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鏡に映る自分との戦い
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鏡に映る自分との戦い
My War with the Mirror
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サリー・ガルシア
もの心ついた時から、私は自分の体と戦ってきました。十代だった頃は、肉感的な体型がトレンドだったのですが、その時の私はもやしのように痩せ細っていました。でも、痩せ体型がブームになった頃には、体重がかなり増えていたのです。それから何年経っても、ずっとそんな感じでした。その時々に奨励される「理想」の体になることは、まったくないようだし、若い頃にはもっと大人っぽくなりたいと思っていたのに、年をとった今は、もっと若く見えたらいいのにと願う自分がいます。
私はいつも鏡の前を通りがかるたびに、自嘲的なことを口にしていました。「私の髪の毛って、いくらとかしても、すぐにぐちゃぐちゃね。」 「このドレスは似合わないわ。」 別に意識して鏡の中にいる自分に話しかけていたわけではないのですが、通りがかるたびに、心の中で自分に向けてよくない言葉を放っていました。
数年前、いつものように鏡に映る自分の姿を嘆いていた時、「神にはおばあさんも必要」という言葉が浮かびました。そして、自分は年相応に見えており、自分の生き方が顔に表れていることに気づいたのです。私たち夫婦と話をしたがる若い人たちが多くいます。40年以上も幸せな結婚生活を送り、神やお互いと、また他の人たちと、良好な関係にあることでできた笑いジワや福々しい顔のおかげで、幸せそうに見えるのでしょう。
というわけで、鏡の中の自分の姿との争いを終わらせる時が来ました。自分とすれ違うたびに、ひどいことを言うのではなく、褒めることにしたのです。「白髪が素敵。」 「いいスマイルね。」 「そのイヤリング、似合うわ。」 そうやって、私はついに気楽に構えて、思い切り笑えるようになりました。特に、園芸用のだらしない服をまとった自分を目にし、なんと褒めたらいいのか、なかなか思いつかなかった時には。しかし、それが突破口となって、生涯築いてきた悪い習慣をついに断つことができたのです。
私は、模範とすべき姿をどこかに探すのではなく、ただ神に目を留めて、自分の霊や内面を育み、キリストの姿に似たものになることを学んでいます。*1 それは、主が歩かれたように自分自身も歩くべきであり、*2 自分を通して主の光を輝かせる*3 という意味だと理解しています。
リラックスして口元を緩ませ、思う存分笑うと、顔のシワが踊り出します。私は、神が必要とされているおばあさんでいられて幸せだし、この混乱した世界にあって、神の愛と光を伝えられたらと思います。今、私は自分に満足しています。あるがままの私、神が造られたままの私に。
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1. ローマ8:29
2. 1ヨハネ2:6
3. マタイ5:16