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賛美する地球
from 863:賛美する地球
賛美する地球
朝に小鳥のさえずりで目が覚めるのは気持ちの良いものです。小鳥たちは、太陽が昇り始めた途端に一斉に鳴き始めます。まるで、「おはよう!みんな、陽が出たよ! 神様、この青い空と新しい日をありがとう! 今日も良い日になりますように!」と、互いに挨拶を交わし、神様に賛美しているようにも聞こえます。
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それにつられて、まだ半分寝ている私も、イエス様に朝の挨拶をします。
「イエス様、昨夜も安全に守ってくださったことを感謝します。どうぞ、この新しい一日を祝福し、私たちが健康で幸せな一日を過ごせますように。今から起きますので、今日のための力を与えてください。」
すぐにベッドから起きあがれない私は、布団の中でまずイエス様に挨拶をするのです。寝る時も起きる時も、食事をする時も出かける時も、イエス様に話しかけるのは長年の習慣となっています。
でも最近、静かにしている時間が多くなり、自然の声がもっと耳に入ってくるようになったせいでしょうか。祈るだけではなく、もっと賛美をしたいなぁと思うようになりました。鳥のさえずりをはじめ、夏のセミの声、秋の夜に響く綺麗な虫の鳴き声、冬の静けさの中では、澄み切った夜空に瞬く星たちのささやきさえ聞こえてくるような気がします。そんな時に思い出すのが、聖書にある私の大好きな詩です。
詩篇19篇(口語訳)
もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
この日は言葉をかの日につたえ、 この夜は知識をかの夜につげる。
話すことなく、語ることなく、 その声も聞えないのに、
その響きは全地にあまねく、 その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
神は日のために幕屋を天に設けられた。
日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。
主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。
だれが自分のあやまちを知ることができましょうか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。
そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。
わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。
この詩にある「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。・・話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく・・」の部分を読むと、まるで地球全体が神を賛美しているように感じます。
実際、山や海に行って静かにしていると、自然の奏でる不思議なシンフォニーが聴こえてくるようにも感じます。また、ザトウクジラの鳴き声は、まるで歌っているように聞こえると言われていますから、もしかしたら本当に、天も地も、そこに満ちる神の被造物も、神の偉大さを告げる交響楽を奏でているのかもしれません。
神によって生かされている地球全体が、自分の造り主である神に向かって、歌い賛美しているのです。私たちの住む地球は、なんと素敵な星なのでしょうか。私はこの星を、『賛美する地球』と呼びたい気持ちになりました。
でも、地球全体が神を賛美しているのに、人間だけが神への賛美を忘れているようではいけませんよね。さあ、私たちも一緒に賛美の声をあげましょう! 自然界が発している声に耳を傾け、共に賛美の交響曲を奏でようではありませんか。神は、賛美の内に住まわれるのですから。
「ハレルヤ。
聖所で 神を賛美せよ。
大空の砦で 神を賛美せよ。
力強い御業のゆえに 神を賛美せよ。
大きな御力のゆえに 神を賛美せよ。
角笛を吹いて 神を賛美せよ。
琴と竪琴を奏でて 神を賛美せよ。
太鼓に合わせて踊りながら 神を賛美せよ。
弦をかき鳴らし笛を吹いて 神を賛美せよ。
シンバルを鳴らし 神を賛美せよ。
シンバルを響かせて 神を賛美せよ。
息あるものはこぞって 主を賛美せよ。
ハレルヤ。」
--詩編150編1-6節(新共同訳)
これらの詩篇は、古代イスラエルの王様であったダビデが書いたもので、神への賛美と祈りの言葉で綴られています。私は、共感するところが多い詩を見つけると、その言葉を読みながら祈ったりします。
聖書には、自分でどのように祈ったらいいのか分からない時に、その言葉を借りて自分の祈りとすることができる詩が多くありますから、朝や夜の静かな時間に、そんな詩篇を読んでみるのもいいものです。
賛美とは・・・
賛美(ほめたたえる)という言葉は、日本ではあまり使われませんが、聖書の中にはあふれるほどに使われています。それは、創造者である全能の神をあがめ、神と神が造られたものの素晴らしさをほめたたえ、感謝することです。
賛美は形式ばったものである必要はなく、心からの感謝と畏敬の念を表すなら、どのようなやり方でも構いません。聖書に昔からある賛美の方法の一つは、歌や音楽を通してその気持ちを伝えることでした。また、神の前で踊ることで賛美する場合もありました。
現代でも、歌やダンスを賛美として使っている教会はたくさんあります。昔からの賛美歌を使うところもあれば、新しいタイプの音楽を賛美にしたワーシップソングもありますし、賛美のフラダンスもあります。つまり、歌うことも、踊ることも、あるいは、ただ神様の素晴らしさを喜び感謝する言葉を主に告げることも、賛美となるのです。
神様に告げるというと、ちゃんとした言葉を使わなければ、と思ってしまいがちですが、神様は親しい親子関係を望んでいるので、神様と対話する時には、ただありのままに気持ちを表現すればいいのです。
たとえば、小さな子どもが、自分にできないことをお父さんが助けてくれた時に、「パパってすごい! こんなこと簡単にできちゃうなんて。ほんとにありがとう! パパ、大好き!」と抱きつくような感じで、「神様、ほんとにありがとう! 自分ではどうにもならなかったことを、こんなふうに解決してくださるなんて、あなたはすごいです。ほんとうに尊敬します。あなたの子どもになれたことをとても感謝しています。優しい天のお父さん、大好きです! これからもずっと一緒にいたいです!」などと神様に話してもいいのです。
もちろん、形式的な祈りの言葉でも大丈夫です。神様にとってスタイルは関係なく、それが心からの賛美であれば、何でも喜んでくださるのです。だから、自分がしやすい方法、心を込めやすい方法でいいので、いつでもどこでも賛美する習慣をつけましょう。
「主の慈しみに生きる人々よ
主に賛美の歌をうたい
聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。」
-- 詩編30編5節(新共同訳)
「主はわたしの力、わたしの盾
わたしの心は主に依り頼みます。
主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。
歌をささげて感謝いたします。」
-- 詩編28編7節(新共同訳)