#2
ONE AND ONLY!
二つと無い人生!それぞれのライダーの想い
SHOTA FUJIOKA // TAKUMA SHIKIJI // MIZUKI GONDO //
YUKI YOKOYAMA // ANDI MARDIYANA // MANAMI NAKAYAMA
..and more
Harle
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Remedy - Riot
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REAM LIFE
長い冬が終わり太陽の日差しが心地 よいこの季節。春は卒業に入学、就 職や何か新しい何スタートを切った 人も多いのではないだろうか。ライ フスタイルは様々で二つと無い人生。 一人一人オリジナルの人生を歩む。 輝きを見せる one and only なライ ダーを今回は紹介したい。 shinnoguchi
-CONTENTS 2018 APRIL #2 11
BEYOND THE IMAGE #2
SHOTA FUJIOKA 16 Loca
Rhythm. ー高知県ー
TAKUMA SHIKIJI 23 PHOTO ISSUE #1 MIZUKI TAKAHASHI 30
TRANSMISSION
YUKI YOKOYAMA 36
INDEPENDENT WOMAN
FMX 高校教師 MANAMI NAKAYAMA 43 PHOTO ISSUE #2 TAKUMA SHIKIJI 46 PICK
UP RIDER
MIZUKI GONDO 53 FOCUS
ANDI MARDIYANA 59 PHOTO ISSUE #3 KOTA IIDA
BEYOND THE IMAGE
SHOTA FUJIOKA
#2 移住を決意。一瞬を共感 ・共有できる出会い。
[藤岡 正太]
SKIM BOARD Surfingのshortboasdより一回り小さく、長さ約130cm 幅約50cmぐらいの薄いボー ドを砂浜から走って行き、波打ち際でボード上に飛び乗り、前から来る波でターン。 そこから波に乗って行ったり、波をジャンプ台の様に利用し高くエアーを決めたりす るスポーツ。いたってシンプルで一回のプレーしている時間はすごく短い。しかし、 ピンポイントに発揮される驚異的な自然のパワー、その一瞬の中には繊細はボードコ ントロール、レールワーク。波と砂に巻かれる恐怖心を超えた先にある、スピード感 と波の中から見る景色。そこを抜ければビーチで歓喜する仲間達。仲間達とビーチで 波を待つ間、海・波を見て話、笑いあえる。
19歳の時に初めてカリフォルニアで見たアメリカ人のライディ ングとあの衝撃を忘れる事はなく…。より思い描く自分のラ イティングに近づくには波が年中を通してコンスタントにあ る温暖な宮崎への移住を決意したのは2016年9月の事だった。
すごく良いアイデンティティを貰う事が出来た。
兵庫県から波を求め現在は宮崎に移り住み1年半が経った。 このHighFiveMagazineに繋がるきっかけになった川口慎平に出会ったのは宮崎に 移り住み出して半年も経たないぐらいの時、ウェイクボードを取り扱う「WHIZ」へ ウェイクスキムをトライしに行ったのがきっかけ。ウェイクスキムは船の引き波を利 用して波に乗ることができる。ウェイクスキムについては次号にでも詳しく話そう と思う。そこの店長であった慎平は年齢も2つ程しか変わらず、自分と雰囲気も近い ものを感じたのか仲良くなるのに時間はかからなかった。
3月上旬、別件の用事も重なり慎平と会うことになった。酒を飲みながら話をするが事 が好きな俺は彼を前夜から飲みに誘う事にした。酒を飲みならがら話をするのは初め てだが特別気を使う事も無くすんなりと間合いに入って来て、直接彼と業界や今までの 経験してきたお互いの話に華が咲いた時間であった。
思えば自分はスキムボードをやり出した当時、周りに同年代のヤツが居なかった。先輩 ばかりで、それも5つ以上は離れてる先輩ばかりだった。始めたばかりの頃は車も持っ てなかったから先輩達は数々のポイントに連れってくれたり大会も連れってってくれた りと色んな面ですごく可愛がってもらえて嬉しかった反面、同年代のライダーが居ない という寂しさと面白くない部分もあった。 それを思い出すと同じスキムボードじゃないけど、同じように自分の好きな事を一生懸 命にやってる同年代が近くいる存在が嬉しかった。 そんな彼との話は今のお互いの立場から自分達がこの業界にどういう影響を与えて行け るかスキムボードとウェイクボードと業界は違うけど共感できる物は多く、すごく良い アイデンティティを貰う事が出来た夜になった。
次の日そのまま慎平と2号目のHighFive用の写真を撮影に宮崎県北部の延岡市へ繰り出す事に。 当日のコンディションは前の週にオーバーサイズになってしまった影響もありインサイドの地 形が良いとは言えない状況だった。 同じ業界のライダーとはいえ慎平にどんなアングルでどんな瞬間を説明するのもなかなか大変 で自分のライディングを人に伝える難しさを痛感する。これもまた良い勉強になった。お互い に良いアングルやスタイルはどこかと何度も話し合いながら切磋琢磨し結果撮影はすごくいい 時間になった。
自然を相手にするスポーツ。2度と同じ波は来ない。それが1番の面白さ。その一瞬を共 感 ・共有しその一瞬のタイミングを形として残せるのが撮影。素晴らしい時間を共有 出来る仲間がまた増えた事に感謝した瞬間でもあった。この一瞬をこのマガジンを通し てたくさんの人にシェアできればと思う。そしてスキムのかっこよさ、楽しさも同時に 伝われば最高だ。
Loca Rhythm. 高知
TAKUMA SHIKIJI
NAME : 式地 啄摩(シキジ タクマ) AGE : 18 HOME TOWN : 高知市 INSTAGRAM : @s_k_a_t_e_3_lego
Q1,スケボーとの出会いは? 小学生の時に兄がスケボーをしていてカッコいいと思ったのが出会いでした。しかし 当時はスケボーを買うお金もなく諦めてしまい一般的な小学生として過ごしてきまし た。そのまま月日は流れて高校に入学。たまたまインターネットでスケボーが出てき て「やりたい!」と思いが再び現れその流れで購入。そこから自分のスケートライフ はスタートしました。 元々スケボーをしていた友達と連絡を取り合い一緒に滑ったりしていくうちに上手な 人たちがカッコいい技をしていて「僕もカッコいい技をしたい!」などと思いよりハ マっていきました! Q2,ローカル高知県について聞かせて! 高知市内には市営スケート場というスケートボード専用の施設がありそこで適当に連 中と集まって滑ってることが多いです。市営スケート場は狭くてボックスやレールな どのセクションはないですが、バンク、アール、バンクtoバンクがあります!バンク の斜面が急な所があり慣れるまでが難しかったり恐怖だったり!? パークが広くないので1人1人が順番で滑るんですがそれはそれで中々楽しいと思う。 トリックが決まると周りの人から掛け声などあったり、また人のライディングも見れ てバイブスあがったりもします。 パークに集まる人は始め怖い印象がありましたが段々と一緒に滑って行く間に仲良く もなれて良い環境だと思ってます。 みなさんとにかく明るいんで楽しいです! ストリートも結構攻めたりするんですけど警察の取り締まりなどは「通報があったか ら場所を変えてほしい」程度のものかな。 そこまできつく言われません。時には「滑れる場所が少ないのはわかるけどやっぱり 僕らもこうゆう仕事だから。」と共感できる警察もいます。 スケートパークは高知市内、室戸、四万十という場所にあります!パーク自体は少々 少ないですがスポットなどもあり楽しめると色々思います! Q3,ストリートを攻める理由とは? パークとは違う自由な環境という楽しさがやっぱり大きいです。決められたモノでは なく自由な感じが好き。 当然路面一つにしても環境が違うからスケートパークはアスファルトで街に出るとツ ルツルのタイルだったりスタイルがより出せる。
Q4,好きなライダーや好きなスタイルは? 目指しているライダーは、クリス・ジョスリンです!ダイナミックな滑り方が大好きで 一目惚れしました。 Q5,普段はどのようなライフスタイルを送っていますか? 僕は介護の仕事をしていて仕事終わりに市営スケート場や、近場の広場などにいき友達 などにコンタクトとって一緒に滑ってます。滑る時間などは特に決めたりもしてないん だけどいつも気づけば3時間以上はしてて没頭してることが多いです。
HIGH FIVE MAGAZINE
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Mizuki Takahashi
Rider_MizukiTakahashi Photo_shinnoguchi
Rider_Mizuki Takahashi Photo_shinnoguchi
Rider_Mizuki Takahashi Photo_shinnoguchi
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-海外から日本へ。海外の情報や国外で活動する日本人の動きを伝える-
#2 日本人としてオーストラリアに環境を作るプロウェイクボーダー YUKI_YOKOYAMA
横山 雄紀 YUKI_YOKOYAMA
32歳 宮崎県出身
instagram @yukiyokoyama ホームゲレンデ 衣浦、石峠レイクランド、ゴールドコースト
!
生まれは宮崎県延岡市。九州の中でも温暖な地域で延岡市は県内屈指の工業都市 でありながら山あり海ありの自然が常に隣り合わせの中育ちました。 小学生3年の時からサッカーを始め、小中高とずっとサッカーに没頭。社会人に なり就職した時もサッカーを続けれると言う理由で会社を選び、人生でサッカー を超えるスポーツはないと思っていました、ウェイクに出会うまでは。 会社の先輩が連れて行ってくれたウェイクボードのスクールでウェイクボーダー が飛んで回っているのを見て、衝撃が走しりました。しかし社会人である中ウェ イクを本格的にハマるまでは少し時間がかかりました。というのも今までスポー ツは少しやったら案外簡単に出来てきたものばかりでした。しかし程なくしてイ ンバート「縦回転」を練習し始めたのですがその縦回転が成功できない悔しさは 始めて味わう感覚でした。今まで簡単にできていたスポーツがこんなにも難しく、 時間のかかるものとは思ってもいませんでした。それがきっかけで何度も練習を しついに縦回転が成功した時の感覚を味わったときにはウェイクボードと言うも のに気がつけばのめり込んでいたのです。
本格的にウェ イクをやりだ してどうせや るんだったら とことんやり たい。その思 いからプロに なることを目 指しました。 当時の自分の 環境は会社勤 務であった為、 週末休みのラ イダーがプロ になる為には… と考えると仕 事前、仕事後はウェイクボードのイメトレのためにトランポリンで練習し、夜勤 の週は朝練で滑りに行く。夜はテレビも一切見ずにウェイクのDVDだけをひた すら見ると言う生活を2年続けました。その2年でアマチュアとして戦える技を出 来るようになったのだと思います。
ウェイクを本格的に始めはじめたころ1年半ほどワーキングホリデーを使いオーストラリ アに訪れました。オーストラリアに来れば海外に行けば上手くなれると勝手に思ってい た自分がいて、ウェイクをやるためにオーストラリアに来たのに日本のような一般向け のトーイングサービスが存在してなくて、初めは滑れない日々でした。というのもオー ストラリアでのウェイクボード は少しリッチな家族が船を所有 し仲間内で楽しむといった感じ でした。滑れない時期にイライ ラしてしまった時期もありまし た。でも何とかしてコネクショ ンを作らなければと思い、現地 のウェイクボーダーに必死に顔 や名前を覚えてもらったり積極 的に話をしたりなど少しずつ滑 る環境を増やしていきました。 オーストラリアで学んだ一番の ことは、ウェイクボードは楽し んだ分だけ上手くなるんだとい うことを現地のライダーに教わりました。樺沢裕プロにも同じことを言われたことです がこの言葉で完全にライディングへの考え方が変わって行きましたね。 ワーホリが終わるころ、プロ資格を取ったらオー ストラリアに住みオーストラリアで日本人が自由 にウェイク出来る環境を作ろうと決めました。オー ストラリアでのウェイクボードの環境はもちろん 最高なんですがそれはトッププロやお金持ちにとっ ては最高な環境で、一般のウェイクボーダーがウェ イクをするには相当頑張らないとウェイクできな いような環境なんですね。 現在はワーホリ中にお世話になった寿司レストラ ンに就職しビジネスビザでオーストラリアに住ん でいて、一般の方がもっとウェイクボードってい うスポーツを楽しめるような窓口を広めていくよ うに活動しています。そして日本のウェイクボー ダー達がオーストラリアで練習をしたい、大会に 出たい、世界を知りたいといった時にその役にす こしでも立てるようなことが出来たらなと思って います。
HIGH FIVE MAGAZINE @highfivemag #highfivejpn
https://freshbloodwake.wixsite.com/highfivemagazine
Independent Woman
MANAMI_NAKAYAMA 仲山真菜美 27歳 栃木県出身 home_774compound instagram_manami_fmx
FMX
女性教師
-バイクと共に育った私正直、どの様に私のバイク人生がスタートしたかは全く覚えていないですが、ア ルバムをめくっていくと1994年(3歳)河川敷でバイクにまたがった写真が一番 古かったかな?と思います。物心ついた時には、父の影響でもうバイクに乗せら れて い ま し た 。 週 末 は よ く 近 く の 河 川 敷 で バ ー ベ キ ュー を して お り 、 兄 が HONDAQR50を、私は3輪のバギーで河川敷の草むらを乗っていました。4歳にな ると、兄が乗っていた憧れのQR50に乗せてもらう事ができ、家の敷地にはミニコー スが完成しました。時間があればミニコースを乗り、自らニューセクションを作っ たりしていました。しかし、小学 生になると友達と遊んだり、部活 や習い事でバイクに乗ることは年 に2∼3回とほとんどなくなってし まいました。そして再び、バイク にまたがったのは11∼12歳の頃。 ガレージに眠っていたCRM80をお 父さんが直してくれ、私の「レー ス人生」が始まりそれからはほぼ 毎週河川敷のコースへ行き練習を していました。コースへ行くと沢 山のバイク仲間がいて、競う事に 夢中になっていき、ここから本格 的にレースに出ることを考え始め ま し た 。 間 も な く 、 S U Z U K I RM85L( 05)を購入し近場で行 われる草レースにエントリーする ようになりました。 -レースからフリースタイルへレースをしている時の自分は、とにかく目立ちたいとしか考えていなかったです。 草レースでは、負け知らずで表彰台のてっぺんは当たり前!少し天狗になってい たかもしれないです。が、初めて大きい壁にぶち当たりました。全国の壁です。 全日本モトクロスに挑戦しだしたものの予選を通るなんて夢のまた夢で、、、 2012年の全日本埼玉オフロードヴィレッジ大会でレース人生に幕を下ろしました。 レースは出なくなってしまったが、バイクを乗らないという選択肢はなかったで す。レースをやめてから間もない時に友達に誘われて、福島県にある「モトパー
ク森」というコースに遊びに行きました。そこでフリースタイルモトクロ スいわゆるFMXを見て私は衝撃を受けたのです。そこには、ランプと呼ば れるジャンプ台が3機と大きな着地(ランディング)があり、7名のライダー が順番に飛んでいました。とにかくカッコよくて、私が本当にやりたかっ たのはこれだ!と思ったのを覚えています。すぐに飛びたい旨をライダー に話をしたところ、コース内にあるジャンプを跳び切れたらいいよと、す ぐには飛ばせてくれませんでした。そして何よりも惹かれたのは、先輩ラ イダーの姿です。自分の ライドライフを最大限に 楽しんでいて、ライダー 同士の信頼感がとても強 くその姿がとても輝いて 見えました。のちに、常 に危険と隣り合わせのス ポーツなので信頼感なし では成り立たない世界だ と気付かされました。す ぐ飛ばせてくれなかった のも、私に飛ぶだけの技 術があるのかをチェック する為だったのです。それからは、福島県まで片道約3時間かけ毎週通うよ うになりました。いずれ、大好きな先輩ライダーとイベントにでる!とい う目標を掲げ狂ったように練習をしていました。 二足のわらじ 福島県に通い始めてからは、大 学の授業をさぼり練習をしてい ました。この時は、教師になる 夢よりもFMXライダーになる夢 の方が大きく、教員免許は取得 しなくてもいいかな…と考える ようになりました。しかし、当 時一緒に練習をしていた今は亡 き佐藤英吾さんからのたくさん のことを学ばせてもらい彼の言 葉で影響を受け大学はしっかり と卒業して免許取得することを
絶対条件で練習するようになりました。結果両立することで どちらにも身が入り上達する速度も違ってきました。この事 を英吾さんは私に教えたかったのかな?と今は思います。 現在は高校教師として私は二足のわらじを履いています。 正直、教師をやりながらというのは大変です。一番は、練習 時間が極端に減ってしまう事が辛いです。また、たくさん応 援して頂いてとても感謝しています。しかしその反面で、マイ ナス意見もたくさん浴びました・・・。自分の人生を否定さ れているようでとてもしんどい時期もありましたが、この道 を選んだのは自分でやりたいことが2つも出来ている!こん な素敵なことはないとプラスにとらえ、結果でそんな人たち を納得させようと、さらに練習に励みました。徐々に表彰台 にもあがることができ、イベントにも呼んで頂けるようにな り、マイナス意見が自分を強くしてくれたと思います。 現在は、15mと世界基準の距離ではないのでこれからは世界 基準の23mを飛び、もっともっとたくさんのイベントに呼ん でもらえるよう頑張りたいと思います。一番の目標は地元で のイベントに出ることです!さらにせっかく高校教師という 職業にあるので、学校の文化祭で飛べたら嬉しいです。いつ も支えてくださる周りの先生方、たっくさん応援してくれる 生徒たちと盛り上がれたら最高です!来年には、海外ライダー との練習も考えています。それに向けてメンタル、技術ともに 向上していきたいです。最後に、いつも周りにいてくれる大好 きなFMX Familyの皆さん!本当にありがとうございます!
Wetsuits Company
HIGH FIVE MAGAZINE
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Takuma Shikiji
Rider_Taku
uma Shikiji
-PICK UP RIDER-
MIZUKI GONDO
彼女と初めて会ったのはお互いがまだ小 学生の時。地元で同じショップに通って たことがきっかけで出会ってもう十年以 上。一時はスノーボードから離れてしまっ た彼女だが復帰後、スタイルを磨き白い 恋人パークエアーナイトセッションに出 場するなど常に明るい雰囲気と彼女にか 出せないライディングスタイルに注目。 text by shinnoguchi
名前 権藤瑞貴 年齢 23
出身地 福岡県
Instagram @mizukigondo スポンサー ROMESDS/ players3s/yamaplus/ crazycomono
Q1,スノーボードとの出会い
母の影響ですね。初めてスノーボードをしたのは九州 のスキー場でした。お母さんに連れられて行ったのが きっかけで、すぐにスノーボードの魅力に引き込まれ ていきました。 小学生∼中学生までは広島のゲレンデを中心に滑りに 行ってました。 夜行バス乗って行ったり周りの大人の人達に連れてっ てもらったり、、、。 中学を卒業した後に普通の学生が羨ましい時期が来て スノーボードを辞めてしまったんです。けど、20歳の 時に友達と普通にスノーボードしに遊びで行ったらす ごく楽しくてもう一度真剣にやりたいと思ってすぐに 北海道に行きました。 今ではスノーボード無しでは生きていけないぐらいに 楽しくて充実した生活をおくれています! Q2,現在はどんな活動をしているの?
シーズン中は北海道のニセコを拠点に活動していることが多い!大会やイベントがあ る時は本州に行きます!今シーズンは北海道、新潟がメインでした。
Q3,今シーズンのトピックは? 今シーズン思い出に残ったのは北海道の札幌の街中で行われる「白い恋人Park Air」 です。メンズの中で紅一点女1人で飛ばせてもらいました。 Q4,今一番大切 にしてることっ て何? 1番大切にしてい る事は「楽しむ 事、楽しませる 事」です。もち ろん私自身めちゃ くちゃsnowboard が楽しいです! そしていつも楽 しそうに滑って るね、とよく言 われます。見て いる人まで楽しませれるよーなライダーで居たい! ハッピーでカッコいいライダーで居たいといつも思っています。 Q5,ピョンチャンオリンピックではどのような影響を受けましたか? 特に無し。 Q6,今後の目標や活動につい て教えて! 今年の目標はストリート、ナ チュラルなどゲレンデ外での 撮影をしっかりできるように する事。 お金も時間もかかるししっか り気合い入れたいと思います!
REINA
KURATA IBUKI
ITO
KOUHEI
INOUE RYUTO
KUNIKANE
YOU
HAMAZAKI SATOSHI
CHIKAMI
HARUKI
KOMATSU AI
TAKENOUCHI
RINTARO
FUJII
EMI
KIHARA
SHINPEI
KAWAGUCHI
HIROMICHI
AOKI
SHINNOSUKE
NOGUCHI
2017.01.14 RELEASE. -locationYAMANAKAKO EDOGAWA HIROSHIMA FUKUOKA MIYAZAKI
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BALINESE PRO SURFER
Andi Mardiyana!
今では多くのサーファーが訪れるバリ島。 そこで育った一人のプロサーファーのAndi。 日本のように豊かな場所ではなかった環境の中、 プロサーファーまで成り上がったリアルを語る。 Andi Mardiyana 1987.03.19 31歳 ジャワ島生まれバリ育ち Instagram_andi.kun7314 Sponsor_B.W.G/Knowledge/Flap design/Howie shapes/ Notice one wetsuit/Moremuruck bali
ジャワ島で生まれてバリ島で育った僕は、常に海が近くにあり、いつも波があって、 サーフィンを始めるにはとても恵まれた環境でした。しかし、ボードもなければ、フィ ンもない、もちろんリーシュコードもない。サーフィンは目にはするものの当たり前 に道具が簡単に揃うような環境ではありませんでした。始めたきっかけは最初は11 歳の時に友達に誘われボディボードを10円でレンタルして、7歳離 れた兄のブカブカの海パンを履いてトライしたのが僕の波乗り生活 が始まりました。板のレンタルができない時はベニヤ板をボード代 わりにして、毎日サヌールリーフのベイビーポイントまで家から15 分ほど歩いて通いました。僕がボディボードで波乗りを始めた時、 兄は既にプロサーファーで活躍していて、みんなから慕われる憧れ の存在でした。しかしその兄は、"ちゃんと勉強して自分みたいに ならないように、サーフィンはやるな!"と僕にサーフィンを教え てくれる事はありませんでした。12歳になると兄の友達がサーフ ボードを準備してくれて、やっと本格的に サーフィンを始める事ができました。で もリーシュは買えないので靴下を切って 足首に巻いて、ただの紐をリーシュ代わ りに。波に乗れても足首が紐に締め付け られて痛すぎるし、夕方になると兄が海 に来てサーフィンはやるな!と怒られて しまうのでその前に上がる…そんな毎日 を繰り返して練習していました。1年もす ると兄も徐々に応援してくれるようにな り中古の板を買ってくれて一緒に練習も するようになりました。友達と毎日学校 の後に練習して、休みの日には兄と遠くま でバイクで練習しに行きました。まだ小さい僕は兄の後ろに乗り、 両手で板を抱えワイルドな兄の運転に吹き飛ばされないように、向 かい風に耐えながらの移動は結構辛かったのを覚えています。サー フィンが身についてきた頃ローカルの試合に出場しても1コケした りで何度も何度も挑戦して、少しずつ大きな試合にも出るようにな りました。僕はグーフィーフッターなので、大好きなMickFanning(レ ギュラーフッター)のライディング映像をわざと鏡越しに見て、グー フィーの自分のライディングとリンクさせて勉強していました。16 歳になると、遂にJrプロとして試合を周るようになりました。ロー カルの雑誌にサーファーとして掲載してもらったり、色んなポイン トで波乗りするようなりました。初めてスポンサーがついたのは 17歳。クイックシルバーがサポートして下さり、
自分よりも上手なメンバーに囲まれて沢山の刺激を受けながら、毎日毎日波を求 めていました。現在は育った地元を中心にサーフガイドの仕事をしています。兄 もサーフィンの先輩たちも皆サーフガイドの仕事をして、日本人やオーストラリア 人など海外の知り合いも多く、日本語や英語を使って仕事をしている姿はかっこ よく見えました。環境的にもサーフガイドの仕事を始めるのは、ご く自然な流れでした。初めてガイドをした時はまだ21歳で日本語も ままならず、車の免許も取ったばかりでバックもできないような状 態で大変だったのを覚えています。まだまだ ガイド"とはとても言 えない僕を日本人のお客様が応援して、支えて下さったおかげで今 があります。日本人のお客様はお酒に強くて、朝からビール、サー フィンの後もビール、寝る前もビール…という印象です。それは10 年経つ今でも変わりません。また日本人は時間管理がしっかりして いて、バリはゆるーくのんびり島タイムで時間が回っているので合 わせるのが大変です。笑 日本はバリよ りも遥かに経済が発展していますが、 その分忙しくて土日しかサーフィンで きなかったり、冬は寒くてブーツやグ ローブを履いてまで波乗りしていたり、 夏は波が小さかったり…バリより制限 された状況の中、日本人サーファーは ストイックに波乗りをしているのが印 象的です。僕自身も以前夏に日本に行っ た事がありますが、それでもバリに比 べると水温は低く、波もひざや腰サイ ズにも関わらず50人くらい入っていて… 改めて日本人のみなさんの熱心さには驚かされました。限られた休 暇を利用してバリに来てくださるお客様が沢山いますが、ビギナー サーファーでも熱心に練習していたり、波が大きくてもチャレンジ していて本当に尊敬して います。僕はバリで、い つでも極上の波と共にお 待ちしています!ぜひバ リにお越しの際はご連絡 ください! -Andi-
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Kota Iida
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-お知らせいつもHIGH FIVE magazineをご覧いただき誠にありがとうございます。 前号HIGH FIVE magazine#1でお届けいたしました倉田麗奈さんのスポンサー が一部未記入がございました。 訂正後 International wake park / 東京美容外科 / AGA スキンクリニック / 浜名湖バナナ / HYPERLITE JAPAN / ONEILL JAPAN 読者の皆様、関係者様へお詫び申し上げます。
THE NEXT ISSUE
2018.summer
real scene USA ΞϝϦΧͷใ beyond the image kota iida from AUS and more. HIGHFIVE magazine #2 Editor_shin noguchi
Desinger_shinpei kawaguchi FRESH BLOOD 〒883-1101
宮崎県東臼杵郡美郷町西郷区田代5812-1 石峠レイクランド内WHIZ highfivemagazinejpn@gmail.com