HIGH FIVE magazine#3

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FLADGE VEST

Color:SpaceBlack















Hantington beach ロサンゼルス中心部から車で約1時間南に走ればハンティントン ビーチに行ける。毎日サーファーや観光客で賑わっているがベニ スとはまた違った雰囲気。今回はご縁があって、アイウェアブラ ンド「BLACKFLYS」のパーティに参加させてもらった。ビーチ から15分くらい走ったところの住宅地に会場はあった。入り口 で受付を済ませ会場内に入るとそこはまさに大人の遊園地だった 。深いボウルでガンガン滑るスケーターとその周りにはたくさん のギャラリーが囲んでいてバンドライブありBBQありのJAM SE SSION。まさにカリフォルニアなスタイルで圧倒され、映画ドッ グタウンのワンシーンにいるようだった。この機会をくれた現地 のBLACKFLYSに勤めるAKIRA氏と再会。地元が同じ福岡ってい うこともあり色んな話を聞いたり、日本の様子を伝えたりビール を片手にディープな話ができた。このパーティーは年に1度開催 され今回で23回目。「25年以上の歴史を持つBLACKFLYSは様 々な時代とシーンを過ごした。流行りに合わせたデザインにシフ トすることも大事だけどこのブランドにしか出せないカラーとこ の現場の雰囲気を今までもこれからも僕を含むみんなが一番大事 にしている。」と嬉しそうに語ってくれた。BLACKFLYSは199 1年にカリフォルニアで生まれ色褪せないブランドカラーをこの 場所、雰囲気、ライダーやアーティストから何十年も変わらない T 発信を続けていることがかっこいいブランドを作り上げていたの だった。







Made in U.S.A

かっこいいはアメリカから。



Wakeboard Paradise





SHOTA TEZUKA 手塚 翔太

オーランドに住む日本人プロウェイクボーダー手塚翔太。 ウェイクボーダーで彼の名前を知らない人はいないだろう。 最年少である小学校6年生よりプロとして活動を始め今は 世界のトップライダーに成り上がった。去年オーランドに マイホームを購入し家の前には、フラットな水面の湖とス ポンサーであるスープラボートが浮かぶ。整った環境でい つでもライディングできる。まさにジャパニーズドリーム だった。彼のテクニックとライディングスタイルはアメリ カでも認められ日本人初となるプロツアーの表彰台やマガ ジンのカバーにも何度も選ばれている。現在はシーズン中 ということもあり、コンペや撮影など一ヶ月の間に何本も のハードスケジュールをこなしつつ、トレーニングもしっ かり行うトップアスリート。彼の考えはいつもシンプルで スマート。ウェイクを心から楽しんでるし、常に真剣に向 き合っている。そんな彼のライディングビデオはページ。



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BEYOND THESHOTA IMAGE FUJIOKA [藤岡 正太]

SKIM BOARD

#3 理想と現実

Surfingのshortboasdより一回り小さく、長さ約130cm 幅約50cmぐらいの薄いボードを砂浜から走って行き、

波打ち際でボード上に飛び乗り、前から来る波でターン。そこから波に乗って行ったり、波をジャンプ台の様に 利用し高くエアーを決めたりするスポーツ。いたってシンプルで一回のプレーしている時間はすごく短い。しか し、ピンポイントに発揮される驚異的な自然のパワー、その一瞬の中には繊細はボードコントロール、レールワ ーク。波と砂に巻かれる恐怖心を超えた先にある、スピード感と波の中から見る景色。そこを抜ければビーチで 歓喜する仲間達。仲間達とビーチで波を待つ間、海・波を見て話、笑いあえる。

いい波とは無縁の地に生まれた元バンドマン.。 小さなきっかけが人生を大きく変えた。 初めて受けた海外での衝撃。思い切った移住。 がむしゃらに今を生きる一人のライダー。


ーがむしゃらに生きる事ー 理想は自分のライディングを仕事に出来れば最高だが、 そうそう簡単に結び付かず、生活する為に仕事をしない といけないのが現実。だけど時間の都合をつけやすいよ うに僕の場合は就職はせずに個人事業主でやっている。 時間は作れるが収入が安定しないし不安はあるが周りの サポートなどもありなんとかやって行けてる。 特にSkimboard ってスポーツは競技人口も少ないし業界 自体も大きく無い。 その中で少しでも自分を殺さず生き抜く為には色々と頭を 悩ませる事が多いし、頑張ってやればその分返ってくるか と言われたら、返ってこない事の方が多い。 しかし、それでもやり続けれるのはただただ自分のやりたい 事がそこにあるからだろう。自分のやりたい事の為にはなり ふり構わずがむしゃらに生きる事。


この事を教えてくれたのは、BANDに精を出してい た時の先輩方だ。PUNK ROCKが好きでバンドをや りはじめ、先輩方は、髪型はモヒカン、刺青もバチ バチに入ってる。でも正直なところPUNK ROCKっ てジャンルで食える人なんか少なく、、、 でもそんな見た目で普通の会社に勤める事は難しい 。それでもバンドを辞めることは無く、バーや居酒 屋、夜勤の仕事などで働いたりしてる人が沢山周り には居た。家族がいる人も居た。こんな人達を近く で見て、話をしてたからこそ今の自分のやり方を考 えれたと思うし、なによりやりたい事の為に何かを 犠牲に頑張ってる人間はかっこいいと思えた。 今の自分の原動力になる根本を作れたのはバンドの 先輩方の教えのおかげでもあるだろう。今でもその 人達をの言葉は心に来るものがあるし、音楽もカッ コイイ。何よりLiveを見に行き、感じるものは最高 だ。




何か自分の中にやりたい事がありブレずに続ける事は 大変な事やけど今のこのご時世、情報は沢山あり先人 達が沢山の方法を残してくれていってると思う。後は 自分が自分のやりたい事の為にどれだけ気合い入れて 頑張れるか。真剣に自分のやりたい事を続けてるとそ の為に何かを犠牲にしないといけない時は必ず来る。 その時にどれだけ自分が犠牲に出来るか。 周りからたまに、「しょーたくん、生活大変やろー?」 とか言われる時はあるが、俺自身は大変に思った事は 無く、むしろ考えて自分が動いていけば時間の調整と か出来るから楽しめる時間は多いと思う。まぁ確かに 周りから見たら、大変に見える事もあるんやろうけど、 自分のやりたい事に理解をしてくれる周りの環境もあ り、やって行ける。 何より自分のやりたい事の為に自分で頭使って時間 作って最高な一瞬を追い求める事が出る。 そこに同じ時間を共有出来る仲間が居る事に感謝。



プロウェイクボーダーとしてライディングはもちろん、 フィルムチームO.W.Jのボスとしてカメラを片手に、

様々なシーンを納め、世界へ発信する彼の活動とは。。。




こか楽観的な面もあったからとりあえず「大会へ出る」っていう選択肢しかな かった。実際出てて楽しかったしね!でもそれは本当に大会へ「出たい」のか 。わからないまま周りの動きに流されてた。その時くらいから自分の本当にや りたい「プロ活動」を実際に模索し始めた。ウエイクを通じて海外へ行くよう になったり、接する人も幅広くなってきて、ウエイクボードへの関わり方って 色んな形があるんだなって思い出した。OWJは最初、地元のファミレスにて元 ウエイクボードPRO T・M氏と地元の先輩クリエイターM・Yと結成された。 二人は今はもう家庭の事情で活動していないけれど、それぞれの道を行く事に なった。最初のOWJは、海外のallianceや、wakeworldなど各情報配信サイト とかにアップされた海外の最新映像を自身HPでシェアしていく。プラス自分た ちの映像も撮りたいね!ってノリで活動の「きっかけ」を作った。一人が編集 、一人が撮影、僕は撮影とライディングって担当も決まってた。だから僕たち の配信した一番最初の映像と明菜proの映像は実は僕が編集していないんだ。 だからこの当時、今みたいに自分で撮って、編集して、とか、、、まさか自分 がするようになるとは全く思ってなかった。離れた二人も自分で選択した道だ から応援している。だから僕の中でも二人は、辞めたとかじゃなく野球でいう 永久欠番みたいな感覚。二人が辞める時、OWJ辞める!っていう選択肢は微塵 もなかったね。二人がいなくなって自然と編集も撮影も自分でやらないといけ ない状況になってしまったわけ笑



-「個」ではなく「チーム」だけどその時、ちょうど今のメンバー達と繋がるタイミングで、歯車がガッチリ 合った。今思えば必然な「タイミング」だったのかな。僕ら田舎のローカルライ ダーは「個」だとなかなかチャンスも少ない。待ってても何も変わらない現状「 チーム」で自分達で撮って自分達で編集・発信できる。チャンスは自分で作ろう っていう意識に変わっていったよ。ちょうどSNSが一気に広まり出して映像がよ り簡単にみんなに見てもらえるようになったのと同じタイミングだったかな。で も当時は「個」が大事にされていた時代。チームは流行んないとか、どーせ揉め て長くは続かないだろうとか、厳しい意見も多かった。なんでだろう?チームは そんなに難しいものなのかな?とかも考えたけど、僕らのメンバーにそんな不安 を感じる熱量のメンバーもいないしそんなマイナス要素吹っ飛ばすくらいやって やる感満載だった。最初は安く売ってもらった一眼カメラとGoproのみで始めた 素人映像集団。そこで得たお金は撮影機材を買う資金にして少しづつアイテムも 増やしていった。撮る側も撮られる側も最初はほんと段取り悪くて、思うように 撮影できなかった時も多かった。有難い事に撮影を行いやすい環境があったから


撮影企画してまくって実行。反省。企画して実行。反省。の繰り返し。それでも 僕らの発信に対して周りの反応は思ってた以上に熱く、暖かいものだったよ。 SNSの普及、映像を利用した自身の宣伝ってとこが上手くハマったね!それと比 例してデモンストレーションの依頼や、撮影の依頼、出張スクールなど、仕事も 増えていって、まさに僕の思う形に近づいてきた。メディアとして活動する中で 、僕たちのようなもっと世に出ていきたいと強く思う隠れたカッコイイライダー 達や、若いライダー達にも僕たちの作る映像に出演してもらって可能性を広げて ほしいなっていう想いもあったから色んなライダーをピックアップするようにし てOWJの名前も同時に広めさせてもらった。実際に自分が作った映像でスポンサ ーの話が来たよ!とかっていう話を聞けたりそうやって可能性を広げるキッカケ になれてる事が素直に嬉しい!だからこの活動も多くのチャンスを産む為にも継 続しないとな!って勝手に責任感も湧いてくる。継続すればするほど映像を通し て一般の方々にもウエイクボードを見てもらえる、知ってもらえる機会が増える からね!


-5周年を迎えるO.W.J僕らOWJはウエイクボードで飯食いたいと夢見る ウエイクボーダーの集まり。ウエイクボードで収 入を得る為には「プレイヤー」だけの選択肢だと 自分の先は短い。年齢ももう20代後半だったから 世界へ出て賞金で稼ぐ方法は無理だと思った。そ れはネガティブな考えではなくて自分を客観視し て受け入れる事で視野も広がったと思う。自分の 好きな「ウエイクボード」への関わり方、携わり 方。プレイヤー・コンペティター・ムービースタ ー・ローカルスター・カメラマン・フィルマー・ コーチ・オーガナイザー。形は様々で人それぞれ で。「選択肢」がないだけで、これからの時代に OWJは「選択肢」になっていきたいと思ってる。 「モデルケース」といえばカッコ良く聞こえるけ ど型にはまらず柔軟にその場に応じた形に変われ る能力を持ったチーム。OWJは今年で5年を迎え る。今となっては全メンバーがウエイクボードを 仕事にできてる。内海康次郎、日高兄弟(吉宗・ 竜次)、羽原俊介、橋本海士 。現在のメンバーに は各メンバーに1店舗ずつ自分のお店・ベースが ある。夏は日本、冬は海外っていう流れも継続で きていて定着しつつある。そんなウエイク大好き 五人組の目指すところはまだまだ先にあるけど確 実に大きくも小さくも一歩一歩だが手応えはある 。60歳になっても仲間達と楽しくウエイクでき てる自分達を想像しながらこれからも仲間達と共 に頑張る!


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