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WhyよりもHowに重点を置いた方が幸せに生きられる!
WhyよりもHowに重点を置いた方が幸せに生きられる!
ある時、家事をしながらYouTubeの聖書メッセージを聴いていると、突然「Why(どうして)よりもHow(どうすれば)の方が大切な時がある」という言葉が耳に飛び込んできました。何となく聴いていただけだったので、誰が何の話をしていたのかなどは覚えていませんが、ただ、「Why」という問いかけを大切にしてきた私にとっては聞き捨てならぬ言葉でした。
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小さな子どもは、何についても「どうして?」「どうして?」と親にたずねるものですが、それは、子どもの心に湧き上がる尽きることのない探求心です。そして子どもが若者に成長すると、今度は自分が置かれている状況や物事のあり方についても「どうして?」と疑問を持つようになります。
「どうして?」と問うことで物事をより深く見つめ、調べたりするので、新しい発見がもたらされますし、起きている問題に対する答えを見つけたり物事を改善したりすることにもつながっていきます。
だから子育てにおいても、「どうして?」と考えるのは大切だと言われていますし、私も若い時から、そう考える癖がついていました。
だから今回、「WhyよりもHowの方が大切な時がある」と聞いた時には、ちょっと気になって、そのことについて改めて考えてみたのです。すると、その言葉が、ちょうど悩んでいたことについての見方を変えるものとなりました。
私はここ数年、「どうして、こんなことになってしまったんだろう・・・」という思いに悩まされることがあり、それが心を重くしていました。この場合の「どうして」は、子どもが持つ探求心のようなものではなく、ある出来事に対して原因を追究するような気持ちでした。
物事がうまくいかない時や、良くないことが起こってしまった時に、原因を考えて、それを訂正したり、同じ間違いをしないように努めたりすることは大切です。
でも、「なぜ、こんなことが起こってしまったんだ」と考え続けていると、いつの間にか原因追及が責任追及に変わり、「誰のせいなんだ」となってしまいます。そして結局、「自分が至らなかったからだ」とか、「きっとあの人のせいで・・・」というように、自分や誰かを非難することになってしまうのです。
でも、どんなに責任追及をしても問題は解決しません。原因を探ることで、未来に同じようなことが起こるのを防ぐ助けにはなるでしょうが、起こってしまったことは変えられません。
そんな時に大切なのは、「それでは、どうしたら物事を改善できるのか」、「これからどうすべきなのか」という視点を持つことです。
よく考えてみると、原因追究に重点を置く考え方は、過去に目を向けているわけで、後ろばかり見ていては前進することはできません。誰のせいとか何のせいでというようなことはさておき、これからどうしたらいいのかということ、つまり未来に重点を置かない限り、問題は解決し始めないし、物事も進みません。
それは、仕事でも、個人的なことでも同じです。困難や悲しみを乗り越えて前進するためには、「どうして?」から、「これからどうしたらいいのか?」に切り替えていく必要があるのです。
私にとって何よりの発見は、「WhyよりもHowに重点を置いたほうが、ずっと幸せに生きられる」ということでした。どんな問いかけをしながら生きるかで、私たちの幸せ度は大きく異なってきます。たとえ好ましくないことが起こったとしても、私たちが前に向かって進むことを選ぶなら、神はそこから善をもたらしてくださいます。
だから、「どうして?」と思うような事が起こった時、たとえ、その全ての理由が理解できなくても、「どうして?」と問い続ける代わりに、「これからどう生きたらいいでしょう?」と問うなら、きっと私たちの魂の羊飼いである神様は、より良い未来を生きるための導きを与えてくださることでしょう。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」-- 聖書 詩篇23篇1-3節