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神の光の反射

神の光の反射

This Little Light of Mine

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デービッド・ボリック

先日、妻と二人で自宅のテラスから夕日を眺めていると、やがて星が空に現れました。いつものように、最初に出てきたのは宵の明星です。それから一時間ほど経っても、月のない夜空では、それが最も明るい光であり、その安定した輝きは、瞬きながら光る他の競争相手に大きな差をつけていました。

もちろん、他の星を宵の明星と比べるのは不公平と言えます。同じように見えても、宵の明星は実際は恒星でなく、金星という名の惑星なのですから。惑星は月と同様、自ら光を発することはなく、太陽からの光を反射するだけです。

そこで、ふと思いました。月や金星は、自分で光を出すどころか、表面が反射しやすいわけでもないのに、あれほど明るく輝くことができるのだから、私は自分がどれほど神の光を反射しやすい状態なのか、自分や他人の目から見て、どれほど善良で信心深いのかといったことを、さほど気にする必要はないのだと。私がしなければならないのは、神が私を照らす時、その光を反射するためにそこにいることだけです。だからといって、勝手気ままに振る舞い、霊的にダラダラしても構わないということではありませんが、本当の自分ではないものに見せようとする必要などないと分かると、心が自由になります。

そういったことがあってから、よく知っているあの聖句が新たな意味を成すようになりました。「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。」*1 私はいつもこの聖句を、神や霊的現実に対する私たちの認識のことと考えてきましたが、今では、他の人が私の中に映し出される神をどのように見ているかということにも当てはめられると気づいたのです。惑星や月が自らを恒星に変えることはできないように、私はどんなに努力してみても、自分の性質を変えることができません。神がその光を照らすことによって、私を変えてくださいます。私の表面は、最も輝きやすく、反射率の高い状態だとは言えませんが、神の光は十分に明るいので、私を神の星の一つにすることができるのです。

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1. 1コリント13:12

2. 参照:ローマ1:20

3. マタイ5:16

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光を輝かせよう

光は物体に反射して初めて見ることができますが、どんなに小さなホコリでも、太陽の光を浴びればダイヤモンドのように輝くことができます。そこにホコリがなければ光は見えないし、光がなければホコリは見えません。両方が必要なのです。私たちは、被造物が放つ反射の中に創造主の姿を見ます。*2 だからこそ、「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」とあるのです。*3

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