01
第1部
観光する
004
旅のはじめに 東浩紀
020
チェルノブイリに行く
031
048
ニガヨモギの星公園
053
談話 コラム
言葉のなかのチェルノブイリ
チェルノブイリから世界へ 井出明 コラム
事故前のチェルノブイリ
063
コラム
事故後のウクライナ
066
チェルノブイリで考える
080
ウクライナ人に訊く
082
啓蒙のための観光 1
立入禁止区域庁副長官 ボブロ
085
啓蒙のための観光 2
旅行会社社長 ジャチェンコ
088
情報汚染に抗して
作家 ミールヌイ
094
責任はみなにある
博物館副館長 コロレーヴスカ
098
真実を伝える
元大佐 ナウーモフ
100
ぼくは間に合わなかった
NPO代表 シロタ
105
談話
106
コラム
108
読解する
悲劇を展示する
062
取材する
補遺
東浩紀+編集部
チェルノブイリ博物館
052
+
記憶を残す 042
043
第2 部
東浩紀+編集部
1日目 2日目
023
02
ゾーンを歩く
鼎談
ゾーンで暮らす
津田大介
ゾーンを測る
日常のなかのチェルノブイリ 開沼博×津田大介×東浩紀
113
チェルノブイリを撮る 新津保建秀
129
チェルノブイリから 「フクシマ」へ 開沼博
142
空想のなかのチェルノブイリ 速水健朗
146
コラム
チェルノブイリを遊ぶ
149
チェルノブイリを解く
157
編集後記 東浩紀
カバー写真:新津保建秀 表紙写真提供:PRIPYAT.com
Путівник по чорному туризму: Чорнобиль
001
チェルノブイリの観光地化が本書の主題だ。とはいえチェルノブイリがあるのは日本ではなじみの薄いウク ライナ。また、27年に及ぶ事故後の歴史は、 「ゾーン」 「サマショール」 「石棺」といった特殊な言葉をいくつ も生み出した。ツアールポに入るまえにまずは基礎情報を整理しておこう。そもそもチェルノブイリ事故はど んな事故で、そしてどのような言葉で語られているのか? 構成=上田洋子+編集部
チェルノブイリ原子力発電所 事故概要 1986 年 4月26日、ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力 発電所4号機で、大規模な原子力事故が発生した。放射性物質は広域に拡散 し、現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの3国にあたる地域で、およそ40万 人の人々が立ち退きを迫られた。被害者の数は計測方法によりさまざまで、 約4000人、約9000人、約1万6000人など諸説ある。 当時チェルノブイリ原発では4 基の原子炉が稼働しており、5 号機、6 号機 の建設も進められていた。事故前日、4号機では停電時の電力供給実験が予 定されていたが、事故の過程で制御棒の設計ミスと操作ミスが重なり、炉内 で炉心溶融が発生する。続けて2度の水蒸気爆発が起こり、炎は減速材に用 いられていた黒鉛に引火。鎮火までの10日間にわたって、放射性物質が吹き 上げられ続けた。事故に対応した作業員のうち28人が、急性放射線障害によ り間もなく息を引き取った。事故は28日にようやく公表され、またたく間に世 界中で報道されることになる。 放射性物質の放出を抑えるため、4号機はコンクリートと鉄板による石棺 で覆われた。 「ゾーン」と呼ばれる半径30km圏内は、現在も原則立ち入りが 禁止されている。一方で2011年 2月、ウクライナ政府は事故現場周辺を巡る 見学ツアーを解禁。1年で約1万4000人の観光客が現地を訪れている。
ゾーン観光地化への歩み ゾーンの見学は、放射能汚染が落ち着いてきた1990 年代半ば頃には じまり、今では多くの旅行会社が観光ツアーを提供している。1995 年 には国営のゾーン広報機関が設立され、外国人見学の受け皿ができ た。以降、ゾーン見学は、チェルノブイリのマイナスイメージを払拭する ための重要な役割を担っていく。当初はジャーナリストや専門家を対象 としていたが、徐々に一般人向けの観光に門戸を開き、2011年から観 光地化が本格化する。現在、政府に直接立ち入り申請をしている旅行 会社は約 20 社(うち5 社が全体の訪問数の約 80%を占める)。日帰り ツアーの標準的な料金は一人当たり150ドル前後。18歳以上で健康で あればゾーンを観光できる。 開始 クト 立 ジェ ナ独 プロ ライ 化 全 ウク 、 安 崩壊 棺」 ソ連 「石
1 199
2 199
011
0 199
設 」)建 石棺 称「 通 」( ター ェル 「シ う 覆 トで リー ンク 発生 をコ 機 事故 号
4
9 198
8 198
7 198
6 19 8
年4
月
旅 の は じ め に
写 真 =
新 津 保 建 秀
チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド
編 集 長
東 浩 紀 あ ず ま ・ ひ ろ き
004
ホ リ フ 通 り
ス パ ス カ 通 り
路 フ小 ホリ
メ ジ ★ウクライナ国立 ヒ ル チェルノブイリ博物館 ス カ 通 り
M
コントラクトヴァ広場駅
チェルノブイリに行く
記憶を残 す
музей
Їхати в Чорнобиль Залишати пам’ять
M
コントラクトヴァ広場
チェルノブイリ博物館 Національчий музей “Чорнобиль”
住所 04071 Київ, пров. Хоревий, 1 тел. +380 44 417-5422 тел/факс +380 44 425-4329
休業日 日曜日 毎月最終月曜日
キエフ市中心部、古い建物の残る下町ポディール地区の一
museum@chornobylmuseum.kiev.ua
入館料
角に、国立チェルノブイリ博物館はひっそりと建っている。
地下鉄最寄駅 コントラクトヴァ広場 Контрактова площа 駅
入場料:10UAH カメラ持込:20UAH ビデオ持込:50UAH 日本語オーディオガイドあり 別料金で英語ツアーあり
開館時間 月∼土 10:00 ∼ 18:00 (最終入場17:00)
展示棟はかつては消防署だった。 宗教的シンボルを利用した 「感情的」な展示方法は、資料が淡々と並ぶ日本の博物館と 大きく異なっている。そのいくつかを、メインデザイナーのア ナトーリ・ハイダマカ氏の言葉とともに紹介する。 文=東浩紀+編集部 写真=新津保建秀+編集部
01
チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド
042
チェルノブイリに行く
ゾーンを歩く Їхати в Чорнобиль Прогулюватися зоною
день
1日目
1
2013 年 4 月11日 文=東浩紀+編集部 写真=新津保建秀+編集部
01
02
03
30km チェックポイント
ディチャトキ КПП Дитятки
MAP C
A
標識のКППは 「チェックポイント」の意。すべて の車両が一時停止するため、手続きを待つあい だに、ほかのツアー車両も続々とやってきた。な かには日本人客の姿も。
023
第1部
チェルノブイリに行く
東浩紀+編集部
Розмірковувати в Чорнобилі
チ ェ ル ノ ブ イ リ で 考 え る
│ 報 道 、 記 憶 、 震 災 遺 構
津 田 大 メ 介 ジ ャ ー ナ リ ス ト デ ィ ア ・ ア ク テ ィ ビ ス ト
チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド
つ だ ・ だ い す け
066
チェルノブイリから世界へ З Чорнобилю у світ
井出明 いで・あきら
写真=井出明
観光学者 02 淡路市/島原市/洞爺湖町/神戸市 03 水俣市 04 夕張市/田川市/大牟田市・荒尾市 05 東村山市/合志市 07 広島市/呉市/長崎市
[アメリカ] ハワイ モロカイ島 ハンセン病療養所 北京 [中国] 盧溝橋と 中国人民抗日戦争記念館
ボストン [アメリカ] ブラックヘリテージトレイル
[日本]
ニューヨーク [アメリカ] グラウンド・ゼロ
[パラオ共和国] 10 コロール 国立博物館
[韓国] 09 済州島
ハバロフスク [ロシア] 日本人墓地
四・三平和記念館 [北マリアナ連邦] 10 テニアン
飛行場
ロサンゼルス [アメリカ] 全米日系人博物館
[北マリアナ連邦] 10 サイパン
バンザイクリフ
ウランバートル [モンゴル] 政治粛清祈念博物館
トゥールスレン [カンボジア] 虐殺博物館 [ドイツ] 06 ベルリン/ザクセンハウゼン ナチス関連資料館/強制収容所
ホーチミン [ベトナム] 戦争証跡博物館
ジュネーブ [スイス] 国際赤十字・赤新月博物館
[マレーシア] 08 サンダカン 日本人墓地
アウシュビッツ [ポーランド] 強制収容所
[シンガポール] 08 ゲイラン
売春街
[インドネシア] 01 バンダアチェ
[南アフリカ共和国] ロベン島 監獄
の 側 に 立 と う と す る 営 み な の で あ る 。
053
は 変 わ ら な い の で は な い だ ろ う か 。 ダ ー ク ツ ー リ ズ ム は 、 ま さ に こ の 〝 卵 〟
的 な 力 の 前 で 抱 く 悲 し み は 、 自 然 災 害 で あ ろ う と 戦 争 で あ ろ う と 、 そ の 深 さ
イ ス ラ エ ル の ガ ザ 侵 攻 を 批 判 し た も の で あ る が 、 無 力 な 人 々 が 抗 え な い 圧 倒
常 に 卵 の 側 に 立 っ て い た い ︵ 筆 者 試 訳 ︶
﹂ と い う 言 葉 を 残 し た 。 こ の ス ピ ー チ は 、
第1部
に 際 し 、 ﹁ 高 く て 硬 い 壁 と 、 そ れ に ぶ つ か っ て 壊 さ れ る 卵 が あ る と き 、 私 は
史 を つ く っ て き た こ と を 体 感 し て ほ し い 。 村 上 春 樹 は 、 エ ル サ レ ム 賞 の 受 賞
よ う な 偉 人 や 英 雄 だ け で で き て い る わ け で は な く 、 虐 げ ら れ た 人 々 も ま た 歴
ダ ー ク ツ ー リ ズ ム と い う 経 験 を 通 じ 、 人 類 の 歴 史 は 、 教 科 書 に 名 前 が 載 る
中 で 印 象 深 か っ た も の を 紹 介 し て い る 。
チ ェ ル ノ ブ イ リ の 他 に 、 私 が こ れ ま で に 訪 れ た ダ ー ク ツ ー リ ズ ム ポ イ ン ト の
造 的 な つ な が り 〟 を 持 つ こ と に な る 。 次 頁 以 下 で は 、 本 書 の テ ー マ で あ る
を 超 え た 普 遍 的 な 悲 し み の 存 在 が 認 知 さ れ る よ う に な り 、 そ の 幾 つ か は 〝 構
み は ツ ー リ ス ト を 通 じ て 外 部 に 伝 播 し て い く 。 そ の 結 果 と し て 、 時 代 や 地 域
津波関連遺構
と で 、 悲 し み は 共 有 さ れ 、 地 域 の 人 々 は 癒 し を 得 ら れ る 。 同 時 に 地 域 の 悲 し
重 さ や 辛 さ を リ ア ル に 感 じ る こ と が で き る 。 そ し て 外 部 の 来 訪 者 が 訪 れ る こ
の あ る 方 法 論 で あ る 。 あ る 場 所 で 生 じ た 悲 し み は 、 そ の 場 に い て こ そ 、 そ の
人 類 の 悲 し み の 歴 史 を 受 け と め よ う と す る と き 、 ツ ー リ ズ ム は 非 常 に 意 味
チェルノブイリから世界へ
と い う 素 直 な 気 持 ち に し た が っ て よ い 。
分 の 心 の ひ だ に 触 れ た 何 ら か の 事 件 や 事 象 が あ れ ば 、 ﹁ そ の 場 を 訪 れ た い ﹂
か ら 何 か 学 ば な け れ ば な ら な い と い う 気 負 い を 持 っ て 旅 立 つ 必 要 は な く 、 自
ら れ る こ と に な る 。 し た が っ て 、 ダ ー ク ツ ー リ ス ト を 志 す と し て も 、 は じ め
し て お き た い 。 訪 問 地 に 存 在 す る 悲 し み を 知 る こ と で 、 学 び は 必 然 的 に 達 せ
義 は 、 悲 し み の 承 継 に あ る た め 、 学 習 そ の も の が 目 的 で は な い こ と に も 注 意
と し て 馴 染 み の 深 い 旅 行 形 態 で あ ろ う 。 た だ 、 ダ ー ク ツ ー リ ズ ム の 根 源 的 意
日 本 で は 沖 縄 の 戦 跡 や 広 島 の 原 爆 ド ー ム へ の 修 学 旅 行 な ど 、 学 習 観 光 の 一 環
井出明
近 年 、 ニ ュ ー ヨ ー ク の グ ラ ウ ン ド ・ ゼ ロ な ど に も 研 究 の 幅 が 広 が り つ つ あ る 。
り 、 初 期 の 頃 は 第 二 次 世 界 大 戦 に 関 連 し た 地 域 が 多 く 取 り あ げ ら れ て き た が 、
で あ る 。 こ の 新 し い 観 光 の 概 念 は 、 学 問 的 に は 一 九 九 〇 年 代 か ら 研 究 が 始 ま
み を 捧 げ る と と も に 、 地 域 の 悲 し み を 共 有 し よ う と す る 観 光 の 新 し い 考 え 方
ダ ー ク ツ ー リ ズ ム と は 、戦 足 跡 を た ど り つ つ 、 死 者 に 悼
争 や 災 害 と い っ た 人 類 の 負 の
title название author publishing information date of issue
発 発 著 [ 行 行 者 カ 年 情 名 テ ゴ 報 ︵ 訳 リ 者 名 ︶ ]
00
タ イ ト ル
︽ 凡 例 ︾
チェルノブイリを解く Розплутувати Чорнобиль
︵ 書 籍 名 な ど ︶
文=上田洋子+尾松亮+河尾基+小嶋裕一
松本隆志+八木君人+東浩紀+編集部
チェルノブイリの記憶はさまざまな言葉に取り囲まれている。ゾーン、 サマショール、ストーカー、ニガヨモギ……。本書では最後、その複 雑な編みものを解きほぐすため、25 本の糸を引き出して紹介すること にした。原発事故はウクライナの大地に放射性物質を撒き散らしただけ ではない、わたしたちの文化もまた「汚染」されたのだ。
区 域 庁 。 同 庁 の サ イ ト [
3 ]
は ウ ク ラ イ ナ
ゾ ー ン を 管 轄 す る の は ウ ク ラ イ ナ 立 入 禁 止
会 も そ の メ ン バ ー に な っ て い る 。
お り 、 日 本 の 公 益 財 団 法 人 原 子 力 安 全 研 究 協
機 関 ﹁ チ ェ ル ノ ブ イ リ ・ セ ン タ ー ﹂ も 兼 ね て
の 機 関 は 原 子 力 技 術 の 安 全 に 関 す る 国 際 協 力 イ リ の 魅 力 を 発 信 し て い る と い う の は じ つ に
タ ー ﹂ の サ イ ト
も 情 報 が 詳 し い 。 こ
物 、 放 射 生 態 学 問 題 チ ェ ル ノ ブ イ リ ・ セ ン
し て は 国 立 科 学 研 究 所 ﹁ 原 子 力 安 全 、 核 廃 棄
専 門 家 が 、 娯 楽 性 を 持 た せ な が ら チ ェ ル ノ ブ
を 書 い て い た り も す る 。 研 究 所 勤 務 の 放 射 能
﹃ 作 者 で も あ り 、 ﹄ 別 シ の リ 専 ー 門 ズ 家 [ と ↓ 二 20 人 ] で の 小 一 説 冊 版
[
2
]
チェルノブイリを解く
ド で き る 。 原 発 の 状 況 や 周 辺 の 研 究 活 動 に 関
原 発 ニ ュ ー ス
﹄ も ダ ウ ン ロ ー
P S ガ イ ド ・ チ ェ ル ノ ブ イ リ 編 ﹂ [ ↓
13 ]
の
詳 細 な 説 明 が あ り 、 機 関 紙 ﹃ チ ェ ル ノ ブ イ リ
に つ い て 、 ウ ク ラ イ ナ 語 、 ロ シ ア 語 、 英 語 で
で の 歴 史 、 新 石 棺 の 建 設 状 況 、 廃 炉 作 業 な ど
所 ﹂ の サ イ ト
で は 、 事 故 か ら 現 在 ま
国 営 特 殊 企 業 ﹁ チ ェ ル ノ ブ イ リ 原 子 力 発 電
情 報 を 提 供 し て い る 。 彼 は ﹁ 世 界 め ぐ り G
さ れ て い る 事 故 処 理 技 術 ま で 、 莫 大 な 量 の
系 の 現 状 、 隠 れ た 観 光 名 所 、 現 在 福 島 で 導 入
リ 地 区 の 歴 史 、 サ マ シ ョ ー ル や ゾ ー ン の 生 態
生 か し て 、 放 射 能 汚 染 の 状 況 、 チ ェ ル ノ ブ イ
[
1
]
ま ず は 関 連 機 関 の 公 式 サ イ ト を 紹 介 し よ う 。 門 家 。 専 門 知 識 と ゾ ー ン 内 勤 務 と い う 条 件 を
1 [ ウ ェ ブ サ イ ト ]
01
チ ェ ル ノ ブ イ リ 一 般 情 報
て い る と い う こ と を 意 味 し て い る 。
が っ て い る た め 、 旧 ソ 連 の 共 通 語 が 用 い ら れ
故 が ウ ク ラ イ ナ 、 ベ ラ ル ー シ 、 ロ シ ア に ま た
い る 。 ロ シ ア 語 が も っ と も 強 い が 、 そ れ は 事
ロ シ ア 語 、 英 語 の 三 ヶ 国 語 が 主 に 用 い ら れ て
ト 、 で あ る 。 言 語 と し て は 、 ウ ク ラ イ ナ 語 、
究 員 で 、 放 射 能 に 関 す る 安 全 と 環 境 保 全 の 専
デ ミ ー 原 子 力 発 電 所 安 全 問 題 研 究 所 の 上 級 研
ゲ イ ・ パ ス ケ ー ヴ ィ チ は ウ ク ラ イ ナ 科 学 ア カ
と ウ ク ラ イ ナ 語 に 訳 さ れ て い る 。 作 者 の セ ル
ロ シ ア 語 が メ イ ン だ が 、 か な り の 部 分 が 英 語
ブ イ リ 原 子 力 発 電 所 、 立 入 禁 止 区 域 ﹂ [
連 、 ④ 旅 行 会 社 関 連 、 ⑤ 被 害 者 連 盟 の サ イ
は ﹁ チ ェ ル ノ ブ イ リ 、 プ リ ピ ャ チ 、 チ ェ ル 6 ノ ] 。
報 サ イ ト 、 ③ ゲ ー ム ﹃
機 関 の 公 式 サ イ ト 、 ② 有 志 に よ る 非 公 ﹄ 式 関 情
S.T.A.L.K.E.R.
語 、 英 語 の 二 ヶ 国 語 だ が 、 英 語 で 読 め る 部 分
http://www.chnpp.gov.ua/
補遺
は ま だ 少 な い 。 立 入 禁 止 区 域 庁 の 発 足 そ の も
2 http://www.chornobyl.net/en/
149
の が 二 〇 一 二 年 で 、 サ イ ト も 新 し い た め で あ
S.T.A.L.K.E.R
6
ト る [ 。 同 4 庁 ] で 発 見 足 以 る 前 こ の と 情 が 報 で は き 非 る 常 が 事 、 態 こ 局 ち の ら サ は イ
3
ЧАЕС Новини
二 〇 一 三 年 五 月 現 在 ウ ク ラ イ ナ 語 の み で 、 英
4 http://www.dazv.gov.ua/en/
5
]
で 、 こ ち ら は な ん と ベ ラ ル ー
語 版 は 準 備 中 。 ベ ラ ル ー シ で チ ェ ル ノ ブ イ リ
5 http://www.chernobyl.gov.by/
[
問 題 を 扱 っ て い る の は チ ェ ル ノ ブ イ リ 原 発 事
http://chornobyl.in.ua/en/category/
故 収 束 庁
6 zone-en/
シ 語 も な く ロ シ ア 語 の み 。 賠 償 や 事 故 後 の 処
7
http://www.mns.gov.ua/
ロ シ ア 語 、 ウ ク ラ イ ナ 語 の チ ェ ル ノ ブ イ リ
http://www.youtube.com/user/
理 に 関 す る 法 令 な ど が 網 羅 さ れ て い る 。
ChernobylWildZone/
関 連 サ イ ト は 、 お お よ そ 次 の 五 つ の カ テ ゴ
が 、 非 公 式 の 情 報 サ イ ト で あ る 。 特 筆 す べ き
い チ ェ ル ノ ブ イ リ の い ま を 伝 え て く れ る の
リ ー に 分 け る こ と が で き る 。 ① 政 府 ・ 公 の 他 方 、 公 の サ イ ト で は 知 る こ と が で き な
日 過 ご し ま し た 。 雪 溜 ま り の な か を 歩 い て
と て も 雪 が 多 い 冬 で 、 死 ん だ よ う な 街 で 半
て い ま し た 。 当 時 ウ ク ラ イ ナ で は 、 事 故 で
ブ イ リ の こ と に つ い て は 語 ら な い よ う に し
は 、 居 心 地 の 悪 さ を 感 じ て い て 、 チ ェ ル ノ
や 詩 を 書 い て ま し た 。 ぼ く は そ う し た 空 気
彼 女 は つ ね に こ の テ ー マ に つ い て エ ッ セ ー
で 詩 人 の リ ュ ボ ー フ ィ ・ シ ロ タ と い い ま す 。
た 。 だ か ら 抗 議 の メ ー ル を 出 し た 。 そ う し
繁 に ゾ ー ン に 行 っ て い て 、 事 情 に 詳 し か っ
た 公 ︵ 開 笑 さ ︶ 。 れ ぼ て く い は る の そ を の 見 時 て 点 む で か も つ け い っ て こ し う ま 頻 っ
と て も 好 意 的 で し た 。 じ つ は こ の 旅 以 前 ば ん 影 響 力 を も っ た の は 母 で す 。 母 は 女 優
チ へ 戻 っ た と き の 経 験 で す 。 一 六 歳 で し た 。
一 九 九 二 年 、 事 故 後 に は じ め て プ リ ピ ャ
︱ ア メ リ カ で の 反 応 は ど う で し た か 。
も っ と も 、 現 在 の 活 動 を 選 ぶ な か で い ち い や 、 逆 で す 。 あ ま り に ば か げ た 情 報 が
て く る 人 が 現 れ て 、 戻 る は め に な る の で す 。
︱ 協 力 を 申 し 出 た の で す か 。
き っ か け を 教 え て く だ さ い 。
︱
い に と 理 た 、 は 想 。 沼 の の ツ よ ア 運 う ー 営 な を の も 追 真 の い 意 だ 続 と ﹂ け 展 と る 。 望 語 ﹁ を る 政 訊 氏 治
チ ェ ル ノ ブ イ リ を め ぐ る 活 動 を 始 め た
め ぐ り 、 自 分 の 体 験 を 話 し ま し た 。
四 月 か ら 五 月 に か け て 合 衆 国 の 大 き な 街 を
れ て ウ ク ラ イ ナ 代 表 と し て ア メ リ カ に 行 き 、
チ ェ ル ノ ブ イ リ の テ ー マ を 語 る こ と を 求 め
で 論 文 を 書 い た り も し た 。 と こ ろ が 、 必 ず
し た 。 建 設 業 も や っ た し 、 ほ か の ジ ャ ン ル
よ う に な り ま し た 。
偶 然 サ イ ト を 見 つ け 、 連 絡 を と っ て 手 伝 う
ン ピ ー ス の 活 動 ﹁ 証 言 者 の ツ ア ー ﹂ に 招 か
り 事 ま 故 す 一 。 〇 周 年 の 一 九 九 六 年 に は 、 グ リ ー だ
︱
何 十 枚 か ア ッ プ し 、 小 さ な フ ォ ー ラ ム を 立
作 っ た ん で す 。 当 初 の サ イ ト は 街 の 写 真 を
の ジ ャ ー ナ リ ス ト と し て の 活 動 の 最 初 と な
一 。 そ 時 し 期 て は ジ 別 ャ の ー 仕 ナ 事 リ を ス し ト よ に う な と る が こ ん と ば を り 選 ま ん ち 上 げ た も の で し た 。 ぼ く は 二 〇 〇 五 年 に
ル ー プ で す 。 彼 ら が 住 人 の 交 流 の た め に
わ な い た め に 、 シ ロ タ 氏 は ひ と り
れ ま し た ﹂ [ ★ と 1 い ] 。 う い 雑 ま 誌 思 に え そ ば の 、 文 あ 章 れ が は 掲 ぼ 載 く さ る よ う に な っ て い ま し た 。
負 っ て い か ね ば な ら な い と 、 ぼ ん や り 感 じ
上 の プ リ ピ ャ チ に 住 ん で い た 人 た ち の グ
す 。 創 設 者 は ぼ く で は な く 、 一 〇 歳 ほ ど 年
に あ る 。 失 わ れ た 街 を ふ た た び 失
ん な 廃 墟 で す ら い ま は 崩 壊 の 危 機
思 い 出 の 詰 ま っ た 故 郷 だ 。 し か し そ
立 入 禁 止 区 域 は 単 な る 廃 墟 で は な く
れ ま し た 。 し ば ら く 経 っ て 国 連 の ﹁
れ を 母 が 英 語 に 翻 訳 す る の を 手 伝 っ て く
え て い て ほ し い ﹂ と い う タ イ ト ル で 、 そ
た 魂 の 叫 び と で も 言 う ん で し ょ う か 。 ﹁ 覚
を 書 き ま し た 。 一 〇 代 の 少 年 の 一 風 変 わ っ
帰 国 し た と き に は 、 こ の 十 字 架 を 今 後 も 背
い る 人 々 が 関 心 を 持 っ て く れ て 驚 き ま し た 。
チ ェ ル ノ ブ イ リ か ら 遠 く 何 千 キ ロ も 離 れ て
を 占 領 し た ﹂ と い う 考 え も あ っ た 。 だ か ら 、
の 住 む 場 所 を 奪 い 、 学 校 や 職 場 で の ポ ス ト
教 え て く だ さ い 。
︱
$(!
家 に 戻 り 、 母 が 働 い て い た 文 化 宮 殿 や 自 分
.%73
が 通 っ て い た 学 校 に も 行 き ま し た 。 荒 廃 し
サ イ ト の オ ー プ ン は 二 〇 〇 三 年 の こ と で
プ リ ピ ャ チ ・ ド ッ ト ・ コ ム 設 立 の 経 緯 を
N P O 設 立 ま で
プ リ ピ ャ チ で 過 ご し た 氏 に と っ て 、
ア ー を ア レ ン ジ し た 人 物 。 幼 少 期 を
シ ロ タ 氏 は 本 誌 取 材 の ゾ ー ン ツ
家 に 帰 っ て き て か ら こ の 旅 に つ い て 文 章
街 に 暮 ら す こ と は な い ん だ と 理 解 し ま し た 。
た 街 を 独 り 歩 き な が ら 、 自 分 が も は や こ の
じ め に 遭 っ て い た 。 ﹁ よ そ 者 が 、 自 分 た ち
う 状 況 が あ っ た か ら で す 。 嫌 わ れ た り 、 い
避 難 し た 人 が 社 会 で 受 け 入 れ ら れ な い と い
の 街 の こ と を 忘 れ る の は 不 可 能 だ っ た 。
の な か で 育 っ て 、 過 去 の こ と 、 プ リ ピ ャ チ
インタビュー
06 二 〇 一 三 年 四 月 一 一 日 フ ル ジ ニ フ カ 村 エ コ ポ リ ス
聞 き 手
=
開 沼 博 ・ 津 田 大 介 ・ 東 浩 紀 通 訳 ・ 翻 訳 =
上 田 洋 子 写 真 =
新 津 保 建 秀
ア レ ク サ ン ド ル ・ シ ロ タ ﹁ プ リ ピ ャ チ ・ ド ッ ト ・ コ ム ﹂ 代 表
チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド
ぼ く は 間 に 合 わ な か っ た
100