のためにではなく、 私たち⾃⾝のために⽬標を設定します。
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宣教における中⼼的な確信
神が私たちの最⾼の情熱であ り、主の栄光が私たちの究極 的な動機です
神の栄光とはその真剣さ、完璧さ、そ してすべての無限の神のご性質を表 します。
これは私たちが最初に肝に銘じておくべき⼤切な宣教の 確信です。真のキリスト教は神が中⼼です(コロサイ 1:18 )。真のキリスト教はイエス・キリストが⾔われたように、最 も⼤いなる命令は私たちが⼼を尽くし、たましいを尽くし、 ⼒を尽くし、知性を尽くして主なる神を愛するということで す。イエスに信頼する⽬を通して、⼤いなる崇⾼な三位⼀体 の神の素晴らしさを垣間⾒た者たちはそのビジョンを⾒過 ごすことなどあり得ません(ピリピ 3:8)。神とその栄光に 魅せられることは、神を真に知る知識の顕著な表れです。 神の栄光とはどのようなものでしょうか。この栄光というこ とばの元々の意味は重量感を⽰唆します。神の栄光とはそ の真剣さ、完璧さ、そしてすべての無限の神のご性質を表 します。神がどのようなお⽅で、いかに輝いているか。その 完全さに表現されている存在感ということなのです。 私たちは⾃分の⼈⽣と働きの中で、神の栄光を表すことの 核⼼をしっかりと⾝に着ける必要があります。この世のあま りにも多くの福⾳的なキリスト教が、⼈間中⼼または⾃分 中⼼となっています。神を何か⾃⼰実現のために、あるい は単なる他者の幸福の⼿段に押しやってしまっているので す(2 コリント 11:3-4)。弟⼦訓練は単なる⾃助プログラ ムと化し、⽣活の⼤部分の領域には触れられることなく、 ⼈⽣のすべての分野を神に聖別し、神のかたちに似せて変 えられていくという⽣涯にわたる神との愛の関係ではなく なってしまいました。
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もし私たちの究極的な動機が神の栄光であるなら、私たち の働きの⽬標とそれを達成するための⽅法が定まります。 私たちの⽬標は世界が海の⽔でおおわれるように神の栄 光の知識で満たされることです(ハバクク 2:14)。私たち はすべての⺠族、⾔語、⼈々、国々から神が御名にふさわし く栄光をお受けになることを⾒たいと切に願います(詩篇 96:1-9)。私たちの宣教その⽬標に到達するための⼿段で す。これは新しく聖い、真剣な弟⼦訓練を教会にもたらし ます。私たちは神の栄光が宣べ伝えられ、映し出され、掲 げられ、神に召し出された⼈々によってあがめられるまで 決して満⾜しません。働きは私たちのためではなく、究極 的には世界の国々のためでもありません。神にのみ焦点が 向けられるのです(イザヤ 48:9-11)。
私たちの⽬標は世界が海の⽔でお おわれるように神の栄光の知識で 満たされることです (ハバクク 2:14)。
神の栄光への情熱はまた、私たちが働きをどのように追い 求めていくかを定義します。もし私たちの最終的な⽬標が 神に栄光を帰すことであれば、私たち個⼈の⽣活と働きを 切り離すことはできません(ヤコブ 1:21-26)。⾃分が家 族をどのように扱うか、どのように⾃分を楽しませている か、お⾦をどのように使うか、他者との⼈間関係はどうか、 ⾃分のからだをどのように管理するか、また隠れた⼼の状 態などを、 「働き」から切り離すことはできません。⽣活の すべての領域において神に栄光を帰することが私たちの 仕事であり、単に職務内容を順守することではないのです (1 コリント 10:31)。神に栄光をもたらすことを差し⽌め るようなものは、それがどのようなものであったとしても受 け⼊れることはできません。そういうわけで、この情熱は聖 いものであり、働きを達成するように思われるこの世的な 近道や誘惑から私たちを守 ってくれるのです (2 コリント 4:2)。
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宣教における中⼼的な確信
神のみことばが私たちを⽀配 する究極的な権威です
私たちは聖書が神のことばであると信じています。神は 66 巻にわたる聖書の著者に霊感を与え、それぞれの⽂章スタ イルや個性を⽤いてすべてのことばを神のことばとしまし た(2 ペテロ 1:21)。聖書が語ることは神が語るのです。 「 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正 と義の訓練とのために有益です。それは、神の⼈が、すべて の良い働きのためにふさわしい⼗分に整えられた者となる ためです」 (2 テモテ 3:16-17)。神が聖書にこのように霊 感を与えられたので、私たちは聖書が真理であり、⼗分で あり、完全なる権威があると信じます。 聖書は真理です。 聖書は嘘偽りがなく、過ちのない神のこ とばです。欧⽶の世界では絶対的真理という概念が失わ れてしまったかもしれません。けれども聖書には絶対的真 理が全体を通しても、また、細かい部分においても存在し ます。私たちは聖書が語るすべてに完全なる信頼を置くこ とができます。⼈間のなしうることには過ちがあります。た とえそれが伝統であれ、組織の規約であれ、専⾨家のアド バイスであれ、個⼈的な経験であれ、知恵であれ間違い が起こりうるのです。神のみことばは常に真理です(⺠数 記 23:19、詩篇 119:160、ヨハネ 17:17)。
聖書は私たちが知る必要のあることすべてにおいて明確です。 時に聖書は少し理解するのに難しいという⼈たちがいま す。しかし、問題は従うのに抵抗があるということのほうが しばしばです。神は意志疎通に失敗していません。確かに クリスチャンの間にも、救いに⾄る中⼼的な教え以外の細 かい部分において⾒解の相違が⽣じています。しかし私た ちが知らなければならない中⼼的な教えのすべてにおい て、⾃分勝⼿な解釈で読み込むのではなく、⽂字通りに従 おうとする⼈たちには、みことばが新しいいのちをもたらし ます(詩篇119:99,104,130、箴⾔ 2:6、ヨハネ 16:13、1 コ リント 2:12-16)。
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聖書は⼗分満ち⾜りたものです。聖書以外からの啓⽰は必 要ありません。聖書以外から神がどのようなお⽅か、どうす れば救いに導かれるか、どのようにクリスチャンとして⽣活 し神が与えてくださった働きの中で神に仕えていけばいい かを教えられる必要はないのです。特に、世界宣教という ⼤いなる働きに際して、聖書以外からその戦略を判断し形 成する必要はありません。他の情報が私たちの働きの助け となることがあるかもしれません。そして神は私たちが知 恵によって決断することを任せてくださいます。しかし、聖 書のみが働きを導く⼗分な導き⼿なのです(詩篇 119:98100、2 テモテ 3:16-17)。
留意点
最後に聖書は⼗分満ち⾜りたものです。聖書はまさに神 のことばそのものであり、天地を統べ治められる王なる神 ご⾃⾝の権威をもたらします。聖書には⼈間が⽣み出し たあらゆる政府や教えに勝って⼤いなる権威があります。 宇宙における最⾼の権威です。そういうわけで私たちはあ らかじめしっかりとした信頼とそのすべての教えに従う決 意をもって、聖書に取り組まなければなりません(申命記 12:28,13:4、1 サムエル 15:22、イザヤ 66:1-2、使徒5:29)。 これらすべての事柄は、私たちはその戦略と戦術を聖書か ら導かれなければならない ことを指し⽰しています。⾃分勝⼿な計画を⽣み出して、そ れを裏付ける聖書の教えを探し求めるということではあり ません。まず、聖書に向かい、そこからなすべきことを教え られ、それを⾏うのです。すべての教え、⽅法、結果を最⾼ の権威である聖書を通して評価します。神が私たちの⼈⽣ と働きを⽀配しておられるのですから、みことばがすべて を⽀配しなければならないのです。
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宣教における中⼼的な確信
聖霊が私たちの導き⼿です
神はイエス・キリストを救い主、そして主として信じるすべて の⼈に聖霊をお与えになったと私たちは信じます。聖霊が 罪⼈の罪と義と裁きを指し⽰します(ヨハネ 16:8)。聖霊 が霊的に死んだ⼈々を、新⽣体験を通してキリストにある 新しい命へと導きます(ヨハネ 3:8)。聖霊は罪を葬り、御 霊の実を結ぶことを通して、信者をキリストのかたちへと造 り変えていきます(ガラテヤ 5:22-23)。聖霊がキリスト の体なる教会を建て上げるために信者に聖霊の賜物を与 え、その奉仕の働きを教会とこの世にあって推し進めてい きます(1 コリント 12:4-11)。聖霊が聖書に霊感を与え、 聖書を理解し信じることができるように信者の思いに光を 照らします(2 ペテロ 1:20-21)。聖霊が信者を真理へと 導き、同じ聖霊が真理に従うことができるよう⼒を与えます (ヨハネ 16:13)。聖霊の臨在とその働きを離れてはクリ スチャンの信仰⽣活も、 ミニストリーも、宣教の働きもあ り得ないのです。 聖霊はイエスをほめたたえ、指し⽰されます。聖霊の働き は、聖書が⽰しているイエスの中⼼性と引き離しては考え ることはできません(ヨハネ 16:14)。また、聖霊はみこと ばと密接に結びついています。聖書に霊感を与えた聖霊 は、信者が聖書と⽭盾することを導くことはありません。む しろ、みことばを⼼に呼び起こし、⽣活において適⽤する ように働かれます(ヨハネ 14:26)。
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聖書の教えが私たちの⼈⽣の様々な分野に⼀般的な原理 原則を指し⽰すことを私たちは認めます。ある決断につい て具体的な命令や進め⽅が記されていないところもありま す(たとえば結婚についてですが、聖書はどのような⼈と 結婚すべきか述べていますが、どの⼈と結婚すべきかは述 べていません)。またミニストリーにおいて、同じくらい聖 書的で、同じくらい緊急な選択肢の中から決断をする時も 同じことが当てはまります)。このような場合、すべての決 断を下すにあたって聖霊に導きを求めます。聖霊はしばし ば、ごく普通の出来事を通して導かれます。たとえば、他者 からの助⾔、神の摂理による状況、知恵や妥当な決断など です。
聖霊の臨在とその働きを離れてはクリス チャンの信仰⽣活も、ミニストリーも、 宣教の働きもあり得ないのです。
クリスチャンの信仰⽣活と働きのすべての領域における聖 霊の本質的な役割を理解した上で、神に仕えたいと願う者 はみな、聖霊と歩調を合わせ、汚れや聖霊を無視すること によって聖霊を悲しませたり、消したりしてはなりません( ガラテヤ 5:25、エペソ 4:30、1 テサロニケ 5:19)。聖霊 とみことばの確固とした結びつきを理解した上で、神に仕 えたい願う者は聖書を学び、思い巡らすことにより、⼼と 思いをみことばによって満たすべきです(詩篇 1:2)。最 後に、聖霊とキリストの体と親しい関係を理解した上で、 神に⽤いられたいと願う信者は、忠実に地域教会の教え に従い、責任を負い合う関係に参加すべきです(コロサイ 3:16)。
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宣教における中⼼的な確信
祈りは私たちの中⼼的な 戦略です
私たちはその世界観において超⾃然 を信じることを恥とせず、神が祈りを 通して超⾃然的に働かれることを信 じます。
罪からの救いこそすべての ⼈間にとって最も必 要なこと です
イエスは収穫のための働き⼈のために祈るようにと命じら れました(マタイ 9:37-38)。主は私たちが常に祈り、⼼を 失うことのないように教えられました(ルカ 18:1-8)。初 代教会は、迫害の中で⼤胆に伝道できるよう祈りました( 使徒 4:29)。使徒パウロは絶えず祈るようにと語っていま す(1 テサロニケ 5:17)。また、⾃分の伝道のために祈る ように求めました(エペソ 6:18-19)。私たちも同じように すべきです。私たちはイエスから離れては何もできないと 信じます(ヨハネ 15:5)。それゆえ、祈りは私たちのすべ ての戦略において中⼼となるべきです。これには⾃分が勤 勉に祈ること、また⾃分たちのために新しい信者も訓練し て、働きのために祈る⼈を求めていくことも含まれます。ま た、祈りが答えられたことを神に感謝することも忘れてはな りません(1 テサロニケ 5:18)。私たちはその世界観にお いて超⾃然を信じることを恥とせず、神が祈りを通して超 ⾃然的に働かれることを信じます。祈りとは仕事をする前 にちょっと⾏うというものではありません。祈りは私たちの 働きに浸透していなければならないのです。 この世界には多くの必要があり、イエス・キリストの聖霊に 満たされた⼈々はどこにおいてもそのような⼈々の必要を 満たすように導かれます。⼈間の⼤きな苦しみは私たちを 様々の⽅向へと導くので、まず私たちは⼈間の最も⼤きな 必要を知り、優先順位の中に正しく位置づけることが必要 です。⼈間にとっての最も⼤きな必要は罪からの救い、神 との永遠のいのちです。 聖書は⼈間の罪深さを冷徹に描いています。私たち⼈類の 最初の両親は神に反抗し、すべてこの地上に⽣を受けた者 (唯⼀イエス・キリストを除く)は罪⼈として⽣まれました (詩篇 51:5、ローマ 3:23、5:12-19)。聖書によれば罪⼈ である⼈間は、男も⼥も聖なる神の御前に有罪であり、神 の怒りを受けて当然の存在です。その罪は⼈間の性質の すべての領域に及び、神ご⾃⾝のことを理解できず(1 コ リント 2:14)。神を愛することをせず(ヨハネ 3:19-20) 、神の命令に従わず(ローマ 8:7)、神を求めず(ローマ 3 :11)、神を喜ばせることができないのです(ローマ 8:8) 。また、神の恵みによって解放されることなく、罪の奴隷と なっています(ローマ 6:16-18)。単に病気を患っている
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のではなく、霊的に死んでいます(エペソ 2:1)。⼈間は 神の怒りの下にあるのです(ローマ 1:18、エペソ 2:3) 。永遠かつ恐ろしい地獄での罰を受けることになり、その 宣告は正しいのです。 (マタイ 10:28、13:36-43、18:9 、25:41-46、 マルコ 9:43-47、ルカ 12:5、2 テサロニケ 1 :5-10、へブル 10:26-31、2 ペテロ 3:7、 黙⽰録 20:11-15)。.
罪からの救いこそすべての ⼈間にとって最も必 要なこと です
神の驚くべきあわれみにより、神は私たちが当然受けるべ きこの裁きから逃れる道を備えられました。私たちの主イ エスは⼈間の⾁体をとられた神のひとり⼦で、私たちが⽣ きるべき⼈⽣を⽣き、私たちが死ぬべき死と裁きをその⾝ に受けられました(2 コリント 5:21)。罪と死と地獄に対 する永遠の勝利者としてよみがえられました(1 コリント 15:3-4、20-28)。主は今ご⾃⾝の⺠をこの地上のすべての ⺠族に派遣し、だれでも⾃分の罪を悔い改め、イエスを主 として信じるなら赦され、永遠のいのちを受けるという福 ⾳を届けています(マタイ 28:16-20、ルカ24:44-49、使徒 1:8)。これが、私たちが裁きから逃れることのできる唯⼀ の⽅法です。⼈々は神と和解し、地獄から救われるために 福⾳のメッセージを聞き(あるいは⽂字や⼿話で読み)信 じなければならないのです。それ以外に救いに⾄る⽅法は ありません(ヨハネ 3:18、14:6、使徒 4:12、 1 ヨハネ 5:11-13)。 これは宣教の働きに対して明確な意味合いを⽰していま す。私たちは特に福⾳を⼀度も⽿にしたことのない⼈々に 対して福⾳を語ることを最優先としなければなりません。 罪と裁きの現実に照らし合わせて、悪びれることなく伝道 するのです。
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宣教における中⼼的な確信
⼤宣教命令は私たちに弟⼦を 作ることを命じています
弟⼦の6つの特徴 1 / 変⾰された⼼ 2 / 変⾰された思考 3 / 変⾰された愛 4 / 変⾰された意志 5 / 変⾰された⼈間関係 6 / 変⾰された⽬的
弟⼦を作るとは健全な教会を 開拓するという意味です
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聖書は単に伝道が回⼼者を⽣み出すことに終わるのでは ないと指し⽰しています。イエス・キリストのすべての信者 の⽬標は神のかたちに似た者となることです(ローマ 8:29 )。⼤宣教命令の中⼼となる命令は弟⼦を作ることです。 宣教の働きとは、継続的に罪に対して死に(ローマ6:1-23 、8:13)、キリストの品性を⾝につけていく(ガラテヤ 5 :22-23、コロサイ 3:1-17、へブル 12:14、1 ペテロ 1:16 )、イエス・キリストの⽣涯にわたる学習者、また従う者た ちを作ることです。 伝道キャンペーンは素晴らしいものですが、⼗分ではあり ません。聖書的な宣教は意図的な戦略と勤勉な働きによ って新しい信者をキリストの似姿にまで育てていくことで す。これには 6つの変⾰、: つの変⾰、すなわち変⾰され た⼼、思考、愛、意志、⼈間関係、⽬的が含まれま。この⽣ 涯にわたるプロセスは私たちがイエスと顔と顔を合わせる 時が来るまで完成しません(1 ヨハネ 1:8-10、3:2-3)。宣 教師の役割は特に新しい弟⼦の初期の段階において重要 となります。新⽣児が⼤⼈よりも多くの助けを必要として いるように、新しい信者は聖書の知識においても、霊的な 訓練においてもキリストの姿に向かって成⻑するための助 けを必要とします(1 ペテロ 2:1-3)。その訓練には聖書研 究、祈り、断⾷、そしてなにより最も⼤切なことと 地域教会は神の⽬にとって驚くほど価値のある存在です。 すべての地域教会はキリストの花嫁です(エペソ 5:25-33 )。花嫁を⼤切にせず、⻑い期間守らず、必要を満たさない 花婿などいません。また、すべての教会はイエス・キリスト をかしらとするキリストの体です(1 コリント12:12-27、エ ペソ 5:23)。聖書は地域教会を神の家(1 テモテ 3:15 )、聖霊の宮(1 コリント 3:16-17)、真理の基礎であり柱 (1 テモテ 3:15)と呼んでいます。イエス・キリストは教会 のためにご⾃⾝の⾎潮を流し、 ⼗字架上でのご⾃⾝の死に よって買い取られました(使徒 20:28)。神は教会を⼤切 に扱われ、誰でも教会を破壊する者を滅ぼされると約束さ れています(1コリント 3:17)。もし神が地域教会をこれほ どまでに⼤切にしておられるなら、私たちも同じように⼤ 切にしなくてはなりません。
信者の霊的成⻑は、様々な状況を通して成し遂げられると 考えられますが、完全な聖書的な弟⼦訓練は地域教会に おいて起こります。1 コリント 12 章には神が⼀⼈⼀⼈の信 者に対して異なる賜物をお与えになり、互いに⽀え合うよ うにされたと明確に記されています。エペソ 4:1-16 は、私 たちは地域教会においてキリストにあって成⻑していくと 教えています。キリストに向かって健全に成⻑していくため にはリーダーの賜物だけではなく、教会のすべての部分、 つまり⼀⼈⼀⼈のメンバーがそれぞれの役割を担う必要が あります。
信者の霊的成⻑は、様々な状況を通 して成し遂げられると考えられます が、完全な聖書的な弟⼦訓練は地 域教会において起こります。
これは私たちの宣教論に 4 つの意味合いをもたらします:
1 /
宣教師⾃⾝もキリストの弟⼦を作るため様々の障 害を乗り越えてきたキリストの弟ですので、宣教師 の訓練は健全な地域教会において⾏われなけれ ばなりません。
2 /
教会のないところで弟⼦を作る時、その働きには教 会開拓が含まれる必要があります
3 /
未伝地域において福⾳が前進するための最も効果 的な⽅法は、増殖する教会開拓を進めていくこと です。
4 /
弟⼦訓練にはそれぞれのメンバーがれぞれの持ち 場で働き、 できるだけ早く聖書的な教 会の性質が 表されるような健全な諸教会が必要となります。
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宣教における中⼼的な確信
私たちは聖書的な福⾳の⽂脈 化と現地化のために働きます
私たちの⽬標は外部者でありつつ、 地域の⼈たちに受け⼊れられること です。
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福⾳は私たちの⽂化を含む特定の⽂化に縛られることは なく、すべての⽂化にチャレンジを与え、変⾰していきま す。私たちの⽬標は他の⽂化の⼈々を北⽶の⽂化に変えさ せようとするものではなく、むしろ、聖霊によって⼈々がそ の⽂化の中で聖書的で健全なクリスチャンへと変えられる ことです。また、外国の資源に依存することなく、⾃分たち で運営し、経済的に⾃⽴し、⾃ら増え拡がり、神学していく 弟⼦と教会を育てることです。これは私たち宣教師がどの ように福⾳を宣べ伝え、教会を開拓するかについて意味合 いを指し⽰します。
宣教師
私たちは福⾳を宣べ伝えようとする地域社会の⼀員となる ことに熱⼼に取り組み、地域に根差し、伝道対象者となる 未信者の⼈々と関係を築いていくべきです。その⾔語と⽂ 化を⽣涯かけて習得する学び⼿であるべきです。伝道対象 となる⼈々の⾔語を使えば、私たちが語ることを彼らがど のように理解しどのように考えるのかということを含めて、 福⾳を最も効果的に伝えることができます。また私たちは 福⾳のつまずきとなるものを⾃ら取り除かなければなりま せん(ローマ 14:13)。その⽂化に対して敬意を表し、神 を汚すような⽂化的なキリスト教やその地域の⽂化につま ずきを⽣じさせてしまうようなことからは距離を置くべきで す。その地域のコミュニティに仕え、彼らが感じている必要 に対する祝福の道を求めていくのです。 しかし同時に、その地域の宗教にこちらが改宗したかのよ うな印象を与えてはなりません。たとえ⽂化的なキリスト 教が⾮聖書的な歴史や⽂化を持っていたとしても、イエス に従う者としてのアイデンティティを否定してはなりません (マタイ 10:32-33)。その⽂化が現在どこにいて、これから どこに⾏こうとしているのかを理解する必要があり、過去 にしがみついていて現在を⾒ようとしないのはよくありま せん。私たちの⽬標は、外部者でありつつ地域の⼈たちに 受け⼊れられることです。最後に、聖書に反する習慣や態 度は決して受け⼊れてはなりません。
福⾳メッセージ
私たちは地域の宗教や⽂化を、霊感を受けた聖書と同等 であるという扱いをしない限り、使徒パウロがしたように、 福⾳への橋渡しとして⽤いることができます(使徒 17:28 、1 コリント15:33-34、テトス 1:2)。
私たちは福⾳のメッセージを分かち 合うために、様々な学習⽅法や伝達 ⽅法、またメディアを⽤いるべきです。
私たちは聖書の物語を⽤いて理解可能な福⾳の世界観を 確⽴することができますし、またそうすべきです。聖書は創 世記 3 章の⼈類の堕落から、⼀気にマタイの福⾳書 1 章 のイエス・キリストの誕⽣へとジャンプしてはいません。イ エスが地上に現れるまで、神は何世紀もの時間をかけてご ⾃⾝がどのようなお⽅であるか、何を要求し、⼈間がどの ような存在であるか、そしてそれに対して神は何をなされよ うとしたのかを確⽴されました。旧約聖書の世界観は聖書 的な福⾳の理解のために不可⽋です。時系列に従った聖 書の物語はその⽂脈において、多くの未伝地域を占める⼝ 伝⽂化において素晴らしい⼿段です。 私たちは福⾳のメッセージを分かち合うために、様々な学 習⽅法や伝達⽅法、またメディアを⽤いるべきです。その 地域の⼈々が世界観の真理をどのような学習⽅法で伝達し ているのかを⾒出し、その⽅法を⽤いて福⾳を伝える必要 があります。 例えば「アラー」という⾔葉を含め、その⾔語で最もふさ わしい名称を⽤いて神を⽰すことができます。²(英語の 「God」ということばは元々異教の神々という意味がありま した)。そのためには聖書の意味をしっかりと受け⽌め、 「 神」を表すことばについての過去の理解を修正する必要が あります。 同時に、私たちは福⾳の中⼼的な教義を過⼩評価しては なりません。地元の宗教と⽭盾する点や未信者が抵抗を 覚える時は特にそうです。聖書の中⼼的な教えである唯⼀ の真理としての⽗・⼦・聖霊なる神、キリストの神性、キリ ストの死と復活の事実、⾝代わりの犠牲としての死の必要 性、キリストにある信仰を通してのみによる恵みの救い、聖 書の完全性・無誤性・最終的権威、そして死と新しいいの ちという極論をもってのみ説明することができる回⼼の劇
²この理解は IMB 評議員の認可された⽂脈において了解されています。
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宣教における中⼼的な確信
留意点
的な性質などは、決して妥協してはならないのです。福⾳ の⽂脈化の⽬的は福⾳を⼼地よいものに作り変えるので はなく、明確化するということを忘れてはなりません。
教会 宣教師はイエスにある新しい信者が⾃分たちの⽂化的共 同体にできるだけ留まるよう勧めるべきです。聖書に従順 に従うことを妥協しない限り、それぞれの種族や⽂化に留 まるように励まします。地域教会は聖書に留まりつつ、信 仰と礼拝の表現において現地の⽂化を反映するべきです。 これは特にスタイルにおいて当てはまります。教会は外⾒ も、聞こえも、感じ⽅においても、現地に馴染んだもので あるべきで、外国⾵であってはなりません。新しい信者や 教会はクリスチャンの信仰と⽣活についての答えを外国⼈ の「専⾨家」ではなく、聖書に直接求めるべきです(2 テ モテ 3:16)。宣教師は彼らが⾃分たちの⽂化の中で直⾯ する様々な問題について、聖書を適⽤し、その⽂化の中で ⾃分たちの信仰を表現するように励まします。彼らの教え と信仰告⽩は⾃分たちの⽂化の中で直⾯する問題に対応 するべきです。これらの新しい教会は聖書の教えに沿った 現地の習慣を⽤いることができます。 さらに、教会はどこでも集まることができます。建物があ るかないかは、聖書的な本質に関わることではありません
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また、教会の⽂脈化において、常に適⽤されなければなら ない聖書的な原則があります。 ++ これらの新しい教会にはイエス・キリストに属して いるという明確なアイデンティテ ィがなければな りません。⾃分たちのことをなおも根本的には未信 者の宗教の⼀部であると⽰してはなりません。他 の宗教や予⾔者を信じたり、教えたりしてはなりま せん。また、そのような教典を神からのものとして はなりません(1 コリント 8:4-6、 10:19-22)。
教会は外⾒も、聞こえも、感じ⽅に おいても、現地に馴染んだものであ るべきで、外国⾵であ ってはなりま せん。
++ ++ 聖書の教えの中⼼である教会の教えと信仰告⽩はそ の中⼼に据えなければなりません。確かにみことばに よって解決しなければならない、それぞれの⽂化や世 代における様々な問題が起こります。しかし、聖書の 中⼼となる教義があります。それは普遍的に時代を超 え、場所を超えて中⼼的なものとして存在します。 教会は聖書的な教会というものをあらゆる側⾯から追求 していくべきです。詳しくは「鍵となる⽤語」の中の「教会」 (**⾴)に記されている定義とガイドライン、 「健全な教会 の 12 の特徴」 (**⾴)を参照してください。
現地化
宣教師の共通体験として、外国のリーダーシップと資⾦へ の依存が、教会の健全さ、成⻑、そして増殖を阻害する要 因となっていることが明らかになっています。そのため、私 たちは伝統的な宣教の原則である⼟着化に真剣に取り組 んでいます。新しい教会はできるだけ早いうちに、⾃分たち で運営し、資⾦を調達し、伝道活動を展開し、神学を確⽴ するべきです。 教会は⾃分たちで運営し導いていきます (Acts 14:23). For this reason, the normal role of a cross-cultural missionary is not to plant a church and then pastor it, but rather to plant a church and seek to raise up, nurture, and train local leaders, after the model of the apostle Paul. In keeping with our con 41
宣教における中⼼的な確信
留意点
教会は⾃分たちで資⾦を調達します 1 テモテ 5:17-18、1 コリント 9:8-11)。教会が忠実に財 産を管理し、犠牲を払って捧げることの喜びを体験し、地 域においてより信頼されるように証するために、地元の資 源を⽤いてその必要を満たすことを私たちは強く推奨しま す。多くの宣教師や現地のリーダーたちは、依存すること が教会開拓や教会増殖に悪影響を与えていることを⽬の 当たりにしてきました。通常の聖書的な働きの中で教会の 中⼼的な機能を果たす際に、⾃分たち以外からの資源を 要求することから依存が始まってしまいます。海外からの 経済的な⽀援は、しばしば純粋な動機と惜しみなく捧げ る⼼から与えられますが、予期しない結果のゆえに、教会 の健康と増殖の働きに害を及ぼすことがあります。そうい うわけで、IMB では宣教地の牧師の給料や会堂建設のた めに資⾦を運⽤せず、また北⽶の教会やクリスチャンから の献⾦を送⾦するパイプ役を務めないことにしました。 教会は⾃分たちで伝道活動を展開していきます (エペソ 4:11–14)。宣教師がすべての伝道活動と教会開拓 を⾏い、地元の新しい信者は単なる受け⾝の聴衆という 形になってしまうことは、あまりにも簡単に起こります。こ れはとても⾮聖書的であり、福⾳の前進にとって⾮常に有 害です。むしろ宣教師は新しい信者に新⽣体験した最初 から⼤宣教命令の責任を果たすことを教え、伝道と健全 な教会増殖を彼らにとっての基本的な弟⼦訓練の⼀部と して訓練し、そのようにしているかどうか責任を負うべきで す。新たに開拓された教会は、最初から⼤宣教命令教会で あるべきです。 教会は⾃分たちで神学を確⽴していきます (1 テモテ 1:3–5)。これは聖書の真理がその⽂脈 によって 変わってしまうということではありません。教会は異なる⽂ 化と⽂脈において、聖書の中⼼的な教義を⾃分たちの⾔ 語で指し⽰す(「バプテスト信仰とメッセージ 2000」で告 ⽩しています)とともに、独⾃の問題について聖書から解 決を⾒出すべきです。
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私たちの優先順位は未伝の部族や地域 に福⾳を届けることです
神が命じられ、⼒を与えられた、他
諸⺠族や国々に対する神の⼼というテーマは創世記から 黙⽰録まで貫かれています。神はみことばの中で地上のす べての⺠にその救いの祝福をもたらそうとされていること を明確に⽰されています(創世記 12:1-3、詩篇 66、イザ ヤ 49:6、 マタイ 28:16-20、ルカ 24:45-47、使徒1:8、ロ ーマ 15:20-21、黙⽰録 5:9、7:9-10、その他多くの箇所 にあります)。諸⺠族への神のご計画という普遍のテーマ とともに、使徒の働きとパウロの情熱は、まだキリストが知 られていないところに福⾳を届けることを強調しています。 いずれも福⾳に全く触れることのないところに福⾳を届け ることを優先しています。福⾳に全く触れることができな いところに焦点を当てた宣教の働きと、すでに教会がある 地域で伝道することには違いがあります。ですからパウロ は、ローマ 15 章で福⾳がエルサレムからイルリコを通って 宣べ伝えられ、地中海東部地域にはもう働きは残されてい ないと宣⾔することができたのです。その地域のすべての ⼈が福⾳を⽿にしたというわけではありません。パウロの 宣教旅⾏の後、⼤多数の⼈々は数世紀にわたって異教徒で あり続けたことを歴史資料が⽰しています。むしろパウロ と彼のチームはこれらの地域に教会開拓を⾏い、それらの 教会に継続的な伝道の働きをゆだね、パウロたちは新しい 地へと進んでいきました。 これらの聖書のテーマに従うとき、組織としての私たちの 優先順位は、未伝の部族や地域に福⾳を届けるということ です。神が命じられ、⼒を与えられた、他の国々の地域教 会の伝道と教会開拓の働きを私たちは励ましますが、それ らの教会のために⾃分たちが働くことは避けるべきです。 同時に、宣教地の⼈々や地域が、まだ⾃分たちの指導者を 訓練することができない場合は、宣教師の働きはまだ終 わっていないと考えています。
それらの教会のために⾃分たちが働
の国々の地域教会の伝道と教会開 拓の働きを私たちは励ましますが、 くことは避けるべきです
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宣教における中⼼的な確信
神のためにではなく、私たち⾃ ⾝のために⽬標を設定します
どのように働きを開始し、伝道し、弟 ⼦を作り、健全な教会を建て上げ、 リーダーを育て、そして退去していく か、⽬標を設定すべきです。
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私たちは植え、⽔を注ぎますが、成⻑させてくださるのは 神です(1 コリント 3:1-7)。使徒パ ウロがそれぞれの 宣教地で異なるレベルの応答に直⾯したように(使徒 17 :32-34)、宣教の働きを始める前は、何⼈救われるか、い くつの教会が開拓されるのかは分かりません。私たちは神 のために⽬標を決めることはできないので、神ご⾃⾝しか なしえないことに数値⽬標を⽴てることは不適切です。し かし、私たちがしようとすることに対して⽬標を設定する ことは間違 っていません。どのように働きを開始し、伝道 し、弟⼦を作り、健全な教会を建て上げ、リーダーを育て、 そして退去していくか⽬標を設定すべきです。私たちは⾃ 分たちの働きについては意図的に責任をもって進めていく べきです。私たちの働きのすべてにおいて福⾳の実が豊か に結ばれることを⼼待ちにしています。そして、神のみがも たらすことのできる結果について祈り、⼤胆に期待してい くのです。
鍵となることば
鍵となることば 宣教師の具体的な働きに触れる前に、⽤語の共通理解の ために、最も重要なことばの定義をしておきたいと思いま す。 福⾳とは、⾃分の罪と⾃⼰中⼼から悔い改め、イエス・キリ ストを救い主であり主と信じるすべての⼈々が永遠に神と 和解するために、義と恵みに満ちた宇宙の創造主である 唯⼀真の神が、希望のない罪深い私たち⼈間のためにご⾃ ⾝のひとり⼦を送られ、⾁体をとられ、神の怒りを担うた めに⼗字架上で⾝代わりの死を遂げ、罪と死に打ち勝って 墓より復活された、という良い知らせのことです。 (イザヤ 5:16、6:1-7、 マルコ 1:14-15、ヨハネ 3:1-21、ローマ 3:1-31 、1コリント 15:1-8、エペソ 2:1-10、1 テモテ 1:15、テトス 3:4-7)
福⾳
ɡ ɡ 福⾳ ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 回⼼ ɡ ɡ 弟⼦
福⾳とは神についての良い知らせです。 福⾳は唯⼀真の神に
ついて神が教えるすべてを前提とし、神のご性質と働きに ついて聖書が記していることから切り離しては理解するこ とができません。特に神の聖さと罪に対する神の義に基づ いた憎しみと、受ける資格のない罪⼈に対する神の愛と恵 みとあわれみに根差しています。聖書に忠実であるために は、福⾳の伝達は神を中⼼にし、伝えるメッセージの中⼼ に神のご性質と⾏いが伴うべきです。 結論/ 福⾳は何よりも神についてであり、神の聖さと恵み深い愛 について説明する必要があります。福⾳伝達者は神を中⼼にす るべきであり、⼈間を中⼼にするべきではありません。
ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
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鍵となることば
留意点
福⾳は神に反抗する⼈間の罪深さを指し⽰します 。神は聖く、
義なるお⽅なので、⼈間の反抗⼼は確かに神の怒りを引 き起こし、当然の結果としての永遠の罪の裁きをもたらし ます。福⾳は⼈間の⼈⽣における罪の結果を取り扱います が、聖書に忠実に従うためには、罪が私たち⼈間の抱える 諸問題の根源であることを指摘しなければなりません。さ らに、福⾳は私たちが抱える様々の問題の深刻さを明らか にします。だれでも神に反抗したままで死ねば、永遠の地 獄が待ち構えているのです。 結論 / 福⾳は罪の問題に対する答えです。私たちが抱える問題 の核⼼を取り扱うため、聖い神の御前では有罪であるという恥 や恐れの問題を解決します。福⾳はこの地上における繁栄や健 康のためのものではありません。 福⾳はイエス・キリストを中⼼とするものです。 ⼦なる神であ
るイエスが完全な⼈となられ、完全な神でありつつ私たち と⼀緒にこの地上を歩まれた、という良い知らせです。王と して⽀配されている神が⼈間の歴史に介⼊したという良い 知らせです。イエスは罪のない完全なお⽅として従順に歩 まれました。それは本来私たちが歩むべき⼈⽣だったので す。そして私たちの罪の罰を担い、私たちが反抗した当然 の結果として受けるべき神の怒りをその⾝に負い、⼗字架 で死なれたのです。イエスはご⾃⾝のいのちと死を通して、 私たちの⾝代わりとなられました。また、福⾳はイエス・キ リストがその栄光の復活により、罪と死に対して勝利され たという知らせです。主は天に昇り、⽗なる神の右に座し、 今この時もご⾃分の⺠のためにとりなしていてくださいま す。福⾳はキリストが栄光をもって再び来られ、終わりのな い主の王国がもたらされるという知らせです。聖書に忠実 に従うために、福⾳を提⽰する際は、イエスが救い主であ り、神の御⼦であること、罪のない⼈⽣を歩み、贖罪の死 を遂げ、罪⼈にとっての唯⼀の希望としての勝利の復活を されたことを明確に伝える必要があります。 結論 / 福⾳を伝達する際は、以下のことを忠実に伝えなければ なりません。完全な神性と⼈間性を含みイエスが誰であるか、 私たちのためにこの地上で罪のない⽣活を送り、私たちの罪の 裁きの⾝代わりとして死なれ、死から復活され、天に昇られたこ
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とを含めイエスが何をされたか、私たちの王であり、とりなし⼿ であられるイエスが今何をされているか、さらに栄光をも って 再び来られすべてを新しくされる時、イエスがこれから何をされ るかということです。
留意点
福⾳は悔い改めと信仰への招きです。 福⾳は単なる知らせで
はありません。神への反逆者に対してその反抗からイエス への信仰を通して神のもとに⽴ち返るよう招く王室からの 召喚状なのです。福⾳は罪⼈が救われる道は他にはなく、 どのようなことをしても⾃分⾃⾝で救いを得ることができ ないと宣⾔します。ですから、聖書に忠実に従うために、福 ⾳の提⽰はそれを聞く者に悔い改めを迫り、イエスの良き 知らせを信じ、イエスを主と告⽩するようにチャレンジする ものでなければなりません。 結論 / 福⾳は悔い改めと信仰へと導くものなので、緊急性をも って明確に応答することを導くように、福⾳を提⽰する必要があ ります。 神は福⾳を受け⼊れる⼈々に驚くべき宝物をお与えになります。
神は⼈々の罪を赦し、神の御前に完全に義なる存在として ⽴たせるだけでなく、キリストの義を⾝にまとわせてくださ います。神との和解が成⽴したのです。神は彼らを養⼦とし て迎えてくださり、彼らにはキリストにあるいのちが与えら れ、聖霊によって⽣まれ変わります。今は聖霊がおられ、キ リストにある相続⼈としてすでに債務が⽀払われているこ とを前もって味わうことができます。そして、教会つまりキ リストの体の⼀部となりました。主と顔と顔を合わせる時 が来るまで、彼らは神の救いの⼒の中に保たれます。来る べき時には罪から解放され、無限の喜びと栄光をもって神 とともに過ごします。これらの宝物は真の福⾳の贈り物で あり、この世が与える健康や繁栄ではありません。福⾳を 伝達する際は、この点においても聖書に忠実であることを 明確にしなければなりません 結論 / 私たちは福⾳が何を約束し、また何を約束していないか を明確にしなければなりません。福⾳は驚くべき永遠の宝を約 束していますが、この世での繁栄や⾁体の健康や安全を約束し てはいません。
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鍵となることば
伝道
伝道は聖霊の⼒によって福⾳を宣べ伝えることで、⼈々が 悔い改めてキリストを信じるよう説得することです。 (ルカ 24:47、ヨハネ 16:8-11、使徒 1:8、2 コリント 5:11) 伝道とは福⾳を宣べ伝えることを常に意味します。 伝道には
ɡ ɡ 福⾳ ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 回⼼
失われた⼈々が理解することのできることばを⽤いて福⾳ のメッセージを伝達することが含まれます 結論 / 私たちの⽣活を通して模範を⽰すことは重要ですが、そ れでは⼗分ではありません。福⾳を伝達する際はことばを媒体 とし、そのことばは聞く⼈が理解できるものでなければなりませ ん。福⾳を語り、⽂字にし、表⽰する必要があります。そして福 ⾳伝達の対象となる⼈々の⾔語を理解しなければなりません。
ɡ ɡ 弟⼦
伝道は福⾳を宣べ伝えることです。 聖書的な伝道を⾏うため
ɡ ɡ 弟⼦訓練
に、宣教師は神の聖さと愛、すべての⼈間の罪深さ、私たち の罪のためにイエスが⾝代わりの犠牲と勝利の復活を遂 げたこと、そしてそのために悔い改めと必要な信仰が必要 であること、これらすべてを伝えなければなりません。
ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
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結論 / 私たちはメッセージを薄めたり、変えたりすることはでき ません。⼈々が気分を害することのないように内容を柔らかくし たり、取り除いたりすることはできないのです。福⾳のす べての 要素は不可⽋です。
伝道は聖霊の⼒によって福⾳を宣べ伝えることです。 私たちは
留意点
福⾳を提⽰しますが、聖霊のみが⼈の⼼と思いを変え、キ リストへと導くことができます。 結論 / 私たちが⼈を回⼼させるのではありません。神のみが死 んだ⼈にいのちを与えることができるのです。効果的な伝道者と なるためには聖霊とともに歩み、神に熱⼼に祈り、⾃分⾃⾝の知 恵や能⼒に頼らずに、神のみがなしうることを⾏ってくださるよ うに求めなくてはなりません。 伝道は⼈々を悔い改めてキリストを信じるように説得することを ⽬指します。 伝道は単なる福⾳の提⽰ではありません。福
⾳による説得です。伝道は福⾳を聞く⼈が罪を悔い改め、 キリストを信じるよう招くことを含む必要があります。 結論 / ⼈々を操作せずに説得することはできます。私たちは宣べ 伝える福⾳のメッセージに⼈々が応答するようにチャレンジする 必要があります。
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鍵となることば
回⼼
ɡ ɡ 福⾳ ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 回⼼ ɡ ɡ 弟⼦ ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
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回⼼とは神による働きかけによって⼈が福⾳に応答し、⾃ 分の罪から⽅向転換し(悔い改め)、イエスを救い主、主 として信頼する(信じる)ことです。 (ヨハネ 3:1-21、6:44 、10:27-30、ロ ーマ 3:10-20、8:38-39、ガラテヤ 5:19-24 、2 コリント 5:17、1 ヨハネ 2:5-6、19、3:9-10、14-15、24 、4:20) 回⼼は神による働きかけによってなされる福⾳への応答です。
罪⼈が何か⾃分で成し遂げることのできるものではありま せん。聖書によれば、⽣まれ変わっていない⼈間は罪の奴 隷です。神を理解し、神に従い、神に喜んでいただくことが できず、神の義のゆえに神の怒りのもとにあります。神を求 めるのではなく、神から逃げています。⾃分の罪の中に死 んでいるのです。恵みに満ちた神の働きかけなしには誰も 救われません。ですから、神に依り頼む祈りは、伝道におい て不可⽋な要素なのです。 結論 / 私たちの責任は良い知らせを⼈々に宣べ伝え、悔い改め て神を信じるよう促すことです。ただ神のみが、死と罪の奴隷と なっていることに気づいていない状態の⼈間を救うことができ るのです。この事実は反抗的と思われる部族においても実を結 ぶことを期待させてくれます。私たちの伝道の⽅法をきよめ、福 ⾳のメッセージに忠実な者とさせてくれます。また、失われた魂 のために私たちが膝をかがめて祈ることを促します。 回⼼は神による働きかけによって悔い改めと信仰の応答へと導 きます。神の恵みによる回⼼の働きは罪⼈が福⾳の招きに
対して応答する責任を過⼩評価したり、否定したりするも のではありません。回⼼には罪と⾃分⾃⾝から⽅向転換す ることが含まれます。それは神に反抗する⼈⽣に対する劇 的な⽅向転換を⽰します。信仰とは聖書がイエスについて 教えていることが真理であると信じるだけではなく、主の みが救いを与えると信じ、⾃分の⼈⽣を委ねることです。悔 い改めと信仰は分離した⾏為ではなく、同じ応答の両⾯で す。神に対して反抗していた⼈⽣から悔い改めることと同 時に、キリストにある信仰を通して神に向かうことです。そ のどちらかが⽋けても⼗分ではありません。
結論 / 救いの信仰は悔い改めの信仰であり、私たちは⼈々が神 に反抗しているところから⽅向転換することと同時にイエスに 信頼するように招く必要があります。安っぽい恵みは⾮聖書的 であり、誰も救いに導くことができません。
留意点
回⼼は神の働きかけによって福⾳に応答することです。
これについては⼆つの顕著な意味が含まれています。ま ず、宣教師はすべての⼈に悔い改めを宣べ伝えていかなけ ればなりません。福⾳を受け取り、理解し、信じなければ 誰も救われません。これは伝道の働きの緊急性を指し⽰ しています。次に、伝えるメッセージの内容が重要です。特 に、世界中に広がっている歪められた福⾳を考えると、宣 教師は伝えるメッセージを正しく理解することがとても⼤ 切です。イエスの完全な神性と⼈間性、⼈間が抱えるあら ゆる問題の根源が神に対する罪深い反抗であること、イエ スの⾝代わりの死と⾁体の復活が現実であること、キリス トを信じる信仰を通して恵みによってのみ救われることを 否定したり、薄めたりするようなメッセージは、⾮聖書的で あり、聖書が教える真の回⼼へと導くことはありません。 結論 / 私たちは福⾳をまだ⼀度も聞いたことのない⼈々が、救 いの希望を持つことができるように福⾳を届けなければなりま せん。たとえ⽂化的な状況のゆえに⼈々が福⾳の⼀部を好意的 に受け⼊れないようなことがあったとしても、正しいメッセージ を届けなければなりません。 回⼼は劇的です。 聖書は回⼼について極端なことばを⽤い
て説明しています。回⼼した者はそれまで⾃分が慣れ親し んできたすべてのことに対して死に、キリストにある新しい 命を受け取 りました。実際、キリストにとともに⼗字架に つけられたのです。すべて新しく造り変えられたのです。⽣ まれ変わったのです。キリストへの回⼼はお⼿軽なもので も、表⾯的なものでもありません。 結論 / 劇的な弟⼦訓練の⽣活とは救いのもたらす⾃然な結果で あり、選択肢の⼀つでもなければ、単なるサプライズでもなく、 ちょっと意外に感じる読み物のようなものでもないことが分か るように、福⾳のメッセージを伝えなければなりません。
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鍵となることば
留意点
回⼼は他の⼈々から注⽬されるべきものです。 この⼈⽣にお
いては誰も完璧になれませんが、キリストにある新しい信 者は⽣まれ変わった存在です。これはクリスチャンが福⾳ を信じ、神の⺠を愛し、聖さにおいて成⻑することにおい て特に顕著に現れます。 結論 / もし変化が⾒えなければ、まだ回⼼が起こっていないと結 論づけることができます。 回⼼は永続的です。 神は真にキリストを信じた者を決して
⼿放すことはありません。⼀時的に信仰告⽩をし、その後 信仰から去ってしまう⼈もいますが、それはその⼈が真の 意味で信じたのではなかったことを⽰します。神のみがそ の⼈の⼼の状態をご存知ですが、その⼈が過去において何 を⾔ったか何をしたかにかかわらず、新⽣した証拠が⾒え ず、キリストの体における交わりから意図的に去った⼈が 回⼼したと仮定するのは聖書的ではありません。 結論 / ⼀時的な決⼼は真の回⼼ではありません。神が救いに導 かれる⼈は永続的に救われます。福⾳を分かち合うときには、こ れは⽣涯を通じて(実際は永遠に)信じるものであるということ を明確にしなければなりません。信仰を耐え忍んでいくように励 まさなければなりません。真の回⼼の変化が⾒えない⼈たちに 対しては、教会は教会戒規を通して、その⼈に救いの確信をもた らすように導く必要があります。
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ɡ ɡ 福⾳
弟⼦ 弟⼦とはイエスに従う⼈々のことを指します。⾃分の罪から回⼼ し、イエスを⾃分の救い主として信じました。⾃分に死に、⾃分の ⼈⽣を主に委ねました。キリストが内に住んでおられ、あらゆる ⾯で内側から変⾰されています。この変⾰についていくつかのし るしがあります。まず、最初にイエスを信じたときに⼼が変⾰し ます。その他については、弟⼦としてキリストの体なる教会のメ ンバーとして、主を信じる信仰において成⻑していく中でさらに 表されていき ます。 (マタイ 28:16-20、 マルコ 1:17、ルカ 6:40 、ローマ 8:29 イエスの弟子には6つの主要な印があります: 変⾰された⼼:弟⼦は霊的に新⽣した存在です。神は彼らの罪 を赦し、神の霊が内に住ま われます / キリストにある救いの信 仰を通して超⾃然的な恵みにより、弟⼦は審判者なる神の御前 に無罪とされ、⽗なる神によって養⼦とされました。この恵みに よる新⽣はすべてのイエスの弟⼦に変⾰をもたらし、死から命 へと移された者として弟⼦は今、王のしもべ、御国の相続⼈とし て、新しく造り変えられた存在です。聖霊の⼒により、神がキリ ストの栄光の姿へと⼀歩ずつ聖く変えてくださいます。弟⼦は 最終的なキリストの栄化の全き希望を持ち続けます。 (ヨハネ 3:1-8、テトス 3:4-8、1 ペテロ 1:3-9、22-25)
ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 回⼼ ɡ ɡ 弟⼦ ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
結論 / 弟⼦となるためにはまず新しく⽣まれなければなりませ ん。聖書的な回⼼へと導く伝道は聖書的な弟⼦訓練の本質的な 第⼀歩です。 変⾰された思考:弟⼦は聖書に根差しています。イエスの⾔われ たことを信じます / イエスの弟⼦はイエスの真理を信じ、みこと ばのレンズを通してこの世界を眺めます。弟⼦がイエスにつなが り、⽇々神のみことばを読み、聞き、学び、理解し、暗記し、思い 巡らすことを通して、神は弟⼦の思いを整え、ご⾃⾝に似た思い を抱くようにさせます。知識において、創造主に似た者へと継続 的に新たにされていくのです。 (ヨシュア 1:8、詩篇 119、 マル コ 12:30、ルカ 24:44-45、ローマ 12:1-21、1 コリント 2:14-16、エ ペソ 4:17-24、コロサイ3:1-17)
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鍵となることば
留意点
結論 / イエスの弟⼦は聖書に対する情熱を抱きます。聖書は彼 の考え⽅を全く作り直し、聖書の世界観が⾃分のものとなって いきます。聖書を信じ、理解し、そのすべての教えに聞き従うこ とを決⼼して聖書に取り組みます。聖書全体から学び、また全体 の⽂脈を通した個々の個所から解釈します。 変⾰された愛:弟⼦は深く満たされています。イエスが望まれる ことを望みます / らの霊的探究は⾃分を罪から救いに導いてく ださっただけでなく魂を満たしてくださったイエスへと導かれ、 弟⼦は義務としてではなく喜びをもって霊的訓練に参加します。 神を礼拝してほめたたえ、祈りによる交わりを求め、⽇々の⾷物 以上にみことばに飢え、⼤いなる悔い改めをもって罪を告⽩し、 ⾃分のいのちよりも神を愛し、その栄光を求めていきます。その ような神への愛がこの世の思い煩いを継続的に押しのけます。 弟⼦は御霊の実を結び、御⼦の再臨を切に願いつつ、⾁の思い を⽇々⼗字架につけるのです。 (マタイ 10:34-39、22:35-40、 ルカ 16:13、ヨハネ 12:25、ピリピ 4:8、1 テモテ 3:3、6:9-10、2 テモテ 2:22、4:10、テトス 1:8、へブル 13:5、1 ヨハネ 2:15-17) 結論 / イエスの弟⼦は主が愛されることを愛し、主と同じ価値観 を抱き、主が嫌われることを嫌うように成⻑していきます。弟⼦ の愛は神ご⾃⾝に向けられ、罪やこの世の誘惑を超えて成⻑し ていくのです。義務感からではなく、⾃分⾃⾝の願いのゆえに神 に従うようになります。 変⾰された意志: 弟⼦は謙遜に従います。イエスが命じられたこ とを⾏います / イエスの弟⼦は単にみことばを聞くだけで⾃
分を欺くのではなく、みことばを⾏います。弟⼦は聖書が命 じていることを救い主からの招きと受け⽌め、主に⾃発的 に従う喜びを体験するのです。みことばに従って歩めば歩 むほど、イエスは彼らを神のみこころに従う者へと変えら れます。 (マタイ 28:18-20、ヨハネ 14:15、ローマ 1:5、1 ペ テロ 1:2、 ヤコブ 1:22-25、1 ヨ ハネ 5:3) 結論 /イエスの弟⼦はみことばが教えるすべてに従うことによっ て神に従います。従うことによって神の前に⾃分⾃⾝を正しい者 であるとするのではありません。あるいはキリストの働きに何か を付け加えようとするのでもありません。福⾳からあふれ出る 信仰と希望と愛のゆえに従います。
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変⾰された⼈間関係:弟⼦は犠牲をもって愛します。イエスが仕 えられたように仕えます / リストによって神と和解したゆえに、 弟⼦はキリストにあって他の⼈々と和解していこうと取り組み続 けます。互いに⾒返りを求めずに赦し合い、私⼼なく仕え合うの です。イエスの弟⼦は地域教会のメンバーとして組み合わされ、 互いに⾃分のいのちを惜しまずに愛し合います。そのような犠牲 を伴う愛の情熱は、地域教会を超えて、⾃分⾃⾝の家族、全世 界の教会、失われた魂、そして困窮する⼈々にまで届いていきま す。 (マタイ 5:43-48、22:37-40、ルカ 6:27-36、ヨハネ 13:3435、15:12-17、ローマ 13:8-10、1 コリント 13:1-13、ガラテヤ 5:13-26、エペソ 4:1-6、5:1-2、1 ヨハネ 3:11-18、4:7-21)
弟子の6つの印 1 / 変⾰された⼼ 2 / 変⾰された思考 3 / 変⾰された愛 4 / 変⾰された意志 5 / 変⾰された⼈間関係
結論 / イエスの弟⼦はキリストが愛されたように互いに愛し合 い、⾃分と同じように隣⼈を愛します。この愛は敵に対してさえ 赦しと奉仕を通して実際的に表されます。教会を愛し、家族を愛 し、全世界のキリストの体なる教会を愛し、失われた魂を愛し、 困窮している⼈々を愛するのです。
6 / 変⾰された⽬的
変⾰された⽬的:弟⼦は宣教の働きに従事します。全ての国⺠ を弟⼦とする弟⼦を作りま す / 弟⼦は神の恵みによって押し出 され⼤宣教命令にとらえられます。イエスは弟⼦の⽣き⽅を変 ⾰させただけでなく、⽣きる意味を⾰命的に変⾰されました。弟 ⼦は⾃分たちのまわりと世界の⼈々のために祈り、出かけ、ささ げることによって、キリストの福⾳を宣べ伝え、キリストのいのち を再⽣産し、キリストのみことばを教え、キリストのためにこの 世に仕え、神のすばらしさを伝えるために⽣き、また死ぬのです。 (マタイ 28:16-20、ルカ24:44-49、使徒 1:8、ローマ 15:18-24) 結論 / キリストの弟⼦は福⾳を宣べ伝え、他のクリスチャン
を弟⼦とし、世界の全ての⼈々に福⾳を告げ広めていく働 きに従事します。
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鍵となることば
弟⼦訓練
ɡ ɡ 福⾳ ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 回⼼ ɡ ɡ 弟⼦ ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
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弟⼦訓練はキリストの命令であり、聖霊の⼒によって果た す任務です。すべてのイエスの弟⼦は未信者に伝道し、洗 礼を授け、キリストのみことばを教え、主の教会のメンバー としてキリストに従うよう訓練し、すべての国々に宣教する 弟⼦を育てるのです。 (マタイ 28:16-20、1 コリント 12:431、エペソ 4:1-16、コロサイ 1:27-29) 弟⼦訓練の命令はすべての信者に及びます。ごく⼀部の霊 的エリートだけに与えられた命令ではありません。弟⼦が キリストにあって成熟するためにはキリストのからだに属 するすべてのクリスチャンが必要です。
++ 弟⼦を作る⼒は聖霊から与えられます。だれ ⼀⼈、⾃分にはできないといってこの働きか ら遠慮して⾝を引くべきではありません ++ 弟⼦訓練は福⾳を分かち合い、新しい信者に洗礼を 授け、聖書の内容を理解できるよう教え、聖霊のすべ ての教えに従うように訓練することが含まれます。 ++ 弟⼦訓練は、 「弟⼦」 (**⾴)に記されているよう に、イエスの弟⼦とは何かについて聖書的な意味 を完全に理解することを⽬指す必要があります。 ++ 弟⼦訓練は様々な状況下で⾏われますが、ペンテコス テ以降の時代において、神は地域教会を全き聖書的 な弟⼦訓練のために必要な場として、また、主要な関 係を築いていく環境とし て備えておられます。もし地 域教会がなければ、教会を開拓する必要があります。 ++ 弟⼦訓練は、新たな弟⼦を作る弟⼦を ⽣み出さなければなりません。これは継 続的な再⽣産のプロセスです。
ɡ ɡ 福⾳
教会
ɡ ɡ 伝道
「バプテスト信仰とメッセージ 2000」による教会の定義は以下 の通りです
ɡ ɡ 回⼼
新約聖書の主イエス・キリストの教会は、バプテスマを受けた信 者たちの⾃律した群れであり、福⾳の信仰の交わりの契約に基 づいたものです。教会は⼆つのキリストの礼典を守り、キリスト の律法によって統治され、賜物と権利とみことばによって与えら れている特権を⽤い、福⾳を地の果てにまで届けることを求め ます。各会衆は⺠主的なプロセスを通してキリストの主権の下で 活動し、会衆において各メンバーはキリストを主とし、キリストに 対する責任を負っています。会衆における聖書的な監督者は牧 師と執事です。男⼥とも教会で奉仕するための賜物が与えられ ています。牧師は聖書に記されている通り男性に限ります。
ɡ ɡ 弟⼦
同時に新約聖書は教会をキリストの体として語っています。キリ ストの体はすべての時代において贖われた⼈々、すべての⼈種、 ⾔語、⺠族と国々の信者たちが含まれます。³ 私たちは、すべての地域教会はイエス・キリストの主権と、誤り のないみことばの権威の下で⾃⽴していることを信じます。これ はアメリカ合衆国でも、海外でも同様です。私たちと関係のあ る海外の教会で、私たちが採⽤しない特定の教義を選択し、そ れに基づいて⾏動しているところもあります。しかし、私たちは 神と南部バプテスト連盟の前に、私たちが開拓する教会の基礎 について、教会のリーダーを訓練する上での教えについて、教 会を数える時の基準について、説明責任を負います。教会開拓 と教えの働きにおいて、海外の地域教会は、その与えられた⽂ 化の必要に応じて、異なる表現をもってそれらの信条や⾏動を 表すかもしれませんが、私たちは「バプテスト信仰とメッセージ 2000」の信条と⼀致した基礎の上に進めていきます。そこに定 められている教会の定義は聖書からのものですが、教会開拓、 リーダー訓練、統計的な報告については以下のガイドラインに 従います。
ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
³この定義はバプテスト信仰とメッセージ 2000 から直接引⽤したものです。またその定 義とガイドラインはIMB 評議員承認⽅針としてそのまま正確に添付しました。
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鍵となることば
私たちはすべての地域教会はイ エス・キリストの主権と、誤りの ないみことばの権威の下で⾃⽴ していることを信じます。これは アメリカ合衆国でも、海外でも 同様です。
1 / 教会は教会であることを意図しています。メンバーは ⾃分たちのことを教会であると考えます。聖書が求め ている教会のあり⽅をあらゆる⾯において追い求め、 互いに対して、また神に対して、献⾝します(契約を結 びます)。 2 / 教会はバプテスマを受けた、イエス・キリストを信じる 会員からなっています。 3 / 教会は浸礼によるバプテスマのみ⾏使します。 4 / 教会は定期的に主の晩餐式を⾏います。 5 / 地域教会の権威とそのリーダーシップの下、メンバー が礼典を実⾏することもあります。 6 / 教会は誤りなき神のみことばを信仰と⽣活における 究極の権威とし、従います。 7 / 教会は定期的に礼拝、祈り、みことばの学びと交わり のために集まります。教会員は互いの必要に応え、互 いに責任を負い合い、必要に応じて教会戒規を⾏使 します。教会員は、聖さ、 8 / キリストにある成熟、そして愛において成⻑するように 互いに励まし、建て上げ合います。
参照されている詩 (マタイ 16:13-20、18:15-20、使徒 2:42-47、4:2337、5:1-11、6:1-7、9:31、11:26、13:1-3、 14:23 、14:26-28、15:41、20:17-35、ローマ 16:1-23、1 コリント 3:1-16、5:1-13、6:1-11、9:1-14、10:14-22 、11:17-34、12:1-14:40、2 コリント 4:1-6、5:11-21 、9:6-15、ガラテヤ 5:13-26、 6:1-10、エペソ 2:1122、4:1-16、ピリピ 2:1-4、コロサイ 3:1-17、1 テサロ ニケ 5:12-22、1 テモテ 2:1-15、3:1-13、5:1-25、2 テモテ 2:14-26、4:1-5、テトス 1:5-9、へブル 10:1925、12:28-29、13:1-17、1 ペテロ 5:1-7)
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9 / 教会はその存在の始めから、地域においても世界にお いても⼤宣教命令の責任を全うする責任を担います。 教会はイエス・キリストの主権とみことばの権威の下、 ⾃⽴し、⾃ら運営します。 10 / 教会には吟味された、聖書に教えられている資格 に沿う指導者が⽴てられます。教会はリ ーダーシップ に関して⼆種類の聖書的な役職を認めます。牧師/⻑ ⽼/監督、と執事です。男⼥ともに教会に奉仕するため の賜物が与えられていますが、牧師/⻑⽼/監督は、聖 書に記されているように男性に限定されます。
健全な教会の 12 の特徴
以下は健全な教会の定義をまとめたものであり、健全な教 会とは何かを説明し、それに向かって進んでいくことの助 けとなります。
聖書的伝道 ⼈々は完全な福⾳についての聖書的なメッセージを聞き、 悔い改めと信仰による応答をして教会に来ます。そして伝 道のライフスタイルを通して、失われた⼈々に福⾳を宣べ 伝 え続けます。
聖書的弟⼦訓練 教会のメンバーは積極的に互いの⼈⽣に深く関わり、イエ ス・キリストにある成熟を⽬指していきます。弟⼦訓練と は、すべてみことばに従って、⼼、思考、感情、意志、⼈間 関係そして⽬的において変⾰していくというものです。
聖書的会員制度 教会のメンバーは罪の明確な悔い改め、主イエス・キリス トへの信仰、信者としてバプテスマを受けた者たちのみを 指します。聖書にもとづく教会のメンバーは互いに対して 責任を持ち、忠実に集まり、互いにキリストの体となること に献⾝します。
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鍵となることば
聖書的リーダーシップ 聖書には教会における⼆種類の指導者について記されて います。牧師 /⻑⽼/監督、と執事です。新約聖書では「牧 師」、 「⻑⽼」、 「監督」ということばはしばしば互換的に使 ⽤されており、同じ⽴場であることを⽰しています(使徒 20:17、28、テトス 1:5-7、 1 ペテロ 5:1-4、留意「牧師」=「 牧者」)。それらの指導者としての資格は 1 テモテ 3:1-7 とテトス 1:5-9 に記されています。指導者は模範的な忠 実な弟⼦で、健全な教義にしっかりと⽴ っていなければな りません。教えの賜物を神から与えられている必要があり ます。聖書によれば、牧師/⻑⽼/監督は男性でなければな りません。聖書にはすべての⼈に教会で教え導く賜物や召 しが与えられているのではなく、しかしすべての賜物は等し く尊重されるべきであり、教会に必要とされていると明確 に記されています。新約聖書には教会に複数の牧師/⻑⽼/ 監督が与えられることが⼀貫して記されています。執事は その資格が 1 テモテ 3:8-13 に記されているように、教会 のしもべです。牧師/⻑⽼/監督が、みことばと祈りの働きに 専念することができるように任務を果たすために選ばれた 存在です。
聖書的説教と教え 教えの働きは教会で毎週開かれる集会において中⼼的な 役割を果たし、聖書講解と適⽤が含まれます。聖書は教会 が信じ⾏うすべてのことにおいて、崇⾼で⽀配する権威で あり、忠実な聖書の教えは健全な教会⽣活に浸透してい きます。健全な教会は聖書の霊感、無誤性、権威、 ⼗分性、 明確さを信じ、聖書の⼀つ⼀つのテキストを⽂法的/歴史 的な解釈の基準にのっとって、その⽂脈に基づいて解釈し ます。
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聖書的礼典としてのバプテスマと主の晩餐 バプテスマは⽗、⼦、聖霊の御名によって⽔に浸る⾏為で、イ エス・キリストにあって新しく⽣まれ、信頼できるあかしを⽰ す⼈にのみ施されます。すべての信者はバプテスマを受ける ことが期待されています。健全な教会はイエス・キリストの 死を覚え、福⾳の⽬に⾒えるメッセージとして、また、主の再 臨を期待して、主の晩餐式を定期的に⾏います。
聖書的礼拝 健全な教会はみことばに基づいて、主への敬意と畏怖と喜 びをもって主に受け⼊れられる礼拝を捧げます。聖書の真 理に満たされた内容の詩篇、讃美歌、霊の歌を歌います。公 の聖書朗読、神の⺠のあかし、そして祈りが含まれます。必 要に応じて群れとして断⾷することもあります。これらすべ ての礼拝は神に栄光を帰し、主の⺠を建て上げていくことを ⽬指します。
聖書的交わり 教会のメンバーは互いに愛し合い、励まし合い、建て上げ合 います。互いにケアし、仕え、それぞれの重荷を負い合いま す。互いに親切にし、赦し合います。みことばによ って、互い に教え、訓戒し、勧めます。愛と善⾏に励むように促し合い、 弟⼦訓練における実を結ぶように、それぞれの⽣活に関わ り、互いを⼗分に理解します。
聖書的祈り 教会のメンバーは個⼈的にも、群れとしても祈ります。祈り において神を礼拝し、罪を告⽩し、神の祝福を感謝し、⼈々 のためにとりなし、必要を満たしてくださるよう神に願いま す。健全な教会は熱⼼に、また頻繁に祈ります。
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鍵となることば
聖書的責任と戒規 教会のメンバーはみことばに従って歩むために、互いに責 任を負い合い、教会の指導者は委ねられたその群れを⾒ 守ります。過ちを犯した兄弟姉妹が回復できるように絶え ず祈り、務めながら、必要な時は聖書の教えに従って教会 戒規を施します。 聖書的献⾦ 教会のメンバーはみことばを教える⼈を⽀えるため、教会 の経費のため、経済的に必要を覚えている⼈への⽀援の ため、そして世界に福⾳を届けていくために⾃由に捧げま す。健全な教会は経済的に⾃⽴し、あるいは⾃⽴すること を⽬指します。これまでの経験では、海外からの経済的な ⽀援は教会の健康に害を及ぼすことが⼀貫して⽰されて います。 聖書的宣教 教会は特定の地域で福⾳を分かち合い、弟⼦を作るだけ でなく、福⾳を積極的に国々に宣べ伝えるためにも形成さ れます。健全な教会のメンバーは失われた⼈々にキリスト の福⾳を宣べ伝えるとともに、困窮している⼈々に対する あわれみの働きを通して、神のすばらしさを表します。 教会がどこで集まるかは問題ではありません。家々、⼯場、 テナント、会堂、⽊陰の下など、都合のよい、どこでも集ま ることができます。異⽂化宣教の働き⼈を含むすべての信 者は、地 域教会における教え、礼拝、交わり、責任を負い 合う関係が必要です。すべてのチームメンバ ーは住んでい る地域の教会で忠実に奉仕する必要があります。
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ɡ ɡ 福⾳
召命 救いへの召命 / そもそも召命とは神が⼈々をキリストの弟
⼦、教会のメンバーとするために招かれる、神による恵み の⾏いです。救いへの召命は聖霊の⼒によるみことばの 宣教を通してもたらされます。キリストの救いへの召命は、 ⾃由、聖さ、キリストとともに苦しみを受けることへの招き を伴います。救いへの召命は弟⼦のアイデンティティ−に ついて、今も、いつまでも確固としたゆるぎない基礎を形 作ります。 (マタイ 9:13、使徒 2:39、ローマ 1:6、8:28-30 、9:22-26、1 コリント 1:9、24、ガラテヤ 1:6、5:13、エペ ソ 1:18、4:1-4、1 テサロニケ 2:12、4:7、 5:24、2 テサロ ニケ 2:14、1 テモテ 6:12、2 テモテ 1:9、1 ペテロ 1:15-16 、2:9、20-21、2 ペテロ 1:3、10、ユダ 1:1) 宣教への召命 / 救いへの召命には宣教への召命が含まれて
います。神の召命に応答したすべての⼈はイエスの弟⼦を 作るというキリストの命令を受けるからです。その意味に おいて弟⼦訓練とは、状況、場所、仕事を問わず、すべての 弟⼦に対して神から与えられた、キリストによ って可能と なる、聖霊の⼒を受けて果たす任務です。そのようにすべ ての弟⼦は、すべての国⺠を弟⼦とすることを通して御名 をほめたたえるという神の永遠の⽬的において重要な役 割を果たします。 (マタイ 28:16-20、ルカ 24:44-49、使徒 1:8)
ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 回⼼ ɡ ɡ 弟⼦ ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
配置への召命 / キリストは弟⼦に対して具体的な場所に召
し、その場所においてまたそこを通して主の御名を⾼くあ がめるように導かれます。そのような場所の⼀つは家庭で す。クリスチ ャンは忠実な息⼦、娘、兄弟、姉妹、夫婦、⽗ ⺟であることを通して福⾳を広め、神の栄光を表すように 召されています。また、聖書は宣教の働きためにこの世に おける⼀定期間、あるいは⽣涯独⾝でいることの神からの 召命についても語っています。その他の召命の具体的な場 所として、教会において有意義なメンバーとなること、地域 社会の責任ある市⺠となることも含まれます。 (1 コリント 7:17-40)) 65
鍵となることば
留意点
奉仕への召命 / 最後に召命とは、ある⽅法を通して、特定の
時期に、ある⼈々の間で、ある場所で、または職業を通し て、弟⼦を作るために神の恵みによって弟⼦を導くことで す。奉仕への召命は流動的で、様々なレベルが存在し、神 から与えられる働きもその時に応じて異なるかもしれませ ん。しかし、弟⼦の⽣活は次の奉仕へと導かれるまでは、 どのような犠牲を払って も神の召命に忠実でなければなりません。弟⼦の願い、 賜物、能⼒、機会は、聖霊に導かれ、みことばに基づき、祈 りによって吟味され、この世に対する使命をもった教会に おいて⾒極められ、認められる必要があります。 (マタイ 4:18-22、9:9、10:1-4、使徒 13:1-3、16:10、ローマ 1:1、へ ブル 5:4) 救い、宣教、配置、奉仕への神の召命は、弟⼦が試練や問 題、疑いや落胆、プレッシャーや迫害を耐え忍ぶために、 ⼒と慰めをもたらします。
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ɡ ɡ 福⾳
IMB 宣教師 IMB 宣教師は聖霊によって聖別され、教会によって派遣さ れた、地理的、⽂化的、また⾔語的な壁を乗り越え、未伝 の部族と地域において弟⼦を作り、教会を増殖する宣教チ ームの⼀員として IMB によって認められたキリストの弟⼦ です。 (マタイ 28:16-20、使徒 1:8、13:1-3) 聖霊によって聖別され、教会によって派遣された / 最も基本的
なこととして、宣教師とは「派遣された者」として、キリスト の代表として聖霊の⼒によって教会から送り出された存在 です。 IMB で認められた / IMB はその代表として奉仕する宣教師た
ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 回⼼ ɡ ɡ 弟⼦ ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命
ちを動員し、評価し、認め、訓練し、⽀え、導くための戦略 とプロセスを⽴案します。
ɡ ɡ IMB 宣教師
地理的、⽂化的、⾔語的な壁を乗り越え / 宣教師は福⾳を広
ɡ ɡ 宣教チーム
めるために、これら⼀つの、あるいは複数の壁を乗り越え ます。.
ɡ ɡ 未伝の部族と地域
宣教チームの⼀員として / IMB 宣教師は宣教の働きにおい
て、それぞれが異なる役割と責任を担うチームの⼀員とし て仕えます(「宣教チーム」**⾴参照)。 弟⼦を作り、教会を増殖するために / 宣教チームの働きは開
始、伝道、弟⼦訓練、教会開拓、そしてリーダー育成のすべ てを通して、弟⼦作りと教会の増殖を⽬指します。 未伝の部族と地域において / 宣教チームは未伝の部族と地
域の中で教会開拓をし、あるいはその働きを促していきま す。教会のリーダーたちに宣教の責任をゆだね(例:教会 を牧会し宣教師を派遣することができるように整える)、そ して、新たな未伝の部族と地域の間で教会開拓伝 道の働 きを⾏います。
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鍵となることば
宣教チーム
ɡ ɡ 福⾳ ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 回⼼ ɡ ɡ 弟⼦ ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
宣教チームは定期的に会い、私⼼なく互いにケアし、特定の未 伝の部族や地域において意識的に弟⼦作りと教会増殖のため に協⼒し合う、識別できるグループです。新約聖書では宣教の 働きをした弟⼦たちはほとんどの場合、それぞれが異なる役割と 責任を担いつつチームで奉仕しました。聖書は弟⼦が宣教の働 きに従事する際に、孤⽴して奉仕するべきでない、個⼈的、実践 的、牧会的理由を説明しています。また、弟⼦がクリスチャンの 共同体を通してキリストをあがめることについて、伝道的な理由 もあります。そうすることによって、IMB 宣教師は宣教の働きの 中で、それぞれが異なる役割と責任をもってチームで働きを進め ていきます。チームには IMB 宣教師、その国のクリスチャン、あ るいは⼤宣教命令のための他の同労者が含まれます。IMB は 宣教師がそれらのチームの中で働くことができるように様々な 道を備えます。それぞれのチームについては、独⾃の資質が求め られ、様々な訓練、ふさわしい説明責任、IMB からの異なるレ ベルの経済的、その他の⽀援が含まれます。 (マタイ 6:7、ルカ 10:1、使徒 13:1-3、15:36-40、17:10-15、18:1-5、ローマ 16:1-16 、ピリピ 4:2-3) 1 / 聖書的、個⼈的、実践的、牧会的理由により、IMB の職員 は宣教地において単独で仕えるのではなく、チームで奉仕 することが最善です 2 / 管理上の理由で、異なる地域に住むグループをチームと呼 ぶこともありますが、ここではチームとは定期的に会うこと のできる⼈々を指します。 3 / チームが果たすべき機能は、定期的に会うこと、私⼼なく ケアし合うこと、⼤宣教命令の働きのために意識的に協⼒ し合うことです 4 / ⼤宣教命令の働きを進めるために、異なる賜物と役割を持 った⼈たちによってチームが構成されることが理想的です 5 / △ チームは IMB 職員、その国のクリスチャン、地域教会の メンバー、⼤宣教命令に従事する協⼒者、あるいはその組 み合わせによって構成されます。 6 / 私たちは霊的な健康と任務のためにチームとして働くので あって、 「チームを結成するこ と」が⽬的ではありません。 メンバーへのケアはチーム⾃⾝のためにではなく、神の栄 光と神が与えられた宣教のためになされなければなりません。
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ɡ ɡ 福⾳
未伝の部族と地域 ɡ ɡ 伝道 未伝の部族と地域とは、⼤半の⼈々がキリストを知らず、 教会が外部からの助けなしにキリストを知らしめることが できない程に⾜りない状況を指します。現代の宣教学にお いては、福⾳的なクリスチャン⼈⼝が 2%以下の⺠族を未 伝の部族と⾒なします。この定義はある意味では助けとな りますが、問題も含みます。 それは、任意で定められた 2%という区分が「未伝」かどうかを 決めてしまいます。 宣教学者たちは、特定の部族の中で外
部からの助けなしにムーブメントが成⻑し続けていくこと のできる境界点を社会的なデータをもとに評価します。し かし、社会学者たちは(それはつまり宣教学者たちも)そ の境界点が何パーセントであるかについては⼀致していま せん。その現実と、そのような境界点に関する聖書的な記 述がないことから、特定の部族が「未伝」であるか「既伝」 であるかを⾒極めようとする試みは、特に宣教の戦略を決 めるためにその数字を唯⼀の基準と⾒なすことは、問題 を含んでいると思われます。特定の部族や地域における福 ⾳的なクリスチャンの割合を⾒極めることは価値あること であると思いますが、私たちはその割合とともに、その部 族や地域における教会の状態や福⾳に触れる機会につい て、その他の数多くの要因も考慮します。私たちはそれらす べての情報をもとに、教会の状態によって宣教の戦略を定 め、どの宣教師をどの地域に派遣し、宣教師たちがそこで 何をするかを決めます。
ɡ ɡ 回⼼ ɡ ɡ 弟⼦ ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ 教会 ɡ ɡ 召命 ɡ ɡ IMB 宣教師 ɡ ɡ 宣教チーム ɡ ɡ 未伝の部族と地域
それは、特定の部族のみを「未伝」と⾒なすように不必要に限 定してしまいます。 すべての国⺠(すべてのエスネ)を弟⼦
とするというキリストの命令、終わりが来る前に福⾳がす べての国⺠(すべてのエスネ)に証されるというキリストの 約束、そしてあらゆる部族、⾔語、⺠族、国々の⼈々がある ⽇、神によって贖われ、天国に集うという聖書の確約に照 らし合わせると、部族に関する調査は必要です。世界の⺠ 族的、⾔語的グループを⾒極め、すべての部族に福⾳を宣 べ伝えるという⽬標のために、その⼈たちの間で福⾳がど 69
鍵となることば
留意点
れほど広まっているかを記録することは有益です。そのよ うな調査が宣教の戦略を⽴てるために⼤切な情報をもた らします。しかし、初代教会を通して福⾳がどのように拡⼤ したかについて新約聖書が記していることを⾒るとき、聖 書の著者たちは⺠族だけでなく、場所に強く焦点を合わせ ていました。パウロの宣教旅⾏についてルカが記している ことを⾒ると、福⾳が部族から部族へではなく、おもに町か ら町へ、地域から地域へと拡⼤していることを記録してい ます。さらにパウロが、キリストがまだ知られていないとこ ろに福⾳を宣べ伝えたいという情熱をはっきりと説明して いるところでは、特定の部族ではなく、特定の場所につい て語っています。だからと⾔って、聖書はキリストに回⼼し た⼈たちの⺠族的、⽂化的特徴(とその重要性)を無視し ているのではありませんが、最も初期の宣教師たちは未伝 の部族にだけでなく、 (むしろそれ以上に)未伝の地域に 福⾳を広めることに焦点を合わせていたように思えます。 未伝ということについて、部族と地域の両⽅について認識 することが聖書的であり、役⽴ちます。それは、その両⽅の 現実が宣教の戦略にそれぞれユニークに反映されるから です。 ++ 特定の部族を未伝と⾒なすことが、弟⼦訓練にユニーク な影響を及ぼします。しばしば⺠族的、⾔語的な壁が 部族への福⾳の拡⼤を妨げます。宣教師は聞き⼿ に対して福⾳を⽂脈化するにあたり、伝道と弟⼦訓 練におけるそのような障壁を考慮する必要がありま す。宣教師は福⾳を宣べ伝えるために、頻繁に⾔語 を習得する必要があり、また⼈々に福⾳を伝達し、 彼らの⽣活に適⽤するにあたり、絶えず⺠族的、⽂ 化的、⾔語的、宗教的な特徴を考慮すべきです。.
70
++ 地域を未伝と⾒なすことが、教会開拓にユニークな影響 を及ぼします. すでに述べたとおり、新約聖書におけ る宣教のパターンは、未伝の地域に教会を開拓する ことをはっきりと優先しています。そうするにあたり、 私たちは戦略を⽴てるにあたり、順守的、経済的、社 会的な分断を決して促してはなりません。伝道の効 果を⾼めるために、しばしば、特定の⾔語や部族に 焦点を絞ることが必要になります。また、信者は⾃分 の⾔語と⽂化において神を礼拝することができるべ きです。それと同時に、福⾳は異なる⼈種や階級の壁 を壊します。私たちはどの教会も、⼈種、階級、性別 に基づいて誰をも除外してはならないと考えます。. 教会開拓においてこの状態に達するためには、弟⼦作りに おいて多くの忍耐と知恵が 必要とされるプロセスを通らなければならないかもしれま せん。しかし、すべての国⺠が⼀つとなり、キリストを通し て神に栄光をささげる⽇まで、私たちはこのことを⽬指して 働いているのです。 ですから、私たちの宣教の戦略は、未伝の部族と地域の両 ⽅に焦点を合わせます。⼤多数の ⼈たちがキリストを知ら ず、教会が外部の助けなしにより多くの⼈々にキリストを知 らしめることが⽐較的不⼗分な状態である地域に、私たち は宣教チームを遣わします。また、既に福⾳が宣べ伝えら れている地域でも、未伝の部族の⼈⼝がかなり多い地域 に宣教チームを遣わします。さらに、既に福⾳が宣べ伝え られている地域でも、未伝の部族や地域に福⾳を宣べ伝 える可能性が⾮常に⾼い地域に宣教チームを遣わします。 私たちはどの場所にあっても、様々な部族に福⾳をもたら し、⼈々を教会として集めるという意識的な焦点を持ちな がら、すべての⼈々に福⾳を宣べ伝えます。そのようにして、 私たちは世界のあらゆる場所で、あらゆる部族において弟 ⼦を作り、教会を増殖する働きに関する⾃分たちの役割を 固く決⼼して取り組んでいるのです。
参照されている詩 (創世記 12:1-3、22:18、26:4、28:14、詩篇 67:1-7 、96:1-9、117:1-2、イザヤ 49:5-6、ダニエル 7:1314、ハバクク 2:14、 マタイ 24:14、28:16-20、ルカ 24:44-49、使徒 1:8、6:1-6、8:4-40、 10:34-35 、15:36、16:6-10、ローマ 15:18-24、ガラテヤ 3:28 、エペソ 2:11-22、コロサイ 3:11、ヤコブ 2:1-9、黙 ⽰録 5:9、7:9-10)
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宣教師の働き
宣教師の働き 伝道
弟⼦訓練
開始
退去
リーダーの育成
健全な教会の形成
聖書があかしするところに照らし合わせて、私たちは 宣教師の働きの核となる 6 つの要素があると信じま す。それらは、開始、伝道、弟⼦訓練、健全な教会の形 成、リーダーの育成、戦略的に計画された退去です。 祈りは私たちのすべての戦略の中⼼なので(**⾴参 照)。別の事項としてではなく、宣教師の働きのすべて に浸透している必要があります。
ɡ ɡ 開始 ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ リーダーの育成 ɡ ɡ 健全な教会の形成 ɡ ɡ 退去
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宣教師の働き
開始
ɡ ɡ 開始 ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ リーダーの育成 ɡ ɡ 健全な教会の形成 ɡ ɡ 退去
宣教師の働きを推し進めるために福⾳を聞く必要のある ⼈々との接点を持つことが必要です。この働きには以下 の 4 つの事柄が必要となります。それらは、: 調査、駐在、 アイデンティティ、コミュニケーション能⼒ です。 (マタイ 28:16-20、使徒 1:8、14:8-20、17:16-31、18:1-4、ローマ 10:14-17、15:18-24、1 コリント 14:6-19、2 コリント 2:17 、4:1-2)
調査 私たちは未伝の部族が誰であり、どこにいるのかを知る必 要があります。またその⼈々についてそれ以外の事実につ いて知ることが働きに影響を与えます。 ++ そこに教会が存在するのであれば、クリス チャンの⼈数と教会数はどれくらいか。 ++ 聖書は現地の⾔語にどの程度翻訳されているか。 ++ 伝道と弟⼦訓練のための他の⼿段はあるか。 ++ 他の福⾳的なグループが福⾳を宣べ伝えているか。 ++ その地域のキリスト教に対する歴史と、それが 伝道活動に影響を与える可能性があるか。
宣教師は⾃分たちに相応しい戦略を 選びます。つまり、⼈々から信頼を得 る質の⾼さをもってできる活動をす べきです。
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++ 宣教師の働きに影響を及ぼす可能性のある宗教、 ⽂化、経済、政治についての基本的な情報。 宣教師の働きにとって注意深い調査が重要となります。私 たちは調査を進めていくための形態やプロセスを築き、調 査します。
駐在 福⾳宣教の働き⼈が、宣教師として公に⼤多数の⼈々に接 することのできる時代はもはや終わりました。⼤抵の未伝 の部族と地域は宣教師ビザを発給せず、宣教師の働きを 極度に限定する国々に存在します。そのため、福⾳を聞く 必要のある⼈々の地域に駐在するのに創造的な戦略が必 要となります。それには、以下の特徴を⼤切にすべきです。
誠実さ /宣教師は現地において⾔⾏⼀致が求められます。 神のご性質である誠実さを映し出すことによって、福⾳を 魅⼒あるものとして⽰すべきです。 相応しさ / 宣教師は⾃分たちに相応しい戦略を選びます。 つまり、⼈々から信頼を得る質の⾼さをもってできる活動 をすべきです。
宣教師は「あなたは何をしているの ですか」という質問に、いつでもはっ きりと、誠実に答えられる必要があ ります。
居住するだけではなく⼈々につながる / 伝道しようとする ⼈々とつながりを持つことが重要です。おもに外国⼈とや りとりする仕事や、コンピューターを⽤いる仕事などは、伝 道対象となる⼈々との接点を持つことには、あまり有利と は⾔えません。 相応しい創造的な戦略を⽤いるためには、罪がこの世に 悪い影響を与える前に、神が創造のみわざの⽬的の⼀部と して、神が私たちに仕事を良い贈り物として与えてくださっ た、という仕事に関する健全な神学が必要です。仕事を、 宣教から⼼をそらすもの、あるいは邪魔なものではなく、 神からの召命として⾒なす必要があります。
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宣教師の働き
アイデンティティ ⾔語を習得しながら、伝道していく 必要があります。
宣教師は宣教の対象となる地域に住むためにビザが必要 であることに加え、現地の友⼈や隣⼈が疑いを抱くことな く、居⼼地よく感じることができるようにする必要がありま す。 「あなたは何をしているのですか?」という質問に、い つでもはっきりと、誠実に答えられる必要があります。あな たがどのように時間を過ごしているか、⼈々が⾒ていること と、その質問への答えが⼀致する必要があります。⾃分の 技能、訓練、興味分野と⽭盾していない必要があります。ご く⾃然に確信をもって答えられるべきです。宣教しようとし ている⼈々にとって、あなたのしていることがごく⾃然で普 通の⾏為であると理解される必要があります。そして伝道 と弟⼦訓練のための扉を開くものであるべきです。
コミュニケーション能⼒ 宣教チームには、宣教の対象となる⼈々に関わるにあた り、その地域の⾔語と⽂化についてふさわしいレベルの理 解が求められます。宣教師の働きを成し遂げるためには、 その⼈々が最も⼼を表現できる⾔語を話せる宣教師が必 要です。福⾳を分かち合うには、⼼にある深い話をし、聖 書を教え、効果的に信者を弟⼦として育てるために、その 地域の⾔語と⽂化を⼗分に理解する必要があります。宣教 チームにいる⼤抵の地元の協⼒者は⾔語も⽂化について も深い洞察があります。チームに加わる新しいメンバーが コミュニケーション能⼒を習得するには特定の時間とエネ ルギーが必要となります。⾔語を習得するための戦略につ いては、以下のことが考慮されなければなりません。
⾔語習得はその中に⾃分の⾝を置くことが最善の⽅法です。
配偶者を含め、⼈により学習スタイルが異なります。 ⾔語習得のための⽅法は、このことを考慮して、柔軟性が 必要です。
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⾔語を習得しながら、伝道していく必要があります。 新し い⾔語をある程度習得していながら、伝道するのを先延 ばしにしてはあまり実を結ぶことが期待できません。⾔語 を習得している時に福⾳を分かち合う習慣を⾝につけな いなら、それまで関係を培ってきた⼈たちに、ある⽇突然 福⾳を持ち出すことは不⾃然であり、難しいです。習得した レベルにふさわしい仕⽅で、ふさわしい伝道の⼿段を⽤い て、どのように福⾳を分かち合うかを学んでいくことがより 良いのです。
多くの IMB 宣教師は⾔語能⼒を習得する条件があり、 低 限の⾔語習得レベルに到達するまで定期的に報告をする 責任があります。その後も⾔語の学びは継続すべきで、宣 教チームもそのために互いに責任を負い合います。⾔語習 得の学びを夫婦の場合、⼆⼈ともする必要があります。⼆ ⼈とも宣教師として仕え、福⾳を分かち合い、弟⼦訓練を する必要があります。妻がおもに⼦育てに時間を割く状況 にあっても、新しい⽂化に馴染み、深い⼈間関係を築くた めに⾔語を学ぶ必要があります。
宣教チームのすべての宣教師に対して同じレベルの⾔語 能⼒を期待されているわけではありません。 たとえば、専 ⾨職をもって海外の企業で働きながら宣教チームの⼀員と して奉仕する⼈は、⾔語を習得するための時間がそれほど ないかもしれません。しかし、すべての IMB 宣教師はその 宣教チームにおける役割を果たすために、⾔語の習得と⽂ 化の理解をより⾼める必要があります。
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宣教師の働き
伝道
ɡ ɡ 開始 ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 弟⼦訓練
伝道はイエス・キリストに従うすべての者にとっての責任で す。伝道はどのような役職にあっても、すべての IMB 宣教 師の職務規定のひとつです。主要な働きがリーダー訓練で あり、その地域の信者や教会が積極的に福⾳を宣べ伝え ているとしても、IMB 宣教師はすべての信者に期待されて いることの模範となるべく、伝道の働きに従事しなければ なりません。 (マタイ 28:16-20、ルカ 24:44-49、使徒 1:8 、2:36-41、3:11-26、4:5-12、4:31、5:17-32、8:4-8、8:2640、9:10-22、11:20-21、13:4-5、13:16-41、13:44-52、14:1 、16:25-34、17:1-4、17:22-31、18:1-11、19:8-10、28:23-31 、エペソ 4:11-14、2 テモテ 1:8-14、4:5、1 ペテロ 3:13-17) 伝道の戦略には以下の事柄が含まれます。
ɡ ɡ リーダーの育成 ɡ ɡ 健全な教会の形成 ɡ ɡ 退去
伝道の戦略は中⼼的な事柄です。 伝道は働きの中⼼的な ものなので、すべての IMB 宣教師 チームは伝道を意識的 に計画し、計画的に⾏い、責任を負い合うことが求められ ます。 聖霊のみが⼈の⼼を変えることができます。 聖霊が私た ちのあかしに⼒を与えられ、それなしでは私たちは何も成 し遂げることができません。それゆえ、私たちのすべての 伝道戦略と⾏動は、熱⼼な祈りと聖霊により頼むことの上 に建て上げられなければなりません。 伝道は福⾳のすべての内容を含まなければなりません。 それらは「鍵となることば」に記されています(**⾴参照)。 いかなる会話においても福⾳のメッセージの⼀部しか伝え ることができないのは確かですが、福⾳のすべての要素を 聞き⼿の⼼に伝えるまでは、伝道はまだ完了していません。 伝道の働きは緊急です。 そして、私たちの⽣活とその働き は、その緊急性によって特徴づけられなければなりません。
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福⾳のメッセージを明確にするために⽂脈化しますが、そ れは未信者の⼈たちが抵抗なく受け⼊れることを⽬的とし ているのではありません。私たちは伝道しようとする特定 の⽂化や宗教に対して架け橋となるものを⽤いて福⾳を伝 える場合もあります。しかし、他の⽂化的⽂脈において、誤 解されうる事柄について、福⾳のメッセージの内容を説明 する必要があります(たとえば、ヒンズー教徒に対して新し く⽣まれとはどういうことか、イスラム教徒に対して イエ スが神の⼦であるとはどういうことかを説明するなど)。外 国的と思える不必要な障害をなるべく減らすことは⼤切で す。しかし、未信者の聞き⼿が気分を害するからと⾔って、 福⾳のある要素を取り除いたり、変えたりしてしまうことは できません。⼗字架のメッセージは失われた⼈々にとって は不快なものに⾒えますが、回⼼は私たちがメッセージを きれいに伝えることによってではなく、聖霊の⼒によっても たらされるのです。 福⾳が受け⼊れられるためには、多くの世界観が存在する ことを理解しなければなりません。 神の実在性とそのご 性質、神のかたちに似せて創造されたが堕落してしまった という聖書的⼈間観、神に対する個⼈的また倫理的責任、 神の聖さの標準、⼈間の意識の永遠性、審判の現実、天 国と地獄などについて、様々な世界観が存在しています。 さらに混乱を招く理由は、多くの世界観がその要素につい て似通った表現をしつつ、定義が異なることです。効果的 に福⾳を伝達するには、福⾳の背後にある聖書的な世界 観をしっかりと伝えることが要求されます。また、現地の⽂ 化でそれをどのように伝えるかを繊細に学ぶ必要がありま す。そのため、旧約聖書(これが福⾳の背後にある世界観 を設定します)と聖書全体の物語を語ることがとても役⽴ ちます。伝道の対象となる⼈々の世界観と学習スタイルを 調べ、あなたが伝えようとしているメッセージを理解しても らえるような伝道⽅法を編み出していきましょう。
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宣教師の働き
伝道はイエス・キリストに従うすべて の者にとっての責任です。
悔い改めと信仰をもって福⾳のメッセージに応答すること を促すチャレンジなしには、伝道は不完全です。 福⾳を信じる者はすぐに他の⼈に福⾳を分かち合うための 訓練と励ましを受けるべきです。 ⾃分たちがイエス・キリ ストを信じるように導かれたのと同様に他の⼈にすること を教えられなければなりません。 様々な世界観において⽤いることのできる数多くの伝道の ツールがあります。 それぞれの宣教師や宣教チームにとっ て、⾃分たちが良く知っているツールが何であるかを⾒極 めることが助けになるかもしれません。そして、福⾳を忠実 に伝えるものか、効果的であるかに基づいて評価します。 聖書的な福⾳のすべての要素が含まれていなければなり ません。福⾳とその背後にある世界観を聞き⼿が理解でき るように伝えるべきものであるべきです。すべての IMB 宣 教師は、いかなる時でも躊躇なく福⾳を分かち合う準備が できているべきです。 伝道戦略は社会的構造に敏感である必要があります。 情報は誰がどのように伝達していくでしょうか。その⽂化で は、ある⼈に福⾳を分かち合うなら、その次は誰が聞くこと になるでしょうか。また、誰が決して⽿にしないことになる でしょうか。どのような⼈々やグループにも福⾳が伝わるた めには、どのグループに伝えるべきでしょうか。最も⾃然に 福⾳を分かち合うことのできるのは誰ですか。近所の⼈た ちですか。職場の同僚ですか。新しく信じた⼈に誰にあか しすることを勧めますか。彼らとどのように責任を負い合い ますか。
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伝道が必ず弟⼦訓練と結びつくようにします。 弟⼦訓練 が救いの結果として⾃然になされていくように福⾳を伝 え、新しく救われた⼈々が⾃然に弟⼦訓練へと導かれるよ うに計画します。
留意点
伝道を⼀貫して忠実に進めるためにチームで励まし合う責 任を負い合うべきです。監督者や宣教地のリーダーの責任 の⼀つは、伝道を進めるために責任を負い合うことです。 置かれた状況において、 できるだけ福⾳の種を蒔きます。 これは個⼈伝道やその他の幅広い意味での種まきの⽅法 も含まれます。伝道しようとしているところでできるだけ多 くの⼈々に福⾳を届けるために、どのようなメディアを⽤い るかについても決めます。 あわれみのミニストリーは伝道の働きにおいてユニークな 側⾯を提供します。それは単に必要を満たすことだけでな く、⼤いなる動機をもたらすのです。 あわれみのミニスト リーはキリストを信じる者が内なる聖霊に促されて、最終 的には神の恵みと神の栄光を表すために、思いやりをもっ て⾏う⾏動です。また、あわれみのミニストリーは必要を 覚え、苦しんでいる⽅々に対して思いやりを⽰すと同時に、 未伝の⼈々や地域で伝道し、弟⼦訓練し、教会開拓を⾏ い、健全な教会増殖をし、リーダー訓練を⾏っている IMB のパートナーや教会が協⼒する道を備えます。
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宣教師の働き
弟⼦訓練
ɡ ɡ 開始 ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ リーダーの育成 ɡ ɡ 健全な教会の形成 ɡ ɡ 退去
⼤宣教命令の中⼼的な教えは弟⼦を作ることです。弟⼦と は単にある⼀定の情報を理解し、霊的訓練を実施して福 ⾳を分かち合う⼈ということではありません。弟⼦訓練に は⼼、思考、愛情、意志、⼈間関係、⼈⽣の⽬的を意識的 に変⾰することが含まれます。このどれもが⼤切です(**⾴ 参照)。弟⼦訓練のための不可⽋なツールは、みことば、 聖霊、そして神の⺠です。 (マタイ 16:24-26、28:16-20、 マルコ 12:28-34、ルカ 6:40、14:25-33、ヨハネ 8:31-32 、13:34-35、 14:15-26、15:1-17、16:7-15、ローマ 12:1-21、 ガラテヤ 5:16-26、エペソ 4:1-16、ピリピ 2:1-18、コロサイ 1:28-29、3:1-4:6、へブル 4:12)
みことば 弟⼦訓練において、みことばは不可⽋です。 未伝部族の 宣教の現場ではしばしば起こりうることですが、もしふさわ しい聖書の翻訳がされていない場合、聖書翻訳が緊急の 最優先事項となります。注意深く整えられ、共同体であら かじめ試された聖書物語を語ることは、 聖書を翻訳する よりもかなり早くできるかもしれません。それはしばしば聖 書翻訳のための基礎となります。しかし、聖書物語は有益 なツールですが、聖書の代わりとはなりません。 すべてのキリストの弟⼦は聖書をよく理解する必要があり ます。 そのために新しい弟⼦には以下の3つのことが必 要となります。 1) 聖書全体の理解(壮⼤な聖書全体の物 語、旧新約聖書、聖書の中の書籍の種類)、2) 聖書を効果 的に、また責任をもって学ぶ能⼒、3)聖書の主なテーマ( 余⽩参照)についての理解 弟⼦訓練は単なる情報の伝達ではありません。 それは⽣活のすべての領域における変⾰です。信仰による 従順へと導かない弟⼦訓練は、聖書的な弟⼦訓練ではあ りません。
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使徒たちは、クリスチャン⽣活、ミニストリー、キリスト教神 学への従順さを密接に結びつけています。 神が結びつけ たものを引き離してはなりません。使徒たちは常に神学を その聞き⼿/読者の⼼に当てはめました。ですから、愛によ る従順さをもって教義を教えなければなりません。謙遜さ と愛の従順さのない知識は、単なる⾃慢となり、建て上げ ることにつながりません。パウロの⼿紙は異教の背景をも った新しい信者に必要なことを考えて、深い聖書の教義を 書いていることが分かります。福⾳の教義に根差していな い従順は簡単に律法主義に陥ります。使徒たちがそうであ ったように、私たちは聖書の⼤いなるテーマに照らし合わ せながら、従順なクリスチャンの信仰⽣活を教えなければ なりません。つまり、神はどのようなお⽅か、みことばとは 何か、神の被造物としてのこの世界はどのようなものか、神 のかたちに似せて創造されたが、現在は罪の中に堕落して いる私たち⼈間とは何なのか、イエスとは誰か、イエスは私 たちのために何をされるか、聖霊とは誰か、私たちのため に何をされるか、私たちはどのようにして救われるか、また その救いの⼤いなる結果とは何か、教会とは何か、教会は 何をするか、クリスチャン⽣活とはどのようなものか、すべ てを⽀配される神の御⼿の中で歴史はどこに向かってい るか、これらすべての真理を新しい信者へのフォローアップ としての弟⼦訓練を通して、築き上げる必要があります。 弟⼦訓練は新しい信者の世界観に浸透し、変⾰をもたら す必要があります。 背後にある世界観の変⾰なしに、信仰 と⾏いだけが変化するのでは混合主義へと陥ってしまいま す。どの⽂化も聖書によってその世界観を克服される必要 があるので、新しい信者を弟⼦訓練する者は、その信者の 世界観を理解すべきです。宣教師は新しい信者の世界観 のどの部分が聖書的世界観と異なっているかを理解し、そ れらの点について聖書から教え導くべきです。
聖書のテーマ • 神はどのようなお⽅か • みことばとは何か • 神の被造物としてのこの世界はどのよ うなものか • 神のかたちに似せて創造されたが、現 在は罪の中に堕落している私たち⼈ 間とは • イエスとは誰か • イエスは私たちのために何をされるか • 聖霊とは誰か • 聖霊は私たちのために何をされるか • 私たちはどのようにして救われるか。ま たその救いの⼤いなる結果とは何か • 教会とは何か • 教会は何をするか • クリスチャン⽣活とはどうあるべきか • すべてを⽀配される神の御⼿の中で 歴史はどこに向かっているか 85
宣教師の働き
留意点
以下の事柄を⾒ていく必要があります。 ++ 神のご性質 ++ 霊的世界と物質的世界との関係 ++ 創造の性質 ++ ⼈間の性質 ++ その⼈のアイデンティティはどこにあるか - 信 者のアイデンティティはどこにあるべきか ++ 性別、結婚、家族についての理解 ++ 神の⽬にとって何が善であり、何が悪なであるか ++ 時間と歴史の意味と性質 ++ ⼈⽣の⽬的と死の重要性 これらを理解するために、現地の⽂化において重要な⾔葉 がどのように定義されているかを調べ、それらの⾔葉に聖 書の内容がしっかりと伝達されているかを確認する必要が あります。
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聖霊
留意点
聖霊のみがみことばを⽤いて弟⼦の⼈⽣のあらゆる領域 を変⾰することができます。弟⼦訓練は聖霊の⼒と働き に、意識的に依り頼んで⾏われなければなりません。 新しい弟⼦は聖霊の⼒によって⽣き、歩んでいくことを学 ばなければなりません。 絶えず祈ることを習慣とし、聖霊 を消したり、悲しませたりするかもしれないすべての事柄 を⼗字架につけていくことによって、それを⾝につけてい きます。神との親しい交わりと聖い⽣活は 、イエスの弟⼦ として不可⽋な要素です。 他の⼈を弟⼦訓練する者も聖霊によって歩まなければなり ません。 ⾃分の⼈⽣を注意深く⾒つめ、新しい弟⼦に神 のみがなしうることは何であるかをしっかりと祈っていくこ とが重要です。弟⼦訓練とそのための⼿段は、弟⼦訓練を 受ける⼈のために意識的に忠実に祈ることが含まれなけれ ばなりません。
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宣教師の働き
留意点
神の⺠ 弟⼦訓練は通常、地域教会にて⾏われると聖書は明確に 教えています。⼀対⼀の弟⼦訓練は有益な役割を果たしま すが、それだけでは⼗分ではありません。聖書的な弟⼦訓 練はキリストの体なる教会の⼀⼈⼀⼈に与えられた賜物や 貢献が必要です。ですから、新しい信者は弟⼦として成⻑ していくために、地域教会の⽣活に組み⼊れられる必要が あります。 バプテスマと地域教会への組み⼊れは、回⼼に続いて⾃然 にまた必然的に⾏われなければなりません。
地域教会がまだ存在していない場合、教会開拓が弟⼦を 作るために譲ることのできないものとなります。
すべての弟⼦は地域教会において、互いの霊的健康と成 ⻑について責任を持つことを学ぶべきです。 All believers should be trained and encouraged to involve themselves in one another’s lives in their local church, and to exercise their gifts in service to one another, in order to make church-based discipleship effective. 説教、教え、礼拝、交わりなどの教会のミニストリーはすべ ての信者の弟⼦訓練にとって必要です。
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すべての宣教チームは新しい信者に対して弟⼦訓練の計画を持 つべきであり、あらゆる状況において以下の事柄を考慮します。
宣教師は神から賜物が与えられたリ
バプテスマと地域教会への組み⼊れ ることの必要性と緊急性
ーダーとなる⼈たちに焦点を合わせ
++
聖書全体の理解と聖書をよく学ぶための能⼒
々のことをなおざりにしたり、さほど
++
個⼈と会衆としての祈り、聖書研究、断⾷、礼 拝を含む、クリスチャン⽣活の霊的訓練
重要ではないと教会の中で差別した
++
クリスチャンの基本的な信仰
++
福⾳をどのように分かち合うか、そのこと を他の⼈にどのように教えるか
++
聖い⽣活についての聖書的教え
++
結婚、⼦育て、家庭⽣活についての聖書的理解
++
聖書的職業観についての理解
++
教会の性質とその重要性
++
苦難と迫害についての聖書的理解
++
聖書的な⾔⾏⼀致を保ち、福⾳の内容を妥協 せずに伝達しながらの家族を敬うこと
++
国籍、⼈種、部族、家族についての古いアイデン ティティを超越したキリストにある新しい
++
ア イデンティティと世界規模のキリストの体
++
るかもしれませんが、それ以外の⼈
りしてはならないのです。
さらに、特定の⽂化や世界観に対して上記以外の事柄も考慮す る必要があるかもしれません。 たとえば、ある状況では霊的世 界、お守り、呪術また超⾃然的な事柄全般についての聖書的視 点を⽰すことが特に役⽴ちます。 弟⼦訓練の⽬的は弟⼦を作ること、つまり、すべての⼈をキリス トにあって完全な者として⽴たせることです。すべての弟⼦が教 会を開拓し、導き、教えるというわけではありません。そうでない ⼈々を失望させてはなりません。牧師や宣教師になるのは⼀部 の⼈のみです。弟⼦には強い信者も、弱い信者も、ダイナミック な指導者も、おとなしい奉仕者も含まれます。宣教師は神から の賜物を与えられたリーダーとなる⼈たちに焦点を合わせるかも しれませんが、それ以外の⼈々をなおざりにしたり、さほど重要 でないと教会の中で差別したりしてはならないのです。キリスト の体のすべてのメンバーを価値ある存在する弟⼦訓練の働きを 推し進めていく必要があります。 89
宣教師の働き
健全な教会の形成
ɡ ɡ 開始 ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ リーダーの育成 ɡ ɡ 健全な教会の形成 ɡ ɡ 退去
教会はイエス・キリストを信じ、バプテスマを受けた者の 集まりで、キリストの体として互いに責任を負い合い、定 期的に集まり、聖書的な教会としての働きを⾏ないます。4 IMB は増殖する健全な教会を開拓するために献⾝してい ます。 「教会」の定義と教会開拓のガイドラインに従って 働きの報告をし、現地の信者や他の協⼒者たちを教えま す。私たちは「バプテスト信仰とメッセージ2000」の教 義を⼟台として、教会開拓を進めます。 (マタイ 16:13-20 、18:15-20、28:16-20、使徒 2:42-47、5:1-11、9:31、13:1-3 、14:21-28、15:1-6、41、16:5、20:17-35、ローマ 16:1-23 、1 コリント 3:1-17、5:1-13、6:1-11、10:14-22、31-33 、11:17-34、12:1-31、 13:1-13、14:1-40、16:1-4、2 コリン ト 8:1-15、エペソ 1:15-23、2:11-22、4:1-32、5:22-32、コ ロサイ 1:15-20、24-29、3:1-17、1 テモテ 3:15、5:1-25、2 テモテ 4:1-5、 ヤコブ 5:13-20) 「健全な教会の12の特徴」 (**⾴参照)は退去に向けて のチェックリストではなく、持続可能な教会とはどうあるべ きかをまとめたものです。教会のリーダーにはこれらの項 ⽬が健全な教会のために必要な、中⼼的な事項であると 理解するように教え、励まします。そのため、教会 開拓を 進めることに加え、宣教師の働きには既存の教会を強め、 再活性化し、さらに健全な教会になるように成⻑を促すこ とも含まれることがあります。 私たちは福⾳を広める最善の⽅法は教会増殖であると信 じます。それゆえ、私たちのツールや⽅法は⼀つ⼀つの新 しい教会が最初から⼤宣教命令に従事していくためのも のであって、単に地域教会が伝道を通して成⻑するためだ けのものではなく、新しい教会を開拓する新しい教会を開 拓することを⽬指すものです。
健全な教会の12の特徴」 (**⾴参照)は退去に向けてのチェックリストではなく、持続 可能な教会とはどうあるべきかをまとめたものです。
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失われた魂にとって、福⾳の必要性は急務です。私たちは 神の恵みによってできるだけ速く教会が増殖することを願 っています。同時に、みことばは、私たちの忠実な宣教の働 きが必ずしも⼀定のペースで再⽣産をもたらすとは約束し ていません。急速な増殖は聖書的に可能ですが、確約され ているのではありません。福⾳は世界中、異なるペースで 拡がっています。パウロが2テサロニケ3:1で述べている
ように、私たちは福⾳が急速に広まることを祈り、教会が 増殖することを期待しています。前に述べたように、教会開 拓の主要なねらいは増殖する健全な教会であり、急速な再 ⽣産を⽬指すために健全な教会の性質を植え付けること を犠牲にしたり、先延ばしにしたりしません。これらすべて において、個々の地域教会は教会の再⽣産のための⼿段 ではなく、それ以上の存在であると私たちは信じます。個 々の地域教会はキリストの花嫁であり、神の⽬に尊い存在 です。そして私たちもそのように受け⽌めています。 働きにおける私たちの通常の役割は、教会を開拓してそれ から牧師としてその教会に⻑期的にとどまることではあり ません。むしろ福⾳を宣べ伝え、健全な再⽣産する教会で 弟⼦訓練を⾏い、地域の牧師/⻑⽼/監督がそれらの教会 を導くことができるように訓練することです。ですから現地 のリーダーを育て、必要に応じて⼀緒に歩みますが、私た ち⾃⾝がその地に開拓された教会の⻑期的な指導者とな っていくことを⽬指してはいません。
「健全な教会の12の特徴」 (**⾴ 参照)は退去に向けてのチェックリ ストではなく、持続可能な教会とはど うあるべきかをまとめたものです。
もし、すでに国際的な教会があるなら、それらの教会が積 極的に取り組んでいる伝道や宣教活動の価値を認め、励 まします。私たちはそれらの教会ができるだけ早く経済的 に⾃⽴すること を含め、健全な教会のすべての特徴を持 つことを⽬指すべきであると考えます。 私たちは宣教地において必ずしも建物が必要であるとは考 えません。⾃分たちでは経済的に⼊⼿することができない ような建物が必要だと教えられてしまうと、特に会堂建設 のための海外資⾦がある場合、経済的に依存する危険が あります。もし宣教地の新しい教会が建物を建設したり、 購⼊しようとしたりするなら、メンバーは教会の健全さを 保つために、海外の資⾦に依存せずに、⾃分たちで資⾦を 調達し、⾃分たちで建物を維持していくことが必要です。
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宣教師の働き
⽂脈化 どのような⽂脈化も、聖書の教えを 破ったり、福⾳の真理を妥協したりし てはなりません。
私たちの役割は、福⾳を宣べ伝え、 健全な再⽣産する教会で弟⼦訓練 を⾏い、地域の牧師/⻑⽼ /監督が それらの教会を導くことができるよ うに訓練することです。
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北⽶の教会がその⽂化の中にあるように、私たちが開拓す る教会は地域の⽂化の中に⽂脈化されるべきです。同時 に、聖書は境界線を明確にしています。どのような⽂脈化 も、聖書の教えを破ったり、福⾳の真理を妥協したりして はなりません。私たちは「C3 ⽂脈化」として理解されてい るものを推奨します。それは教会の礼拝や教えが現地のこ とばでなされ、宗教的な意味を持たないとされる事柄につ いて現地の⽂化に合わせる⽅法です。私たちはまた、 「C4 ⽂脈化」も注意深く受け⼊れます。それは現地の宗教的な ⽂化の要素を新しいクリスチャンの⾏いとして採り⼊れる ことです(例えばイエス・キリストの誕⽣を 12 ⽉ 25 ⽇に 祝うこと)。すべての⾏いが⽂化的、また感情的な要素を 含んでいるため、C4 については、注意深く⾒ていく必要が あります。現地の主要な宗教から回⼼した⼈たちの考え⽅ や感じ⽅を⼗分に考慮することが求められます。私たちは 「C5 ⽂脈化」いわゆる「インサイダー・ムーブメント・アプ ローチ」は全く⾮聖書的と考え、受け⼊れません。私たちは 他のいかなる宗教的システムの中にも教会を建てようとは せず、また他の宗教、その創設者や預⾔者、その書籍など が、神からのものであるとは考えません(旧約聖書のユダ ヤ教は明確な例外ですが、新約聖書後のラビ・ユダヤ教に は問題があります)。キリストに回⼼した後、他の宗教に留 まり続けたり、その宗教⾏為を継続したりすることを教え たり、励ましたりすることは決してしません。
私たちは海外の教会に対して、⾃分たちと全く同じ教派を 再⽣産することに縛られていません。しかし、与えられた特 定の地域や部族への宣教を促すために、協⼒関係を育む ことを⽬指します。それぞれの状況に適した協⼒体制を構 築していくことを励まし、促します。
留意点
宣教地の⼈々がイエスに従うために外国語を習得したり、 他の⽂化に適応したりすることを義 務づけられるべきでは 決してありません。しかし、福⾳は⺠族間を隔てる壁を打 ち破ります。また福⾳の⼒によって、⼈種や階級を越えて⼀ 致へと導かれる時、福⾳はすばらしいものとして表されま す。私たちはこの⼆つのことの緊張関係の只中で存在しな ければなりません。⼈種や他の醜い⼈間の分裂を増幅させ てはなりません。共に礼拝できる⼈々を、⼈種や階級の違 いのゆえに分離してはなりません。同時に、⺠族的、また⾔ 語的な少数派の⼈々が慣れ親しんだ⾔語で、また⾃分たち の⽂化でイエスの弟⼦として⼼から礼拝し、学ぶことがで きるように配慮することも必要です。
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宣教師の働き
リーダーの育成
ɡ ɡ 開始 ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ リーダーの育成 ɡ ɡ 健全な教会の形成 ɡ ɡ 退去
イエスに従うために外国語を習得し たり、他の⽂化に適応したりすること を義務づけられるべきでは決してあ りません。
聖書的なリーダーシップは地域教会の健全さを保つため に不可⽋であり、神は異なるリーダーを異なる仕⽅で召さ れます。すでに触れたように(**⾴参照)、新約聖書には教 会に⼆種類のリ ーダーがあると記されています。牧師/⻑ ⽼/監督と、執事です。新約聖書を⾒ると使徒がそれぞれ の教会の⻑⽼を指名しましたが、執事は必要に応じて選 ばれているようです。地域教会のリーダーを育てていくと き、私たちは牧師/⻑⽼/監督を優先的に訓練します。健全 な教会は忠実でよく訓練された牧師を必要とし、⼤宣教命 令を成し遂げるためには、そのような牧師によ って導かれ る健全な教会が必要です。 (使徒 6:1-7、13:1-3、14:21-23 、20:17-35、エペソ 4:11-16、ピリピ 1:1、1 テモテ 3:1-13 、4:11-16、5:17-22、テトス 1:5-9、 ヤコブ 5:13-20、1 ペテ ロ5:1-5) 健全な教会の特徴の⼀つは聖書的な宣教の働きです。地 域教会でリーダーを育てる時、宣教師の訓練も優先的に取 り組みます。教会はその当初から地域において、また世界 規模において、⼤宣教命令を実⾏していくことを促され、 訓練される必要があります。そのため、教会開拓者と異⽂ 化で働く宣教師を⾒極め、育てていくために教会や牧師た ちと協⼒することも必要です。それにより彼らができるだけ 早く、また効果的に宣教に従事できるように助けます。 (使 徒11:19-26、15:36-40、16:1-3、18:24-28、ローマ 15:1429、テトス 1:1-5) 教会のリーダーの資格は 1 テモテ 3:1-13 とテトス 1:5-9 に書かれています。最も明確に記されている資格は、おも に本⼈の品性と家庭⽣活です。つまり、教会のリーダーは イエスの弟⼦として模範であるべきということです。ですか ら、リーダー訓練は基本的な弟⼦訓練の⾃然 な結果とし て⾏われます。 牧師の資格としては具体的におもに三つに分類することが できます。リーダーとは どのような存在か、何を知っている かそして 何を⾏うか ということです。
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どのような存在か 牧師/⻑⽼/監督は、キリストの品性を模範とすべきです。 「 ですから、監督はこういう⼈でなければなりません。すなわ ち、⾮難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、⾃分 を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能⼒ があり、酒飲みでなく、暴⼒をふるわず、温和で、争わず、⾦ 銭に無欲で、」 (1 テモテ 3:2-3) 「監督は神の家の管理者 として、⾮難されるところのない者であるべきです。わがま までなく、短気でなく、酒飲みでなく、けんか好きでなく、 不正な利を求めず、かえって、旅⼈をよくもてなし、善を愛 し、慎み深く、正しく、敬虔で、⾃制⼼があり、」 (テトス 1 :7-8)。これらの品性は健全な教会のリーダーにとって不 可⽋であり、このような弟⼦訓練の実は地域教会において 最もよく育てられ、評価されるため、リーダーの育成は地 域教会での⽣活と密接に関係しているべきです。学問的な 学びだけを与えて、牧師/⻑⽼/監督としての資格を得たと ⾒なすことは⼗分ではありません。弟⼦訓練を受け、審査 され、教会で認められる必要があります。これら⼀連のプ ロセスを妥協することのできないリーダー訓練と⾒なす必 要があります。
このような弟⼦訓練の実は地域教会 において最もよく育てられ、評価さ れるため、リーダーの育成は地域教 会での⽣活と密接に関係しているべ きです。
何を知っているか 「教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っ ていなければなりません。それは健全な教えをもって励ま したり、反対する⼈たちを正したりすることができるため です」 (テトス1:9)。牧師/⻑⽼/監督は、聖書と教義を知 っていなければなりません。その両⽅を正しく教えること ができるほどに⼗分に理解し、誤った教えを⾒分け、退け ることができるようになる必要があります。これは⾼度な 聖書的、また神学的知識を意味します。この役割を担う⼈ は、基本的な聖書解釈、旧新約、聖書神学、そして組織神 学について⼗分な訓練を受けるべきです。必要不可⽋では ありませんが、教会史についての知識は、過去の異端を知 ることによって、再発する異端問題に対応する助けとなり ます。神の⺠をしっかりと牧会するために、基本的な聖書 的カウンセリングに触れておくのも有益です。また、神の⺠ を宣教の働きに導くために、聖書的な宣教と伝道の知識 も役⽴ちます。 95
宣教師の働き
何を⾏うか 聖書は教会において、すべての⼈に 同じ賜物や同じ役割が与えられてい るわけではなく、あまり⼈の⽬につか ないものを含め、すべての賜物が不 可⽋であると教えています(1 コリン ト 12章)。
すでに述べたように、牧師/⻑⽼/監督には、聖書の内容と 健全な教義を明確に教える能⼒が求められます。また、誤 った教えを指摘しそれを拒絶することができなければなり ません。神の教会を管理し、ケアし(1 テモテ 3:5)、聖徒 たちが奉仕の働きをすることができるように整える(エペ ソ 4:12)ことが必要です。そのため、まず⾃分の家族を導 かなければなりません。これらの能⼒は単に情報の伝達に よってではなく、メンターとの関係において実践していくこ とによって、成⻑させる必要があります。 聖書は教会において、すべての⼈に同じ賜物や同じ役割が 与えられているのではなく、あまり⼈の⽬につかないものを 含め、すべての賜物が不可⽋であると教えています(1コリ ント12 章)。また聖書は、多くの⼈が教師となるべきでは ないと教えています(ヤコブ 3:1)。ですから、すべての忠 実なキリストの弟⼦が教会を始め、導くのではなく、すべて の忠実なキリストの弟⼦が教会で教えるべきではないので す。そのような期待を⼈に負わせてはなりません。私たちは すべての信者を弟⼦しますが、教会のリーダーシップはす べての⼈の徳を⾼めるために、特定の⼈に対して神がゆだ ねられるものです(エペソ 4:11-16)。 教会の働きにおいて、男性も⼥性も、重要な役割を果たし ます。しかし、牧師/⻑⽼/監督の役割は、教会で男性にの みゆだねられていて、⼥性にはゆだねられていません(1 テモテ 2:11-12)。これは⻄欧の⽂化における習慣ではな く聖書的な命令であり、私たちはそれを変えることはでき ません。また、⼥性に異なるタイトルを与えて牧師/⻑⽼/ 監督の働きをさせることもできません。地域教会の⽂化が どうであれ、牧師/⻑⽼/監督の役割は男性のみが⾏い、⼥ 性がその働きにつくことを認めないことを教え、模範を⽰ し続けなければなりません。しかし私たちは、⼥性も伝道 され、弟⼦訓練を受け、教会の働きに参加し、相応しいリ ーダーとして成⻑していくことを強く推奨します。
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聖書は教会のリーダーには学位が必要であるとは述べて いません。ですから、牧師/⻑⽼/監督として奉仕するには 特定の学位を取得しなければならないという印象を⼈々 が抱くことがないように、決してそのようなことを述べた り、⽰唆したり、促したりしないように注意する必要があり ます。
神学教育は訓練を受ける⼈の教育レ ベルに合わせるべきです。
ある⼈を、祈りと按⼿をもって教会の特定のミニストリーの 役割や職務のために聖別することはふさわしいことです。 しかし、按⼿に関する聖書以外の考えが根差すことがない ように気をつける必要があります。たとえば、按⼿によって 超⾃然的な⼒が与えられる、按⼿を受けるには聖書以外 の伝統的な必要事項やプロセスが含まれる、といった考え に注意します。 これまでの経験から、神学的な訓練のためにある⼈やその 家族が別の場所に引っ越すことは賢いことであるとは⾔え ません。特に、その⼈が貧しい地域や迫害の厳しい地域の 出⾝で、訓練を受けるところの環境が住みやすい場合がそ うです。そのような場合、新しく訓練されたリーダーは、し ばしば困難なふるさとの環境に戻ることができません。そ こで、本⼈も家族も地元に留まり続けてリーダー訓練と教 会⽣活の関係を維持していけるように、何らかの通信教育 のような形をとることが求められます。 神学教育は訓練を受ける⼈の教育レベルに合わせるべき です。教育を受けていなかったり、教育を受ける機会があ まりなかったりした⼈たちは教会を指導することができな いということではありません。さらに、北⽶の⼤学院レベ ルの教育アプローチは、世界中で必要とされている⼤半の 教会のリーダー訓練には役に⽴ちません。適⽤可能なアプ ローチであれば、もちろん⽤いるべきであり、すべての⽂化 や⾔語において神学者や聖書学者が必要です。しかしほ とんどの場合、北⽶とは異なるレベルやスタイルの神学教 育を提供すべきです。
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宣教師の働き
宣教師の働きが完了したかどうかを ⽰す⼀つの基準は、特定の部族や地 域において他のリーダ ーを訓練する ⼈たちを育成したか、さらには教会で そのような訓練者たちを訓練するシ ステムを築いたか、ということです。
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神学校は既存の教会や教団に対して⼤きな影響⼒を発揮 します。神学校が存在している地域では、神学的、霊的な 健康を⾼めるために時間や労⼒を注ぐ必要があります。そ れには北⽶の南部バプテスト連盟の神学校とパートナー シップを築くことや、海外の神学校で教える教師たちを指 名することが含まれます。 私たちは神学教育を含めて、どのような役割をも永遠に果 たし続けることを⽬指していません。宣教師の働きが完了 したかどうかを⽰す⼀つの基準は、特定の部族や地域にお いて他のリーダ ーを訓練する⼈たちを育成したか、さらに は教会でそのような訓練者たちを訓練するシステムを築い たか、ということです。それは村々の牧師のための基本的 な訓練から、⾼度な神学者や聖書学者を教育することま で含まれます。私たちは退去する時、現地の⼈々が⾃⽴し、 持続させていく神学的、また牧会的な訓練システムを残し ていかなければなりません。
ɡ ɡ 開始
退去 私たちの⽬標はそれぞれの部族や地域で、現地の⼈々によ る教会形成がなされ、私たちと協⼒して継続的に世界宣教 の働きを続けていくという宣教の働きを全うして退去する ことです。私たちは働きの当初からこの⽬標を覚えつつ働 き、定期的に⽬標と照らし合わせて評価します。 (使徒 1:8 、ローマ 15:14-29) 教会、教会のネットワーク、特定の部族または地域から退 去する決断をするにあたり、主観的な判断が伴います。私 たちは単に特定の地域や部族のクリスチャン⼈⼝を⾒るの ではなく、教会全体の状況を把握し、いつ退去するかにつ いて聖霊の導きに従い、よく祈り、地域教会のリ ーダーた ちと緊密に協⼒しながら決断します。 退去は段階に応じて⾏う必要があります。教会において私 たちの宣教の働きは、伝道から弟⼦訓練へ、教会形成から リーダー訓練へと前進していくでしょう。また、使徒たちの 模範に従って、他の宣教地や働きに移動した後も継続して ⾒守り、アドバイスを送ります。教会間のネットワーク、部 族、地域からの退去についても同じような段階を経ていく ことになるでしょう。
ɡ ɡ 伝道 ɡ ɡ 弟⼦訓練 ɡ ɡ リーダーの育成 ɡ ɡ 健全な教会の形成 ɡ ɡ 退去
私たちの⽬標はそれぞれの部族や地 域で、現地の⼈々による教会形成が なされ、私たちと協⼒して継続的に 世界宣教の働きが続けられていくと いう宣教の働きを全うして退去する ことです。
特定の部族や地域における宣教の働きからの退去の基準 は以下の通りです。 伝道 / 現地の信者と教会は、その部族や地域で忠実に福 ⾳を宣べ伝える働きを果たしているか。 伝道 / 現地の部族や地域において、教会は忠実かつ効果 的に神から委ねられた⼈々に弟⼦訓練しているか。 教会開拓 / これらの教会には訓練されたリーダーたちがい るか。そして効果的で、聖書的な仕⽅で、継続してリーダー を訓練するシステムがあるか。
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宣教師の働き
退去とは捨て去るという意味ではあ りません。
リーダー訓練 / これらの教会には訓練されたリーダーたち がいるか。そして効果的で、聖書的な仕⽅で、継続してリー ダーを訓練するシステムがあるか。 宣教への参加 / 退去のもう⼀つの基準は、その部族や地域 の諸教会が宣教に参加しているかどうかです。異⽂化で働 く宣教師たちを効果的に訓練し、派遣しているか。 さらに、依存していないかどうかについて問う必要があり ます。宣教師が継続して駐在することにより、地域教会が 依存度を⾼めてしまってはいないか。すでに地域教会は⾃ 分たちで健全な教会を⽣み出すムーブメントを進めること ができるのに、これまでの習慣や私たちへの敬意のため に、宣教師への依存をやめることに躊躇していないか 。 まとめると、私たちは⾃主的に導き、経済的に⾃⽴し、積極 的に福⾳を宣べ伝え、新しい教会を開拓し、⾃分たちでリ ーダーを⽣み出し、世界のキリストの体ともに地の果てに まで福⾳を携えていく健全な地域教会が起こされた時に のみ、他の宣教地へと移動することができます。 退去とは捨て去るという意味ではありません。そこに私た ちが常駐する必要がなくなったというだけで、開拓した教 会とともに歩む決⼼を失ったわけではありません。むしろ 新しい次元の協⼒関係に⼊り、⼤宣教命令を成し遂げるた めに共に進んでいくのです。
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祈り 特定の部族や地域に永遠の影響をもたらすために、祈り が宣教師の働きのすべての⾯において、 つまり働きを始 める前から、そして働きを開始し、伝道し、弟⼦訓練し、健 全な教会を形成し、すべてを覆う必要があります。 ( マタイ 9:38、 マルコ 9:14-29、ルカ 5:15-16、10:1-2 、18:1-8、21:34-36、使徒 2:42、4:23-31、6:1-6、12:1-5 、13:1-3、14:21-23、ローマ 8:26-27、12:12、エペソ 6:1820、ピリピ 4:4-7、コロサイ 4:2-4、1 テサロニケ 5:16-18 、1 テモテ 2:1-8、 ヤコブ 5:13-18、1 ペテロ 4:7-8)
成功 成功の定義は宣教の働きに忠実であるということです。 成功を働きの結果によって定義づけることはできません。 働きは神の御⼿の中にあるからです。成功とは、主が召し てくださった働きを勤勉に、また忠実に⾏うことあると定 義づけなければなりません。忠実さとは、勤勉に働き、時 間と労⼒と資源を宣教の働きのために注ぎ込むことです。 私たちは賢く働き、活動⾃体を⾏うために働くのではなく、 よく考え、神が召してくださったことに最善を尽くし、聖書 的に達成していきます。賢く働くということには、神が与え てくださった実を評価し、⽣活を通して実を結ぶことがで きるよう神に願い、さらに豊かな実を結ぶことができるよ うにするため、常に教えられる⼼構えと戦略を軌道修正す る柔軟性を兼ね備えることが含まれます。つまり、忠実さ は神の恵みの⼒に基づき、結果を神に信頼することです。 成功を忠実さとして定義づけることは、怠慢に対する⾔い 訳でもなければ、説明責任を回避することを正当化するこ とでもありません。私たちは勤勉に賢く働き、結果を神に 委ねるのです。 (マタイ 24:45-51、使徒 20:33-35、1 コリ ント 3:5-15、4:1-2、15:9-10、58、コロサイ 3:17、23、1 テ サロニケ 1:3、2 テモテ2:1-7、 ヤコブ 4:13-17)
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結論
結論 特定の宣教地での働きは、その地域の教会の状況によって 決まります。ですから、もし信者も教会もほとんど存在しな い場合、私たちは最初の伝道活動に重点的に関わること になります。信者は存在するものの、健全な教会がほとん どない場合、弟⼦訓練と健全な教会形成に労⼒を費やし ます。教会が存在し増殖しているものの、⼗分に訓練され たリーダーが不⾜している場合、神学的訓練に⼒を⼊れま す。上記のすべてがすでに存在している場合は、おそらく 宣教の働きへの動員にのみ働きを限定します。つまり、様 々な種類の賜物を持つ、様々な働きからな る様々なチー ムが、働きの段階に応じて必要なのです。 これは必ずしも時系列で進むわけではありません。たとえ ば、弟⼦訓練と健全な教会形成は同時進⾏することがあり ます。しかし、私たちは責任をもった退去に⾄るまで、常に 前に向かって進んでいきます。
特定の宣教地での働きは、その地域 の教会の状況によって決まります。
この⽂書は⽤いることのできる様々 なツールや⽅法について、あえて余 地を残しています。
このプロセスの内容と、この⽂書にすでに記述した IMB 宣教師とはどのような存在かについての声明(**⾴参照) に基づいて、宣教師に提供する訓練の中⼼部分が構成さ れています。働きの段階のプロセスに基づいて働きの実を 評価します。 この⽂書は⽤いることのできる様々なツールや⽅法につい て、あえて余地を残しています。異なる状況では異なるアプ ローチが必要です。みことばとの⼀貫性という枠組みと、 ここに据えられた基礎となるものに沿うことによって、IMB 宣教師は与えられた状況の中で最善のツールを探したり、 発展させたりしていくことが求められます。
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付録
付録 1: 留意点
他教会や他のミニストリーとの協⼒
IMB 宣教チームは宣教の働きの段階に応じて、様々なレベ ルで個⼈、教会、ミニストリー、その他の団体との協⼒を求 めます。 開始 / 開始の段階において他の個⼈や団体と協⼒するに は、駐在し、アイデンティティを定め、⼗分なコミュニケー ションをとれるようになる、というこの段階における私たち の⽬標に実際的に合せることが必要です。また、協⼒者が 宣教のその他の側⾯を妨げたり、禁じたりしないことも必 要です。それによって福⾳宣教の働きに害が及ばないよう にしなければなりません。 伝道 / (聖書配布を含む):このレベルの協⼒においては、神 学的な事柄についての同意がおもに必要となります(例: 救いのために必要と思われる事柄)。協⼒者は福⾳につい ての理解とその伝達について、私たちと同じ理解を持って いなければなりません。また伝道のために宣教に献⾝する ことも求められます。 弟⼦訓練、健全な教会の形成、リーダーの育成 / このレ ベルの協⼒体制においては「バプテスト信仰とメッセージ 2000」への神学的な同意、 「健全な教会の 12 の特徴」に 対する教会論的な同意、 「宣教師の働きの 6 つの要素」に 対する宣教的な献⾝が深く求められます。
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付録 2: 聖書解釈について
私たちは聖書を注意深くはっきりと 解釈し、知性と感情と意思をもって 聖書のすべての教えに従います。
私たちは、聖書は神のことばそのものであると信じていま す。私たちは根本的に聖書が語ることを信じ、その命令に 従います。聖書の信頼性を⼿放すことは決してありませ ん。⼈類に対する最初のサタンの攻撃は神のみことばの⼀ 貫性に対するものでした(創世記 3:1-5)。その⽇以来、サ タンは時代を越えて攻撃を続けています。さらに、聖書を どのように扱うか勤勉に取り組む必要があります。聖書を 無視したり、何かを加えたり、差し引いたり、誤った解釈を したり、不従順になったりしては、聖書の霊感と無誤性を 認めることに役⽴ちません。私たちは聖書が霊感によって 書かれたことを理解する必要があります。聖書を注意深く はっきりと解釈し、知性と感情と意思をもって聖書のすべ ての教えに従います。霊感を受けた誤りのない神のことば が、神が意図されたように私たちの⼈⽣に影響を与えるの です。 神が究極的な著者です。2 テモテ 3:16-17 が明確に述べ ています。 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと 戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の ⼈が、すべての良い働きのためにふさわしい⼗分に整えら れた者となるためです。」聖書の根源が「神の霊感による ことば」であることに注⽬してください。2 ペテロ 1:21 に は同様のことが違う表現で書かれています。 「なぜなら、 預⾔は決して⼈間の意志によってもたらされたのではな く、聖霊に動かされた⼈たちが、神からのことばを語った のだからです。」 聖書は以下のことにおいて有益です • 教え / 聖書は神がご存じで私たちが知 るべきすべての真理の源です。 • 叱責 / 聖書は間違った考えや感情や⾏動に 傾くときそれを指し⽰してくれます。 • 矯正 / 聖書は道を外れたとき戻してくれます。 • 義の訓練 / 聖書は私たちをキリスト の姿へと変えてくれます。 • 働きへ整える /聖書は神がご⾃⾝の働きを私 たちが⾏なえるように訓練を与えます。
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聖書は「神の⼝から発せられた(霊感による)」ものなの で、さらに 4 つの特徴があります。
留意点
聖書は誤りがない(無誤性)。 そのすべてのテーマ、教え について誤りがありません。聖書の無誤性についての理解 はおおよその記録、誇張、⽐喩をも考慮しています。通常 の聖書テキストの解釈の規則では聖書が語る全てにおい て完璧な信頼を置くことができます。 聖書は権威がある 。 聖書は⽀配し裁きます。私たちがそ れを裁くのではありません。聖書は全宇宙を治める王なる 神のことばなので、絶対的な権威があり、私たちはそのす べてを信じ⾏うのです。 聖書は私たちが知るべきすべてのことについて明確にして います。 全能の神はご⾃⾝の意味することを明確にする ことができます。聖霊の啓発の⼒による注意深い解釈によ って、私たちの知るべき神がご存知の事柄について知るこ とができます。 聖書は⼈⽣とミニストリーに⼗分です。 私たちには聖書 以外に聖書を解釈するための書籍 も、⼈物も、制度も必 要ありません。それらから他の知識を学ぶことはできます が、必要なのではありません。また、他のすべての知識の 源を聖書に基づいて判断し、その逆をしてはなりません。 それ以外に⽅法はありません。聖書で⼗分なのです。
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付録 2:
聖書とは
聖書は⼈間のことばを通して書かれた神のことばです。神 が直接筆記されたわけではありませんが、神は⼈間を通し て導き、すべてのことばがご⾃⾝のみこころにかなったもの とされたのです。聖書は著者となった⼈間の性格やスタイ ルを残されました。⽂化的・歴史的⽂脈も反映しています。 しかし、完全に神のことばです。 聖書は⼆つの契約の書からなっています。イエス・キリスト が誕⽣する前に書かれた旧約聖書と、誕⽣されて天に戻ら れた後に書かれた新約聖書です。旧約聖書は主が来られ る備えで、すべてがイエス・キリストに向けられています。 新約聖書は旧約聖書の成就です。 聖書は 66 巻の書からなっています。旧約聖書は 39 巻、 新約聖書は 27 巻です。約 1400 年の間に著者となった様 々の⼈間が書きました。モーセから(おおよそ紀元前 1400 年)ヨハネの黙⽰録(AD90 年ごろ)までです。また、聖書 は異なる⽂学からもなっています。これは神のすばらしい ご計画です。神は偉⼤な教師であり、ご⾃⾝の真理を異な る種類の⽂学書籍を通して伝えられました。 これらの書籍の種類は、歴史物語、律法(直接的な律法 の命令と判例)、賛美、神への祈り、格⾔と知恵の⽂学、預 ⾔の詩、⼿紙、そして黙⽰⽂学です。
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聖書の全体像とは 聖書は物語や教えを適当にかき集めたものではありませ ん。ひとりの著者による関連する歴史と⼈物の物語で、は じめから最後まで筋の通った書物です。何よりも神の書物 です。神が著者で、神ご⾃⾝のみが物語の主⼈公なので す。聖書の中で起こっているすべての出来事について統べ 治めておられます。この物語は完全に真実であり、すべて を説明し定義するものです。この物語には4つの主な出来 事が含まれます。 創造、堕落、贖い、回復です。
創造
まだ何も、誰も存在する前、神は絶えず存在していました。 創造の前から被造物の上に存在し、ご⾃⾝で存在していた のです。神は無限の⼒と知恵を備え、他の何をも必要とさ れないお⽅です。ご⾃⾝の満ち満ちた偉⼤さがあふれ出 ている中で、神が語り掛けるだけで事が起こり、宇宙のす べてを創造されました。すべての造られたものは素晴らし いものでした。創造の業の頂点はご⾃⾝の姿に似せて造 られた男と⼥でした。それはご⾃⾝の品性と、創造された この世界の⽀配を反映していました。男と⼥は神との間、 互いの間に完全な交わりを持っていました。そして、⽣み、 増え、地を満たし、治め、神が創造されたすべてを⽀配す るよう命じられました。ただ⼀つだけ禁⽌事項がありまし た。善悪の知識の⽊の実を⾷べてはならないということで した。
ご⾃⾝の満ち満ちた偉⼤さがあふれ 出ている中で、神が語り掛けるだけ で事が起こり、宇宙のすべてを創造 されました。
堕落
⼈類最初の男と⼥は罪を持っておらず、神の知恵とすばら しさを疑う余地はなかったのですが、神に逆らい従いませ んでした。その結果は彼らにとって、またすべての被造物に とって壊滅的なものとなりました。ただちに神の御前で罪 ある者となりました。罪が⼈間のすべての性質を堕落させ てしまいました。神から引き離され、互いの関係も引き離 されました。神に逆らったその⽇、彼らは霊的に死に、⾁体 の死が⾏きつく先に待ち構えるようになりました。彼らの ⼦孫は⼈類の最初の両親からこの性質のすべてを受け継
神から引き離され、互いの関係も引 き離されました。
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付録 2:
このようにして、神は裁きの結果とし て異なる⼈々や⾔語をこの地上にも たらされました。しかし、神は様々な ⺠族が散らばることを通して、全世 界の贖いを進められたのです。
ぎ、すべての⼈間は神の御前に罪⼈となりました。霊的に 死んだ者となり、すべての領域において堕落しました。被 造物も朽ち果てることが定められ、⼈間の堕落以前は完 璧で素晴らしかった世界が、⾃然災害、病気、そして死が 起こることになってしまいました。私たちの最初の両親が 神に逆らったことが、この世界の すべての問題の根源なの です。
贖い
⼈類の神に対する反逆のゆえに、神が⼈類をこの世界から 抹殺しても当然のことでした。ところが神は反逆する罪⼈ を贖うことを選ばれたのです。神の贖いのご計画は聖書の 創世記 3 章から黙⽰録に⾄るまで記されています。神が 最初の男と⼥に(そしてヘビの姿を取ったサタンにも)裁き を下されたとき、神は、ご⾃⾝のかかとが傷つきつつも、⼥ の⼦孫がヘビの頭を砕くという希望の約束を語られまし た。 その後の物語は、堕落による沈みゆく⼈類の悲しい描写 です。最初の家族は最初の機能不全家族に陥りました。最 初の⼆⼈の兄弟が殺⼈者と被害者となったのです。悪がは びこり、神はついにこの地上全体を覆う洪⽔によって裁き を下すことを決⼼されました。神は罪に対するご⾃⾝の聖 さと義を⽰されましたが、同時にご⾃⾝のあわれみと恵み をも⽰されました。ノアとその家族と地上のすべての動物 のつがいを、⽅⾈を通して救出することにされました。救 出された⼈間はこの地上を満たし、治めることを拒絶し、 天に届くバベルの塔を建設して⾃分たちが⼀緒になって名 を上げようとしました。神は彼らのことばを混乱させること で彼らを裁かれました。このようにして、神は裁きの結果と して異なる⼈々や⾔語をこの地上にもたらされました。しか し、神は様々な⺠族が散らばることを通して、全世界の贖 いを進められたのです。 選⺠ 神はアブラハムという⼀⼈の⼈物を選ばれ、祝福されまし た。そして彼を通してこの地上のすべての家族や⺠族が祝 福されるという特別の約束を与えられたのです。神はアブ ラハム息⼦のイサク、その息⼦のヤコブらに焦点を当てて 地上のすべての⼈々が祝福にあずかることができるように 彼らを祝福され、導かれました。ヤコブには⼗⼆⼈の息⼦ 114
がおり、神は飢饉の際に家族全員をエジプトに導かれまし た。彼らはエジプトに数百年とどまり、その間に神はその⺠ を増やして⼤いなる国⺠とされました。
あるエジプトの⽀配者が、今ではイスラエルとして知られ るようになったヤコブの⼦孫を虐げ るようになりました。 そこで神はモーセという預⾔者を起こされました。神はモ ーセを⽤いて主の⺠を捕らわれの⾝から解放されました。 エジプトの偽の神々を⼗の災害を通して裁かれました。最 後の裁きはエジプトのすべての家々の⻑⼦の死でした。神 はご⾃⾝の⺠に過ぎ越しの⼦⽺をほふってその⾎を家の⼊ ⼝の柱に塗るように命じたのです。それにより、死の使い がそこを通り過ぎて⻑⼦の命を奪うことがないというもの でした。神はモーセの⼿を通してご⾃分の⺠をエジプトか ら導き出し、紅海が割れることで彼らが無事に紅海を渡り 切るようにされました。しかし、エジプト軍の追っ⼿が来た 時は⽔を元に戻され、彼らは裁かれて⽔の中に沈んでしま いました。神はイスラエルをシナイ⼭へと導かれ、そこで神 の律法(神の品性を反映したもの)を与えられました。そし て、神は⺠と契約を結ばれました。⺠は罪深いので、神の 臨在の象徴として天幕(後にエルサレムの神殿にとってか わる)を与えられました。そして祭司と犠牲の捧げものを 備えることによって、罪の⽀払う結果は死であり、⾝代わり が必要であるということを教えられたのです。また神は特 別の律法を通して他の国々とは⼀線を引くようにされまし た。
⺠は罪深いので、神の臨在の象徴と して天幕(後にエルサレムの神殿に とってかわる)を与えられました。そ して祭司と犠牲の捧げものを備えら れることによって、罪の⽀払う結果は 死であり、⾝代わりが必要であると いうことを教えられたのです。
神の⺠は神がエジプトから救い出されてから荒野を旅する 間不従順で、モーセが死ぬまでの 40年間彷徨い続けまし た。しかし、ついに神は彼らを「主は救われる」という意味 の名前のヨシ ュアの指導のもとで約束の地へと導かれま した。ヨシュアとイスラエルの軍隊を通して、神はその地に 住んでいた偶像崇拝を⾏う、不道徳な⼈々を裁き、神の⺠ に安全、平和、休息を与えられました。しかし、ヨシュアが 死んでから神の⺠は再び反逆と悔い改めのサイクルを繰り 返しました。彼らは神に反抗して契約を破り、神は敵が勝 利することを許されました。神の⺠が救いを求めて神に叫 ぶとき、神は「⼠師」として知られた指導者を⽴たせ、抑圧 者から解放させたのです。⺠は⼠師が亡くなるまでは主に 従いましたが、反逆と悔い改めのサイクルを繰り返しまし 115
付録 2:
た。アダムの時代から⼠師の時代まで、聖書は⼈間の邪悪 な⼼と、⾃分で救うことも、治めることもできない罪深い状 態を指し⽰しています。
アダムの時代から⼠師の時代まで、 聖書は⼈間の邪悪な⼼と、⾃分で救 うことも、治めることもできない罪深 い状態を指し⽰しています。
116
王と預⾔者 何世代にも及ぶ⼠師の時代と不忠実なサウロ王の後、神 はダビデという神のみこころにかなった王を⽴てられまし た。彼はイスラエルが礼拝するときに歌った、詩篇の多く を書きました。彼は神の律法に従って⺠を治めたひな形と しての王でした。敵から守り、平和と繁栄をもたらしたので す。しかし、そのダビデさえ驚くような罪を犯し、そして亡く なりました。彼の息⼦ソロモンは経済的繁栄の頂点を極め ました。しかし、イスラエルで他の国の神々を礼拝すること を許したのです。ソロモンの死後、王国は⼆つに分裂し、 かつて⾏っていた、反逆と悔い改めと解放のサイクルが再 び繰り返されるようになりました。南王国のユダの幾⼈か の王は良き王でしたが、多くは悪しき王でした。北王国の すべての王は悪しき王で、その⺠を神に対して不従順へと 導いてしまったのです。それに対して神は預⾔者たちを起 こされ、彼らは⺠が契約を破ったことに対する検察官とし て、神の代弁者として語りました。預⾔者たちは⺠に対し て、契約に忠実に従うよう警告を与えました。また、主の⽇ が間もなく訪れることを告げました。その⽇はメシヤの⽇ で、神ご⾃⾝が⼈間の歴史の中に介⼊し、すべてを正しい 状態にするというものでした。また、その⽇は聖霊の⽇でも あり、神がご⾃⾝の聖霊を主の⺠に注ぎ込むという⽇でし た。さらに、その⽇は国々を集め、ついにアブラハムとの約 束(地上のすべての⺠族が彼を通して祝福されること)が 完全に成就する⽇です。 ついに神はご⾃分の⺠に対しての警告を成就し、外国の軍 勢を送って征服させ、国々に散り散りに追放し、捕囚とす る裁きを下されました。神の⺠がもっと忠実に従うようにな ることを通して、神はご⾃⾝の知識と神の律法をその昔の 時代のすべての国々に⽰されたのです。神はまた捕囚とさ れた⼈々の⼀部をもとの国に戻され、ご⾃⾝のあわれみを ⽰されました。しかし、神の⺠にはさらに何かが必要である ことは明らかでした。主の⽇が訪れることが必要だったの です。
王の王 ついに時が満ち、神はイエス・キリスト(ヘブル語ではヨシ ュア)を送られました。彼は⼈間の⾁体をとられた神でし た。彼は完全な預⾔者であり、みことばを語られただけで はなく、ご⾃⾝がみことばそのもので、⾁体を持たれていた のです。完璧な祭司であり犠牲となられた⽅であり、本来 ⼈間が歩むべきはずだった神に完全に従う⼈⽣を送られま した。本来私たちが死ぬべきところを⾝代わりとなって死 なれ、私たちの罪のため神の怒りを⾝に受けました。完全 な王であり、ダビデの⼦であり、三⽇⽬に死からよみがえる ことによって死に打ち勝ち、⽗なる神の右に座しておられ ます。そして、この世の終わりに栄光とともに再び来られ、 すべてを新しくされます。彼は旧約聖書が預⾔し、予期した すべてを完璧に成就された⽅でした。
回復
聖書の物語は歴史の最後についての記述によって終わっ ています。イエスは神のみが知っておられるその時に再び 戻ってこられます。主は神を信じた者とそうでない者とを分 けます。イエスを信じた者は神の完全な記録に基づいて義 とされます。そして、神と朽ちない喜びと栄光でとこしえに 満たされるのです。イエスを信じていない者は義に基づい て裁かれ、⾃分の罪のために裁かれます。神のもとから永 遠の地獄へと追い出されます。神は現在の天と地を⽕によ って破壊され、義の宿る新しい天と地をもたらされます。そ こではもう病気も悲しみも罪も別離も死もありません。誰 も数えることのできないすべての種族、⾔語、⺠族、国々 から集められた⼤群衆が、永遠に神を喜び礼拝するので す。 これが聖書の全体像です。すべてはこの全体像から理解 する必要があります。(1)聖書は神からのもので神について のものです。(2)基本的な出来事は創造、堕落、贖いそして 回復です。 (3)そして、中⼼は神ご⾃⾝が⼈となられたイエ ス・キリストです。
イエスは完全な預⾔者であり、みこ とばを語られただけではなく、ご⾃ ⾝がみことばそのもので⾁体を持た れていたのです。
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付録 2:
留意点
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留意点
聖書を解釈するための基本的原則 祈りをもって聖書に向かう •
聖霊が解釈される。
•
私たちは罪⼈であり、罪は考えを曇らせる(箴⾔ 14:12)。
•
聖霊は私たちを真理へと導いてくださる(ヨ ハネ 16:13、1 コリント 2:12-16)。
•
それゆえ、私たちが⼼を開いて理解すること ができるよう神に祈る(詩篇 119:18)
のみが聖書の主⼈公であることを認識する •
⼈間の姿が⻑所も短所も⾚裸々に描かれている。
•
聖書は究極的には神の書である。
イエスを指し⽰す本として聖書を読む(ヨハネ 5:39) • イエスは神であられ、私たちを救うために私たちと同じ⼈と なられた。 •
聖書全体がイエスを指し⽰している。
•
聖書のどの個所をもキリストを離れて解釈してはならない。
全体の⽂脈に照らし合わせて読む •
決して⽂脈から切り離して読んではならない。⽂節、 章、書、新旧約、聖書全体の⽂脈において読む。
•
⼤きな流れを⾒ながら個々の個所を解釈する。
•
聖書を聖書によって解釈する。
•
ある個所を他の個所と⽭盾するような解釈はしない。
信仰と従順さをもって聖書に向かう(ヤコブ 1:22-25) • 真理を語っているという確信をもって読む。 • この世の知恵や⾃分の願いと異なったと しても、聖書の要求することは良いこと であるという確信をもって読む。 • 従うという意図と決⼼をもって読む。
119
付録 2:
これらを覚えつつ、さらに以下のことに留意する: ++ ある⼀定の量を選んで解釈する 通常少なくとも⼀段 落程度 ++ そのテキストの⽂脈の中のポイントを押さえる ++ 「⾃分にとってどういう意味があるのか」を問う前に、 聖書的⽂脈の中で何を語っていて、その意味は何なの かを調べる。 ++ ⾃分が読んでいる個所がどのような種類の⽂章なの か把握する。 たとえば、聖書には物語や律法や詩や 賛美や祈りや格⾔、預⾔、たとえ話、⼿紙という⽂章が ある。それらは皆それぞれの解釈の「規則」がある。 ++ ⽂化的事柄に注意する。 たとえば、ユダヤ⼈とサマリ ヤ⼈の関係について、あるいはラビの伝統に基づく安 息⽇の旅⾏の距離の規定を理解するのは参考になる。 ++ ⽂化的事柄に注意する。たとえば、ユダヤ⼈とサマリヤ ⼈の関係について、あるいはラビの伝統に基づく安息 ⽇の旅⾏の距離の規定を理解するのは参考になる。 ++ 聖書以外の他の資料を賢く⽤いる。参考にはしても、 それに依存しないように気をつける。 ++ 謙遜に学ぶ。知識を増すことで⾼慢にならないように 注意する。 ++ 他の地域や⽂化や時代の真の信者を含む、地域教会 と世界的な教会の交わりの中で聖書を読む。 ++ ⼩説となった聖書や私的解釈を施されたものは正しい とは⾔えない。 ++ 常に賛美と祈りと従順な⼼をもって読む。
120
留意点
旧約と新約 新約聖書の信者に旧約聖書はどのように位置づけられるのでし ょうか。 旧約聖書は神がご覧になる基本的な世界観を確⽴します。創世 記の最初の 3 章から何を学 ぶことができるか考えましょう。 • • • • • • • • • • •
神は創造されたものとは別の存在で、永遠なるお⽅です。 神はただ語ることによりすべてを創造され ました。その⼒において無限です。 創造されたこの世界はそれ⾃体のも のではなく、神のものです。 創造された世界は現実に存在し、素晴らしいものです。 歴史と時間は⼀線上に置かれ、始めと⾏き先がります。 ⼈間は神のかたちに似せて創造され、この世 界で神を反映し代表する存在です。 ⼈間は男と⼥に造られ、お互いの性の存在が先 天的に確定され、素晴らしいものです。 ⼈間は使命を果たすように創造されました。 ⼈間は神に反逆しました。 死は意図的に備えられたものではなく、 罪の結果もたらされました。 罪は神と⼈間、⼈間と⾃然、男⼥の関係を破壊し ました。その後の旧約聖書はこれらのテー マ、特 に最後のテーマについて記されています。
旧約聖書は聖書の真理の基本的なテーマを確⽴します 神(どういうお⽅か、何をなさるか、何を要求されるか)と⼈間と 罪の結果、贖いと恵み、選び、契約、神の⺠、そして罪に対して 要求される犠牲などが挙げられます。新約聖書はこれらの旧約 聖書のテーマに基づいて建て上げられています。 旧約聖書はキリストへの導き⼿です。
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付録 2:
旧約聖書の物語
聖書の⽂章のタイプ (ジャンル)
物語は創世記と他のモーセ五書(旧約聖書の最初の 5 つ の書)にあり、歴史書はヨシュア記からエステル記、またイ ザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書の⼀部で す。これらは歴史書ですが、それぞれ異なる特徴がありま す。 • すべての歴史書は選択されています。神が指 し⽰そうとされたことを選ばれました。 • すべての歴史書には視点があります。著者の視点 が反映されています。神が聖書の歴史書の究極 的な著者であられ、神の視点で記されています。 神のみが完全な全体像を持っておられます。 • すべての歴史書は何らかの主題を⽰そうと しています。神が究極的な著者であられる ので、神の考えが指し⽰されています。 • 聖書の歴史的な記録は重要な要素となっていま す。聖書全体の 6 割を占め、聖書の基本的な物語 の枠組みを設定しています。聖書的なキリスト教 は歴史的な宗教であるということができます。 覚えておくべきこと: □ 神のみが主⼈公です。それ以外のすべての⼈は罪 ⼈です。聖書の歴史的記述は驚くほど正直で、最も重要な 登場⼈物についても⾚裸々に描かれています。 □ 実際に起こった出来事が報告されています。必ずし も起こるべき事柄が記されているのではありません。 すべてが肯定的な模範なのではありません。旧約聖書の 多くの個所(たとえば⼠師記の⼤半)に否定的な例が記さ れています。聖書の教えに照らし合わせて何が正しく、何 が間違っているかを評価します。旧約聖書の物語の多くは 私たちの罪深さを的確に指し⽰すために、うんざりする内 容となっています。
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□ 「その話の主題は何か」と常に問います。その書 に書かれていること、また聖書全体の流れの中でこの問 いをもとに評価します。主題を説明しているコメントや、 その書全体のテーマとなることばを探します(例:⼠師記 2:11‒23, 21:25)。 □ 突発的な出来事の詳細から結論を引き出そうとし たり、適⽤したりしないように注意します。なぜ詳細が記述 されているかを理解します(例:マリアがイエスを飼い葉 おけに寝かせたことは、⾚ちゃんをどこに寝かすべきかを ⽰すのではなく、救い主の誕⽣がどれほどへりくだ ったも のであるかを強調している)。 □ テキストの意味をやみくもに道徳的に理解したり、 ⽐喩として解釈したりしないようにします。その箇所が⽂脈 の中で著者の意図しているところをくみ取り、それが意味 することであると受けとめます
留意点
テキストをイエスへ向けます。ラビ(旧約の教師)が教える ようなメッセージを⾃分に適⽤しないようにします。旧約聖 書の流れの中で、その箇所がどのようにイエスに向けられ ているかを⾒出し、それに基づいて理解し、適⽤します。
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付録 2:
留意点
旧約律法 モーセ五書の中には 613 の命令が書かれています。そ のうち 248 は肯定的な命令(私たちのなすべきこと)で す。365 は否定的な命令(私たちがしてはならないこと) です。聖書は神の律法は聖書的な思考において重要な役 割を担っていると明確に⽰しています(たとえば詩篇 119 篇参照)。また、新約聖書はキリストのいのちと死と⾝代わ りの復活により、クリスチャンは律法から解放されていま すが、それは罪を犯すためではないと明確にあかししてい ます。私たち新約時代に⽣きるクリスチャンは旧約聖書の 律法をどのように理解し、適⽤すればいいのでし ょうか。 歴史的にクリスチャンの神学者たちは律法には三種類の 命令があると考えています。 1 / 儀式律法 神殿での儀式やイスラエルの定例祭典など を執り⾏うことに関する律法。 2 / ⺠法 神政国家であるイスラエルの、社会的、司法的、 および政治的⽣活を執り⾏うことに関する律法。 3 / 倫理律法 神の品性を反映した、時代を超えてすべて の⼈々の思考、感情、⾏動を制限する神のみこころを ⽰す律法。 上記の最初の⼆種類は⼀つのグループにまとめることが できます。予型論または教えの型としての律法で、それはイ エスと、新しい契約の現実を指し⽰すために⽤いられまし た。予型論的律法には、レビ記 19:19 に⾒られるような、 イスラエルを周囲の世界から分け離す、分離条例も含まれ ます。
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旧約律法の基本的な解釈と適⽤
留意点
• 律法全体が神の聖なる品性を反映していま す。律法は聖く良いものです。任意で定めら れたものではありません(ローマ 7:12)。 • 律法は私たちの罪の状態を理解させ る(ローマ 7:7-12)、キリストへ導く 養育係です(ガラテヤ 3:24)。 • イエスは私たちのために、私たちの代わりに律 法のすべてを成就されました(マタイ 5:17)。 • キリストが成就してくださったことにより、予型 として記された部分についてはその働きが終わ り、消えてなくなりました(へブル 8:13)。 • 倫理律法は神の倫理的な品性を反映しています。そ の教えに従うことによって救われるのではなく、イエ スが私たちの代わりに従ってくださったのです。 • しかし、倫理律法は私たちがキリストのみ姿のように どのようになるべきかを指し⽰しています。救いのた めの⽅法ではなく、聖化の標準として存在します。 • 倫理律法は、その⼤部分が新約聖書で確認 されたり、繰り返されたりしています。 新しい契約の下にいるクリスチャンは神の律法をどのよう に解釈し、適⽤すればいいのでしょうか。 • その律法が予型なのか、倫理律 法なのかを判断します。 • 予型論的律法について(祭儀律法、聖めの律法、分 離条例、政治的なイスラエルのための⺠法)は、神や 私たちについての真理がどのように提⽰されていて、 キリストにあってどのように成就されたかを⾒ます。 • 倫理律法については、新約聖書で反復さ れているか、肯定されているか、その律 法が解釈されているかを⾒ます。 • これらについて神のかたちに似せて変 えられていくように祈ります。 125
付録 2:
へブル語の詩について パラレリズム 1 / 同義語の並⾏法では、⼆⾏⽬が⼀⾏ ⽬を繰り返します(例:詩篇 47:3)。 「国々の⺠を私たちのもとに、国⺠ を私たちの⾜もとに従わせる。」⼆ ⾏の違いを探すのではなく、ともに 何 を述べているかに注⽬します。 2 / 対称並⾏法では、⼆⾏⽬が⼀⾏⽬に 対して逆説の真理を述べることによっ て対⽐します。ほとんどの箴⾔がこの 形をとっています(例:箴⾔ 15:1)。 「 柔らかな答えは憤りを静める。しかし 激しいことばは怒りを引き起こす。」 3 / 総 合 的 並 ⾏ 法では、⼆⾏⽬が ⼀ ⾏ ⽬の 概 念をさらに深 めます ( 例: ルカ 1: 51 ) 。「主は、御 腕 をもっ て⼒ 強 い わざ をなし、⼼ の思い の ⾼ ぶって いる 者を 追 い 散らし 、」 4 / 並⾏法の特別な形態で「X、X+1」とい うものがあります(例:箴⾔ 30:18-19 参照)。 「私 にとって不思議なことが 三つある。いや、四つあって、私はそれ を知らない。天にあるわしの道、岩の 上にある蛇の道、海の真中にある⾈の 道、おとめへの男の道。」
• 詩篇は 150 篇にわたる聖書の中の最も⻑い書で、そ のすべてにおいて元々歌うために編集された詩です。 • さらに、箴⾔、雅歌、ヨブ記の⼤半、また伝道者の 書の⼀部、⼤⼩預⾔書の多くの部分が詩です。 • へブル語の詩は主に韻を踏んでいて、 そこに意味をもたらします。 • 韻は⼀⾏に含まれる⾳節の数であり、旋 律を⼊れ替えることができます。 • 意味は様々な並⾏法によってもたらされます。ヘブル語 の基本的な詩は⼆⾏にわたる並⾏法が使われます。 • にとって不思議なことが三つある。いや、四 つあって、私はそれを知らない。天にある わしの道、岩の上にある蛇の道、海の真中 にある⾈の道、おとめへの男の道。」 • 折句の詩は次の⾏や⾏の⽂頭に来るヘブル語の アルファベットによって並べられるものです。最 も有名な詩は詩篇 119 篇(聖書の中で最も⻑い 章)で、それ以外の例としては、詩篇 9, 10, 25, 34, 37, 111, 112, 145、箴⾔ 31:10‒31 (賢い⼥性) 、哀歌 1-4、ナホム 1:2-10 が挙げられます。 詩篇の中に⾒られる詩の種類 嘆き: 詩篇の中の最も⼤きな分類 • 構造: 神に向けての苦悩、解放の嘆願、神に対する信頼の 声明、賛美の声明や嘆願の声明などが書かれています。こ れらの詩には時々、罪の告⽩や救助達成に対する誓いが含 まれています。 • 詩篇 3 篇、22 篇を参照してください。 感謝 (状況に応じたもの) • 構造:感謝をささげる招き、以前の苦痛、神によ る解放、解放してくださった神を賛美する、 「神 殿礼拝」での犠牲を捧げるときのことば、巡礼、 ⾏進、⾳楽、踊り、お⾹、祝福、祝祷など • 詩篇 18 篇、136 篇を参照してください。
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賛美の歌 (状況に関係なく) • 構造:賛美への招き、賛美の理由、再度賛美への召集 • 詩篇 117 篇、148 篇を参照してください。
留意点
知恵 • これらの詩は⾳楽の形式をとり、知恵 をテーマとして探り求めます。 • 詩篇 1 篇、73 篇を参照してください。 知恵 • 神の代理としてのイスラエルの王をお祝いする詩。 • 詩篇 110 篇を参照してください。 知恵 • 神の選びの町エルサレムをお祝いする詩。 • 詩篇 46 篇、48 篇を参照してください。 懺悔の詩 • 罪の悔い改めを表現する詩。 • 最も有名なのが詩篇 51 篇。同時に詩篇 32 篇、38 篇、130 篇も参照してください。 呪いの詩 • 神が正義をもって悪者を滅ぼしてくださることを願う詩。 • 詩篇 137 篇が最も有名ですが、詩篇 35 篇、70 篇、109 篇、140 篇も参照してください。 • 嘆きの歌の⼀部と⾒なすことができます。 • 神のみが裁きを下すことができるという現実を指し⽰し ています。個⼈的な復讐を招くものではありません。 • イエスが⼗字架上で願ったように、時に敵に対する あわれみの願いも併せて表現されています。
127
付録 2:
留意点
詩篇の適⽤: ++ これらは神に捧げられる祈りと賛美で す。⾃分の祈りと礼拝に⽤います。 ++ これらはかなり感情的です。神は私たちが⼼ を注ぎだすようにと招いておられます。 ++ それがどのような種類の詩なのか判断し ます。その詩の⽬的は何でしょうか。 ++ その詩の構造を理解します。構成する⼩ さい部分に分解してみましょう。 ++ ⽐喩的⾔語や誇張などを⾒つけます。 ++ 詩篇を通して神に祈っていきます。
箴⾔ 箴⾔は短い知恵の陳述で、知恵によって物事がうまく働く ことの説明です。すべての⽂化において格⾔があります。 アメリカの⽂化にも確かにあります。たとえば、 「きょうの ⼀針あすの⼗針」です(早いうちに⼿を打てば⼿遅れにな らずにすむ)。これらは⼀般的な原則であり、約束ではあ りません。たとえば聖書は「若者をその⾏く道にふさわし く教育せよ。そうすれば、年⽼いても、それから離れない」 と語っていますが、良い⼦育てによって必ず⽴派で敬虔な ⼤⼈になることを確約しているものではありません(道を 外した⼤⼈は⼦育ての失敗の結果であるという罪悪感を 与えるものではありません)。これはたいていそうなるとい う、⼀般的な説明です。 箴⾔は神の品性を反映します。神が認めることを認め、神 が断罪することを断罪します。箴⾔は神の特性には例外は ないと教えています。たとえば箴⾔ 11:1 は「欺きのはかり は主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる」 ( 英語 NIV 訳)と語っています。いかなる状況にあってもこ れは真理です。
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箴⾔は短く、詩的です。すべての分野にわたる記述でもな ければ、法律の専⾨家によって書かれたものでもありませ ん。それゆえ、個々の⽂章の主題に照らして、解釈すべきで す。
留意点
箴⾔は知恵をもって適⽤されなければなりません。すべ ての箴⾔を等しく適⽤できるわけではありません。たとえ ば、箴⾔ 26:4‒5 はそれぞれ⽭盾しているように⾒えます。 「愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。あな たも彼と同じようにならないためだ。愚かな者には、その 愚かさにしたがって答えよ。そうすれば彼は、⾃分を知恵 のある者と思わないだろう。」 (英語 NIV 訳) 箴⾔の編集者はこれらの節を並べながら、⾃分の⾏為を 理解していたと思われます。解釈と適⽤の鍵は、その状況 においてどちらを選びとるかを⾒極めることです。 箴⾔の解釈と適⽤ ++ 箴⾔全体の導⼊部分である 1-9 章 に照らし合わせて読みます。 ++ この書は各節を独⽴させて読むことの できる聖書の書の⼀つです。 ++ 神からの約束ではなく賢い⽣活を送るた めの原則として理解し、適⽤します。 ++ 富、怠惰、良⼼、教えられやすい⼼、怒りなど、同じ問 題点を述べている他の箴⾔の個所を⽐較します。
129
付録 2:
留意点
預⾔ 預⾔は旧約聖書の主要な部分を占めています。⼤預⾔ 書は四つの⼤きな書からなり(哀歌を含めると五書)、 ⼗⼆の⼩預⾔書(⼤預⾔書より短いので⼩預⾔書と呼 ばれています。⼤預⾔書より重要ではないという意味で はありません)があります。さらに、モーセは預⾔者であ り、エリヤやエリシャなどの預⾔者たちも、旧約聖書の歴 史書において特筆すべき役割を担いました。ヘブル語の 聖書では、ヨシュア記、⼠師記、第1、第2サムエル記、 第 1、第 2 列王記は預⾔書の中に含まれます。 預⾔者とは何だったのでしょうか。神の代弁者でした。 預⾔者は神の命令と約束を主の⺠と世 界に向けて届け た男⼥でした。しばしばイスラエルの⺠が神との契約を 破ったために、検事の役割を果たしました。また、預⾔ 者は裁きと贖いについて、未来を予想しました。 ⼤半の預⾔書は詩で書かれており、ヘブル語の詩のガイ ドラインに従って読む必要があります。 預⾔書を解釈するためのガイドライン: 歴史的背景を理解します。誰が語り、いつ著述し、誰に宛 てて書かれたのか、また何が起こっていたのかを理解しま す。可能な限り、歴史書を参照します。聖書辞典や概説が 参考となります。 ⽂脈に基づいて個々の箇所を解釈します。細かい個所を 解釈する前に、その書全体を読みます。そして、その前後の ⽂章を注意深く⾒ます。 ⽐喩的表現や他の詩的表現があります。 条件つきの預⾔と無条件の預⾔を区別します。無条件の 預⾔は何があっても実現します。条件つきの預⾔は神が設 定された条件によって左右されます。条件つきの預⾔の⼀ つの例として、ヨナ書に記されているニネベについて、裁き の預⾔が悔い改めによって回避されたことを挙げることが できます。
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当初の聞き⼿にとってその預⾔がどのような意味を持って いたか⾒分けます。
留意点
歴史においてその預⾔が成就したのか、まだしていないの かを⾒極めます。 旧約聖書の預⾔が新約聖書で引⽤されたか、解釈された か、他の聖書個所を参照します。 預⾔が聖書全体において複数の領域で成就する場合に 注意します。複数の領域における成就の例として、旧約聖 書に記されているメシヤの初臨と再臨についての出来事が あります。それはイエスの初臨が成就した後にはっきりと分 かる事柄です。 聖書全体の物語の中でイエスを指し⽰している特定の預 ⾔を⾒ていきます。 旧約聖書の預⾔と新約聖書の預⾔を区別します。旧約聖 書の預⾔は権威のある啓⽰でした。ある意味、預⾔者たち が旧約聖書のすべてを書きました。新約聖書で預⾔者に 匹敵するのが使徒です。新約聖書のすべてが使徒たちに よるあかしです。新約聖書の預⾔者は旧約聖書のそれとは 異なりますが、⼈々に対して洞察をもって語り、時にはこれ から起こることについても語りました。記録された旧約聖 書の預⾔者のことばは権威をもった聖書であり、その通り に受け取らなければなりません。新約時代の預⾔者のこと ばは、聖書として記録されたもの以外は、権威のあるもの とは限りません。
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付録 2:
留意点
福⾳書 福⾳書はイエスの⼈⽣について使徒のあかしとして記述さ れたものです。キリストがどのようなお⽅で、何を語り、何 を⾏われたかについての権威ある記録です。これは旧約 聖書の歴史の記述と同じように、すべての出来事が神の視 点によって、神に選ばれ、神によって解釈されている歴史で す。福⾳書のイエス、歴史上のイエス、信仰におけるイエ スは同⼀のお⽅です。それ以外のイエスは存在しません。 福⾳書は「イエスが神の⼦キリストであることを、あなたが たが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名 によっていのちを得るため」 (ヨハネ 20:31)に記されま した。福⾳書が書かれた最初の理由は伝道のためで、イエ スへの信仰を呼び起こして⼈々が救われるためでした。イ エスを信じる⼈々は今に⾄るまで、彼の教えと模範が私た ちと結び合わせているのです。イエスは神のことばが⾁体 となられたお⽅です。ですから私たちは、主ご⾃⾝のことば に⽿を傾け、主の⽣き様を⾒ることによってみことばを理 解することができます。私たちは主の⾔われたことに従う べきです(マタイ 7:21-27)。また、私たちはキリストにな らう者であって(1 コリント 11:1、エペソ 5:1)、イエスが どのようなお⽅であるかを知る必要があります。 福⾳書には以下の 3 つの要素、イエスの⾏ったこと、イエ スが⾔われたこと、まわりの⼈々のイエスに対する反応、 が含まれています。 Things Jesus Did • 神が⾁体を取られ、神のみがお出来になることをな さいました(例:他者の罪のために死なれた)。 • • 神が⾁体を取られ、私たちが神のかたちに似 せて変えられていくべき標準となられました。 その意味で私たちは神を模倣する者です。 • イエスの⾏われた奇跡はイエスご⾃⾝がどのよう なお⽅かを⽰すしるし、また、神の国の現れでし た。それらは懐疑的な者に対する⽴証としてではな く、実際に⽬で⾒るしるしでした。神の奇跡の特徴 は、神ご⾃⾝の品性と神の国を現すことでした。
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イエスの⾔われたこと
留意点
• イエスの明解な教えは私たちにとって解釈しやすい ものです。しかし、イエスの⾏いのある部分につい ては律法を最⾼レベルに引き上げることでした。 • たとえ話はイエスの教えの典型的な形態でした。 1 / たとえ話は⼀般的な寓話ではありません。 2 / イエスがたとえ話の解きあかしをするなら、それが そのたとえ話の意味です。それ以外の意味を⾒出 そうとしてはなりません。 3 / もしイエスがある種の寓話的解釈を教えようとす るのであれば、主はそれを⾃由にすることができま す。イエスのおっしゃることにとどまるようにします。 4 / 福⾳書の物語の⽂脈でイエスが指し⽰そうとして おられる主題を探します。物語の細かい部分につ いては追及しません。たとえば、ルカ 18:1-8 のあ きらめないやもめの物語のたとえ話で登場する不 正な裁判官は神ご⾃⾝のことです。しかし、その物 語の主題はあきらめない祈りです。それ以外のも のはありません。神が不正であるという教えではあ りません。 イエスの周りの⼈々の反応 • 神であるイエスのみが物語のた だひとりの主⼈公です。 • 特に福⾳書では、イエスの周りにいた⼤半 の⼈々は間違った反応をしました。 • ごく稀に、近くにいたマリアやマルタのよ うな⼈々が正しい反応をしました。 • 福⾳書に登場するイエス以外のすべての⼈々 は、明確に教えられている場合を除いて、私 たちが真似すべき模範ではありません。
133
付録 2:
留意点
福⾳書の解釈と適⽤: ++ 主要なポイントはイエスに対する信仰を勧 め、強めることにあります。そのことに照ら し合わせながら、すべてを解釈します。 ++ それぞれの⽂章の前後と全体の流れを⾒ながら、 常にその書全体の⽂脈を念頭に⼊れます。 ++ 他の福⾳書に並⾏個所があるときはそれらを確認し ます。それぞれ違いがあるときは、決して聖書の⼀部 を他の部分と⽭盾させて解釈してはいけません。 ++ 全体をイエスの死と復活に照らしながら読みます。 ++ 以下のことを問いかけます。 1 / これはイエスについて私に何を教えているか。 2 / これはイエスの弟⼦であるということについて私に 何を教えているか。
使徒の働き この書は「聖霊の働き」と呼ぶことができます(呼ばれてき ました)。これは初代教会とその宣教の働きの拡⼤につい ての歴史的物語です。事実、イエスが復活、昇天された後、 聖霊として使徒たちを通して働かれた、イエスの物語の継 続(使徒1:1)です。これは宣教の物語そのも のです。 この書物の構成については使徒1:8に記されています。福 ⾳が取るに⾜らないユダヤ⼈の⾸都から世界の最も⼤いな る帝国の中⼼にまで拡散していった説明です。この書は以 下のように分類できます。(1)エルサレム:1-7章、(2)ユダヤ とサマリヤ:8-12章、(3)地の果てにまで:9‒28 章。 使徒の働き最初の1-15章の部分では福⾳がさまざまの障 害を乗り越えて、世界に拡散してい ったことが書かれてい ます。福⾳はまずユダヤ⼈に、そしてサマリヤ⼈と異邦⼈に 拡がっていきました。使徒の働き 15 章に記されているエ ルサレムでの会議の後、異邦⼈はユダヤ⼈の⽂化を取り⼊ れたり、ラビの伝統に従ったりすることなしに、福⾳宣教の 完全な協⼒者と⾒なされるという理解に⾄りました。
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使徒の働きは、今⽇の私たちにどのように適⽤されるので しょうか。 • 使徒の働きは、堕落した世界にいる 私たちに励ましを与えます。
留意点
• 使徒の働きは、地の果てにまで⾏う、私た ちの宣教の働きに励ましを与えます。 • 使徒の働きは、新約聖書の各書簡の背景となります。 • 使徒の働きは、私たちの教会の宣教と 働きの模範を提供しています。 使徒の働きの解釈と適⽤: ++ テキストについて良き模範なのか、 悪しき模範かを評価します。 ++ 使徒の働きの初代教会の例が聖書の他の個所 の命令や教えと⼀致ないならば、その事例は許 容されるものであり、また教訓とすることがで きますが、規範的なものではありません。 ++ 使徒の働きの中でより頻度が⾼く模範的 に登場する出来事は、私たちはより重要 な教えとして受けとめるべきです。 ++ 使徒たちと初代の弟⼦たちは普通の⼈間であ って、完全ではありません。彼らがキリストを 真似たように、私たちもそうするべきです。 使徒の働きは新約聖書の他の書と共に解釈されるべきで、 また間違いなく聖書全体からも解釈されなければなりま せん。私たちの宣教戦略や教会⽣活、またクリスチャンの 信仰⽣活について理解を深めるために、使徒の働きだけ で成り⽴つのでもなければ、この書を他の聖書個所よりも 優先するべきでもありません。聖書の他の物語と同じよう に、他の個所で明確に教えられていることと照らし合わせ ながら解釈されなければなりません。
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付録 2:
留意点
新約聖書の書簡 古代の⼿紙は既成の構造があり、新約聖書も例外ではありませ ん。それは以下の通りです。
3 / 送り⼿の名前 4 / 読者の名前 5 / 挨拶、祝福、祈りの形 6 / ⼿紙の本体 パウロ、ペテロ、ヤコブ、ユダ、そしてヘブル⼈への⼿紙はこの形 式を使⽤していますが、彼らはそれを⾮常に豊かなものにしてい ます。 新約聖書の書簡は使徒たちの宣教戦略の⼀部でした。これらは 宣教師が宣教地の新しい教会に宛てて書いたものです。宣教と 地域教会という⼆つの焦点は、しばしば今⽇の聖書解釈では⾒ 過ごされがちですが、正確な聖書理解と適⽤になくてはならな いものです。
新約聖書の書簡の解釈と適⽤: ++ これは不定期に書かれた⽂章です。特定の状況で 必要に応じて書かれました。ある意味、電話の会話 で相⼿の話を聞いているようなものです。書簡の内 容と使徒の働きとを、会話のもう⼀⽅の部分を再建 するように、謙遜に、しかも注意深く解釈します。 ++ ⼀部分を解釈する前に、書簡の全体を読みます。 ++ 書簡の流れの輪郭を⾒て、著者がどこに⾏こう としているか、また個々の部分が全体にどのよ うに組み込まれているかを⾒ていきます。 ++ それぞれの段落で著者が何を指し⽰そうとして いるかを⾒極めます。そして、それが議論の中 でどのように当てはまるかを理解します。 ++ 「私にとってこれはどのような意味なのか?」 と尋ねる前に、 「彼らにとってこれはどういう意 味があったのか?」と常に問いかけます。
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黙⽰録
留意点
黙⽰録の意味について、四つの主要な⾒⽅があります。 1 / プリテリスト(過去主義): 特にエルサレム落城と神 殿破壊について、黙⽰録の内容のすべてはすでに起こ ったと考えます。 2 / 歴史主義: 黙⽰録はすべての歴史の⻘写真を⽰して いるとします。ある部分についてはすでに起こったと し、ある部分についてはこれから起こると考えます。 3 / 理想主義: 黙⽰録は、歴史の最後の完成に向けて、再 び起こる霊的な現実を説明するものと考えます。黙⽰ 録に登場するシンボルを具体的な出来事や⼈々と結び つけようとすることは間違っているとします。 4 / 未来主義: 黙⽰録の出来事のすべては、歴史の最後 に向けてこれから起こるものであるとします。 リスチャンたちは黙⽰録の意味について、教会の歴史を通 して異なる意⾒を持ってきました。それゆえ、この書の解釈 は謙遜に⾏うのが適切です。 様々な解釈の違いがありますが、多くの確⽴されたものが あります。 • 霊的戦いが起こりつつあり、神の⺠は敵の怒りに よって特別の標的となって苦しんでいます。 • サタンが常に勝利するように思われます。最後の クライマックスまでさらに状況が悪化します。 • イエスは勝利を収められました。そして サタンとの戦いに勝利されます。 • イエスは個⼈的に⾒える形で再び来られます。そ してこの悪の時代に終わりをもたらします。 • 神に対するすべての反対勢⼒は裁 かれ、永遠に罰せれます。
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付録 2:
留意点
• 義の⽀配する新しい天と地がやってきます。そこには病 気も悲しみも罪も死もなく、不滅の永遠の喜びがある のです。神の⺠はそこで神とともに永遠に過ごします。 • 神の臨在が天国の喜びです。 黙⽰録の解釈と適⽤:
138
++
黙⽰録の千年王国の意味についてはクリスチャンによっ て意⾒が異なります。これは驚くにあたりません。という のはそれらのほとんどがまだ起こっていないからです。究 極的には、やがてすべてが明確にされると信じます。
++
時代を越えて多くの⼈々がこの書を理解するのに困難を覚 えたことを認識し、⾃分の解釈の⽴場を謙遜に保ちます。
++
⽗なる神がその権威によって定められたので、私たちがい ついかなる時なのかを知るべきではないとイエスご⾃⾝が ⾔われたことを思い起こします。もし誰かがイエスの再臨に ついて、まだそれが起こっていないのに具体的な⽇程を解 釈して設定するようなことがあれば、それは疑うべきです。
++
積極的に⽣き、神に従順に従い、⼤宣教命令を追求す る普段の⽣活から、私たちを迷い出させるような終末 についての聖書の教えや黙⽰録の適⽤は決して受け⼊ れてはなりません。主 が再び来られるとき、私たちが 神の働きを⾏っているのを⾒ていただくべきです。
++
黙⽰録の⽂章はとても象徴的であり、また ⽐喩的であることを覚えておきます。
++
この書の中には七という数字が繰り返し表現されて います。同じことを異なる⽅法で述べている(反復表 現)かもしれませんし、あるいは連続的に表現してい るのかもしれません。これは信頼できる聖書的な⽴ 場の専⾨家の間でも意⾒の分かれるところです。
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この世の終わりとキリストの再臨についての聖書の教えの ⽬的は、苦難の中にいる⼈々への励ましと慰めであり、満 ち⾜りている⼈々への警告です。黙⽰録のすべての適⽤ は以下の範疇のどちらかに含まれます。この書は私たちの 興味を満⾜させるためではなく、確かな現実として覚え、 現在の私たちの⽣活に適⽤するために書かれました。
終わりに
終わりに これらすべての聖書解釈の原則は、聖書を宣教の働きの⽅ 法とツールとしてどのように⽤いるかにおいて重要です。世 界のすべての働きの中で、これができるだけ明確な聖書解 釈とそのモデルとなることを願っています。 特に、たとえ話の⾏き過ぎた解釈による宣教⽅法や資料 について注意しなければなりません。たとえ話は王である イエスがその王国についての様々な真理を教えていると私 たちは理解します。そして、そのたとえ話を伝達しようとし た本来の意味を超えて拡⼤解釈しないように注意します。
世界のすべての働きの中で、これが できるだけ明確な聖書解釈とそのモ デルとなることを願っています。
同様に、福⾳書や使徒の働きに登場する物語の細かい解 釈を宣教の働きの規範としてしまわないよう注意します。 私たちの宣教⽅法やその資料は聖書の中⼼的な命令と教 えに基づいて作成します。聖書の中に明確に命じられてい ない限り、その教えを私たちの信仰⽣活や宣教の働きの 規範として⾒なすことはしません。同時に、聖書に記されて いる弟⼦たちの宣教パターンについて特別に⽬を向けてい きます。それは福⾳書から始められ、使徒の働きの中でさ らに推し進められました。聖書の中により頻繁に⼀つのパ ターンとして登場すればするほど、それが私たちの働きに おけるより実践的な模範となります。しかし、そのパターン に整合性があったとしても命令ではない場合、それは単な るパターンであって規範的なものではないと理解します。 結論として、私たちは聖書の命令を規範として従います。同 時に聖書の中のパターンについては、従順に従うべき導き として細⼼の注意を払っていきます。 以上記したことのすべての⽬的は、聖書を注意深く扱い、 みことばに従って主の働きを進め、神をあがめることで す。
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基礎となるもの