SS GoMag Devotionals - Japanese

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MAG スポ ーツと信 仰 がつ な がるところ


「こういうわけで、わたしたちは、 このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、から みつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。 」 聖書のヘブル人への 手紙12:1より

視線を感じながら

サッカーチームのキャプテンである私は、 よく指導を求められます。問題に直面したときなんかは特にそうです。 カップ大会で強いチームと対戦したとき、模範を示しつつ指導する機会がありました。延長戦の際に選手が9人しか 残されていなかったとき、私は全員の視線を感じました。チームメートだけでなく、 ファンのみんなも私がこの厳し い状況を乗り越えるのか、それともプレッシャーに負けて失敗するのかと注目していたのです。 しかし、私は手本と なって指導するチャンスだと思いました。 サッカーの試合のように、毎日の生活でも試練に直面するものです。使徒行伝の7章には、初代の教会の一員で あったステパノについて書かれています。 ステパノはキリストへの信仰を公にし、圧力に直面しました。彼は圧力を かけられても神を讃える証をしたため、命を失いました。 神は、信者である私たちにより高い基準を求めています。 「あなたがたは、世の光である。…あなたがたの光を人 々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにし なさい。」 (マタイによる福音書 5:14、16)あなたが困難な状況に置かれたとき、 どのように問題を対処するのかを 周りの人々は見ています。あなただったら、 どうしますか?みんなが自分のことを見ているとき、 プレッシャーに負け てしまうと思いますか?それとも、その困難を乗り越えるために立ち上がりますか? 「わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、 わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。 」 聖書の詩篇84:2より

ふくらむ期待

スポーツ試合で私が最も好きなことの1つは、母国の国歌が試合の前に歌われるのを聴くことです。奇妙に思われ るかもしれませんが、国歌を聞くと、試合が開始する様子をすぐに思い浮かべます。幼い頃から、叔父がプロとして サッカーをするのを見てきたので、国歌を聴くことは、 ファンの高揚した気持ちにあふれるスタジアムのざわめき、 ゴールしたときの歓声、 スポーツ試合の壮観な光景などへの期待感を引き起こさせました。 大人になってプロになると、今度は私がミッドフィールドに立って国歌を聴く立場となりました。いつになっても 特別な経験で、 さまざまな感情が溢れ出てきます。国歌を聴くと、体全体を駆け巡るのは、あの期待感です。 しかし、 以前感じていた期待感とは少し違います。今感じる期待は、目の前にある課題への期待と、私を90分間も駆り立て るやる気です。国歌の一部の節に合わせて、 自然と体が特定の動きをするようになりました。 こうして、私は試合の準 備をしました。 この試合直前の数分間が、私の感情を掻き立て、強い期待感をもたらすのです。 プレーする日々は過ぎ去ってしまいましたが、 この習慣は変わっていません。国歌を聴くたびに、あの期待の感情 が戻ってくるのを感じます。 しかし、主の再臨を待ち望む期待は、試合前に感じる期待とは比べものにもなりません。 期待の気持ちで胸を膨らませて、イエスの再臨を感じてください。贖いの力を感じてください。主の愛と恩恵を感じ てください。 「ひとりびとり、 自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、 自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなく なるであろう。人はそれぞれ、 自分自身の重荷を負うべきである。 」 聖書のガラテヤ人への手紙6:4-5より

責任感

6年間、 プロのサッカー選手というキャリアの中で、誤った選択を多くしてきました。 スポーツ選手は、自身の能力だ けでなく、記録、統計、収入などにおいても他人と比べがちです。 サッカー選手になって間もないころ、私はよくチームメートと自分とを比べてしまいました。 プロサッカー選手と しての1回目と2回目のシーズンでは、 自分よりも6歳も年上の人と自分を比較したものでした。比較するたびに落ち こぼれた気持ちになりました。他人と比較することで上達するモチベーションを駆り立てることはできましたが、あ りのままの自分を受け入れることができませんでした。幸福を感じることができず、不満ばかり感じていました。幸 せを探すこともできませんでした。ある日、 この気持ちをチームメートに話すと、彼は一言こう述べました。 「比較する ことは幸せを殺すことだ」 と。彼は、 自分自身を見つめて、 自分の成長のみを測るべきであり、他の人と比べてはなら ない、 と言いました。意識を変えることで、幸せを感じることができるようになり、キャリアにおいても成功をもっと感 じることができるようになりました。 クリスチャンであっても、教会などで自分を他人と比べてしまいがちです。他人と比較してしまうと、キリストに喜 びを感じることができず、不満を感じてしまいます。パウロは、自分自身を見つめて、自分が誰であるのか、そしてど れだけ成長したかのみを比較するべきだと教えてくれました。自分を他人と比較することで、キリストに感じる喜び を殺すようなことをしないでください。 traffic_analyzer


「ほねおる者は飲食のためにほねおる、 その口が自分に迫るからである。 」 聖書の箴言16:26より

やる気をかき立てるには

私が将来所属することとなったサッカーチームは、公式戦が終了した時点で、 公式戦のタイト ルと最初の2回のプレーオフを勝ち取り、好結果を出していました。最終戦では、ホームグラ ウンドでプレーしたのですが、PK戦で負けてしまいました。シーズン後は、最優秀コーチ 賞、最優秀選手、得点王、年間再優勝ゴールキーパー、年間最優秀ディフェンダーなどをす べて受賞したのですが、チャンピオンに輝くことはできませんでした。 次のシーズンに、私はそのチームに入ったのですが、チームの目標は目に見えて明ら かでした。それは、順位を上げることでした。選手は全員、チャンピオンを勝ち 取る願望に駆り立てられていました。シーズン前は常に気合いが入ってお り、激しい競争の中においても、成功と選手権を勝ち取るという意欲に 満ちあふれていました。シーズンが終わりに近づくにつれて、何度 も困難な状況に陥りました。怪我人が出たり、大負けしたり、ロ ッカールームでけんかもしたりしました。 しかし、途中で辞め た人は一人もいませんでした。私たちは、チャンピオンを勝 ち取ることを渇望していたので、前に突き進むことができ たのです。 シーズン終盤で、PK戦に入り、前シーズンと同じよう な状況に置かれてしまいました。今回はホームグラウ ンドとは遠いところで試合をしていましたが、それで も違う結果を生み出すことができました。ついに、大 会でチャンピオンになったのです。 こうして私たちの 喜びは一時的ですが、満たされました。 飢えていると、食べ物のために働くものです。キリ ストを求めていますか?キリストのために働いていま すか?キリストの愛を分かち合うという望みが、あな たの信仰と働きに刺激を与えますように。

「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって 互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、 自分のことばか りでなく、他人のことも考えなさい。 」 聖書のピリピ人への手紙2:3-4よ り

人々への奉仕

チームでプレーする選手には、大きな問題に取り組むチャンスが与え られています。私は長年、 プロのディフェンダーとしてキャリアを積ん できました。ディフェンダーの役割とは、チームがリードを取ることが できるようにディフェンスをすることです。私の役割はチームに不可欠 でしたが、私が好結果を挙げても、功績が認められることは、ほとんどあ りませんでした。ディフェンダーは、常に準備が整っている状態で試合に 挑むことが求められています。勝利を勝ち取ったあと、インタビューされ たい、大きなボーナスが入らないかな、チームメートやファン、ジャーナ リストから称賛されたいなどと願ったことは何度もあります。私にふさわ しいだけの注目と感謝の気持ちを求めていましたが、見返りはまれでし た。 私たちは主の信者として、神様のために働く大きな役割を担っています。 誉められたいという気持ちを捨てて、イエス・キリストの手本に従わなけれ ばなりません。 「キリストは、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえ って、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿に」なられました。 (ピリ ピ2:6-7 )神に栄光を帰する役割を果たすことを忘れてはなりません。今こそがチャン スです。ベンチから立ち上がって、奉仕してください。

Chris Cole /Allsport

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「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。 」 聖書のヨブ記1:21より

自惚れるな

私たちは、 自分の能力について思い違いをしています。たしかに、 自分を高めるためにトレーニングや練習、体調管 理など行なっています。 しかし、 スポーツの才能や能力が生まれながらに与えられたものであることは否定できま せん。私たちは、自分の能力が神からの「贈り物」であるという事実を受け入れることができずに苦しんでいるので はないのでしょうか。私たちの能力は、 自分で身につけたものではないのです。 才能は自分だけのもの、 と考えるのは容易いことです。私たちは、努力をして何かを習得したら、見返りを期待し て当然だと教えられてきたからです。私も、自分の考えが間違っていると気づかされるまで、 この嘘を信じていまし た。 プロサッカー選手としての最初の4年間、私は怪我ひとつしませんでしたが、ある日アキレス腱が断裂してしまい ました。怪我をする前は、神の証人として強い信仰心を持っていたために、神様が私を怪我から守ってくださってい るのだと信じ込んでいました。 アキレス腱を断裂して初めて、神様が「これからは、 どんな証人になってくれるんだい?」 とささやくのを聞きまし た。 これは、一番聞きたくない言葉でした。 しかし、欲しいものと必要なものは異なります。神様は、私が自分の能力 を当たり前のものだと思っていたことをご存知でした。私は怪我をするまで、 このことに気づかなかったのです。神 様はあなたに何かを伝えようとされていませんか? 「わたしは裸で母の胎を出た。 」 聖書のヨブ記1:21

励ましを光栄に思うこと

子供がスポーツで成功したら、母親ではなく、父親の功績が認められます。私がサッカーについて知っていること は、ほとんど父から教わったものです。父から学んだ物事のおかげで、 プロスポーツ選手として活躍することがで き、海外でプレーした6年間の支えとなりました。 しかし、母親なくしてはスポーツ選手として成長することはできな かったと思います。母の影響力は計り知れません。私を試合やゲームに連れて行ってくれただけでなく、私がひどい プレーをしたときは叱咤激励し、成功したときは祝ってくれました。怪我をしたときは面倒を見てくれましたし、幅広 い視野を与えてくれました。母の愛、気配り、徹底した教育、そして信仰のおかげ で私は自信を持つことができ、 自分 の目標はほぼすべて達成させることができました。 身近にいる女性の中でこのような人を思い浮かべませんか? 皆様の人生の中にもこのような女性はいることで しょうが、その中でも特にマリア様を思い浮かべませんか?マリア様はとても強い信仰心を持っておられました。マ リア様は、最初から最後までイエス様と使徒たちの世話をされました。ひどくつらい状況に置かれてもマリア様はイ エス様のおそばにいました。母親がいなかったら、イエスは偉業を成し遂げることができなかっただろうなどと言う のは大嘘なので、 もちろんこんなことは言えませんが、それでもイエス様がマリア様に感謝をしていたことは間違い ありませんよね。母親や、 自分を励ましてくれた人を敬いなさい。キリストは愛で尊敬の念を示しました。同じように 敬意を示しなさい。 「どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互いに同じ思いをいだかせ、 こうして、心を一つにし、声を合 わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。 」 聖書のローマ人への手紙15:5-6より

心構えと献身の心

トライアウトしに来た20人のうち、サッカー選手は1人もいませんでした。20人のうち、サッカーの経験がある人は8 人しかいませんでした。バスケットボールのスター選手や元ソフトボール選手、女優や音楽家はいましたが、サッカ ー選手ではありませんでした。 この子たちが所属している小さな学校のサッカーチームは、試合そのものよりも大きいものを象徴していまし た。そのチームは、学校で史上初の女子サッカーチームだったのです。 誰もあまり期待をしていませんでした。競技レベルが高く、非常に競争的なリーグで試合をすることは困難なこと でした。 しかし、厳しいトレーニング、高い基準、低温での練習、泥だらけのフィールドに対して文句を言った人は誰 もいませんでした。彼女たちはサッカーを熱心に練習しましたが、何よりも、チームとチームの目標に献身的に取り 組みました。言い訳など一切せず、困難な状況においても、団結して解決策を導きだそうとしていました。 シーズンの初めは、負ける試合が多かったのですが、彼女たちはすでにチャンピオンでした。 フィールドの外で は、彼女たちはさまざまなプロジェクトで社会奉仕をしてきました。その中には、大病を患っている人々のために奉 仕するプロジェクトもありました。 フィールドでは、強い意志を持ってプレーしていました。 ですから、 シーズンの中ご ろで初めての勝利を獲得したことに私は驚きませんでした。誰も予測していませんでしたが、私たちは勝つことを信 じていました。 神様は信者である私たちに、自分勝手な目的ではなく、尊い目的のために奉仕することを命じています。個人の 賞や評価を求めるスーパースターではなく、チームプレイヤーを探されているのです。神様は、奉仕できない言い 訳を聞くことを望まれていません。神様は、正しい態度を持って、神に栄光を帰する人々を求められています。 自分の人生において、心構えと献身の心を改めなければならないところはありませんか? 2


「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与 えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、 また、人の欲にもよらず、た だ神によって生まれたのである。 」 聖書のヨハネによる福音書1:12、13

父から子へ

心から愛しているのは誰ですか、 と訊かれたら、私が結婚した女性とキリストだとすぐに 答えます。 しかし、 スポーツに関しては、サッカー、バスケットボール、 クリケットなどと、 さ まざまな対象に私は愛を注いでいます。 私の真実の愛は、神様から与えられたものですが、 スポーツへの愛と私のお気に入 りのチームは、父から受け継いだものです。私がサッカーやスポーツに恋をしたの は、父に憧れており、父と同じことを愛したかったからです。私と父のつながりが深い のは、 スポーツのおかげだと思います。父と同じことを愛したいという願望を持った ことで、 さまざまなことを経験し、サッカーに対する愛を発見することができました。 天なる父が心から愛しておられるのは、誰なのでしょうか?それは、私たちのような 神の子供たちです。イエス様は、最も偉大な戒律はお互いを愛することだとおっしゃ いました。天にいらっしゃる父なる神の愛を分け与えることは、本当にすばらしいこと だと思いませんか?愛を分け与えることは、主との関係にどのような影響を与えるもの なのでしょうか?父なる神と同じように、私たちも、神の子供たちを愛しなければなりま せん。キリスト様を信じる兄弟姉妹への愛を育み、その経験を大事にしてください。 「わたしに呼び求めよ。そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大き な隠されている事を、 あなたに示す。 」 聖書のエレミヤ書33:3より

目に見えない結果

私がコーチをしていた学校が、初めて男子サッカーのシーズンで試合をした当時、 その学校は創立されて数年しか経っていませんでした。そのため、なんとかして 競争力のあるチームを育てようとしていました。 その当時のチームは12歳から14歳で成り立っており、他の地元の学校と試 合をしていました。12歳の子は3人しかおらず、非常に厳しいシーズンだったの で、彼らのリーダーシップを当てにしていました。 数回しかゴールを決めることができなかったにも関わらず、チームは試 合に3回勝つことができました。 しかし、 「勝つ」 という目標は多くの選手に ネガティブな影響を与えました。シーズンの終わりにかけては、選手の 間だけでなく、コーチの間でも何度もけんかが起こり、士気が低下しま した。 これほどシーズンが早く終わってほしいと願ったことはありませ んでした。 そこで、オフシーズンでは、新しいトレーニングと身体調整に全力 を傾け、達成可能な小さな目標に取り組みました。 また、チームをま とめることだけでなく、 プログラムも築くことも強調して取り組みま した。さらに、霊的に成長できる活動に時間をもっと割くようにし、 スポーツを神様が召命する人生と結びつけるようにしました。 それから3年間、 この青年たちは、 フィールドでは何時間も自分の 技術を完璧とすることに時間をかけて、 リーダーとなるように努力し ました。そして、 フィールド外ではキリストのように生きるように努め ていました。12歳から14歳だった少年たちは15歳から18歳となり、 その学校のどのスポーツチームも勝ち取ることがなかった競技連 盟のタイトルを初めて獲得しました。 プレーオフでは3位に入り、準 々決勝戦まで突き進みましたが、残念ながらオーバータイムで優勝 者となるチームに負けてしまいました。 現代の騒動の中では気づきにくいかもしれませんが、神様は私た ちの人生のために大きな計画を立てられています。辛抱強く待って、 神様の壮大なご計画 が示されるのを待ってみてく ださい。きっと待つ価値はあるはずです。 Fabrice Coffrini / AFP / Getty Images

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「あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛に よってあなたを新たにし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる。 」 聖書のゼパニヤ書3:17より

頼りとするもの

ダビデがゴリアテを殺す話、イエスが水の上を歩く話、エリコの壁が崩れる話などといった驚異的な話は知ってい ましたし、何よりも、不可能を可能にする神の話を聞くのが大好きでした。そこで、福音を聞 いたことがない人々に福音を伝えることを努めました。 このような聖書の話を知っていたのにも関わらず、私は神を賛美しないような生 活を選びました。サッカーを偶像神として拝んでいたのです。世界一のサッカー選手 となることばかり考えていました。私が所属しているチームが試合をしているときで も、私だけが注目されたいと思っていました。 18歳のとき、糖尿病だと診断されたことで、人生が180度変わりました。生まれて初 めて、自分の人生はコントロールすることができないものだと気づきました。怖くて、何 を頼りにすればいいのか分かりませんでした。病室のベッドで寝ているときは、サッカー を頼りにすることはできませんでした。サッカーは私を慰めてはくれませんで した。人生で最もつらかったとき、私の慰めとなったのは、私が何をしよう と神様は私を愛してくださるということでした。イエスが主であり、救い主 であるという真実が、私に真の平和をもたらしてくれました。子供のころ に学んだ真実が心の中に生き生きとよみがえりました。 この真実のお かげで、私はイエス様の大いなる目的のために祈ることができるよ うになりました。

「だから、なんら欠点のない、完 全なでき上がった人となるよう に、その忍耐力を十分に働かせる がよい。 あなたがたのうち、知恵に 不足している者があれば、その人 は、 とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願いも求めるがよ い。 そうすれば、与えられるであろう。 」 聖書のヤコブの手紙1:4-5

困難を乗り越えて強くなる

私は16歳から18歳まで学校で5つのスポーツをしました。サッカー、 バスケットボール、野球、陸上競技、そして、学校が休みのときは水 泳もしました。さまざまな運動競技をしましたが、その中でも、初日 のサッカーチームの練習は際立って覚えています。練習では、経験 したことがなかった痛みと苦しみを感じました。 トレーニングが終盤にさしかかったときのことです。もう少しで 終わりそうだと考えていたら、コーチが丘のふもとに私たちを一 連に並ばせました。私は、予想外の出来事に、準備ができていませ んでした。丘を上り下りして走らされ、後ろ向きで丘を上り下りし、片 足で跳ねながら丘を上り下りしました。苦痛で吐きそうになったそ のとき、 コーチが「やめるな。 これを乗り越えたら強くなれんだ 」 と 叫ぶのが聞こえました。 それから何年も経ち、 「丘」を何度も上り下りしましたが、やっと コーチが言っていたことの意味が分かるようになりました。ヤコブ が手紙の1章4節から5節で世界中の信者に伝えようとしていたこと も分かりました。ヤコブはコーチとは同じ言葉を使いませんでした が、内容は同じです。つまり、試練に立ち向かわなければならなくて も、それは自分を「強くするもの」なので「非常に喜ばしいこと」 と思い なさい、 と言っているのです。自分の力ではうまく対処することができ ないと思ったときには、ヤコブの手紙の1章1節から4節をじっくりと読 んでください。神様にその困難の目的を教えてくださるよう、神様に祈っ てみてください。ヤコブの1章1節にあるように、神様は苦しみの目的を教 えてくださると約束されています。困難を乗り越えて強くなってください。

Jamie Sabau / Getty Images


「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。 」 聖書のコロサイ人への手紙3:23 より

神に栄光を帰する

上記の聖句は、長年、私にとって最も重要な聖句でありました。特にサッカー選手としてのキャリアの終わりにかけ ては、 この短い聖句は私にとって非常に意義深いものとなりました。 コーチになって間もないころ、神はこの聖句を よく私に思い起こさせました。 この聖句に関しては、特に、下記の3つのポイントが特に重要だと私は思います。 1)神はすべてにおいて努力をすることを求められています。聖書を読むことや、祈ることだけでなく、すべての分 野(勉強、仕事、人間関係、 スポーツ、神を愛することなど)において努力をしなければなりません。 2)何事にも努力して取り組むだけでなく、真心を込めて努力をしなければなりません。神様は、常に一生懸命に 努力しなければならないとおっしゃいます。15%だけ働いてはいけません。99%だけでもいけません。100%努力を しなければならないのです。神様は、私たちが常に卓越した人となるように望んでおられるのだと思います。 3)自分のためや他人のためだけでなく、神様のために一生懸命に努力しなければなりません。私たちはすべて において、イエス様を賛美しなければなりません。 神様は、神に栄光を帰するように私たちが精一杯努力することを望まれているのです。 「だから、飲むにも食べるにも、 また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。 」 聖書のコリント人への第 一の手紙10:31より

自己愛の問題

12歳のときからプロのサッカー選手になりたいと思っていました。ですから、成長期には、 この目標に一歩でも 近づけるためには何でも行ないました。私が所属していたチームは全国選手権を獲得しましたし、私自身、国際的 に有名な選手となり、 プロのチームと契約を結ぶこともできました。 長年の夢がかなったのですが、たったひとシーズンでチームを去ることとなってしまい、人生のどん底に陥りまし た。恥ずかしさや、憂鬱さで、私は自分が取るに足らない存在だと感じてしまいました。サッカー選手としてのアイデ ンティティがなくなり、困惑しました。私の自尊心はすべてサッカーをしているときに得たものや、他の人が教えてく れたものから形成されたものでした。私は、自分の栄光と名誉とお金のためにプレーしていました。自分のためだ けにプレーしていたのです。 どのチームの選手も、自己愛が強いという印象を抱きました。選手たちは他のチームメートが失敗したり怪我を したりするのをひそかに願っていました。自分のイメージをよくし、他の選手のイメージを悪くするためにいろいろ な噂が流されました。外面は謙虚に見えても、内では優越感を覚えていたのでした。 後ほど所属したチームの選手と出会うまで、私は、団結してお互いに努力し合う選手たちを見たことがありませ んでした。彼らは、サッカーの試合そのものよりも大きな目的を持っていたため、喜びに満ちあふれていていまし た。 自分のためでなく、神の栄光のためにプレーする選手たちへと変えてくださったキリストの愛を見ることができ ました。キリストに基づいたアイデンティティを確立することには、いまだに苦戦していますが、 コリント人の第一の 手紙の10章31節はいつでも私の支えとなってくれます。神様は自分だけでなく、周りの人々のことも考えて行動して ほしいと望まれています。 そこでヨブは主に答えて言った、 「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、 またいかなるおぼしめしで も、 あなたにできないことはないことを。 『無知をもって神の計りことをおおうこの者は誰か。 』 それゆえ、わたしはみずから 悟らない事を言い、みずから知らない、測り難い事を述べました。 」 聖書のヨブ記42:1-3より

なぜ私が?

ブラジルの元サッカー選手であるジョゼ・エジミウソンについて読んでいたとき、私は彼のこの言葉に感銘を受 けました。 「神に『なぜですか?』 と尋ねることが頻繁にありますが、 『何のためにこうされるのですか?』 と聞くことは ありませんよね。神様を信頼しなければなりません。」 彼の言葉は、 ブラジル代表に選ばれたものの、怪我のせいで世界最大のスポーツ試合でプレーすることができ なかったという、 自らの経験に基づいていました。 悪いことが起こったと感じたとき 「何で私がこんな目に?」 と尋ねたことが何度あるでしょうか? 「感じる」 と述べま したが、私たちは自分の目標を妨げるものや自分の利益とならないことはすべて悪いことだと決めてかかってしま う傾向にあります。 しかし、 ヨブの人生を見てみたら、 このような考えは間違っていることが分かるでしょう。 ヨブは、 神様がいつなんどきもすべてを統治していることを理解していました。 (ヨブ記42:1-3) ヨセフの人生にも同様のこ とが言えます。 ヨセフは、兄弟たちが自分を奴隷として売ったことを赦し、彼らに悪意があったとしても、神は善意を 持ってこのようにされたのだと言いました。 この次、なにか「悪い」 ことが起こったと思ったときは、神様に「何のために?」 と尋ねてみましょう。そして、神様が 私たちのために計画されたことは、計り知れないほどすばらしいものであることに安らぎを感じてください。神を信 頼し、神に希望を寄せてください。 5


「しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜った、神のめぐみの福音をあかしする任務を果たし得さえした ら、 このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。 」 聖書の使徒行伝20:24より

心の中にある喜び

私がサッカーをするのは、サッカーが使徒行伝の20章24節に書いてあることを経験する機会を与えてくれると信じ ているからです。 この聖句を意義深くする方法として、キリストがピリピ人への手紙で示すように、チームメートと協 力し、チームメートを自分よりも優れていると考えて試合をすることが挙げられます。 神の恩恵を示す態度で試合をすることはできますか?神様はサッカーとは別の情熱とビジョンも私に与えてくだ さいました。それは、子供たちと他国のために奉仕することです。 私はサッカーを通して地域の子供たちを愛し、子供たちの将来に投資しています。子供たちと時間を過ごすこと で、私たちが生きている人生の重要さと目標を達成させることの重要性を学びました。イエス様が私たちのために してくださったことを世界に示すということが、神の恩恵の福音であることを忘れてはなりません。サッカーは世界 共通語ですので、文化や宗教交流を促し、人々を引き合わせます。 このため、私はこの聖句を他の国々に伝えるとい う目標を成し遂げることにまた一歩近づくことができるのです。たった1つの小さなボールで私の心の中にある喜 びを分かち合うことができるのです。あなたは、 どのようにして心の中にある喜びを分かち合っていますか?

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。 」 聖書のピリピ人への手紙4:13より

きちんと準備をすること

人生とは一連の試練であり、浮き沈みのある旅です。1つの問題を乗り越えたら、 また別の問題が浮かび上がってき ます。試練が永遠に続くと感じることもあるでしょう。 しかし、必ず乗り越えることができます。なぜなら、主はあなた を最後まで導いてくださるからです。 サッカーはどのスポーツよりも人生に似ていると思います。 タイムアウトも、相手の戦略を見越したり次の決断を 導いたりするプレーブックもありません。落ち着いて現実的に考えながらも迅速に判断をしなければなりませんし、 新しい環境にはすぐに適応しなければなりません。必要となれば、戦略を新しいものと変えなければならない必要 も生まれるでしょう。 フィールドでの決断は、結果を影響するものなのです。 たった90分の試合のために、私たちは何時間も練習します。キリストと一緒に歩むために、そのくらいの時間を かけて準備をしていますか?もしそうでなければ、神を賛美する人生に変えていかなければなりません。

「人がもし、 そのひとりを攻め襲ったなら、ふたりでそれに当たるであろう。三つよりの網は絶やすくは切れない。 」 聖書の 伝道の書4:12より

ひとりぼっちじゃない

人生はサッカーと同じように1人で生きるものではありません。助けてくれるチームメートがいます。他の人よりも努 力をする人、知識が豊富な人、技術が長けている人などさまざまでしょう。キリストの信者として、他の信者と関係 を築くことが重要なのはこのためです。それぞれが、 より大きな善のために貢献しなければなりません。チーム における選手の役割と同じように、 この大きな善における個人の役割はどれも重要です。同じチームの一員 としてお互いに協力し、尊敬し、愛し、奉仕しなければなりません。 サッカーを通して私が学んだことは、1人でチームをつくることはできないということ、そして、チーム が自己を形成するのだということです。孤立して人生を生きることはできません。自分一人で下した 決断も、他人の人生に影響を及ぼします。毎日正しい決断する準備はできていますか?十分な準備 はできていますか?誰かを頼りにすることはできますか?

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「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに 得させるためである。 」 聖書のヨハネによる福音書10:10より

充実した人生

満ち足りた人生とはどのようなものなのでしょうか?私はこれを長い間、疑問に思っ ていました。私の心を満たすような人生を過ごし、他の人々の人生を変えることをし たかったのです。神様との関係を築くために自分が創造されたことには、20代にな るまで気づきませんでした。 しかし、神に栄光を帰し、人々のために奉仕をするため に神は私にこの贈り物をくださったと気づいたのも、 このときでした。 サッカーをすることや競技することは大好きでしたが、誤った理由でこれらのことを していたのだと思います。神様が与えてくださった人生を生きるということ、私の 才能を使って人間関係を築き、カルチャーギャップを埋めること、希望のメッ セージを分かち合うことなどの重要さがやっと分かり始めました。 この14年間、私はプロの選手としてサッカーをするチャンスが与えら れたのですが、 これよりも重要なことは、私の人生を変えてくださった 主のことを他の人々に伝えることができたことだと思っています。 神様は、私たちの心を満たし、世界を変えるような人生を送っ てほしいと望まれています。私の願いは、あなたがまず、最も重 要な関係であるキリストとの関係を築き上げ、神様があなたに 何をしてほしいのかと考えることです。 この2つのことを実現 させることができたら、キリストが私たちに与えてくださっ た「充実した人生」を送ることができるのだと思います。

「愛は寛容であり、愛は情深い。 また、ねたむことをしない。 愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、 自分の利益を求 めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで 真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、 すべてを耐える。 」 聖書のコリント人への第一の手紙13:4-7より

奉仕する方法

数年前までは、神に喜ばれないような生活をしていました。 よいチームで プレーし、お金もたくさん稼ぎました。 しかし、幸せを感じることはありませ んでした。それは、偽の友達がいる悪い環境で生活をしていたからです。 し かも、私は自分の所有物のために好かれていたのでした。 妻と出会ったとき、彼女は真の神の愛を知る手助けをしてくれました。イ エス様を受け入れ、人生のすべてをイエス様にささげたその時、すべてが 変わりました。新しい人生を歩むことができ、信頼できる友人もできまし た。サッカー選手として仕事をする際も、チームメートとの間に信頼関係 を築くことができました。 また、神様は、私が主のことをチームメートに教えるように私の心に 触れられました。チームメートに主のことを伝えるように召命されたと感 じた私は、独創的な方法でチームメートに奉仕できるようになり、イエ ス様について話す機会も多く与えられるようになりました。 神様はサッカーを通して私の人生を変えてくださいまし た。 また、サッカーを通じて神の御国を人々に分かち合 うようにされていたのだと気づくことができまし た。あなたは、 どのような方法で福音を 分かち合うようにと神様に伝えられ ましたか?

Christian Petersen / Getty Images

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