CONTENTS
Chapter 1 05 08 10 12 14 16
和食─ 究極の食文化 讀解日本:感時應物之和食根本 〈專欄〉 日本料理五大類的起源和演進 〈專欄〉 和食文化起源─江戶時代 〈專欄〉 和食的基本形─「一汁三菜」 〈專欄〉 年中行事傳統料理 〈專欄〉 季節食材 〈報導〉 非物質文化遺產─和食
獨占日本:新興飲食文化 18 20 22
〈專題〉居酒屋文化 〈專題〉站著食飲 〈專題〉迴轉壽司
日本視野:舌尖上的電影、漫畫美食 24 26 28 30 32 34
Chapter 2 37 39 41 44
〈特報〉宮崎駿系列電影 〈特報〉深夜食堂 〈特報〉武士的菜單 〈特報〉小野二郎:壽司夢 〈特報〉海鷗食堂 〈特報〉動漫美食─信長的主廚、料理仙姬、孤獨的美食家、妙廚老爹
和食─こだわりの技と枠 基本 I 調理的五種技法 基本 II 擺盤 基本 III 日本的食器 基本 IV 吃法和禮儀
Chapter 3
和食─常備菜の献立帖 麵類
小菜 47 49 52
沖繩風炒山苦瓜 肉燥味噌白蘿蔔
米料理 54 56 58 61 62 64 66 68 71 72 74
烏龍麵
84 86 88 90 91
納豆
蕎麥麵
烤魚定食 鰻魚飯
128
壽喜燒
130 132 135 137 138 140
天婦羅
98 100 103 105
菜飯 散壽司 日式便當 親子丼
茶碗蒸
和菓子
揚物 日式煎餃 可樂餅 和風炸雞
茶菓子 萩餅 蘋果金團 日式刨冰 泡芙 糯米丸子
燒物
土瓶蒸
生魚片
食材.調味 調理道具
章魚燒
度量單位.切法
串燒
作法
日式豬排
形容詞
燒肉 御好燒 財務顧問
法律顧問
副總編輯
總編輯
發行人
錄音後製
內頁排版
錄音
編輯團隊
責任編輯
企劃
作者
日月文化出版股份有限公司
高威會計師事務所
建大法律事務所
王彥萍
林慧美
洪祺祥
純粹錄音後製有限公司
健呈電腦排版股份有限公司
今泉江利子、仁平亘
王彥萍、鄭雁聿、楊于萱
鄭雁聿
鄭雁聿
林潔珏
號
1 5 1
樓
8
編輯部 ‧EZ Japan
出版
) 2 7 0 8 5 5 0 9
叢書館 EZ 臺北市信義路三段
) 2 7 0 8 6 1 5 7
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02 02
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月
11
142
鏘鏘燒
印刷
2 0 1 5
年
3 5 0
元
104019541
初版
1. 日語 2. 讀本
ISBN
日本和食献立 100 品 : Nippon 所藏日語嚴選 講座 / 林潔珏 , EZJapan 編輯部作 . -- 初 版 . -- 臺北市 : 日月文化 , 2015.11 144 面 ; 21×28 公分 . - (Nippon 所藏 ; 3) ISBN 978-986-248-506-4 ( 平裝附光碟片 )
9 7 8 9 8 6 2 4 8 5 0 6 4
定價
◎ 版權所有 翻印必究 ◎ 本書如有缺頁、破損、裝訂錯誤, 請寄回本公司更換
用語集
日式煎蛋
107 109 111 112 114 117 118
味噌湯
All materia l is propert y of Heliopolis Culture Group. Reproduction in whole or part without written permission is prohibited. Copyright © 2015 HELIOPOLIS CULTURE GROUP. All right reserved.
803.18
蒸物
關東煮
日式飯糰 茶泡飯
和風高麗菜捲
涮涮鍋
92 94 97
壽司捲
和風漢堡排
拉麵
鍋料理
蛋包飯
馬鈴薯燉肉
沾汁麵
白咖哩
刺身 82
121 123 126
冷麵線
吸物 77 79
煮物
Chapter 1 和食─究極の食文化
讀解日本:感時應物之和食根本 〈專欄〉日本料理五大類的起源和演進 〈專欄〉和食文化起源 ─ 江戶時代 〈專欄〉和食的基本形 ─ 「一汁三菜」 〈專欄〉年中行事傳統料理 〈專欄〉季節食材 〈報導〉非物質文化遺產 ─ 和食
獨占日本:新興飲食文化 〈專題〉居酒屋文化 〈專題〉站著食飲 〈專題〉迴轉壽司
日本視野:舌尖上的電影、漫畫美食 〈特報〉宮崎駿系列電影 〈特報〉深夜食堂 〈特報〉武士的菜單 〈特報〉小野二郎:壽司夢 〈特報〉海鷗食堂 信長的主廚、料理仙姬、孤獨的美食家、妙廚老爹 〈特報〉動漫 美食 ─
日本料理 五大類的 起源和演進 ご しゅ
にほん りょう り
き げん
和食─究極の食文化
へんせん
五種の日本料理、その起源と変遷 文 / 林潔珏 日文翻譯 / 水島利惠
01
圖 / 小龜
しょう
じん
りょう
り
01 精進料理 しょう じん りょう り
さい しょく りょう り
しょう じん
精進料理とは、菜食料理のことである。もともと「精進」と ぶっきょうよう ご
ざつねん
のぞ
いっしん
しゅぎょう
い
み
は仏教用語で、雑念を除き、一心に修行するという意味があり、 かま くら じ だい
ちゅう ごく
りゅう がく
そう
どう げん
えい さい
かく りつ
鎌倉時代に中国に留学していた僧の道元、栄西によって確立さ い
ぶっ きょう
ふ せっ しょう
かい りつ
もと
や さい
こく
れたと言われている。仏教の不殺生の戒律に基づき、野菜、穀
もつ
かい そう
まめ るい とう
しょ
ぜん でら
そう りょ
しょく ぶつ せい
しょく ざい
つか
つく
りょう り
さい
物、海藻、豆類等の植物性の食材のみを使って作る料理だ。最 しょく じ
だ
のち
じょ じょ
初は禅寺の僧侶の食事として出されていたが、後になって徐々 みん かん
ひろ
たん ぱく
あじ
に民間に広まり、淡白な味のおかずをもっとおいしくするため ゆ
ば
あつ あ
なっとう
み
そ
た よう
か こうしょくひん
はってん
に、湯葉、厚揚げ、納豆、味噌などの多様な加工食品が発展し、
ちょう み りょう
ちょう り ほう
のち
にほん りょう り
はってん
おお
えいきょう
あた
調味料や調理法は、後の日本料理の発展に大きな影響を与えた。
精進料理 精進料理相當於素菜,「精進」原為佛教用語,意指屏除雜念, 一心修行,據說是在鎌倉時代前往中國留學的僧侶─道元、榮西所 確立。基於佛教不殺生的戒律,只用蔬菜、穀物、海藻、豆類等植物 性食材做料理,最初供禪寺僧侶食用,後來逐漸擴展至民間。為了讓 清淡的菜餚更添滋味,也發展出豆皮、油豆腐、納豆、味噌等多樣的 加工食品、調味料和烹調方法,對往後日本料理的發展極具影響。
05
Chapter 1
ほん
ぜん
りょう
り
02 本膳料理 ほんぜんりょう り
むろまち じ だい
ぶ
し かん
ぎ れいてき
りょう り
りょう り
ぎ
本膳料理は、室町時代の武士間における儀礼的な料理で、料理に儀
しきてき
い
み
あ
よう
とくちょう
はいぜん
た
式的な意味合いを擁しているのがその特徴である。配膳にしろ食べる じゅんじょ
れい ぎ
おも
にほん りょう り
なか
もっと
せいしき
けい
順序にしろ、礼儀が重んじられており、日本料理の中で最も正式な形 しき
りょう り
かく
つくえ
ほんぜんりょう り
た
すす
かた
きゃく
まえ
りょう り
なら
し
式の料理である。本膳料理の食べ進め方は、まず料理が並べられた四 ぜん
き
したが
お
いちじゅうさんさい
き ほん
さん じゅう なな さい
さん じゅう
角い机「膳」が、決まりに従って客の前に置かれる。一汁三菜を基本 しょう たい
ひと
うたげ
ば めん
に じゅう ご さい
とし、招 待 した人 や宴 の場 面 によって、二 汁 五 菜、三 汁 七 菜、三 汁 じゅう ご さい
ぜん
かず
りょう り
しなかず
さだ
りょう り
しなかず
かなら
十五菜など、膳の数や料理の品数が定められるが、料理の品数は必ず
えん ぎ
き すう
ほんぜんりょう り
めい じ
じ だい
縁起がいいとされる奇数でなければならない。本膳料理は明治時代に じょじょ
すた
いま
けいちょう
せいじん
ぎ しき
さいてん
ぎ しき
なると徐々に廃れていき、今では慶弔や成人の儀式、祭典の儀式など み
おお
ほんぜんりょう り
かんたん
でしか見られなくなった。しかも、その多くは本膳料理を簡単にした
かいせきりょう り
いま
もっと
み
えんかい
りょう り
会席料理で、今では最もよく見られる宴会の料理である。
本膳料理 本膳料理源自室町時代武士間的儀式料理,料理具有儀式作用為其特 徵。不論是配膳、食用順序都講究禮法,為日本料理中最正式的形式。本膳 料理的進食方法是先將放置料理的四方形小桌「膳」,按規定放在賓客面 前,一汁三菜為基本,視招待與場面大小增加膳的數量和料理品數,如二汁 五菜、三汁七菜、三汁十五菜,但菜數一定是奇數,表吉祥。本膳料理於明 治時代日漸衰微,現今只有在婚喪喜慶、成年禮、祭典儀式才看得到,並且 多是本膳料理簡化後的會席料理,也是目前最普遍的宴客料理。
かい
せき
りょう
り
03 懐石料理 かい せき りょう り
ちゃ どう
そう し しゃ せんのり きゅう
ちゃ かい
せき
くう ふく じ
ちゃ
懐石料理は、茶道の創始者千利休が茶会の席で、空腹時にお茶 の
さ
い ちょう
まも
つく
りょう り
き げん
を飲むのを避け、胃腸を守るために作られた料理が起源とされて かいせき
ぜんそう
ふところ
い
あたた
いし
おり、「懐石」とは、禅僧が 懐 に入れ暖めておいた石で、しばら う
さむ
でん
く飢えや寒さをしのいだことよりつけられたといわれている。伝
とうてき
かいせきりょう り
はん
み
そ しる
むこうづけ
さし み
わんもり
に もの
統的な懐石料理は、ご飯、味噌汁、向付(刺身)、椀盛(煮物)、 や
もの
いち じゅう さん さい
よ
なか
うつ
焼き物という一汁三菜だけのものだった。しかし、世の中の移り か
ともな
げん ざい
かい せき りょう り
しな
さら
ほう ふ
き ほん
変わりに伴って現在の懐石料理の品は更に豊富になり、基本であ いち じゅう さん さい
ほか
あず
ばち
た
あ
すい もの
はっ すん
ぜん さい
る一汁三菜の他に、預け鉢(炊き合わせ)、吸物、八寸(前菜) しな
くわ
げん ざい
かい せき りょう り
ごう か
りょう り
だい
などの品が加えられ、現在において懐石料理は、豪華な料理の代
めい し
名詞となっている。
懷石料理 懷石料理源起茶道創始者千利休在茶會時,為避免空腹飲茶以保護 腸胃而製作的料理。「懷石」據說是取自禪僧在懷中放入溫熱的石頭來 暫時應付飢寒而得名。傳統的懷石料理只有飯、味噌湯、向付(生魚 片)、碗盛(煮物)、烤物一湯三菜,但隨著世代更迭,現今懷石料理 的菜色變得更加豐富,除了基本的一湯三菜,還增加了預缽(綜合燜 煮),吸物、八寸(前菜)等菜色。懷石料理現在已成豪華料理的代名詞。
06
和食─究極の食文化
かい
せき
りょう
り
04 会席料理 かいせきりょう り
はいかい
せき
あと
たの
りょう り
え
ど
じ だい
ぶんせいねんかん
りゅうこう
はじ
かいせきりょう り
ほんぜんりょう り
ぎ れいてき
会席料理は、俳諧の席の後で楽しまれる料理で、江戸時代の文政年間に流行し始めた。会席料理は本膳料理のように儀礼的 けいしき
じゅう し
た
かた
じ ゆう
き らく
りょう り
あじ
たの
さいだい
とくちょう
かいせきりょう り
ない
な形式を重視しているものではないので、食べ方も自由で、気楽に料理の味を楽しめるのが最大の特徴である。会席料理の内
よう
さきづけ
ぜんさい
わんもの
すいもの
むこうづけ
さし み
はちざかな
やきもの
しいざかな
に もの
と
ざかな
す
もの
あ
もの
容は先付(前菜)、椀物(吸物)、向付(刺身)、鉢肴(焼物)、強肴(煮物)、止め肴(酢の物または和え物)、それにご はん
み
そ しる
つけもの
つ
さら
あ
もの
む
もの
なべもの
で
かいせきりょう り
ごう か
ゆた
飯や味噌汁、漬物が付く。更には揚げ物や蒸し物または鍋物が出ることもあり、会席料理をなおいっそう豪華で豊かなものに している。
かいせきりょう り
かいせきりょう り
にほん
ご
はつおん
おな
じっさい
い
ぎ
ちが
かいせきりょう り
ちゃ
せき
また、懐石料理と会席料理の日本語の発音は同じであるが、実際における意義はそれぞれ違う。懐石料理はお茶の席でもっ ちゃ
あじ
かいせきりょう り
さけ
たの
りょう り
げんざい
た
ひと
こんどう
とお茶をおいしく味わうためのものであるが、会席料理はお酒を楽しむための料理である。しかし、現在では食べる人も混同 りょう り てん
く
してしまっており、料理店でさえ区 べつ
別がされなくなってしまった。
會席料理 會席料理是俳人在聚會後享受的料 理,在江戶時代文政年間開始流行,會 席料理不像本膳料理一樣注重禮儀形 式,吃法自由,以輕鬆的方式享受食物 的美味為最大的特點。會席料理的菜色 有先付(前菜)、碗物(吸物)、向付 (生魚片),缽肴(烤物)、強肴(煮 物)、止肴(醋物或涼拌),搭配白飯、 味噌湯、醬菜。甚至有些會再加上炸物、 蒸物或鍋物,使之更為豪華、豐盛。 此外,懷石料理和會席料理的日語 發音雖然相同,但實際意義各有不同。 懷石料理是為了讓茶喝起來更美味,而 會席料理是為了享受酒的料理,不過現 今不僅吃的人混淆,就連餐館也不加以 區別了。
きょう
ど
りょう
り
05 郷土料理 にほん
こく ど
なん ぼく
たて
なが
き こう
さ
おお
かん りゅう
だん りゅう
なが
き おん
さ ゆう
かく ち ほう
ふう ど じょう けん
とく しょく
きょう ど りょう り
日本の国土は南北の縦に長いため、気候の差も大きく、寒流と暖流の流れが気温を左右することから、各地方の風土条件 こと
さん しゅつ
た よう せい
と
ちょう み りょう
しょく ざい
ち
じょう けん
じる
さかな
あ
も異なっており、産出されるものも多様性に富んでいる。調味料や食材において、その地の条件に合った特色ある郷土料理 はってん
たと
ほっかいどう
や
じ もととくさん
さけ
し よう
あおもり
ほね
かしら
や さい
が発展し、例えば、北海道のちゃんちゃん焼き ( 地元特産の鮭を使用 )、青森のじゃっぱ汁(魚の骨や頭などのアラと野菜を に
こ
しる
あい づ
さん しょう づ
つ
か こう ひん
せん じん
ち
え
う
つ
きょう ど りょう り
む けい ぶん か ざい
煮込んだ汁)、会津の山椒漬け(ニシンを漬けた加工品)などがある。先人の知恵が受け継がれた郷土料理は、無形文化財 にもなっている。
鄉土料理 日本國土南北縱長,氣候差別大,又有寒流、暖流流經而左右氣溫,以致各區域的風土條件迥異,豐富了物產的多樣性。調味料、 食材因地制宜發展出各具特色的鄉土料理。像北海道的鏘鏘燒(食材取自當地特產鮭魚)、青森的雜把湯(魚骨、魚頭和蔬菜煮成的湯)、 會津的山椒漬(用鯡魚醃漬的加工品)等等。承載先民智慧的鄉土料理,亦是無形文化財。
07
Chapter 1
き
げん
ふうけい
あき
はっ てん
起源と発展 ぶん けん
しょく じ
めい き
えが
え まきもの
文献としての明らかな明記はないが、 へいあん じ だい
いち じゅうさんさい
しょくじ
せつ
けいしき
平安時代の 食 事風景が描かれた絵巻物か とう じ すで
ひと
ら、当時既に一 汁 三菜の 食 事形式があっ いち じゅうさんさい
はじ
かまくら じ だい
ぜん
たことがうかがえる。もう一つの説とし でら
と
いち じゅういっさい
て、一 汁 三菜の始まりは、鎌倉時代、禅
いん
あいだ
しょく
しょく
よこ
いっぱんてき
ふく じん づけ
そ
しろ
食 もあり、一般的なカレーライスの白い いち じゅうさんさい
えい きょう
う
ごはんの横に福神漬が添えられているの でんとうてき
じゅう し
けいしき
じゅうし
も、伝統的な一 汁 三菜の影 響 を受けてい るといわれている。 えい よう
き ほん
栄養バランスの重視 いち じゅうさんさい
しお み
しろ
む
ご しき
き
もと
にが み
さんだいげんそく
あじ つ
ご み
なま
すい
あか
に
ど
し
し
いん
し そう
ご しき
かさ
あ
き
さん み
みどり
ほう
りょう り
ご ほう
ちょうり
ご み
か
ぎょう
すべ
いんよう ご
や
た
つく
いろど
わ
し ぜんかい
ちゅうごく
つく
よう
もく
な
から み
しゅ
しょく
いん
とう ふ
よう
おお
しょくざい
しつ
ふく
おお
ふく
さい
つか
さかな
主 食 は「 陽 」、 副 菜 は 「陰」 しゅ しょく
たまご
主 食 には たんぱく 質を 多く 含んだ 魚 、 にく
よう
肉、 卵 、 豆 腐 な ど の 食 材 が 多 く 使 わ れ しょくざい
いん
ぞく
ふく さい
るが、これらの 食 材は「陽」とみなすこ しょくもつせん
い
とができる。また、「陰」に属する副菜
おお
く
はん
あ
そ
つか
あ
あじ
いんよう
ほう ふ
るい
ちょう わ
のうたん
しろ
す し
あ
ふく
かいそうるい
ちょうせい
こ
あじ
り ねん
あじ
さかな
りょう り
は
た
や さい
しょくざい
あじ
り そう てき
おな
しお
す
こ
み そ しる
まめるいなど
じょう
えい よう
ひ
こ
め
さかな
おお
ひ かくてき こ
した あじ
おうよう
しお
つか
おな
いも
たと
もの
した
味がつけられているような 魚 は、さっぱ
あじ
えい よう そ
にはビタミンやミネラル、 食 物繊維など
へん か
じょう
ひとびと
にち
がい
がいねん
ごん
あま み
一 汁 三 菜 と い う基 本 の 形 式 を 重 視 す る
の栄養素を豊富に含んだ葉もの野菜、芋
じゅうさんさい
でん とう てき
しょく じ
ご ほう
ぎょう
き
いち じゅうさんさい
以外に、一 汁 三菜は甘味、辛味、酸味、
類、きのこ類、海藻類、豆類等の 食 材が
し だい
にほん
たと
よう
い がい
塩 味、 苦 味 の「 五 味 」、 赤、 緑 、 黄、
しょくけいしき
か
う
わ ようせっ ちゅう
いち
白、 黒 の「 五 色 」、 焼 く、 煮 る、 揚 げ
が と れ た メ ニ ュ ー は、 非 常 に 理 想 的 な
多く使われ、このような栄養のバランス
ひろ
じ けい しき
げんざい
おお
とき
寺において採られていた「一 汁 一菜」の
る、蒸す、切る(生)の「五法」、この
組み合わせであるといえるであろう。ま
えい きょう
らい きゃく
質素な 食 事形式(来 客 があった時には一
三大原則に基づいて作られる 料 理で、同
た、味の濃淡の 調 整についても、同じよ
こく
けいしき
汁 三菜になる)が変化し、このような飲
じような味付けや 彩 り、 調 理法が重なら
うに陰陽の 調 和理念を応用している。例
しょくじ
食 形 式 が し ば ら く す る と 一般 の 人々 の 間
ないように作られる。この五味、五色、
えば、白ごはんには味の濃い味噌汁がよ
しっ そ
に も 広 が り、 次 第 に 伝 統 的 な 日 常 の 食
五法の概念は 中 国の「陰陽五 行 」の思想
く合わせられ、味が濃い目の炊き込みご
よう ご
いん
ぜん かい
よう そ
るい
事形式へと変わっていったのではないか
から来たといわれているが、そもそも陰
飯や寿司には、さっぱりしている吸い物
くろ
といわれている。現在、日本の 食 事は外
陽五 行 とは、自然界にある全てのものは
が添えられる。また、塩で下味がつけら
いっぱん
国からの影 響 を大きく受けているが、例
「陰」と「陽」に分けることができ、自
れていないような 魚 は、比較的濃い味の いつ
おな
えばカレーライスのように和洋折 衷 の洋
然界は「金」「木」「水」「火」「土」
たれと合わせられることが多く、塩で下 そう
想である。
り ゆう
あじ
のう たん
てき せつ
りとしたスープ 料 理に使われるのも同じ えい よう
理由からである。 わ
しょく
さいだい
み
りょく
栄 養 の バ ラ ン ス、 味 の 濃 淡、 適 切 な りょう
ひ まん
もん だい
ひ
じょう
しん こく
おう べい
量 、これらが和 食 の最大の魅 力 であり、 しょく
たい
ひょう か
きわ
たか
り ゆう
和 食 に対する 評 価が極めて高い理由で
わ
肥 満 の 問 題 が 非 常 に 深 刻 な 欧 米 で も、
ある。
注重營養均衡
的陰陽五行概念
除了著重基本形式之外,一 汁三菜依據甜、辣、酸、鹹、苦 的﹁五味﹂,紅、綠、黃、白、 黑 的﹁ 五 色 ﹂, 烤、 煮、 炸、 蒸、切︵生食︶的﹁五法﹂此三 大原則料理,並避免同樣調味、 顏色、烹調方法的重複。據說五 味、五色、五法的概念來自中國 的﹁陰陽五行﹂思想。陰陽五行 係指自然界中,所有的東西都可 分成﹁陰﹂或﹁陽﹂,而構成自 然界的要素則為﹁金﹂、﹁木﹂、 ﹁水﹂、﹁火﹂、﹁土﹂之五行。
主陽副陰之說
主菜多採用富含蛋白質的 魚、肉、蛋、豆腐等食材,這些 食 材 可 視 為﹁ 陽 ﹂。 而 歸 屬 於 ﹁陰﹂的副菜則多採用富含維他 命、礦物質或食物纖維等營養素 的青菜、薯類、菇類、海藻類、 豆類等食材,如此均衡的營養搭 配,可說是非常理想的組合。至 於味道濃淡的掌控,一樣是應用 陰陽協調的理念。例如白飯多會 搭配味道較濃的味噌湯,而滋味 豐厚的菜飯和壽司,則會附上清 淡的清湯。另外,像是沒用鹽調 味的魚類,通常搭配較濃郁的醬 汁,而有加鹽調味的魚類則用於 清淡的高湯料理,亦是同樣的道 理。 營養均衡、味道濃淡、分量 適 中, 這 些 正 是 和 食 最 大 的 魅 力,也是肥胖問題相當嚴重的歐 美對和食有極高評價的原因。
10
の五つの要素で成り立っているという思
一汁一菜
和食─究極の食文化
和食的基本形
一汁 三菜
07
わ
しょく
き
ほ ん
林 / 潔珏 日文翻譯 /shutterstock
和食の基本 文 圖
いち じゅう さん さい
わ
ほん ぜん
りょう り
こう せい
しょうじん りょう り
さん ぴん
こん だて
い ち じゅう さ ん さ い
つけもの
しゅ さい いっ
03
雖然文獻上沒有明確的記 載,但根據描繪平安時代飲食情 景的畫卷便可知,一汁三菜的飲 食 形 態 在 當 時 已 出 現。 另 有 一 說,一汁三菜最初是由鎌倉時代 的禪寺所採用的一種簡樸飲食形 態﹁一汁一菜﹂︵當賓客到訪時, 則增加為一汁三菜︶演變而來。 這樣的飲食形式逐漸在民間流傳 開來,遂成為日後傳統的日常飲 食形態。雖然現今日本飲食深受 外來影響,但仍有和洋折衷的洋 食,如日式咖哩飯,通常在白飯 旁邊放上福神漬,據說是受了傳 統一汁三菜的影響。
起源和演進
一汁三菜︵一湯三菜︶是和 食的基本,也是懷石料理、本膳 料理、精進料理︵素食料理︶構 成的基礎。所謂的一汁三菜是指 除了米飯、醬菜之外,再加上一 道湯品、三道菜︵一道主菜和二 道副菜︶所構成的菜色組合。
何謂一汁三菜?
「一汁三菜」
き ほん
水 / 島利惠
しょく
「一汁三菜」とは? じゅうさん さい
りょう り
こう せい
しる もの いっ ぴん
ふく さい に ひん
をいう。
一汁三菜
品+副菜二品)で構成された献立のこと
ぴん
を除く、汁物一品、おかず三品(主菜一
のぞ
わゆる「一 汁 三菜」とは、ごはんや漬物
いち じゅうさんさい
基本となる構成のことである。また、い
き ほん
り、 懐 石 料 理 や 本 膳 料 理、 精 進 料 理 の
かい せき
「 一 汁 三 菜 」 と は、 和 食 の 基 本 で あ
いち
|
11
Chapter 1
わ
にほん
しょく
よう
せい
ふ
とく ちょう
しん せん
た
そろ
たか
む
か
けい
き
しょく ざい
なが
かこ
ひ
ぶん
よん
か
じゅうぶん
さら
じょう
めぐ
う
い
ぎ
じゅつ
ゆう こう
せっ しゅ
おお
しょく
おさ
ちょう り
しょく
どう ぐ
めん
にほん
り よう
こう か
けん
しょく
しょく
にほん じん
む けいぶん か い さん
ひとびと
しょく
たい
さん
てん
も
りょう
かん りゅう
さまざま
しょくざいほんらい
かく ち
ちょう り
き ほん
えい よう
わ
う
しん
し
せい
ぜん
わ
ひょう
ばな
び
き
たの
あ
ぞんぶん
じゅん び
び
えだ
うつく
おお
かん
は
し
き
し き
とく ちょう
どう じ
と
ねん
りょう り
ととの
うつ
だん かい
うつ
き せつ
ちゅう ぎょう
じ
かざ
しょく
き せつ
お
美を存分に感じ取ることができる。
しょう がつ
しょくぶん
みっ せつ
し ぜん
むす
しょく じ
か ぞく
か
ち いき
しょうがつ
しょく
はっ てん
じ かん
ひとびと
す
ねん
な
ひょう
くさ
しょく
ちゅう ぎょう
おん けい
あいだ
う
きずな
け、共に 食 事をする時間を過ごすことに
とも
人 々 は 自 然 か ら「 食 」 と い う 恩 恵 を 受
ひと びと
事 と 密 接 に 結 び つ い て 発 展 し て き た。
じ
日 本 の 食 文 化 は、 正 月 な ど の 年 中 行
にほん
正月などの年中行事との密 せつ かか 接な関わり
みっ
事を楽しむのと同時に、季節の織り成す
じ
季節に合ったしつらえを 整 えたりし、 食
き せつ
花、木の枝や葉などで 料 理を飾ったり、
現するのが大きな特 徴 である。季節の草
げん
て、 自 然 の 美 し さ や 四 季 の 移 ろ い を 表
し ぜん
に 至 る ま で の、 そ れ ぞ れ の 段 階 に お い
いた
和 食 は、 準 備 す る と こ ろ か ら 食 す る
しょく
自然の美と四季の移ろいを げん 表現
日本政府が無形文化遺産を申請するにあたって、 和食の特徴を下記の 点にまとめた。 た
なんぼく
ちょう
こく ど
うみ
日本の国土は南北に長く、 十 分な雨 量 し ほう
まじ
し ぜんかん きょう
ほう ふ
ひ
はったつ
じゅうさん さい
しょく
が発達している。
いち
えい よう
じ
り そうてき
み
どう ぶつ せい し ぼう
ひ まんぼう し
けん こう し こう
登録されたことを受け、人々の 食 に対す
とうろく
している。近年、和 食 が無形文化遺産に
きんねん
の 長 寿と肥満防止に大きな効果をもたら
ちょうじゅ
とで、動物性脂肪の摂取を抑え、日本人
材のもつ「うま味」を有効に利用するこ
ざい
最 も理想的だといわれている。また、 食
もっと
事スタイルは、栄養のバランスの面で、
「一 汁 三菜」を基本とする日本の 食
栄養のバランスに優れた健 こう てき せい かつ 康的な食生活
すぐ
味を引き立たせる 調 理技 術 や 調 理道具
あじ
材が豊富に揃っており、 食 材本来がもつ
ざい
自然環 境 にあるため、各地には様々な 食
と暖 流 が交わるという、非 常 に恵まれた
だん りゅう
もあり、四方が海に囲まれ、更には寒 流
にほん
多用で新鮮な食材とその持 あじ そん ち味の尊重
4
る健康志向が高まりをみせていると、メ ほう
ディアも報じている。
ふか
より、家族や地域の人々との 間 にある 絆 を深めてきたのである。
とうろく
もく てき
む けいぶん か い さん
おお
ぶん か
じ だい
でん しょう
しん ぽ
無形文化遺産の登録は、文化の伝 承 と ほ ご
ともな
りょう り
かん たん
保護が大きな目的である。時代の進歩に しょくざい
たい
ひと
すく
伴 い、 料 理 が 簡 単 に で き る よ う に な る せいよう りょう り
た
わか
と、 食 材 に 対 し て こ だ わ る 人 も 少 な く もの
ふ
わ
しょくばな
お
なってくる。また、西洋 料 理を食べる若 わ
しょく
む けいぶん か い さん
とうろく
者 が 増 え、 和 食 離 れ も 起 こ っ て い る。 にほん せい ふ
き
あらた
こくみん
わ
しょく
日本政府は、和 食 が無形文化遺産に登録 み なお
かいがい
む
にほん
しょく
されたのを機に、 改 めて国民が和 食 とい ぶん か
ひろ
ふく しま
ほう しゃ せい
うものを見直し、海外へ向けて日本の 食 ぶっしつ
ろうえい
う
にほん
しょくひん
文化を広めることにより、福島の放射性 たい
わる
いっ こく
はや
かい ふく
物質の漏洩により生まれた、日本の 食 品 のぞ
に対する悪いイメージが一刻も早く回復 することを望んでいる。
沛、 四 面 環 海, 又 有 寒 暖 流 交 會,自然環境得天獨厚,各地食 材多樣豐沛,活用食材原味的烹 調技術和炊具也非常發達。
營養均衡有益健康的飲食生活 據說在營養均衡方面,日本 飲食的基本形式﹁一湯三菜﹂是 最理想的。而且透過有效利用食 材的﹁鮮味﹂,抑制動物脂肪的 攝取,為日本人的長壽、預防肥 胖,帶來很大的效益。有媒體表 示近年來人們傾向於健康飲食 的潮流也是受和食申遺成功的 鼓舞。
表現自然之美與四季的轉換 和食在備膳用餐各個環節 上,充分表現出自然之美、四季 的轉換是其重要特徵,例如利用 當季的花草枝葉點綴菜餚,配合 季 節 的 陳 設 布 置, 讓 人 在 大 啖 美食的同時能充分地感受四季 之美。
與正月等年中行事有密切的關聯 日本的飲食文化是與正月等 年中各種節慶活動密切結合而發 展起來的。人們藉由分享自然的 恩澤﹁食﹂,共度用餐時光,可 增 進 與 親 人、 地 方 人 士 之 間 的 情誼。 非物質遺產登錄的主要目的 是為了保護和傳承文化,隨著時 代進步,烹飪技術趨向簡化,對 食材越來越不講究。再加上吃西 餐的年輕人增加,引起離棄和食 的現象,日本政府希望藉由這次 和食的入遺,能讓國人重新認識 和食,並向海外推廣日本的飲食 文 化, 以 及 挽 回 福 島 輻 射 外 洩 對日本國產食品所造成的不良 印象。
16
02
03
04
03 04
01 02
和食─究極の食文化
非物質文化遺産
和食
10
む
文 圖
ひと
け い ぶ ん
か
か
い
い
さん
林 / 潔珏 日文翻譯 /shutterstock
けい ぶん
ぎ しき およ
さい れい
じん ぶん れき し
ぶん か
たい しょう
たい
かい が
えら
一つである。 わ しょく
ぎょう じ
しょう
なら
せい かつ
さ ん
ひょうげん
げい
か
にほん じん
みんぞくげいのう
しょう
しょう
りょう り
わ
か
せいしん
しょく
さいれい
つづ
い せき
かか
じゅつ
し ぜん
せ かい い さん
こくさいれんごう きょういく さん だい い さん
ゆう
さい たく
でんとう ぎ
び
しょく じゅつ
じゅつ
にせんじゅう
りょう り
にせんじゅうさん
ち
ねん
ちゅう
1 2
じゅうに
か
ねん
しょくぶん
2 0 1年 3 にほん でん とう
しょく
せんだい
だい し ぜん
あらわ
う
うやま
つ
わ
しょく
和食
水 / 島利惠
おも
でん とう こう げい ぎ
みっ せつ
たい しょう
り
じょうやく
和食が選ばれた理由は? む けい ぶん か い さん ほ ご
たい
でん とう
よっ
き さい
しょくぶん
覧 表 に記載された。先代から受け継がれ
らん ひょう
月 日 4 に「 和 食 ― 日 本 伝 統 の 食 文 化 」 せいしき わ む けいぶん か い さん いち として、正式に和 食 が無形文化遺産の一
がつ
ルコの伝統 料 理」に続き、
でんとう りょうり
海 の 伝 統 料 理 」「 メ キ シ コ 料 理 」「 ト
かい
広 が り、「 フ ラ ン ス の 美 食 術 」「 地 中
ひろ
年 た も の が 対 象 と さ れ て い た が、 2 010 たい よりその対 象 が「 食 」のジャンルにまで しょく
初は、民族芸能、祭礼、伝統技 術 といっ
しょ
無形文化遺産保護 条 約が採択された当
とう
科学文化機関(ユネスコ)の三大遺産の
か がく ぶん か き かん
スコ記憶遺産」と並んで、国際連合 教 育
き おく い さん
や、書物、絵画などを対 象 とする「ユネ
しょもつ
建 築 物 な ど を 対 象 と す る「 世 界 遺 産 」
けん ちく ぶつ
無形の文化が対 象 とされ、遺跡、自然、
む けい
等、また人文歴史や生活と密接に関わる
とう
術 、 儀 式 及 び 祭 礼 行 事、 伝 統 工 芸 技 術
じゅつ
「無形文化遺産」とは、主に 表 現、芸
む けいぶん か い さん
「無形文化遺産」とは?
む
| て き た 食 文 化 は、 大 自 然 を 敬 う と い う 日本人の精神をよく 表 している。
何謂非物質文化遺產?
﹁非物質遺產﹂主要以表演 藝 術、 節 慶 活 動、 傳 統 工 藝 技 術等,與人文歷史、生活有密切 關係的無形文化為對象。和以遺 址、自然、建築等為對象的﹁世 界遺產﹂、及以文獻、繪畫等為 對象的﹁世界記憶遺產﹂,並稱 聯合國教育科學文化組織的三大 遺產項目。
和食被選入的主要原因?
非物質文化遺產保護條約之 初,主要以民俗藝能、祭典、傳 統技術等為對象,至 2010 年擴展 至﹁食﹂領域,繼﹁法國美食術﹂ ﹁地中海傳統料理﹂﹁墨西哥料 理﹂﹁土耳其傳統料理﹂後,和 年 12 月 日 食也在 2013 4 ,以﹁和 食 ─ 日本傳統的飲食文化﹂正式 登記到非物質文化遺產名錄,歷 代相傳的飲食文化,深切體現了 日本人敬重大自然的精神。
日 本 政 府 在 提 出 申 遺 時, 將
和食的特徵歸納為如下四
點:
多樣新鮮的食材與對食材原味的 尊重 日本國土南北狹長,雨量充
01
無形文化遺産
06
17
Chapter 1
いん
りょう
のアルコール飲料と、アル はい
コールが入っていないソフ
ほん かく
しょう
トドリンクがある。また、
の
りゅうこう
はじ
年 か ら は、「 本 格 焼 2003
にせんさん ねん
ちゅう
よんじゅうご
いっしゅ
ど
ほん かく
しょう ちゅう
しょうちゅう
たんしき
い
か
しゅ
じょう りゅう
しょう
じょう
さいしょ
ちゅう もん
もの
最初に注文する の
「飲み物」と「お つまみ」 ご
ちゃく
にほん じん
のど
かわ
うるお
すい ぶん ほ
かんが
きゅう
とく
喉 の 渇 き を 潤 し、 水 分 補 給 で き る こ
えん てん か
つづ
なつ
の
と か ら で あ る と 考 え ら れ る。 特 に、
き
も
炎 天 下 の 続 く 夏 に 飲 む ビ ー ル は、 な
さい しょ
ちゅうもん
ん と も い え ず 気 持 ち の い い も の だ。
ふつか
しつ
よ
よ ぼう さく
えだ
が豊富な枝
ほう ふ
ま た、 最 初 に 注 文 す る お つ ま み は、
まめ
たんぱく質、ビタミン
ちゅうもん
度以下,「泡盛」也是蒸餾酒的一種。 45
かなら
豆 だ。 二 日 酔 い の 予 防 策 の た め、 必
こと
い ざか
日本語には、「とりあえずビール」
き
ず注文しなければならないおつまみ
かん よう く
い
と い う 慣 用 句 が あ る。 こ れ は、 居 酒 ひと
さい しょ
なのである。
い
ひと こと
てい
す
居酒屋的菜單
ビ ー ル を 飲 む の が 好 き で、 ビ ー ル は
の
葉 が 定 着 し た の だ ろ う か。 日 本 人 は
ば
の 一 言 だ が、 で は、 ど う し て こ の 言
や
屋へ行った人が最初に言うお決まり
にほん
C
酎」㊟を飲むのが流行し始 いっ き
とうらい
め る と、 一 気 に 本 格 焼 酎
ほう ふ
ブームが到来し、焼酎の種 るい
しょう ちゅう
類も豊富になっていった。 ほんかく
ど すう
㊟ 本 格焼酎とは、単式蒸留 き つく 機で作られた、アルコー ちゅう
りゅうしゅ
ル度数 4 5 度以下の焼 さ あわ もり 酎を指す。「泡盛」も蒸 留酒の一種である。
何謂居酒屋?
初 起 的 菜 單, 只 有 日 本 酒 和 一 些 簡 單 的 小 菜,自從與西方交流後飲食方面起了相當大的改 變。現今常見的酒精飲料有啤酒、日本酒、威士 忌、燒酒、葡萄酒、雞尾酒和幾種不含酒精的飲 料。 2003 年 開 始 流 行 喝「 本 格 燒 酒 」○註, 掀 起 一陣飲酒熱潮,使得酒類品項越趨豐富。 於
○註:本格燒酒屬使用單式蒸餾機製酒,酒精濃度
定番飲品、定番小菜
居酒屋是個能夠勾勒出大眾生活模樣的場 所,它有著令人感到歡樂、撫慰人心的氛圍,使 人們能夠完全釋放壓力,以最舒服的姿態吃一頓 飯。居酒屋定義廣泛,以酒類來看,可與酒吧、 、啤酒屋等區隔開來;以料理來看,則可與 PUB 西式、義式等做區隔。簡單來說,居酒屋指的是 提供日本酒等酒精飲料與多樣、質量較高的和食 料理的餐館。
居酒屋的歷史
日 文 裡 有 句 慣 用 語「 先 來 個 啤 酒 吧 」 と (り あ え ず ビ ー ル ,) 是 酒 客 進 入 居 酒 屋 第 一 句 固 定 會說的話。至於為何會變成固定開場語?原因可 追 究 於 日 本 人 愛 喝 啤 酒 的 習 慣, 啤 酒 常 作 為 解 渴、補充水分來源,尤其在炎炎夏日喝上一杯啤 酒,令人清涼舒暢。小菜方面,毛豆因為富含蛋 白質、維他命 ,可預防宿醉,因此成了必點的 小菜首選。
18
日本人的飲酒歷史悠長,在日本最古老的史 書《古事記》與最早紀錄古代日本社會現況的《魏 志倭人傳》有詳細的描寫。從文獻中可知早期的 日本只有貴族等身分地位較高者才有資格飲酒, 直到江戶時代,一般庶民才有了飲酒的場所和習 慣, 居 酒 屋 即 是 在 江 戶 時 代 出 現 的 一 種 飲 酒 場 所,起初店裡只賣酒,但也賣些簡單的小菜。自 此以後,那些原本只賣食物的店家也紛紛賣起酒 來,居酒屋的雛形也就悄然形成。
C
11
い ざか や ぶん か
居酒屋文化
居酒屋 文化
和食─究極の食文化
07
文 /EZ Japan 編輯部 日文翻譯 / 水島利惠 圖 /shutterstock
い ざか や
ば しょ
いっぱんしょみん
居酒屋とは? い ざか や
だ
せいかつ も よう
い ざか や
居酒屋は、一般庶民の生活模様を えが
き ぶん
描 き 出 し て い る 場 所 だ。 居 酒 屋 に たの
なぐさ
ふん い
き
は、楽しい気分にさせてくれたり、 こころ
かん ぜん
かい ほう
心が慰められたりする雰囲気があ
もっと
すがた
り、 ス ト レ ス か ら 完 全 に 解 放 さ せ
じ
て く れ、 最 も リ ラ ッ ク ス し た 姿 で しょく
い ざか や
てい ぎ
ひろ
さけ
食事ができるところであるといえ
しゅるい
わ
よ う。 居 酒 屋 の 定 義 は 広 い が、 酒
く べつ
りょう
り
の種類で分けるなら、バー、パブ、
わ
よう ふう
ビ ア ホ ー ル な ど と 区 別 さ れ、 料 理
く べつ
かんたん
い
で 分 け る な ら、 洋 風、 イ タ リ ア ン
い ざか や
にほん しゅ
などと区別される。簡単に言うと、
いん
りょう
ひ かく てき おお
しゅ るい
りょう
居酒屋とは、日本酒などのアルコー
わ
しょく
てい
きょう
いん
しょくてん
ル飲料と比較的多くの種類や量の
さ
れき し
しゅうかん
なが
れき し
和食メニューを提供する飲食店の ことを指す。 い ざか や
いん しゅ
居酒屋の歴史 にほん じん
にほん さい こ
れき し しょ
日本人の飲酒習慣には長い歴史
こ
じ
き
こ だい にほん
しゃ かい
じょう きょう
が あ り、 日 本 最 古 の 歴 史 書 で あ る
き ろく
ぎ
し
わ じん でん
しょう
『古事記』や古代日本の社会状況
さい
き ろく
しょ き
にほん
を 記 録 し た『 魏 志 倭 人 伝 』 に、 詳
き ぞく
み ぶん
ち
い
たか
細 に 記 録 さ れ て い る。 初 期 の 日 本
もの
さけ
の
で は、 貴 族 な ど の 身 分 や 地 位 が 高
ぶん けん
い者だけが酒を飲むことができた
え
ど
じ だい
つづ
いっ ぱん しょ みん
こ と が 文 献 よ り わ か っ て お り、 そ れ は 江 戸 時 代 ま で 続 く。 一 般 庶 民
え
ど
さけ
じ だい
の
はい
しゅうかん
う
い ざか や
に も 酒 を 飲 む 習 慣 が 生 ま れ た の は、
え
ど
じ だい
しゅつげん
さけ
の
ば しょ
江 戸 時 代 に 入 っ て か ら で、 居 酒 屋 は
とうしょ
さけ
う
江戸時代に出現した酒を飲む場所で
みせ
かん たん
だ
あった。当初、酒しか売っていなかっ
のち
りょう
り
た 店 が、 簡 単 な お つ ま み も 出 す よ う
だ
みせ
さけ
お
に な り、 そ の 後、 も と も と は 料 理 し
い ざか や
げん けい
か出していなかった店が酒を置くよ
つく
う な っ て い っ た 。居 酒 屋 の 原 型 は 、
このようにして作られていった のだ。
い ざか や
ころ
居酒屋のメニュー
い ざか や
かん たん
居 酒 屋 が で き た 頃 の メ ニ ュ ー は、
にほん しゅ
せい よう
こう
りゅう
はじ
いん
日本酒と簡単なおつまみしかなかっ
しょく
しゅうかん
おお
へん か
う
た が、 西 洋 と の 交 流 が 始 ま る と、 飲
いま
の
もの
食の習慣にも大きな変化が生まれて
にほん しゅ
い っ た。 今 で は、 飲 み 物 の メ ニ ュ ー
しょう ちゅう
と し て、 ビ ー ル、 日 本 酒、 ウ イ ス
キ ー、 焼 酎、 ワ イ ン、 カ ク テ ル な ど
19
Chapter 1
た
の
な
し
ひ
立ち飲みの日 にほん
がつ
月 11
ひ
じゅういち
にち
日 11
じゅういち
にほん き ねん
はま だ しんろう
日本で名の知れたブロ ふじわらのりひと
ほっ き
ガー藤原法仁と、浜田信郎 ふたり
きょう かい
の二人が発起し、日本記念 び
の
日 協 会 に、 た
もう
い
を「立ち飲みの日」として せいてい
り ゆう
なら
すう じ
制定するよう申し入れをし しんせい
そろ
が揃って並ん 11
じゅういち
た。申請の理由は、数字の と 11
じゅういち
ひと
すがた
に
あつ
た
の
で い る の が、 人 が 集 ま っ て 立 ち 飲 み
た
の
せい しん
を し て い る 姿 と 似 て い る か ら だ。 そ
あ
ねん
しん せい
年に申請が 2010
にせんじゅうねん
の イ メ ー ジ と、 立 ち 飲 み の 精 神 と が
せい こう
ぴ っ た り と 合 い、
かいさい
ひと
まいとしげきぞう
成 功 し て か ら と い う も の、 イ ベ ン ト
ふる
いん
しょく
しゅうかん
き ねん び
を開催する人は、毎年激増している。
とお
こう せい
つた
そ せん
せい
古 い 飲 食 の 習 慣 は、 記 念 日 と い う も
かつ
ち
え
げん だい じん
おし
の を 通 し て 後 世 に 伝 わ り、 祖 先 の 生 活の知恵を現代人に教えてくれてい るようである。
何謂站著飲食?
日 文 裡「 立 ち 飲 み 」「 立 ち 食 い 」 指 的 都 是 站 著 飲 食, 是 種 不 設 座 位, 在 所設置的簡易桌子上放食物的飲食型 態。 由 於 需 求 空 間 小、 設 備 簡 單、 不 用 雇 多 名 店 員 等 因 素, 價 格 相 較 於 有 座 位 的 店 家 便 宜。 對 於 每 天 生 活 步 調 緊 湊 的 大 都 會 上 班 族 來 說, 站 著 飲 食 既 方 便 又 划 算, 隨 處 可 見 的 站 著 飲 食 店 家 林 立 於 大城市各個角落,為街道特有的景象。
站著飲食的歷史?
站 著 食 飲 風 氣 可 追 溯 到 江 戶 時 代, 站 著 飲 食 的 習 慣 有 兩 種 說 法, 一 種 說 法 是 當 時 路 邊 攤 老 闆 結 束 營 業 後, 會 直 接 在 攤 位 上 站 著 吃 東 西, 或 許 是 江 戶 人 急 性 子 又 豪 爽 之 故, 逐 漸 形 成 的 一 種 飲 食 型態;另一種說法則是當時賣酒的酒館 是 論 斤 賣 酒, 為 了 方 便 酒 客 飲 用 而 在 店 頭 鋪 設 能 簡 單 喝 酒 的 空 間。 另 外, 站 著 喝 酒 的 另 一 個 說 法「 角 打 ち 」, 即 是 從 站 在 酒 館 店 頭 裡 直 接 喝「 升 酒 」○註而 延 伸出的用語。
方型的木盒裡飲用的酒。
○註:「 升 酒 」 是 一 種 在 名 為「 升 」 的 四
站著飲食日
由日本知名的部落客藤原法仁和濱 田 信 郎 兩 人 共 同 發 起, 向 日 本 紀 念 日 協 會提出將 月 日制定為「站著飲食 11 11 日」。申辦的理由為數字 11 和 11 排在 一 起 就 好 像 一 群 人 站 著 喝 東 西, 意 象 和 站 著 飲 食 的 精 神 契 合, 自 2010 年申辦 成功後,響應活動的人數每年不斷激增。 一 個 古 老 的 飲 食 型 態, 透 過 紀 念 日 得 以 流 傳 下 去, 使 後 人 見 證 老 祖 宗 的 生 活 智 慧。
20
た
の
た
立ち飲み、立ち食い
ぐ
12
站著 食飲
和食─究極の食文化
08
文 /EZ Japan 編輯部 日文翻譯 / 水島利惠 圖 /shutterstock
た
の
の
た
た
た
ぐ
ぐ
立ち飲み、立ち食 いとは? た
の
「立ち飲み」「立ち食い」とは、 た
た
お
もの
お
かんたん
立ったまま飲んだり食べたりする せき
うえ
ことで、席がなく、置いてある簡単
しょく
なテーブルの上に食べ物などを置 いん
てん いん
やと
みせ
ない そう
き飲食するスタイルのことである。 ちい
おお
小 さ い ス ペ ー ス で よ く、 店 の 内 装 かん たん
みせ
り ゆう
せい かつ
やす
いそが
せっ てい
か かく
も 簡 単 で、 多 く の 店 員 を 雇 わ な く
せき
て も い い な ど の 理 由 か ら、 価 格 も いっ ぱん
はたら
まい にち
と
一般の席のある店より安く設定さ
かい
れ て い る。 毎 日 の 生 活 に 忙 し い 都
た
いん
しょくてん
べん り
会で働くサラリーマンからすると、
み
立 ち 飲 食 店 は、 便 利 で リ ー ズ ナ ブ
た
の
た
ぐ
みせ
ル な と こ ろ で あ り、 あ ち こ ち で 見
と かい
かた すみ
た
なら
まち
どく とく
られる立ち飲み、立ち食いの店は、
ふうけい
そ
た
ぐ
都 会 の 片 隅 に 建 ち 並 び、 街 に 独 特
の
の風景を添えている。 た
ぐ
しゅうかん
立ち飲み、立ち食
た
れき し
の
いの歴史 た
ど
じ だい
さかのぼ
ふた
立 ち 飲 み、 立 ち 食 い の 習 慣 は、 え
せつ
ひと
とう じ
や たい
江 戸 時 代 に ま で 遡 る。 こ れ に は 二
えい
ぎょう
てん しゅ
えい
ぎょう
お
つ の 説 が あ り、 一 つ は、 当 時 屋 台
を 営 業 し て い た 店 主 が、 営 業 が 終
た
あと
た
も
や たい
え
わ っ た 後 に、 立 っ た ま ま 屋 台 で ご は
ど
ひと びと
ん を 食 べ て い た た め、 若 し く は、 江
せい かく
じょ じょ
戸 の 人 々 は、 せ っ か ち で さ っ ぱ り し
いん
しょくけい たい
う
せつ
た 性 格 だ っ た こ と か ら、 徐 々 に こ の
ひと
せつ
とう じ はか
う
飲食形態が生まれていったという説
さけ
う
さか や
さけ
の
だ。 も う 一 つ の 説 は、 当 時 量 り 売 り
きゃく
べん り
てん とう
さけ
の
で 酒 を 売 っ て い た 酒 屋 は、 酒 を 飲 む
かん たん
ば しょ
せつ
客 が 便 利 な よ う に、 店 頭 で も 酒 が 飲
た
の
べつ
よ
かた
める簡単な場所をつくったという説
かく う
さか や
みせ さき
だ。 ま た、 立 ち 飲 み の 別 の 呼 び 方 で
た
の
ます ざけ
は せい
あ る「 角 打 ち 」 と は、 酒 屋 の 店 先 で
こと ば
ます
よ
し かくけい
き
立 ち な が ら 飲 む「 升 酒 」 ㊟ か ら 派 生
ますざけ
した言葉である。
㊟ 升 酒とは、升と呼ばれる四角形の木 つく よう き なか そそ の さけ で作られた容器の中に注いで飲む酒
のことである。
21
Chapter 1
しょうげき
はし
いちばん
み
たような衝撃が走るのだ。 しょくどう
げんさく
ひとしな
りょう り
じょうばん
しゅく
しょくぶん
か
りょう り
あと
けつごう
か にく
から
とし よ
はい
にほん じん
りょう り
ひか
こ ども
しょう わ
にほん
さんしな
ふか
さまざま
あま
りょう り
い
めい じ じ だい
う
こく みん
にほん
つく
つよ
しょく
だ
た
つく
み
つた
きっ さ てん
年震驚世界的福島核災安排進劇 2011 情 當 中, 探 討 災 民 擺 脫 傷 痛 的 心 路 歷 程
拿坡里義大利麵是結合了國外傳入的番
為 日 本 國 民 美 食。 和 日 式 咖 哩 飯 一 樣,
重, 老 少 咸 宜 的 味 覺 使 得 咖 哩 飯 儼 然 成
泥, 與 他 國 咖 哩 相 比 辣 度 較 低 且 甜 味 較
式 特 色 料 理。 日 式 咖 哩 因 為 加 入 濃 縮 果
愛, 與 日 本 米 食 文 化 結 合 後 又 演 化 出 各
明治時代由英國傳入後深受日本人喜
是 日 式 料 理 中 各 霸 一 方 的 經 典。 咖 哩 在
「 咖 哩 飯 」 和「 山 藥 泥 蓋 飯 」, 三 者 都
上電影版大銀幕的是「拿坡里義大利麵」
與 電 視 劇 裡 的 菜 色 何 其 多, 這 次 有 幸 登
無 非 是 一 道 道 美 食 佳 餚。 曾 出 現 在 原 著
而 說 到《 深 夜 食 堂 》 的 最 大 賣 點,
彷彿給大腦來了一記正面衝擊。
的 反 思, 以 嶄 新 的 角 度 看 待 這 件 事 時,
與某些志工自願幫忙其實心態可議的背
しん や
りょう り
げき
後真相,藉此傳達「凡事不能只看表面」
で
あらわ
りょう り
『深夜食堂』の一番の見どころは、一品の料理し で
か出てこないというところだ。原作にしろドラマの なか
中にしろ、出てくる料理はたくさんあるが、劇場版
にほん
はん
としてスクリーンに現れた料理は、「ナポリタン」 ていばん
「カレーライス」「とろろご飯」の三品で、これら
べい
つた
はどれも定番の日本料理だ。カレーは、明治時代に にほん
イギリスから伝わった後、日本人に深く受け入れら にほん
れ、日本の米食文化と結合してから様々な料理が作 のう
られるようになった。日本料理としてのカレーライ くら
スは、濃縮された果肉が入っていることから、他の くに
ちょう
国のカレーと比べて辛さが控えめで、甘みが強いの とく
あ
が特徴であり、お年寄りでも子供でも、どちらの味 かく
かい がい
覚 に も 合 う カ レ ー ラ イ ス は、 日 本 の 国 民 食 と な っ どうよう
どく じ
た。ナポリタンもカレーライスと同様、海外から伝 じ だい い ぜん
わったトマトスパゲッティから独自に作り出された りょう り
か てい
料理だ。バブル時代以前の昭和の日本では、喫茶店
しら
つく
りょう
しん や しょく
りょう
またた
茄 義 大 利 麵, 獨 創 出 的 料 理。 在 泡 沫 時
しょくどう
り
や食堂などならどこにでもあるメニューで、家庭で りょう
期 前 的 昭 和 日 本, 咖 啡 廳、 食 堂 等 隨 處
かん たん
ぶ ぶん
で
も ま た 簡 単 に で き る 料 理 と し て 作 ら れ る な ど、 瞬 しょみん
きょう み
おも しろ
ひろ
都 吃 得 到, 在 家 庭 中 也 能 輕 易 烹 調, 一
ま
もっと
いだ
く間に庶民のごちそうとして広まった。出てくる料 たい
口 氣 廣 傳 成 為 庶 民 美 食。《 深 夜 食 堂 》
り
最大的貢獻便是勾起人們對這些美食的
どう
しら
さが
理に対して興味を抱いてしまうところが、『深夜食
興 趣, 進 而 去 探 索 其 精 深, 在 求 知 的 同
りょう り
た
時亦求得以一嚐吧。
堂 』 の 最 も 面 白 い 部 分 な の だ。 調 べ た り 探 し た り り
由天馬行空發行
26
と、料理のうんちくを調べながら、ちょっとその料 理を食べてみようではないか。
【深夜食堂 電影版】DVD
深夜食堂 しょく どう
いえ じ
つ
黑暗中一處溫暖驛站 しん や
むか
とも
いっけん
ぬく
か てい
深夜、まだ家路へ着かない ひと
なか
りょう り
人たちを迎えてくれる家庭料理 くらやみ
文 圖
伍 / 羚芝 日文翻譯 天 / 馬行空提供
水 / 島利惠
暗闇の中に灯る一軒の温もりの宿
やど
用平民料理守護著深夜未歸的人們,
深夜食堂
しん や
15
しょくどう
れき し
はじ
ひとびと
い らい
あつ
しょく じ
じんるい
だんたいせい
「食堂」というのは、人々が集まって食事をする ば しょ
まいにち い
ひつよう
しょくりょう
くち
場所のことだ。歴史が始まって以来、人類は団体生 かつ
えいよう
きゅうしゅう
こう い
いん
しょく
にん げん
活をし、毎日生きるために必要な食糧を口にしてき こう
りゅう
とお
し だい
ゆた
れき し
ぶん か
う
た。ただ栄養を吸収する行為であった飲食が、人間 どう し
だ
か
しょくどう
そんざい
同士の交流を通して、次第に豊かな歴史や文化を生 にほん ぶん か
しゅく ず
み出すものに変わっていったのだ。食堂という存在
べ
や ろう
しん や
しょくどう
しょくどう ぶん
か
しゅうたい せい
は、日本文化の縮図であるともいえるだろう。 あ
さく ひん
にほん
しょくどう
てい ばん
りょう り
安 倍 夜 郎 の『 深 夜 食 堂 』 は、 食 堂 文 化 の 集 大 成 とも
せつ めい
まい かい とう
じょう
ともいえる作品で、日本の食堂にある定番料理をス じんぶつ
じんせい
なや
どくしゃ
もの
がたり
トーリーと共に説明してくれている。毎回登場する よ
すす
し ぜん
きょうしゅう
ねん
わ
人物は、それぞれに人生の悩みがあり、読者は物語を い
にゅう
読み進めていくうちに、自然と郷愁の念が湧いてき、 じょう
いや
しん や
あし
い
しょくどう
ふ
おお
はん
きょう
よ
あと
しん や
せん さい
い
じょう
しょくどう
しん
ふく ざつ
「 食 堂 」 在 日 文 中, 是 指 人 們 聚 集
かん
しゃ かい
用 餐 的 地 方。 人 類 自 有 歷 史 以 來 就 過 著
おとな
大人になり社会に足を踏み入れた後の、複雑に入り
感 情 移 入 を し て し ま う こ と も あ る か も し れ な い。
こころ
じょう ただよ
われわれ
かん
團 體 生 活, 每 天 不 斷 地 攝 取 賴 以 維 生 的
ま
びょうしゃ
だ
よう そ
じっしゃ か
說是日本文化的縮影。
歷 史 與 文 化 的 產 物。 食 堂 的 存 在, 也 可
單 單 攝 取 營 養 的 行 為, 逐 漸 衍 生 成 富 有
糧 食。 經 過 人 們 彼 此 間 的 交 流, 飲 食 由
混 ざ る 感 情 漂 う『 深 夜 食 堂 』 だ が、 繊 細 な 心 情 の
じょう
描写が我々の心を癒してくれる。 し
ご えい が か
市 場 に 出 さ れ 大 き な 反 響 を 呼 ん だ『 深 夜 食 堂 』 か
ひ
は、すぐにテレビドラマ化され、その後映画化もさ
おも
き も
はいけい
みずか
ぬ
とど
とう
ひょうめん
じょう
と
しんじつ
し がん
だ
げき しん
い
りょう り
うつ
安 倍 夜 郎 的《 深 夜 食 堂 》 更 是 食 堂
ひとびと
かたすみ
なか
よう そ
せ かい
い
れた。こんなにも人々を引きつけた要素は、実写化
たい
あたら
げんさく
くる
はなし
ねん
い
文 化 集 大 成 之 作。《 深 夜 食 堂 》 可 說 是
じょうばん
きょう み
みち
き も
おんせい
將日本食堂的經典菜色做了最佳詮釋的
えいぞう
ひと
された物や人でも、音声でもなく、生き生きと映し
一 部 作 品, 每 集 出 現 的 人 物 各 有 其 人 生
ば しょ
もの
出される映像にある。この世界の片隅に、本当にこ
煩 惱, 在 翻 閱 間 總 會 隨 著 劇 情 被 勾 起 鄉
じん せい
しょくどう
くわ
ひと
にせんじゅういち
ほんとう
んな場所があるような気持ちになり、おいしい料理
愁, 或 代 入 個 人 情 緒, 紙 頁 間 散 發 出 一
しん や
じんぶつ
よう す
お
さら
せ かい
が、 人 生 の で こ ぼ こ 道 を 平 ら に し て く れ る の だ。
種 成 人 踏 進 社 會 後 的 百 感 交 集, 細 膩 情
だ
『深夜食堂』の劇場版は、原作の中には登場してい し せいかつ
りょく
げき
ない人物や、みんなが興味をもっているマスターの
感的描寫療癒了你我的心。
きず
ちが
かく ど
み
とき
あたま
なぐ
み
奇 的 老 闆 私 下 樣 貌 等 全 新 元 素, 更 將
影 版 加 入 了 原 著 中 沒 有 的 人 物、 令 人 好
撫 平 人 生 路 上 的 顛 簸。《 深 夜 食 堂 》 電
一 隅 真 的 有 這 麼 一 個 地 方, 能 藉 由 美 食
聲 音 而 更 顯 生 動, 讓 人 相 信 著 世 界 上 的
原本吸引讀者的元素都因為動態影像與
堂 》 隨 即 改 編 成 電 視 劇, 而 後 是 電 影。
推 出 後 便 受 到 極 大 迴 響 的《 深 夜 食
私生活の様子を加えるなど、新しい要素が取り入れ
こころ
ら れ て お り、 更 に は 2 0 1年 1 に世界を激震させた ふくしまげん し はつでんしょ じ こ なか と ご ひ さい 福島原子力発電所の事故を話の中に取り込み、被災
たす
か てい
で心に傷を負った人がその苦しみから抜け出すまで ひとびと
の 過 程、 ま た、 あ る ボ ラ ン テ ィ ア が 自 ら 志 願 し て なに ごと
人々を助けたいと思う気持ち、背景にある真実など せま
に迫っている。これらから、「何事も表面だけを見 で き ごと
てはいけない」というメッセージが届けられ、この 出来事を違った角度から見た時、まるで頭を殴られ
27
Chapter 1
か
さく しゃ
く すみ まさ ゆき
とう
り
き
まな
どう じ
りょう
ぶん か
り
か てい
あつか
か
りょう
りょう
料 理 漫 畫 是 專 業、 職 人 漫 畫 的 年發展以 1970
り
あら いわ かず
なか
すべ
りょう
かん
り かい
しょくにん
と
田 信 長 的 主 廚。 健 運 用 現 代 料 理 的 調 理 方 式 得 到 啟 發, 循 著 歷 史 軌 跡 一一幫信長解決了有關政治與軍事 難題。
日 本 料 理 講 究「 純 粹 」、「 當 令 」, 藉 茶 道 中「 一 期 一 會 」 的 概 念 帶 著 誠 意 款 待 客 人, 他 們 重 視 將 食 物 擺
除 了 文 化 的 題 材, 料 理 更 是 與 「 社 會 」 相 結 合。《 孤 獨 的 美 食 家 》 描 述 從 事 貿 易 的 五 郎, 走 遍 日 本 各 地, 尋 覓 連 在 地 人 都 不 見 得 知 道 的 美 食。 他 體 現 出 社 會 學 家 班 雅
空的閒暇來觀看外界不斷流逝的時
)筆下巴黎拱廊街 明( Benjamin ), 不 僅 藉 由 抽 的 漫 遊 者 ( Flâneur 間, 也 將 自 己 置 身 於 靜 態 的 店 中 來 觀 察 人 們 對 於 料 理 的 反 應。 由 於 作 者 久 住 昌 之 採 不 定 期 刊 載, 描 繪 像
的 城 鎮 演 進, 也 非 常 慎 重 地 選 擇 作
醍醐味!
態, 亦 可 體 會 料 理 職 人 試 著 傳 達 的
分。 即 使 無 法 參 透 當 中 的 人 生 百
漫畫成為當代漫畫不可缺少的一部
會、 家 庭 等 多 元 化 的 主 題, 讓 料 理
融 合 歷 史、 文 化、 全 球 化、 社
與家庭之間的關係。
教 諭 的 過 程 中, 理 解 料 理 如 何 揉 合
紹 的 家 庭 料 理, 並 在 漫 畫 潛 移 默 化
模仿做出主角荒岩一味或家人所介
廚 老 爹 》。 透 過 每 回 必 附 的 食 譜,
老 是 在 外, 推 薦 連 載 三 十 年 的《 妙
此 外, 若 不 想 和 五 郎 一 樣 三 餐
美 食 家 》 更 像 是 現 今 臉 書、 部 落 客
為 題 材 的 店 家。 有 趣 的 是《 孤 獨 的
れん さい
と、 気 づ か ぬ う ち に 料
てい き てき
化 さ れ る。 作 者 の 久 住 昌 之 理が学べ、同時に料理が
其 一 文 本 種 類, 自
は 定 期 的 な 連 載 は せ ず、 東
さま が
ぶ たい
かん けい
的 美 食 文 般, 尤 其 在 改 編 的 電 視 劇
がい
えが
えら
か ぞく
當 中, 劇 組 現 地 挑 選 出 漫 畫 中 類 似
家族との関係をどのよう
年 歷 史。 談 到 日 本 料 理 來 已 有 45 的 沿 革, 從 精 進 料 理、 本 膳 料 理 與
的 店 面, 觀 眾 甚 至 有 機 會 按 圖 索 驥
よう す
ちょう
でん き がい
懷 石 料 理 的 歷 史 不 免 乏 味, 但 若 從
找尋到美味。
は ばら
《信長的主廚》這個架空歷史漫畫
きょうあき
にして繋いでくれている
來 玩 味 可 就 趣 味 橫 生。 主 角「 健 」
しん
つな
ク街に様変わりしたような のかということも分かる
じょう
ゆう ごう
しゃ かい
わ
様 子 を 描 き、 舞 台 と な る 店 だろう。
ひ
みせ
も非常に慎重に選んでいる。 れき し
か
なか
穿 越 時 空 到 日 本 戰 國 時 代, 擔 任 織
歴 史 の 融 合、 文 化、 グ
いま
き
まん が
かく りつ
理 漫 画 は、 現 在 の 漫 画 の 中 で 欠 く
げん ざい
ロ ー バ ル 化、 社 会、 家 庭 な
みせ
り まん が
グルメ』は、今でいうフェイ
とく
ど、 あ ら ゆ る テ ー マ を 扱 う 料
こ どく
お も し ろ い の は、『 孤 独 の
京秋葉原が電気街からオタ
に
スブックやブログのグルメ記 じ
で
事 の よ う で 、特 に ド ラ マ で は 、 まん が
まん が
しん ずい
えようとしている真髄を感じ取ること はできるであろう。
日 本「 粋 」 美 學 之 實 的 藝 道 漫 畫。
ことのできないジャンルを確立してい
さつ えい はん
撮影班が漫画に出てくる店とよく似た ちょうしゃ
じゅうねん
つた
《料理仙姬》是作者菊地正太
し
れん さい さん
り
假「 料 理 漫 畫 」 之 名, 行 推 廣 傳 統
えら
みせ
さが
る。 こ れ ら の 漫 画 の 中 の 全 て は 理 解 で
みせ
たよ
店 を 選 ん で い る こ と か ら、 視 聴 者 は、 て
かた
き な い か も し れ な い が、 料理 職 人 が 伝
ばん ぐみ
たの
おな
さん
番組 で の 手が か り を頼 り に、 店を探 し だ
ご ろう
出すという楽しみ方もできる。
ひと
ま た、 五 郎 と 同 じ よ う に、 い つ も 三 た
放 在 盤 中 時 的 色 彩、 平 衡 和 立 體
しょくそと
すす
食 外 で 食 べ た く な い 人 は、 連 載 三 十 年
いっ しょ
りょう
理、器皿之間的關係。
感, 以 及 上 菜 時 機 的 巧 妙 來 調 和 料
むか
が
しゅ じん こう
まい かい
を迎 え る『 ク ッ キ ン グ パ パ 』 が お薦 め
か ぞく
しょうかい
だ。『 ク ッ キ ン グ パ パ 』 は、 毎 回 レ シ
み
ピ が 紹介 さ れ る た め、 主 人 公 の 荒 岩 一
しょうかい
味や家族と一緒に、 まね
か てい
真似して紹介され
つく
ている家庭料理 を作ってみる
まん
ことができ る。 漫 画 よ
を 読 ん でいる
東京秋葉原從電器街轉變成動漫街
34
和食─究極の食文化 文 圖
余 / 曜成 日文翻譯
り まん が
/shutterstock
りょう
り
水 / 島利惠
まん が
が
ねん
なか
にん き
で
の
さい
しき
りっ たい
乗せたときの色
かん
たい せつ
彩、 バ ラ ン ス、 立 体
りょう
り
だ
ぜつ
みょう
感 を 大 切 に し、 ま た、
れき し
り
年に人気が出 1970 み はか
ちょう
料理を出す絶妙のタイミ
はな
よんじゅうご ねん
えん かく
しょうじん りょう
年の歴史がある。 4 5
せんきゅうななじゅう
しょくにん まん
料 理 漫 画( グ ル メ 漫 画 ) と は、 プ ロ
ひと
フ ェ ッ シ ョ ナ ル、職 人 漫 画 の 中 の ジ ャ
りょう
い らい
ン ル の 一 つ で、
にほん
て 以 来 、す で に
ほん ぜん
りょう
り
かい せき
りょう
り
さら
ぶん か
さ
ングを見計らって調理した
り
日 本 料 理 を 沿 革 か ら 話 す と、 精 進 料 り、皿を下げたりする。
か
理、 本 膳 料 理、 懐 石 料 理 な ど、 そ れ おも しろ み
がい
さら
り
しゃ かい
りょう
みっ せつ
つな
い
ま た、 文 化 を テ ー マ に し た も の 以
れき し
か くう
らの歴史はどうしても面白味に欠ける のぶ なが
おも
が
こ どく
る「 社 会 」 を テ ー マ に し た 漫
か
でん とう てき
り
り
しず
りょう
かん さつ
ひま
じ かん
みせ
なが
じ かん
なか
しゅ じん こう ご ろう
ご ろう
わた
し
ある
ゆう ほ しゃ
はん のう
そと
とど
にほん
じ
さが
たい げん
舌尖上的
あじ
漫画で味わうグルメ
まん が
動漫 美食 まん
外 に、 更 に 料 理 と 密 接 な 繋 が り の あ
れき し まん が
と たん
が、『 信 長 の シ ェ フ 』 の よ う な 架 空 の 歴 史 漫 画 と し て な ら、 途 端 に 面 う
ひと
いとな
画 も あ る。『 孤 独 の グ
しろ
だ
しょう
白 さ が 生 ま れ て く る だ ろ う。
ろ
サ ー ジ ュ・ ク ー ヴ ェ ル( 歩 行 者 専 用 道
ほ こう しゃ せん よう どう
) が、 パ リ の パ Benjamin
しゃ かい がく しゃ
ぼう えき
ル メ 』 は、 貿 易 商 を 営
せん ごく じ だい
だ
戦国時代にタイムスリップし しゅ じん こう
り ほう
のぶ なが
ちょう
まか
お
ん で い る 五 郎 が、 日 本
のぶ なが
え
ぐん じ てき
そ
かく ち
た 主 人 公「 ケ ン 」 は、 織 田
の 各 地 を 渡 り 歩 き、 地
かい けつ
た
もと
信長のメインシェフを任さ
元の人でも知らないよ
せい じ
り
れ る こ と と な っ て し ま う。
うなおいしいものを探
ほう
かこ
れき し
き せき
りょう
ケ ン は、 現 代 料 理 の 調 理 方
し出すというストーリー
と
なん だい
げん だい
法 か ら ヒ ン ト を 得 て、 信 長
(
だ。 社 会 学 者 の ベ ン ヤ ミ ン ひと
りょう
を取り囲む政治や軍事的な
ひと
しょう
難題を、歴史の軌跡に沿って、一つ
さく しゃ
一つ解決していく。
か
路 ) に い る フ ラ ヌ ー ル( 遊 歩 者 ) に つ
な
りょう
いち
きゃく
なが
『 お せ ん 』 は、 作 者 き く ち 正 太 が 料 り まん が
び がく
ひろ
い て、 あ る 暇 な 時 間、 外 の 留 ま る こ と
にほん
いき
理 漫 画 と い う 名 を 借 り て、 伝 統 的 な
にほん
ちゃ どう
せい しん せい い
さら
ひと びと
なく流れる時間を眺めているだけでな
げい どう まん が
しゅん
もっ
り
お
日 本 の「 粋 」 の 美 学 を 広 め よ う と描 い
く、 静 か な 店 の 中 に 身 を 置 い て、 人 々
すい
がい ねん
りょう
み
て い る 芸 道 漫 画 だ。 日 本 料 理 は「 純
が料理に対してどんな反応をするのか
ご いち え
り にん
じゅん
粋 」「 旬 」 に こ だ わ り、 茶 道 で は「 一
を観察していることもあると述べてい りょう
たい
期一会」の概念を以て、誠心誠意お 客
る が、 主 人 公 五 郎 に よ っ て そ れ が体 現
さま
の
様 を も て な す。 料 理 人 は、 料 理 を 皿 に
19
35
Chapter 2 和食─こだわりの技と枠 基本 基本 基本 基本 調理的五種技法 擺盤 日本的食器 吃法和禮儀
IV III II
I
日本の器 にほん
22
和食─こだわりの技と枠
文 / 林潔珏 日文翻譯 / 水島利惠 圖 /shutterstock わ しょく
きゃく
たい
こころ
き
も
こんてい
和食には、お客さまに対する心からのおもてなしの気持ちがその根底に こま
にほん じん
き しつ
び
い しき
ある。細かなところにまでこだわるという日本人の気質から、その美意識 せいかつ
なか
ぞんぶん
あらわ
にほん
おお
しゅるい
おお
いっぴん
うつわ
は生活の中に存分に現れている。日本には多くの種類の器があるが、これ せんれん
ぶん か
みっせつ
かんけい
た しゅ た よう
うつわ
らは洗練された文化と密接な関係にあり、多くの逸品や、多種多様な器を
すべ
り かい
た やす
うつわ
しゅるい
よう と
全て理解するのは容易いことではない。ここでは、まず器の種類、用途、 そ ざい
み
素材から見ていくことにしよう。 和食的根本著重在對客人的精心款待,而日本人細緻膩講究的性格,充分地
在生活中展現對美的意識。日本食器種類繁多,和其精緻文化有著密切的關係, 面對琳瑯滿目、多姿多采的食器,並不容易全盤了解,這裡先從食器的種類、用 途、材來一探究竟。 しゅるい
よう と
種類と用途 にほん
しょっ き
おお
わ
わん
もくせい
さら
はち
わん
とう じ
き せい
日本の食器を大きく分けると、「碗」(木製であれば「椀」、陶磁器製 わん
ひょう き
はこ
なべ
ぜん
ぼん
であれば「碗」と表記される)、「皿」「鉢」「箱」「鍋」「膳」「盆」 しゅるい
わ
わん
れい
あ
よう と
どく じ
などの種類に分けられる。碗を例に挙げると、用途によってそれぞれ独自 かたち
めいしょう
うつわ
めしわん
しるわん
わん
まっちゃわん
ちゃ づ
ぢゃわん
ふた つ
めしわん
に ものわん
む
の形と名称があり、飯碗、汁椀、茶漬け茶碗、蓋付き飯碗、煮物碗、蒸し わん
ちゃわん む
碗(茶碗蒸しなどの碗)、抹茶碗などがある。
種類與用途 日本食器大致可分成「碗」(若為木製品,日文標示為「椀」,陶瓷器則為 「碗」)、盤子、缽、箱 ( 盒)、鍋、膳台、托盤等種類。例如碗類,視用途有 獨特的造型和名稱,如飯碗、湯碗、茶泡飯碗、蓋飯碗、煮物碗、蒸碗(如茶碗 蒸、土瓶蒸的碗)、抹茶碗等等。
日本的食器
12
41
Chapter 2 じゅうばこ
重箱
一種二層至五層不等,附盒蓋 的飯盒,盛裝料理用於節日等 慶祝之用。
ちょうかくざら
長角皿
一種長型器皿,因方便盛裝魚 類,多用於燒烤料理。
ぼん
盆
わん
わん
ふた つ
椀 / 碗(蓋付き)
めしわん
めしわん
しるわん
飯椀 / 飯碗
汁椀
か
に ものわん
し ばち
菓子鉢
煮物椀
大致分為飯碗、湯碗、煮物碗三類盛裝食物,同樣盛裝食物的缽, 比盤子深、又比碗開口大而淺些,常用於盛裝甜點。
とんすい
呑水
ふながたもり き
舟型盛器
托盤用於傳遞食物。
ざる
是由中文「湯匙」演變而來,因 此仍舊保留匙的影子,是種有把 手的器皿,多用於盛裝醬汁。 一種用竹子編的平底盛裝器皿, 因透氣性好,常用盛裝蕎麥麵、 乾果等食物。
むこうづけばち
向付鉢
船造型的盛裝器皿,多用於 精緻料理。
す
し
げ
た
寿司下駄
ぜん
膳 多用於盛裝醋物或涼拌類小菜。
一種木製盛裝生魚片的小檯子, す
し だい
す
し もりだい
亦稱作「寿 司 台、寿 司 盛 台」, 而壽司師傅慣以「ゲタ」稱之, も
盛裝一人分料理的小桌子。
42
いた
沒有腳的又稱「盛り板」。
和食─こだわりの技と枠 さら
さら
み
しゅ るい
おお
め
おお
わ
はっ すん
いっ しゃく
いっ しゃく
更 に皿 を見 てみると、その種 類 の多 さに目 がくらむかもしれない。大 きさで分 けるなら、8 寸 ~1 尺(1 尺 = じゅっ すん
いっすん
おおざら
ぶんるい
おおざらりょう り
すうにんぶん
りょう り
も
ちゅう ざら
おお
りょう り
し よう
さら
10 寸、1寸= 3.03㎝)のものは「大皿」に分類され、「大皿料理」(数人分の料理が盛られた料理)で使用する皿 すう しゅ るい
ぜん さい
も
つか
はっ すん ざら
やく ご すん
なな すん
あいだ
にあたる。また、よく数種類の前菜を盛るのに使われるのが、「八寸皿」だ。中皿の大きさは、約5寸~7寸の間 ひとり ぶん
りょう り
も
つか
さま ざま
かたち
き ほん
まる がた
かわら がた
で、よく一人分の料理を盛るのに使われる。また、様々な形のものがあり、基本の丸型のものだけでなく、瓦型、 おうぎ がた
はっ かっ けい
おお
さら
はん げつ がた
だい けい
しゅ るい
おお
そう い
く ふう
おも
いき
で
さん すん
よん すん
扇型、八角形、半月型、台形など、その種類の多さや創意工夫に、思わずため息が出てしまうだろう。3寸~4寸 こ ざら
ぞく
み
りょう り
と
わ
つか
と
ざら
ほか
の大きさの皿は、「小皿」に属し、よく見られるのが、料理を取り分けるのに使われる「取り皿」だ。その他にも、 さら
ちい
しょう ゆ
やく み
い
つか
こ ざら
せいこう
つく
更に小さいものとして、醤油やたれ、薬味を入れるのに使う小皿は、とてもかわいく精巧に作られている。 はち
わん
あさ
さら
ふか
うつわ
さら
おな
おお ばち
ちゅう ばち
こ ばち
てん
い
つか
鉢は碗よりは浅く、皿よりは深い器で、皿と同じように大鉢、中鉢、小鉢があり、天ぷらのつゆを入れるのに使 とん すい
さし み
す
あ
も
むこう づけ ばち
か
し
か
し ばち
よう と
とく
う「呑水」、刺身や酢のもの、和えものを盛る「向付鉢」、菓子をのせる「菓子鉢」など、用途によりそれぞれ特 べつ
めいしょう
つ
別な名称が付けられている。 至於盤子種類繁多的程度更是讓人眼花撩亂。若依大小區分,8 寸 ~1 尺(1 尺 10 寸,1 寸 3.03 公分)為「大盤」,例 如用在「大盤料理」(提供數人食用的大盤料理)的大盤子,與常用來裝數種前菜的「八寸盤」。中盤的尺寸約在 5 寸 ~7 寸 之間,多用來裝一人分料理,而且形狀極富變化,不論是最基本的圓形、還是瓦片形、扇形、八角形、半月形、台形等,種 類之繁、創意之奇令人驚嘆。3 寸 ~4 寸大小的盤子則歸類為「小盤」,常見的如分取食物的「小碟子」。其他還有更小的, 用來盛裝醬油、沾醬、佐料的小碟子,小巧玲瓏,非常可愛。 缽是比碗淺、比盤子深的食器,和盤子一樣有大缽、中缽、小缽,視用途也有特別的名稱,像盛放天婦羅醬汁的「吞水」 (有耳朵的碗),盛生魚片、醋物或涼拌的「向付鉢」、裝甜點的「菓子鉢」等等。
ほか
しょう がつ
たけ
おけ
はな み
つか
じゅう ばこ
すう そう
かさ
し かく けい
はこ
ふ だん
つか
べん とう ばこ
りょう り
なら
ぜん
この他、お正月やお花見に使う「重箱」(数層に重ねた四角形の箱)、普段に使う弁当箱、料理を並べるお膳、 ぼん
かみ なべ
つか
こん ごう
し よう
お盆、竹かご、桶、紙鍋など、それぞれ使うにふさわしいシーンがあり、それらを混合して使用してはいけない。 にほん
うつわ
いちどう
なら
しゅるい
ほう ふ
め
うば
もし、日本の器を一同に並べたなら、その種類の豊富さに目を奪われてしまうだろう。 此外,像過年、賞花時使用的「重箱」( 多層方形盒 )、平常用的便當盒,擺放料理的膳台、托盤、竹籠、木盆、紙鍋等, 各自都有其最合適的用途,混用不得。若把日本食器羅列擺放,其盛況將令人炫目吧。
43
Chapter 3
オムライス
31
文
圖
林 / 潔珏
/shutterstock
にほん
こ ども
おとな
だれ
だい す
にほん う
わ よう せっちゅう
オムライスは日本の子供から大人まで、誰もが大好きな日本生まれの和洋折衷 1
りょう り
な
ご
オムレット
えい ご
ライス
く
あ
わ せい
料理だ。その名はフランス語の「omelette」と英語の「rice」を組み合わせた 2 和製 がいらい ご
たまご
き ほん
なか
ぐ
外来語である。チキンライスを卵でくるむ 3 タイプのものを基本とし、中の具やソ へん か
つ
か てい
かんたん
つく
か ていりょう り
ースに変化を付けるものもある。家庭でも簡単に作れる家庭料理であるが、プロの
わざ
きわ
たの
せんもんてん
技を極めた 4 ふわふわでとろとろのオムライスを楽しめる専門店もたくさんある。 がん そ
い
みせ
なか
ゆうりょく
オムライスの元祖と言われている店はいくつかあるが、中でも有力とされている とう きょう ぎん ざ
れん が てい
おお さか しん さい ばし
ほっ きょく せい
れん が てい
めい じ さんじゅうよ
そうさく
ほっきょくせい
のは東京銀座の「煉瓦亭」と大阪心斎橋の「北極星」である。煉瓦亭は明治 3 4
ねん
せんきゅうひゃくいちねん
たまご
しろ
ぐ
ま
や
年(1901年)に卵に白ごはんや具を混ぜて焼いたオムライスを創作し 5、北極星
蛋包飯
21
たいしょう じゅういち ねん
せん きゅうひゃく にじゅう に ねん
たまご
つつ
そう
は大正 1 1 年(1 9 2 2年)にケチャップライスを卵で包んだオムライスを創
さく
そうさくねんだい
げんざいしゅりゅう
けいたい
み
ほんとう
がん そ
作した。創作年代や現在主流のオムライスの形態から見れば、どちらが本当の元祖 けつろん
だ
むずか
かという結論を出すのは難しい。 1
わ ようせっちゅう
く
あ
きわ
そうさく
和洋折衷 日西合璧。 2 組み合わせる 組合。 3 くるむ 包,裹。 4 極める 極其,達到頂點。 5 創作する 創作。
蛋包飯是日本從小孩到大人,誰都喜歡的日本原產日西合璧料理。其名為法語的 「omelette」和英語的「rice」組合而成的和製外來語。用蛋包住雞肉炒飯的類型為基 本款,也有將裡面的材料和醬汁添加變化的類型。雖然是在家也能簡單做的家庭料理, 但也有不少可享受技術極為專業、做出鬆軟滑嫩蛋包飯的專賣店。 雖然稱做蛋包飯始祖的店有數家,但其中較有力的是東京銀座的「煉瓦亭」和大 阪心齋橋的「北極星」。煉瓦亭在明治 34 年(1901 年)創作了把白飯和材料摻進蛋 裡一起煎的蛋包飯,而北極星在大正 11 年(1922 年)創作了用蛋把番茄醬炒飯包起 來的蛋包飯。就創作年代或現在主流的蛋包飯形態來看,哪個才是真正的始祖,實在 難以定論。
56
オムライス
32
和食─常備菜の献立帖
材料 1 人分 とり
1 人份
にく
鶏むね肉
雞胸肉 か
ごじゅうグラム
(ハム、ベーコンなどでも可)…50 g たまご
に
こ
卵…2 個
蛋…2 個
たま
よんぶんのいっ
こ
あたた
はん
いっ ぱいぶん
こ
いち
玉ねぎ…1 / 4 個
洋蔥 …1/4 個
温かいご飯…1 杯分
熱飯…1 碗的分量
バター…小さじ 1 あぶら
奶油…1 小匙
てきりょう
サラダ油…適量 しお
(火腿、培根等亦可)…50g
沙拉油…適量
てきりょう
塩こしょう…適量
胡椒鹽…適量
てきりょう
ケチャップ…適量
番茄醬…適量
蛋包飯
22
作り方 とりにく
1
いっ
かく
き
しお
しょうしょう
鶏肉は 1 センチ角に切り、塩こしょうを少々ふる。 たま
ぎ
2
玉ねぎはみじん切りにする。
3
フライパンを熱してサラダ油を入れ、1 の鶏肉を炒める。焼き色がついた
ねっ に
あぶら
たま
い
いち
くわ
とり にく
いた
や
いろ
いた
ら、バターと 2 の玉ねぎを加えてよく炒める。 はん
4
しお
しょう しょう
おお
いち
くわ
いた
さら
ご飯、塩こしょう少々、ケチャップ大さじ 1 を加え、よく炒めたら、皿に ほそなが
1
5
2
6
3
7
4
8
も
細長く盛る。 たまご
わ
い
と
しお
しょうしょう
くわ
かる
ま
5
ボウルに卵を割り入れ溶きほぐし、塩こしょう少々を加えて軽く混ぜる。
6
フライパンを熱 しサラダ油 をひいて、5 の溶 き卵 を一 気 に流 し入 れる。
ねっ
さいばし
おお
あぶら
ま
ご
と
たまご
はんじゅく
かたち
いっ き
なが
い
ととの
菜箸で大きく混ぜ、半熟になったら、オムレツの形に整える。 ろく
7
うえ
の
ま
なか
で
き
あ
6 をチキンライスの上に乗せ、オムレツの真ん中をカットすれば、出来上 がり。
1
雞肉切成 1cm 的丁,再灑上少許的胡椒鹽。
2
洋蔥切成碎末。
3
將平底鍋燒熱放入沙拉油,炒 step1 的雞肉。待肉變成金黃色後,加入奶油和 step2
4
加入飯、少許的胡椒鹽和 1 大匙的番茄醬,充分拌炒後,裝盤成細長形。
的洋蔥充分拌炒。 5
在大碗內將蛋打散,加入少許的胡椒鹽後輕輕攪拌。
6
將平底鍋燒熱鋪上沙拉油後,一口氣倒入 step5 的蛋汁。用長筷大幅度攪拌,待半熟
7
將 step6 放在雞肉炒飯的上面,由歐姆蛋的正中央切開,便大功告成。
後,調整成歐姆蛋的形狀。
や
いろ
ほそなが
いっ き
の
ふる□ 灑。 焼き色□ 食物經煎烤後,表面所呈現的金黃色。 細長い□ 細長的。 一気に□ 一口氣地。 乗せる□ 放在上面。
み
~から見れば み
み
同「から見ると、から見たら」,表現從某一角度來判斷說明。與「からいうと」 み
不同的是「から見れば」可直接承接表人物的名詞。
57
Chapter 3 文
圖
編輯部 日文翻譯 /EZ Japan
/shutterstock
水 / 島利惠
うなぎ
鰻飯
36
めし うな丼
鰻魚飯
26
食通常識 かばやき
蒲焼 烤魚串 たけぐし
竹串 竹串 うなぎめし
鰻飯 鰻魚飯 どん
うな丼 鰻丼 じゅう
うな重 鰻重
うな重 62
和食─常備菜の献立帖 うなぎ
スタミナ □(英:stamina) 精力。
2
は
歯ごたえ□ 嚼勁。
3
さばく□ 料理。
しつ
えい よう そ
ほう ふ
ふく
なつ
かいしょう
鰻はタンパク質、DHA、ビタミン A などの栄養素を豊富に含み、夏バテを解消し、
1
かつ りょく
ぞう しん
にほん じん
なつ
げん
た
がい ねん
活力を増進させてくれる日本人の夏のスタミナ 1 源だ。うなぎを食べるという概念は こ だい
にほん さい こ
わ
か しゅう
まん よう しゅう
しゅう ろく
しょ みん
古 代 からあり、日 本最 古 の和 歌 集『万 葉 集 』にも収 録 されているほどだが、庶 民 の た
もの
え
ど
じ だいちゅう き
ど よう
うし
ひ
た
食べ物となったのは、江戸時代中期になってからであり、土用の丑の日にうなぎを食 しゅうかん
ころ
はじ
とう じ
にほん
ど よう
うし
べるという習慣も、この頃から始まったといわれている。当時、日本では、土用の丑 ひ
いち ねん
なか
もっと
あつ
ど よう
うし
ひ
じ
はじ
た
もの
た
の日が一年の中で最も暑く、「土用の丑の日に『う』の字から始まる食べ物を食べる びょう き
みん かん
でんしょう
しん
ひ
うり るい
うめ
と病気にならない」という民間の伝承が信じられており、その日にうどんや瓜類、梅 ぼ
じ
はじ
た
もの
た
うなぎ
う
ゆ
わる
干しなど、「う」の字から始まる食べ物がよく食べられていた。鰻の売れ行きが悪く こま
みせ
み
がみ
みせ
ひら が げん ない
がく しゃ
ほん じつ
ど よう
うし
ひ
困っている店を見た平賀源内という学者は、「本日、土用の丑の日」というコピーを か
は
まえ
は
はじ
た
もの
ひと びと
書いた張り紙を店の前に貼り、うなぎも「う」から始まる食べ物だということを人々 し
ひら が げん ない
や
き
き
すく
に知らせた。こうして、平賀源内は、うなぎ屋の危機を救ったのだった。 め
うなぎ めし
うなぎ
や
かば やき
はん
うえ
の
かば
よく目 にする鰻 飯 は、鰻 を焼 いた「蒲 焼 」がご飯 の上 に乗 っている。この「蒲 やき
いま
ひら
くし
う
や
むかし
ぎ
焼」だが、今のように開いたうなぎに串を打って焼くのではなく、昔はぶつ切りにし き
わ
うなぎ
たけ ぐし
さ
や
しょう ゆ
み りん
あ
つく
て切 り分 けた鰻 を、竹 串 に刺 して焼 いていた。醤 油 と味 醂 を合 わせて作 ったたれを ぬ
あじ
こ
かば やき
かん せい
うなぎ
くし ざ
たけ ぐし
かたち
塗っていき、味がしみ込んだらうなぎの蒲焼の完成だ。鰻を串刺しにした竹串の形が ほ
に
かば やき
よ
ご かば やき
うなぎ
かば やき
さ
ガマの穂に似ていることから「蒲焼」と呼ばれ、その後蒲焼といえば、鰻の蒲焼を指 すようになった。 うなぎ
かば やき
かん とう ふう
かん さい ふう
に しゅ るい
かん とう ふう
さき
む
や
鰻の蒲焼は、関東風と関西風の二種類があり、関東風は先に蒸してから焼くため、 にく しつ
せん さい
やわ
くち
い
くち
なか
と
かん さい ふう
む
ちょくせつ
肉質が繊細で柔らかく、口に入れると口の中で溶けるようで、関西風は蒸さずに直接 や
は
うなぎ
かた
ちが
え
ど
じ だい
ぶ
し
せっ
焼 くため、歯 ごたえ 2 がある。また、鰻 のさばき 3 方 も違 い、江 戸 時 代 の武 士 が「切 ぷく
きら
かん とう
うなぎ
せ なか
かん さい
ふく ぶ
腹」を嫌ったことより、関東では鰻の背中からさばくが、関西は腹部からさばく。ま うなぎめし
も
うつわ
めいしょう
ちが
ぢゃ わん
も
た、鰻飯は、盛る器によって名称に違いがあり、どんぶり茶碗に盛られたものは「う どん
し かく
うるし ぬ
うつわ
も
じゅう
く べつ
よ
な丼」、四角の漆塗りの器に盛られたものは「うな重」と、区別して呼ばれている。
鰻魚富含豐富的蛋白質、DHA、維生素 A 等營養素,有助消除夏季疲憊、增進活力,是 日本人夏日的精力來源。食用鰻魚的概念早在日本詩歌集《萬葉集》就有記載,成為平民食 物則可追溯到江戶時代中期,在土用丑日食用鰻魚的習慣也由此時而來。當時在日本,土用 丑日是一年之中最熱的一天,而民間相信「於土用丑日當天吃『う』字開頭的食物,可避免 疾病上身」於是,這天多吃烏龍麵、瓜類、醃梅「う」字開頭的食物。而學者―平賀源內 見到店家因鰻魚銷售狀況不佳感到困擾時,便在當天將寫有「今日為土用丑日」的標語紙張貼 在店家門口,提醒大家鰻魚飯也是「う」字開頭的食物,就這樣平賀源內拯救了鰻魚店的危機。 常見鰻魚飯為將烤好的鰻魚「蒲燒」放到飯上。以前的「蒲燒」不像現在一樣將切開的 鰻魚串起來燒烤,而是將鰻魚切成一段段圓筒狀,再以竹籤串起燒烤。塗抹上以醬油和味醂
~ことより
調製而成的醬汁,烤到入味後蒲燒鰻便完成了,「蒲燒」之名因串起的竹籤形狀類似蒲穗, 故此後蒲燒也就用來專指蒲燒鰻。
用於表現某事的原因、理由,後 面接表原因、理由的內容,可譯 成「根據……,或許……」。
蒲燒鰻分為關東和關西兩種作法,關東先蒸後烤,鰻魚肉質軟嫩、入口即化;關西則直接 燒烤,肉質帶勁道。若從切剖方式來看,關東從鰻魚的背部剖開,因為江戶時代的武士忌諱「切 腹」;關西則從腹部剖開。另外,鰻魚飯因盛裝的器皿不同,在名稱上有所差異,以碗公盛 裝的為「鰻丼」;以四方形有蓋子的漆盒盛裝則為「鰻重」。 63
Chapter 3
林 / 潔珏 圖 /shutterstock
47
涮涮鍋
92
文
しゃぶしゃぶ
57
和食─常備菜の献立帖 すえ
1
末□ 最後,結果。
はじ
つまむ□ 夾,掐。 ひた
3
浸す□ 浸泡,浸濕。
こう あん
コツ□ 訣竅,祕訣。
7
こまめ□ 勤勉地,勤快地。 いっそう
8
一層□ 更,更加地。
9
エキス□ (荷:extract)
げん けい
うす
旨み□ 美味。 あく
しにせ
ほん てん
りょう り
ちゅうごく
い
き
にく
なべ
に
しょう ゆ
た
薄 く切 ったラム肉 を鍋 で煮 て、ゴマや醤 油 などのたれにつけて食 べるところから
うま
5
灰汁□ 澀液,浮沫。
おお さか
で考案された。原型となる料理は中国の「涮羊肉」と言われている。
4
6
しゅう せん ご
しゃぶしゃぶが始 まったのは終 戦 後 で、大 阪 の老 舗レストラン「スエヒロ」本 店
2
え
し こう さく ご
すえ
げん ざい
かたち
いた
な まえ
ゆ らい
ヒントを得 て、試 行 錯 誤 の末 1、現 在 の形 に至 った。また、名 前 の由 来 については、 にく
なべ
ゆ
ひた
おと
た
ゆ
た
肉 をつまんで 2 鍋 の湯 に浸 し 3「しゃぶしゃぶ」と音 を立 てるように揺 すりながら食 めい めい
べることから命名された。 おい
精華,精髓。
にく
いち まい
しゃぶしゃぶを美味しくいただくためにはコツ 4 がある。まず、肉を一枚ずつさっ ひ
とお
す
ちゅう い
ひ
とお
す
にく
とスープにくぐらせ、火を通し過ぎないように注意すること。火を通し過ぎると肉が かた
うま
に
あく
ほう
くさ
硬 くなるし、せっかくの旨 み 5 も逃 げてしまう。そして、灰 汁 6 を放 っておくと臭 み で
あく
か
さ ぎょう
が出てしまうので、こまめ 7 に灰汁をとることも欠かせない作業である。 つぎ
ちゅう い
や さい
かなら
にく
あと
い
にく
次 に注 意 しなければいけないのは、野 菜 は必 ず肉 の後 に入 れること。それは肉 の で
や さい
いっ そう
おい
さい ご
にく
や さい
だしが出て、野菜がより一層 8 美味しくなるからだ。最後に肉と野菜のエキス 9 がたっ はい
なか
い
かる
しお
あじ
つ
あさ つき
ぷり入ったスープの中にうどんなどを入れて、軽く塩とコショウで味を付け、浅葱を くわ
さい こう
し
で
き
あ
加えれば最高の締めの出来上がり。
涮涮鍋始於戰後,是由大阪老字號餐廳「末廣」本店發想出來的。據說涮涮鍋這項料理 的原型是中國的「涮羊肉」。 從切成薄片的羊肉在鍋中煮、再沾上芝麻或醬油等醬料食用得來的靈感,在經歷反覆嘗 試修正後,終於至現在的面貌。至於名稱的由來,是因為把肉夾著浸在鍋內的湯中,一邊來 回涮動發出「sha-bu sha-bu」聲音,一邊食用,而被命名。 要享受美味的涮涮鍋有訣竅。首先,肉要一片一片迅速地放入湯中涮煮,注意別煮太熟。 煮太熟肉不僅會變硬,該有的甘甜也會不見。還有,浮沫放著不管,會產生臭味,因此勤快 地撈除浮沫,也是不可少的工作。 接下來要注意的是,蔬菜一定要在肉之後才能放入。那是因為肉的高湯熬出後,可使蔬 菜更加美味。最後在充滿肉和蔬菜精華的湯中放進烏龍麵等,用鹽和胡椒稍微調味,再加上 蝦夷蔥就完成了最完美的組合。
食通訣竅 にく
いち まい
肉 を一 枚 ずつさっとスープにくぐらせること。 肉一片片迅速地放入湯裡涮煮。 ひ
とお
火 を通 しすぎないこと。 不煮過頭。 あく
こまめに灰 汁をとること。 勤奮地撈除浮沫。 や さい
かなら
にく
い
野 菜 は必 ず肉 のあとに入 れること。 蔬菜於肉之後放。 さい ご
最 後 にうどんをいれること。 最後放烏龍麵。
93
Chapter 3
天ぷら
てん
61
文
圖
てん
よんひゃく ねん
まえ
じん
つた
い
天ぷらは 4 00 年ほど前にポルトガル人によって伝えられたものと言われている。 てん
ご げん
ご
ちょう り
い み
林 / 潔珏
/shutterstock
そのため、「天ぷら」の語源はポルトガル語で調理 1 を意味する「tempero」から き
せつ
ゆうりょく
げんざい
てん
しゅほう
い
とうきょうわん
ひろ
え ど じ だい
ぜん き
来たという説が有力である。現在の天ぷらの手法 2 が広まったのは江戸時代の前期 え ど まえ
え ど
まえ
うみ
しんせんぎょかいるい
つか
てん
で、江戸前(江戸の前の海の意で、東京湾のこと)の新鮮魚介類を使った天ぷらが
もっと
ゆうめい
てん
くし
さ
かたち
や たい
う
のち
じょうひん
最も有名だ。天ぷらはもともと串に刺した形で屋台で売られていたが、後に上品な 3 ふん い き
かいりょう
す し
や
なら
にほん さんだいりょう り
あぶら
あ
だいひょうてき
か てい
つく
雰囲気に改良され、寿司やすき焼きと並ぶ日本三大料理となった。 てん
ぎょかいるい
や さい
ころも
にほん りょう り
ひと
天ぷらは魚介類や野菜に衣をつけ、油で揚げた代表的な日本料理の一つである。
にほん りょう り
みせ
あつか
おお
しょくざい
うま
日本料理の店でよく扱われて 4 いるほか、家庭で作ることも多い。食材の旨みをサ ころも
天婦羅
51
いっぱんてき
えび
きす 沙鮻 なす 茄子 かぼちゃ 南瓜 たけのこ 竹筍 め
タラの芽 楤木芽 まつ たけ
松 茸 松茸 98
てん
だいこん
い
てん
た
た
かた
そ ざい
も
あじ
い
ば あい
しょうりょう
しお
た
つけて食べてもよい。
6
海 老 蝦子
こ
べるのが一般的な食べ方だ。素材の持ち味 7 を活かしたい場合は、少量の塩だけを
1
美食家的定番
つつ
クサク 5 とした衣で包み込んだ 6 天ぷらは、大根おろしを入れた天つゆにつけて食
ちょう り
しゅほう
じょうひん
あつか
調理 烹調。 2 手法 技巧。 3 上品 [ な ] 高尚的。 4 扱う 販賣。 5 サクサク 酥脆。 つつ
こ
も
あじ
包み込む 包覆。 7 持ち味 原味。
據說天婦羅是在 400 年前左右由葡萄牙人傳到日本,因此「天婦羅」的語源是來 自葡萄牙語意思為烹調的「tempero」,此說法較可信。現今天婦羅的料理技巧則在江 戶時代前期普及,以使用江戶前(江戶前面的海之意,即東京灣)新鮮魚貝類的天婦 羅最享盛名。天婦羅原本是以插在竹籤上的方式在路邊攤販售,隨後被改良成高尚的 氛圍,與壽司、壽喜燒並列為日本三大料理。 天婦羅是將魚貝類或蔬菜裹上麵衣,再用油炸的一種具代表性的日本料理。除了 常在日本料理店販賣外,也是常做的家庭料理。用酥脆的麵衣將食材美味封住的天婦 羅,一般的吃法是沾加了蘿蔔泥的天婦羅醬汁食用。如果要帶出食材的原味,只要沾 一點點的鹽巴食用即可。
てん
天ぷら
和食─常備菜の献立帖
62
材料 4 人分
4 人份
む とう
はち
び
えび(無頭)…8 尾
蝦子(去頭)…8 尾
に ほん
なす…2 本
茄子…2 條
ろくぶんのいっ
こ
かぼちゃ…1 / 6 個 に
南瓜…1/6 個
こ
ピーマン…2 個 だいこん
青椒…2 個
てきりょう
大根おろし…適量
蘿蔔泥…適量
衣
麵衣
たまご いっ
こ
れいすい
あ
いち
卵 1 個を冷水と合わせて…1 カップ はくりき こ
1 個蛋加冷水…1 杯
いち
薄力粉…1 カップ
天婦羅
52
低筋麵粉…1 杯
てん
天つゆ
天婦羅高湯醬油
ゆ
おお
しょう油…大さじ 4 じる
醬油…4 大匙
にひゃくごじゅうシーシー
だし汁 ...2 5 0 cc おお
みりん ... 大さじ 4
作り方 お
1
柴魚昆布高湯…250cc
よん
ひとふし
のこ
から
む
せ
と
はら
味醂…4 大匙
よん ほん
えびは尾の一節を残して殻を剥き、背わたを取る。腹に 4 本ほ あさ
き
こ
い
どの浅い切り込みを入れる。 き
お
たて よ
わ
2
なすはヘタを切り落とし、縦 4 つ割りにする。
3
かぼちゃの種をスプーンで取り、適当な幅にカットする。
たね
と
たて はん ぶん
4
てきとう
き
はば
たね
と
のぞ
さら
1
5
2
6
3
7
4
8
たて ふた
ピーマンは縦半分に切り、ヘタと種を取り除いて更に縦 2 つに き
切る。 たまご
5
れい すい
ま
あ
はく りき こ
い
こな
のこ
ボウルに卵と冷水を混ぜ合わせてから薄力粉を入れ、粉が残る てい ど
ま
程度にざっくり混ぜる。 じる
6
ひ
ふっとう
ゆ
い
だし汁とみりんを火にかけて沸騰させ、そこにしょう油を入れ、 いち ど ふっとう
てん
つく
もう一度沸騰させて、天つゆを作っておく。 いち
7
に
さん
よん
ご
ころも
つ
ひゃくななじゅう ど
あぶら
あ
1 、2、3 、4 のタネに 5 の衣を付け、1 7 0 ℃くらいの油で揚げる。 さら
なな
も
つ
あ
だいこん
そ
8
皿に 7 を盛り、付け合わせの大根おろしを添えたらできあがり。
1
蝦子去殼留下尾部一節,並抽掉泥腸。腹部淺淺劃上 4 刀。
2
將茄子的蒂切除,再縱切成 4 塊。
3
用湯匙去除南瓜籽,並切成適當的寬度。
4
青椒縱切成一半,去除蒂和籽後,再縱切成 2 塊。
5
在大碗裡將蛋與冷水混合後加入低筋麵粉,大致攪拌至還留些粉的程度。
6
將柴魚昆布高湯與味醂加熱使其沸騰,再加醬油使其沸騰,做成天婦羅高湯醬油備用。
7
step1、2、3、4 的配料裹上 step5 的麵衣,再用 170℃左右的油炸。
8
將 step7 裝盤,附上配料的蘿蔔泥便大功告成。
む
せ
と
のぞ
剥く 剝。 背わた 泥腸。 ヘタ 蒂。 取り除く 去除。 ざっくり 大致地。
料理のコツ 料理的訣竅 ぎょかいるい
あらかじ
はくりき こ
ころも
きんとう
つ
魚介類は 予 め薄力粉をまぶしておくと、衣が均等に付く。 こな
みず
ひや
ねば
で
ころも
あ
粉も水もボウルも冷しておくと粘りが出にくいので、衣がカラリと揚がる。
魚貝類若事先灑上低筋麵粉,麵衣就會上得很均勻。 麵粉、水和大碗若事先冰過,便不易生黏性,麵衣可炸得很酥脆。
あらかじ
予 め 事先,預先。 カラリ〔と〕 酥脆狀。
99
Chapter 3
文 圖
林 / 潔珏 日文翻譯 /shutterstock
水 / 島利惠
この
広島焼
御好燒
68
や
118
関西風お好み焼き
お好み焼き
78
もんじゃ焼き
和食─常備菜の献立帖 この
もてなし□ 款待。
2
シャキシャキ□ (咀嚼) 清脆聲。
3
ど
て
土手 堤。
や
ちゅう ごく ご
こな
みず
くわ
つく
お好 み焼 き(中 国 語 で「御好燒」または「什錦燒」)とは、粉 に水 を加 えて作 っ
1
き
じ
や さい
ぎょ かい るい
にく
ぐ ざい
てっ ぱん
うえ
や
あ
た
もの
この
た生地と、野菜、魚介類、肉などの具材を鉄板の上で焼き上げた食べ物である。お好 や
き げん
とお
あ づち もも やま じ だい
さかのぼ
せんのり きゅう
ちゃ かい
つか
み焼 きの起 源 は、遠 く安 土 桃 山 時 代 にまで 遡 り、千 利休 が茶 会 でもてなし 1 に使 っ ふ
やき
みず
と
こ むぎ こ
や
み
そ
つつ
わ
が
し
ていた「麩の焼」(水で溶いた小麦粉を焼いたものに、味噌を包んだ和菓子)である き
じ
てっ ぱん
うえ
や
た
しゅうかん
え
ど
じ だい まっ き
みん かん
あいだ
といわれている。生地を鉄板の上で焼いて食べる習慣は、江戸時代末期に民間の間で はや
げん ざい
み
この
や
はっ てん
流行りはじめ、現在に見られるお好み焼きへと発展していった。 この
や
おお
かん さい ふう
ひろ しま ふう
ふた
わ
かん さい ふう
この
お好 み焼 きは、大 きく関 西 風 と広 島 風 の2 つに分 けられ、それぞれ「関 西 風 お好 や
ひろ しま や
よ
ふた
さい だい
ちが
つく
かた
じ
うす
かん
み焼き」「広島焼き」と呼ばれている。この2つにおける最大の違いは作り方で、関 さい ふう
この
や
ぜん ぶ
ざいりょう
ま
あ
や
ひろ しま や
き
や
西風お好み焼きは全部の材料を混ぜ合わせて焼くが、広島焼きはまず生地を薄く焼い うえ
ぶし
てん
にく
じゅん
かさ
かた
かん たん
てから、その上にかつお節、キャベツ、もやし、天かす、ねぎ、バラ肉の順に重ねて の
む
や
いっ ぱん てき
かん さい ふう
この
や
つく
乗 せ、ゆっくりと蒸 し焼 きにする。一 般 的 に、関 西 風 お好 み焼 きは作 り方 が簡 単 な じ ぶん
や
きゃく
おお
たい りょう
や さい
し よう
つく
しょっ かん
ことから、自分で焼く客も多いが、大量の野菜を使用して作るシャキシャキ 2 の食感 いのち
ひろ しま や
ぜつみょう
ひ
か げん
ようきゅう
くわ
うら がえ
さい
が命の広島焼きは、絶妙な火加減のコントロールが要求されるのに加え、裏返す際に ぐ
まわ
と
ち
そう とう
わざ
ひつ よう
も、たくさんの具 が周 りに飛 び散 らないようにするには、相 当 の技 を必 要 とするた みせ
ひと
や
おお
め、店の人に焼いてもらうことが多い。 この
や
ぜん しん
や
え
ど
じ だい
まっ き
し じゅく
こ
お好 み焼 きの前 身 は「もんじゃ焼 き」で、もともと江 戸 時 代 の末 期 に私 塾 で、子 ども
もじ
おし
てっ ぱん
うえ
こ むぎ こ
みず
と
もじ
か
こ ども
た
供に文字を教えるため、鉄板の上に小麦粉を水で溶いたもので文字を書き、子供に食 もじ
おぼ
な まえ
い
しょ き
べさせながら文字を覚えさせていたことからこの名前がついたと言われている。初期 や
みず
こ むぎ こ
と
や
あじ つ
かん たん
か
し
のもんじゃ焼 きは、水 に小 麦 粉 を溶 かし、焼 いて味 付 けをしただけの簡 単 なお菓 子 いま
この
や
どう よう
し よう
ざいりょう
ほう ふ
この
や
ちが
だったが、今ではお好み焼きと同様、使用する材料も豊富である。お好み焼きとの違 や
りょう
ひ かく てき おお
さき
いた
ぐ ざい
まる
いであるが、もんじゃ焼 きは、だしの量 が比 較 的 多 めで、まず先 に炒 めた具 材 で丸 ど
て
つく
き
じ
いっ き
なが
こ
ねば
で
ま
あと
ま
い土手 3 を作り、そこに生地を一気に流し込んで粘りが出るまで待った後よく混ぜた うえ
あお
ち
ら、上に青のりを散らしていただく。
御好燒,又稱什錦燒,是一種將麵粉加水調成粉漿,加上蔬菜、魚貝類、肉類等配料, 在鐵板上煎烤的食物。御好燒的起源,最遠可追溯到安土桃山時代,千利休在茶會用來招待 くわ
~に加え
的「麩燒」(用粉漿煎製、包味噌的薄餅),將粉漿放在鐵板上煎烤食用的習慣也在江戶時 代末期於民間開始流傳,最後便發展成現今的御好燒。
書面用語, 用於表現追加說
御好燒大致可分成關西風和廣島風兩大派,也就是俗稱的大阪燒和廣島燒。其最大的差
明,除了前項提到的之外,
異在於作法,大阪燒是將所有的材料攪拌著煎烤,而廣島燒則是先將粉漿煎成薄餅,按順序
還 有 其 他 的 事 情。 可 譯 成
在上面放上一層層的柴魚粉、高麗菜、豆芽、麵酥、蔥、三層肉再慢慢蒸烤。一般來說大阪
「而且、加上」。
燒作法簡單,多由顧客自行製作;廣島燒由於使用大量蔬菜,要做得清脆美味,需要絕妙的 火候控制,而且翻面時要避免量多的食材散開,需要相當的功力,因此多由師傅製作。
~ないようにする 用於表現人為意志決定使其 發生、改變,接於動詞否定 形後表示留心不做某事。
御好燒的前身「文字燒」,據說原本是江戶時代末期的私塾為了教導孩童寫字,在鐵板 上用粉漿寫文字,一邊讓小孩吃,一邊讓他們記憶文字而得名。初期的文字燒只是單純用水 把麵粉調開,再行煎烤調味的簡易點心。但現在和御好燒一樣,使用的材料都很豐富,不同 的是因為文字燒高湯含量較多,得先把材料撥出來炒熟作成圍堤,然後一口氣倒入麵糊,待 麵糊成黏稠狀後,再充分攪拌、灑上海苔粉食用。
119
Chapter 3
文
林 / 潔珏 圖 /shutterstock
ちゃ
78
茶菓子
が
し
130
茶菓子
88
和食─常備菜の献立帖
1 2
ひ
すいぶんりょう
水分量□ 含水量,水分。 ね
3
練る□ 攪拌。
4
組み合わせ□ 搭配。
5 6 7 8 9 10
にほん
た
く
あ
ちゃ が
し
ちゃ
おい
ひ
た
か
ちゃ
日本の茶菓子はお茶の美味しさを引き立たせる 1 ために欠かせないものである。茶
引き立つ□ 襯托。 が
し ぜん たい
み
かぞ
たく さん
しゅ るい
さ どう
おお
菓子全体を見ると、数えきれないほど沢山の種類があるが、茶道においては、大まか わ
おも が
し
なま が
し
ひ
が
し
に しゅ るい
わ
に分けると主菓子(生菓子)と干菓子の二種類に分けられる。
かたど
模る□ 仿照。 も
おも が
盛り上げる□ 增添。 おお
大いに□ 大大地。 しょく
食する□ 吃。 むす
結びつく□ 相結合。 かいしょう
改称する□ 改稱。
し
すい ぶん りょう
たか
まん じゅう
もち が
し
きん とん
まめ
いも
ね
まる
主 菓 子 とは水 分 量 2 の高 い饅 頭 や餅 菓 子、金 団(豆 や芋 などを練 って 3 丸 めたも
あ
よう かん
あま
か
し
ひ
が
し
こん ぺい とう
せん べい
の)、羊羹などのボリュームと甘みのある菓子のことで、干菓子とは金平糖、煎餅な すい ぶん りょう
にじゅっパーセント
い
か
か
し
せい しき
こい ちゃ
おも が
し
うす ちゃ
ど、水 分 量 が 2 0 % 以 下 の菓 子 のことである。正 式 には、濃 茶 には主 菓 子 を、薄 茶 ひ
が
し
く
あ
き ほん
げん ざい
うす ちゃ
おも が
し
ひ
が
し
く
あ
には干菓子という組み合わせ 4 が基本だが、現在では薄茶に主菓子や干菓子を組み合 だ
し
き
かん
し ぜん
かたど
おお
き せつ
わせて出されることもある。どちらも四 季に関する自然を模った 5 ものが多く、季節 かん
も
あ
げいじゅつさく ひん
め
おお
たの
感を盛り上げて 6 くれるほか、芸術作品として、目でも大いに 7 楽しませてくれる。 ちゃ が
し
もと もと とく べつ かい きゅう
しょく
いっ ぱん てき
た
茶 菓 子 は元 々 特 別 階 級 で食 されて 8 いたもので、一 般 的 には食 べられていなかっ むろ まち じ だい
ぶ
し
せい しん
ぜん しゅう
むす
ぶ
け しゃ かい
ちゅう しん
ちゃ
ゆ
めい じ
じ
た。室 町 時 代 には武 士 の精 神 と禅 宗 が結 びつき 9、武 家 社 会 を中 心 に茶 の湯(明 治 時 だい
さ どう
かい しょう
はっ たつ
さ どう
かく りつ
ちゃ が
し
はっ たつ
代に茶道と改称 10)が発達し、茶道の確立とともに茶菓子も発達するようになった。 せん ご
さ どう
いっ ぱん か
ちゃ が
し
ひろ
し
戦後、茶道の一般化につれ、茶菓子も広く知られるようになった。
日本的茶菓子為襯托茶的美味,是不可或缺的食品。就全體來看,茶菓子的種類多到數 不清,但就茶道上來說,大致可分成主菓子(生菓子)和乾菓子兩種。 所謂的主菓子是指含水量較高的饅頭或麻糬點心、金團(豆子或薯類等攪拌揉合而成的食 品)、羊羹等有分量和甜分的點心;而乾菓子則是指金平糖、仙貝等含水量在 20%以下的點心。 在正式的茶道中,基本上是用濃茶搭配主果子、薄茶搭配乾菓子,但現在也會以薄茶搭配主 果子或乾菓子上茶。不論是哪一種,大多仿照和四季有關的自然景致,除了增添季節感之外, 也能當作藝術品讓視覺大大地享受樂趣。 茶菓子原本是特殊階級食用的東西,一般人是吃不到的。在室町時代武士的精神和禪宗 相結合,以武家社會為中心的茶湯(在明治時代改稱為茶道)發達,茶道的確立也讓茶菓子 一同發展起來。戰後隨著茶道的普及,茶菓子也變得廣為人知。
美食家的定番 まん じゅう
饅 頭 饅頭 もち が
し
餅 菓 子 麻糬點心 きん とん
金 団 金團 よう かん
羊 羹 羊羹 こん ぺい とう
金 平 糖 金平糖 せん べい
煎 餅 仙貝
131
廚房料理 用語集
96
食材 . 調味 うめ ぼ
しいたけ
とり
まつたけ
しめじ 鴻喜菇 きぬ
にく
とり
鶏むね肉 雞胸肉
にく
湯葉 豆皮
ぶた
うす ぎ
きざ
のり
むす
こん ぶ
にく
豚バラ薄切り肉 豬五花肉片
絹さや 豌豆莢
ぶた
まめ
にく
豚のひき肉 豬絞肉
エンドウ豆 豌豆
ぎゅう
牛ミンチ 牛絞肉
にら 韭菜
にく
ながいも
バラ肉 三層肉
長芋 山藥 ばんのう
め
ば
ば
刻み海苔 海苔絲 結び昆布 海帶結 やく み
薬味 辛香料 しち み とうがら し
七味唐辛子 七味辣椒粉
あつ あ
しお
ちくわ 竹輪
タラの芽 楤木芽
ゆ
いち み とうがら し
厚揚げ 油豆腐
万能ねぎ 蝦夷蔥
ふ
ちくわ麩 竹輪麩
あぶら あ
油揚げ 炸豆皮
たけのこ 竹筍
ほ たて
帆立 扇貝
とり
鶏もも肉 雞腿肉
松茸 松茸
一味唐辛子 辣椒粉 塩こしょう 胡椒鹽 あら び
くろ こ しょう
粗挽き黒胡椒 粗黑胡椒粒 うすくち
三つ葉 三葉芹
かまぼこ 魚板
パセリ 荷蘭芹
はんぺん 魚糕
濃い口しょうゆ 濃郁醬油 ( 一般常見醬油 )
つみれ 魚丸
小麦粉 麵粉
おお ば
大葉 紫蘇葉 ハーブ 香草
しらす 魩仔魚
オクラ 秋葵
ニジマス 虹鱒 さくら
薄口しょうゆ 清淡醬油 こ
くち
こ むぎ こ
かたくり こ
片栗粉 太白粉 はくりき こ
薄力粉 低筋麵粉 こ
桜えび 櫻花蝦
パン粉 麵包粉
かいわれ大根 蘿蔔嬰
かにかま 蟹肉棒
きな粉 黃豆粉
しょうが 生薑
むきえび 蝦仁
すりごま 芝麻粉
からし 黃芥末 だいこん
べに
紅ショウガ 紅薑
きす 沙鮻
たくあん 醃黃蘿蔔
煮干し 小魚干
97
に
こ
ぼ
調理道具
すいはん き
てっぱん
炊飯器 電鍋
鉄板 鐵板
でん し
電子レンジ 微波爐 たいねつよう き
おと
ぶた
落し蓋 比鍋子還小的蓋子,使鍋內
ホットプレート 電烤盤 む
き
的食材均勻入味 ま
耐熱容器 耐熱容器
蒸し器 蒸籠
巻きす 壽司捲簾
フライパン 平底鍋
ざる 篩籃
すりこぎ 研磨棒
たまご や
なべ
卵焼き鍋 煎蛋鍋
マッシャー 壓碎器
ホットプレート 燒烤盤 ま ほうびん
おお
やく
やく
小さじ 1:5cc、約 5g 1 小匙:5cc,約 5g たば
束 把
肉たたき 肉槌 アルミホイル 鋁箔紙
しゃもじ 飯匙
度量單位 . 切法
大さじ 1:15cc、約 15g 1 大匙:15cc,約 15g こ
菜箸 長筷 フライ返し 鍋鏟
ほ おんちょう り なべ
保温調理鍋 悶燒鍋
98
さいばし
にく
がえ
魔法瓶 保溫瓶
142
み
鶏のささ身 雞柳
エリンギ 杏鮑菇
み
がい
ツブ貝 螺貝
梅干し 醃梅
椎茸 香菇
び
尾 隻 たま
ごう
合 杯
玉 球
カップ 杯
ほん
まい
本 條
枚 片、朵
き
こぐち
切れ 塊
めん と
小口 切細末
ちょう
面取り 去掉切口的角
ぎ
丁 塊 こ
個 顆、個
みじん切り 碎末
ささがき 細長形 ( 外型似竹葉 )
ひとくちだい
せん ぎ
一口大 一口大小 うすぎ
パック 包
薄切り 薄片
ふくろ
ほそ ぎ
はこ
なな
おお
たんざく ぎ
袋 袋
ぼうじょう
棒状 棒狀 ろくとうぶん
細切り 細條
箱 盒
六等分にカットする 切成六等分
ぎ
斜め切り 斜切片
大さじ 大匙
短冊切り 細長形(外型似詩籤)
こ
ぎ
小さじ 小匙
いちょう切り 切片後再切成 4 等分(外
しょうしょう
少々 少許
型似銀杏)
てきりょう
わ
適量 適量
千切り 切絲
じゅうもん じ
十文字 十字形切紋 かく
ほうちょう
隠し包丁 劃刀紋 たてはんぶん
縦半分 縱切成半 はんげつ ぎ
半月切り 半月形
ぎ
輪切り 切成圓片狀
作法
99 つよ び
強火 大火
む
や
つまむ 夾、掐
蒸し焼く 烘烤、蒸煮
中火 中火
すりおろす 磨成泥
いぶす 燻烤
よわ び
したあじ
なが
ちゅう び
下味 事先調味
弱火 小火 こ
濾す 濾過
ちぎる 撕成
ひた
ち
浸す 浸泡
散らす 撒
あら
もみ洗いする 搓洗 こ
ま
もみ込む 揉搓
混ぜる 拌勻
あ
ざるに上げる 濾網去水 みず
き
き
お
と
溶きほぐす 打散
水を切る 瀝乾水分
し
つ
お
つ
かた
はんじゅく
お
のぞ
わたを取り除く 去除籽和白膜 せ
と
背わたを取る 去泥腸 すじ
と
のぞ
つ
にだ
ひと煮立ちする 滾一下
炒める 拌炒 に
こ
煮込む 燉煮 とお
つ
漬ける 醃漬
形容詞
けい
パリッ〔と〕 酥脆地
まろやかさ 味道醇和、順口
カラリ〔と〕 酥脆貌
やわ
柔らかい 柔軟的
ふっくら〔と〕 鬆軟地
トロトロ 黏稠
ふんわり 鬆軟地
なめらか〔な〕 滑溜的
シャキシャキ ( 咀嚼 ) 清脆聲
カチカチ〔な〕 乾硬的
サクサク 酥脆
に
煮詰める 煮至水分收乾
いた
さっぱり系 清爽型
パサパサ 乾巴巴
しんなりする 變軟
火が通る 熟透
ヘタを取り除く 去蒂
100
油切れ 去油
半熟 半熟
ひ
筋を取る 去筋
あぶら ぎ
ひたひた 水蓋過食材的狀態
押し付ける 按壓
じく
くぐる 放進,鑽過
のばす 攤平
アクを取る 撇去浮沫 硬い軸をそぎ落とす 切除硬梗
返す 翻面
とろみがつく 呈黏稠狀
砕く 弄碎
と
かえ
敷き詰める 鋪滿 くだ
切り落とす 切除
流しいれる 倒入
あま ず
甘酸っぱ 酸甜
ジューシー 多汁 くち
い
くち
なか
と
口に入れると口の中で溶ける 入口即化 は
歯ごたえ 嚼勁 あぶら
油っぽさ 油膩感 なまぐさ
生臭さ 腥膻味 はな
鼻にツンとくる 嗆鼻
のうこう
濃厚 濃郁 しみる 入味
143