データで 読む 都市の姿
乗車人員数に見る、 地域開発の集客効果
2
立澤 芳男
Y o s h i o Tatsuzawa
マー ケット・プレイス・オフィス代 表
毎 乗車人員データから、地域開発による波及効果を推
年、JR東日本から発表されている各駅一日当たりの
流 通 系 企 業 の 出 店リサ ー
し量ることができる。2000年以降、東京都心部では丸の内
チ・店 舗コンセプトの 企 画 立案など、都市、消費、世代
や汐留、品川、六本木ほか、各地で大型の複合ビル街区が誕
に関するマーケティングの 仕事師。元「アクロス」の創
生し、集客競争も激化した。その結果が、乗車人員の推移に
刊編集長。著書に『 データ
表れている。
で斬る逆転のマーケティン グ・100万人の時代』 『 東京
2006年度の乗車人員数上位(表1) は、ターミナル性を発
の侵略』など。
揮する新宿駅、池袋駅、渋谷駅の御三家がトップ3を占め、 東京駅は横浜駅に次いで第5位。注目したいのは、その増減 率である。東京駅の乗車人員数は新宿駅の
表1 1日当たりの乗車人員 ベスト5
1 新 宿
2 池 袋
3 渋 谷
4 横 浜
5 東 京
’ 00年度
753,791 757,013
’ 06年度
0.4%
増減率
570,255
’ 06年度
570,650
キング(表2) を見ると、いずれも乗車人員10 ∼20万人規模の駅であるが、大崎、秋葉原、
0.1%
増減率
品川、立川、川崎駅が2ケタの伸びを示して
428,165 430,675
’ 06年度
いる。減少率ワースト5(表3) と比べると、そ
0.6%
増減率 ’ 00年度
の違いは一目瞭然。例えば秋葉原はヨドバシ
385,023
カメラ、品川は新幹線新駅や駅中エキュート、
391,185
’ 06年度
1.6%
増減率 ’ 00年度
川崎は駅前ラゾーナSC等々、個性的な地域
372,611
開発による集客効果が大きいことがわかる。
382,242
’ 06年度
2.6%
増減率
大 崎 秋 葉 原 品 川 立 川 川 崎
’ 00年度 57,101 137,736 253,575 132,672 156,291
’ 06年度 101,941 200,025 308,681 152,974 174,650
増加率
78.5% 45.2% 21.7% 15.3% 11.7%
表3 1日当たりの乗車人員減少率 ワースト5
1 2 3 4 5
柏 御茶ノ水 目 黒 田 町 上 野
’ 00年度 149,376 116,955 106,820 154,714 189,388
日本一のスーパー・ステーションといわれる 東京駅は、新幹線含む中・長距離列車の利
表2 1日当たりの乗車人員増加率 ベスト5
1 2 3 4 5
トップの2.6%。丸の内開発による集客効果 が表れているのがわかる。一方、増加率ラン
’ 00年度
’ 00年度
約半分と少ないものの、増減率は上位5駅中
’ 06年度 126,721 105,954 100,006 145,240 178,007
減少率 -15.2% -9.4% -6.4% -6.1% -6.0%
用客が中心で、内容的には地方からの動員力 が高い駅である。大いなる田舎の駅でもある 東京駅は、 「東京ステーションシティ」 計画に よって、果たして数年後の乗車人員データを どう変えているだろうか?
’ 06年度JR東日本調べ(単位:人)
カンケン NETWORK 発
3
CITY SCIENCE
Vo l . 2007年10月15日発行
Environmental Planning Laboratory Inc.
発 行 所 : 株式会社 環境計画研究所 〒153-0061 東 京 都目黒 区 中目黒1-8-8 F2ビル5階
Tel: 03. 3791. 7733
■ 編集協力: エディティング・ブレイン ■ デザイン: Yumiko Shoto
特集 カンケン 育てるWEB
h t t p : / / w w w. e p l . c o . j p /
東京駅「丸の内口 vs 八重洲口」都市再生を読む
カンケンNETWORKとは 際に、仲間と交歓しながら街を歩いて肌 で感じ、後日それぞれが得意とする専門 的視点でブレストを行い、 その結果をカ タチにしたのが弊誌です。この「仲間」 と いうのは、弊社がいつもお世話になって いる専門家の方々であり、都市を新たな 視点でマーケティングするコミュニティの ようなもの。未だ見ぬあなたも参加できる、 タウン・スタディーズのネットワークです。
セ ン チ メ ン タ ル ジ ャ ー ニ ー
4
他、INAXギャラリー「自給自 邸」、 リビング・デザインセンター 「日本人と暮らしを考える」な どのプロジェクトに参画。著書に 『アーバン・テクスチュア』住 まいの図書館出版局、 『街 の忘れがたみ 』ギャップ 出版など。
M a k o t o
東 京 造 形 大 学 デ ザイン学 科 教 授
C o n t e n t s
3
さなビルが並び、飲食店の派手な看板、事業所の窓には切り文字、
店頭の手書きビラが目に飛び込んできた。麻雀、カラオケもある。この猥雑 さ、30年前と変わらない。見事なコックさばきで日本一の生ビールを飲ませ る店“灘コロンビア”や“トリス”を置くスタンドバーがあり、八重洲通りには ピンク映画館もあった。 “喝采”なんかが流れていたかな。東京駅間近とはと ても思えない泥臭さだ。 昼 食 後、日比谷交 差 点 近くから 『丸の内 仲 通り』へ。ガラス・カーテン ウォールのビルが並ぶ姿は、いかにも日本を代表するオフィス街だ。その足 元では歩道の拡幅工事たけなわ。天然石が敷設され、並木が植えられ、木陰 には洒落た木製ベンチもある。無機的な感じのする街に彩り、という訳だ。 少し先はすでに歩道の整備も終わり、ビルの一階には有名ブランドショップ。 外国を思わせるブティック通りとなっている。歴史的建造物の多かった丸の
東京駅「丸の内口 vs 八重洲口」 都市再生を読む 火
如
侵掠如火! 東京駅八重洲口の再開発が動き出したが…。 立澤 芳男 [ マーケット・プレイス・オフィス代表 ]
10
しぶりに、東京駅周辺の街を歩いた。 『八重洲仲通り』へ。低層の小
寂しい横顔
侵略
4
久
O t a k e
センチメンタルジャーニー ❹ 大竹 誠 [ 東京造形大学デザイン学科教授 ]
特集
現代都市をフィー ルドにデザ イン調 査・研 究を続ける。J R 東日本企画の「駅学ノスゝメ」
大竹 誠
寂しい横顔
街は、 日々変化しています。その変化を実
八重洲再見! その価値とは?
内だけに、古い建物をそのままガラスで覆って新旧融合させたビルもあった。 ふと新しくできた高層ビルの隙間に目をやると、気だるそうに休んでい る人たちがいた。ガラスのビルから逃れてきたように。そうだよな、ガラス・ ジャングルに缶詰じゃ滅入るよな。ビルの隙間は今は何もないネガティブス ペースだが、屋台が出たり、野外カフェが広がったりしたら、猥雑さも増して、 生き生きとしてくるだろうに。そんな横顔もある丸の内になれば、たびたび訪 れたいと思うのだが。
友田 修 [(株)環境計画研究所 企画開発マネージャー ]
Shop Science エクスペクタンシー(期待度/期待感)❹ 落
14
書
グラフィティから生まれるエクスペクタンシー 前田 裕香 [(株)環境計画研究所 コーディネーター ]
データで読む都市の姿 ❷
16
乗車人員数に見る、地域開発の集客効果 立澤 芳男 [ マーケット・プレイス・オフィス代表 ]
カンケン NETWORK 発
3
vol.
3
特 集
東京駅
「丸の内口 vs 八重洲口」都市再生を読む
MARUNOUCHI
vs
* 大 丸の入っている鉄 道 会館跡地にツインタワーを繋ぐ グランル ーフが 形成 される。 詳しくは、「 東 京 ステーションシティ」h t t p: //w w w. tok yostationcit y.com /
YAESU
田舎の大将から国際的ボスへ 2004年9月に着工した東京駅の八重洲口再開発は、2013年(予 定)に完成する。駅前広場を含む全長約300mの敷地の両端に超 高層ツインタワーを建設し、そのビル間は大ルーフ(屋根) で覆い、 天候に左右されることなく行き来できる歩行者用デッキを備えた 駅前広場とする計画だ *。と、ここまでは絵姿的には壮大だが、他 の都市再開発と同様、業務・商業機能及び交流機能の充実、駅 前広場の整備と、特に目新しいものがある訳ではない。しかし、こ の開発にはまだ、丸の内側の駅舎を開業当時の3階建てに復元す るという大プロジェクトが控えている。 そもそも本計画「東京ステーションシティ」の目的は、日本の表 玄関でもある東京駅周辺を国際都市の拠点として整備することに
略
す
る
と
火
の
如
く
マーケット・プレイス・オフィス代表
ある。そのためには、東京駅の重心を、庶民的イメージの強い八重 流 通 系 企業の出店リサーチ・
内オアゾ、新丸ビルなど、丸の内側では次々とビルが竣工し、風
など、都 市、消費、世代に関す
店 舗 コン セ プト の 企 画 立 案 るマー ケ ティングの 仕 事 師。
景が一変した。一方、庶民的で雑多なイメージの風景を残す八重
元「アクロス」の創刊編集 長。 著 書に『データで斬る逆 転 の
洲側も、東京駅の八重洲口再開発で、その姿を大きく変えようと
マー ケ ティン グ・100万 人 の 時代』 『 東京の侵略』 など。
している。ここでは、再開発における課題と訴求点について考え てみたい。 4
Y o s h i o
Tatsuzawa
洲口ではなく、国際性のある丸の内口にシフトしていく必要があ る。日本の近代建築文化の象徴である赤煉瓦駅舎の保存・復元 は、この計画の重要な目玉となるはずだ。 東京駅は、丸の内と八重洲、つまりエリートと庶民、東京的なる ものと地方的なるものを混濁併せのむ「スーパーステーション」を 標榜している。国際的色彩の強い丸の内側では東京駅を復元し、
vs 八 重 洲 口 ﹂都 市 再 生 を 読 む
東京駅周辺の再開発といえば、丸ビルや丸の内マイプラザ、丸の
東 京 駅﹁ 丸 の 内 口
立澤 芳男
こ
特 集
侵 掠 如 火 ! 東京駅八重洲口 の再開発が動き出したが…。
侵
5
MARUNOUCHI 庶民性・地方性の強い八重洲側では、高層ビルと大ルーフで先
明治・大正時代のビルも保存・ 復元して高層ビルとの融合を図る など、景観も重視した計画的な再 開発を行っている。
進性・先端性をアピールするエリアをつくるなど、田舎の大将的イ メージだった東京駅を、世界に通用するボス = 国際的スケールと
いう「点」が、大きな二つの点と二 つの面を持ちながらも、点として 機能している。それを無理矢理、
レベルの駅に格上げする訳である。駅の重心を丸の内側へシフト
一つの点に集約して二分化を解
しつつ、二分された駅を融合させようとしているのだが、戦後の東
消する必要はなく、むしろ多様な
京駅を支えてきた八重洲色は当然、薄められてゆく。
目的を持って二点(丸の内口と八 重洲口)を出入りする利用客を、 いかに効率的かつスピーディーに構内を移動、あるいは交流させ
二分化された利用客の流動性・回遊性への挑戦
るかが重要である。そのためには、待ち合わせの場、憩いの場も
東京駅は、一つであって、一つではない。二つのメイン改札口の
必要だろう。
うち、丸の内口は大企業サラリーマンや官公庁関係者が利用し、
問題は、丸の内と八重洲に二分化されている利用客をどのよう
八重洲口は新幹線や中・長距離列車利用客、サラリーマン、サー
に一体化させるのか、異質な目的と行動をとる人の流れをいかに
ビス業従業者などが利用。棲み分けはできており、極端に言えば
スムーズに回遊させるのか。まさか、ショッピング目的という同質
相まみえることはない分断された構造となっている。この二分化
の行動をとる客相手の大型百貨店や商業施設の回遊動線・通路
は、駅だけの問題ではない。むしろ、改札口とその改札口を利用
と同じはずはないと思うが、完成後の利用客の回遊動線にも注目
して成り立つ「駅前のエリア街区」との関わり方の問題である。つ
したい。
まり、街づくりの観点からは、 「点」 と「面」の関係であり、東京駅と
分断された街への寄与度やいかに
皇 居外 苑
仮・丸の内 1丁目地区建替計画 (2010年完成)
馬 場 先濠
都営三田線・日比谷
千代田線・二重橋前 帝国劇場
丸の内パークビル 三菱一号館 (2009年完成)
丸の 内 3
八重洲
線・ 丸ノ内
グラントウキョウ サウスタワー
オアゾ
グラントウキョウ 八 重洲 ノースタワー 中 央口(大丸:B1∼13F)
グラン (2013 ルーフ 年完成)
八 重 洲2
中央通
り
八 重 洲 通 り
ケースが多い。分断化の原因は、その地域で駅が果たした社会的 役割(設置時期・設置目的など)や地域の商業力、ホームや駅舎 の建築上の問題など様々だろうが、都市を再開発する上では大き
広場や通路の確保など種々あろうが、地域開発のほとんどが、こ
サピア タワー
の分断をどう処理するかがテーマとなっていることは否めまい。
丸の内 丸の内 トラスト トラスト タワー タワー N館 本館 (2008年完成)
東京駅の場合は、新宿駅や池袋駅など、繁華街が肥大化して
仮・八重洲 1丁目計画 (2008年完成)
八重 洲1 八重洲
見られ、地域商業の活性化や駅前交通整備のネックとなっている
な課題である。解決策としては、駅の地下化や線路をまたぐ形の
仲 通り
東 西 線 ・ 日 銀座線 本 ・日本 橋 橋
東京駅丸の内口・八重洲口周辺図 丸の内側に比べて、八重洲側は区画がかなり小さいのがわかる。路地には小さな雑居ビルや 2階程度の飲食店などが並んでいて、正に裏街の感。
6
八重洲(右) と丸の内 (左) を分断 した東京駅。その経緯については 10pで詳述。
いった街のケースとは異なる。古き良き日本を残す代表的な繁華 再開発は日本橋方向に向かって おり、八重洲側は大通りを1本入 れば別世界が広がっている。
YAESU
街・日本橋や八重洲と、国際色豊かな高層ビル業務街・丸の内や 大手町など、歴史ある街を分断しているがための重圧が東京駅に はある。この東西二つのエリアを行き来させ回遊させるという、大 げさに言えば国際化するニッポンと古き良き伝統・文化とを、どう
vs 八 重 洲 口 ﹂都 市 再 生 を 読 む
八重洲 ブックセンター
・京橋
東京
東 西 線 ・ 大 手 町
らず大きな建築面積を有する駅には、改札口の分散や街の分断が
JR・東 京
堀 通り
銀座線
丸の 内1
丸の 内 中央 口
TOKIA
鍛 冶 橋 通 り
丸 の 内仲 通り 新丸ビル
丸の 内2
パシフィック センチュリー プレイス 丸の内
線・外
丸ビル
永 代 通 り
東 京 駅﹁ 丸 の 内 口
京 葉 線 東京国際フォーラム ・ 東 京
首都高
行 幸 通 り
丸の内 MY PLAZA
駅(点) と街(面) という視点から都市開発を見ると、東京駅に限
都営三田線・大手町
特 集
有 楽 町 線 ・ 有 楽 町
日比 谷 通り
7
YAESU
パイプをつくり融合させるのか、ダイナミックな仕掛けが必要であ
新幹線や中・長距離列車、高速バスなど、交通ネットワークによる
ろうことは想像に難くない。
一日の乗車人員約38万人の約半分が、八重洲の鼻の先にいるの
駅は、街づくりにおいて最も重要なインフラである。その役割
である。それを見逃す手はないはずだ。国際派(都会)と日本伝
は立地条件によって様々だが、通勤通学という基本的役割と共
統派(地方) とが隣り合わせで共存するこのエリアにとって重要な
に、最近はマーケットプレイス(宿泊、買いまわり・最寄品販売、
ことは、八重洲口駅前に「大地方」 を出現させることである。
飲食、サービス)化、いわゆる「駅の街化」が進んでおり、駅を点か
「大いなる田舎の八重洲」を蘇らせることができる地域は、駅
ら面にすることで、街の分断を平面的に解決するケースが増えて
前旅館やホテル、一杯飲み屋が軒を連ねた日本橋への通路でも
いる。反面、街の分断をさらに増長するという批判が出ているこ
ある「八重洲駅前エリア(八重洲1丁目、日本橋1丁目など) 」にほ
とも確かだ。
かならない。東京駅が国際レベルの駅となり、丸の内が「ニュー
東京駅は、日本のど真ん中に存在することに加え、攻める国際
ヨーク」を目指すなら、八重洲は「大いなる田舎・地方」を目指す
派と守る日本伝統派という相反する日本のシンボル的分断街を有
べきだ。八重洲にとっては、新しい街づくりのチャンスがやってき
しているだけに、他のターミナル駅とは一線を画す役割があるの
たのである。
は言うまでもない。当然、駅の経営や運営における利益性は最優
例えば、日本全国47都道府県の各有名な飲み屋街・飲み屋横
先されるべきであり、その利益は駅のさらなる拡大や発展に繋が
丁を集める。そうすれば、酒も人も情報も、地方の人も都会の人
る資産である。だが、東京駅の最終的役割は、地域との連携、丸
も、地方や故郷を知ることができる。地方の物産PRプラザ、地方
の内・大手町と日本橋・八重洲エリアの発展にあるはずだ。二つ
製品売店、地方の名物料理店などを集結してもいいだろう。そし
の街の交流場として、橋渡しのできるマーケットプレイス化ができ るのか。八重洲口開発が、この分断化というテーマにどれだけ迫 ることができるのか。今後も続くであろう各地の駅や街の再開発
て、全国の地方自治体や地元企業家による大地方ビジネスの円滑
工事現場にはさまれた恰好の碁 会所。地権者の多い再開発地で 見かける1シーンだ。
化を図るべく、八重洲駅前エリアを「ふるさと特区」として税控除 や助成金などで支援し、ふるさと納税もここで受け入れてはどう
において、経営モデルとしてどのように生かされるのかについても
だろう。
注目したい。
ここで重要なことは、日本には横浜の中華街をはじめ、神田の 書店街、秋葉原の電気街等々、徹底的な集積で街をつくってきた
が、八重洲側は戦後早くから中小の事務所や事業所があったせ いか、船頭多しという状態でもあり、再開発は遅れに遅れている。
を引き継ぐ駅前のブロックにある。同時に、それは東京ステーショ
秋葉原電気街
ンシティの「駅と街の運営」ビジネスに大きなチャンスをもたらす
八重洲再開発の鍵は、徹底した 集積で街を形成している秋葉原や 神田の歴史にある。
経営テーマでもあるのではないだろうか。
東 京 駅﹁ 丸 の 内 口
丸の内側には独占的ともいえる強力なディベロッパーがいる
田舎をマーケット・インするチャンスは、八重洲の「姿・形・香り」
特 集
歴史から、そのノウハウを学ぶことである。八重洲という大いなる
「大いなる田舎」で蘇り、 「地方色」で活性化
vs
8 経団連・日経新聞・JAビルの3棟を建設中の大手町1丁目再開発地区。
八 重 洲 口 ﹂都 市 再 生 を 読 む
日本橋
駅周辺の再開発は、八重洲側は 歴史的面影を残す日本橋へ、丸 の内側は有楽町と大手町へと広 がっている。
9
Osamu
Tomoda
1984年 東 京 芸 術 大 学 建 築 学 科大 学院修士課程修了。環境計画研究所 設 立 当初より商 業 建 設・広告媒 体・ サインなど、情報系の企画を担当。
丸の内仲通り
MARUNOUCHI
vs
YAESU (現在は都道) だったが故に一企業対官によ るスムーズな進展を見せ、たった8年で見事
八 重 洲 再 見!
そ の 価 値とは ?
な変身を遂げた。整然と並んだショップ、並 木、ストリート・ファニチャー、アートなど、 その管理も徹底されていて隙がない。 「日 本のブランドモールここにあり」 、ともいうべ 八重洲仲通り
き品格だ。計画時、消費者に迎合するマー ケティングは一切行わなかったという。言わ ば、最上級とはどんなものかを日本人に教 育しているような街なのだ。第二丸ビルが
東京駅は今、再開発事業「東京ステーションシティ」が進行中だ。その両側の丸の内と八重洲のイメージは、
る裏口となり、丸の内側は表口という幸運と
竣工し、有楽町側にはペニンシュラホテルも
表の丸の内に対して裏の八重洲、世界の丸の内 ̶ 田舎の八重洲、一流の丸の内 ̶ 二流の八重洲……、
共に発展することになる。
でき、三菱一号館や赤煉瓦東京駅の復元を
とあまりに対照的。時代に取り残された感が否めない八重洲だが、街としての需要があることも確かだ。 その価値とは一体何なのか、あえて丸の内と比較しながら探ってみたい。
友田 修 (株)環境計画研究所
企画開発マネージャー
特別な街である*。特に仲通りは、三菱の私道
もって、2012年(予定)日本とは思えない美 しい街並みが完成する。
貴重な「とりあえず」感 「正面性」を失った八重洲は、東京駅とは
進む昭和29年に駅ビルができ、大丸百貨店
縁が切れた関係であり、国家主義の時代に
八重洲は、 「とりあえず」 という形容がピッ
易港と陸路を結ぶ中央玄関口・東京駅が必
がテナントとして入った。昭和39年、高度成
は存在感すらなかったのだと推測される。
タリの街である。その理由が、東京駅誕生
要であり、日本列島を縦断する大動脈の要
長の象徴ともいえる東海道新幹線が開業。
八重洲の「裏」イメージは、高度経済成長期
とすべき」 と説いた。
民衆駅の顔が完成するかに見えたが、当時
からなのかもしれない。しかし、裏だからと いって誰も振り向かなかった訳ではない。
に至る歴史と深い関係にあるのをご存知だ
ところが、対である東京国際港案が横浜
の国鉄は「夢の超特急新幹線は、人々をス
栄一が明治20年頃に提唱した「都市改造
(港)の猛反対にあって実現せず、海側の八
ピーディーに目的地へ運ぶことに使命があ
「とりあえず」 乾杯なくしては帰路につけない
論」 の中に、東京国際港案と対になった中央
重洲は商都東京の中心地となる機会を失っ
り、特別な駅舎のデザインは不要。駅は人々
高度経済成長期を支えた出張族のオアシス
ステーション案があった。それまでのターミ
てしまう。市区改正案は縮小し、一方の丸の
が買い物をする場所ではなく、乗り換えや車
であり、田舎から初めて上京した日に食事す
ナルは、西の玄関は新橋(官鉄) 、東の玄関
内側は三菱ケ原と呼ばれる時期を経る。そ
のアクセスを最優先するべき」とした。よっ
る駅前、列車時刻までの半端な時間を穴埋
は上野(日本鉄道)と分かれており、事業者
して第一次世界大戦が勃発した大正3年、
て、八重洲口の駅前広場は車中心に構成さ
めしてくれる便利な駅前として利用され続け
も異なっていた。それを渋沢は、 「近代国家
皇居側を表玄関とする国家主義的な東京駅
れ、昭和41年、地上が車に奪われた代わり
ているのである。
を急速に発展させるには、ベニスのような貿
が開業。八重洲側は貨物操車場のある単な
に八重洲地下街が誕生する。 * 三菱が明治政府陸軍省用地と三崎町を政府から買い受けたことから始まり、三菱ケ原(1890∼1894)の時代から、三菱村四軒 長屋(1894∼1900)、一丁ロンドン(1904∼1912)、一丁ニューヨーク(1914∼1923)、丸ビル開業(1923∼)、丸の内総 合改造計画(1959∼1969)等々、三菱は一社で街をつくってきたことになる。
vs 八 重 洲 口 ﹂都 市 再 生 を 読 む
ろうか。日本資本主義の父といわれた渋沢
東 京 駅﹁ 丸 の 内 口
八重洲は戦後、国家の駅から民衆駅化が
特 集
運命は「都市改造論」が握っていた
10
そもそも丸の内は、一企業がつくり上げた
11
迷
宮
優しい八重洲ラビリンス 丸の内は、大手町から有楽町にかけての
地下に埋めたような自己完結型の地下街な
一方、八重洲仲通りは、繁華街としても
地下鉄駅を地下で結んでおり、各ビルの地
のだ。この完結性こそが八重洲の真骨頂で
賑やかな一郭だ。漢字、カタカナ、アルファ
下駐車場とも繋がっているなど、まるで巨大
あり、東京駅の利用者、特に新幹線利用者
ベットなど、様々な色やフォントを使った溢れ
なアリの巣の様相を呈している。新しいビル
には利点といえる。土地勘のない人々にとっ
んばかりの情報コラージュもまた賑やかだ。
の地下はゆったりした通路でビル間を繋ぎ、
ては、わかりやすい地図を用意しようが東
新宿や渋谷にも、あるいは大阪や福岡にも、
地下の商業ネットワーク(オフィスサポート
西南北を示そうが、親切な道案内は得てし
つまりどこにでもある日本の駅前風景であ
系) も広げている。丸の内のエリートたちは、
て仇になる場合が多いからだ。彼らにとって
り、東京駅というネームバリューにしてはあ
オフィスからエレベータで地下に降りさえす
は、何よりも駅から離れないことが重要なの
まりにフツー。ビル間の横丁と言ってもいい
れば、地上を使わずとも最短距離でビルか
だ。八重洲の地下街は、どんなに迷っても、
統一感のある街並みである。そこに漢字や
程の小さな一郭ではあるが、出発時間ぎり
らビルへ、駐車場へ、最寄駅へ、ランチやア
ちゃんと改札へ向かうことができるラビリン
カタカナは存在しない。一流ブランドばかり
ぎりまで飲んでいられることが大切なのだ。
フター 5へと向かうことができるのだ。初め
スといえる。雑多な業種がお揃いの袖看板
だから当たり前なのだが、景観としてこれほ
選んでいる間に隣駅まで行ってしまっては困
て利用する場合は迷いそうだが……。
と共に整然と並ぶ空間は、東京に不慣れな
ど管理されている街がほかにあるだろうか?
るのである。
八 重 洲の地下は、前述の地下
旅人にとっては唯一安心できるエリアなの
ネットワークとは異なり、3
ている。銀 座線や都営 浅草線との接続がない せいもあるが、接続する ビル地下階との接点も 少ない。というより、ビ ル自体が小さいため、地
注: 八重洲側の地下通路はリニュー アル中のため、現在および完成後の 通路図とは異なる場合があります。
都 営 三 田 線 ・ 日 比 谷 千 代 田 線 ・ 日 比 谷
丸 ノ 内 線 ・ 東 京
丸ビル
丸 の 内 仲 通 日 り 比 谷 鍛 冶 橋 通り 京葉線・東京 通 り 東京国際
J R ・ 東 京
八重洲
フォーラム
地下通路
日比
谷線 ・日 比
谷
日比
丸の内側の地下通路
に接客術を心得ている。きっと、丸の内のエ
東京ステーションシティは、 「とりあえずパ
リートたちも八重洲でリセットしているだろ
比 較 するまでもな
ワー」の八重洲をオシャレに変えてしまうの
うし、新丸ビルのハウス*では吐けない本音
いが、丸の内仲通りは
だろうか。丸の内側から押し寄せる再開発
を吐いているに違いないのだ。
1999年、ミレナリオに
の勢いは、この小さな一郭までのみ込んで
よりブランド街 への転
しまうようにも思える。一企業が100年かけ
身がスタートし、週末は
て育てたブランド力と張り合っても敵う訳は
シャッター通りだった街が
なく、八重洲独自の一流を生み出す必然性
見事に変身した。看板類は
もないだろう。しかし、街の名前がなくなろ
すべて建物の一部となり、
うがビルにのみ込まれようが、小さな一郭に
地下商業フロア
有楽町
2本のガラスの摩天楼を有する八重洲口・
宿る大いなる裏魂、大いなる二流性、大いな る田舎感は不滅なのではないだろうか。 逆転発想ではあるが、中心性が高く、高
谷線 ・銀 座
銀 座 線 ・ 銀 座
八重洲の地下は、土地勘のない人も安心して 飲食や買い物が楽しめる「街」 として発展している。
度に計画された街にはストレスがつきまと う。必然的に、八重洲のような匿名的・大衆 という需要がある限り、無駄なプロセスは必 要ない。土地勘のない旅行者や時間調整し たい者、選んでいる時間がない土産物客や 出張族に、一流もオシャレもいらないのだ。 客の心理を知り尽くしている店側は、通りが
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MARUNOUCHI
vs
かりの客の背中を押す説得力ある看板と共
YAESU
による飲 食ゾーン。場末の居酒屋の一郭を再現したコー ナーがある。
参考文献:「江戸東京学事典」三省堂、 「図説・駅の歴史」 河出書房新社
vs 八 重 洲 口 ﹂都 市 再 生 を 読 む
的一郭が重要になるはずだ。 「とりあえず」
* 新丸ビル7階に登場した空間プロデューサー・山本宇一氏
東 京 駅﹁ 丸 の 内 口
丸の内・八重洲の地下通路網
新丸ビル
八 重 洲 仲 通 り
十八番はストレス・リセット
特 集
上のテナントビル3棟を
外 堀 通 り
オアゾ
丸の内 千 代 田 線 ・ 二 重 橋 前
景がここにはある。 永 代 通り
座
した地下街を形成し
都 営 三 田 線 ・ 大 手 町
線 ・ 銀
盲腸のごとく、孤立
いく中で、懐かしいアーケード街の風
ノ 内
が運営。東京駅の
ショッピングセンターに押されて寂れて
丸
つ の 地下 街 法 人
かもしれない。地方都市の駅前が郊外型 丸 ノ 内 線 ・ 千 門線・大手町 大 半蔵 代 手 田 町 線 ・ 大手町 大 手 町 東西線・大手町
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Shop Science
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エ ク ス ペ クタン シ ー( 期 待 度 / 期 待 感 )
[ e xp e c t a n c y ] 落
書
グ ラ フィティから 生 ま れ る エ ク ス ペ ク タ ン シ ー 前田 裕香
(株)環境計画研究所 コーディネーター
期待度と浅瀬効果の関係 期待度
(エクスペクタンシー)
分離度
浅瀬効果
街を目的もなく歩いていると、当然分かれ道に遭遇する。 目的がないのだからどちらに曲がってもいい訳だが、行く手
ティが壁画として活き活きと存在しているため、若者を導く
に何か目を引くものがあれば、人はおのずとそちらの道を
力を感じる。一方、写真②のように単なる壁のようなシャッ
選択してしまうのではないだろうか。
ターが閉ざされた通りは、歩行者にしてみれば、空き店舗
弊社周辺の中目黒、代官山、恵比寿では、休日ともなる 効 果
量 ファストフード 情報 視覚 ブティック・美容院
クラブ
パブ・バー
カフェ 日本食レストラン
ターが降りている状態を比較すると、写真①ではグラフィ
の目立つ田舎の商店街のように映るのではないだろうか。
と平日以上にたくさんの人々が街を歩いている。だが、オ
隣接店舗に入るにしても、よほど目的がない限り入ることが
フィス街のように颯爽と目的の場所に向かって歩いている
できない雰囲気を漂わせている。因みに、ここでは全店舗
のではない。街を観察しながらゆっくりと、気になった店に
のシャッターにグラフィティがあり、日によって、つまり消さ
入っては出ることを繰り返している人が多い。
れては描かれる新たなグラフィティによって通りの雰囲気
特に若者が足を向けるあたりの風景に注目してみると、
が変わるそうだ。
アウトサイダーによる様々な痕跡が残されている場所であ
このようにグラフィティは、人の視線を自然に閉ざしてし
ることがわかる。痕跡とは、店のシャッターや壁面、電柱な
まうシャッターや灰色の壁、電柱や標識などに描かれること
どに施された落書きや張り紙だ。日ならずして消されては
で、街にある種の期待感や価値を添えている。訪れる若者
描かれ、はがされては張られるとい
に対して、「この街には、きっと君が気に入る店があるよ」
う繰り返しが、独特のムードを醸すの
と、アウトサイドからのメッセージを発しているのではない
だろう。若者がそれらを遠くから目に
だろうか。
した時、「あのあたりの店には、ジャ ンキー好みの掘り出し物がありそう だ」というフックがかかるため、その 期待感から店内へと引き込まれるの 1
だ。こういった落書きや張り紙は、グ ラフィティと呼ばれるストリート・アー トだが、もはや店と共存するメディア と化している。 非合法であるこの行為については 賛否両論あろうが、もしグラフィティ がなければ、街はどう変わるだろう。 写真①②はマンション1階に店舗が
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「グラフィティ」に見るエクスペクタンシー 意味性
非合法故にのぞいてみたくなる心理的効果
エクスペクタンシーを検証するための3因子 どこでどのように 買いたいか、 購買方法・外出目的など
意味性
手法
表現
その店でどんな気分を 味わいたいか、 何をしたいか
看板や入り口、 建物のデザインに 対する期待
Y U U K A
M A E D A
2007年前橋工科大学
若者ならではの「アウトサイドな事象に興味を抱いて消費
工学部建築学科卒。同年
する」行為にぴったりフィットしている。
4 月入 社 。人 生における 一 番 の 財 産 は「 出 会 い 」 だと思っております。東京
手法
ストリート・アートとして、 認知されているグラフィティ
非合法ながらアートとして認められていることで、他店では 味わえない魅力が付加される。
表現
にはたくさんの素敵な出 会いがある! そう信じて、 この春上京しまし た。人はもちろん、新しい街や建物、面白い 店など、毎日より多くのモノやコトに出会う ことを楽しみにしています。
店のシャッターや壁面、 電柱などに描くグラフィティ
並ぶ通りで、②はグラフィティが消さ
店周辺やストリート、エリア全体のグラフィティによって、
れたもの。定休日で同じようにシャッ
独特の雰囲気を醸し出す。
若者にとってグラフィティは、 「いいモノがありそう!」との期待感に繋がるメディアである。
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