PERUJAPAN

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2022年版

T C E OJ

L

R P G N I !!º N 国 EAR 遺産大 ょう!! し ま 世界 び て学 い つ に ペルー

観光

文化・歴史

自然・人々

食文化 【FACEBOOK】 【INSTAGRAM】


CONTENTS ペルーについて

歴史

01

05

02

03 04

基礎情報 国土 国旗と勲章 国章 / 独立記念日 ダンス/伝統舞踊

06

~ペルーの歴史について~ ナスカ文化 / モチェ文化 チムー大国 / インカ帝国 スペイン植民地時代 / 独立宣言

観光

食文化

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11

08 09 10

~ペルーの観光について~ マチュピチュ クスコ / ナスカの地上絵 チチカカ湖 / リマ マヌー国立公園

ペルーと日本 15

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12 13 14

~ペルーの食文化について~ コスタ / シエラの料理 セルバ / 日系の料理 デザート 飲み物

~ペルーと日本の関係~ 南米諸国で日本と初めて外交を結んだ国 初めて南米に渡った日本人移民 リマちゃん・さくらちゃん ~ペルーに恋をし貢献した日本人たち~ マチュピチュ村の初代村長 商才からペルーに多く貢献した研究者へ 考古学者たち


「ペルー共和国について」

~基礎情報~

ペルー共和国(以下、ペル ー)は、南米大陸にあり、日 本から約15,000km離れてい ます。 飛行機で行くと乗り継ぎ込 みで、短くて21時間、長くて 30時間かかる距離。

南米大陸の太平洋側に位置し、エクアドル、 コロンビア、ブラジル、ボリビア、チリの5ヵ国 と国境を接している国です。 ペルーは世界でも最も多様性のある国のひと つです。たくさんの文化や伝統にあふれ、上質 な料理と豊かな自然に恵まれています。 合計12個のユネスコ世界遺産があり、観光地 が多い国としても知られいてます。

国土

人口

※日本の3.4倍 !!! ※南米ではブラジル、 アルゼンチンに次いで、 3番目に大きな面積を持つ国 !!!

※日本の4分の1 !!! ※民族構成 -メスティソ 60% (先住民とスペイン人の混血) -インディヘナ 25% (先住民) -白人系 6% -アフリカ系 4% -その他 5% (内アジア系は1%未満)

128万km2

言語

- スペイン語 (83%) ※公用語 - ケチュア語 (14%) - その他 (3%)

※アイマラ語を含め、約47の 固有の言語がある !!!

通貨

Sol (ソル)

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約3,300百万人

宗教

- カトリック (76%) - プロテスタント (14%) - 無宗教 (5%) - その他 (5%)


◎ 国土

国土は、まったく気候が異なる3つの地 域に分かれています。南北に走るアンデス 山脈によって縦断され、大きく、海岸地帯 「コスタ」、中央にアンデス山脈地帯「シ エラ」そして東にアマゾン川流域の熱帯雨 林地帯「セルバ」に分かれています。 このように3つに分けられる地形に加え、 さらにコスタとシエラでは北部、中部、南 部の違いがあり、それも大きなペルーの地 域性の違いとなっています。 気候として、ペルーは基本的に熱帯である ものの、標高の差や南北の差により各地域 で大きな違いがあります。 それ故、ペルーには世界の生命地域117のうち84地域と11の環境保護地域、そして28 の異なった気候があり、世界で最も生態系の豊富な10カ国の一つに入るほど自然豊かな 国です。 ラテンアメリカの中でも、ペルーは近年の経済成長が著しい国です。 銀の埋蔵量が世界一で、ラテンアメリカの中では、有数の金、鉛、亜鉛の保有国でもあ ります。 ペルーの海岸部は海洋資源が豊富で、輸出向けの農業生産も行っています。代表的な 輸出用作物に、アスパラ、クランベリー、ブドウ、アボカド、オーガニックバナナ、パ プリカなどがあります。アマゾン地方では石油や天然ガスが採れ(とれ)、森林資源も豊 富です。

◎ 国旗と勲章

国の標語: 「団結による安定と幸せ」”Firme y feliz por la unión” 国旗: 最初の国旗は、1821年7月28日、ホセ・デ・サン・ マルティンによって独立宣言をされた時に掲げられま した。現代の国旗は、ペルー政府によって1825年2月 25日に承認されました。「赤」は勇気と愛国心を、 「白」は平和と名誉を象徴しています。 ペルーの公的機関は、旗の中央に国章が入ったもの を使用したりと行事によって使い分けられています。 なお、6月7日(アリカの戦いの日)が国旗の日とな っています。

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国章:

勲章は、下記の特徴で出来ています: ・中央の紋章は3つの部分から成っています。 ・左上には青の地に国を代表する動物であるビクーニャが描かれて おり、これはペルーの生態系を象徴しています。 ・右上には白地に国花であるキーナの木、カンツゥータが描かれて います。豊かな自然を象徴しています。 ・下部には赤地に豊穣の山羊の角から溢れ出して、こぼれている金 貨が描かれており、この国の豊富な地下資源を象徴しています。 ・4本の国旗が盾の背後に描かれています。 ・盾の上にはオークの枝の冠が描かれていて、これは勝利と栄光を 象徴しています。 外側を4本の国旗を取り除いて、月桂樹と椰子のリースが飾られ ているデザインは、国旗の中にある勲章となります。 現在のデザインは、1825年に正式な国旗として定められました。

独立記念日:

ペルーがスペインの侵略後、長い戦争期間を経て、1821年7月28日にホセ・デ・サ ン・マルティンによって独立宣言されました。この日がペルー人にとって、ペルー共和 国が出来た日でもあり、毎年盛大にお祝いされています。 下記が主な習慣です:

ー エスカラペラ(リボン飾り)

ペルーの国旗をモチーフとしたリボン飾りです。この飾りを祝日 の間、主に公的機関で使用され、敬意を表する意味合いで胸の左 側、「心臓の近く」に身に着けられています。

ー 軍事パレード

独立記念日を祝うペルーの軍隊大軍事市民によるパレ ードです。この日を記念して開催される式典でお祝いの パレードを行いますが、参加されるのが国家警察と国の 軍、そしてゲストととして共和国大統領が招かれます。

ー 学校パレード

国家の独立が建国に値することであり、それに対して 名誉と尊敬を示すため、各都市で国旗を掲げながら各学 校でもパレードが行われます。学校の生徒たちによるパ レードです。

ー 旗揚げ

法律(第15253.3号)に基づいた義務により、7月27日か ら30日までの午前8時から午後6時までの間、すべての私 有建物で旗の使用が義務付けられています。 この義務を遵守しない場合には罰金刑を課せられます。

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◎ ダンス/伝統舞踊

ペルーにはたくさんの民族が暮くらしているため、伝統的な民族衣装や伝統舞踊も種 類がいっぱいあります。これからペルーを代表する三大ダンスを紹介していきます。

● マリネラ

海岸地でよく踊られるダンスで、ペルーを代表する伝 統舞踊・競技ペアダンス、及びその音楽のことである。 ブラジルのサンバ、アルゼンチンのタンゴと共に、南米 3大ダンスの1つに挙げられ、ペルーの無形文化遺産と なっています。 男女ペアのダンスで、男女とも白いハンカチを右手に 持ち、6/8拍子のリズムで踊るのが大きな特徴である。 服装に関しても地域ごとにスタイルがあるが、女性は裸足に、長いスカートのドレ ス、大きなイヤリングとネックレスを身に着け、髪は後ろに丸くまとめ、髪飾りと花の 飾りを付けるのが一般的であり、男性はスーツにプリーツのあるスタンドカラーのシャ ツ、そして革靴を履き、胸にエスカプラリオというカトリックの聖人が描かれた飾りを 付け、ソンブレロと呼ばれるつばの広い伝統的なヤシなどの植物で編んだ帽子を被るの が一般的である。

●ワイノはスペイン統治前(インカの時代)に生 ワイノ まれた音楽と舞踊の重要な部分で、今でもアンデ ス全域で踊られるリズムの伝統舞踊です。近代で も地方ごとでの伝統文化に様々に適応し、受け継 がれているために、故郷の文化として顕著に根付 いています。 町一番の美人の娘・バリーチャに相手にされな かった男が、腹いせに悪態をついている歌詞の内 容です。

●フェステホは単純な動きから成り立つ、アフリカを原点とす フェステホ

る踊りです。 アフロペルアナという、民族衣装を纏って踊ります。 先祖である黒人の踊りを民謡とする、ペルーのチャンチャとい う町で生まれたこの踊りはフェステホ、ランド、サパテオ、パ ナリビオ、コントラプントなどです。 使われている楽器は、カホン、マラカス、グイロ、そしてロ バの顎です。 この音楽は河岸沿いの音楽としてとてもよく知られていま す。

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~歴史~ 海岸・砂漠地帯、アンデス山岳地帯には、紀元前から数々の文化が発祥し興亡を繰り返

してきました。インカ以前の文化(プレ・インカ)から引き継がれた知恵や技術を基礎に して、インカ文明は発展を遂げ巨大な帝国化へと勢力を伸ばしていきました。

① ナスカ文化

●年代 紀元前後〜紀元後7世紀ごろ ●繁栄した地域 ペルー南部 海岸・砂漠地帯 ●代表的な遺跡 ナスカの地上絵 ●特長 : 砂漠平原に描かれたナスカの地上絵は、天体運行 との関係や、儀礼通路として使われたなど諸説が存 在するが未だ謎に包まれています。また、多彩な色 が使われた土器や、刺繍・レース織りなど様々な技 法を用いた織物は見事です。 織物の素材は砂漠で育つ綿だけでなく、アルパカ の毛も使われていることからアンデス山岳地帯との 密接な交流も見受けられます。

② モチェ文化

●年代 紀元前後〜紀元後7世紀ごろ ●繁栄した地域 ペルー北部 海岸・砂漠地帯 ●代表的な遺跡 トルヒーヨの太陽と月のワカ、 チクラーヨのシパン遺跡 ●特長 動物や野菜、人間の顔、そのものの形をした 写実的な土器が特徴的です。織物や金属の加工 技術にも優れ、モチェ時代最大の王“シパン王の 墓”からは金の仮面や王冠、金の耳飾など、数々 の煌びやかな黄金装飾品が発見されています。

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③ チムー大国

●年代 紀元後13〜15世紀ごろ ●繁栄した地域 ペルー北部 海岸・砂漠地帯 ●代表的な遺跡 トルヒーヨのチャンチャン遺跡 ●特長 ペルー北部でインカ帝国最強の敵といわれたチムー王国。20平方km にも及ぶ都市遺跡、チャンチャンには全盛期25,000人を超える人々が 住んでいたと言われています。乾燥した砂漠地帯で発展した灌漑設備 や金など鋳造技術にも優れ、それらの技術は15世紀に征服されるイン カ帝国に引き継がれていました。

④ インカ帝国

●年代 紀元後15〜16世紀ごろ ●繁栄した地域 ペルー南部 アンデス山岳地帯 ●代表的な遺跡 マチュピチュ遺跡、オリャンタイ タンボ遺跡、ピサック遺跡、クスコ旧市街など ●特長 15世紀にアンデスを南北にまたがる、諸文化を 綜合する存在として現れたタワンティン・スウユ、 あるいは後世インカ帝国と呼ばれることになる国家 は当時の地球上最大級の国家として繁栄した。 農業技術や石の建築技術など、インカ以前のアン デス文明から吸収し、更に優れたものに発展させて いったのがインカ帝国である。

⑤ スペイン植民地時代 / 独立宣言

16世紀の大航海時代になると、スペイン人による統治とうちが 始まります。 インカ帝国は、1533年にスペイン人の征服者、フランシスコ・ ピサロとわずか160数名のスペイン征服者によって滅亡しました が、整備された街や美しい建物は残され、 そこにカトリックの教会が建てられるようになりました。 19世紀に入るとヨーロッパの政治体制の変化や南米 大陸の解放運動などの影響により独立運動が起こり、 1811年に始まった一連の戦闘を指すペルー独立戦争を 経て、1821年7月28日のホセ・デ・サン=マルティン によるペルーの独立宣言に結びつき、長い植民地時代 に幕を閉じます。

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~観光~ ペルーには5,000以上の考古学遺跡があり、その数字を超える観光地が多くあ ります。ペルーで最も有名な観光地は次のとおりです:

- クスコにある「マチュピチュ遺跡」 - イカにある「ナスカの地上絵」 - プーノにある「チチカカ湖」 - マヌー国立公園 - トルヒーヨにある「チャンチャン遺跡」 - ランバイエケにある「シパン王墓博物館」 - ワスカラン国立公園 (ペルーで最も高い6,757メートルの山) - アレキパにあるコルカ渓谷 など。。。

Ⓐ マチュピチュ遺跡 場所

- ウルバンバ州クスコ地域

※標高約2,430m ※インカ帝国時代の首都クスコ (標高3,400m)の北西80km ※ウルバンバ川が流れている 渓谷の上

UNESCO

- 1983年に登録

ペルーの神秘的な世界遺産マチュピチュ遺跡は、15世紀 のインカ城塞であり、世界の七不思議の1つとして認識さ れています。ユネスコの世界遺産に登録されているこの歴 史保護区には、考古学者によると、かつて約1200人がこの 地域に住んでいた可能性があると推測されています。ま た、インカ帝国は1533年にスペインの征服によって破壊さ れましたが、インカの皇族がスペインの支配下から避難す るために隔離し、築きあげた都市という可能性が高いと理 論化されています。 その他にも多くの推測や伝説話がありますが、アンデス 文明には手紙がなかったため、遺跡が建てられた理由、旧 首都クスコとの関係や役割など、まだまだ謎の多いマチュ ピチュの古代遺跡です。 多くの方が一度は訪れたい世界遺産なのではないでしょ うか。

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Ⓑ クスコ 場所

- クスコ県

※ペルーの南東。 アンデス山脈中の標高3,400m にある。

UNESCO

- 1983年に登録

Ⓒ ナスカの地上絵

ケチュア語で「へそ」「世界の中心」を意味す るクスコは、インカ帝国時代の首都です。マチュ ピチュを始め、クスコ郊外にはインカ時代の様々 な遺跡が残っています。特に、カミソリの刃1枚通 さないとい われるインカの石組は一見の価値があ ります。インカ時代の道 「インカ道」も残ってお り、当時の橋やトンネルなどを見ることもできま す。クスコのある地域は、「インカの聖なる谷」 と呼ばれ、 ピサックの遺跡や市場、謎の巨石が残 るオリャンタイタンボ、 チョケキラオの遺跡群な ど、見どころがいっぱいあります。

場所

- イカ

※ナスカ川とインヘニオ川に 囲まれた平坦な砂漠の地表面 ※リマから長距離バスで約6時間

UNESCO

- 1994年に登録

イカにある最も有名で世界遺産にも登録されている ナスカの地上絵は、1000年以上も前にペルー南部の高 原砂漠に描かれております。ナスカ周辺の砂漠には巨 大な地上絵が1000点以上残されていて、雨乞いの儀式 のためではないかとも言われていますが、確かなとこ ろは今でも解明されていません。 実はこの地上絵がペルーと日本を大きく結んでいま す。ナスカの地上絵の多くが直線や幾何学図形である のに対し、新たに発見されたパラカスの地上絵の多く は人間が描かれています。 そしてこの発見の多くは、山形大学によるものです。実は、この研究は山形大学が中心 になって、ペルー政府と連携して、世界遺産ナスカの地上絵の保護活動にも貢献するた め日本及びペルーの研究者が実施している国際的な共同研究をしています。

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Ⓓ チチカカ湖 場所

- プーノ

※標高3,810m ※アンデス山脈のペルー南部(湖面 60%の領土)とボリビア西部(40%) にまたがる淡水湖 ※大きさ約8,500㎢ (琵琶湖(滋賀県)の約12倍もの面積)

チチカカ湖は、世界で1番標高の高い湖 で、インカ帝国時代は神聖な湖としてあが められました。世界中で20カ所ほどしか確 認されていない古代湖のひとつです。チチ カカ湖はインカ時代以前から先住民が暮ら していた地であり、現在もチチカカ湖やそ の周辺にはケチュア族やアイマラ族、ウル 族といった先住民族が暮らしています。 現在では自然保護区に指定されており、 様々な鳥、12種類の魚、多くの哺乳類や両 生類が生息しています。 また、「トトラ」と呼ばれるアシを多数重ね合わせたでできた浮島に居住していた り、同じくトトラでできた小舟を使って湖上と移動したりと、先祖伝来の社会や昔なが らの農業システムを守り続けています。

Ⓔ リマ

場所

- リマ県

※ペルの首都

UNESCO

- 1988年に登録

ペルーの首都。南アメリカで4番目に大きい。1535 年にスペインのフランシスコ・ピサロがインカ帝国を 征服して建都。その頃の様子を色濃く残す旧市街と海 岸沿いの新市街とに分けられますが、旧市街には歴史 的建造物が集中し、世界遺産にも登録されています。 一方の新市街はオシャレな建物がならび、世界中の料 理が楽しめます。リマ郊外のカジャオからは、探検旅 行隊が出発しており、パロミス島のアザラシや植物 群、鯨などを見ることができます。また、さらに北に 進めば、5,000年前に建てられたアメリカ大陸でもっ とも古い都市カラルがあります。

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Ⓕ マヌー国立公園 場所

- マードレ・デ・ディオス県や クスコ県をまたがる

※マードレ・デ・ディオス県や クスコ県にまたがるペルー最大の 国立公園。 ※総面積18,811 km2 ※標高150 m - 4200 m

UNESCO

マヌー国立公園は、ペルー最大の国立公園 である。ペルー政府に保護される前から、そ - 1987年に登録 の近づきにくさによって余り荒らされること はなかったが、陸路での近づきにくさは今で も変わりがありません。 1977年にユネスコは生物圏保護区とし、 1987年には世界遺産リストにも登録されまし た。 面積は約 15,328 km2 で、生物圏保護区と してさらに2,570 km2 が対象となり、さらに 914 km2 が「文化保護区」が設定されている ため、関連する保護区が壮大です。 この国立公園は、標高150 m のアマゾン盆地一帯から、標高 4200 m のプーナ(Puna) と呼ばれる草原に至るいくつかのエコリージョンを保護しています。この地理的な幅に よって、国立公園としては世界屈指の生物多様性を呈しています。 植物種は全体で15000種を超え、1ヘクタールあたりの樹木種は250を上回る。また、 北米の全野鳥種に匹敵しうる800種以上もの鳥類が見られるため、世界中の野鳥愛好者 にとっても魅力的な場所となっている。 また、サラオと呼ばれる場所の土はアルカリ性などの成分や解毒作用が豊富に含まれ ており、動物たちの栄養源となっている。この場所では、動物たちが争わず共存してい る。

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~食文化~ ペルーの美食は世界中で高く評価されています。あえて表すなら、「各地域の

伝統料理に、植民地時代のスペイン、さらに様々な移民の食化文が混ざり合った 料理」ということになるのかもしれませんが、変化に富んだ自然条件に恵まれ、 地域によって生産される食材も多種多様で、バラエティ豊富な料理や飲み物を持 っているため、一言で表す事ができません。特に近年では「ヌエボ・ラティーノ (洗練された新ラテンアメリカ料理)」として注目を集めています。 地域によってこのような特徴/違いがあります:

● コスタ(海岸地帯)

いわゆるクレオール料理(地元の伝統料 理にスペインなど他の大陸の料理が混ざっ た料理)が最も発達しているのは、首都リ マを中心とするコスタ地域です。日本と同 じく主食が米であり、水産資源が豊富なた め、魚介類を好んで食べます。 ※ ロモ・サルタード

※ セビーチェ

セビチェやロモ・サルタードなどが代表 的な料理です。 セビチェは刺身を食べる日系移民の食文 化から影響を受け、ロモ・サルタードは中 国系移民の影響を受けたと言われていま す。

● シエラ(アンデス山脈地帯)

この地域では、じゃがいもやトウモロコシ、 キヌア、アヒ(唐辛子。辛い物から辛くない物 までとてもたくさんの種類がある)などが栽培 されます。 食用だけでも、3,500種類以上あると言われ るじゃがいもが主食であり、料理によって使 い分けられています。 その他、チキンなどの肉もよく食べられ、 アンティクーチョなどの料理が大人気です。

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※ 代表的な料理たち

※ パパ・ア・ラ・グアンカイナ ※ アンティクーチョ

● セルバ(熱帯雨林地帯)

※ パチャマンカ

この地域では、ユカ(キャッサバ)、 タロイモ、ヤムイモ、さつまいもなどの イモ類、料理用バナナ、いんげん豆、ピ ーナッツ(落花生)などが栽培されま す。

※ ピカディーヨ・デ・パイチェ

※ フアネス また、コスタと違って海がないため、ア マゾン川で獲れる淡水魚の料理がメインに 作られたりします。世界最大の淡水魚と呼 ばれるパイチェなどを使った料理がよく食 べられています。

● 日系(フュージョン)料理

実は、ペルーに到着したすべての移民コロニーの中で、最も影響力があった国の1つは 日本です。 日系の習慣や伝統は、地元の特異性によってすぐに補完され、歴史を通して 超越した文化的および経済的ブームを開始されました。 とりわけ、その影響は食文化で特に目立ちました。 東洋の食材と革新的な技術の到来 は、地元のレシピと融合して、ペルー料理を別のレベルに引き上げた一連の絶妙で独創 的な料理を生み出しました。 代表料理でもあるセビチェやティラ ディト、タコのオリーブ付けなどのグ ルメ料理が、この異人種間混交のおか げで生まれたものであり、ペルーの美 食を世界に発進する手段となった多く ある料理の宝物のほんの一部です。

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◎ デザート

ペルーでポピュラーなおやつといえば「ピカロネス」。 材料はカモテ(ペルー原産のオレンジ色のさつまいも)、 サパージョ(カボチャの一種)、小麦粉、卵などを混まぜ 合わせて揚げたもの。仕上げにチャンカカという甘い蜜を かけて食べます。 あつめのクッキーにキャラメルソースをはさんでココナッ ツをまぶしたクッキーが「アルファホーレス」。ルーツはア ラブの国だそうです。とてもあまいクッキーで、温かい紅茶 こうちゃなどといっしょに食べると体が温まっておいしいそ うですよ。

※ 季節限定デザート

首都リマには、「セニョール・デ・ロス・ミラ グロス(きせきの主)」と呼よばれるキリストの壁画 があります。この壁画は大地震が起こってもくず れなかったり、熱心に祈った人の病気を治したと いう言い伝えから、10月にその壁画を祝うお祭り があります。 この日には、「トゥロン」を食べる習慣があります。トゥロンはもともとスペインの ヌガーのようなお菓子ですが、ペルーのトゥロンはまったく違います。ビスケット生地 を何枚も重ねて蜂蜜をしみ込ませ、砂糖菓子などでカラフルに飾ったもので、見た目の 通りとっても甘いお菓子です。 キリスト教徒が多いペルーでは、クリス マスが大事な日です。 この日は、ターキー(七面鳥)の丸焼きを食 べるのが習慣ですが、デザートとしてイタ リア発祥のパン菓子「パネトン」も食べま す。 ドライフルーツやナッツが入ったパネト ンといっしょに甘いホットチョコレートを 飲むのが、ペルー定番のクリスマスディナ ーです。

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◎ ソフトドリンク

ペルーを代表する飲み物として、紫 トウモロコシを煮出して、果物やシナ モンで香り付けしたソフトドリンクの 「チチャ・モラーダ」やペルー産のコ ーラとして多くの人に親しまれている 「インカ・コーラ」があります。

◎ 国民酒「ピスコ」

ペルーの国民酒として知られているのは、ぶどう から作る蒸留酒「ピスコ」があります。

タイプ

- 蒸留酒 (ブランデー/スピッツ)

※ブランデーの製造方とよく似ているが、樽で熟成 させないため無色透明なホワイトブランデー。 - 度数 38度~48度 ※この度数を超えても、下回ってもいけません。 ※1Lのピスコを製造するために使用されるブドウの 量は6〜7kg。その為、大量生産が困難。 - ピスコの種類 1988年4月7日 認定 PURO (プーロ):単一ピスコ ピスコ「国家文化遺産」 ACHOLADO (アチョラド):ブレンドピスコ MOSTO VERDE (モスト・ベルデ):発酵途中で蒸留 1999年より"ピスコ"に敬意を表し

7月第4日曜日 “ Día Nacional del Pisco ”

ピスコ・ナショナルデー(ピスコの日) 100年以上の歴史を持つ国民的カクテル 19世紀後半に誕生した伝統的カクテル PISCO SOUR ピスコ・サワー CHILCANO チルカーノ

2月の第1土曜日 1月の2周目 「ピスコ・サワーの日 」(2004より) 「チルカーノの週」(2010より) 実は、ピスコで造られた代表する 2大カクテルをお祝いし、ペルー各 地でイベントが開催され、国全体で ピスコをプロモーションしていま す。

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~ペルーと日本の関係~

●南米諸国で日本と初めて外交を結んだ国

1872年に横浜港に停泊していたペルー船から中国人移民が脱走し、近く に停まっていたイギリス船に助けを求めるという「マリア・ルス号事件」が 起こりました。1873年に入り、その事件をきっかけに、 日本はペルーと国 交を持つことになり、日秘修好通商航海条約に調印して外交関係を正式に締 結した。南米諸国ではペルーが外交を結んだ初めての国でした。 ※ 写真: 日本への最初の特命全権公使であり、条約をサインした人、 「アウレリオ・ガルシア・イ・ガルシア閣下」

●初めて南米に渡った日本人移民

1899年(明治32)に農業労働者の不足を補うという名 目で、日本人契約農園労働者の導入が開始されました。 そして1899年2月27日に第1回となる、790名の日本人を 乗せた移民船「佐倉丸」が横浜港を出発し、太平洋を渡 り同年4月3日にペルーのカヤオ港に到着しました。ここ からペルーを始めとする南米への移民の歴史が始まり、 1923年に制度が廃止されるまで、約18,000人が契約し、 呼び寄せ移民を合わせると1941年までに約33,000人の日 本人がペルーに渡りました。世界でも2番目に日系の人口 を持つ国でもあります。 ペルーでは、4月3日を「ペルー日本友好の日」に制定しています。

●リマちゃん・さくらちゃん

※ 移民船「佐倉丸」

日本人ペルー移住100周年にあたる1999年(平成11年) 2月、 横浜みなとみらい21地区の一角にある「臨港パーク」に、記念 石像の「リマちゃん」が設置されました。 右手を差し出したリマちゃん像の横には「リマちゃんと握手」 「!HOLA AMIGOS! こんにちはアミーゴス」 と書かれており、訪れた多くの方が、リマちゃんと握手をして います。 リマちゃんはペルーの方角を向いて海を見つめています。 ※ 「さくらちゃん」 一方、ペルー・リマ市にある「日本秘文化会館(ペル ー日本人協会)」入り口にも、同じような日本人ペルー 移住50周年を記念した石像が設置されています。名前は 「さくらちゃん」です。千羽鶴を首にかけて、リマちゃ んと同じポーズで右手を差し出しており小さな手はたく さんの人々と握手をしてきました。 広い太平洋をはさんだ一対の姉妹像は、これからもペ ルーと日本の友好の輪を広げ、架け橋となって、一層の 発展を暖かく見守ってくれます。

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~ペルーに恋をし、貢献した日本人たち~

ある者はその造形美術の巧みさに、ある者はその人類史上のユニークさに、そしてある者 はその風土を愛してやまず、研究や収集や地域振興に生涯を捧げた日本人たちがいました。 実業家としてペルーで活躍する中で古代史に惹かれ、自身で収集と研究を重ね、多くの日 本人に道を開いた天野芳太郎(1898-1982)。地元の初代村長として、世界遺産マチュピチ ュ遺跡の隆盛の礎を築いた日系移民・野内与吉(1895-1969)。商用旅行先で出会った未知 なる文明の美に衝撃を受け、日本国内に中南米美術の一大コレクションを作り上げた森下精 一(1904-1978)。そして日本で初めて新大陸考古学に着手し、今日へとつながる後進の教 育につとめた東京大学調査団の泉靖一(1915-1970)や寺田和夫(1928-1987)らの研究者た ち。彼らの多くは古代アンデスの知識がほとんどないまま現地に踏み込み、心を奪われてし まいました。と言うより、1960年代以降の日本においてアンデスの存在がわずかなりとも 知られるようになったのは、彼らの発信のおかげであると言っても過言ではありません。

●マチュピチュ村の初代村長

福島県大玉村の裕福な農家の家に生まれた野内与吉は、1917年に ペルーに移民として渡ると、マチュ・ピチュまでの鉄道建設に携わっ たのを契機にマチュ・ピチュに移住し、1939年にマチュピチュ地区 の行政最高責任者に就任、マチュピチュの村昇格直後、1948年から 初代村長として2年間務め、1969年に現地で物故するまで、村初のホ テル「ホテル・ノウチ」を開業したり、水力発電所を作ったりするな ど村の発展に尽力した。ホテルは初の大型木造建築でもあり、1階部 分を交番や郵便局として無償で貸与、後に2階部分も村長室や裁判所 として村のために提供し、ホテル・ノウチを中心に村が発展すること となりました。 これを経て、2015年10月にマチュピチュ村は、野内の故郷である大玉村と、同村にとって初と なる友好都市協定を締結しました。

●商才からペルーに多く貢献した研究者へ

天野芳太郎は世界を股にかけ比類なき商才でしたが、ペルーでの事業が 成功した後、ペルー各地を旅し、海岸砂漠地帯で盗掘者によって荒らされ た墓地を見たとき、散らばっていた文化的遺産の価値に気づき、中部にあ ったチャンカイ文化遺跡の調査・発掘に取り組みました。 歴史・古代史への関心が高く、古代アンデス美術の収集・研究に生涯を 文化的遺産を回収・保護に捧げるようになり、ついにはペルーに骨を埋め ることとなりました。 1964年に天野博物館を創設し、アンデス織物を展示する重要な施設とし て、またペルーと日本の研究者たちの架け橋として知られるようになり、 多くのお客様や考古学者が訪れる博物館となりました。 彼の情熱こそが日本のアンデス研究の引き金であったが、その没後も博 物館を拠点に、研究者への支援は続いているのである。

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●考古学者たち

戦後の日本人考古学者による海外発掘調査は1950年代後 半、東京大学が南米アンデスに相次いで調査隊を送ったこ とに始まります。 教養学部文化人類学研究室の泉靖一教授は、ペルーで天 野芳太郎と巡り会い、考古学を志した。1958年には石田英 一氏、寺田和夫氏、大林太良氏といった優れた研究者らが 率いる東大隊と共にアンデスに入り、ペルー全土の考古学 踏査を実現し、文明の形成過程の解明をテーマに据えて、 60年からペルー中部コトシュ遺跡で紀元前2500~前1800年 ※ 泉氏、寺田氏、天野氏 頃の神殿跡の発掘を始めました。その際には、天野氏を始 め、多くのペルー人考古学者も調査を支えました。 1989年、東大隊が200点を超えるアンデス最古級の黄金製品 を発見したペルー北部のクントゥル・ワシ遺跡が名高いです が、大きな成果であるとともに難題ではありました。 この遺跡は1988年から現在に至るまで調査が続いており、 1994年に出土した黄金製品を地元で「宝」を保管したいとい う村人と、当然首都で管理すべしという政府の間で調整を重 ね、クントゥル・ワシ博物館を地元の小さな村にでき、95年か らアンデス調査に参加してきた大貫良夫・東大名誉教授が館長 を務め、日常の運営は地元住民が行っているなど、地元への還 元にも貢献しています。 その後、紀元前800年頃の黄金の耳飾りを身に着けた「貴婦人」の墓 が発見されたパコパンパの研究にたずさわった関雄二・国立民族学博物館 副館も地元に還元した日本隊の調査成果、地域社会に変化をもたらした一 人でもある。 その他にも、今でも継続している山形大学が中心になって、日本および ペルーの研究者が実施する国際的な共同研究で、ナスカの地上絵の実態解 明を目指している研究やそれ以外にもこの間に巣立った研究者たちが、今 でもアンデスを始め、全国各地で活躍しています。 ※「パコパンパ貴婦人の墓」

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