小社の刊行物 2018年9月現在
観 光 客 の 哲 学
定 価 二 三 〇 〇 円 + 税
著 者 二 〇 年 の 集 大 成 、 渾 身 の 書 き 下 ろ し 新 著 。
う 時 代 、 新 し い 政 治 思 想 の 足 が か り は ど こ に あ る の か 。
ナ シ ョ ナ リ ズ ム が 猛 威 を 振 る い 、 グ ロ ー バ リ ズ ム が 世 界 を 覆
定 価 一 八 〇 〇 円 + 税
り つ く す 。 ゲ ス ト に 猪 瀬 直 樹 、 川 上 量 生 、 國 分 功 一 郎 な ど 。
が 、 東 浩 紀 を 聞 き 手 に 3 ・ 11 後 の ﹁ ニ ッ ポ ン の い ま ﹂ を 語
ン
思 想 地 図 β
東 浩 紀
東 浩 紀
ン ロ
東 浩 紀 対 談 集
東 浩 紀 第 七 一 回 毎 日 出 版 文 化 賞 受 賞 。
ゲ
震 災 ニ ッ ポ ン は ど こ へ い く
ゲ ン ロ ン 0
編
ネ ッ ト 、 文 学 、 科 学 、 政 治 。 各 分 野 の 最 先 端 を 行 く 一 四 人
定 価 二 三 〇 〇 二 四 〇 〇 円 + 税
脈 に 再 接 続 す る 、 新 時 代 の 批 評 誌 シ リ ー ズ 。 既 刊 八 冊 。
目 的 と し て 創 刊 さ れ て い る
│ 。 現 代 日 本 を 批 評 の 命
編
か つ て 、 こ の 国 に は 批 評 が あ っ た 。 本 誌 は 、 そ の 復 活 を
定 価 一 四 〇 〇 二 三 〇 〇 円 + 税
﹃ ゲ ン ロ ン ﹄ を 準 備 し た 大 胆 な 知 的 挑 戦 。 全 五 冊 。
て ダ ー ク ツ ー リ ズ ム 。 二 〇 一 〇 年 代 の 生 と 社 会 に 向 き 合 い 、
グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン 、 東 日 本 大 震 災 、 新 憲 法 草 案 、 そ し
本 書 の 無 断 複 写 ︵ コ ピ ー ︶ は 著 作 権 法 の 例 外 を 除 き 、 禁 じ ら れ て い ま す 。
印 刷 ・ 製 本
新 復 興 論
し
組 版
装 幀
発 行 所
発 行 者
著 者
発 行 日
ん ふ っ こ う ろ ん
ゲ ン ロ ン 叢 書 ─
001
©2018 Riken Komatsu Printed in Japan ISBN 978-4-907188-26-9 C0036
落 丁 本 ・ 乱 丁 本 は お 取 り 替 え い た し ま す 。 定 価 は カ バ ー に 表 示 し て あ り ま す 。
楽 し む こ と が 抵 抗 に な る
361
360
第 9 章
誤 配 な き 復 興
359
﹁ 小 名 浜 本 町 通 り ﹂ と い う 等 身 大 の ゾ ー ニ ン グ に 、 ﹁ い わ き ﹂ や ﹁ 福 島 ﹂ と い う 、 い わ ば ﹁ 大 き な ロ ー カ ル ﹂ に 対 す る カ ウ ン タ ー 性 を 感 じ る 。
273
★ 1 ト プ ロ ジ ェ ク ト 。 ア ー テ ィ ス ト を 招 か ず 、 地 元 の 担 い 手 が 中 心 に な り 、 低 予 算 且 つ 即 興 的 な プ ロ ジ ェ ク ト に な っ て い る 。 こ ち ら も 震 災 後 に 生 ま れ た 。
そ う だ 。 震 災 後 は 、 よ り 地 元 色 を 強 く 打 ち 出 し た P R を 行 っ て い る 。 ﹁ 小 名 浜 本 町 通 り 芸 術 祭 ﹂ は 、 小 名 浜 在 住 の デ ザ イ ナ ー 高 木 市 之 助 ら に よ る ア ー
踊 り 手 で は な く ﹁ 櫓 ﹂ の ほ う が 回 る と い う 一 風 変 わ っ た 盆 踊 り 。 常 磐 炭 鉱 が 最 盛 期 の 頃 、 そ の 技 術 を 披 露 し よ う と 櫓 に 発 動 機 を 入 れ た こ と が 由 来 だ
さ れ た と い う 。 震 災 後 、 地 元 の 地 域 づ く り チ ー ム ﹁ ム ジ カ ヘ ッ ズ ﹂ が 四 倉 音 頭 の 復 活 プ ロ ジ ェ ク ト を 立 ち 上 げ た 。 内 郷 地 区 の ﹁ 回 転 櫓 盆 踊 り 大 会 ﹂ は 、
鉱 山 と 北 洋 漁 業 が 栄 え た 時 期 、 四 倉 は い わ き 地 区 北 部 最 大 の 町 だ っ た 。 町 の 魅 力 を 県 外 に 伝 え る た め 、 四 倉 音 頭 を 踊 る キ ャ ラ バ ン 隊 が 県 内 外 に 派 遣
い わ き 市 大 合 併 を 機 に 踊 ら れ な く な っ た が 、 二 ⃝ 一 一 年 に 復 活 を 果 た し た 。 四 倉 地 区 の 四 倉 音 頭 も ま た 、 い わ き 市 合 併 前 に 愛 さ れ た 盆 踊 り だ 。 八 茎
に 尽 く せ ば 、 永 久 に 商 売 繁 盛 す る で あ ろ う ﹂ と の お 告 げ を 受 け 、 ﹁ わ し は や る ぞ ﹂ と 喜 び を 全 身 で 表 し た 姿 が 由 来 と 伝 え ら れ て い る 。 一 九 六 六 年 の
る よ う に な っ た も の 。 江 戸 時 代 の 木 材 商 、 豊 川 屋 弥 平 が 常 磐 地 区 に あ る 温 泉 神 社 で 事 業 再 興 の 願 を か け た と こ ろ ﹁ 利 の み を 追 わ ず 、 商 い を 通 し て 世
震 災 後 、 い わ き 市 で は 、 合 併 前 の 市 町 村 単 位 で の お 祭 り が 再 起 動 さ れ て い る 。 常 磐 地 区 の ﹁ や っ ぺ 踊 り ﹂ は 、 昭 和 三 〇 年 代 か ら 夏 祭 り な ど で 踊 ら れ
[ ★ 1 ]
272
第 7 章
い わ き の 力
271
6
ロッコクツアー (第2部) へ
国道6号線(ロッコク)
勿来駅
「常磐ツアー」 北茨城市
27
神の山住宅
6
10
299
10
北茨城市磯原町大塚 旧重内地区 磯原駅
桜坂上広場(旧常磐炭鉱中郷事務所前) 常磐炭鉱中郷鉱跡
高萩市
299
10
461
南中郷駅
菊池寛実記念 高萩炭礦資料館
6
461
高萩駅
日本加工製紙高萩工場跡
60 十王駅
6
日立市
小木津駅
道
36
車 動 自 磐 常
日立バイパス 37
日立駅
5km
大津港駅
第 3 部
文 化 と 復 興
い か に
147
146
第 4 章
復 興 と バ ブ ル
145
6
桃内駅
国道6号線(ロッコク)
6 114
「ロッコクツアー」
東北電力浪江 ・小高原子力発電所予定地
114 浪江駅
請戸漁港
常磐自動車 道
浪江町
288
双葉駅
通過することのみ 許されている区間
双葉町
東京電力 福島第一原子力発電所
大野駅
大熊町
6
夜ノ森駅
富岡町
さくらモールとみおか 富岡駅
399
東京電力 福島第二原子力発電所
葉町 木戸川
竜田駅
天神岬スポーツ公園
木戸の交民家
木戸駅
Jヴィレッジ 6
広野町
東京電力広野火力発電所 防潮堤沿いの新しい道路 広野駅
双葉郡
399
いわき市 末続駅
久之浜バイパス 6
いわき市
久ノ浜駅 395
波立海岸
四ツ倉駅
道の駅よつくら港
車 自動 磐越
草野駅 49
いわき駅
道
15
内郷駅 6
常磐 自動 車
道
湯本駅
陸前浜 街道
常磐バイパス
泉駅
6
植田駅
15
小名浜臨海工業地帯
常磐共同火力勿来発電所 勿来駅
10km
第 2 部
原 発 と 復 興
019
018
0
福 島 の 食
017
第 1 章
い わ き の 現 場 か ら
6
いわき回廊美術館 磐城平城跡
国道6号線(ロッコク) 「いわき裏観光ツアー」
草野駅
平エリア
いわき駅
大館城跡
常磐炭礦内郷礦中央選炭工場
15
6 内郷駅
国宝白水阿弥陀堂
49
道山林
6
湯本駅
小名浜と平を繋ぐ 鹿島街道
高久仮設住宅村 豊間屋 (閉店)
常 磐 自 動 車
道
6
薄磯海水浴場 豊間中学校(旧校舎) 塩屋埼灯台 豊間海岸
15
県道15号線 UDOK. (第三部) 清航館 下神白団地
泉駅
イオンモール 6
小名浜漁港 三崎公園 アクアマリンふくしま
小名浜臨海工業地帯
小名浜エリア 5km
第 1 部
食 と 復 興
石巻
女川町
仙台
4 福島 喜多方
4
会津
郡山
相馬 南相馬
6
浜通り
会津若松
中通り
49
49
いわき 6
新地町
113
4
349
399
相馬市
伊達市
6
115
115
40km 日立
6 349
飯舘村
川俣町
南相馬市
399
動車道 常磐自
114
349 二本松市
114
114
浪江町
349
6
288
双葉町
田村市
288
大熊町
双葉郡
399 川内村
富岡町
小野町
49 349
車道 自動 磐越
平田村
広野町
399 いわき市
古殿町
6 49
塙町
本書の舞台
常磐 自動 車道
6 鮫川村
6 10km
向きに楽しもうとしてきた私たちの経験が役に立つかもしれない。これから地域で生きることを考え
るあなたにとって、この本が何かしらの肥やしになり、福島との新しいつながりができれば本望だ。『新
復興論』などという大逸れたタイトルをつけたのも、そう願うがゆえである。極度に政治的な言説に
埋め尽くされ、「今ここ」のリアリティに支配されてしまった「フクシマ」を終わらせるため、本書は、 敢えてふまじめに、そして遠くを迂回しながら、地域の復興を考えていく。 現場の人たちよ、さあ、観光をはじめよう。
はじめに
013
いる。社会に開かれることはなく、外部を受け入れるのでもなく、縦割りの区分けにとどまり、他の
領域と連携することなく、内部の論理だけで問題を処理しようとするがあまり、狭い議論、当事者の
リアリティに終始してしまう。つまり「今ここ」の問題に支配されてしまうのだ。
現場に関わる私たちは、だからこそ一旦小さな利害を離れ、自分たちの現在位置を探るために、先 人たちや知識人たちの膨大な知に触れながら、未来に向けて自らの羅針盤を修正していかなければな
らないのではないだろうか。本書は、まさにそのような、思想と地域、思想と現場を行き来する人た ちのためにこそ書かれる。
そのような視座が得られたのも、「ゲンロン」という思想の場で書き続けてきたからだろう。私は 批評家でも思想家でもない。哲学の専門家でもない。どこまでも無知な、現場で体を動かすほか能の
ない人間だ。しかし、そんな私が、何を間違ったか思想の世界に足を突っ込んでしまった。それはつ
まり、本来は届くはずのない現場の人間に、何かしらの思想が届いてしまったということだろう。ゲ ンロンから私のような人間の本が出版される。それはまさに「誤配」の賜物だ。
日本は、そして地方は、これからさらに速いスピードで縮小していく。少子高齢化は次のステージ に入り、団塊の世代が次々に亡くなっていく「多死社会」が迫っている。地方の力が弱まれば、政府
による強引な地域開発が推し進められることも考えられる。地方は、今よりももっと混迷を極めるこ
とになるだろう。そんな混迷の時代には、絶望と希望を先取りし、被災地での暮らしを、それでも前
012
思想 と 地 域 を 往 復 す る 人 た ち の た め に
観光は常に外部へ扉を開く。同じように、思想もまた外部を切り捨てない。一〇〇年後、二〇〇年 後を考え、「今ここ」を離れて思考が膨らんでいくものだ。地域づくりもまた、そうあるべきではな
いだろうか。ソトモノやワカモノ、未来の子どもたち、つまり外部を切り捨ててはいけない。今ここ に暮らしている当事者の声のみで、地域をつくってはならないのだ。
私がこの浜通りで見てきたものは、現場における思想の不在であった。一〇〇年先の未来を想像す ることなく、現実のリアリティに縛り付けられ、小さな議論に終始し、当事者以外の声に耳を傾けよ
うとしない。いつの間にか防潮堤ができ、かつての町は、うず高くかさ上げされた土の下に埋められ
てしまった。復興の名の下に里山が削られ、ふるさとの人たちは「二度目の喪失」に対峙している。
被災地復興は、いわば「外部を切り捨てた復興」でもあったのだ。これから地域づくりに関わる人
は、こんなことを繰り返してはいけない。歴史を紐解き、批評的な視座を地域に持ち込み、一〇〇年、
二〇〇年先を見据えながら、それでもなお地域の人たちと、泥臭く、膝と膝を突き合わせて、楽しく 地域の未来を考えて欲しい。
地域づくりだけではない。福祉、医療といった、人の幸福にまつわる領域にも、この「外部の切り 捨て」は共通している。特に障害福祉などの領域では、外部を遮断し、関係者や同業者、つまり「内部」
だけで事業を進めてきたことが、利用者への暴力といった形に留まらず、様々な問題を引き起こして
はじめに
011
ように思う。観光は、より遠くにいる人たちを切り捨てない。ふまじめな人、物見遊山の人、勘違い
している人や、もしかしたら偏見を持っている人すらも切り捨てることはない。賛成/反対、食べる
/食べない、帰る/帰らない、県内/県外、支持/不支持、様々に二極化される福島だからこそ、外
部を切り捨てない観光という概念は、今、もう一度再起動されるべきだと私は感じている。
『福島第一原発観光地化計画』を読み、 以前は遠くから不安の声ばかりを吐き出していたけれど、 一念発起して福島を旅し、福島に関する情報をアップデートしていくなかで食に対する不安を解消し
た。そんな方が実際にいるのを知っている。福島を観光することで福島の良さを知った人、不安が解
消された人、友人ができた人、学びを得た人が、いったいどれほどいるだろうか。物見遊山で訪れた 人を開眼させる何かが福島にはきっとある。それを信じたい。
福島第一原発を抱える福島県双葉郡にも、すでにショッピングセンターやスーパーマーケットが開 店している。富岡町にはホテルも開業し、JR富岡駅も復活した。町内の再開発も進み、双葉郡内の
ツアーなども盛んになってきている。それらの動向をもってして「観光地化」と言うつもりはないし、
今ごろになって「福島第一原発観光地化計画は正しかったのだ」と言いたいわけでもない。言えるこ
とは、この地を訪れる人たちを誰にも止めることができないということだ。今や多くの人たちが「福
島を観光することが何よりの支援だ」と考えるようにもなっている。福島は、観光 (客)を受けいれ るほか な い の だ 。
010
行されるのだろうか。そこに言及しなければなるまい。地域づくりと思想、批評が、なぜ私のなかで 結びついたか。今少し、私とゲンロンの関わりについて振り返る。
福島 第 一 原 発 を 観 光 地 化 す る ?
もともと、私とゲンロンの間には、私が『思想地図β』という雑誌の熱心な読者だったということ 以外なんの関わりもなかった。きっかけは、その一冊として二〇一三年に出版された『福島第一原発 観光地 化 計 画 』 だ 。
そこでは、福島第一原発事故を後世に伝えるため、原発と周辺地域を「観光地化」しようという大 胆な提言がなされた。その提言はあまりにも大胆で、各領域で様々な議論を巻き起こした。当時から SNSをやっている人は、あの時の炎上を記憶しているかもしれない。
炎上、といっても、本に書かれた中身に関するものというより、まだ復興途中だった被災地での「観 光」という概念そのものに向けられた疑義であったり、突如として現れた「ダークツーリズム」とい
う言葉に対する違和感、あるいは、批評やアートの暴力性に対する反発が主だった。また、当時は福
島に対するデマや差別的な言説がまだまだ残存しており、「福島を題材にする」というだけで厳しい
しかし、様々な議論が二極化する福島において、「観光」という概念は、より重要性を増している
目線が注がれる時期でもあった。同書は、結果的に大失敗に終わる。
はじめに
009
ゼロ距離で地域に関わり、そこで暮らしたいと願う人間の視点で、すべての記事は書かれている。だ から本書は、平たくいえば「地域づくり」の本だと言えるかもしれない。
復興とは、傷ついた町を再生し、賑わいを取り戻し、人と人をつなぎ直して、その地域での暮らし を、よりよいものにしていくこと、つまり「地域づくり」だ。復興というと、被災地特有の取り組み
に聞こえるかもしれない。しかし、日本各地を見渡せば、地域づくりに邁進しない地域はない。地域
をよりよいものにし、魅力を発見しながら、その魅力を次の世代に引き継いでいく。規模の大小の差
はあれど、多くの地域が、よりよい地域を目指して何かしらに取り組んでいるはずだ。
本書では、震災後に浜通りで始まった興味深い取り組み、刺激的なスペース、地域アートのプロジェ クトなども紹介する。そこには、福島だからこそ、原子力災害を経験したからこそのアイデアや理念
が詰め込まれている。福島は「課題先進地区」ともいわれる。他の地区よりも先に進んで課題に直面
している、という意味である。もしそうならば、福島から生まれたアイデアや理念は、これから課題
と向き合うことになるであろう皆さんに、何かしらの示唆を与えてくれるはずだ。
また、本書では、地方ならではの労働問題や、産業の構造的な課題について考えたエッセイも数多 く収録している。そこでは、希望と絶望の両方が含まれた「地方暮らしのリアル」を思うがままに書
き綴った。私が書いたエッセイや論考が、これから地域を目指す若い人たち、地方に移住したい、地
しかし、なぜそのような「地域づくり」の本が、思想書や批評誌を世に届けてきたゲンロンから発
域で何か始めたいと思う人たちへのエールや叱咤、ヒントになれば幸いである。
008
は じ め に
007
第 3 部
お わ り に 387
第 9 章
第 8 章
第 7 章
誤 配 な き 復 興
被 災 地 と 地 域 ア ー ト
い わ き の 力
359 カ バ ー デ ザ イ ン
LABORATORIES
─ 加 藤 賢 策 ︵
︶ 地 図 作 成
─ 佐 和 健 治
326
271
文 化 と 復 興 269
第 2 部
第 6 章
第 5 章
第 4 章
原 発 を ど う す る の か
ロ ッ コ ク と 原 発
復 興 と バ ブ ル
原 発 と 復 興
145
143
208
173
第 1 部 3
復 興 と 破 壊 112
2
1
ブ か ラ ま ン ぼ ド こ と と コ 原 モ 発 デ ィ 086 テ ィ 100
第 3 章
バ ッ ク ヤ ー ド と し て の い わ き 086
第 2 章
う み ラ ボ の 実 践 065
3
2
引 き 裂 か れ た 福 島
豊 間 か ら 考 え る
053
035
1
0
潮 福 目 島 の の 地 食 に 017 て 022
第 1 章
い わ き の 現 場 か ら 017
食 と 復 興 015
は じ め に 007
新 復 興 論 目 次
001
Riken Komatsu
新 復 興 論 小 松 理 虔