NIHON ART JOURNAL July/August, 2012

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日 本 矎 術 随 想

銅造獅子氎滎 10×4×7.5cm

モノの心・圢 の心

銅造獅子氎滎

日本人は、癟獣の王ず讃えられる獅子 ラむオ

ンを実芋するこずなく、仏教䌝来ず同時に、聖

獣・瑞獣・霊獣ずしお獅子を受容した。

実 際 の 獅 子 に 日 本 人 が 出 逢 う の は、 慶 応 二 幎

䞀八六六を埅たねばならない。

神 仏 を 守 è­· す る 狛 犬 ず の 僻 邪 侀 察。 牡 äž¹ に 遊

ぶ 獅 子。 招 犏 を 箄 束 す る 獅 子 舞 な ど、 受 容 埌 の

掻躍を䟋瀺するのに事欠くこずはない。

ず も あ れ、 獅 子 奮 迅 の 働 き を な し、 心 äž­ の み

ならず獅子の身䞭に虫をも逊った。

さお、掲出だが、これたでの䌝統的な獅子ずは

様子が違う。少なくずも嚁颚堂々になく、人な぀

こい飌い犬の颚情をみせおいる。銖に蓄えた鬣も

穏やかならば、匷調された尻尟も腰䞋に䞋げおお

り、衚情にも媚びが色濃い。そしお、投げる芖線

は䞭空ずいうか、䞊方に向けられおいる。

䜕かを蚎えおいるかのような瞳の先に、ふず、

文 殊 菩 薩 を 感 じ た。 獅 子 の 仕 草 が 背 に 茉 っ お

欲しいず文殊に蚎えおいるようにも芋えなくな

い。文殊菩薩は獅子を台座にしお知恵を駆䜿し お衆生を救枈する。

䞍思議な姿の銅造獅子の氎滎から、文殊の知

恵を獲埗すべく氎滎に倉身したのではないかず

独り合点するこずになった。

獅子の口先から吐き出される氎は、文殊菩薩

か ら 授 か る 知 恵 の æ°Ž な の だ。 獅 子 æ°Ž 滎 で な く、

知恵の氎滎ず呌んでみようか。䜜期には宀町を

想定しおいるが、確蚌はない。

䞻筆・森川最䞀

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オヌクションハりス叀裂會提䟛 68回・9月開催出品


むくげ

朚槿の䞀茪生け

衚玙

裏衚玙

八月の花 茶碗蓮の眮生け

䞃月の花 すすき真に癟合請の立華

い ぐさ

花材  茶碗蓮・瞞ふずい・藺草

ずおも小さな茶碗蓮を䞀花䞀葉に甚い、瞞ふずいず藺草を

花噚  李朝癜磁䞞壺 高さ䞀䞃㎝ 、巟䞀九㎝ 

花材  矢 筈 す す き・ 桔 梗・ 笹 癟 合・ 鳎 子 癟 合・ 薊・ 倏 は ぜ・ しゃが・杉

取り合わせた眮生け。それぞれの花材は壺の底に仕蟌んであ

花噚  銅造広口䞭蕪立華瓶 高さ二䞀㎝ 、巟䞉䞀・四㎝ 

す す き 数 本 を 真 ず し お 甹 い、 æ­£ 真 に 桔 梗、 請 に 笹 癟 合、 くさもの

控に鳎子癟合を取り合わせお、党䜓を草物がちに調えた立

る剣山に挿し留めおすっきりした立ち姿に仕䞊げおある。

茶 碗 蓮 は 小 圢 の 園 芞 品 çš® で ふ ぀ う は 花 の 目 埄 が 侀 二㎝

華。広口の噚に氎をなみなみず匵っお梅雚の終りごろの季

前埌、草䞈は五〇㎝ 前埌、長い葉柄の頂に぀く葉は二〇∌

くさいっ

草物を真に甚いる堎合、草物のみを取り合わせる﹁草䞀

節感をかもしおいる。

二五㎝ になる。䜜品に䜿甚したのは早咲きさせたものでふ

しき

぀うサむズの半分にも満たないが、䞀花䞀葉が壺の䞭から

き もの

え合わせお、力匷さの出せる朚物の倏はぜを䞭段や䞋段に

色﹂の立華にもできるが、存圚感のある花噚ずの調和を考

姿になっおいる。曎に氎物のふずいや藺草を添えるこずで

立ち䌞びおいるかのように扱うこずで気品のある蓮らしい

ずはいけばな花材を分類する甚語の䞀぀で、蓮や河骚、葊、

氎蟺の颚情たでも思い起こさせる䜜品である。なお、氎物

みず もの

花䌝曞には﹁倏山の草葉のたけぞしられけり。去幎みし小

甚いおいる。草の真に朚を取り合わせる心埗ずしお、叀い

す す き の 真 は、﹁ 葉 付 き 面 癜 き を 芋 立 お、 も し は た ら き

束ひずしなければ﹂の歌が匕甚されおいる。

しかも気品の高い花圢に仕䞊げるいけばなは、叀くから茶

䜜品のように、数少ない花材を芏矩に瞛られるこずなく、

おかもの

ふずいなど沌や池に生育するものの総称。これに察し、陞 しん

なき時は、二本合わせお䞀本に芋ゆるように现工しお挿す

䞊に生育するものを陞物ずいう。

すすき

べ し﹂ず か﹁ 薄、穂に出るずきは 䞀本におも心にすべき﹂

人 に 奜 た れ、 江 戞 時 代 の 初 期 に は、 ﹁抛 入花﹂ず呌ばれお

などずされる花材で、穂のない倏のすすきは葉のなびきを 効果的に働かせお扱うず芋映えがする。真のほか、副や請

もろこし

いた。文字通り、噚に花材を投げ入れるのが本来なのだが、

なげ いれ はな

やあしらいにも葉のなびきを生かしお甚いられる。 きび

の噚に氎を匵り、蓮や河骚を䞀花䞀葉から数葉、茎が氎䞭

おぎ

から䌞び出るように留めお入れるず、氎際が匕き立ち、印

あし

倏は立華にふさわしい草物が倚数あり、花を぀ける花材

をゆるやかに留めるこずもある。たずえば、深鉢圢の広口

噚の瞁にもたせかけたくないずきは花留めによっお枝や茎

子 癟 合、 笹 癟 合、 透 か し 癟 合、 姫 癟 合、 鳎 子 癟 合、 杜 若、

象深い䞀瓶になる。ずころで抛入花には茶人奜みのものの

ひおうぎ

も倚様倚圩である。たずえば、葊、荻、黍、唐黍、すすき、

花菖蒲、蓮、立葵、薊、桔梗、撫子、しゃがの葉、玫菀の

ほか、芪しみやすい䞀茪挿しのようなものや、立華の圹枝

がた

ふずい、蒲、鶏頭、射干、萱草、山癟合、鉄砲癟合、鹿の

葉、擬宝珠の葉等々。これらを適材適所に取り合わせ、草

を意識しお぀くられたものもあり、さたざたな人によっお

ぎ がう し

いだ颚情や華やいだ趣が出しやすく、朚物䞻䜓の立華ずは

䌝えられ、倉化もしおいった。

ïžµ 写真・西村 浩䞀

花 ・岩井 陜子 文 ・山根  緑

䞀色や朚物もたじえた草物がちの立華に拵えるず、やわら 䞀味違う立華になる。 華瓶・䞞壺 オヌクションハりス叀裂會提䟛 回・ 月開催出品 9

花材  朚槿

京郜・町家

平成二十四 二〇䞀二幎五月二〇日

│

花座敷 撮圱日

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花噚  銅造遊環耳付花入

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花入 オヌクションハりス叀裂會提䟛  回・ 月開催出品 68

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釉肌、それにやはり䌊矅保特有のべべらや石はぜだろう。

﹁ 䟘 び 物 侉 盌 ﹂ の äž­ で も も っ ず も 䟘 び た も の で、 名 は å…š 䜓 が 柿 の 蔕 を 䌏 せ た 圢 や、

䟘びの筆頭、柿の蔕

﹁釘圫﹂䌊矅保 怀圢があり、ほかに﹁苔枅氎﹂ 、 ﹁橘﹂ 、 ﹁䞡圊﹂ 、 ﹁䌊矅保﹂釘圫怀圢ず、

高台の䜜りが柿の蔕に䌌おいるからずか、胎土が赀味を垯びた黒耐色で、柿の色に䌌お

䌝来する名品で倧正名噚鑑に所茉されおいるものに、名物の﹁秋の山﹂ 、銬越家䌝来の

、 ﹁垞盀﹂ 、 ﹁地蔵院﹂がある。 ﹁垃匕﹂ 、 ﹁釘圫﹂藀田矎術通蔵

いるずころからずもいわれる。党䜓にごく薄い氎釉がかかり、切立ちはゆるく腰で段を

土が䜿われ、釉が薄いため、肌は黒耐色や枯れ葉色など倉化に富み、釉をかけ残した

柿の蔕の芋所は、枯淡な倧寂びの趣きであろう。ねっずりした鉄分の倚い砂亀じりの

付け、口は開きかげんで芋蟌が広い。

䌊矅保片身替は、䌊矅保釉ず井戞颚の釉の掛け分けで、芋蟌の井戞颚の釉偎に癜く

③䌊矅保片身替

䞀刷毛あり、叀䌊矅保の䜜颚を基調ずするものが倚く芋受けられる。䌊矅保片身替の芋所

火間が景をなしおいる。

高台脇の瞮緬皺が矎しい斗々屋

文化財の﹁毘沙門堂﹂ 、 ﹁早川﹂ 、 ﹁癜雚﹂がある。

﹁背尟﹂、 ﹁倧接﹂、堀田家䌝来の﹁柿の蔕﹂、 ﹁韍川﹂、 ﹁京極﹂があり、このほかに、重芁

䌝来する名品で、倧正名噚鑑に所茉されおいるものに、 ﹁韍田﹂ 、现川家䌝来の﹁柿の蔕﹂ 、

は、盌圢ず、掛け分けられた釉の釉調、䌊矅保釉ず井戞颚の釉の重なった郚分の釉調の 倉化、芋蟌の䞀刷毛、口瞁の切回し、倧き目の竹節高台、それにやはり砂亀じりの粗土 から生じるべべらや石はぜだろう。 䌝来する名品で倧正名噚鑑に所茉されおいるものに、 䞭興名物で平瀬家䌝来の﹁千皮﹂䌊矅保、名物で束平家

﹁䟘び物䞉盌﹂の䞀぀で魚屋ずも曞く。堺の魚商の

ずず や

元締であった玍屋衆ゆかりのもので、利䌑に䌝わっお

䌝 来 の﹁ 千 çš® ﹂ 䌊 矅 保、﹁ æ±  æ°Ž ﹂、﹁ 倏 å±± ﹂、﹁ 若 草 ﹂、 å±± 川 家 䌝 来 の ﹁ 片 身 替 ﹂、﹁ 薬 替 ﹂ が あ り 、 ほ か に

この名が付いた。普通、朝顔圢に口の広がった平茶盌圢

青 錠 色 や 玫 が か っ た èµ€ 色 に 倉 化 す る 火 色 で あ ろ う。

斗 々 屋 の 芋 所 は、 ね っ ず り し た 土 で ç„Œ か れ た 肌 が

が出おいる。

高台は竹節高台で内は兜巟、高台脇ず高台内に瞮緬皺

ず きん

し た 土 が 甹 い ら れ、 ろ く ろ 目 が い く 筋 も 際 立 っ お、

が倚く、窯火によっお色調が矎しく倉化するねっずり

﹁虹﹂がある。 ④黄䌊矅保

黄䌊矅保は、党䜓に黄色く焌けおいるからこの名が

少し端反り、叀䌊矅保や釘圫䌊矅保ず比べお繊现で、

ある。盌圢は、口が倧きく開いた感じで、口瞁が暋口で

やや小振りで女性的である。

、䞭興名物で に倧名物の﹁利䌑ずボや﹂藀田矎術通蔵

䌝来する名品で、倧正名噚鑑に所茉されおいるもの

高台内の兜巟や瞮緬皺も魅力である。

黄味、竹節高台ずその呚蟺の釉の焊げ、口瞁の暋口ず

江戞高麗や江戞斗々屋ずも呌ばれる﹁東高麗﹂ 、䞭 興

黄䌊矅保の芋所は、繊现でやや女性的な造圢ず肌の

どべ筋、それにやはりべべらず石はぜだろう。指あずも

がある。぀づく

工芞評論家・青山枅

、 ﹁隌﹂ 、 ﹁奈良﹂ 、 ﹁霞﹂ ﹁葉鶏頭﹂があり、ほかに﹁綵雲﹂

さいうん

﹁春霞﹂ 、 ﹁峰雪﹂ 、 ﹁唐織﹂ 、 ﹁蛍﹂ 、名物﹁韍田﹂ 、 ﹁小鷹﹂ 、

名物﹁江戞魚屋﹂ 、秋草ずも呌ばれる﹁垂原﹂ 、 ﹁広島﹂ 、

景色の䞀぀ずしお芋逃せない。 䌝来する名品で、倧正名噚鑑に所茉されおいるものに ははそ

﹁黄䌊矅保﹂静嘉堂文庫矎術通蔵 、束岡家䌝来 ﹁柞﹂、 の﹁ 黄 䌊 矅 保 ﹂、戞 田 家 䌝 来 の﹁ 黄 䌊 矅 保 ﹂、坂 侊 家 䌝来の﹁黄䌊矅保﹂があり、ほかに﹁岩波﹂、 ﹁立鶎﹂、 おみなえし

、 ﹁秋の野﹂ 、 ﹁小男鹿﹂ 、 ﹁橘﹂ 、 ﹁ずこは﹂がある。 ﹁女郎花﹂

5

、 ﹁初雁﹂ 、 ﹁山の井﹂ 、 ﹁䞡囜﹂ 、 ﹁片身替﹂藀田矎術通蔵

図版十雚 柿の蔕


│

●連茉

高麗茶 の名手

森田統・十雚の茶 ïžµ 

こもがい

高麗茶盌の代衚的なものには、倧井戞、青井戞、小井戞、小貫入、井戞脇、熊川、䞉島、

圫䞉島、刷毛目、粉匕、堅手、雚挏、玉子手、斗々屋、柿の蔕、䌊矅保、呉噚、割高台、 狂蚀袎、金海、埡所䞞、埡本などがある。

これらの䞭で高麗茶盌の粋ずされおきたのが䌊矅保、柿の蔕、斗々屋の﹁䟘び物䞉盌﹂

である。十雚が生涯をかけお远い求め䜜り続けおきたのが、この﹁䟘び物䞉盌﹂である。

私が十雚先生の顕地事業を手掛けおいるこずを知っおのこずだろう。図にのるわけでも

茶盌の名手ずしお知られた森田統・十雚先生の人ず茶盌に぀いお曞けずすすめられた。

これは曞き手にずっおたこずにうれしいこずである。それにこれらの人の䜕人かから高麗

胎に挜き目のどべ筋が芋られ、口は倧きく開いた感じで、口瞁の切れたのを土で補っお

ずころから、その名が぀いたもので、党䜓に特有の䌊矅保釉が高台たでかかる土芋ずで、

䌊矅保は、いずれも玠地に耐色で砂たじりの粗土を䜿うため、肌がいらいらず荒い

䌊矅保には、①叀䌊矅保、②釘圫䌊矅保、③䌊矅保片身替、④黄䌊矅保がある。

﹁䟘び物䞉 ﹂ の雄、䌊矅保

ないが、぀いうれしくなっお曞くこずにした。十雚先生のこずなら、曞きたいこずや

の釘圫、裟から高台脇の倧胆な二段あるいは䞉段の切り回し、党䜓に釉がうすくかかった

釘圫䌊矅保の芋所は、造圢の力匷さである。倧胆に削りだされた撥高台ず高台内の枊状

もの、ねっずりした土で茶耐色のもの、暗くやや青味を垯びたものず倉化がある。

党䜓に力匷く、䌊矅保きっおの颚栌があり、釉肌は、黄味がかった䌊矅保釉のかせた

ずころから、この名がある。

釘圫䌊矅保は、高台が撥圢になっおいお高台の䞭を釘様のもので枊状に削っおいる

②釘圫䌊矅保

叀䌊矅保ずする説もあり、片身替を叀䌊矅保に入れる分類説もある。

たた、平瀬家䌝来の片身替の﹁千皮﹂ず、束平家䌝来の片身替の﹁千皮﹂䌊矅保を、

﹁對銬﹂ 、 ﹁沖﹂ずもに䌊矅保の倉物ず分類しおいる。

名物の﹁沖䌊矅保﹂があり、ほかに﹁嵯峚﹂ず﹁巎﹂がある。ただし倧正名噚鑑では

䌝来する名品で倧正名噚鑑に所茉されおいるものに、名物の﹁對銬䌊矅保﹂ず、同じく

口瞁の切回し、倧き目の竹節高台、砂亀じりの粗土から生じるべべらや石はぜだろう。

叀 䌊 矅 保 の 芋 所 は、高 台 脇 か ら 腰 に か け お や や äžž く 広 が っ た ど っ し り し た 盌 圢 ず、

いい、内に䞀刷毛あるものもある。

叀䌊矅保は、本手䌊矅保ずもいわれ、党䜓に力匷くどっしりずしお芋所あるものを

①叀䌊矅保

他の高台は、やや倧き目の竹節高台である。

盎したべべらや、胎の石はぜ、口瞁の切回しなどの芋どころがあり、釘圫䌊矅保を陀く

倉化のある高麗茶盌の方が、草庵の䟘び茶には、よりふさわしかったのであろう。

䞭囜の芏栌的な倩目や青瓷の茶盌よりも、自由闊達にのびのびず䜜られた個性的で

に枡来したものもあるが、ほずんどは李朝時代にもたらされたものである。

朝鮮が李朝時代に入っおも高麗ず呌び続けおいたからである。勿論、高麗時代にわが囜

朝鮮のものが高麗茶盌ず呌ばれたのは、高麗時代のものだからではない。わが囜では

の䞭でも高麗茶盌ず呌ばれた朝鮮のものが䞻流をなすようになった。

唐様の茶から䟘び茶ぞ、曞院から草庵の茶ぞず、茶の湯が掚移するに぀れお、同じ唐物

からよう

階 箚 に 広 た っ た 圓 初 は、唐 物 の äž­ で も äž­ 囜 よ り æž¡ 来 し た も の が äž» 流 を な し お い た が、

唐物がもっずも重く甚いられおきたが、茶がわが囜にもたらされ、喫茶の颚習が䞊流

のものを和物、東南アゞアのものを島物、欧州のものを玅毛ず、四぀に分類しおきた。

オランダ

わが囜では叀くから茶の湯に甚いる茶盌を倧別しお、䞭囜、朝鮮のものを唐物、わが囜

高麗茶 の粋 ﹁䟘び物䞉 ﹂

の粋ずされる﹁䟘び物䞉盌﹂に぀いお述べるこずにしよう。

人ず茶盌に぀いお曞くたえに、たずはじめに、高麗茶盌のあらたし、ずりわけ高麗茶盌

そんなこずは、ずもかくずしお、ここは䞀番、正気にもどっお、順序よく、十雚先生の

の話ずなれば気持が隒ぐ。

ではわかっおもらえないだろうず思うず、たこずに残念である。ずにかく十雚先生の茶盌

を倉えた茶盌である。凄い茶盌である。この茶盌の写真をのせさせおもらったが、写真

ここに䞀盌の茶盌がある。十雚先生の柿の蔕である。この茶盌は、私の晩幎の生き様

聞いお欲しい話は山ほどある。茶盌のこずずなればそれこそ曞き切れないほどだ。

た だ ろ う ず 思 っ お い た。ず こ ろ が 意 倖 に も 䜕 人 か の 人 か ら 電 話 や 手 箙 を も ら っ た。

らった。はじめは読者の局が掎めなくお随分うろうろした。だからあたり面癜くもなかっ

本誌の創刊号から䞉号たでの䞉回にわたっお﹁矎術業界の行方﹂に぀いお曞かせおも

1

4


藀井雅䞀黄皚 《蓮》 玙本 氎墚 2006幎 95×65cm

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―

藀井雅䞀 黄皚 倩に加護された矎の創造

│

äž­ 囜 の 重 厚 で 濃 密 な 矎 ず、 日 本 の 軜 劙 で 排 脱 な 矎 䞭囜ず日本の 二぀の母囜を持぀画家・藀井雅䞀 黄皚は、この本来は正反察な二぀ の矎意識を昇華させようず詊みる。 し か し、 そ れ は 決 し お 口 で 蚀 う ほ ど ç°¡ 単 な こ ず で は な い 。 既 に 確 立 さ れ た 成 功 䟋 が あ り、 そ こ を 目 指 し さ え す れ ば い ぀ か は 必 ず 到 着 が 箄 束されおいる安易な道皋ではないのだ。 誰 も 助 け お は く れ な い。 å…š お が 手 探 り の 未 知 の 侖 界。 侀 人 å­€ 独 に、 ただ誰も足を螏み入れたこずのない新たな地平に立ち、藀井の絵筆は、 時に圷埚い、呻吟する。 ﹁ そ れ で も、 真 面 目 に 努 力 し お い れ ば、 た た 倩 が 助 け お く れ る 気 が す る。 自 分 の 意 図 を 超 え お、 墚 が 独 り で に 圢 を 成 し お い く よ う に 思 え る 瞬間があるんだ﹂ず、藀井は語る。 こ れ は、 芞 術 だ け の 話 だ ろ う か  Heaven helps those who help

倩は自ら助くる者を助く。確かに、時に人生には、誰にも themselves. 甘 え ず 最 善 の 努 力 を å°œ く し た 時 に だ け、 人 智 を 超 え た 眩 し い 光 が å·® し 蟌む瞬間がある。私達は、それを奇跡ず呌ぶ。

藀井雅䞀ふじい たさかず 黄皚ホワン・ツィヌ 略歎

│

䞀九六四 昭和䞉九幎 江蘇省啓東垂出生 䞀九八四 昭和五九幎 蘇州倧孊矎術孊院卒業 䞀九八五 昭和六〇幎 北京服装孊院講垫・同孊院校章デザむン採甚 䞀九八八 昭和六䞉幎 䞖界青幎ファッションショヌ スむス入遞により研修招埅 来日 䞀九九二 平成四幎 京郜垂立芞術倧孊倧孊院矎術研究科に研究留孊 䞀九九䞉 平成五幎 藀井䌞恵ず結婚 䞀九九四 平成六幎 京郜で和装・掋装の意匠図案䜜画に埓事 䞀九九五 平成䞃幎 日䞭・墚人亀流展﹂京郜垂矎術通出展 二〇〇䞃 平成䞀九幎 ﹁墚の力 二〇〇八 平成二〇幎 䞀䌑寺虎衝立䜜画 二〇䞀〇 平成二二幎 高台寺円埳院蓮独鯉襖絵䜜画 二〇䞀二 平成二四幎 ﹃藀井雅䞀・黄皚画集 韍虎﹄日本矎術新聞瀟近日刊行予定

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 Gyorgy Kepes, Language of Vision, Chicago, 1944; New York, 1995, p. 171. ギオルギヌ・ケ

│

ポ ヌ ル・ セ ザ ン ヌ の äž­ 心 点 に ぀ い お は、 次 の 拙 çš¿ を 参 照。 秋 äžž 知 貎﹁ ポ ヌ ル・ セ ザ ン ヌ の䞭心点 自筆曞簡ず実䜜品を手掛りに﹂ ﹃圢の科孊䌚誌﹄第二六巻第䞀号、圢の科孊䌚、 二〇䞀䞀幎、䞀䞀 二 │ 二頁。

│

本連茉蚘事は、二〇䞀䞀幎床に京郜造圢芞術倧孊倧孊院に受理された筆者の博士孊䜍論文 ﹃ポヌル・セザンヌず蒞気鉄道 近代技術による芖芚の倉容﹄の芁玄である。

たた、本連茉蚘事は、筆者が連携研究員ずしお研究代衚を務めた、二〇䞀〇幎床∌二〇䞀䞀 幎床京郜倧孊こころの未来研究センタヌ連携研究プロゞェクト﹁近代技術的環境における心性

次の拙皿を参照。秋䞞知貎﹁近代技術的環境における心性の倉容の図像解釈孊的研究﹂ ﹃ここ

の倉容の図像解釈孊的研究﹂の研究成果の䞀郚である。同研究プロゞェクトの抂芁に぀いおは、

ゞョン・リりォルド線、池䞊忠治蚳、矎術公論瀟、䞀九八二幎、䞀二二 │ 䞀二䞉頁。

ろの未来﹄第五号、京郜倧孊こころの未来研究センタヌ、二〇䞀〇幎、䞀四 │䞀五頁。 http://

図6筆者撮圱 図1の珟堎写真 2006幎8月24日

実際のアルク枓谷の鉄道橋通過時の車窓颚景に぀いおは、二〇〇六幎八月二六日に筆

図4ポヌル・セザンヌ 《ノァルクロ街道から芋たサント ・ノィクトワヌル山》1878-79幎

図5ポヌル・セザンヌ 《ロヌノから芋たサント ・ノィクトワヌル山》1904-06幎

 kokoro.kyoto-u.ac.jp/jp/kokoronomirai/pdf/vol5/Kokoro_no_mirai_5_02_02.pdf

図3ポヌル・セザンヌ《サント ・ノィクトワヌル山》1902-06幎

蚻

䞀九䞖玀における空間ず時間の工業

ペッシュ﹃芖芚蚀語﹄グラフィック瀟線集郚蚳、グラフィック瀟、䞀九䞃䞉幎、䞀五䞀頁。

│

蚻  Wolfgang Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise: Zur Industrialisierung von Raum ノォル und Zeit im 19. Jahrhundert, MÃŒnchen, 1977; Frankfurt am Main, 2004, p. 61. フ ガ ン グ ・ シ ノ ェ ル ブ シ ュ﹃ 鉄 道 旅 行 の æ­Ž 史

化﹄加藀二郎蚳、法政倧孊出版局、䞀九八二幎、八〇頁。 蚻  Paul Cézanne, Correspondance, recueillie, annotée et préfacée par John Rewald, Paris, ﹃セザンヌの手玙﹄ 1937; nouvelle édition révisée et augmentée, Paris, 1978, p. 165. 蚻

図1ポヌル・セザンヌ《サント ・ノィクトワヌル山ず倧束》1887幎頃

図2図1の拡倧郚分

者が撮圱した次の動画を参照。 http://www.youtube.com/watch?v=BAAAuOoEKPI 

9

1 2

3

4


●連茉

─ 

䞀平面䞊に存圚しおいないこずは確かである。そのため、鑑賞者は、たるで空䞭に浮かん

握を困難にしおいる。少なくずも、遠景の山から䞭景の平原に広がる地平ず、この束が同

たた、近景巊の束の幹は異様に现いたた画面䞋に消えおいるので、画面から䞋の空間把

乗車芖芚を想起するための手掛かりずしお甚いた可胜性を指摘できる。

セザンヌず蒞気鉄道

矎術ぞの新芖点

前䞉回で、私達は、ポヌル セ 䞀八䞉九∌䞀九〇六が、印象掟の  ザンヌ ïžµ Paul Cézanne: 画家の䞭で最も早く鉄道機構の倖芳を画題化し、最も早く列車内から眺めた鉄道乗車芖芚

今回は、より具䜓的に、蒞気鉄道による芖芚の倉容がセザンヌの造圢衚珟にどのように

を造圢化しおいるこずを確認した。

この問題に぀いお、ギオルギヌ・ケペッシュは﹃芖芚蚀語﹄䞀九四四幎で次のように

を萜ずしおいるように芋え、さらに近景巊の枝葉も画面に平行しおいるように芋えるの

いる。たた、近景右の䞉本の枝葉同士ず山の皜線も重ならず、特に䞀番䞋の枝葉は山に圱

な癜い筆觊が描き入れられおいる。そのため、山ず枝葉の前埌関係は非垞に曖昧になっお

これに関連しお、サント・ノィクトワヌル山ずその䞊に懞かる束の枝葉の間には、小さ

でこの颚景を眺めおいるように芋える。

﹂ 。 遠く離れた物はゆっくり動き、極めお遠く離れた物は静止しお芋える蚻 

│

性﹂ではなく﹁

化﹂ずする

埓来は自分もその䞀郚であった空間から分離する。乗客が空間から抜け出すに぀れお、そ

⋮蒞気鉄道の速力は、乗客を、 を構成しおいた空間領域である、前景の終焉を意味する。

、 ロヌノから芋たサント・ノィ │ 九幎 図  芋たサント・ノィクトワヌル山䞀八䞃八 䞃

、 ノァルクロ街道から │ 六幎 図  䟋えば、 サント・ノィクトワヌル山䞀九〇二 〇

﹂ 。 続堎面になる 蚻 

タブロヌ

│ 六幎 図 等を察照すれば、遠景から近景に近付くに぀れ クトワヌル山䞀九〇四 〇

他の耇数䜜品ず比范分析した堎合にさらに明瞭になる。

。そしお、これらの諞特城は、 こずには重芁な含意があるが、玙数の郜合䞊ここでは省略する

平化﹂ ﹁前景の消倱化﹂ ﹁画像の平面化﹂ず定矩できる﹁

│

こうした鉄道乗車芖芚ず察応するセザンヌの造圢的特城は、 ﹁筆臎の近粗化﹂ ﹁運筆の氎

で、遠近感の曖昧化は䞀局匷化されおいる。

説明しおいる。 ﹁走っおいる列車から芋れば、物は近くにあるほど速く動くように芋える。

たず、疟走する汜車の車窓から眺めた颚景の特城を考察しおおこう。

反映しおいるかを芋おいこう。

4

の空間は乗客には、絵画 たたは、速力が芖点を絶えず倉化させるので、連続画像あるいは連

るこずで、蒞気鉄道では党く文字通り倱われる。これは、工業化以前の旅行の本質的経隓

に解説しおいる。 ﹁工業化以前の知芚における奥行は、速力により近くにある物が飛び去

たた、ノォルフガング・シノェルブシュは﹃鉄道旅行の歎史﹄䞀九䞃䞃幎で次のよう

向に過ぎ去っお芋える。

぀たり、車窓颚景では、物は遠景にあるほど動きが遅く、近景にあるほど高速で氎平方

1

4

3

すなわち、車窓颚景では、最も近くにある物は高速床のために消えおしたい、前景党䜓

積み䞊げられおいるので、画面党䜓は平板化しお芋える。

が消倱しおいるように芋える。そのため、鑑賞者ず颚景の連続的䞀䜓性が匱たり、やはり

、 既に第䞀章で述べた通り、図 の画面右䞭倮に描き蟌たれた陞橋は鉄道橋であり図 

鑑賞者は空䞭から颚景を眺めおいるように感じられ、さらに地面の皜線が局を成しお高く

こうした車窓颚景の芖芚的特城ず特に呌応するセザンヌ絵画の䞀぀が、 サント・ノィ 図 である。 クトワヌル山ず倧束䞀八八䞃幎頃

6

﹂ず賛矎しおいる 䞀八䞃八幎四月䞀四日付曞簡で﹁䜕ず矎しいモティヌフだろう蚻 

セザンヌがこの鉄道橋通過時に疟走する汜車から眺めたサント・ノィクトワヌル山を、

1

鉄道による芖芚の倉容がセザンヌの造圢衚珟に反映しおいる可胜性は、決しお誰にも吊定

矎術史家・秋䞞知貎

こずは歎史的事実である。そうである以䞊、意識的にしろ無意識的にしろ、そうした蒞気

心点を、遠景から近景に近付くに぀れお次第に物が高速で氎平方向に飛び去っおいく鉄道

に筆觊が暪方向に反埩し、粗くなる傟向を瀺しおいる。このこずから、セザンヌはこの䞭

。぀づく するこずができないだろう蚻 

興味深いこずに、この䜜品には、最遠景のサント・ノィクトワヌル山の䞭倮に䞭心点が

1

。そしお、この䞭心点から近景の束の枝葉に近付くに぀れお、埐々 描かれおいる図 

3

画面を気楜な気晎らしずしお鑑賞するこずになる。

把握しおいた旅行者は、颚景から疎倖されるず共に、奥行が枛退しスペクタクルず化した

お挞次筆觊が暪方向に反埩されお粗くなり、最近景ではほずんど暪長の色垯ず化し、前景

5

が倱われるように感じられる。その結果、埓来身䜓の連続的延長ずしお颚景ずの距離感を

2

4

2

8


New Viewpoint on Art

Cézanne and Steam Railway (4) In the last three chapters, we saw that Paul Cézanne (1839–1906) was the first Impressionist painter to topicalize the appearance of the railway system and represent the visual transformation influenced by the perception of the moving scenery induced by a moving train. We will now discuss more concretely the influence of the transformed visual perception induced by the passing sceneries seen from a moving train on Cézanne’s painted representations. First, let’s review the features of scenery when viewed from a moving train. Gyorgy Kepes writes about this in his Language of Vision (1944) that, “From a moving train, the closer the object the faster it seems to move. A faraway object moves slowly and one very remote appears to be stationary.” (1) Thus, from a train window, objects at a distance appear to move slowly while those that are near appear to move quickly and horizontally. Moreover, Wolfgang Schivelbusch explains in his Railway Journey (1977) that “there the depth perception of pre-industrial consciousness was, literally, lost: velocity blurs all foreground objects, which means that there no longer is a foreground—exactly the range in which most of the experience of preindustrial travel was located...[T]he train’s speed separated the traveler from the space that he had previously been a part of. As the traveler stepped out of that space, it became a stage setting, or a series of such pictures or scenes created by the continuously changing perspective.” (2) In short, from a train window, the nearest elements of the scenery pass at such high speeds that they seem to disappear, which is experienced as a loss of the whole foreground. Thus, any traveler who has grasped a sense of distance with scenery as a continuous extension of his body will be alienated from the landscape and will appreciate a screen that has turned this loss of depth into a spectacle as a comfortable form of leisure. One of Cézanne’s works that duplicate the visual features of train window scenery in a particularly striking manner is The Mont Sainte-Victoire and Big Pine, (c. 1887) (Fig. 1). Interestingly, in this painting, a central point is drawn on the center of the Mont Sainte-Victoire (Fig. 2). From this central point to the nearby pine branches, the brush strokes tend to be repeated in the transverse direction and gradually become coarse. We may therefore suppose that Cézanne used this central point to depict the manner in which nearby objects fly away quickly in the horizontal direction when perceived from a moving train. Moreover, since the trunk of the nearby pine on the left disappears under the canvas while it remains strangely thin, it is difficult to perceive the lower space under the screen. We certainly cannot assume that this pine exists on the same ground level that spreads from the mountain to the plain. The observer thus seems to be looking at this landscape from above. In relation to this, the small white brushstroke drawn between the Mont Sainte-Victoire and the branch of pine on it renders the spatial relationship between the mountain and the branch very ambiguous. Moreover, the ambiguity of the depth perception is intensified by the fact that the branches on the near right and ridgeline of the mountain do not overlap (even the bottom branch seems to cast a shadow over the mountain) and the branches on the near left seem to be parallel to the screen. These expressions replicating the view from a moving train can be defined as a “nearer-roughening of touch,” “side-repeating of stroke,” “disappearing of foreground,” and “flattening of picture” (although using the progressive form has important connotations, it is omitted here because of space limitations). These characteristics become even clearer through comparison with Cézanne’s other works. For example, comparing The Mont Sainte-Victoire (1902–06) (Fig. 3), The Mont Sainte-Victoire Seen from the Chemin de Valcros (1878–79) (Fig. 4), and The Mont Sainte-Victoire Seen from Les Lauves (1904–06) (Fig. 5), we notice that the brushstrokes are gradually repeated in the transverse direction and the images of the closer objects appear rougher. In the nearest view, they turn into an almost oblong color belt, and the whole foreground seems lost. Thus, the continuity between the observer and the scenery weakens, and the observer seems to look at these landscapes while hovering in the air. Furthermore, because the ridgelines of the ground form high layers, the whole screen appears to lose depth. We saw in chapter 1 that the bridge drawn in the center right of Fig. 1 is a railway bridge (Fig. 6) and that Cézanne praised the Mont Sainte-Victoire while viewing it from a train passing over this bridge, saying in a letter dated April 14, 1878, “What a beautiful motif.” (3) Therefore, the possibility that the transformation of visual perception induced by the steam railway is reflected in Cézanne’s painted representations is undeniable. (4) (AKIMARU Tomoki / Art Historian) (1) Gyorgy Kepes, Language of Vision, Chicago, 1944; New York, 1995, p. 171. (2) Wolfgang Schivelbusch, The Railway Journey: The Industrialization of Time and Space in the 19th Century, Berkeley and Los Angeles: The University of California Press, 1986, pp. 63-64. (3) Paul Cézanne, Correspondance, recueillie, annotée et préfacée par John Rewald, Paris, 1937; nouvelle édition révisée et augmentée, Paris, 1978, p. 165. (English edition, New York, 1995, pp. 158-159.) (4) See the Mont Sainte-Victoire, which can be seen from the train when it runs through the railway bridge at the Arc valley, filmed by the author on August 26, 2006. (http:// www.youtube.com/watch?v=BAAAuOoEKPI)

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Fig. 3 Paul Cézanne, The Mont Sainte-Victoire, 1902–06

Fig. 4 Paul Cézanne, The Mont Sainte-Victoire Seen from the Chemin de Valcros, 1878-79

Fig. 5 Paul Cézanne, The Mont Sainte-Victoire Seen from Les Lauves, 1904-06

Fig. 2 The expansion part of Fig. 1

Fig. 1 Paul Cézanne, The Mont Sainte-Victoire and Big Pine, c. 1887

Fig. 6 A photograph of the scene in Fig. 1, taken by the author on August 24, 2006

10


日本矎術の至宝展

ボストン矎術通

│

ïž±

Exhibition Review

的に広く玹介したいず考えおいた。 明治二十䞉 䞀八九〇幎に、フェノロサ ずビゲロヌが収集した倧量の日本矎術がボ ストン矎術通に寄蚗される。これを受けお、 同 通 に 日 本 矎 術 郚 が 成 立 し、 フ ェ ノ ロ サ が 初 代 郚 長 に ä»» å‘œ さ れ、 翌 幎 に は ビ ゲ ロ ヌ が 理 事 に 加 わ る。 明 æ²» 二 十 九 侀 八 九 六  幎 の フ ェ ノ ロ サ の 蟞 ä»» 埌、 明 æ²» 侉 十 䞃 䞀九〇四幎からは倩心が䜜品敎理に携わ り、倩心は明治四十䞉 䞀九䞀〇幎からは äž­ 囜・ 日 本 矎 術 郚 長 ず し お 収 蔵 品 の 拡 充 に 努めた。こうしおボストン矎術通には、 ﹁西 掋人の理解のために日本矎術の歎史を瀺 す﹂倩心こずを目的ずする、䜓系的で網 矅的な䞀倧日本矎術コレクションが圢成さ れたのである。 本展の芋所は、囜宝玚の仏画や、長谷川 等 䌯、 å°Ÿ 圢 光 琳 の 屏 颚、 䌊 è—€ 若 冲 の 掛 軞 な ど 数 倚 い が、 特 に 圚 倖 二 倧 çµµ å·» ず し お 知 ら れ ã‚‹ïžœ 吉 備 倧 臣 入 唐 çµµ å·»  ず å¹³ æ²» 物 語 çµµ å·»  は、 そ の 賌 入 が 契 機 ず な っ お 叀 矎 術 品 等 の æµ· 倖 流 出 を 防 æ­¢ す る﹁ 重 芁 矎 術 品 等 ノ 保存ニ関スル法埋﹂が制定された点で興味 深い。たた、修埩埌䞖界初公開の雲韍図 を 始 め、 近 幎 再 評 䟡 の 進 む 曜 我 蕭 癜 の 逾 品 矀は先芋の明を瀺しお圧巻である。 本展で誰もが考えさせられるのは、矎術 品 の 散 逾 防止 が æµ· 倖 流 出 を 生 ん だ ず い う 逆 説である。もちろん、圓時は矎術品の海倖 茞 出 は 倖 貚 獲 埗 の た め に 奚 励 さ れ お お り、 それらは海倖で保存されなければ囜内では 消倱しおいた可胜性が高いこずは十分に考 東京囜立博物通 二〇䞀二幎䞉月二〇日六月䞀〇日 名叀屋ボストン矎術通 前期二〇䞀二幎六月二䞉日九月䞀䞃日 埌期二〇䞀二幎九月二九日䞀二月九日 九州囜立博物通 二〇䞀䞉幎䞀月䞀日䞉月䞀䞃日 倧阪垂立矎術通 二〇䞀䞉幎四月二日六月䞀六日

慮されねばならない。たた、日本矎術を実 物で玹介する囜際的な文化亀流の拠点が海 倖にあるこずも非垞に望たしいこずであ る。しかし、それでもなお、本来は圓初か ら日本の䌝統矎術は日本人自身こそが手厚 く保護すべきだったのではないかずいう問 題は垞に再考されおも良いだろう。

組み合わせの矎 展

日本 絵 画

│ │

│

│

二〇䞀二幎四月䞀四日から六月䞉日にか け お、 滋 賀 県 立 近 代 矎 術 通 で﹁ 日 本 çµµ 画 組み合わせの矎﹂展が開催された。所 蔵品だけで構成された、展瀺玄二五点の小 芏暡展であったが、出品䜜は優品や䜳䜜が 倚く、ナニヌクな展芧䌚だったのでぜひ玹 介したい。 叀来、日本絵画は、掛軞・絵巻物・屏颚・ 襖絵・衝立など倚皮倚様な圢匏を持っおい る。その䞊で、それらは﹁䞀双﹂ ﹁䞀察﹂ ﹁揃 い﹂等、耇数の点数の組み合わせずしお鑑 賞されるこずが倚い。本展は、こうした組 み合わせには、䞀぀の画面で完結する䜜品 ずは異なる創意工倫があるずし、その芳点 から䞉郚構成で日本絵画の魅力に迫ろうず するものであった。 第䞀郚﹁連続する画面 パノラマの矎﹂ では、六曲䞀双ずいう屏颚の圢匏を生かし、 暪長の倧画面に迫力ある眺望を描いた䜜品 が玹介されおいた。䟋えば、塩川文麟近 江八景図 、庄田鶎友耶銬枓の朝 、山元 春挙雪束図 、池田遥邚湖畔残春 、岞 竹堂保接峡図は、鑑賞者を取り囲むこ ずで県前に迫るような臚堎感を醞し出しお いた。たた、幞野楳嶺矀魚図や倧林千 萬暹の街道は、屏颚の屈曲が角床によっ お芋え方を倉化させるこずで䞍思議な奥行 感を挔出しおいた。 第二郚﹁競い合う構図ず色 察比の矎﹂ では、䞀双の屏颚や双幅の掛軞等で、巊右 の画面が察比的に描かれた䜜品が陳列され

│

お い た。 䟋 え ば、 北 野 恒 富 暖 か  鏡の 前 、䞋村芳山鵜鎎図 、山元春挙富士 二題 、冚田溪仙颚神雷神 、岞連山韍 虎図 、 岞 竹 å ‚ïžœ 鉄 拐 蝊 蟇 仙 人 図  は、 å·Š 右で圢態や色圩を察比させ、絵画ならでは の 独 特 な 造 圢 的 リ ズ ム を 生 み 出 し お い た。 たた、䞭島来章歊皜桃源図は、桃源郷 に迷い蟌んだ持垫ずその船を別画面に描く こずで物語の進行を暗瀺しおいた。 第䞉郚﹁ 〝 揃 い 〟 の愉 æ‚Š セットの矎﹂ では、二点以䞊の耇数䜜品が䞀揃いで䞀䜜 品である連䜜等が展瀺されおいた。䟋えば、 野 村 文 挙 近 江 八 景 図  、 䌊 東 æ·± æ°Žïžœ 近 江 八景の名所絵や、小茂田青暹四季草花 図の四季絵、䞭島来章十二ヶ月図の 月次絵は、空間の倉化や時間の掚移を耇数 の画面で繊现か぀倧胆に衚珟しおいた。 もちろん、こうした耇数䜜品による組み 合わせの矎は、日本矎術だけに限られるも のではない。しかし、䞀般に西掋矎術は䞻 客を分離させ、䞀枚の絵画を閉じられた䞀 ぀の䞖界ずしお完結させる傟向がある。こ れに察し、自然ず人間を分け隔おずに連続 的に捉える日本的感受性は、こうした耇数 䜜品を組み合わせる矎意識ず非垞に盞性の 良いものであるこずは確かである。そのこ ずは、画法や圢匏面で西掋化が進む近代日 本画においおもなお明瞭に感じられるこず を瀺したずころに、本展のもう䞀぀の魅力 があったず蚀えるだろう。 滋賀県立近代矎術通

二〇䞀二幎四月䞀四日六月䞉日

13

米ボストン矎術通は、﹁東掋矎術の殿堂﹂ ず 称 さ れ、 äž­ で も 侀 〇 侇 点 を 超 え る 日 本 矎 術の収蔵品は海倖随䞀の質ず量を誇っおい る。 そ の 内、 囜 宝・ 重 芁 文 化 財 箚 の 厳 遞 さ れ た 箄 九 〇 点 の 名 品 に よ る﹁ ボ ス ト ン 矎 術 通 日 本 矎 術 の 至 宝 ﹂ 展 が、 東 京、 名 叀 屋、犏岡、倧阪を里垰り巡回䞭である。 よ く 知 ら れ お い る よ う に、 明 æ²» 維 新 埌 の 日 本 で は、 西 掋 的 近 代 化 を 急 ぐ あ た り に 䌝 çµ± 的 な 叀 矎 術 品 は 非 åžž に 軜 芖 さ れ お い た。 特 に 明 æ²» 政 府 に よ る 廃 仏 毀 釈 什 に よ り、 仏 画 や 仏 像 は 倚 数 ç Ž 壊 さ れ、 窮 乏 す る 寺 院 は 貎 重 な 寺 宝 を 手 攟 さ ね ば な ら な か っ た。 実 際 に、 珟 圚 は 囜 宝 で あ る 奈 良・ 興 犏 寺 の 五 重 塔 で さ え、 売 り に 出 さ れ 薪 に さ れ そ う に なったほどである。 こ う し た æ·· ä¹± の äž­ で、 明 æ²» 十 侀 䞀八䞃八幎に東京倧孊で政治孊・哲孊を 教 え る た め に 来 日 し た ア ヌ ネ ス ト・ フ ェ ノ ロ サ は、 日 本 矎 術 の 魅 力 に 開 県 し、 調 査 研 究を進めるず共に䞀〇〇〇点以䞊を収集し た。 た た、 明 æ²» 十 五 ïžµ 侀 八 八 二 幎 に 来 日 し た ã‚Š ィ リ ア ム・ ビ ゲ ロ ヌ も、 資 産 家 ず し おフェノロサず協力しお玄四䞇䞀〇〇〇点 を 収 集 し た。 こ の 二 人 を 助 け た の が、 フ ェ ノロサに東倧で薫陶を受けた若き文郚省官 僚、 岡 倉 倩 心 で あ る。 圌 等 は 急 速 に 倱 わ れ ぀ ぀ あ る 日 本 の 䌝 çµ± 矎 術 を 再 評 䟡 し、 囜 際

展芧䌚評 ◉

戌亥蔵りェブサむト http://inuigura.web.fc2.com/


時評 ◉ Review on current events

グヌグル ・アヌトプロゞェクトに

日本初参加

ルヌノル矎術通ず ニンテンドヌ 二 〇 侀 二 幎 四 月 侀 侀 日 に、 仏 パ リ の ル ヌ

﹂ は、 ä»» 倩 堂 が ﹂は

二぀の画面 ﹂ の 略 で、 本 䜓 Dual Screen

瀺され、自分で自由にルヌトを蚭定できる

等の代衚䜜品を巡るツアヌも甚意されおい

他、 モナ・リザやミロのノィヌナス

同ガむドは珟圚、日本語を含む䞃ヶ囜語

る。

に察応し、近日䞭にフランス語手話にも察

応予定。䞀般料金は五ナヌロ玄五䞉〇円

重たい音声ガむド機を銖からぶら䞋げお

で、誰でも利甚するこずができる。

歩く代わりに、手軜に持ち運べる小型の芖

聎芚ガむド機が登堎したこずをたず喜びた

萜ずしたりせずに廻芧できるこずも、特に

い。たた、広倧な通内を迷ったり䜜品を芋

液晶ディスプレむ玄

専甚メガネを掛けなくおも裞県で立䜓映像

り芗き蟌むようなこずがあれば本末転倒であ

しおいるのに、小さなディスプレむ画面ばか

であれ、もしせっかく珟堎で実物を目の前に

た だ し、 た ず え ど れ ほ ど 優 れ た ガ ã‚€ ド 機

益であろう。

高霢者・身障者や海倖旅行者にずっおは有

は 瞊 䞃・四㎝ 、 暪 侀 䞉・四㎝ 、 厚 さ 二・䞀㎝

リア方匏ワむド

量。 開 い た 侊 画 面 が、 䞉・五 侉 型 の 芖 å·® バ

の 折 畳 み 匏 で あ り、 重 さ は 二 侉 五 ず 軜

﹁

お い る 最 新 の 携 垯 型 ゲ ヌ ム 機。 ﹁

二〇䞀䞀幎二月二六日から䞖界䞭で販売し

﹁ニンテンドヌ

﹂を䜿った新しい通内案内を開始した。

二 〇 侀 侀 幎 二 月 二 日 に、 ã‚€ ン タ ヌ ネ ッ ト

す る 無 料 サ ヌ ビ ス﹁ グ ヌ グ ル・ ア ヌ ト プ ロ ゞェクト﹂を始動した。 こ れ は、 既 に グ ヌ グ ル・ マ ッ プ で 甹 い ら れおいる珟堎パノラマ写真によるストリヌ ト ノ ュ ヌ 機 胜 を 屋 内 に も 適 甹 し、 通 内 を 画 面 侊 で 移 動 し ぀ ぀、 気 に 入 っ た 䜜 品 を 解 説 付きの高解像床写真で鑑賞できるようにす る も の で あ っ た。 第 侀 匟 ず し お、 ç±³ メ ト ロ

を楜しめるこずを倧きな特城ずしおいる。

侀 六 䞃 䞃 侇 色 を è¡š 瀺 可 胜  に な っ お お り、

これたでも囜内では、日本矎術の画像アヌ

二〇䞀二幎四月四日には、第二匟ずしお、

術鑑賞における実䜓隓の重芁性こそを浮かび

トプロゞェクトに関しおず同様に、むしろ芞

る。デゞタル技術の進歩は、グヌグル・アヌ

今回導入された﹁オヌディオガむド・ルヌ ﹂ は、 同 通 ず ä»»

カむノ事業ずしお、 ﹁文化遺産オンラむン﹂や

を甚いるもので、本来はゲヌ

ノ ル・ ニ ン テ ン ド ヌ

﹁

内蔵した

倩堂が共同で開発した専甚ガむド゜フトを

囜宝﹂等の取組みがあった。しかし、囜内

アゞア、オセアニア、䞭東、南米等にも察象

フォヌムで公開されるのは、今回のグヌグル・

そ う し た äž­ で、 日 本 の デ ã‚ž タ ル 技 術 が、

䞊がらせるものではないだろうか

矎術通の所蔵䜜品が䞖界共通芏栌のプラット

されお別の甚途で掻甚される点が興味深い。

ム甚に開発された機䜓がその高性胜を評䟡

晎 ら し い こ ず で あ る。 た た、 日 本 の 文 化 や

䞭の矎術䜜品を鑑賞できるこずは、たず玠

むド機からの切替えである点が泚目される。

な案内を実珟し、埓来の単䞀機胜型の音声ガ

みならず、立䜓映像や動画衚瀺による倚角的

受 性 ず 鑑 賞 者 ぞ の 现 や か な 心 配 り こ そ は、

技術力はもちろん、芞術䜜品ぞの繊现な感

こ の よ う に、 自 宅 に 居 な が ら に し お 侖 界

アヌトプロゞェクトが初めおである。

る囜宝䞀六点・重芁文化財五䞀点を含む、矎

矎 術 䜜 品 が、 広 く 侖 界 äž­ の 人 々 に 情 å ± 発 ä¿¡

お お り、 ズ ヌ ム 機 胜 に よ り 肉 県 で は 䞍 可 胜

䜜 箅 葉 䞀九䞉䞀幎が そ の 察 象 ず な っ

∌安土桃山時代ず、足立矎術通の暪山倧芳

立博物通の狩野秀頌筆芳楓図屏颚宀町

床 写 真 も 公 開 し お い る。 囜 内 で は、 東 京 囜

よ っ お は 侀 点 ず ぀、 䞃 〇 億 画 玠 の 超 高 解 像

されないこずは、誰もが䞀般に経隓する事実

レむ䞊では衚面の埮现なマティ゚ヌルは再珟

り、どれほど高解像床であっおも、ディスプ

も、サむズが異なれば䜜品党䜓の印象が異な

ろう。䟋えば、どれほど粟巧な画像であっお

助に過ぎないこずもはっきりず認識すべきだ

でも実物鑑賞ずは異質な別物であり、その補

しかし、こうしたデゞタル技術は、あくた

ず で あ る。 た た、 地 図 で は

を通内地図で確認できるこ

胜により、利甚者の珟圚䜍眮

で芋るこずもできる。

をディスプレむ䞊で回り蟌ん

は芋られない立䜓䜜品の背面

た、建物の構造により珟実に

胜で现郚たで拡倧が可胜。た

䞻芁䜜品が目立぀ように衚

ように思われるからである。

日本人が最も埗意ずする分野の䞀぀である

受け入れられたこずは瀺唆に富む。高床な

術䜜品五六䞃点がネット䞊で閲芧可胜になっ

さ れ る こ ず も 望 た し い。 デ ã‚ž タ ル 化 は 時 代

䞖界で最も来通者数の倚い矎術通の䞀぀に

た。 た た、 東 京 囜 立 博 物 通 ず 足 立 矎 術 通 は

の䜜品や展瀺宀が解説される。画像は高解

の 特 性 を 生 か し お、 音 声 の

ストリヌト ミュヌゞアムノュヌ機胜にも

の趚勢 であり、文化財や矎術䜜品が人類党

像床写真を倚甚し、ズヌム機

た た、

察応し、通内 足立矎術通は庭園ものノァヌ

䜓の共有財産ずしお未来の䞖代に継承され

な 现 郚 た で 確 認 で き る。 そ し お、 同 プ ロ

である。やはり、芞術䜜品の鑑賞は、実物に

同ガむドでは、画像や音声で䞃〇〇以䞊

チャル廻芧も可胜である。

ã‚ž ェ ク ト で は、 気 に 入 っ た 䜜 品 を 個 人 的 に

觊れるこずこそを第䞀ずしたい。

特筆すべきは、䜍眮怜玢機

画 家・ 幎 代・ çš® 類 の 䜜 品 を 怜 玢 す る 機 胜 の

ç·š 集 す る﹁ マ ã‚€ ギ ャ ラ リ ヌ﹂ 機 胜 や、 同 じ

c 2012 musee du Louvre - Olivier Ouadah

オヌディオガむド・ルヌノル・ニンテンドヌ3DS 写真提䟛・任倩堂

さ ら に、 同 プ ロ ã‚ž ェ ク ト で は、 参 加 通 に

るこずは高く評䟡すべきである。

六通が参加した。これにより、各通が所蔵す

3 D S

3 D S

通、東京囜立博物通、ブリヂストン矎術通の

が公開された。日本からは、足立矎術通、倧

3 D S

欧米の䞀䞃通・玄䞀〇〇〇点が公開された。

D S

通が拡倧され、䞀五䞀通・䞉〇〇〇〇点以䞊

ポ リ タ ン 矎 術 通 や 䌊 ã‚Š フ ィ ツ ィ 矎 術 通 等、

3 D

ゞアム及びその所蔵品をオンラむンで公開

ノ ル 矎 術 通 は、 ä»» 倩 堂 の﹁ ニ ン テ ン ド ヌ

3 D S

3 D S

3 D S

怜 玢 倧 手 の グ ヌ グ ル 瀟 は、 侖 界 äž­ の ミ ュ ヌ

充実も図られおいる。

グヌグル・アヌトプロゞェクト 写真提䟛・Google

原矎術通、囜立西掋矎術通、サントリヌ矎術

e

12


矎 人 画

再 芋

高橋由䞀文政十䞀・䞀八二八∌明治二十䞃・䞀八九四は、幕末・明治期の掋画家。

線集埌蚘

䞀日ごずに倏の蚪れを感じる季節になりたし

た。 ﹃日本矎術新聞﹄の第四号をお送り臎したす。

本 号 の 時 評 は、 ど ち ら も デ ã‚ž タ ル 技 術 ず 芞 術

幕末に西掋補石版画で芋た西掋画法の写実性に衝撃を受け、油圩画や矎術制床を日本に移怍しよ

プ レ ã‚€ 侊 に 映 し 出 さ れ る 超 高 解 像 床 写 真 に は、

鑑 賞 の 問 題 を 扱 う こ ず に な り た し た。 デ ィ ス

明治51872 幎

目巊近小皲。䞀般にはただ珍し かった油圩画のモデルを由䞀が 探した時、匕き受けたのは小皲 だけであった。 ず こ ろ が、 そ の 小 çš² で さ え、 浮䞖絵のように類型化された矎 人画を期埅しおいたため、完成 した本䜜を芋お、あたりの生々 しさに﹁私はこんな顔じゃあり たせん﹂ず泣いお怒ったずいう。 珟圚の目から芋ればきちんず矎 人に描かれおいるので、由䞀の 写実的な矎意識がいかに時代を 先取りしおいたかを瀺す゚ピ ゜ヌドであろう。 ちなみに、その四幎前に、同 じ小皲を描いた歌川囜貞二代 の浮䞖絵が巊の䜜品である。

おいたす。

 。 おりたす。 http://www.n-artjournal.com/





郚䞀同、皆様のご蚪問を心よりお埅ち申し䞊げお

術新聞瀟の公匏ペヌゞを公開しおおりたす。線集

ずができたす。たた、フェむスブックでも日本矎

たした。バックナンバヌを無料で閲芧しお頂くこ

日本矎術新聞瀟の公匏りェブサむトを立ち䞊げ

お線集䜜業に取り組んでいたす。

が っ お い た す。 い ぀ も、 そ の よ う な こ ず を 考 え

け 継 が れ お い き た す。 た た、 矎 は æ°ž 遠 ぞ ず ぀ な

め お 驚 き た す。 し か し、 モ ノ は 時 間 を 超 え お 受

う 半 幎 が 過 ぎ た し た。 月 日 の 流 れ の 早 さ に、 改

光 陰 矢 の 劂 し。 早 い も の で、 二 〇 侀 二 幎 も も

線集郚䞀同

基本こそが垞に䞀番倧切なのではないかず考え

぀ ぀、 そ れ で も や は り 実 䜓 鹓 ず い う 芞 術 鑑 賞 の

小 箙 は、 そ う し た 技 術 の 発 達 は 十 分 に 評 䟡 し

あるのかもしれたせん。

の鑑賞に䜕か新しいスタむルが付け加わり぀぀

ã‚€ ル が 付 け 加 わ り た し た が、 こ こ で も た た 芞 術

ビ 攟 送 が 登 å Ž し お、 野 球 の 芳 戊 に は 新 し い ス タ

る の で は な い か ず い う 感 æ…š も 生 た れ た す。 テ レ

を 芋 お い る ず、 こ れ は 䜕 か 異 質 な 別 物 を 芋 お い

し か し、 も は や 肉 県 以 侊 に é®® 明 で 䟿 利 な 画 面

ハッず息を呑むばかりです。

うず生涯尜力した。日本近代掋画の父ず呌ばれ、他の代衚䜜に、切手にもなった重芁文化財指定の 鮭䞀八䞃䞃幎等がある。 明治五䞀八䞃二幎四月二八日付の﹃東京日日新聞﹄によるず、由䞀は兵庫䞋髪の嚌劓の油圩 画を描いおおり、これが重芁文化財指定の花魁䞀八䞃二幎ず掚定されおいる。

明治元1868幎

描かれおいるのは、新吉原・皲本楌の﹁呌び出し﹂最高玚の花魁で、圓時二十䞃歳頃の四代

高橋由䞀《花魁》

二代囜貞《生写矎人鏡新吉原 角町皲本楌 小皲》


曞評 ◉ Book Review

原 䜜 早 川 光 挫 画 連 打䞀人 監 修・協 力 朚 村  宗慎

﹃ぞうげもの﹄がマンガだから蚱される

の織郚䞻導の矎濃窯に﹁志野茶碗﹂の詊䜜

すでに瀟䌚珟象的な成功をおさめおいる。

頭の䞀人であった利䌑に長次郎の手にな

を 登 å Ž さ せ、 ぀ い で å Ž 面 を 遅 ら せ お 侉 茶

長次郎の﹁黒茶碗﹂の出珟は、倩正十四幎

る﹁黒茶碗﹂を創らせた。利䌑が䞻導した

る再生ずいうきわめおマンガ的な手法を 採甚しながら、これによっお非珟実な郚分

䞀五八六の﹁宗易圢の茶ワン﹂ 束屋䌚蚘

﹁虚﹂を重芖し、 ﹃私は利䌑﹄が遺䌝子によ

を合理させ、蚀葉を尜くしお、茶道の本質

き、二匹目の泥鰌をねらった安易な䌁画だ ろうず思った。しかし、予芋は芋事にはず

事実の敷衍を詊みおいる様子が明らか

﹃私は利䌑﹄の単行本の発売を耳にしたず

れた。二冊は立ち䜍眮を異にしおいた。 ﹃私

ず は 蚀 え、﹃ ぞ う げ も の ﹄ が、 叀 田 織 郚

ら芚える。

を採甚した出版瀟の垌有な目線に感動す

は、茶の神髄が散りばめられおいる。これ

﹃私は 利䌑﹄ の䞀カット、䞀 ぀ の台 詞 に

らせおいる。このあたりに、 ﹁胜曞き﹂背

曞きがうるさい﹂ず織郚の口䞊を信長に遮

﹃ぞうげもの﹄は、巻頭 八頁目で﹁胜

版瀟の慧県に感動すら芚える。

ずは尋垞ではない。圌をチヌムに加えた出

ずみおいる。朚村の豊富な知識ず高い芋識

鋭的な郚分は、朚村宗慎の助蚀ではないか

さ も マン ガ 的 で は な い。 ﹃私は利䌑﹄の先

るのである。よりぞうげた織郚茶碗に至っ

䞻導により﹁ぞうげ茶碗﹂志野は出珟す

隔お、秀吉の死を惜しむかのように、織郚

以降、すなわち利䌑が自刃しおのち䞃幎を

問題に結論を䞋した。慶長䞉幎 䞀五九八

にわたる懞案であった﹁志野茶碗﹂の創始

に぀いおは、最も新しい茶碗史が、二十幎

い重芁なポむントだろう。さらに志野茶碗

碗 史 に ず っ お、 埮 劙 な が ら、 看 過 で き な

は十幎匱ながら時間を遡らせおしたう。茶

﹃ 私は利 䌑 ﹄ は利䌑﹄は、出発に際し、たっぷりず時間

及 び﹁ ク ロ ダ キ 茶 碗 ﹂ 倩 æ­£ 十 六・䞀 五 八 八 

を珟代に蘇生させた功瞟は甚だ倧である。

景を軜芖する、吊、軜芖したい山田がい

集英瀟 二〇䞀二幎∌   になった。

史実の怜蚌が危ういのずは別にだ。著者の

るようだ。

あたりに比定するのが自然で、信長時代で

をかけお内容を吟味しおいた。それはマン

山田芳裕ずは䞀面識もないが、モノがスキ

朚 村 宗 慎 ïžµ 監 修・ 協 力 の コ ラ ム の 執 拗

な 埡仁であろうこずは、﹁私 が 今 欲し い の

ガ化のためではなく、真剣に正面から茶道

茶道マンガの䞖界に叞銬遌倪郎的なマ

に取り組んだ時間の氞さず蚀っおよい。

ンガ﹃私は利䌑﹄があらわれた。的ず蚀う

られおいる。考叀孊の成果をふたえた刺激

的 な 刀 断 だ っ た。 キ ャ ッ チ コ ピ ヌ 的 に は

お は、 慶 長 十 二 幎 ïžµ 侀 六 〇 䞃 以 埌 ず 考 え

は織郚黒ずいう鯚のような茶碗です﹂の独

グ リ ヌ ン  パ ヌ シ モ ン、 織 田 ä¿¡ 長 レ ッ ド

﹃ ぞ う げ も の ﹄ で å±± 田 は、 äž» た る 登 å Ž 人

の は、 æ­Ž 史 小 説 の 䜓 裁 を ず り な が ら、 史 癜で充分に知れる。

﹁利䌑は志野茶碗をみおいない﹂ 。﹃茶碗

物 を 色 分 け し お み せ た。 叀 田 å·Š 介 ïžµ 織 郚 

実を掘りさげお新鮮で刺激的な歎史孊を

 ブラック、千宗易 利䌑ブラック、矜

ぞ うげもの は、慶長四幎

䞀五九九に織郚が茶䌚で甚いた茶碗の蚘

柎 秀 吉 ã‚Ž ヌ ル ド、 明 智 光 秀 パ ヌ プ ル。 そ

叀田織郚の

うこずだが、 ﹃私は利䌑﹄を読了したずき、

録、﹁ セ ト 茶 碗  ヒ ツ ミ 候 也  ヘ ã‚Š ケ モ ノ 也﹂宗湛日蚘を初芋ずする。山田は、史

展開した叞銬遌倪郎に䌌おいないかずい この䞀冊が茶道のみならず歎史マンガを

を叞る色だ 䞭略䜕ゆえ今焌をわざわざ

吉 に﹁ 黒 ず い う 色 は 喪 に 服 す 色 だ ⋮⋮ æ­»

そのたた史実や事実ずしおずらえるこずは

は秀吉、織郚は家康。政道ず茶道が䞀぀で

させられたずいう共通の分母がある。利䌑

利䌑ず織郚には、政治的な暩力者に自刃

ら、 黒 は も っ ず も 倧 切、 す な わ ち æ­£ 匏 な

色文化のなかで黒色を冷静に怜蚌するな

が é ­ の な か で 肥 倧 す る。 日 本 の 䌝 çµ± 的 な

は完璧に埩暩した。織郚自刃を山田が終章

䞊が正儀に着甚する束垯の䞊衣は黒袍で

わ け で、 よ り 具 䜓 的 に は、 堂 侊 の 四 䜍 以

⋮⋮ 果 た し お そ う だ ろ う か ず い う 疑 問

で ど の よ う に 扱 う か、 個 人 的 に 興 味 が あ

ç¹° り 返 す が å±± 田 は、 ﹁ 黒 茶 碗 ﹂ も﹁ 志 野 茶碗﹂も信長時代に䜵存させおしたった。 ﹃ぞうげもの﹄が犯した時代考蚌のズレは 小さくない。いわば決定的な释の掛け違い を指摘しなければならないだろう。 他 方、 ﹃ 私 は 利 䌑 ﹄ は、 äž» 圹 の 侀 人 で あ る雪吹な぀めに、楜了入の黒茶碗を過倱で 割らせおしたうが、 ﹁筒井筒﹂の故事を匕き 合いに、茶の湯ならではの知恵で解決した。 ç¹° り 返 し に な る が、 ﹃ぞうげもの﹄の成 功がなければ﹃私は利䌑﹄に陜が圓たるこ ずはなかった。しかし腰をすえおながめな ﹃ぞうげ おすず、 ﹃私は利䌑﹄の出珟こそ、 もの﹄の旧マンガ的に察する、別芖点から の揺り戻しのように思われおならない。遠 か ら ず、 茶 道 の 珟 å Ž か ら 芋 え お く る 利 䌑 が、その姿を新マンガ的にあらわすこずに なるのだろう。鶎銖しお埅ちたい。

今を生きる﹄䞭日新聞瀟・二〇䞀䞀幎

本質から問い盎す契機になるかもしれな

実を些末化しお﹁ぞうげもの﹂を流行語に

し お 利 䌑 の ブ ラ ッ ク ïžµ 黒 茶 碗 に 察 し、 秀

いず感じたのである。

できない。しかし、これたでのマンガぞの

あった蚌でもある。結果は、利䌑の死のみ

黒 く 䜜 る の だ、 こ ん な も の は ゲ セ ン な 者

芖点がぐら぀いた。もしも、 ﹃私は利䌑﹄が

が 謎ずしお 耳目をあ぀め、織郚 の そ れ は、

者に察しお生ける者が瀌を尜くしおいる

色 だ ず 理 解 さ れ る。 喪 服 が 黒 な の も、 æ­»

を謳いあげた。

し、織郚の個性を際立お、個性的な矎意識

蚀うたでもなく﹃私は利䌑﹄はマンガ本

史実や事実を粟密に怜蚌しお、それらをマ

豊臣方ぞの内通だず簡単に凊理されおき

である。埓っお、ここに衚珟されたこずを

ンガに蚗しおいたずしたら、立ち読みでな

た。ずもあれ﹃ぞうげもの﹄によっお織郚

から高貎な者たで誰も欲しがらぬ﹂。

叞銬遌倪郎が小説の限界を超えお人々

く身構えお読たなければならないだろう。

ガの負の郚分や限界をさわやかに、やすや

扱いに転じたい。山田は、信長の圚䞖時代

目 を 二 冊 の 第 侀 å·» が み せ る﹁ 茶 碗 ﹂ の

田の目線こそ黒ずんではいないか。

å±± 田 の 蚀 う 䞍 吉 な 色 で は 決 し お な い。 å±±

あ る。 黒 は 利 䌑 の 専 売 で な く、 た し お や

の支持を 埗たように、﹃私は 利䌑﹄がマン

る。が、ここでは深远いしない。

のありようが、より鮮明になった。

この結果、 ﹃私は利䌑﹄に仮蚗された﹁真﹂

の第䞀巻 を俎䞊 に、现郚の確認 を急ご う。

こ れ ら ず は 別 に、 立 ち 䜍 眮 の 違 う äž¡ 者

すず超えそうに思われるのである。 ﹁所詮、 マンガ本なのでしょう﹂ずいう内なる批刀 が䜕床も浮かんだが、消え去った。 茶道マンガでいえば、﹃ぞうげもの﹄山 田芳裕著・講談瀟・二〇〇五幎∌が先行し、

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