神聖ローマ帝国はさまざまな国家からなる連邦国家であり、皇帝を戴きながら、各領邦は領地内で最高権限を保持していた。全諸侯または主権国家で構成された帝国議会は、ドイツ全体の合議体であった。議会は皇帝に属し、議会の法、令、決議を批准し、適用執行されたが、一方で選帝侯と冠する最も権力を保持する7人の諸侯は皇帝を選出する権利を有していた。主に古代サクソン人が住んでいたドイツ北部は、最大の自立性を獲得していた。オスマン帝国から絶えず攻撃を受けていた皇帝は、これら諸侯と有力部族の機嫌を取りながら、当時必要とした援助を得ていた。帝国の北部、西部、南部の自由都市では、貿易、製造業や様ざまな活動によって高度な繁栄を享受し、それによって高い自治権をもったが、皇帝となったオーストリアの有力一族が、その支配下にあったドイツ南部の領邦の大部分を統治し、彼らの動きを注意深く監視した。帝国全体、さらにはその領土を超えた支配拡大の準備を進めていた際、宗教改革がその侵略の大きな障壁となり、ヨーロッパの独立を守った。キリスト教が勃興したユダヤが古代世界の中心にあったように、キリスト教世界の中心であったドイツから直ぐさま、改革はオランダ、イギリス、フランス、スイス、イタリア、ハンガリー、ボヘミア、ポーランド、デンマーク、そして北欧諸国へと広がっていった。生の原理(the principle of life)の発展がヨーロッパの心臓部にあり、この心臓の鼓動が身体の全動脈を介して尊い血液を循環させ、成員全体に活力を与えていった。