熊本地震特別番組 「忘れへんで、熊本!」現地取材&関連作業報告記 2016(平成 28)年 9 月 16~17 日
さくら FM 株式会社
はじめに 2016(H28)年 4 月 14、16 日熊本地方で震度 7 の地震発生により死者 110 人(H28.10.14 現在、関連 死含む)全壊家屋 8,257 戸等の被害…内陸・直下型で 21 年前に西宮・芦屋市民が遭遇した阪神淡路大震 災に似た点が多く、それが契機で開設されたさくらFMが無反応でいい訳がありません。私たちは 9 月 16、17 日に現地取材、編集・制作を経て発生半年となる 10 月 14、16 日に特別番組「忘れへんで、熊本!」を放 送し、多くのリスナーから評価の声を頂きました。 放送番組はさくら FM のホームページにアップしていますので是非お聴きください(さくら FM ホームページ・ 過去の番組を聴く⇒熊本地震特番「忘れへんで、熊本!」>この番組の放送を聴く、をクリック)。現地はまだま だ大変です。熊本のことを忘れず、自分たちに何が出来るかを考え、行動しましょう。 本レポートは取材の様子などを纏めた報告記です。こちらも是非ご一読ください。 平成 28(2016)年 11 月 9 日 さくら FM 株式会社代表取締役社長 北村英夫
益城町で被災した家屋
目
次
0. 行程表・訪問メンバー・地図・熊本地震概要 1. 近藤の報告 2. 岡の報告 3. 北村の報告 4. 清水の報告 5. 米山の報告 6. 番組放送を告知してくれた日刊5紙記事 7. リスナーの声 8. 報告を終えるにあたって 1
0. 行程表・熊本地震概要・訪問メンバー・地図 行程表 平成28年 9 月 16 日(金) 9:00
阿蘇熊本空港 着
10:30 <取材>益城町役場 12:00 <見学・昼食>益城復興市場・屋台村 14:00 <取材>益城町立木山中学校 15:00 <取材>安永仮設団地 16:00 <見学>益城町保健福祉センター 16:30 <見学>益城町総合体育館 17:30 <見学>熊本城 18:30 ホテル 着
9 月 17 日(土) 8:00 <取材>益城町立広安西小学校 10:00 <取材>熊本シティエフエム 13:00 <取材>テクノ仮設団地 17:25
阿蘇熊本空港 発
熊本地震概要 熊本地震は、2016 年(平成 28 年)4 月 14 日 21 時 26 分以降に熊本県と大分県で相次いで発生してい る地震である。 気象庁震度階級では最も大きい震度 7 を観測する地震が 4 月 14 日夜および 4 月 16 日未明に発生し たほか、最大震度が 6 強の地震が 2 回、6 弱の地震が 3 回発生している。日本国内の震度 7 の観測事 例としては、4 例目に当たり一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震 度 7 が 2 回観測された。また、一連の地震回数(M3.5 以上)は内陸型地震では 1995 年以降で最多とな っている。
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現地取材メンバー ⑴ 近藤 栄
さくら FM パーソナリティ 防災番組いつもおそばに 毎週月 19:00~20:30、西宮あんあん情報局 月~金 9:48~9:58
野球が好きで球場のウグイス嬢に憧れアナウンサーの世界に。災害現場での取材をはじ め「できる人が、できる時に、できる事をする」この精神で災害ボランティアの経験を活かし マンパワーの素晴らしさを伝えている。防災士。ひょうご防災リーダー。 (2) 岡直人
さくら FM 営業・企画
2005 年からさくら FM に勤務。 さくら FM で番組制作に携わるようになって、気が付いたら 10 年を越えていました。答えで はなく何かのきっかけやヒントになる番組作りを目指しています。 高知県高知市出身。43 歳。宝塚市在住。 (3)北村英夫
さくら FM 代表取締役社長
1949(H24)生、67 才。元西宮市職員、H24.10 から現職。さくら FM を「日本一の地域ラ ジオ局」にすると広言し日々邁進中。阪神淡路大震災の経験と教訓を防災・減災活動の 基本に据えている。
⑷清水信一
さくら FM 番組審議委員会副委員長
1971 年に神戸新聞社に記者として入社して以来、西宮市在住。 西宮市など阪神間と神戸市内を取材し、本社編集局と阪神総局を行ったり来たり。1996 年から経営に関わり、新聞と関連企業のテレビ・ラジオ、出版の経営に携わり、2013 年に 退社。その後、さくら FM や学校法人などの運営のお手伝いをしています。 ⑸米山清美
日本災害救援ボランティアネットワーク理事
神戸生まれ西宮育ち。公立幼稚園教諭退職後、乳幼児の保育をはじめ子育て講座講師 など子育て支援に長年関わる。阪神大震災被災後4年目に「にしのみや遊び場つくろう 会」を立ち上げ、子どもも大人も楽しい居場所づくりを目指し、現在も国有地プレーパーク を運営。また日本災害救援ボランティアネットワーク理事として、被災地での子ども支援に 携わる。西宮市鞍掛町在住。
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地図
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1. 人間の復興
さくら FM パーソナリティ 近藤栄 (熊本へ) 「悲鳴を上げたままや・・・」初めて益城町の状況を
来に向けての前向きな話も聞けた。「町民主体の町
見たとき、心の中で呟いた。21 年前の阪神淡路大
をつくるため大人のみならず小学生、中学生からの
震災発生後目の当たりにした光景がまさに広がって
意見も取り入れた復興計画を今年度中に策定。全
いた。私たちさくら FM 取材班は 9 月 16、17 日に
国の皆さんの応援に応えたい。災害に強い町、安
「平成 28 年熊本地震」で甚大な被害を受けた益城
全・安心な町を作ることが恩返しになる」町を再生し
町を訪れたが、5 ヶ月間放置されている家屋があま
一日も早く被災者が安心して日常を送れますよう
りにも多いことに衝撃を受けた。公費解体は 7 月に
に。また、西宮市と芦屋市は兵庫県などと連携し消
入ってから、「目の前にある倒壊した自宅から大切な
防、警察の援助隊や医療チーム、職員の派遣など
物を取り出したい、でも出来ない。その間大雨も降り
被災地支援を行なっている。さらに 10 月 1 日から
カビも生えて、、、。大きなストレスを抱えている人が
来年 3 月末まで西宮市と芦屋市の土木技術職の
たくさん居るのです」役場近くに住み全壊だった被災
職員、各一人を益城町に派遣している。復興支援の
者に聞いた切実な話。それほど益城町の状況はあ
ために大いに貢献されることを期待している。
まりにも非日常的な光景だった。
益城町西村博則町長
熊本地震の報道が早い段階で減っていき忘れられ
益城町で被災した家屋
益城町のみならず住宅の解体ガレキ置き場が不足
ようとしていることに危機感を感じていた。実際現場
していることも復興の遅れの一因。そこで 2 次仮置
で「熊本を忘れないでほしい」という言葉を多く聞き
き場の一部が 9 月 30 日に阿蘇熊本空港の近くに
「忘れへんで」という想いとラジオを聴いて下さってい
完成し公費解体のスピードアップを目指している。厳
る皆さんにも「忘れんといてな」という想いを込めて、
しい状況ではあるが益城町の西村博則町長から未
発災半年となる 10 月 14 日に特別番組「忘れへん 5
で!熊本」を放送した。私自身、4 月 14 日以降、
とが判明。でも面識はなかったので益城町で支援活
熊本訪問は 3 回目だった。5 月のゴールデンウイー
動をしている西宮市の NPO 法人「日本災害救援ボ
クに炊き出しで、6 月は土砂やブロック塀撤去のボラ
ランティアネットワーク」の米山清美理事が橋渡しを
ンティア。これまで災害ボランティアを経験し、次代
し石井先生の手紙を谷頭先生に手渡しご縁を繋い
を担う若者にボランティアへの関心を高めてもらいた
だ。谷頭先生が「子供たちが頑張れるものがほしい」
いと思っていた。今回の熊本取材でいろんな方にお
と米山理事に託したのはメッセージボード。その想い
話を伺い伝えたいことがたくさんあるが、このレポート
に応えた浜脇中学校吹奏楽部と合唱部員手づくり
では「若者」をキーワードに報告する。
のメッセージボードを私たちは広安西小学校に届け た。「一言、一言、自分の想いを書いてくれて、たくさ
(音楽のパワーで繋がる心)
んのメッセージをもらえて私たちも頑張れます」と谷 頭先生。器楽部が練習出来たのは 6 月に入ってか らだった。体育館や教室が避難所になっていたので 音楽室を締め切って限られた時間、1 ヶ月少々に迫 ったコンクールに向けて練習を重ねた。「演奏出来る ことの喜び、益城町は頑張っていることをステージで 披露しよう!」見事コンクールで金賞受賞。初めて 熊本県代表で九州大会に出場した。「熊本市内から 通っていますが自衛隊の車や県外ナンバーの車を 見て何度も涙しました。子供たちも保護者も大変だ ったけど、全国から応援を頂いて有難かったしいろい ろ学ばせてもらいました。頑張って熊本から返してい きたいです」谷頭先生の表情と言葉には感謝の気持
浜脇中学校吹奏楽部と合唱部
西宮市内で熊本の支援をしている若者たちが居る。
ちが溢れていた。そして 3 年生から 6 年生まで 40
西宮市立浜脇中学校吹奏楽部だ。10 月現在部員
人、元気一杯の演奏を聴かせてもらった。胸が熱く
は 95 人、3 年生部員たちが地震発生後に「何か自
なった。浜脇中学校吹奏楽部と合唱部は 10 月 1
分たちでしたいね」と相談し、松尾莉沙部長が代表し
日(土)に開催された酒蔵ルネサンスと食フェアの一
て顧問の石井建昭先生にこう言った「復興支援コン
環で阪神西宮駅近くの野外ステージで熊本復興支
サートがしたい!」なぜ 3 年生部員が大人に言われ
援コンサートをし、くまモンのイラスト入りの手作りの募
たのではなく自ら「熊本を支援したい」と言ったの
金箱で義援金を募った。2 回目は浜脇中学校の体
か?それは 2 年前の 9 月、東日本大震災で大きな
育館で 11 月 3 日(木・祝)午後 2 時から開催。
被害を受けた宮城県南三陸町と女川町で現地の中 学生と演奏会をした経験から。被災地の状況を実 際に見て、いろんな話を聞いて「普通に演奏出来る ことは実は奇跡なんだ」深く心に刻まれた。松尾部 長の言葉を聞いた石井先生は熊本に知り合いが居 ないか調べた。すると益城町立広安西小学校器楽 部顧問の谷頭明美先生と大学の先輩後輩であるこ
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広安西小学校器楽部のみなさん
「熊本の支援をしたい!」と自ら言った 3 年生部員
矢野明子さん(熊本高校 2 年)
はこのコンサートで引退。被災地を応援する心、ぜひ
益城町立木山中学校で『はるかのひまわり』を咲か
とも今の 2 年生、1 年生に受け継がれることを願う。
せた高校生たちがいる。そのうちの一人、熊本高校
2 回の復興支援コンサートでの義援金は 12 月に石
2年生の矢野明子さんは木山中学在学中、修学旅
井先生が直接熊本に、広安西小学校に、谷頭先生
行で神戸に行くことになり事前学習で『はるかのひま
に、部員のみんなの「支援したい!」その想いととも
わり』について学び学校で育てていた。そして神戸で
に届ける。音楽のパワーで繋がる心と心。
「はるかのひまわり絆プロジェクト」の方と会い、阪神 淡路大震災の被害が凄まじかったこと、東日本大震
(はるかのひまわりプロジェクト)
災の被災地に『はるかのひまわり』が復興支援として 受け継がれた話を聞いた。熊本地震後そのことを思
21 年前の阪神淡路大震災。神戸市東灘区の加藤
い出したのだ。小学生や中学生たちが避難生活を
はるかちゃんの自宅は全壊。7時間後ガレキの下か
送り、みんなバラバラで友達と遊べない現状に心を
ら発見、11 歳だった。震災から半年後、自宅跡にひ
痛め「『はるかのひまわり』を植えて元気づけたい!」
まわりが咲いた。はるかちゃんのお母さんは「娘がひ
と、元生徒会6人で「はるかのひまわり絆プロジェクト
まわりとなって帰ってきた」と涙した。何も無くなってし
in 木山」を立ち上げた。大変だったのは準備。神戸
まった町、多くの人を励まし勇気づけたひまわりに近
から『はるかのひまわり』の種を送ってもらうことにした
所の人が『はるかのひまわり』と名付けた。やがて災
が発災当初、郵便がちゃんと届く状況ではなかっ
害の悲惨さと命の尊さを伝えるため「はるかのひまわ
た。土は PTA の方々が耕してくれた。植えるのに必
り絆プロジェクト」が設立された。新潟県中越地震や
要な備品は買うお金がなかったのでプロジェクトのこ
東日本大震災の被災地など全国にそのひまわりの
とを知った方々が支援してくれた。心配された種は
種が引き継がれている。
無事神戸から到着。木山中学校は正門から校舎ま で 400m 近くもある珍しい学校で、その道路沿いと 学校の畑に『はるかのひまわり』を 6 月 12 日に卒業 生、在校生ら約 100 人で雨の降る中植えた。「みん なの希望の花になりますように!」と祈りを込めて。 木山中学校で咲いたひまわり
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興が進んでいないので、熊本地震のことを忘れない で下さい」と語ってくれた明子さん。自宅は全壊だっ た。夢を聞くと「フライト・ドクターになっていろんな人 を助けること」そう言えば、東日本大震災の被災地で 医者や看護師、消防隊など助けてもらった経験か ら、人を助ける職業に就きたい子供たちが多い。起 こってしまったことは辛くて悲しいこと、でもマイナスを プラスに変えて・・・未来へ。 (ボランティア)
木山中学校の支援感謝の旗
6 月後半の豪雨に耐え、初めて咲いたのは 8 月 7 日。その後次々に開花しその数約 200 本!いろん な人にひまわりを見て元気になってほしいと、プラン ターに植え替えて仮設住宅にプレゼントした。大変喜 ばれ大切に育ててくれたそうだ。木山中学校は地震 で配管が破損し1階の職員室や校長室が水浸し。 校舎と校舎を繋ぐ二つの渡り廊下が大きく破損。危 険だったため近くの小学校に間借りし授業をしてい
熊本学園大学ボランティアグループの原田素良さん(左)
た。体育館は天井がいつ崩落するか分らない状況
熊本学園大学のボランティアグループはゴールデン
で現在も使用出来ないが 8 月 22 日、2 学期からよ
ウィークから「被災者の支援が行き渡っていない。交
うやく校舎で勉強出来るようになった。私たちが木山
流、語らいの場を作りたい」と避難所でカフェを開き、
中学校を訪れた 9 月 16 日、ひまわりの開花時期
現在は益城町最大のテクノ仮設団地のいくつかある
は終っていたが『はるかのひまわり』を植えた沿道に
集会所の一つで毎週土日に「おひさまカフェ」を開い
は青色のノボリがズラリと立てられていて「全国の皆
ている。ドリンクは大人が 10 円、子供は無料。お菓
様からのご支援・ご協力ありがとうございます。木山
子を食べながらくつろぐ高齢者の姿、そして経済学
中学校」と白い文字で書かれていた。偶然にもその
部 2 年生の原田素良(そら)くんはすでに子供たちに
日に立てられたそうだ。
大人気。素良くんは「何か自分に出来ることがあれ
「はるかのひまわり絆プロジェクト」は種をリレーするの
ばと思い活動しています。毎週末カフェを運営する
で神戸のプロジェクトに里帰りをさせる他、来年以降
のは大変だけどやりがいがあって楽しい。毎週来てく
も木山中学校に植えることが決定。さらに明子さん
れてありがとう!その言葉が嬉しいです。益城町はま
が通っている高校など『はるかのひまわり』を植えた
だまだこれからだということを伝えたいです」さわやか
い、熊本県内で嬉しい声が続々届いた。「全国、海
な笑顔が子供も大人の心も癒やしている。ただ彼ら
外からもたくさんの支援をいただいたことにお礼をし
だけに頼っていてはいけないと思った。テクノ仮設団
たいです。私たちは元気で頑張っています。ただ復
地は 516 戸、集会所も複数ある。また益城町の別 8