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831:イエス様との二人三脚

イエス様との二人三脚

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」ーマタイによる福音書11章28節

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人は誰でも、目に見えないストレスや、背負いきれない状況に苦労することがあります。ですから、この聖書の言葉が好きな人は大勢いることでしょう。私自身も、何かのことで心が重くなったり、困難に直面したりした時には、この言葉にとても励まされます。

ただ忘れてはならないのは、そこには、私たちへの条件も書かれていることです。まず、「わたしのもとにきなさい」とあります。これはイエス様が語っている言葉なので、休みを得るためには、主イエスのもとに行く必要があるということです。

でも、それは難しくはありません。イエス様のもとに行くために、どこか特定の場所に行く必要はなく、どこで何をしている時であっても、ただイエス様に心を向けるなら、主はいつもそこにいてくださるからです。

格式ばった祈りをする必要もありません。ただ自分の思いを打ち明けて、心の重荷をイエス様の前におろせばいいのです。イエス様がせっかく、「休ませてあげよう」と言ってくださっているのですから、その言葉を真に受けとめて、自分の心をイエス様に差し出すのです。

さて、この聖句の後には、さらに重要な言葉が続いています。

「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」ーマタイによる福音書11章29-30節

「魂の休み」、それは誰もがほしいと願うものではないでしょうか。普段は、そんな心の奥深くの必要には気づいていないかもしれませんが、多くの人は、いろいろな面で疲れ切っていて、単なる体の休息ではなく、心の安らぎや魂の回復を必要としているものです。

そして、約束されている休息を得るためには、取るべきステップがあります。まず、「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい」とありますが、学ぶと休息が得られるとは何とも不思議な話です。その意味を知るには、「くびき」が何なのかを理解する必要があるでしょう。

くびきとは、牛や馬などに荷物を運ばせたり、農作業をさせたりする際に、首や肩に装着し、2頭が並んで引っ張ることができるようにする木製の器具です。だから、くびきでつながれた2頭の牛は、「一くびきの牛」と数えられました。

トラクターや耕運機などの大きな農機具が使われるようになる以前は、くびきにつないだ動物を農作業に使うのが普通でした。でもどうして、くびきをつけるのでしょうか。それは、1頭の家畜に作業させるより、2頭が力を合わせるほうが、ずっと多くの作業をこなせるからです。しかも、熟練した動物ならば、単純に2倍ではなく、3倍、4倍もの荷物を引っ張ることができるのです。

ただ問題は、2頭が仲良く足並みを揃え、御者の意に添って効果的に働けるかどうかです。そのためには訓練が必要で、未熟な若い家畜を訓練する方法として、頑強で経験豊富なベテランの家畜と同じくびきにつなぐことがあるそうです。

最初、未熟な家畜は、自分勝手に振る舞い、進むスピードが速すぎたり遅すぎたり、止まるべきところで止まらなかったりします。でも、熟練したパートナーと共に働くうちに、だんだん成長します。「ベテランのくびきを負って、ベテランに学ぶ」のです。これが若い家畜を訓練する最善の方法だそうです。

こうしてみると、運動会の二人三脚の場面が連想されます。くびきにつながれた2頭と、足をタオルで結んで走る2人の状況が似ているからです。そして、ある牧師が話していた次のことを思い出しました。

イエス様が「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい」と言われた時、イエス様はただ私たちにくびきを付けようとしていたのではなく、イエス様御自身がくびきの中に入り、「あなたの重荷をこのくびきで一緒に負いましょう。運び方やスピードをわたしから学べば、荷はずっと軽くて負いやすくなるよ」、と言ってくれているのだと。

困難な事柄を自分だけで担おうとすると、「重荷」でしかなくなりますが、それを主のもとに持っていくなら、主は「わたしと一緒のくびきに入りなさい」と言ってくださるのです。そして、イエス様と一緒のくびきなら、魂に安らぎが来ます。主が私たちと共に荷を引いてくださるなら、自分一人で奮闘するよりもずっと楽に人生を送れます。

ただ、馴らされていない動物のように自分勝手に進もうとするなら、うまくいきません。私たちはベテランであるイエス様の歩み方に習わなければならないのです。そして、歩調を合わせ、主の進まれる方向に委ねるなら、主が最善の場所に導いてくださいます。

一見、くびきでつながれるというと、束縛され、自由が奪われるように感じるかもしれませんが、2頭で荷を引くことの効果を思えば、イエス様とくびきを共にすることで、どれほど人生が楽になるかが分かります。イエス様と同じくびきにつながれること、それはイエス様との連帯を意味するのです。

そこで今度は、自分がイエス様と二人三脚で走っている姿を想像してみました。二人三脚をうまくいかせるには、テンポを合わせなければなりませんが、そのために大抵、主導する側が「イチニ! イチニ!」と掛け声をかけたりします。その掛け声に合わせないと、歩調がずれて転んでしまいます。

そう考えて、ハッとしました。私は頻繁に、イエス様のリズムより早まってしまって、それが理由でコケてしまうからです。イエス様のテンポには理由があるはずです。ゆっくりの時にはそれなりの理由があるでしょうし、速い時も理由があってのことでしょう。

でも走っている時に、いちいち理由を説明してはいられないかもしれません。そんな時、一緒に走る私たちは、イエス様に信頼し、そのテンポに合わせる必要があります。遅すぎもせず、速すぎもせず、ただ主のテンポに合わせるのです。そんな物事の進め方を身に付けたら、イエス様と一緒に笑顔で人生を走りぬくことができるようになる。このことに気づいた時、私の心は喜びで踊りました!

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