本門佛立宗宗務本庁
京都市上京区御前通一条上る 東竪町110番地(〒602-8377)
電 話 (075)461-1166(代) 振 込 口 座 京 都 18650
「ス } リランカ開教20周年を迎える!」
平成 30 年7月 1 日発行
7月号他ページの主な記事 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 本門佛立宗機関紙
スリランカ開教 20 周年迎える
﹁インフォ カリプス﹂と
る。インフォ
事 予
定
∼ 日 第二一八回臨時宗会 ∼ 日 第6回青少年の一座︵第8支庁︶ 日 本山宥清寺開導会 ︵宗門総回向料第一回奉納式︶ ∼ 日 第6回青少年の一座 ︵第9支庁・四国布教区︶ 日 開導聖人大津ご法難記念日
29
15 6
初の御講有上人巡教を迎 うことを広く一般社会に
えることができました。 も伝え、理解を得ること
メ ー シ ョ ン・
間を掛けて考えることが
し、それだけに物事を時
できる▼仏に至る修行に
正見、正思惟がある。正
しく見て正しく考えるこ
とである。末法唯一正し
いご信心をいただく我々
も、情報を正しく受け取
り、それをご弘通ご奉公
15 14 5
言う造語があ
この度の御講有巡教中 が目的でした。 の式典や法要は全てご信 その目的の達成を目指 者向けではなく、宗外者 し、現地の教講両務の力
研究者オバディアさんは
最新の技術を使い巧妙化
したフェイクニュースが
動画の共有サイトで広が
る事態に警告を発してい
る▼現在の技術を使えば
口の動きだけを画像から
取り出し同じ人物の別の
画面に貼り付ければ、全
く別の言葉を語る画像に
なる。例えば本物の大統
領の画像を加工して、あ
る国を名指しし﹁これか
ら核攻撃を開始する﹂と
いう音声を重ね合わせる
ことも可能だという▼オ
よりも爽やかで過ごしや 特に力を注ぎました。こ ファミリー会の子供た 徒一同が身・命・財にわ ュースを奨励する仕組み﹂ すく、講有上人のお徳と れまで、自宅での御講や ちも下足のご奉公をさせ たるご奉公をさせていた に改めるべきだと訴えて
よるニュースは瞬時に広
光隆寺︵住職・亀井日魁 一師︵講有上人・本庁随 当日までの上半期弘通 得させていただきました。 詣のみの方が多くありま 袋を渡し、子供たちから 進・信行改良に向かう機 だから発信する側で規則 師︶にて、御講有上人に 伴の新井日友師・寺内教 誓願として教化二十戸、 また御講有御巡教を迎 したが、それらの方々に ﹁楽しいから、もっとや 縁となる、最良の御講有 を作る必要があるという 奉修を賜る開導会式が、 務含む︶ 、ご信者九十六 助行一五〇〇回を掲げて えるための記念事業も、 ご奉公を依頼し、これま りたい﹂という声が聞こ 巡教をいただくことがで ▼現代の世の中、映像に
晴天に恵まれ無事に厳修 名のお参詣。また当山の きましたが、御会式当日 本堂内の壁の塗替え・内 でのご奉公者には責任あ え、随喜してご奉公させ きました。
されました。
にも時間が掛かる。しか
活字は作るのにも読むの
参詣者は二一五名、総計 までに三十一戸を成就で 陣壁クロスの張替え・障 る立場となってもらうよ ていただくことの大事を 誠にありがとうござい がる。活字離れと言われ きました。お助行は、三 子襖の張替え、内陣の絨 う打合せを重ねました。 大人の私たちが学ばせて ました。︵光隆寺弘通部︶ て久しいが紙に書かれた
成果もあり、当日までに の張替え等の他、三月に 二月から総講ごとに、前 す。御会式ご 総誓願の半分以上を達成 行武師のご有志で新調し 最終打合せを重ね、その になりますが、
二一三五回となりました。 帰寂した所属教務・杉田 日ご奉公と当日直前まで 奉公も数回目 できたことになります。 ていただいた新御法門台 甲斐あってか、当日は大 今回のご奉公 十日前の天気予報では を、御講有上人に初めて 人数の参詣者に対しても が今までで一 前日夕方︵御講有のお出 お使いいただき御法門を どうにか対応させていた 番素晴らしく、 迎え時間︶から雨、当日 賜りました。御会式奉修 だくことができました。 子供たちの成 も雨のち曇りという予報 費の額も﹁いつもの御会 しかし一方で、他寺院 長を感じまし でしたが、お助行を重ね 式の三倍﹂を合言葉に、 からの団参の方に行き届 た。
に正しく活かせるよう、
努めねばならない。
今 月
28
初の講有巡教 記念式典を盛大に開催 お助行 親会場の開堂式も行う 別院での
になり、今年の開教二十 さ、ご利益、そしてその お迎えする準備ご奉公に が広がり、社会が混乱す
を持つことができるよう 仏教集団で、信行の大事 いただき、御講有上人を クニュース・偽りの記事
海外・スリランカ教区では本年、開教二十周年を迎え、初の講有巡教を 長松清潤両御導師方のご も招待し宗外者向けの形 はもちろん仏教省を通じ 情報と、終末思想を含め 実施。日本からも五月二十三∼二十八日の日程で、総勢五十六名が随行団 指導の下、スリランカの にさせていただきました。 て政府の協力、様々な仏 たアポカリプス・黙示を 現地仏教会とも友好関係 本門佛立宗はどのような 教集団、活動者の協力を 合わせたもので、フェイ 参させていただいたが、その模様を妙深寺コロンボ別院担当のディリーパ 良潤師から報告いただいたので、そのあらましを掲載させていただく。
修される。開導聖人は、
わたって御正当会が奉
寺では十五日、三座に
祥月御命日。本山宥清
来 る 七 月 十 七 日 は、 佛立開導日扇聖人の御
一九九八年に初めてス 難しい時期もありました。 る場面もありますが、二 周年記念法要でも現地仏 信行はスリランカにとっ 励ませていただきました。 る様を表している▼米ミ ︵六・七面につづく︶ シガン大学の情報技術の リランカに本門佛立宗の その影響が未だ残ってい 十年間にわたる福岡日雙、 教界の協力も得て、史上 て、どれほど大切かとい 教え、上行所伝の御題目 が伝えられてから今年で 二十年になります。過去 二十年間にわたりスリラ ンカHBSは、首都・コ ロンボ以外にも全国で活 発にご弘通ができ、イン ドやネパールのご弘通ご
第4座 13:00∼14:00 講 尊 山内日開 上人
の 宗
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
1日 国民安全の日
昭和三十五年五月の閣議で、産業災害・交通事故・ 火災等の災害防止を図る為に制定。この日から一週 間を全国安全週間とする。暑さで気の弛みから事故 が多発する、夏場の一日が選ばれたもの。
1日 海開き・山開き 7日 七夕
日 海の日
旧暦の七月十五日の夜、祖先の霊に着せる衣服を 棚に置いておく習慣があり、棚に機で織った衣服を 供えることから﹁棚機︵たなばた︶ ﹂という言葉が 生まれた。その後、仏教が伝来すると、七月十五日 は﹁盂蘭盆︵お盆︶ ﹂となり、棚機はお盆の準備を する日ということで、七月七日に繰り上げられた。 これに、中国から伝わった織女・牽牛の伝説が結 び付けられ、天の川を隔て た 織 姫︵ 織 女 星、 こ と 座 の ベ ガ ︶ と 彦 星︵ 牽 牛 星、 わ し座のアルタイル︶が年に 一度の再会を許される日と された。五節句の一つ。
日 佛立開導日扇聖人 御遷化
海の恩恵に感謝し、海洋 国日本の繁栄を願うことを 趣旨として、平成八年から 施行された国民の祝日。
こよみ
安政四年に本門佛立講 をご開講せられ、高祖 門祖の御正流を今の私 たちにお伝え下された。 お互いに、報恩の参詣 をさせていただこう。
第2座 9:00∼10:00 講 尊 小山日誠 上人
わり、当日は快晴。気温 将引の点では、参詣と られたのも、これまでに 一度という今回のご奉公・ バディアさんは﹁正確で もこの日だけは前後の日 同時にご奉公者の将引に ない成果の一つでした。 お参詣を通じて、所属信 興味深く、意味のあるニ
第1座 7:00∼8:00 権大僧正 梅田日伯 上人
29
7月の 月の こよみ
奉公にも参加を果たして きました。 基本的に上座部仏教の 文化が強いスリランカの 社会で、佛立宗も﹁変な 宗教﹂あるいは﹁カルト﹂ だと誤解され、ご弘通が
開導会を晴天無事奉修
11:00∼12:30 講 有 髙須日良 上人 《宗門式典》
第3座
奉修導師 奉修時間 座
去る五月二十日、第五 他寺院からは布教区内 三三二名と目標を上回る 光隆寺信徒のご奉公から 甲御講への参詣はできる、 ていただきました。きち だくことができ、これか いる。人は興味のある事 支庁・東京中央布教区・ 九ヵ寺より、お教務二十 大勢のお参詣でした。 いただいたお計らいを感 また年に三度の御会式参 んと直立してお参詣者に らの一山あげての信心増 しか見ないし聞かない。
今後の 信心増進と改良に向かう機縁に
1・2 支が参詣当番
門 行
16
日本からも56名が団参 日本 本か から らも5 ら も5 も56 6名 名が団 団参 参
講有巡教
5月23 ∼ 28日にわたり 5支 光隆寺
購 読 冥 加 料 一部 50円
THE BUTSURYU SHIMBUN
橋口清遠 編集人
永江日盡 発行人
教化成就者に伺う 清流寺 梅田桂子姉、 信廣寺 小野寺美保子姉 光隆寺立川別院 安藤弘子姉、 法正寺 常盤瑞枝姉 5支・弘通促進大会で発表 このよろこびをあなたとともに 体験談:5支・妙導寺 高田可奈江姉 ニュース・アイ 「お祖師さまをお訪ねする物語」第7回、 南大阪布の弘通促進大会
日 第六世講有日睿上人ご祥月命日
明治二十三年七月十七日、 大阪玉江組の秦新蔵氏の招きにより、伏見から、玉 江組が新造した屋形船で淀川を下阪の途中、淀川堤 の守口村・森田伊六の茶屋︵現守口義天寺︶にお上 がりになり、暑気を避けるため奥座敷でご休息され ていたが、夕刻、出発のため伺うと御遷化されてい たという。御年七十四歳。
17
来る7月15日
るにつれて雨の予報が曇 信徒一同で気張らせてい かない点もあり、後の会 当山におい 議で多くの反省点が挙げ ては五十年に りへ、曇りが晴れへと変 ただきました。
新局長の高澤悦子姉が力強く宣誓を言上
日 大津ご法難
明治七年、明田嘉兵衛の三男として神戸にご誕生。 明治十四年、村田日順師のもとで出家得度、僧名を 順学といただく。師匠が第二世日聞上人の弟子とな り宥清寺に入寺するに従って同じく入寺し、名を現 学と改める。大正十年、第六世講有位を嗣法。昭和 三年、法寿五十五歳でご遷化。
21
寒修行と同様に、夏場の暑い盛りに、自己の信心 前を鍛える期間。この参詣は子どもの夏休みに合わ せて実施されることが多く、全国の寺院では、七月 から八月にかけて営まれます。家族揃って参詣に励 みましょう。
夏期参詣
慶応四年︵一八六八︶ 、かねてから開導聖人のご 弘通に脅威を感じていた大津六十四ヵ寺の僧侶は、 連合して京都府に﹁清風といえるもの、キリシタン の邪法をつかい、諸人を惑わすもの﹂と訴えたため、 聖人は捕縛され、京都六角の西の本牢に投獄された。 御年五十二歳の時。後、冤罪と判り無罪釈放。出家 公許の判決が下される。
29
初のスリランカご巡教を勤められた講有上人 (ゴール親会場にて)
月二十五日から当日朝ま 毯新調、さらに御講有の 幹部、役中はじめ各役 いただいたよ で続けた五十日間助行の 控室となる貴賓室の天井 割の責任者の準備会議は うな気がしま
本堂前に講有上人・奥様と木村総長、亀井住職夫妻
発 行 所 9支・妙清寺 住職就任式 3面 東京中央布 子どもお会式奉修 神戸布、阪神布「こどもの日」行事 5面 9支・ハワイ別院に団参 2面 4面 6面 7面 8面 9面 10面 11面 12面
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行)
聞 新 立 佛 (1) 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
妙清寺開基日淳上人、第
十八世講有妙清寺第三世
日地上人、妙清寺第二世
日穏上人、第四世日実上
人、第五世日南上人のご
冥助を請い願い、妙清寺
発展のため住職の責務を
力強く新住職の宣誓を行う谷川淳浩師
果たさんと思いを定めた
式典では、住職辞令が 次第です。
門祖会に併せ住職就任式を厳修
9支 妙清寺
谷川日侶師より淳浩師へ法灯を継承
去る五月六日、鳥取・ 清寺では、門祖会に併 妙
せて住職就任式が大本寺
清風寺住職・西村清良師
導師のもと厳修された。
当日は晴天のお計らいを
ご信者合わせて百名以上
いただき、他寺院お教務・
のお参詣で本堂は満座と
妙清寺の濫觴は昭和七 戴き、第二世・谷川日穏
なった。
奉修導師より谷川淳浩師 年、清風寺信徒・山本発 上人、第三世・佛立第十 今後、寺風継承、弘通 隆のため先住日侶導師 次郎氏と当地・奥田辰三 八世講有日地上人、第四 へと伝達され﹁先師先輩 興
郎氏との出会いに始まり 世・加藤日実上人、第五 の労苦を胸に刻み、第七 のもと教講異体同心とな
ご遷化後は第六世に谷川 く望みます﹂と、訓示を られた。
清風寺教講の献身的な応 世・由良日南上人へと法 世住職としてのご奉公円 り、高祖日蓮大士ご降誕
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行) (2)
成を期待するとともに、 八百慶讃 教化・法灯相 援により信徒が増加し、 灯が継承されてきた。 織り運動の御 昭和四十三年には第三 捨身決定の覚悟を以てご 続 つづれ 目となる旧本堂を現在 弘通に邁進し、止暇断眠 奉公 成就のため精進を重 して分組。益々弘通発展 回
﹁西大歓鳥取大仁組﹂と
聞
し昭和十二年、本門佛立 地に移転建立。日南上人 の精進を重ねることを強 ねてまいります﹂と述べ
講・鳥取親会場を建立。
新
昭和十八年の鳥取大地 日侶師が就任。三十四年 述べられた。 午後からは本堂内に祝 の会場が設けられ、第 その後、新住職より挨 宴 震により本堂、庫裏とも に亘るご奉公の中、平成 があり﹁もとより非徳 九支庁長・山内良徹師、 に灰燼に帰するも、信徒 十二年の鳥取県西部地震 拶
(申し込み期間内だけ有効)
一同はこの大苦境を脱し で再び被災し旧本堂が損 のうえ浅学非才、その器 本寺清風寺総代・河合祐
第1回:10級 実施期間:8月20日∼8月31日 (いつでも大丈夫です) 申し込み締切:7月末日 申し込み方法:QRコードからお申し込みください
二回目の本堂となる平屋 傷。平成十四年、四度目 ではありません。力の及 嗣氏から祝辞をいただき、
祝辞・河合祐嗣氏
立
建て仮本堂を建立。昭和 となる本堂を建立し二ヵ ばない処は御題目にお縋 和やかな雰囲気の中でご
法要後、本堂を祝宴会場としてご供養の席が設けられた
二十二年、本門佛立宗に 年に亘って開筵式を厳修 りし本宗中興第七世講有 供養を頂戴した。
山内支庁長より祝辞
一宗独立後﹁松鶴山妙清 され、この度、第七世住
佛
寺﹂と待望の寺号公称を 職に法嗣・谷川淳浩師が
出座お教務、ご家族で集合写真(前列左端が新住職・谷川淳浩師、 奉修導師・西村清良師、先住・谷川日侶師)
果たし、本宗中興・第七 就任。この日の盛儀を迎
世講有日淳上人を開基に えられたのである。
第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
中嶋康次局長の挨拶
佛立信行検定 受験者募集! 弘通局
―スマホ・パソコンで簡単受検 五年間で一級取得を目指そう― ありがとうございます。 来る平成 34 年(2022 年)2月 16 日にお迎えする高祖日蓮大士ご降誕 800 年 に向けて、宗門では「教化・法灯相続 つづれ織り運動」を展開しております。 ヨコ糸である宗外者への教化と、タテ糸である法灯相続の両方に力を入れて立 派な織物を紡いでいくわけですが、そのためには、どうしても正しく佛立信心 を身につけていく必要性があります。 そこで弘通局では、青年会へ向けた信行検定を宗門レベルで実施させていた だくことを企画させていただきました。その方法も全国どこからでも、いつで も気軽に検定を受けることができる電子検定を考えております。現代の若手世 代の必須アイテムであるスマホ、パソコンから受験することができるシステム です。はじめは簡単な問題から上級になるにつれて家族やお教務さまに聞かな くては答えられない難しい問題も用意されます。 あくまでも基礎的な知識を身につけ、ベースアップを図るものであり、現場 での力はやはり現場で身につけるしかありません。それらのことも踏まえて、 あなたが所属する寺院でのご奉公ぶりなどが、ご住職・お教務さまから認めら れないと次の級へ上がれないというような仕掛け(6級と3級)も作っており ます。 2級からは本山奉仕をさせていただく中での受験となります。本山で受験を させていただくことによって宗門で認められた上級取得者としての自覚も生ま れてくるものと思われます。 まずは全員 10 級からの受験となります。10 級の制限時間は 10 分間。 佛立宗の未来を創っていくのは青年会員であるあなたたちです。全国の青年 会員が佛立の基礎を学び、信心を培い、寺院の中心となってご奉公させていた だき、教化育成ができる佛立信者になるために「佛立信行検定」に挑戦される ことをお勧めいたします。
第5支庁「第6回青少年の一座」開催について 【日 程】平成30年8月19日(日) 【場 所】渋谷 乗泉寺 【参詣対象者】10代∼ 40代(小さなお子さんや付き添いの ご両親、祖父母の方もお参詣できます) 【第五支庁オリジナルサブテーマ】 「繋げようあなたの♡に胸アツを」 【目 的】 お参詣、またはご奉公された方々がご信心の素晴らしさや有 難さを実感し、それを自らが周りの友人知人に発信できるよ うになること。さらにそれが、次代へと繋がる法要にするこ とを目指します。 【内 容】 1部 10時半∼ お看経 11時∼ 御法門 11時半∼ 映像による活動報告、アンケート結果発表 2部 12時半∼ ご供養、活動報告(展示)、体験談発表 14時半 終了予定
胸アツ① 各布教区の活動報告会 第5支庁管内4布教区がそれぞれこの青少年の一座に向け て目標を立て、1年間ご奉公をしてきました。 その活動の様子を1部では映像にて、2部ではそれを展示 物でより詳しく報告します。
胸アツ② 信行体験談 第5支庁管内寺院の青年会会員を対象とし事前アンケート を実施しました。そのアンケート結果を基に現在の若者の思 いや悩みなどの答えに繋がる体験談を発表します。
胸アツ③ おしゃれ写真を撮影して交流 会場内にフォトスポット&メッセージボードを設置。参加 者限定で閲覧できるインスタグラムを開設予定。当日は写真 を撮って交流しましょう。 当日のお参詣、また一緒にご奉公していただける方、お待ち しています。 レッツ胸アツ!!
晴天のもと子どもお会式を奉修 布教区薫化会で特注のぼりも製作して
い合って解散となりまし うな子どもお会式を奉修 細部にわたるまで様々な ました。この場をお借り
た。当日の参詣人数は、 させていただけたのでは ご指導ご鞭撻を頂戴致し 布教区内子供四十八名・ ないかと思います。
ためく様子はとても壮観 メイン会場に戻ってきて 名のお参詣となりました。 ね、直前まで様々な準備 り一層の会員増加と活動
大人四十二名、常住寺ご 今回、奉修寺院の常住 して厚く御礼申し上げま 去る四月三十日、東京 行事の際に掲げてゆくこ 様々な場所でゲームにチ 奉公者六十七名、布教外 寺様には第一回以来の子 す。 中央布教区の子どもお会 とになりました。色鮮や ャレンジし得点を記録し 他寺院二名、布教区内お どもお会式奉修というこ 布教区の薫化会と致し 式が王子・常住寺にて奉 かなのぼりが春の風には ていきました。その後、 教務十一師、総計百七十 とで、早くより会議を重 ましても、これからのよ 修されました。
第五回目となる今回の で、ご信者だけではなく 班対抗のゲームを全員で 子供同士が強い絆でつ ご奉公にご協力をいただ 内容充実を目指し、未来 子どもお会式は、布教区 近所の方々にも良いアピ させていただき、班毎の ながり、異体同心の輪が きました。また、布教区 の佛立宗を担う青少年育 薫化会の第二十九期の締 ールになったのではない 順位が決定致しました。 なお一層深まって、互い 長の高野清純御住職にお 成のため、努力精進をさ
高野清純布教区長が自ら 野布教区長より﹁末法は ループが優勝してしまい
めのご奉公として布教区 かと思います。 気になる順位は、引率 の存在が互いの信心を高 かれましては、ご公務ご せていただきたいと思っ 長のご自坊である常住寺 第一部ではお看経と薫 の大人たちが大奮闘した め合い、より良い関係を 多端の中、布教区長のご ております。 ︵布教区薫化会︶ で奉修をさせていただき、 化会の歌に引き続き、高 結果、何故か乳幼児のグ 作り上げていく、そのよ 奉公の締め括りとして、
奉修導師をお勤めになら 無智なる故に心にて 出 ました。幼稚園以上の子 来ぬを所作でするが信心﹂ 供たちは悔しがっていま
れました。
当日は朝からとても良 との御教歌で御法門を頂 したが、うまい棒ででき いお天気に恵まれ、少々 戴しました。パペット等 た優勝トロフィーが子供 暑くはなりましたが、お を使った楽しい御法門で たちに配られてご満悦の 会式を奉修させていただ 子供たちも熱心に聴聞さ 様子でした。
ていただきました。子供 ト︵八月に開催される青
くにはちょうど良い気候 せていただきました。 最後に布教区薫化会会 第二部ではお寺全体を 長の岩﨑哲氏より御礼の となり、晴天のお計らい をいただくことができま 会場に使った遊びをさせ ご挨拶と、次回のイベン
した。
開催に伴う本宗の宗教儀礼ご案内
第 回 日本スカウトジャンボリー
開催寺院である常住寺 たちは年齢や性別の近い 少年の一座︶の告知をさ も普段の御会式とは異な 班に分かれて、それぞれ せていただき、再会を誓
り風船や折り紙などを使 の班毎にお寺の中を移動。 って華やかに飾られて、
楽しげな雰囲気をかもし
出していました。また、 今回は布教区の薫化会で
特注のぼりを作らせてい
前回の第 回大会で挨拶
庁
第二支庁
淨 行 寺
日 陽 哲 夫
住 職 吉 井 日 之 局 長 今 西 憲 次
大阪府高槻市城北町一丁目七番四号
〒569ー0071
山
嶽
本 章 子
嘉 明
信
第二支庁・大阪
郎 雄 将
5支 東京中央布
ただき、今後の薫化会の
この度、ボーイスカウ 今大会のテーマは﹁冒 けられております。本門 トの祭典﹁第十七回日本 険﹂∼能登のチカラ未来 佛立宗としましてもご荘 スカウトジャンボリー﹂ へ∼と定められました。 厳の上、宗教儀礼を奉修 が、石川県珠洲市りふれ さて、今回も開催期間 させていただくこととな する安倍首相 っしゅ村鉢ヶ崎において 中の八月七日に、信仰奨 りました。
師を奉修導師としてお迎 も、是非ご参詣いただき ます。
清 西 現 村 信 寺
日 岩 小 水 野 風 佐 山 永 治 日 寺 六
局 住 長 職
第二支庁
良 風 寺
晨 西 村 日 要
住職
福 原 廣 吉
局長
〒5 60ー 0022
豊中市北桜塚 一 ー 五 ー 四 三
住 職 内 局 長 髙
田 日 喜 木 朗
本 妙 寺
八月四日から八月十日ま 励のプログラムに基づい 当日は、本宗代表とし ーを見学においでになっ での七日間開催されます。 て、宗教儀礼の時間が設 て宗務総長・木村日覚導 ている佛立信者の方々に
させていただきます。
つきましては、ジャン ボリーに参加されている なお、本宗の宗教儀礼 宗内寺院スカウト会所属 の日程等は左記の通りで
9 4 6
局 住 長 職
5 7 8
東 大 阪 市 瓜 生 堂 三 丁 目 一 番 十 八 号
局 住 長 職
大 阪 市 旭 区 高 殿 七 丁 目 十 六 番 三 十 七 号
良
浄 西 風 村 寺 清
第 二 支 庁
〒
寺
夫瑛
要
住職 鈴 木 昌 光 局長 佐々木 憲 安
大 阪 市 都 島 区 東 野 田 町 一 丁 目 十 三 番 十 六 号
奈 良 市 下 三 条 町 十 九 番 地
のスカウト及び指導者の す。 ︵時間厳守でお集ま
本山
第 二 支 庁 ・ 大 阪
内 田 淳 如 髙 山 智枝 子
ひ ら か た 寺
方々、並びに宗内教講の りください。 ︶ 子弟で地域のスカウト団 ●日時 八月七日 に所属してジャンボリー 午前十時三十分∼ に参加されているスカウ 十一時三十分 ト及び指導者の方々はも ●会場 りふれっしゅ村 ちろん、当日ジャンボリ 鉢ヶ崎内 宗教アリーナ
清 風 寺
北 堀
本 光 舜 日 寺
第 二 支 庁
〒
第 5 局 住 二 7 大 支 阪3 長 職 庁 府 0
枚0 方3 市3 岡 南 町 九 番 二 十 三 号
第一支庁
局 住 一 長 職 支
庁
住職 髙 須 日 良 局長 奥 順 作
〒602-8336 京都市上京区一条通七本松西入ル滝ケ鼻町1005番地1号
〒531-0075 大阪市北区大淀南2丁目5番5号
宥 清 寺 第二支庁
川 田 乗
田 橋
16
京 都 府 城 陽 市 寺 田 水 度 坂 一 一 七 番 地 二 十 八 号
竹 高
17
第
第
高野布教区長の御法門
布教区薫化会の特注のぼりをバックに境内で記念撮影を
第二支庁
住職 岡居 日実 局長 川口 泰三
奈 良 県 大0 0 和1 高4 田 市 三 和 町 十 二 番 地 十 八 号
局住 二 長職 支
班対抗で様々なゲームを楽しんだ
えし一座の法要をお勤め ますようご案内申し上げ
第17回日本スカウトジャンボリーのシンボルマーク
綾井 俊次
住職 西 村 清 良 局長 友 寄 一 男
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行)
聞 新 立 佛 (3) 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
平成30年 暑中お見舞い申し上げます。盛夏
恒例のファミリーデーを賑やかに 大人も子供も紙皿飛行機作りに熱中
いただいた。その後、参 せていただき、布教区管
機が五月晴れにふさわし から、表彰状と記念品を ァミリーデーの会議をさ い青空を飛行した。 結果は、低学年の部一 加者全員で記念写真を撮 内の教養会の方々、特に 位は佛立寺・葛原寛敦く り、今年のファミリーデ 布教区薫化会、青年会の
去る五月五日、芦屋・ ていた。製作に関わった コンロで各寺院に配分さ ん、二位は日法寺・福井 ーを終了した。 方々には、ご協力いただ 当日の参加者は、総勢 き、随喜させていただき 奥池公園にて毎年恒例の 大人たちは、何とか形に れた食材で、大人も子供 秀くん、三位は本法寺・ 神戸布教区主催・ファミ しようと試行錯誤をして もバーベキューを美味し 川手信貴くん。高学年の 一四一名の参加をいただ ます。ありがとうござい リーデーを開催した。週 取り組んでいた。中には、 く、楽しくいただいた。 部一位は教法寺・上村拓 いた。また、一月からフ ました。 ︵鳥越隆鏡記︶
高学年の部・大人の部と 本法寺・山口恋雪さん。
第二支庁 玉
泉 寺
住 職 梅 田 現 昌 本 重 昭 局 長 升
松 寺
〒592ー8333 大阪府堺市西区浜寺石津町西四丁一│三一号
第二支庁 鶴
住 職 中 西 淳 誠 石 一 郎 局 長 大
〒583ー0011 大阪府藤井寺市沢田四丁目七番十二号
地 慶 光
第三支庁
信 厚 寺
住職 幸 島 日 柱 幸 島 光 伸
局長
愛知県刈谷市小垣江町御茶屋下六三│八
〒448ー0813
住職 亀 井 日 魁 局長 山 田 勲
日を追うごとに雨が遠の られた。
百
本 立 寺
間予報では前日まで雨が こだわりが随所に見える 午後は、紙皿飛行機大 丈さん、二位は本法寺・ 降るという予報だったが、 紙飛行機を作った方もお 会を開催。低学年の部・ 山口祥大郎さん、三位は
き、当日は晴天のお計ら この後、昼食であるバ 設け、作った紙皿飛行機 大人の部は一位・白峰高 いを御宝前様から頂戴さ ーベキューをいただいた。 の飛距離で、誰が一番遠 行さんとなった。
せていただき、開会式で 各寺院でバーベキューコ くに飛ばせるかを競った。 最後は表彰式を行い、 は布教区長・中西清慎師 ンロで火をおこし、その いろいろな形をした飛行 青年会担当・加藤喜遵師
よりご挨拶いただいた。
今回のファミリーデー は﹁大人と子どもが一緒 に作るもの﹂をテーマに
紙皿飛行機と紙トンボを
本圓寺の広間で管内各寺 院の教養部による出し物 を観覧しました。クイズ
住職 面 家 清 修 局長 久 米 康 允
製作。子どもたちは、思 い思いの飛行機を作り、
そして色を塗り、自分だ
けの紙皿飛行機を手に、 とても嬉しそうに飛ばし
回こどもおえしきを奉修
もフェスティバル﹂へ。
第 支庁管内布教区の﹁こどもの日﹂の行事の報告 第 こどもフェスティバルで大いに盛り上がる
〒232-0042 神奈川県横浜市南区堀の内町1番94号
典求
第四支庁
聞 鈴 窪 法 木 田 正 日 寺
4
局 住 長 職
静1 岡0 県 沼 津 市 吉 田 町 三 十 三 番 地 三 十 一 号
典
〒467-0063 名古屋市瑞穂区市丘町2丁目51番地
〒464-0077 名古屋市千種区神田町23番地16号
郎松
住職 石 川 日 翠 局長 寺 澤 沙余子
一 日 寺
佛 立 寺
宗 田 晨
建 國 寺
地 澤 豊
第 四 支 庁
〒
4 静1 岡7 県 富0 0 士5 市8 永 田 北 町 十 番 地 十 六 号
聞 法 寺 別 院
〒
妙 奥 典 山 日 寺
三 重 県 伊 賀 市 上 野 寺 町 一 一 七 一 番
愛 知 県 豊 橋 市 柱 一 番 町 六 十 七 番 二 号
低学年の部3位の川手信貴くん
第 三 支 庁
局 住 長 職
第三支庁・名古屋
第三支庁
第 局住 三 支 長 職 庁
低学年の部2位の福井秀くん
しみ抽選会をして終了。 いました。ご厚意に感謝 事成長、法灯相続して佛
各寺院の出し物に大人も子供も見入っていました
〒553-0004 大阪市福島区玉川1丁目2番59号
〒5901丁1 〒59 〒590 〒5 90-0906 堺市堺区三宝 90 宝町 町1
〒640-8274 〒553-0004和歌山県和歌山市金龍寺丁13 大阪市福島区玉川1丁目2番59号
低学年の部1位の葛原寛敦くん
去る五月五日、尼崎本 詣をいただきました。 拝受しました。御法門で や二人羽織り、お絵かき 圓寺において御住職・権 第一部では管内寺院薫 は伊藤日学上人より、お など、子供たちは身を乗 たが、今後も参詣やご奉 大僧正・伊藤日学上人御 化会願主で高祖日蓮大菩 祖師さまのご一代につい り出して見入っていまし 大放光社刊﹁日蓮さま 親修のもと、阪神布教区 薩御会式を奉修。式典で て、図絵を用いて教えて た。その後、恒例のお楽 歴史編﹂をご贈呈くださ 公を通じて子供たちが無
クイズの正解は果たして…?
住職 泉 恒 健 局長 田 中 伸 一
住職 蔭 山 淳 和(日昇) (日昇) 局長 局長 橋 本 照 夫 橋 本 本 照 照 夫
北 村 日 鏡 住職 河 内 日 晟 服 部 二 局長 谷 口
楽しいひとときを終え参加者全員で記念写真に収まる 伊藤日学上人の御法門 当選した女の子にインタビューを
11
32
第三十二回﹁こどもおえ は優秀会員の表彰があり、 いただきました。
おいしいミックスジュースをどうぞ!
本 成 寺 安 国 寺 一 乗 寺
神戸布 阪神布
立菩薩として弘通の第一 今回、伊藤日学上人よ 申し上げます。 しき﹂が奉修され、子供 代表の隆宣寺・藤原悠君 法要後は境内地におい こどもおえしきも三十 線で活躍されることを祈 四十三名、大人百五十九 が、布教区長・山内良鷲 てカレーのご供養をいた り信心増進の糧とするよ 名、合計二百二名のご参 師より表彰状と記念品を だき、第二部では﹁こど うにと参詣の子供たちに 二回を数えるに至りまし 念します。 優秀会員の表彰をいただく隆宣寺・藤原悠くん
第二支庁 第二支庁 第二支庁
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行) (4)
聞 新 立 佛 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
平成30年 暑中お見舞い申し上げます。盛夏
名が参詣
ハワイ別院の三祖御会式に団参 目標を大きく超える
アロハ! 三祖御会式参詣︵五月 ハワイならではの青空と ありがとうございます。 二十日︶当日は、午前十 境内地に実るライチの爽 五月二十日、本門佛立宗 時にホテルを出発し、ハ やかな風に、晴天のお計 ハワイ別院三祖御会式に ワイ別院へ。 ︵本来は十 らいのもとお参詣できた
合わせ、第九支庁のハワ 時半始めのご奉修予定で ことに、参詣者一同、随
イ団参が企画されました。 したが、奉修時間を聞き 喜いたしました。
ざいません。
清寺先住・大野日鶯師が し、続いて本年度中に中
第四支庁
法 正 寺
第五支庁
妙 要 寺
住職 小 林 日 與 人 見 寛
局長
第五支庁
信 立 寺
住職 川 手 尚 尋 太 田 尚 匡
局長
東京都葛飾区柴又三丁目十三番五号
〒125ー0052
住職代務 局 長 高
木 村 日 覚 田 可奈 江
〒150-0032 東京都渋谷区鶯谷町10番15号
山内良徹支庁長を団長に、 間違えて出発が遅くなり、 奉修導師・山内良徹師 伊田日勝中国布教区長、 長谷川御導師はじめ別院 の御法門は﹁己が身につ
吉田日景四国布教区長は の方々には大変ご迷惑を みし功徳は火にもやけず
御法門後、長谷川御導 公を成就させていただく 更に信心改良と信心決定 じめ支庁管内教務九師、 お掛いたしましたことお 人もぬすまず持て行くな り﹂との御教歌で、その 師より、植田静代副局長 ことができました。 を誓い合い、各自坊へと
信徒三十二名、総計四十 詫び申し上げます︶
一名で団参のご奉公を無 高祖ご降誕八百年慶讃 別院では地元ご信者方 時々の功徳を積ませてい のご紹介をいただき、ハ 無 事 帰 山 致 し ま し た 。 合掌 事成就させていただくこ のお出迎えを受け、山内 ただく機会を逃さず、精 ワイ別院誕生秘話なども ﹁教化・法灯相続 つづ マハロ! 支庁長奉修導師のもと三 一杯信行ご奉公に気張る 教えていただきました。 れ織り運動﹂推進のため ︵第九宗務支庁・総務部︶
とができました。
好評刊行中です!
﹁日扇聖人全集語句索引﹂
四泊六日の行程で参加 祖御会式が無事厳修され その功徳でご信心の喜び 御会式奉修後は、境内地 者は各地方の空港から羽 ました。御法門前には弘 が感得させていただける でハワイ別院のご信者が 田に集合し、五月十九日 通興隆費として、支庁管 ということ。高祖日蓮大 用意していただいたバー に羽田を出立。結団式の 内全寺院︵二十二ヵ寺︶ 士ご降誕八百年に向けて、 ベキューを皆様と共にい
後、ANA便にてハワイ からのご有志と団参者一 いつも生きがいをもって ただきました。
ご回向の一座をお勤めい 刊いたしました。
御真書等保存刊行会で 百頁に及びます。日扇聖 その後、墓地︵メモリ へと出発しました。 同のご有志︵各一万円︶ 、﹁世にともしびを、人に ホノルルの空港では、 またご有志のみお預かり やすらぎを﹂与えて菩薩 アルパーク︶に移動し、 は、このたび﹁日扇聖人 人全集を拝見する際に、 ハワイ別院プレジデント した方々︵四名︶の分を 行に励みましょう、とご 山内支庁長導師のもと、 全集語句索引﹂上巻を発 これに勝る手引き書はご
︵担任︶長谷川日堯師を 合わせた合計百六十五万 慈折いただきました。
に参加することができた えました。
本書は平成二十八年十 はじめ本庁弘通局の主事 円︵奉納者計四十五名︶ 御法門の中で、今回を ただき、二〇一八年・ハ 今回、その内の﹁あ行、 御講師と先発ご奉公のお をご奉納させていただく 合わせ三回もハワイ団参 ワイ別院三祖御会式を終 月に遷化された、大阪光 か行﹂を上巻として発刊
教務方のお出迎えをいた ことができました。
お聞きすると、御会式 現在A型就労支援施設に 翌日は、団参者それぞ 三十余年に亘り、日扇聖 巻、下巻を刊行いたしま だき、チャーターバスに てホノルル観光後、ホテ 当日はバスが到着する直 通所されておられる愛娘 れにオプショナルツアー 人全集を隅から隅まで何 す。是非、座右の書とし
ル︵シェラトン・プリン 前まで豪雨だったそうで、 の祐子さんのご利益談を でハワイを観光。団参最 度も拝見し、コツコツと て、また、宗学研鑽の友 にはすっかり雨はやみ、 は自分で三十万の団参貯 ナークルーズで、ハワイ に基づくもので一三、二 勧めいたします。 合掌
セス・カイウラニ︶へチ 私たち一行が到着した時 伺いました。しかも今回 終日はサンセット・ディ 語句を集輯されたデータ としていただくことをお
住職 澤 田 日 義 山 田 義 和 局長
神奈川県小田原市荻窪909 2
〒250ー0042
寺
第9支庁
ェックインしました。
金をして参詣できたこと での思い出に花を添え、 二五編に及ぶ御指南が網
第四期 御真書等保存 刊行会会長 中西日源
住職
第五支庁
〒133ー0056 東京都江戸川区南小岩三│一四│一一
住職 永 江 日 盡 局長 横 山 文 樹
小 山 日 秀 望 月 信 好
乗 泉 寺
中山一恵
〒114-0001 東京都北区東十条6丁目4番17号
武胤
住職 髙 野 清 純 水 鈴 江 局長
昌 日
常 住 寺
千 葉 県 館 山 市 館 山 一 五 一 四 番 地 一
廣 出 柏 全 山
第 五 支 庁
局住 長 職
君 津 別 院
千 葉 県 君 津 市 人 見 五 丁 目 十 二 番 十 二
境内地でバーベキューのご供養をいただく
平成三十年六月上浣 など、何気ない日々の様 ハワイ現地時間五月二十 羅されており総頁数千五 子や毎日の送迎風景、家 三日︵日本時間五月二十
話を織り交ぜながら山内 港を後に致しました。
※冥 加 料 は 一 冊 三 千 円 で す
里 寿 昭
2
〒248-0026 〒553-0004鎌倉市七里ガ浜一丁目五番二十一号 鎌倉市七里ガ浜1丁目5番21号
−
印
力
局長 尾 畑 創 一
中
照 寺
第五支庁
妙 導 寺
千 6 葉 0 市 中 央 区 葛 城 一 丁 目 十 番 十 五 号
信 清 宏 章 住職 住職 北 村 日 鏡 西 田 仁 局長 局長 服 部
島 隆
第 五 支 庁
〒
顕 証 寺 0 4 7
前 照
神 奈 川 県 横 浜 市 南 区 榎 町 二 丁 目 六 十 二 番
メモリアルパークで勤まったご回向の一座 ついに上巻が発刊されました!
御導師らしいご家族の温 今回の団参は当初目標 かいエピソードに参詣一 の三十名を大きく越え、
大野日鶯師
第二支庁 第四支庁
正 丸 晨 山 日 寺
4 3 2
浜 松 市 中 区 神 田 町 一 四 六 四
41
族の記念日団らん風景の 四日帰国︶ 、ホノルル空
ハワイ別院の御宝前の前で一同にニッコリと記念撮影
同、胸を熱くしました。 全日程無事故で団参ご奉 長谷川日堯プレジデントに弘通興 隆費を下付される山内支庁長
第 四 支 庁 〒
第 局住 四 長職 支 庁
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行)
聞 新 立 佛 (5) 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
平成30年 暑中お見舞い申し上げます。盛夏
シャカ・キングダムへ
開教
周年の記念式典
続いて今回の御巡教中、 た式典では、長松ご住職 初日の五月二十四日は アジア﹂という仏教集団 空港で御講有上人をはじ により管理されている場 一番大事な﹁本門佛立宗 と仏教省代表者よりご挨 めとする団参者一同をお 所です。そこに本門佛立 スリランカ教区開教二十 拶、宗外者の方々より佛
迎えし、そのままシャカ・ 宗は日本仏教代表として 周年記念式典﹂を開催す 立宗の信行の大切さ、素
キングダムという建設中 土地を与えられ現在、日 るため﹁バンダラナイケ 晴らしさ等のスピーチ、 御講有上人の御唱導に 植田御導師よ 記念国際会館﹂へ向かい 青年会の信徒により﹁日 よるお看経では、信徒は りご挨拶を賜
の仏教テーマパークに案 本庭園を建立中です。
日蓮大士ご降誕八百年 記念シリーズ
ったのでした。
て激怒し、聖人に危害を加えよ うと企てます。この不穏な気配 この地を立ち去るよう勧めまし
に狼狽した師、道善房は聖人に
来神力品の﹁日月の光明のよく
した。法華経の第二十一章、如 例外ではなかったのでした。
といいますが、聖人もまたその
聖人はこの立教開宗の日より、 た。昔より﹁予言者はおのが故 その二 その名を﹁日蓮﹂と改められま 郷において尊まれることなし﹂
立教開宗の宣言前後
通の本拠地と定めて、日夜人々
もろもろの幽明を除くが如く、 故郷を去られた日蓮聖人は再 び鎌倉に赴かれ、ここを妙法弘
Q 日蓮聖人はどのような確信 この人世間に行じてよく衆生の を懐いて、どのようにご弘通、 闇を滅し﹂の御文から﹁日﹂の に仏教の真髄、法華経の教えを
ていくことにな
て語り伝えられ
はのちに﹁日蓮の辻説法﹂とし
A 長年にわたる仏教研鑽の結 果、日蓮聖人が得 ります。
詈 嘲 笑を浴び
聖人の説くと ころに反発し罵 せる者も少なく ありませんでし たが、一方では 聖人の教えに随
にも勧める信行のあり方こそが
南無妙法蓮華経を我も唱え、他
さわしい御名といえましょう。
出現された本仏釈尊の使者にふ
末法濁世を救い人々を導くべく
の名とされたのですが、まさに
べき要法、上行所伝の御題目、 から﹁蓮﹂をいただいてご自身
をはじめ富木常忍、四条金吾、
お弟子の一人となった日昭上人
で、のちの日蓮聖人の中心的な
した。比叡山ご遊学時代の学友
る人たちも次第に増えていきま
喜感銘し帰依す
凡夫、下機の衆生が成仏得道の
たちです。
聖人の教化を受けて入信した人
聖人は立教開宗の宣言をされ 進士義春、工藤吉隆、池上宗仲 たあと、まずご両親を教化され、 といった武家たちもこの時期に 蓮﹂という法名を授けられたの
父君には﹁妙日﹂ 、母君には﹁妙 ち、故郷の人々に法華経本門の
聖人はこの確信を胸に懐きつ つ、故郷安房の土を十一年ぶり 四月二十八日、清澄山の一角に
に踏まれます。そして建長五年
というものでした。
果報にあずかる唯一の道である
華経の魂ともいう
代においては、法
今、末法という時
た真実教であり、
意の説き明かされ
そが、釈尊のご本
︵妙法蓮華経︶こ
の中でも、法華経
またある仏教経典
られた結論は、あ
蓮華の水に在るが如し﹂の御文
品の﹁世間の法に染らざること、 説いていかれました。この活動
布教活動を始められたのですか。 一文字を、第十五章、従地涌出
佛立宗なんでもQ&A︵新連載︶
という目的を果たすこと
り御法話、福岡御導師や の皆様も大変お疲れにな 立宗の信行を紹介する﹂ られたと思います。 一方、来客参加した方 ができた一日であったと 々の反応を見ますと、ス 実感することができまし
てくれるほどでした。
リランカ社会に﹁本門佛 た。
きました。 この陰には、スリラン 世界中の仏教徒が何百 カHBSと佛歯寺の、こ 万人も毎年お参りする佛 お立ちになり、太平洋のかなた、 教えに基く御題目口唱の行こそ、 我が祖師の
リランカ中央地域のキャ の数ある仏跡・聖跡の中 佛歯寺は御講有上人の来 ただけたことは一天四海 い、声高らかに御題目をお唱え
水平線より昇りくる朝日に向か かれましたが、念仏信者であっ
末法相応の成佛の道なる旨を説 宗旨びらきの はじめには 旭のそらに 鶴の舞いしと ︵御教歌︶
ンディー市へ向かいまし でも最も尊ばれている寺 寺を大変喜び、一国の大 皆帰妙法へのきっかけに た地頭の東条景信はこれを聴い
をさせていただくことと 界でも有名なゴール海岸
になり、立教開宗の宣言をなさ
お釈迦様の歯が祀られて に歓迎を受けることがで れない正門入口を用意し 信いたしております。
ゴール親会場の開堂式
御講有上人御巡教を無 ないものとなるというご 事終えた翌日ぐらいから 利益をいただき、心から スリランカの色々な仏教 随喜いたしました。 集団の方々より佛立宗の この度の御講有巡教は 信行をさせていただきた スリランカ国内のご弘通 い、学びたいと次々と連 の新たな時代、動きの始 絡をいただいています。 点、幕開けであるという また、デモを行った僧侶 証明でございます。これ はスリランカ仏教省、仏 からも気を引き締めてご 教会から厳しい指導を受 弘通ご奉公に励ませてい ︵ディリーパ良潤記︶
け、むしろゴール市内で ただきます。 の佛立宗の活動がゆるぎ
今月号の﹁海外弘通だより﹂は、スリランカ開教 ︵佛立新聞編集部一同︶
周年の特集記事掲載のため、お休みさせていた だきます。
れ、まずは同世代の女の ように盛り上げたいとの 堂々とした発表に大変感
子二人に声をかけること 強い意気込みを述べられ、 から始められました。
すると今までにないご 動いたしました。 報告者 奥山 淳正 信心の喜びを感じるよう 最後に、この度ご奉公 ありがとうございます。 務 会 対 象 人 数 は 約 百 名、 一人目の幸島由美さん に な ら れ ま し た。 ま た、 させていただいた青教会 去る六月三日、三河組寺 内二十代までのお教務は は、結婚するまでは無宗 数年前に本山で開催され 員 全 員 の﹁ 得 度 の 動 機 ﹂
お二人の体験談を聞き大いに感動 今しかできない青教ご奉公を積極的に
につかれました。
びに団参者の皆様は帰路
に向かい、御講有上人並
にあるホテルにご案内、 記念ご奉公の第一目標で 前で﹁佛立宗は変なカル なりました。 反対デモに対しては現 御供養させていただきま もありました﹁妙深寺ゴ ト﹂だとの反対デモを行 ール地区親会場﹂の開堂 いました。事前に、デモ 地ご信者が丁寧に対応、 した。御供養後、ゴール 市を出発しそのまま空港
翌日二十六日、キャン 通ができ、二〇〇九年に 式を迎えました。 が実施されるとの情報を 講有上人のご挨拶も賜り ディーからコロンボにお 場所をお借りし親会場と 驚いたことにゴール親 受けていたのですが、講 無事に開堂式を奉修する 戻り、学徒であるシャン して使わせていただいて 会場の近くの上座部仏教 有上人より﹁如説修行﹂ ことができました。その 寺院の僧侶一名が信徒約 ﹁思い定め﹂の御法門を 後、団参者ご一同には世
タ・ペレラ氏がリーダー きました。
を務める信徒組の記念法 スリランカ信徒一同は、 二十名を率いて親会場の 頂戴し、しっかりと奉修 要を御講有上人の御唱導 開教二十周年記念ご奉公 に土地を購入し親会場を
のもとに奉修させていた を目指し、このゴール市 だきました。 その後は、スリランカ 建立する誓願を立てさせ 南部の町ゴール市へ向か ていただきました。そし いました。ゴール市には て、団参の最終日となる 十五年間ほど前からご弘 二十七日、開教二十周年
人が宗学について熱心に 場で不便が続いておりま
号公称が認可され、さら に二十五年の歳月をかけ て宗教法人の認可、そし て今度は新本堂建立と発 願されて、平成十八年に
講有巡教を無事に終えて
た。キャンディー市では 院で、本門佛立宗は特別 統領に相当する方しか通 なる事、疑いがないと確
団参の第二日目は、早 いる世界遺産・佛歯寺を れまで友好な関係を維持 歯寺で、御講有上人によ 朝にコロンボを出発しス 観光。スリランカ仏教界 してきた歴史があります。 り正法帰入の御祈願をい
世界遺産の佛歯寺を観光
した。
パフォーマンスを行いま た。最後に御講有上人よ 奉公で団参者
説かれる末法とは﹂の両 を唱える姿が見られまし た三ヵ所のご
内をさせていただきまし 本門佛立宗が、スリラ ました。四時間にわたっ 蓮大菩薩をスリランカ社 じめ来館の宗外者の方々 りました。空 会に紹介﹂と﹁法華経に も共にお参詣し、御題目 港から即行し た。日本からの団参者は ンカ国の仏教省よりこの
五十六名とスリランカ教 テーマパーク・プロジェ
講の想像をはるかに超え クトに招待されたことは
るお参詣をいただき、一 本物の仏教だという理解 て認めていただいたとい
同、大変感激をいたしま を得て、当宗を国家とし
した。
シャカ・キングダムと う証明です。今回、この いうのは、将来、各仏教 記念すべき場所にスリラ 国の代表団体が活動され ンカ初の上行所伝の御題
る国際仏教パークになる 目塔を建立させていただ 賜りました。
場所で、スリランカの仏 き、御講有上人に言上を
教省と﹁ライト オブ
コロンボ別院でお助行
特集
次いで、スリランカH 賜りました。お助行では BSメインセンター︵弘 現地信徒の体験談発表、 通拠点︶と呼ばれる妙深 ご挨拶等があり、法要後
寺コロンボ別院の御宝前 はスリランカ信徒手作り
り、時々御講席に二時間 ですが最初は道場もなく、 以上遅刻して、ご信者か ご信者宅の一室を借りて
初めて固有の道場を取得
男として、東京本所相生 上人十三歳の時でした。 等講師一級、同三十年に ﹃日扇聖人全集﹄を完 しましたが、 ﹁これがお 町にてお生まれになり、 爾来、日聲上人のご教 上座講師二級、文能入り 結された労を労うため、 寺?﹂と他寺院のお住職 導の下、行学に精進。昭 を果たされ、四十四年に 第二十四世講有日誠上人 に言われて悔しい思いを
導と命名されました。
大正十二年九月一日、 和十一年、二十歳にして 権僧正、四十九年に僧正 が主催されたお祝いの会 されたそうです。 関東大震災に遭遇されて 教務部入りを允許。同十 に叙任。昭和六十三年に で、第二十三世講有日丞 昭和四十四年に現在地 当時七歳の上人に母が金 四年、東洋大学を卒業。 教務の最高位、権大僧正 上人、亀井日映上人、そ の石神井に道場を移転し 三歳の時でした。
丸御本尊と先祖の御位牌 教務としての本格的なご に叙任されました。七十 して金子日寿上人の三上 ましたが、木造作りの道
を風呂敷に包み上人の背 奉公が始まりました。
本信寺建立にも心血注ぐ 金子日寿上人の巻
会長として日扇聖人全集を完結
に負わせて避難されまし 得度する折に上人は、 上人の法歴の一部を挙 研鑽されていた姿が眼に した。そして昭和五十三 たが、火災の熱風で悲惨 ﹁商社就職の話もあった げますと、昭和二十四年 浮かびます。 年に念願の﹁本信寺﹂寺
な状態の中、被服廠跡、
後の横網町公園にたどり ついた時には上人一人と なり、母・妹とも死別さ
れました。その後、昭和
四年には父・龍太郎とも が、えらい坊さんになる に佛立教学院助教諭に補 佛立第十六世講有日幹 鉄骨造りの新本堂を現在 のだと僧侶の道を選んだ 任。二十七年に教諭、三 上人第十三回忌記念の書 地に建立成就されました。
死別されたのです。
幼い上人の将来を案じ のだ﹂と申されておりま 十九年には教学講師。さ として﹁玄義教相見聞一 上人は七十九歳の時、 た光隆寺幹部の伯父・山 した。その事により、上 らに四十三年には佛立教 帖抄﹂の読み下し文の編 脳梗塞を患われ、右半身 た。この間、現在の交通 力の入れようは大変なも それからは好きな酒を断
田源次郎の縁にて昭和三 人は、宗学の研讃に熱心 学院学監に就任されまし 集にあたっては、上人の が麻痺となりましたが、
年、光隆寺に入寺。光隆 に励まれました。
寺住職、後の佛立第九世 昭和二十年、盛民次氏 事情と異なり、ほとんど のでした。繰り返し三回 ち一滴も飲まれませんで 京都での生活となり、東 の読みを進められ、校正 した。
いた姿が思い出されます。 法寿九十七歳をもってご
京の自宅へもお寺へも月 は九校までもなされて、 かくして上人は、平成 に数日しか帰ることがで 不自由な手で校正されて 二十四年十二月十六日、 きませんでした。
20
にて御講有上人をはじめ の現地料理の御供養をさ
団参者ご一同のお助行を せていただきました。
∼そのご奉公を学ぶ∼
ら不平が出ることもあっ 道場としました。その後
龍太郎氏と母とみ女の四 脩﹂といただかれました。 誕生。昭和二十三年に一 長の職にありました。
金子日寿上人は大正四 講有日聲上人のもと、剃 次女タミ女と結婚、昭和 たようでした。全集が完 も転々と道場が移動し、 年十二月三日、父・金子 髪得度して、僧侶を﹁現 二十三年に長男・秀平が 結した折には、刊行会会 四年後に板橋区前野町に
権大僧正列 伝
コロンボ別院でのお助行 ゴール親会場の開堂式も
また上人は、自分のお 遷化。その数ヵ月前まで 特に、宗門百年の事業 ﹃日扇聖人全集﹄の刊行 寺を建立されたく考えら 講義を続けられ、口ぐせ
ゴール親会場でも現地僧侶も参列し御題目が唱えられた
20
スリランカ開教20周年を迎える!
に際しては、当初より編 れ、昭和三十年に光隆寺 のように﹁教務は勉強し
新シリーズ 第 160 回
スリランカ青年信徒によるお祖師さまの紹介劇 献灯する現地ご信者 献灯される講有上人 反対デモも何のその! 無事に奉修されたゴール親会場の開堂式
福岡日雙師
現地の僧侶も参列して
羽ばたけ 佛立青年教務会の活動を報告します 青 教
青薫会合同の行事に併せ 数えると二十名であるこ 教で、お盆やお彼岸くら た青少年セミナーに班長 をご披露させていただき、 て青教全国助行としてご とから、お教務の世界も いにお寺にお参りしてい として参加された時には、 無事に閉会となりました。 奉公させていただきまし 高齢化が隠せないことを たところ、ご主人との結 他寺院の同世代との繋が この度のご奉公の合間 た。三河組寺とは、第三 痛感いたしました。 婚を機に入信され、名古 りがよい刺激となり、ご には、幸島日柱上人や澤 支庁・中部南布教区内で 続いて圓妙寺所属の御 屋建国寺で結婚式を挙げ 奉公意欲が増進するとと 田日松御導師の青教時代 三つに分けられた組の一 牧要昌師より﹁御講の大 られました。その後、三 もに、全体を通じて本山 の貴重な体験や、楽しか つで、今回の開催寺院・ 事について﹂激励をいた 人の娘さん、六人のお孫 が好きになり、宗門への ったことなどのお話を聞 刈谷信厚寺をはじめ、豊 だきました。現在第二支 さんに恵まれ、事ある毎 感じ方も良くなったと言 かせていただき、自分も 橋 豊 晨 寺、 豊 橋 本 乗 寺、 部では、ご信者と同じ立 に家族との会話の中でご います。 今しかできない青教とし 岡崎信楽寺の四ヵ寺が所 場となってご信心を磨く 信心を伝えられ、今では 今 後 は、 信 厚 寺 が 昔、 てのご奉公を積極的に精 属される組です。 ために、平成二十五年か 皆が法灯相続をされ、親 青年会が盛り上がってい 一杯させていただこうと 毎年、各寺院に集まり ら毎月青教会員が席主と 子三代がお寺で会えるの た頃の話を先輩から教え 思いました。 ︵大阪・清風寺所属︶ 様々な行事やご奉公を一 なり、お寺や自宅で﹁青 を一つの楽しみとされて ていただきながら、昔の で家族が繋がっている体
緒にされているとのこと 教御講﹂を奉修させてい いるとのことで、ご信心 で、老若男女問わず皆が ただいています。
講を奉修させていただき 浦甘奈さんより、どうし
とても和気あいあいとし また、毎年一月には様 験談に随喜いたしました。 た雰囲気の中、全員が一 々な御導師方にお願いを 二人目の発表は、現在 つの家族であるかのよう させていただいて特別御 青年会長をされている杉 な印象を受けました。
三 河 組 寺 青 薫 会 に は、 ます。要昌師も自宅で青 たら親のフィルターから 四年前の青教全ヵ寺助行 教御講と特別御講を喜ん 離れて自立し青年会とし の折に一度ご奉公させて でいただかれ、その功徳 て積極的にご奉公できる いただき、今回二度目の で感得されたご利益談を かについて実体験を交え ご奉公をさせていただき 交えながら、御講の大事 て発表くださいました。 ました。 と有り難さを学ばせてい 甘奈さん自身もずっと 始めに、三十分の口唱 ただきました。 当たり前のように親に連 会の中で三河組寺青薫会 お昼のご供養は、信厚 れられてお参りされてい 隆昌発展をご祈願させて 寺名物とも言われるお手 たところ、一番のきっか いただきました。口唱会 製のカレーを美味しく頂 けは兄の杉浦正典師が得 の後、山岡清央副会長の 戴いたしました。ご供養 度されたこと。その時に ご披露の中で、全国七百 をいただきながら信厚寺 ﹁ 信 心 は 祖 父 母 の 代 だ け 名弱のお教務の人数に対 のご信者二人の体験談を のものではない。自分の し、四十歳までの青年教 聞かせていただきました。 代も繋げるんだ﹂と思わ
挨拶する長松清潤師
バンダラナイケ記念国際会館で勤められた開教20周年記念式典
ディリーパ良潤師(右端)を紹介する福岡日雙師
初の講有巡教を実施 記念式典を盛大に
集委員として参画され、 より独立されて﹁池袋教 なくてどうするのか!﹂
信厚寺本堂で幸島日柱上人を中心に当日参詣の教講で記念撮影
お助行に参詣の団参者一行 現地の僧侶も…
福岡日雙師、植田日事弘通局長等も出座し講有上人より御礼言上をいただく スリランカ初の上行所伝の御題目塔 コロンボ別院でのお助行を終えられて 権大僧正・金子日寿上人
その編集に熱中するあま 会﹂を設立、発足したの と激励されておりました。
第3支部・三河組寺 青薫会合同行事に参加して
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行) (6)
聞 新 立 佛 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可) 平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行)
聞 新 立 佛 (7) 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
戸を成就 3年連続
平成30年 暑中お見舞い申し上げます。盛夏
教えに従い、過去から現 仏心のある方にお出会い 持ち続けると、必ず類は 達の幸せは御宝様にお願
立 正 寺
世・来世にと果てしない しますように、仏縁があ 友を呼ぶ、自分と同じ志 いしておくからねって話 旅へと私達は向かってい りますようにと、常日頃 を持つ方との出会いがあ すのもいいです。
わりません。
変わらなければ相手は変
て行きたいです。自分が
はご家族からを大切にし
いけません。まず、教化
切さも教えていかないと
自分に廻ってくる事の大
ありがとうございます。 をしている方たちもいま ます。法華経の修行をし からお願いをしてお唱え るものです。三年∼十年 給料が出たら、できる 東京・八王子清流寺所属 す。相手の方に法華経の て果報を身につけ幸せを をしています。 の計画を立てていると必 範囲でいいので何かのご の梅田桂子と申します。 教えを知る範囲でお伝え 念 じ て い ま す 。 ご 信 者 さ お教化のコツは、信心 ず仏縁の出会いがありま 祈願のお礼でもいいから をしている以上、なるべ す。ご信者さんは確実に お供えすると、必ず後で 三年連続して教化十戸以 している姿勢を見ていま ん皆の願いです。
上を成就させていただき すと、私もとても随喜さ お教化は、どうして、 く世間の人の悪さに合わ 増えていきます。 ました。とても嬉しく思 せていただいております。 何故しなくてはいけない せない心を持つ事、とて 私はお教化は家庭から います。 私もそうですが、教化 か? を考えますと、そ も難しい事ではあります 始まるものと思っていま また平成三十年は、二 子の皆さんもお参詣を重 れも一つの修行だと思っ が、腹を立てない、なる す。もしご家族にご信心 軒のお教化ができていま ね、御題目をお唱えして
まごころを持ち続けると縁が
住 職 蛯 子 行 勧 福 山 博 巳
住職 小 西 日 裕 局長 結 城 常 雄
住職 長谷川 日 堯 局長 宮 寺 千賀二
す。でも三十年度は私の いると段々と心が豊かに
三年連続教化十戸以上 は大変ではありましたが、
住職 岡 本 日 苑 局長 米 山 勇
千葉県流山市南流山二丁目十七番一号
〒270ー0163
局 長
第五支庁
清 秀 寺
妙 晃 寺
光 隆 寺
直接の教化ではなく、教 なり、成長して行ってい
お教化は家族から 自分が変わらねば 5支・清流寺 梅田 桂子
たご利益について話しま しするようにしましたら、
に気張りご祈願の口唱に 励んだ結果、教化を十戸 以上成就することができ ました。 本年度から高祖日蓮大 士ご降誕八百年慶讃﹁教
第五支庁
化子さん自らの意思でご る。そんな姿を感じてお
家族、会社の上司のお教 ります。有難い事です。
化を成就されています。 御講師方やご信者さん お教化のコツをしっかり とても感心しています。 方、お寺の誰もが役割が ています。後々の人生で べく怒らない心、迷わさ がさっぱりできないと悩 と身につけると相手から 教化子さんの中には、 ありご奉公されている、 後悔はしたくはありませ れない心を持つ事。そし んでいるご信者さんがい も学ぶ事も沢山あります。 教化親として立派に育成 とても大切な仲間です。 んね。そんな風に皆さん て、まごころです。 ましたら、仁持って接す 類は友を呼ぶ。仏心の縁 ご奉公を共 も感じているのではない そうは言っても時には れば無敵です。相手は必 は必ず私たち信者との出 難しい感情に変化してし ず変わって行くものです。 会いを作ってくださいま
にし、誰も でしょうか?
がお寺の発 だけど、どんな段取り まう事はありますが、な 苦労して育てた自分の す。一年に一人のお教化 展を願って で、どんな手順をもって るべくその心を流してあ お子さんです、嫌な顔を を目標にして行くと良い
います。私 お教化をするのか? や げるのです。それがご信 されてもいいんです。母 と思います。 たちは同じ り方が分からないと悩む 心です。私達は菩薩の心 の素直なご信心の気持ち そして、教化子さんを 方向を持ち 方を今まで見て来ました。 を持たねばならないので を話し、自分は幸せであ 大切にして育成されます
続けていか お教化のコツは確かにあ すから⋮ とは言っても る事をお子さんに話し伝 と、その方からのご縁で なければな ると思います。私はお寺 とても簡単ではありませ える事です。私が死んだ またご信心が広まって行
りません。 や自宅の御宝前に御題目 んが。 ︵笑︶ らお寺に参詣してね。い きます。そうなれば本当 法華経の をお唱えする時は、必ず そのコツ、まごころを つでも会えるし、あんた に幸いな事です。 合掌
ともできました。
戸以上成就者にその心構えや取り組みを伺う
願達成のため折伏に気張 た。
平成 年度の教化 戸を成就
ていただきました。
あきらめずに折伏 お寺にお連れする 小野寺 美保子 8支・信廣寺
教化成就はお寺参詣と口唱から
るようご披露がありまし すぐにその知人の正法 一度おすすめしてダメ し た 。 教化子もお教化をしてく た。 帰入のご祈願の口唱をし でもあきらめずに折伏し その後、お二人とも、 れるようになり嬉しい限 ありがとうございます。 私もなんとかお教化を てから知人に連絡をとり たことと、あれこれ理屈 ﹁いい雰囲気のお寺です りです。 昨年は佛立開導日扇聖 成就したいと思い、年の ました。 を言うよりもまずお寺に ね﹂と言って入信し、そ 年の初めは教化の下種 人ご生誕二百年慶讃﹁佛 初めからお寺の日参と御 知人にはご先祖のご回 お連れしたことが良かっ れぞれ御本尊を奉安させ 先はまったくなかったの 立開花運動﹂の最終年度 題目口唱に頑張っていま ですが、寒参詣から日参 でした。お寺では教化誓 した。 すると 寒参詣が ふと二十
年ほどま 向の大切さをお話しさせ たと思いました。
えにご信 ていただき、まずはお寺 七月には教化子の友人 このように折伏を続け 化 法灯相続つづれ織り 心をおす にお連れして本堂を見て 二人をお寺にお連れしま たところ十一戸のお教化 運動﹂が始まりました。 すめした もらうことにしました。 した。 を成就することができま これからも気を新たに 知人のこ 数日後、快く入信して 実際にお寺の本堂を見 した。 してお教化と育成のご奉 とを思い くださり、ご弘通御本尊 てもらってからご回向の 教化子にもご信心をお 公に気張らせていただく 合掌 出しまし を奉安させていただくこ 大切さや自分がいただい すすめするよう度々お話 所存です。
第七支庁
妙 護 寺
住 職 近 藤 泉 国 岡 村 直 斯
局 長
〒982ー0841
宮城県仙台市太白区向山四丁目三十番二十号
井日友 局長 菱 則 雄
伯 田
せつ子
〒330-0842 さいたま市大宮区浅間町1番74号
甫事
柔
住職 新
妙 明 日 寺
妙 玉 寺
佐 植
照
川 口 市 西 青 木 三 丁 目 六 番 三 二 号
妙 田 白 信 上 石 日 寺
今年も教化子さんが活躍され喜びの梅田さん
第六支庁
第 六 支 庁
局 住 長 職
第 六 支 庁
局 住 長 職
歓 寺
妙 寺
晨 寺
〒380ー0901 長野市居町一一三
住 職 長 松 清 潤 田 保 宣 局 長 石
第六支庁 本
〒360ー0816 熊谷市石原二丁目三十九番三号
住 職 横 田 日 顕 橋 拓 史 局 長 髙
第六支庁 顯
〒320ー0056 栃木県宇都宮市戸祭二│四│十七
住 職 寺 澤 玄 秀 澤 浩 行 局 長 寺
第六支庁 遠
埼 玉 県 春 日 部 市 粕 壁 六 八 八 二 番 地
29
〒120-0011 東京都足立区中央本町2丁目9番5号
〒192-0904 八王子市子安町1丁目22番25号
一 現
清 流 寺
実 横 新 在 川 井 太 日 寺
〒132-0035 東京都江戸川区平井2丁目14番9号
〒106-0046 東京都港区元麻布3丁目9番8号
第五支庁
川 越 市 富 士 見 町 十 七 番 十 九 号
第五支庁
10
11
第五支庁
第 六 支 庁
局 住 長 職
10
終わる頃、
こちらも教化子さんが教化され喜びの小野寺さん
亀 井 日 魁 髙 澤 悦 子
住職 局長
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行) (8)
聞 新 立 佛 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
戸を成就
ると思うのが当然のこと 宗の家に嫁がれましたが、 り、息子さんが夕看経の そんな時、妹︵蒲田妙 ていただくことができま 小さい子どもを二人抱え 時間に合わせてお参詣を 泉寺所属・桜井恵三子︶ した。誠に不思議であり です。 されたのです。その二日 より、むかし乗泉寺の石 ます。本人もご利益を感 目にちょうどお会いする 川乗宝師が、折伏する相 得し、喜んで仕事の帰り に対して、電信柱にでも いただいております。
ことができ、入信となっ 手がいないというご信者 に光隆寺へお参詣させて たのです。
いただいてもらい、その 時の母のうれしそうな顔 を思い出します。 今年は五月二十日に御 講有上人の御巡教︵当日 の模様を一面に掲載︶を
に近い気がします。
%わかり合えるのは奇跡 その中で静かに人の話 しの聞き手になり、共通 点を見つけ距離を縮め、 親近感と心地よさを。そ
寺
捷日 第八支庁
信 照 寺
住 職 夏 井 日 韻 野 秀 司 局 長 河
函館市千代台町二十三番九号
〒040ー0013
西 川 勝
毛 稔 憲
鈴
第十支庁法
木 日 樹
薫 寺
住 職 小佐井 日 勝 作一 郎 局 長 河 野
〒822ー0023 福岡県直方市神正町一番五十号
第十支庁・福岡
本 法 寺
住 職 向 井 日 報 野 朋 子 局 長 増
〒814ー0011 福岡市早良区高取二丁目十六番七号
U R L www.kosenji.org MAIL contact@kosenji.org
先ず声を掛けた後は、 て心臓病に苦しんでおら ありがとうございます。 ご縁をいただけるように れたそうです。そんなと 私は光隆寺立川別院所 ﹁正法帰入﹂のご祈願と き清風寺のご信者にお教 属の安藤弘子と申します。 その方のご先祖のご回向 化を受けられ、次の日か この度、開導聖人ご生 をさせていただき、また ら西宮の廣宣寺への朝参 さっそく御本尊を新し お折伏させていただきな お教化させていただい 誕二百年の記念すべき年 お話できる機会をいただ 詣を勧められ、心臓が悪 くもとめられ、御尊像も さい、その思いがあれば た方が、ご利益をいただ にお教化十人を成就させ けるように何度となく連 いので何度も休み休み必 御修復され、ご開眼を亀 必ずお教化ができるとご き喜んでおられる姿を見 ていただくことができま 絡をとらせていただきま 死の思いでお寺に参詣さ 井御住職にお願いされま 教導いただいたこと、ま せていただくと、それま したことは、生涯忘れら す。こちらが諦めてしま れ、ご利益をいただかれ した。今は孫たちに法灯 た、高齢のご婦人が自分 での苦労はすべて消えて
安藤 弘子
教化子がご利益を感得し喜ぶ姿に随喜
絶対にあきらめないことが大切
れない慶びでございます。 えばその人をお救いする たのです。 相続できるようにご祈願 は外に行けないから家に しまいます。子どものこ さて、私のお教化成就 ことができなくなると、 その後、阪神大震災で されています。ご本人は 来るセールスマンをお教 ろ母がお教化に励んで、 のために心掛けさせてい 自分に言い聞かせご利益 京都に移り住み、息子さ 九十七歳ですから日頃の 化された話等、妹からも 困っている人にご利益を ただいていることは、絶 談を中心にお話をさせて
対に諦めないことです。 いただきます。そうする
ご信心のお話をさせてい と不思議にも相手の方の
ただいて素直に聞いてい 生活に変化が現れるので
ただける人は先ずおりま す。そこからは押しの一
5支・光隆寺立川別院
常磐 瑞枝
稲
〒802-0032 北九州市小倉北区赤坂一丁目10番1号
せん。相手の方にしてみ 手です。昨年は寒参詣中
いただきます。それまで れば数多くある世間の信 に五人の方と縁があり、 ん二人が上京していたの お参詣はむずかしいので 力をいただきました。 仰の一つで、下手に信じ お教化を成就させていた で、芳岡さんも東京に移 すが、代わりに息子さん しかし九戸までは成就 に一戸でも多くのお供え たらえらい目にあわされ だくことができました。 り住み乗泉寺でご信心を が御総講と御講には必ず できましたが、あと一戸 教化をさせていただき、 その中 されていたのですが、そ お参詣されます。ありが がなかなかできません。 ご利益をいただいて喜ば の一人に の後、本門佛立宗を離れ たいことです。 弱気になる自分の心に鞭 れる方ができますように、 芳岡さん ることになったのです。 昨年、五戸のお教化を を打ってご祈願させてい ご奉公に精進させていた という九 高齢になり本門さんに 成就させていただいた時、 ただきましたところ、姪 だく所存でございます。 十七歳に 戻りたいという思いが強 御住職より十戸のお教化 をお教化させていただく ありがとうございました。 合掌 なられる まり、光隆寺に電話をさ をさせていただくように ことができました。
おばあさ れたのです。その時ちょ 激励をいただき、何とし 当時、彼女は転職を考 んがおら うど亀井御住職が電話に ても十戸を成就させてい えておりました。お教化 ︵住職より︶ れました。 出られ、お話を聞いてい ただけるように御宝前に させていただいたところ、 安藤弘子さんは、四月 もともと ただきました。そして立 おすがりをさせていただ 何と早速に光隆寺の近く に御講有巡教のお供え教 麻布の保育園に就職させ 化三戸を成就されました。
本門法華 川に別院のあることを知 きました。
違います。さらに年齢や
戸以上成就者にその心構えや取り組みを伺う
就は、私自身が入信して 行くお寺さんには何かあ ﹁一緒にご信心をしてみ でおります。
平成 年度の教化 戸を成就
から日も浅く未熟で﹁御 るのだろう﹂と、一人二 る?﹂と聞きますと﹁い そのような中で、病気 生まれ育った環境など、 題目﹂をお唱えするとい 人と共にお寺参詣をさせ いよ﹂と、私が入信を勧 が治るご利益をいただき、 違いは沢山あります。そ
4支・法正寺
共通点を見つけて距離を縮めていく
静かに人の話の聞き手になって
ありがとうございます。 う知識程度でしたから、 ていただくようになりま め た のは、この一度だけ うれしくて病院からすぐ う思うと自分がかかわり 私の十二戸のお教化の成 自然体で無からの始まり した。 でした。 にお寺に兄弟を連れてお 合う人たち全員と一〇〇 でした。 私が小 田原・法 正寺にお 参詣して いること
それからは、先輩ご信 参詣した方がいます。で して、プリーズ、スマイ を知ると、 そのうち法正寺の種々 知人・友 の行事に参加するように 者の皆さん、教務さん方 すから、よろこんでお寺 ルと、希望と愛を持ち、 けたらと思っています。
人が﹁あ なりました。ご信者皆さ に導いていただき次々と にも御講席にも参詣して ご奉公に励ませていただ な た が、 んと共に、ご奉公に参加 お教化になり、何とか皆 くれています。 人は誰でも思考回路が そんなに しているのを見まして、 さんと共にご奉公に励ん
〒790ー0848 松山市道後喜多町4番26号
〒812-0015 福岡県福岡市博多区山王一丁目11番11号
〒663-8247 兵庫県西宮市津門稲荷町4番23号
三
木 喬 之
斯
精
住職 髙 須 日 良 局長 田 原 篤
局長 峯 山 曻
法 寺 文量
培 清
日
寺
第十一支庁
妙 宝 寺
住 職 野 口 清 継 横 山 公 一
局 長
兵庫県宝塚市梅野町二番十号
〒665ー0004
谷 一 將
村
閑士 吉 田 日 祥 住職 吉 田 日 景 局長 中 島 正 昭
田
住職 小 林 信 翠 局長 井 上 利 幸
住職 山 内 日 開
木
本 有 厚 寺 明
西
松 風 寺
寶 泉 寺
不 輕 寺
廣 宣 寺
佐 福 々 正 木 岡
神 戸 市 灘 区 神 ノ 木 通 三 丁 目 五 番 十 六 号
大 青 法
神 戸 市 長 田 区 御 屋 敷 通 二 丁 目 五 番 十 六 号
兵 庫 県 三 田 市 天 神 三 丁 目 三 十
庁
濱
光 薫 寺
第十一支庁 ・ 西宮
第 局住 十 一 長 職 支 庁
第 十 一 支 庁
第九支庁
県 四0 万0 十3 市8 中 村 百 笑 町 五 丁 目 一 番 地 一 号
一
第
局住 九 長職 支
7 高8 知7
田崎
住職 石 岡 正 則 局長 伊 藤 精 彦
〒
第十支庁
第十支庁
局 住 長 職
第 局住 十 一 長 職 支 庁
〒064-0806 札幌市中央区南6条西25丁目1番14号
數
樹
信 廣 寺
正 井 日 寺
裕布
F A X (011) : 563-8939 e-mail : shinkoji-sg@helen.ocn.ne.jp
吉柴
広 宣
盛 岡 市 高 松 一 丁 目 二 番 二 十 四 号
庁 ・ 徳 島
石
10
第 七 支 庁 ・ 盛 岡
徳 島 市 南 佐 古 二 番 町 二 番 七 号
29
局 住 長 職
高 知 市 百 石 町 二 丁 目 一 番 七 号
10
12
第八支庁 第
局 住 長 職
講有巡教に3戸のお供え教化をされた安藤さん
希望と愛をもってご奉公に励まれる常磐さん
立 九支 第
佛 九支 庁 鈴 立 ・高知 木 日 寺 局 住 長 職
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行)
聞 新 立 佛 (9) 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
平成30年 暑中お見舞い申し上げます。盛夏
暑中お見舞い申し上げます
第十一支庁・ 神戸
佛 立 寺
加 藤 日 日 韻 韻 住職 加 藤 局長 根 津 勝 弘
奉安展示やマルシェ開催
5支・弘通促進大会で発表
このお店 ではお茶も 扱っていて、 ありがとうございます。 教化成就のきっかけにな 方に、結縁の輪が広がり お寺に御会 つつあります。 東京房総布教区・妙導 りました。 式のたびに 寺で事務局長のご奉公を お茶を納入 妙導寺マルシェ 教養各会の展開 させていただいておりま していただ また昨年は、長らく途 いていまし す高田可奈江と申します。 また教化の花を咲かせ 本日は、妙導寺におけ ようと、別の試みといた 絶えていた婦人会御講が た 。 る佛立開化運動を振り返 しまして、お寺の近隣の 復活し、その後、毎月奉 元々、大 り、その中から、いくつ 方とのふれあいを目的に 修させていただけるよう 野さんのお かのご奉公の事例を体験 ﹁妙導寺マルシェ﹂と題 になりました。役中後継 宅は、大野 談としてご披露させてい して、境内にて採れたて 者養成の観点から、今年 さんの奥さ 野菜の販売を農家のご信 度からは会長候補の若い ん・秀 予 さ ただきます。 者にしていただいており 方二名が副会長のお役を んがご信者 奉安見本展示ブース ます。 こころよく受けてくださ で、御本尊 この活動は、いま世間 いました。 さて妙導寺では、教化 を奉安され 佛立新聞 編集員一同 、 ﹃買い 年度末には﹁薫化・青 ていました の花を咲かせようと、昨 で﹃買い物難民﹄ 年より本堂に入る手前の 物弱者﹄という、商店が 年会育成委員会﹂が発足 が、大野さ スペースに御本尊の奉安 廃業したり、高齢で行動 し、本年度中に薫化会・ んご自身は の見本を展示するスペー 範囲が狭くなったりして 青年会それぞれの初御講 ご信心に関心はありませ ご信者の勧めで、大野さ お寺に納めに来た大野さ 後日、無事に再奉安と 食料品など生活必需品の の奉修をめざしていると んでした。 スを設けました。 んは懐中御本尊の個人信 んが、御本尊奉安見本の なりました。大野さんは そのねらいは、お寺に 買い物に困る人々が増え ころです。 数 年 前 、 奥 さ ん が 介 護 徒 と な り ま し た。 展示ブースを見て、この 奥さんがこれで喜ぶなら ﹁教化対象者﹂を連れ参 ているとい 近年、部長 御本尊ならおまつりして 自分もうれしいとおっし 詣した際や、まだ奉安し う社会問題 の石井八重子 いいよと、みずから石井 ゃていて、石井さんや御 ていないご信者さんが参 があり、さ さんは、この さんに声をかけられたの 講師にも大変感謝をされ 詣された際に、実際の御 さやかでも 大野さんのお です。そして、展示ブー ていました。 戒壇やお厨子を見ていた そのお役に 宅に再び御本 スを活用しての御本尊奉 末期ガンと分かったが だいてイメージをしてい 立ちたいという思いもあ 安第一号に大 教化を受け ただき、お勧めをしやす っての活動です。 その後、しばらくたっ 野さんはなら た大野さん 妙導寺の近所にあった くするためです。 れたのです。 たある日、大野さんは体 大野さん夫妻の臨終の際のご利益に随喜 こ こ で、 展示にあたりましては、 スーパーも数年前に廃業 この展示ブ 調を崩され入院されまし 御講師を中心に若い方の したため、近隣の高齢者 続きまして、 ース作りにも た。検査の結果、大野さ 5 支 ・ 妙 導 寺 高 田 可 奈 江 石 井 さ ん は、 んは末期のガンを患って
体験談
〒652-0032 兵庫県神戸市兵庫区荒田町3丁目7番19号
有 馬 別 院
ました。最近では近所の ご紹介いたします。
ると判断されたのか、御
お厨子、お道具をインタ たが、多い時には五十名 重子さんと、教化を受け ご主人では、御本尊を家 そんなある日、お茶を た。 ーネットを使い探し出し、 ほどの方が買い物をされ た大野嘉介さんのお話を に残されてもご不敬にな
選びました。
〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町字歯朶ケ尾500-31
奉安教化につながっている展示ブース
申し上げます
ȷማȷᘙφȷ᫇ȷᎪȷ᪰ࢄّ ሁ
ᚨಅᚩӧ τࡉჄჷʙ ཎ ӭ
ȼכɥѦࡃ
Ƅ τࡉჄᙱܷࠊᰙ ݢɠႸ Ჿ ᳆ Ჴ ᳀ ᳒ Ჴ GDQMR NRXPXWHQ#ZRUN RGQ QH MS KWWS ZZZ RGQ QH MS aFLR
ஜᧉ˹ᇌܪϋٶૠܱጚƝƟƍLJƢ
康 日
和学
寺
井 藤
兵 庫 県 尼 崎 市 大 庄 中 通 二 丁 目 五
︵十一面につづく︶
ݢᨈૼሰȷો̲ʙ ϋᨉᒱӈȷ૨҄ᝠ̲ࣄ
本 臼 伊 圓
第 十 一 支 庁
局 住 長 職
暑中お見舞い
結縁の輪が広がりつつある妙導寺マルシェ
奉公を通していろいろな 施設に入られることにな 尊が奉安できるように毎 一生懸命ご奉公されてい いたことがわかりました。 ど省スペースでおまつり の声が聞かれました。 妙導寺マルシェは、す 体験をされた、部長のご り、奥さんはご信心のこ 日ご祈願をされ、折に触 たこともあり、二重の喜 できる形や、現代的なデ 容態は思わしくないよ ザインかつ安価な御戒壇・ でに十回近く開催しまし 奉公をされている石井八 とがよくわかっていない れ奉安を勧めていました。 びとなり大変喜ばれまし うで、息子さん・嘉之さ
意見も反映し、壁掛けな は買い物に困っていると お教化のご
¹⁄₁₈
大野さんは年齢八十歳 本尊をお寺に返納されま この奉安見本展示ブー 方から﹁次はいつ開催す スのおかげで、今後の予 るのか﹂と問い合わせが 代の男性で、海苔店の経 した。その時、大野さん 定も入れて約五軒の奉安 入るようになり、近隣の 営をされていた方です。 が退転にならないよう、 局長として励まれる高田可奈江さん
ʚ җ ο ࠰ ʞ ذ ૼ ሰ ݼ
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行) (10)
聞 新 立 佛 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
成が実り、家の御本尊の に入ってから、数年間、 はこういうものだと感銘 奉公の中で体験された、 お給仕もお父さんに代わ 毎日二回、雪の日も奥さ を受けました﹂と御講師 石井さんのお教化の体験
田正人前監督とコーチの二人
信 し か し 、 日 大AF チ ー したのは当然でしょう。日大 ムのような異常な状態が容認
追及し、最も重い除名処分に
連盟が指導者の責任を厳しく
され、放置されていたにもか
性があったのだと思います。
す。それだけ部員たちに自主
ームの抜本的改革﹂が実現で
﹁ 再 発 防 止 策 の 策 定 ﹂ や﹁ チ
処分を解除できる条件である
れば、チームの出場資格停止
納得する調査結果を出すこと
この点に踏み込んで、誰もが
断をすべきであった﹂と語っ
ったとしても自分で正常な判
教 そのことは、学連では なく本来は日大自らが﹁どう
の 声 を 上 げ て い ま す 。 日 大A
く考えてこなかった﹂と反省
うばかりで自分たちの頭で深
http://www.hiratashoueidou.com E-mail butsuryu@hiratashoueidou.com
奥さんの回向を勤め
の 指 示 に よ る も の と 認 定 し、
では、選手に度を越した強圧
かわらず、日大の上部組織が
きるはずです。
理解できません。日大の上層
ていたことです。
してこういうことが起こった
立派に法灯相続された子息・嘉之さん
医者から画像を見せても り息子さんがされるよう んのところに訪問を続け はおっしゃいました。石 と大野さんのお話です。
除名処分にしました。連盟で
的 な 指 導 が 繰 り 返 し 行 わ れ、
責任を認めることを拒み、そ
部は、諺の︽人の噂も七十五
が、監督の先生はめったに口
のか﹂を調べ、世間に明らか
まれ変わると思います。
F 部はきっといいチームに生
京都市上京区一条通御前通東入西町15 電話(075)461−5433 (代) FAX(075)461−9104
んがお葬式の相談にお寺 らい、以前その確認をし 安らかに笑顔で帰寂
は、多くの関係者から聞き取
特にターゲットにされた選手
の対応は後手後手になってい
活動は生徒・学生たちの自由
日︾と高をくくっているので
を挟まず、いつもニコニコと
にすべきでしょうね。日大が
0120-111-753
︵十面からのつづき︶
にみえました。御講師や た。しかし、最近とても
しかし、大野さんが退 になりました。 石井さんはお葬式のこと 元気で、大変痛みのある ていたとのこと。体調を 井さんや大野さんの子供 今後は﹁高祖日蓮大士 は一切心配ないから、そ 部位にガンがあるのに全 院をする前に、今度は介 以前、余命は半年もて 崩された後も毎日一度の さん達もそう感じたよう ご降誕八百年慶讃 教化・ 法灯相続運動推進﹂のた れよりもまず、今はお父 く痛まず、私よりも食べ 護施設に入っている大野 ばめずらしいと言われて 訪問を欠かさず続けてい です。
が終わる前に退院がかな った﹂とおっしゃり、次 現在、息子さんが立派に ていただきます
様の病気平癒をご祈願し るときもあり、入院前よ さんの奥さん・秀予さん いた大野さんは、約一年 たとのことでした。 そして昨年末、大野さ めに、妙導寺信徒一同、 ましょうと勧めました。 り太ってきて不思議に思 が危篤となってしまいま 半がたちましたが、ガン 御講師は、そのお話を んと奥さんのなきがらは、 異体同心となって、教化 ﹁ も う 明 日 に で も ﹂ の痛みも全くなく元気な 聞いて﹁ご遺体がこんな 仲良く一緒に海の見える と法灯相続の誓願成就に その後、石井さんは、 っていた。医者にこれは す。 毎日お寺で大野さんのご 何が起こっているのかと という連絡がお寺に入り ため、奥さんの忌日回向 に笑顔であることが分か 墓地に埋骨されました。 向かってご奉公に励ませ 祈願をあげ続けられまし 聞いてみたら、現代の医 ました。
早速、お寺でご祈願を いました。そして、大野 のようなことをおっしゃ 法灯相続をなされ、御本 以上をもちまして、体 た。そして、何ヵ月かた 学では答えることができ ったある日、海苔屋さん ないと言われた﹂と語ら あげますと、その日から さんは自宅で、初めて奥 いました。 尊を護持されています。 験談発表に代えさせてい
りを行ったほか、残されてい
に対しては﹁はまる﹂という
が求められています。そうす
た映像や音声データなどを調
表現があったそうです。 信 本来、高校や大学の部
べた上での判断ということで
A F部 は 生 ま れ 変 わ る か ることのわけは、私たちには 信 私が感心したのは、悪 質プレーをした日大の選手が
な意志で成り立つはずのもの
会見で﹁監督らから圧力があ
ではないでしょうか。
クルをした選手は、精神的に
笑顔で見守ってくれていまし
設置を決めた第三者委員会は
教 私 も 同 じ で す 。 日 大F はと勘繰りたくもなります。 A部の学生たちも﹁指示に従 追い詰められて反則行為に及
た。かえって上級生・先輩の
教 私も高校時代、端艇︵ボ 部内に罷り通っていた中、相 ート︶部に所属していました
んだそうですね。
方が厳しかった記憶がありま
度を越した強圧的な指導
手チームの選手に悪質なタッ
いものも黒だ﹂という理屈が
信 とにかく強大な権限を 持った監督が﹁黒といえば白
チームの抜本的な改革断行し出直しを
納得がえられたようです。
連盟の処分については大方の
勤められお参りされまし 息子さんに伺いますと、 会を果たした笑顔に違い た。また、石井さんの育 大野さんは奥さんが施設 ない。ホンモノの愛情と
自宅やお寺で忌日回向を とがないとのこと。
ない方でしたが、毎週、 ご遺体はご覧になったこ 大野さんの笑顔は、き っとあの世で奥さんと再
のことはほとんどご存知 もいままでこんな笑顔の ように旅立たれたのです。
した。息子さんもご信心 笑っていました。御講師 して奥さんを追いかける
の許可を得て勤められま らかというより、完全に もきちんと勤められ、そ
喪主は、ご主人の嘉介 て大変驚いたそうです。 主を勤め御題目で送られ、 さんが病院から一時退院 大野さんのご遺体はやす 退院して自宅で忌日回向
大野さんを教化した石井八重子さん
教 こ う し た 背 景 の 中 で、
在りし日の大野嘉介さん・秀予さんご夫妻
一週間、増益寿命されま さんの忌日回向を勤める ﹁振り返って考えてみ を継いでいる息子さんの れました。 以上が、佛立開化運動 ただきます。ご静聴あり お店に、石井さんと御講 そして、その後、大野 した。大野さんの息子さ ことができました。しか ますと、大野さんは人生 の教化の花を咲かせるご がとうございました。 師が訪問をされました。 さんは退院することが決 んは﹁一週間延びたお陰 し、その数日後、大野さ の最後に奥さんのされて
自らされ、そして病を克
大野さんの様子を伺っ まりました。石井さんと で親族みなそろって、最 んは容態が急変し、今度 いた本門佛立宗のご信心 てみると、息子さんいわ 御講師が息子さんに、そ 後を見送ることができた。 はあっという間に旅立っ に本当の意味での入信を く﹁胃、肝臓、膵臓、小 れはご利益ですよと伝え やっぱりご利益ってある てしまわれました。
(本紙嘱託)
腸にガンがあり、自分も て喜び合ったそうです。 んですね﹂と感謝をされ 枕経に伺った御講師と 服する現証をいただかれ、 たそうです。 石井さんは、ご遺体を見 奥さんの旅立ちには、喪
未だ全容ははっきりせず 信者さん アメリカンフッ ト ボ ー ル︵ 以 下 A F と 略 す ︶ 学院大学の選手を後方から悪
の試合で、日大の選手が関西
質なタックルを仕掛けて、全
治三週間の負傷をさせた問題
は、未だに全容がはっきりせ
ずモヤモヤした状態です。
教 務 さ ん こ の 問 題 で は、 AF 関 東 学 生 連 盟 が 日 大 の 選 手による悪質なタックルは内
解説・朝 倉 日 励
日大AF部の再生は?
フリーダイヤル
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行)
聞 新 立 佛 (11) 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
第
回
師さまがご晩年を過ごされた身 延山 お祖 ︵山梨県︶ 。や は り この 地 は、 ﹁ 法 華 経の聖 地 ﹂
といわれるだけあって、お祖師さまにまつわる
重要なところなんだね。今回はご両親とお師匠
︵道善房︶さまを偲ばれた﹁思親閣﹂と、お祖
師さまのお墓である﹁祖廟塔﹂についてお話し
するね。
お祖師さまは、身延 でお過ごしの間、時 折︵ と き ど き ︶ 生 れ 故 郷︵ 千 葉 県 小 湊 ︶ の のご草庵﹂ ︵先月号を読んでね︶から道な
ことを思い出されたんだね。そこで﹁西 谷
こ の 冬 は と て も 越せ な い だ ろ う と 思 う ほ ど
弘通促進決起大会を開催
今年度弘通誓願を読み上
宗門人が将来
亀井副総長より弘通方針の講演賜る
去る二月十日、第二支 庁南大阪布教区︵布教区 長・中谷教真師︶では、 浄風寺︵住職・西村清信 師︶におきまして、平成 三十年度・南大阪布教区 弘通促進決起大会を開催 させていただきました。 遅ればせながらご報告さ せていただきます。
げる弘通立誓式を挙行い
決起大会では例年の通 り管内各寺院弘通部長が
そこで弘安五年九月八日、お弟子やご信 者の熱心なすすめもあって、常陸︵茨城県︶
たしました。
健康 状 態が悪くなったんだ。
の 湯 へ 養 生︵ 病 気 の 回 復 に つ と め る こ と ︶
そして本年は二〇二二 の為に今やら 年にお迎えする高祖日蓮 なければなら
参集し、布教区長の前で
に行くために、八年四ヵ月を過ごされた身 延の山を離れることになったんだね。
京都 大阪 東京 名古屋
大士ご降誕八百年慶讃ご ないことは何
ことで、宗務副総長・亀 務総長・木村
URL.http://www.shashin-kagaku.co.jp
奉公の始まりの年という であるか。宗
そこからすすむことが出来ず、十月十三日
井日魁師より、弘通方針 日覚師の寒参
TEL.075-254-7724(代表) FAX.075-251-0232
九 月 十 八 日、 武 蔵 国︵ 東 京 都 ︶ の ご 信 者の池上宗仲さんの邸につかれたんだけど、 にご遷化︵お亡くなりになる︶されたんだ。
﹁ 教 化・ 法 灯
﹁教化・法灯相続 つづ 詣御法門をお れ織り運動﹂についてご 読みいただき 講演を賜りました。
お祖師さまの﹁墓をば身延の沢 に︵お墓 を身延に︶ ﹂ と い う ご 遺 言︵ 亡 く な っ た 人 が後の人に残 した言 葉︶のとおりに、祖廟 塔︵お祖師さまのお墓︶は、身延山の西谷
大会の講演内容のこと、 め下さいました。
一六四名の参加をいただ
の ご 草 庵 の 近 く に 建 て ら れ 、 ご 遺 骨︵ 亡 く
各寺院のご信者のこと、 そして﹁各寺院での現 きました。︵御牧要昌記︶ 宗門各寺院の現状などを 状、嫌なところには眼を
亀井副総長は弘通審議 相続 つづれ 会のこと、佛立研究発表 織り運動﹂の大事をお勧 内各寺院より教講合わせ
な っ た 人 の 骨 ︶ は そ こ に 埋 葬︵ 死 体 や 遺 骨 を土中にうめること︶されたんだよ。
〒604-0847 京都市中京区烏丸通二条下ル秋野々町518番地
き 道 を 歩 き 、 身 延 山 の 山 頂︵ 標 高 一 一 五 三
間かけて登って行ったのだから、とても大
株式会社 写真化学
メートル︶に登られたんだよ。
身延山の山頂でお祖師さまは、遠く離れ た 故 郷 の 方向 を 向 かれ、亡 き ご 両 親 と お 師
御題目をお唱えになられたんだ。
、 匠の道善房さまを想われて︵心に浮かべて︶
お 祖 師 さ ま が、 ご 両 親 と お 師 匠 さ ま を 想 っ て 登 ら れ た 身 延 山 の 山 頂 に、 ﹁思親閣
︵ 久遠寺奥之院︶ ﹂という名のお堂があるん だよ。これは、お祖師さまがお亡くなりに
な っ た 翌 年︵ 弘 安 六 年 ・ 一 二 八 三 ︶ に 、 お
弟子の日朗上人が建てたものなんだ。
が、五ヵ年のご奉公を通
紹介しつつ分かりやすく つぶりたい気持ちもある ご講話下さいました。
は未来の事を考え想像す を立てていただきたい﹂
その中で﹁人間が他の じてしっかりと見定め、 生物と比べ優れているの 改良させていただく計画
のご信者方のお墓もあるんだね。みんなも
山 の 麓︵ 山 の 下 ︶ か ら 山 頂 の﹁ 思 親 閣 ﹂ 変だっただろうね。 お 祖 師 さ ま の 祖 廟 塔 の 周囲 には、樹 齢 数 まで、今ではロープウェイで七分ほどで登 身 延 山 の 山 頂 は、﹁ 親 を 思 う 所 ﹂ と い う 百年の杉の木々がそびえ立ち、お祖師さま 意味で﹁思親閣﹂と名づけられているけど、 の お 弟 子 を は じ め、 篤 信︵ 信 仰 の あ つ い ︶ っ て 行 け る け ど、 当 時 は、 お よ そ 五 十 丁
お祖師さまのご両親やお師匠さまに対する
ることにある。想像でき との激励を頂戴し、参詣
の道理を説いて下さった 奉公に向けて気の引き締
のです﹂とお話し下さい まる思いとなりました。
当日は小雨のちらつく それを踏まえ、私たち 天候にもかかわらず、管 ました。
喜んで承ります。
高祖日蓮大士ご降誕
︵ 五 ・ 五 キ ロ ︶ の 険 し い 山 道 を、 二 ∼ 三 時
一度、機会︵チャンス︶があれば訪れると
はか
るからこそ仏さまは因果 者一同、この五ヵ年のご
孝 養︵ 親 に 孝 行 を す る 、 亡 く な っ た 人 を し
いいよ。
とう
ビデオ・ホームページ制作まで。
164名の教講で一杯となった浄風寺本堂
2支 南大阪布
っ か り 供養すること︶の深 さは本当に立派
びょう
だ ね。 私 た ち も 見 習 わ︵ み て マ ネ を す る ︶ なくちゃね。 そ
祖 廟 塔︵ お 墓 ︶ お祖師さまは、五十三歳で身延の山に入 られたんだけど、それまでのご苦労の 連続 と、きびしい身延での生活でお身体がずい ぶん弱くなられたんだよ。弘安五年︵一二
デザイン印刷から
身延山の山頂からの展望 晴れた日には富士山を見ることができる。お祖 師さまもご覧になられたかも・・・ 祖廟塔 「墓をば身延」にというご遺命にしたがっ て立てられたお祖師さまのお墓
パンフレット・機関紙・寺史・社史の
800年慶讃 思親閣の仁王門 身延山の山頂に「思親閣(久遠寺奥之院) 」がある
中谷布教区長に弘通誓願を言上
7
お祖師さまは、身延山の山頂から遠く離れた故郷の方向を向き、 ご両親とお師匠の道善房さまを偲ばれた。
八 二 ︶ の 秋 に な る と、 誰 の 目 か ら 見 て も、
講演される亀井副総長
平成 30 年7月1日 日曜日 (毎月 1 回 1 日発行) (12)
聞 新 立 佛 第 7 0 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)