西千葉が生んだスゴいOBを紹介する連載
IEW TERV
タレント 茂木淳一さん
IN
とで、キャベツをかじったのを覚えてい ます。 それから筑波大学の総合造形に友 人が居たのでよく出入りしていました。 ある日いつものように遊びに行くと、そ この工房にオニギリがぴーって2つに 切って置いてあって。なんで切ったのっ て聞いたら 「きれいに糸鋸で2つに切れ るか試した」 って。 当時の工業意匠学科 とはまた雰囲気が違っておもしろかっ たですね。 パフォーマンスの授業だって いってドリフを見せているんだもの。 (笑)
千葉レーダとしては、 ノイズ系から、 ニューウェーブ、ハードコア・テクノ、ス ノーボードとパンクのイベントまで、司 会としていろんなイベントに参加させて もらいました。誰も自分のことを知らな い所へ出て行って開拓していくのが面 白かったんです。だからあえていろんな 所に出ていました。 そうすると知り合い も増えるし、切り口も増えますから。現 在の肩書は・・・いっぱいありますね。 テ レビ・ラジオ出演、 あと作文も書く。作詞
卒業制作では、私は寿司を持つ時に とい 盛り上がるカバン 「寿司かばん(*)」 うものを作りました。 *真ん中がターンテーブルになっていてその上
見た目からしてかなりインパクト大! なこの人。実は我らが千葉大のOBなん です。今回は歌、 しゃべりなど独自な演 出でステージ 上を賑やかすライブソ リューション 「千葉レーダ」 のメンバーで あり、近年ではその独特なキャラクター と語り口からTVナレーター、 WEB-TV 出演、 ラジオDJなどマルチな活動を行 う茂木淳一さんにインタビュー!千葉 大学での学生生活、 また現在の活動か ら見えてきたものとは・ ・ ・ ――最初に、 千葉大学在籍中の所属と その後の進路について教えてください。 工学部の工業意匠学科出身で大学 院まで行き、卒業後8年間ウェブデザイ ンの仕事をやっていました。 その頃にソ ニーの方が千葉レーダを見て声をかけ てくださって、 ウェブテレビの司会をさ せてもらったり、音楽チャンネルでしゃ べらせてもらうようになりました。その 後会社を辞め、現在はソニー・ミュー ジックアーティスツにマネージメントを お願いしています。 ――どんな学生生活を送っていました か。 入学してすぐにサイクリング部、3年 からサウンドクリエイト研究会、気が付
いたらArtPublicityにも出入りしてい ました。 サウンドクリエイト研究会の存在は 大学3年の冬に知りました。そこでラジ オのチューニングノイズを聴いて鳥肌が 立ったから音楽を始めたって人に出会 い、彼と部室でよく遊ぶようになったん です。そのときダメそうな青いマイクロ フォンをギターアンプに差して、 「ズボボ ボー」 って私が歌い出したのがきっかけ で歌メインのユニット組もうぜ!って なって。それで千葉レーダ(茂木が歌と 司会と雰囲気を担当)が結成されまし た。最初のライブは新厚食堂の前です よ。 その時は音出していたら大学院生に 注意されて終わりましたけど。 (笑) その 様子を収めたビデオも販売しました。 ArtPublicityでは、新 厚食堂の向かい側にあ る建物の一番上から水 流して打たせ湯にして、 番台を作ってみんなで ビキニパンツ1枚でダン スをするような「銭湯」 の企画というか出し物 に 参 加しました 。あと 「 愛 のキャッチキャベ ツ」 ってビデオ作品作る から、キャベツをかじっ てほしいんだよねってこ
に握り寿司を置くと寿司ごと台が回転する仕
組み。同時にテレビニュースから取った祭りの 音楽も流れる。
卒業論文は論文というよりも、 ただの 「制作日記」でしたけど。文字が少ない からフォントサイズを思い切り大きくし たりして。 握り寿司は本物を置いたので放って おいたらどんどん茶色くなって、 マグロ とイカって赤と白なのに最終的に同じ 飴色に。 シャリはバラバラにならないよ うに木工用ボンドをどんどん吸い込ま せて、ニスで固めてミイラみたいにして いました。 (笑) ――茂木さんは現在に至るまでどのよ うな活動をしてきたのでしょうか。
もやるし、 歌も歌うし・ ・ ・その他軽作業。 茂木さんは何なんだ!?って言われるん だけど、 自分でもわからないです。 ――これから開拓していきたいこと、仕 事などはありますか。 私はもしかしたらナレーターでも作 家でもないのかもしれませんが、 しゃべ ることや何か書くことについて、もっと もっと夢中になって取り組みたいんで す。いろいろ挑戦したいことはあります が、 やっぱり今の立ち位置を大切にしな いと、 司会とか、 テレビ出演とか、繫がっ ていかないと思うんですよ。ナレーショ ンという仕事は通過点じゃなくて原点 なんだって思います。だからマイクに向 かってしゃべり続けたいと思いますね。 ――いつから、 しゃべることを意識し始 めたのでしょうか。 千葉レーダをやっていたときに1人で 歌と司会をしていて。 そのときに、 どこで 息つぎをするときれいなのか、 そういう 言葉のグルーヴ、 マイクにのって聞きず らい言葉、歯切れがいいか悪いかなど、
しゃべることについて個人的に気にする ようになったんだと思います。司会は、 千葉レーダのステージを観てくれた人 に 「出来そうだ」 って頼まれてやるように なりました。 自分がしゃべりたいだけな ので、本当は人の話を聞くのが苦手なん です。 でも周りが司会をやって欲しいと 望むのなら、 だめじゃんって言われるま でやればいい。 やれるんでしょって言わ れるうちはやろうと思って。 ――多岐に渡って活動しているなかで、 感じたこと、見えてきたことはあります か。 1人だけでは今に至らなかったと思 います。人と出会っていくなかで、 自分の 得意なところが見えてきました。例えば 自分は作曲は出来ないんで、それは出 来る人に任せた方がいい。そうすれば 楽だし、自分の得意なことに専念でき る。 何か得意なことがなかったら、何もし なきゃいいんですよ。やることが全て じゃないとも思います。でもやらないと わからないことって多い。人生はいかに 気持ちよく死ぬか、 だと思うんですよ。死 ぬときに、あれもこれもやり忘れたって 言って死にたくないじゃないですか。 い ろいろやって諦めついて、 こういう人生 だったって幕を閉じたい。特に学生の時 とか無理してアルバイトすればまとまっ たお金って出来るじゃない。 だからなに か旅行とかって言うと月並みだけど、行 きたいんだったら行った方がいいですよ ね。普通にサラリーマンやって同時に何 かやるって大変なことですよ。
がら話したのは面白かったね!その広さ をぜひ生かして欲しいですね。 ・・・ところ で、最近は犬より猫が増えたね? (笑) ■千葉レーダ オールバックにサングラス、ホストを思 わせる銀の三つ揃いのスーツというド 派手な出で立ちで、歌と司会と雰囲気 を展開する茂木淳一氏がボーカルを務 める音楽パフォーマンスユニット。80年 代の味を持つテクノ歌謡の他にジャン ケン大 会 、梅ガムの配 布など一 風 変 わったパフォーマンスを繰り広げる。 2009年11月7日新宿 LOFTにて行わ れる 「DRIVE TO 2010」 では千葉レー ダとして出演予定。現在の、生まれ変 わった 新 生 千 葉レー ダ 茂 木 淳 一ソ リューションを生で見られるチャンス! DRIVE TO 2010 http://www.driveto2010.com ■茂木淳一(もぎ・じゅんいち)
――最後に千葉大生に一言お願いしま す。 学生時代のうちに人となるべく会う ようにして、 つながりを作っておくといい かな、 と思いますよ。千葉大は横に広い から、 いろんな学部学科の人、 いろんな ジャンルの人がいますからね。看護学 部、薬学部、園芸学部、文学部、工学部 のやつらみんなで「死」について飲みな
1972年生まれ。群馬出身。千葉大学 工学部工業意匠科卒。同大学のサウン ドクリエイト研究会で結成したパフォー マンスユニット千葉レーダのメンバー。 近年では、 テレビ、 ラジオ、WEBへの声 出演や文章提供などメディアに多数出 演。主な活動として、同じく千葉大卒の 真島理一郎氏の作品「スキージャンプ・ ペア」 での実況アナウンス、 ラジオ番組 School of lock!タイトルコール、 アー ティストミドリカワ書房とのライブパ フォーマンスなど。 茂木淳一オフィシャルサイト http://www.mogyjunwich.com/
西千葉が生んだスゴいOBを紹介する連載
IEW TERV
タレント 茂木淳一さん
IN
とで、キャベツをかじったのを覚えてい ます。 それから筑波大学の総合造形に友 人が居たのでよく出入りしていました。 ある日いつものように遊びに行くと、そ この工房にオニギリがぴーって2つに 切って置いてあって。なんで切ったのっ て聞いたら 「きれいに糸鋸で2つに切れ るか試した」 って。 当時の工業意匠学科 とはまた雰囲気が違っておもしろかっ たですね。 パフォーマンスの授業だって いってドリフを見せているんだもの。 (笑)
千葉レーダとしては、 ノイズ系から、 ニューウェーブ、ハードコア・テクノ、ス ノーボードとパンクのイベントまで、司 会としていろんなイベントに参加させて もらいました。誰も自分のことを知らな い所へ出て行って開拓していくのが面 白かったんです。だからあえていろんな 所に出ていました。 そうすると知り合い も増えるし、切り口も増えますから。現 在の肩書は・・・いっぱいありますね。 テ レビ・ラジオ出演、 あと作文も書く。作詞
卒業制作では、私は寿司を持つ時に とい 盛り上がるカバン 「寿司かばん(*)」 うものを作りました。 *真ん中がターンテーブルになっていてその上
見た目からしてかなりインパクト大! なこの人。実は我らが千葉大のOBなん です。今回は歌、 しゃべりなど独自な演 出でステージ 上を賑やかすライブソ リューション 「千葉レーダ」 のメンバーで あり、近年ではその独特なキャラクター と語り口からTVナレーター、 WEB-TV 出演、 ラジオDJなどマルチな活動を行 う茂木淳一さんにインタビュー!千葉 大学での学生生活、 また現在の活動か ら見えてきたものとは・ ・ ・ ――最初に、 千葉大学在籍中の所属と その後の進路について教えてください。 工学部の工業意匠学科出身で大学 院まで行き、卒業後8年間ウェブデザイ ンの仕事をやっていました。 その頃にソ ニーの方が千葉レーダを見て声をかけ てくださって、 ウェブテレビの司会をさ せてもらったり、音楽チャンネルでしゃ べらせてもらうようになりました。その 後会社を辞め、現在はソニー・ミュー ジックアーティスツにマネージメントを お願いしています。 ――どんな学生生活を送っていました か。 入学してすぐにサイクリング部、3年 からサウンドクリエイト研究会、気が付
いたらArtPublicityにも出入りしてい ました。 サウンドクリエイト研究会の存在は 大学3年の冬に知りました。そこでラジ オのチューニングノイズを聴いて鳥肌が 立ったから音楽を始めたって人に出会 い、彼と部室でよく遊ぶようになったん です。そのときダメそうな青いマイクロ フォンをギターアンプに差して、 「ズボボ ボー」 って私が歌い出したのがきっかけ で歌メインのユニット組もうぜ!って なって。それで千葉レーダ(茂木が歌と 司会と雰囲気を担当)が結成されまし た。最初のライブは新厚食堂の前です よ。 その時は音出していたら大学院生に 注意されて終わりましたけど。 (笑) その 様子を収めたビデオも販売しました。 ArtPublicityでは、新 厚食堂の向かい側にあ る建物の一番上から水 流して打たせ湯にして、 番台を作ってみんなで ビキニパンツ1枚でダン スをするような「銭湯」 の企画というか出し物 に 参 加しました 。あと 「 愛 のキャッチキャベ ツ」 ってビデオ作品作る から、キャベツをかじっ てほしいんだよねってこ
に握り寿司を置くと寿司ごと台が回転する仕
組み。同時にテレビニュースから取った祭りの 音楽も流れる。
卒業論文は論文というよりも、 ただの 「制作日記」でしたけど。文字が少ない からフォントサイズを思い切り大きくし たりして。 握り寿司は本物を置いたので放って おいたらどんどん茶色くなって、 マグロ とイカって赤と白なのに最終的に同じ 飴色に。 シャリはバラバラにならないよ うに木工用ボンドをどんどん吸い込ま せて、ニスで固めてミイラみたいにして いました。 (笑) ――茂木さんは現在に至るまでどのよ うな活動をしてきたのでしょうか。
もやるし、 歌も歌うし・ ・ ・その他軽作業。 茂木さんは何なんだ!?って言われるん だけど、 自分でもわからないです。 ――これから開拓していきたいこと、仕 事などはありますか。 私はもしかしたらナレーターでも作 家でもないのかもしれませんが、 しゃべ ることや何か書くことについて、もっと もっと夢中になって取り組みたいんで す。いろいろ挑戦したいことはあります が、 やっぱり今の立ち位置を大切にしな いと、 司会とか、 テレビ出演とか、繫がっ ていかないと思うんですよ。ナレーショ ンという仕事は通過点じゃなくて原点 なんだって思います。だからマイクに向 かってしゃべり続けたいと思いますね。 ――いつから、 しゃべることを意識し始 めたのでしょうか。 千葉レーダをやっていたときに1人で 歌と司会をしていて。 そのときに、 どこで 息つぎをするときれいなのか、 そういう 言葉のグルーヴ、 マイクにのって聞きず らい言葉、歯切れがいいか悪いかなど、
しゃべることについて個人的に気にする ようになったんだと思います。司会は、 千葉レーダのステージを観てくれた人 に 「出来そうだ」 って頼まれてやるように なりました。 自分がしゃべりたいだけな ので、本当は人の話を聞くのが苦手なん です。 でも周りが司会をやって欲しいと 望むのなら、 だめじゃんって言われるま でやればいい。 やれるんでしょって言わ れるうちはやろうと思って。 ――多岐に渡って活動しているなかで、 感じたこと、見えてきたことはあります か。 1人だけでは今に至らなかったと思 います。人と出会っていくなかで、 自分の 得意なところが見えてきました。例えば 自分は作曲は出来ないんで、それは出 来る人に任せた方がいい。そうすれば 楽だし、自分の得意なことに専念でき る。 何か得意なことがなかったら、何もし なきゃいいんですよ。やることが全て じゃないとも思います。でもやらないと わからないことって多い。人生はいかに 気持ちよく死ぬか、 だと思うんですよ。死 ぬときに、あれもこれもやり忘れたって 言って死にたくないじゃないですか。 い ろいろやって諦めついて、 こういう人生 だったって幕を閉じたい。特に学生の時 とか無理してアルバイトすればまとまっ たお金って出来るじゃない。 だからなに か旅行とかって言うと月並みだけど、行 きたいんだったら行った方がいいですよ ね。普通にサラリーマンやって同時に何 かやるって大変なことですよ。
がら話したのは面白かったね!その広さ をぜひ生かして欲しいですね。 ・・・ところ で、最近は犬より猫が増えたね? (笑) ■千葉レーダ オールバックにサングラス、ホストを思 わせる銀の三つ揃いのスーツというド 派手な出で立ちで、歌と司会と雰囲気 を展開する茂木淳一氏がボーカルを務 める音楽パフォーマンスユニット。80年 代の味を持つテクノ歌謡の他にジャン ケン大 会 、梅ガムの配 布など一 風 変 わったパフォーマンスを繰り広げる。 2009年11月7日新宿 LOFTにて行わ れる 「DRIVE TO 2010」 では千葉レー ダとして出演予定。現在の、生まれ変 わった 新 生 千 葉レー ダ 茂 木 淳 一ソ リューションを生で見られるチャンス! DRIVE TO 2010 http://www.driveto2010.com ■茂木淳一(もぎ・じゅんいち)
――最後に千葉大生に一言お願いしま す。 学生時代のうちに人となるべく会う ようにして、 つながりを作っておくといい かな、 と思いますよ。千葉大は横に広い から、 いろんな学部学科の人、 いろんな ジャンルの人がいますからね。看護学 部、薬学部、園芸学部、文学部、工学部 のやつらみんなで「死」について飲みな
1972年生まれ。群馬出身。千葉大学 工学部工業意匠科卒。同大学のサウン ドクリエイト研究会で結成したパフォー マンスユニット千葉レーダのメンバー。 近年では、 テレビ、 ラジオ、WEBへの声 出演や文章提供などメディアに多数出 演。主な活動として、同じく千葉大卒の 真島理一郎氏の作品「スキージャンプ・ ペア」 での実況アナウンス、 ラジオ番組 School of lock!タイトルコール、 アー ティストミドリカワ書房とのライブパ フォーマンスなど。 茂木淳一オフィシャルサイト http://www.mogyjunwich.com/
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INTER
らむさん
僕が1年生の秋にお笑いサークルの P-RITTS(プリッツ)ができました。そ の時興味はあったけど入るつもりはな かったんですよ。ただ、当時所属してい た別の音楽サークルの追いコンで友 達とコントをしたら結構ウケましてね。 「お笑いのライブだとどれくらいウケる のかな?」 って試したくなって、2年生の 4月からP-RITTSに入りました。当初 は部員が少なかったんですが、皆と 「毎 月ライブをやろう」 と決めて草の根的 にライブを続けていたら、だんだん規 模も活動も大きくなっていきましたね。 ――そこからなぜお笑い芸人になろう と?
NT
EVE
皆とがむしゃらに頑張った甲斐あっ て、2年生の夏の全国大学生お笑い選 手権で決勝まで行けて、秋にはテレビ にも出られて、冬の学生選手権では団 体で優勝したんですよ。ただ僕は「もっ と上を目指してみたい!もっとおもしろ くなりたい!」 という思いが強くて、そこ からプロの芸人のライブなどを手伝い 始めましたね。 そして2年生の冬頃にワ タナベエンターテインメントの養成所 から 「うちでお笑いやってみないか?」 と誘われて、3年生の春から養成所に 通い始めました。 養成所でお笑いを勉強したり、 ライ ブにたくさん出演していくうちに「これ 仕事にしたらおもしろいだろうぁ」 とい う思いが強くなっていきました。 とはい え、3年生の終わりに養成所の卒業を 迎える頃、お笑いやるか就職するかで 迷いましてね。 そして、 「ワタナベに所属 できなかったらお笑いを諦めて就職し よう」 と決心しました。その後、今年の4 月に運よく今の事務所への所属が決ま り、晴れてプロのお笑い芸人になった んです。 ――レッドシアターに出るまでの経緯 は? 事務所に入って2週間後ぐらいに レッドシアターのオーディションを受け たんです。 そこで 「君いいねぇ。 だけども
う少しテレビ向けにネタを直そうか」 と 言われて、それから毎月オーディショ ンに呼ばれました。そして8月のオー ディションの時にOKをもらえてレッド シアターに出られたんです。収録の時 は2番目にネタをやったんですが、テレ ビ見たらトリになっていてビックリしま したね(笑) ――これからの目標は? もっとテレビに出て有名になって、 いろんなことに挑戦してみたいです。例 えば自分で映画や舞台の脚本を作っ て、それを自分が演じてみたり。あと、 CDデビューとかオリジナル絵本の出 版もしたいです(笑) 現在らむさんは渋谷系チャラ男芸 人の慶さんと 「チャラチャラチャラム」 というコンビを組んでM-1グランプリ に出場し、2回戦進出を決めました! さらにらむさんのM-1グランプリの結 果ほか、詳しいプロフィールや出演イ ベントが知りたい方は、らむさんのブ ログ「らむろぐ」 にどうぞ↓ http://ameblo.jp/ramulog/ またらむさんが所属するお笑いサーク ル「P-RITTS(プリッツ)」 のブログはこ ちら↓ http://ameblo.jp/p-ritts/
就活セミナー 就活・進路に関するアドバイス満載!!
大島さん
川
さん
佐藤さん
嶋村さん
脇田さん
7月9日に千葉大学で就活セミナー
――就活における採用の決め手とは?
――今の千葉大生に言いたいことは?
ナー)が行われました。セミナーには講
・ある分野でエッジが立っている ・仕事をコツコツできる ・ 「この仕事がしたい!」 という意志が 強い
・大学生の間にたくさん本を読め ・友達は多く作る ・自分のポテンシャルに自信を持て ・昔に比べ学生の雰囲気が暗い。 もっと 元気を出せ! このように講師の方々の実体験を元 に話をされていたため、 その言葉の一つ 一つに重みや説得力がありました!セミ ナーは終始リラックスムードで進行。参 加者も1年生から院生までと幅広かっ たです。 この記事を読んでいるそこのあ なたも是非就活セミナーに参加してみ ては…?
( 名 称:千 葉 大 学 生の強み開 拓セミ 師として大島さん(浦安ブライトンホテ
ル 総支配人)、嶋村さん (株式会社みら
い 社長)、川 さん (株式会社リクルー
ト チーフアーキテクト)、脇田さん (丸山
虎ノ門法律事務所 弁護士)、佐藤さん
(株式会社かっぺ 社長) の計5人の千葉
大学OBを招き、 「就活、進路について考
える」をテーマに、就活に役立つ話を聞
かせてもらいました。 ここではセミナー
に参加した学生からの質問と、それに
対する講師の方々の答えを紹介します。
――就職してわかったこと、言いたいこ とは? ・入社からの3年間はとにかくがむしゃ らに。3年目以降からいろんなことがわ かってくる ・人間関係に惑わされるな。人間関係は 変えられる ・ 「キャリアアップ」 は力がついてから。言 葉に騙されるな
インジェクター第13号 2009年11月01日発行 4000部発行
――お笑いを始めたきっかけとは?
今回の千葉大生インタビューは千葉大工学部在学中でありながらワタナベエ ンターテインメントに所属しているピン芸人のらむさん。最近では人気お笑い 番組「レッドシアター」 に出演するなど赤マル急上昇中の芸人である。
インジェクター No . 013 2009 Autmn edition.
西千葉OB百景
タレント
茂木淳一
千葉大生インタビュー
お笑い芸人
らむ EVENT
就活セミナー 大改訂 13版
西千葉マップ
インタ ビュー 記事
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