福島から考える言葉の力
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本書には、作家・批評家であり、合同会社コンテク チュアズ代表の東浩紀が聞き手となった 3 つの対談が 収められている。対談はそれぞれ、合同会社コンテク チュアズと株式会社ドワンゴの共同制作のウェブ討論 番組、 『ニコ生思想地図』の第 1 回∼第 3 回として 2011 年に放送されたものである。当番組は 3 回 1 組で共通 のテーマを設定しており、第 4 回以降も順次書籍化す る予定である。番組スケジュール、収録観覧などの詳 細は http://contectures.jp/ まで。
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目次 第一章 8
和合亮一×東浩紀
福 島 か ら 考 え る 言 葉 の 力 第二章
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津田大介×東浩紀
震 災 ・ 原 発 ・ イ ン タ ー ネ ッ ト 第三章
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竹熊健太郎×東浩紀
「 終 わ り な き 日 常 」の あ と の 日 常
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あとがきにかえて 東浩紀
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索引
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著者略歴
福 島 か ら 考 え る 言 葉 の
和 合 亮 一
力
2011.5.28
第 一 章
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震災から語る
福島を言葉で語ること
東浩紀 会場のみなさん、 『ニコ生思想地図』の視聴者 のみなさん、こんばんは、司会の東浩紀です。今日は、 ゲストとして福島から詩人の和合亮一さんをお招きし、 「福島から考える言葉の力」と題して討論を行いたい と思っています。和合さんは 1968 年生まれの福島県 出身。いくつか詩集を出されていまして、詩壇では実 績を積まれています。ところが 3.11 のあと、Twitter で詩を発表し始め、今や現代詩にまったく親しみのな い人たちにも衝撃を与えつつある。僕も Twitter を拝 見し『思想地図β』にぜひ作品を掲載したいと思いま した。先日、和合さんとはじめてお会いしたのですが ★1
―正確には実は和合さんは僕の妻 の友人でずっと 昔に会ったことがあるのですが、まあそれは横に置い ておいて―、そこで話題に上ったのが、今福島がも のを考えるうえでどういう役割を果たすのか、という ことでした。この福島第一原発の未曾有の事故に対し て、僕たちの周りには補償の金額とか何キロメートル 圏内が安全だとかベクレルだとかミリシーベルトだと か、さまざまな数字とその解釈が飛び交っている。し かしそれでいいのか。本当に重要なのは、そのような 数字に還元されない「喪失」ではないのか。そんな問 題意識をめぐり、和合さんと興味深い対話ができたの
福島から考える言葉の力
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で、今度は和合さんを東京にお呼びして、その対話を 多くの方々と共有したいと思いました。今日はよろし くお願いいたします。 和合亮一 よろしくお願いします。 東 会場にいらっしゃる方、放送をご覧になっている 方には、現代詩になじみの薄い方も多いかもしれませ ん。そこで議論に入るまえに、まず和合さんに詩を朗 読していただこうと思います。
詩の礫 三月十一日 悲しい 揺れ 巨大な 揺れ あれから 私の街の駅はまだ目覚めない。囲われて、閉じられて、 消されている。 私の街の駅とあなたの街の駅と、助けて下さい。駅が 奪われている。
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震災から語る
震災・原発・インターネット
震 災 ・ 原 発 ・ イ ン タ
津 田 大 介
ー ネ ッ ト
2011.6.26
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第 二 章
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震災から語る
3.11 と Twitter の役割
東浩紀 こんにちは。 『ニコ生思想地図』第 2 回、今回 はゲストに津田大介さんをお呼びして、 「震災・原発・ インターネット」と題して話をしていきたいと思いま す。3 月 11 日の 1 週間くらいあとだったと思うのです が、実は僕が震災後はじめてお会いしたメディアの人 が津田さんでした。 『MAG・ネット』という番組の収 録でしたね。 津田大介 ちょうど東さんが、伊豆に行かれてから、 すぐ戻って来られたときですよね。 東 震災についてどう思うかと訊いたら、津田さんは すぐに「僕たちの仕事は、根底から変わらざるをえな い」と言われた。そこで、 「ああ、この人は僕と同じ気 持ちを持っている」と思いました。 『思想地図β』第 2 号での取材企画もそこから始まりました。 むろん、3.11 以前も津田さんとは一緒に仕事をして ★1
きましたし、実際『Twitter 社会論 』の電子書籍版に は僕が解説を書いたりもしています。けれども、僕は、 3.11 以降、津田さんの活動に改めて深い関心を抱くよ うになりました。今まで Twitter というかソーシャル メディアの魅力を訴えてきた津田大介が、震災、そし て原発事故を通して、何を感じたのか、どういう指針 で行動するようになったのか、今日はそのあたりを伺
震災・原発・インターネット
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えればと思います。 津田 震災が起きた当日、 「ニコ生で特番をやりたい ので来てくれないか」とニュースチームの亀松さんか ら Twitter 経由で連絡が来て、中野から 4 時間かけて ドワンゴのある日本橋浜町まで移動しました。特番は けっきょく 3 日間連続でやりました。当時は準備も含 めて睡眠もあまりできませんでしたね。一番大変だっ たのは、ニコ生自体は大手のマスコミメディアみたい な報道チームを持っているわけではないということ。 そのなかでリソースをフル活用してテレビや新聞とは 違うかたちのネットの情報を吸い上げながら、ネット を見ている人にとってどういう情報が役に立つのかと いうことを考え、主に Twitter で流れる真偽が不確か な情報をリアルタイムで検証するような番組を作って いきました。で、特番が終わって気がついたら当面の いろいろな仕事の予定が飛んでしまって、1 週間ぐら いまったく仕事がない状況になってたんですよね。そ れだったら、いっそのこと「Twitter やソーシャルメ ディアがこの未曾有の大震災に対してどう向き合って いくのか、1 週間くらい徹底的に情報と向き合ってみ よう」と思ったんです。震災当日は東京も相当混乱し ていましたが、そのなかでも猪瀬直樹さんなんかは Twitter をうまく使って、では、ここの施設を休憩所
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震災から語る
「終わりなき日常」のあとの日常
﹁ 終 わ り な き 日 常 ﹂ の あ と
竹 熊 健 太 郎
の 日 常 2011.7.23
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第 三 章
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震災から語る
地下鉄サリン事件と3.11
東浩紀 この番組も 3 回目になりました。本日もお集 まりいただきありがとうございます。今日は編集家の 竹熊健太郎さんをお呼びして、「 「終わりなき日常」の あとの日常」 と題してお送りしたいと思います。 竹熊さんについては、もはやご紹介するまでもない と思います。僕にとって最も印象深いのは、1980 年代 末から 1990 年代にかけて、平成の初頭を飾るたいへ ★1
んなカルトメタマンガ『サルでも描けるまんが教室』 を、相原コージさんと連載されていたことですね。僕 は当時高校生で、そのころから竹熊さんの名前を意識 するようになりました。そしてそれから 5 ∼ 6 年後に、 『新世紀エヴァンゲリオン』の放送があって―。 ★2
竹熊健太郎 春エヴァのあとに東くんからメールをも らったんですよね。 ★3
東 当時僕はニフティサーブを利用していたのですが、 そのころパソコン通信はたいてい皆実名で参加してい たんですね。ですから、 「竹熊健太郎」さんがエヴァ ンゲリオンフォーラムに出入りしているのを見かけて、 「これがあの竹熊健太郎だとしたらメールするしかあ るまい!」と思ってメールしたんです。 竹熊 そうだったんですか(笑)。 東 竹熊さんとはそれ以来のお付き合いになります。
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「終わりなき日常」のあとの日常
そして今日の話に関係するところでは、竹熊さんはの ★4
ち『私とハルマゲドン』という本を書かれたんですね。 竹熊 ちょうど 1995 年の地下鉄サリン事件のあとに 一晩で書いた原稿があって、それをパソコン通信で ★5
ネットにアップロードしたところ、 『Quick Japan』の 編集長だった赤田祐一くんに「載せましょう」と言わ れて、それが本になったものです。 東 この本の中で語られているのは、 「ハルマゲドン をずっと待望していたのだけれど来なかった世代」と いう自己認識です。 竹熊 サリン事件というのは今から思うと、今 日 の 3.11 以降の状況の予告編のような印象を受けていま す。サリン事件は、オタク文化にはじめて亀裂が入っ た出来事だと思うのですよ。そこでオウム幹部と同世 代だったオタクのクラスタに亀裂が入り、なんとか修 復してやってきたのだけれど、今回の震災と原発事故 で、いよいよオタクが立脚してきた高度経済成長的な ものが終わるのではないかと、そういうふうに捉えて います。ですが、Twitter でこういうことを書いたら叩 ★6
かれました。東くんもそうですが、森川嘉一郎さんと ★7
か宮台真司さんとか、同様の主張をした人は皆叩かれ た。でも僕から言わせると、日本の高度経済成長を支 えてきた仕組みは 20 年くらい前から崩壊し始めてい