VOL.5
新 -shin-
2021 SUMMER
K Y O T O
qui nosam venihit, consequis et aliquatis ut volut pre seque excepudant verupta tumqui volum quatem quia volu ommoloria corrum as enimilibus et que nullut es aut at.qui nosam venihit, consequis et aliquatis ut volut pre seque excepudant verupta tumqui volum quatem quia
ご き げ ん い か が ど す か ?
que nullut es aut at.
qui nosam venihit, consequis et aliquatis ut volut pre seque excepudant verupta tumqui volum quatem quia volu ommoloria corrum as enimilibus et que nullut es aut at.
-特集-
COVER DESIGN SOFIIA-STREKANOVA
“ 伝 統 ” を 超 えてい け Fashion / Art / Sweet / Spot
-03
新-shin-KYOTO ー あ な た の 知 ら な い 新 た な 京 都 が ここ に あ る ー
雑誌タイトル
-05
新たな京都に触れる旅
-shin-
一二〇〇年もの歴史を誇る古都・京都には今もなお、多くの伝統や歴史が息づいている。 そんな文化都市の印象が強い京都の新たな一面や魅力を紹介する雑誌、 「新 さぁ、私たちと一緒にあなたの知らない新たな京都に会いに行こう。
」。
K Y O T O
雑誌タイトル
撮影:大槻実礼
-07
特集
“伝統”を超えていけ -ART編CONTENTSー
003 坂田 雄介 止まらない金襴の可能性 005 給田 麻那美 暗黒時代を乗り越えた先の野望
007 林 侑子 伝統の青と白を活かした新たな伝統 009 西村 圭功 京の日常のかたちこの時代にふたたび 011 鐘ヶ江 英夫 古美術商の概念を超えた取り組み 013 野中 智史 伝統文化を二足の草鞋を履いて
002
雑誌タイトル
新-shin-KYOTO VOL.5 2021 SUMMER
COVER original_SOFIA-STREKANOVA design_Mire Otsuki 2021年7月15日発行 制作・発行 大槻実礼 製本・印刷 (株) プリントパック
001
-09
金襴の新たな可能性へ
「西陣
」 connect
坂田さんは工芸の枠を超え 様々な取り組みに挑戦している。
その内の一つがこの西陣織に よる世界で一つのウエディング
ドレスだ。
世界的に有名なファッション デザイナー ROGGYKEI とアウト サ イ ダ ー ア ー ト、 そ し て 加 地 金
襴の異色のタッグによって実現
し た。 西 陣 織 の 力 強 さ は 残 し た
ままポップでユニークな現代的
なデザインになっている。
KAJI-KINRAN
Recommended Product 1.OKASEMONますくLimited \1,300円(税別) 日本の寺社仏閣で古くから使われてきた唐草文 様を取り入れた上品なマスクは使いやすい4色 展開(ブルー・モカ・ブラック・グレー)
2.イスラム教の礼拝マット「舞華」¥33,000 (税別) 世界平和がコンセプトのこの作品には世界中の花々が楽しそ うに舞い踊る様子が描かれている.金襴織の特徴である豪華 絢爛さが存分に楽しめる.
坂田 雄介
-yusuke sakata-
PROFILE
1984年生まれ、埼玉県出身。大学では建築を学びハウス メーカーでに入社後、法衣店を営む義父の誘いを受け加 地金襴に入社.法衣製品を手がけてきた金襴織物の技術 を活かし様々な製品を生み出す.近年では、 イスラム教(ム スリム)向けに制作した礼拝マットが製品化を機に国内外 で開催されるハラール製品見本市に出展されるなど伝統 産業の垣根を超えた活躍を見せる.
加地金襴株式会社
〒602-0099 京都市上京区大宮通り西裏芦山寺上る2丁目竪社南半町225番地
004
雑誌タイトル
特 集 伝 統 を 超 え て い け Art Vol.1
金襴ー
業界の垣根を超えて
た ん で す よ( 笑 )。 元 々 マ イ ナ ス な イ メ ー ジ を
私が代わりにしてくれって感じでお願いされて
です。買収したもののデザインは出来ないから
る加地金襴が店をたたむのを義父が買収したん
でいてそこに法衣を卸す会社、今私が勤めてい
私が今の仕事をするようになったきっかけは 義父からの誘いです。妻の実家が法衣店を営ん
で現場監督の仕事をしていました。
メーカーに就職して、そこで10年くらい前ま
学では建築を専攻していました。卒業後はハウ
人間なんです。祖父が大工だった影響もあり大
―私は元々工芸との関わりは全くなかった側の
建築から工芸の世界へ
近ではドレスを織ったりアパレルの仕事も少し
それ以外にも現代のライフスタイルに合うよ うにクッションカバーやパネルスクリーン、最
りって感じです(笑)。
が 思 っ た よ り 多 く て …。 こ れ は 改 善 の 余 地 あ
ら っ た ん で す け ど、「 派 手 す ぎ る 」 と い う 意 見
を 活 か し た イ ス ラ ム 教 用 の 礼 拝 マ ッ ト で し た。
と思い、まず最初に考えたのが金襴の華やかさ
と、何か新しいことををしなければいけないと
う確信がありました。方向性を変えていかない
このまま同じことをしていたらダメになるとい
だったんですけど、寺業界の縮小もあって正直
たことが決め手でした。
人さんたちを見て素直に「かっこいい」と感じ
あったんですけど、京都で実際に仕事をする職
た ん で す。 元 々 も の づ く り が 好 き だ っ た の も
きに、何か新しいことに挑戦してみたいと思っ
可能性をこれからも見つけていきたいと考えて
化し続けなければ衰退していきます。私はこの
出る杭は打たれるというか…。でも、何事も進
な部分が実際あります。とても狭い世界なので
ー工芸の世界は新しいことに対してまだ否定的
工芸の未来を見据えて
実際に展示会に出展してイスラムの方に見ても
…。 い き な り で す よ ね( 笑 )。 当 時 は 現 場 の 仕
ずつしています。
関東のほうで仕事をしていたので、京都で職 人になる話を友人にしたら「京都の人って冷た
います。
技術、文化を守っていくためにも金襴の新たな いらしいから気を付けてね。」ってよく言われ
30手前になって自分の人生を見つめ直したと
事 も 楽 し か っ た の で お 断 り し た ん で す け ど、
―加地金襴も元々伝統的な仏教金襴を作る会社
いと感じています(笑)。
も持っていたからか、思ったより温かい方が多
芯の糸に金箔を巻き付けた金糸や細く 切った金箔を折り込み紋様を表した織 物のこと。 人形金襴や仏教金襴などの種類がある。
Art Vol.1
建築業界から工芸の世界へと飛び込んだ坂田さ ん。業界の垣根を超えた様々な取り組みをされ ている坂田さんから見た工芸の未来とは。
坂 田 雄 介
×
加 地 金 襴
003
鳥好きの野望 給田さんは家で鶏を飼ってしまう ほ ど の 鳥 好 き だ。 そ の 影 響 は 作 品 に も 出 て お り、 今 年 発 表 し た 作 品「 ぷ んぴよちゃん」はひよこの作品を作 りたいというところから制作が始 ま っ た。 そ れ ぞ れ に 模 様 が 異 な り、 見ていて飽きないぷんぴよちゃんシ リ ー ズ だ が、 給 田 さ ん は こ の ぷ ん ぴ よちゃんたちを使ってこれまでにな
Colorist
平面から立体へ 作家活動を始めた当初は落ち着いた色 彩を使用し、木の板や和紙などに描く平 面的でどこかに職人の色を感じる作品が 多かった。そんな彼女の作風が変化しだ したのは2018年に発表した「あいに」 からだ。 このころの心境の変化を彼女はこう 語った。 ー「このころから自分の個性を全面的に
主な受賞作品 2018 第4回藝文京展 / NHK 京都放送局長賞 2018 第14回大分アジア彫刻展 / 大賞 2021 Art Fair Tokyo 2021
い壮大な企画を準備中だという。 それが仏教にある 「五百羅漢」ならぬ 「五百ぷんぴよ」だ。 五百羅漢の世界観を 500体のぷんぴよ ちゃんたちで表現す るという、まさに給 田さんにしかできな いこの企画が一体ど のような形で実現す るのか、今後の展開 に目が離せない。
1985年生まれ、京都府京都市出身。幼いころから職人に 憧れ京都市立銅駝美術工芸高等学校漆芸科を卒業後、寺 院色彩工房に弟子入り。約8年間の修行を積み2013年独 立、京都市上京区にゑ鈴工房を設立と同時にアーティスト 活動をスタートさせ、現在では後継者育成にも力を入れて いる。
PROFILE
出せるようになったように思います。職 人として仕事をする上で最も重要なのは
京都市と京都市の姉妹都市であるイタリアの パリ市が合同開催するアートイベントにおい て革職人の Michel Pochonsann さんとタッグを 組み完成した作品。石のモチーフに細かい花の 装飾が施されている。 愛らしさをテーマにした作品。 別名「おしりちゃん」。赤ちゃ んのおしりをモチーフに、色鮮 やかな花々で愛らしさを前面に 表現している。
自分の個性を出さないことなんです。言 われた内容にきちんと応えることが全
現代美術家として作った最初の作品。木の持つ独自 のやわらかな色合いを女性の肌に見立てデザインの イメージを膨らませていったという。
てっていう感じで。私もそれまで10年 近く職人としてやってきていたので、初 めのうちはその感覚が抜けない部分が あったんだと思います。」 そう語る彼女は、常に新たな表現方法 を模索し進化し続けている。 今 後 ど う い っ た 作 品 が 生 ま れ る の か、 「現代美術家給田麻那美」が作り出す今 後の作品が楽しみで仕方がない。
-manami kyuta-
給田 麻那美
「The Sleeping Stone」(2019)
「抗う女」(2016)
雑誌タイトル
006
-011
Works of Art
「あいに」(2018)
特 集 伝 統 を 超 え て い け Art Vol.2
当時興味があった介護福祉の学校かですごく悩
絵お描くことが好きだったので美術系の学校か
す。高校の進学先を決めるにあたって、昔から
―私がこの世界に入ったのは高校生の時からで
紆余曲折な道のり
理だと思います(笑)。
とか耐えれていましたが、もう今は体力的に無
す。あの頃は20代という若さのおかげでなん
師匠のお手伝いをしたりしていた記憶がありま
う感じで、休みの日でさえ買い出しに行ったり
日々でした。寝る時間以外はほとんど仕事とい
なと思っていた時に蒔絵の工房がアルバイトを
て い ま し た( 笑 )。 そ ろ そ ろ ち ゃ ん と し な い と
やガラス工房で働いたりと2年ほどふらふらし
ので、一旦生活資金を稼ぐためにバーテンダー
他にもいくつかあたったんですけどダメだった
えたんですけど、あっさり断られてしまって…。
取っている先生に自分も弟子入りしたい旨を伝
よ う と 決 め て い ま し た。 自 身 の 工 房 で 弟 子 を
このころからアーティストになりたいと思っ ていたので、高校卒業後は進学せず弟子入りし
道に進もうと決めました。
だったんです。その出来事がきっかけで美術の
なので、これからもしっかりと弟子の育成は していきたいですし、自分から小学校へ教えに
いくことだと思うんです。
が持っている技術を次の世代の人たちに伝えて
思っています。そのために私ができることは私
たち職人には伝統を守っていく責任があると
いと技術も上がりません。そんな世の中でも私
きが悪いと仕事も回ってきませんし、仕事がな
が、その一番の原因はお金なんです。お金の動
退していることは皆さんもご存知かと思います
ー私は今、仕事や作家活動の他に弟子の育成に
次の世代を育てる
寺院彩色師としてはお寺の天井絵などを主に制作している。
も力を入れています。伝統工芸の世界が年々衰
募集している情報を目にしたんです。 「ここだ!
行ったりする機会も今後作っていきたいです。
で す け ど、 振 り 返 っ て み れ ば か な り ハ ー ド な
―そこに住み込みで8年ほどお世話になったん
仕事漬けの8年間
思ったのが今の道に進んだきっかけですね。
中で漆よりもこっちの方が自分に合っていると
弟子入りした工房が偶然にも蒔絵だけじゃな く彩色の仕事もしていて、彩色の仕事を手伝う
弟子入りさせてもらいました。
ここしかない!」と思い、なんとか頼み込んで
徒が制作した漆の作品が美しくてとても素敵
んだんですけど、オープンキャンパスで見た生
Art Vol.2
寺院彩色師としてだけでなく現代美術家として も活躍の幅を広げる給田麻那美さん。そんな伝 統を超えた活躍をみせる彼女の素顔に迫る。
寺 院 彩 色 給× 師 田 麻 那 美
005
伝統が生み出した
必要です。引き出しが多ければ多いほど選択肢 和 菓 子 の 伝 統 技 法「 鋏 菊 」 か ら
「土鋏(つちばさみ)」ー
新たな技術
も増えますし、表現の幅も広がります。それが 着想を得て生まれた林さん独自
器に鋏を入れていく
Ceramic
えるものだと思っています。どんなひらめきに もそこに辿り着くまでのプロセスがあって、そ のひらめきに辿り着くためには日頃から自分の
センスの良さに繋がっていくと思うので、自分 の装飾技法。
中にアイデアの引き出しを増やすための努力が
はセンスがないと思っている方も一度、自身の
主な活躍 2017年 第39回京焼・清水焼展 京焼・清水焼伝統工芸士 会会長賞を土鋏花器が受賞 2018年 神戸アートマルシェ2018 アーティスト支援プロ ジェクト 『Artist meets Art Fair 2018』入選
1981年,京都府京都出身。100年以上の歴史を持つ窯元「 紅村窯」の三代目林克行の長女として生まれる。高校を卒 業後はアパレル業界に就職するも、父の誘いを受け四代 目として家業を継ぐことを決意。現在は二児の母でありな がら、独自に生み出した技法「土鋏(つちばさみ)」を用い てこれまでにない新たな清水焼の姿を作り出している。
PROFILE
引き出しを増やすことから始めてみて下さい。 土を丸く成形し頂点から順々 に 鋏 を 入 れ て い く。 大 き い 作 品 になると鋏を入れる階数は 回以上にもなるという。
どにも挑戦している。
や、 色 を 使 っ た 鮮 や か な 作 品 な
チーフとした動きを持った作品
年では草木などの自然物をモ
た 温 か み あ る 照 明 を は じ め、 近
紅村窯独自の西施白磁が持つ 特有の光が透ける性質を活かし
は語った。
色 で あ り、 魅 力 で あ る と 林 さ ん
こ そ が「 土 鋏 」 に し か 出 せ な い
学模様のようなラインの美しさ
こ の 何 百 回、 何 千 回 に も 及 ぶ 切り込みによって生まれる幾何
に根気のいる作業だ。
り、 細 か い だ け で な く 想 像 以 上
筆を使って水分を補う必要があ
が 入 ら な く な る た め、 こ ま め に
「土鋏」は土が乾燥しすぎると鋏
2 0 0 0
紅村窯伝統の青と白 紅村窯にはこれまで繋いできた伝統的な陶磁 器がある。それが青磁、白磁だ。 年に初代の林永次 紅村窯の歴史は 郎さんが岐阜県からこの茶わん坂へ移り住み作
らかな白さと透光性か
せるような独特のやわ
東洋美人の肌を連想さ
一般的なものと異なる。
ものは使用する釉薬が
磁に関しては紅村窯の
来の青磁よりも深い色合いが特徴だ。また、白
青磁は中国古来の砧青磁をベースに土や釉薬 などの原材料を紅村窯独自の割合で配合した本
白磁、青磁の原型を確立させた。
二代目の林円山さんが現在の紅村窯を代表する
陶を開始した所から始まる。永次郎さんの弟で
1 9 1 5
ら「西施白磁 」と呼ば れている。
雑誌タイトル
008
-yuuka hayashi-
林 侑子
-013
Art Vol.3
「茶わん坂」の呼び名を持つ清水寺の参道にある 窯元「紅村窯」。今回は、そこの四代目としてこ れまでにない華麗な清水焼を作り出す林侑子さ んにお話を伺った。
きっかけは父の一言
も無くてなかなか思うような作品が作れない
て作家活動を始めたのに、考えれば考えるほど
日々が続きました。自分らしい作品を作りたく
す。それまではアパレルのショップ店員にオペ
世の中のニーズや売れるためのことばかり考え
歳の時で
レーター、そのほかにもお弁当屋さんや料亭で
てしまって…。気づいたらものづくりを楽しむ
―私が工芸の世界に入ったのは
働いたこともあります。私は元々好奇心旺盛な
心さえ忘れていました。
て教えを乞いました。職人の世界は想像以上に
そこからは陶芸の学校に入学して基礎的なこ とを学ぶと同時に、三代目での父に弟子入りし
う気持ちもあり、継ぐことを決意しました。
れまで百年近く繋いできた伝統を守りたいとい
ころから見てきていたので正直、曾祖父からこ
たですし、焼き物を作る父や祖父の背中を幼い
そんな風に言ってもらえたのはとても嬉しかっ
向いていると思う」という言葉でした。父から
に至ったきっかけは父の「侑子は物を作るのに
にありませんでした。そんな私が陶芸を始める
く興味がなかったので、家業を継ぐつもりは特
た り だ と 思 い ま す( 笑 )。 当 時 の 私 は 陶 芸 に 全
自分を一言で表現するなら「猪突猛進」がぴっ
日頃から水族館へ行ったりちょっといいお店で
ればダメなんです。なので、それからは私自身
り手自身がその作品に感動し、心動いていなけ
だからこそ言えることなんですけど、人を感動
きないもんなんですよ。そのことに気づいた今
くて…。そんな状態で良い作品ってやっぱりで
ないことに対する焦りから、心に余裕が全くな
ちだと思ったんです。その頃の私は上手くいか
ました。その時、今の私に必要なのはこの気持
やその世界観の素晴らしさにとても心動かされ
を目にしたんです。彼が作り出す美しい和菓子
きっかけになった菓道家の三堀純一さんの動画
―そんなとき偶然にも今の私の作風を確立する
センスは磨くもの
させる作品、心を動かす作品を作るためには作
厳しくて、紅村窯伝統の「西施(せいし)白磁」
食事したり、旅行したりしてそういった心動い
た瞬間や感動をたくさんストックしてアイデア
紅村窯では一般の方向けの陶芸教室もしてい るんですけど、生徒さんからよく「私ってやっ
の引き出しを増やすようにしています。 い作品を作りたいと思い、作家活動を始めまし
ぱりセンスないな」といった言葉を耳にします。
年頃からもっと自由に私らし た。現在は独自に生み出した装飾技法である「土
センスは才能だと思っている方も多いと思いま
―私は
鋏( つ ち ば さ み )」 と い う 武 器 が あ り ま す が、
すが、私はセンスは才能だけじゃなく努力で補
思い悩んだ日々
を体得するまでに十数年はかかりました。
な ん で も や っ て み な い と 気 が 済 ま な い ん で す。
性格なので、やりたいと思ったことはとにかく
2 1
活動を始めた当初は今みたいに自分だけの武器
2 0 1 6
林 侑 子
×
陶 磁 器
特 集 伝 統 を 超 え て い け Art Vol.3
007
ミリ単位の世界
村 さ ん の 作 品 は、 伝 統 工 芸 の 枠 を超えて日本国内だけでなく海
ることで生まれる撓めにしか表
とどまろうとする力とが融合す
す る 力 と、 そ れ と 対 照 的 な 漆 の
て い る。 欅 の 持 つ 元 に 戻 ろ う と
は作家活動を通して名前を知っ
ア な 理 由 で し た。 し か し、 今 で
いくのが厳しかったというシビ
言うと職人の仕事だけで食べて
ー「 作 家 活 動 を 始 め た の は 実 を
外でも注目を集めている。
現 で き な い 有 機 的 な 曲 線 美。 撓
て い た だ い た お か げ で、 職 人 と
挽く技術は長年の経験が必要不
リ。 光 さ え も 通 す ほ ど の 薄 さ に
漆 は ア ジ ア 特 有 の 技 術 で す。 今 後 は、 こ の 漆 の 美 し さ を 国 内
実感しています。
Lacquer
京の「日常のかたち」を再び 「撓め(たわめ)」ー を吸い込ませることで形をつく
アサギ椀プロジェクト
る手法のこと。
轆轤で薄く挽いた欅の木地に漆 「京都の漆器を次の世代に受け継ぐには・・・」
めは京漆器の特徴の一つである
しての仕事をもらえるように
撓 め( た わ め ) と い う 手 法 で 京塗りの新たな可能性を模索し
制作している西村さん。
漆職人としての仕事をする一 方、 作 家 と し て も 自 身 の 作 品 を
京都市伏見区で漆器製造業を営んでいた木地 師(きじし)の石川光治さんのそんな一言から 全ては始まった。かつての京都には「アサギ椀」 という庶民にまで愛される常の椀があった。こ の「アサギ椀プロジェクト」は京都ならではの 美しさを持つその椀をもう一度蘇らせたいとい
木地の薄さを活かした手法であ
な っ た り …。 発 信 力 の 大 切 さ を
可 欠 で あ り、 ま さ に 職 人 技 そ の
だけでなく海外に向けてもどん
主な活躍 2015年 京漆器展/京都府知事賞 2016年 京漆器展/京都市長賞 個展「西村圭功展ー塗りたてー」 個展「西村圭功展」
う想いと京漆器が抱える課題と向き合うために
ミ
も の だ。 漆 器 で あ り な が ら 懐 か
どん発信していきたいですね。」
り、その薄さはおよそ
しさではなく新しさを覚える西
1966年、京都で漆器の塗師(ぬし) を生業とする西村家の 二代目西村圭功の長男として生まれる。京都市立銅駝美 術工芸高校漆芸科を卒業後、 京塗りの代表的な塗師・三 代目鈴木表朔の下で9年の修業を積み、家業の後継ぎと して独立。2008年には三代目西村圭功を襲名し、職人とし てだけでなく作家としても活躍の場を広げている。
PROFILE
漆に関わる職人たちが立ち上げたプロジェクト である。 漆器は高価なイメージからかお正月や特別な 場で使用されることが多く、現代人の生活から
は縁遠いものになりつつある。しかし、西村さ
んはこのプロジェクトを通して漆の器が日常に 溶け込み、当たり前のように手のひらに抱くこ とで開かれる感性が未来へと受け渡されてほし いと願う。
日常を彩るアサギ椀
雑誌タイトル
010
-keikou nishimura-
西村 圭功
「木地見せ撓め盆」 西村圭功
3
0 ・
-015
四 十 年 に な り ま す が、 今 で
「漆って面白い」
工芸の世界では分業制が結 — 構 一 般 的 で、 漆 も 例 外 で は な
も初めて漆を触った時の感
ーこの仕事を始めてもう
く未だにほとんどが分業制の
情が仕事をする上でのモチ
閉 め 切 っ た 状 態 で し た し、 邪
す。 な の で、 作 業 中 は 部 屋 を
塗 り の 作 業 っ て、 と て も 繊 細で埃が入ったらダメなんで
ど見たことがありません。
父が作業している姿はほとん
事はなかったですね。むしろ、
し れ ま せ ん が、 意 外 と そ ん な
われた方もいらっしゃるかも
ろから漆に触れて育ったと思
仕 事 を し て い た な ら、 幼 い こ
門 学 校 の 授 業 で。 家 が 塗 師 の
の 時 で す。 進 学 し た 工 芸 の 専
初めて漆を触ったのは高校生
家業を継ぐのは子どものこ ろ か ら 決 め て い た ん で す が、
ちな理由ですよね(笑)。
か ら で す か ね …。 一 番 あ り が
から代々この仕事をしていた
す。 き っ か け と し て は、 祖 父
あ っ た か ら 今 で も「 漆 っ て
広 が り ま し た。 こ の 経 験 が
で確実に自身の表現の幅が
出 来 ま し た し、 そ の お か げ
と、 考 え 方 に 至 る ま で 本 当
的なことからアート的なこ
な こ と を さ れ る 方 で。 技 術
用 す る な ど、 と て も 前 衛 的
に透明なアクリル樹脂を使
ま し た。 師 匠 は 作 品 の 素 材
師匠も職人としてだけで な く、 作 家 活 動 も さ れ て い
ていると感じます。
ことが自身の糧として生き
の鈴木雅也師匠に教わった
活動をする上で京都一の漆
動 も し て い ま す。 こ う し た
雲」を立ち上げたり作家活
今 は 塗 師 の 仕 事 に 加 え、 一般の方向けのブランド「天
ベーションになっています。
魔にならないように子どもな
面白い」って思えているの
そ の 中 で 私 は 漆 を 塗 る「 塗 師(ぬし)」の仕事をしていま
世界です。
塗師になるきっかけ
Art Vol.4
京都市北区に位置する西村圭功漆工房で三代目 と し て 漆 の 魅 力 を 発 信 し 続 け て い る 西 村 さ ん。 そんな彼の伝統を超えた挑戦について伺った。
がらに静かにしていた記憶が
かもしれません。
に多くのことを学ぶことが
職 人 で あ る「 三 代 鈴 木 表 朔 」
あります(笑)。
表面の埃をとり、フロに入れ7 分おきに上下を回転させなが ら乾かして完成.
サビ付けを地付け同様に行 い、砥石で研ぎ漆を摺り込み ながら形を整えたら、漆を上
木地固め、紙張りの後に砂と 水と漆を混ぜた「地」を外 側、内側それぞれに2回ずつへ ラ付けする.
ケヤキの木材を使用し、土台 となる器を作る.この時、透け るほど薄く挽く必要がある.
西 村 圭 功
×
漆 器
特 集 伝 統 を 超 え て い け Art Vol.4
漆器が出来るまで-
→ → →
009
こうした問題に加え、「技術 を持った作家は現代にもたく
そこで立ち上げたのが「 Japanese sculpture next 100
「都市鉱山
プロジェクト」
近頃話題になった東京オリンピックのメダルを トなど持続可能な社会に向けての取り組みが注目
さんいるのにそれを買う買い は The north face で有名な 株 式 会 社ゴールドウインさんとも
される中、鐘ヶ江さんもこうした取り組みに意欲
リサイクル金属で作るみんなのメダルプロジェク
しい作品でも売れなければ お仕事を さ せていた だいていま を示す。
」です。また現在 years project
アーティストは生活できませ す。
手 が い な い。 ど れ だ け 素 晴 ら
ん。僕はもともとデザイナー、
年までに都市
鉱山
% の 制 作 を 目 標 に 掲 げ て お り、 そ の
現在古美術商鐘ヶ江では
作り手だった経験があるので
新しい取り組みは大変なこと も 多いで す が、 もっと こ ういっ
彼らの苦しみや努力は理解で
古美術商鐘ヶ江
第一歩として⾦⼯⾃在置物作家の満田晴穂が現在
〒603-8215 京都府京都市北区紫野下門前町43
2 0 3 0
た 業界 を 超え た 取り組みを 通
1980年京都府京都市出身。京都の中でも有数の進学校 である堀川高等学校を卒業後、京都造形芸術大学建築デ ザインコースへ進学しデザインを学ぶ。学生時代にはコン ペで賞を取るなどの実績を残し、建築のデザイン会社へ の就職を決めるも父親からの誘いを受け実家の古美術商 を継ぐことを決意。以来、古美術商としてだけでなく様々な 試みで工芸界に革新を引き起こしている。
「自在蟹型二股鍬形」 満田晴穂
Antique dealer
PROFILE
2 0 3 0
―「工芸には良質な素材が必要不可欠で すから、環境の向上が工芸の向上に繋が ります。この取り組みが成功すれば、日 本の工芸から世界を変えられる日が来る かもしれません。」
-hideo kanegae-
鐘ヶ江 英夫
1 0 0
き ま す し、 理 解 で き る か ら こ
卓越した技術、超絶技巧の作家たちをアスリートに見立て、現代的 なサポートをしていくため、様々なパートナーとタッグを組む共創プ ロジェクトである。 また、 自然環境やその素材と向き合い、未来へ残 せる新たな工芸の姿を作り出す。
都市鉱山の金属で制作中だという。
—"Artist"もまた"Athlete"である—
して工芸の輪を 広 げていき たい
「KOGEI Next」
そ何か手助けができないかと
100年、200後も色褪せない魅力的な現代美術を今この時代で作ろ うと鐘ヶ江さんが立ち上げたプロジェクトだ。現在誰にも真似出来な いような超絶技巧を持った作家たちが参加し、未来へ誇れる素晴ら しい作品の数々を生み出している。
ですね。
「Japanese sculpture next 100 years project」
日本が誇る超絶技巧の数々ー
—工芸を新たなステージへ—
ずっと考えていました。
「流刻」 鍛金作家 本郷真也 「ロボットの手」 彫刻家 前原冬樹
雑誌タイトル
012
-017
Art Vol.5
京都府北区に位置する大徳寺の門前に店を構 え る 古 美 術 商 鐘 ヶ 江。 そ こ の 三 代 目 と し て 現 代 の 美 術 界、 工 芸 界 に 革 命 を 起 こ す 鐘 ヶ 江 英 夫さんの伝統を超えた活躍に迫る。
鐘 ヶ 江 英 夫
古 美 術 ×商
特 集 伝 統 を 超 え て い け Art Vol.5
古美術商鐘ヶ江のギャラリーには彫刻、漆芸、金工などさまざまな魅 力的な作品が展示されている。鐘ヶ江さん本人がデザインした和モダ ンな店内は現代の美術作品にも馴染み、来客をあたたかく出迎える。
た。 き っ か け は や は り 大 学 で デ
ているとは想像できませんでし
い ま す が 僕 自 身、 こ の 仕 事 を し
今は古美術商という仕事をして
かくサッカー一筋な少年でした。
で 休 み の 日 も 練 習 し た り、 と に
―子ども頃の夢はサッカー選手
デザインとの出会い
けました。
ザインできないかと思い引き受
話 が 出 て、 美 術 商 と し て 何 か デ
そんな時に父から実家の古美 術商鐘ヶ江を継がないかという
あったんです。
ていけるのかという不安が正直
築デザインの世界で自分がやっ
勉強漬けの毎日で…大学では
だ っ た こ と も あ っ て、 と に か く
合格者を数多く輩出する進学校
として知られる京都大学に現役
た堀川高等学校はあの難関大学
らなんです(笑)。僕が通ってい
いうと勉強から逃げたかったか
芸術大学に進学した理由は実を
や工芸界に対して疑問や問題点
学 ぶ 中 で、 僕 の 中 で 今 の 美 術 界
ら 始 め ま し た。 そ う し た 知 識 を
についての知識を深めることか
古美術商鐘ヶ江が扱う商品など
て か ら は ま ず 美 術 や 工 芸、 ま た
―古美術商鐘ヶ江を継ぐと決め
美術界を取り巻く問題たち
ザ イ ン に 出 会 っ た こ と で す ね。
もっと自分が興味あることを学
が 浮 か び 上 が っ て き た ん で す。 周りの古美術商は口をそろえて
ぼうと思いデザインが学べる京
都造形芸術大学に進学しました。 「 今 で は こ ん な 作 品 は 作 れ な い 」
ど も あ り、 建 築 デ ザ イ ン を し て
た建築のコンペでの受賞経歴な
学 び ま し た。 学 生 時 代 に 参 加 し
―大学では主に建築デザインを
美術商としてデザイナーと いう新たなスタイル
作品でさえも超えられる可能性
化 し た 工 芸 作 品 を 作 れ る、 古 い
芸家たちの作品を見てもっと進
で す が、 僕 は そ れ 以 上 に 現 代 工
作品の価値が高いのはもちろん
は 問 題 だ と 思 い ま し た ね。 古 い
と 言 い ま す。 古 い も の こ そ 価 値
いる会社から内定を頂きました。
を感じました。
が あ る と 思 い 込 ん で い る。 こ れ
ホ ッ と し た 反 面、 競 争 社 会 の 建
011
日本の美を未来へ ―今は東山区のあしぎ路地にある い た だ い て い ま す が、 仕 事 内 容 と 受け持つ分業制が一般的である。
「棹」 「皮 三味線づくりは昔から「胴」 張り」の主に三つの作業をそれぞれが
三位一体で作り出す―
しては修理やメンテナンスの依頼
自身の工房で細々と仕事をさせて
が ほ と ん ど で す。 や は り 私 が こ の 野 中 さ ん は そ の 中 で も「 棹 」 を 担 当 する職人だ。
職人の技
①
②
③
④
Shamisen Craftsman
業界に入ったころよりもかなり縮 小 し て い る と 感 じ て い ま す。 最 近 で は、 コ ロ ナ 渦 の 影 響 も あ っ て 歌
作業工程
①花梨や黒檀、紅木などの硬木を棹の形 に削っていく。 ②棹の「つら」は平らに、背は丸みを帯 びた形状になるよう鉋を丁寧にかけ、 砥石で研ぎツヤと精度を出していく。 ③1本の荒木から木材の歪みを無くすため に3分割したパーツ(「上棹」「中棹」 「下棹」という)を、継手の技術で1本 になるように繋ぐ。
舞伎や演芸に限らず宮川町の京おどり
1982年京都府京都市生まれ。幼いろから暮らしの中に三 味線があったこともあり、自身も三味線を始める。高校を 卒業後、工芸の専門学校で工芸について学んだのち、三 味線の老舗専門店「今井三絃店」へ弟子入り。2008年には 京都・東山のあじき路地で工房を開設し現在、京都のみに 伝承されている地唄三味線の流派「柳川三味線」 をはじめ とする数種類の三味線を製作。 また座敷やイベント等にも 出演し奏者としても活躍している。
PROFILE
や祇園の都おどりなど京都の伝統行事 もほ と ん ど が 中 止 に な っ て し ま っ
て…三味線を披露する場や機械も
野中さんの手により美しく生まれ変わった棹
野中智史工房
なかなかありません。 私は三味線には日本の美しさが 詰 ま っ て い る と 思 う ん で す。 心 の 芯にまで響くあの音色はもちろん、
スッと体に馴染む美しくて柔らか い フ ォ ル ム も。 日 本 人 の 感 性 で し か作ることが出来ないこの魅力あ る楽器をもっと多くの人に知って もらいたいです。 そ の た め に も 私 自 身、 こ れ か ら も 職 人 と し て だ け で な く、 奏 者 と しても三味線の魅力を多面的に発 信 し て い く つ も り で す し、 こ れ を 今読んでくださっている読者の皆 様 も 一 度、 気 軽 に 邦 楽 の 世 界 に、 三味線に触れてみてほしいですね。
〒605-083 1京都市東山区大黒町通松原下る2丁目山城町284南3.4号
雑誌タイトル
014
-satoshi nonaka-
野中 智史
-019
た 頃 か ら 三 味 線 が 暮 ら し の 中 に あ っ た ん で す。
り、家族も踊りや楽器をしていたりで物心つい
ういった花柳界の人たちとの付き合いがあった
がお茶屋さんをしていたので芸妓さんだとかそ
三味線って正直今の若い人にはあまり馴染み のない楽器だと思うんですけど私の場合、祖母
らこの仕事をしていたっていう感じで…。
な い ん で す よ ね( 笑 )。 ほ ん と 自 然 に 気 づ い た
は特にこれといったきっかけがあったわけじゃ
―私が今のこの仕事をするようになるまで、実
暮らしの中にあったもの
てお仕事をいただけ
独立して一職人とし
甲斐もあって今では
に教えていただいた
すけど、そんな師匠
厳しい人だったんで
く高台寺の近くにある三味線の老舗専門店「今
学校)に進学しました。卒業後は職人になるべ
校、京都伝統工芸専門学校(現京都伝統工芸大
のことをもっと学びたかったので工芸の専門学
るのも方法の一つでしたが、私はその前に工芸
ので、今では心から
感謝しています。
(撮影:前崎信也)
野中さんが修理した三味線
井三弦店」で修行を積みました。師匠はとても
なので、自然と興味をもってそのままの流れで
るようにまでなった
Art Vol.6
京都府東山区にある多くの若手作家が暮ら す「あしぎ路地」。その一角に構える自宅兼 工房で職人として、時には奏者として三味線 を通して伝統を支える野中智史さんを取材 した。
自然と今の職に辿り着いたっていう感じです。
奏者から職人へ ―今は職人、作り手側のお仕事がほとんどです けど、昔から職人を目指してたわけじゃないん
芸術音楽 地歌 地歌筝曲 長唄 浄瑠璃 人形操り:義太夫節 歌浄瑠璃:常磐津/清元 河東/新内 豊後/宮薗
です。高校生の頃までは奏者として活動してい ました。私は常磐津節というジャンルをやらせ
三味線歌曲:端歌 うた沢
ていただいて、実際に芸妓さんの横で演奏する 地方(じかた)の仕事をいただいたりもしてい ま し た。 当 時、「 高 校 生 な の に 大 人 っ ぽ い ね 」 とよく言っていただきましたが、今思えばそう いう仕事をしていたことが関係していたのかも しれません(笑)。
民謡(祝歌・労作歌・地域の歌等)
民法音楽
演奏することはもちろん好きでしたが、その ころから三味線を自分で作りたいなという気持 ちがだんだん大きくなってきて…高校を卒業す るころには職人になると決めていました。 職人になる上で、いきなり工房に弟子入りす
【三味線の伝統的な演奏ジャンル】
野 中 智 史
三 味 線 職 ×人
特 集 伝 統 を 超 え て い け Art Vol.6
013
SHIN-KYOTO VOL.5